突然だがわたし、比那名居天子はただ今水面に揺蕩ったまま太陽を眺めている。
とまあ、それだけ言うとなんかリゾート中みたいに聞こえるわね。
海?いやいや残念ながら幻想郷に海はない。わたしが浮いているのはただの池である。
しかも泥水。いや、本当は綺麗な清水なのだ。だったのだ。それが泥水になったのはわたしのせいである。
いや、わたしは悪くない。正確には通りすがりの妖怪が悪いのだ。
「で、大丈夫かね?お嬢さん」
池のほとりに立つ爺が馬鹿でも見るかのような目で声をかけてくる。
腹立つけど仕方がない。まあ確かに、傍から見れば冬将軍の足音が聞こえるこの季節に泥池に浮かんでるなんて馬鹿のやることである。
しかしまあ、世の中にはのっぴきならない事情というものが存在するのだ。それを考慮せずに一方的に人を馬鹿呼ばわりするのはやはり馬鹿のやることである。
じゃあ何でわたしが泥池に浮かんでいるかというと、ものの発端は一時間ほど前に巻き戻るのであるが…
◆ ◆ ◆
「さーて、今日はどの景色にしましょうか」
この水溜りを湖と呼ぶのはどうなのよ?といつもの疑念を浮かべながらこのわたし、比那名居天子は独りごちる。
話しかける相手は居ない。まあ、いつものことだし、話しかけたい相手もいないから別に問題はないし。
此処は天界で唯一わたしのお気に入りの場所。天界では「物見の湖」と呼ばれている。ま、実際には池と呼ぶことすらおこがましい、水溜り程度の貯水池なんだけど。
この湖は天界に居ながら、地上の光景を映し出すことが出来るのである。まあ、天界が幻想郷と呼ばれる閉鎖空間に移ってからはその幻想郷内の光景しか映し出せないんだけど、それでも狭い天界よりかははるかに多くの景色を写すことが出来るのだ。
当然、景色だけでなく人里や民家の中だって何でもござれ、閻魔の鏡とは別の意味でプライバシーなんてあったもんじゃない。
「今日はいい天気みたいだし、青が映える光景がいいかしら?」
言っとくけどわたしだって民家の中を覗くことなんて興味はないわよ。パパラッチじゃあるまいし。どうせそこで繰り広げられるのは他愛の無い日常だけだ。
人の生活とは会話で成り立っている。でもこの湖は音声を再生してくれるわけじゃない。だから他人の家を覗いて見たって面白いことなんかありゃしない。メロドラマにもなりゃしない。
そんなものを見るくらいなら美しい景色でも見ていたほうがいい。そのほうがずっと心が落ち着く。
「さて、鬱陶しい奴が来る前に、占有権を主張しておかないと」
尤も、地上の光景に興味を持つ天人なんて居やしないので、わたしが此処を知るまではほとんど使用者なんていなかったんだけど。
此処を訪れるのはおそらく二人だけ。わたしと、あのいけ好かないリュウグウノツカイ位だろう。
あいつを含め雲居に住まう連中は妖怪だが、天界に駐留する事を許可されている。
それは、あいつらがほとんど人に害をなすことが無く、また幻想郷最高神である龍に仕える妖怪である為だ。
龍神の言葉(一説には寝言とか)を幻想郷中に伝えるのはあいつらの仕事なので、天界としても無碍には扱えないらしい。
あいつが此処で何を見ているのかは知らない。あいつがここに居た場合、わたしはそのまま踵を帰してしまうから。
その一方でわたしがここを使用していても、あいつは平然とやってきて何も言わずにわたしが映した光景を眺めている。だからまあ、実のところ占有権なんてありはしないのだが。
あいつは何がしたいのか分からない。わたしが話しかけるなオーラを放っているからか、あいつから話しかけてくることは無い。それはまあ、褒めてやろう。だけど、わたしはあいつを好きになれない。
「ああ、やめやめ。何しに来たのよわたし。気分転換に来たんでしょうが!」
魚のことは頭から振り払い、湖に手をかざして意識を集中する。
今日は何処にしようか?なるたけ心が落ち着く光景がいい。
やはり、あそこにしよう。妖怪の山の麓、九天の滝から分流した支流のひとつの先。湖沼群が龍の鱗の様に連なった風景。
天人になったときに色を変えた、わたしの髪と同じ色の水を湛えた湖水地帯。
「さ、今日もよろしく頼むわよ」
湖の水面が揺らぐ。わたしの望んだ光景を映し出す為に。揺らいだ湖面が少しずつ光景を変えていく。わたしの顔の反射像から、地上の光景へと。
だが、そこに映し出された光景を目の当たりにしてわたしはため息をついた。なんてこった。
「ありえない。何かの間違いじゃないの?」
人が、いたのだ。妖怪の山の麓に。人が。なんと言う命知らず。
即座にチャンネルを変えればよかった。普段ならそうしただろう。
だが、意固地になっていたわたしは見たいと思っていた風景をそんな命知らず如きで変更する気にもなれなかった。
まあ、その結果わたしはそいつを観察することになってしまうわけで。自分でも馬鹿らしいと思っているのに続けてしまうあたり、やはり天人崩れだなぁ。
そいつは老人だった。そして釣人だった。
ごく自然に岩に腰掛け、ごく自然と池に糸を垂らしていた。
太公望なら良かったのに。山水に太公望っていうのはまあ、掛軸の題材に上がるくらいだからそれはそれで様になる光景に違いない。しかし…
「入れ食い状態ね…」
だが、その老人はさっきからジャンジャン獲物を吊り上げては串に刺し、身近な地面に火をおこしてその傍に並べていく。
ああ、魚に焦げ目がついて、香ばしいであろう煙まで立ち上っている…
わたしのお気に入りの風景が、爺の生活臭に埋め尽くされていく。こんなことが許されてよいものか?
私は激怒した。必ず、 かの風情を知らぬ爺を除かなければならぬと決意したのだ。
物見を切り上げ埃を払って立ち上がり、地上へ降りるべく湖を離れる。
だが天界の淵目差して歩き始めたわたしの視界にこっちへと向かってくる人影が写る。ちぇっ、見たくない顔が。ここを訪れる奴なんて二人しかいない。一人はわたし。もう一人は…
「あ」
そのもう一人。永江衣玖はわたしの存在を確認して声を上げる。
だがわたしはそれを無視して通り過ぎる。あいつと会話したことなんてろくにないし、したくもないし、それに今は急いでいるのだ。
あんな妖怪に構っている暇は無い。
巨大な一枚岩である天界の淵へ立つ。
さあ、あの爺をぶっ潰して、わたしのお気に入りの風景を取り戻すのよ!
要石を呼び出して、飛び乗る。目指すは妖怪の山の麓だ。
首を洗って待ってろ!爺!
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「あ」
つい私は声を上げてしまう。今日はなんかバッティングしちゃうんじゃないだろうか?
そう考えていた矢先である。本当に対面することになるとは。私の空気を読む力は実に本物だった。
比那名居天子はずかずかと私の脇を通り抜け、そのまま去っていってしまった。淡い桃の香りが鼻腔をくすぐる。
どうやら私は彼女に好かれていないようで、私達の間に会話が発展することは無い。もっとも、この天界に彼女が好む存在が居るとも思えないのだけれど。
彼女を追いかけても仕方が無いし、そうする理由もないので当初の予定の通りとりあえず湖まで歩を進める。
先ほどまで彼女が使用していたのだろう。湖は未だ彼女が見ていたのであろう光景を映していた。
「老人ですか…」
そこに映されていたのは、俗に青龍鱗沼群と渾名されている湖沼群だった。彼女はそこがお気に入りのようで、良くそこの風景を湖に映しているのを見かける。私がここを使っているときに彼女がここを訪れることは無いけれど、彼女が使っているときに私が訪れることはたまにある。特に話しかけなければ追い払われもしないので、便乗して景色を眺めていることもまた、たまにはある。他人が選んだ風景を眺めてみるのも、またおつな物というわけで。
それはさておきこの状況。私の空読センサーが嫌な空気をびんびんに察知する。彼女の性格からして、お気に入りの風景からあの老人を排除しに向かったのでしょう。
天人は頑丈だが地上人はそうではない。彼女がそれを失念していたらその気は無くともあの老人を殺してしまうかもしれない。
はてさて、これを捨て置いてよいものだろうか?別に天人の尻拭いは私の仕事ではないのですが…
「ふむ」
いたし方あるまい。私もまた羽衣を翻し地上へと向かう。やれやれ、本当に困ったものである。
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空を裂いて落下していく要石の上でわたしは胡坐をかく。この要石は優秀なもので、落下地点さえセットしておけばオートでそこへ向かって突き進んでくれる。
難点は下から上への移動はえらい遅いことだが、天界から地上へ降りる分には何も問題ない。便利なエレベーターなのだ。しかもショックアブソーバー内蔵で乗っかっているほうは安全ときている。
いやもうこれ最初に考えた御先祖様は天才だわ。
さて、もうそろそろだ。先ほどまで豆粒同然だった青い湖沼群がだんだんと大きくなっていく。が。
「ん?なんか黒い点が…」
なんか眼下に黒い点が見える。なにあれ?ブラックホール?…なわけ無いわよね。
はじめは小さい点だったその黒いモノはわたしが地面に近づくにつれてだんだんと大きくなっていく…って!
「このままじゃ衝突するじゃない!」
なんなのよあれは?ヤバイ物?安全な物?要石があるからぶつかっても大丈夫か?ああもうどうしよう!
なんて考えているうちに地表がもう目の前だ。正体不明の黒い球体はさらに目の前だ。
さっきブラックホール?なんて考えてしまったせいでちょっと突っ込むのは気後れする。なんかこう、触れたらガオンッ!!って削られそうな。
…仕方ない、あれがなんだか分からない以上、躱すしかないじゃないか!
「うっおおおおおお!!」
要石から滑り降り、併走ならぬ併落しながら全力で要石を蹴っ飛ばす!
反動でわたしは黒い球体から大きく逸れることに成功し、要石もまた黒い球体に若干めり込みつつも中心を避けて落下していった。
要石に目をやるが、球体にめり込んだ部分にも特に変化はない。ああ、どうやら回避の必要はなかったようね。ちきしょう。
「なんなのかー!?」
む、球体の中から声が聞こえる。なんだ、あれは妖怪だったのか。間抜けな音質からしてぶつからなかったようだけど。
いっそのこと轢いてしまえばよかった。そうすればほら、こんな風にわたしは飛ぶ間もなくバランスを崩して地表に激突することはなかったのに。
あー、死ぬかな、死なないかな。まあ、体が資本の天人だし、こんぐらいじゃ死にやしないわよね。
激突。すさまじい衝撃がわたしの全身を貫いた。
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「ふむ、空から女の子が」
全身を貫いた衝撃のせいでまだ体が動かない。脱力したわたしは落下の衝撃で泥水と化した水面にぷかりと仰向けに浮かび上がる。地上は秋から冬への過渡期なのでちょっと寒い。
しかしこの光景を目の前にして第一声がそれかい、爺。どうでもいいけど少しは動揺しようよ。それか心配しようよ。
それとも地上ではこんなの日常茶飯事ってわけ?そりゃ楽しそうで結構なこと。
体の具合を確認する。全身が衝撃で麻痺してしまっているが、恐ろしいことに目視したところ四肢に異常はない。内側も骨折やら内臓破裂はなさそうだ。すごいわね天人。
「で、大丈夫かね?お嬢さん」
ぷかぷか浮いているわたしの顔を覗き込んで爺が落ち着いた声で訊ねてくる。そこには心配するような表情も声色もまったくない。
まったく、どうやら食えない奴のようね。冷酷なんじゃない。こいつはどうやらわたしが今のところ麻痺しているだけで、五体満足であることに気がついているのだ。
一目見るだけで相手の負傷状況を把握してのけた。こいつ、医者か?それとも武人か?
「…大丈夫じゃないわ。身体が汚れて一衰よ」
「なんと、天人であったか。これは珍しい」
「あっそ、どうでもいいけど寒いからちょっと引き上げてくれない?ちょっと体が動かないのよ」
「ふむ、では己を襲わない、と確約していただければそうしよう」
後者だったか。どうやらわたしの敵意を察知したようだ。驚愕、後悔、羞恥。落下のいざこざでそういった感情に紛れ、薄れているはずの敵意を読み取るなんて只者じゃない。
いきなりサツガイはやめてちょっと様子を見たほうがよさそうね。
「分かったわよ」
「天人の誇りにかけて誓えるかね?」
「…わたしの誇りにかけて、約束は守る」
「では。ふむ、軽い。…いや違うお主の誇りがではないぞ。お主、スタイルを維持する為とはいえ、もう少しばかり食事には気を使ったほうが良かろうて。服が水を吸った分を加算してこれでは健康が危ぶまれる」
「やかましい。あんたデリカシーとかないわけ?」
「あると思うかね?」
「まあ、なさそうね」
何せ水に濡れて若干透け気味の薄衣を纏った、身動きできない美少女(文句ある!?)を抱き上げて眉一つ動かさない輩である。
そういった感情などもはや枯れ果てているに違いない。
改めて爺の顔を見る。引き締まった口元、若干不精もあるものの鼻下で整えられた白髭、血の気はないが老いても緩まぬ頬、わたしを見据える、深く重い眼差し。
そして何より、老人の細腕でありながら、たっぷりと水を吸った長衣を纏う人間一人を軽々と抱え上げるその腕力。
やはりこいつはただの浮浪者などではないわね。多分宮仕えを経験したことのある、一廉の武人だ。それが何でこんなところに?
「どうした、惚れたか?」
「…あんたがあと40歳若ければ惚れたかもね」
まあ実際、顔立ちは悪くない。若い頃はさぞ周囲の目を引いたことでしょうね。
「なんと、爺好みとは随分と変わった趣味をお持ちよの」
爺に興味なんてない、って言おうとして相手が言わんとした事を理解した。つまり40歳巻き戻してもこいつは老人だ、ってことか。
「仙人?」
「いや、ただの半人半妖よ。ふむ、そろそろ立てるようだな」
言われてみれば、ぎりぎり自力で立てるぐらいには制御系が回復している。こいつ、わたしより先にわたしの筋繊が弛緩状態から脱却したことに気がついたっての?
どうやら想像以上の化物のようね。襲いかからなくって正解だったかもしれない。
爺の腕から滑り降りて二本の足で大地に立つ。まだちょっと覚束無いが、まあ問題ないレベルだ。
「まあ無事で何より。投身自殺はいかんぞ、お主。自殺はいかん」
「するわけないでしょう。妖怪を避けたせいでバランスを崩しただけよ」
「なんと、妖怪の安全を気にするとは、お主、思ったより善良なのだな」
「思ったよりってなによ!…相手の手の内が読めなかったから用心しただけよ」
ちょっとばかり脚色する。ま、まったくの嘘ではないし。
「で、何故その用心深い天人がいきなり己を襲わんとしたのか。聞いても構わんかね?」
「…此処はわたしのお気に入りよ」
「ははは、成程!」
爺は楽しそうに笑う。それは孫の我侭を受け流す祖父のようだ。
子ども扱いは気に入らないが、なぜか安心する。たぶん、久々に人間らしい感情を目の当たりにしたからだろう。
そんなことで安堵を覚えてしまう自分が腹立たしくなり、わたしは顔を歪ませる。が、爺にはそれすら博愛の対象であるようだ。ええい、ますます腹が立つ。
「しかし何でまた地上の風景などに興味を持つのだ?己がこれまで会った天人は皆地上に興味などなかったが」
せいぜい地上を引っ掻き回して遊ぶだけ、一時の玩具であろう?と爺は続ける。
まあ、そりゃ気になるか。天人は天界だけで完結しているし、爺の言うとおり偶に地上に降りてきたって、地上の人間には理解できないレベルで
真理を説いて、それに踊らされる人間を見て楽しむ程度である。天界の環境は全て地上より勝っているのだから爺が疑問に思うのも無理はない。
だが、理由なんて語れない。地上人に語る言葉なんてない。
◆ ◆ ◆
天人になりたての頃。天界に己の理解者がいない事を知り、地上の人間を相手にしたことがあった。
あまり内面が地上人と変わらないわたしにとっては地上人たちと共にいるほうがはるかに気が楽だったから。
だが、数年もすれば身体が成長しないわたしが常人でないことなど露呈してしまう。そして天人である事を明かすとみな、同じような表情をするのだ。
すなわち「なんでこんな私たちと大差ない奴が天人なのだ?」と。
それは羨望。それは嫉妬。それは理不尽。「なぜこいつは妖怪にも脅えることなく遊んで暮らせて、私たちは汗水たらして働かないといけないのか」と。「自分達と私のどこに差分があるのか」と。
地上人からすれば、一切の悩みから開放され、遊んで暮らせる天人にはそれなりの資質があって然るべきなのだ。そうでなければ納得できない。
その感情はわたしにも良く解かる。解かるけどでも分かりたくない。でも分かるしかない。
地上人に近い天人なんて、そんなものが受け入れられる余地は何処にもないのだ。
不良天人であるわたしには天人らしい振る舞いなんて出来ない。だから地上人と係わるのをやめた。
「語りたくないか。それも良い。初対面の名前も知らぬ相手の問いに答える必要もない」
爺の声でわたしは想起から引き戻される。
爺は納得したように一人頷いていた。
「己は先ほど語った通り半人半妖、狭間に身を置く者よ。もしかしたら何かしらの手助けが出来るかも知れぬと思うて、いらぬ老爺心を出してしまった。すまぬな」
こいつ!
頭の回転も速い。耄碌しちゃいない。ますますこんな奴がここにいる理由が分からないわね。
「妖忌だ」
「なに?」
「己の名よ。しばらくはここいらをうろついておる。異論はないな?」
「比那名居天子。あるに決まってるでしょう?此処はわたしのお気に入りだって言ったじゃない。あんまり延々と居座るつもりなら力ずくで排除するわよ?」
・ ・ ・ ・
「はて、先ほど「己を襲わない」と確約したであろうに。お主の誇りにかけて。期限なしで」
こんの爺!
ちきしょう。天人の誇りにかけておけばよかった。そんなものならいつでも捨て去れたのに!
歯噛みするわたしの表情を見て爺、いや妖忌は嬉しそうに笑う。だからその孫を見るような顔やめろっつの。
「…泥だらけだし今日は帰る。覚えておきなさい」
「うむ、しかと覚えた。比那名居天子よ」
久々に、親しみの篭った声で名前を呼ばれた。
ちきしょう。嬉しくなんかないわよ!
「…天子でいいわ」
「では己の事は「お祖父ちゃん」と。いや「御祖父様」のほうが良いか?」
「アホか!呼ぶわけないでしょ!しかもさり気にお爺ちゃんでなくてお祖父ちゃんだし!」
「ほう、その細かなニュアンスの違い、よくぞ読み取った」
「分からいでか!」
うあーわたしすげー馬鹿な会話してる。完全に会話の主導権はあちらっ側だ。
けれどわたしには分かる。多分、あいつは計算してこの馬鹿なふりをやっているのだ。わたしの暗い表情を読み取ったから。
これ以上叩き潰しに来た相手に気を使わせるのも気が引けるし悔しいし、今日はもう引き上げよう。
それにいつまでも泥だらけなんて耐えられない!
「まあいいわ、とりあえずさっきも言ったけど今日は帰る。じゃあね妖忌」
「お祖父ちゃんと呼んではくれぬのだな…」
何処かしらさびしそうな声色が響く。…計算じゃなくてマジだったのかも。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
天子は己に背を向けて、何処からともなく呼び出した大岩に乗って天へと戻っていってしまった。
天人でありながら大地を象徴する岩を操るとは不思議な奴よ。
はて、比那名居?なゐ?ああ、そういえばそんな一族も居ったか。年はとりたくないものだ。
それにしても嵐のような娘であった。
コロコロと表情を変える。まこと天人とは思えぬが、あの速度で墜落しても傷一つ負わぬ強靭さはまさしく天人のそれ。
まるで外殻だけが天人であるかのようであり、そして事実そうなのであろう。
だとすればあのような表情にも得心がいく。
一瞬だけ見せた、全てに絶望したかのような目。あんな顔を見せられては、放置しておくことなどできようはずもない。
外殻だけでも天人なら、天人としての心身の強靭さがあるだろうからおのれの身を処するような事態にはなるまいと思うが…
―――ねえ、妖忌。私を攫っていってくれないかしら。私と、私の力が及ばない半死人である貴方と二人。私を、誰も居ない何処かへと―――
またしても、あのような表情を目にすることになろうとは。これが運命というのであれば運命とはおそらく悪魔のような表情をしているのだろう。
…乗り越えなければ、逃げてもいつかは追いつかれるか。
さて。
「そろそろ出てきては如何かな?」
背後に生い茂った樹々の中へと声をかける。返事はない。出てくる気配もない。
やれやれ、こちらから出向くしかないか。
樹々を掻き分けて林の中へ進む。
天子との会話中に気配を殺してふわりと舞い降りた人影の正体を明かす為に。
かすかな気配から妖怪と分かる。それなりの実力者だ。だが、こちらには敵意がない事を示す為に、刀は持たない。ま、多分何とかなるであろう。
脱力したように、しかしいつでも踏み出せる重心を維持し、我らを隔てる最後の枝を掻き分けて林の奥の開けた空間に足を踏み込んだ。
だがしかし、そこに居たのは、こう、なんというか、緋色の羽衣を纏って、キュッとしぼられた腰をくいっとひねって、天を指差している何かだった。
「…」
「…」
まずい、目が合った。
合っちゃった。
あれね、わしも結構長生きしたほうだけど、未だにこういうときなんて言ってよいかわかんない。
この気まずい空気。えーと、過去に体験した、これに最も近い空気はなんだったか?
ああ、あれだ。障子を開けたら幽々子様の着替え中であった時よな。そのときは何もいわずに障子を閉めて見なかったことにしたっけ。その後ボコボコにされたのも含め、良い思い出よ。
よし、では今回もそうしよう、障子は無いがな。まわれー右、さらばだ名も知らぬ妖怪よ。
「お待ちを」
空気を読んでくれぬかね?せっかくわしが見なかったことにしようとしているのに。
「お待ちを」
「…何かな?」
「一応、説明くらいさせていただきたいのですが。このままだと私は貴方の中でただの変人になってしまうではないですか」
ばーか。もう遅いわい。
「それで?」
「姿を現す機会を逸してしまったので、時間を無駄にしない為に舞の練習に費やすことにしました」
「そうですか」
「一応は、総領娘様が貴方に危害を加えないか危ぶんで来たのですが、どうもその心配は二重の意味で不要だったようですので」
「そうですか」
「御理解いただけましたでしょうか?」
「御理解はいたしましたが、納得したくはありません」
言ってる事は確かに合理的だが、だからといって踊るか?普通?
しかもこちらの会話が終わったことにすら気付かず踊り続けているとは、なんとまあのんびりとした奴よ。
「お目付け役かね?それとも友人かね?」
「自発的に、ではありますがおそらくお目付け役といった感じです。私は彼女に好かれてはおりませんので友人ではないでしょう」
目の前のがっかりな美女は残念とも当然とも取れる表情でかぶりを振る。
「何故、妖怪が天人のお目付け役を?」
「天人が地上で悪事を働いて、地上人が天界を攻めてくるようなことになれば、困るのは我々雲中の妖怪です。天人は傷など負わないでしょうけど、我々はそうもいきませんので」
「それだけかね?」
「?それだけですが。おかしいですか?」
「いささか足りぬな」
うむ、もしそれだけだとすれば些か気負い過ぎである。
「そうでしょうか?」
「うむ、まあどうでもよいことだ」
ま、本人が気付いていないならば、言を重ねても仕方ない。
「で、これからどうするのかね?」
「危機は去りましたし、誤解も解けたようなので私もこれで失礼いたします。今後も総領娘様をよろしくお願いします」
「総領娘様?それは天子のことかね?さて、それは天子次第よ」
その己の回答に妖怪はそうですか、と頷き、そして己に背を向ける。
そしてそのまま飛び立とうとして、ああとこちらに向き直った。
「申し送れました、私天界近くの雲中に住まう龍宮の使い、永江衣玖と申します。今後ともよしなに」
「妖忌だ。今後は変人、いや変妖扱いされたくなければもう少し空気を読んで行動すべきだな」
「何を馬鹿な、私以上に空気を読めるものなどそうおりませんよ」
静かに、しかし確かな自信を込めて衣玖はそう言い残して天へと戻っていった。
やれやれ、なんと言う面倒、いや面妖な奴よ。いや、むしろよいかも知れんな。あれぐらい変な奴のほうが。
「よろしくお願いします、か。気付いてないのかも知れぬが、先ほどの回答だけではやはり足りぬよ。お主」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
鏡台の前に立ち、姿見に映った自分の姿を確認する。いつもどおり。問題なし。
いつもどおりならば十分。爺相手に気合入れてお洒落するほどわたしもいかれちゃいない。
部屋を後にして外へ向かう。
「おはようございます総領娘様。…あれ、今日は少し気合が入ってますね。逢引ですか?」
使用人の一人が声をかけてくる。うっさい。気合なんか入れてないっつーの。
いつも通り挨拶代わりにひらひらと手を振る。そいつはそのまま心得たように去っていったけど、絶対誤解してる。
…なに、もしかしてわたし無意識のうちに気合入れてたってわけ?何それすげー恥ずかしい。
部屋に戻ろうか悩んだけど、結局そのまま天界の淵を目差す。
わざわざ不細工にメイクするなんて馬鹿らしいし、それにどうせ爺にはそんな差分など分かるまい。
「さあ、行くわよ!」
展開の淵へと到達する。要石を呼び出して、飛び乗って、目指すは妖怪の山の麓だ。
さあ、今度は数日前のように妖怪を避けて墜落なんて無様な姿は晒さないわ。華麗に着地して10点獲得といこうじゃない!
◆ ◆ ◆
で、どうしてこーなるのよ。
目を開ける。全身、怪我はないけどすごく痛い。どうやらまたしても妖忌の世話になったようだ。服が汚れてないところを見るともしかしてダイレクトキャッチしたのだろうか?
だろうか、というのはその瞬間の意識がわたしには無いからだ。
天界を出発した直後、地上からなんか、三階建ての小屋としか言いようのなさげな物体が唸りをあげて上昇してきたのである。
慌てて前回と同様回避したところ、要石はそれに当たることは無かったが今度はわたしがそれを回避しきれなかった。
どうせ天人だから大丈夫と思っていたら、その建物にはどうやら神の守護があったようで、それがその物体の安全を護る為に障壁として働いたのだろう。凄まじい衝撃に打ち抜かれて、そっから記憶が無い。
その障壁にこめられた神力はかなりのものだった。多分中にいた(であろう)連中は外でそんなことがあったなんて気付いてすらいないだろう。
すごいな幻想郷、ついには家すら空を飛ぶようになったか。まー楽しそうで結構なことだ、わたし以外は。
「自殺はいかん、と言ったはずだったが」
そんな事情も露知らず、妖忌は焼き魚を食み食みしながら馬鹿を見るような目でわたしを見下ろす。
うっさいわい。わたしだって好きで毎度毎度落下してるんじゃないわよ!
「地上から打ち上がってきた何かに轢かれたのよ。投身自殺じゃないわ。ふん、どんくさいって笑いたきゃ笑いなさいよ」
横たえられていた体を起こしつつ、不貞腐れてわたしは答える。
だがそれを聞くや、妖忌は一瞬、安心したような目をする。即座に元に戻ったとはいえ、その変化は劇的だった。
「なに?自殺について一家言あるようね?」
「一家言、というようなものでもないわい。『好死は悪活にしかず』。ただの一般論よ」
「そうは見えなかったけどね。ま、いいわ。わたしにもそれ頂戴」
こんがりと焼きあがった淡水魚の串焼きに目をやる。
「何を馬鹿な。これは己が釣り上げたものよ。食いたければ自分で釣るがよい」
ほれ、と妖忌は釣竿を渡してくる。それこそ何を馬鹿な。何でわたしが地上くんだりまで来てわざわざ釣なんぞせにゃならんのだ。
そのまま串焼きの一本に手を伸ばしてかぶりつく。…まあ、焼き上がりは悪くないが、味付けなしではなんとも。あとワタ抜いといてくれないかなぁ。
妖忌も「さもしい奴だ」なんてぬかしながらも塩の小瓶を放ってくる。んむ、苦しゅうない。
塩が加わっても味気ないことに変わりは無かったが、久々の会話しながらの他人との食事は悪くなかった。
「釣、好きなの?」
この前も焼き魚だった。
「好きというか、まあ飯の種よな。狩りよりかは楽であろ?」
「まあ、確かに」
「それに、竿を垂らしている間は刀を握るわけにもいくまい?修練の間に挟む腕休めにはちょうどよい」
今は休みっぱなしだがな、と妖忌は苦笑をもらす。
ふん、やっぱり剣士だったか。傍らにまとめられた荷物から長物が覗いていたからそうじゃないかとは思っていたけど。
「で、剣士様はこんな辺鄙な所でなにをやっているわけ?」
「武者修行、といえば聞こえはよいが、まああれだ。修行しつつ安らぎの中に身を置く。いうなればせかんどらいふという奴よ」
セカンドライフね。へー、こんな妖怪溢れる山の麓に居るのを安らぎと言い切る時点でもう感覚がおかしいわね。
しかし修行か。
「まだ足りないの?」
「何がだ?」
「剣の道。見たところ相当の凄腕のようだけど」
刀を握っているところを見るまでもない。こいつは間違い無く『極めた者』だ。肌で相手が纏う空気が異質である事を感じとれる。
まーわたしはなんも極めちゃいないわけだし?多分これは天人としての能力なんだろう。
「いや、もう十分。切りたいと思うものは大方切り捨てられるだけの技量は身につけた。むしろその逆よ」
「逆?」
「そう、『切らずに斬る』という境地。これがなかなかに難しい」
「日本語をしゃべれ。此処は幻想郷よ」
「ふむ、言葉で説明するより実演したほうが早いか」
そこで一旦会話を切ると、妖忌は昼食の後片付けをすませて、雑嚢から飛び出ていた刀を手に取ってするりと抜き放った。
ぱっと見たところ、業物のようには見えない。多分一般的な打刀、いや、どちらかというと太刀に近いかな?まあ、変哲も無い刀だ。
はてさて、何を見せてくれるやら。
「よいか?」
「まー、訳分かんないけどいいわよ」
別にわたしに切っ先が向けられているわけでもないし、座ったまま投げやりに答える。
それにどうせこいつがわたしを斬る気ならどうしようもない。たぶんこいつはわたし、というか天人も斬れるだろう。
既に死地の間合いだ。ならば焦っても意味は無い。
そのまま妖忌は刀を親指で握ったまま両手を合わせて礼をし、そのまま構えを取るでもなく流れるように刀を振るい足元に咲いていた名も知らぬ野花を切り捨てた。
「分かったかの?」
わかるかい。
刀で語るというならもっと雄弁に語って欲しいものだ。
まーとりあえず思ったことは。
「非道い事するわね。せっかく綺麗に咲いていたのに」
「然様、綺麗な花であったな」
妖忌は満足したかのように軽く刀を手拭でぬぐって鞘に収める。
ええい、何が言いたいかまったく分からん!
「しかし天子よ。己が斬って捨てるまでに、お主は一度でもこの花を美しいと思ったか?」
む。そういわれると意識すらしてなかったけど。
答えろ、と妖忌が目で語っている。ふん、なんか妖忌の筋書き通りのようで悔しいけど、嘘をつくのも馬鹿らしい。
「…思わなかったわね。ただの一風景よ」
「であろうな。斬れば判る。己が斬ったことでこの花はただの一風景から切り取られ、お主はその美しさを知ることが出来た。斬れば、判るのだ」
「別に切り捨てること無いじゃない、普通に指差して…あ」
そう、妖忌がただその野花を指差して、「綺麗であろう?」なんて問いかけてきたらわたしは間違いなく、
「はあ、何言ってんのよ。そんなんそこらじゅうに咲いてるじゃない」とか答えていたに違いない。
そうか、斬ったから判るのか。
「そう、斬ったから判ったのだ。だが」
「斬られたものは、最早元の物と同一ではない」
「然様、最早この花は生ける花で無く死にゆく花よ」
そういうことか。
「どうすれば斬らずにこの花の美しさを伝えられたのか。斬らずに判る、判らせる術を未だ己は持たぬ」
「成程ね」
「刀を捨てる境地には未だ達せず。この身は未熟というわけだ」
そういって妖忌はニヤリと笑う。自嘲するでもない。絶望するでもない。挑戦者の笑みだ。
その顔を見て、わたしは少しさびしくなる。すなわち、妬ましいのだ。うちこむ事がある奴が。
なんと卑しき己の心よ、なんて思ったりしない。でもそう思いすらしないことのほうがわたしを傷つける。
ほんと空虚だねー。今のわたしは。一体何のために生きているのか。
と、刀が飛んでくる。鞘に収めたそれを妖忌がわたしに放って来たのだ。慌ててキャッチする。
「なんのつもりよ!」
食って掛かるがますます妖忌は顔に浮かべた笑みを拡大してゆく。
「お主、酷い顔をしておるぞ。そんなときには素振りが一番よ。ほれ、素振り一千回。始めい!」
「ちょ、おい、こら」
「何ぞ、素振りも出来んのか。天人とは遊んでばっかりとは本当のようだな」
ああ?あんな連中と一緒にすんな!
◆ ◆ ◆
やったよ、やっちゃったよ。素振り一千回!
何やってんのさわたし。手のひらが痛いよ。腕が重いよ。それより何より爺に踊らされてる自分が馬鹿みたいだよ!
そしてそれをあんまり悪くないと思ってる自分がもっと馬鹿馬鹿しいよ!!
「なんぞ、酷い顔が変わらぬな」
「…誰のせいだと思ってんのよ」
ちきしょう。わたしはあんたの孫じゃないっつーのに。
でもまあ、素振り前の暗い感情が吹っ飛んだのは事実だ。問題が解決したわけじゃないけど、暗いままでは暗い思考しか出来ないわけだから、まあ素振りに意味はあった。
実際、今はなんか始めてみようかなーなんて考えてもいるし。現金なものだねわたし。
しかしまあ、心とは裏腹に体は酷いざまだ。疲れて重いし、汗だくだし、髪がうなじに張り付いて気持ち悪い。
目の前に澄んだ湖沼はあるけど、地上はもう冬。沐浴にはちょっと寒すぎるし、なにより爺のいる前で水浴びなんぞしたくない。
「疲れた。もう帰る」
「情けない。鍛え方が足りぬぞ」
うっせーっつーの。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
天子はふらふらと天界へと舞い戻っていく。
はて、ちょっとしごきすぎたか?後ろに気を使う余力も無いのか、スカートの中が丸見えである。
ここは見ないでおくのが情けというものであろう。
天子から目を放し林の中へと踏み込む。今日もまた、かすかな妖気を感じる。あの永江衣玖とか言う龍宮の使いは今日も来ているようだが…。
今日も踊っていたら変妖のレッテルを貼り付けねばならぬところだ。
「おう」
「お久しぶりです御老人」
永江衣玖が優雅に会釈を返す。口を開かず屹立していればまるで天女だというに。これで中身があれなのだから、実にもったいない話よ。
「あれからですね」
「おう」
「貴方が疑問を抱いたことの意味を考えてみたのですが」
「ふむ」
「熟考した結果、私は総領娘様に人間を襲わせたくなかったのだと判断しました」
うむ、それならば得心がいく。
「今回気絶していた天子が此処へ落ちてきたのはおぬしの仕業か?器用な事をするものだ」
十中八九間違いないだろうが念のため確認する。
「ええ、私の空気を読む能力を応用して空気の流れを支配し、貴方の元へと落ちるようにコントロールしました」
「何故そこでお主が受け止めぬ」
「私の飛行速度はそこまで早くありませんので、とても追いつけなかったのですよ」
「それだけかね?」
「…ふむ。もしかしたら、私が手を差し伸べて、払いのけられるのが嫌だったのかもしれませんね。ただ、どうやっても追いつける距離ではなかったこともまた事実です」
やれやれ、器用なんだか不器用なんだか。
「お主は、自分のこともまるで他人のことのように語るのだな」
「空気を読み、流れを支配する為には己を消し、周りの空気と同化する必要があります。それが染み付いてしまったのかもしれません」
「どうせ読めてないのだからやめてみてはどうかと」
「またまた御冗談を」
永江衣玖はにこにこと笑って否定するかのように手を振る。
あーうん、なら気がすむまでやるとよい。いつか気付くであろ。
「お主が天子を気にかける理由は何だ?天人が地上で悪事を働いて、困るのは雲中の妖怪なのだろう?であれば人を襲うかも知れぬ天人など嫌う余地は十分にある、いや、嫌わない理由のほうが少ないのではないか?」
「…」
「判らぬか、それとも言いたくないか。まぁ、言いたくないのならば語る必要もないが」
「何故私はこんな質問攻めにあっているのでしょうか?」
なんと、よろしくといっておきながら協力する気0か?それとも忘れたのか?
いずれにせよやっぱりこやつはのんびりとした奴だ。会話のペースが掴みづらくて仕方ないわい。
「お主が天子をよろしくと言ったからではないか。よろしく、とだけ言って後は放置は流石にひどかろうに」
「ああ、なるほど。御協力ありがとうございます。では私には答える義務がありますね」
「ま、話してもよいと思ったことぐらいは説明してもらえると助かるが」
「では。多分、私は総領娘様に期待しているのでしょう。だから、嫌いになれない」
期待、か。成る程、少し意外ではあるが概ね理解できた。
「お主が天子と一線を引いているのはそれが理由かね。…後ろめたいか?勝手に期待を押し付けている自分が」
「…そう…かもしれませんね」
永江衣玖は顎に手を当てて考え始める。
ふむ、こちらも少し性急すぎたかの。少し話題を変えるとしよう。
「天界にはあのような天人は天子一人だけなのか?」
「あのような、と申されますと?」
「天真爛漫、自由奔放、胆大心小、孤立無援、才気煥発」
「最後の一つはちょっと意外でした」
「そうかね?割と聡慧な娘であると思うが」
天子と会話をしていると一から飛んで十とまではいかないが、時々六、七くらいは飛ばしてきよる。
逆にこの目の前の永江衣玖は一の次に時々11/3とか27/5あたりを持ってきよる。
「そうですか。では回答ですが是、となります。他にあのような天人はおりません」
「理由は?」
「それは総領娘様の口から聞いたほうがよろしいかと。総領娘様は口にしたくないかもしれませんが、なればこそ私が言うのも憚られます」
「そうか、心得た」
その後、互いに何も言葉を発さず、己と永江衣玖の間に沈黙が漂う。
「最後に。お主は、比那名居天子と友誼を結びたいと思うか?」
「…否。私は総領娘様に一方的に期待を抱いています。ですが、彼女に私が与えられるものは何もありません。ならば私たちは友人になるべきではない」
「そうか」
「貴方はどうなのですか?」
「既に友人である。少なくとも己のほうからはな」
永江衣玖は若干不機嫌そうな表情を形作る。
「なぜ、そうも簡単に友人だと口に出来るのですか?貴方と総領娘様はまだ2回しか会ったことが無いはずです」
「友情とは、穢れ無きものではない。打算なき友情などありはしないからよ」
「…」
そんなことは無い、と言いたげであるな。
「問おう。一緒にいて楽しいから友人になった。これは間違いか?」
「いいえ」
「心細さを覚えた時、傷ついた時、友人と共に居たい、慰めてもらいたいと思う。これは間違いか?」
「いいえ」
「だがしかし突き詰めればこれらも打算である。相手に対して己が欲するものを与えてほしい、と願っておるのだから。違うか?」
「…いいえ。その通りです」
「もしこれらを否定するのであれば、友情が成立する為に必要なのは相手に対する無償の奉仕、ということになる。お主は、それこそが友情である、と思うか?ただ尽くすだけが、友情だと?」
「…いいえ。それが可能なのは悟りを開いたものか、もしくは洗脳されたものだけでしょう」
またずいぶんと両極端な例を出してきよる。だがまあ、その通りよな。
「故に友情には常に打算が含まれておる。しかし友情は美しいと人は感じる。それはなぜか?己は、そこに相手を慮る心があるからだと思う」
「思いやり、ですか」
「そう。正しく相手を思いやる心があれば、打算が含まれていようとそれはただの取引ではない。友誼となりうるのだ、と己は考えている。ま、あくまで己の考えであって、真理は違うのかも知れぬが」
「…」
「故に己は天子と既に友人である。己が天子を気にかけるのは己の過去に起因しているが、しかし同時にかの可憐なる少女には笑顔でいて欲しいと思う。故に既に友人である。ふむ、少しばかり格好付けすぎたか?」
「男子は常に格好良くあるべきであると思います」
「始めてお主の空気を読んだ発言を聞いた気がするわい」
「爺の癖に何かっこつけてるんですか恥ずかしいですね年を考えたらどうです?」
「ふはは、真よな!」
永江衣玖と顔を見合わせて、笑う。
「で、己はお主とも友人でありたいと思うのだが、いかがだろうか?己もまた類まれなき変人ゆえ、変人同士友誼を結ばぬかね?」
「私は健全ですが、喜んで」
「ファファファ。笑わせよる」
「失礼な爺ですね」
苦笑が込み上げてくる。再度、衣玖と顔を見合わせて笑う。
衣玖もまた、たおやかな笑みを浮かべている。
それよ、空気を読んだ笑みよりそっちのほうがよっぽど美しいわ。
「で、衣玖は、天子と友誼を結びたいと思うか?」
「少し、努力してみようかと思います」
「そうか」
そう語ると、衣玖は緋色の羽衣をはためかせ、ふわりと中に浮き上がった。
「それでは私も雲居に帰るといたしましょう。それではまた、妖忌殿」
「うむ、また会おう。衣玖よ」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
そんなこんなでわたしはちょくちょく地上に降りるようになった。
地上に降りてなにをするかと言えば、まーなんかする訳ではない。
妖忌と下らない会話をしたり、面白くも無い釣なんぞをしてみたり、なぜか妖忌が持っていた将棋なんぞを指してみたり。
要は天界で天人どもがやっている事をわたしは地上でやっているわけだ。だというのに格別つまらない、ということは無かった。たぶんまあ、それは駄弁る相手がいるからなんだろう。
ただちょっと暗い顔をすると素振りをやらされるのは勘弁して欲しい。マッチョになったらどうしてくれるのよ!
ちなみに釣といえば、わたしはまったく獲物を釣り上げることができなかった。妖忌に言わせると、「お主は落ち着きがなさ過ぎる」ということらしい。
なんで妖忌が釣ったおこぼれを毎回拝借しているわけで。
流石にこれは情けないと思ったんで、天界の食事をたまには持っていくことにした。
まあ、天界の食事はあまり美味くないんだけれど。地上では天人は美味い食事をしていると思っているようだが、何せ天人とは欲を捨てた連中である。
美食なんぞを追及する奴なんていやしない。さらに己を磨く必要がなくなった連中しかいないんだから料理技術が発展するわけも無いのだ。
けどまあ、妖忌も別に文句も言わないし、持ってかないよりは持ってくほうがいいんじゃないかな。
わたしと妖忌の関係は良く分からない。友人なんだろうか?どうだろ。
ただ、分かることが一つ。あいつはわたしに誰かの影を投影している節がある。
誰かは分からない。多分あいつの孫かなんかだろうとは思うのだが。ま、そんなわけであいつがわたしを友人と思っているかはちょっと怪しいところだ。
わたし?わたしはどう思っているんだろう。わからない。
ああ、あとそういえばなんか最近リュウグウノツカイが時たま声をかけてくるようになった。
あいつはどうやらわたしが何をしているかを概ね把握しているようだ。まあ、隠してるわけでもないからそれは不思議じゃない。だがしかしあいつはろくな事を言ってこない。
例を挙げれば、
釣竿を持って帰ってきたわたしに「釣れましたか?」とか。釣れないっつの。いつもボーズだよ。
料理を持って天界の淵へと移動するわたしに「通い妻のようですね。可愛らしいです」とか!誰が通い妻だ!
延々と素振りさせられてヘロヘロになって帰ってきたわたしに「うち込むことがあるというのは楽しいですよね」とか!!楽しくないよ!!むしろ罰ゲームだよ!!
なんなのよあいつは!わたしを挑発しているとしか思えない。あいつに話しかけられる度にますますあいつが嫌いになる。
使用人があいつの能力は「空気を読む」能力だって言っていたけど絶対嘘だ。事実だとしたら能力を使いこなせていない無能に違いない。
腹が立ってしかたがないので最近はあいつが馬鹿な事を言う度に要石をぶち込むことにしている。
ただあいつも妖怪だけあって無様に直撃などせず、羽衣で受け止められてしまうんだけど。
まーわたしの毎日は、ここ数日でこんな風に変化していったのだ。
◆ ◆ ◆
いつものように地上に降りたある日、妖忌が失礼な事をのたまいやがった。
「いつも気になってたのだが、お主もしかしてボッチうぼぁ!」
顔面に正拳を叩き込む。悪かったわねどうせボッチよおひとりさまよ!
とはいえ尋ねた妖忌も申し訳ないとは思っていたようだ。そうでなければわたしの拳が妖忌の顔面にめり込むはずないし。
「…もうちょっとオブラートに包んだ言い方は出来ないわけ?」
「どう聞いても失礼な質問である事を隠しようも無かったのでな。痛っ、良い拳であった」
そういいながら妖忌は千切った手拭を丸めて赤いものが垂れてきた鼻に突っ込む。
「で、どうなのだね?」
「…それ聞いてどうしようってのよ」
「なに、スタイルのよい天人でもおったら紹介でもうぼぁ!」
「悪かったわね!絶壁で!」
おのれ、このエロジジイが、なんて思ったりはしない。どーせこいつはそんなことには興味がないのだから。
こいつはこいつなりに少ないボキャブラリで場を和ませようと努力してるのだ。それを無駄にしないためとはいえ、ぶん殴るわたしも良い性格してるわ。
はー、別にそんなに気を使ってもらわなくてもいいんだけどねー。
「一人っきりよ。わたしは不良天人だから」
「不良天人、というと?」
「あんたも薄々わかってんでしょ?わたしは修行を積んで天人になったわけじゃない。実際はうちの親父の上司が天人になったとき、おまけでわたしたち比那名居も天人にしていただいた、ってわけ」
「ほう。であれば、不良天人というのはお主だけではなかろうに」
その通り。比那名居一族はみんな不良天人だ。でも周りの連中はみんな大人。そのときにガキだった比那名居はわたしだけだ。
「まーね。でも他の連中は天人らしい天人に落ち着いた。天人らしからぬ天人はわたしだけよ」
他の天人からすれば比那名居一族まとめて不良天人である。呼び分けはしない。
でも今じゃ真の意味で不良天人と呼べるのはわたし一人だ。
だから実質、不良天人という称号はわたしの為にあるようなもの。
「いろいろさー、考えてみたわけよ。何で他の連中は天人らしく在れて、わたしは天人らしくないのか。妖忌には分かる?」
「ふむ、咄嗟には答えが出てこんな」
そこで即座にポンと出てきたら、長年考察したわたしが馬鹿みたいだからちょっと安心した。
「とりあえず己の知っている天人は二種類在るな。生きたまま修行を積んで天人になったものと、死後に生前の功徳により天人に昇華したもの。考えるのはこの場合前者でよいな?」
「ええ。で、わたしたち不良天人も体があるから分類としては前者。で、重要なのは天人は未だ仏でも神でもなくて人間って事」
「ほう?」
「ほら、人間って、存在が精神に依存する妖怪とは異なって体が資本な種族じゃない?」
「妖獣みたいに体に偏った妖怪もいるがな」
「まーね。で、肉体のある天人も同じ。どちらかというと体に偏重している。だからみんな体が天人になっただけで格を備えてなくても天人らしい天人に成れた」
そう、他の比那名居一族の連中だって別に天人になってから修行したわけでもない。だというのにあいつらは気付いたら天人らしい天人になっていた。
正直、あいつらは比那名居って名乗らなければ素行から他の天人と区別なんて出来やしないし。ま、顔覚えられてるから実際は区別されるんだけど。
「ふむ。その理論で行くとお主も天人らしい天人になってしかるべきではないか?」
ま、そう思うわよね。わたしもそう思ったし。
「で、此処でもう一つ重要なのは、天人とか仙人は修行の果てに辿り着く境地って事。つまり、若くして天人や仙人にはなれないってことよ」
もっとも、大陸には若くして仙人になる手段があるらしいけど。それでも仙人から天人になるにはやはり長い修行が必要だ。
目が覚めたらハイ天人です。なんてことはありえないのである。仮にそんなこと考えているやつがいたら実に御目出度い奴と言わざるをえない。
「成程な。修行によって磨き上げた肉体が欲をも抑制し、魂の格をも引き上げ天人になると」
「そ、つまるところ天人って言うのは、年を経たもの限定の種族ってわけ」
無論、天人になってから体を若く戻す連中もいるから、天界が老人で溢れている、って訳じゃない。
でもそれはあくまで外見を若く戻しただけ。実際に心身ともに若返っているわけじゃない。
「で、そこで幼いガキを無理矢理天人にしたらどうなるか。その答えがわたしってわけよ」
「年月を経、安定した肉体だけが昇華できる天人の体に成長途中で若いまま改造したから機能不全を起こしている、という訳か」
「ま、仮説だけどね。当時ガキだった比那名居がわたしだけとはいえ、他の連中が爺婆ばっかだったわけでもないし。2~30年なんて天人からしてみれば0と大差ないわけだし、疑問も残るけどね」
「だが、その数十年で人は人として成熟する。当時未成熟だったのはお主だけだった、ということか」
「そういうこと。天人になるのを諦めた愚か者の言い訳って笑い飛ばしてもいいわよ」
けれど妖忌はわたしの推論を受け入れたようだ。納得したように頷く。
「だからわたしには天人としての自覚も誇りもない。わたしが誇れるのは、この要石で大地を操る能力だけ」
まあこれもわたし一人の能力ではなくて、一族全員同じ能力を持っているけど。しかし既に天人と化したあいつらの能力に比べてわたしの力はダブルスコアを軽くぶっ千切る。
比那名居の一族でわたし以上に要石を上手く扱える奴は最早いない。親父様とて同じこと。わたしが、最強の比那名居だ。
「もっとも、未だに大地を操る力に執着するわたしはあいつ等から見ると愚かに見えるみたい。でもそれを口にした奴はみんなしばき倒した。だからわたしはボッチ。おひとりさまよ」
「では、不良天人と天人は?やはり馬が合わんか?」
「まーね、なんていうかさ、普通の天人を10とするなら、わたしは多分3か4位なのよ。他の比那名居は8か9位かな」
「ほう」
「で、私はあいつらに劣るわけ。で、あいつらはそれを事実として語るわけよ。悪意なんかなしに、純然たる事実として」
「…成る程」
妖忌は理解したようだ。そう、人を傷つけるのに悪意なんて別に必要はないのだ。他の天人は理知的で、落ち着いていて、粛然としている。
どうあがいたって格でわたしがあいつらに敵う訳はない。わたしは劣っている。それはまごう事なき真実であり、真実を指摘することはまた悪じゃない。
だから事実を指摘されて怒る天人など居ない。あいつらには、事実を突きつけられるのが苦痛だなんていう思考そのものが存在しないのだ。
「天界に、お主が安らげる場所はないのか」
「あるとすれば、私の部屋だけね。後は悪意のない針のむしろよ」
「そうか」
妖忌はそれだけを語ると口を閉ざして思考の海に身を投じた。
はてさて、何を考えているやら。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「だから友人を作ろう、とは思わんのか。己以外に」
切り出してみる。慎重に訊ねねば傷つけてしまう恐れもあるが、だからといって臆していては何も始まるまい。
「なに、妖忌の中じゃわたしと妖忌は既に友人なんだ」
「当然よ。不満かね?」
「…そんなことないわ」
天子は少し目を瞬かせた後、少し顔を赤くしてつぶやいた。愛い奴め。脳内で写真機のシャッターを切る。
まあ、それはよいとして、だ。
「おぬしぐらいの年であれば、やはり同年代の友人がいたほうが良かろうに。人間が駄目なら妖怪だって良いのではないか?」
もはやどうせ人間も妖怪もあまり区別がなくなってきたこの郷よ。
いまさら妖怪と親交があったところで非難されることもありはせぬ。
…異変解決と妖怪退治を生業とする博麗神社を除けばな。
「同年代って。わたし千年以上生きてるけど」
「精神的なものよ。ガキなのであろ?」
「…まあね。しかし妖怪ねぇ。妖怪には天人は嫌われてるからなぁ」
「ん?そうだったか?」
「あぁ、食料としてね。天人の肉はもの凄い不味い、って言うか毒なんだって。食わなきゃ大丈夫とはいえ、毒を身近に侍らせておく物好きなんてそういないわよ」
なんとまあ、妖怪もしみったれてきたものよ、情けない。
昔の妖怪ならばたとえ毒であっても恐怖の体現たる妖怪の矜持のために天人すら襲ったものだが…ってそれでも友人には成れぬなぁ。
「気になる奴とかはおらんのかね?」
「いないこともないけど。一匹だけ。別の意味で」
うん?なんか嫌な予感がひしひしと。
「どのような奴だ?」
「けばい色したウナギの化物」
あーなんか嫌な予感が現実になってきたわい。
「別の意味とは?」
「ウザイのよ。なんかすれ違うたびに人を挑発するようなことばかり言ってきて。喧嘩売ってるとしか思えないわ。あー思い出したら腹立ってきた。あいついつか潰す」
衣玖よ。お主一体何をやっておるのだ、全く以て駄目ではないか。だから空気を読む能力に頼るのをやめろといったのに。
あやつの能力は空気を読み、うまく立ち回るというものではなくて、単に空回りする能力なのではないか?
やれやれ。しかし今日の天子はずいぶんと己の質問に素直に答えるな。
「ふむ、では博麗神社の巫女なんぞどうだ?」
「巫女?人間でしょう?もう人間には期待できない」
なんとも、思ったより根深いな。これはこの後素振りしかあるまい。
「いやしかし、今代の巫女は特別よ。なんでも人間も妖怪も分け隔てなく受け入れ、そして叩き潰すらしい」
「どっちなのよ!」
「敵にまわればどちらでも叩き潰し、普通に神社を訪問するならどちらでも受け入れるとか。基本、神社の外では妖怪退治しているらしいがな」
「へえ。それほんと?」
「そうらしい。妖怪を招いて平然としているということは妖怪相手に負けるはずがない、という自信があるのかもしれん。実力的にもおぬしと相対して申し分ないのではないかな?」
そうとも。満開でなかったとはいえ、あの西行妖を仕組みも分からず単独で再封印するなど。
あれこそが神に愛された娘というものなのだろう。見た目には神々しさなどカケラもなかったが。
だがしかし己の孫もまた、あの巫女と、その同僚?たる魔法使いと相対した後から変わっていったように見える。あの巫女らならば。
「ふん。博麗の巫女だろうがなんだろうが同年代相手にこのわたしが負けるはずないわ!…でもまあ、それはちょっと興味あるわね」
「うむ、友人云々はともかく、ひやかしてみるのも面白いかもしれん」
「妖忌はそいつを見たことあるの?」
「遠目からならば」
「どう思った?斬れると思った?」
「…ある瞬間は容易に斬れる、と感じた。別の瞬間には決して斬れぬ、と感じた」
「なにそれ?」
「そういう能力の持ち主なのかもしれん。だが感情、実力、条件等あらゆるものを総括して言えば、おそらく己の刃はあの巫女には届くまい」
「…へえ」
天子の目がすっと細まる。やれやれ、どうやら天子の中では己は相当な達人に位置付けられておる様だ。
己などもはやただの老いぼれに過ぎんというのに。困ったものよ。
「面白そうね。今度ちょっかいを出してみるわ」
「第一印象というのは大事だぞ。今後も付き合っていこうと考えているなら無茶苦茶はせんことだ。投身自殺でこんにちは、はやめておけ」
「やらないわよ!…よし、まずは神社に行って様子を見てくる。時間的に今日はここまでかな?じゃあね、妖忌。…あと、ありがとう」
「応。ではまた、天子よ」
思い立ったらすぐ行動か。やれやれ、忙しい奴だ。
あ、素振りさせるのを忘れたわい。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
そんなわけで意気揚々と博麗神社に乗り込んでみたわけだけど。
どういうことかだーれもいやしない。なんていうか、人気がない。廃社のようである。
ちょうどそこら辺をうろついていた、わたしと似たような帽子をかぶった色素の薄い、なんか変な球体を胸付近にぶら下げた妖怪に話を聞いたところどうやら二週間近く巫女を見かけてないとの事だった。
二週間かー。だいたい二回目に妖忌とあったときぐらいかな?
そんな長いこと留守にしてるとかありえない。神社在っての巫女でしょうに。どうやらここの巫女にとって神社はどうでもいいに違いない。よしならば後でわたしのものにしてしまおう。
とはいえ今日は巫女の様子を伺いに来たわけだし、留守じゃどうしようもないわねー。
そんなわけで日も暮れてきたため諦めて天界に戻ったわたしは即座に嫌な顔と対面することになった。
「総領娘様」
永江衣玖。気に入らない妖怪。鬱陶しい妖怪。どうせまた面白くない台詞を吐くんだろう。
「総領様がお呼びです。至急館へ戻るように、と総領娘様を見つけ次第伝えて欲しいとの依頼を承りましたのでお伝えいたします」
予想とは違ったけれど、面白くない台詞には違いなかったわね。
ふん、親父様か。またどうせ面白くもなく意味もない説教を聞かせてくれるんだろう。天界は面白くないことばっかりだ。
とはいえ無視するわけにもいかず親父様の部屋を訪れたわたしを待っていたのは親父様と親戚数名、そして説教よりも面白くない命令だった。
「天子、お前の大地を操る能力を封印する」
◆ ◆ ◆
日光が窓から差し込んでくる。今は朝の九時ぐらいだろうか?
結局一睡も出来なかった。布団の上でごろんごろんと寝返りを打つ。
長い髪が体に絡まってくる。鬱陶しいとも思うが、空を溶かし込んだ様なこの髪は好きだったので短く切る気にはならない。
ま、人間離れした髪の色は余計に自分が天人である事を思い知らされるけど。
「ーーーーーーーっ」
布団の中で涙をかみ殺す。
どうやら親父様達はわたしが未だに天人らしからぬ有様なのは地上に囚われすぎているから、と判断したらしい。
ついでに最近地上にばかり出向いているのが今回の決定に拍車をかけたようだ。
だから大地を操る能力を奪って、わたしが地上に赴かなくなれば天人らしくなるだろうと思ったのだろう。
朱に交われば赤くなるを地で回避する策ですか。まったく持って天人らしく、面白みのない手法ですこと!
そりゃあね、この大地を操る力を捨てれば天人になれるというのなら、ちょっとは考えてもいい。だって一人は辛すぎる。
でもわたしの仮説が正しいのなら、力を捨てても天人になれるはずはない。何も出来なくなった、天人崩れが一人残るだけだ。
だったら、わたしがわたしに誇りを持つために、この力は捨てられない。
誰にも、馬鹿にさせない。嘲りは許さない。これは、この要石を操る力は、天人にも地上人にもなれない比那名居天子の全てなのだから。
だから、拒絶した。奴らの言う全てを。それが昨晩の話。
ま、その結果今のわたしは籠の鳥。これから非想非非想の力だかなんだかで封印を施すとか。
御丁寧にも屋敷のいたるところに見張りが配置されているし。ふん、不良天人の屋敷なのによくもまあこれだけの人員を用意できるもんだ。
ま、そんだけ親父様も他の天人に信頼されてきたということだろう。親父様、わたしと同じ不良天人と呼ばれていても、貴方は既に立派な天人ですよ。
だがしかし、良く分かった。親戚にはどうやら私の味方は一人もいないらしい。
わたしの頭を怒りが支配する。
なんで、わたしだけが。どうして、わたしだけが。こうも非難されなくてはいけないのか。
わたしだけが悪で、他の奴らは正義なのか。ああ、うん、そうだろうね。だって天人なんだもん。間違いなんて犯すはずないもんね。
故に、不良天人は常に悪で、天人は常に正義である。
あっはははは、なんて明快な解答!分かり易過ぎて涙が出てくるよ!
………ものか。認めるものか。認めるものか!
このまま、わたしの全てを奪われてなるものか!あんた達が天人ごっこをしたいのならばすればいい。だけどそんなものにわたしを巻き込むな!
天人でもない。地上人でもない。わたしは比那名居天子だ!まずわたしがあって、次に種族がある。奪わせやしない。わたしの全てを。
となれば封印なんぞをされる前に逃げるしかない。正面から叩き潰しても良いけれど、流石にこの数はしんどそうだし、なによりこいつらだって一応は親戚なんだ。
不良天人なんて言われてても親戚に暴力を振るうことにまったく罪悪感がないほどわたしだってぶっ飛んじゃいないしね。
幸い室内には監視の目はない。戸棚から予備のブーツを取り出して履き、きっちりと紐を結ぶ。
最後に長年暮らした部屋を見回す。この光景も、これで見納めだ。
…さて、行くか。さよなら親父様。もう会うことはないでしょう。
音を立てないように床板を引き剥がして床下に潜る。
まったく親父様も他の比那名居も耄碌したものだ。わたし達の能力は要石を操ることだというのに。
そしてなにより、天界とは巨大な要石であるという事を忘れたのだろうか!
霊力を込めて、地面に手をかざす。
ボコリ、と地面、いや巨大な要石の一部が埋没した。よし、結構霊力を食われるけど、いける。
そのまま要石を掘り進む。ごりごり。さあ、このまま底を抜けるとしよう。
ごりごり、ごりごり。
◆ ◆ ◆
だがしかし、あと一掘りというところまで来てはたと気がつく。わたしは何処へ行けばよいのか?わたしは地上で身を隠せそうなところなんて心当たりがない。
胸に芽生えた怒りの嵐が一段落した後に残るは孤独ばかり。
そもそもわたしの知り合いの地上人なんて一人しかいないし、しかもそいつは風来坊だ。
…でも、話をすれば何処かしら紹介してくれるかもしれない。あいつは今日もあそこにいるのだろうか?
そう考えた裏で暗い思考がわたしの胸を侵食してくる。
行ってどうする?恥も外聞もなく妖忌に甘えるのか?おそらくわたしに自分の孫を投影しているであろう、奴の感情を逆手にとって?
奴の孫の振りをして奴を利用して、その上この傷心を慰めてもらおうっていうの?それは。
「なんて、惨めな」
思わず口をついて出る自嘲。負のスパイラル思考が止まらない。やめたほうがいいって分かっているのに止められない。
他の天人からすれば馬鹿らしい思考なんだろう。くだらないって一言で切って捨てられるに違いない。
強がってみたって、結局わたしは家族に、親戚に理解者一人作れない愚かな小娘に過ぎないんだ。
ああくそ、地上になんて行かなきゃよかった。妖忌を上空から叩き潰して、それで終わりにしときゃよかった。
そうすれば、人に頼りたい、なんて考えを思い出さずに済んだんだから。
楽しさを思い出してしまったから、悲しさも思い出してしまった。
全部全部、あいつが悪いんだ。あいつが、わたしを見て、孫を見るような顔で笑うから。
卑怯者。ああそうだよ、わたしは奴の孫の皮をかぶった別人だ。よい配役だけを掠め取ろうとしている卑怯者だ。
弱虫。ああそうだよ、自分の感情を、自分の内だけで処理できず他人に擦り付ける弱虫だ。
ならば消えてしまえ。いやだ、わたしだって、幸せになりたいんだ。
どうやって幸せになるって言うんだ。理解者一人いない、この世界で。
最後の一掘りを実行し、そのままストンと身を落とす。
要石は出さない。降りたいんじゃない。落ちたいのだから。落下の衝撃は、この暗い思考を消し飛ばしてくれるだろうか?
この体は、どうせ、死にやしないんだから問題ない。落ちる先は…何処でもいいや。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
久々に刀を抜く。もはや切らねばならぬものなど無くなった身だが、それでも刀を手放すことが出来なかった。
己の目標に到達する為に、刀はもはや必要ない。それでも手放すことが出来ないのは、己の心の弱さゆえであろう。
だがしかし、刀を抜くことがこの身にとって鍛錬になることもまた事実。刀を手放す極地に至る為に刀を握る。なんとも因果なものだ。
正眼に構える。敵がいるわけではない為周囲に意識を払う必要もない。切っ先のみに意識を集中する。
全身の神経が研ぎ澄まされる。はは、やはり人切りは人切り。刃物を握ったときにこそ本領を発揮できる。
真、情けないものよと哂いながらも感覚はより鋭敏になっていく。業からは逃れられぬか。
と、何ぞ?迫ってくる気配が。これは、ふむ。天子であるか。
切っ先から意識を引き剥がし迫る気配に視線をやる。
「またかい!」
真っ逆様に、天子が落ちてくる。
受身を取るそぶりすら見えない。また気絶しておるのか?なんともツキのない娘よ。いや、いろんなものにぶつかるという事はツキがあるのか?
とりあえず受け止めねば成るまいな。っと?
「!」
目が合う。いや、正確には天子はこちらなど見ていないが、そんなことはどうでも良い!あやつは意識があるのだ!
「何をやっている!!」
大地を蹴る。先ほどまで刀を握っていたせいか、この老いた身も瞬時に応えてくれた。
半人半妖。妖には及ばねど人を上回るその筋腱で落下予測地点へ先回りする。
仮に受け止めることが出来ても、衝撃は地表に叩きつけられるのと大差は無い。だが。
落としてはならない。受け止めねばならない。結果として死にはしなくても、あれは天子の自殺なのだから。
両腕に、すさまじい重圧がかかる。間に合った!後は剛剣を受け流すように、負荷を全身に分散させる。
「っくぅ!」
思わず呻き声がもれる。ふん、老いたものよ。この程度の衝撃に耐え切れぬとは。
だが、まあ、今回も落とさずに済んだ。まあまあの出来であろう。
「あ」
天子の視点が定まってきた。どうやら落ち着いてきたようだ。
「歯を食いしばれ」
「?」
天子を立たせ、自由になった手で拳骨をお見舞いする。
「ふん!…ぬぁあ!」
が、しまった。天人の頑丈さを忘れていたわい。己の拳は悲鳴を上げているのに、天子は痛そうなそぶりすら見せず、ぼーっと己の顔を見つめている。
ええい、口で言うしかないか。
「自殺はいかんと、言った筈だが」
「自殺じゃないわ。この程度じゃ死なないし。思考を衝撃でリセットしたかっただけ」
顔を背けて、天子は答える。
嘘をつくな。だが、追求しても天子は是とは言わぬだろう。
「ならばもっと健全な手段をとれ。いくらなんでも酷すぎる」
「…色々やったわ。昔。運動とか、筋トレとか、武術とか料理とか数学とか弁証法とか。独りで出来るものは何でも」
そして、その全てが孤独を埋めることは無かった、か。
「であれば、己が話し相手になろう。うら若き乙女には釣り合わんだろうが」
だが、その愚かな提案に対して天子はうつむいて毒でも吐くように答えた。
「わたしは、あんたの孫じゃない」
「なに?」
「あんたがわたしに誰かを投影しているのは知ってる。だからあんたはわたしに優しくしてくれるんでしょう?そうじゃなきゃ、わたしの相手をしてくれるはずがない」
そういうことか。確かに、己は天子に他人の影を投影している。そして、天子も最初からそれに気がついていたはずだ。それでも、健全なときはそれも許せていた。
だがしかし、何かに追い詰められた今では何も信用できなくなった、か。
「なるほど、確かに己はお主に別の誰かを投影していた」
「だったら!わたしなんか「しかし、お主が己にとって友人であると言った事を撤回するつもりはない」
「!」
「そんなものは友情でないというのであれば、おぬしのほうから切って捨てよ。己なんぞ、友人ではないと!」
「…」
「どうなのだ?」
「…ずるいよ。今のわたしがそんな甘い言葉を拒絶できるわけ無いじゃない」
「卑怯も技の内よ。まあ、否定してくれなくて感謝するぞ、天子よ。こんな老いぼれとて、絶縁状は傷つくのでな」
ニヤリと笑う。天子も力なさげに微笑む。やれやれ、天子様を喜ばせるのは大変じゃわい。
◆ ◆ ◆
「さて、話をしよう」
「…」
「己が、おぬしに誰を投影しているか、かね?それとも天界でおぬしに何があったか、が先のほうが良いか?」
「…今は、まだ気持ちの整理がつかない。聞き手に回りたい」
天子は暗い顔でそう語る。頼むからそのような捨てられた子犬のような顔をせんでくれい。
「よかろう。しかし唯では聞かせられんぞ。己とて、未だに悩んでおるのだ。友人なら、相談に乗ってくれような?」
「このちゃらんぽらんに答えられる範囲でよければね」
「構わん。むしろあっさり答えを出されたら延々悩んできた己の立つ瀬がないわい」
天子は何かを思い出したのか苦笑する。
少しずついつもの天子に戻ってきたようだ。よろしい、では始めよう。
「前に、己が花を斬ったときの事を覚えているか?そのとき、己がなにを課題としていたかも」
「ええ、『どうすれば斬らずにこの花の美しさを伝えられたのか。』でしょう?」
よく覚えておる。
「その通り。だが、それよりもさらに問題とすべき事があるのだ。分かるか?」
「…分からない」
で、あるか。ならば続けよう。己の失態を。後悔を。
「何よりも問題なのは、どうやればあの、咲いていた花自身に己の美しさを伝えることが出来るのか。という事よ」
―――ねえ、妖忌。死をもたらす事しか出来ない私の生を紡ぐ事に、意味はあるのかしら?―――
ましてや、自分の美しさを否定する花に。
「ただ『美しいのだ』と言葉だけで語ったところでお主が先日言葉を止めたようにそれが受け入れられるはずも無い」
ただの言葉は無力。だが、斬ってしまっては。
「知っていたら教えてくれ天子よ。どうやれば拙者は花に自身の美しさを判らせることが出来る?」
答えはない。天子の顔を見ると思案顔である。どうやらこの老いぼれの問いかけに対し、真剣に考えていてくれているのだろう。
やはり天子は根は素直で優しい娘である様だ。
思わず笑みがこぼれる。おっといかん、この表情を見られてはまた天子は不機嫌になるだろう。年頃の娘とは難しいものよ。
「斬ったの?」
笑みから一転、ぞくり、とする。
「花を」
修正を要する。素直で優しいだけではなく、やはりとても聡い娘だ。
「そうだ」
「正直、信じられない」
「己は、人斬りよ。それは極めた。斬れぬ者などない。お主ほどの者であればそう感じとれたであろう?」
「斬れることと、斬ることは同一じゃない。斬れるようになったからって、斬るかといえばそんなことはない」
…まったく、何処まで聡いものやら。
「…正確には止めを刺した、だ。致命傷。術師もいない。助かるはずも無かった。だから斬った。だが、斬ったことに変わりは無い」
「…」
「自尽だった。しかし細腕では即死には至らなかった。目で懇願された。斬って欲しいと」
天子が納得したように首肯する。
「それが、あんたが自殺を止める理由か。…美しくなかったのね?」
恐ろしいものよ。本当にこやつは、比那名居天子は何処まで聡明なのだ。
天人というのはみなそうなのか?
「そうだ、美しくなかった。野草なら嫌と言うほど斬った。その死はどれもが全て美しかった、とは言えぬものの醜くはなかった。だが」
「自らを処した花の死は、美しくなかった」
「然様、他者によってもたらされた死、天寿を全うした死。それらは全て祝福されている。そこには、己への否定が無いからだ。だが自害は違う。己が、己を呪ったまま死へ至る」
あの、斬ってわかった瞬間。あの恐るべき感覚が記憶から呼び覚まされる。
「傍目には、美しい死であった。周囲を慮っての死。自己犠牲。それは讃えられるべき死。だがしかし、斬って判ったのは然様な美しさではなかった」
何処までも深い後悔があった。せめて、彼女は安らかに眠りについたのだと、そう信じたかったのに。
「だが、そこからあふれ出たものは美とは程遠いものよ。怨嗟、憤怒、絶望。それらが全て他者と、なにより自身に向けられていた。それは、美しかった生を全て塗り潰してしまうほどのおぞましさであった」
自己犠牲を賛美するのは、残されたものが苦しみを味わうことが無い為。どこまでもただそれだけなのだ。
「死の瞬間に自身の心を救うことが出来るのは自分自身のみ。しかし自尽はそれを放棄する。その心は、その魂は決して救われない」
「自殺はいかん、か…」
「そうだ、汝を褒めよ。汝を祝福せよ。だがそのためには自身の生の美しさを知らねばならぬ。生の美しさを理解できれば、醜い死を回避できる」
「…」
「教えてくれ聡明なる娘、比那名居天子よ。どうやれば拙者は、自らの美を否定する花に自身の美しさを伝えることが出来るのか」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
重い、重すぎるって。
妖忌の話はわたしの想像以上に重すぎた。このちゃらんぽらんの天人崩れには荷が克ち過ぎる。
とはいえ一つ理解した。妖忌がわたしに重ねていたのは、妖忌の孫娘でなくて、その自ら散った花なのだろう。
そして妖忌は、それを救えなかった事を今でも後悔している。
「なぜ、その花は自ら散る事を選んだの?」
「その身に宿る能力が、他者の不利益しか生まない能力だったからだ。彼女には、安息の場所などなかった」
それはそうだろう。ちょいと力を振るえば人を傷つける。そんなものには誰も寄ってこない。
寄ってくる奴があるとすれば、それは『その力を利用して他者を傷つけようとたくらむ外道』だけだ。その彼女とやらが死を望むまでの心境がありありと想像できる。
そんな彼女には安息の居場所など有りはしないだろう。
なるほど、居場所を得る事が出来ない者、ということでその彼女とわたしは同類であるってわけね。
まあ、話を聞く分にはわたしのほうがはるかに恵まれているけれど。
とりあえず妖忌の悩みは理解できた。けど、
「ねえ妖忌。つまりあんたはどんな境遇で生まれてきても人は天寿を全うすべきである。って言っているわけよね」
「然り」
「あんたは自身の美しさを自覚させることで、己を愛させ、自尽を抑制するのが正道であり、その術を身につけたいと思っているのよね?」
「然り」
「じゃあ仮にあんたの家族とかがその「彼女」の手にかかって…最悪死んだとしても、貴方はそういう風に思える?「彼女」さえ死んでいてくれれば万事解決したのに。って、そう思ったりはしない?」
そのときの妖忌の顔を、わたしは一生忘れることはないだろう。
わたしは妖忌に、その質問をするべきじゃなかった。疎まれたものに関わった相手に対して。でも、わたしはその質問をしなきゃいけなかった。疎まれたものとして。
「それでも」
妖忌は言葉をしぼりだす。
「それでも、それを責めるということは、その者が生を受けた事そのものを責めるということに等しい。生まれてきた赤子に毒を吐くことが許されて良いのか?何処の誰に、祝福されるべき生誕を貶める権利があるというのだ!生まれも育ちも、平等などありえぬ。だが、生誕そのものは等しく祝福されねばならぬ。そうではないか?命の重さは、皆同じではないのか?」
「命の重さが皆同じなら、なるべく多くの命が幸せになる方法を選択するのが正解じゃないの?籠の中の腐った林檎は、処分されるのがこの世でしょう?林檎の意思に関わらず」
はあ、まだわたしは負の感情にとらわれたままだなぁ。妖忌の発言はわたしの存在を肯定するものなのに、わたしはそれを否定する対論を吐いている。
だけどつまるところこれは禅問答だ。皆は一人のために。一人は皆のために。そのどちらもが正しく、どちらも間違っている。永遠に結論なんて出はしないんだから。
「ごめん妖忌。余計な水を差した。忘れて頂戴。…で、どうすれば自らの美を否定する花に自身の美しさを伝えることが出来るのか、よね」
「………ああ」
つまるところ妖忌から見て、わたしは『自らの美を否定する花』なんだろう。
そんな風に例えられるのは正直な所無茶苦茶恥ずかしいけれど、これまで何度も妖忌には救われている。少しぐらい、真剣に対応してやろう。
それがこいつの手助けになるのならわたしにはそうする義務がある。そうするべきだ。いや、そうしたい。
「やっぱ、実感させるしかないわよね。自分の存在が、他人にとって助けになるんだ、って。それも、正しい方向で」
そう、人の役に立っているんだ、っていう実感は何よりも生を満足させる。それが人を幸せにする方向ならなおさらだ。
ただ、いくら幸せにするっていったって「お前のおかげで憎いあいつをぶち殺せた。ありがとう!」っていうのは駄目だ。
「だからさ、そいつの傍にいるときに、『私は今、貴方のおかげで幸せです』って伝えることが出来ればいいんだと思う」
言葉だけでは、伝わらないことが多い。言葉は便利すぎる道具ゆえ、疑うものもまた多い。それよりももっと、原始的な手段。これもまた人を騙すけど、言葉よりは難解で単純。
「なら、つまり、笑顔でいればいいんじゃない?傍にいるときに。心の底から」
ってこれだと技術とか修練とかまったく関係ないじゃない。妖忌にゃまったく役に立ちそうにないわね。
うーん、もう少し天人らしいことが言える様になっといたほうがいいかも。ちょっと情けなさすぎるし。
って?あれ?
「それで、良いのか…?」
「えっ?いや、まあ、うん、どうだろ?単なるわたしの意見、しかもわりと思い付き」
「そうか…」
「いやだから単なる思い付き…」
「そうか」
「おーい!」
「ふふ、ははは、くははははははははは!!!!!!」
「発狂した!?」
「ハハ、フフフ、ファファファファファファ!」
「人の話を聞けよ!おい!」
だがしかし、構わず妖忌は笑い続ける。あーやべ、なんかツボにはまってしまったようだ。さすがにそこまで笑われるとむかっ腹が立つ。
もういい、ぶん殴ろう。
「オラァ!」
「無駄ァ!…じゃない。なにをする、天子!」
「あんたがいつまでも笑ってるからでしょうが!」
「良いではないか!幸せなときくらい笑わせんか!」
「ああ?小娘の世迷い言で功が成ったと勘違いしたか?」
「…そこまで卑下せんでも良かろうに」
だってそうでしょうに。わたしでも呆れるほど天人らしからぬ、ただの小娘の思い付きだぞ?
そんなんで悟りを開かれたってこっちが困る。
「己には思いもよらぬ境地であったのだ。困難とは努力と修練によってのみ乗り越えられるものであると思っておったのでな」
「まー、でも、世の中そんなうまくいかないわよどーせ。わたしみたいにひねくれてりゃ、何でこいつわたしが苦しんでるのに笑ってんだ、って考えかねないし」
「そうかも知れぬ。だがその発想そのものが間違っておるとも思えぬ」
「…そうかい」
「悪くない解答であった。礼を言うぞ、天子」
まあ、褒められて悪い気はしないけどさ。
うん。私でも人を笑顔にすることが出来るのならば、私の生もそう捨てたもんじゃないのかも。
もうちょっと、あがくのも無駄じゃないかもしれない。少しばかり前向きに生きてみようか。
…素振りさせられる前に。
「では、おぬしの話を聞かせてもらおうか。…その前に掃除をすませるのが先か?」
「唐突だけど妖忌、あんたわたしを信じてる?」
「無論」
「じゃ、お願いだから手出ししないでね」
「…良いのか?」
「ええ」
やれやれ、完全に囲まれてる。
まぁ、そりゃそうだ。天界を抜け出して、どっかに身を隠すでもなくいつもの場所に降り立って駄弁ってたんだ。そりゃすぐ捕捉されるわよね。
でもさ、脱走者なんて放っておけばいいのに。その時点で縁は切れてるんだからさ。ふん、どうやら意地でもわたしを天界に幽閉したいようね。
数は…20を下るまい。天人と雲中の妖怪の混成軍か。それを率いているのは我が親愛なる親父様だ。
「天子、このまま我らと天界へ戻るのだ」
「嫌だと言ったら?」
「力ずくでも」
ははは、実に分かりやすい。天人辞めて三流悪役にでもなったほうがいいんじゃない?親父様。
「はて、親戚の数が足りないわね?」
「天界でお前を待っている。封印の儀の準備をしながらな」
「天子」
「動くな妖忌。あんたはこんなつまらないもんを斬るべきじゃないわ。それに、ここはわたしのお気に入りなんだけど。忘れた?」
封印、という並々ならぬ発言に反応したか妖忌が割り込んでくる。…妖忌なら天人も容易く斬れるのだろう。わたしと妖忌。二人がかりなら容易に撃退できるはず。でも。
ただでさえわたしの墜落で鱗湖が一つ潰れてしまったんだ。これ以上この景色がめちゃくちゃになったらマジ泣きたくなる。
弱いわたしには心の支えが必要なのである。既にここはただ美しいお気に入りの場所ではなくなっているのだから。
「いいわ、帰りましょう」
「理解が早くて助かる。別に我らとてお前を傷つけたいわけではないのだ」
まーそうなんでしょうね。天人様だし。一応親子だし。皮肉じゃなくてそう思う。
「御老人。娘は返していただく」
「別に己は天子を奪ったつもりも借りたつもりもないがな」
妖忌は顎をさすりながら値踏みするように親父をねめつける。
「だが、一つだけ言っておこう。天子は天子のものだ。お主の物ではないよ」
…言ってくれる!
「部外者が、言ってくれるな」
「「部外者じゃない、友人だ」」
親父様は益々不機嫌そうな顔になる。ふはは、たまらん。
けどまあ、挑発しすぎてここで喧嘩となったら元も子もないわね。そろそろ潮時か。
「じゃあまたね、妖忌」
「…うむ」
あっさりと引く妖忌。そう、「また」、だ。わかってんじゃない、友人。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「では、これより比那名居天子の能力を封印する。緋想の剣をここへ」
親父様に鞘に納まった古ぼけた剣が手渡される。
へーあれが緋想の剣か。天人にしか操れない、人の気質を目に見える形に映し出して、しかも弱点をつけるという天界の宝の一つ。
さらに弱点をつくだけでなく非想非非想の何たらで封印も出来るとか。へー、よく分からないけどすごいわね。
ちなみにここはマイ屋敷の大広間。今のわたしは300人は入れるだろうという部屋の中央で注連縄でがんじがらめである。わたしゃ大国主かっつの。よっぽど信用がないようだ。
まあ、ここでわたしを信用したら逆に笑っちゃうけど。しかし実の娘を人前で注連縄プレイってどうなのよ?親父様いい趣味してるわー。
加えて天人妖怪合わせて40名近い厳戒態勢。はっはー。屋敷抜け出すときも思ったけど、親父様の人徳も馬鹿には出来ないわね。すげーすげー。
「さて、これよりお前の要石と大地を操る力を封印する。心配するな、痛みも苦しみもない…が、聞いておきたいことはあるか?」
「じゃーせっかくなんで」
「なんだ?」
「3つ。本当に大地から距離を置けば、天人になれると思ってる?」
「無論。確かにすぐにとは行かぬであろうが」
「そ、じゃああともう2つ。わたしにとっては、この力が唯一の誇りなんだけど、それを封印することについてどう思う?」
「…すぐに天人としての誇りと自覚が芽生える」
「そ、じゃ最後の1つ。どうしてわたしは己の誇りが封印されようとしているのに、平然としていると思う?」
するり、とがんじがらめになっていた注連縄から体を引き抜く。
親父様を含め、周囲の天人妖怪の目が驚愕に見開かれる。
はっ!洗濯板舐めんじゃないわよ!
「答えはね。それが出来るはずないと、確信してるからよ!」
前回、親戚に力を振るうのを自重したわたしが馬鹿だった。わたしとあいつらは水と油。相容れることなどないのだ。最早手加減など不要。全力で後悔させてやる!
さあ、来るがいい、有象無象の輩達! 市民共の寄せ集めとは違うことを見せてやるわ!
◆ ◆ ◆
刺股を手に接近してきた天人に要石を叩きつける。屈強な体躯を誇る天人二人が要石をぶつけられただけで成すすべなく尻餅をつく。
要石にはショックアブソーバーだけでなく、地震を押さえつけ、相殺する為の振動子が内蔵されているのだ。
それをフル稼働させて叩きつければ天人だってごらんの通り、振動が体を伝わって脳を凄まじい勢いでシェイク出来る。肉体の頑丈さなど関係無い!
はっ、どいつもこいつも。天人暮らしが長すぎて比那名居の一族の業をお忘れか?
「近づくな!距離をとって弾幕を張れ!」
親父様の指示に従って天人や妖怪が距離をとって霊丸や妖弾を打ち込んでくる。ま、お約束よね。でもマニュアル通りにやるってのは阿呆のすることだ!
要石のバリエーション、舐めんじゃないわよ!
「なんと!」
何者かが驚愕の声をあげる。はっはっは、もっと驚け!守りの要、わたしを護るように宙に浮いた複数の要石は飛来する弾幕の全てを防ぎきる。
はっ、弾幕薄いよ。なにやってんの!
「そんだけ雁首そろえてその程度?オールレンジ攻撃ってのはね」
周囲に守りの要とは異なる漏斗型をした要石を生み出す。その数12。
ふん、これ以上はちょっと狙いが甘くなるのよねぇ。
振り向いて、それらを後ろでわたしを包囲しようとしていた奴らに向けて発射する。
「こうやるのよ!」
さあファンネル、オールレンジ攻撃!
展開した要石はそれ自体が弾幕を放ちつつ、各々周囲の天人妖怪に向かって特攻する。瞬く間にわたしの背後にいた12体の人妖が地にひれ伏す。
さあ、これで三分の一は潰したわね。脆過ぎるわ。残りは前方。皆弾幕を放ちつつ後退していくが、ただの一発もわたしの守りの要を突破することはない。
ふん、所詮は死神を追い返す程度にしか戦闘能力を持たない連中に、人を襲いもせずに揺蕩うだけの妖怪。
そんな雑魚どもがねぇ、このわたしを倒そうだなんて、できるわけないでしょう!!!
っと?
「天地開闢!」
へぇ?要石制御か。親戚の一人が放ったのだろう。頭上から直径2m近い大岩がわたしを叩き潰さんと迫り来る。
なーんだ、まだこれが出来る比那名居が存在していたか。皆天人に馴れきってたと思ってたわ。すごいすごい。
回避する間もなくその大岩はわたしの上へと落ちてくる。
「やった?」
「なわけないでしょう?」
「!」
落ちてきた要石を素手で受け止めて、わたしは可能な限り憎たらしい表情を浮かべる。
「いい感じ。たまには他人の作り出した要石を操るのも悪くないわね」
同じ要石を操る能力同士。同じ力なら力が強いほうに主導権が移る。
そのまま少しお手玉した後、その大岩を生み出した本人めがけて投げ返す。狙い過たず大岩はそいつに命中し、その質量を以て目標を沈黙させる。
ふん、要石の何たるかも知らない愚か者は、地に這いつくばってなさい!!
「じゃ、今度はこっちの番ね。天地開闢!」
天へと手をかざし、吼える。大広間の中に何も変化は起きない。
誰もがいぶかしむ中、だがしかし親父様だけが顔を真っ青にして叫ぶ。
「皆散れ!急げ!」
さっすが親父様。娘の力を良く御存知で。
でもバーカ、もう遅いっつの。掲げた手を、振り下ろす!
屋敷の屋根と天井をぶち抜き、わたしの生み出した直径20m近い要石が建材と共に顔を覗かせる。
そこに至ってようやく他の連中も状況を理解したようだ。だが、親父様が叫んだときでさえ遅すぎたのだ。
最早防御も回避も不可能。おとなしくぶっ潰れろ!
わたしの要石はものの見事に後退し、密集隊形をとっていた連中をまとめて叩き潰した。はん、相互補助が目的だったんだろうけど、密集隊形があだになったわね。
最早両の足で立ちはだかるものなどいない。完全勝利である。
ふと、親父様の手を離れ地に転がった、いまだ鞘に納まったままの緋想の剣が目に映った。
ふん、これがある限り親父様達はわたしの能力を封印する事を諦めないに違いない。ならば、へし折ってしまえばいい。
天界の宝とかなんだとか、そんなことわたしの知ったこっちゃない!
「やめろ天子、それから手を離せ…未熟者がそれを扱っては…」
親父様が行きも絶え絶えに語りかけてくる。ごちゃごちゃ五月蝿いわね。はん、その未熟者に完膚なきまでに叩き潰されたのはどこのどいつだ?
戦場で待てとかやめろとか叫ぶのはね、瀕死の兵隊が甘ったれて言うセリフなんだよ!
鞘から剣を引き抜き、岩に叩きつけてへし折るべく振りかぶる!
が。
「え?」
振りかぶった緋想の剣が、怪しい緋色の霧を纏う。
次の瞬間、わたしは緋色の霧に包まれ、そして―――…
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「メーデー!メーデー、メーデー、こちら比那名居、比那名居、比那名居。メーデー、こちら比那名居。ただ今比那名居天子が暴走中!即座に避難されたし。メーデー!」
うららかな冬の午後、僅かなぬくもりに包まれるこの八つ時に残念なお知らせですね。もうちょっと空気を読んで欲しいのですが。
けたたましいサイレンと共に緊急連絡が響き渡る。やれやれ、予想通りというかなんと言うか。
外勤を命じられて良かったなーなどと思いつつ、私は緋色の羽衣を翻して屋敷の大広間だった辺りに目を向ける。そこは既に屋敷というのがおこがましいほどの惨状である。
なにせ天から20m近い要石が降ってきて、全てを叩き潰したのだ。既に青空大広間というか瓦礫の山というか、平たく言えばまあ廃墟。
「はぁ、また不良天人さんたちかい」
「比那名居さんもあきませんねぇ」
私たちと同じようにヘルプを要請されたのだろう。外勤をしていたどっかの天人さん達が少し呆れたように顔を見合わせる。
種族そのものが概ねおおらかな天人にとってはこの程度は騒ぎ立てるようなことじゃないようだけど、はて…
この空気。私の空読センサーがびんびんにいやな空気を察知している。これは、この空気は、ただ事ではないですよ?
「メーデー!追加情報。比那名居天子は緋想の剣によって暴走している。即座に避難されたし。メーデー!」
次の瞬間、極太レーザーが屋敷の跡地から発射されて周囲を緋色に染めあげる。
「「………。逃げろぉおおおお!!」」
さっきの天人さん達が顔を見合わせた後、我先にと逃げ出していく。あ、どうやら相当やばいものを総領娘様は手に入れたようだ。
あの緋色のレーザー。確かに一人の天人から発されたとは思えないほどの霊力だったし。うーむ、実に拙い。
「何やってんの衣玖。私たちも逃げるわよ!」
「そうよ!私たちが依頼されたのは脱走防止のための監視なんだし、もうこれ以上比那名居さんに付き合う義理はないって!」
同僚であるタイ子さん(独身、年上)と、ヒラガさん(独身、年下)が私を引っ張って歩き出す。
おお、総領娘様が姿を現した。なんだろう?紅い霧を纏っているのも気になるけど、なにより、彼女の周りだけすさまじい風が吹き荒れている。
ふーむ。さっきから警備の天人が総領娘様に向かっていくけど、どの方向から近づいても総領娘様に手の届く距離に近づくことすら儘ならず風に吹き飛ばされていく。
上から総領娘様に迫ったものは更に酷い。地面に叩きつけられた挙句に横風に吹き飛ばされる。
総領娘様の周りだけ別の気圧が発生している様に見える。あれが多分、緋想の剣の力なのだろう。
「ちょっと衣玖、ほら自分の足で歩きなさい!」
「おっとすみませんタイ子さん。すみませんついでに急用を思い出したのでちょっと失礼しますね」
「ちょっと、この状況で何処行くつもりよ!?」
「ええ、ちょっとダンスの練習に」
「はぁ?なに言ってんの?空気読まない奴だと思ってたけどここまで空気が読めないとは思わなかったわ!馬鹿なこと言ってないで逃げんのよ!」
ヒラガさんがまるで馬鹿でも見るかのような目で私の顔を覗き込んでくる。心配半分、呆れ半分といったところだろうか?
しかし空気を読まないとは失礼ですね。
「衣玖、あんた一体何を考えているの?」
一方でタイ子さんは気付いてしまったようで。拙いですね。目がマジです。これは、嘘ついたら龍宮パフェ奢りになっちゃいますか?
「いや、ほら、ちょっとデュエットの練習を」
「…あんたマジで言ってんの?」
「…そういうこと?え、ちょっとマジで?いやいや衣玖。やめときなって!総領っ子ちゃんいつも無茶苦茶やるけど目だけはまともだったのに、今日は目も完全にイっちゃってるわ。あれ拙いって!」
おお?本当だ。総領娘様の緋色の目に今日は薄ぼんやりと霞がかかっている。さすがヒラガさん、目の付け所が違う。ヒラメ妖怪だけに。なんちゃって。
いやいやしかし退く訳にはいかない。このまま比那名居や私達のような雇われ以外の負傷者が出てしまってはもう穏便には済まないだろうし。
やれやれ、本当に困ったものである。
「しかし、誰かが彼女の気を引いてあそこから引き剥がさないと、屋敷の下の方々も助けられませんし」
「マジでやる気?」
「ええ。私の空気を読む能力の真骨頂。お見せいたしましょう」
「…急に心配が増した気がするわ。ああもう!ヒラガ。私たちは負傷者の救助にいくわよ!」
「申し訳ありませんタイ子さん。ああ、もし、もしもの事があったら墓石には「情熱とパッションに一生を捧げた花形ダンサー、ここに眠る」とお願いします」
「彫るかんね。死んだらマジで彫るかんね!言っとくけど情熱とパッションの意味同じだかんね!」
おおう、適当に考えたからちょっと恥ずかしくなってきた。これは死ぬわけにはいきませんね。
…さあ、成すべき事を成しに行きましょう。
私と、総領娘様の望みのために。
◆ ◆ ◆
風が、吹き荒れている。総領娘様の上方、緋色の霧から吹きだされる風は下降気流となって地表で四方へ拡散し、何人をも寄せ付けない。
冷気を孕んだ冷たく凍えるような風が、あらゆるものを地面へと叩き落し、そして吹き飛ばす。
私はこの天気を知っている。これは「白嵐」。海上にて白い嵐と呼ばれている天気。
あらゆるものを蹂躙してやまない、絶望の象徴。
緋想の剣は気質を操り、弱点を突く剣だと聞いている。つまりこれは総領娘様の気質の暴走なのか。
この凍えるような冷風は、あらゆるものを地に落とす重風は、誰の接近も許さない号風は、彼女の心の中に押し込められていたもの。
それが、弱点を突くという緋想の剣によって暴かれ、そして暴走している。
この天界には明確な悪意など存在しない。他の比那名居とて、唯一人未だ天人になれない総領娘様のために最善と思われる方法をとったに過ぎないのだろう。
だが、天人と地上人。その意識の温度差を埋めることが出来なかった為に、この様だ。
まったく、悪意なんてなくとも人は不幸になれるのだとさまざまと見せ付けてくれる。
では、この私、永江衣玖はどうすればいいのか?
なんて気取ってみても出来ることなど2つしかないのだったりして。すなわち、説得か、力ずくか。
そのどちらもが天人比那名居が実行して、失敗したこと。それでも、私にもやはりそれくらいしか出来ない。なら、やるしかない。
風を掻き分けて、進む。空気を読み、操ることが出来る私には特に困難な作業ではない。
近づいてきた私にようやく総領娘様は目を向けた。霞がかった、絶望に揺れる緋色の瞳を。
「あんたか、永江なんとか」
「はい、永江衣玖です」
「よし。死ね」
問答無用で要石が打ち込まれる。おおう、さすが絶望暴走真っ只中。容赦ないですね。
間髪いれずに羽衣で打ち込まれた要石を巻き取り、逸らす。我が羽衣は空の如し。
「ちっ」
「そういえば、一度も聞いたことがありませんでしたね。私は何故、総領娘様にそこまで嫌われているのでしょうか?」
「五月蝿いよ。死ねって言ってる」
今度は上下。空気を操って要石の進路を捻じ曲げつつ、身をひねってひらりとかわす。そうひらりと。水を得た魚の如く。
ふふふ、舞で鍛えたこの身体の柔軟さが役に立っていますね。われながら華麗と言うかなんと言うか。
「正直、私は踊っていればそれなりに幸せな妖怪です。総領娘様の恨みを買うようなことはした覚えがないのですが」
「それが!腹立つって言ってんのよ!」
総領娘様が緋色の光線を滅多矢鱈に打ち出してくる。まずい、ビームは拙い。要石と違い空気操作でそらせられない。
諦めてせっかく踏み込んだ暴風域からバックステップで退避する。む、今のステップはリズムが悪かった。練習を要する。
ふむ、しかし?
「あんたを見てると惨めになるのよ!踊ったり歌ったりだけで幸せでいられるなんて天人そのものじゃない!妖怪ですら天人らしい生き方が出来るのに!何でわたしは!!!」
おおう、要石と光線の合わせ技だ。空気を操作して要石を光線と私の間に移動させる。
…よしよし、何とかしのげた。アドリブとなると動きがややぎこちないですね。今後の課題になりそうです。
ふむふむ、なるほどそういうことでしたか。
まさか、羨まれていたとは。流石にそれは予想外でした。いやおかしいことではないのか。
突き詰めて言えば彼女は天人や地上人や妖怪が嫌いなわけではなく、そのどれにもなれない現状こそが、己は一人であるという現状こそが、嫌いなのだから。
感情に歯止めがかからないのだろうか、思わぬところで彼女の本心が把握できた。これは暴走に感謝しないといけないかもしれませんね。
ならばこちらも小細工は不要。空気を読んで立ち回ってみても彼女には近づけなかった。ならば本心をぶつけるとしましょうか。
「私は、総領娘様が羨ましいです」
ぴくり、と総領娘様の動きが一瞬止まる。
「へぇ、言ってくれるじゃない。ボッチが羨ましいんだ。なら埋めてやるから地中に一人眠りなさい!」
上空から2m程度の要石が降ってくる。しかし避けはしない。この程度の大きさならその必要もない。
空気を纏わせ、錐のように鋭く形成した羽衣を要石に抉り込む。
粉砕。
「!」
「一人が羨ましいのではありません。私が羨ましいのは総領娘様の、その破天荒な行動力です」
「何?」
「私は踊っていればそれなりに幸せな妖怪です。そんな私でも時々思うのですよ」
「…何を」
「たまにはソロダンスでなく、同僚たちとのラインダンスだけでなく、いろいろな方々と手に手をとって踊ってみたいと。地上、冥界、地底を問わず」
今の幻想郷は割と綺麗に世界が分割されている。天界、冥界、地上に地底。それらの縦の交流はほとんどない。
いや、最近は冥界と地上の境は結構曖昧になったと聞いているけれど、天界、地上、地底の境界は強固なままだ。
「しかし私は思うだけ。私にはそれをなそうとするだけの行動力がありませんので」
「…」
「もしかしたら、私は場の空気を読んで、己の存在を消して事を荒立てずその場に馴染むことが日常になってしまったのかもしれません」
「それはない」
即答だった。
「…では生来の性格なのでしょう。いずれにせよ私には壁をぶち抜いて一歩踏み出すだけの行動力を持てないのです。その場で足踏みしか出来ない」
「魚が足踏みか。笑わせるわね」
「全くですね。…ですが総領娘様は違う。総領娘様は我侭で、無軌道で、後先考えない。しかしそんな総領娘様だからこそ、全てをぶっ壊せる可能性がある」
脇目も振らず我が道を突き進むそのパワーだけが、壁を壊せるのだ。
「総領娘様なら、天界と地上の垣根を粉砕できるかもしれない。私はそれが羨ましい」
地底まで、はどうだろう?世界が違いすぎるし良く分からない。そこまでは総領娘様といえど難しいかもしれない。
だが、冥界と地上の境が薄くなった今は多分ターニングポイント。
多分、地底にも出てくるだろう。地底には地底で、地上と地底の垣根を己の力でぶっ壊そうとする、愚直な輩が。
「天人でもない、地上人でもない貴方が私は好きなのです。私は、天子様が往く、その先を見てみたい」
「………い」
「貴方が傷つくというのなら、私が守りましょう。空気、というものは緩衝材として恐ろしく優秀なのですよ?」
「……さい」
「まあ、明らかに総領娘様に非があるような悪戯を働いた場合には、ちょっとばかし知らぬ存ぜぬを貫くかもしれませんが」
「…るさい」
「比那名居天子様。私と、友人になってはくれませんか?」
「うるさい!」
極太レーザー!おお、まずい。妖気を切って、羽衣で空気の流れに乗る。必殺、龍蝶飛び!…いや、振り付けの一種なんで必殺じゃないんですが。
でも躱せた!間に合った!
ああでもまだだ。反動がすごいのか、旋回速度は速くないものの総領娘様はなぎ払うようにレーザーを放つ緋想の剣を振り回す。
「ごちゃごちゃ五月蝿いのよ!つべこべ言わずにさっさとわたしの前から居なくなれ!」
駄目だったか。届かなかったか。所詮は打算ばかり。自分のことしか考えていない提案。受け入れられるはずもないか。駄目でしたよぉぅー爺。
…いやいや、まだ。今の総領娘様は緋想の剣で暴走中で、いつもの総領娘様ではない。ならばまだチャンスはある。暴走を止めて、もう一度訊ねてみよう。
ああもう、困ったものですね。誰だ?暴走に感謝しないとなんて考えたのは?それは私だ。困ったものだ。
「いえ、退くわけにはまいりません。あまり天人を傷つけては、それこそ幽閉されてしまいますよ?」
「五月蝿いよ!」
「だから私がここで、天子様を御止めいたします。力でしか止められないというのなら、力ずくでも」
周囲の空気を、掻き回す。大気を振動させ、大気中の水分を激しくぶつけ合う。何度も、何度も。
水分が電荷を帯びる。周囲の空気がパチパチと爆ぜる。羽衣に細い蒼電が走る。
その細い蒼電を繰り集め、全てを焼き尽くす蒼雷へと変える。セルフスポットライト、点灯開始。
フフフ、空気を読む能力にこんな使い方があるとは想像もしなかったのでしょう、総領娘様が驚きの表情を浮かべてますね。
「参ります。雷音の鼓動、とくと御賞味あれ」
勝つ必要はない。剣を落とせばそれでいいのだ。やってやれないことはない!
いざ、ショーータァァイム!!!
◆ ◆ ◆
っていうのはちょっと甘かった。斜陽が目にしみますね。
天人っていうのはほんと、何で出来ているんでしょうか?桃?ははは、そんな馬鹿な。
なんとか館跡から総領娘様を引き剥がせたのは良かったものの、どれだけ雷撃を打ち込んでも総領娘様は小揺るぎもしない。あ、今ちょっと失礼なこと考えちゃった。
…こほん、まあ効いていないのか、それとも効いているのに効いていない振りをしているのか。いずれにせよ倒れない、という点ではどちらも変わりはないので。
「はっ!最初の意気込みはどうしたのよ!」
総領娘様が要石を打ち出してきた要石を羽衣ドリルで粉砕する。
厄介なことに総領娘様はこなれてきた様で、終いには要石からレーザーを発射可能になる始末。
これまでのようにただ躱すのではあっさりと撃墜されてしまう。
…まったく、暴走状態なら大人しくバーサク状態であってくれれば良いのに。成長とかありえないでしょう?
っとか考えているうちにも、総領娘様が緋想の剣を振りかぶって迫ってくる。
「そろそろ大人しく膾になれ!」
「嫌ですよ!アイ・サンダー!」
龍神の目を模した、Iの字型に飛びボーラのように相手へと絡みつく雷撃を総領娘様の腕めがけ放つ。だがしかしそれは、緋想の剣へ放つのとほぼ同義。切り払ってくれと言うようなものだ。
案の定、私の放った龍の光る目はあっさりと総領娘様に切り捨てられる。
だがしかし、距離をとるだけの時間は稼げた。良しとしましょう。
さあ、どうしましょう?いやまあ、割と手は出しつくしたし、最早後はないのだから最大出力で勝負するしかないのだけど。これで気絶してくれなければお手上げだ。
しかし、十分に発電するだけの時間を与えてもらえるだろうか?いやいや考えても仕方ない。やるしかないのだからやるしかない。困ったものだ。
周囲の空気を、掻き回す。最早何度目になるだろうか?これでファイナルステージにしたいものですね。
っと?
「やらせん!」
わあ、気質を操る緋想の剣の影響か、こちらが発電を開始したことまで総領娘様に気付かれる有様。もうほんと困った。
天人とかそういうの抜きにしてあの方本当に才能に満ち溢れていますね。
華麗なバックステップで切りかかってきた総領娘様の攻撃を躱す。うん、今のステップはリズムに乗っていた。
帯電、Level1。
羽衣が蒼雷を纏い始める。まだまだ足りない。もっともっと、圧倒的な大電力が必要だ。
っと漏斗型をした要石が飛来する。これはさっき見た。誘導可能な厄介極まりない要石だ。
「行けっ!カナメファンネル!」
しかし、こちらとてただ馬鹿みたいに苦戦していたわけではないのですよ!どうやらこの要石は目視操作のようなのだ。ならば視界を塞げばいい。
わざと要石が放つ弾幕に羽衣の一部をズタズタに千切れさせ、それを空気操作で総領娘様の前に散らす。
「ぶっ!」
おっとツイてる。細切れになった、静電気を纏う羽衣の一片が総領娘様の顔に張り付いた。
私の日頃の行いが良いからだろう。ああ、龍神様。感謝いたします。
我が羽衣は風の如し。圧縮した空気を打ち出して、ファンネルとやらを次々と粉砕する。
ふふふ、私の圧縮空気弾は最大出力なら家屋三軒を一発でぶち抜けるのですよ!要石だって造作もないのです。
帯電、Level2。
羽衣を含め、全身を蒼雷が走る。さて、ここからは迎撃している余裕は無し。迎撃動作そのものが蓄えた電気を逃がしてしまうことになるから。
総領娘様の視界が塞がれているうちに、可能な限り距離をとっておきましょうか。
っと、気付けば後10mも下がれば後ろは既に天界の淵だ。もう妖気も地の利も後がない。さあ、伸るか反るか。
帯電、Level3!
「天地開闢!」
!おおう、拙い!距離をとりすぎた?総領娘様が手をかざすと同時に上空に大岩が発生する。このままこちらを叩き潰すつもりですか!実に困ったものだ。
20mを越す大岩の回避は不可能。ならば、このまま相打つのみ!
「貴方の瞳に100万ボルト。龍宮の使い遊泳弾、Rock 'n Roll!」
「潰れてひしゃげろ!ゲテモノウナギ!」
私の世界が暗闇に沈む。逆に総領娘様の世界は青白く弾けているはず。
…まったく、誰がゲテモノウナギですか。
◆ ◆ ◆
「う…」
目を覚ます。周囲にオゾン臭が残っているあたり、気を失っていたのは一瞬のようだ。私は腹這いで倒れているようですね。
岩が落ちてくる前にとっさに羽衣ドリルをぶち込んだが当然焼け石に水。大岩を砕くには至らなかった私は当然のように大岩に叩き潰されていた。
身を起こそうとして、腹部と、なにより背中に鋭い痛みが走る。うあ、これはもう背骨が折れているかしらん。
ああ、背曲がりになったらもう踊ることは出来ないな。私のダンサー人生もここで終わりか…
じゃない!いや、それも大いに重要だけど総領娘様は?
痛む体に鞭打ってかろうじて周囲を見回す。ええい、岩の残骸が邪魔して視界が狭い!っと、ふらふらとこちらへ歩み寄ってくる姿が。耐え切りやがりましたか。
その手にはいまだしっかりと緋想の剣を握り締めたままだ。はぁ、まさしく最後の攻撃は明暗分けたって感じですね。
まあいずれにせよ我が力、及ばず。
諦めて総領娘様の顔を見ると、そこには先ほどまでと同じ、霞がかった全てに絶望したかのような目。
やれやれ、勝者なんだからそんな顔しないでくださいまし。そんな目で見られちゃ、こんなところで寝てるわけにはいかないじゃないですか!
体はろくに動かない。だがしかし羽衣は動く。総領娘様の動きも鈍い。ならば。
総領娘様が倒れ伏す私のすぐ傍で足を止める。くるか?
「手こずらせてくれたわね。でも、これで終わりよ!くたばれ、永江衣玖!」
総領娘様が緋想の剣を振りかぶる。いまだ!
「なっ!」
我が羽衣は大地を流れる水の如く。羽衣を滑らせて、総領娘様の腕に巻きつけ、万力のように締め上げる!
だがしかし、まるで緋想の剣は総領娘様の手のひらと一体化したかのように、その手から落ちるそぶりも見せない。
拙い、落とせない。…これ以上、羽衣で強く締め上げる余力はない。万事休すか?
「こいつ!」
腕を取られた総領娘様が私を踏みつけようと足を上げる。
「いいんですか?片足立ちなんかして」
「うあっ!」
即座に羽衣のもう一端で脚を払う。先ほどの遊泳弾による痺れが取れていないのだろう。あっさりと、総領娘様はバランスを崩してずっこけた。
不意に天啓がひらめく。もはや、これしかない。
私の傍にずっこけた総領娘様と私、一緒くたに羽衣でぐるぐる巻きにする。
よし、捕まえた。
「くっ、この、何のつもり!?」
ちょっと総領娘様、耳元で騒がないでください。
さあ、総領娘様を拘束する力が残っているうちにパパッとすましてしまわないと。
羽衣の端を天界の淵に引っ掛けて、引きずる。
ずるり、ずるりと。
「ちょっと、まさか…」
ええ、そのまさかです。
ここが天界でよかった。この天空に浮いた偽りの大地が、私に最後のチャンスを与えてくれたようですね。
さあもうあと少し。3,2,1!降下作戦開始!
「ジェロニモー!!!!」
くんずほぐれず。二人まとめてぐるぐる巻きになったまま、大地めがけて落下する。
「また落下かぁああああああ!!!!」
「さあ総領娘様、あなたは何処に落ちたいですか?」
もっとも、聞き入れるつもりなんてありませんけどね!
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刀身に己の顔を映し、自問自答する。はたして、本当に天子を行かせてしまってよかったのだろうか?
天子は、「また」と言った。つまり素直に連中に従うつもりなどないのは間違いない。今頃天界で大暴れしていることだろう。
正直なところ、天子が他の天人に負けるとは考え難い。
天子に素振りをやらせてみてわかったことだが、天子は武術の基礎が十分以上に身についていた。振り下ろされる刀も、それを振る身体も、全く軸がぶれていなかった。
一人でいる間に色々やった、と言っていたときにたしか武芸にも手を出したと言っていたのでその賜物だろう。
己の見たところ、天子の戦闘能力は他の天人を圧倒していた。たとえ一対多の戦いであったとしても、天子が勝つだろう。己の助力が必要とも思えなかった。
だが、言いようのない不安があるのだ。剣士として鍛え上げた感覚が告げるこの警報を無視することが出来ない。第六感などと言う曖昧なものではない。
目、耳、皮膚からもたらされる情報が自身の意思によらず脳の中で処理され、生死を分けた経験と照らし合わせてアラームを上げているのだ。
警戒しておくに越したことはない。
っと、近づいてくる気配が二人分。これは、天子と衣玖か?二人揃ってお出ましとは。やれやれ、とうとう衣玖めが誤解を解くのに成功したか?
天人に囲まれる天子を衣玖が助けてゴールイン。ふむ、吊り橋効果といったか?王道よの。
って。
「何をやっている!!」
お互い羽衣でぐるぐる巻きになったまま、真っ逆様に、天子と衣玖が落ちてくる。
気配から察する二人とも相当に疲弊しており、なんかもう愛の逃避行の末の心中にしか見えないが、まさかそんな筈はあるまい。
刀を投げ出し、大地を蹴る。先ほどまで刀を握っていたせいか、この老いた身も瞬時に応えてくれた。
半人半妖。妖には及ばねど人を上回るその筋腱で落下予測地点へ先回りする。
流石に二人、しかも変な固まりになった状態を受け止めきれるか?が、
「逸れた?」
急に天子と衣玖のぐるぐる巻きが軌道を変えた。湖を避けたのか?そのまま、衣玖と最初に会った林の中へと落ちていく。
おのれ、樹木が邪魔をして追いつけぬ!
ベキベキという、木の折れる音と、僅かな衝撃が足元から伝わってくる。間に合わなんだか!
急ぎ林の中を覗き込むと二人、空中分解したのか別々に倒れている。羽衣をズタズタにした衣玖と、輝く剣を握り締めた天子が。
…どういうことだ?これは戦場の空気よ。まさか、この二人が争っていたとでも言うのか?
しかしそうとしか考えられん。なぜ、どうしてこうなった?どちらに話を聞けばよい?
ゆらり、と天子が立ち上がる。やはり天人の体は丈夫である。天子と目が合って、しかしぞっとする。その目はまたしても絶望色に染まっていた。
おまけに…なんだ?この気配は。いつもと異なる、異質な気配が天子を包んでいる。見ればその絶望の瞳もまた、霞がかかったかのようにくすんでいる。
衣玖は…いつも通りか。とはいえこちらは落下の衝撃で未だ目を回したままだ。
加えて全身に打撲傷。おそらく肋骨を数本及び右腕を骨折、脊椎に損傷あり。この様子では肩甲骨にもひびが入っておろう。損傷は深刻だ。
「ええい、仕方がない!」
おそらく異常なのは天子のほうであろう。であれば。
衣玖を抱えて林から飛び出す。
即座に先ほど刀を投げ出した地点まで戻り鞘を拾い上げ、衣玖の羽衣で鞘を衣玖の背中にくくり付けて背骨を固定する。
その最中に苦痛に喘いだのであろう。衣玖が意識を取り戻した。
「…む、何とか無事に辿り着いたようですね」
「何があった」
応急処置を施しながら衣玖に訊ねる。
「一言で言えば、総領娘様が緋想の剣に魅入られ、暴走しています」
ええい、操るべき武器に操られるとは未熟者め!
とりあえず背骨と、右腕の固定を終える。
「緋想の剣とは?」
「相手の気質を読んで、その弱点を突く天人専用の剣と聞いています。その過程で相手の気質が天候として反映されるとも」
「ほう、では天子はどうなっているのだ?」
「おそらくは自分の弱点を突かれてしまったのではないかと。その影響で総領娘様の感情が絶望に固定されていると思われます。私も貴方も、今の総領娘様にとっては敵でしかありません」
なるほど、誰も信用できなかったというその絶望が、天子の弱点か。
「お力を、お貸し願えますか?」
「当然よ。友人は助ける主義なのでな。…おぬしは寝ておれ」
衣玖は痛みに顔をしかめながら首肯した。
「問題ない。大丈夫だと言いたいところですが、このざまでは足手まといにしかなりませんね。後はお願いいたします」
「ああ、任せるがよい」
そこまで語ったところで、緋色の霧と冷風を纏った天子が林から姿を現す。
「あの風は?…あれが剣の力か?」
「はい、先ほど申したように緋想の剣は気質を天候と言う形で映し出します。本来は持ち主に向かう事はない筈なのですが」
制御できずに暴走していると言うわけか。しかし気質を操る剣とは。ならば楼観剣と同じく霊も切れるのであろう。
己にとってはちと危険な武装よな。
「はは、なんだ、あんた達、つるんでたんだ。グルになって、わたしをあざ笑っていたわけ。さぞ滑稽だったでしょう?」
天子が力なく笑う。それは己等を嘲笑しているのではなく、天子自身を嘲笑っているのであろう。
「…恐ろしいまでのマイナス思考よの」
「感情が絶望で固定されていますので」
「剣を落とすまでは、か」
さて、どうしたものか。どうやら簡単に説得、というわけにもいかないようだ。
衣玖もそうだが天子もまた、かなり疲弊している。剣を落とすのは正直わけはない、と思うが。
「いかが致しますか?」
「この身は無粋ゆえ小細工などできぬ。まっすぐ切り込むのみ」
「刀も持たずにですか?」
「切らずに斬るのが現在の課題なのでな」
衣玖が呆れたように首を振る。
「男らしいと言うか命知らずと言うか」
「そこはほれ、前者であろう?」
「自分で言いますか」
衣玖はため息をつく。今日は空気に身を任せるのはやめておるようだな。
実に会話がスムーズじゃわい。いつもこうであれば良いのだが。
「総領娘様が纏う風は、私が切り開きます。まっすぐ、お進みください」
「応」
今宵拙者が斬り捨てるは、比那名居天子の絶望よ。
◆ ◆ ◆
衣玖が空気を操作しているのであろう、周囲の植物が煽られる様に対して己の前から来る風は微風同然。なんともなしに踏み込んでゆける。
だがしかし、未熟なわが腕前では一刀両断とはいくまい。少しずつ、切りこんでいくしかなかろうて。時間をかける分衣玖にも負担がかかろうが、耐えてもらうしかなかろうな。
この身のなんと至らぬことよ。などと嘆いてみても致し方ない。
「天子」
「なによ?」
「天人らには勝ったか?」
「ええ。当たり前でしょう」
そうかそうか、まあそうであろ。あの程度の連中に天子が負けるはずはない。
「ではもう敵はおるまい。剣を捨てよ」
「捨てられない」
「何故?」
「まだ、敵を倒しきっていない。いや、この世には敵しかいない」
「衣玖は敵か」
「ええ」
「この己も敵か」
「…ええ」
「そうか。しかし己にとってお主は友人よ」
一瞬、天子の目が揺れる。が、それだけ。
「嘘をつくな。衣玖とグルになって、わたしを嘲笑ってたんでしょう?」
「グル、と言うわけではない。同士よ。おぬしの友人たる事を望む、な」
「詭弁を弄するな!」
天子が上段から切りかかってくる。だがしかし、遅い。
即座に天子の間合いのさらに内側へ踏み込み、剣が振り下ろされる前に天子の手ごと柄を押さえつける。
「遅い。蝿が止まるぞ。ふむ、素振りが足らなんだか」
「っく!離せ!」
「離さぬ。さて、話をしよう。まずはお主の生き様に関してだな。お主、誇りも何もかも捨てて、無様な負け犬に成り下がったか?」
全てに絶望している人間にこんな言葉を投げようものなら、即自尽してしまう可能性もあるが。
だがそうはなるまい。天子が剣によって暴走しているというならば。
「誇りすら捨て去ったと言うのであればお主に剣を振るう資格などない。魂なき剣ほど唾棄すべきものはない。さっさと剣も投げ捨てよ」
「ふざけるな。誇りは捨ててない。だから、剣も捨てない」
ククク、そう答えるしかないであろうな。剣を手放さない為には。
「はて、どうだか。以前己と確約したであろうに。「己を襲わない」と。お主の誇りにかけて。期限なしで」
切りつける。
今度こそ、天子が凍りつく。天子の、剣を握り締めている手を開放する。
天子は、それを己に振り下ろすことはなかった。
よろしい。未だ天子は誇りを捨てていない。現在表に出ている絶望は確かに天子の奥底にあったものであろうが、それはあくまで剣の力で引きずり出されたもの。
言うなれば仮面にすぎない。仮面の絶望では全てを捨て去ることなどできはせぬ。
故に仮面の下には未だ別の感情が残されている。天子には未だ多少なりとも己の意思で動ける余地があるということだ。益々以て結構。
ひびは入れた。あとは打ち砕くのみ。
「とはいえ、そう殺気だっていては会話もままならんな。ではこうしよう。これから実戦訓練と行こうか、我が弟子よ」
「いつからわたしがあんたの弟子になった」
「素振りさせたであろうに」
「…」
「剣技だけで、かかってくるが良い。これは訓練。襲撃とは別よ。…打ち込めればお主の勝ちだ。命でも何でもくれてやろう。己は素手で相手をする」
「ずいぶんと余裕じゃない」
「弟子に負ける師などおらぬわ」
はて、激昂するかと思ったがあっさりと天子は口を開くのをやめ、正眼に構える。
「さあこい、天子」
剣が袈裟に振り下ろされる。半身をひねって躱す。逆袈裟、と見せかけて胴払い。後方に下がる。
右手突きにて追いすがる。ほう、速い。半身にて躱しそのまま右拳を天子の腹に押し当て、全体重をそこに押し込む。
「ぐっ…」
天子の口から呻き声が漏れる。ふむ、やはり内剄のほうが通るか。
「どうした?息が乱れておるぞ?」
「…なんでもないわよ」
またしても正眼に構える。…まあそれしかやらせてなかったしな。
踏み込み、唐竹に振り下ろす。すかさず先ほどと同じように懐に飛び込むが、天子もそれは織り込み済み、柄を落としてこちらが伸ばした手を打つ。
よろしい。二度も同じ手は食わぬ、そうでなくてはいかん。横っ飛びに残る刃を躱し、袈裟の追撃を拳で叩き落して距離をとる。
天子が踏み込んで、横一線になぎ払う。そう、人は縦に細いのだから、ただ当てるだけならそれで良い。…ここが林でなければな。
近くの太枝をつかんで、盾にする。ガキッ、っと剣が生木で止まる。動きを止めた天子のわき腹に、えぐりこむように足を突き込む。
しかし天子は倒れない。腕力だけで剣を枝から引き抜き、払い、返しと追いすがる。
「楽しいなぁ天子よ」
哂う。剣舞など何年ぶりだろうか?
「わたしはちっとも楽しくない」
「そうか?お主も顔が綻んでおるぞ」
「嘘!」
「嘘じゃ」
天子が顔に左手を当てて驚いた隙に剣を握った右腕をとり、投げ落とす。
ドサリと天子が背中から地に落ちる。ほほ、天子の顔面が沸騰しておるわ。
「卑怯者!」
「なにをおっしゃる。素手は守っておるぞ」
「~~~っ!」
天子は声にならない声を上げる。だがそんな事をしていても無駄だと気がついたのだろう。帽子を落として起き上がって埃を払いもせず、即座に打ち込んでくる。
良い闘争心よ。二の太刀、三の太刀を躱し、伸び切った右腕に柔をかける。
「ぐうぅ!」
天子が剣を左手に持ち変える。即座に後ろに飛んで間合いを外す。
「楽しいなぁ天子よ」
「わたしはちっとも楽しくない」
「当たらないのが悔しいか?」
「悔しいわよ!決まってる!」
天子が屈辱に顔をゆがめる。なんじゃその顔は。己がどれだけ剣にこの身を費やしたと思っておるのだ。付け焼刃なんぞに敗れてはこっちが悲しいわい。
だが良い顔をするようになった。生気と感情に満ち溢れておる。
「そうか、悔しいか。ならば武人になれ。案外似合うやもしれん」
「この平和ボケした幻想郷で武人なんかになってどうすんのよ。冗談じゃないわ」
「では、お主は何になりたいのだ?」
再び、切りつける。
「!わたし…は…」
どんなに絶望しようと、落ち込もうと、身体を激しく動かせば人は昂揚する。昂揚すれば未来に思考を馳せる事が出来る。絶望なんぞを維持していられない。それが生存の為の本能。
全く人間の体とは良く出来ているものよ。
「わたしは、なりたいものなんてないけど、空虚だけど、でも、わたしだって、幸せになりたいんだ…」
「どうやれば、幸せになれるのだ?」
「一人で居たくない。一人では、幸せになれない」
「この世には敵しかいないのに?」
「…」
「己は敵か」
「…違う」
「衣玖も敵か」
「…違った」
「そうだ。己らにとってお主は友人よ。お主にとってはどうなのだ?」
「…」
右手を伸ばす。
これが最後の一太刀。
「最早躱しはせぬ。この手をとるか、切り落とすか。お主が決めろ」
そうだ、最後に己の絶望を切り裂けるか、流されるか、決めるのはお主だ、天子。
幸せだろうがなんだろうが、何かを望むなら何があっても手を伸ばす事を恐れるな。
しかし天子は硬直したように動かない。そのどちらも選択できない。
後悔が、天子の足を止めているのだろう。暴走していたとはいえ、友誼を望んだ手を打ち払い、あまつさえ傷つけた事を。
もとより友人だと語っていた相手に、殺意をぶつけた事を。
そんな自分が恥ずかしげもなく手を伸ばし、軽蔑される事を恐れている。
「傷つく事を恐れてても構わん。だが何度でも手を伸ばせ。それを望んだ手だけが常に、望むものを得られるのだから。お主が手を伸ばさねば、何も得られぬぞ!」
ふと、横に気配が一つ。永江衣玖が、左手を伸ばす。
衣玖もよくやってくれた。衣玖が天子の纏う風を抑えてくれていなければ天子の稚拙な斬撃とて躱しきれなんだろう。
「もう一度、申し上げますね。天人でもない、地上人でもない貴方が私は好きなのです。私は、天子様が往く、その先を見てみたい」
「………い」
「貴方が傷つくというのなら、私が守りましょう。空気、というものは緩衝材として恐ろしく優秀なのですよ?」
「……さい」
「まあ、明らかに総領娘様に非があるような悪戯を働いた場合には、ちょっとばかし知らぬ存ぜぬを貫くかもしれませんが」
「…るさい」
「比那名居天子様。私と、友人になってはくれませんか?」
「うるさい!あんたがそういうなら、もう友達よ!!」
天子が剣を落とす。剣の支配から脱却した影響か、そのまま魂が抜けたかのように天子はカクン、と崩れ落ちる。
だが、意識を失うその前に、確かに天子は我等の手をとっていた。
冷たい風はもう、止んでいた。天には虹色のカーテンが輝いている。
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ごきり!
「あうん」
べき!
「ひゃわー」
ぼきぼきぼき!
「むはー」
「……終わったわよ」
「…なんていうか、すごい声ですね。どっから搾り出してたんでしょうか」
それはもう、魂からに決まってるじゃないですか。
手がずぶずぶと身体の中にめり込んでいく感覚はもう、なんとも形容し難いものだった。
だれだって、素手で切開もせずに身体の中をかき回されたらこんな声になりますって。
とりあえず手術台から起き上がって着衣を正す。
「とりあえず、脊椎はずれていただけでかろうじて無事、神経に損傷なし。折れてた肋骨と右腕もセメントで固定したし、一週間ほど大人しくしていれば元通りになるでしょう」
「なんと、ありがとうございます。ええと八意女史。イナバ女史」
「礼には及ばないわ。一度心霊治療ってやってみたかったのよね」
うん?それって。
「…もしかして私、実験台でした?」
「ええ、だから治療費はただでいいわ」
「なんと!それはありがとうございます」
「…前向きな方ですね」
「前向きに生きないと幸せになれませんので」
貴方は後ろ向きそうな表情をしていますね、と本当は言いそうになってかろうじて言葉を飲み込む。
空気を読めるいい女、永江衣玖に失言などありえないのです。
だがしかし、こう損傷が軽微と知ると踊りたくなってきますね。
「念のため言っておくけど、一週間安静にしなかったら将来の保障はしないわよ。一生を棒に振るか、一週間我慢するか。好きなほうを選びなさい」
なんと、この私が先読みされた?
才色兼備にして和光同塵。恐ろしいお方です、八意女史。このような方が幻想郷に、しかも地上におられたとは。
「しかと、心得ました。判断結果は自己責任とする事をここに明言します」
「…一週間安静にするとは明言しないのね」
呆れたように八意女史がため息をつく。
「ま、いいわ。お大事に」
「お大事にどうぞー」
「ありがとうございました」
寝殿造の建物にあまりにも似つかわしくない密閉式の扉を後にする。
◆ ◆ ◆
「どうであった?」
「一週間安静にしていれば問題ないとのことです」
「それは重畳」
御老人、妖忌は安心したかのように吐息を漏らす。
この人も割と心配性な方ですね。
「ではすまぬがおぬしの友人を紹介してくれウボァ!」
顔面に圧縮空気弾を叩き込む。
「なにいってやがるんですかこのエロジジィ」
「違うわ!放っておいたらお主間違いなく踊るであろうが!」
む、見透かされている?
「悪いが完治するまで見張りをつけさせてもらう。それとも己の監視の下、一週間地上ですごすか?」
「…あとでタイ子さんとヒラガさんをお連れしましょう」
「よろしい。…しかし良いのか?」
「なにがですか?」
「天子の記憶のことよ。八意女史ならば記憶を取り戻せるかも知れぬぞ?いや、おそらく可能であろう」
そう、あのあと意識を取り戻した総領娘様は暴走中の事をほとんど記憶していなかった。
故に私は総領娘様の中では未だ、いけ好かないムカつく妖怪のままである。
「お主の生きがいを棒に振る覚悟を決めてまで尽力したのであろう?本当にこのままでよいのか?それでお主は報われるのか?」
「良いのですよ。私は、これから総領娘様が幸せになって、そして大暴れしてくれれば、それでよいのです」
改めて友誼を結ぶ機会は、これからいくらでもあるでしょう。
それに、思い返してみると私も結構恥ずかしい事も言いましたし。
「それにいざ友人として横に並んでは、おそらく色々面倒な事に巻き込まれるでしょうし」
「おぬし何気に酷い奴よの」
「暴れた後には、火消しが必要です。火消しが一緒になって暴れてはどうしようもありますまい」
「ま、確かにな」
「総領娘様が火遊びの加減を覚えるまでは。今はまだ、これで」
妖忌は若干呆れたような表情を浮かべたものの、こちらの言い分を理解してくれたようだ。
「お主がよいというのであれば、最早何も言うまい」
貴方も、苦労の星の下に生まれてきた方ですね。貴方こそ報われているのですか?
「それに総領娘様は、確かに御記憶には今回の事件は残っておりませんが、迷いがなくなったように見受けられました。尽力した甲斐はあったというものです。尤も、貴方が総領娘様の絶望を叩き切ってくれたおかげですが」
「さて、どうだろうか」
「いずれにせよ、これから総領娘様は数多の友人を得て、そして幻想郷を大いにかき回すでしょう。私はそれが楽しみでなりません」
「それは、予知かね?」
「いいえ、空気を読んだ結果の推論ですよ」
「そうか、空気を読む能力とはすごいのだな」
「それはまあ、当然」
妖忌と顔を見合わせて、笑う。
「妖忌殿はこれからいかがなさるのですか」
「ふむ、もうしばらくあそこで過ごしたら、また修行の旅だな」
「切らずに斬る。成功したのでは?」
結局、妖忌は刀を抜くことなく総領娘様を助けたのだから。
しかし妖忌はまだまだと言ったように首を振る。
「あれは、己と天子があの瞬間剣士と言う土台に立っており、互いに共感できたからこそ成せた業よ。この世の誰もが剣士になってくれるわけではあるまい?」
まぁ、それは確かに。
「剣士しか相手に出来ぬ剣士など三流以下よ。全てを斬るには程遠く、この身は未熟というわけだ」
「全てを斬る、ですか。先は長そうですね」
「うむ、己が死ぬまでに到達できるか。それが問題だな」
妖忌は苦笑する。まあでも、この爺様ならなんか、なんとかしてしまうんじゃないだろうか。そんな気がする。
「それはそうと、総領娘様は?」
「しばらくは勉強するそうだ。一体何を考えているやら」
「充電期間でしょうか?」
「であろうな。あやつに勉強など似合わん」
「言っちゃいますね」
「…もとより聡明である、とフォローだけはしておこう」
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勉強というのはつまらない物である。と言ったら天人たちに笑われる事だろう。
だがしかし、今わたしがしている勉強はつまらない。なにせ、義務として行う勉強であるのだから当然だ。
興味を持った事について勉学に励むのは面白いのに、おなじ勉強なのにどうしてこうも差が出るのだろうか。
それは多分わたしが欲を捨て切れていないからで。つまり不良天人だから同じ事をしても面白いと感じたりつまらないと感じたりするわけである。
まあ何が言いたいかと言うと、今日も順調にわたしは不良天人である、と言うことだ。
わたしの能力封印騒ぎから一ヶ月週間が経過した。
残念ながらわたしには剣を叩き折ろうとしたところからの記憶がない。後で聞いた話をまとめると、どうやら暴走したわたしを永江衣玖が地上に叩き落して、妖忌がわたしの剣を落として暴走を納めたらしい。
その際に衣玖は全治一週間の怪我を負ったとかで自宅療養していた。全治一週間程度ならいい気味だ、と言いたいところだが、どうやらあいつが迅速にわたしを地上に叩き落したから天界では部外者の負傷者が出なかったらしく、仮に部外者に被害が出ていたらお咎めなしで済んだとも思えないので、まあつまり、わたしにとって永江衣玖は恩人になるわけである。口が裂けてもいい気味だとは言えない。
まあそれは恩義を感じているから、というよりも周囲に「やはりあいつは恩義すら感じない不良天人か」と思われるのが嫌なだけなんだけど。はっはーガキだねわたし。
後お咎め無しな理由はもう一つある。それはわたしが緋想の剣を操れるようになったからだ。
暴走したと聞いておっかなびっくりしていたのだが、妖忌が何かあったら止めてやる、と言ってくれたので掴んでみたらあら不思議。自分の手足のように使いこなせるわけで。
全くじゃあ最初は一体なんで暴走したんだか、なんていうのは嘘。多分妖忌と、むかつくけど衣玖がなんかしてくれたからわたしはこれを使えるようになったのだろう。ちょっと悔しいなぁ。
まあとにかく、天人にしか扱えない剣をわたしがあっさりと使いこなせるようになった為、不良天人に罰を、って話がお流れになったようである。
ありがたい事だけどおおらかだねぇ天人様たちは。で、その流れのせいで比那名居の連中も、改めてわたしの能力を封印するとは言い出せなくなった訳で。はっはーざまーみろ親父殿。
で、今のわたしは勉強中である。義務で勉強しているのだが、別に親父殿達にやらされているわけではない。
じゃあ何で勉強しているのかと言うと、結局のところ不良天人でも地上人には天人なわけで、天人らしいことの一つも言えないのではちょっと情けないかなーと思ったゆえんである。
そうつまり、これは地上進出の為の足がかりの一つなのである。わたしが改心して勉強しているのだと思っている比那名居の連中のなんと愚かしいことよ。
まぁ、一人で勉強していてもつまらないので、妖忌のところへ行ったり、むかつくけど衣玖のところへお見舞いに行ったついでにわからない点とかを質問したりもしてみたんだが、片や剣馬鹿、片や踊り馬鹿。
結局揃って首を傾げるだけである。わたしを含めて馬鹿ばっかだ。ま、それはそれで居心地がいいけど。嘘だ、衣玖と一緒にいて居心地がいいはずがない。ふん!
ま、そんなこんなで一ヶ月。世間は外界で言うところのクリスマス。まぁ、幻想郷にはあまり関係がない。
だけれどやっぱりなんかイベントがあるほうが日付を覚えやすいよね。だから12/24を以て、この日を比那名居天子の独立記念日とするのだ。
◆ ◆ ◆
「一人暮らしをするだと?」
「ええ、お父様。本日限りでお父様方と縁を切って、この屋敷を出て行きますわ。何か問題が御有でも?」
親父殿の驚いた顔ったらもうたまらない。
赤くなったり青くなったり。この程度で動じるなんて天人として恥ずかしいですわよ、オホホ。
「馬鹿な、そんなものは認められぬ!」
「何故です?失礼ながら、掃除洗濯炊事。その全てにおいて日常生活を送るにあたって不足は無い、と自負しておりますが。それぞれの専属使用人にもお墨付きをいただいております」
あえて、丁寧な口調で親父殿の神経を逆なでする。わーヒールって楽しー!
親父殿はぶるぶると拳を震わせていたが、やがて諦めたように口を開いた。
「…いいだろう。ただし条件がある」
「なんでしょうか?」
ま、何かしら条件つけてくるとは思っていたけどね。
ただ親父殿の次の言葉はちょっとわたしの予想の上を行った。
「独り立ちしたければ、私を倒してからにしてもらおうか!」
「…えー」
マジで?親父殿そんなキャラだったっけ?
◆ ◆ ◆
「勝負の方法は単純。何でもあり。先に膝をついたほうが負けだ。よいな?」
「いいですけど。本当にそれでよろしいので?」
屋敷の中庭に出て人払いをし、親父殿と相対する。親父殿、元文官だろうに?無理すんなって。
「構わん。では始めるぞ」
「いつでもどうぞ」
「参る!要石よ!」
親父が要石を手の上に顕現させる…って!
「ぶぁはははは!」
なにそれ!軽石じゃん!そんなもんでどうしようってーのよ!あははははははは!
しょぼい、しょぼすぎるよ親父殿。軽石とか!ははは!ありえないって!ウェヒヒ!腹痛い!助けて!
「ふん!」
衝撃。脳を左右に揺さぶられる。…そうだった。お互い天人の身体を持つ同士。重要なのは要石の強度じゃなくて、中の振動子のほうだった。
振動子を全開にした一撃を叩き込まれてわたしの脳が悲鳴を上げる。外見を軽石にしたのはわたしの油断を誘う為か。やってくれる。
まったく、完全に親父殿の策にしてやられた。身体のコントロールがきかない。思わず膝をついて倒れそうになる。
「ははは、間抜けめ。比那名居の一族の業を忘れたか?」
ざっけんな。要石操作の第一人者はわたしだっつーの!
親父様に倒れるように掴みかかる。右腕がなにか掴んだ。これは?感触からして腕か。ならば頭はおそらくこの辺り!
「そぉい!」
左手に要石を生み出し、パワーを全開にしてぶん殴る。手ごたえあり!頭かどうかはともかく、どっかには当たった!
「ぐ、おのれ!」
親父殿がわたしの後頭部に要石を振り下ろす。
わー実の娘に容赦ねー。わたしの脳がまたしても悲鳴を上げる。視界がぐにゃりと歪む。おのれ、先手を取られたのは拙かった。だがしかし、負けてなるものか!
「カナメ、ファンネル!」
あたれ!めったやたらに要石を打ち出す。
「ぬおおお!」
よし、とりあえず当たってる。ざまーみろ!うぐぇ、わたしにも当たった!
そのままわたしと親父殿は殴り合いを続ける。地上人が見たらビビるに違いない。
何せお互い手に岩を握って、互いの頭をぶん殴っているのだから。
傍から見れば骨肉の争いにしか見えないだろう。ま、それもあながち間違いじゃない。だってこれはわたしの独立戦争なんだから。
◆ ◆ ◆
「がはっ」
親父殿が膝をついて、受身をとることもできずに前のめりに倒れる。
勝った!引導を渡してやった!この倒れ方ならまず起き上がれない!って、ああ、膝をつかせれば勝ちだったか。
わたしもたまらず尻餅をつく。総計10発近く貰ったか?頭がぐらぐらして吐き気がする。気を抜くと喉の奥からアレが込み上げてきそうだけど、淑女がそんなもの撒き散らすわけにはいかないでしょ!
「うっぷ…親父、これで文句ないわね」
腹這いで倒れ伏す親父に駄目押しの確認を取る。
「ぬぐ…ああ、好きにするがよい」
親父殿も吐き気をこらえているようだ。まぁそりゃそうだろう。…正直、親父殿がこんなに耐えるとは思っていなかった。4,5発も持つまいと思っていたのに、まさか三十余も耐えるとは。
要石の力はわたしのほうが間違いなく上なのに。どっからそんな気合が沸いてきたんだか。
いやむしろそんなにわたしを外に出したくなかったのかと。腹立つわねぇ。
まあいい、自由は手に入れたのだからこんなところで座っている暇は無い。立ち上がって中庭を後にするべくよろばい歩く。
「すまなかったな、地子」
「…なにが」
足が止まる。捨てたはずの名前で呼ぶなよ親父殿。
「色々あるが…天人になったことが、だな」
「なに?もしかして天人になった事を後悔しているの?」
「後悔している」
「なぜ」
「お前を、不幸にしてしまったからだ」
何をいまさら。泣き落としでもするつもりか?男の腐ったような奴だ。
「こんなことになるとは思ってもいなかった。天人になれば、最早由無し事に左右されることなく、幸せになれるのだと思っていた。私も、お前も」
「…」
「だが結果、お前だけが一人、苦しみに取り残された。だからせめて、いかなる手段を用いてもお前を一人にしてはおけぬと、天人にしなくてはいけないと、そう思っていた」
「…」
「だがつまるところ、最初から天人になどならなければよかったのだ。そうすれば、我々は地上人のまま、普通の家族でいられたのに。普通の幸せを、手に出来たはずなのに。すべて、家長たる私の読みの甘さよ」
「…でも、親父は天人になって幸せになったんでしょう?」
「娘が苦しんでいるのに、幸せになどなれるものか」
嘘をつくなよ。天人は迷いや苦しみから解き放たれた存在だろうに。あんたはその天人だろうに。
そう言うはずだったけど、その言葉は口から出てはこなかった。
「天子」
「なによ」
「半天人、半地上人のまま、お前は幸せになれるか?」
「…なるわよ。これから掴み取る」
「未来を見据えろ。地上人と知り合いになっても、一時の幸せを手にしても、そいつらは絶対にお前を置いていくぞ。…断言する。絶対にお前は地上人と友人になった事を後悔する」
「…そうかもね。でも、絶対に後悔しない生き方なんてないよ。目の前に最善を尽くして失敗した馬鹿がいるじゃん」
「はは、返す言葉もない」
親父は痛いところを突かれたかのように苦笑する。
「緋想の剣は持っていくといい。門出祝い代わりだ。他の天人には話をつけておく」
「いいの?天界の宝なんでしょう?」
「狭い天界を抜けて、本格的に大暴れするのだろう?ならば守り刀くらいは持っておけ。独り立ちすれば、誰もお前を守ってはくれぬのだから。判っておろう?」
「判ってる」
そう、判ってる。わたしはなんだかんだで、親父に守られていたんだ。わたしがしでかした問題の責任は全て最初は親父のところへ行っていたし、それにわたしは親父に全責任を押し付けて怨んでいれば心の平静を保てたんだから。全て悪いのはわたしを置いてった親父達。わたしは悪くない。そう思っていればよかったんだから。
だけどこれからは全てがわたしの責任だ。責任だけ親父のところに残してやりたい放題なんてかっこ悪くて出来やしない。だから僅かなつながりを捨てて、またわたしは一人になる。
でも、わたしたちは親子な訳で。縁を切ったといったって、周りはそうは見ないだろう。
「さっきの話だけどさ。親父は、わたしが幸せなら幸せになれるの?」
「無論」
「ごらんあれが比那名居天子の父親だよ、って後ろ指差されても?」
「構わん」
「天人だから辛くないと?」
「親だから辛くないのだ。お前も、親になればわかる」
わたしがねぇ?永遠にこの外見のまま固定されたわたしが親になる日が来るとは思えないけど。
「ああ、しかしあの御老人に義父さんと呼ばれるのは勘弁してくれ」
「馬鹿!」
親父の上に要石を叩き落す。
何が腹立つって、からかってるんじゃなくて声に本気で心配する成分が多分に含まれているんだから。
気絶した親父を呼びつけた使用人に任せ、中庭を後にする。
別に今生の別れでもないし、今後も何度だって顔を合わすんだから感慨なんてありゃしないと思っていたけど、そんなこともなかったな。
さよなら、親父殿。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「そろそろまた、旅に出ようと思う」
三箇日を天界で過ごした後、天子の実家で将棋を打っている最中に、そう切り出した。
天子は独立宣言をぶち上げたようだが、新たに住む家すら用意してなかった為、娘を浮浪者には出来ぬと結局父親に懇願され、新居が完成するまでは引き止められてしまったようである。
現在天子はせっせと物見の湖とやらの近くに新居を建設中だが、どうも全て一人でやりたいらしく、完成には今しばらくの時間が必要であろう。
「何処へ行くの?」
「特に決めてはおらぬが」
「そう、寂しくなるわね。新居が完成するまで待ってればいいのに」
「一箇所に留まりすぎると、腰が重くなるのでな。それに天子の親父殿の目線が怖い。相当嫌われたようだな」
「嫌ってるんじゃなくて、警戒してるのよ」
「何をだ?」
天子が押し黙る。言いにくいことか?まぁ、風来坊を警戒するのは当然のこと。それならそれで問題ない。
「寂しくなるわね」
天子が繰り返す。
うむ、寂しくなるな。だが出会いと別れは繰り返すものだ。永遠に一所に留まるものなどない。
「そういえばさ、妖忌はなんで旅してるの?修行をするには一箇所に留まったほうが効率的じゃない?」
「天界で大人しくしてるのを嫌うおぬしがそれを聞くか?」
「まーそうなんだけど」
「新たな出会いが新たな発見を生むのだよ。お主にも教わったしな」
「ふうん」
天子はつまらなそうにため息をつく。
どうもこやつ、己が天子の示してみせた思いつきの解答に感銘を受けたことが気に入らないようであるな。
だがしかし、知恵をこねくり回した結果が常に人に感銘を与えるわけではない。そこは嘆いても仕方のないことである。
ヘタに勉強して浅知恵をつけておかしな事を言い出さねばよいのだが。自然体が一番よ。
「ま、もう一つあるのだがな」
「旅する理由?」
「うむ、果たせなかった約束を果したいのだ。無論自己満足に過ぎぬのだがな」
「約束ねぇ。かっこつけちゃって」
「男子なのでな。格好つけたいのだ」
天子はそれ以上、何も聞かなかった。
互いに茶を啜り、押し黙る。
「いつ発つの?」
「すぐにでも。どうせ荷もろくにないしな」
「そう」
天子は腕を組んで何かを考え始めたが、ふっと少し悲しそうな顔をした後、将棋盤をひっくり返して立ち上がり、壁に立掛けてあった2本の木剣の一本を投げてよこした。
…己が勝っておったのに。無効試合にしおったな。
「この屋敷を出て行きたければ、私を倒してからにしてもらおうか!」
「お主そんなキャラだったか?」
「…まあつまり最後にあんたの本気を見せてくれない?ってこと。一度見てみたかったのよね」
「全力で立ち合え、ということか?」
「そ、全力でお願い。天人の身体なら木刀ならば全力で打ち込まれても死にやしないし。手加減抜きでね」
ふむ、これから天子も剣を振るう身となるわけだし、至らぬ身とはいえ先立となるのもまた先駆者の役目か。
「よかろう」
共に中庭に出て礼をし、互いに正眼に構える。
しかし天子よ。
「お主の振るうのは剣であろう?本来は片手で振るうものであるが」
「…誰のせいでこんな癖がついたと思ってるのよ」
ま、己のせいよな。別に空いた手に盾を持つわけでもなし、問題ないか。
「では参るぞ」
「ええ」
トン、と地面を蹴り、打ち込む。
木刀が折れて宙を舞う。
「魂魄一刀流、現世斬にて比那名居天子より勝利を頂戴いたした」
ドサリ、と天子が倒れ伏す。
さらば天子。さっぱりとした別れを用意してくれたその気使い、感謝するぞ。
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目を覚ましたときには、もう妖忌は天界にはいなかった。ま、多分そうなるだろうと思っていたけど。
それ以来妖忌とは会っていない。物見の湖で指定できるのは場所だけ。誰か特定の人の居場所を映せる訳じゃない。
だからあいつが何処で何をやっているのかはもうわたしにはさっぱり分からなかった。
あいつの気質は「雪」。静かにやってきて、そして冬の終わりに清水となって流れていくのだろう。
雪に極光、相性最高だったんだなーほんと。
あれからわたしはやることが多く、新居を完成させたり、引っ越したりしているうちにあれよあれよと月日は去っていって。
季節は既に夏真っ盛り。わたしの髪が最も映える季節である。異変を起こすとしたらこの季節しかあるまいよ!
ここのところ、ずっと博麗神社を見ている。まったく妖忌の言うとおり、博麗神社は妖怪の巣窟と化していた。ひどいもんね。
それも三下妖怪ばかりでなく吸血鬼や天狗といった大物に、果ては地底に潜ったはずの土着の鬼すらも神社を尋ねているのだから驚きだわ。
それだけの連中に対し、肝心の巫女はまったくと言っていいほど敬意も恐れも、ましてや侮蔑も抱いてないようなのよねー。
態度が人間である(と思われる)黒い魔法使いや青い巫女に向けられるものと全く変わらない。
その黒い魔法使いや青い巫女はよく見るとちょっと妖怪に対して引いたところがある、というのにである。
…もう駄目だ。興味が押さえ切れない。いやむしろここまでよく我慢したわたし。
さあ、異変を起こそう!今年に入ってから何も異変が起きてないんだから、あの巫女だって退屈しているに違いない。
さて、第一印象が大事だって妖忌も言っていたし、あの巫女が忘れられないような出会いにしないとね!
刮目せよ!比那名居時代来たれり、だ!
◆ ◆ ◆
「こんな神社壊れちゃいなよ」
それがどうしてこんなことに。
人がせっかく、人がせっかく地上進出への足がかりを作ったというのに!
ざっけんな!こいつ何処のどいつだ?
「自分の良いように神社を改造して、自分の住む場所を増やそうって魂胆だろう?」
それの何が悪いってーのよ。
自分の居場所を自分で作ることの、何が悪い?
いきなり人の邪魔をするような奴に敬意を払う必要もない。売り言葉に買い言葉だ。
わたしも口汚く応戦する。ふん、こんな奴に馬鹿にされてたまるもんか。
「この間、天界を見てきたわ。天界は広くて土地が余ってそうね。それなのにさらに地上にも住む処って…」
住みたきゃ勝手に天界に住みなよ!土地なんていくらでも余ってるからさ!
おおらかな連中ばっかだからどうせ文句なんていわないよ。もう萃香だって居ついちゃったし。
でもね、そんな事を理由にわたしが地上で幸せを掴む為の第一歩を破壊させるものか!
「鼻に付くわ、その天人特有の上から目線」
ああ?鼻に付くのはそのあんたの胡散臭い表情のほうでしょ!
ふん、こんな表情を浮かべたやつなんてどうせおひとりさまに違いない。
ボッチならボッチらしくいじけて引き篭もってろっつの!
「美しく残酷にこの大地から往ね!」
そうかい、わたしに地上にいる資格はないってか。いいだろう、あんたは敵だ。
気配で分かる。こいつは尋常じゃない。まともにやって勝ち目があるかどうか分からない。
緋想の剣を構える。こいつの気質は「天気雨」か。晴れと雨とが目まぐるしく入れ替わり、弱点を突くのは不可能に近い。
でもね、そうやって居丈高に人の居場所を奪おうとする奴なんかに、この比那名居天子が負けるものか。
そうとも、こんなところで躓いてはいられない。わたしの未来はわたしが切り開く。そうだろ妖忌。
比那名居天子の幸せ探しは、まだまだ始まったばかりなんだから!
fin.
衣玖さんと天子の絡みがやや少なかったのが残念。バトルはしてたけど。
内容的には、良かったんですけど、んー…全体的にキャラが青臭くって、ま、そこは好みの問題かもしれませんが。
あと、青臭さもあってか、少し展開が読める時もあったり。
三人の視点が代わる代わる、それはいいのですが短くするならそのへんですかね。
長いこと自体には問題は無いのです。
むしろ奨励すべきなのでしょうが、敷居が高くなってしまうものですから、評価は得にくいかもしれませんね。
長い作品は文才が無くては成りませんが、短くするのもまた能力だと思いますよ。
随分長くなりましたが、良かったですよ。また拝見させて頂けたら幸いです。
「頚椎はずれていただけだっただけ」
少し気になりましたので。
「雪と極光」のくだりに感心しきり。ゲーム内で雪と言えばあのお方の気質……うはぁ、お見事でしたー!
一カ所誤用?
妖忌が博麗神社の話をする場面でてんこちゃんが「やらいでか!」と言っていますが、これは「やらないでいられるか」→「やってやんよ!」という意味なので状況には合っていないかと。
おかげさまで、新たな道が開けました。作者様に感謝!
でも後書きの最後はくすっときた
天人になりきれない思春期天子とおじいちゃん剣士の妖忌。良い組み合わせでした。
読み応えありました。
あとこいしは神社に張り付いて何してるんですかー!
いやー面白かったです。この後あんな事やこんな事があったんだろうなーと妄想したくなる良い話でした。
読み応えもあり大満足、今後も期待してます。
まずはお約束どおりごめんなさい。そして御講評ありがとうございます。青臭いのは…すみません。まだまだひねりで唸らせる物は書けないようです。あと省略すること、記述することのバランスを考えないといけないですね。一作目からの課題なのに…。頚椎は…いつの間に損傷が首に移ったのでしょう?御指摘ありがとうございました。しかしいずれにせよ人間ならおおごとですね。
>7様
誤用です。やってやんよ!って…やっちゃ拙いですね。御指摘ありがとうございました。
後、妖忌とイクさんのキャラもよかったです。
おまけ会話の続きは色々妄想が膨らみますな~
というかこの程度で長いなんて某ラノベならまだプロローグにも入ってないw
むしろもっと読みたい。もっと作者さんの世界観に浸っていたいと思わせてくれる
素晴らしいSSでした。
短くしようとなんてせずに目指せ創想話最長SS!
今は800kbでしたっけ。
どれだけ長くなっても私はちゃんと読み切りますが、
読者さんに読んで貰いやすくするには何部作かに分けて見るのも
手かもしれませんね。
個人的には最長記録に挑んで頂きたいですがw
『脊椎はずれていただけだっただけで~』
『だけ』を二回続けるのはおかしいかと
物語はとても好きです
軽快なノリとほのぼのする掛け合いが特に気に入りました
「脊椎『が』はずれていた~」
思春期天子ちゃんや天然衣玖さん 渋くてお茶目さんな妖忌のじっちゃん
でも個人的に一番好きなのは世間体を気にするばかりの人と見せかけて
実は娘の幸せ至上主義な天子パパの熱血ぷりがツボでした
あとがきで爽やかにクスリと来ていい締めだったです 百点貰ってください!
御指摘ありがとうございます。永琳先生の台詞だから漢字かなーと思ってたらひらがなとか!視点が定まってしまうと全く気付けないものなのですね。お恥ずかしい。色々悩んだ結果「脊椎は ずれていただけだった」に着地することにしました。丁寧なご指摘感謝です。
良い天子でした。
爺もイクサンもいいキャラしてて最高でした。
が、一番はトーチャンです。
なんという似たもの親子・・・世間体が許せば嬉々として娘と弾幕ごっこに興じそうな・・・
七三黒縁メガネの公務員ルックなのに、不良になった子供と打ち解けるために
ある日突然某世紀末雑魚ルックでヒャッハー言いながらハーレーに乗って帰ってきそうな・・・
とにかくそんな感じのトーチャンの愛を感じました。
素晴らしい作品をありがとうございました。
あなたの作風に一目惚れしてしまいましたwwwwwww
妖忌が格好良い&バトル描写有りの作品があまり無くて…飢えてましたw
次回作楽しみにしてますね。
天子が障害を乗り越えて成長するという類のお話は多々ありますが、ここまでバトルシーンが鮮やかだった小説は見た事がありません。テンポも良く痛快でした。
次回作期待してます。
どちらも胸熱ですが、合わさってさらに胸熱ですね!
あとがきでも言っているように設定上ネガティブな部分はありましたが、気持ちのいい終わり方でしたし、終盤は勢いと熱さがあって盛り上がりました。
あと一つ気になった点が、作中で妖忌が半人半妖であるという文章が出ていますが半人半霊でしたよね確か。作中では一貫して妖忌が半人半妖として描かれていたのでどうしても気になりました。
最初は話の長さで読み始めるのを少し躊躇しましたが、一旦読み始めると、各々の視点から上手い具合に、鮮やかに話の描写ができていて、そのためにシリアスなシーンでもブラックになり過ぎず、最後までワクワクしながら読めました。話の展開のスピードとシーンごとの描写の緻密さが非常によいバランスで進行していたように思えます。
天子ちゃんの内面描写もしっかり年頃のちょっと不安定な部分もあるお転婆娘みたいでよかったし、妖忌も老成し過ぎていない、丁度良い性格をしてました。イクサンのキャラは時々崩壊しかかってましたが(笑)でもそれも作者の味といったものとしてみれば充分読んでいて面白かったです。
天子と妖忌の問答を通して作者の哲学みたいなものが見えたのも個人的には良かったかと。
後、ネタ的感想を言えば「無駄ァ!!」はクスリとしましたww
未々読み足りないって気持ちで一杯です。次回作、期待していますので頑張って下さい。
しかしそのせいで半径20M天地開闢!のルビがロードローラーだ!に自動変換されますたw
後、衣玖さんと妖忌の初会合シーンの空気差に笑わせていただきますた
親父や天子、みんないいキャラしててとても楽しい時間を過ごせました。
次回作も期待してまってます!
この二人の師弟とも友人とも言える関係が大好きです。
あと踊り狂う依玖さんも良い味出していました。
天子視点から見ると、緋想天の行動にグッと来るなぁ。
これは名作だ。誰が何と言おうと名作だ。アクセントのゆゆ様との因縁も悲しく、美しい。
文句なしの満点以外に有り得ません。
ちょっと御大将分がくどかったので90で。
すばらしい妖忌と天子でした。(衣玖さんも)
天子のキャラクター描写も大好物でした。