注意
大崩壊紅魔館シリーズ以外の紅魔館話の設定を受け継いでいます。
色の無い世界。
空も人も地面も何もかもが白と黒で表現されている世界。
動く物の無い、自分一人だけの咲夜の世界。
この世界で行動できるものはそれを生み出した咲夜しかいない。
強大な力を持つ吸血鬼どころか、あの絶対無敵の博麗の巫女すら及ばない。
その中を、足取り軽く咲夜は駆ける。
一歩、二歩、向かう足は紅魔館の廊下を抜けて、玄関の扉を潜って、門前へ。
そこに見えるのは一人の影。
鮮やかに赤い髪も、透き通るような白い肌も何もかも色を失った門番。
その名を紅美鈴と言う。
咲夜の教育係だった妖怪。
今でこそ完全で瀟洒と呼ばれる彼女だが、それは美鈴あってのことだった。
かつて幼い身でありながら人外を狩る者として生き、それ以外の全てを知らなかった咲夜に全てを教えた者。
家事、調理、礼儀作法、戦闘技能。
暖かなぬくもり 優しさ 安心 そして無償の愛と言うもの。
そしてそれらの全てを覚えた咲夜は美鈴の主人であるレミリア付きのメイドとなった。
それ以来美鈴と接する時間が減って、寂しいながらも仕方ない事だと割り切っていた。
でも、何時しか芽生えたむず痒い想い。
彼女のぬくもりを感じるたびに安心とともに募っていったそれは今も残っていて、今も募り続けている。
暇を見ては昼食に誘ったり、偶然を装って出くわしてみたり。
昔の様に甘える事こそできないがそれでも彼女は満足していたのだ。
変わらない美鈴の笑み。それを見る事が出来て満足だったのだ。
満足だった。
……だった。
「美鈴……」
呟く声は届かない。
なぜなら彼女は生きていない。
今は門扉の前でただ立ち尽くすだけの存在。
止まった世界の中で他の物と例外なく、存在するだけのオブジェになっていたからだ。
「美鈴……美鈴……」
それでも咲夜は美鈴に呼びかける。
それは普段は絶対に出さない、幼くて甘い声。
そのまま、咲夜は美鈴の頬へと手を伸ばす。
冷たい感触に構わずにそのままなぞりながら唇へ、顎へ、そして首筋へ。
そこにあるのは小さな噛み傷。
咲夜がそれを見つけたのはつい最近の事で、それがどういうものなのか理解するのは容易かった。
そして、いても立っても居られなくなった咲夜は美鈴の部屋へと忍びこんで……そして見たのだ。
(美鈴……ああ……)
揺れる枯れ枝と宝石の羽。
蜂蜜色の髪、姉と同じ何よりも紅い瞳。
蕩けるほどに妖しい表情で美鈴に覆いかぶさる少女。
主人の妹である幼い吸血鬼。
(……はぁ……おいしいの……もっともっと頂戴)
普段の無邪気な様子からは掛け離れたその姿に咲夜は言葉を失った。
そしてそれ以上に……。
(フラン……様……あぁ……わた……し……)
情欲を浮かべた美鈴を見て、咲夜は自分の中で何かががらがらと崩れていく音を聞いた。
がらがらと、がらがらと。
(こんにちは、小さな暗殺者さん。
今日から私があなたをばしばし教育するからね)
記憶に残る悪戯っぽい笑みも。
(良くできたから褒めてるのよ。
そんなに怯えなくてもいいじゃない?)
困った様な、でも微笑ましい様なその表情も。
(自信を持ちなさい、もう咲夜は一人前。
でも、どうしても駄目な時は遠慮なく頼っていいからね)
暖かくて優しいその頬笑みも。
(咲夜メイド長……え……そんな呼び方嫌だ?
ですが身分と言うものが……ああ……そんな顔しないで)
初めて見せたうろたえた様なその顔も。
(流石にもう呼び捨てはできないの。ならばそうね……咲夜さん。さん付けで妥協してほしいわ)
全部がらがらと崩れて……
(そんな不安そうな顔しないで。少し立場が変わるだけだから。
でも私はずっと変わらないから、貴方の知る紅美鈴のまま、だから安心してね)
がらがらと…がらがらと……
(咲夜!)
がらがらと……
少しの間だった。
フランドールが引き篭もりをやめて地下室から出てきてほんの少しの間。
それなのにどうしてあんな関係になっているのだろう。
初めは仲が良くなった位にしか思っていなかった。
別段疑問にも思わなかった。美鈴は小さな子供に好かれる雰囲気がある。
かつての自分にもそうしたように、地下室から出たばかりの幼い吸血鬼に色々教えているのだろうと。
微笑ましさすら覚えながら咲夜はそれを見守っていたのだ。
でも、それはしてはいけない事であったのだろうか?
むしろあの美鈴がフランドールとそのような関係になるなどとどうして予想できたろうか?
咲夜は茫然とそれを眺め、でも最後まで見て居られずに逃げるように部屋を出て。
その後の記憶はあいまいで、時だけは早く過ぎていく。
その中で何度も美鈴の部屋に忍びこんで、何度も血を吸われる美鈴を見ていた。
最初は美鈴が操られているのだと思った。
吸血鬼が持つ魅了の魔眼。フランドールがそれを行使しているのだと。
そうであれば美鈴を救い出すつもりであったと、そう自分に言い聞かせていた。
でも違った。
(欲しくなっちゃった)
(はい、妹さ……フラン様)
フランドールは必ず確認を取り、美鈴は一度として断らずに。
探ってみても魔術の流れ、術式の展開、それらを全く感じる事が出来なかった。
故にこれは美鈴の意志であると。
ああ、そしてかつて人外を狩るものであった咲夜は知っていたのだ。
吸血鬼に魅入られた者はもう助からないと。
魅入られ堕ちた者がどうなるかと言う事を。
「……美鈴……」
甘えた声。そのまま彼女の背に手をまわし身を寄せた。
半ば首元へと顔を埋める様に寄せ、そのまま……
小さな噛み傷を上書きする様に己の歯を突き立てた。
歯をかみしめるぎりぎりという音がする。
意味などない。
でもせずにはいられない。
ぎりぎりと、ぎりぎりと。
胸が張り裂けそうに苦しくて、全てを壊してしまいたいくらいに感情が荒れ狂っている。
今すぐにかの吸血鬼の胸に、銀の杭を突き立てにいきたい衝動をその行動によって抑える。
ぎりぎりとぎりぎりと。
まるで噛みちぎらんばかりに力を込めて。
ぎりぎりぎりぎりぎりぎりぎりと。
どれくらいそうしていたかは分からない。
止まった時の中では決して分からない。
やがて咲夜は口を離し少し後ろによろけてその場にへたり込む。
吐きだした荒い息に次いで涎が落ちる。
「美鈴……嘘つき」
そのまま美鈴を見上げて咲夜は呟いた。
「変わらないって言ったじゃない」
でも、このままではいずれ変わってしまう。
妖怪とて吸血鬼に堕ちる事を、過去の経験から咲夜は知っていたからだ。
穏やかな笑み、悪戯っぽい笑み。
暖かい表情。困った様な顔。
ああどうして思い出せない?
何時もならすぐに瞼に浮かぶのになぜ思い出せなくなった?
「……ああ……」
この荒れ狂う感情はどうすれば抑えられるだろう。
そもそもこの感情はいったい何だろうか?
美鈴が変わってしまうかもしれない恐れ?
美鈴が約束を破ってしまうかもしれない怒り?
あるいは美鈴を変えようとするフランドールへの憎しみ?
どれにも当てはまる様で違う気がする、でもどれも違う気がする。
この感情は、このどうしようもなく辛い感情は一体?
「助けて……苦しいの……」
そのまま咲夜は美鈴の足へと縋りついた。
「自分が分からないの、美鈴」
(自信を持ちなさい、もう咲夜は一人前。
でも、どうしても駄目な時は遠慮なく頼っていいからね)
どう助けを求めていいか、どう縋っていいのか分からない。
「ああ、ああ……」
美鈴の表情は硬い。
周囲を警戒しているからだろう。
昔はこの表情が苦手だった。
でも一緒に過ごすうちに様々な表情を見せてくれるようになって……
穏やかな笑み、悪戯っぽい笑み。
暖かい表情。困った様な顔。
思い出せない、何も浮かんでこない。
そして、代わりに浮かぶのは……
(フラン……様……あぁ……わた……し……)
「………ッ!」
初めて見る美鈴の表情。
あれは暖かく見守る家族のそれでは無くて……。
恐らくフランドールにだけ見せる表情で。
それはまごう事なく恋人の……
「そうか……ああそうか」
熱に浮かされたように咲夜は呟く。
「……いんだ」
先ほどまでの激情が嘘の様にまるで平坦のこもらない声。
「…悔しいんだ」
その声のまま、咲夜は続ける。
「美鈴が他の誰かの物になって、私は悔しいんだ」
ゆらりと咲夜が立ち上がる。
新たな、静けさと、焦燥が混ざった奇妙な表情を浮かべて。
ああ、かつては……
暇を見ては昼食に誘ったり、偶然を装って出くわしてみたり。
昔の様に甘える事こそできないがそれでも彼女は満足していたのだ。
変わらない美鈴の笑み。それを見る事が出来て満足だったのだ。
本当にそうか?
本当はあの優しい笑みや暖かさの先にある物を求めていたのではないか?
でも、それ以上に踏み出す事が出来なかっただけではないのか?
美鈴からしたら咲夜は娘。
無意識にそれを感じ取っていて、だから望みなどないと誤魔化して満足したふりをして。
でも、それをフランドールはあっさりと越えてしまって。
自分にもできたかもしれなかったのに。
行動すれば結果は変わっていたのかもしれなかったのに。
「でももう遅いのね?」
そしてかつて人外を狩るものであった咲夜は知っていたのだ。
吸血鬼に魅入られた者はもう助からないと。
魅入られ堕ちた者がどうなるかと言う事を。
「じゃあ、仕方ないわね」
咲夜が腕を伸ばすと、何時も間にやら銀製のナイフが握られていた。
時の止まった世界、全てが停止した世界。
本来ならばそのまま何もできない、何も変わらない。
現に先ほど美鈴へと歯を突き立てた首筋には何の跡も残っていない。
だが、咲夜が望めば、命すら魔力に変換し事象を歪めてしまえば。
「美鈴……」
止まった時の中でしか言えない言葉。
「愛してるから……だから……」
もう手遅れならば、自分の物にならないのならば。
咲夜が無造作に美鈴の首へとナイフを突き付ける。
「ずっと……」
その先に何を言ったのか誰にもわからない。
咲夜はそのナイフを何の躊躇もなく振り切って。
そして世界に色が戻り、幻想郷は今日も変わらぬ営みを刻み始めた。
「ん?」
美鈴はふと違和感を感じて首元に手を当てた。
なぞった指の先にあるのは小さな噛み傷のみ。
昨晩、フランドールに血を吸われた跡だ。
それ以外には何もない。
虫でもいたのかしらと一人呟いて。
そんな美鈴に影が差す。
「危なかったね」
唐突な言葉と共に降ってきたフランドールに美鈴は眉をひそめた。
「妹様」
「こんにちは美鈴」
「はいこんにちわ」
そのままフランドールは美鈴の横へと並ぶように立つ。
「危なかった、ですか?」
「ん、何でもない」
はぁ、と首を傾げる美鈴にフランドールは無邪気に笑みを浮かべた。
「それよりね、今日も欲しくなっちゃった」
「わかりました、今夜も部屋で待っていますね」
「うん」
ここ最近のいつものやりとり。
何時もとかわらない笑み。
でもその裏でフランドールは思うのだ。
危なかったと。
美鈴が殺されてしまうところだったと。
でも、保険を掛けておいて良かったと。
唇から美鈴へと自分の魔力を蓄積させておいて良かったと。
それはほんの少しずつ。美鈴にすら分からない様に。
それはマーキング。
自分の物である事を示す印。
獲物に危険が迫った時にすぐに察知できる印。
同時に防護の役目を負わせた印。
本当は咲夜が覗き見ていた事は実は気が付いていた。
でもあえて見せていたのだ。
どう対応していいのか分からなかった事もある。
でもそれ以上に、この人は私の物であると、そんな自己満足の為にあえてそのままにしていた。
だって咲夜はいつも途中でいなくなってしまうから。
フランドールと美鈴が吸血行為だけしかしていない事が、別に恋人ではない事に気が付かれてしまわないから。
ずっと勘違いさせたままでいさせることが出来るから。
なぜなら、咲夜が美鈴にどういう想いを抱いているのかが手に取るように分かっていたからだ。
しばしの後、咲夜の様子がどこか変わって行くのはすぐに分かった。
吸血鬼として生まれ持った洞察力。誰かの弱みを嗅ぎつける能力。
これが無ければ弱点だらけの吸血鬼など、すぐに狩られてしまうだろう。
姉も、咲夜の様子がおかしいのに気が付いていたがどうしていいか分からないようだった。
呑気に図書館の主に相談に行っている間に、咲夜はどんどんおかしくなっていく。
流石にこの状態になってフランドールはやり過ぎたと気が付いたのだ。
フランドール自身は恋敵である咲夜を嫌っていない。
むしろ好ましいとさえ思っているのだ。それをあそこまで弱らせてしまった事に少なからず後悔を覚えていた。
だが、時は遅く咲夜の心は随分と弱り最終的にどういう手段に出るか予想が付かない事がフランドールには気がかりであった。
だから保険を掛けておいたのだ。
咲夜の世界内で美鈴に何かされてしまったらいかに強大な力を持つフランドールとは言えどうしようもない。
だから保険。
美鈴に蓄積させた自身の魔力を介して一つの術式を美鈴に組み込んでおいた。
蓄積させた本当に僅かな魔力で発現できるもの。
美鈴の危機を察知して自動で発動できる咲夜に最も効果的な魔術。
それは……思い出の再生の魔術。
他愛ない初級中の初級魔術だ。
記憶に眠る過去の思い出を呼び覚ます魔術。
考えて、考えて。もし自分が咲夜だったら何が一番効果があるのかを考えて。
そして発動の軌跡を確認して、そして美鈴が生きている事を確認して。
おおよそではあるが時の止まった世界で何があったのかフランドールは理解していた。
「それじゃいくね」
「はい」
そのままフランドールは美鈴の横を飛び立って紅魔館へと戻って行く。
十六夜咲夜、紅魔館で唯一の人。いずれいなくなる存在。
そうだと、フランドールは思い出したのだ。
咲夜の事も好きであった事を。
だから謝ろうと思う。謝ってお詫びをしようと思う。
どういう風に咲夜に報いるべきかは事はすぐに浮かんだ。
うん、いい考えだと、フランドールは思った。
これなら咲夜も喜んでくれるだろう。
だって自分と対等の場所に立てるというのだから。
恋敵から自分が負っているハンデを全て無くしてしまえるのだからと。
そして皆でずっと一緒に居られる名案にフランドールは一人嬉しそうに笑った。
部屋のカーテンは閉め切られていて、静寂だけが辺りにある。
無気力に、虚ろな表情で咲夜はただベッドへと身を投げ出していた。
(咲夜!)
咲夜の中には美鈴の満面の笑みが浮かんでいる。
ナイフを振り切る瞬間に、不意に思い出した笑顔。
がらがら崩れて忘れてしまったはずの笑顔。
(咲夜!)
切っ先が逸れた。
美鈴の首を掻っ切るはずだったそれは無意識にあさっての方向へと向いて。
それから自分が何をしようとしていたか気が付いて。
悲鳴を上げてその場を逃げ出した。
「冷たい……」
体が冷たいと咲夜はおもう。
まるで光射さぬ闇の底に沈んでしまったみたいだとそう思った。
「まるで吸血鬼みたいね」
「ならば本当になってみる?」
不意に掛けられた声に、だがしかし動じることなく咲夜はのろのろとその顔を向けた。
にこにこと笑みを浮かべる悪魔の妹は咲夜へと再度問いかけた。
「本当になってみる?」
「……」
「私がしてあげるよ。そうすれば美鈴を私から奪えるかもしれないよ?」
ふらふらと咲夜がベッドから身を起こした。
それから焦点の定まらない瞳でなぜ?と、問いかける。
「まずは謝らないといけないの。
貴方が見ている事が分かって吸血行為をわざと見せつけていた」
咲夜からの反応はない。
「それで、貴方がどんどんおかしくなっていくことも知っていたの。
初めはそれでも良かったの。凄く優越感があったから」
私は性格悪いね、とフランドールは苦笑する。
「でも、思い出したの。私、咲夜の事も好きだった。
ううん、咲夜だけじゃなくてパチュリーも小悪魔も、お姉さまも、美鈴も」
それからこう紡いだ。
「だから、いつまでも一緒にいたいの。咲夜もそうでしょう?」
無邪気でいて、底知れぬ微笑み。
「大好きな美鈴に愛を囁いて欲しいのでしょう?」
「……」
こくん、と咲夜の喉が鳴った。
フランドールは笑みを深くする。
「馬鹿みたいね、美鈴を取り合う必要なんてなかった」
「……あ」
「競う必要もなかったの。答えは簡単。
二人一緒に愛してもらえばよかったの。永遠に……ね」
そのまま、フランドールは咲夜の頬へと手を当てて自分の元へと向かせる。
「老いて、醜くなって、愛されなくなる前に私達と一緒になろうよ」
「私は……」
「ねえ、十六夜咲夜」
紅い瞳が咲夜を覗き込んだ。
紅い、何よりも紅い。
まるで人の心を狂わせる満月の様な。
逆らい難い、全てを魅了する様な紅い瞳。
そして人間の口から発された言葉に吸血鬼が笑みを浮かべて。
静寂の中で幻想郷だけが変わらずに時を刻み過ぎ去っていく。
-終-
美鈴の強い意志のある限り、フラン+咲夜の波状攻撃でも大丈夫だと信じたいものだ
いずれはおぜうさまも参加して、めーりんハーレムに落ち着くような気もしますが。
おっかさんは大変だなぁ。
外伝でもシリアスだなんて嬉しい限りです
咲夜もフランもめーりんの娘みたいなもんなんだしまだチャンスあるさ本編でも
これから本編も読んできます