午後3時。
昼からの取材も一段落して街をぶらついていると、ポケットの陰陽玉が着信を知らせた。
会社からだ。
ボタンを押して耳に当てると、
「ソウホン事案よ、今すぐ会社に上がりなさい!」
通話は、こちらの返事を待たずに切れた。
◇
文々。新聞社は、幻想郷ではそれなりの部数を誇る新聞社だ。
私の勤務先でもあり、私は一応ここの記者、ということになる。
この春から働き始めて、まだ数ヶ月の新米だが。
社に戻ると、先ほどの通話相手が詰め寄ってきた。
「遅い!椛あんた、どこほっつき歩いてたのよ!」
「いや、商店街の取・・・」
「まぁいいわ、これ見なさいっ」
答えを聞かないなら、質問しなきゃいいのに。
そう思いながら、差し出された一枚の紙に目を落とす。
<午後2時55分 博麗神社発表
ブルーシートに包まれた不審物の発見について>
そう題された発表用紙は、続く文章も端的だった。
今朝、人里からほど近い山の中で不審物が見つかり、通報を受けた神社で回収したという内容。
余白にはごちゃごちゃとした落書きがあるが、そちらは読めない。
「ソウホン事案よ!」
「あの、ソウホンってなんですか?」
目を輝かせていた先輩の顔が一瞬固まった。
と思ったら、わざとらしく大きなため息をつき、
「あんたねぇ、記者になってどんだけよ?」
「春からですから、まだ・・・」
「ソウホンっつったら、捜査本部に決まってんでしょ!」
なるほど、言葉は理解した。
が、まだ事態が掴めない。
「なんでこの不審物が、その、ソウホン事案に当たるんですか?」
「さっき霊夢に聞いたのよ」
余白のこれは、落書きじゃなくてメモだったのか。
「これ、字が読めないんですが」
「ぶん殴るわよ?」
両の手のひらを見せて服従を誓うと、先輩は続けた。
「ブルーシートの包みは長さ約150センチ。つついてみたら柔らかかった。さて中身は?」
そのヒントだけじゃ断言できないが、先ほどからのソウホンという言葉、そして先輩の表情から推察するに、
「・・・・・・死体?」
「ビンゴ!」
先輩はすでに、カメラバッグを担いで駆け出していた。
◇
幻想郷は、人や妖怪、妖精などが入り乱れて生活している。
そんな社会が一定の秩序を保てているのは、八雲家の働きが大きい。
八雲家は幻想郷の捜査機関だ。
元々は八雲紫が自称しただけだったが、その絶対的な力により、自称はいつしか自明となった。
そして、その下で実質的に治安維持を行っているのが博麗神社というわけだ。
「殺し、ですかね?」
道中、先を行く射命丸先輩の背中に問いかける。
「さぁね。まぁ少なくとも死体遺棄だから、ソウホンはソウホンよ」
顔を見なくても、その弾んだ声では胸中も丸見えだ。
「・・・不謹慎です」
「はぁ?私が殺したわけじゃないわよ?」
そんなこと言っちゃいないが、人が一人死んでいるのだ。
「あのねぇ、私だって事件が起こるのを願ってたわけじゃないのよ?でも、起きちゃったもんはしょうがないでしょ」
腑に落ちないが、この人に反論は無意味だろうな。
この先、先輩は神社、私はブルーシートの発見現場に向かう。
「椛、ここからは、人としてのネジを2、3本外していきなさい」
別れ際、先輩はこちらを見ずに呟いた。
◇
現場はそこまで山奥ではなかったが、薮が深く、人目につきにくい場所だった。
用でもなければ通り過ぎてしまいそうだが、すでに「立入禁止」の黄色い結界が張られ、その場は異様に目立っていた。
「お、文々の新人ちゃんじゃない」
カメラから目を離して振り返ると、ツインテールの記者が笑顔で近づいてきた。
「はたてさん!」
彼女はライバル紙の一つである花果子念報の記者で、射命丸先輩とは同期だ。
つまり、私から見たら3年上の先輩。
「お疲れさま、現場デビューね。アヤは?」
「先輩は神社です」
「いいわねー、人員が潤沢なとこは」
はたてさんが口を尖らせる。
愚痴のとおり、念報は今年も新人を採用しなかった。
うちは普段、先輩が八雲家、私が神社を担当しているが、はたてさんは掛け持ちだ。
まあ、年々採用を絞っている業界の斜陽っぷりは、どこも同じなのだが。
「ま、嫌でも神社で会うだろうけど」
ライバルとはいえ、記者同士、特に同期の間は仲がいい。
先輩も、よくはたてさんを飲みに誘っている。
なんでも、「笑顔で手を握り、机の下で蹴りあっているような関係」らしい。
仕事内容や拘束時間が特殊な分、他の職種の友人が作りづらいのかも、というのは同期に恵まれなかった私の分析だ。
はたてさんの愚痴に苦笑いで応えていると、背後で要石が着地する音が響いた。
「あらら、ちょっと出遅れちゃったかしら?」
HNNとロゴが入ったハンディカメラを片手に下りてきた天女。
彼女もライバル記者ではあるが、媒体は新聞ではなく、幻想郷全域に発信されている公共テレビだ。
年次は射命丸先輩やはたてさんより上らしいが、詳しくは知らない。
しばらく他の業務に携わり、記者として復帰したのは今年からだという。
「お疲れさまです、天子さん」
「ああ、あなたが文々の新人ちゃんか。がんばってね」
涼やかな笑顔で前を通り過ぎると、奥の茂みに向かってカメラを回し始めた。
「ったく、あの要石代も私たちの受信料よ。やんなっちゃう」
当人には聞こえないながら、机の上で思い切りキックをかますはたてさんに、私は苦笑を続けるほかなかった。
◇
「朝から人だかりになってて気になってたの。物騒よねぇ」
「70年暮らしてきたけど、こんな事件は初めてじゃよ」
現場からもっとも近い集落を一軒一軒訪ねて回るが、出てくるのはお決まりのセリフばかり。
まあ、こういうコメントも記事に盛り込むだろうから、メモは取るけど。
「地取り」という、捜査や取材の基本作業だが、根気がいるわりに成果はなかなか上がらない。
「重要な話はなんもなさそうねー」
別々に回っていたはたてさんが、声をかけてくる。
天子さんは先に神社に移動したらしく、
「私も行くわ。雲行きも怪しいし、気をつけてね」
気づけば空には分厚い雲がかかっていた。
辺りはかなり暗く、民家には灯りがともり始めている。
はたてさんが去るのとほぼ同時に、陰陽玉が鳴った。
「どう?」
「まだ10軒ほど残ってますが、特にこれといって。他社はみんな引き上げました」
「そ。じゃ、全部潰したらまた連絡しなさい」
予想通りの無慈悲な指示。
天を仰ぐと、冷たい滴が鼻を濡らした。
・・・・・・最悪。
◇
ひっきりなしに鳴る陰陽玉に、博麗霊夢は苛立ちを募らせていた。
取るたびに、報道が思いつく限りの質問を投げかけてくる。
おまけに境内にも記者達が押し寄せ、そちらの方もやかましい。
「まだ捜査中。なんも言えるこたぁないわよ」
何度おなじ答えを繰り返しただろうか。
げんなりと肩を落としていると、馴染みの鴉天狗が近寄ってきた。
「どうもご無沙汰です、霊夢さん」
「あんた、八雲の担当になったんでしょ?新人はどうしたのよ」
「椛は現場ですよ」
憎たらしい笑顔が、さらににじり寄る。
「やばそうですか?」
「ここにいれば、紫が説明するでしょ」
射命丸は満足げに頷き、距離を戻した。
お互いに必要最低限であり、現状では最大限のやりとり。
それ以上聞くつもりはない、というわざとらしい態度も、今だけはありがたい。
各社がほぼ出揃い、質問もようやく落ち着いたところで、陰陽玉がけたたましく鳴いた。
霊夢は舌打ちして荒っぽく手に取ると、
「はいはい博麗神っ・・・はい。・・・ええ、了解よ」
急に改まった態度に、周りを囲んだ記者たちも状況を察して押し黙る。
通話を終えた霊夢が、集団に向かって言った。
「そのうち八雲から連絡回るだろうけど、会見は午後9時からよ」
◇
文々。新聞社では、星熊勇儀が頭を抱えていた。
「うん。うん。ギリギリだけど、なんとかするっきゃないだろ」
陰陽玉を置くと、机に山積みになった資料の陰から、二本の角がひょっこり現われた。
「なんだって?」
「会見は9時からだとさ」
「それはキツいねぇ」
言葉とは裏腹に、萃香の顔はいつもと変わらぬのんびり具合だ。
締め切り直前に原稿を受け取るこっちの身にもなってみろ。
とは、口にしない。
旧知の仲とはいえ、社内では萃香の方が上司だ。
萃香はこんななりをしていても、一応は管理職。
自分は、記者から原稿を受け取って手直しをし、紙面全体を統括する「デスク」だ。
「しかし、このタイミングで殺しとは、2人にとってはいい経験になるねぇ」
萃香が目を細める。
一応ではなく、ちゃんと部下のことを考える管理職だったようだ。
「まだ殺しじゃないっての」
「それならそれで結構。風呂敷はでっかく広げておくもんさ」
どうせ現場には行けないんだから、デスクはどっしり構えてろ。
そう言いたかったのだろうか。
萃香のことを見つめてみる。
・・・・・・こいつなら、ただケラケラと笑いに来ただけかも。
いや、きっとそうに違いない。
◇
境内の木陰で、射命丸は手招きをした。
頭の先からずぶ濡れになった後輩が、息を切らしてやってくる。
下は雨がっぱを着ているのかと思いきや、透明なゴミ袋に穴を開けて首を通していた。
あまりに滑稽な姿だが、今は笑わない。
「で、さっきの話は?」
椛が、陰陽玉で伝えてきた話のことだ。
「はい、それが・・・」
雨にもめげず、最後まで地取りを続けていたことが幸いした。
残り3軒というところで、ちょうど仕事帰りの翁と出くわしたのだ。
たいして期待もせず、他の家と同じように質問をした椛に、翁は答えた。
「2週間ほど前にもブルーシートがあった?」
「はい。近づいてはいないらしいけど、茂みの中のブルーシートなら目立ちますし」
放置されてから、少なくともそれだけの時間は立っているということか。
断定はできないが、その証言があったことは事実だ。
会見まで時間はある。
「とりあえず朝刊には載せるわよ。字にしなさい」
「はい!」
花が咲いたような笑顔で返事をする椛。
神社に戻る射命丸の足取りも、自然と軽くなっていた。
◇
「女子高生だったりして」
「うわ、カンベン」
報道陣が詰め掛けた神社の本殿で、隣り合った射命丸とはたてがささやきあう。
「女子高生だとまずいんですか?」
「例えば死体が現役女子高生で、しかも裸で、乱暴された痕。週刊誌が押しかけて、好き放題荒らしていくわよ?」
「うわ・・・」
椛が不謹慎だと責めなかったのは、今回の回答には納得できたのと、椛自身、緑髪の少女を思い浮かべてしまったからだ。
「各社、お集まりでしょうか」
広報担当の橙の呼びかけに、報道陣は無言で応えた。
前の机には、霊夢と、八雲家から到着した紫が並んで腰掛けている。
橙に促され、紫がゆっくり口を開いた。
「本日、山の中で発見したものは、妖精の遺体だったことが判明した。
八雲家は同日、博麗神社に、八雲紫を本部長とする死体遺棄事件捜査本部を設置する。
以上。」
一瞬、会場は静けさに包まれた。
その場の誰もが予想していた展開だが、言葉にすればやはり重い。
「では、質疑応答に移ります」
橙が入れたスイッチで空気はガラリと変わり、各社が我先にと手を挙げる。
「遺体の特徴、外傷は」
「どんな格好なのか」
「ブルーシートの発見状況は」
「見つかったのは遺体だけか」
まくし立てられる質問を片手で制し、紫は答えた。
「ブルーシートは通行人の男性が偶然発見。遺体は身元、年齢など一切不明だけど、見た目は少女。腹部に刺し傷のような傷が複数。それ以上の詳細は捜査中よ」
これ以上は一切答えない、という威圧を込めた言い方だったが、それで満足する者はいない。
結果として、紫は渋い表情で答えを追加した。
「防御創とみられる傷が腕にあった」
「ブルーシートの下半身側のおよそ半分は土に埋もれていた」
「性的暴行の痕はなし」
報道陣の挙手が無くなる頃には、すでに時計は午後9時半をまわっていた。
◇
姫海棠はたては焦っていた。
現在の人員不足は自分の働き次第でなんとでもなるし、条件は天子たちも同じ。
問題は射命丸文だ。
射命丸は捜査関係者との関係作りが上手い。
「お、霊夢さん、お帰りですか」
射命丸の何気ない一言が、はたてを余計に焦らせる。
相手は、新人が来るこの春まで専属で博麗神社を担当していた。
自然、霊夢との仲もいい。
自分はと言えば、八雲家との掛け持ちが忙しく、あまり神社には顔を出せていない。
未だに霊夢のことを「博麗の巫女さん」と役職でしか呼べずにいた。
「あんたたちが騒ぐから疲れたのよ。そっちもさっさと帰んなさい」
虫を払うような霊夢の仕草も、射命丸相手だと疎ましさが薄れて見えた。
今回の事件、絶対に彼女に抜かれるわけにはいかない。
霊夢より前に神社を出た八雲紫も報道陣が囲んだが、これといった話は出なかった。
初日はひとまず、各社横並びだったか。
明日はまず八雲家から神社へ向かう紫を囲んで、それから・・・
一日中走り回っていたはたては、帰宅するなり深い眠りに落ちた。
翌朝、彼女は文々。新聞の朝刊を開いて歯ぎしりすることになる。
◇
<現場近くの集落に住む男性は、「2週間ほど前にもブルーシートがあった」と話していた。>
「文々も、なかなかやるわねぇ」
八雲紫は眠たい目を擦りながら、早朝から自宅前で張り込んでいた記者たちに言った。
もちろん、言われた側は気分がいいはずがない。
一社を除いては。
「文々さんが書いてた目撃情報は、そちらも把握してる?」
「さぁ、筆者に聞いてみたら?」
質問した天子ではなく、遠巻きに立つ射命丸を見据えて答えると、紫はスキマに身を滑らせた。
「おはようございます、紫様」
「私より先に神社に来といてそれは嫌味よ、藍」
「おそようございます、紫サマ」
「ただのイヤミね、霊夢」
役者が揃ったところで、藍が一度咳払いをして口を開く。
「八意医師によると、死因は多量の出血によるショックだそうです」
「ふむ、意外性はないか」
「腹の傷は大小あわせて5、最大で深さ10センチほど」
「これもいたって普通」
「あれを腐敗、と言っていいかはわかりませんが、死んでから1週間~1ヶ月は経っているようですね」
「まぁ、そんなもんね」
面白みのある事件ではなさそうだ。
が、幻想郷では、“正当な理由なく”人や妖怪、妖精を殺せば罪に問われる。
人食い妖怪が人を食べても、それは正当だ。
人が家を建てるために木の精を切ったら、それも正当。
どこかの誰かさんが神隠しをしても、もちろん正当。
だが、ただ殺して死体を放置したなら、それは罪だ。
罪人を罰してこそ、平和でのん気でたまに神隠しがある素敵な郷が守られるのだ。
「じゃ、捜本の名前変更と死因の発表は、霊夢に任せるわね」
「それはいいけど、今日の文々の記事は?」
「ああ、まぁそういう証言もあったってことでしょ。特に問題ないわ」
こんなに早起きしたのは久しぶりだ。
大きなあくびをしていると、霊夢が紙を持ってきた。
「仕事が早い部下がいると心強いわぁ」
「寝覚めの遅い上司がいると骨が折れるわ」
<博麗神社発表 昨日発見された妖精の遺体について、死因は出血性ショックとみられる。
本日、死体遺棄事件捜査本部は、殺人・死体遺棄事件捜査本部と名称を改める>
◇
「昨夜の会見で、不思議に思ったことは?」
前日とは少し離れた集落で地取りをしていた椛は、先輩の問いかけに立ち止まった。
「え、えーっと・・・・・・防御創ってなんですか?」
「そういう意味の不思議じゃないわよ!」
やれやれ、といった顔で、それでも説明をしてくれた。
つまり、相手の攻撃を防ごうとしてついた傷のことらしい。
「それで何がわかるんです?」
「ま、他殺ってことくらいね」
「へー」
となると、新たな疑問が一つ。
「じゃあ、何で今日になって、死体遺棄に殺人を加えたんですか?」
「死因が分かったからよ。腹を刺されたのに死因が脳こうそくだったら、殺人じゃないでしょ?」
なるほどなるほど。
感心していると、平手で頭を叩かれた。
「そんなことより、半分埋まってたってことよ」
死体はブルーシートに包まれ、下半身側は土に埋まっていた。
2週間前にブルーシートを見たという翁の話。
「あっ、埋めたはずの死体が、雨とか野犬とかで出てきちゃったってことですね!」
「まだ分かんないけど、穴を掘って埋めるってのは簡単な作業じゃないわ。目撃者を探すわよ」
事件の核心に、一歩近づいたのかも。
そう考えると、にわかにやる気が湧いてきた。
◇
所詮にわかだったやる気は、日暮れとともに沈んだ。
玄関を叩いて回るが、何も情報は得られない。
夕方のHNNも、死因以外に取り立てて報じることはなかったようだ。
先輩は一度神社に行き、帰ろうとする紫や霊夢を他社とともに囲んだが、収穫がなかったことは態度で分かる。
「8時半か・・・」
先輩が時計を見る。
訪ねる家々の様子も、夕食の団らんから、食後の一服に変わっていた。
引き上げ時かと思いきや、予想外の言葉が続いた。
「あと3軒ってところね」
「え、まだ・・・こんな時間に訪ねていいんですかね?」
「よくないけどね」
肩を落として先輩と別れると、先ほどまで留守だった家の窓から灯りが漏れていた。
玄関を叩くが、反応はない。
「夜分にすみませーん、どなたかいらっしゃいますかー」
やめておけばよかった。
住んでいたのは鬼、ではなかったが、そう見間違えても仕方ない。
「ふざけんな手前ェ、今何時だと思ってんだ!?」
突然の怒声に、体が強ばる。
「あっ、あの、すみません。昨日の事件について・・・」
「何が事件だ、お前記者か?どこの社だ!無礼にもほどがあるだろうが!!」
大の男に怒鳴られるという経験は、少なくとも記憶にない。
答えに窮していると、奥から線の細い女性が出てきた。
「ちょっとあなた、よしてよ。どうもすみません、お酒が入ってるものですから」
「え、あ、はい・・・」
「ちっ、さっさと帰んな!」
胸ぐらを掴まれる覚悟でいたが、どうやら無事に済んだようだ。
安堵していたら、女性が伏し目がちに呟いた。
「お仕事は大変でしょうけど、少し・・・非常識ではないでしょうか」
静かに閉まる扉。
胸ぐらよりも奥を掴まれた気がして、心はちっとも無事ではなかった。
呆然と立ち尽くしていると、そっと肩に手が置かれた。
「1本くらい、ネジは外れた?」
先輩の声に、にわかに涙が湧いてきた。
◇
八雲藍は各紙に目を通すと、該当する部分を開いて食卓に並べていく。
寝ぼけ眼の主人が、事件の記事を見落とさないようにするためだ。
「今日も、たいした話は出ていませんね」
「そう・・・ふわぁあ」
ここ数日、事件の報道は鳴りをひそめていた。
<捜査関係者によると、○○であることがわかった>
という新聞特有の表現が並ぶが、どこの社も伝えることは同じ。
○○に入るのは、凶器は鋭利な刃物だとか、ブルーシートの目撃情報とか、些細なことだ。
「ホシの行確は霊夢に。フダは・・・」
「仕事の話は神社でしてよ。お味噌汁が冷めちゃうわ」
目の前の“捜査関係者”は、のんびりと朝食を味わっている。
一定の情報を報道に流すのは、利害の一致からだ。
報道は「事件を風化させない」という大儀のもと、読者や視聴者に続報を伝える。
こちらは、仕事ぶりを幻想郷の住人に知らしめる必要がある。
捜査には住人の協力が不可欠だし、成果が周知されなければ権威は失墜する。
互いに社会正義という得点を稼がなければ、落第してしまうというわけだ。
「さ、行きましょうか」
正義の象徴が、腹をさすりながら立ち上がった。
その下で、皿を洗う者がいることを忘れないでほしいが。
◇
朝晩に紫や霊夢を囲むことは日課として落ち着き、各社は普段の業務に戻っている。
そんな中、民家の戸を叩き続ける記者がいた。
はたてである。
地取りの甘さが招いた恥は、地取りで雪ぐ。
聞くのは一点、
「巫女に何か訊かれなかったか?」
その執念は、再び訪れた最初の集落で実を結んだ。
◇
紫の眉間に深いしわが刻まれた。
「それを書いて、どうなるか分かってる?」
聞くまでもない。
この記者は、掴んだ情報をこちらに見せた上で、書きます、と言ったのだ。
書いていいか、というお伺いではない。
決死の覚悟が込められていた。
月明かりに照らされたツインテールが、不敵に揺れた。
◇
陰陽玉の呼び鈴が、目覚まし時計を追い越した。
慌てて飛び起きると、先輩の名前が表示されている。
「念報持って、すぐ霊夢のとこ行きなさい!」
結果として、霊夢は何も答えなかった。
各社が殺到した八雲家からは、顔に不機嫌という文字を書いた紫が、無言でスキマに潜っていったという。
<殺人・死体遺棄事件 凶器はクナイか>
どデカい見出しが踊り、神社の鳥居には「花果子念報を出入禁止とする」という張り紙が風に踊っていた。
「やられたわね」
先輩の、呆れではないため息は珍しい。
「はたてさん、出禁になっちゃいましたね」
「そりゃあ、あんなネタ書けばねー」
捜査を後追いして、凶器を具体的に炙り出した。
他社より先に情報を伝える「抜き」は、報道力を示す名誉だ。
だが、それは八雲家の逆鱗に触れた。
「秘密の暴露、って研修で習ったでしょ?」
「たしか・・・」
逮捕した容疑者を犯人だと断定するために、取調べでは犯人しか知り得ない情報を供述させる。
例えば、具体的な凶器とか、その購入場所とか、どこを何回刺したとか。
それが秘密の暴露だ。
供述と、捜査で調べた証拠が一致すれば、めでたくそいつが犯人ということになる。
「それを一つ潰したんだから、捜査の邪魔したわけよ。出禁もしょうがないわ」
「そうなるだけの価値があると、はたてさんは思ったんでしょうか」
「そこは各自が、各社が判断することよ」
ライバルの思わぬ退場。
先輩のため息の意味するところは、わからなかった。
◇
比那名居天子は耐えていた。
テレビと新聞は違う。
伝えられる情報量に劣るテレビのニュースは、事件を取り上げなくなって久しい。
新聞記者と同じように取材を続けていても、同様には形にならない。
当初に比べれば随分と小さな扱いになったとはいえ、新聞の報道合戦は羨ましかった。
ここまで我慢できたのは、永江衣玖の存在も大きかった。
無二の親友である衣玖は、HNNの看板アナウンサーだ。
ニュースを冷静に伝えるその姿は、カメラの外でも変わらなかった。
激情に走ろうとする天子を、いつも冷静に諭した。
HNNは、比那名居・永江・ニュースネットワークなのだ。
「天から眺め、一点を突きましょう」
衣玖の言葉に、天子は頷いた。
新聞とは、争う舞台が違う。
一点とはまさに、もっとも輝く一瞬。
天子は初めは記者だったが、昨年までの数年間は事業部に回っていた。
だが、記者として撒いた種、事業部で育てた人脈は、ようやくここで花開く。
平穏な昼のお茶の間に、衣玖の姿が届く。
比那名居天子は耐えていた。
こみ上げる笑いを抑えて。
◇
美人アナウンサーの言葉に続いて映し出された映像に、文々。新聞社は騒然となった。
おそらく、他の社も同様だろう。
<八雲家は今朝、事件の容疑者とみられる妖精に任意同行を求めました。現在神社で事情を聞いており、午後にも死体遺棄容疑で逮捕するとみられます>
巫女に連れられた妖精の姿が、頭の中でぼんやりとリピートされる。
橙から連絡が入り、夕方、博麗神社で会見が開かれるという。
今さっき聞いたのと同じ内容だろう。
「すいませんでした!」
デスクに向かって、深々と頭を下げる先輩。
「完敗だ。が、まだ朝刊まで時間あんだろ!」
バシンッという音が、社内に響く。
背中をさすりながら、先輩は目尻に涙を浮かべていた。
「あの・・・」
続く言葉を探してオロオロしていると、今度はこっちの背中に張り手が飛んできた。
「会見までに被害者と被疑者の身元割って、ガンクビ取るわよ!」
「は、はいっ!」
飛び出していく2人の背中には、お揃いのもみじマークがついていた。
◇
「もーっ、ガンクビも同着じゃ、ほんとに完敗じゃない」
一気にジョッキを空にして伏せった先輩が、憎憎しげに唸った。
「出禁という勲章なら、半分わけてあげよっか?」
笑いながら、はたてさんが2人分のおかわりを注文する。
慌てて自分もジョッキを空けて加わった。
ガンクビ、つまり顔写真は、結局2枚とも先輩が入手してきた。
つまり、自分の手柄は初日の地取りだけだ。
「HNNはどっから抜いてきたのかしらね」
その議題も、すでに散々話しつくした。
遺体の身元を特定した八雲家は、近しい存在だった妖精に目星をつけて行動確認していたらしい。
閻魔に逮捕令状を請求したタイミングでHNNが嗅ぎつけたようだが、もちろんネタ元は分からない。
「くそっ、こうなったら動機で抜くわよ椛!読者が一番知りたいのはそこなんだから!」
霊夢によると、捕まった妖精は容疑を否認しているという。
起訴まであと1ヶ月近く。
次の勝負どころは、供述を転じて動機を語るところだろう。
「こっちだってもう出禁は解けたし、文々もHNNも敵じゃないわよ」
2人は5杯目のビールを頼んでいる。
自分はすでに2周遅れだ。
「おっ、椛ちゃん、いくねー!」
「よっしゃーっ、飲め飲めー!!」
机の下の足はまだ届かないけれど、酒なら自分だって。
そこから先は、よく思い出せない。
それはこの幻想郷の設定もそうだし、物語の展開自体(誰が何をしてなぜそうなったか)もそうだし、
なにより記者・報道業界の常識や動き方についてです。
多分ロボさんはこの業界について相当お詳しいのでしょうが、
これでは知らない人をよくわからないまま置き去りにしてしまっていると思います。