十六夜咲夜が一日にこなす仕事の量は膨大だ。
炊事、洗濯、掃除、買い出し、それに加えて主の身の回りの世話や、働くことに熱心でない部下への叱咤、様々である。
季節はもう、そんな咲夜の吐く溜息が白く空へと溶ける頃。流れる風が耳を刺し、芯まで凍らせる、そんな日であった。
「あぁ、嫌な季節だわ」
買い物かごを両の手にぶら下げ、咲夜は独りごちる。すんすんと鼻を鳴らしながら紅魔館へ向かう咲夜の表情は、どこか沈鬱。
今日何度目になるかわからない溜息を吐いてみても、気分は明るくはならない。それでも、みんなの前では表情に出すまいと咲夜は軽く頭を振った。
「ただいま」
「お帰りなさい、咲夜さん」
門前に降り立ち、部下に帰宅を告げる。
にこやかな表情で咲夜を迎えたのは、紅美鈴。紅魔館で門番をしている人物だった。
「今日も寒いですね」
「ほんとね。嫌になっちゃう」
「あ、荷物持ちますよ」
「ん、ありがと」
何気ない、いつもどおりの会話の中で咲夜は美鈴に荷物を手渡そうとした。
――その時。
「つっ……!」
咲夜の顔に一瞬の苦痛。美鈴はそれを見逃さなかった。
「どうしました、咲夜さん?」
「……いえ、なんでもないわ。ありがと、ここでいいわよ。引き続き門番お願いね」
「あ――」
打ち切るように咲夜は館内へと消えていった。
残された美鈴は、伸ばした手を宙ぶらりんに立ち尽くしていた。
「あぁ、いけないいけない」
厨房に入り、食材をしまい込む中、咲夜は先ほどの失態を悔やんでいた。
咲夜は周りの人間に弱みを見せることを嫌う。それは、彼女の主であるレミリア・スカーレットという存在に起因する。
「私は誇り高き、レミリア・スカーレットの従者。いつだって完璧でいなくちゃ……」
自分に言い聞かせるようにつぶやいた言葉。そうして咲夜は、いつの間にかうなだれていた顔を上げる。
「さ、おゆはんの準備をしなくっちゃ」
どこか覚悟めいた表情を浮かべ、咲夜は手袋を外した。
夕食が終わり、紅魔館は徐々に一日の終わりへと向かっていく。
風呂に入る者、部屋で読書をする者、音楽を聴く者、様々である。
割合自由な生活を送ることのできる紅魔館であるが、門番部隊だけはそれに当てはまらない。いつなんどき、泥棒が現れるかはわからないのだ。
とはいえ平和な幻想郷。今日そこまで厳重な警備を強いる必要はもはやないのだが、門番は門番のライフスタイルがあるのだろう。美鈴は相も変わらず門の前で警備を続けていた。
「美鈴」
「あ、咲夜さん」
凛とした表情で門前に佇んでいた美鈴だったが、咲夜を見て頬をゆるませた。
「あなたも物好きで、馬鹿ね」
「いきなりご挨拶ですねぇ」
「だってそうでしょ? せっかくの交代制なんだから、わざわざ引き受けなくたって」
美鈴はよく仕事をサボるというイメージは、これが原因であった。
一日が眠りについても、終わりがないのが門番という仕事だ。ゆえに、門番は美鈴をトップに交代制を敷いている。
それなのに、美鈴は夜のシフトも自ら買って出ているのだ。
「好きでやっているんですよ」
「だーかーら、物好きで馬鹿って言ったの」
「なるほど――って馬鹿は余計じゃ?」
「余計なもんですか。あなたは優しすぎなのよ。部下想いも程々にしなさい。体を壊しちゃうわよ」
ぐいぐい詰め寄る咲夜に美鈴は少し困惑気味。
「全くもう」
「たはは……」
「ま、いいわ。差し入れを持ってきたのよ。今準備するわね」
「ありがとうございます」
シートをひろげてテキパキと準備をする咲夜。その後ろ姿を見て、美鈴はぽつりとつぶやいた。
「……まぁ、それだけじゃないんですけどね」
「なんか言った?」
「いえ、なにも」
「? できたわよ。いらっしゃい」
「はーい」
「わぁー」
美鈴はきらきらした目で、いそいそとサンドウィッチを取り出し、包みを開ける。その横で咲夜は水筒から温かい紅茶を注いでいた。
「んぅ~!」
差し入れを口にした美鈴が目を細めて言う。
「シャキシャキとしたレタスとハムの塩味が後から顔を出すバターの風味、マヨと上手く合わさって絶品です!」
「そ、良かったわね」
「えぇ、良かったです」
一呼吸置いて、美鈴は言った。
「――これで咲夜さんが隠し事をしないでくれたら、もっと最高なんですけどね」
紅茶を淹れる手が止まる。
「なんのことかしら?」
「バレバレですよ、全く……咲夜さんは頑張り過ぎです。さっき咲夜さんは私のことを馬鹿って言いましたけど、咲夜さんの方がよっぽど馬鹿です」
「カチーン、なんで私が馬鹿なのよ」
「馬鹿じゃないんですか?」
「馬鹿じゃないわ」
「へー、じゃあ手袋外してくださいよ」
う、と咲夜は言葉を詰まらせた。
バレている。
そう気付いたのだ。
「……やだ」
「外してください」
「やーだ」
ぷい、とそっぽを向く咲夜。
「子どもですか! えーい実力行使!」
「きゃー! やめて、やめなさいよ!」
「とりゃっ!」
「あんっ」
するりと外された手袋の下は、痛々しいほどに荒れていた。
「うぅ……」
「あーあー、こんなになるまで放っておいて!」
「これでもケアはしてるわよ! でも、水仕事が多いから……」
「はぁ……ちょっと待っててください」
溜め息を吐きながら美鈴は詰め所に消えた。
そして戻ってきた美鈴の手には小さなボトル。
「それは?」
「ハンドクリームです。私特製の。漢方薬入りだから効きますよ」
そう言って美鈴は、すっと咲夜の手を取り、自分の手と一緒にそれを塗り出した。
「ちょちょちょ、ちょっと!?」
咲夜は慌てて制止を試みるも、美鈴は無視。
「怪我を隠しちゃうような真似をする子どもには、無理やりするくらいでちょうどいいんです」
ぬりぬり。
ぬりぬり。
「むぅ……」
悔しいが、気持ちいい。
咲夜は諦めた表情で、溜め息を吐いた。
「……ねぇ、咲夜さん?」
視線は手に置いたまま。美鈴はつぶやく。
「お嬢様の手前、カッコつけたいのはわかりますけど、それじゃ疲れちゃいますよ。せめて、私の前くらいでは、弱いところを見せてくれてもいいんじゃないですか?」
ね? と。
そう言って咲夜の目を見る美鈴。
咲夜はなんだか恥ずかしくて、目を背けた。
「……あ、弱点発見。目を見つめられるの、だめなんですね」
「そんな、こと、ない、わょ……」
そう言う咲夜の顔は真っ赤っか。
「……馬鹿」
「あー、また馬鹿って言った」
「だって美鈴が馬鹿なんだもの。バカバカ」
咲夜が予想していた反論は、なかった。
「……まぁ、馬鹿かもしれないですけどね」
「美鈴?」
「ねぇ、咲夜さん」
「なによ」
美鈴の視線は、いつの間にか咲夜から外れていた。
「わた、私が、夜の当番を引き受けてる理由が、こうして咲夜さんに逢うため、だって言ったら……やっぱり、私って、馬鹿でしょうか?」
「んにゃっ……!」
赤い顔で、にへらと笑みを浮かべる美鈴と、これまた赤い顔で口をパクパクさせる咲夜。
再び視線がぶつかる。
手はつながったまま。
「……か」
「え?」
「おおばかって言ったの! 馬鹿!」
言葉とは裏腹に、ハンドクリームを塗りこむ咲夜の手が、それに応えるように動いていた。
「……えへへ、ごめんなさい」
「……馬鹿」
凍える季節、紅魔館の門の前だけは、なんだか暖かかった。
了
炊事、洗濯、掃除、買い出し、それに加えて主の身の回りの世話や、働くことに熱心でない部下への叱咤、様々である。
季節はもう、そんな咲夜の吐く溜息が白く空へと溶ける頃。流れる風が耳を刺し、芯まで凍らせる、そんな日であった。
「あぁ、嫌な季節だわ」
買い物かごを両の手にぶら下げ、咲夜は独りごちる。すんすんと鼻を鳴らしながら紅魔館へ向かう咲夜の表情は、どこか沈鬱。
今日何度目になるかわからない溜息を吐いてみても、気分は明るくはならない。それでも、みんなの前では表情に出すまいと咲夜は軽く頭を振った。
「ただいま」
「お帰りなさい、咲夜さん」
門前に降り立ち、部下に帰宅を告げる。
にこやかな表情で咲夜を迎えたのは、紅美鈴。紅魔館で門番をしている人物だった。
「今日も寒いですね」
「ほんとね。嫌になっちゃう」
「あ、荷物持ちますよ」
「ん、ありがと」
何気ない、いつもどおりの会話の中で咲夜は美鈴に荷物を手渡そうとした。
――その時。
「つっ……!」
咲夜の顔に一瞬の苦痛。美鈴はそれを見逃さなかった。
「どうしました、咲夜さん?」
「……いえ、なんでもないわ。ありがと、ここでいいわよ。引き続き門番お願いね」
「あ――」
打ち切るように咲夜は館内へと消えていった。
残された美鈴は、伸ばした手を宙ぶらりんに立ち尽くしていた。
「あぁ、いけないいけない」
厨房に入り、食材をしまい込む中、咲夜は先ほどの失態を悔やんでいた。
咲夜は周りの人間に弱みを見せることを嫌う。それは、彼女の主であるレミリア・スカーレットという存在に起因する。
「私は誇り高き、レミリア・スカーレットの従者。いつだって完璧でいなくちゃ……」
自分に言い聞かせるようにつぶやいた言葉。そうして咲夜は、いつの間にかうなだれていた顔を上げる。
「さ、おゆはんの準備をしなくっちゃ」
どこか覚悟めいた表情を浮かべ、咲夜は手袋を外した。
夕食が終わり、紅魔館は徐々に一日の終わりへと向かっていく。
風呂に入る者、部屋で読書をする者、音楽を聴く者、様々である。
割合自由な生活を送ることのできる紅魔館であるが、門番部隊だけはそれに当てはまらない。いつなんどき、泥棒が現れるかはわからないのだ。
とはいえ平和な幻想郷。今日そこまで厳重な警備を強いる必要はもはやないのだが、門番は門番のライフスタイルがあるのだろう。美鈴は相も変わらず門の前で警備を続けていた。
「美鈴」
「あ、咲夜さん」
凛とした表情で門前に佇んでいた美鈴だったが、咲夜を見て頬をゆるませた。
「あなたも物好きで、馬鹿ね」
「いきなりご挨拶ですねぇ」
「だってそうでしょ? せっかくの交代制なんだから、わざわざ引き受けなくたって」
美鈴はよく仕事をサボるというイメージは、これが原因であった。
一日が眠りについても、終わりがないのが門番という仕事だ。ゆえに、門番は美鈴をトップに交代制を敷いている。
それなのに、美鈴は夜のシフトも自ら買って出ているのだ。
「好きでやっているんですよ」
「だーかーら、物好きで馬鹿って言ったの」
「なるほど――って馬鹿は余計じゃ?」
「余計なもんですか。あなたは優しすぎなのよ。部下想いも程々にしなさい。体を壊しちゃうわよ」
ぐいぐい詰め寄る咲夜に美鈴は少し困惑気味。
「全くもう」
「たはは……」
「ま、いいわ。差し入れを持ってきたのよ。今準備するわね」
「ありがとうございます」
シートをひろげてテキパキと準備をする咲夜。その後ろ姿を見て、美鈴はぽつりとつぶやいた。
「……まぁ、それだけじゃないんですけどね」
「なんか言った?」
「いえ、なにも」
「? できたわよ。いらっしゃい」
「はーい」
「わぁー」
美鈴はきらきらした目で、いそいそとサンドウィッチを取り出し、包みを開ける。その横で咲夜は水筒から温かい紅茶を注いでいた。
「んぅ~!」
差し入れを口にした美鈴が目を細めて言う。
「シャキシャキとしたレタスとハムの塩味が後から顔を出すバターの風味、マヨと上手く合わさって絶品です!」
「そ、良かったわね」
「えぇ、良かったです」
一呼吸置いて、美鈴は言った。
「――これで咲夜さんが隠し事をしないでくれたら、もっと最高なんですけどね」
紅茶を淹れる手が止まる。
「なんのことかしら?」
「バレバレですよ、全く……咲夜さんは頑張り過ぎです。さっき咲夜さんは私のことを馬鹿って言いましたけど、咲夜さんの方がよっぽど馬鹿です」
「カチーン、なんで私が馬鹿なのよ」
「馬鹿じゃないんですか?」
「馬鹿じゃないわ」
「へー、じゃあ手袋外してくださいよ」
う、と咲夜は言葉を詰まらせた。
バレている。
そう気付いたのだ。
「……やだ」
「外してください」
「やーだ」
ぷい、とそっぽを向く咲夜。
「子どもですか! えーい実力行使!」
「きゃー! やめて、やめなさいよ!」
「とりゃっ!」
「あんっ」
するりと外された手袋の下は、痛々しいほどに荒れていた。
「うぅ……」
「あーあー、こんなになるまで放っておいて!」
「これでもケアはしてるわよ! でも、水仕事が多いから……」
「はぁ……ちょっと待っててください」
溜め息を吐きながら美鈴は詰め所に消えた。
そして戻ってきた美鈴の手には小さなボトル。
「それは?」
「ハンドクリームです。私特製の。漢方薬入りだから効きますよ」
そう言って美鈴は、すっと咲夜の手を取り、自分の手と一緒にそれを塗り出した。
「ちょちょちょ、ちょっと!?」
咲夜は慌てて制止を試みるも、美鈴は無視。
「怪我を隠しちゃうような真似をする子どもには、無理やりするくらいでちょうどいいんです」
ぬりぬり。
ぬりぬり。
「むぅ……」
悔しいが、気持ちいい。
咲夜は諦めた表情で、溜め息を吐いた。
「……ねぇ、咲夜さん?」
視線は手に置いたまま。美鈴はつぶやく。
「お嬢様の手前、カッコつけたいのはわかりますけど、それじゃ疲れちゃいますよ。せめて、私の前くらいでは、弱いところを見せてくれてもいいんじゃないですか?」
ね? と。
そう言って咲夜の目を見る美鈴。
咲夜はなんだか恥ずかしくて、目を背けた。
「……あ、弱点発見。目を見つめられるの、だめなんですね」
「そんな、こと、ない、わょ……」
そう言う咲夜の顔は真っ赤っか。
「……馬鹿」
「あー、また馬鹿って言った」
「だって美鈴が馬鹿なんだもの。バカバカ」
咲夜が予想していた反論は、なかった。
「……まぁ、馬鹿かもしれないですけどね」
「美鈴?」
「ねぇ、咲夜さん」
「なによ」
美鈴の視線は、いつの間にか咲夜から外れていた。
「わた、私が、夜の当番を引き受けてる理由が、こうして咲夜さんに逢うため、だって言ったら……やっぱり、私って、馬鹿でしょうか?」
「んにゃっ……!」
赤い顔で、にへらと笑みを浮かべる美鈴と、これまた赤い顔で口をパクパクさせる咲夜。
再び視線がぶつかる。
手はつながったまま。
「……か」
「え?」
「おおばかって言ったの! 馬鹿!」
言葉とは裏腹に、ハンドクリームを塗りこむ咲夜の手が、それに応えるように動いていた。
「……えへへ、ごめんなさい」
「……馬鹿」
凍える季節、紅魔館の門の前だけは、なんだか暖かかった。
了
ごちそうさまでした
これで朝食が浮いた。
ご馳走様でした!!!
ごちそうさまでした
御馳走様でした
ご馳走様でした!!!
ご馳走様でした!!
おかわり!
(アカン)
ハンドクリーム、水仕事をすると結構欲しくなる。シアバターは塗った後が心地いいけど硬くて使い勝手悪いのがなぁ……
そうか、漢方入り。匂いが気になる。
御馳走様でした
ありがとうございました!
>6
お粗末さまでした!
>白銀狼さん
伝わってよかったです。
>奇声を発する程度の能力さん
愉しんでいただけて何よりです。
>15
これからも書いていきたいと思います。
>20
ありがとうございます!
>22
はたから見てても恥ずかしくなっちゃいそうです。
>名前が正体不明である程度の能力さん
すいません、おかわりは来月からなんですよ。
>34
渋い緑茶でもどうぞ。
>36
咲夜ちゃんはカッコいいのもいいけど、私は可愛い方が好きです。
>41
可愛い女の子かと思った? 残念可愛い咲夜ちゃんでした!
>48
ですからすいません、来月からなんですよ。
>がいすとさん
なんか効きそうな単語入れてみたかったのです。
>53
ありがとうございました!