Coolier - 新生・東方創想話

あの夏の二人

2012/01/14 23:17:40
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 カタン……

 茶請け皿に湯飲みが当たる音が静かに鳴り響く。
 さらさらと風が静かに吹き抜ける夕暮れの博麗神社、その縁側に私は一人腰掛けていた。

 神社から見えるいつもと変わらぬ幻想郷の風景。
 かつてこの風景を一緒に見た奴が居た。
 そんな事を、ふと、思い出した。


――そう、私の名前は霧雨魔理沙。






 アイツと初めて出会った時の事を思い出す。
 あれは私が実家を飛び出してからしばらく経った日、灼熱の太陽がうだるような熱さを生み出していたある夏の日の事だった。

 当時の私は魔法使いの重要なアイテムである箒を手に入れたばかり。
 その日も里で得意げに箒の練習をしていた私の耳に飛び込んできた何気ない言葉。


「あの神社はな、妖怪の巣窟になってしまったんじゃ」

 それは通りすがりのじいちゃんと傍らの大人との話し声。
 神妙そうな面持ちで話すじいちゃんの話に、私が興味を惹かれたのは言うまでもない。


「なぁなぁ、じいちゃん」

「何じゃ、お嬢ちゃん?」

「そーくつって何だ?神社に何かいるのか?」

 私がそのじいちゃんに話しかけると、じいちゃんは何とも気まずそうな顔をしたのを覚えている。
 しかし、子供の私にもきちんと教えておかねばならないとでも思ったのだろうか。
 オホン、とひとつ咳払いすると、じいちゃんは私の事をじっと見据えてこう言ったのだ。

「あの神社にはな、それはそれは強くて恐ろしい妖怪が住んでおると言われとるんじゃ」

「決して行ってはならんぞ、お嬢ちゃん」


 だが、怖い物知らずだった私が、行くなと言われて行かないはずがない。
 じいちゃんの話を聞いて、居ても立ってもいられなくなった私は、手に入れたばかりの新品の箒を片手に持って一目散に駆け出した。

 今思えば、それが始まりだったのだ。

 博麗神社。
 ここが私の人生を大きく変える場所になろうとは、この時の私にはまだ知る由も無かった。




 うだるような昼下がりの暑さ。
 焼けつく日差しなどは物ともせずに、私は全速力で神社の麓へとやってきた。

 そこで私が目にしたのは高い高い石の階段。
 見上げた遥か彼方にほんの僅か、赤い鳥居のてっぺんが見える。
 今思えばそこまでオーバーではないにせよ、当時の私にはそのくらい高く見えたのだ。

「た、たかいな……」

 率直にそう思った。
 とにかく、意気揚々と神社に乗り込むはずだった私の気持ちは、
 目の前に立ちはだかる物理的な障壁の前に、早くもへし折られそうになったのを覚えている。


「でも、いかなくちゃな!」

 それでも幼いながらに使命感に燃えて、神社の境内へと続く階段を一歩一歩踏みしめる。
 永遠に続くのではないかとすら思わせた長い長い階段をやっとの事で登りきったその先。
 そこにアイツの姿があった。
 縁側に腰掛けたアイツは、この時ものんびりとお茶を飲んでいた。


――変な服を着た奴がいる。

 それが私が抱いた第一印象だった。
 いや、今思えば、私だって黒い帽子を被ったいわゆる魔法使いの装束。
 私の格好も大概なのだが、それでもアイツの服装はどう見ても異質だった。

 やがてアイツは、私の記憶の中にいるアイツよりもずっと幼いアイツは、私の存在に気付いたのだろう。
 いかにも気だるそうに私の方に視線を向けた。


「あんた、だれ?」

「わたしか?」

 この時の私はさぞかし得意げにしていたはずだ。
 何故なら、そこは絶対に立ち行ってはならないと言われた妖怪神社。
 決して行ってはならないと言われた場所に、たった一人で乗り込む事が出来たのだから。


「わたしは、この神社によーかいたいじにきた霧雨魔理沙だ!」

 精一杯胸を張って、高らかに言い放つ。
 そんな私を見てアイツは、はぁ、と大きくため息をついた。

「あんたねぇ、それは私のおしごとよ!」

「うそつくな! さてはお前もよーかいだろ!」


 その瞬間、アイツの表情がヒクリと引きつったのを覚えている。
 おそらく自分を妖怪呼ばわりされた事にカチンときたのだろう。


「あんたねぇ、いいどきょうじゃない」

 あいつがポキポキと拳を鳴らす。
 今ならわかる、あれはアイツが本気を出す時の合図だ。


「しんこうか、だんまくか、おさいせん!」

「どれでも好きなのをえらびなさい!」


 その後、何度も何度も数えきれないくらいに繰り返してきたアイツとの勝負。
 その記念すべき第一回目の幕開けだった。


 そして……


 結果は私の惨敗。
 気が付けば私は物の見事にボロボロになって、地面に大の字に横たわっていた。
 世の中にはこんなに強い奴がいるのか、幼いながらにそう思った。

「そんなにぼろぼろになって、まだやる気なの?」

「あんたじゃ、私にはぜったいにかてないんだから!」


 アイツが見るも無残な姿になった私を見ながら、そう口にしたのを覚えている。
 とにかく悔しかった。絶対にコイツに勝ってやる。
 明日も明日もそのまた明日もここに来て、絶対にコイツに勝ってやる。
 そう決意したのを覚えている。

 それにしてもだ。
 まさかそれからあんなにも多くの時を、アイツと共に過ごすとは思ってもみなかった。
 この日以来、私の傍らにはいつもアイツが居たように思う。
 本当にいつもいつも飽きる事なく、私はアイツの傍らに入り浸っていた。
 ……私はそっと目を閉じた。






「まぁ、いいわ。せっかく来たんだし、あんたもお茶くらいのんでいきなさい」

 戦い終えてからどれくらいたっただろう。
 ふと気が付くと、アイツが横たわった私に向かって手を差し伸べていた。


「ほら!もう日もくれるんだから早くしなさいっ!」

 中々手を伸ばさない私に少し膨れながら、アイツがそう口にする。
 いつの間にか、お日様も随分傾いていた事に、その時になってはじめて気が付いた。
 そして私は手を差し伸べるアイツに向かって、ようやく手を差し出した。


「へへ、おまえ、つよいな!」


「あたりまえよ、私は、はくれいのみこなんだから!」


 そうして私達は神社の縁側に隣り合って座った。
 みるみるうちに私達はオレンジ色に染まる景色の一部となっていく。

 アイツが私にお茶を汲む。私がアイツにお茶を汲む。
 それは、その後に幾度となく繰り返してきたやりとりが始まった瞬間だった。



――でも、今は既にアイツは居ない。

 ずっと張り合いながら共に過ごしてきたその時間、それはまさしく光陰矢の如しであった。

 出会った者にはいつか必ず別れの瞬間が訪れるとはよく言ったもの。
 だから、私にとってはこの出会いの光景こそが、アイツとの別れの象徴だった。

 穏やかな風が吹く夕暮れの中、二人並んで縁側に腰掛けたあのひととき。
 それはこの時の「私」にとっては、これから幾度となく繰り返されていく変わらぬ日常。
 それと同時に今の私にとっては、二度と戻る事ができないかけがえのない時間。

 それは本当に刹那の出来事だった。
 だからこそ、私にとっては本当に、本当に劇的な出会いだった。




「どう、おいしいでしょ? わたしのお茶はにっぽんいちなんだから!」

 遠い日のアイツが、にかっと屈託無く笑う。
 はは、アイツもあんな顔をした事があったんだな。
 ふと、懐かしい気持ちを覚えた。

 そうだ。アイツがこの世を去ってからというもの、その笑顔だけが私の拠り所だった。
 その笑顔を失うのが怖くて。死んでしまう事で失うのが怖くて。
 アイツという存在がいつか忘却の彼方に消えてしまうのが怖くて。

――私はある日、不死の魔法を自分にかけた。


 そうして私は禁断の魔法を使い、人の身を超えた寿命を手に入れた。
 故にその時点で、人としての時の流れは止まってしまっていたのかもしれない。

 でも、アイツがこの世を去ったその時から、私の中の時間は本当に止まってしまっていたかのようだった。
 そのくらいアイツが死んだ時は悲しかった。

 訪れるであろう悲しみを乗り越えんとして不死となった代償は、あまりにも大きなものだった。
 最後の最後までアイツに勝てなかった悔しさ、アイツに負け続ける自分に抱いた空しさ、
 そんな思いを未来永劫抱え続ける事になった。
 そして何よりも、アイツと共に過ごせない毎日は本当に味気なくて、本当に辛かった。

 こんな事ならば、人の身を超えた寿命など手に入れない方が良かった。
 私はどうして、人の身を超えた寿命など欲しがってしまったのだろうか。
 私にはわからない。わかりたくもない。

 でも、そこには「笑顔を失うのが怖い」だなんてちっぽけで我儘な理由ではなくて。
 もっと大事な、とても大事な理由があった気がした。

 だけど……
 今は、いくら考えてもそれを思いだす事は叶わなかった。





 はっと我に帰る。

 昔の事を考えながらぼんやりと外をふらついていたが、いつの間にか私は家へと帰ってきていたらしい。
 ここが私の家だという事に気付くのに少しばかり時間がかかった。

 その時、ふと、部屋の壁にかけてある「あるもの」が目に入った。

「あぁ、これは……」

 アイツがくれたんだったっけな。
 大事に丁寧に私はそれを手繰り寄せる。
 そうしてそれを手に取った私は、もう一度静かに遠い夏の日に想いを馳せた。


 それは一枚のシャツだった。
 外の世界のじょん・れのんとかいう有名人が描かれたというシンプルなシャツ。
 こーりんの奴が、外界から手に入れたというそれがいかに価値あるものかを喜んで自慢していたのだが、
 そのシャツをアイツはえらく気に入ってしまったらしい。

 確かアイツは「音楽に関わるという意味で、外の世界のプリズムリバーみたいなものだと霖之助さんが言ってたわ」なんて言っていたのを覚えている。
 本当かどうかは疑わしいが、結局、結論はわからずじまいだった。

 それはさておき、どうやら「じょん・れのん」とは「眼鏡をかけた男」であると聞きつけたアイツは、
 よりにもよって、身近に居る眼鏡の男を模して同じようにシャツを作りやがった。

 それこそ出来あがったのは、こーりんの奴がでかでかと刷られた1枚のシャツ。
 こーりんがお腹の辺りで怪しい笑みを浮かべている、あまりに怪しすぎて蒐集家の私ですらも喜んで捨てたくなるようなシャツである。
 しかも、それを「あんたが着なさいよ」と来たもんだ。

 ったく、自分で作っておきながら「やっぱり違うわね」とか言って私に押し付けるんじゃない。

 何で私がこーりんの似顔絵入りのシャツなんか着なければいけないのだ。
 つくづく暇な奴だと思った覚えがある。まぁ、私も他人の事はとやかく言えないが。


 まったくアイツは……

 それでもこのシャツは、今は数少なくなってしまったアイツとの思い出。
 迷いに迷ったあげく、私は目の前に広げられたシャツに袖を通してみた。

 実際に着てみてよく朽ち果てていなかったものだと感心する。一体、いつから着てなかっただろうか。
 よくよく見れば、少し色が付いて煙ったくなったそのシャツ。
 その煙ったさは、ほとんど匂いなど無いはずの八卦炉の煙の匂いに他ならなかった。
 きっと長年、着る事もなく家に置かれていたせいだろう。


――それだけ時間が経ったんだ。

 私はアイツよりもこんなにも長い時を生きているのに。
 辛い事も、苦しい事も、たくさんたくさん経験してきたというのに。
 まだ私にはアイツの背中しか見えない。
 どう足掻いても、必死に手を伸ばしても、私にはアイツの背中を捉える事すら出来ない……


 いつもはここで考える事をやめてしまっていた。

 これ以上思い出に耽るのは私には辛すぎた。
 楽しかった日々、私が一番輝いていた頃。

 アイツだけじゃない、咲夜も早苗も妖夢も居たあの頃は本当に楽しかった。
 その世界は何度脳裏に甦ってきただろうか。そして同時に何度崩れ去っていっただろうか。
 それは今の私にとっては泡沫の夢と共に消え去る幻想そのものだった。


 あまりに眩しかった思い出は、その眩しさ故にその後に闇をもたらしてしまう。
 私にとってアイツらが居なくなってからのそれは、太陽の昇らない毎日を過ごしているようなものだった。
 そうしていつしか、私にとっての「思い出」とは、蘇っては消え去っていくものに変わってしまっていた。

 でも、今日だけは違った。
 いつもなら泡沫に消え去る思い出が一つ、また一つと、私の脳裏で淡い光に照らされながら止めどなく浮かび続ける。
 こんな事は今までには無かった事だった。

 あぁ、そうか。アイツの「思い出」を身に纏っているせいかもしれないな。
 このシャツが、私にアイツを思い出させようとしているのだ。

 私に詩的な表現は似合わないかもしれないが、アイツのことを想って泣いた私の情念が、いつしかこのシャツに乗り移ったに違いない。


はは……あはは…………

 思わず乾いた笑いがこみ上げる。
 楽しかった日々の私は、こんなにも思い出が辛い物だとは知らなかった。
 これだったら思い出は素直に消え去ってくれた方が百万倍マシだった。
 何しろ、どの思い出をとっても、結局私はアイツの背中には届かなかったのだから。

 初めて出会ったあの日以来、コイツに絶対に勝ってやると心に誓って以来、私はそれこそアイツと張りに張り合った。
 私はアイツと同じように異変解決を成し遂げたし、アイツと肩を並べるくらいの実力者と揶揄されるようになったこともあった。

 でも、ついにアイツを凌駕する事は出来なかったのだ。
 アイツは常に私よりも一歩以上先を歩いていた。
 その厳然たる事実が、私が積み上げてきた思い出の1つ1つを容赦なく苦しい物へと変えていく。

 ほろり、と。私の目から自然と涙が零れていった。


 そしてついにその思い出がやってきた。
 それは本当に辛かった思い出、無意識のうちに私自身が心に封じ込めてしまった最悪の思い出のひとつ。
 それなのに……
 纏ったシャツから染み込んでくるその思い出は、私の意思とは関係なしに、容赦なく私の中へと流れ込んできた。






 そう、あれは確かアイツが臨終を迎えようという頃のこと。

 当時の私は、既に禁断の魔法を使い、人の身を凌駕する寿命を会得していた。
 故に私は老いる事は決してなく、一方のアイツは日を追うごとに老いていった。

 そうして迎えた、ある暑い夏の日の事。
 それまでと一切変わらない調子で縁側に腰掛け、のんびりとお茶をすすりながらアイツは私にこう言ったのだ。

「とりあえずね、もし向こうの世界にも妖怪が居たら、シメてこようと思うの」


「ほぅ、そりゃ御苦労なこった」


「信仰か、弾幕か、お賽銭、どれでも好きな物を選びなさい!ってね」


 可笑しそうに笑いながらお祓い棒を虚空に向けて、アイツは何処かで聞いたような台詞を口にした。


「うーん、楽しみね、早く行ってみたいものだわ」

 遠くの方を見ながらそうごちるアイツ。
 その時、私は何も答える事が出来なかった。
 何故なら、それは断じてアイツの本心では無いと思ったから。
 案の定、一瞬気まずい沈黙が流れた後で、アイツはぺろりと舌を出した。


「なんてね、ホントは怖いわ。死ぬのが」


「怖いのか?」


 えぇ、と、次の瞬間には、さも何事もなかったかのようにずずっとお茶をすすったアイツ。
 その時の達観したような、全てを悟りきったようなアイツの様子。
 本当は怖いのに、私の前ではそんな事はおくびにも出さなかったその様子。
 不安げな言葉とは裏腹のその態度。

――ずっと良きライバルで、ずっと無二の親友だと思ってきたのに

 アイツは最後の最後まで自身の気持ちを縫い繕ってまで、遺される私を気遣おうとしている。
 私を対等に見ていないかのようなその振る舞いが、私には我慢ならなかった。

「何だ!何だよ!」

「なら……それなら……お前も……」


 寿命を延ばせば良いじゃないか……
 最後まで言えたかどうかはわからない精一杯絞り出した掠れた声。
 それをいとも簡単に遮った言葉だけが空しく私の胸に響いた。


「私はね、人として輪廻に従いたいの」

「…………」


「ほら、博麗の巫女なんてやってたでしょ? だから最期くらいは普通の人間らしく、ね」


 言いたい事はたくさんあった。
 でも、それらはみんな私の頭の中でぐるぐると回るばかりで、何一つ言葉にならなかった。

「だから!」

 そうしているうちにアイツが叫ぶ。
 心底悲しそうに、心底名残惜しそうに、それでいて大きな大きな決意を乗せて、アイツは最期の言葉を口にした。


「さようなら、魔理沙」


 そうしてその夜、あいつは息を引き取った。

 悲しかった。辛かった。
 私だけじゃない。紫も、萃香も、文の奴も。
 レミリアも、幽々子も、輝夜までもが皆泣いていた。
 天の上から地の底まで涙が流れないところなんてなかったし、すすり泣く声が聞こえない場所なんてなかった。

 でも、当の本人は「人として輪廻の運命に従う」、そんな事をのたまって真っ先に逝きやがった。
 私はまだお前には追い付けていないのに、一人で勝手に逝きやがった。

――何で、何でだよ。

 私はまだお前と一緒に居たいのに。
 ずっとずっと張り合いながら、いつかお前の事を倒してやろうと思っていたのに。
 何でお前はそんなに安らかに眠ってるんだよ……

 こぼれ落ちる涙はやがて筋となって、私の頬を流れていった。
 アイツが逝ってしまった悲しみに暮れる私に、それを止める事など出来るはずがなかった。

 この時の私に出来た事は、ぎゅっと歯を食いしばり、目を閉じる事だけだった。






――どれくらい経っただろう。

 ふと気が付くと、再び私の隣にアイツが居た。
 私達の周りには恐ろしいほどの雨が容赦なく降り注いでいる。


 これは……弾幕だ。

 そう、それはまさに留まる事を知らぬ激しい弾幕の雨。
 どうやら相手こそわからないが、私はアイツと共に弾幕勝負に挑んでいるらしかった。


――あ、夢か。

 私はすぐに気が付いた。
 何故ならこれは過去の記憶。
 アイツが生きていた頃、実際に交わされたやりとりだったのだから。

「魔理沙?」


 頭上から嵐のように降り注ぐ弾幕の雨をかわしながら、アイツが私に問いかけてくる。


「何だよ」


「遅れないでちゃんと私に付いてきなさいよ」


「わかってるぜ」


 激しい弾幕の雨が、より一層激しさを増して私達に向かって降り注ぎ始める。
 それを掻い潜りながら、アイツが私に向かって叫んだ。


「どんなに難しくても、どんなに挫けそうでも、絶対に諦めない! それがあんたの取り柄よね?」


「ははっ、その通りだぜ。今更、何言ってんだよ!」


 今思えば、アイツにしては、かなり真面目に私に何かを伝えようとしていた気がする。
 なのに、軽口で返し続ける当の私に少し苛立ちを覚えたのだろうか。
 珍しくアイツが真剣な表情で、心配そうな様子でこう口にした。


「途中で諦めたりなんかしたら……承知しないから」


 それだけ言うとアイツは苦戦する私を尻目に、まだまだ余裕だと言わんばかりに拳をポキポキと鳴らした。
 それはいつの日か私がアイツに初めて出会ったその時と同じ仕草だった。

 そうしてアイツは、夏の夕立のような弾幕の雨を颯爽と掻い潜って、私の前へ前へと飛んで行った。


 その後ろ姿は、惚れ惚れするくらい綺麗で、凛々しくて、輝いてみえた。

 その輝く背中。

 それに追いつく事が私の目標だった。

 ずっと目標だったのだ。


 魔法使いを名乗っているとはいえ、私はごく普通の人間。

 対するアイツは、博麗の巫女という特別な血筋の人間。

 アイツと私では持てる力が違う、そんな事はわかっていた。


 それでも私はアイツに勝ちたかった。

 何としても勝ちたかった。

 そしていつの日にか、アイツという存在を凌駕する。

 それを成し遂げる為に私が使った禁断の魔法。

 それこそが人の身を超えた寿命を手にする不死の魔法ではなかったか。


 そうだ。出来るか出来ないかではない。やるかやらないかなのだ。

 人の身を超えて伸ばした寿命は、悲しみにむせび泣くためにあるのではなかった。

 それはアイツを少しでも永く生き続けさせる為の手段であったはずだった。


「私さえ生きていれば、アイツはずっと生きている」


 いつしか忘れていた。でも、本当はそうであるはずだった。

 私が生きている限り、私の心の中にアイツは生き続ける。

 そうだった。そうに違いなかった。

 理由など言うまでもない。


 私、霧雨魔理沙にとって……



「博麗霊夢」という存在は、死んだくらいで消え去るものではなかったはずなのだから。




 アイツさえ「生きて」いるのならば、私にはまだ挽回の余地はある。

 アイツさえ「生きて」いるのならば、アイツに勝つチャンスは必ずある。

 たとえどんなに僅かであろうとも、まだ確実に残っている。


 そうだ。絶対に諦めないこと。


 それこそが霧雨魔理沙が霧雨魔理沙たる所以ではなかったか。





 その時だった。
 夢の中で降りしきる弾幕の雨の中、遥か前を行くアイツの後ろ姿がほんの少し近づいてくる気がしたのだ。
 それは信じられない光景だった。

 何度足掻いても、手を伸ばしても、決して届く事はなかったアイツの後ろ姿。
 それが今は嘘のようにどんどん近付いてくる。
 瞬きする度に刻一刻と近付くアイツの背中は、みるみるうちに私の目の前まで迫っていた。

 そうして、とうとう私がアイツの背中に追い付いて追い抜かんとした時、
 私は、初めてアイツの姿を、後ろを振り返りながら目にすることになった。


――アイツは笑っていた。

 こんなに激しい弾幕の雨の中、追いつき追い越して行く私を見て微かに笑ったのだ。
 そうして小さく口を開く。


 ちっ、アイツめ……


 何が「やっとね、遅いわよ」だ。




 アイツの姿が徐々に後ろに遠ざかり始める。


「元気でやれよな……」



(……追いついて来なかったら許さないぜ)


 私は、遥か後ろで小さくなっていくアイツの姿を目にしながら小さくごちた。
 それは決して守られる事のない約束だった。

 だけど、夢の最後の最後まで、私を見ていたアイツは笑っていた。
 口元をほんの少し緩ませて、確かにアイツは笑っていた。
 まるで、私がアイツに追いつき追い越す「その時」を、そこでずっと待ち望んでいたかのように。






 目が覚める。

 いや、これも夢だ。

 そこに居たのは、遠い日の「私」。


 縁側に腰掛けてのんびりとお茶を啜っているアイツに対し、いかにも自信ありげというような様子で近付いていく「私」。
 でも、その姿は相も変わらずに酷い有り様だった。


「またそんなにボロボロになって……まだやる気なの?」


 ため息をついて、アイツが「私」の方を見る。


「言っとくけどね魔理沙、あんたじゃ私には絶対勝てないんだから」


 それは、今までは見た事が無かった記憶だった。
 私がそこに見たのは、初めて出会ったあの日から数年後の私達の姿。
 その日もまた、うだるような暑い夏の日の事だった。


「なぁに寝ぼけた事言ってんだ、このお気楽巫女」

 少し俯瞰したところから、私はかつての「私」を眺めている。
 私が見ている「私」は、本当に自信に充ち溢れていた。

――絶対に勝てない

 紛れもない真実を叩きつけられてもなお、「私」はそれがどうしたと言わんばかりの表情と口ぶりだった。

「いいか、覚えておけよ、霊夢」

 そこに居る「私」は確かに、完膚無きままにぶちのめされていて、見るも無残でぼろぼろな姿だった。
 だけどそんな姿のままで、いや、そんな姿だからこそ、「私」は口にする事が出来たのだろう。


「努力に勝る天才なし……だぜ?」


 その言葉をアイツに向かって発した瞬間、その時こそが私の人生の真の出発点だったのかもしれない。

 そう、努力は才能を凌駕する。否、努力で才能を凌駕する。
 たとえどんなに難しい道のりでも、たとえどんなに可能性が低くとも……
 私が必ず成し遂げる。私がそれを証明する。
 かつての「私」はそんな気概に満ちていた。

 はっと気付いた時、そこには息を飲むアイツの姿があった。

「……驚いたわ」

「博麗の巫女である私に向かってそんな事を口にした奴はあんたが初めてよ」


 そうしてアイツは本当に悔しそうな顔でこう口にしたのだ。

「ま、せいぜい頑張ってちょうだい」


 その時、私は確かにアイツに勝ったと思った。
 でも悔しい哉、あの悔しそうな顔は前借りだ。
 何故なら、その時点では私の努力が、実際にアイツの才能を凌駕したわけではないのだから。

 故に、真に私がアイツにあの顔をさせられるのは、私の努力が本当にアイツの持つ才能を凌駕した時。
 その時になって初めて、私はアイツに勝ったと自分を誇る事が出来る。

 ふん、あの悔しそうな顔は、私が死ぬまで借りるつもりだったがしょうがない。
 もうそろそろアイツに返してやることにしよう。



 何だよ……何だよ……何だよっ!


 それなら私はこんなところで立ち止まっているわけにはいかないではないか!
 アイツとの思い出を想いながら、一人泣いている場合ではないではないか!
 私は、私の全身全霊を以ってアイツを凌駕するだけの努力を積み重ねてやらなければいけないではないか!

 そうだ。
 アイツと共に消えてしまったと思っていた私の中に渦巻く激情。
 それは私の中から消えたのではなく、私の中で眠っていただけだった。

――私はようやくそれを思い出した。







 何度も思い返した、数々の「あの時」と同じ、うだるような暑さのある夏の日の事。

 私は真夜中を待って、アイツの思い出が残る神社へと向かう事にした。
 今日ばかりは、年季の入った愛用の箒は片手に携えたまま。
 私は敢えて、かつての「私」がそうしたように神社へと歩いて向かう事にする。

 私の目的はただ一つ。鬼籍に入り、妖怪の側に逝ったであろうアイツを倒しに行く事だ。
 鬼籍に入った奴に会いに行くのだから、当然、夜を選ぶのが筋。
 そう、つまりこれはいわゆる妖怪退治というヤツだ。

――それは、かつて幼き日の「私」がしようとした事そのもの。

 ただし、唯一にして最大の違いは、そこに住む「妖怪」は断じて退治すべき恐ろしい存在などではなく、
 私にとってかけがえのない大切な存在であった事。



 神社へと向かうその道中、私はふと、夜空に浮かぶ月を仰ぎ見た。
 何となくその彼方にアイツが居るような気がしたのだ。


 思わず、帽子をきゅっと深く被り直す。

 そうだ、本当はわかっている。
 こうして神社に行っても、もうアイツに会う事は出来ない。
 もはやアイツは何処にいるのかもわからないし、本当はもう何処にも居ないというべきなのだろう。
 でも、胸によぎる気持ちはたった一つ。


「お前には負けないぜ、待ってろよ、霊夢!」


 私は大きく空を見上げながら、精一杯の決意を込めてそう口にした。
 かつては思い出すのが辛くて、辛すぎて仕方無かった遠い夏の日の思い出。
 それら一つ一つを大切に、大切すぎるほどに思い返しながら。

 もう見失う事は無いだろう。

 今度こそ歩み続けるだろう。

 それだけの「思い」は私の中に確かに存在し続けているのだから。




「途中で諦めたりなんかしたら……承知しないから」



――何処かでアイツの声が聞こえた気がした。
はじめまして、いぐすと申します。

まずはここまで読んでくださり本当にありがとうございました。
初投稿の拙い文章でありながら最後まで読んでくださったという事は本当に嬉しくて身に余る光栄です。

今回のお話は自分の好きなある曲を聞いていて、その歌詞から着想させていただいたもので、
タイトルは誠に勝手ながらその曲名から一部拝借させていただきました。
この事も含めて、もし読んでくださった方のご気分を害させてしまってしまっていたら、その時は誠に申し訳ございません。

それでは改めて、ここまで読んでくださり本当にありがとうございました。
いぐす
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コメント



0.750簡易評価
1.90奇声を発する程度の能力削除
少しだけ涙腺にきました…
3.80名前が無い程度の能力削除
アイツが少しくどいかな でも、とても良い作品だと思う 次回も期待
4.100名前が無い程度の能力削除
いい作品でした。
12.100名前が正体不明である程度の能力削除
ぐっとじょぶ。
16.100名前が無い程度の能力削除
霊夢…悲しいな。でもすごくよかった
18.無評価いぐす削除
1年越しのコメント返しとなってしまい、大変申し訳ございません。
コメントをくださった皆様、評価をしてくださった皆様、そして読んでくださった皆様。
大変遅ればせながら、本当にありがとうございました。

>1 奇声を発する程度の能力 様
自分にとっての初めてのコメント、とても嬉しかったのを今でも覚えています。
それもたとえ少しだけでも涙腺に来たと言っていただけるなんて…
逆に、自分の涙腺がかなり怪しくなってしまいました。
お読みいただきありがとうございました。

>3 名前が無い程度の能力 様
アイツが少しくどい、お恥ずかしながら指摘いただいて初めておっしゃる通りだと気づきました。
それでも良い作品と言っていただいたこと、とても嬉しかったです。
お読みいただきありがとうございました。

>4 名前が無い程度の能力 様
いい作品とのお言葉をいただき大変嬉しく思います。
これからも精一杯思いを込めて書かせていただきたいと思います。
お読みいただきありがとうございました。

>12 名前が正体不明である程度の能力 様
お褒めのお言葉、嬉しい限りです。
お読みいただきありがとうございました。

>16 名前が無い程度の能力 様
キャラに感情移入していただいたこと、本当に嬉しく思います。
いつか霊夢視点でこの二人の関係性を描いてみたいと思っていますので、
その時はまた感情移入していただけるように頑張りたいと思います。
お読みいただきありがとうございました。
19.100非現実世界に棲む者削除
やっぱりレイマリは最高だ!(泣)
ありがとうございました!