朝起きて芋を焼こうと外に出た私は失明した。
瞬間、何が何だか分からなくなる。
よし、分かった、落ち着け私。
とりあえずこれまでの行動を振り返ってみよう。
朝起きて、顔を洗って、とりあえず何か食べようと思った。
芋があったから、手軽に焼き芋にでもしようと、芋を持って表に出た。
それで、昨夜もきちんと後始末をした薪を、もう一度使おうと火を熾した。
ちゃんと火が渡った、と思った次の瞬間、破裂音がして何かが私の両目を襲ったのだ、そうだ。
改めて目を瞬いてみる。
……ダメだ、何も見えない。
焚き火は未だ燃えていて、煙の刺激臭が鼻腔をくすぐる。
とりあえず芋を焼こう、と私は思った。
2本の芋を焼いて、1本をその場で食べた。
芋はほくほくとしていて美味しい。
喉が渇いて水を飲む。
それから今日もきちんと焚き火の後始末をする。
目が見えなくてもそれくらいのことはできる。
新聞を持ってきて、食べ残した芋を包む。
それをポケットに無造作に入れた。
それから、そんなことはもうしたってしょうがないんだと気付く。
でも、別にいい。
時間が経つと気になってきて、指で顔の形を確かめる。
傷ついているのは目だけで、他の部分に損傷はないようだ。
つまりあの小爆発は狙い済ましたように私の両目だけに傷を負わせたということだ。
「なんでこうも運が悪いかな」
独り言を呟き、溜め息をついても聞く者は誰も居ない。
もちろん答える者も。
季節は秋だ。
毎年秋になって木々が色づくと、それだけで私の心はざわざわと蠢いた。
山の景観が用いる赤や黄色の破滅的で暴力的な色遣いは、私を追い立て、嘲り、打ちのめした。
そして私の心にはどんよりとした澱のようなものが残る。
それは過ぎていった時を思っての焦燥であり、私の周りを通り過ぎていった人々への懐古であり、やがて過ぎていくであろう未来への不安だ、と私は安易な分析をする。
しかし、それはもしくは単なる条件反射なのかもしれない。
あるいは私自身も忘れてしまったのに、今も深層心理に刻み付けられている何らかのトラウマを、私は秋という季節をフィルターに想起しているのかもしれない。
ともあれ、燃えるような紅葉や楓を見ていると自然と私は自暴自棄になった。
例えば不貞腐れて一日中を寝床の中で過ごしたり、酒に溺れたり、かと思えば一昼夜意味もなく薪を割ったり。
ものぐさ、乱暴、躁鬱病、気まぐれ。
秋に私を訪ねてきた物好きな人々は、てんで勝手に私を評したが、それは合ってもいるし間違ってもいると思う。
何しろ私にもよく分からないのだ。
空はとても綺麗なはずだが、残念ながらそれはもう見られない。
雲を見て暇を潰す、という選択肢を頭から切り捨てた。
澄み切った空気を切り裂いてやってくる風が少し肌寒い。
洗濯物を干していたことを思い出して取り込む。
一人暮らしなので量は大した事はない。
すぐに終わってしまった。
さて。
アクシデントはあったものの、朝起きて顔を洗って朝ごはんを食べた。
焚き火の後始末だってちゃんとしたし、洗濯物も取り込んだ。
差しあたってやるべきことはあらかたやってしまったように思う。
目が見えなくなってしまったから、掃除をするのは骨だろう。
昨日水をやったばかりだし、畑仕事も別にない。
本を読もうにも、目が見えない。
いよいよやることがなくなってしまった。
さて、今日はどうしようか、と思う。
毎日私の前に立ちふさがる至上命題だ。
今日はどうしようか。
何も思いつかない。
思いつかないし、何もしなくていいや。
目も見えなくなっちゃったことだし。
屋根の下に戻ろうと踵を返した私だが、ここ数日、この調子で私は何もしていないことに思い当たった。
うーん。
少し考えて、部屋から上着を取ってきた。
それから手袋。
どちらも人にもらったものだ。
久しぶりに人里に行こうか。
取ってきた上着を着て、手袋をはめると寒さがちょうどいい位に和らいだ。
ポケットに手を入れて歩きなれた道を進む。
芋がまだ熱を放っていて、右手が暖かい。
落ち葉を踏みしめ踏みしめ道を往く。
しゃりりしょりりしゃりりしょりり
しゃりりしゃりりしゃりりしょりり
しゃりりしゃりりがっ
「痛っ」
小石を踏んづけて、足を捻ってしまった。
顔をしかめて蹲る。
「なんで今日はこう、ついてないのかなあ」
足を擦っていると、徐々に痛みが引いてきた。
大したことはなさそうだ。
気を取り直してまた歩き出す。
しゃりりしょりりしゃりりしょりり
しょりりしょりりしゃりりしゃりり
久しぶりに歩いてみると、里への道のりはなかなか長い。
目が見えないので、見るものがなくて退屈だ。
やはり今日は家で大人しくしておくべきだったのかもしれない。
それでも今から引き返すのは馬鹿みたいだ。
それに私は最近何もせず家でぼうっとしているだけだ。
朝は早く起きるのに、やることがなくて結局2度寝。
こんなことじゃいけない。
徒労でも、面倒でも。
無駄でも、無為でも。
私は何かをするべきだ。
しゃりりしょりりしゃりりしょりり
しゃりりしゃりりしゃりりしょりり
歩いているうちに汗を掻いてきた。
上着が少し暑く感じられたが脱がずに我慢する。
遠くから鳥の鳴き声が聞こえてくる。
耳をすませて聞き入った。
ちちち、ちち、ち…………ち
静寂。
また歩き出す。
しゃりりしょりりしゃりりしょりり
しゃりりしゃりりしゃりりしょりり
口元が寂しい。
ポケットを探るが、煙草はもう止めたことを思い出した。
昔の私はヘビースモーカーだった。
やたらめったらに吸いまくる私を見かねて彼女は言った。
「もう少し体を大事にした方がいい」
「なんで?」
一瞬、問い返した私に何事かを言い返そうとして、やがて彼女は寂しそうに口を噤んだ。
彼女のそんな顔を見たくないな、と思った。
それ以来、煙草は吸っていない。
しゃりりしょりりしゃりりしょりり
しゃりりしゃりりしゃりりしょりり
しょりりぽふっぽふっ
足の感触と音が変わり、麓に着いたことが分かった。
頭の中で村の地図を描き、どこに行こうか考える。
どうしようか。
食糧はある。
畑で野菜も取れるから、自給自足で生活している。
別に買いたいものもない。
路銀なら多少はある。
お茶でも飲もうか。
茶屋で団子とお茶を注文して席に着いた。
外と違って店内は暖かい。
手袋を上着のポケットにしまって、椅子の背にかけた。
注文のとき、がま口からいくらか出して「目が見えないのでお代の分だけ取ってください」と言った。
店員は多少びっくりしていたようだが、問題なく注文を受けてくれた。
やがて店員がやってきて、お盆を置いて私に声をかける。
「向かって右がお茶、左が団子だ。お茶は熱いから気をつけて」
「ありがとう」
お茶の香ばしい匂いが鼻腔をくすぐる。
湯飲みを持つと、外を歩いて冷えた指が温まった。
団子に取り掛かろうとして串を探り当てたとき、声をかけられた。
「相席、いいかしら」
「誰?」
団子を食べようとした口が半開きのままで固まった。
タイミング悪いな。
「"誰"って何よ。忘れたの」
「生憎私は目が見えないんだ」
「あら……」
驚いているのが声から感じられる。
まあそりゃそうだろう。
私も知人が突然、盲になっていたら驚く。
待つのが面倒臭くなって団子を齧る。
「ごめんなさい。アリスよ。アリス・マーガトロイド」
あっそ。
「ああ、ひはひふいはへ」
「食べてからにしたら」
お前が話しかけたんじゃないか。
文句を団子と一緒に嚥下した。
「久しぶりだね」
「ええ。……目、どうしたの」
「焚き火をしてたら何かが爆発したの。それが目に当たった」
息を呑む音がはっきりと聞こえた。
「それは……お大事に」
「ありがとう。でも大したことないよ」
「随分投げやりね」
「うん」
気まずい、と相手は思ったのかもしれない。
それから沈黙が続く。
そもそもこいつと話すことなんてないんだ。
目が見えないと沈黙は辛くない。
相手の表情や仕草を伺うことが出来ないから、最初からそんなことは気にしないでいられる。
そのうち、彼女にもお茶と団子がやってくる。
「ありがとう」
ややあって正面からお茶を啜る音が聞こえる。
私は目の前の相手を忘れてただお茶と団子を楽しんだ。
「ねえ」
まだいたの。
「はに」
「ごめん、呑み込んでからでいいわ」
折角のお言葉なのでじっくり時間をかけて咀嚼してやった。
「なに」
「あなたのおうちにお邪魔してもいいかしら」
「今日?」
「ええ」
よく分からない。
なぜこいつは私の家に来ようとするのか。
理由が思いつかない。
大体今だって、私にかける言葉がないから沈黙していたんじゃないのか。
それなのに、わざわざ私の家までついてきてどうする。
思考を放り投げてから、私はあることに気付く。
私は最近こんな調子で何事もすぐに諦めては居ないか。
思いつかない、の一言で何もかもを放棄しては居ないか。
いやだ、と言いかけた口を抑える。
いいや。
たまには少し冒険してみよう。
こいつが何を企んでいても、どうせ私にとっては大した事ではない。
「うん。いいよ、別に」
「えっ、本当に?」
「うん」
お茶の最後の一滴を飲み干す。
「飲み終わった?」
「え、まだ。ちょっと待ってて」
慌ててお茶を啜る音が聞こえる。
なぜかおかしくて、無理に笑みを噛み殺す私の顔は傍から見たら相当滑稽に映っただろう。
それから気がついたら私は彼女と手を繋いで村を歩いている。
「……ねえ」
「なに?」
「なんで手なんか繋がなきゃいけないの」
「だって、あなた目が見えないんでしょ?危ないじゃない」
周りの目とか気にならないのか。
私は見えないから関係ないけれど。
「まあいいけどさ……」
少し不貞腐れたような私の呟きは聞こえたのか聞こえなかったのか、変わらぬ速度で彼女は私の手を引いて歩いていく。
やがて足音がぽふっぽふっからまたしゃりりしょりりに変わって、私は村から出たことを知る。
今度は足音が二人分、重なって聞こえる。
しゃりりしゃりりしょりりしょりり
しゃりりしょりりしょりりしゃりり
「ねえ、アリス」
「ん、なに?」
「泊まっていくの?」
「うーん、あなたさえ良ければ」
「別にいいよ。布団なら1つ余ってるし」
「ありがとう。じゃあお言葉に甘えさせてもらうわ」
しゃりりしょりりしょりりしゃりり
しょりりりょりりしょりりしゃりり
「止まって。石に躓くわよ」
「ん」
しゃりりしゃりりしょりりしゃりり
しょりりしゃりりしゃりりしょりり
「着いたわ。ここでしょ?」
「多分ね。こんなところに住んでいるのは私しかいないと思うから」
主は私なので、手探りで戸を見つけて彼女を中に促す。
「ようこそ。狭いけど」
「そんなことないわよ。お邪魔します」
私の家に来たからといって深刻な打ち明け話をする訳でもなく、むしろ彼女の口数は減って、本当に何をしに来たのか分からない。
何が狙いなのか分からないが、目が見えないので様子を伺うこともできず、私はぼうっと部屋の隅に座っていた。
……少しうとうとしていたようだ。
目を開けても何も見えなくて、それから視力を失ったことを思い出す。
それから、彼女になんと声をかけようか少し迷う。
「アリス」
「……あっ、なに?」
「なにしてるの、お前」
部屋の真ん中からは夕餉の匂いが漂ってきていた。
「なにって、料理よ。あなた、寝ちゃってたし。目が見えないと大変でしょう?泊めてもらうのだからそれぐらいはさせてもらうわ」
「……そう。悪いね」
「あった食材を適当に使わせてもらったわ。もう出来たから食べましょう」
彼女に手を引かれてテーブルに座る。
「いい?向かって左から味噌汁、煮物、茸、豆腐、ご飯、湯呑みよ。分かった?」
「うん」
「じゃあいただきます」
「いただきます」
筍と人参とゴボウの煮付けは、素朴な味付けだが、素材の旨みがしっかりと引き出されている。
味噌汁は出汁がよく出ていて、豆腐も型崩れしていない。
椎茸は噛むとじわりと味が染みた。
端的に言って、美味い。
「うん。美味しいよ」
「そ、そう?」
照れたような彼女の声。
私はそれに気付かないふりをしてお茶を啜った。
私の顔も少し赤いかもしれない。
「ごちそうさま」
「はい、お粗末さまでした」
私は皿洗いくらい自分でやると言ったが、結局彼女に押し切られる形となってしまった。
これ以上借りを作りたくないのだけれど。
食事中も、その後も、彼女は相変わらず無口で何を考えているのか分からない。
顔色を伺うとか、空気を読むとか、そういった行為は目が見えない私からは欠落してしまったので、やっぱりすることが何もない。
ただ、さほど居心地の悪くない沈黙が育ちすぎた鰤のように居座っていた。
私は黙ってまた部屋の隅に座っている。
かちゃかちゃと彼女が皿を洗う音だけが聞こえてくる。
静かな夜。
その静けさが、むしろ落ち着かない。
ポケットに手をやるが、煙草は止めたことを思い出す。
昔から、決まって苛々した時に煙草を吸っていたように思う。
煙草を止めることができたのは、私の友人の存在が大きかった。
しかしそれだけではなくて、私の心の平穏のお陰で、禁断症状が軽く済んでいたという事実もあっただろう。
だが今、私はまた煙草を恋しがっている。
私は何に苛立っているのだろうか。
欠落に?
暗い視界に?
彼女に?
沈黙に?
私自身に?
そのすべてであり、恐らくそのすべてではないだろう。
それともまた私は元の自分に戻りつつあるのだろうか?
その仮説は蟲惑的であり、それ以上に恐怖でもあった。
かちゃり、と最後に音がして、それきり静かになる。
皿洗いが終わったようだ。
「何から何まで悪いね」
「この位、なんでもないわ。あ、布団敷こうか?」
「いいよ、それくらい私にやらせて」
「そう?」
心配そうな声色。
恐らく演技ではないのだろう。
それがなんだか笑える。
まったく、どうしてこう。
その続きは出てこない。
私自身、この奇妙な感覚をなんと表現していいか分からない。
丸くなった?
落ち着いた?
人が変わった?
いや、恐らくそういった表面的な描写では間に合わない気がする。
それは彼女だけでなく、私にしても同じだ。
ただ、今思ったようなことはそのまま私にもあてはまるのだろう。
それがなんだか、やっぱり笑える。
見えない目でなんとか布団を敷いた。
私はもうさっさと寝てしまおうと思う。
今日は色々調子が狂った。
自分のことにしてもそうだし、なぜだかしおらしい彼女といると、尚更おかしくなってくる。
掛け布団の下に潜り込む。
このまま寝てしまおう。
程なくして、彼女が布団を敷いているのが聞こえてきた。
私の大切な友達が泊まりに来たとき、いつも使っていた布団。
それを使われるのが少しだけ嫌な気もしたけれど、別にそんなことを言い出して彼女を困らせるほどではない。
今日、彼女に碌に構わず不機嫌を演じていたことを回想する。
子供っぽいと、自分で思う。
別に子供でも構わないのだけれど、なんだか彼女に悪いことをした気がする。
必要以上に気も遣わせてしまっただろう。
そんな、以前だったら彼女に対して絶対抱かなかった思考が新鮮で楽しい。
もぞもぞ、と私の布団の左手の辺りが、遠慮深げに動いた。
寝息も聞こえないので寝惚けている訳ではなさそうだ。
よく分からないままじっとしていると、そのうち決心したように小さい手が布団の間から滑り込んできて、私の手の上に重ねられた。
そのまま何をするでもなく、じっと私を窺うように手はそこに留まっていた。
柔らかく、その手を握り返してやる。
ちょっとびっくりしたような、そんな感情が手を通して伝わってきた。
それから彼女も柔らかく私の手を握り返してきた。
慈しむ様に。
まるで、友達みたいじゃないか、と私は思った。
なんだよ、まるで、友達みたいじゃないか。
笑い出したいような、清々しい気分だ。
どうやら長い時を経て、悲しみや恨みは少しずつ溶けていってしまったようだ。
以前は何より大事に心に抱え込んでいたそれらは、いつしか子供の頃に集めた綺麗な石のコレクションのように、親密で懐かしくて、時たま思い出して微笑むような、そういうものになっていた。
もちろん私は永遠に子供で少女で、成長しないままなのだけれど。
だから、ちょっと前の私なら、こいつに言われたら迷いなく殺していたようなこんな言葉でさえも、素直に受け入れられるようになっていた。
「……ねえ、妹紅。慧音が死んで悲しかったでしょう?」
「うん」
うん、そうだね。
悲しかった。
とても。
翌朝。
目が覚めたときには傷はすっかり癒えている。
再び見えるようになった目は、私を覗き込む少女の姿をはっきりと捉える。
昨日アリスと名乗った黒髪の少女は、少し照れたような表情で私に話しかけた。
「おはよう、妹紅」
「おはよう、アリス」
「やめてよ。……いつから気づいていたの」
「最初から」
はあ、と溜め息をつく輝夜。
「それじゃあそう言ってくれればいいのに」
「むしろあんなので騙せると思っていたことに驚くよ」
「む……」
「何がアリスだよ。声も変えずによくもまあぬけぬけと」
「まさか目に当たってたとは思わなかったの。びっくりして、咄嗟に上手い嘘が出てこなかった」
「あっそ」
布団を持ち上げて上半身を起こす。
至近距離から輝夜の目を覗き込んで、訊く。
「薪に何を入れた?」
「……栗よ」
「なるほどね」
「怒った?」
「別に」
すると輝夜はなんだか不貞腐れたような表情になって、それからぷいとそっぽを向いた。
変な奴。
「何怒ってるの」
「怒ってない」
「怒ってるよ」
「怒ってないわよ」
「怒ってるって」
「じゃあなんであなたは怒らないのよ」
なんだそれ。
そんなことを訊かれるとは思わなかった。
「私にとって失明なんてなんでもない。何もしなくてもこんな風に次の日には治っている。殺されたってなんともない。生き返りたくもないのに生き返る。そんなこと知っているでしょう。同じ境遇のあんたが誰よりも。なんで今更そんなことに逐一腹立てなきゃいけないの」
「だって……昔は私が攻撃したらいつだって私を殺しに来たじゃない」
「昔は昔だよ」
「……」
「え、じゃあなに。殺しに来てほしくて、こんなことをしたの」
輝夜は頬を膨らませて私を睨んでいる。
そして沈黙が肯定を示している。
えええ……なんだこいつ。
「ふ、なんだよそれ」
「わ、私の勝手でしょ」
頬を染めてそっぽを向く輝夜。
なんか色々と根本的に間違っている気がしないでもない。
それはお互い様だけれども。
ともあれ言っておきたいことがある。
「言っとくけどね。もう殺してなんかやらないよ」
「えっ」
見開いた目。
打ちのめされたようにも見える。
うん、やっぱりこいつ頭おかしい。
「な、なんでよ……」
「なんでって……」
なんでだろう。
過去の私を支配していた暴力的な衝動は綺麗さっぱり消え去っていた。
なんでだろう。
「……お前のことが、もうそんなに嫌いじゃないからだよ」
自分の口をついて出た言葉に自分で驚いた。
輝夜も口をぽかんと開けて驚いている。
うんうんそうだよね驚くよね私もびっくりだよ。
次いでものすごく恥ずかしくなる。
自分の顔が真っ赤になっているのが分かる。
それを見て、輝夜も顔を真っ赤にして俯いた。
居た堪れなくなって布団から逃げ出す。
こんな空気の中にいられるか。
私は逃げるように小屋の外に出た。
その時に玄関に隠してあった煙草を一本抜き取ってくる。
いつの煙草だろう。
慧音がまだ元気だった頃。
煙草を右手で弄びながらしばらく私は迷う。
それでも最後には決心をしてそれを口に咥える。
とっくにしけっていたそれはぶすぶすと燻りながらも、そのうち渋々といった感じで火を宿す。
大きく煙を吸い込む。
久々のことで、思わずむせてしまう。
煙が目に沁みる。
それからあのくそったれのニコチンが私の血管を侵していく。
ごめん慧音、また煙草吸っちゃって。
でも、私はこれからも生きていかなくちゃいけないんだ。
良い事も悪い事も起こる現実の中で、苛立ちながらもまっとうに永遠に私は生きていかなきゃならない。
恐らく、あいつと一緒に。
久しぶりの一本を慈しむ様に根元まで吸う。
煙の最後の一筋が、秋の空に呑まれていった。
瞬間、何が何だか分からなくなる。
よし、分かった、落ち着け私。
とりあえずこれまでの行動を振り返ってみよう。
朝起きて、顔を洗って、とりあえず何か食べようと思った。
芋があったから、手軽に焼き芋にでもしようと、芋を持って表に出た。
それで、昨夜もきちんと後始末をした薪を、もう一度使おうと火を熾した。
ちゃんと火が渡った、と思った次の瞬間、破裂音がして何かが私の両目を襲ったのだ、そうだ。
改めて目を瞬いてみる。
……ダメだ、何も見えない。
焚き火は未だ燃えていて、煙の刺激臭が鼻腔をくすぐる。
とりあえず芋を焼こう、と私は思った。
2本の芋を焼いて、1本をその場で食べた。
芋はほくほくとしていて美味しい。
喉が渇いて水を飲む。
それから今日もきちんと焚き火の後始末をする。
目が見えなくてもそれくらいのことはできる。
新聞を持ってきて、食べ残した芋を包む。
それをポケットに無造作に入れた。
それから、そんなことはもうしたってしょうがないんだと気付く。
でも、別にいい。
時間が経つと気になってきて、指で顔の形を確かめる。
傷ついているのは目だけで、他の部分に損傷はないようだ。
つまりあの小爆発は狙い済ましたように私の両目だけに傷を負わせたということだ。
「なんでこうも運が悪いかな」
独り言を呟き、溜め息をついても聞く者は誰も居ない。
もちろん答える者も。
季節は秋だ。
毎年秋になって木々が色づくと、それだけで私の心はざわざわと蠢いた。
山の景観が用いる赤や黄色の破滅的で暴力的な色遣いは、私を追い立て、嘲り、打ちのめした。
そして私の心にはどんよりとした澱のようなものが残る。
それは過ぎていった時を思っての焦燥であり、私の周りを通り過ぎていった人々への懐古であり、やがて過ぎていくであろう未来への不安だ、と私は安易な分析をする。
しかし、それはもしくは単なる条件反射なのかもしれない。
あるいは私自身も忘れてしまったのに、今も深層心理に刻み付けられている何らかのトラウマを、私は秋という季節をフィルターに想起しているのかもしれない。
ともあれ、燃えるような紅葉や楓を見ていると自然と私は自暴自棄になった。
例えば不貞腐れて一日中を寝床の中で過ごしたり、酒に溺れたり、かと思えば一昼夜意味もなく薪を割ったり。
ものぐさ、乱暴、躁鬱病、気まぐれ。
秋に私を訪ねてきた物好きな人々は、てんで勝手に私を評したが、それは合ってもいるし間違ってもいると思う。
何しろ私にもよく分からないのだ。
空はとても綺麗なはずだが、残念ながらそれはもう見られない。
雲を見て暇を潰す、という選択肢を頭から切り捨てた。
澄み切った空気を切り裂いてやってくる風が少し肌寒い。
洗濯物を干していたことを思い出して取り込む。
一人暮らしなので量は大した事はない。
すぐに終わってしまった。
さて。
アクシデントはあったものの、朝起きて顔を洗って朝ごはんを食べた。
焚き火の後始末だってちゃんとしたし、洗濯物も取り込んだ。
差しあたってやるべきことはあらかたやってしまったように思う。
目が見えなくなってしまったから、掃除をするのは骨だろう。
昨日水をやったばかりだし、畑仕事も別にない。
本を読もうにも、目が見えない。
いよいよやることがなくなってしまった。
さて、今日はどうしようか、と思う。
毎日私の前に立ちふさがる至上命題だ。
今日はどうしようか。
何も思いつかない。
思いつかないし、何もしなくていいや。
目も見えなくなっちゃったことだし。
屋根の下に戻ろうと踵を返した私だが、ここ数日、この調子で私は何もしていないことに思い当たった。
うーん。
少し考えて、部屋から上着を取ってきた。
それから手袋。
どちらも人にもらったものだ。
久しぶりに人里に行こうか。
取ってきた上着を着て、手袋をはめると寒さがちょうどいい位に和らいだ。
ポケットに手を入れて歩きなれた道を進む。
芋がまだ熱を放っていて、右手が暖かい。
落ち葉を踏みしめ踏みしめ道を往く。
しゃりりしょりりしゃりりしょりり
しゃりりしゃりりしゃりりしょりり
しゃりりしゃりりがっ
「痛っ」
小石を踏んづけて、足を捻ってしまった。
顔をしかめて蹲る。
「なんで今日はこう、ついてないのかなあ」
足を擦っていると、徐々に痛みが引いてきた。
大したことはなさそうだ。
気を取り直してまた歩き出す。
しゃりりしょりりしゃりりしょりり
しょりりしょりりしゃりりしゃりり
久しぶりに歩いてみると、里への道のりはなかなか長い。
目が見えないので、見るものがなくて退屈だ。
やはり今日は家で大人しくしておくべきだったのかもしれない。
それでも今から引き返すのは馬鹿みたいだ。
それに私は最近何もせず家でぼうっとしているだけだ。
朝は早く起きるのに、やることがなくて結局2度寝。
こんなことじゃいけない。
徒労でも、面倒でも。
無駄でも、無為でも。
私は何かをするべきだ。
しゃりりしょりりしゃりりしょりり
しゃりりしゃりりしゃりりしょりり
歩いているうちに汗を掻いてきた。
上着が少し暑く感じられたが脱がずに我慢する。
遠くから鳥の鳴き声が聞こえてくる。
耳をすませて聞き入った。
ちちち、ちち、ち…………ち
静寂。
また歩き出す。
しゃりりしょりりしゃりりしょりり
しゃりりしゃりりしゃりりしょりり
口元が寂しい。
ポケットを探るが、煙草はもう止めたことを思い出した。
昔の私はヘビースモーカーだった。
やたらめったらに吸いまくる私を見かねて彼女は言った。
「もう少し体を大事にした方がいい」
「なんで?」
一瞬、問い返した私に何事かを言い返そうとして、やがて彼女は寂しそうに口を噤んだ。
彼女のそんな顔を見たくないな、と思った。
それ以来、煙草は吸っていない。
しゃりりしょりりしゃりりしょりり
しゃりりしゃりりしゃりりしょりり
しょりりぽふっぽふっ
足の感触と音が変わり、麓に着いたことが分かった。
頭の中で村の地図を描き、どこに行こうか考える。
どうしようか。
食糧はある。
畑で野菜も取れるから、自給自足で生活している。
別に買いたいものもない。
路銀なら多少はある。
お茶でも飲もうか。
茶屋で団子とお茶を注文して席に着いた。
外と違って店内は暖かい。
手袋を上着のポケットにしまって、椅子の背にかけた。
注文のとき、がま口からいくらか出して「目が見えないのでお代の分だけ取ってください」と言った。
店員は多少びっくりしていたようだが、問題なく注文を受けてくれた。
やがて店員がやってきて、お盆を置いて私に声をかける。
「向かって右がお茶、左が団子だ。お茶は熱いから気をつけて」
「ありがとう」
お茶の香ばしい匂いが鼻腔をくすぐる。
湯飲みを持つと、外を歩いて冷えた指が温まった。
団子に取り掛かろうとして串を探り当てたとき、声をかけられた。
「相席、いいかしら」
「誰?」
団子を食べようとした口が半開きのままで固まった。
タイミング悪いな。
「"誰"って何よ。忘れたの」
「生憎私は目が見えないんだ」
「あら……」
驚いているのが声から感じられる。
まあそりゃそうだろう。
私も知人が突然、盲になっていたら驚く。
待つのが面倒臭くなって団子を齧る。
「ごめんなさい。アリスよ。アリス・マーガトロイド」
あっそ。
「ああ、ひはひふいはへ」
「食べてからにしたら」
お前が話しかけたんじゃないか。
文句を団子と一緒に嚥下した。
「久しぶりだね」
「ええ。……目、どうしたの」
「焚き火をしてたら何かが爆発したの。それが目に当たった」
息を呑む音がはっきりと聞こえた。
「それは……お大事に」
「ありがとう。でも大したことないよ」
「随分投げやりね」
「うん」
気まずい、と相手は思ったのかもしれない。
それから沈黙が続く。
そもそもこいつと話すことなんてないんだ。
目が見えないと沈黙は辛くない。
相手の表情や仕草を伺うことが出来ないから、最初からそんなことは気にしないでいられる。
そのうち、彼女にもお茶と団子がやってくる。
「ありがとう」
ややあって正面からお茶を啜る音が聞こえる。
私は目の前の相手を忘れてただお茶と団子を楽しんだ。
「ねえ」
まだいたの。
「はに」
「ごめん、呑み込んでからでいいわ」
折角のお言葉なのでじっくり時間をかけて咀嚼してやった。
「なに」
「あなたのおうちにお邪魔してもいいかしら」
「今日?」
「ええ」
よく分からない。
なぜこいつは私の家に来ようとするのか。
理由が思いつかない。
大体今だって、私にかける言葉がないから沈黙していたんじゃないのか。
それなのに、わざわざ私の家までついてきてどうする。
思考を放り投げてから、私はあることに気付く。
私は最近こんな調子で何事もすぐに諦めては居ないか。
思いつかない、の一言で何もかもを放棄しては居ないか。
いやだ、と言いかけた口を抑える。
いいや。
たまには少し冒険してみよう。
こいつが何を企んでいても、どうせ私にとっては大した事ではない。
「うん。いいよ、別に」
「えっ、本当に?」
「うん」
お茶の最後の一滴を飲み干す。
「飲み終わった?」
「え、まだ。ちょっと待ってて」
慌ててお茶を啜る音が聞こえる。
なぜかおかしくて、無理に笑みを噛み殺す私の顔は傍から見たら相当滑稽に映っただろう。
それから気がついたら私は彼女と手を繋いで村を歩いている。
「……ねえ」
「なに?」
「なんで手なんか繋がなきゃいけないの」
「だって、あなた目が見えないんでしょ?危ないじゃない」
周りの目とか気にならないのか。
私は見えないから関係ないけれど。
「まあいいけどさ……」
少し不貞腐れたような私の呟きは聞こえたのか聞こえなかったのか、変わらぬ速度で彼女は私の手を引いて歩いていく。
やがて足音がぽふっぽふっからまたしゃりりしょりりに変わって、私は村から出たことを知る。
今度は足音が二人分、重なって聞こえる。
しゃりりしゃりりしょりりしょりり
しゃりりしょりりしょりりしゃりり
「ねえ、アリス」
「ん、なに?」
「泊まっていくの?」
「うーん、あなたさえ良ければ」
「別にいいよ。布団なら1つ余ってるし」
「ありがとう。じゃあお言葉に甘えさせてもらうわ」
しゃりりしょりりしょりりしゃりり
しょりりりょりりしょりりしゃりり
「止まって。石に躓くわよ」
「ん」
しゃりりしゃりりしょりりしゃりり
しょりりしゃりりしゃりりしょりり
「着いたわ。ここでしょ?」
「多分ね。こんなところに住んでいるのは私しかいないと思うから」
主は私なので、手探りで戸を見つけて彼女を中に促す。
「ようこそ。狭いけど」
「そんなことないわよ。お邪魔します」
私の家に来たからといって深刻な打ち明け話をする訳でもなく、むしろ彼女の口数は減って、本当に何をしに来たのか分からない。
何が狙いなのか分からないが、目が見えないので様子を伺うこともできず、私はぼうっと部屋の隅に座っていた。
……少しうとうとしていたようだ。
目を開けても何も見えなくて、それから視力を失ったことを思い出す。
それから、彼女になんと声をかけようか少し迷う。
「アリス」
「……あっ、なに?」
「なにしてるの、お前」
部屋の真ん中からは夕餉の匂いが漂ってきていた。
「なにって、料理よ。あなた、寝ちゃってたし。目が見えないと大変でしょう?泊めてもらうのだからそれぐらいはさせてもらうわ」
「……そう。悪いね」
「あった食材を適当に使わせてもらったわ。もう出来たから食べましょう」
彼女に手を引かれてテーブルに座る。
「いい?向かって左から味噌汁、煮物、茸、豆腐、ご飯、湯呑みよ。分かった?」
「うん」
「じゃあいただきます」
「いただきます」
筍と人参とゴボウの煮付けは、素朴な味付けだが、素材の旨みがしっかりと引き出されている。
味噌汁は出汁がよく出ていて、豆腐も型崩れしていない。
椎茸は噛むとじわりと味が染みた。
端的に言って、美味い。
「うん。美味しいよ」
「そ、そう?」
照れたような彼女の声。
私はそれに気付かないふりをしてお茶を啜った。
私の顔も少し赤いかもしれない。
「ごちそうさま」
「はい、お粗末さまでした」
私は皿洗いくらい自分でやると言ったが、結局彼女に押し切られる形となってしまった。
これ以上借りを作りたくないのだけれど。
食事中も、その後も、彼女は相変わらず無口で何を考えているのか分からない。
顔色を伺うとか、空気を読むとか、そういった行為は目が見えない私からは欠落してしまったので、やっぱりすることが何もない。
ただ、さほど居心地の悪くない沈黙が育ちすぎた鰤のように居座っていた。
私は黙ってまた部屋の隅に座っている。
かちゃかちゃと彼女が皿を洗う音だけが聞こえてくる。
静かな夜。
その静けさが、むしろ落ち着かない。
ポケットに手をやるが、煙草は止めたことを思い出す。
昔から、決まって苛々した時に煙草を吸っていたように思う。
煙草を止めることができたのは、私の友人の存在が大きかった。
しかしそれだけではなくて、私の心の平穏のお陰で、禁断症状が軽く済んでいたという事実もあっただろう。
だが今、私はまた煙草を恋しがっている。
私は何に苛立っているのだろうか。
欠落に?
暗い視界に?
彼女に?
沈黙に?
私自身に?
そのすべてであり、恐らくそのすべてではないだろう。
それともまた私は元の自分に戻りつつあるのだろうか?
その仮説は蟲惑的であり、それ以上に恐怖でもあった。
かちゃり、と最後に音がして、それきり静かになる。
皿洗いが終わったようだ。
「何から何まで悪いね」
「この位、なんでもないわ。あ、布団敷こうか?」
「いいよ、それくらい私にやらせて」
「そう?」
心配そうな声色。
恐らく演技ではないのだろう。
それがなんだか笑える。
まったく、どうしてこう。
その続きは出てこない。
私自身、この奇妙な感覚をなんと表現していいか分からない。
丸くなった?
落ち着いた?
人が変わった?
いや、恐らくそういった表面的な描写では間に合わない気がする。
それは彼女だけでなく、私にしても同じだ。
ただ、今思ったようなことはそのまま私にもあてはまるのだろう。
それがなんだか、やっぱり笑える。
見えない目でなんとか布団を敷いた。
私はもうさっさと寝てしまおうと思う。
今日は色々調子が狂った。
自分のことにしてもそうだし、なぜだかしおらしい彼女といると、尚更おかしくなってくる。
掛け布団の下に潜り込む。
このまま寝てしまおう。
程なくして、彼女が布団を敷いているのが聞こえてきた。
私の大切な友達が泊まりに来たとき、いつも使っていた布団。
それを使われるのが少しだけ嫌な気もしたけれど、別にそんなことを言い出して彼女を困らせるほどではない。
今日、彼女に碌に構わず不機嫌を演じていたことを回想する。
子供っぽいと、自分で思う。
別に子供でも構わないのだけれど、なんだか彼女に悪いことをした気がする。
必要以上に気も遣わせてしまっただろう。
そんな、以前だったら彼女に対して絶対抱かなかった思考が新鮮で楽しい。
もぞもぞ、と私の布団の左手の辺りが、遠慮深げに動いた。
寝息も聞こえないので寝惚けている訳ではなさそうだ。
よく分からないままじっとしていると、そのうち決心したように小さい手が布団の間から滑り込んできて、私の手の上に重ねられた。
そのまま何をするでもなく、じっと私を窺うように手はそこに留まっていた。
柔らかく、その手を握り返してやる。
ちょっとびっくりしたような、そんな感情が手を通して伝わってきた。
それから彼女も柔らかく私の手を握り返してきた。
慈しむ様に。
まるで、友達みたいじゃないか、と私は思った。
なんだよ、まるで、友達みたいじゃないか。
笑い出したいような、清々しい気分だ。
どうやら長い時を経て、悲しみや恨みは少しずつ溶けていってしまったようだ。
以前は何より大事に心に抱え込んでいたそれらは、いつしか子供の頃に集めた綺麗な石のコレクションのように、親密で懐かしくて、時たま思い出して微笑むような、そういうものになっていた。
もちろん私は永遠に子供で少女で、成長しないままなのだけれど。
だから、ちょっと前の私なら、こいつに言われたら迷いなく殺していたようなこんな言葉でさえも、素直に受け入れられるようになっていた。
「……ねえ、妹紅。慧音が死んで悲しかったでしょう?」
「うん」
うん、そうだね。
悲しかった。
とても。
翌朝。
目が覚めたときには傷はすっかり癒えている。
再び見えるようになった目は、私を覗き込む少女の姿をはっきりと捉える。
昨日アリスと名乗った黒髪の少女は、少し照れたような表情で私に話しかけた。
「おはよう、妹紅」
「おはよう、アリス」
「やめてよ。……いつから気づいていたの」
「最初から」
はあ、と溜め息をつく輝夜。
「それじゃあそう言ってくれればいいのに」
「むしろあんなので騙せると思っていたことに驚くよ」
「む……」
「何がアリスだよ。声も変えずによくもまあぬけぬけと」
「まさか目に当たってたとは思わなかったの。びっくりして、咄嗟に上手い嘘が出てこなかった」
「あっそ」
布団を持ち上げて上半身を起こす。
至近距離から輝夜の目を覗き込んで、訊く。
「薪に何を入れた?」
「……栗よ」
「なるほどね」
「怒った?」
「別に」
すると輝夜はなんだか不貞腐れたような表情になって、それからぷいとそっぽを向いた。
変な奴。
「何怒ってるの」
「怒ってない」
「怒ってるよ」
「怒ってないわよ」
「怒ってるって」
「じゃあなんであなたは怒らないのよ」
なんだそれ。
そんなことを訊かれるとは思わなかった。
「私にとって失明なんてなんでもない。何もしなくてもこんな風に次の日には治っている。殺されたってなんともない。生き返りたくもないのに生き返る。そんなこと知っているでしょう。同じ境遇のあんたが誰よりも。なんで今更そんなことに逐一腹立てなきゃいけないの」
「だって……昔は私が攻撃したらいつだって私を殺しに来たじゃない」
「昔は昔だよ」
「……」
「え、じゃあなに。殺しに来てほしくて、こんなことをしたの」
輝夜は頬を膨らませて私を睨んでいる。
そして沈黙が肯定を示している。
えええ……なんだこいつ。
「ふ、なんだよそれ」
「わ、私の勝手でしょ」
頬を染めてそっぽを向く輝夜。
なんか色々と根本的に間違っている気がしないでもない。
それはお互い様だけれども。
ともあれ言っておきたいことがある。
「言っとくけどね。もう殺してなんかやらないよ」
「えっ」
見開いた目。
打ちのめされたようにも見える。
うん、やっぱりこいつ頭おかしい。
「な、なんでよ……」
「なんでって……」
なんでだろう。
過去の私を支配していた暴力的な衝動は綺麗さっぱり消え去っていた。
なんでだろう。
「……お前のことが、もうそんなに嫌いじゃないからだよ」
自分の口をついて出た言葉に自分で驚いた。
輝夜も口をぽかんと開けて驚いている。
うんうんそうだよね驚くよね私もびっくりだよ。
次いでものすごく恥ずかしくなる。
自分の顔が真っ赤になっているのが分かる。
それを見て、輝夜も顔を真っ赤にして俯いた。
居た堪れなくなって布団から逃げ出す。
こんな空気の中にいられるか。
私は逃げるように小屋の外に出た。
その時に玄関に隠してあった煙草を一本抜き取ってくる。
いつの煙草だろう。
慧音がまだ元気だった頃。
煙草を右手で弄びながらしばらく私は迷う。
それでも最後には決心をしてそれを口に咥える。
とっくにしけっていたそれはぶすぶすと燻りながらも、そのうち渋々といった感じで火を宿す。
大きく煙を吸い込む。
久々のことで、思わずむせてしまう。
煙が目に沁みる。
それからあのくそったれのニコチンが私の血管を侵していく。
ごめん慧音、また煙草吸っちゃって。
でも、私はこれからも生きていかなくちゃいけないんだ。
良い事も悪い事も起こる現実の中で、苛立ちながらもまっとうに永遠に私は生きていかなきゃならない。
恐らく、あいつと一緒に。
久しぶりの一本を慈しむ様に根元まで吸う。
煙の最後の一筋が、秋の空に呑まれていった。
じゃあ魔理沙かな?と思ったらまさかの妹紅でしたか。
まさかの妹紅とは…
たしかにタグに困るなこれ
この二人の未来ってのは色々あっていいですね
二度も
お見事哉
アリスじゃないなんて…
二度目はてるもこ
一つで二度美味しい作品でした
…しかしぐーやはなぜアリスをチョイスしたのかw
そうだよな~。
永夜抄で屋敷に攻めてきたキャラクターのうち、
慧音が死んでも生きていて且つ人里に来る友好的な妖怪って
アリスとか藍さまくらいだもんな。
次も期待してます。
できれば内容だけで勝負してほしかったです
なるほど
まぁアリスが輝夜なのは判らなかったけど
こんな物語になるとは予想外
どこか哀愁の漂う最後の妹紅の姿がよかったです
タグを使った叙情トリックというのは、恐らくこの東方創想話ぐらいでしか出来ないトリック!
勿論タグを見て作品を読む「キャラ思考」には腹が立つ代物だというのもわからなくないけれど、このタグトリックを卑怯だというならば、そもそもタグという取捨選択手段が危険なのかもしれない。
文章も結構端的で軽すぎたりパロディらない良い塩梅もいいし、妹紅周りのベーシックをふんでいる内容も叙情トリックだから面白い。
アリスと名乗った後の地の文が「あっそ」な事にブラーボ!!
重箱の隅をつつくなら「栗で失明した妹紅ってシュールすぎるやろ」という部分であって、そんな事は点を引く理由にならない。
一本取られました。
私は、このような作品は意地悪クイズのようなもんだと思っています。
皆さんはピザって10回唱えた後に、つられて肘の事をピザと言ってしまったんですよ。
それでクイズの出題者に文句を言うのはお門違いでしょう?
「騙す方が悪い」は義務教育洗脳の賜物負け犬の言い訳。
社会に出たらグレーゾーンぎりぎりの詐欺なんてそこいらに転がってるんですから。
最後に一言
「お見事です!!」
真心が伝わる瞬間を見られた気がする。展開の工夫もすごいけど、ストーリーが実に良かった。
あと優しい人代表にされてるアリスさん可愛いな。
でもアリスって言ってたから、てっきり別のキャラなのかと思った。やられた。
という他の人もやったであろう思考を、私も辿りました。分かった後で読み返すのもまた一興ですね。
ただ、こういう叙述トリックを狙った作品の場合、どこかしらでヒントになる伏線があったら嬉しかった。
全てが分かった後で見返してもそれが妹紅である/輝夜であるとはっきり分かる部分が見当たらなかったので、ちょっとカタルシスが弱かった気が。
一番印象的なのは、二人が妹紅の家に帰るシーン。
一度は一人で歩いていて躓いた石を、二人だと難なく避けている、という今後を象徴しているとも取れるシーンがすごく印象的。
煙草で気付けなかったのがくやしい!
良作だと思います。非常に情緒的な心情描写が心地よい後味をのこしてくれました。
次も楽しみにしています。
妹紅の方は割とすぐ気が付いたものの、輝夜の方は寝るあたりまで気が付かなかった…。
アリスが輝夜とは気づかなかったわ
確かに団子出す茶屋にアリスが入ってくるってのはちょっとしっくりこないかな
ラストらへんの雰囲気がすごくよかったです
タグは無しか、もしくは永夜抄ぐらいにしてほしかった。
終盤のボリューム不足が気になります。あっさり終わったなと
アリスが出てきた時はなんでアリスが…と思ったら。
二度美味しい
ほのぼのとか別のタグの方が読後感も良くすっきりしたかなと思いましたが。
人形の話が出てこない点など少しは疑うべきでしたね
やだー!
…いやまあ、てるもこだったので僕は十分です。
何かこう、とても良かったと思います
一度目は驚きが勝ってましたが二度読んだら泣きそうになりました。
雰囲気が好きです。これからもひっそりと応援しています。
というか論点がそこに寄りがちですが、文章そのものから発せられる静謐な空気が良い。
視覚情報を切り捨てた文章は、自然と他の四感の描写が緻密になりますね。
タグに注目が集まっていましたが、これについては問題無いように感じます。そもそも当方がタグにあまり
関心が無いというのもありますが。
残念に思ったのが、叙情トリックを作品の中心に据えておきながらも、それに対するヒントが煙草と視力を失ったことに焦らない態度しか見られず、回答を示された時のカタルシスが薄い(むしろ釈然としない)といった点です。
この手のトリックは前半に提示された伏線がいかに巧みに回答と繋がっているか、その点を楽しませる物です。極端なことを言ってしまえば回答が読者にバレるか否かは副次的なものでしかなく、その回答までの筋道こそが重要なわけです。
そういった観点から見ればこの作品は、洗練されていないという印象を抱かざるを得ません。二段トリックこそ斬新で素晴らしいのですが、そもそもの主体が誰かといった点に関してはヒントの絞りすぎブラフの蒔きすぎで距離が遠くなりすぎてしまい、正解を出さないために腐心したかのように見受けられます。
完全におまけとなってしまっている妹紅と輝夜のたどたどしい距離感が好印象だっただけに、これならいっそ叙情トリックを削って最初から妹紅だと確定させて話を進めたほうが面白い作品になったのでは? とも思えてきます。
最もその場合、話題性には欠けるので今ほどの評価は得られなかったのでしょうが。
最初主人公があまりに平然としてるのでシュールギャグかと思いましたがw
てるもこ可愛いよ
ミスリードもうまいですね。
そして、正体の自然さ。明かされて、ああそうかと思わされます。
さらに、正体を知る前と後では、文章の意味や重みが変わってくる面白さ。
いや、もう文句なしで面白いです。傑作です。
てるもこってまったく見たことなかったけど、これは新たな世界を見てしまったんじゃな。
確かにタグのつけようがないな、これ
タグなしだと引っかからなくなるし、キャラ名タグとかじゃないと検索に引っかかる確率が低くなる
煙草と口調とで???ってなりましたが、てるもこだったとは……良い意味で騙されました。好きです