花瓶に活けた柊の生き生きとした白さに秋の深まりを感じて、私はふと手を止めて窓の外を見た。
気持ちよく透き通った高空に、季節が既に秋から冬に移りつつあるのだと気づく。
ついこの間秋が来たばかりだというのに、もう冬が来る。
年の瀬も近い。
早いものだな、と思う。
ひょっとしたら独り言に出ていたかもしれない程にしみじみと。
奇妙な感慨を感じながら、私は再び居間の机を台拭きで拭き始めた。
今日、古い友人が久しぶりに訪ねてくる。
しばらく前から楽しみにしていた日だ。
店の方は他の者に任せて、私は朝からその準備をしている。
なにせ今日の来客は家事に関しては相当厳しい。
もてなしや部屋の片づけがなっていなくて小言でもくらったらたまらない。
部屋は綺麗に片付けて埃一つないし、お湯も沸かしていつでもお茶が淹れられる状態にしてある。
もちろん緑茶だ。
あいつを前に紅茶を出すなんて釈迦に説法にも程がある。
その代わり茶葉は里の店でもかなり値の張るのを選んだし、お茶請けに買った栗饅頭も里で評判の逸品だ。
お土産の分まで用意してあれば文句もないだろう。
そんなことを考えながら友の来訪を待つ時間は、なんだかとても楽しかった。
準備も整った頃、来客の知らせがあった。
出迎えに出ると、以前と変わらない、完璧で瀟洒な笑顔がそこにあった。
「久しぶりね、魔理沙。お邪魔するわ 」
「ああ。悪いな、忙しいのにわざわざ寄ってもらって。上がってくれ 」
きっとこの時の私の顔は咲夜の澄ました様な格好良い笑顔と違って、本当に嬉しそうな、子供みたいな満面の笑みだったんだろうと思う。
別に鏡を見たわけではないけれど。
それくらい、久しぶりに会えたことが掛け値なしに嬉しかったんだ。
咲夜を居間に案内してからお茶を淹れて戻ってくると、咲夜が面白そうに部屋を見回していた。
「へぇ。意外と綺麗にしてるのね。少し驚いたわ 」
「失礼だな。私だっていつまでもガラクタ屋敷がお住まいの片付けられない女のままじゃない。お前のところの妖精メイドよりは少しくらい家事も出来るさ 」
軽口を叩きながら来客用の湯飲みを咲夜の前に置く。
コトン、という音が澄んだ空気に心地よく響く。
自分の湯飲みも机に置いて、改めて正座で席につく。
「そうね、この花瓶の活け方も趣味がいいし。お店が潰れたりしたら紅魔館でメイドとして雇ってあげてもいいわよ 」
「馬鹿言え。私の店が潰れるよりも紅魔館が財政難に陥る方が先だろう。なんなら低利で融資してやろうか? 」
何でもない冗談の応酬が快い。
くすくすと笑い合いながらお茶を啜った。
「お店、順調なのね 」
咲夜も心なしか嬉しそうに言う。
「当たり前だ。私が来てから右肩上がりが続いてるよ。まあ、私が来る前だって十分羽振りよかったんだけどな 」
あれはもう、5年前になるのか。
ある日魔法の森の私の家に突然霖之助がやって来て、親父の危篤を伝えた。
幼くして母を亡くした私にとってほぼ母親代わりだった乳母が霖之助に頼んでくれたらしいという話を、私は後から聞いた。
勘当同然で家を出た私は、親父が病気を患っていることなんて知らなかった。
あの頑固親父が病気になるなんて、いつか死ぬかも知れないなんて考えたこともなくて、頭の中が真っ白になった。
その後のことは断片的にしか覚えていない。
霖之助に背中を押されて実家に帰った私は、痩せて細って小さくなった親父を見て、記憶の中の大きかった親父の背中面影すら感じられなくてひどく寂しかった。
病気にやられて心まですっかり弱った親父が何度も何度も私に謝って、そのせいでぼやける視界の中、私は枕元でりんごを剥いてた。
母の仏壇に必死でお願いした。
やっと分かり合えそうなのに、連れて行って欲しくなかった。
親父は少しだけ快方に向かった後、ひどく寒かった冬の日に静かに息を引き取った。
「でも、魔理沙の作った商品、とても売れているんでしょう? 里でも評判になってるって慧音からも聞いたわ 」
「まあな、私のマーケティング能力にかかればヒット商品の一つや二つ生み出すくらい容易いってことだ 」
「よく言うわよ。初めの頃はパチュリー様の知恵を借りに毎晩ウチに通ってた癖に 」
「それを言うなよ。それに、今回のは私の完璧なオリジナルだぞ? まあ、企画会議はアリスも交えて紅魔館でやったわけだが 」
親父の遺言に従って店を継いだ私は、今は霧雨道具店の店主になっている。
最初はかなり戸惑ったが、段々と自分なりの仕事の仕方もわかって軌道に乗ってきた。
「でも最近はウチにも顔出さないわね 」
「ここ最近は本当に忙しくてな。いちいちパチュリーに相談しなくてもわかるようになってきたのもあるが 」
「まあ忙しいんだろうとは思ってたけど、思ったより元気そうで安心したわ。てっきり過労でやつれてやしないかとちょっと心配したもの 」
「まあ、実際あんまり寝てなくて痩せはしたけどな。でもそれも嬉しい悲鳴だよ。それに、今はとにかく仕事が楽しくって仕方ないからな 」
安全で素人にも簡単に扱える便利な魔法の道具。
それが私が店主になってから打ち出した新しい製品だった。
最初はなかなか受け入れられなかったが、少しずつ広まっていき、今では里のほとんどの家でウチの店の製品が使われている。
「そう。でも少し落ち着いたらウチにも顔出しなさい。パチュリー様が新しい成長戦略の企画書作って待ってるわよ 」
「おかしいな。ちょっと前までは行けば邪険にされてたのにな 」
「ウチの門番を黒焦げにしたり本の持ち出したりしなければ、いつでも歓迎致しましたわ? 」
くすくすと笑い合う。
「そう言えば話は変わるんだけど、近々何か起こるかもしれないわよ 」
「ん? 何かって何だ? 」
「異変よ。お嬢様がきな臭い予感がするって仰ってた。ひょっとしたら勘のいい巫女ならもう既に動き出してるかもしれないわね 」
「そうか。異変か…… 」
脳裏によぎったのはさも億劫そうにふわふわ飛んでいく紅白の衣装。
それと――
「……それなら、変な野次馬根性出して巻き込まれないようにしないとな。まあ、何か詳しい顛末がわかったら茶飲み話ついでに教えてくれ 」
「そうね。ウチのお嬢様も『久しぶりにひと暴れしてこようかしら』なんて仰っていたし、巻き込まれるようなことがあったら今度話すわ 」
私は窓の外にぼんやりと目をやった。
そこに何か、自分の見たいものが飛んでいるような気がして……
「魔理沙はもう……『だぜ』って言わないのね 」
茫としていたところに話しかけられて向き直ると、心配そうな気遣うような咲夜と目が合った。
私は何かを言おうと口を開いて、
「……」
結局何も言えなくて口をつぐんだ。
「……ごめんなさい。なんでもないわ。今の話は忘れて 」
私の表情から何かを察してくれた咲夜の心遣いがありがたかった。
それからまたとりとめない話をいくつかして、気づけば咲夜の帰る時間になっていた。
見送りに出た玄関先で、ふと咲夜が思い出したように口を開いた。
「そう言えば、あなた結婚はしないの? そうじゃなくてもお付き合いしてる相手とか 」
私は思わず苦笑いしながら答えた。
「乳母には毎日のように結婚しろ見合いしろって言われてるよ。でも、まだまだその気はないな。したい相手もいないし 」
「なるほど。今は仕事が恋人ですってことね 」
「なんだよ、お前だって似たようなもんだろ? 」
他愛無い冗談に二人でひとしきり笑い合ってから別れた。
ふいに風が吹いて、着物の合わせの部分を押さえる。
冷えてきたな、そう思って空を見上げた時だった。
「あ……」
夕焼け前の微妙な色の空をさも億劫そうに飛ぶ紅白衣装の巫女が見えて、私は帰ろうとした足を止めた。
陰陽球を従え、紅色の袴のすそをたなびかせて飛ぶその横顔は、あの頃と変わらない少女のそれだった。
秋空を悠々と翔けるその姿は、まるで違う世界の出来事のように感じられて。
目が離せなかった。
霊夢が見えなくなってもずっと空を見ていた。
そうしていればそのうち、夕暮れ時の空を切り裂いて嬉々としてかっ飛んで行く黒装束が箒に乗って現れる気がして……
カラスのしゃがれた鳴き声が聞こえて、ふと我に返った。
ずいぶん長い間そうしていたのに気がついて、苦笑する。
霊夢に心の中でこっそりエールを送ってやってから、ゆっくりと家に戻った。
書斎に入り、机の上に積んであるタスクの山に向かって「よし!」と気合を入れる。
さて、何から片付けようか。
気持ちよく透き通った高空に、季節が既に秋から冬に移りつつあるのだと気づく。
ついこの間秋が来たばかりだというのに、もう冬が来る。
年の瀬も近い。
早いものだな、と思う。
ひょっとしたら独り言に出ていたかもしれない程にしみじみと。
奇妙な感慨を感じながら、私は再び居間の机を台拭きで拭き始めた。
今日、古い友人が久しぶりに訪ねてくる。
しばらく前から楽しみにしていた日だ。
店の方は他の者に任せて、私は朝からその準備をしている。
なにせ今日の来客は家事に関しては相当厳しい。
もてなしや部屋の片づけがなっていなくて小言でもくらったらたまらない。
部屋は綺麗に片付けて埃一つないし、お湯も沸かしていつでもお茶が淹れられる状態にしてある。
もちろん緑茶だ。
あいつを前に紅茶を出すなんて釈迦に説法にも程がある。
その代わり茶葉は里の店でもかなり値の張るのを選んだし、お茶請けに買った栗饅頭も里で評判の逸品だ。
お土産の分まで用意してあれば文句もないだろう。
そんなことを考えながら友の来訪を待つ時間は、なんだかとても楽しかった。
準備も整った頃、来客の知らせがあった。
出迎えに出ると、以前と変わらない、完璧で瀟洒な笑顔がそこにあった。
「久しぶりね、魔理沙。お邪魔するわ 」
「ああ。悪いな、忙しいのにわざわざ寄ってもらって。上がってくれ 」
きっとこの時の私の顔は咲夜の澄ました様な格好良い笑顔と違って、本当に嬉しそうな、子供みたいな満面の笑みだったんだろうと思う。
別に鏡を見たわけではないけれど。
それくらい、久しぶりに会えたことが掛け値なしに嬉しかったんだ。
咲夜を居間に案内してからお茶を淹れて戻ってくると、咲夜が面白そうに部屋を見回していた。
「へぇ。意外と綺麗にしてるのね。少し驚いたわ 」
「失礼だな。私だっていつまでもガラクタ屋敷がお住まいの片付けられない女のままじゃない。お前のところの妖精メイドよりは少しくらい家事も出来るさ 」
軽口を叩きながら来客用の湯飲みを咲夜の前に置く。
コトン、という音が澄んだ空気に心地よく響く。
自分の湯飲みも机に置いて、改めて正座で席につく。
「そうね、この花瓶の活け方も趣味がいいし。お店が潰れたりしたら紅魔館でメイドとして雇ってあげてもいいわよ 」
「馬鹿言え。私の店が潰れるよりも紅魔館が財政難に陥る方が先だろう。なんなら低利で融資してやろうか? 」
何でもない冗談の応酬が快い。
くすくすと笑い合いながらお茶を啜った。
「お店、順調なのね 」
咲夜も心なしか嬉しそうに言う。
「当たり前だ。私が来てから右肩上がりが続いてるよ。まあ、私が来る前だって十分羽振りよかったんだけどな 」
あれはもう、5年前になるのか。
ある日魔法の森の私の家に突然霖之助がやって来て、親父の危篤を伝えた。
幼くして母を亡くした私にとってほぼ母親代わりだった乳母が霖之助に頼んでくれたらしいという話を、私は後から聞いた。
勘当同然で家を出た私は、親父が病気を患っていることなんて知らなかった。
あの頑固親父が病気になるなんて、いつか死ぬかも知れないなんて考えたこともなくて、頭の中が真っ白になった。
その後のことは断片的にしか覚えていない。
霖之助に背中を押されて実家に帰った私は、痩せて細って小さくなった親父を見て、記憶の中の大きかった親父の背中面影すら感じられなくてひどく寂しかった。
病気にやられて心まですっかり弱った親父が何度も何度も私に謝って、そのせいでぼやける視界の中、私は枕元でりんごを剥いてた。
母の仏壇に必死でお願いした。
やっと分かり合えそうなのに、連れて行って欲しくなかった。
親父は少しだけ快方に向かった後、ひどく寒かった冬の日に静かに息を引き取った。
「でも、魔理沙の作った商品、とても売れているんでしょう? 里でも評判になってるって慧音からも聞いたわ 」
「まあな、私のマーケティング能力にかかればヒット商品の一つや二つ生み出すくらい容易いってことだ 」
「よく言うわよ。初めの頃はパチュリー様の知恵を借りに毎晩ウチに通ってた癖に 」
「それを言うなよ。それに、今回のは私の完璧なオリジナルだぞ? まあ、企画会議はアリスも交えて紅魔館でやったわけだが 」
親父の遺言に従って店を継いだ私は、今は霧雨道具店の店主になっている。
最初はかなり戸惑ったが、段々と自分なりの仕事の仕方もわかって軌道に乗ってきた。
「でも最近はウチにも顔出さないわね 」
「ここ最近は本当に忙しくてな。いちいちパチュリーに相談しなくてもわかるようになってきたのもあるが 」
「まあ忙しいんだろうとは思ってたけど、思ったより元気そうで安心したわ。てっきり過労でやつれてやしないかとちょっと心配したもの 」
「まあ、実際あんまり寝てなくて痩せはしたけどな。でもそれも嬉しい悲鳴だよ。それに、今はとにかく仕事が楽しくって仕方ないからな 」
安全で素人にも簡単に扱える便利な魔法の道具。
それが私が店主になってから打ち出した新しい製品だった。
最初はなかなか受け入れられなかったが、少しずつ広まっていき、今では里のほとんどの家でウチの店の製品が使われている。
「そう。でも少し落ち着いたらウチにも顔出しなさい。パチュリー様が新しい成長戦略の企画書作って待ってるわよ 」
「おかしいな。ちょっと前までは行けば邪険にされてたのにな 」
「ウチの門番を黒焦げにしたり本の持ち出したりしなければ、いつでも歓迎致しましたわ? 」
くすくすと笑い合う。
「そう言えば話は変わるんだけど、近々何か起こるかもしれないわよ 」
「ん? 何かって何だ? 」
「異変よ。お嬢様がきな臭い予感がするって仰ってた。ひょっとしたら勘のいい巫女ならもう既に動き出してるかもしれないわね 」
「そうか。異変か…… 」
脳裏によぎったのはさも億劫そうにふわふわ飛んでいく紅白の衣装。
それと――
「……それなら、変な野次馬根性出して巻き込まれないようにしないとな。まあ、何か詳しい顛末がわかったら茶飲み話ついでに教えてくれ 」
「そうね。ウチのお嬢様も『久しぶりにひと暴れしてこようかしら』なんて仰っていたし、巻き込まれるようなことがあったら今度話すわ 」
私は窓の外にぼんやりと目をやった。
そこに何か、自分の見たいものが飛んでいるような気がして……
「魔理沙はもう……『だぜ』って言わないのね 」
茫としていたところに話しかけられて向き直ると、心配そうな気遣うような咲夜と目が合った。
私は何かを言おうと口を開いて、
「……」
結局何も言えなくて口をつぐんだ。
「……ごめんなさい。なんでもないわ。今の話は忘れて 」
私の表情から何かを察してくれた咲夜の心遣いがありがたかった。
それからまたとりとめない話をいくつかして、気づけば咲夜の帰る時間になっていた。
見送りに出た玄関先で、ふと咲夜が思い出したように口を開いた。
「そう言えば、あなた結婚はしないの? そうじゃなくてもお付き合いしてる相手とか 」
私は思わず苦笑いしながら答えた。
「乳母には毎日のように結婚しろ見合いしろって言われてるよ。でも、まだまだその気はないな。したい相手もいないし 」
「なるほど。今は仕事が恋人ですってことね 」
「なんだよ、お前だって似たようなもんだろ? 」
他愛無い冗談に二人でひとしきり笑い合ってから別れた。
ふいに風が吹いて、着物の合わせの部分を押さえる。
冷えてきたな、そう思って空を見上げた時だった。
「あ……」
夕焼け前の微妙な色の空をさも億劫そうに飛ぶ紅白衣装の巫女が見えて、私は帰ろうとした足を止めた。
陰陽球を従え、紅色の袴のすそをたなびかせて飛ぶその横顔は、あの頃と変わらない少女のそれだった。
秋空を悠々と翔けるその姿は、まるで違う世界の出来事のように感じられて。
目が離せなかった。
霊夢が見えなくなってもずっと空を見ていた。
そうしていればそのうち、夕暮れ時の空を切り裂いて嬉々としてかっ飛んで行く黒装束が箒に乗って現れる気がして……
カラスのしゃがれた鳴き声が聞こえて、ふと我に返った。
ずいぶん長い間そうしていたのに気がついて、苦笑する。
霊夢に心の中でこっそりエールを送ってやってから、ゆっくりと家に戻った。
書斎に入り、机の上に積んであるタスクの山に向かって「よし!」と気合を入れる。
さて、何から片付けようか。
切ない気持ち。沁みました。
最後が前向きに進んでいて助かりました
後悔はあるでしょうけれど、里で魔法の品を扱う商売ができるのも魔理沙の理想の一つじゃないかなと思います。
なんとも、悔しいような気持ちになります。
なかなか綺麗なお話で面白かったです。
楽しませてもらいました。
時間が流れてる限りはどうしても感じてしまう類の。
霊夢は霊夢でらしいのですが、いっそう寂しい感じがしますね。
本人たちにしてみれば余計なお世話かもしれませんが。
切ないけどとてもいいテーマでした
霊夢との会話を見たいような、見たくないような。
何となく魔理沙らしくないな、と思いながら読んでいたけど一度読んでからもう一度読み返して腑に落ちました。
魔理沙はもう「大人になっちゃった」ってことなんですね。
そう思って読むと全て納得できます。
自分も大人になってからは、旧友と会える日を心待ちにしたり、その日の為に準備をする事がすごく楽しかったり、たまにどうしようもなく寂しくなったりしますから。