「心理テストって、知っている?」
ぱらりぱらりと本のページをめくる音だけが響く図書館に、静かな声が響く。
大きな本を立てて、アメジストの瞳をそこから離さず唇だけ震わせる。紅魔館地下に広がる大図書館の主は、四角い机の真正面に座る客人を省みることなくそう、告げた。
「さぁ、知らないわ」
それに答える少女もまた、淡々としていた。スカイブルーの瞳、月明かりを溶かし込んだような髪、人形じみた造形。知識と日陰の魔女の友人は、彼女と変わらぬ感情を見せない瞳で答えを返す。
「そう、勉強不足ね」
図書館の主、パチュリーは、気だるげに一言だけこぼし、それ以上何か告げようとしない。彼女の友人、アリスもまたそれに頷くだけで、会話をつなげようとはしなかった。
ぱらりぱらり、と、また本のページをめくる音だけが図書館に戻る。二人はそれに特別感情を示すことはなく、読書を続行していた。
「作文は、得意?」
静謐な空間を侵したのは、また、パチュリーだった。本に目を離さず、気まぐれに声を放つ。
アリスは今度は声を上げて答えようとはせず、ただ、曖昧に頷いた。
そんなアリスになにを求めなぜ満足したのか、パチュリーは悟らせない。ただ、あらかじめ用意でもしていたのか、羊皮紙を取り出してアリスへ渡した。
1、水たまりは、
2、あの子って、
3、今日の私は、
4、すこしは、
アリスはその丸くて可愛らしい文章を一瞥すると、さほど考えることなく、万年筆を手に取り続きを綴る。
さらさらと書かれていく文字は丁寧で、彼女の性格を如実に現しているようだ。不意に眉を上げて考えて見せたりと、薄い表情の中にも彩りがあって、パチュリーはそれに反応することもなく見つめていた。
1、水たまりは、静かに凪いでいる。
2、あの子って、可愛い物に目がないのね。
3、今日の私は、少しだけ怒りっぽい。
4、すこしは、近寄ってくれてもいいのに。
手渡されたパチュリーは、文章に目を通して小さく頷く。普段ならざっと読んで終わりなのに、まるでお気に入りの本を読むときのように、じっくりと内容を咀嚼していた。
「気に入ったの?」
「ええ」
短い会話。たったそれだけで、また、会話が途切れる。両者ともそれに気まずさなんてものはまったく感じていないのか、言葉を交わそうという意志もなく、読書に戻ってしまう。
これが、普段の光景であり、二人の日常。しかしその不変なはずの景色に、不穏に動く紫陽花色の髪が靡いた。
「……………」
アリスの方へ時折視線を移し、静かに頷く。その繰り返し。本に没頭するあまりパチュリーに気がつかないのか、アリスは人形のようにおとなしく佇んでいる。
そんなアリスになにを思ったのか、パチュリーは動き出す。手のひらに魔力を込めて、金属で人形を生成。アリスの操り人形のように軽やかに動いたりはしないし精巧にできてもいないが、デフォルメされた猫は、祭の露天で売り出されている子供向けの玩具のように、柔らかな空気を醸し出していた。
「ゴーレムの、練習にね」
机の上に置かれた猫を見て、アリスの眉がぴくりと動く。
「ふぅん。触ってみてもいいかしら?」
「ええ、かまわないわ」
アリスは、対象が人形だからか、少しだけ関心を見せたようだ。デフォルメされた猫の人形を手に取り、手のひらの上に乗せてじっくりと観察。
ひっくりかえしたりつついてみたりしながらも、壊れ物に触るかのように優しく見ている。
そんなアリスに、パチュリーは小さくつぶやくように、口を開いた。
「気に入ったの?」
「別に」
返事は、素っ気ない。普段ならここで会話が終わるのに、何故だかパチュリーは食ってかかる。
「嘘ね」
「嘘じゃないわ」
「下手ね、嘘」
ため息を吐きながら、パチュリーはそう言い捨てた。
アリスはそれに、普段の冷静沈着な態度も投げ捨てて、静かにパチュリーを睨みつける。
それから猫の人形をゆっくりと机において、とんとんとんと指で机をたたいた。不機嫌そうにするアリスと、その視線を真っ向から受けるパチュリー。
「喧嘩を売っているのかしら?」
「冗談よ、ごめんなさい」
「なんなのよ……もう」
けれど、不穏な空気の終わりは、実に呆気ないものだった。あっさりと謝ったパチュリーに、アリスは怪訝そうに眉をひそめる。
そんなアリスをみたパチュリーの唇が僅かに綻んだことに、アリスは気がつかない。
「お詫びに、それはあげるわ」
「あら、貴女が人に物をあげるとは、珍しいわね」
「お詫びだからよ」
「……はぁ。まぁ、いいわ」
アリスは怪訝そうにパチュリーを見るも、動じない彼女にため息を吐いて猫の人形を手元に置く。
今日のパチュリーは、変だ。そんな言葉がアリスの頭を過ぎるが、直ぐに霧散する。今日のパチュリー“も”変なのだ。とくに、気にする事ではない。アリスは行動の読めないパチュリーを、そういうものとして受け入れていた。
「寒いわ」
今度は、なんなのか。本から目を離しパチュリーを見ると、彼女はもうそこには居なかった。魔法の無駄遣いというべきか、怠慢が過ぎるというべきか。転移の魔法を用いてアリスの隣に移動し、そのまま、読書を再開する。
紫陽花色の髪が、花の香りを宿してアリスの鼻孔をくすぐると、それだけで何も言えなくなった。肩と肩の隙間は、幾程もない。身体を傾ければ、重みを預けられる距離。
確かに、地下に位置するこの図書館は肌寒い。アリスはその温かさを認めると、直ぐ隣に座るパチュリーにほんの少しだけ近づいた。
「だったら、いっそ肩をしっかり密着させた方が温かいわ」
アリスの言葉に、パチュリーはほんの少しだけ目を瞠る。けれど直ぐに、瞳を伏せて頷いた。
「そう、効率的ね。迂闊だったわ」
「ええ、らしくないわよ。パチュリー」
互いに体重を預けて、互いの本の内容が見えるようになる。
何が書いているのか気になって初めて、アリスは自分が何を読んでいるのか集中できていなかった事に気がついた。
「作文――いえ、質問なのだけれど」
「作文じゃないのね」
「ええ、質問」
互いにぴったりくっついているのに、互いに読んでいるのは別の本。なんとも窮屈でまるでコントのようだと、アリスは一人苦笑する。
「人里でも竹林でもいいわ。迷子の可愛らしいウサギを咄嗟に抱き上げた場合、貴女はそれをどうする?」
「抱き上げるところまで状況が設定されているのね」
「魔女なら、如何なる時でも臨機応変、よ」
パチュリーの言葉に、アリスは緩やかに頷く。なるほど道理が通っていると、感心の宿る瞳が雄弁に語っていた。
「妖怪ウサギなら、竹林に返せばいいわ。違うのなら、そうね」
アリスは顎に手を当てて、その状況を想像する。そういえば、一般的には、ウサギは寂しいと死んでしまう生き物と言われていた気がすると、唐突に思い出した。
ひとり震える可愛いウサギ、寂しげな瞳に、何をしてやれるのか。何がしたいのか。
「寂しいなら、抱き締めて温めてあげる。放り出すのは無責任だから、そこまでしたら、ずっと一緒に居てあげる。これくらいかしらね」
「そう、なるほど。わかったわ」
パチュリーは、赤らんだ顔でそう呟いた。よもや暑すぎて風邪でも引いたのではないかアリスが心配そうに覗き込むと、パチュリーはぱたんと本を閉じた。
「どうしたの? 大丈夫?」
「ええ、大丈夫よ。それよりもアリス」
「何よ」
アリスが首を傾げた一瞬の隙を、大魔法使いは見逃さない。獲物を刈り取る鋭い瞳で身体を軽く浮き上げて、アリスの膝に横座りになった。
「へ?」
「っ」
硬直するアリスを余所に、パチュリーは、耳まで赤くなった己の顔を隠すように、アリスの身体に抱きつく。
僅か数秒のこと。アリスが我に返った頃には、彼女の胸にパチュリーが抱きついていた。小柄な身体、華奢な肩、病的に白い肌は、髪間から覗く耳もうなじも真っ赤に染まっていて。
「え、えーと……」
どうしようかと逡巡して、アリスは結局、パチュリーの身体に腕を回した。
「流石に暑くない?」
「ちょうどいいわ」
「でも、余り近づきすぎると、御飯食べられないわ」
「食べさせてあげるわ。だから、食べさせなさい」
「お風呂だって、入りたいわ」
「一緒に入ればいいじゃない」
「帰る時はどうするの?」
「泊まっていきなさい」
言葉が途切れ、静寂が流れる。パチュリー同様に耳まで赤くしたアリスは、はぁ、と息を吐いてパチュリーに体重を掛ける。
「困ったわ、全部解決しちゃったじゃない。パチェ」
「ええ、そうね。全部解決したわ。アリス」
抱き締める力を強くし合って、互いに蛙の潰れたような呻り声を出して、それから小さく笑い合う。
静けさの戻った図書館に、もう寂しげな沈黙はなくて。そこにはただ、柔らかな空気が漂っていた。
――†――
紅茶のお代わりを注ぎに来た小悪魔は、眼前の光景に足を止めた。
それからくすりと小さく笑うと、腕に持つポットをどうしたらいいか、僅かばかり悩む。けれど、何か思い浮かんだのが、手をぽんと叩いて踵を返す。
「そうだ……」
小悪魔が再び戻って来た時、その手にはポットではなく、クリーム色の毛布が抱えられていた。
気がつかれないように、忍び足。ふわりと毛布を掛けて、こっそりと退散する。
「ふふ、おやすみなさい。パチュリー様、アリスさん」
図書館の、大きな机。椅子に座ったまま眠るアリスと、その腕の中で寝息を立てるパチュリー。二人を包む毛布が、翼のように、優しく彼女たちを守っていた――。
――了――
可愛いすぎます
これパチュアリだ!
なんとも優しい気持ちになりました。
しかし小悪魔さん、千鳥足でなく忍び足ではないでしょうか、普通(笑)
後半はニヤニヤしっ放しでした。
もう修正されてますけど、千鳥足の小悪魔を想像して吹いた
いいぞもっとやれ~
これこそが、幻想郷なのでしょうか……
心理テストも面白かったですし。