冬は好きだ。
アリス・マーガトロイドは魔法の森にひとりで暮らしている。
冬は様々な味覚に出会う一年で最も楽しみな季節だ。
味覚的享楽の追求は魔女の重要な使命だと個人的に確信している。
享楽こそは魔女の楽しみだ。
私はあと数十年この楽しみを味わい尽くす事が出来るだろう。
1
ショットグラスを口に運ぶ。
冬は好きな季節だ。
大好きなモルトはこの季節だからこそ飲みたくなる。
幻想郷に来て長いが、やはり夏は何時まで経っても苦手だ。
このウイスキーと呼ばれる酒に出会えてからというもの冬の夜を待ち焦がれるようになった。
これは冬の酒だ。
凛とした冬の部屋でこそ味わいが引き立つだろう。
むせかえる程に芳醇な香りと、蕩けるような円やかな甘み。
深い琥珀の中には驚くほど複雑な味わいが潜んでいる。
一度口にした程度ではその全てを堪能する事は出来ないだろう。
一杯、それも指先ほどの少量を数十分かけて慎重に飲む。
全てを味わうように、静かに静かに、少しずつ、舌にほんの絡ませる程度に含みながら僅か30ml程度の量をあたかも全身で楽しむ。
飲むほどに新たな発見に驚かされる。
豊潤な贅沢が口いっぱいに広がる。
多くの点で魔法使いという種族より劣る人間ではあるが、
嗜好品の製造に関しては大いに学ぶべきであると思う。
もっと魔法使いは他者と楽しみを共有する事を覚えるべきなのだ。
春はリキュールの季節であろうか。
暖かくなり、世界が色づき始め、風に甘い香りが交じるこの季節には果実酒がよく似合うだろう。
秋に収穫された新鮮な果実を中性スピリッツに漬け込むのだ。
冬を越す頃にはトゲも取れて果実の香りと旨みが酒に溢れ出す。
華やかで春に相応しい味わいだろう。
夏は清酒。
梅雨を迎えた辺りから飲みたくなる。
雑味のない味わいは夏の食べ物と相性が良い。
人里で豆腐などを求め冷奴などにする時は是非清酒が手元に欲しい。
浅漬を添えると何とも夏らしい風情だろうか。
秋はワインであろう。
熟したブドウの味わいの奥深さは香ばしい秋の香りと共に楽しむべきだ。
幻想郷は良質なワインが数多く揃う。
何故か旨い銘柄ほど幻想入りするらしい。
原因は結局飲まれずに死蔵する事が多いからだそうで、なるほど結構な事だ。
2
「アリスは飲んでばかりだな」
霧雨魔理沙は私の目の前でグラスを傾ける。
別に飲んでばかりなのは私だけではない。
「まあ、私も酒は嫌いではないがアリスほど情緒的に酒の喜びを表現したりはしないな」
「あら、喜びを他者と共有するには可能な限り言語にて表現する必要があるのよ。鬼のように何飲んでも同じなんて顔されちゃ堪らないわ」
「それはそうだが・・・」
「それに魔理沙も魔法使いの端くれなら自分の中にある感激や感動を言語化する努力を怠ってはならないわ。それは結局自分の魔力を高める行為よ。イメージを具体的に掴む訓練ね。貴方の場合最も欠けている部分よ」
「アリスはイメージを具体化しているような印象は少ないのだが」
「でも、魔理沙はこんな事出来ないでしょう?」
私は空気中の水蒸気を集め小さな氷を作り出し魔理沙のグラスに浮かべた。
悔しそうな顔をされるとたまらない。
「こんなのは本来初歩なのよ。魔界では幼子だって出来る。勿論それは私達が生粋の魔法使いである事と無縁ではないけれど、訓練や教育無しでは力を使う事は出来ない。けれど魔理沙には間違いなく魔女の素質がある。大切な事は好奇心ね。魔法の森に適応出来た貴方なら必ず魔力が備わる日が来るわ」
「・・・本当か?」
「私が魔理沙に嘘をつくとでも?」
「疑わしいぜ」
「私の言葉を疑う事は自分自身を疑う事よ。今日は弱気ね。何時もならそのグラスの中身を私にぶちまけるのに随分大人しいわ」
そう、何時もの魔理沙ならこんな屈辱に黙って耐える事をしないだろう。
それは明らかな彼女の長所だった。
だいたい感情的でない魔女等存在しないのだ。
自分の中に渦巻く嵐のような感情のうねりこそは魔力の源泉である。
感情に逆らうことなく簡単に身を任せてしまえる事は魔女になる為の重要な素質だ。
故に人間は魔女に向かない。
それは人間が他の幻想の生き物に比べ酷く脆弱な肉体を有している為だ。
それ故、群体として存在しなければ生きてく事が叶わない。
人は社会なる集団の中で生きる事を常に強いられるている。
集団生活が生命を支える最も重要な条件であるならば感情表現が苦手になってしまう事は必然だ。
感情、そんなものは何の役にも立たないからだ。
感情を発露し続けながら集団生活を継続する事は困難だろう。
気に食わない事があったからと、例えば酒を相手にぶちまけるという行為を躊躇なく平然と行う者が集団生活を維持できる筈がなかった。
当然疎外され、寂しくて失意の中死んでしまうに違いない。
人間は魔女に最も必要な素養である孤独の克服に耐えられない。
だから霧雨魔理沙もきっと魔女となる前に死んでしまうだろう。
その最後の絶望の表情を私は見たい。
その為ならばどれだけ嘘を重ねても構わない。
私は歪んでいるだろうか?
けれども魔女の楽しみとしては随分と控えめであると自分では評価している。
私は慎み深いのだ。
ああ、早く魔理沙が死なないだろうか。
でも、年月を重ねる事に最後の絶望は深まるのだろう。
モルトと同じだ。
樽に寝かせただけ旨くなるだろう。
二十年も三十年も・・・
全てに取り返しがつかなくなった人間の顔を見てみたい。
今までのあらゆる出来事は全部無駄であったと悟った顔を見てみたい。
私は魔理沙が息を引き取る最後の今際に優しい声で今までの事は全部嘘だと教えたい。
子を慈しむ母のような微笑で魔理沙の全てを否定したい。
想像するだけで背中に痺れるような快楽が奔り気が狂いそうになる。
胸が満たされる。
私は魔女だ。
「怒りや強い気持ちを胸の中でうねらせる事も魔力獲得への須要なんだろ。今やってるぜ」
けれども仕込みは慎重でなくてはならない。
魔法使いは何も私一人ではないからだ。
あまり嘘だけを教える訳にはいかない。
なんらかの書籍やあるいは他者からの情報により仮に私が嘘ばかりを教えていたとして、私の教えが喝破される訳にはいかないのだ。
けれども、むしろそうやって独自に調べまわり魔女となる努力を怠らないで欲しい。
あの直向な顔で精一杯頑張って欲しい。
自らの可能性だけを信じて何処までも行って欲しい。
最後の今際に居合わせる事が出来るのならば何処までも魔理沙に手助けする事を厭わない。
あんなに美しい魔理沙。
勿論死ぬまであの容姿を保たせよう。
人間特有の老化なんて魔理沙には似合わないだろう。
だから表面上は健康そのものであっても内側は既にボロボロであるという状況は望ましい。
魔理沙は他の人間と比較して、老いることが無い自分自身を何時か疑問に思う事だろう。
その時は魔女になりつつある証拠だと言い含めよう。
その時魔理沙は喜ぶだろうか。
もしそうなら嬉しい。
3
冬は熱い料理や飲み物が一層旨く感じる季節だろう。
冷たい食べ物以外が全て美味しく頂けるのではないだろうか。
朝の熱く苦い珈琲。
昼のさっぱりとしたスープ。
夜のシチューといった具合だろうか。
ティータイムの香り高い紅茶。
茶請けのクッキーも濃厚で重みのある味わいのものでも大丈夫。
肉料理の比率が多くなるのも冬の特徴だろうか。
幻想郷に来て外の世界の料理書に触れることが出来た。
特にフランス料理に代表される洋食の素晴らしさには驚かされた。
当然和食も素晴らしい。
博麗霊夢が宴会用と称して作る鍋は絶品であったし、人里で気軽に食べる事が出来るのも和食である。
冬は何かを煮込む事が多いだろう。
煮こむ時に各材料の旨みが鍋全体に広がり、それぞれが混じり合い複雑な旨みを獲得していく。
冬は燻製が旨い季節でもある。
外で食料を確保する事が出来ないから冬になる前に保存食を作り蓄えるのだ。
「これは何の燻製なんだ?」
「これは外の世界でベーコンと呼ばれるものよ。豚肉を塩漬けして燻製にしたものね。特にバラ肉を用いた物をベーコンと呼ぶそうよ。まず豚の肉の血を絞るの。そして肉重量の3~6%の食塩と、砂糖・香辛料などの調味料を加え漬け置きする。この時の調味料の比率が味わいの広がりをもたらすのね。そして良く漬かったら塩を抜き燻煙する」
「こんな肉幻想郷にあったか?」
「ないわ。取り寄せたのよ、八雲さんに頼んで。少しの代償を支払う事で何でもしてくれるわ」
「ふうん」
「ウイスキーを寝かせた樽を壊して、その木を用いて燻煙したベーコンはウイスキーのツマミとして最適なのよ。ねえ美味しいでしょう」
「ああ」
「ウイスキーを最低でも二十年は寝かせた樽を用いる事が大事であるらしいわ。とても長い年月をかけるの。手間暇を惜しまず、一つ一つの工程を丁寧に積み重ねる。その結晶が複雑な旨みをあるいは快楽をもたらすのね」
「快楽なんて大袈裟だぜ」
「いいえ魔女に快楽は必要不可欠よ。普通の人間には中々味わえない快楽の味を知っている事は魔女になる為の大事な条件よ。魔理沙もそういう自分だけの快楽を見つけると良いわ」
「アリスはその、つまり、なんだ・・・快楽とかそういうのを知っているのか?」
「ええ知っているわ。魔法使いだもの」
「そうか、アリスは大人だな」
「私の快楽と魔理沙の快楽は違うもの。私は積み重ねるの」
「それでどうするんだ?」
「飛び降りるのよ」
「積み重ねたものからか?」
「そうよ。高ければ高いほど気持ちが良い」
「分かんないぜ。それが魔法使いの快楽なのか?」
「外の世界にね、ジェットコースターという遊具があるわ」
「?」
「乗り物に人が大勢乗ってね、高い高い所に運ぶそうよ。そしてそこから地面に向けて落とすらしいわ。それで、地面に落下する直前に引き上げるらしいの」
「そういう楽しみなら魔理沙さんも知っているぜ」
「そうね。それは死ぬかもしれない楽しみよ。けれど死なないとタカを括っている楽しみ」
「死を小馬鹿にするんだな」
「そうよ。悔しかったら殺してみろ・・・そんな心境なのかもしれないわね」
「外の世界の奴らは色々考えるんだな」
「そうね」
「でもアリスのいうところの積み重ねはそういう事じゃないだろう?」
「そうよ。私の心持ちの問題。本質も異なる。けれど落下する快楽は堕天の背徳よ。取り返しのつかない事だけが気持ち良いの」
「アリスってなんだか危ない女だなあ」
「大人の魅力があると言ってほしいわ。少女だけど」
魔理沙は吹き出した。
机に足をのっけて品なく笑っている。
微笑ましい。
酒を飲んでいる事も影響しているだろう。
「その積み重ねに人形作りは活かされているのか?」
「そうね。これも積み重ねの一つね。一生懸命沢山ディティールを積み重ねて精密に作り上げた人形を爆破する時は割りと気持ちが良いわ」
「あれは私なんかには分からないな。あんなに頑張って作った人形を爆弾に使うなんて・・・正直ちょっと怖かったりするんだぜ」
「それを良いと思えるかどうかは個人の資質の問題ね。例えばパチュリー・ノーレッジならば物をそういう風には扱わないでしょう。あれも魔女のなのだから快楽や楽しみ云々では魔女の本質を語っていないのかもね」
「ちょっと安心したぜ」
「そう」
「アリス・・・今日はなんだか元気なさげだな」
「正直言うとね、魔理沙は私の所に居るよりもパチュリーについて行った方が良いと思うの」
「はあ?」
「私なんかは、ほら、魔法使いといっても魔法の研究を主に行なっている訳ではないでしょ。本分は人形遣いだと思っているわ。それに私が授けられる魔女への道筋は魔理沙には荷が重い」
「・・・」
「薄々は感じているはずよ。魔女は人の理性を超えた先にある存在だって。そういえば魔理沙に酒の楽しみを教えたのは私だったわね。何かを教えるのは私。受け止めるのが魔理沙。けれど、そろそろ受け止めきれなくなってきている・・・」
「そ、そんな事ないぜ!アリスは凄いパチュリーも凄い。でもアリスの正しさとパチュリーの正しさは違うんだ!」
「へえ・・・」
「白状するなら私は結構パチュリーの所にも行くんだ。魔導書を借りに行くとか言いながら色々と教えてもらうんだ。でも、パチュリーはあんまり良い顔をしないし、むしろ反対しているみたいなんだ。直接は口に出さないだろうけどなんとなく雰囲気で分かってしまうんだ。ああ、本当に本当の大事な事を私に教えるつもりはないんだって。でも、それはパチュリーなりの愛情やお節介って事もわかるんだ」
「うん」
「でもアリスは違う。私がどれだけ真剣に魔法使いになりたいか良く分かってくれている。たしかにアリスの事を私は全部分かることが出来ないが、それでもアリスが居なければ私はもっと惨めだったんだ」
「なら、箒が壊れるまで速度を上げて飛ぶ事が出来るかしら?これからの修養はより過酷となるわ。それでもついて来られるの?」
「私にはもう戻る場所がないんだ。もしも魔法使いになれずこのまま死んでしまったら私の魂はそのまま永遠に笑いものだ。もう後戻りなんて出来ないんだ!こんな事をアリス以外に相談出来るものか」
必死に私に縋る魔理沙の顔を永遠に留めて置くことは出来ないだろうか。
きっと出来る。
でも、まだ収穫には早いだろう。
4
出会いは良く覚えている。
あの日、私と初めて出会った日。
彼女は何時私と出会ったか知らない。
私だけが知っている。
魔理沙が魔法の森に住み着いて三年経ったある日私はおもむろに、
さも初対面を装い魔理沙に会いに行った。
その場で簡単な魔法を見せてやった。
魔理沙は直ぐに私に懐いた。
姿形を変えるのは魔女への一歩だと教えた。
髪を金色に染め上げてやった。
私とお揃いだと言うと酷く喜んだ。
でも実は万が一里心が付いても人里へ帰る事が出来ないようにする為だ。
幼子の魔理沙は今みたいな金髪ではなくさらさらの黒髪だった。
瞳の色はもっと黒かった。
肌はもっと東洋人に近い色合いであった。
魔理沙が魔法の森に足を踏み入れた時、彼女は未だほんの幼子だった。
魔理沙は死なずに生き延びた。
まるで野生児かの如く。
一年、二年、三年・・・
人間が生きるにしては過酷な環境で魔理沙は死ぬことなく、簡易な住居すら構える始末であった。
私の昏い欲望は既にその頃からあった。
正確に言うならば彼女が魔法の森に足を踏み入れたその時から思っていた。
何者かの手助けなく魔法の森で人間が生きていく事が出来るだろうか。
人喰いだらけの魔の森に幼子が足を踏み入れて無事でいられるだろうか。
今日まで生きてる事は偶然だろうか。
私が魔理沙の生を積み重ねた。
魔理沙は引き返せない。
魔理沙は人生を燃焼させ煌きながら自殺している。
まるで熟成する毎に飲み干され消費されてしまう酒のように、収穫の秋に摘み取られる果実のように。
私はまるで魔理沙の生を密造しているかのようだ。
本人にすら知られる事なく、彼女はただ思うがままに真っ直ぐ直向きに生きているだけなのに・・・
春が来ればまた一つ季節がめぐるだろう。
魔理沙も一つ年を重ねるだろう。
私も気持ちを新たにするだろう。
もう一年待とうと。
何時までも収穫される事のない青い果実を見守っていこうと思うだろう。
私は魔女。
アリス・マーガトロイド。
職業は人形遣い。
夢は完全自律制御の人形を造り出す事。
でも、私の目の前には既に夢の雛形が陽気に酒を楽しんでいる。
名を霧雨魔理沙。
私の大事なお人形。
小馬鹿?
この歪んだ感じがとても堪りません
直ぐに修正します。
書いている時やその後の校正時には違和感がないのですけど・・・
オチがあってないようなものになってます。
閲覧注意の最大の理由は「一般的アリスまたはアリマリとの差異が大きくある」という懸念からだと予測しますが、しかしこれはデティールがいい。
確かに二次的なんですが、暗めのゴシック風情と魔女めいて人形的な感覚に情報通っぽいアリス的要素が加わって圧倒的アリス力。
ドラマに至っていない801だと言えばその通りなのですが、アリスを楽しむという事においてはブレインを刺激する怪作。
こんな感想しか書けない自分がもどかしいとさえ感じる。そこら辺は感性豊かな方がやってくれるだろうから自分からはただ一言。
とても面白かったですよ。
でも、一番面白いのは魔理沙からの視点が一切無い事かな。
魔理沙の狸っぷり次第では、ジェットコースターを否定してバンジージャンプをしていたら、上から紐を切られた……なんて事になる。
アリスから見た限りだと、かなりの依存度に見えるが……ドキドキ。
いいですね
アリスが魔女らしくて良かった。
面白かったです
と思ったのですが、そんな疑問をきっぱりと切り捨てて、無理矢理にアリスと魔理沙二人分だけの世界を切り取っている歪さが、アリスの心や作品そのもののとシンクロしているのだなと理解しました。
この後、予想以上に魔女として大成してしまった魔理沙を見て歯噛みするアリスとか見てみたい。
>何時までも収穫される事のない青い果実
アリスは密造の愉悦を胸に、何時までも果実を収穫しないまま過ごすのでしょうか?
それとも何時もお気に入りの人形を爆発させるように、ひそかな夢を実現に移すので
しょうか。
どっちでもアリな気もしますね。
きっと魔理沙も「何かおかしい」感づきながら、深みにはまっていくんだろうな、
とかいろいろなことを考えました。
明確なテーマがよくまとまっていて、何度も読み返したくなります。
お見事。
アリスの魔女としての本音が素晴らしいです。
>このアリスはハンターハンターのヒソカっぽい感じがする。
>この後、予想以上に魔女として大成してしまった魔理沙を見て歯噛みするアリスとか見てみたい。
ヒソカなら「現実は厳しいね♠」といってむしろ楽しんでた