妖怪の山の頂に建つ守矢神社のある昼下がり。
その境内で、多々良小傘は地面に突っ伏していた。
別に空腹で倒れたわけでもないし、この神社の風祝に退治されたわけでもない。
(ふふふ…この様子を見れば、早苗だって絶対に驚くぞ…)
全ては件の風祝、東風谷早苗を驚かすため。
神社の境内で知り合いが倒れていれば、早苗だって動揺くらいするだろう。
(それに、今回は小道具も使ってるしね)
自分の服と自分が倒れている周りに、赤いインクを撒いた。
これで、まるで血を出して倒れた死体のように見えるだろうという算段だ。
(最後にもう一つ、仕掛けもあるもんね)
その仕掛けとは、倒れている小傘の手の辺りに赤いインクで書かれた文字。
『犯人は神奈子と諏訪子』
薄れゆく意識のなか小傘が必死に残したダイイングメッセージ、という設定だ。
犯人が身内にいると分かれば、早苗が驚くこと間違いなし。
(さあ早苗、早く来い)
この驚かし方は、実に一週間かけて考えたもの。絶対の自信がある。
零れそうになる笑い声を必死にこらえて、小傘は早苗が出てくるのを待っていた。
そしてついに、玄関の戸がガラっと開いた。標的の登場だ。
(お、来た来た)
死んだふりをしていることがバレないように、極力目を薄めて早苗の様子を見る。
すると、早苗はすぐに小傘の存在に気付いたようで、とてとてと駆けてきた。
「小傘さーん。どうしたんですか?」
「…………」
早苗の呼びかけに、小傘は応えない。死体を演じきるのだ。
早苗はそんな小傘の体を揺すって、呼びかけを続けた。
「こんなところで寝てたら風邪ひきますよ小傘さん…って、これはまさか血!?」
(お、気付いた)
にししと笑いたくなるのを、小傘はなんとかして押し殺す。まだネタばらしには早すぎる。
もっともっと早苗が驚いてからだ。
「あれ、この字は…?『犯人は神奈子と諏訪子』…そ、そんな!?」
(ふふ、いい顔してる)
薄目開きに早苗の顔を覗いてみれば、まさしく驚いている者のそれ。
驚かすことに成功し、小傘はとてもいい気分だった。
「ああ、おいたわしや小傘さん。きっと神奈子様や諏訪子様のお怒りに触れるようなことをしてこんなことに…」
(さて、そろそろ仕上げにかかろっと)
最後にバッと勢いよく立ち上がってネタばらし。これで早苗の驚きは絶大になる、筈だった。
立ち上がりたくても立ち上がれない。
なぜなら、早苗にお姫様だっこされているからだ。しかも早苗はとてもいい笑顔。
「さあ、死んでしまった可哀そうな小傘さんは、青娥さんに頼んでキョンシーにしてもらいましょう」
「え、ええ!?」
今、小傘は明らかに早苗に聞こえるような声をあげた。
しかし早苗はそれを無視して独り言を続ける。
「キョンシーになったら、わたしのしもべとして可愛がってあげますね小傘さん」
「え、あの…」
「ああそうだ、にとりさんにお願いして改造してもらいましょう。右手にドリル、左手に機関銃、背中には羽をつけて、肩にキャノン砲、口からは強力なビーム…」
「さ、早苗?」
今度は小傘が呼びかけるも、早苗は全く応じない。それどころか、恍惚の表情を浮かべひとりつぶやいている。
「せっかくだから変形機能も搭載して、武器の換装もできるようにして…ああ、カッコいいですよフルアーマー小傘さん!」
「わ、わたしが悪かったから許して早苗ぇ!」
いいかげん怖くなってきて、小傘は若干涙目になりつつ上半身を起き上がらせてガバっと早苗に抱きついた。
すると早苗の声はいたって冷静で
「おや、死体ごっこはお終いですか?」
「え…早苗、ひょっとして最初から気付いてたの?」
「ええ、何から何まで実に分かりやすかったです」
その言葉が、ズシンと小傘の頭の上に降りかかった。
一週間かけて考えた計画で驚かすつもりが、逆に遊ばれてしまっていたのだ。
「苦し紛れのダイイングメッセージまで残したのに…」
「苦し紛れで神奈子様と諏訪子様の名前を漢字で書けるわけないじゃないですか。むしろそれを見た時点でただの死んだふりって確信しましたよ」
「ハッ!?」
せっかくの仕掛けさえ裏目に出てしまったようだ。
ショックを受けている小傘に、ところで、と早苗は話を変える。
「そろそろ離れてもらえませんか?貴女の服についたインクがこっちにもうつってるんですが」
「あ、ご、ごめん!」
慌てて早苗から体を離して、お姫様だっこからも降ろしてもらった。
しかし時既に遅く、早苗の白地の服には赤いインクがべったりうつってしまった。
「あーあ、服が汚れちゃいました。それに、境内だって赤いインクで汚れちゃってますし」
「う、ご、ごめんなさい…」
シュン、と身を縮める小傘に、早苗は、はあっとため息をついた。
「まあ、服は着替えて選択すればいいし境内は掃除すればいいので大丈夫ですけど、貴女はどうなんですか?」
「わ、わたし?」
急に自分のことを指摘されて驚く小傘に、早苗はその服をビシっと指差した。
「インクで服汚しちゃってますけど、着替えはあるんですか?それとも、洗って乾かすまで裸でいるつもりですか?」
「あ、しまった…」
今気付いたと言わんばかりの顔に、早苗はもう一度大きくため息をついた。
「ど、どうしよう…」
「ええい、仕方ないですね」
短くない付き合いだ、ちょっとくらい助けてあげよう。早苗はそう決める。
「わたしの服でよければ、貸してあげますよ」
「え、いいの?」
「ええ。その代わり境内の掃除はきちんとやってくださいね」
渡りに船の申し出に、小傘はパァっと明るい笑顔になって、早苗にとびついた。
「ありがと早苗!」
「わああ、インクがうつるから抱きついちゃ駄目ですって!」
「あう!」
こつん、と軽いげんこつを喰らわせた後、早苗は小傘を連れて玄関から入っていった。
「あれ、どうしたの早苗?」
「あ、諏訪子様」
「おじゃましまーす」
家に入って来た二人を出迎えたのは諏訪子。
その二人の様子に首をかしげた。
「服汚れてるけど、どうしたの?それに、その子を家まであげるなんて珍しいね」
「えーっと、かくかくしかじかありまして」
この状況に至るまでの経緯を説明する早苗。
要はいつもの小傘の驚かしに付き合っていたら服が汚れてしまったので、自分の着替えと小傘に貸す服を取りに来たのだ。
「あ、でもその前にちょっとお風呂に入ってきます」
「そう、分かったよ。着替えは脱衣所に置いておくから早く入ってきなよ」
「ありがとうございます」
笑顔でやりとりする早苗と諏訪子であったが、小傘はひとり不思議そうな顔をしていた。
「お風呂?着替えるだけじゃないの?」
「いいからついて来てください」
「わわっ」
いってらっしゃい、と笑顔で手を振る諏訪子を背に、ちょっと強引に手を引っ張って、早苗は小傘をお風呂場まで連れて行く。
そして脱衣所に入ったところで、お風呂に入る理由を説明しだした。
「服だけじゃなくて身体にもちょっとインクが付いてるみたいなので洗い落します。それに、貴女だって地面に突っ伏して汚れてるでしょう?」
「うーん、そんなに気にならないけどなあ」
「わたしが気になるので駄目です。さあ、早く服を脱いで」
服を貸してもらう以上わがままを言うのも申し訳ないので、小傘は言われた通りに服を脱ぐ。
そして早苗も服を脱ぎながら、ボソっとつぶやいた。
「まったく、せっかくの可愛い顔が汚れちゃ台無しじゃないですか…」
自分の発した言葉に気がついて、早苗はハッと口を噤む。無意識のうちに、とんでもないことを言ってしまったような気がする。
聞こえていないだろうかと、恐る恐る小傘の方を見た。すると、赤と青の瞳とぴったり目が合った。
「ん、どうしたの?」
「い、いえ何でも!」
どうやら聞こえていなかったらしい。
赤くなった顔をそむける早苗に、変なの、と首をかしげる小傘だった。
「なんか肩のあたりがスースーする…」
「文句言わないで下さいよ」
お風呂から上がった後、二人は諏訪子が用意してくれていた服に着替えた。両方とも、風祝の衣装である。
どうしても違和感があるという小傘に我慢してくださいと答えながら、早苗は先ほどまで自分と小傘が着ていた服を手に取った。
「この服はわたしが洗濯しておきますので、小傘さんは境内の掃除をしておいてください」
「はーい」
素直に返事をして、小傘は玄関へと歩いて行った。慣れない服に、少し歩きづらそうにしていたが転ぶようなことはなさそうだ。
その背中を見送りつつ、早苗は大きなタライを取り出す。それに温めのお湯を注ぎ、洗濯物を入れた。
河童の協力もあって電気洗濯機は使える。しかし今回はまだ使えない。
「流石に揉み洗いしないと落ちそうにありませんしね」
そうボヤきながら、赤インクのシミに石鹸を塗りたくってお湯で揉む。幸い油性ではないようで、揉んでいくうちに若干汚れは落ちた。
「まったく小傘さんってば、もう少し後先考えて行動しないと。純粋でいい子なのは分かりますが、天然すぎると心配ですね…」
湯揉みする手に力を込めながら、自分の言った言葉にまた顔を赤らめる。
どうにも、小傘について考えていると調子が狂うなと早苗は感じた。やけに気にかけすぎてしまっているような。
何でこんな風になったのか、とりあえず現在一生懸命境内を掃除しているであろう小傘のことを想い浮かべてみる。
「性懲りもなく驚かしに来て、わたしがちょっと注意したりからかったりして、いつも元気で明るくて、少しおっちょこちょいで、でもそこがまた愛らしくって…」
首をブンブン横に振る。
「ああもう!何かまた恥ずかしいこと言っちゃってるじゃないですか!」
本当に調子が狂ってしまう。
いつも元気で、それでいておっちょこちょいというのは本当のことだから、そんな姿が頭に浮かぶのはいい。
しかし、それを可愛いとか愛らしいとか、どうしてそんな発想に至ってしまうのか。
悩める早苗の元へ、厳かな雰囲気を醸し出す神がやってきた。
「大きな声を出して、一体どうしたんだい?」
「あ、神奈子様…い、いえ何でもありませんよ」
早苗の声が聞こえてきて、様子を見に来た神奈子。
自分がさっきまで何を悩んでいたかなんて恥ずかしくて話せない早苗は、えへへと愛想笑いを浮かべてごまかそうとする。
そんな様子を見て、追及するのは悪いかなと思った神奈子は、視線を桶の中へと移して話題を変えた。
「おや、それはあの傘妖怪の服じゃないか。どうしてそれを早苗が?」
「そ、そういえば神奈子様にはまだ言ってませんでしたね。実は、かくかくしかじかありまして」
話題が変わったことにホッとしつつ、早苗はこれまでの経緯を説明した。
先ほど諏訪子に話したことと、それに加えて、小傘とお風呂に入り、そして今は小傘に境内の掃除を任せて自分は服を洗っていたということ。
それを聞いていた神奈子は、ふふっと優しい笑い声をあげた。
「早苗、えらくあの子を好いているみたいだね」
その言葉を聞いた早苗は顔を耳まで赤く染めて、ものすごい早口で言葉を連ね始めた。
「か、からかわないでください!好いているとかいないとかそういうんじゃなくて、わたしと小傘さんは人間と妖怪で、小傘さんが何か悪さをしたらわたしが退治する間柄で…」
「それだけってことは無いんじゃないかい?あの子と一緒にいたりあの子のことを話したりするとき、早苗すごく楽しそうじゃないか。気に入ってるんだろう?あの子のこと」
「う、うう…」
にやにやと笑みを浮かべながら投げかけてくる神奈子の問に、早苗は窮してしまった。
少し押し黙った後、赤い顔のままポツリポツリと話し出す。
「そ、そりゃあ、ドジでおっちょこちょいな小傘さんですが、それが可愛いなって思うことはあって、一緒にいると楽しくって、その、す、好きですけど…」
「まったく、もうちょっと素直に言えばいいのに」
照れ隠しであることは分かるが、言い方ってもんがあるだろうと神奈子は苦笑する。
しかしそれでも、とりあえずは自分の気持ちを認めたようなので、それでよしとした。
「まあ、これからもあの子と仲良くしなよ」
「…はい」
肩に手をポンと置いてニコッと笑った神奈子に、早苗は小さく頷いた。
「んー、終わったぁ」
境内の掃除を終えて、小傘はぐっと伸びをした。
そして縁側に腰かけて休憩していると、諏訪子がすたすたやって来た。
「お疲れ様。おお、ずいぶんきれいになってるね」
先ほど小傘が撒いたインクは勿論きれいに取り去られ、さらには落ち葉や枯れ枝などもきちんと掃除されていた。
「えへへ、服まで貸してもらってるからお礼にって思って」
「へー」
褒められて若干照れながら答えた小傘に、意外と義理堅いんだなと感心した諏訪子。
小傘は相変わらず楽しそうにニコニコ笑っている。そんな小傘に、諏訪子は前々から気になっていたことを尋ねてみた。
「ねえ、小傘って早苗のことどう思ってる?」
「え、早苗のこと?」
「そ、いつも仲良くしてもらってるみたいだから、どう思ってるのかなって気になって」
「そうだなー、うーんと…」
突然の質問に、どういう風に答えればいいか言葉が上手くまとまらず少し考え込んだ。
諏訪子はそんな小傘を注意深く見つめる。風祝として守矢神社に勤める早苗には、気兼ねなく接することのできる相手は多くない。だからこそ、諏訪子にとっても小傘のような存在は重要なのだ。気兼ね無く早苗と接してくれる小傘が。
そして小傘は、ゆっくりと口を開いた。
「ちょっといじわるで怒ると恐いけど、でも優しいところもあって、一緒にいると楽しくて好き、かな」
結局のところまとまりのある言い方ができず、最後は半疑問の形になってしまった。それでも、思いのたけは全て出しきったつもりである。
それは諏訪子にも分かったようで、にこりと笑った。
「それが聞ければ満足だよ。早苗ってば普段は風祝の仕事で気を張りすぎてて、でも小傘と一緒にいるとすごくリラックスしてて楽しそうなんだ」
「へーそうなんだ」
自分と一緒にいるときの早苗しか知らない小傘は、風祝として張りつめた早苗というものが上手く想像できなかった。そのため少し驚きながら相槌をうつ。
「それで小傘、最近ウチに来なかったでしょ?」
「そう言えば最近はお墓にこもりがちで、こっちにはあんまり来てなかったなあ…」
「だから早苗も寂しそうにしちゃってね。たまに空を見上げては『来ませんねぇ…』なんて独りごと言いながらため息ついてるんだよ」
「へー」
これまた驚いた。そんな乙女チックな感傷に浸る早苗もまた想像できない。
すると諏訪子は、小傘の方にポンと手を乗せた。
「そんなだからさ、これからも早苗と仲良くしてあげてくれないかな?あの子も小傘と一緒にいるのが好きみたいだし」
「うん!言われなくても早苗とはずっと仲良しだよ!」
「あはは、そうだね」
元気いっぱいで何よりと、諏訪子は満足そうに笑う。小傘もそれにつられて楽しそうに笑った。
「諏訪子様も小傘さんも楽しそうですね」
「二人とも高笑いしてどうしたんだい?」
二人で笑っていたら、件の早苗と、そして一緒に神奈子がやって来た。揉み洗いは終わって、今は電気洗濯機を回している。
そんな二人に、色々あってね、と笑いながら諏訪子は答えた。
そのすぐ後、早苗の関心は境内の方へと移る。
「境内がすごくきちんと掃除されてますね。ひょっとして全部小傘さんが?」
汚した赤インクだけでも掃除してくれればいいと思っていた早苗にとって、隅々までやっておいてくれたとは意外であった。
感心する早苗に、小傘はえっへん、と胸を張る。
「こんなの朝飯前だよ。どう、驚いた?」
「まあ、感心はしましたね」
「うう…」
全く驚いていないといったような様子の早苗に、がっくし肩を落とす小傘。
しかし、早苗はふと照れくさそうな笑顔を浮かべたかと思うと、落ち込み顔の小傘の頭をふんわりと撫でた。
「頑張ってくれたみたいですね。ありがとうございます」
「あ、えっと、どういたしまして…」
いつもとは違う早苗の返しに、小傘は少し戸惑った。なんだかくすぐったさを感じる。
しかし、そんなくすぐったさも心地よくて、ほんのり顔を赤くしながら笑顔を返した。
すると、二人の様子を横で見ていた神奈子と諏訪子がにやっと笑みを浮かべる。
「おや~、こんな優しいなんて、早苗に心境の変化でもあったのかな~?」
神奈子がそう口火を切ると、それに合わせて諏訪子も続く。
「ホントだねぇ。そう言えばさっきから思ってたんだけど、小傘の風祝姿って結構様になってるよね。いっそこのままウチで暮らす?」
「お、それいいかもね。早苗だってその方が嬉しいんじゃないかい?」
「お、お二人とも何言ってるんですか!?」
当人たちそっちのけで話を進める二柱に、早苗はまた顔を真っ赤にして声をあげた。
一方小傘はきょとんとした顔で、状況があまり飲み込めていないようだ。
「早苗顔真っ赤だよ。どうしたの?」
「な、なんでもありません!」
さらに慌てる早苗に、くすくす笑う神奈子と諏訪子。そして相変わらずのきょとん顔を続ける小傘であった。
日が暮れた夜。
いつもは二柱の神と一人の風祝で囲まれる食卓であるが、今日はそこにさらにもう一人の妖怪。
「晩御飯までご馳走になっちゃって大丈夫なの?」
「いいっていいって。社務も色々手伝ってくれたし、それに服だってまだ乾いてないんだから」
遠慮がちに控える小傘に、諏訪子は笑いながら手を横に振った。
洗濯した服の汚れはちゃんと落ちている。しかしながらまだ乾いていないので返すことはできない。ならばいっそ今日は小傘に泊まってもらおうということになったのだ。そのついでに、小傘は今日一日の社務を手伝った。
ちなみに、これは二柱が決めたことである。早苗はというと、嬉し恥ずかしの複雑な感情が渦巻いていた。
「諏訪子様もああ仰ってるんですし、遠慮しないで食べてくださいね」
「早苗、何かぎこちないよ?」
「そ、そんなことないですよ」
否定するものの、小傘の指摘した通り早苗は笑顔であるのだが話し方がややぎこちない。
その理由は、小傘にはよく分からないのであるが。
「ははは、いつもと形勢逆転じゃないか」
小傘に追いつめられる早苗というのは、なるほど確かにいつもと逆である。そんなあべこべの状態に笑う神奈子。
進退窮まった早苗は、反論するのを諦めてお箸を手に取った。
「いただきます!」
これ以上はどう転んでも負けそうなので、食事を始めて全てをごまかす。
そんな早苗に、二柱はくすっと笑い、小傘は不思議そうな顔をしながら各々お箸とお椀を手に取るのだった。
食後の台所。
早苗が皿を洗っていた。
「はあ…小傘さんを家にあげてからというもの、今日は調子が狂いっぱなしです…」
大きなため息一つとともに、そうつぶやく。
別に小傘を家にあげたことを後悔しているわけではない。むしろその反対だ。
しかしその反面、調子が狂ってしまうのはよろしくない。いつも通りの接し方でいいはずなのに、やたら緊張してしまう。
「小傘さんのことを意識しすぎるのがよくないのでしょうか…」
「わたしがどうしたの?」
「わひゃあ!?」
「あ、やったぁ!早苗が驚いた!」
物思いに耽っていたせいか、いつの間にか後ろに立っていた小傘に気付くことができなかった。
素っ頓狂な声をあげてしまった早苗に、小傘は早苗を驚かしたと大喜び。万歳してはしゃいでいる。
「――ごほん!で、何か用ですか?」
わざとらしく咳払いして、早苗は話を変えた。本当に狂いっぱなしの調子に、そして小傘の存在に、内心とてもどきどきしている。
そんな早苗の心の内は露知らず、小傘は万歳をやめて早苗の方を向いて台所まで来た理由を話す。
「ああそうだった。お皿洗い手伝いに来たよ」
「そうですか。ではお願いします」
「ふふ、早苗を驚かせたなんて儲けものだなあ」
先ほどは何も無かったと言わんばかりに素っ気ない態度をとる早苗であるが、小傘には通じない。
それは早苗にも痛いほど分かっているのでつらいところである。
しかしここでめげているわけにもいかない。手伝いに来てくれたのならと、小傘を横に並ばせて一緒に皿洗いを始めた。
「割らないように気をつけてくださいね」
「む~、そんなことしないよ」
馬鹿にしないでよね、と口を膨らませながらも小傘は皿を洗う。
その様子を横眼でチラチラ眺めつつ、早苗も作業する。しかし気はそぞろ。横に並ぶなんてよくあることなのに、変に緊張する。
(い、意識しすぎないで…普段通りに…)
ふう、と息を吐いて心を落ち着かせようとする。
「ねえ早苗」
「ひゃい!?」
だが、できなかった。
突然小傘から声をかけられて、また素っ頓狂な声をあげてしまう。
「ななな、何でしょうか?」
動揺を隠そうとするも全く上手くいかず、どもった喋り方をしてしまった早苗。
しかし対称的に小傘は神妙な面持ちで、慎重に言葉を出す。
「あのさ…早苗、わたしが来なくて寂しかったって、本当?」
「なな!?」
驚いて、手に持っていた皿を流し台に落としてしまった。幸いにしてプラスチック製で割れることは無かったが、今の早苗はそれどころではない。
「ど、どうしてそれを!?」
そう答えて、ハッと気付く。この答え方はつまり寂しかったと認めてしまっているものだ。
小傘もそれに気付いたようで、嬉しそうに笑った。
「帽子の神様から聞いたんだよ。早苗が寂しそうにしてたって」
「す、諏訪子様か…」
なんてことを言ってくれたんだと、恨めしそうに諏訪子の顔を思い浮かべる。その顔はにやにやと笑っていた。
小傘はそんな早苗の恨み事には気付いていないらしく、笑顔のまま言葉を続けた。
「だったら嬉しいな。早苗がわたしのこと必要としてくれたみたいで」
「うぐ…」
表裏一切ない無垢な笑顔に胸をつきぬかれて、早苗は降参した。これ以上はもう持ちそうにない。
頬を赤く染めつつ、隠してきた感情を表に出す。
「そ、そうですよ。貴女と一緒にいると楽しくて、貴女が来ないとつまんないんです。わたしには貴女が必要なんです。その、えっと…貴女が好きです」
「えへへ、わたしも早苗のこと大好きだよ」
「小傘さん…」
自分の想いを伝えて、さらに小傘の想いも聞くことができて、早苗の心はすっきりした。
先ほどまで狂っていた調子も、今は平常運転。いつもの自分に戻った感覚だ。
素直な気持ちで、小傘を抱き寄せる。
「わ、早苗?」
「すいません。でも、少しだけこうさせてください」
突然のことにびっくりする小傘だったが、早苗の優しい口調に安心してそのまま身を預けた。
これら一部始終を二柱がしっかりと覗いていたことは、二人とも気付かなかったが。
「さて、そろそろ寝ますか」
「はーい」
時間が移り、場所も変わってここは早苗の部屋。
お風呂に入って寝間着に着替え、布団を二つ並べて各々入る。
ちなみに小傘は早苗の寝間着を借りている。
「明かり消しますね、おやすみなさい」
「おやすみなさーい」
明かりが消えて、部屋はしんっと静まり返る。
その静けさを壊してしまわないように、小傘は布団の中でにししと笑っていた。
(今日の早苗、何か驚かしやすい。暗い中ならきっとなおさら…)
台所でも勝利を収めた。ならばもっと勝ちが欲しくなる。
思い立ったらすぐ行動。小傘はもそっと布団から抜け出た。そして、部屋の中に置いてあった懐中電灯を手に取り、顔を下から照らす。
「早苗~」
ちょんちょん、と肩を突っついて、うつ伏せに寝ていた早苗を起こす。
すると早苗は顔をあげて体を起こした。
その顔は
「きゃ~~!口裂け女!?」
驚きのあまり腰を抜かした小傘。
そんな小傘に、早苗はあははと笑いながら明かりをつけ、口を枕元に置いてあったタオルで拭った。
「く、口紅…?」
「ええ、ただの口紅で口を大きく見せただけです。それなのに小傘さんってば驚きすぎですよ」
「うう~、いつもの早苗だ…」
驚かそうと策を練っても、驚いてくれない。それどころか逆に驚かしにきたりする。そんないつもの早苗が戻って来ていた。
悔しがる小傘に、早苗はまたあははと楽しそうに笑う。
「小傘さんの考えそうなことなんてお見通しですからね。そうそう簡単に驚かされませんよ。だからもっと頑張ってわたしを驚かしに来てくださいね」
「む~、じゃあこれならどうだ!」
「へ?きゃあ!?」
作戦が失敗した小傘は強硬策に出た。すなわち、勝ちを誇って油断する早苗にとびつき押し倒したのである。
「ふっふっふ、どうだ驚いたか!」
「確かにちょっと驚きましたね。でも、いいんですか小傘さん?この状況、実は貴女にとっても不利なんですよ」
そう言って不敵な笑みを零すと、早苗は両手を小傘の背中に回して強く抱きしめた。
「わあ!?」
「これで身動き一つ取れませんね。さあこの状態でどうやって驚かします?」
「し、しまった~」
じたばたするも、がっしりと早苗に固められてしまって身動きが取れない。諦めた小傘はおとなしくなった。
「じゃあいいもん。このまま大好きな早苗にひっついてる」
「う…どうして貴女はそんな台詞をさらっと言えますかね…」
「あ、顔がさっきみたいに赤くなった。今なら驚かせるかな?」
「ちょ、調子に乗らないでください」
「あう!」
こつんとげんこつが一発。
怯んだ小傘に、今度は柔らかい穏やかな口調が降りそそいだ。
「ねえ小傘さん」
「なあに?」
早苗に抱きしめられたままの小傘は、早苗の顔を覗き込む。
するとその目は、口調同様柔らかく穏やかなものだった。
「神奈子様と諏訪子様が仰っていたこと、どう思ってます?つまり、小傘さんがここに住めばいいって話です」
最初にその話が出たとき、早苗は始終照れっぱなしだった。
しかし今なら、小傘が守矢神社で暮らすのもいいかもと素直に思える。むしろ、小傘がいいのならばそれを望んでさえいる。
「うーん…どうしよっかなあ…」
「無理に急いで決める必要はないですよ。小傘さんには小傘さんの事情だってあるでしょうし」
こういうときは本人の気持ちを尊重するのが第一。
本当ならこのまま小傘が守矢神社に住んでくれた方が嬉しい早苗ではあるが、無理強いはしない。
どうするのか早苗が注目する中、小傘は一言よしっと言った。決めたようだ。
「早苗が良ければ、ここに住みたいなあ」
「はい!歓迎します!」
背中に回していた手の片方を頭にやり、早苗は小傘の水色の髪をさらさらと撫でながら答えた。
撫でられて少しくすぐったそうにする小傘は、それでね、と付け足す。
「早苗の傍にいて、早苗をたくさん驚かせる!」
「ふふっ、そう簡単には驚かされませんから、頑張ってくださいね」
抱きつかれたまま意気込む小傘に、抱きつきながらにこやかに笑いかける早苗。
幸せな雰囲気の中、さて、と早苗が一言。
「今度こそ本当にそろそろ寝ましょうか。さあ、小傘さんも自分の布団に戻ってくださいね」
「えー」
背中に回していた腕を離して解放するも、小傘は不満そうに答えた。
そればかりか、今度は小傘が早苗に抱きついた。
「このまま大好きな早苗にひっつくって言ったから、今日はもうずっとひっついてる」
「あ、貴女って子はどうしてそんな…」
赤と青の瞳にまっすぐ見つめられながら言われた殺し文句。小傘のびっくりドッキリには負ける気がしない早苗も、これには勝てる気がしなかった。
「わ、分かりました。一緒に寝ましょう」
「わーい。ありがと早苗」
やれやれ、と諦めた早苗に、小傘はさらにぎゅっと抱きついた。
そして明かりを消して、さっきは早苗が寝ていた布団に、今度は二人で入る。
「えへへ、ぬくぬく」
「ふふふ、そうですね」
満面の笑みの小傘につられ、早苗も笑顔になる。
仲良く手をつないで、暖かい布団の中、二人で安らかな眠りにつくのであった。
ちなみに、早苗の部屋でのやり取りは台所でのやり取り同様二柱にがっつりと聞かれており、翌朝居間に
『祝!東風谷早苗恋愛成就!!』と『歓迎!多々良小傘!!』
の横断幕が張られ、早苗はたいそう顔を赤くしたという。
天然でどんどんイニシアティブを奪っていく小傘さん・・・早苗の明日はどっちだ!
小傘はいつも通りのかわいさがありGood
端的に言うとああもう、こがさなかわいいよ
やるなら私の目の前でやりなさい!
こがさな万歳です!