空気の塊は鉄砲の形に構えた人差し指の先の方に集まって行って、それをバンバンバンと撃ち出すと壁に穴が三つ綺麗に開いた。
まあ見苦しい。
誇り高き貴族の部屋の壁には三つの穴なんて要らない。
要らない穴が三つも開いているこの壁がこの部屋ごと大嫌いになってこの部屋が館ごと大嫌いになってこの館をどこかにやってしまおうと思う。
三つの穴に親指と中指と薬指を突っ込んで館でボーリングをしようとする。
館がボールでピンはこの世界。
世界中の愚民共、このフランドール・スカーレットの魂の一投をしかと目に焼きつけなさい。
しかし全身に力を入れても館は動かない。
地盤の強固さに腹が立つ。
ぬぬぬぬぬうと空中に踏ん張って全力を出すと指が穴から滑って勢い余って私は天井に叩きつけられた。
天井にも新しい陥没が出来て更に私はこの部屋が嫌いになる。
だけど私は素晴らしいアイデアを思いつく。
穴の深さだけ周りの壁も削いでしまえばいい。
ざらりざらりと機嫌よく部屋の壁を削っていると私の部屋の扉が吹き飛ぶ。
鋼鉄の扉は真ん中が陥没して変形している。
あら、もしかして王子様がやって来て私を自由の身にしてくれるのかしら。
それでもって丘の上の教会で私と彼は二人だけで結婚式を挙げるの。
投げたブーケは誰の手にも渡らず上昇気流に乗ってどこまでもどこまでも飛んでいく。
うふふふふ。
「ねえフラン今何時だと思う?」
「あらお姉様」
違った。
鋼鉄の拳でドアを吹っ飛ばした麗しきお姉様が荒い息を吐いて私を熱い眼差しで見つめるものだから私は思わずきゅんとしてしまう。
可愛いパジャマと鉄拳とのアンバランスさが素敵よお姉様。
でも、貴族なのだから夜這いだなんてはしたない真似は慎んだ方がいいんじゃないかしら。
青春の情動が迸っていて嫌いじゃないけれど。
「答えなさいフラン。今何時?」
吐息がかかる距離に詰め寄って来るお姉様。
積極的で嬉しいわ、フランときめいちゃう。
でも胸倉を掴むなんてちょっと変わった愛情表現ね。
部屋の隅でひしゃげていながらも原形を留めている文字盤と針のおかげでなんとか時間を教えてくれる目覚まし時計曰く、4時。
「4時くらいじゃないかしら、お姉様」
「うんそうよねフラン。しかもあなたにあげた時計は24時間表示だから今が朝の4時って分かっているわよね。この時間は私は寝ているって知っているわよね。それなのになんでこんなにドタバタやっているの?」
怒らないから言ってみなさい、とお姉様はにっこり笑って私に訊いた。
私の胸を掴む手の力が増す。
まったく、情熱的ねお姉様。
……あら?
「ねえお姉様、その子なあに?」
小さな銀髪の女の子がお姉様の後ろに泣きそうな顔で隠れているのを見つけた。
お姉様は溜め息を一つついて手を離した。
「……話を逸らすな、と言いたい所だけれど。もういいわ。咲夜、挨拶しなさい」
咲夜と呼ばれた女の子はお姉様の後ろから恐々と出てきて私に一礼する。
「い、十六夜咲夜です。よろしくお願いします!」
「こんにちは、咲夜。あなた、お姉様のお妾さん?」
「お、おめかけ?」
「あーもういいから。この子は新しいメイド。フラン、馬鹿なことやってないでさっさと寝るのよ」
お姉様が咲夜を追い立てて後ろ手で扉をはめ込んで出て行った。
きゃあお姉様ったらパワフル。
静寂に私は取り残されてじっと時計を見つめていると6の文字の丸の部分から緑色のキリンが一匹二匹三匹四匹五匹六匹七匹出てきた。
じいっと見とれていると彼らは輪になってそれぞれ右のキリンに首を持たせかけて楽な姿勢になった。
眠くなったのか徐々にキリンたちの首はそれぞれ右隣のキリンの胴体にくっついて同化して、キリンたちはそのうち緑色のわっかになった。
わっかには28本の足が生えていて、そのまま周りながらうぞうぞうぞうぞうぞうぞと私の方に向かってきた。
緑色の足つきわっかは私のパンチもものともせず私の口の中に飛び込んで暴れ、喉に入って暴れ、食道で暴れ、胃で暴れ、やがて静かになった。
少し眠くなってきた。
キリンに睡眠薬が入っていたのかもしれない。
おやすみなさい。
キリンが出てきた次の日に前の時計を叩き潰してしまって新しい時計をお姉様にもらった。
どんな時計が欲しいかというお姉様に私は早く進む時計とリクエストしたのだけれどお姉様は取り合ってくれなかった。
「そんなの時計の意味がないでしょう」
時計の意味は進むことにあるという私の持論は受け入れられずに結局ゾウさんの時計がやってきた。
ゾウさんの時計を眺めて私は一日が過ぎるごとにドアの横の壁に引っかき傷を一つ作った。
キリンさんたちはゾウさんからは出てこなかった。
たぶんゾウさんの人気に嫉妬しているのだろう。
それから3年間を私は相変わらず地下で暮らした。
お姉様は独占欲が強すぎて私を出してくださらない。
3年間の間私は暇で暇で新しい遊びを考えるのに必死だった。
私が夢中になったのは壁にキリスト像を彫ることだった。
まず最初の124日をかけてドアの向かいの壁に私はおじさんの胴体を爪で彫った。
そしてその後の35日をかけて失神に失神を重ねながら私はおじさんの麗しいお顔を彫った。
完成したキリスト像を見て、私は深く満足してもう一度失神した。
日にちを数える壁の傷が1128本になったとき、咲夜が部屋にやってきた。
私が今夢中になっているのは自分の体を自分で食べる遊びだ。
私は自分の左手を右手で引っこ抜いて指の方からちょっとずつ齧って齧って齧って時計を見ては齧って齧っては齧った。
時間の進みの遅さに腹が立った時にはダンディーなキリストのおじさんを見て失神した。
「妹様」
「フランでいいよ」
引っこ抜いて少しずつ齧っていた左手を丸呑みにし、もう一度左手を生やした。
「仕事には慣れた?」
「ええ、お陰様で」
「ふーん」
3年前に会った時に私にびくついていたのが嘘のように堂々としていて面白くない。
生えた左手で咲夜の鼻先を狙うと、こともなげに避けられた。
「フラン様、お戯れはおやめください」
腹が立って左腕をもう一度引っこ抜いて投げつける。
今度は避けずに腕を受け取り、恭しく両手で差し出してくる。
本格的にムカついたのでもう咲夜の存在を無視することにする。
振り返ってキリストのおじさんを見た。
うーんダンディー。
ばたり。
ミミズたちがはらいそに行進を続けていく。
努力すれば救いは与えられるのだ、アーメン。
ただ、残念ながらミミズたちに向かって遠くから自転車がやってくる。
自転車に乗っているのはよく見るとお姉様だ。
哀れなミミズたちよ、神は汝らに試練を与えたもうたのだ、アーメン。
いつの間にか自転車もミミズも消えてお姉様だけが私に向かってやってくる。
水着を着ている。
よくお似合いね、お姉様。
咲夜が脇に控えている。
体は3年前の咲夜で顔だけが今の咲夜だ。
ふと周りを見るとここが夏の海辺であることが分かる。
海の中はミミズでいっぱいで、たくさんのミミズたちは今もはらいそを目指している。
空には緑色の足つきわっかが楽しそうに浮かんでいる。
咲夜は幼い腕で懸命にお姉様に日傘を差そうとする。
その姿が頼りなくて、思わず日傘の柄に手を添えてやる。
咲夜はそんな私を見て少し驚いたような顔をした。
それから少し微笑みながら、私を見て言った。
「フラン様。私にはわかっています。私には最初からずっとわかっていました。あなたは気が狂ったふりをしているだけです」
目が覚めると咲夜が私を覗き込んでいた。
胴体も顔も今の咲夜だ。
「ばれちゃったの」
「ええ」
部屋中に私の孤独な闘いの跡が残っている。
私は何と戦っていたのだろう。
ちょっと気恥ずかしいような気分で、私はもげていた左手を再生する。
「私はフラン様の味方ですよ」
そう言って優しく微笑む咲夜の頬に私はそっとキスをした。
こんな世界の夢みたいかな。
とても少し不思議なお話でした。
ファンキーでクレイジーだから
ファンタジーって言うんですよね、多分。
フランドールの視点から見る世界観がとても独特で素敵で、最後はちょっと切ない、そんな話でした。
狂ったふりをしてるとは言うけど、センスはもとから独特だった気がします、このフランちゃん。
独特すぎたセンスが周りに理解されなくて、気が触れていると勘違いされて閉じ込められて、
閉じ込められたせいで本当に狂ったようにふるまわなきゃならなくなって。
そんな悪循環だったら泣ける。
>たぶんゾウさんの人気に嫉妬しているのだろう。
某CMでも「ゾウさんのほうがもっと好きです!」って言われちゃう程度の人気だからなあキリンさん。
大変なことになるわけですがそのへんの意図はどうなのか
気になって、聞きたくなってしまいました それがわかるまではなんとなく点数は保留で……
なのでフリーレスで失礼します
元ネタも買ってこよう。
フランちゃん壊れ系ギャグなんかと思ったら・・・良い話だ。
あの小説については、いろいろお話ししてみたいなと思うところありますが(結末はあれ以外考えにくいだろう派、というかあれはどうやったってハッピーエンドにはならないだろう派)
やっぱり東方でああいうのをやるのはちょっと心が痛むというか難しいだろうというか……
やるなら本当に慎重を期してやらないとだめだろうというか……そんな感じで、
ちょっと読んでてもにょってしまったんですね。
既存のものから、タイトルや台詞などのエッセンスを持ち込むことは、僕もよくやることでして、
そのせいでもあるし、また『ジョン・レノン対火星人』は僕にとっても、かなり刺激的な小説であったこともあって、
ちょっと敏感になってしまったかもしれません。
改めて点数をつけさせて頂きます。ありがとうございました。