Coolier - 新生・東方創想話

ホープ・スイート・ホープ

2011/12/27 02:32:31
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hope sweet hope

◆◆◆ 1

 少女は今日も屍体を運ぶ。
 がらごろ がらごろ
 少女、火焔猫燐の日課は、骨をも残さず灰と燃やす地獄の業火を絶やさないため、燃料、即ち人間の屍体を運ぶことだ。これまでずっと、そうして来た。今も。またあるいはこれからも。
 錆びた猫車の上に、痩せて乾いた男の屍を乗せて、彼女は地底の奥深くまで。
 がらごろ がらごろ
 これまでそうして来たように、これからもまたそうするように、灼熱地獄跡へと進む。
 がらごろ ぴたり
 ところがその日は先客がいた。
「……あ」
 曲がりくねった洞窟の途中、地面の段差に腰かけた少女。丸めた背中には、色鮮やかに奇形な羽。それを燐の歩いて来た方に向けて、自らは洞窟の奥の暗闇を見つめている。悪魔の妹と呼ばれた少女。――フランドール・スカーレットだ。

「私ね……ずっと地下で暮らしてたの」
 フランドールは語り始める。表情は無い。
 それを聞くのは火焔猫燐だ。男の死体を放置して、フランドールと向かい合うように座っている。
「地下と言っても、こんな地獄みたいな場所じゃないよ。……いや、違うの、ここが地獄みたいにつらいって言う訳じゃなくて……」
 詰まらない事で話に詰まるものだから、火焔猫燐は適当な相槌で先を促してやる。
「つまりこことは違うんだね?」
「うん、違うの。地底はとっても広いけど、私が暮らしていた地下室はとっても狭かった。今ではとっても信じられないくらい」
 何かを憂うような、懐かしがると同時に厭うような瞳で、フランドールは空のある方を見上げる。当然だが、本当に空があるわけでは無い。ここは地底の、そのまた地面の下だ。上を向いて見えるものは、赤茶けた岩と、精々が暗い緑色をした苔くらいで、青い空など望むべくもない。――それに、望む道理もない。彼女は吸血鬼だ。
「でも、私にはあの小さなへやが世界のすべてだったわ」
 フランドールはぎこちなく、力ない声で話す。
「ううん、違った。本当は、周りに世界があるって知ってた。それを小さく押しこめてたのは私自身……。とびらをこじ開ける奴が来るまでは……」
 それから吸血鬼の少女は、ぽつりぽつりと人間の話をした。例えば、宙に浮くツートンの巫女や、星空を翔るモノクロの魔女の話をした。優しい過去に心から思いをはせるように。だが、端々に迷いも見えた。それは、石と砂利と砂が混ざった壺の中から、綺麗な砂だけを掻きだそうとする様に似ていた。
 燐は耳を傾け続けた。折角運んできた屍体が消えている事に気付いたのは、随分経ってからだった。

◆◆◆ 2

 その翌日。
「昨日と同じ屍体だ」
 燐を見るなりの、フランドールの言葉だ。
「ありゃ、よく気付いたね」
「気付くよ。わたし記憶力良いもん」
 フランドールは投げ捨てるように言った。いかにも興味が無い、詰まらないという風の言い方だった。しかしそんな態度に反して、フランドールはトテトテと燐に歩み寄って、身をかがめて屍体を覗きこむ。
 目つきはやや胡乱だが、昨日よりは活気が戻っているように見える。燐は小さく笑った。
「カラカラだね。血なんて残って無さそうだ……」
 フランドールの言葉通り、男の屍体は、木乃伊のサナギのように乾いている。
「あはは、スキマに流れちゃったのかもねえ」
「毛細管現象?」
「そうかもしれない……。さっ、てと」
 ぎっ
 猫車が動くと軋んだ音をあげる。
 さあこれでおしまい、とでも言うように、燐は屍体を押してフランドールの前を過ぎていく。
「さてさてそれでは、骨肉までもが流れてしまう前に、とっとと燃やしてしまおう」
 歩きながら燐は、一度だけ振り返って言った。
「一緒に行く?」
「暑いからいい」

「私ね、昔は咲夜のこと妖怪だと思ってたんだ」
 急にそんな事を言われたって、燐は咲夜なんて人間に思い辺りが無い。
「えーっとごめんよ、咲夜ってのは、一体誰だい?」
「……会った事あるはずなんだけど」
「えっ? 全然憶えてない……」
 燐は少々ばかり焦って冷や汗を垂らした。
「いつ、どこで?」
「うつほを馬鹿に出来ないよねー。だいたい鳥頭とか言っても、カラスは鳥の中じゃ頭いい部類だし。憶えが悪いのは実は猫の方?」
 フランドールは問いを無視して、気侭にまくし立てる。
「ちょっとちょっと」
 燐が抗議の声をあげようとした所で。
「メイドだよ。紅魔館の。私達が暮らしてた」
「え、はー、メイド?」
「そう、種族『メイド』じゃなくて、種族『人間』の職業『メイド』。私が魔法を使っても種族『魔法使い』ではないように」
「メイドなんて種族は無いよ」
「メイドなんて種族があるとホントに思っていたんだよ。実際、咲夜はそれはもう人間離れしてたから。今だから分かる事だけど、ね」
「なんだか混乱して来たよ。今だから分かっているのやら、昔だから分かっていたのやら」
「要するに、人間も妖怪も私には、ろくに区別がつかないってこと」
「それは今でも?」
「これは昔から」
 パチクリ、大きな瞳をフランドールは瞬かせた。星が映り込んでいると思うほどにその目が潤んでいたものだから、瞬きの瞬間、涙が零れ落ちたように、燐は錯覚した。
「でもさ、本当に……本当に『理解できない』と思い続けてたのは、咲夜の方だったと思うんだよ。――今、他ならない私が、私の事を分からないもの」
「……分からない、かあ……」
 燐は独り言のようにつぶやいた。
「分からない、分からない、分かってくれてないのが分かるから、なんであんなに優しかったのか、それがなおさら分からない。分かっていないのが分かっていたはずなのに、なんであんなに優しかったのか、それもなおさら分からない。でもそれで自分に立ち返ってみると、私も何も分かっていない癖に優しくあろうとしていたことに気付いた。自分の心も誰かの心もわけが分からなくなって、でも、」
 フランドールは呼吸する。
「ある日突然、『分かってくれてる』と感じるようになったの。それは咲夜が変わったのか、私が変わったのか、分からないまま変わらない」

◆◆◆ 3

 再び翌日。
 八雲紫がやってきた。
「やめて欲しいのだけれど……火焔猫サン? 無駄に屍体を燃やすのは」
 困ったわ、と肩を竦めて、呆れるわね、と髪をかきあげた。いちいち大げさで芝居がかった仕草をする少女だ。
「屍体を運ばない火車なんて火車じゃないよ」
 燐は言いかえす。その程度の事も知らないのかい?と揶揄するように言ったのだが、しかし、火車の象徴とも言える猫車は――乗っているのは女の屍体だ――今は紫の手元にある。紫に押さえられている。だから、全く決まっていない。
(そんなアイデンティティは捨ててしまえ)
「何か言ったかい?」
「まさか。妖怪が妖怪である事を、何故私が否定できると思いまして?」
 紫は口元だけで笑った。しかし目は全く笑っていない。猫と狸の間に、見えない火花が散る。
 ――フランドールは、やはりその日も燐を待っていたため――いや、単に毎日同じ所に居るから同じ人に会うというだけで、誰が来ようと来まいと関係ないのかもしれないが――この険悪な会見にも立ち会うことになってしまった。とはいえ、不機嫌になるでも、面白がるでも無い。無関心を通して、虚空をぼんやりと見つめているのであった。
 紫の方でも、敢えて彼女を刺激しようとも思わず、無視をしていた。
「そう……でも……それは、私だって、こんな地下にまで潜って来て、他人の生き様に口を出す趣味なんてありません」
「だったら来なきゃあ良いのになあ」
 言いつつ、燐は少し上の空で、横目にフランドールをチラリと見たりなどしている。この吸血鬼の少女を気にする素振りを見せるのは、燐だけだ。
「地上と地下は、もともとそういう約束だっただろう?」
 はあ、と紫はため息をついた。芝居がかったわざとらしいものでは、ない。
「子供の様なことを言わないで……。私は今、常識の話をしたいのよ。誰でも分かる常識の話を」
「八雲紫らしくは聞こえない台詞だね」
「貴方に何が分かるの」
 燐は答えず、紫がしたのと同じように、大きく肩をすくめて見せた。紫はもう一度、小馬鹿にするような笑顔を造り直す。
「その動作になんの意味があるのか私には分からないわね。肩をすくめてやり過ごしたいのは私の方よ。私はここで一人肩の荷を下ろすわけには行かないのだけれど。まあ、力ある者が責任を負うのはスパイダーマンも言っている世界の常識ね。それから一応報告しとくけど、『門』はしばらく開けられないから」
「いやいや、今のは肩をすくめたわけじゃなくて、撫で肩を直そうとしただけさ。ほら私って元が猫だから、人の姿を取っててもついつい姿勢が……えっ? 門が開けられないって――」
「美鈴はどうしてるの?」
 気付かない内に、燐のすぐ後ろにフランドールが立っていた。張り付くように、ぴったり後ろだ。
「わ!」
「ねえ、美鈴は今どうしてるの?」
 半分燐に隠れて、しかし目はまっすぐ紫を見つめて繰り返す。紫はニッコリと笑う。
「よくやってくれてるわ。二週間、門からの侵入者は無い。わざわざ貸してもらった甲斐があったというものね」
「ふうん」
 燐はその会話を聞いて何かもの言いたげだったが、何も言いだせない内にフランドールが自分の話を始めてしまった。
「地下室の外を……紅魔館を自由に動けるようになってから、私は暇を持て余すようになった。不思議だよね。できることが増えたら、急にやることが減っちゃうんだから。あんな狭いところで、私はどうやって永い永い暇を潰してたのか、思い出すこともできない」
 紫は満面の笑顔をひっこめて、普通の表情に戻った。つまらなく感じているようにも見える。だからと言って、フランドールは気にしない。
「それで、時々……何度も美鈴の花畑を覗き見てたの。太陽の光を直接浴びないように、気を付けて窓を開けて……。花は……日を浴びる花は、とても気持ちよさそうだった。どれも、なんていうか、生命のエネルギー? みたいなものがあったんだ」
 この辺りで、紫は屍体の手を取り、握ったりさすったりを始めた。
「うん、本当に、そういうものが確かに感じられた。花はどれも、陽光に歌うようだった。彼女たちに活気を注ぐようなものが太陽なんだと、そういう風に私は理解してた。おかしいよね、私たちが太陽の下に出れば……あっというまに命が焼け切れて、終わりなのに」
 紫は片手の指で、屍体の手の甲をゆっくりと撫でる。次に両手で腕を。
「美鈴はいつも日の下に立っていて……それで肌がオレンジがかっていて……紅魔館では死体から一番遠い存在だったな。美鈴が如雨露を持って花に水を灌ぐと、小さな虹ができるの」
 その時フランドールは突然、屍体の頬を骨の形を確かめるように触っていた紫を、キッと睨みつけるように見た。
「知ってる? 吸血鬼は屍体なんだって。私には親の記憶が無い。お姉さまは……」
 フランドールは少しの間だけ沈黙して、静かに唾を飲み込んだ。眼球の震えが燐や紫にも見える。
「……お姉さまは、確かに私の両親について語ってくれたけど、私に記憶が無いから真実かどうかを知ることはできない。そう思わない? 昔は人間だったけど、何かの拍子に死んじゃった、可愛そうな女の子かもしれない。私は……」
 紫は、どこか冷たくて物質的な目でフランドールを見つめ返した。にらみ合うみたいな形になる。燐はそんな二人を不安に見守っていた。
「美鈴は花だ。太陽と雨に祝福された」
 と言って。
 フランドールはそれきり黙ってしまった。人形のように喋らず動かない。視線は紫の方に向いているように見えるのだが、その瞳に紫が映っていたのかは怪しい。やはり虚空を見ていたのかもしれない。
「……」と沈黙が少し流れて、それから前触れらしいものも無く
「今日はこれくらいにしておいてあげるわ」
 悪役のような台詞を残して、紫は境界を開いた。
 ブチン、と空間が弾けて――
「あっ」
 燐が声を上げるのも待たず、屍体と紫は消えた。

◆◆◆ 4

 さらにまた翌日。
 ボロボロになった紫が現れた。
「躾がなってないわね、あの烏……」
「あははははははははははははははははははははははは!!」
 負け惜しみじみた紫の台詞を掻き消して、思いっきり……むしろ下品と言っていいほどに燐は笑った。
「貴方たちの主人には一定以上の敬意を払っていたけど……撤回した方が良いかもしれないわね」
「あははははははははははははっ、げほっ、げほっ」
 むせた。紫の言葉など聞いてはいない。
 フランドールはすっかり呆れて言った。
「子供っぽいよ、燐」
「げほっ……それを子供に言われると傷つくなあ」
「子供じゃないよ」
 フランドールは頬をむくませた。その仕草こそ、まさに子供っぽい。今のフランドールは、三日前のどうにも呆然とした感じとは全く違う。
 こちらこそが本来の彼女だと、彼女は落ち着きを取り戻しているのだと、燐と紫は自然に認識する。
 だから燐は軽い調子で話し続けた。
「もし貴方が猫だったらもう大妖怪と呼ばれる年齢かもしれないけどね、吸血鬼だったらまだ子供じゃないのかい? そう聞いてたんだけどねえ」
「やっぱり吸血鬼にもビタミンDが必要だったのかな」
 返ってきた返事は調子がずれている。というか、返ってきていない。フランドールはもう相手を無視して喋り始めていた。
「反射光で十分だと思うけど」
 紫が一応は話を合わせた事を言う。
「でも姉様はよくパチュリーに外に出るように言ってたの。パチュリーはどこからどう見ても不健康で、口が悪い魔理沙なんかにはたまに『もやし』とか呼ばれてたわ。嫌がるのが分かってそう呼ぶんだよ」
 フランドールの言葉を笑い話だとでも理解したのか。紫はクスクスとさも楽しそうに笑った。しかし、燐は逆に、フランドールの言葉に不穏さを感じ取っていた。なんだか、まるで――
「でも植物だっただけマシだよ。お姉様は、パチュリーには外に出ろって言ったけど、私には一度も言わなかったわ。一度も――」
 燐は、気付いた。フランドールの腕が……覆うもののない、白い指の伸びる手の平が……ぶるぶると震えている。
「これじゃ、私は――」
「ちょっ、ちょっと待ってフラン」
「これじゃあ私は、土くれか礫じゃないか!」

 意味不明な事を叫んで、それ以外は何の素振りもなく、フランドールは両の手を握りしめた。
 そうして、ありとあらゆるものが破壊される。
 崩落の中でフランドールはうっすらと笑った。地底に来てから初めての笑顔だった。彼女はいつも笑顔で何かを壊す。

◆◆◆ 5

 ――意識が戻ると、空中で襟首を掴まれていた。
「目を覚ましなさい。あなた、まだ生きてるわよ」
「……良かった、死ななくて」
 襟首を掴んでいるのは八雲紫で、掴まれているのはもちろん火焔猫燐だった。
「屍体は好きでも自分が屍体になるのは嫌なのね」
「貴方は屍体になりたいの? で、ここどこ?」
 意識が戻ったばかりで、焦点が合っていないらしい。
「どこって、移動してないわよ。ええ、一歩も」
 燐は両手で目をこすって、二回ほど瞬きした。ゆっくりと、さっきまで地面があった場所を見下ろすと、もちろんここは空中で地面など無くて、代わりにかなり下の方に岩塊が敷き詰められていた。隙間からはオレンジ色の光が漏れ出して、鱗のような、芸術的な模様を作っている。そして暑い。
 横を見る。壁はこれまた随分遠くにある。
 上を見る。小さく切り取られたように雲が見える。当然だがそれは本物の空にかかる雲では無く、地底の天蓋のものだ。それでも、相当な大穴が伸びているということには、変わりがない。
 呆気にとられた燐の頬を、雨粒が静かに叩く。雨が降っている――いや、雪が溶けて、雨粒になっているのだ。
「……つまりこれ、フランが地霊殿から灼熱地獄まで貫通する巨大な大穴を開けちまったってことかい?」
「そうね」
 ということは……一体、何立法kmの岩を破壊したのか、すぐには計算できない
 ひとまず燐は立ち直ることにした。紫の手を離れて、自分で飛ぶ。紫と同じ高度に立って、向かい合い、聞いた。
「予想してた? それとももしかして、誘導してた?」
「ううん、どっちも全然!」
 満面の笑みで紫は答えた。
「癇癪くらい起こすかと思ったけど、こんな大規模破壊に直結するとは思わなかったわ。あんまり突然だからびっくりしちゃった。そうこうしてる内にフラン自身もどっか言っちゃったし」
「屍体になれ!」
 燐は叫んだ。
「ああ、くそ……そうだ、でも、お空なら! フランが変なことしようしても、お空なら力づくで止められるかな。あいつにあたいが期待してるほどの判断力があればだけど」
「お空なら私がのしちゃったわよ」
「屍体になれ!」
 二度の罵倒にも耐え、紫はニコニコと笑い続けていた。
「まあ、予想はしてなかったけど予感が無かったというわけじゃないわ。私が何もしなかったのは、私には何もできないからよ」
「あっそ……」
「あなたにだって何も出来ないわよ」
 笑いながら、相当に容赦のないことを言う。燐は少しも臆せずに言い返した。
「だからと言って、私は何もしないわけにはいかないよ。地底では私がお姉さんなんだ!」
 紫の不気味な笑い顔が崩れた。悲しみに満ちた目になった。
「そう……そう思うなら行きなさい。今度は予想が出来るわ」
 じっと、含みのある目で燐を見つめて、それから言った。
「フランは『門』の外に行こうとするでしょう」
 燐は息をのむ。
「い、いきなりそこまで行くかな? 出来ればもうちょっと大人しい事件で済ませてほしいんだけど……」
「行くわ、あらゆる障害を蹴散らして。そして太陽の光を浴びてフランドールは死ぬ。ついでに放射能その他に汚染された空気がこの地底に流れ込み、まあ……私たちもみんな死ぬかもね」

■■■ 6

 何故そんなことになってしまったのか、今や誰にも分からないが、あるとき世界は戦火に包まれ、そして地球上の全てが焦土になった。
 世界中で大量に眠っていたはずの抑止力は、最終的には機能しなかった。一度使えば取り返しがつかなくなるからこそ、抑止力は抑止力として機能するのだから、それは全く当たり前のことだ。
 ただ、それまで実戦で使用されることのなかった兵器の影響力が、予想されていたよりも少しだけ強過ぎたというだけのことだ。
 だから地球上に人が住める場所は無くなった。地球外に人が住める場所を作れるほど、人類の技術は進歩していなかった。
 地球上の全てには、幻想郷も含まれている。常識と非常識の境界を力尽くで破壊できる程度には、人類の技術は進歩していたのだ。幻想郷に落とされた爆弾、その一つ一つが非常識な程度の威力を持っていた。
 本当に、非常識だった。
 何故そんなことになってしまったのか、今や誰にも分からない。分かっている者がいたとしても、満足な説明をするのには、一体何冊の本を書いたら足りるだろう? あまりにも複雑で、理不尽な理由があったはずである。
 ただ、少なくとも、ロマンチックなものではなかっただろう。

 何故そんなことになってしまったのか、今や誰にも分からない。
 だが、理由は分からずとも、そうなる運命であるという事を、彼女は知っていた。

「今を逃したら、もう青空の下に立つ機会なんて無さそうね」


 そして地球上の全てが焦土になった。
 では、上ではなく、下は?


「ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!! ……はー……ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!」
 フランドールは哄笑していた。何がそんなに楽しいのか、高笑いと共に飛行していた。
「ハッ、ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ、アハハ、ハ、ハハハハハハハハ……ハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!」
 息も切れ切れに、苦しそうに笑う。苦しくても笑いが収まらないのか、それとも無理矢理笑っているのか、定かではない。
 溢れ出る魔力が熱へ変わり、しんしんと降り続く雪を溶かす。その短躯の内に、灼熱の地獄を備えているように。空中に轍を残し、フランドールは猛スピードで飛ぶ。重力に逆らう一筋の流星のように。
 多くの人間がそれを見ていた。妖怪もそれを見ていた。
 人間はもとより、妖怪達のほとんども、元から地底の民だった者ではない。地上から亡命してきた者達だ。郷を追われ、太陽の届かない穴蔵に逃げ込んだ者達だ。
 慣れない地で明日への不安と共に過ごす人妖達の上を、破滅の予兆のように、紅い流星が飛んでゆく。雲を突き抜けて、廻らない天蓋を突き抜けて。

 山羊座の四つ星に囲まれて、洞窟がある。その洞窟こそが『地獄の門』と呼ばれる、地上と地底を結ぶ唯一の道だ。少し前までは、それが唯一ではなかったが、今は他の道は閉ざされてしまっている。『地獄の門』も開け放されているわけではない。途中に扉が嵌っている。巨大で分厚い扉だ。
 その扉は、死の世界である地上と生の世界である地底を分ける、言わば生と死の境界だ。しかしそれは、物質的な境界に過ぎない。
 全ての物質には『目』という緊張している部分があって、そこに力を加えればあっけなく破壊できる。彼女の手は『目』を握りつぶせる。彼女は、ありとあらゆるものを破壊する能力を持っているのだ!
 フランドールは『門』へ辿り着いた。空からでも見上げるほどに巨大な、しかし破壊可能な素材で出来た扉の前で、フランドールは一旦速度を緩める。停止して、両の掌を扉に向けて、握りしめる!

 ……何も起きなかった。

「えーっと、久しぶりですね」
 地面から声が響く。空に向かって。
「めーいーりーん! 久しぶりっ!」
 当然のようにフランドールは返答した。当然なのだから、当然のようなのは当然だ。かつてフランドールの館の門番だった彼女が、今は地獄の門番をしていることは、彼女も知っている。前日、その仕事ぶりを人づてに確認したばかりだ。
 呼びかけから、二人の会話が始まる。
「遊びに来られるとは聞いていなかったのですが……それとも遊び以外ですか? どちらにしても聞いていませんが」
 紅美鈴は扉に寄りかかり、フランドールを見上げて話す。
「遊びに来たんだよ。おっと間違えた、遊びに行くんだよ。だからここ開けて?」
「できません、フランドールお嬢様」
「そう」
 フランドールは言って、ニタニタと笑う。従者を見下ろして、それは、緊張感の欠片も無いような顔で。
「美鈴。美鈴。めーいーりん」
 絡みつくように、その名を何度も呼びかける。
「仕方ないなー……仕方ないな~。無理矢理でも鍵を破壊していくしかないか」
「できません。一応言っときますが、この扉に目はございませんよ。物質の中の力の流れ方を変えれば、緊張も解消される……理屈は分かりますよね?」
 コツ、コツ、と扉を叩く靴音が響いた。
「うん、だからさ……美鈴がその扉の鍵って事でしょ? あんたを殺せば扉は開く」
「はあ……お嬢様が外に出るために、私は死にたくないのですが……」
 美鈴は冗談めかして言った。顔には笑いさえ浮かべていた。
 しかしその一言でフランドールは笑いを収め、激昂した。
「お嬢様? 『お嬢様』なら、自分から外に出て死んだじゃない!」
 その一言を合図に、突如闘いは始まる。美鈴は垂直に扉を駆け上る。フランドールは手を振り上げ、そこいら中に炎を呼び出す。
 一方は軸の倒れた世界で格闘をしかけ、もう一方はどこからともなく呼び出した杖で魔法を行使する。
 慣れ親しんだ者同士の闘いだった。
 幾百年の、あの時代と同じ闘いだった。
 この勝負がどうなったのか、もう、言わなくても、分かるだろう?

■■■ 7

「理解した」
「分かってくれましたか」
 美鈴はフランドールを見下ろして問いかけた。勝敗は明らかだった。美鈴は立っていて、フランドールは仰向けになって倒れていた。
 そして何故かその上に、覆いかぶさるように、燐が倒れていた。
 いや、何故も何もない。八雲紫のスキマで、距離を無視して燐は飛ばされて来たのだ。二人の戦いに割り込んで、スキマから飛び出して、一直線にフランドールに向かって落ちたのだ。飛ぼうとせず、重力に任せてダイブしたのだ。
 フランドールは、自分に向かって落ちてくる彼女を抱き留めるしかなかった。しかし杖を手放す必要まではなかっただろう。なのに、あろうことかフランドールは杖を思いっきり放り投げてしまった。
「あ……」
 そして落ちた。落下の勢いを殺すことが出来ず、強かに背中を打ちつけた。
 ほぼ同時に、杖も地面に落ちた。カラン、と軽い音を立てて。
 その音を合図に、闘いは終わる。
 フランドールは倒れて呆然としていた。攻撃の意志は消えている。だから美鈴も構えを解いて、降りてくる。
「理解した」
 フランドールは明瞭に言った。美鈴は反射的に問いかけた。
「分かってくれましたか」
 何を理解したのか、何を分かって欲しいのか、美鈴にもはっきり分かっていなかったかもしれない。
 しかしフランドールには分かったのだろう。
「何もかも変わってしまったんだね……でも、私たちはまだ生きている」
 そう言ってから、フランドールは自分に伸し掛かったままの、燐の体を揺する。
「燐、起きてる?」
「ん……なんとか……起きてる、起きてる」
 燐はそう答えた。起き上がろうとするが、難儀そうである。美鈴はすぐに手を差し出して、燐はそれを掴んで立ち上がった。よろけながらもフランドールの上から退く。
 美鈴はすぐに今度はフランドールに手を差し出して、フランドールも起き上がる。
「頭ぶつけた……めちゃ痛い……」
「ごめんね」
 燐が呟いて、フランドールは謝る。
 しかし、顔は微笑を作っていた。
 そのおかしさに自分でも気づいたのだろう、彼女は自分の言葉を訂正した。
「違った――ありがとう」
 ――フランドール自身は、燐がスキマから落ちてきたという事しか観測していない。しかし理解していた。
 彼女は自分の意志で『私』に飛び込んできた。
 狂気の娘、フランドール・スカーレットの闘うところに割り込んでくるような妖怪が、まだいたのだ。
 剣を納めるには充分すぎる理由だ。
 美鈴もフランドールに返すように微笑んだ。ようやく、安堵して力を抜いた。二人の視線は重なり合って、どちらも口を利かなかったが、思いが通じ合っているように見えた。
 肝心の燐はというと……ちゃんと聞いていなかった。額をさすっている。
「うん、何? ……あ、いやいや、謝らなくていいよ」
 燐は屈託なくフランドールに笑いかけた。
「う、うん、ありがとう……」
「あれ? なんで二人とも微妙にガッカリ顔なんだい?」
「いや……なんでもないよ」「なんでもありませんよ」
 主従二人は揃って答えた。燐はキョトンとしている。それがおかしく、フランドールはクスクスと笑い始め、燐はますますキョトンとする。
 穏やかな空気が流れていた。
 平穏が戻ってきた。
 と、皆が思った……丁度その時……
 ブチン!
 ……と空間が弾ける音が響いた。
 ハッとして三人は振り向く。何もなかった場所に、黒々としたスキマが開いている。

■■■ 終

「……に……読み……」
 スキマから声が聞こえてきた。しかし何かおかしい。感度の悪いラジオのように、途切れ途切れでぼやけた音なのだ。
 美鈴は再び気を張り詰めらせて、フランドールの一歩前に出た。
「なんだい紫、不穏なタイミングで不穏な登場の仕方して」
 空気読めよ、と燐は言う。
「……読んだわよ……会話の途切れ……に来たじゃない……言うなら……り前に、読み違えてたわ。……見くび……ご……」
 最後の方は不自然なほどに音がくぐもっていた。
 フランドールは不審とも思わない様子で、ごく普通の調子で話しかけた。
「ああ、あなたもありがとう、むらさき」
「……ど……あなた、今ひらがなで発音……なかった?」
「何か違うの?」
「……全然違……………………オホン……全然違うわ。読みは『むらさき』だけど、紫様と同じ字を使うということは……かり様の意思を受け継いだという証……何もかも変わってしまった世界でも……続けていく……」
「うん」
「あなたも…………」
「それは違うよ」
 紫の台詞はほとんどが聞こえていなかったのだが、フランドールはここだけはきっぱりと答えていた。
「……そうね、でも私は……新たな管理者として、八雲……と八雲……え様…………」
 紫は何かを言い続けていたが、声は遠ざかるようにして消えてしまった。三人は手持ち無沙汰にして待っているしかない。しばらく静寂が続いた。
 そして突然、明瞭な声が響いた。
「ねえ、今このスキマを通れば、扉を壊さなくても外に行けるの。行ってみる、お嬢様?」
 燐と美鈴に緊張と寒気が走った。
 今更そんなことを言い出すとは思わなかった。いや、聞き分けのない子供を相手にするなら、穏便に望みを叶えてやるのが、一般的にはいい手段かもしれない。だが何故、全てが解決したと思っていたこのタイミングで言うのだ。
 空気が不吉に変わる。
 しかし
「やめとく」
 即答だった。
 それで、緊張した空気は一瞬で解けた。燐も美鈴も、ようやく本当に安堵した。
 手段が有ろうとも無かろうとも、もうフランドールは地上に飛び出すなんて無茶なことをしないだろう。
「良かった、行っちゃうかと思った! ……いなくなっちゃうかと思ったよ!」
 ほとんど飛び掛かる勢いで燐は突然、フランドールの胸に飛び込んだ。
「わっ!」
 バランスを崩して倒れそうになる。と、その肩を優しい手の平で支えられた。――と思ったら、強く抱き寄せられた。
「きゃっ!」
 美鈴とフランドールの身長差では、力を入れて抱きしめようとするなら、美鈴は首に手を回すしかない。結果として、フランドールは首を絞められることになった。
 くえ、と嫌な感じに喉が鳴る。
「……ギ、ギブ……!」
「信じていましたよ、フランドール様!」
 フランドールの要望は無視された。美鈴は大変な笑顔で、フランドールを締め上げたうえ揺さぶる。燐まで対抗するようにフランドールを掴んで離さない。
 喉を押さえる力に負けないように、お腹の底からフランドールは叫んだ。
「信じてたなら、今なんでこんなにはしゃいでるのよ!」
 美鈴の腕に手をかけ、種族由来の怪力で引き剥がした。美鈴からは解放された。だが燐にはまだ、恋人のように抱きしめられたままである。その額めがけてフランドールの手刀が飛んだ。
「あんたも放れろ」
「にゃんっ!」
 燐は飛びのいた。
 はあ、とようやく一息をついて、フランドールは服の乱れを直そうとした。――だが、またしても後ろから抱きしめられた。
「美鈴、放してって今言ったばかりじゃん……」
 彼女は、しかし今度は抵抗らしいことをしない。さきほどとは違って、美鈴の抱きしめ方が優しかった。
 美鈴は答える。
「言ってませんよ」
 確かに言っていない。
「私は信じてなかったよ、正直」
 燐が突然言い出す。さっきからいちいちワンテンポ遅れた少女だ。
「あんたには聞いてない……」
「私は信じてましたよ」
「そう……」
「私は信じてなかったわ」
 いつのまにか紫が現れて、割り込んできた。
「あんたにも聞いてないし……」
「それじゃあ代わりに聞かせてよ。地上に行くのをやめた理由」
 紫は後ろ手に身をかがめて、フランドールの顔を覗き込むようにしながら聞いてきた。
「そんなの決まってるじゃない」
 燐も、美鈴も、フランドールの言葉を聞こうとした。
「想ってくれる人を残して死んじゃうなんて、私には出来ないからだよ」
 フランドールは、務めて普通にその言葉を述べた。辺りは静まり返っていた。フランドールの答えを聞いても、燐も、紫も、美鈴も、まだ重要な何かを待っているように押し黙っていた。
 やがて、耐えかねたようにフランドールは、もう一滴の言葉を漏らす。
「……お姉様みたいには」
 そして流れだした。
「お姉様みたいに……死んだりしないもん。残したりなんかしていかない……私は、自分を想ってくれる人には、生きてて欲しいもん……。お姉様の跡なんて継がない……お姉様みたいには……お姉様みたいになんて、絶対にならない……」
 フランドールの頬を、涙が流れていた。地底に来て最初の涙だった。唯一の肉親を失った少女として、それは、きわめて普通の反応だった。


始めまして、うずしおです。
正直、ハッピーニューイヤーとかちょっと早すぎます。
先走りました。

ホープ・スイート・ホープ。
このタイトルは予め決めていたものではなく、直前まで「Subterranean Homesick Blues」とするつもりでした。
何故かボブ・ディランが「埴生の宿」に。しかも、変な風にもじられて……。
言葉遊びをしてしまうのは、清涼院流水さんからの影響です。「鳴瀬河渦潮」だなんてサンズイの多い名前を使っているのも、御大のリスペクトです。
何はともあれよろしくお願いします。
鳴瀬河渦潮
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コメント



0.270簡易評価
2.90奇声を発する程度の能力削除
色々と思うお話でした…
3.100名前が正体不明である程度の能力削除
核は危ないなあ…