同タイトル『今日は二月十四日です、紫さま』 前中後三部作の番外編です。
少なくとも前編と中編を読んでいないとなんのことかわからないと思います。
『今日は二月十四日です、紫さま 番外編』
1.鬼の挑戦再び
今年の節分の概要は以下である。
逃げ出した萃香を魔理沙は探していたが、見つけられなかった。仕方なく魔理沙は紅魔館まで鬼役について打診しに行った。しかし、節分についてまったくの無知だった悪魔の妹君にあれこれと吹き込んだ結果怯えさせてしまい、当然ながら拒否された。
仕方なくクジ引きで鬼役を決めるしかないかというところで現れたのが、星熊勇儀をはじめとする地底の面々であった。しかも、逃げ出した萃香を肩に担いで。
萃香を探しがてら、魔理沙は勇儀に打診していたらしい。豪気な彼女は潜んでいた萃香を探し出し、情けないと叱咤した。そして苦手は克服するべき、という理念のもと萃香のために(?)今日この場に連れて来たようだ。また、萃香に出来なかった事を自分が成し遂げるという気概も持っての参戦らしい。
乗せられて鬼役を買って出るとはさすが鬼の四天王、考えることが去年の萃香とまるで同じである。
ともあれ、鬼が現れたのはこれ幸いと、鬼以外の面々は楽しんで節分行事をすることができたのである。勇儀が笑って全身に豆を浴びていたのも十分ほどだったろうか。
やはり最強紅白巫女と現人神である緑の巫女のありがたい豆を前にしてはやはり厳しいようで、その後は壮絶な、まさに逆鬼ごっことなった。本誌記者は博麗神社での様子を数枚写真を撮り、鬼ごっこには参加していないので、その後鬼がどうなったのか本人たちにインタビューもしたいのだが……。
「ああ、いけない、原稿の下書きなのに私の悩みもどきまで書いちゃった……」
おなじみ伝統の幻想ブン屋射命丸 文は最後の一文を二重線で消し、その下に『本人たちに取材するつもりである』と書き直した。
2. 絶対許早苗
文は困っていた。
節分も終わり、その記事も書いた。現在はバレンタイン特集の準備中だった。大方出来ているものの、細部の確認も含め方々に取材に出たいのは山々なのだったが……早苗がなかなか取材に出るのを許してくれない。
話は一週間ほど前にさかのぼる。
文は霊夢に余計なおせっかいをした。おばあちゃんになってしまいますよ、と霊夢に言ったのは自分なのに、その言葉に逆にダメージを受けてしまった。そのまま帰る気になれず、ふらふらと守矢神社に立ち寄った。ここにも、すぐにおばあちゃんになってしまう子がいる。文が霊夢よりも気にかけている、人間の少女。
もう日が暮れて真っ暗な時分である。いつもと若干様子の違う文に早苗が気付いて心配してくれたが、何があったか話すわけにはいかない。ただ早苗に会いたくなってと素直に言った。常にない文のストレートさに早苗は一瞬顔を赤らめたじろいだが、文が博麗神社の帰りと知ると態度が変わった。困ったことに不機嫌な方向に。
いっつもウチより霊夢さんのところに先に行くんですよね、と怒ったように言い放ち、文さんなんてもう知りません!と家の中に入ってしまった。
早苗は霊夢に対抗心のようなものを抱いている。まぁ幻想郷の巫女と言えば紅白と緑と言ってもよい。唯一つではない以上、比べられるのも無理はない。なにより二人は年も近い。いや、霊夢の方が年下に見える。それも気がかりなのだろう。その上早苗は幻想郷にとって新参者で、かつ信仰を集めることに腐心している。霊夢がまったくそれらのことに無頓着無関心だからこそ、余計いろいろと煽られるものがあるようだ。
そういう下地があるのに加えて、今日の文の元気のなさは霊夢が原因と決め付けたのだろう。まぁあながち間違いではないのだけれど。心配してくれたかと思ったらあの変わりよう、文はポカンとして見送るしかない。けれど、どうしたことか先ほど博麗神社を後にした時のような寂しさに近い感情はなくなっていた。思わず笑みを浮かべ守矢神社のご利益に感謝しながら文も神社を後にする。
文は早苗が好きだ。早苗も文に好意を寄せている……はず。普段の早苗の態度や先ほどの嫉妬が混じった発言でそれくらい文にだってわかる。しかし文と早苗は別に恋人同士ではない。だから、文が霊夢と仲が良いだとか、守矢神社より先に行くとかで、早苗が怒る筋合いはない。だが早苗は文を自分の恋人であるかのように扱うのだ。そして困ったことに文はそれが嫌ではない。
現時点で、実にあいまいな関係なのだ。ただ、どちらがそれを切り出すかで意地の張り合いをしているだけであった。正直霊夢とスキマ妖怪をまったく笑えない。だからこそ、今になっては行き過ぎたな、と思える口出しをしてしまったのかもしれなかった。
翌日、怒らせてしまったお詫びもかねて真っ先に守矢神社にお伺いに行った。幸い一日寝たら早苗の機嫌は直っていた。午前中から文が守矢神社に来たからかもしれなかったが、早苗のこういうところを文は好ましく思う。節分イベントのときも、早苗は霊夢と楽しそうに自分たちが清めた豆を参加者に配っていた。せっかく早苗の機嫌が直ったのだから、しばらく文は霊夢と距離を置くことにした。文だって、好きな子の笑顔が曇るのは避けたい。
そして現在に至る。文は頃合を見て、霊夢の様子を見に行くつもりだった。焚きつけてしまった自分にも責任があるだろう。不安そうに考え込んでいた霊夢の顔を思い出す。
霊夢は飄々とした態度や達観した考え方から実年齢より大人びて見えるが、実際はまだ文の半分どころか、何分の一かもわからないくらいしか生きていない人間なのだった。
早苗への恋心に近い感情とは別に、霊夢のことも気がかりだった。なにより今回の件に関しては自分がけしかけたようなものだ。
しかし。
早苗は恐ろしくカンがいい。霊夢のことを考えているとすぐバレる。ただの取材で博麗神社には行かないと言っても、あまりいい顔をしない。
まったく、取材に行かないブン屋なんて、はたてだけで十分だ。早苗の束縛のいきすぎに、さすがに文の機嫌も悪くなる。文の不機嫌を感じ取って、バツが悪そうに早苗が言う。
「……だって、バレンタインが近いじゃないです、か。その、この時期に文さんにあまりうろうろされたくないんです」
うろうろとは聞き捨てならないが、なんとまぁこれは珍しく殊勝なことを。顔も赤らめるというオプション付きだった。どうやら早苗の懸念は霊夢に対してだけのものではなかったようだ。そういえば去年のバレンタインにも、文が方々からチョコレートをもらったと聞いて早苗がおかんむりだったことを思い出す。文は心の中で「あやややや」とうなることしかできない。
それにしてもそこまで言って、なぜ早苗は好きだと言ってくれないのだろうか。自分のことは棚に上げて嘆息する。早苗は文から言ってくるのが当たり前と思っている節がある。
そしたら対抗したくなるのが性ではないか。なぜ文が、なのだ。早苗が言ってくれたっていいではないか。
文はもっと突っ込んでやりたかった。早苗の言葉の意図は当然わかっているが、それでも「どうしてですか」と言いたかった。「ど」までは口に出していたかもしれない。しかし、それを言うと早苗の機嫌が悪くなるのは目に見えている。早苗を怒らせると早苗自身も怖いが、後ろに控えている二柱が何よりも怖い。
それともとうとう自分が折れてなにかしら甘い早苗の望む言葉を言ってやるべきか。しかしバレンタインまであと三日という時期である。微妙だ。微妙すぎる。どうせならそういうやり取りはバレンタインにするべきじゃないか。そういうイベントなのだろう、バレンタインとは。霊夢にそう偉そうに語ったではないか。
「……わかりました。では早苗さんのお望みどおり、あまりうろうろしないようにいたしましょう。ところでわたくし、喉が渇きました。なにかいただければ大変嬉しいのですが」
文にできることはそう言って、早苗の言に従いつつとりあえずはその場を流すことだった。心の中で霊夢に謝った。霊夢のことも気になるが、やはり順番を間違えてはいけない。
早苗より先にたって屋敷へ向かう。後ろであやさんのバカ……、と聞こえた気がしたが、仕方がないですねっと言いながら文を追い抜いた早苗の顔から不機嫌は消えていた。
機嫌よく自分の前で茶を飲む早苗を前に、文は少し気が塞いでいた。とりあえずは誤魔かしたが、早苗に好意を伝えるということを考えたら、霊夢と話し終わった後に感じた、底知れない不安のようなものがよみがえってきたのだ。心の中に穴が開いているかのような、答えの出ない気がかり。
『おばあちゃんになってしまいますよ?』
文は恐かった。自分の一言が目の前の人間の人生を左右してしまうことを。相思相愛なのがわかっていながら、文がもたついてるのもそれが原因だ。だから早苗に言ってもらいたいのに。早苗から好きだと言われれば、乞われれば、文の胸のつかえは少しは軽くなる気がするのだ。
霊夢に言った言葉が自分に返ってくる。現人神とはいえ早苗は『人間』だ。体の強さや寿命などは天狗の文とは比べ物にならない。早苗は、これからも人として生き、そして死ぬのだろうか。
文にとってはあっという間といってもいいほどの速さで。
バレンタイン当日、文は一応チョコレートを用意した。残念ながら手作りではない。そこまで乙女になれなかった。だいたい早苗が出歩くことにいい顔をしないため、作り方の一つも教われなかったというのが文の言い分だ。バレンタインを意識した数ヶ月前は、人形遣いか紅魔館のメイドに聞こうかとさえ思っていたのに。
先日からずっと文を悩ませている件は、まだ消化できていない。けれど早苗との関係について、いつまでもこのままではよくないと思っていたのは事実である。なにより早苗の態度からも、文を特別視していることは明らかではないか。いい加減観念したら、ともう一人の自分が囁く。
そして、二柱の(早苗を泣かせたら許さんぞ、という)プレッシャーも少なからず感じている。外の世界の浮ついたイベントごとに乗っかることに多少の抵抗は感じたが、文は今日早苗に気持ちを伝えるつもりだった。
なのに。
…………早苗が悪い。
早苗が悪い。
早苗が悪い!
心を改め、深呼吸して正午前ごろ守矢神社に舞い降りた。文の想定としては誰もいない境内で二人きり、手とチョコを取り合い厳かな雰囲気で気持ちを伝えるハズだった。
しかし、守矢神社の境内は予想外にも里の人間や害のない妖怪や妖精で溢れていた。正月のときのように社殿のそばに立つ早苗の周りに皆集まっていた。そして早苗が一人一人手渡しで何かを渡している。あれはまさか。
これはどうしたことかと困惑している文の横を人間の女性二人が通り過ぎる。二人ともなにか紙切れをもち、まだあるかしら、なきゃ困るぅ、などと楽しそうに話している。心中で失礼、と断り強風を起こして怯んだ隙に紙をひったくった。女性たちには風で紙が飛んでいったと思っただろう。二人ともあっと小さく声をあげはしたが、もう用は済んでいたのか、大して気にも留めず前に進んだ。
「……なんてこと」
その紙切れは、はたての書いた『花果子念報』号外だった。文に対抗してか同じくバレンタイン特集である。『文々。新聞』と大きく違うところは、守矢神社および早苗のコメントなどが大々的に取り上げられていた。
「……バレンタイン当日に配布される守矢の巫女特製チョコレートを手にすれば、意中の方にきっとうまく気持ちを伝えられるでしょう~!?……やってくれたわね早苗」
文にうろうろするなと釘をさしておいて、どうやら早苗はバレンタインに便乗した布教活動をしていたらしい。あのヒキコモリなはたてが自分から早苗に話を持ちかけたとは思えない。文にうろうろするなと言ったのも、あのときの早苗の殊勝な言葉が本心じゃなかったとは断言しかねるが、このことが発覚することを防ぐためとも考えられなくもない。
恋心を伝えようとしていた相手に裏切られたような気分だ。早苗にどういう意図があったにせよ、文に隠し事をしていたことも、文じゃなくはたての新聞を選んだということも堪えた。文は早苗が文に気付く前に、文は幻想郷最速のスピードで守矢神社から飛び去った。
苛立ちのままにやみくもに吹っ飛んでいた。今日はバレンタイン。今の文には目に毒な光景ばかり。見たくなくて、目をつぶったまま飛んでいたら、椛の呼ぶ声がした。
そんな速度で危ないです、文さま、と言いながら文の前方に姿を現す。これは素敵な人身御供だ。有難く、スピードも緩めず思い切り体当たりした。
椛はこの季節、キンキンに冷えているだろう川に落下した。少しだけ、ほんの少しだけ溜飲が下がった。椛には今度美味しいものでもおごってやろう。
にとりの、なにやってんだあやのあほーという叫び声が聞こえた気がした。あんたたちいつも仲がいいのはわかるけど、今日は意中の人と一緒にいるべきなんじゃないの、と自分のことは棚に上げて思ったりした。
ああ、でも椛のそばにいるわけにはいかないな。もっとも椛はこういうイベントに一番参加しそうにないけど。
椛は吹っ飛ばされた痛みと冷たい川の流れと格闘していたが、文も無事ではなかった。激突したことで大きく進路が変わり、勢いに抗いきれず雪山にボスリと突っ込んだ。
この寒い中飛び回ったから既に身体は冷たく凍るようだというのに、またこんな。……冷たい。だけど椛と激突した時に痛めた肩は熱を持っていたからこの雪の冷たさは心地よかった。しばらくここで頭を冷やそう。
目を閉じて、雪の冷たさにひたる。チルノにひっつかれることも多く鍛えられている文だがさすがに三十分ともたなかった。
ええい寒い、と叫びながらむくりと身体を持ち上げると、雪山に落ちた時にすべり出たか、早苗へのチョコレートがすぐそばに落ちていた。
まずい、包装紙が濡れてしまうと慌てて懐に戻す。三十分も雪の中にあっては濡れてしまったかもしれない。けれど、あんなにでたらめにでたらめなスピードで飛び回ったのにどこかにいってしまわなくてよかったと安堵した。
まさに考えるよりそう感じた自分の思考に、自分の必死さに呆れて思わず乾いた笑いで頬が引きつる。
「はぁ……私も健気ですね。我ながら驚きですよ」
そういうことだ。文はうそつきを自認しているが、自分に嘘をつくことは好きではない。早苗に出し抜かれたことは腹立たしいが、早苗だから仕方ないという諦めもある。きっと、そういうところも含めて好きこそなれ嫌いになれないのだ、自分は。早苗が言った文にうろうろしてほしくないという言葉の真意は、あの時文が感じとったもので間違いないはずなのだ。それで十分ではないか。
時計を見る。空の色の具合でなんとなく予想していたがもう三時も過ぎている。めちゃくちゃに飛んだのでここがどこかもよくわからない。椛がいたのだから妖怪の山付近だとは思うのだが。痛む肩を抑えつつ、とにかく文は飛び上がった。
二度目の守矢神社である。なんとか日が完全に暮れてしまう前にたどり着けた。もう境内には誰もいない。当初の文の想定どおりだ。羽音が聞こえたからか、ガラガラっと大きい音を立てて早苗が屋敷の玄関から現れる。少しは文が来るのをやきもきして待っていてくれただろうか。
「お、遅かったんですね!霊験あらたかなこの守矢の巫女特製チョコレート、あっと言う間になくなっちゃいましたよ!ぜーんぶ!!まだ欲しがる人もたくさんいて、もっとつくっておくべきでした。……でもっ、あとで私が自分で食べようとしていた最後の一つが残ってたので、文さんにあげます」
文が来訪の挨拶をする間も与えず、早苗が早口で言い放った。まるでずっと考えていたことを一字一句忘れずに文に伝えるみたいに。伸ばされた早苗の手を見ると、確かに今日早苗がみんなに配っていた巾着型の袋がのっている。
文はキレた。普段の丁寧な物言いもできないほどに。
「いい加減にしなさいよ早苗」
あれだけ自分で前フリまでしておいて、バレンタイン当日に、仮にも両想い「っぽい」間柄だというのに。他の、お菓子ほしさに守矢神社の境内に集まったチビっ子たちや他の人妖に配るものと同じものをくれるなんて何事だ。
「……っ、なんですか、それ! 意味がわかりません! せっかく私がっ」
「私がじゃないでしょ! 私にはうろうろするなとか言っておいて自分ははたてを使って布教活動!?どういうことか説明してもらうわよ」
「使ったとか人聞きの悪いこと言わないでくださいっ!!」
「気にするところはそこじゃないでしょ! だいたい他の人に配ったのと同じものって、あんまりじゃないっ!!」
その上真偽は別としても、声高に”余り物”的なことを言われては文だっていい気はしない。素直になれない。なれるはずがない。なんせ今日は既に一度堪忍袋の緒が切れている。それをなんとか自分で結びなおしてこうしてまた出向いたというのにこの扱いはあまりに酷い。
境内でギャンギャンと口喧嘩が始まり、どうしたどうしたと二柱も出てきた。二柱のことは恐いがここで引き下がれない。あとで仕置きされるならされろと投げやりな気持ちで文は自分の不満を早苗にぶつけた。二人の仲がこじれまくるのを見かねた二柱の片割れケロちゃん(文の心中でのみの呼び名)がどうどうと間に入ってくれた。
怒りと口げんかで不覚にも息があがる。もう今日は散々だ。こんな状況で気持ちを伝えることなどできない。また頭を冷やす必要があるようだ。一つ、大きくこれみよがしにため息をついて、帰ることにした。文から目をそむけこちらを見ようともしない早苗にまた苛立ちがつのり、早苗さんにとって他の人と私は同等なんですね、と言い捨てて背中を向ける。早苗がどんな顔をしていたかは知らないが、予想に反して何も言ってこなかった。
代わりにケロちゃんが文にととっと駆け寄ってきて、「ホントはブン屋のは別にちゃんとあるんだよ。作ってたもん」と教えてくれて、現金ながら文の気はちょっとだけ上向いた。二人のやり取りが聞こえたのだろう。早苗が「ちょっ」と小さく声をあげた。見ると真っ赤な顔をしている。これは期待せざるを得ない。
が、しかし密告された気恥ずかしさか、はたまた早苗なりに怒りの理由があるのか、早苗はこれ以上文さんに渡すものなんてありません!と言い張って譲らない。結局帰る時まで本当にくれなかった。早苗が意地を張り続ける以上、文も引き下がれない。結局気持ちも伝えずチョコレートも渡さないまま帰途につくことになった。ああ、馬鹿馬鹿しい。なんてバレンタインデーだろう。
まったく……飛びながら文が今日の出来事を反芻する。自分も大概素直じゃないが、早苗も相当なものだ。ああ見えて泣き虫なのだ。今頃泣いてるのではないかと気になった。そうだとしてもきっと二柱が慰めてくれるだろう。次会うときの、二柱のもう片方が恐い。
(ちなみにこちらは心中で「注連縄」と呼んでいる)
「霊夢さんは、どうしましたかねぇ……」
飛びながら、一人ごちる。霊夢を犠牲(?)にして早苗との絆を深めようと思っていたというのに、とほほな結果に終わってしまった。まぁきっと、もうしばらくは私たちはこうでいなさいということなのだろう。日を改めれば、文も早苗も今日のことを謝れるだろう。今日はいろんなことがありすぎた。
それにしても霊夢がバレンタインにどうすることにしたのかは大変興味がある。文も早苗も意地っ張りだが、霊夢もなかなかの頑固さを持つ。もし霊夢が気持ちを伝えることを選択していたとしたら、巫女対決としては、早苗の勝ちと言えるだろう。何の勝負かさっぱりわからないが。意地っ張り度か頑固度か。
いや、それとも早苗と文双方の敗北、か。素直さ、女子力的な問題で。
とりあえず、明日からは自由の身ね、とある意味晴れ晴れとした気分になった文だった。
End.
3.仔犬がはしゃいだ理由
空を飛び遠ざかる霊夢を見送って、アリスが家の中に足を踏み入れた途端幽香がアリスに近寄る。気づかなかったようにアリスがそれを素通りする。
「アリス……」
「………」
アリスはツンとして呼びかけには応えてやらない。霊夢も帰り取り繕う必要がなくなったからか、幽香はてきめんにしょげかえっている。普段いかにも上から目線でいる幽香がこうなってるのは正直見てておもしろい。幽香がこうなるのはおそらくアリスにだけ。優越感すら感じる瞬間。恋人に影響されてか、最近自分の中のサディズムを自覚するアリスであった。
「……ごめん、なさい。もう、言わないから……」
「……ああいうのはねぇ。私たちだけが知ってればいいの!……ったく調子乗ってぺらぺら喋ってくれちゃって」
「………」
先ほどまでとは一転アリスは少し悩んでいた。バレンタインを控えて今日ケンカしてしまうのはいろいろよくない。
霊夢の質問が唐突過ぎて焦ったこともあって先ほどはつい声を荒げたが、そもそも幽香はそこまで悪いことをしたわけではないのだ。幽香に自分の好意を伝えるためにしたアリスの奮闘は、それこそ笑い話みたいなものだ。霊夢に告げた通り、別の機会に話すこともやぶさかではない。幽香がその場にいなければ。
アリスの叱責に近い警告のおかげで、肝心のアリスにとって体裁が悪い部分は話されていない。だというのにあんまり叱るのもかわいそうかしら、と思っていたところで幽香が口を開いた。こういうときはだんまりになってアリスに言われっぱなしになることが多いので珍しい。
「その、……自慢、したかったの。アリスの……アリスが私にしてくれたこと」
言い終わるや幽香はしおしおと下を向いてしまう。霊夢にも言われていたが、まさに飼い主に叱られた仔犬のよう……なんなのこいつかわいい。
そうか、自慢したかったのか。思えば幽香はあまり自分のことは話さない。話すにしても相手を選ぶ。小町あたりとは仲がいいし飲みにもいってるようだから話しているかもしれないが、それ以外の人妖はあまり思い当たらない。
霊夢は人の子とはいえ幽香が一目置いている存在だ。だからこそ、だったのか。許そうと思ってた上になんだかいじらしいことまで言われて、思いがけず心がきゅんとしてしまう。
幽香の頬に手を伸ばす。触れるだけでなくむにむにといじくる。見た目のシャープさからは想像できないほど、幽香の頬はすべすべとして柔らかく、さわり心地がとても良い。
アリスが怒ってると思っているのか、幽香はまだうつむいていてアリスを見ない。早くこちらを見ればいいのに。アリスの顔を一目見れば、その憂い顔もすぐに晴れるに違いないのに。
ぐにぐに。ホラ、早く。
アリスの方が待ちきれなくて、片手の親指を幽香の唇に置く。こちらもまた、ふにふにと柔らかい。やっと顔を上げた。悲しげな赤い瞳がアリスを捉える。幽香の表情が変化したのを見て、仲直りの意味を込めたキスをした。
かくして仲直りもすぐだろうというカンの鋭い巫女の予測は、間違いなく正しかった。
~後日談~
バレンタイン翌日、あっさり幽香にバレた。無論、バレンタインが何の日かという件についてである。
当日は二人で過ごしていたので余計な情報も入らなかったが、ブン屋が特集記事まで書いていたのだ。バレンタインより前に発覚していなかったのが奇跡に近い。
霊夢と交わした約束の有効期限はやはり短かった。近いうち霊夢を質問攻めすることにしよう。先日は霊夢があまりに「聞かないで」という雰囲気をまとっていたので、お姉さんぶってそっとしておいたのだ。本当はアリスだって根掘り葉掘り聞きたかった。まして、霊夢みたいに普段あまり感情を表に出さない子の恋愛話である。霊夢には悪いが「おもしろそう」以外のなにものでもない。アリスが考慮すべきは『魔理沙がいないタイミング』のみである。
霊夢との未来の時間を想像するのは楽しかったが、アリスが今なすべきことは、とりあえず目の前でふくれっつらをしている恋人の機嫌を直すことだった。
End.
少なくとも前編と中編を読んでいないとなんのことかわからないと思います。
『今日は二月十四日です、紫さま 番外編』
1.鬼の挑戦再び
今年の節分の概要は以下である。
逃げ出した萃香を魔理沙は探していたが、見つけられなかった。仕方なく魔理沙は紅魔館まで鬼役について打診しに行った。しかし、節分についてまったくの無知だった悪魔の妹君にあれこれと吹き込んだ結果怯えさせてしまい、当然ながら拒否された。
仕方なくクジ引きで鬼役を決めるしかないかというところで現れたのが、星熊勇儀をはじめとする地底の面々であった。しかも、逃げ出した萃香を肩に担いで。
萃香を探しがてら、魔理沙は勇儀に打診していたらしい。豪気な彼女は潜んでいた萃香を探し出し、情けないと叱咤した。そして苦手は克服するべき、という理念のもと萃香のために(?)今日この場に連れて来たようだ。また、萃香に出来なかった事を自分が成し遂げるという気概も持っての参戦らしい。
乗せられて鬼役を買って出るとはさすが鬼の四天王、考えることが去年の萃香とまるで同じである。
ともあれ、鬼が現れたのはこれ幸いと、鬼以外の面々は楽しんで節分行事をすることができたのである。勇儀が笑って全身に豆を浴びていたのも十分ほどだったろうか。
やはり最強紅白巫女と現人神である緑の巫女のありがたい豆を前にしてはやはり厳しいようで、その後は壮絶な、まさに逆鬼ごっことなった。本誌記者は博麗神社での様子を数枚写真を撮り、鬼ごっこには参加していないので、その後鬼がどうなったのか本人たちにインタビューもしたいのだが……。
「ああ、いけない、原稿の下書きなのに私の悩みもどきまで書いちゃった……」
おなじみ伝統の幻想ブン屋射命丸 文は最後の一文を二重線で消し、その下に『本人たちに取材するつもりである』と書き直した。
2. 絶対許早苗
文は困っていた。
節分も終わり、その記事も書いた。現在はバレンタイン特集の準備中だった。大方出来ているものの、細部の確認も含め方々に取材に出たいのは山々なのだったが……早苗がなかなか取材に出るのを許してくれない。
話は一週間ほど前にさかのぼる。
文は霊夢に余計なおせっかいをした。おばあちゃんになってしまいますよ、と霊夢に言ったのは自分なのに、その言葉に逆にダメージを受けてしまった。そのまま帰る気になれず、ふらふらと守矢神社に立ち寄った。ここにも、すぐにおばあちゃんになってしまう子がいる。文が霊夢よりも気にかけている、人間の少女。
もう日が暮れて真っ暗な時分である。いつもと若干様子の違う文に早苗が気付いて心配してくれたが、何があったか話すわけにはいかない。ただ早苗に会いたくなってと素直に言った。常にない文のストレートさに早苗は一瞬顔を赤らめたじろいだが、文が博麗神社の帰りと知ると態度が変わった。困ったことに不機嫌な方向に。
いっつもウチより霊夢さんのところに先に行くんですよね、と怒ったように言い放ち、文さんなんてもう知りません!と家の中に入ってしまった。
早苗は霊夢に対抗心のようなものを抱いている。まぁ幻想郷の巫女と言えば紅白と緑と言ってもよい。唯一つではない以上、比べられるのも無理はない。なにより二人は年も近い。いや、霊夢の方が年下に見える。それも気がかりなのだろう。その上早苗は幻想郷にとって新参者で、かつ信仰を集めることに腐心している。霊夢がまったくそれらのことに無頓着無関心だからこそ、余計いろいろと煽られるものがあるようだ。
そういう下地があるのに加えて、今日の文の元気のなさは霊夢が原因と決め付けたのだろう。まぁあながち間違いではないのだけれど。心配してくれたかと思ったらあの変わりよう、文はポカンとして見送るしかない。けれど、どうしたことか先ほど博麗神社を後にした時のような寂しさに近い感情はなくなっていた。思わず笑みを浮かべ守矢神社のご利益に感謝しながら文も神社を後にする。
文は早苗が好きだ。早苗も文に好意を寄せている……はず。普段の早苗の態度や先ほどの嫉妬が混じった発言でそれくらい文にだってわかる。しかし文と早苗は別に恋人同士ではない。だから、文が霊夢と仲が良いだとか、守矢神社より先に行くとかで、早苗が怒る筋合いはない。だが早苗は文を自分の恋人であるかのように扱うのだ。そして困ったことに文はそれが嫌ではない。
現時点で、実にあいまいな関係なのだ。ただ、どちらがそれを切り出すかで意地の張り合いをしているだけであった。正直霊夢とスキマ妖怪をまったく笑えない。だからこそ、今になっては行き過ぎたな、と思える口出しをしてしまったのかもしれなかった。
翌日、怒らせてしまったお詫びもかねて真っ先に守矢神社にお伺いに行った。幸い一日寝たら早苗の機嫌は直っていた。午前中から文が守矢神社に来たからかもしれなかったが、早苗のこういうところを文は好ましく思う。節分イベントのときも、早苗は霊夢と楽しそうに自分たちが清めた豆を参加者に配っていた。せっかく早苗の機嫌が直ったのだから、しばらく文は霊夢と距離を置くことにした。文だって、好きな子の笑顔が曇るのは避けたい。
そして現在に至る。文は頃合を見て、霊夢の様子を見に行くつもりだった。焚きつけてしまった自分にも責任があるだろう。不安そうに考え込んでいた霊夢の顔を思い出す。
霊夢は飄々とした態度や達観した考え方から実年齢より大人びて見えるが、実際はまだ文の半分どころか、何分の一かもわからないくらいしか生きていない人間なのだった。
早苗への恋心に近い感情とは別に、霊夢のことも気がかりだった。なにより今回の件に関しては自分がけしかけたようなものだ。
しかし。
早苗は恐ろしくカンがいい。霊夢のことを考えているとすぐバレる。ただの取材で博麗神社には行かないと言っても、あまりいい顔をしない。
まったく、取材に行かないブン屋なんて、はたてだけで十分だ。早苗の束縛のいきすぎに、さすがに文の機嫌も悪くなる。文の不機嫌を感じ取って、バツが悪そうに早苗が言う。
「……だって、バレンタインが近いじゃないです、か。その、この時期に文さんにあまりうろうろされたくないんです」
うろうろとは聞き捨てならないが、なんとまぁこれは珍しく殊勝なことを。顔も赤らめるというオプション付きだった。どうやら早苗の懸念は霊夢に対してだけのものではなかったようだ。そういえば去年のバレンタインにも、文が方々からチョコレートをもらったと聞いて早苗がおかんむりだったことを思い出す。文は心の中で「あやややや」とうなることしかできない。
それにしてもそこまで言って、なぜ早苗は好きだと言ってくれないのだろうか。自分のことは棚に上げて嘆息する。早苗は文から言ってくるのが当たり前と思っている節がある。
そしたら対抗したくなるのが性ではないか。なぜ文が、なのだ。早苗が言ってくれたっていいではないか。
文はもっと突っ込んでやりたかった。早苗の言葉の意図は当然わかっているが、それでも「どうしてですか」と言いたかった。「ど」までは口に出していたかもしれない。しかし、それを言うと早苗の機嫌が悪くなるのは目に見えている。早苗を怒らせると早苗自身も怖いが、後ろに控えている二柱が何よりも怖い。
それともとうとう自分が折れてなにかしら甘い早苗の望む言葉を言ってやるべきか。しかしバレンタインまであと三日という時期である。微妙だ。微妙すぎる。どうせならそういうやり取りはバレンタインにするべきじゃないか。そういうイベントなのだろう、バレンタインとは。霊夢にそう偉そうに語ったではないか。
「……わかりました。では早苗さんのお望みどおり、あまりうろうろしないようにいたしましょう。ところでわたくし、喉が渇きました。なにかいただければ大変嬉しいのですが」
文にできることはそう言って、早苗の言に従いつつとりあえずはその場を流すことだった。心の中で霊夢に謝った。霊夢のことも気になるが、やはり順番を間違えてはいけない。
早苗より先にたって屋敷へ向かう。後ろであやさんのバカ……、と聞こえた気がしたが、仕方がないですねっと言いながら文を追い抜いた早苗の顔から不機嫌は消えていた。
機嫌よく自分の前で茶を飲む早苗を前に、文は少し気が塞いでいた。とりあえずは誤魔かしたが、早苗に好意を伝えるということを考えたら、霊夢と話し終わった後に感じた、底知れない不安のようなものがよみがえってきたのだ。心の中に穴が開いているかのような、答えの出ない気がかり。
『おばあちゃんになってしまいますよ?』
文は恐かった。自分の一言が目の前の人間の人生を左右してしまうことを。相思相愛なのがわかっていながら、文がもたついてるのもそれが原因だ。だから早苗に言ってもらいたいのに。早苗から好きだと言われれば、乞われれば、文の胸のつかえは少しは軽くなる気がするのだ。
霊夢に言った言葉が自分に返ってくる。現人神とはいえ早苗は『人間』だ。体の強さや寿命などは天狗の文とは比べ物にならない。早苗は、これからも人として生き、そして死ぬのだろうか。
文にとってはあっという間といってもいいほどの速さで。
バレンタイン当日、文は一応チョコレートを用意した。残念ながら手作りではない。そこまで乙女になれなかった。だいたい早苗が出歩くことにいい顔をしないため、作り方の一つも教われなかったというのが文の言い分だ。バレンタインを意識した数ヶ月前は、人形遣いか紅魔館のメイドに聞こうかとさえ思っていたのに。
先日からずっと文を悩ませている件は、まだ消化できていない。けれど早苗との関係について、いつまでもこのままではよくないと思っていたのは事実である。なにより早苗の態度からも、文を特別視していることは明らかではないか。いい加減観念したら、ともう一人の自分が囁く。
そして、二柱の(早苗を泣かせたら許さんぞ、という)プレッシャーも少なからず感じている。外の世界の浮ついたイベントごとに乗っかることに多少の抵抗は感じたが、文は今日早苗に気持ちを伝えるつもりだった。
なのに。
…………早苗が悪い。
早苗が悪い。
早苗が悪い!
心を改め、深呼吸して正午前ごろ守矢神社に舞い降りた。文の想定としては誰もいない境内で二人きり、手とチョコを取り合い厳かな雰囲気で気持ちを伝えるハズだった。
しかし、守矢神社の境内は予想外にも里の人間や害のない妖怪や妖精で溢れていた。正月のときのように社殿のそばに立つ早苗の周りに皆集まっていた。そして早苗が一人一人手渡しで何かを渡している。あれはまさか。
これはどうしたことかと困惑している文の横を人間の女性二人が通り過ぎる。二人ともなにか紙切れをもち、まだあるかしら、なきゃ困るぅ、などと楽しそうに話している。心中で失礼、と断り強風を起こして怯んだ隙に紙をひったくった。女性たちには風で紙が飛んでいったと思っただろう。二人ともあっと小さく声をあげはしたが、もう用は済んでいたのか、大して気にも留めず前に進んだ。
「……なんてこと」
その紙切れは、はたての書いた『花果子念報』号外だった。文に対抗してか同じくバレンタイン特集である。『文々。新聞』と大きく違うところは、守矢神社および早苗のコメントなどが大々的に取り上げられていた。
「……バレンタイン当日に配布される守矢の巫女特製チョコレートを手にすれば、意中の方にきっとうまく気持ちを伝えられるでしょう~!?……やってくれたわね早苗」
文にうろうろするなと釘をさしておいて、どうやら早苗はバレンタインに便乗した布教活動をしていたらしい。あのヒキコモリなはたてが自分から早苗に話を持ちかけたとは思えない。文にうろうろするなと言ったのも、あのときの早苗の殊勝な言葉が本心じゃなかったとは断言しかねるが、このことが発覚することを防ぐためとも考えられなくもない。
恋心を伝えようとしていた相手に裏切られたような気分だ。早苗にどういう意図があったにせよ、文に隠し事をしていたことも、文じゃなくはたての新聞を選んだということも堪えた。文は早苗が文に気付く前に、文は幻想郷最速のスピードで守矢神社から飛び去った。
苛立ちのままにやみくもに吹っ飛んでいた。今日はバレンタイン。今の文には目に毒な光景ばかり。見たくなくて、目をつぶったまま飛んでいたら、椛の呼ぶ声がした。
そんな速度で危ないです、文さま、と言いながら文の前方に姿を現す。これは素敵な人身御供だ。有難く、スピードも緩めず思い切り体当たりした。
椛はこの季節、キンキンに冷えているだろう川に落下した。少しだけ、ほんの少しだけ溜飲が下がった。椛には今度美味しいものでもおごってやろう。
にとりの、なにやってんだあやのあほーという叫び声が聞こえた気がした。あんたたちいつも仲がいいのはわかるけど、今日は意中の人と一緒にいるべきなんじゃないの、と自分のことは棚に上げて思ったりした。
ああ、でも椛のそばにいるわけにはいかないな。もっとも椛はこういうイベントに一番参加しそうにないけど。
椛は吹っ飛ばされた痛みと冷たい川の流れと格闘していたが、文も無事ではなかった。激突したことで大きく進路が変わり、勢いに抗いきれず雪山にボスリと突っ込んだ。
この寒い中飛び回ったから既に身体は冷たく凍るようだというのに、またこんな。……冷たい。だけど椛と激突した時に痛めた肩は熱を持っていたからこの雪の冷たさは心地よかった。しばらくここで頭を冷やそう。
目を閉じて、雪の冷たさにひたる。チルノにひっつかれることも多く鍛えられている文だがさすがに三十分ともたなかった。
ええい寒い、と叫びながらむくりと身体を持ち上げると、雪山に落ちた時にすべり出たか、早苗へのチョコレートがすぐそばに落ちていた。
まずい、包装紙が濡れてしまうと慌てて懐に戻す。三十分も雪の中にあっては濡れてしまったかもしれない。けれど、あんなにでたらめにでたらめなスピードで飛び回ったのにどこかにいってしまわなくてよかったと安堵した。
まさに考えるよりそう感じた自分の思考に、自分の必死さに呆れて思わず乾いた笑いで頬が引きつる。
「はぁ……私も健気ですね。我ながら驚きですよ」
そういうことだ。文はうそつきを自認しているが、自分に嘘をつくことは好きではない。早苗に出し抜かれたことは腹立たしいが、早苗だから仕方ないという諦めもある。きっと、そういうところも含めて好きこそなれ嫌いになれないのだ、自分は。早苗が言った文にうろうろしてほしくないという言葉の真意は、あの時文が感じとったもので間違いないはずなのだ。それで十分ではないか。
時計を見る。空の色の具合でなんとなく予想していたがもう三時も過ぎている。めちゃくちゃに飛んだのでここがどこかもよくわからない。椛がいたのだから妖怪の山付近だとは思うのだが。痛む肩を抑えつつ、とにかく文は飛び上がった。
二度目の守矢神社である。なんとか日が完全に暮れてしまう前にたどり着けた。もう境内には誰もいない。当初の文の想定どおりだ。羽音が聞こえたからか、ガラガラっと大きい音を立てて早苗が屋敷の玄関から現れる。少しは文が来るのをやきもきして待っていてくれただろうか。
「お、遅かったんですね!霊験あらたかなこの守矢の巫女特製チョコレート、あっと言う間になくなっちゃいましたよ!ぜーんぶ!!まだ欲しがる人もたくさんいて、もっとつくっておくべきでした。……でもっ、あとで私が自分で食べようとしていた最後の一つが残ってたので、文さんにあげます」
文が来訪の挨拶をする間も与えず、早苗が早口で言い放った。まるでずっと考えていたことを一字一句忘れずに文に伝えるみたいに。伸ばされた早苗の手を見ると、確かに今日早苗がみんなに配っていた巾着型の袋がのっている。
文はキレた。普段の丁寧な物言いもできないほどに。
「いい加減にしなさいよ早苗」
あれだけ自分で前フリまでしておいて、バレンタイン当日に、仮にも両想い「っぽい」間柄だというのに。他の、お菓子ほしさに守矢神社の境内に集まったチビっ子たちや他の人妖に配るものと同じものをくれるなんて何事だ。
「……っ、なんですか、それ! 意味がわかりません! せっかく私がっ」
「私がじゃないでしょ! 私にはうろうろするなとか言っておいて自分ははたてを使って布教活動!?どういうことか説明してもらうわよ」
「使ったとか人聞きの悪いこと言わないでくださいっ!!」
「気にするところはそこじゃないでしょ! だいたい他の人に配ったのと同じものって、あんまりじゃないっ!!」
その上真偽は別としても、声高に”余り物”的なことを言われては文だっていい気はしない。素直になれない。なれるはずがない。なんせ今日は既に一度堪忍袋の緒が切れている。それをなんとか自分で結びなおしてこうしてまた出向いたというのにこの扱いはあまりに酷い。
境内でギャンギャンと口喧嘩が始まり、どうしたどうしたと二柱も出てきた。二柱のことは恐いがここで引き下がれない。あとで仕置きされるならされろと投げやりな気持ちで文は自分の不満を早苗にぶつけた。二人の仲がこじれまくるのを見かねた二柱の片割れケロちゃん(文の心中でのみの呼び名)がどうどうと間に入ってくれた。
怒りと口げんかで不覚にも息があがる。もう今日は散々だ。こんな状況で気持ちを伝えることなどできない。また頭を冷やす必要があるようだ。一つ、大きくこれみよがしにため息をついて、帰ることにした。文から目をそむけこちらを見ようともしない早苗にまた苛立ちがつのり、早苗さんにとって他の人と私は同等なんですね、と言い捨てて背中を向ける。早苗がどんな顔をしていたかは知らないが、予想に反して何も言ってこなかった。
代わりにケロちゃんが文にととっと駆け寄ってきて、「ホントはブン屋のは別にちゃんとあるんだよ。作ってたもん」と教えてくれて、現金ながら文の気はちょっとだけ上向いた。二人のやり取りが聞こえたのだろう。早苗が「ちょっ」と小さく声をあげた。見ると真っ赤な顔をしている。これは期待せざるを得ない。
が、しかし密告された気恥ずかしさか、はたまた早苗なりに怒りの理由があるのか、早苗はこれ以上文さんに渡すものなんてありません!と言い張って譲らない。結局帰る時まで本当にくれなかった。早苗が意地を張り続ける以上、文も引き下がれない。結局気持ちも伝えずチョコレートも渡さないまま帰途につくことになった。ああ、馬鹿馬鹿しい。なんてバレンタインデーだろう。
まったく……飛びながら文が今日の出来事を反芻する。自分も大概素直じゃないが、早苗も相当なものだ。ああ見えて泣き虫なのだ。今頃泣いてるのではないかと気になった。そうだとしてもきっと二柱が慰めてくれるだろう。次会うときの、二柱のもう片方が恐い。
(ちなみにこちらは心中で「注連縄」と呼んでいる)
「霊夢さんは、どうしましたかねぇ……」
飛びながら、一人ごちる。霊夢を犠牲(?)にして早苗との絆を深めようと思っていたというのに、とほほな結果に終わってしまった。まぁきっと、もうしばらくは私たちはこうでいなさいということなのだろう。日を改めれば、文も早苗も今日のことを謝れるだろう。今日はいろんなことがありすぎた。
それにしても霊夢がバレンタインにどうすることにしたのかは大変興味がある。文も早苗も意地っ張りだが、霊夢もなかなかの頑固さを持つ。もし霊夢が気持ちを伝えることを選択していたとしたら、巫女対決としては、早苗の勝ちと言えるだろう。何の勝負かさっぱりわからないが。意地っ張り度か頑固度か。
いや、それとも早苗と文双方の敗北、か。素直さ、女子力的な問題で。
とりあえず、明日からは自由の身ね、とある意味晴れ晴れとした気分になった文だった。
End.
3.仔犬がはしゃいだ理由
空を飛び遠ざかる霊夢を見送って、アリスが家の中に足を踏み入れた途端幽香がアリスに近寄る。気づかなかったようにアリスがそれを素通りする。
「アリス……」
「………」
アリスはツンとして呼びかけには応えてやらない。霊夢も帰り取り繕う必要がなくなったからか、幽香はてきめんにしょげかえっている。普段いかにも上から目線でいる幽香がこうなってるのは正直見てておもしろい。幽香がこうなるのはおそらくアリスにだけ。優越感すら感じる瞬間。恋人に影響されてか、最近自分の中のサディズムを自覚するアリスであった。
「……ごめん、なさい。もう、言わないから……」
「……ああいうのはねぇ。私たちだけが知ってればいいの!……ったく調子乗ってぺらぺら喋ってくれちゃって」
「………」
先ほどまでとは一転アリスは少し悩んでいた。バレンタインを控えて今日ケンカしてしまうのはいろいろよくない。
霊夢の質問が唐突過ぎて焦ったこともあって先ほどはつい声を荒げたが、そもそも幽香はそこまで悪いことをしたわけではないのだ。幽香に自分の好意を伝えるためにしたアリスの奮闘は、それこそ笑い話みたいなものだ。霊夢に告げた通り、別の機会に話すこともやぶさかではない。幽香がその場にいなければ。
アリスの叱責に近い警告のおかげで、肝心のアリスにとって体裁が悪い部分は話されていない。だというのにあんまり叱るのもかわいそうかしら、と思っていたところで幽香が口を開いた。こういうときはだんまりになってアリスに言われっぱなしになることが多いので珍しい。
「その、……自慢、したかったの。アリスの……アリスが私にしてくれたこと」
言い終わるや幽香はしおしおと下を向いてしまう。霊夢にも言われていたが、まさに飼い主に叱られた仔犬のよう……なんなのこいつかわいい。
そうか、自慢したかったのか。思えば幽香はあまり自分のことは話さない。話すにしても相手を選ぶ。小町あたりとは仲がいいし飲みにもいってるようだから話しているかもしれないが、それ以外の人妖はあまり思い当たらない。
霊夢は人の子とはいえ幽香が一目置いている存在だ。だからこそ、だったのか。許そうと思ってた上になんだかいじらしいことまで言われて、思いがけず心がきゅんとしてしまう。
幽香の頬に手を伸ばす。触れるだけでなくむにむにといじくる。見た目のシャープさからは想像できないほど、幽香の頬はすべすべとして柔らかく、さわり心地がとても良い。
アリスが怒ってると思っているのか、幽香はまだうつむいていてアリスを見ない。早くこちらを見ればいいのに。アリスの顔を一目見れば、その憂い顔もすぐに晴れるに違いないのに。
ぐにぐに。ホラ、早く。
アリスの方が待ちきれなくて、片手の親指を幽香の唇に置く。こちらもまた、ふにふにと柔らかい。やっと顔を上げた。悲しげな赤い瞳がアリスを捉える。幽香の表情が変化したのを見て、仲直りの意味を込めたキスをした。
かくして仲直りもすぐだろうというカンの鋭い巫女の予測は、間違いなく正しかった。
~後日談~
バレンタイン翌日、あっさり幽香にバレた。無論、バレンタインが何の日かという件についてである。
当日は二人で過ごしていたので余計な情報も入らなかったが、ブン屋が特集記事まで書いていたのだ。バレンタインより前に発覚していなかったのが奇跡に近い。
霊夢と交わした約束の有効期限はやはり短かった。近いうち霊夢を質問攻めすることにしよう。先日は霊夢があまりに「聞かないで」という雰囲気をまとっていたので、お姉さんぶってそっとしておいたのだ。本当はアリスだって根掘り葉掘り聞きたかった。まして、霊夢みたいに普段あまり感情を表に出さない子の恋愛話である。霊夢には悪いが「おもしろそう」以外のなにものでもない。アリスが考慮すべきは『魔理沙がいないタイミング』のみである。
霊夢との未来の時間を想像するのは楽しかったが、アリスが今なすべきことは、とりあえず目の前でふくれっつらをしている恋人の機嫌を直すことだった。
End.
幽アリも最高に面白かったです