レミリア・スカーレットは、見た目に反して料理が上手である。
「わぁ! お姉様、今日は朝ごはん豪華だね!」
フランドール・スカーレットは、そんな姉の立派なエプロン姿に、羨望の眼差しを向けた。
作ったものはなんでもない。プレートに乗るのは、ただのトーストにミニオムレツ、彩り豊かなシーザーサラダとボイルされたウィンナー。スープ皿には白いポタージュが湯気を立てており、何処にでもあるような洋風の朝食であった。
「今日は私が作ったのよ」
「へー! お姉様のお料理なんてすっごく久しぶりかなぁ」
それを以って、普段から十六夜咲夜が提供する逸品物の料理を目にしているフランが、改めて豪華だと表する処に、それに相応しい盛り付けのセンス、細部までこだわられた見え隠れする工夫の産物があった。
皿まで熱いからスープは湯気を立たせ、しっかり手で丁寧に千切られたから、レタスはハリツヤ良くしゃっきりとしている。
ボイルウィンナーには一筋の割れもなく、オムレツの肌は滑らかなレモン色で、パンは香ばしそうなキツネ色だ。
「ちょっと張り切りすぎてしまったから、全員分はあるわ。冷めない内に頂くわよ。皆、席に着け」
「あ、お嬢様。紅茶は――」
「そろそろ咲夜がそう口にするだろうと、この瞬間が飲み頃になるように淹れてある。キッチンから取ってきてくれるかしら」
「……畏まりました」
流石の咲夜も面食らったようである。一呼吸も間を置かないで、咲夜の手元にポットが出現し、全員の前にティーセットが配膳された。
レミリア、フランが席に着き、パチュリー・ノーレッジは槍でも降らないかと心配しながらも、同じく席に着く。紅美鈴は咲夜に断りながらの着席となった。
「いやはや……お嬢様、ひいては紅魔館に仕えてそれなりになりますけど、お嬢様がこんなにも料理が出来る人とは知りませんでした」
「恐縮ながら私もですわ」
従者コンビが口を揃える。レミリアは得意げになるでもなく、さも当然という風に腕を組んだ。
「あら、そうなの? てっきり美鈴は知っているものと思っていたわ。私は、たまにレミィがこっそりおやつを作ってるのを知ってたけど」
「確かにお嬢様と付き合いは長いですが、私も料理は出来ますし、出会った頃から私にばっかり任せるしで……」
「たまにキッチンの食材が減ってると思ったらそういうことだったのですね」
「ほらほら、雑談は食べ始めてからでもいいだろう。そろそろフランが勝手に食べ始める」
「あっ、言ったわねお姉様。もう私はそんなにはしたないことはないわ」
人が集まれば言葉が生まれ、言葉が生まれれば笑いも生まれる。わっと賑わうダイニングが一度静かになって。
「お姉様に感謝を捧げて」
「ああ、召し上がれ」
フランが言って、レミリアが返すと、その後は各々に料理へと手をつけた。
その味は見た目に恥じないものであり、それぞれが大いに笑みを浮かべている。特に、姉からの手料理を振舞われたフランにとっては、また格別なもののようだ。
「正直に驚きましたわ。私が作る料理よりもずっと美味しいじゃないですか」
「吸血鬼の五感は全てに置いて人間を上回っているんだ。味覚だってその限りじゃないさ」
咲夜は問いかけへ悠然と答えるレミリアに、理解はしたが納得はし難いという表情で頷く。
例え味が分かったとしてもそれを表現する技術はまた別の話なのだが――それでも実際、この抜群の料理が出来ているのだから、そういうものなのかと頷かざるを得ないのだった。
「でもお姉様、何で急にこんなことしようと思ったの?」
「んー? 特に深い意味はないわよ」
「えー、絶対嘘だよ。本当に意味なんてないの? 後で私にあーしろこーしろなんて言っちゃダメよ」
「なんだ疑り深い。……でもそう言われると言葉を訂正しないといけないわね」
「ほーら、やっぱり」
「実はフランを誘って、人里での買い物に付き合ってもらおうと思ってたんだ。この朝食はその前金代わりだよ」
「えっ?」
「妹様を外に連れ出すんですか?」
「あー、いいよ美鈴。心配しなくてもお前は無理についてこなくていい」
「では――」
「咲夜もだ。たまには姉妹水入らずで出歩きたいと思ってね。そんな心配そうな顔をするな、別に暴れまわろうって算段があるわけじゃないわ」
美鈴と咲夜は、信じられないと言ったような顔をしていた。そんな顔をしては失礼なのだが、それでも感情が滲み出てしまう。それほど驚愕すべき言葉だった。
パチュリーだけが物知りげに、ああ、と何か納得したように言葉を漏らしたが、レミリアからのアイコンタクトを感じて、それ以上を口にすることはなかった。
きょとんとしているフランへ、レミリアが問いかける。
「嫌?」
「う、うぅん! 全然嫌じゃないよ。すっごく嬉しい。ただびっくりしただけ。お姉様がそんなこと言うなんて思わなかったもの。ああ、どうしよう、おめかししないといけないわ」
「出発は昼だから、今はゆっくり朝食を食べよう。咲夜、自分の着付けは自分でやるから、今日のフランのコーディネートは任せたよ」
「畏まりました。失礼ですけど、本当に付き添いは要らないのですか?」
「ああ。それほど大荷物をぶら下げて、無様にだらだらと歩き回る気はないからね」
レミリアは、年長者の気配を感じさせる微笑みで会話をまとめた。誰も口を挟む余地などなく、美鈴辺りが適当に提起した新たな話題に乗っかって、談笑をしつつ食事は進む。
結局、片付けのほとんどを従者二人がやることになるのは、普段と全く変わらなかったが。それでもパチュリーが、やっぱりサメでも降ってくるんじゃないかしら、と呟くのだった。
太陽は中天から四人を照らす。
「それじゃあ行ってくるわ」
「行ってきます!」
「気をつけてくださいね」
「お気をつけて」
レミリア、フラン、美鈴、咲夜がそれぞれに言葉を交わす。
未だに釈然としないままの従者二人を尻目に、レミリアは堂々と、フランは満面の笑みで人里を目指す。
勿論空路。飛行というよりは遊泳と言った様子で、パチュリーの魔力が込められた特注の日傘は、存在を蔑ろにされても、しっかりと二人を日差しから守っている。
「今日はどうしたの? お姉様、何だかいつもとは別人みたい」
「レミリアという姉は、いつだってこんな感じよ。普段のフランはレミリア・スカーレットしか見てないから分からないでしょうけど」
「ふーん。でも、今みたいなお姉様も大好きだよ」
流石に、こう近づいた状態から真っ向に告げられると、さしものレミリアも赤面してしまう。取り繕うように平静な顔をして、ありがとう、と返した。
高空を飛ぶ。日差しは直接二人を襲わないが、それでも熱は体をぽかぽかと温めて、風が冷たくなってきたこの季節には優しい。
秋もすっかり深まり、もはや冬が手招きしている季節。赤と黄色に染まり切った木々に、負けじと僅かな緑が疎ら。見下ろす景色は星空にも劣らない美しさで輝いている。
特にフランからしてみれば、見る景色は何でも新鮮だろう。赤色以外の色は、人の服や肌でしか見たことがない。そんな子だ。空の青さだって、初めて見た時には目が飛び出るくらいに見開いていた。
「寒くない?」
「うん。咲夜がちゃんとたくさん着せてくれたわ」
「そうね。ふわふわしてて可愛いもの」
「本当?」
「ええ。私のフランだ。可愛くないわけがない」
「えへへ……本当にお姉様、本物?」
「まだ言う?」
「あははっ!」
レミリアも、こんなに幸せそうな顔をしたフランを見るのは久しぶりだったと思う。
さて、空中遊泳と言えどもそこは吸血鬼。程なくして二人は人里へと降り立った。
――瞬間、明らかに周囲はざわついた。
悪名高き、とまでは言わないが、幻想郷に名高い吸血鬼レミリア。そのレミリアに似た面影を持ったもう一人の少女。並んでいれば、誰が言わずともその少女がフランドールだというのは理解出来る。
そしてフランドールと言えば、情緒不安定だとか、あの姉でさえも抑えつけることが出来ない暴走機関だとか、あまり良い噂はない。
見た目には可愛らしい姉妹でも、人間たちにとっては強い恐怖の対象。しかも比較的平和とされている人里に、日頃姿を現さない妖怪がやってきたのだから、尚更である。
二人の周りに、無意識の空間が出来る。フランは敏感に周囲から不安を察知して、その表情を曇らせかけた。
「――さ、行くわよー!」
「わわっ!」
やっぱり、と弱音を吐きかけたフランを、レミリアはぐいっと引っ張った。
真昼間から吸血鬼が、しかもこんなに堂々と人里へ来るなんて前代未聞だ。前代未聞なだけに、今はまだ大した騒ぎにはなっていない。前科も何もないから。ただ漠然とした不安だけが人里に満ちていくようである。
そんな不安を少したりとも刺激しないのが、レミリアの笑顔だった。
フランの不安そうだった顔は、ともすれば人間たちへの嫌悪にも繋がる。感情が巻き起こす負の連鎖は、一度始まると止まらない。それを知ってか知らずか。
フランの顔色は不安から驚きへ。人里の人々も同じような感じであった。攻撃的な様子をちっとも感じさせない二人へ、向かう感情は不安から戸惑いへと色を変えていく。
「あ、そ、そうだ。行くって、お姉様、そういえば私何処へ行くか聞いてないわ」
「私が知っているから平気よ」
フランもレミリアの足取りに合わせて進む。こういう時、人の波が割れていくというのは便利である。小さな姉妹にとっても見通しがいい。元々大した人混みでもないが、前を気にせず進んでいても、誰にもぶつからないというのは平和でいい。
早足で数分も歩けば、レミリアは歩速を緩める。この珍事に人々は何事かと野次馬が募り、何だかちょっとした祭事のようになっていた。普段、こんな量の人間を見ることがないフランである。流石に、さっきまでとは違う不安が拭えない。
ねえ、とレミリアの服の袖を引っ張ろうとしたのと同時に、レミリアが足を止めた。
「わっ」
フランは思わずレミリアにぶつかる。そのまま、きゅっとレミリアの服を握りしめた。
「此処よ」
レミリアはそんなフランの肩に腕を回して、空いている手でその店を指し示す。
その先には、
「……帽子屋さん?」
「そう」
短く告げると、レミリアはフランを連れてずかずかと店内へ入る。
二人を待っていたのは、店外に居る人間たちとは様子が違う、全てを分かりきったような顔をした初老の男性。帽子屋の店主であった。
「おや、時間ぴったりだねお嬢ちゃん」
「貴様のような人間よりずっと長く生きていると、昨日言ったろう。せめてさん付けにしなさいよ」
「はいはいお嬢さん。さて、この時間にやってきたということは、これを渡せばいいのかな」
彼がカウンターから取り出したのは、帽子屋であるから当然、帽子だった。
「わぁ……可愛い」
小さな声でフランが呟く。
その帽子は、一言で言えばフランの好みだった。
清楚さのある白い生地に、くるりと巻かれた暗い赤色のリボン。その結び目は、七色の羽をした蝶の飾りで留めてある。
シンプルながらよく目立ち、綺麗なワンポイントで飾られた帽子だった。
「これを、貴女にプレゼントするわ。フラン」
「えっ……わ、私に? いいの?」
「勿論」
「君は妹さんかな? 君のお姉さんはね、昨日この店に一人でやってきて、ずーっと」
「しっ。余計なことは言わなくていいの」
「おっと、これは失礼」
彼はすっと肩を竦めると、静かにカウンター内の椅子に座る。
そっけない感じで手渡された帽子を、フランは瞳に星か月でも宿らせたかのようにして、帽子を眺めていた。
「……うん。分かるよ。お姉様がこれを、たーくさん時間かけて選んでくれたこと。だって、これ、絶対に私の一番だから。このお店を見渡したら、私の好きそうな帽子はたくさんある。けど、これに叶う帽子はないもの。お姉様は私の一番を選んでくれた。……嬉しい、すごく嬉しいわ、お姉様」
瞳に宿した星は、流れ星となって、静かにフランの頬を滑り落ちる。
レミリアは改めてフランから帽子を取ると、店の外で様子を見守りざわつく、野次馬に向けて言った。
「さあ! 今からこのレミリア・スカーレットが、親愛なる妹、フランドール・スカーレットに帽子をプレゼントするわ。とても大事なシーンなの。好き勝手にざわついてないで、満場総立ちの賛辞で迎えなさい!」
ガヤガヤとした空気がしんと静かになる。
レミリアは大きく頷くと、フランが今被っている帽子を外して、新しい帽子を被せた。
「今まで、私たち二人には、特別な日というものがなかった。だから突然ですまないが、フラン。今日を私たちの記念日にしたいんだ。そう――『帽子記念日』ということに」
「…………ふ、ふふっ……お姉様やっぱり、ネーミングセンスはないよ」
「なっ」
「でも、……大好き! ありがとう、お姉様! 本当に、本当に――最高のプレゼントだわ!」
フランはほとんど飛びかかるようにして、レミリアに抱きついた。
吸血鬼の膂力はそれを軽々と受け止めて、レミリアもフランをしっかりと抱き返す。
そして――最初に、帽子屋の店主が拍手をする。
それに釣られるようにして、店の外では一人、また一人と拍手を始める。
ものの数秒で、そこは一瞬にしてシェイクスピアの舞台に変わった。
拍手は喝采。口笛が鳴り、調子者の誰かが、特に状況も掴まないままにおめでとうと叫ぶ。やまびこのようにして、また誰かが叫ぶ。
その拍手はしばらく止むことがなかった。
フランの瞳から流れる、歓喜の涙が途切れるまで、いつまでも鳴り止まなかった。
「でね! そんなことがあって、もう、お姉様のことをもっと好きになった!」
夕食の時間。咲夜がいつもより気合を入れて用意した料理に、紅魔館のメンバーは舌鼓を打つ。
それよりも、フランが嬉々として語る今日の話に、皆して顔を綻ばせていた。
「お嬢様の意外な一面ですね」
「意外はないだろう」
「意外ですわ」
従者からの言葉に、レミリアはむっと頬を膨らます。それさえも、場の笑顔を焚く燃料となる。
「でもね、一つだけお姉様に言いたいことがあったわ」
「ん? なんだ、何でも言っていいわよ」
「えっとねー」
もったいぶるように言葉尻を伸ばして、むふふと笑い、首を傾けたりして笑うフランに、レミリアはそわそわと言葉を促す。
そしてフランは、はにかんだ笑顔と共に、恥ずかしそうに告げた。
「私、今日みたいに優しいお姉様も好きだけど……やっぱり、いつものお姉様のほうが、もっともっと大好き!」
力強く告げられた言葉に、レミリアは目を丸くして、恥ずかしそうにひょいと肩を竦めてみせた。
内容もオチも素晴らしかったです。幻想郷で双子………いたっけ
…ところで、まさかとは思うが、11月25日だからいい双子とか言うまいな…?
これで三徹できる。
幻想郷で姉妹、か…
プリバあたりが怪しいかな?おまけ.txt見る限りは。
「いつものお姉様のほうが好き」ということは、フランもレミリアがどこか無理してるのを感じ取っていたのかしら。
良かったです
まぁ最後にオチがありましたが(笑)
でもそんなお姉様が大好きです