魔法の森の奥深く、七色の人形遣いが住まう家。
今日も今日とて、意思は無いが想いのいっぱいつまった人形達は、アリス・マーガトロイドの生活を見つめている。
の、だけれども。
その日はちょっと、いつもとは違っていて。
でも、そんな違いが起こる前に、アリス・マーガトロイドは外出の支度を終えてしまったのだ。
「よし、と」
鏡の前でスマイル。
ニコッ。
うん、今日も抜群に可愛い。
お日様色のサラサラヘアー。
大空色のキラキラアイ。
白雪色のスベスベスキン。
桜色のプリプリリップ。
ぱーふぇくと!
魔女だって乙女なのだ。可愛くって何が悪い。むしろ良い。
フリルつきカチューシャだって素敵に決まってる。
お出かけ準備は万端だ。
防犯魔法もしっかりかけた。
今日の相棒は蓬莱人形。
いつもは上海人形の役目なのだけど、現在メンテナンス中だからお留守番なのだ。
本当はメンテナンスを完了してから行きたかったのだけれど、間に合わなかったから仕方ない。
あのさみしがり屋を待たせたら後々面倒だもの。
ハンカチが濡れてしまう。
いつもハンカチとティッシュは持ったかしつこく言ってくるのに、本人はいつも忘れてくるんだもの。
「さて、と」
鏡の前から離れ、人形棚に並ぶ面々と、作業机に座らせてある上海人形に向けて言う。
「それじゃ、行ってきます。お留守番よろしくね」
と言っても、人形なのでお留守番ができる訳ではない。
防犯魔法をかけたと言っても、ドアや窓の鍵を魔法でさらにロックする程度である。
でも声はかけておく。
それがアリスの流儀であり、愛だ。
愛を残して、アリスは行く。
しっかり戸締りをして、アリスは出かけた。
後に残された人形達は、意思は無いけれど胸いっぱいの想いを抱いてお留守番。
アリスが帰ってくるまで静かにおとなしく。
の、はずだったのだけれど。
ちょっとした冒険が、あったのさ。
別にナイショじゃないのだし、君に語って聞かせよう。
語る口は無いし、語る意思も無いけれど。
多分、伝わるはずだ。
だって、ここは幻想郷だもの。
伝わらないものも、伝わったりするのさ。
……多分。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
アリスが出かけて、どれくらい経っただろう。
すでに部屋は、人がいたぬくもりが消え失せて寒々としていた。
人がいる部屋はあったかいのだ。
精神的な意味だけではない。
物理的な意味でも、人がいると電球一個分くらいの熱量があるらしい。……多分。
随分と大きな電球だが、まあ、体温が空気に伝わって、あったかくなるのだろう。
なので、体温の無い人形達しかいない部屋は寒いのだ。
想いがいっぱいで精神的にあったかくても、物理的には寒々だ。
そこに入ってきたのは、物理的なあったかさだった。
でも人肌ではなくて。
しいて言えば、いや、しいて言わなくても、それは弾幕だった。
窓をぶち破って、キラキラ光るお星様が流れ込んできたのだ。
まるで空き地で野球をやっていた子供が、バットをフルスイングしてかっ飛ばしたボールのように。
当然、窓ガラスは割れてしまった。
お星様は床でバウンドして、作業机の上に。
ここでようやくタイトルの意味の半分が判明する。
作業机の上にはメンテナンス中の上海人形が置かれているのだ。
そうあるべくしてそうなるように、お星様は上海人形の頭にクリーンヒットした。
通常なら、ヒットした拍子に上海人形が転がる程度ですんだだろう。
だがメンテナンス中なので、首をきちんとセットしていなかった。
上海人形のボディはその場に転ぶだけですんだが、上海人形のヘッドは勢いよくすっ飛んでしまった。
以後、これを上海ヘッドと呼称する。
お星様は弾幕なので、上海人形にヒットした段階で消えてしまった。
人型の物体に当たったので消えてしまったとも言える。
よって、上海ヘッドだけが机から転げ落ちた。
弾幕ごっこで使われる人形は頑丈に造られているので、それくらいどうって事ない。
ころころと部屋の中央に転がって、お日様色のサラサラヘアーがブレーキとなって停止する。
「しまった、やっちまった」
と、お星様より一足遅れてやって来たのは普通の魔法使い霧雨魔理沙だ。
この家の主人、アリス・マーガトロイドの友人と言える人物だ。
天敵とも言える人物だ。
今回は天敵と言えよう。
お星様は窓の鍵を華麗に破壊していたので、霧雨魔理沙は割れた窓を開いた。
指が切れないよう注意するだけでよかった。
「アリス、いるか? 居留守か?」
恐る恐る、外から様子をうかがう魔理沙。
怒られると思ってちょっぴり腰が引けている。
だが反応が無いと悟るや、身を乗り出して部屋を確認する。
「アリス、いないな? 留守だな?」
よかった、誤魔化せる。
なんて考えながら、霧雨魔理沙は侵入する。
割れたガラスで手を切らないよう、気をつけながら。
割れたガラスを踏まないよう、気をつけながら。
床に転がった上海ヘッドには、気づかずに。
「よっこらしょっと」
窓を乗り越え、華麗に着地。
何だか手馴れたような動作だが、今回は正真正銘の事故である。今回は。
さて、霧雨魔理沙は確認する。
実験中の弾幕を誤射してしまったが、窓以外に何か壊しちゃいないだろうか?
足元の上海ヘッドに気づかず見回して、作業机には気づく。
上海ボディが倒れていたが、作業机の上の事なので、最初からそうだったのかもしれないと納得する。
しかし、だとすると、上海ヘッドはどこにあるのか?
一秒だけ考えて、まあいいやと肩の力を抜いた。
二秒考えれば気づけたかもしれないのに。
「とりあえずガラスを掃除して、窓ガラスを元通りにして誤魔化さないとな」
懐から取り出したのは、河童印のセロハンテープ。
透明なガラスを、透明なセロハンテープで貼り合わせる。
ぱーふぇくと、では全然ないけれど本人が自信いっぱいだから、それでいいのだろう。……多分。
散らばったガラス片をさっそく拾おうとして、くしゃり、サラサラしたものを踏む。
何だろう? 見下ろしてようやく気づく、床に転がる上海ヘッド。
隠れ勉強家である魔理沙の頭脳は、素早く状況を推測したものの、突然だったので軽い混乱を起こした。
「うおわっ!?」
咄嗟に後ずさりをして足をのけるも、パキン、硬いものを踏む。
ガラスだ。靴越しだから大丈夫とはいえ、やっぱり驚いてしまい、再び足をのけようとして、ガツン。
上海ヘッドをうっかり蹴り飛ばしてしまった。
哀れ、上海ヘッドは曲線を描いて壁に激突。
それはまるで壁に向けて投げられた野球ボールのように跳ね返ってきた。
因果応報と言うべきか、霧雨魔理沙の顔面に向かって。
生物の本能として、顔に迫ってくるものは怖い。
小さくても怖い。危険が無くても怖い。
反射的に避けようとしたり、目を閉じたりしてしまう。
とはいえ、来ると分かって身構えていたり、特殊な訓練を積んだりすれば、克服できるものではある。
弾幕ごっこが大好きな幻想郷の少女達は、前者も後者もばっちりである。
なので魔理沙は反応できた。
不自然な体勢のため、回避は不能と悟る。
例えその場に崩れ落ちるように避けても、顔面ヒットが頭部ヒットになるだけだ。
弾を避けられないと悟った時、グレイズすら不可能だと悟った時、弾幕少女の取る行動は?
「ていっ」
ガードだ。
幸い、ガードの間に合う位置に手があったため、反射的に手を上げてガードした。
直撃を受けるよりは軽傷ですむ、という論理。
ここでガードしなければ、この物語は始まらなかっただろう。
だが魔理沙はガードしてしまったので、この物語は始まるのだ。
飛んできた上海ヘッドを手の甲で弾き飛ばす。
角度の関係で上海ヘッドは魔理沙の頭上を飛び越え、割れたままの、開け放たれたままの、窓へ。
「あっ」
魔理沙、ここでようやく己の失態を悟る。
お日様色のサラサラヘアーをなびかせて、上海ヘッドは窓の外へ。
「しっ、しまった! 上海!」
さすがは霧雨魔理沙、時にアリス・マーガトロイドの友人を務める人間だけあって、それが上海人形だと悟る。
未熟者では上海人形と蓬莱人形と倫敦人形と仏蘭西人形と……ともかく、他の人形との区別がつかない。
だが見分けがついたため、霧雨魔理沙は余計に慌てた。
アリスの相棒的人形だけあって、魔理沙も上海人形のお世話になる事が多かったのだ。
たかが人形、されど人形。
慌てて追いかけようとし、ガラスを踏みつけるのも構わずに、窓から飛び出そうとジャンプ。
けれど足場が悪かった。
ガラスを踏んづけながらのジャンプは微妙に勢いが殺され、跳躍力が足りず、窓枠に足を引っかけてしまう。
「どわおッ!?」
幸い足を切らずにすんだものの、地面に熱烈なちゅーをするハメになってしまう魔理沙。
因果応報って奴かもしれない。
顔面倒立状態でしばしピクピク震えたものの、上海ヘッドを案じる心が魔理沙に力を与えた。
友情って奴だ。
「上海!!」
家の壁を蹴って前転、その勢いを利用して起き上がる。
前方確認、異常無し。
右舷確認、異常無し。
左舷確認、異常無し。
「あ、あれ?」
異常無しは、上海ヘッド無しと置き換えてもよい。
確かに窓の外へ飛んでったはずなのに。
「まずい。非常にまずい。アリスに怒られる」
霧雨魔理沙は魔法使い。
だから、アリス・マーガトロイドという魔法使いが人形に対してどれほどの情熱を注いでいるか重々承知。
だから、上海ヘッドを行方不明にしたなんて知られたらどうなるか重々承知。
「上海どこだ! 無理を承知で返事をしろ!」
無理言うな。
仮に返事ができたら、そんな事を言いそうだ。
「まさか、森の中まで転がってったんじゃないだろうな?」
アリス宅周辺の開けた場所に見当たらないなら、そう考えるのが自然だ。
しかしである。
野球ボールじゃないんだから、こんな平地を上海ヘッドが転がって行くだろうか?
その真相がこちら。
どうぞ。
窓から飛び出た上海ヘッド。
このまま地面に落ちて、一回転とせず停止して、霧雨魔理沙に拾われる――というのが常識的な流れ。
だがここは幻想郷、非常識な流れになるのが常識。矛盾も仲良く調和してるのさ。
矛盾の化身、それは一匹の蛙だった。
魔法の森に住む大蛙で、半ば妖怪化しており、何と太った兎くらいの大きさだ。
大蛙は偶然にもアリス宅の近くを通りかかっていた。
もちろん蛙なのでピョンピョン跳ねながらだ。
ピョン。ピョン。ピョンピョコピョン。
窓の外を丁度通りかかったところで、蛙の頭上に上海ヘッドが落ちてきた。
だが蛙は気づかず跳ね、上海ヘッドがヒットする。
つまり、サッカーで言うヘディングに似た状況が発生したのだ。
大蛙の跳躍力によって打ち上げられた上海ヘッドは、思いっきり森の中へとすっ飛ばされてしまった。
ヘディングをしてしまった大蛙は一度立ち止まって、不思議そうにあたりを見回す。
はて、何かが頭に当たったような?
まあいいや。大蛙はたいして気にせず歩き出した、もとい、跳ね出した。
ピョン。ピョン。ピョンピョコピョン。
半ば妖怪化しているがための卓越した跳躍力によって、大蛙はほんの数秒で森の中へと姿を隠した。
「どわおッ!?」
直後、霧雨魔理沙が窓に足を引っかけて、地面に顔面からダイブしたという。
さて。
森の中へと消えた上海ヘッドの行方は?
流転が始まる。
上海ヘッド流転である。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
特に理由は無い。
自由気ままにうろついて、たまたま魔法の森に来ただけだ。
宵闇の妖怪ルーミアは適当にそこらへんのキノコや木の実をかじって、そこそこお腹がふくれている。
お肉が大好きでも、野菜や果物だって食べるのだ。
お肉ばかりをご飯にできるほど要領のいい頭脳や技術を持っていないのだ。
虹色のキノコを半分ほどかじっていたルーミアは、木陰に転がるキラキラを見つける。
何だろう? 興味を持って、虹色のキノコを一口でパクリ! ゴックン。
ああ、おいしくもまずくもなかった。
スカートで手のひらを軽くはたいて胞子を払い、よいしょとしゃがんでそれを拾う。
生首だ。
でも食欲が刺激されないし、サイズが小さいし、どう見ても人形だった。
キラキラの正体は、人形の頭部にはめ込まれた大空色のキラキラアイ。
魔理沙に蹴飛ばされ、大蛙にふっ飛ばされた、上海ヘッドである。
ルーミアにとって人形は、ご飯の偽物のようなものだ。
絵に描いた餅のようなものだ。
とはいえ、嫌いという訳ではない。
かといって好きでもない。
だが弾幕を愛する少女は当然、美しいものが好きである。
上海ヘッドはご飯の偽物すぎて好きではないが、キラキラアイは綺麗だった。
自然な仕草でキラキラアイをえぐり出そうとするルーミア。
だが人間と違い、指が入り込む隙間を作れない。
上海ヘッドを力いっぱい掴んで左右に引っ張ってみても、全然割れそうにない。
これではキラキラアイを取り出せないが、上海ヘッドは邪魔だ。
どうしよう?
持ち帰ろう!
ルーミアの思考はシンプルだった。
巣に持ち帰って、石の上に載せて、石を叩きつけて、上海ヘッドをぶち割るのだ。
そうすればキラキラアイを取り出せて、巣に飾っておけるはず。
「くふふ、くふふはは」
自然、笑いが込み上がり、ルーミア、軽やかに飛び上がった。
妖怪だもの、空くらい飛べる。
翼が無くたって飛べる。
鬱蒼と茂る木々の枝をくぐり抜け、日光をさえぎる闇をまとって妖怪は飛ぶ。
さあ帰ろう。
神社の裏山あたりにある巣へ帰ろう!
「上海ー! どこだ、どこ行ったー!?」
森の中から聞き覚えのある声がしたけれど、呼びかけに心当たりがないので気にしない。
自分はシャンハイではなくルーミアなのだから。
早く闇を解いて、木漏れ日の中にキラキラアイをかざしてみたい。
闇の妖怪とはいえ、直射日光でなければ平気なのだ。
幻想郷の青空を、暗黒球体が飛んでいく。
まるで風に流されるシャボン玉のようにふわふわと。
のどかのどかの平和な風景。
よきかな幻想郷、よきかな空中散歩。
日光はお断りだけれど。
「夢想封印ーッ!!」
「ぎゃー!!」
巫女もお断りだけれど。
闇を作って飛んでいたため前方不注意、うっかり巫女のテリトリーに入ってしまったようで。
闇の内側まで入ってきた神霊なる色彩をしこたま浴びて、煙を上げながら墜落するルーミア。
「やーらーれーたー……」
弾幕のショックで上海ヘッドもふっ飛んでしまい、闇から飛び出しくるくるヒューン。
哀れ、夢想封印を放った巫女にも絶妙な角度の関係のせいで気づかれず、サラサラヘアーをなびかせて落下する。
下は山林。
緑の茂る木々に落ち、枝のしなりによって跳ね飛ばされる。
落下先には岩!
ゴツンと頭をぶつけては、痛みを感じない人形だって痛そうにするってもんだ。
髪の毛がクッションになってくれなければ、傷跡がついていたかもしれない。
いいや、きっと大丈夫。人形にはアリスの愛がいっぱいつまっているのだから!
さて、岩にぶかった上海ヘッド、当然ながら岩の上を転がり落ちる。
山の斜面を転がって、おっと、転がる先に小さなお花さんが。
大変! このままじゃお花さんをつぶしちゃう!
と思いきや、小石にぶつかってほんのわずかに機動がそれる。
間一髪! ギリギリお花さんを踏まずに転がれたぞ。心なしか上海ヘッドも嬉しそう。
そのままコロコロ転がって、おっと、今度は木の根っ子。
ゴツンとぶつかり、またもや機動変更。はてさて、いつになったら止まれるの?
けれど色々ぶつかったおかげで速度が落ちてきた。もう少し、もう少し。
そろそろ止まれそうかな? というところで、前方に岩場が待ち構えていた。
大きな岩も待ち構えていた。
またゴツンとしてしまうけれど、これでようやく止まれそう。
岩場の影に転がって、ストン。
上海ヘッドは影に沈んだ。
いやいや、よくよく眼を凝らせば、岩場の影にぽっかり穴が。
人形の頭くらいならすっぽり入っちゃう程度の穴があったとさ。
真っ暗闇の中は急斜面。
上海ヘッドは転がり続ける。
時々垂直。
上海ヘッドは落っこちる。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
チャプン、と。
優しく抱きとめてくれたのは冷たい水でした。
細い穴を転がり続け、広い空間に出て垂直落下。
下は固い地盤ではなく、地底を流れる川だった。
よかった、と思うのは早計だ。
桃太郎さんの桃のように、上海ヘッドは流れていく。
行き着く先によっては大変だ。
川へ洗濯に来たお婆さんが拾ってくれたらいいのだけれど。
「妬ましい。川のせせらぎが美しくて妬ましい」
川へ嫉妬に来た妖怪さんが現れた!
金の髪に翠の瞳。
そうです、彼女が水橋パルスィです。
地上と地底を繋ぐ橋の番人、すなわち橋姫です。
「むっ……上流から何かが。またキスメが流れてきたのかしら」
橋の番人だけあって、橋の上からでも川を流れてくる小さな物体に気づいてくれた。
「……なまくび?」
と、一瞬だけ勘違い。
手すりを飛び越えて水面スレスレに浮かび、流れてきた上海ヘッドを拾い上げる。
「人形、しかもどこかで見たような……」
そう、パルスィは上海人形を見た事がある。
あれは地上の人間が二人やって来た時の事だ。
魔法使い霧雨魔理沙のお供を、この上海人形が担っていた。
やったね上海ヘッド!
これでお家に帰れるよ!
「……まあ、人形なんて同じようなデザインよね」
残念。まだ帰れそうになかった。
せめて上海ボディと一緒だったら、思い出してもらえたかもしれないのに。
パルスィは上海ヘッドを持ったまま、ふよふよ浮かんで橋の上に戻る。
「まったく。川にゴミを捨てるだなんて、妬ましくない屑がいたものね」
ゴミと呼ばれて、上海ヘッドは心なしか悲しそうだった。
確かに色々あって汚れちゃって、今はびしょ濡れだけれども。
アリス・マーガトロイドが愛情をたっぷりそそいで作ってくれたのに、ゴミだなんて。
「……人形の分際で、なかなか可愛いくって妬ましいじゃない」
と、パルスィはやわらかく微笑んだ。
その笑顔が妬ましいくらい可愛いって、パルスィは気づいていないのかな?
ポケットからハンカチーフを取り出して、ずぶ濡れ上海ヘッドを拭く。
丁寧で優しい手つきだって、妬ましいくらい可愛いのに。
上海ヘッドから土の汚れが綺麗さっぱり取れて、何だか表情が誇らしげ。
大空色のキラキラアイが、翡翠色のパルパルアイと見つめ合う。
うん、どっちも可愛い。
けれど上海ヘッド自慢の、お日様色のサラサラヘアーまでは綺麗さっぱりとはいかなかった。
どう洗えばいいのかなんてパルスィには分からない。
シャンプーをつけてゴシゴシ洗えばいいのか、洗剤をつけてゴシゴシ洗えばいいのか。
まったくもって分からない。
とりあえず乾かすべきかと、橋の端に置いておく。
橋のスペシャリストだから、誤って川に蹴落とすなんてしないのだ。
霧雨魔理沙じゃ、あるまいし。
その頃、霧雨魔理沙さんは?
「うおーッ!! 貴様、そのほっぺについてる金色の髪はなんだ!? まさか……!」
魔法の森在住の蛇は、きょとんと魔理沙を見つめ返す。
その胴体、何だか丸くふくらんでいる。
まるで人形の頭を丸呑みにしたかのように。
この時、魔理沙は死を覚悟する。
蛇と戦って自分も餌になるという意味ではない。
胃液で溶けた上海人形の惨い有り様を見たアリスが、ついに全力を解禁するシーンを想像して。
蛇はシャーッと鳴いて、先の割れた舌を出した。
ほっぺについてる金色の髪は、上海ヘッドを探していた魔理沙の抜け毛である。
草についてたのが偶然、通りかかった蛇のほっぺについただけである。
だがしかし、それを説明できるほど蛇は賢くない。
妖怪とか妖獣とかじゃなく、本当にただの蛇だもの。
「ええい、私がアリスに殺されるとしても、お前は上海の仇だ!」
近くにあった枝を拾って振りかぶる魔理沙。
絶賛空回り中である。
「地上の人間が何用かしら?」
「洞窟探検」
橋の上にて、パルスィの問いにあっけらかんと答えたのは地上の人間だ。
真っ白な髪を長々と伸ばし、白ブラウスと紅の指貫袴に紅白リボン、全身紅白、藤原妹紅。
蓬莱人形とも呼ばれる少女。
上海人形の相方にも等しい蓬莱人形とは無関係である。
「探検という事は、この先に進むつもりかしら」
「勿の論。迷子になった時、下手に戻るより突っ切る方が好転するケースもあるのよ」
「お帰りはそちら。帰りたいなら戻りなさい」
「ご親切にどうも。試しに奥へ進んでみたい天邪鬼がこちらです」
不敵に微笑み、藤原妹紅は前進する。
橋の半ばまで来たところで、パルスィは緑に輝く光弾の乱舞によって攻撃を試みる。
橋の半ばまで来たところで、妹紅は紅蓮に燃える尾羽の乱舞によって迎撃を試みる。
光が爆ぜる、上海ヘッドの視線の先で。
熱風が髪の毛を乾かしてくれるけれど、下手したら川に落ちかねない。
少女のたしなみ弾幕ごっこは綺麗だけれど、プレイヤーでもないのに目の前で致されるのは正直怖い。
でんじゃらす!
大空色のキラキラアイが翠にキラキラ染まったり、紅にキラキラ染まったり大忙し。
幾度か撃ち合って、藤原妹紅は手すりの上に降り立った。
さながら、五条大橋で武蔵坊弁慶と戦った牛若丸のように。
その姿が眩しくて、橋姫のパルスィは瞳を嫉妬でギラギラさせる。
ギラギラさせて見抜く。
「あら、人間の癖に随分と根深い嫉妬心を持ってるじゃない」
「なに?」
「大雑把に換算して、千年物の嫉妬心――といったところかしら」
橋姫の指摘に心当たりがあったのか、蓬莱人形と呼ばれる人間の瞳がギラリと光る。
上海ヘッド、絶賛放置プレイ。
「誰が、誰に、嫉妬しているって?」
「見える。見えるわ。貴女の愛する人の、愛を得た女がいる。愛を袖にした女がいる」
「寝言は寝てからどうぞ」
「その男から愛されたかったと思っている。そしてその女を愛したいとも思っている」
「永眠させてやろうかしら」
「けれどその女にはすでに永遠の伴侶がいて、貴女の伴侶は永遠ではない」
「誰が同性愛者だ」
「だから嫉妬している。妬ましくも愛しいお姫様に」
「よし決めた。お前は焼き殺す」
妹紅の背中に炎の翼が広がって、火の粉が橋の上に舞い散る。
まさしく火の鳥、不死鳥であった。
窮地に立たされるパルスィではあったが、いけ好かない奴が心の底に隠した嫉妬心を暴いたのでご満悦。
それが妖怪としてのサガである。
川を渡る蛙の背中を刺す蠍のように、例え己の死が待っていてもやめられるものではない。
それに。
妹紅の炎が、嫉妬の炎のようにも見えて、よりいっそう楽しいのだ。
上海ヘッド、絶賛放置プレイ。
熱気ですっかり乾いたけれど、今度はこげてしまいそう。
「受けろ鳳凰の羽ばたき! 火の鳥、鳳翼天翔ォーッ!!」
「地の底で鳥が勝てると思わない事ね! 嫉妬、緑色の目をした見えない怪物ッ!!」
「クッ……時効、月のいはかさの呪い!」
「チッ……怨み念法、積怨返し!」
「凱風快晴、フジヤマヴォルケイノ!」
「なんの、ジェラシーボンバー!」
「燃え尽きろ! フェニックスの尾!」
「燃え尽きても余裕! 花咲爺、シロの灰!」
「くっ、舐めた真似を! ならば正直爺さんの天敵スペル、正直者の死ィ!!」
「正直者は救われる! 大きな葛籠と小さな葛籠!」
「不死鳥は滅びぬ! インぺリシャブルシューティング!!」
「何人も滅ぶべし! 丑の刻参り七日目!!」
川を流され、ハンカチーフで拭いてもらったおかげでちょっと綺麗になったのに。
ほら、上海ヘッドはもう真っ黒け。
こげた、という訳ではない。
ススまみれになっちゃったのだ。
こげたのは木製の橋。
というか。
とうとう燃え出した、メラメラと。
瞳に炎を映して、パルスィと妹紅は青ざめる。
「橋が、私の橋がーッ!」
水橋パルスィ絶叫。
火事と喧嘩は旧都の華、されど自分の預かる場所が燃えたとなれば誰だってうろたえる。
火事慣れしている妹紅は大慌てで川に飛び込み、弾幕を放つ要領で水柱を立て鎮火に当たる。
このまま燃え尽きては妹紅の責任になってしまうからだ。
パルスィは焼き殺すつもりだけれど、さすがに流通の要である橋を焼き落とすのは気が引ける。
地底と地上は流通なんかしてないけれど。
「うーむ、火加減を誤った」
その口調、まったく慌てた様子はない。
竹林が火事になった時は大慌てだったけれど、今回は他人事なのさ。
対岸の火事って奴だもの。
とはいえ消火活動をやってるんだから、悪い奴じゃないはずさ。……多分。
確実に酷い奴だけど。
とはいえ、もっとも暴いてはいけない深層心理を暴いて語ったパルスィも悪い。
そりゃプッツンしちゃうよ。
相手がさとり妖怪なら心の準備もできるかもしれないが。
いや準備しても駄目だろうけど。
それはそうとして、霧雨魔理沙は今どうなっているのだろう?
蛇の腹の中にあるだろう上海ヘッドを傷つけまいと、わざわざ枝で戦っていた魔理沙。
でもそんな苦労をあざ笑うかのように、大蛙参上。
蛇に睨まれた蛙と言うけれど、妖怪になりかけの大蛙である。
大蛙に睨まれた蛇、になってしまった。
蛇との格闘で消耗した魔理沙が止める暇もなく、ぺろり、蛇は一口で食べられてしまった。
ご満悦の大蛙。今日のご飯は蛇の丸呑み。
しかも、さらに!
獣が仙人を食べると妖獣へ変化できるように、大蛙は完全なる妖怪変化を果たした!
蛇はただの蛇だったので、仙人ほど力のないものを食べても変化はなかった。
だが大蛙はもう一押しで妖怪変化可能だったので、一押しには十分な効力があったのだ。
めたもるふぉーぜ!
大蛙の身体が光に包まれムクムクふくらむ。
光は人型となる。
胸もムクムクふくらむ。
腰はキュッとしまる。
お尻もピチッ。
ツルツルヘッドからはサラサラヘアーが一瞬で伸びた。
幻想郷で妖怪変化を果たしたら、そりゃ人間の姿になるだろうぜ。
知的好奇心の旺盛な霧雨魔理沙は、初妖怪変化の現場に居合わせたと正しく理解した。
普段なら物凄いラッキーだって思うはず。
だけれども。
蛇はただの蛇だった。
ならば大蛙が妖怪変化したきっかけはやはり、と察してしまう。
やはり、あの蛇の腹にあったのはアリスの魔力たっぷりな上海ヘッドだったのだと。
「上海ィィィー!!」
冷や汗まみれになって絶叫する魔理沙。
握りしめた枝をへし折り、手のひらに血が滲む。
そして、ついに!
大蛙は妖怪変化を完了し、その姿を魔理沙の前にさらす。
バスト100オーバー確実の、分厚い筋肉の胸板!
鍛え抜かれた鋼の腹筋を披露する、見事にくびれた腰の曲線!
オンバシラさえ挟んで割れるのではないかというほど躍動感にあふれたお尻!
お日様色のサラサラヘアーは偶然にも魔理沙とまったく同じ髪型だ!
大蛙!
めたもるふぉーぜ!
「我輩は大蛙、名前はまだない」
野太く響くセクシーボイス。キラリと輝く真っ白な歯とピンクの歯茎の美しい。
「しかし魔法の森で悪名高き霧雨魔理沙に初妖怪変化を見られたのも何かの御縁」
まつ毛たっぷりの瞳で力強く魔法使いを見つめ、深々と礼をする紳士。
「今日より我輩、霧雨魔理男(きりさめ まりお)と名乗らしていただく候」
ぴちゅーん。
霧雨魔理沙は血を吐いて倒れ候。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
霧雨魔理沙が生死の境をさまよっている間に、地底の火事は消されていた。
ぜいぜいと息を切らすパルスィと妹紅。
手すりは一部崩れ、橋の中央が真っ黒にこげている。
上海ヘッドも真っ黒だけど、ススなので大丈夫。
幸い、放水角度の関係で転がる方向が橋の地上側だったので、川に落ちずにすんだけれど。
そしてパルスィと妹紅は、共に苦難を乗り越える事で友情が育まれ――ているはずもなく。
鎮火早々取っ組み合っていた。
「この焼き鳥女、よくも橋を焼いてくれたわね!」
「知るか馬鹿ぁ! 誰のおかげで鎮火できたと思ってんの!」
「誰のせいで火事ったと思ってるの! 弁償しろぉ! 内臓売ってでも弁償しろぉー!」
「内臓売ったら不老不死増えるだろ馬鹿ぁー! 焼き殺すぞッ!」
「バラす! もうバラす、お前の愛しいお姫様に嫉妬も愛情も暴露してやる!」
「ばばババBABA婆々……バラして殺す! バラバラに引き裂いて川に沈めて殺す!」
ぎゃあぎゃあと喚きながら上海ヘッドそっちのけ。
とはいえ、弾幕ごっこを控えて取っ組み合いしているあたり学習はしている。
また火事になったら、今度こそ橋は落ちるだろう。
女の子らしく押し合いへし合い。
でもそうなると、ベースが人間の妹紅が不利だった。
妖怪の腕力によって押され、地上側へと追いやられてしまう。
相撲で土俵から押し出されたら負けのに、橋から押し出されたら負けというムードが発生していた。
示し合わせた訳じゃないのに。
そこらへんの空気の読み方は、やはり弾幕ごっこで鍛えられているのだろう。
だがしかし、橋から出なければ押し負けても問題なく、押し合いを続ける理由もないと言える。
渾身の力で押し返して、押し負けた瞬間、上半身ごと思いっきり後ろに引く妹紅。
ガクンとバランスを崩したパルスィをともえ投げ。見事橋から投げ出した。
勝利ッ!!
という訳にはいかない。
なぜならパルスィは橋の外へ投げ飛ばされたものの、地面に落ちず、浮いているのだから。
別に相撲じゃないけれど、土俵の外に手足を浮かせても負けにはならない。
身体が浮いてりゃ負けじゃない。
という理屈が今回通用するかしないかは不明だが、水橋パルスィまだまだやる気。
これ以上肉弾戦を続けるのは不利と理解している妹紅は挽回の手段を探す。
ここで炎を放つのは空気が読めない。橋の上じゃなくてもだ。
ならば他に何かないか?
竹槍を投げつけるとか、石を投げつけるとか、何か――。
橋と地上側の地面の間に転がっている黒い塊。
これだ。妹紅は素早く駆け出し、その黒っぽいものを拾った。
こげた木材かと思いきや、何やら毛のようなものが生えており、掴みやすく投げやすい。
毛らしきものを掴んで振り回して、遠心力をたっぷり乗せてぶん投げる。
妹紅は気づいていないがもちろん、上海ヘッドである。
すなわち。
上海ヘッドバット!
カコーンと脳天に響く震動は、まるで釣瓶落としのクリーンヒットのようだとパルスィは思った。
しかし、はて、妹紅が投げたこの黒い塊は何なのか。
木材でも石でもない。
確か、川から流れてきた何かを――。
そこでパルスィの思考は途切れ、地面へと崩れ落ちた。
上海ヘッドも地面に転がる。
「……勝った」
万感の思いを込めて、いや、込めずに妹紅は勝利宣言。
終わってみれば呆気ないもの。
さて、これからどうするか。
ただでさえ橋をこがしちゃってるのだから、本当に橋姫を殺したら色々面倒になりそうだ。
元々ここへは竹林の深部を探索中に、見知らぬ洞窟を発見したので入ってみたまでの事。
地底に続いていると分かった以上、先に進む理由もない。
「よし、逃げるか」
即決して歩き出す。
パルスィを倒した意味がますますもってなくなってしまう。
そんな日もあるさ。気にしない気にしない。
地上へ戻る道へ向かって歩き出して、ふと立ち止まる。
足元にはパルスィをやっつけた黒い塊。
投げた時に分かったが、かなりの魔力を内包している。
弾幕ごっこで投擲して使っても通用するレベルだ。
となれば。
使ってしまおうか、お姫様に。
「元はと言えば、あいつのせいでこうなったも同然!」
言いがかりなのは承知の上、けれどいざ口に出してみればそんな気分になってくる。
しかし、あの嫌味なお姫様にぶん投げるとしても、得体の知れない武器は自分の首を絞めかねない。
これが何であるかは確認しておくべきだが、地底では暗くて調べにくいし、炎は使う気になれない。
という事で、妹紅はよく分からない黒い物体を持ち帰る事にした。
今日の上海ヘッドは多分、手相占いでも星占いでも運勢最悪。
最悪といえば、霧雨魔理沙はどうなっただろう?
無事だといいのだけれど――。
「――と、いう訳だ」
「成る程。我輩の腹の中に上海人魚なる妖精の生首が入って候」
「あー……うん、もうそれでいいや」
上海人魚って、どんな可愛さだよ。
お日様色のサラサラヘアーといい、大空色のキラキラアイといい、人魚姫が抜群に似合う。
下半身を魚に取り替えるだけで上海人魚完成だ。
けれど悲恋なんて許しません。
王子様とちゅーしてハリウッド的ハッピーエンドにしないとアリスが暴動を起こしてしまう。
海の泡ENDなんて許されざるよ。
上海ヘッド……現在、大蛙のアレENDに向かって進行中。
一気に魔理沙の肝が冷えた。
実際は妹紅にススまみれにされてゴミのように運ばれている。
どっちにしろ魔理沙は殺されそう。
筋肉達磨である自称魔理男なんかと戦いたくない、というか触れたくない。
よって魔理沙の取った手段は和平であった。
らぶ・あんど・ぴーす。
事情を(都合の悪いところを除いて)話したおかげで、それならばと大蛙の妖怪変化はうなずいてくれた。
「心得た。名付け親の頼みとあらばこの魔理男、身命を尽くす所存で候」
名付けた覚えはない。
大蛙が勝手に名乗っているだけなのだけれど、今は上海ヘッドのため後回し。
「ああ、頼む」
とは言ったものの、腹の中の上海ヘッドをどう取り出せばいいのか?
まさか出てくるのを待つ訳にもいくまい。
そんなの回収したくない。
リバースも却下。
万策尽きたとあきらめるには、アリスが怖すぎる。
「とりあえず神社に行って、霊夢の手を借りるか……運がよければ紫もいる。スキマで取り出せるかも」
「お供つかまつります」
野太いセクシーボイスは、確実に魔理沙のやる気をそぎ落とす。
竹林に出た妹紅は、うんと背伸びをした。
外の空気はおいしい。
「さて、と。あっちが雀のお宿だから、こっちに鳳凰の沢があるな」
迷いの竹林で迷いもせず歩き出す。
この小汚い黒い物体はとりあえず水洗いしてみよう。
そういう訳で沢に到着した妹紅は、さっそく川に上海ヘッドを放り込み、手のひらで雑に洗う。
得体の知れないものだけど、不死身なせいで警戒心が希薄なのさ。
突然爆発したってへっちゃらだもの。
ススが落ちて、くすんだお日様色のサラサラヘアーがあらわになってくる。
くすんだ白雪色のスベスベスキンに、くすんだ桜色のプリプリリップ。
くすんだ大空色のキラキラアイも。
「ふむ、人形の頭……か」
さすがに弾幕として使うのは気が引ける物体だ。
それにしてもこの人形、いつか、どこかで、見た気がする。
そしてある結論に思い至る。
「分かったぞ、この人形……」
両手でしっかりと上海ヘッドを持ち上げ、くすんだ大空色のキラキラアイを見つめて妹紅は言った。
「昔からよくあるデザインなんだな」
普段竹林に隠れ住んでいる妹紅は、人里の流行には疎いのだ。
最近は交流するようになったけれど、少女らしい流行はもっぱら弾幕ごっこである。
なのに見覚えがあるという事は、そういう事なのだろう。
日本人形と言えば? で、すぐにビジュアルが思い浮かぶように。
西洋人形と言えば? で、すぐに思い浮かぶビジュアルがこれだ。
「しかし、どうしようか、これ」
人形の頭なんて使い道がない。
部屋に飾っておくにしても不気味すぎる。
胴体を作ってやるのも面倒だし、そんな技術もない。
と、なれば。
「人形とはいえせめてもの情け。供養してやるか……」
埋葬決定。
橋姫には嫉妬心を指摘されたとはいえ酷い事をしてしまったし、ここで善行を積むのもいいだろう。
実は藤原妹紅、永夜異変の少し後の肝試しやら、その後の宴会やらで、アリスと顔を合わせている。
上海人形とも顔を合わせている。
が、さすがに上海ヘッドだけでは判別できなかった。
せめて上海ボディと一緒だったら、思い出してもらえたかもしれないのに。
パルスィと同じパターンだね。
「さて、どこに埋めてやろうか」
上海ヘッドに死のカウントダウンが迫る。
「せめて人気のある……竹林のすぐ外側でいいかな」
お墓の予約も完了だ。
くすんだ上海ヘッドの命運やいかに?
「あら妹紅、今日も今日とて貧相な出で立ちね」
「むうっ、この嫌味100%の声は……」
と、そこに。
特に意外でもない人物が現れた。
磨かれたオブシダンヘアーに、磨かれたオニキスアイ。
そして白雪色のスベスベスキンと桜色のプリプリリップは上海ヘッドとお揃いさ。
だから可愛い。
とっても可愛い。
だが妹紅の殺気は一気に大噴火。
「輝夜ァ! ここで会ったが12時間34分56秒目ッ、地面に首まで埋めて鋸で引いてやるわ!!」
「妹紅ォ! ここで会ったが12時間34分56秒目ッ、地面に頭まで埋めて花を植えてやるわ!!」
ツーと言えばカー。
阿吽の呼吸って奴だ。
べすとふれんど!
なので、一瞬で上海ヘッドの存在を忘却した妹紅は、輝夜との弾幕ごっこにすっかり夢中。
上海ヘッドを持ったまま。
「フェニックスの尾!」
「サラマンダーシールド!」
「受けろ炎の拳! 鳳翼天翔!」
「聞け龍の咆哮! ブリリアントドラゴンバレッタ!」
「ぶち抜け! フジヤマヴォルケイノ!!」
「かっ飛ばす! 金閣寺の一枚天井!!」
フジヤマヴォルケイノは金閣寺の一枚天井のフルスイングによってかっ飛ばされた。
カッキーンと、火炎弾にしては妙な音を立てて。
だが数ある弾幕の応酬、わざわざひとつの弾の行く末など気にしない。
それがたまに火事を起こしたりするのを、そろそろ学習してもらいたいと竹林の生き物は思う。
こうして、フジヤマヴォルケイノは幻想郷の空へとかっ飛んでいった。
火炎の中に上海ヘッドを抱いたまま。
さらば竹林!
はてさて、次はどこへ行くのかな?
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
彼女の名前はリグル・ナイトバグ。
蛍の妖怪の少女。
今日も今日とて幻想郷の空をのん気に飛んでいた。
と、そこに。
「ん?」
竹林の方角から、ものすごい勢いで火球が迫ってきた。
ふいうち!?
だんまく!?
「うわぁー!!」
訳も分からぬまま、リグルはみずからの防衛本能に命運を委ねた。
一寸の虫にも五分の魂。
防衛本能に委ねた結果、取った行動は!?
「リグルキィーック!!」
燃える上海ヘッド、ふっ飛ばされたー!!
ほーむらん!!
角度を変えられ、勢いを加速され、上海ヘッドは飛んでいく。
「はぁっ、はぁっ、今、炎の中に……人の生首があったような」
突然で一瞬の出来事だったので、サイズが小さかった事には気づかない。
当然、上海ヘッドだったなどと分かるはずもない。
なので、リグル・ナイトバグは心当たりを考える。
「ま、まさかあれは幻想戦国時代に宣戦布告の証として使われた『生首火炎爆弾』では!?」
とんでもない勘違いに行き着く。
「しかし、あまりの残虐さのためとっくに廃れ、生首火炎爆弾が最後に使われたのは80年前の……」
勘違いは続くよどこまでも。
「あ、ああっ! そうだ、80年前に生首火炎爆弾を使ったのは……『ゴッキーエンパイア』だぁー!!」
妙な国の名前も出てきたよ。
「かつて地底に退けられた奴等が、80年の時を越えて『ゴッキーウォーズ』を再び!?」
最悪の予感を胸に、リグルはこの事態を知らせるため大急ぎで仲間の元に向かった。
早く反ゴッキーエンパイアの宣言をせねば、ゴッキーと同一視され蛍狩りされかねない。
思えば、あの蛍狩りも同士討ちさせるためにゴッキーエンパイアが仕組んだ策略だったのだ。
ゴッキーウォーズの悲劇を繰り返してはならない。
その頃のゴッキーエンパイア。
旧都から離れた地底の一角にて、彼等は細々と平和に暮らしていた。
ゴッキー妖怪であり皇帝直属親衛隊であるギュスターヴとフィリップが、今日も笑顔で語り合っている。
「HEY! 聞いたかい? パルパルちゃんの橋が燃えちまったんだってよ!」
「なんだってギュスターヴ! パルパルちゃんは大丈夫なのかい、火傷なんてしてないよな?」
「心配性だなフィリップ! 安心しろ、火傷によく効くゴッキー油を用意したぜ!」
「HAHAHA! 和名油虫は伊達じゃないな、さっそくお見舞いへGO!」
地上の人妖からも忌み嫌われる一族は、今日もご機嫌だった。
パルパルちゃんがその後どうなったかは定かではない。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
彼女の名前は鍵山雛。
人々のため嫌われどころを誇り高く果たす厄神様。
厄を追って山を下り、厄を見つけて吸い取って。
よきかな、今日の仕事はいい仕事。
もうちょっと見回ったら妖怪の山に帰ろう。
と、そこに。
「ん?」
いずこかから、ものすごい勢いで火球が迫ってきた。
ふいうち!?
だんまく!?
「きゃあっ!!」
訳も分からぬまま、雛はみずからの防衛本能に命運を委ねた。
防衛本能に委ねた結果、取った行動は!?
「トルネードスピンカウンターアタック!!」
燃える上海ヘッド、ふっ飛ばされたー!!
ほーむらん!!
角度を変えられ、勢いを加速され、上海ヘッドは飛んでいく。
「はぁっ、はぁっ、今、炎の中に……人の生首があったような」
突然で一瞬の出来事だったので、サイズが小さかった事には気づかない。
当然、上海ヘッドだったなどと分かるはずもない。
「まさかあれは悪の帝国が好んで使った生首火炎爆弾!?」
なので当然のように勘違いをする。
「かつて地上の覇権を争ってすべての種族と争ったゴッキーエンパイアが、現代に蘇ったというの!?」
しかもリグルと同じ勘違いを。
「第二次ゴッキーウォーズが起きようというの……? た、大変! 急いで山の神々に知らせなくちゃ!」
大急ぎで妖怪の山に飛んで戻る鍵山雛。
哀れ上海ヘッド、今度はどこへ飛んでいく。
その頃のゴッキーエンパイア。
旧都よりも深き地底の片隅にて、彼等は細々と平和に暮らしていた。
ゴッキー妖怪であり宮廷料理長と副料理長であるヴィットーリオとジュリオが、今日も笑顔で語り合っている。
「やあジュリオ! その荷物はなんだい?」
「やあヴィットーリオ! 地霊殿からペットの残飯詰め合わせセットが届いたよ!」
「なんだって!? 今日は最高にハッピーなご馳走だな! お燐ちゃんの食べ残しはもらったぞ!」
「地霊殿の残飯は最高にデリシャスだからな! お空ちゃんの食べ残しはいただくよ!」
地上の人妖からも忌み嫌われる一族は、今日もご機嫌だった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
彼女の名前は射命丸文。
幻想郷最速を誇るブン屋。
今日も今日とて特ダネ探して幻想郷の空を飛ぶ。
と、そこに。
「ん?」
いずこかから、ものすごい勢いで火球が迫ってきた。
ふいうち!?
だんまく!?
「わっ!?」
訳も分からぬまま、文はみずからの防衛本能に命運を委ねた。
防衛本能に委ねた結果、取った行動は!?
「一本下駄シュート!!」
燃える上海ヘッド、ふっ飛ばされたー!!
ほーむらん!!
「むううっ……今のは間違いなく生首火炎爆弾……宣戦布告の合図」
当然勘違い。
「まさか地上の食料を狙ってゴッキーエンパイアが動き出したのですか!?」
同じ勘違い。
「ゴッキーウォーズ再び! 特ダネどころじゃありませんよ、急いで天魔様にお知らせせねば!」
大急ぎで妖怪の山へ飛んで行く文。
上海ヘッド、今度はどこへ。
その頃のゴッキーエンパイア。
旧都よりも暗き地底の世界にて、彼等は細々と平和に暮らしていた。
ゴッキー妖怪であり帝国貴族であるハインリヒとラファエルが、今日も笑顔で語り合っている。
「ラファエル卿。今宵の音楽会では何を披露するんだい?」
「私はドラゴンボールZの『CHA-LA HEAD-CHA-LA』を歌うよ。そう言うハインリヒ卿は?」
「私は『マジンガーZ』を歌うよ」
「おっと、それは皇帝陛下が歌うおつもりらしい。しかも『ゲッターロボ』と二本立てだ」
「なんと。では『キャンディ・キャンディ』を歌おう。マイクを持つ手はもちろん、小指を立てて」
「素晴らしい。今宵の音楽会が楽しみだ」
地上の人妖からも忌み嫌われる一族は、今日もご機嫌だった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
彼女の名前は上白沢慧音。
人里で寺子屋の教師をしている半獣半人。
人里近くを飛んでいた。
と、そこに。
「ん?」
いずこかから、ものすごい勢いで火球が迫ってきた。
ふいうち!?
だんまく!?
「うわっ!?」
訳も分からぬまま、慧音はみずからの防衛本能に命運を委ねた。
防衛本能に委ねた結果、取った行動は!?
「お仕置きヘッドバット!!」
燃える上海ヘッド、ふっ飛ばされたー!!
ほーむらん!!
「アチチっ。今のはいったい? 生首が燃えていたような……まさか宣戦布告を示す生首火炎爆弾!?」
勘違い。
「ば、馬鹿な! 封印されし闇の歴史の象徴、ゴッキーエンパイアの仕業か!?」
勘違い。
「ゴッキーウォーズを警戒するため人里の長に知らせねばなるまい! 当然博麗の巫女にも!」
大急ぎで人里に戻る慧音。
上海ヘッド、今度はどこへ。
その頃のゴッキーエンパイア。
ゴッキー妖怪であり帝国皇族であるエルリックとイイルクーンが語り合っている。
「また謀反を起したなイイルクーン! 今年に入ってもう四度目だ! 国を乱して何とする!?」
「病弱な貴様が帝位を継いでは、栄光のゴッキーエンパイアが滅びてしまう! 分からぬかエルリック!」
「だからと言って私の部屋にネバネバを仕掛けるとは! おお、あまりの悲しみにすすり泣くぞ! ぐすん」
「す、すまぬ……泣かす気は無かったのだ。顔を上げておくれ。ゴッキークッキー上げるから」
地上の人妖からも忌み嫌われる一族だった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
ゴツン、と。
唐突に響いて、目から星が飛び散るような錯覚を覚える。
思わず頭を押さえてうずくまると、すぐ手前で何かがメラメラと燃えていた。
何だろう?
弾幕の一種ではないかと一瞬思ったが、それはない。
うとうとと居眠りしてはいたが、弾幕ならば確実に気づける自信があった。
なぜなら彼女は気の達人。
殺気を読むのはお手のもの。
故に、お遊びといえど攻撃的意思を必要とする弾幕は察知できる。
外敵も察知できる。
できないのは悪意も殺気も無い攻撃。
例えばメイド長のお仕置きナイフ。
あれはもう、完全にじゃれ合いでしかない。メイド長が怒っているのもフリにすぎない。
だがナイフではない。あの人はナイフを燃やさない。
じぃと見る。
人の頭が、燃えていた。
ぎょっとする。
「こ、これはまさか悪魔の間で好まれて使われる宣戦布告の合図……生首火炎爆弾!?」
となれば、紅魔館に宣戦布告した者の仕業。
となれば、害意や悪意が込められていて然り。
となれば、殺気が込められていて然り。
となれば、避けられなかったのはともかく、気づけなかったのはおかしい。
となれば、これは生首火炎爆弾ではない?
よくよく見れば、生首にしてはサイズが小さい。
よくよく見れば、人形の頭だった。
軽く気を放って火を払ってみると、なんとも可愛らしい西洋人形の頭。
しかし、はて、どこかで見た気がする。
それはそうだろう。
これは上海ヘッドであり、ここは紅魔館の門。
彼女の名前は紅美鈴。
紅魔館の最前線、美しき赤毛の中華門番なのだから。
なのでもちろん、アリス・マーガトロイドとも面識がある。
なのでもちろん、上海人形を見た事もある。
だけれども。
「どこかで見たような……いや、西洋人形なんてどれも似たようなものかなー」
せめて上海ボディと一緒だったら、思い出せたかもしれないのに。
「しかし、何で燃えて……私の頭に?」
不思議に思い、上海ヘッドを拾って周囲を見渡す。
人気は無い。
殺気も無い。
多分事故か何かなのだろうけれど、実に不可解だ。
「……ま、いっか」
本能が危険を感じない。
妖怪とは、理屈より本能に準じる性癖が強いのだ。
上海ヘッドのお日様チリチリヘアーを手ぐしで整えてやり、ひょいと頭上に投げる。
帽子でキャッチ。
頭に鎮座した上海ヘッドを落とさないよう背筋を伸ばし、美鈴は門の前で仁王立ち。
特に意味はない悪ふざけ。
帽子の上で転がしたり、帽子に載せたまま本を読んだりと、暇潰しとして活用する。
もしかしたら上海ヘッドの持ち主が来るかもしれないので、美鈴はしばらく起きている事にしたのだ。
でも、持ち主は来なかった。
せいぜい、やけに慌てた様子の射命丸文が新聞を紅魔館にぶん投げてったくらいだ。
でもそれから数分も経つと、紅魔館の主であるレミリア・スカーレットが門の内側からやって来た。
一人で日傘をさして。
「これはお嬢様、お一人でお出かけですか?」
「ああ、美鈴。何か変わった事は?」
「こんなの拾いました」
と、美鈴は腰を落として帽子に載せた上海ヘッドを見せる。
するとどうだろう、レミリアはまじまじと上海ヘッドのキラキラアイを見つめる。
お気に召したのか、持ち主に心当たりがあるのか。
訊ねてみようと思った瞬間、急に、レミリアは大笑いした。
「ははは! はは! はははははは!!」
「え、あの、どうなされました?」
「はははは! いや、美鈴、お前、面白いものを拾ったね。思わず運命を手繰ってしまった」
「は、はぁ……」
運命を手繰るなんてできない美鈴にはチンプンカンプンだ。
言葉から察するに、この人形が自分に拾われるまでの間、さぞ面白い経緯があったのだろう。
「そんなに面白い人形なら、差し上げましょうか?」
「ククッ、いや、いい。運命を手繰っただけで、もう限界ギリギリなのよ」
「限界?」
「ああ。これは非常に細く脆い運命の糸を歩んできた。私が触れれば、その均衡を崩してしまう」
「そういうもんですか?」
「そういうもんよ。ゴールにたどり着けるかどうか、私が関わってはフェアじゃない」
「自然のままが一番って奴ですね」
「不自然も好きだけどね。しかし、これは自然のままがいい。自然のままでいい」
ニヤリ。
三日月のように笑うお嬢様。
とても悪魔的で蟲惑的で、美鈴は思わず見惚れてしまう。
「では、私が持っていればよろしいので?」
「いや、好きにしなさい。持ってても、捨ててしまっても、誰かに渡すのも、美鈴の好きにすればいい」
「心得ました」
素直に従い、美鈴は上海ヘッドの正体を夢想した。
けれど運命なんて見えないのでさっぱり分からない。
お嬢様にお訊ねすれば教えていただけるだろうか?
多分、細い糸を渡りきるまではナイショにされるのだろうけれど。
「ところでお嬢様。咲夜さんもお連れせず、いったいどちらへ?」
「神社よ」
「ははぁ、霊夢と遊びに……という訳では、なさそうで」
レミリアの表情がやや不機嫌になったので、美鈴は口ごもる。
と、レミリアは何があったのかを語り始めた。
「ゴッキーエンパイア、覚えてる?」
「ええ。まあ」
「あいつ等が地上侵攻を再開したから、幻想郷の有力者を神社に集めて作戦会議ですって」
「……は? ゴッキーエンパイアが、ですか?」
寝耳に水の美鈴。それはレミリアも同様のようで。
「インチキブン屋が新聞と一緒に手紙を放り込んでいってね。スキマも天狗も大集合よ」
「いや、しかし、ゴッキーエンパイアはもう戦争しないという協定が結ばれてませんでした?」
「結ばれてるわ」
「じゃあ違うでしょう」
「と、言ってる連中もいるようだけどね。相手が相手だけに、大騒ぎって事よ」
「はぁ……でもお嬢様は徹頭徹尾、信じておられない」
「悪魔だもの、当然よ」
フンと鼻を鳴らすレミリア。
背伸びした子供みたいで可愛い、とは言うまい。こじれるだけだもの。
「末席とはいえ、台所の悪魔と呼ばれる一族。悪魔が契約をたがえるものか」
然り。美鈴は心底同意する。
「お歳暮も届いたし」
然り。美鈴は心底同意する。
「年賀状だって来たし」
然り。美鈴は心底同意する。
「咲夜にお見合いのお誘いだってきたし」
然り。美鈴は心底――。
「って、ええええ!? 咲夜さんがお見合い!?」
「ええ、お見合い。年賀状に印刷した写真を見て、第二皇子のイイルクーンから」
「ままま、まさかお嬢様、そのお誘い、咲夜さんは!?」
「当然断ったわ。あれは私のモノだ」
ホッと胸を撫で下ろす美鈴。
ゴッキー族を嫌ってはいないが、友達の結婚相手としては全力でお断りだ。
もちろん自分の結婚相手としても論外だ。
「そのせいで何か騒がしくなってるみたいだけど……」
「それが変な風に地上まで伝わって、戦争の準備をしていると勘違いされたのでしょうか?」
「多分ね。何か古典的な宣戦布告を複数の場所にしたらしいけど……ん?」
何事か思い当たったようで、レミリアは美鈴の頭を見る。
いや、上海ヘッドを見る。
「どうかなさいました?」
「いや、何でもない。そいつは人形だしね」
意味が分からないが、あまり足止めさせるのも悪いだろう。
神社で対策会議があるのだから。
「じゃあ美鈴。お留守番よろしく。居眠りはほどほどにね」
「はい! 行ってらっしゃいませ」
うやうやしく礼をして、可愛い主レミリア・スカーレットを見送る。
今日も平和だ。
霧雨魔理沙は困惑していた。
助けを求めて博麗神社に来てみれば、八雲紫やら八坂神奈子やら、あちこちのお偉いさんが集まっていた。
しかもその理由が。
「ゴキ……エンパイア? 何だそれ」
「ゴッキーエンパイアよ。80年前に幻想郷で大暴れして、地底に追いやられた一族」
「それが地上侵略? で、対策会議?」
「そう。私も紫も何かの間違いだって主張してるんだけど、事が事だし、複数の筋から情報が来てて」
困った様子で説明する霊夢。
今は賽銭箱の前で話をしているが、お偉いさん方を部屋に待たせているので、ちょっと急ぎ気味だ。
「でも、ちょっと紫に取り次いでもらうくらい……」
「だから、それどころじゃないって」
「あっちの蛙が、大事なものを間違って食べちゃって。早く取り出さないと私は殺される」
「殺されるぅ~? 何よ、あんたもゴッキーエンパイアから宣戦布告でもされたの?」
「だから知らないってゴッキーエンパイアだなんて。宣戦布告って、そんな大事か」
「ブン屋の文、厄神の雛、蛍狩り被害者の会リグル、冥界のゴッキーキラー妖夢、人里の守護者上白沢慧音……」
指折り、名前を挙げる霊夢。
「竜宮の遣いの永江衣玖、大工の棟梁のゲンさん……他にも色んな人が宣戦布告を受けて……」
「待て。大工の棟梁って何だ。重要人物なのか」
「幻想郷の有力者か、ゴッキーエンパイアと怨恨の深い者ばかりを狙っての事だから、もう大変なの」
「大工の棟梁って……いや、それはもういい。それより、あいつの腹の中のモンを取り出さなきゃ、私の命が……」
「ああもう、面倒くさいわね。ちょっと待ってなさい」
必死に食い下がる魔理沙に根負けしたのか、霊夢は足早に立ち去った。
紫に取り次いでくれるのか。
助かったと魔理沙は胸を撫で下ろす。
だがしばらくして、霊夢は小さな瓶を持って戻ってきた。
「はい、これ」
「何だ、これ」
「下剤」
腹の中のものを取り出すにはもってこいのアイテムだ。
「じゃ、そゆ事で」
「待て、霊夢待て」
「紫は山の天狗と口論中で無理」
「じゃなくて、これでどうしろと」
「忙しいからまた今度ね」
「霊夢ーッ!!」
ああ無情。
霊夢は魔理沙を見捨てて行ってしまった。
取り残された魔理沙、下剤片手に崩れ落ちる。
これを使うのか。
いや、もうそれしかないのかもしれない。
あまりモタモタしていたら、魔理男の腹の中で蛇が溶ける。
そうしたら次は、蛇の腹の中にいる上海ヘッドの番だ。
ただの蛇の胃液なら耐えられるかもしれないが、さすがに妖怪変化の胃液では……。
鳥居の下に待たせてあった魔理男のところに戻った魔理沙は、うつむいたまま視線を合わせようとしない。
それで概ね事情を察したのだろう。魔理男は申し訳なさそうに頭を下げた。
「我輩の不注意が名付け親殿に多大なご迷惑をかけ候。まことに候で候」
「候の意味分かって使ってんのか……」
「こうなれば我輩、身命を賭して上海人形殿をお助け致す候」
「身命を?」
と言われても、腹の中の上海ヘッドを出すためできる事などひとつしかない。
ひり出すしかない。
そんな事に身命を賭されるのは嫌だなぁと思う魔理沙だった。
だがしかし!
意外ッ!!
霧雨魔理男の取った行動は!?
「切ッ腹ッ!!」
真っ赤な鳥居の下で、真っ赤な鮮血が飛び散った。
逆に魔理沙は真っ青になった。
血まみれになりながら、腹に手刀を突っ込み続ける魔理男。
今はまだ筋肉を切り裂いたにすぎない。
肝心の上海ヘッドは胃袋の中! 次は内臓を切り裂く番だ。
これにて一件落着できるのだろう。
魔理男の命を見捨てれば。
けれどそんな酷い事、霧雨魔理沙にはできない。だって女の子だもん!
「永遠亭ーッ! 永遠亭で上海救出と魔理男治療の手術だぁぁぁ!!」
魔理男を箒に乗せて大急ぎで竹林目指して飛ぶ魔理沙。
もう正式に名付け親でいいんじゃないかな。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「アイシクルフォール!!」
「うわぁーっ!!」
ついに氷撃を避けきれなくなった美鈴は、クリーンヒットを受けて地べたに倒れ込む。
コロンと、頭に載せてあった上海ヘッドが転げ落ちてしまう。
「勝利ッ!!」
勝ち誇って着地するチルノ。背中の羽をピンと伸ばして胸を張る。
威風堂々たる姿はまさしく最強を体現している。ように見えなくもない。
「ま、参った」
よろよろとした演技で立ち上がる美鈴。
弾幕ごっこなのだから、やられたらやられたらしく振る舞うべきだ。
お嬢様やパチュリー様の相手をした後は、演技をする余裕は無いけれど。
「むうう~……四天王の真似をいきなりっていうのは、ちょっとあれだったか。功夫が足りない」
美鈴は己の敗因をよく分かっていた。
チルノが紅魔館に遊びにきたので、上海ヘッドを載せたまま弾幕ごっこの相手をしたのだ。
上海ヘッドを落としたら私の負けでいいと条件をつけて。
鬼の四天王である力の星熊勇儀が、杯を酒で満たしてこぼさぬよう戦うのと同じハンデ。
しくじったのは、ちょっとしたお遊び気分なのでいまいち気が入ってなかったというのもある。
拳法は得意だが弾幕はちょっと苦手という設定のせいでもある。
弾幕ごっこは弱者が強者に対抗できるように制定されたおかげでもある。
お嬢様だって、チルノに負ける時があるのだ。
霊夢だって、道中の毛玉に落とされる時があるのだ。
そりゃ美鈴だってチルノに負ける時があるのさ。
なので勝っても負けても爽やか。
「じゃあ、今日も敗者らしくチルノに飴玉をプレゼントしましょう。イチゴ味でいいです?」
「今日は飴玉はいいや。それより、これちょうだい」
「どれ?」
チルノは上海ヘッドを拾い上げる。
「これ」
「えっ、それ?」
「駄目?」
「あー、いや、それは……」
お嬢様から、と言いかけて美鈴は考えを改めた。
お嬢様は好きにせよとおっしゃった。
自分が関われば、この人形の運命を壊してしまうからと。
ならば、お嬢様を気にせず判断するべきだ。
お嬢様がこの人形を気に留めなかったとしたら自分はどうしただろう?
ただの人形の頭だから、渡しちゃってもいいかと判断したはず。
「いいですよ。はい、どうぞ」
「おお、サンキュー美鈴」
大喜びで上海ヘッドを受け取るチルノ。
高々と上海ヘッドを掲げてご満悦。
ふぁんふぁーれ!
こうも喜ばれては、上海ヘッドもどこか誇らしげ。
「よーし、さっそく湖に凍らせて浮かべよう!」
「えっ」
ダッシュで立ち去ってしまうチルノの背に、美鈴は手を伸ばしかけた。
しかし、ここで留めては人形の運命に過剰な干渉をしてしまうのではないか?
という思いが、美鈴の行動を押し留めてしまった。
仮にお嬢様から話を聞いていなければ、チルノを留めていたかもしれない。
迷っているうちにもう、チルノは遠くへ行ってしまった。
上海ヘッドに表情があったら、誇らしげから一転、真っ青になっているだろう。
厄日っぷりが悪化したのは、厄神鍵山雛にトルネードスピンカウンターアタックされたせいか?
どうせなら厄を吸い取ってくれたらよかったのに。
一方その頃の魔理沙さん。
永遠亭の手術室前で、祈りを捧げていた。
「どうか、どぉーか、上海ヘッドが無事でありますよーに! ついでに魔理男も!」
所詮ついで。
やっぱり可愛いのは我が身だよね。
と、名付け親とは思えない薄情っぷりを披露していると、手術室の点灯が消えた。
そして手術服に身を包んだ輝夜と、げっそりした顔の鈴仙が出てくる。
「か、輝夜! 手術はどうなった?」
八意永琳はゴッキーエンパイア対策会議のため博麗神社に行ってしまってるのだ。
その博麗神社からわざわざ永遠亭まで飛んできて実にご苦労である。
「魔理男さんの傷は、八意印のキズナオールXYZを塗りつけたので、完璧に治ったわ」
「そりゃよかった。で、上海ヘッドは?」
もっとも重要な点を訊ねると、輝夜は静かに首を振った。
「残念だけど……」
「そ、そんな……!」
絶望に膝を折る魔理沙。
蒼白の面差しの中、瞳は虚ろに宙を漂う。
生きながらに死人と化してしまった。
もう空の色さえ思い出せない。
「一応、取り出してはあるけれど……とても見れたものじゃないわ。ドロドロのグチャグチャよ」
「……そんな有り様を、アリスに見せる勇気は無い」
「じゃあ、こっちで勝手に埋葬しておきましょうか?」
「……ああ、頼む。私はせめて、アリスの家の窓をセロハンテープでくっつけてくるよ」
「さようなら」
別れの言葉が、風のように吹き抜ける。
輝夜も分かっているのだ、魔理沙の末路を。
そうして――魔理沙はアリスの家に向かい、輝夜は鈴仙に上海ヘッドの後始末を命じた。
嫌々ながらも命令に従った鈴仙は、ドロドロのグチャグチャを持って竹林に出かける。
上海ヘッドには悪いが、さすがに永遠亭の敷地に埋めるのは色々と嫌だった。
「しかし……」
今朝、てゐにハメられた落とし穴を墓穴として再利用しつつ、鈴仙はぼやく。
「あの魔法使いの人形が、たかが胃液でこんな事になるのかしら? 気色悪いからよく見てないけど」
穴の底に転がっているのは実際のところ、ドロドロのグチャグチャになった――ゆで卵だった。
丁度、上海ヘッドくらいの大きさのゆで卵。
白身は白雪色のスベスベスキンの成れの果てと誤認された。
黄身はお日様色のサラサラヘアーの成れの果てと誤認された。
魔法の森にて大きな卵を見つけたサニーミルク、スターサファイア、ルナチャイルドの三人。
ゆで卵にして食べようとしていたら、蛇がやって来て逃げ出してしまったのだ。
それを丸呑みにした蛇を、魔理沙が見つけ――。
というオチ。
せめて手術したのが永琳だったら、ちゃんとゆで卵だと気づいたのに。
せめて助手の鈴仙が気持ち悪がらずちゃんと見ていれば、ゆで卵だと気づいたのに。
せめて手術ごっこ気分の輝夜でなければ――。
さてその頃、本当の上海ヘッドは!?
湖面に浮かんでいるのは、まさしくアリスが心血注いで造った上海ヘッド。
しかも地底の川に落ちた時と違い、氷塊に閉じ込められてしまっている。
せっかく炎責めから解放されたというのに、今度は氷責め。
カチンコチンでぷかぷか。
人間だったら凍傷になるところだけれど、人形だから大丈夫。
という理屈を通しては、人形が哀れ。
子供の無邪気さは残酷だと言うけれど、幻想郷ではそんな妖精があちこちにいて分かりやすい。
そんなだから稗田阿求に妖精退治を推奨されちゃうのだ。
でも反省しない。一回休みですむもの。
よってチルノは最強の名に相応しく、威風堂々と腕組みして立っていた。
湖面に浮かぶ氷塊の上に。
もちろん中には上海ヘッド。
「フッフッフッ……氷が欲しい? 欲しいのなら力ずくで奪ってみなさい!!」
『スリーフェアリーズ!!』
「うわぁーっ!!」
弾幕ごっこだもの。
あっさり負ける日だってあるさ。
「勝ったッ!」
「第二次妖精大戦争」
「完ッ!」
かっこいいポーズも決まっちゃう。
お日様フェアリー、サニーミルク!
お星様フェアリー、スターサファイア!
お月様フェアリー、ルナチャイルド!
三人そろって!
東方三月精!!
「という訳でチルノ、れーぞーこ用の氷を作ってもらうわよっ」
「ううーっ、分かったわよう。今日は美鈴にも勝てたし調子いいと思ったのになー」
ぶつくさ言いながらも潔いチルノ。
湖面から立ち昇る水気を空中に凝固させ、無数の氷塊を作り出す。
おおっ。三月精の歓声が上がった。
「とりゃあ!」
かけ声と共に、周囲に浮かんだ氷塊が岸辺へと飛んで行って山のように積もっていく。
人の背丈ほどもある氷山が完成しちゃった。
「こんなにいらない」
お日様色のサラサラヘアー、サニーミルクがぼやく。
「まっ、荷車に載る分だけもらってきましょ」
夜空色のサラサラヘアー、スターサファイアが提案する。
「じゃ、さっそく」
お月様色のクルクルヘアー、ルナチャイルドが作業に移る。
えっちらおっちらと。
荷車と言っても妖精が使う小さなもので、人の頭ほどの氷塊が2~3個くらい載る程度。
なので一人一個ずつ。
サニーミルクは運ぶのさ、丸くてツルツル氷塊を。
スターサファイアは運ぶのさ、硬くてゴツゴツ氷塊を。
ルナチャイルドは運ぶのさ、上海ヘッドが入った氷塊を。
「よーし、積み終わったわ!」
「それじゃチルノ、またねー」
「むー、今日は何だか眼が疲れたわ……眼鏡を持ってくればよかったかな」
弾幕ごっこは眼が疲れやすい。
チカチカ眩しい弾幕が四方八方を飛び交って、避けたり模様を楽しむためによぉく見なきゃならないから。
しかもルナチャイルドは、本や新聞を読む時に眼鏡をかけるタイプ。
妖精なので伊達眼鏡かもしれない。オシャレ。
「さあ帰るわよ」
「これでゼリーを冷やせるわね」
「早く食べたいわ」
三人は荷車を押し、霧の湖にさようなら。
ついでにチルノにもさようなら。
「まったく。今度、あいつ等にゼリーをたかってやろうかしら……あれ?」
湖に視線を戻して、チルノは首を傾げる。
「人形ヘッドどこ行った?」
こうして上海ヘッドは三月精の手に渡る。
いよいよ三月精の手に渡ったのだ。
そうして、れーぞーこに入れられるのさ。
くーる!
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
妖精のお家は、妖精だけが使えるナイショのヒミツで、自然の中に巧妙に隠されている。
花の中とか、土の下とか、神社の裏の大木の中とか。
今日もいっぱい遊んだ三妖精は、お家でゆっくり休んでいた。
りらっくす!
お家は入ってすぐ円形のリビング。木の家っぽいでしょ?
部屋の端にはキッチンも食器棚もタンスもあるのさ。外からは見えない窓もあるよ。
れーぞーこはキッチンの隣に新しく置いた。
中央には円形テーブル。ここでお茶を飲んだりご飯を食べたり本を読んだり新聞を読んだり。
三人のお部屋だって個別にある。
さすがにそこは乙女の花園。
ナイショのヒミツなのさ。
氷精チルノとの戦争に大勝利した三人は、れーぞーこに氷を入れて、ゼリーが冷えるのを待っていた。
「快勝快勝! この調子なら私達が妖精界の覇権を握る日も遠くないわね!」
「チルノの奴もたいした事無いわ」
「ていうか、三対一だったし……第一次妖精大戦争の時は三対一で負けてたし……」
ルナチャイルドの物静かなツッコミも、ご機嫌な二人には届かない。
これ以上水を差すのもなんなので、コップに水を注いで上げる。
おいしいゼリーが控えているので、味のついている紅茶は我慢しているのだ。
どうせ飲むならゼリーと一緒に、乙女チックに。
お子様チックとも言う。
サニーミルクは小振りな胸を張ると、お日様のように明るく笑った。
「れーぞーこを持ってる妖精なんて、私達くらいじゃないかしら」
と、キッチンの横に置いてあるれーぞーこを見る。
それは廃棄され幻想郷に流れ着いたボロボロの小型れーぞーこ。
これはルナチャイルドが面白がって持ち帰ったものだ。
ルナチャイルドは妖精にしては珍しく、人の手で造られた物を集めたがる。
自然が不自然を集めるのだから、とっても奇妙。
けれど、謎の数だけ女の子は魅力的になるのさ。
使い道がないガラクタで、しかも場所を取るれーぞーこは当初、粗大ゴミ扱いだった。
実際に粗大ゴミなんだろうけれど。
小型とはいえれーぞーこ。ドアにつかえルナチャイルドの部屋に入らなかったのだ。
そのせいでキッチンの横で処分される日を待っていたれーぞーこが、今日、蘇った。
どうやってものを冷やすのかルナチャイルドが研究に研究を重ねたのだ。
そして! れーぞーこの中が区切られている事に注目した!
網棚のようなものがあるので、その上か下に氷を入れておけばよい。
氷は溶けてしまうから、上だと水が垂れてしまう。
つまり下に氷を入れるのが正解で、網棚の上に冷やしたい物を置けばよい。
ルナチャイルドの名推理!
ぱーふぇくと!
箱の外についてる紐のようなものは飾りだろう。
風の噂ではそういった飾り紐をコンセントと呼ぶらしい。
変なの。
邪魔でしかないし、格好よくもない。
外来人はセンスが悪いのが玉に瑕だね。
こうして妖精の家で蘇ったれーぞーこは、現在ゼリーを冷やして大活躍中。
ルナチャイルドの面目躍如。
「ルナの悪癖もたまには役に立つのね」
クスクスと笑いながらスターサファイアが言う。
ちょっと嫌味っぽいけれど、こうやってからかうのも友達の印なのさ。
「魔理沙さんの蒐集癖よりは有益かもしれないわね」
サニーミルクも乗っちゃう、友達だもの。
とはいえこれ以上からかわれるのもいい気がしないので、ルナチャイルドは言い返そうとする。
ところが、タイミングよくサニーミルクのお腹がくーと鳴った。
「ああ、それにしてもお腹が空いたわ。魔法の森で、ゆで卵を食べ損なっちゃったし」
「いい頃合になったところで、まさか蛇に襲われるだなんて……」
スターサファイアも乗ったので、これで話題が変えられるとルナチャイルドも乗っかる。
「スターがちゃんと見張ってないからよ」
というか矛先を変える。
「見張りはスターの役目でしょ? 出てくるまで気づかないなんて……」
「藪をつついたのはサニーよ! つつかなきゃ襲ってこなかったわ!」
「な、なによ、私が悪いの!? 変な音に気づいたのはルナじゃない!」
「気づいただけで、つつけなんて言ってないわ。スターが気づかず、サニーがつついたのよ」
「ルナだって、音に怯えてサニーに泣きついてたじゃない」
「泣きついてない! ちょっとつまづいてもたれかかっただけよ!」
入り乱れてぎゃあぎゃあ言い合う三月精。
これも平和な日常って奴なのさ。
からん。
妙な音が聞こえ、三人は顔を見合わせる。
何の音?
れーぞーこからだ。
「ゼリーができたのかしら?」
「氷が溶けて崩れたんじゃない?」
「ちょっと見てみましょう」
音に怯えていないとアピールするべく、音を消す能力を持つルナチャイルドが先頭に立つ。
キッチンの横のれーぞーこの前へ、抜き足、差し足、忍び足。
大丈夫、氷が崩れただけに決まっている。
内心ドキドキしながら、意を決してれーぞーこを開ける。
三人そろって覗き込む。
生首が、大空色のキラキラアイで覗き返していた。
「ひぃぃぃやぁあああああー!!」
「ななななな生首ぃぃぃぃいい!?」
「お助けぇぇぇ――きゃんっ!?」
一目散に逃げ出す三妖精。
予定調和のように一人だけ転んで逃げ遅れたのは、もちろん我等がルナチャイルド。
ただでさえぺったんこの胸を、床にべたーんと押しつけてしまう。
わたしはゆかになりたい。
そんな思念が世界のどこかから発せられたかもしれない。
「ああっ! ルナが!?」
「駄目よサニー! 助けに戻ったら私達まで食べられちゃうわ!」
生首では食べても食べても喉から出てしまいそう。
それじゃお腹はふくれないよ。
「あわわわわ……あ、あれ? あれれ?」
すっかり怯え、蛇に睨まれた蛙のように生首を見返すしかできなかったルナチャイルド。
けれども、よくよく見れば生首にしては随分と小さい。
溶けた氷でぐしょぐしょで、あちこち泥で汚れてしまっているけれど。
とっても可愛い女の子のお人形さんの頭だ。
迷子の子供のようなキラキラアイで、悲しそうにルナチャイルドを見つめているよ。
「ど、どうしたのルナ!?」
「早く逃げて!」
「ね、ねえ。これ……人形じゃない?」
『えっ?』
ちっとも襲われる気配の無いルナチャイルド。
もしかして安全?
となれば、好奇心がにょきにょき芽生えてくる。
サニーミルクとスターサファイアもれーぞーこの前へ。
「あっ、本当。これ人形だ」
「あれ? 何だか見覚えがあるような……」
「えっ、そう?」
うーんと首を捻る三人。
もちろんと言うか、生首と勘違いされた人形は上海ヘッドである。
もちろんと言うか、三妖精はアリス宅へお邪魔した事があり上海人形と出会っている。
もちろんと言うか、妖精は頭が悪く記憶力も悪い。
なので。
「昔からよくあるデザインなんじゃないの?」
「西洋人形はみんなこんな感じよ」
「それもそうよね」
となる。
せめて上海ボディがいれば――。
「ん? 人形と氷……?」
「氷……冷たい……雪……?」
「人形が雪かき……?」
おや?
おやおや?
これはこれは、もしかするともしかするかもしれない。
「ああーっ! こここ、これ、アリスさんの人形!?」
「ななな、何でこんなところにアリスさんの人形の頭が!?」
「しかもこんなボロボロのグチャグチャになって!?」
気づいた!
恐らく、一人なら気づけなかっただろう。
恐らく、二人でも気づけなかっただろう。
上海ボディが無いのだから。
しかし、三人だから気づけた。
三人寄れば文殊の知恵、というほどではないけれど。
ついについに気づいたぞ!
「ゼリーなんか冷やしてる場合じゃないわ! 早く出さなきゃ!」
「冷たッ! 人形がすっかり冷えちゃってるー!」
「ちょ、そんなに慌てたらゼリーが……あっ!!」
上海ヘッドを引っかけて網棚が揺れ、上海ヘッドは頭から固まってないゼリーをかぶってしまう。
溶けた氷と融合して、もうドロドロのグチャグチャだ。
しかもイチゴ味だったので不気味に赤く染まり、より生首らしくなってしまった。
今にも呪詛の声が聞こえてきそう。
「私のせい? 私達のせいにされる? ゼリーさえかけなければチルノのせいでよかったのにー!」
「どうするの? 知らんぷりするの? それともどこかに捨てちゃう?」
「でも、バレたらどうするの? まとめて退治されちゃうんじゃ……」
ある意味、生首より厄介な上海ヘッド。
心なしか大空色のキラキラアイが曇り空のように濁っている。
怨念をたっぷり溜めちゃってますという雰囲気。
何とかしなくては!
自分達の身の安全のために!
「とにかく洗うわよ! うーっ、ゼリーでべとべとぉ……」
まずはサニーミルクが上海ヘッドを抱える。
「私は水を用意するわ」
「人里から取ってきたシャンプーを使いましょ」
スターサファイアとルナチャイルドはバスルームへ行き準備を整える。
人形のお手入れなんて、どうすればいいか分からないし、気にもしない。
なので人間と同じように洗おうとする。
が、そこはアリスの人形。
弾幕ごっこをこなすだけあって、耐久性は抜群なのでお風呂くらいへっちゃらなのさ!
サニーミルクがバスルームに入ると、桶の中に水が半分ほど張ってあった。
さっそく上海ヘッドを沈めると、いったん三人は桶から離れた。
「それじゃ、あっためるわよ」
サニーミルクが手を掲げると、窓から射し込む光が屈折して桶に降り注ぐ。
どうせ外からは見えないので、妖精はバスルームだろうと構わず窓をつけるのさ。
しかも景色を楽しむために大きな窓にしがち。
能力によってはお湯をあたためるために都合のいい構造にもする。
サニーミルクの場合、日光を曲げたり強化したりできるので、お風呂の湯沸しに有効活用している。
その応用で、桶に張った水をあたためた。
「よーし、まずはボディソープよ!」
サニーミルクは小さな手のひらたっぷりに、ミルク色で爽やかな香りのボディソープをつける。
軽く泡立て、上海ヘッドに塗りたくりもみくちゃだ。
ゼリーのヌルヌルをボディソープのヌルヌルが次々に洗い落としていく。
そうしたら白雪色のスベスベスキンが復活さ。
いやいや、白雪ミルク色のスベスベツルツルスキンに進化した!
人形だから曇天色のどんよりアイもボディソープでごしごし洗っちゃうのさ。
妖精だったら目に沁みちゃうね。
そうしたら輝きが戻って大空色のキラキラアイに!
「よーし、綺麗になってきたわ」
「一度ザバーッと流しちゃいましょ」
上海ヘッドをタイルの上に置き直して、すっかり泡まみれのお湯ごとザバーッと流す。
それから新しい水を桶に注いで、もう一度上海ヘッドにザバーッ。
ゼリーの汚れはすっかり落ちたけれど、たっぷり水分を吸った髪が重たく乱れている。
「やっぱりアリスさんの人形って可愛いなぁ」
「サニー、サボってないで新しいお湯を沸かしてよ。次はシャンプーなんだから」
「大工の棟梁のゲンさんの家から取ってきた特製シャンプー! いよいよ解禁ね!」
ゲンさんお手製シャンプーは伊達ではない。
小さな手のひらに注がれた瞬間、お日様のように輝いているような錯覚さえした。
上海ヘッドに使うのがもったいないと思ってしまうくらい。
「よーし。アリスさんの人形で、ゲンさんシャンプーのお手並み拝見よ」
でも洗わない訳にもいかないし、さっそく上海ヘッドのよれよれヘアーを手に取る。
「あっ、手触りすごくいい」
「本当? 私にも触らせて」
「ちょっとスター、邪魔しないでよ。洗い終わってから触ればいいでしょ?」
もめながらも丹念に上海ヘッドの髪を洗う。
いっぱい泡立てごしごしと。
爪を立てないよう気をつけて、頭皮もしっかりごしごしと。
シルクのような手触りに、サニーミルクの表情はすっかり蕩けてしまっている。
このままずーっと洗っていたいくらい。
「サニー、そろそろ流すわよ」
「え? あ、うん」
スターサファイアに言われて、慌てて手を離す。
もろともお湯を浴びせられてはたまらない。服が濡れちゃう。
「それっ」
ザバーッとシャンプーを流す。
すると、お日様色のサラサラヘアーが濡れて輝いていた。
「おおっ……」
「わぁっ……」
思わず感動してしまうサニーミルクとルナチャイルド。
キラキラアイで見つめちゃう。
「さっ、どいて。リンスは私がやるわ」
そこに、スターサファイアが割って入る。
すでに両手いっぱいリンスをつけて。
「あ、ああー! ズルイ!」
「ズルイって何が? 私はただ髪を洗おうとしているだけよ?」
サニーミルクの蕩け顔を見て羨ましくなり、役目を奪ったのはバレバレさ。
期待いっぱいの表情だもの。
「さあどいて。せっかくのリンスが無駄になっちゃうわ」
「うぬぬ、おのれスター……」
悔しがりながらもサニーミルクはどき、スターサファイアはさっそくリンスでトリートメント開始。
上海ヘッドの髪をじっくりたっぷり堪能する。
「んっ……これは、あっ、すごい、なにこれすごい、指が気持ちいい。んくっ、ん……声が出ちゃう……」
それほどまでか上海ヘッド。
あるいは大工の棟梁のゲンさんのシャンプーとリンスのおかげなのか。
一度も髪に触れていないルナチャイルドは悔しそうだ。
「あっ、指に絡みついて、ダメっ、これ、こんなの初めて」
「はーい、スター、お湯ぶっかけるわよー」
「ひゃっ!?」
ザバーッと。
かろうじて避けるスターサファイアだけれど、水しぶきがかかってしまった。
「まだ終わってなかったのに!」
「もう十分よ! あれ以上やったらやりすぎで髪が傷んじゃうわ!」
「むううっ」
「ぐぬぬっ」
サニーミルクとスターサファイアが睨み合っているうちに、ルナチャイルドは上海ヘッドをゲット。
こっそりとバスルームから持ち出して、タオルで丁寧に水気を拭き取る。
それから自分用の櫛を使って、上海ヘッドのお日様色のサラサラヘアーを梳き始める。
お月様色のクルクルヘアーだけあって、髪を梳くのは一番得意なのさ。
「あっ……」
一度梳いただけで、ルナチャイルドの頬が紅潮する。
「なにこれ、すごい……身体の芯が痺れるような、お腹の下から頭のてっぺんまで電流が走るような……」
うっとり蕩けながら、上海ヘッドの髪を梳き続ける。
その手つきは丁寧だけれど、次第に速度が増していく。
もっと触れていたい。
もっと堪能したい。
その欲求が高まり、髪を傷めないギリギリの速度まで上昇する。
そして最後の一梳きと同時に、ルナチャイルドは背筋をのけぞらせた。
全身の血が熱いお酒になってしまったかのように頭がくらくらする。
言い合いを終えたサニーミルクとスターサファイアがリビングに戻ってくると。
「ああ……ここが天国なのね……」
蕩け切ったルナチャイルドが虚ろな瞳で天井を見つめていた。
ちょっと怖い。
それから窓からの光を再びサニーミルクが曲げて、上海ヘッドに当てて髪を乾かす。
髪はまるで太陽の光を吸収するように輝きを増していった。
数分と経たないうちにすっかり乾き、今まで以上に輝き誇る。
「す、すごい……大工の棟梁のゲンさんの銀河色のキューティクルウルトラヘアーに勝るとも劣らないわっ」
「形容するなら、黄金に輝くお日様色のしっとりサラサラアルティメットヘアーね」
「はふぅ……よかった……」
髪を梳きに梳いたルナチャイルドは、ようやく正気に戻って上海ヘッドを確認する。
想像を絶する美しさだ。
上海ヘッドのみならず、リビング全体が輝いているようにも見える。
黄金に輝くお日様色のしっとりサラサラアルティメットヘアー!
白雪ミルク色のスベスベツルツルスキン!
新春桜色のプリプリストロベリーゼリーリップ!
そして!
陽光と星光と月光を抱く大空色のキラキラレボリューションアイ!
上海ヘッド復活エボリューション×レボリューション完了!
ぱーふぇくと!
成し遂げた達成感に包まれ、今年一年は眠ってすごしても許されるほど。
しかし上海ヘッドがあまりにも幸せそうなので、もっと幸せにしてやりたい欲求がムクムクと。
「……さて。これからどうしようか?」
「どうって……それは」
「アリスさんの家に……」
お届けするしかない。
けれど、どう説明したものか?
氷付けの件が知られてチルノが退治されるのは構わない。
でも、妙な手違いで自分達まで退治されるのは嫌だ。
「氷付けはチルノのせいだし、ゼリーは事故だし、ちゃんと説明すれば大丈夫じゃ……?」
「そ、そうよね。こんなにピカピカにしたんだもの。むしろ感謝されるわ」
「どーんと胸を張っていればいいのよ、どーんと」
うなずき合い、アリス宅へ返しに行くと決定。
せっかく綺麗にしたんだから汚れないようにと、上海ヘッドを風呂敷に包んでサニーミルクが担ぐ。
ランドセルほどの大きさもないので軽いものさ。
幼稚園バッグくらいの大きさはあるかもしれないね。
「いざ、アリスさんのお家へ!」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「あれ? 留守なのかなぁ」
ルナチャイルドがドアをノックしたけれど、反応が無い。
「そうみたい。中に誰もいないわ」
レーダー能力によって確認するスターサファイア。
「えーっ、どうしよう?」
玄関前に座り込みサニーミルク。背中には上海ヘッドを包んだ風呂敷を背負っている。
霧の湖から博麗神社の裏の大木まで荷車を押した疲労も重なって、もうくたくた。
「ここに置いてっちゃうのもなぁ」
「置いといて何かあったら私達のせいになるし」
「ねえスター、家の中じゃなく近くにいないの?」
「んー、どうだろう? 調べてみる」
精神を集中させレーダー機能拡大。
するとさっそく反応が。
「誰かこっちに来るわ」
「アリスさんかな?」
「魔理沙さんかも?」
どちらにせよこれにて一件落着になるだろう。
三人は一安心した。
そして、森の木陰からそいつは現れた。
分厚い胸板は鋼鉄の如し!
見事に割れた腹筋には横一文字の痛ましい傷跡!
巨人と見まごうほどの体躯から発せられる圧倒的強者のオーラ!
筋肉の化物だった。
『ぎゃあああああっ!?』
絹を裂いたような悲鳴が上がる。
だがルナチャイルドが反射的に音を消す能力を使ったため、筋肉達磨にはバレなかった。
またサニーミルクも光を操って三人の姿を消していた。
普段、悪戯でつちかったスキルが生命の危機にて的確な行動を取らせたのだ。
「ななな、なにアレ? なにあの化物!?」
「妖怪!? アレは妖精を生きたまま丸かじりにして喜ぶ顔だわ!」
「アリスさんの家に向かってきてる!? にに、逃げましょう!」
慌てて玄関前から立ち去る三妖精。
当然のようにルナチャイルドは転んでしまう。
「きゃっ!」
「ルナ! 早く、早く立って!」
「だ、ダメ……足をくじいたみたい。助けて!」
「スター! ルナをお願い!」
さすがは三妖精のリーダー。
冷静で的確な判断力を発揮し、スターサファイアに指示を出す。
上海ヘッドを背負っていなければみずから行動に移っていたに違いない。
決して怖がらず助けに戻ったに違いない。……多分。
「わ、分かったわ!」
二人から挟み撃ちのように頼まれたスターサファイアは、ルナチャイルドに駆け寄って抱き起こした。
「掴まって! 逃げるわよ!」
「あ、ありがとうスター……」
肩を抱き支えられて、ルナチャイルドはひょこひょこと歩く。
だが遅い。こんなペースじゃ逃げられそうにない。
「家の裏に回ってやりすごすわよ!」
再びサニーミルクが冷静な判断をくだす。
自分の足が震えて遠くへ逃げられそうにないから、近くに隠れようと思ったのはナイショだ。
こうして三人はアリスの家の裏に回る。
「ど、どう? あいつ、どこか行った?」
「待って、レーダーによると……!? こっちに回ってきてる!?」
「ええっ!? ど、どうするのサニー!?」
「えーっと、ええーと、こ、ここに逃げ込むわよ!」
と、サニーミルクはアリス宅の窓を指さし、羽を広げて飛び上がった。
とっても慌てていたので、ガラスにヒビが入っているのを気にも留めず開ける。
「やった! 鍵かかってない!」
言いながら先陣を切るサニーミルク。
一人だけ率先して逃げ込んだとも言えるかもしれない。
二人も後に続くと、急いで窓を閉める。
レーダーによると、僅差であの筋肉達磨が角を曲がったところだった。
「よし、しばらくこの部屋に隠れるわよ!」
「あの机の下がいいんじゃない?」
「そうね、あそこに隠れましょう」
三人は作業机の下に身を潜める。
そこでようやくサニーミルクとスターサファイアは部屋の様子をうかがった。
向かいの棚には、上海ヘッドと同じ顔の人形がたくさん並べられている。
ここはアリスの家なのだから当然と言えば当然である。
「増えたぁっ!?」
唐突にスターサファイアが叫んだ、とても絶望的な声色で。
「どうしたの!? 増えたって何が!?」
「れ、レーダーの反応が二人に……裏と、玄関、両方とも」
「ええっ!? わ、私達を捕まえて食べる気なんだわ……」
恐怖に震え、小動物のように身を寄せ合う。
もう終わりだ絶望だ。
あの筋肉達磨に食べられちゃう。
重量感たっぷりの足音が次第に近づいてくる。
目を閉じ、どうか気づかないでくださいと天に祈る。
窓が軋む音がし、足をできる限り引っ込める。
「むうっ……? 甘く蕩けるような匂いがしたと思ったのだが……」
地獄の釜の底から響くような声が、衝撃発言を落とした。
やっぱり食べる気だ!
だが言葉から察するに、まだ見つかった訳じゃない。
どうかこのまま、どうかこのまま。
「……気のせいで候」
再び重量感たっぷりの足音がするも、よかった、窓から離れていく。
レーダーによると玄関に回って、もう一人の仲間と合流したようだ。
「よし、チャンスよ二人とも。今のうちに脱出して、森の中へ逃げ込むの!」
「異議なし! こんなところ、一秒だっていたくないわ! ルナ、足は?」
「だ、大丈夫。でも肩は貸してくれるわよね?」
作業机から這い出た三人だが、ゆるんでしまった風呂敷がほどけ、上海ヘッドが落っこちてしまう。
音はルナチャイルドの能力で外まで聞こえなかったけれど心臓に悪く、ビクンと全身を跳ねさせてしまった。
「ちょっと、気をつけてよサニー」
「ご、ごめん……これ、もうここに置いてっちゃおう」
「あれ? ねえサニー、スター、机の上にあるアレって……?」
ルナチャイルドに言われ、二人も机の上を見る。
そこには頭のない人形が置かれていた。
上海ボディだ。
上海ヘッドを担いだままだと、鬱蒼とした森を逃げるのは困難になる。
なので、この部屋に置いておこうという結論はすでにくだっている。
けれども、置いていくのに丁度いいパーツがあるのなら。
三人は顔を見合わせ、うなずき合った。
「どうだった?」
「いや、気のせいであった。窓も魔理沙殿が直したままで、裏にも部屋にも誰もいなかったで候」
「そうか……アリスが帰ってきた訳じゃないのか」
溜め息をついて、玄関前に座り込む魔理沙。
その鼻腔を甘い香りがくすぐる。
「ん? 何の匂いだ……花? 石鹸?」
「我輩も感じたが人気はなかったので、誰かの残り香で候」
「幽香かな? 花の香りの石鹸とか使ってそーだし……」
「オシャレであるな候」
「お前もう『候』って言葉使うな。鬱陶しい」
「心得たでござる」
「……」
もう一度溜め息。
何もかもが悪い方向へ転がっている気分の魔理沙。
上海ヘッドはドロドロのグチャグチャになって埋葬されてしまった。
自分も同じ末路になるかもしれない。
勝手に名付け親として慕ってくる霧雨魔理男は気色悪いが、現状唯一の味方だ。
泣けてきちゃう、女の子だもん。
「……お前、もう帰れ」
「我輩にも責任があれば、共々に謝罪するのが当然でござる。一緒に罰を受けるでござる」
「いいよ。私のために腹まで切ってくれたんだ。それで十分さ」
「魔理沙殿……」
「まだ安静にしてなきゃならないんだろ? 帰って寝てろ。私が一人で決着をつける」
というか、こんな不気味な筋肉達磨と一緒にいるところをアリスに見られたくないだけである。
だけれども、霧雨魔理男は感極まって涙を流す。
「了解でござる。名付け親に恥をかかせる訳にもいかぬので、お言葉に従うでござる。……ご武運を」
「ああ。元気でな」
恐らくこれが今生の別れだろう。
ほんのちょっぴりだけセンチメンタルになってしまう。
魔理男の背中を見送った魔理沙は、自分の箒を抱きしめて身を縮ませる。
玄関の前で一人、アリスが帰ってくるのを待ち続けるのだった。
それから何時間経っただろうか。
日が暮れてカラスが鳴く頃、ようやくアリス・マーガトロイドは帰ってきた。
蓬莱人形も一緒だ。
「あら、魔理沙じゃない。そんなところでどうしたのよ」
「あ……おかえり。あの、アリス、その……おかえり」
「……何かあったの?」
「うん、ちょっと」
「? とりあえず入りなさいよ」
鍵を持った蓬莱人形を飛ばして、ドアを開けさせる。
その健気な蓬莱人形を見て、魔理沙は無性に切なくなった。
上海人形も、生前はよくこうやって働いていたな……。
思わず泣きそうになって、魔理沙は目頭を押さえた。
「フッ……私は地獄逝きだろうからな。彼岸で会ったら、改めて謝るよ」
「何か言った?」
「いや……ちょっと話があってな」
「話?」
嫌な予感を覚えたのだろう、アリスは眉を潜める。
でも深刻さはない。
また魔理沙が馬鹿な事をしたか、程度のものだ。
玄関に入ったアリスの後を魔理沙が続く。
「話って何よ?」
「実は……何から話したらいいか。その、留守中、お前の人形部屋の窓を割っちゃって――」
「なんですって?」
眉を釣り上げ、アリスは足早に人形部屋へ向かう。
「あっ、アリス、まだ途中」
心の準備もさせず首無し上海ボディを見せるのは可哀想だ。
せめて事情を説明してからと思ったけれど、アリスはもう人形部屋のドアを開け、立ち止まった。
「窓が……ヒビだらけに……」
小さな怒りを秘めた声色で言い、アリスはゆっくりと部屋に入る。
魔理沙は入口まで来ると、窓の前に立つアリスの背中を見つめた。
「……ごめん」
「何これ。セロハンテープでくっつけてあるだけじゃない。危ないでしょ」
「……ごめん」
「ちゃんと掃除して、床は掃いたの? 割れたガラスはゴミ箱に入れなさいよ」
振り返るアリス。
怒ってる、でも本気じゃない。
でも怒る、もうすぐ本気で。
その引き金を引くのが、魔理沙のけじめだ。
「実は、その、窓だけじゃなくて」
「窓だけじゃなくて?」
「上海の頭を……」
「頭? 上海の?」
眼差しを厳しくして、アリスは作業机に首を向けた。
魔理沙は、怖くて見れない。罪の印を見るのが怖い。
「上海の頭を……ドロドロのグチャグチャにして……!!」
顔が熱くなって、心臓がドキドキと高鳴る。
罪の意識で息苦しくなってしまい、瞳はうるうるだ。
すると、アリスは冷めた声で。
「ドロドロのグチャグチャにしたから、洗っておいたと」
「ああ、そうなん――えっ?」
意味が分からず、作業机の上を見る魔理沙。
するとどうだろう。
蛇と魔理男の胃液によってドロドロのグチャグチャになり葬られたはずの上海ヘッドが!
上海ボディにがっちりとセットされているではないか!
しかも!
お日様色のサラサラヘアー。
大空色のキラキラアイ。
白雪色のスベスベスキン。
桜色のプリプリリップ。
が。
黄金に輝くお日様色のしっとりサラサラアルティメットヘアー。
白雪ミルク色のスベスベツルツルスキン。
新春桜色のプリプリストロベリーゼリーリップ。
陽光と星光と月光を抱く大空色のキラキラレボリューションアイ。
に。
上海ヘッド復活エボリューション×レボリューション!
しているじゃないか!?
「あら、これは人里の大工の棟梁のゲンさんの特製ファンタジアローズシャンプーね。いい香り」
「あれ? あれれー?」
ちっとも状況が飲み込めない魔理沙。
おかしいな。絶対に殺されると思ったのに。
アリスは逆に機嫌よさそうにしているぞ。
信じられず、まじまじと上海人形を見つめてみる。
間違いない。
蓬莱人形でも倫敦人形でも仏蘭西人形でもない。
上海人形だ。
「まさかあのファンタジアローズシャンプーを使ってくれるなんて、お詫びどころかお釣りが来るくらいよ」
「あ、あぁー? ええと、うん、人里の大工の棟梁のゲンさんのシャンプー?」
「ガラスの件は大目に見て上げるわ。ありがとう、魔理沙」
と、ほがらかな笑みを向けてくれるアリス。
事情はよく分からないがせっかくの笑顔を曇らせる理由はないだろう。
なんたって友達だからね! うん、嫌がる事を言うのはよくないよね!
だから。
「いやあ、どーって事ないさ!」
えっへんと胸を張る魔理沙。
その晩、お礼にお夕飯までご馳走になって世間話に華を咲かせた。
今日は魔界に行ってきたとか、今日はなんちゃらエンパイアの宣戦布告騒動があったとか。
幻想郷は今日も何の疑いもなく完全に平和だった。
その晩、魔理沙はアリスに見つからないようこっそり上海人形に会いに行った。
やっぱり正真正銘、上海人形だ。
「あー、その、今日はすまなかったな。理由は分からんが無事でよかった。本当によかった」
アリスに謝れなかったので、せめて上海人形には謝っておく。
許されるかどうかは分からないけれど、今の上海人形はなんだか眩しい。
きっとおおらかな気持ちで許してくれるだろう。
それにしても。
ドロドロのグチャグチャになって埋められたはずの上海ヘッドが、なぜ上海ボディにセットされていたのか?
陽光と星光と月光を抱く大空色のキラキラレボリューションアイを見つめながら、霧雨魔理沙は呟いた。
「……ミステリーだぜ」
以上によって上海ヘッド流転ミステリーが完了しました。
お粗末。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
後日。
アリスが上海人形を連れて幻想郷を歩いていたら、不思議な事があったとさ。
何かに気づいた様子の妹紅が、かごいっぱいのタケノコをくれたり。
何かに気づいた様子のリグルが、甘い水をくれたり。
何かに気づいた様子の雛が、アリスの厄を全部吸い取ってくれたり。
何かに気づいた様子の文が、相席になった茶屋でおごってくれたり。
何かに気づいた様子の慧音が、人形劇の差し入れに高級羊羹をくれたり。
何かに気づいた様子の無いチルノが、飴玉(イチゴ味)をくれたり。
不気味な筋肉巨漢の妖怪変化が、唐突に頭を下げて「此度の寛大な処置大感謝で候ござる」と言ってきたり。
地底に追いやられたはずのゴッキーエンパイアの特使が、博麗神社への道を訊ねてきたり。
紅魔館に『ゴッキーエンパイア和平委員会本部』『悪魔は契約を破らない』という看板が立てられてたり。
何かを知ってる様子の美鈴が、ぜひ紅魔館のみんなとお茶を飲みましょうと誘ってきたり。
何かを知ってる様子のレミリアが、お茶の席で上海人形と視線を交じらせたかと思うや大笑いしたり。
「ちょっと、何で上海を見て笑うのよ?」
「ああ、いや、ごめんごめん。見事生還を果たした人形に乾杯したくなってね」
「何よそれ、どういう意味?」
「運命を手繰り寄せて、彼女の小さな冒険を見せてもらったのよ。上海ヘッド流転ミステリーを」
「上海ヘッド流転ミステリー? 何よそれ」
「すべての始まりは魔理沙よ。何があったかと言うと――」
上海人形だけが知っているはずの冒険を、君に語って聞かせたけれど。
悪戯好きの悪魔によって暴露されてしまったとさ。
すべてを知ったアリス・マーガトロイドは、いったいどうしたのかな?
相棒の上海人形は全部見せてもらったのだけれど、さすがにこれはナイショのヒミツのミステリーにしておこう。
さんきゅーぐっばい!
素晴らしかったです
読んでてほんと楽しかった
三妖精がとくに可愛かったです。
アリスさん、魔理沙はあんまり悪くないと思うの。だから許してあげて!
三妖精達も可愛らしかったです
大工何者だw
魔理男殿ー! ゲンさんー! 結婚してくれー! だがイイルクーン。てめーは駄目だ。
ゴッキーエンパイアはとばっちりもいいとこだなww
とても面白かったで候
ギュス様が皇帝じゃないのかー
大変面白うございました☆
哀れにも哀れまれぬだろう彼らの平穏を悪戯に乱した罪で十点減点
もこたんとぱるぱるの弾幕ごっこは一見不思議な組み合わせでしたが、絶妙な組み合わせで感心いたしました。
すこし上海ヘッドラリーの件がくどかった気もしましたが、全体を通しては十分に楽しませて頂きました。
イムスさん得意のオリジナルのキャラ設定と、独特の文体がよかったです。
確かにGの妖怪がいてもおかしくはないですよね…
変換ミスでしょうか?
>妖精のお家は、妖精だけが使えるナイショのヒミツで、自然の中に功名に隠されている。
巧妙かと。
上海ヘッド強い…。
向こうに行ってもちゃんと大工さんでよかった。
上海が無事おうちに帰れてよかった。どうなる事かと思った。