紅葉が枯れ落ち、純白の雪が神社の境内を覆いつくすころ、満月の優しい光の中で、人形遣いはひざまずく。
「黄泉への旅路、お供させていただきます。」
それを聞いた巫女は、静かに微笑んだ。
・氷の棺で眠る
ある春の日のこと、降り積もっていた雪が溶け、草花が喜び萌え出て良い香りが満ちる季節に、霊夢は縁側でお茶を飲んでいた。
ぽかぽかとお日様に照らされて、とても心地よさそうに目を細めている。
とてもではないが、紅霧異変の後、次々に起こる異変を鬼のような活躍で解決してきた巫女には見えない。
その姿はむしろ、日向ぼっこをしながらのんびりする眠り猫、猫巫女のほうが似合っていると、霊夢の隣に腰掛けていたアリスは思った。
かれこれ数時間、二人は縁側でお茶を間にはさんで座りながら、ずっと静かにしていた。
その間に交わした言葉は、せいぜいがお茶のおかわりを勧める言葉くらいなもので、ほぼ無言である。
無言ではあるが、とても居心地が良く、穏やかな時間だった。
ふと、アリスはぽつりと言った。
「この緑茶、おいしいわ。」
すると、霊夢が静かに返してくる。
「当然よ、私が淹れたんだもの。」
それ以上は特に話すこともなく、アリスが黙ると、また穏やかな時間が流れた。
夕日が落ちて沈んでいった頃、アリスはお茶の礼を言うと、ふわりと浮いて帰っていった。
それからしばらくが経ち、雪の季節を耐え抜いた桜が葉桜となり、梅の花と共に咲く夜、灯りの焚かれた博麗神社の境内では花見の宴会が開かれていた。
幻想郷の少女達が集い、地面に布を敷いて座り、酒と料理を集めて騒ぐ。
夜空に浮かぶ月と照らされた桜を眺めて楽しむ者もいたが、どちらかというと花より団子という者も多いようで、飲めや歌えやの大騒ぎとなっていた。
中心となっていたのは普通の魔法使いの魔理沙であった。
魔理沙はこの場にいるほとんど全員のものと親しいらしく、あっちに呼ばれては飲み比べをし、こっちに呼ばれては肩を並べて笑い合っていた。
かがり火を焚かないと明かりは月光だけの幻想郷の夜にあってもなお、太陽のように強く輝いているみたいだった。
霊夢もはじめのころは大騒ぎの中で宴を楽しんでいたが、少し疲れが出たのか、自分の分のお猪口と徳利を持つと立ち上がり、静かな場所を求めて暗い縁側へと歩いていった。
火から遠く明かりの届かない縁側は月の光で優しく照らされていた。
縁側には霊夢が来るよりも先にアリスがいて、一人で静かに満開の桜を眺めていた。
人形のように動かないアリスは、月の青白い光に照らされて、やわらかく発光しているようにも見える。
落ち着いた気分になった霊夢は、穏やかな空気を壊さないようにアリスの隣まで来ると、そっと縁側に腰掛けた。
緩やかな時間だった、霊夢もアリスも、時折お酒を口に運ぶ以外は動かず、桜と月を眺め続ける。
しばらくそうしていて、アリスが飲み干したお猪口に自分の徳利からお酒を注ぎ足そうとするも、徳利の中は空になったようだった。
それを見た霊夢は、自分が持っていた徳利を持ち上げて、アリスのお猪口にお酒を注いでみた。
アリスはふっと笑うと、「ありがとう。」と礼を言ってから話しだした。
「ねえ、霊夢…。霊夢は桜のことをどう思う?」
霊夢が言葉の足りない唐突な質問の意図をはかりかねていると、アリスが言葉を重ねてきた。
「桜というものは、とても美しい。桜色でも白色でも、きれいな色でぱっと咲いて、束の間の満開があって、ふっと散っていく。散っていくからこそ美しいなんて詩を、この国の人は大昔から吟じていたそうだけど、私もそう思うの。儚いものは美しいわ。綺麗であって、素晴らしければ素晴らしいほどに、それが儚く散るのは美しいと思う。…霊夢は桜を美しいと思う?」
霊夢はアリスの言うことを聞いて、少しの間黙って考えていたが、やがて話しだした。
「桜は美しいと思うわ。でも、その美しさに散る散らないは関係ない。今と言う一瞬の桜、満開と言う一瞬の桜が美しいのであって、過去どうだったかとか、未来にどうなるかとかは考えず、過去とも未来ともつながっていない現在の一瞬に美しさがあると思うわ。満開の一瞬には満開の、散る一瞬には散っている美しさがね。」
「そう…。だったら、大切なのは過去よりも未来よりも、今この時ということになるのかしら?」
「ええ、過去を悔やんでも仕方がないし、未来はどうなるのかわからない、それならどうにかできる現在を大切にしたいわ。」
アリスは少し考え事をするような顔をしながら、桜を眺めて黙った。
霊夢も無理に会話を続ける性格ではないので、同じように静かにしていた。
やはり唐突に、アリスは切り出した。
「霊夢、あなたのことが好きよ。」
いつもと変わらぬ調子でアリスは言う。
アリスの瞳には相変わらず月と桜が映っていた。
霊夢は静かに答える。
「知ってる。」
霊夢は、アリスが自分を想っていることを知っていた。
だから、動揺一つせずに返答し、さらに言った。
「私もアリスのことが好き。」
そう言った霊夢の瞳には、桜と月が映っていた。
アリスも穏やかに答える。
「知ってるわ。」
アリスも、霊夢が自分のことを想ってくれていることを知っていた。
ふふっ、とどちらからともなく笑い出すと、二人してくすくすと笑いあった。
笑いが収まった頃、霊夢は微笑んだまま言った。
「でも、恋人になることは出来ないわ。」
「どうしてかしら?二人が好き合っているのなら、恋人としての条件は揃っているのじゃない?」
「恋人同士とは、一緒にいるものでしょう?」
「ええ、そうでしょうね。」
「私たちは一緒にはいられないわ。」
「何言っているのよ、今もこうして一緒にいるじゃない。」
アリスはそう言ったが、霊夢の真意を知らないわけではない。
巫女というものは、総じて寿命が短い。
神々は穢れを嫌う、そして穢れとは血や死のことであるから、神に奉仕する巫女は血を出さないし、死を連想させる老化という概念も持たない、代わりに命の時間は短くて、最後にはふっと立ち消えるように逝く。
寿命は短い者で十年、長くて二十数年といったところだった。
それは、いかに楽園の巫女の霊夢といえども変わらない。
対して、魔法使いのアリスが持つ時間は悠久である。
ほぼ無限に等しい時間を、飲まず食わず眠らずに生き続けることができる。
しかし、それは寿命が無限と言うことであって、生き続けなくてはならないというわけではない。
不老不死とは違い、魔法使いは老いないだけである。
病気や事故で体が損傷すれば、身体機能が停止することもある。
霊夢は微笑んで、でも少しさびしそうに宣言する。
「妖怪と人間は、共に生きることはできないわ。」
「それなら、共に死にましょう?」
アリスは、今日の夕飯は何にする?と聞くときと同じくらいに、何でもないことのように言った。
霊夢は、少しだけ沈黙し、しかしすぐに微笑んで言った。
「いいわ、その時が来たらね。」
こうして霊夢とアリスは恋人となった。
暑さが少し楽になり、涼しさが出てきた、それでもまだまだ夏らしい頃、アリスはいつものように霊夢と縁側に座っていた。
春の終わりごろに二人は恋仲となったが、それでも二人の日常にさしたる変化はなかった。
せいぜい、アリスの神社を訪れる頻度が高くなった程度である。
二人は一緒に散歩し、ご飯を食べて、縁側に座り、空を見上げ、夕日を見て、星空を眺め、一緒に在る。
今日も今日とて、日が落ちて涼しくなった縁側で、霊夢とアリスはのほほんとお茶を飲む。
何も話さなくても、お互いのことを理解している、心地の良い沈黙。
残暑で暖まった生ぬるい風が神社の森を吹きぬけ、鈴虫と風鈴の音が涼しげである。
霊夢が言った。
「きれいね。」
アリスが答える。
「ええ、きれいな天の川。幻想郷の星空はとてもきれい。」
「魔界にはきれいな空がなかったの?」
「あっちでは、ところどころ地面が熱されて光っていたから、完全な夜空は幻想郷に来てから初めて見たわ。」
「そう…。」
少しの間黙った霊夢は、そのままころんと横に倒れ、アリスの太ももに頭を預けた。
そして上を見上げて言う。
「綺麗ね。」
「ええ、空が降ってくるみたい。」
「ふふっ、星もきれいね。」
霊夢の視界には、満天の星空と、新月の下でも淡い金色に輝く満月が映っていた。
「アリスは月のようね。」
霊夢の言葉にアリスは答える。
「なら、あなたは太陽かしら?…いえ、それでは少し違和感がある。むしろ、霊夢は星のようね。」
「星?」
「ええ、きらきらと輝いて、手を伸ばせば届きそうなのに触れられない。」
「アリスが触れられないのなら、私から触れるわ。」
「そう、それならお願いしようかしら。」
「お星様に?」
「いいえ、霊夢に。」
くすくす笑いあう、たまには他愛の無い、意味の無い会話を交わすのも悪くはないと二人は思った。
「私が星で、アリスが月なら、私たちは夜空で一緒にいられるわね。」
「そうね、…ずっと一緒に。」
時間が経って、霊夢の呼吸が規則正しくなった。
アリスは上海人形に言って毛布を持ってきてもらい、霊夢にかけた。
雪がちらちら、はらはらと降り積もる頃、霊夢は直感した、自分の命は今夜で尽きる。
霊夢の外見に変化は無く、体調にもおかしなところ無く、全くもって普段どおりではあったが、巫女の最期というのはそういうものである。
霊夢は縁側でアリスと一緒に座り、お茶を飲みながら静かに切り出した。
「アリス、その時が来たわ。」
アリスは、微笑んだまま自分の茶飲みに立っている茶柱を眺めている。
「そう…。」
その後、お茶請けにとアリスが持ってきた柚子まんじゅうを一緒に食べた。
普段通りの穏やかな時間だった。
紅い夕日に、白い新雪が照らされる中、アリスは言った。
「霊夢、一つあなたに叶えてほしい望みがあるわ。」
「いいわ。それは何かしら?」
「私の残りの時間を、あなたに全部あげるわ。だから、あなたの残りの時間を私に全部ちょうだい。」
「ええ、どうぞ。残りの時間、アリスは私を好きにしていいし、私はアリスを好きにするわ。」
いつのまにか、あたりを照らしていた夕日は落ちて、空には金色の満月が浮かんでいた。
紅葉が枯れ落ち、純白の雪が神社の境内を覆いつくすころ、満月の優しい光の中で、人形遣いはひざまずく。
「黄泉への旅路、お供させていただきます。」
それを聞いた巫女は、静かに微笑んだ。
人形遣いはひざまずいたまま、そっと手を差し伸べる。
巫女はその手に自分の手を重ねた。
重ねられた手は人形遣いに引き寄せられて、ゆっくりと巫女の手に口づけが落とされる。
恋人同士になって以来、初めてのキスだった。
もうお互いのことを完全に理解していたから、霊夢とアリスの間に言葉は必要なかった。
二人で手を取り合い、静かに神社を出て、雪が降り積もる森の中に入っていった。
森の中でも木々が無く、開けた場所に二人はでた。
木に囲まれた広場に雪が降り積もり、あたり一面は銀世界である。
さらさらと粉雪の舞う音がする。
霊夢の手を引いて先導していたアリスは立ち止まると、右手を広場の中央のほうへと向けた。
アリスは左手に抱えていた魔導書、幻想郷に来て以来、結局は一度も使うことの無かったThe Grimoire of Aliceを開くと、呪文を呟いた。
すると、真っ白な広場の中央に、パキパキ、と音を出しながら氷が現れる。
パキパキ、キシキシ、と音を立てて見る間に成長した氷は、ちょうど二人が入れる大きさの箱になった。
彫るまでもなく、透き通った表面には見事な彫刻が施されている。
アリスが青の魔法で作った氷は触っても温度変化が無く、冷たくも温かくもなかった。
ガラスよりも硬く、水よりも透明で、まるで水晶のようである。
アリスは霊夢を抱きかかえると、ふわりと浮き上がって移動し、氷の箱へと着地する。
箱の中に霊夢を優しく寝かせると、自分も隣で横になった。
視界には星空と月があった。
霊夢がアリスを見る。
アリスが霊夢を見る。
霊夢がアリスに腕を回し、アリスが霊夢に腕を回した。
霊夢の心臓の音がアリスに聞こえる。
その響きがだんだんと弱っていく音を聞いて、アリスはグリモワールに魔力を送った。
氷の箱はピキピキと音を立てて蓋を閉め、中の空間も氷で埋めていく。
最後に、アリスは幸せそうな霊夢の満面の笑みを見た。
その笑顔は無邪気で、喜びに満ちていたから、アリスも笑顔をかえした。
愛していると言う想いを込めて。
そして意識は消えていく。
やさしい月の光に包まれて、二人は静かに氷っていった。
幻想郷の博麗神社近くの森の奥深くに、決してとけない氷の棺がある。
その中では、たいそう美しい少女が二人、眠るという。
博麗神社
こういう静かな切なさも良いですね
あと東方創生話じゃなくて東方創想話ね
でも死にネタは苦手だ。