「姫様、朝食の用意ができましたよ」
ある朝、鈴仙は部屋の前で襖越しに呼びかけた。
しかしその姫様、蓬莱山輝夜は返事をしない。いつもならとっくに起きている時間なのに。
不思議に思った鈴仙は、さっきより強めに声をかける。
「姫様、朝ですよ。起きてください」
返事が無い。
あまり音のするところで寝るのが好きではない輝夜は、声をかけられたらすぐに起きるはずなのに。
しかし起きない。
「姫様、どうかされましたか?ひょっとしてお体の具合でも悪いんですか?」
自分で言いながら、鈴仙は少し可笑しくなった。
殺しても死なないような姫様が、そう簡単に病気になるとは思えなかったのだ。
鈴仙は静かに苦笑していたが、それでもやっぱり輝夜の返事は無かった。
「…失礼ですが、入りますよ」
いよいよ変だなと思った鈴仙は、ゆっくりと襖を開けて中に入った。
すると輝夜は、布団の中で仰向けに寝ていた。しかし、目はしっかりと開いている。
「なんだ姫様、起きてるじゃないですか。朝食の用意ができましたよ」
「…ねえ鈴仙」
「え、何ですか?」
「なんか…体がだるい…」
よくよく見ると赤くなっている輝夜の顔を見て、鈴仙は驚き慌てて師匠の元まで駆けて行った。
「それで師匠、姫さまの容体はどうですか?」
「…………」
姫様の様子がおかしい、と言いながら駆けつけてきた鈴仙に連れられて輝夜の部屋までやって来た永琳は、一通り輝夜の診察を行った。
診察後、心配そうに尋ねる鈴仙であったが、何故か永琳は黙っていた。
輝夜も輝夜で、相変わらず赤い顔のまま、仰向けになっている。
そしてしばらくの沈黙の後、永琳は小さくため息をついた。
「変ねえ…」
「変ってどういうことですか?」
永琳の言葉に首をかしげる鈴仙。
しかし永琳は、そんな彼女よりもむしろ布団の中の輝夜に語りかけるように話し始めた。
「熱は平熱で、脈拍、血圧ともに異常なし。その他身体面で異常なし。ホントに病気なのかしら?」
「分かんない…でも、なんか体が熱くて、気だるくて、心苦しくて…」
永琳の言葉に、輝夜はか細い声でそう答えた。
その弱々しさはまさに病人のそれで、これでは永琳も放っておくわけにはいかない。
仕方ない、と再びため息を吐いて、永琳は問診をしてみることにした。
「じゃあこれからいくつか姫に質問をします。まず、睡眠時間は?」
「たっぷり8時間くらい…」
「睡眠不足ではないと…では食欲は?」
「あんま無い…」
「ふむふむ…息苦しさのようなものは?」
「ちょっと感じる…」
「次に、寂しさのようなものは?」
「それも少し…ある…」
「じゃあ最後に…好きな色は?」
「…………………………………赤」
「以上で質問を終わります。行くわよウドンゲ」
「あ、はい」
問診の様子を横で見ていた鈴仙は、ずっと不安だった。
原因不明の奇病に侵された輝夜の声はずっと細々しく、顔も何だか生気が無かった。
最後の質問の意味がよく分からなかったが、行くわよと促されてついて行かないわけにはいかない。永琳とともに部屋を出た。
「師匠、姫様は治るんでしょうか?」
「そうねえ…」
不安げに聞いてくる鈴仙に、永琳は頬に手を当てながら答えた。
ただ、その声色には鈴仙のような不安や焦りは無く、むしろ可笑しそうな感があったが、鈴仙は気付かなかった。
「ちょっとわたしでは治せそうにないわね」
「そんな!? 師匠に治せない病気なんてあるんですか!?」
「医学に過信や慢心は禁物よ。誰にだって限界というものがあるわ」
「じゃあ…姫様は治らないんですか…」
永琳の言葉に青ざめる鈴仙。
しかし、やはり永琳は余裕の笑みを浮かべていた。
「大丈夫。わたしには無理だけど、治せる人なら知ってるわ。あ、てゐ、丁度いいところに」
「なになに~?」
たまたま通りかかった朝食終わりのてゐをつかまえて、永琳はごにょごにょと何かを耳打ちした。
それをふんふんと頷きながら聞いていたてゐは、話が終わると最後にコクンと大きく首を縦に振った。
「了解。それじゃあ行ってきます」
「ええ、お願いね」
にやにやと笑い顔のまま走っていったてゐに、永琳も微笑を浮かべて手を振る。
一方、置いてけぼりにされていた鈴仙はただただ呆気にとられていた。
「あの、師匠…一体何がどうなってるんですか?それに、姫様の病気を治せる人って誰なんですか?」
「とりあえず落ち着きなさい。てゐがその人を連れてくるまでのお楽しみということで、とりあえずわたしたちは朝食を済ませましょう」
「はあ…」
いまいち状況が掴めていない鈴仙であったが、永琳はやたら楽しそうであることだけは分かった。
4、50分ほど経って、ただいまーという声とともに、てゐは「その人」を連れて帰って来た。
意外な人物の登場に、永琳と一緒に出迎えた鈴仙は目を丸くした。
「し、師匠…姫様の病気を治せる人って…」
「ええ、貴女の目の前にいる、藤原妹紅よ」
「ええ!?」
永琳に頼まれたてゐが連れてきたのは、妹紅であった。
驚く鈴仙はであったが、一方、妹紅も少々驚いた様子である。
「え、輝夜病気なの?」
てゐからは「急ぎの用があるのでどうしても来てほしい」としか聞かされていなかった妹紅は、事情がよく分からないまま永遠亭まで来ていたのである。まさか輝夜が病気であるとは思っていなかった。
鈴仙同様目を丸くする妹紅に、永琳はそうなのよ、と言って話を切り出した。
「それで、貴女に治してもらおうと思ったの」
「な、治すって言われても、薬師のあんたがすればいいじゃない。第一、なんでわたしが輝夜のために何かしなきゃいけないのよ?」
戸惑う妹紅に、確かにその通りだろうと鈴仙も思った。
とてもじゃないが、永琳に治せない病気を妹紅が治せるとは思えない。
それに、輝夜と妹紅はしばしば殺し合いをしているライバル同士だ。進んで協力してくれるとも考えにくい。
そんなことは分かっている永琳は、妹紅に対し深々と頭を下げた。
「そこを何とかお願い。治すと言っても、とりあえず会って話をするだけでいいから」
「わ、わかったよ…でも、治し方なんてホントに知らないよ?」
ここまでされては妹紅としても断りにくい。
渋々ではあるが了承すると、永琳は顔をあげてニコッと笑った。
「協力感謝するわ。それじゃあついてきて頂戴」
くるりと方向転換して、首をかしげる妹紅を誘導する。
鈴仙もまた、納得いかない顔をしながらそれに同行した。
「姫、お客人がいらしたのでお通しします」
襖越しにそう話しかけて、永琳は静かに襖を開けた。
そして、中に入るようジェスチャーで妹紅を促す。
しかし、それに続いて鈴仙が入ろうとすると
「ストップ。わたしたちは待つわ」
「え、どうしてですか?」
「どうしても、よ」
妹紅が部屋に入ったことを確認すると、鈴仙を引きとめた永琳はまた静かに襖を閉じた。
一方妹紅は、入室して早々目にした輝夜の様子に、ややびっくりしていた。
「輝夜、ホントに病気だったんだ」
実際に輝夜に会うまで、妹紅は半信半疑だった。ひょっとして自分をはめるための罠かとも思っていた。
しかし目の前の輝夜は、本当に具合が悪そうである。流石の妹紅もちょっと心配になった。
そして輝夜の方はというと、布団にくるまっていたのだが、妹紅の声を聞くや否やピクリと反応し、そちらの方へ向き直した。
「…妹紅?」
「ああ、そうだよ」
妹紅はそう答えると、枕元に腰をおろして輝夜の顔を覗き込んだ。
頬は赤みを帯びていて、しかもどこか元気がなさそうだった。素人目で見ても、病気であることは確からしい。
じっと見つめられていた輝夜は、視線を少しだけそらし、ポツリとつぶやいた。
「…何しに来たの?」
「何しにって言われても…よく分かんない」
「…分かんないってどういうこと?」
「いや、永琳には輝夜の病気を治してほしいって言われたんだけど、何をすればいいのか全然言ってくれないし」
「永琳が…?」
「うん」
頷いた後、妹紅は言葉に詰まった。
元気な輝夜に対してなら悪口でも何でも言える自信がある。しかし、病人である輝夜に向かって悪態をつくのは何だか気が引けて、何も言えないでいた。
気まずい沈黙がしばらく続く。だがそれは、輝夜によって打ち砕かれた。
「ねえ…」
「何?」
「…昨日の決闘、どうして来なかったの?」
「え? ちゃんと行けないって手紙は送っておいたはずだけど?」
妹紅の答えは、確かにその通りであった。
実は昨晩は決闘をする約束であったのだが、昨日の夕方頃に妹紅から手紙が来て、決闘を中止したい旨が書かれていた。
しかし、輝夜の聞きたいことはそんなことではない。
「そうじゃなくて、どうして決闘を中止したのか、その理由を聞いてるのよ」
寝ころんだままだった輝夜は、体をむくりと起きあげて聞いた。
声にも、少しずつではあるが元気が戻って来ている。
「あ~…それはちょっと急用ができて…」
「だから、その急用が何だったのかって聞いてるの」
「…言わなきゃだめ?」
「だめ! 言うまで帰してあげない」
次第に歯切れの悪くなる妹紅に対し、輝夜はどんどんハキハキと喋るようになっていた。
まるでそれは健康体のようだが、今の妹紅にそれを気にする余裕はなかった。
「じ、実はその…」
「何? はっきりと言いなさい」
「……冬を越す備蓄が切れてて」
「え?」
「いや、まだ大丈夫だと思い込んでたんだけど、備蓄が足りないって昨日の夕方頃に気付いてさ。慌てて一晩中食料や薪をかき集めて、それで夜中の決闘には出られなかったってわけ」
「…それだけ?」
妹紅の言葉に、輝夜は拍子抜けしてしまった。
相当話すのをためらっていたのだから一体どんな大事だったろうかと思ってみれば、まさかの備蓄切れ。
つまんない、といったような輝夜の反応に、妹紅はムッとして喰ってかかった。
「それだけって、こっちにとっては死活問題なの! あーあ…これだからお姫様の輝夜なんかに言いたくなかったのに…」
「殺しても死なないくせに死活もなにも無いでしょうに」
「死ななくたって空腹は嫌だし寒いのは嫌。輝夜だってそうでしょ? いきなり永遠亭からほっぽり出されて、死なないから食料も何も必要ないってわけにはいかないでしょう?」
「あら、別に永遠亭から追い出される心配なんてしてないから大丈夫よ」
「う…病人だと思って言わせておけば、好き放題言って…」
先ほどまでとはうってかわって輝夜は饒舌である。
あげ足をとっては妹紅のペースを乱す、いつもの輝夜に戻っていた。
ニコニコと実に楽しそうに話を続ける。
「それなら、今からでも決闘する?」
「病人を相手にするほどわたしは落ちぶれてないよ」
「わたしなら平気よ。それとも何? 病気で弱ってるわたしにすら勝つ自信が無い?」
「言わせておけば…いいよ! そんなに言うなら相手になってやる! 病人だからって手は抜かないよ!」
「手を抜くなんてそんな必要はこれっぽっちも無いわよ」
輝夜の挑発に妹紅はどんどんヒートアップして、ついには輝夜の挑戦を受け取った。
二人並んで表に出ようと襖に向かうのだが、その前に輝夜が妹紅の手を引いて止めた。
引かれた妹紅は、ジロッと輝夜の方を見る。
「…何?」
「…相談してくれれば備蓄の融通ぐらいできるから、次からはちゃんと決闘の約束は守って」
輝夜の言葉の意味が、妹紅にはよく分からなかった。そしてその態度も気がかりだった。
さっきのふてぶてしさはどこへやら、今はやけにしおらしい。
訳が分からない。だから妹紅は率直に聞いた。どうして、と。
「それは…その…定期的にあんたと喧嘩しないと調子狂うっていうか…なんていうか…」
「何? はっきり言ってよ」
輝夜の声はしりすぼみで、どんどん弱々しくなってしまいには消え入りそうである。
聞き返した妹紅は、また病気の症状でも出たかと思って内心少しだけ不安になった。
しかし、その不安はどうやら杞憂であったらしい。
「な、なんでもないわ! とにかく次からは決闘の約束守ってよね!」
「うわわ!? 分かった、分かったよ! 今度からは気をつける。だから叩くなって!」
「約束よ! 絶対だからね!」
病気で元気がなさそうに見えたかと思えば、今度はポカポカと妹紅を叩きながら大きな声を出す。
そして妹紅の返事を聞くと、パアッと明るい笑顔になる。
本当に訳が分からない、と妹紅は思っていたのだが
「まあ、元気のない輝夜だとこっちも調子狂うし、これでいいか」
輝夜には聞こえないよう小さな声でそう言って、ふふっと苦笑した。
「姫様、元気になってましたね」
「ええ」
部屋の外で輝夜たちの様子を窺っていた薬師とその弟子は、輝夜が回復したことを確認するとそそくさと退散していた。
今二人は廊下をのんびり歩きながら話をしている。
「う~ん、それにしても分かんないな~。師匠ですら治せない病気を一体どうやって治したんだろう…」
「あら、ひょっとして貴女分かってないの?」
「え、じゃあ師匠は分かってるんですか?」
「勿論」
「一体どうやって?」
「だめよ。これくらい自分で考えなさい」
「そんなあ…」
食い入るように質問する鈴仙だが、永琳は軽くそれをいなした。
答えを教えてもらえず落胆する鈴仙に、それなら、と永琳は悪戯そうな笑みを浮かべる。
「ヒント、ウサギは寂しいと死んでしまうの。医学だけではどうしようもないわ」
「え、別にウサギは寂しくても死にませんけど?」
「…貴女、まだまだ一人前には程遠いわね」
ヒントに対して真顔で答えた鈴仙に、永琳はやれやれと肩をすくめるのであった。
つ~らい~からね~どんな娘でも~
でもこの妹紅のニブっぷりだと、成就するのに100年単位でかかりそうだ。