一、
ため息で寿命が縮むなら、私はとっくにミイラになっている。本日、三回目のため息。昼下がり。行きつけの喫茶店。
お気に入りのお店のお気に入りのハニーラテが販売中止になってしまった。ごめんね、と他の客に聞こえない程度に手を合わせて友達は言う。ここでちょっと小遣い稼ぎに雇われているらしくて、私が何度もここを通っているうちに、だんだんと仲良くなった子だ。
「ここ、天狗の子ぜんっぜん来ないからさー。まぁその分知り合いに会わなくて済むし、こっちが天狗だとびびって、めちゃくちゃな事言うお客さんいなくなるから良いっちゃ良いんだけどさー。ちょい寂しいじゃん? だからはたてちゃん来た時なんかほっとしてさー」
確かそんな事を言っていた気がする。その店は天狗の住む里からは、ちょっと離れていた。天狗よりも、河童とか秋の神様がよく来るらしい。
神様はよく知らないけど、河童はそこまで積極的に天狗を好いているわけではないから、自然と居住区は変わってくるだろう。それに河童は職人気質な奴が多いから、穏やかな自然が好きなのだ。
私もそうだ。ごちゃごちゃしたところは嫌い。ひともモノも情報も、集まれば全部うるさい。人生、そっと生きていくべきだ。
静かな場所を求めていたら、いつの間にか里から離れて、天狗の里より河童の里に近い山奥に住まいを構えるようになった。
それで、このお店を見つけたのだった。
正直、天狗からは一線引いておきたい私にとって彼女の存在はあまり好ましくなかったけど、【友達】のよしみでサービスしてくれる事もあるものだから、そうそう邪見にできなかった。
はたてちゃん、とちゃん付けで呼ばれるとムズ痒くてなんだかちょっと気持ちが悪い。そんな風に私を呼ぶのは天狗だけだ。
いや、違うな。
私の名前を呼ぶのが、天狗だけだから。「ねぇ」とか「おい」とか、その程度の扱いでいいのに。その程度の関係でいいのに。
ハニーラテの代わりの抹茶ラテを持って、お店の奥まった席に腰かける。
【友達】だからと安くしてくれた抹茶ラテは、抹茶のほのかな甘みが舌にざらついてしょうがなかった。
◆
ぱちぱちと、七輪が小気味良く音をたてる。秋刀魚の皮が、その音になびくように爆ぜては揺れた。
「最近あったかかったと思えば、すぐ寒くなるんだもん。こりゃ冬もすぐ来るね」
「そうだね」
「ここんとこ締切間近だったから、碌なもの食べてなくって。秋らしいものなんも食べてない事に気付いたわけ」
「へぇ」
「で、まずは秋刀魚を焼こうと」
「なるほどね」
「あんた聞いてないでしょ」
「聞いてる聞いてる。ただ、なんで私の家で焼くのかなって、そこが合点がいかなくて判断に困ってただけ」
「はたて、今日何食べた?」
「抹茶ラテ」
「それは飲んだって言うの。何も食べてないの、まさか?」
「食べたかもしれないけど記憶にない」
「昨日は」
「なんだっけなぁ。メロンパン齧った気がする」
「あんたは欠食児童か」
「私は勝手に食べてないだけ。食べたくても食べられない彼らに失礼よ」
「あぁそれはすみません……じゃねーよ」
文の自由っぷりは今に始まった事ではないけれど、だからと言って常に許し続けるわけにもいかない。
おいしそうだなぁ、とか普通思うかもしれないけど、私には七輪で秋刀魚が焼けていくそのままにしか見えない。
別に魚好きじゃないし。おなかすいてないし。
「あれなの、文の中で突撃隣の晩ご飯するのが流行ってんの?」
「あれは晩ご飯たかりに行くもんでしょ。作りに行ってあげるもんではないでしょ」
「じゃあ、押し倒し女房するのが流行りなの?」
「押し掛け女房でしょうが。そんな慎みのない肉食系女房は要らんわ」
わざわざ七輪まで持ってきてもらって悪い気もするけど、そこまでして私に秋刀魚を食べさせたいのだろうか。
そんなに珍しい秋刀魚なのだろうか。見る限りでは、普通の秋刀魚に見えるけど。
「ていうか、なんであんたの家にはガスコンロもないのよ」
「要らないから」
「食器もないし」
「要らないから」
「水は止められてるし」
「買えばいいから」
「電気だけは通ってるのに」
「ケータイ充電するから」
「あんたの優先順位面白いわ」
合理的な優先順位だと思うけど。
文は最初、炊飯器も電子レンジもない我が家に驚いたようだったけど、それで呆れて帰るかと期待していたのだけど、それからは家で炊いたご飯を持ってくるようになった。なんだか養われているような気持ちになるけど、私は一度も頼んじゃいないのだ。
文が勝手にやっている事なので、私はほっとく事にしている。
文には悪いとも申し訳ないとも思うし、何かお返しをしなければいけないなとも思うけど、だからと言って何をすればいいのか判らない。
私にできる事は、大概全部文もできる。文は器用なのだ。
一日でも文になれたら、きっと楽し過ぎて死んでしまうだろう。比喩じゃなく。あまりにも楽し過ぎて、自分の今までが如何に楽しくなかったかがはっきり判って、生きるのが嫌になってしまうに違いない。
別に、生涯の意義が悦楽だけにあるとは考えちゃいないけど。楽しくないよりは、楽しい方がきっといい。
「やばい、予想外の事態だわ」
「何? ゴキちゃんがいない事? この家食べ物のにおいしないから、虫とか一切出ないのよ。最高でしょ」
「いやまぁそれは結構魅力的だけど。ゴキにも見放されてるだけじゃん」
「じゃあ何。あ、生理始まったんだったらトイレの」
「せめて言い方変えよう」
「はい。女の子の日が始まったんならトイレの戸棚にトイレットペーパーの隣に置いてあります」
「それじゃないです」
「そうですか、ではなんですか」
「この家、割り箸も紙コップもない」
「むしろなんであると思ったの」
「あんた普段どこで何食べてんの?」
「ゴミ出るのやだから基本外食したり食べなかったり」
「だからこの家、ゴミ箱もないのか……もうやだこの子……」
「秋刀魚、いい具合に焼けてるっぽいから、ワイルドに手づかみで食べますか」
「嫌です取ってきます」
「マジか」
「はぁ……ほんと、この家にひとが住んでるなんて信じられないわ……」
文はそう言って、箸とコップを取りに帰ってしまった。
頼んでしてもらってる事ではないけれど、なんだか罪悪感が結構ある。うーん。
人間でもあるまいし、食べなきゃ死んでしまう種族ではないのだ。妖怪にとっては、三代欲求もただの娯楽に成り下がっている。食事なんて最たるものだ。
だから、食べたい時に食べたいものだけ食べたらいい。私は少し、食べたい時と食べたいものが少ないだけ。
なのに文は、私を人の子かのように心配して、気遣って、時々こうして食事をさせに来る。
まるで、まだちゃんと生きてるか確認してるみたいに。
あながち笑える冗談ではなく、なんだか実感をもってしみじみとそれが判ったので、どうしよう、どうしたら文に生きてるよって伝わるだろう、と真剣に考えた。
生きてるよ、だって死んでないもん。
あぁ、そうか。
だから文はちょくちょく来るのかもしれない。
私が気付いたら死体になってたりしないように。
二、
文とは長い付き合いになる。
私が今まで生きてきて最も長く時間を過ごしたひとを挙げるなら、間違いなく文だろう。
別に、いつもべたべたとくっついていたわけではない。私の過去の節々に、背景のようにひょっこりいたりするのだ。
学校にいた頃は、特に一緒だった。私達は時々しか顔を合わさないのに、亡霊のようにふたりはお互いの存在を背中に感じて過ごしていた。
天狗の子どもは皆、学校に入れられる。そこで天狗としての教養を、技術を、能力を、思想を、育てられる。少し意地悪な言い方をすれば、精巧な歯車のひとつになれるよう、みっちり教育されるのだ。
私の記憶は学校から始まる。学校は、私が産まれて初めて出逢った社会だった。
新しい事だらけで楽しかった。からっぽのスポンジになって、与えられるままにどんどん吸収する事だけを望まれて、そうなる事が楽しかった。
そうしていると私はいつの間にか有数の優等生になっていた。そして、同じく優等生の射命丸文と、よく比べられた。座学の試験で一番と二番を争う事もあったし、あるいは実技授業においてペアを組まされる事もあった。
私は文と比べられる事が嬉しかった。文がとても優秀だったからだ。私から見ても、文は幼くして十二分の才能を持っていた。彼女はすぐさま私を抜き去って、天狗の中でも本当に有能で素晴らしい逸材となるだろう、と私はすぐに判った。しかし、それを理解していたのは私だけだった。先生も、友達も、文でさえ。みんながみんなして私を買い被っていた。あるいは文を過小評価していた。
だからこそ私は誇らしかった。未だ私にしか理解できない才気溢れる文と、そんな存在と比べられる私。たとえそれが仮初でも、いずれはっきり分かたれる関係だとしても、少なくとも今だけは楽しめる。
今だけは、自分も優れているのだと錯覚しても許される。
私は、幸せだった。
そして、今の私も幸せだ。
文が幸せそうだから。
だから、私は不幸せだ。
幸せな文を不幸せにさせる存在が、私だからだ。
「もう。あんたはほっとくとすぐこういう自堕落な生活するんだから!」
「そのままほっといてくれたらいいのに……」
ぬすぬすと、毛布を頭まで被ってささやかな対抗を試みる。ここ最近は朝がとても冷える。安穏たるそこから飛び出すのは、かなりの忍耐と決意が必要なのだ。
てかなんで朝から家に来るわけ……。
「って、あれ?」
「起きろー起きろー」
「やめて毛布引っ張らないで寒い足の先寒いから馬鹿馬鹿引っ張んなめくんな馬鹿寒い馬鹿」
「自らの意志でそこから出るのと、ベッドごと風で吹き飛ばされるのどっちがいい?」
「出る出る、謹んで出させて頂きます」
と、言うか、ですよ。
「なんで朝から文がいるわけ? 戸締りは一応した気がするんだけど」
「一応とか気がするとか……防犯対策くらいちゃんとしなさいよ……」
「こんな家から何が盗れるの」
「あんたとか……」
「切り身にしてもおいしくないと思うけど」
「そういう意味じゃなく。はぁ。ほんとあんたって自分の事どうでもいいのね」
「質問を流さないで」
「鍵持ってるからだけど」
「いつの間にっ?!」
「結構前から」
「知らなかった」
「はぁ? 合い鍵作りたいから鍵貸してって言ったら渡してくれたの誰よ」
「え、私?」
「あんた以外に誰がいるの」
「マジかー。ごめ、覚えてない」
「やけにあっさり渡すと思ったけど、なんも考えてなかったのね」
「っつか、文が私んちの鍵なんで要るの?」
「はぁ?」
なんでそんな睨むんですか……なんか朝から凄い怒られてるし……怖いし……。
「いや、だって、うち、なんもないよ?」
「だからでしょ!」
「ごめんって、何キレてんの」
「別に」
何もないから来るってなんだよ。マゾか。新しいプレイか。なんだそれ。そんな事に私を巻き込んで欲しくないけど、私にとって損な事は何もないので黙って受け入れよう。
「なんか、最近しょっちゅう文見る気がする」
「しょっちゅうなもんですか」
「だって、こないだも秋刀魚食べたじゃん」
「あれ二週間前」
「ま、マジか……時の流れって残酷だね……」
私の体内時計狂い過ぎてヤバい。昨日とかおとついの事だと思ってた。
「道理で動く気しないわけだよ」
「なんで?」
「あれから何も口にしてないなと思って」
「はぁ?!」
「さ、サーセン……そんなキレなくてもいいじゃないッスかぁ……」
「あんた、この二週間何してたの」
「え、ざ、雑誌読んだり……ネイルしたり……寝たり……お風呂入ったり……髪巻いたり……寝たり……テキトーに念写したり……寝たり、寝たり、寝たり……」
「ほとんど寝て過ごしたわけね」
ここで凄まじいため息。こんなに深くて心底疲れてる感の凄いため息初めて見た。
「あーうん。あー。決めた。決めたわ」
「え、何を」
「はたて、今日からうちに泊まるように」
「えっ困ります」
「何が困るのよそんな生活で」
「文の生活リズムが狂うに決まってます」
「狂わせる気か。あんたが私に合わせればいい話でしょ」
「それはめんどいので。この家意外と居心地めっちゃいいんスよマジで」
「駄目。その居心地の良さであんた死んじゃう」
あんまりにも突拍子な事を真剣な顔して言うものだから、笑ってしまった。
「ちょっと食べないくらいで死ぬわけないじゃん。そりゃ私は弱いし頼りないかもしれないけどさ、これでも妖怪だよ?」
その時。
文は、恐ろしく冷たい目で私を見た。
あまりにも冷たいので、思わず言葉が引っ込んでしまった。
どうして。どうして文がそんな目をする必要があるの。
そんな、悲しむみたいな目。
「……、……だから死ぬんだよ、あんたは」
その目が、なんだか未来を知っているみたいで。
何も言えなくなって、そうして、――どうでもよくなった。
私が生きるにしても死ぬにしても、文には本来関係ない筈だ。それなのに文は、こんなにも悲しそうな目をしている。
文はとても優秀で、その上とても優しい子なのだ、本当は。仕事の為に、社会の為に働くのが好きで、どうしても個人よりそっちを優先させる嫌いがあるから、ひとには誤解されたりしているけれど。
私は知っている。私だけが知っている。
昔からそうだ。誰も知らない文の事を、私は一番理解できる。ウソじゃない。
だって、あの時の予感も当たったじゃないか。文は今、天狗としての立場もあって、実力もあって、顔も広くて、非の打ち所なんかない。私は、どうだろう? あの時の予感そのまま、私と文ははっきりと、誰が見ても判るように分かたれたじゃないか。
だから、そんな文が、今更私を気にかける必要なんてない筈なのだ。私はとっくに終わっている。終わった生き物だ。ピリオドがついた文章、エンドマークのついた物語、フィーネのついた楽譜と同じ。
でも、そんな私を、文が気まぐれにでも傍に置きたいと思うなら。
私に断れる大層な理由などある筈がないのだから。
どうでもいいや。
「んー、じゃあ、用意する」
「手伝う」
「いいよ、すぐ終わるから」
ばいばい、私んち。そのうち帰ってくると思うけど。
私の荷物は、小さめのキャリーケースひとつで充分事足りた。必要なものなんて、実際はとても少ない。
ごちゃごちゃするのは嫌い。ひともモノも情報も、集まれば全部うるさい。人生、そっと生きてそっと死ぬべきだ。
◆
文との奇妙な同居生活が始まろうとしている。
流石にもう「文が勝手にやっている事だから」の免罪符で何もしないわけにもいかず、言われるままに色んな事を手伝っている。
文の家は全体的に散らかっているので、その片付けが私の最初の仕事だった。
「あんたの家って、生活臭ゼロだったけどその割にはものが多くて、変に秩序があったから」
だそうだが。好きなものを好きなように配置したらああなっただけで、特別何も考えていなかったので、片付けには非常に苦労した。私がいいと思っても、文がそう思わなければ意味がない。しかし文は別の作業をしてしまって、全然口を利いてくれないので、私はひとりで四苦八苦しなければならなかった。
家に来たのが昼過ぎなのに、もう夕暮れだった。なんだか久しぶりに活動らしい活動をしたのと、久しぶりに夕日を見たのとで、窓からぼーっと外を眺めていた。
「やればできんじゃん」
文はまとめたゴミ袋を私に差し出しながら言った。
はいはい、出しに行けって事ね。
「ものの配置を考えるのは好きだよ」
結局、写真を撮るという事もそういう事だと思う。
定められた枠の中で、すべてを平らかに等しく、無価値に無分別に無理解に、一枚の紙にしてしまう。そこに意味はなく、ただ整然とした造形と配置の美しさだけが残る。
だから撮影は、実は恣意性のある暴力的な行為なんじゃないかな、とか思ったり。思いながら、やめないけど。
指定の場にゴミ袋をどさどさと放り投げる。
同じような袋は小さな山になって煩雑に積まれている。
あぁ、誰かがこの辺で生活してるんだなぁ、と、当たり前にも程がある事をしみじみと感じた。
「ぎゃっ」
足元を、何かの虫が過ぎ去って行った。家でこんなものは見なかったから、ちょっと泣きそうになった。
虫ってグロすぎない? なんであいつらあんなグロい顔して怖いのに世界掌握してないのか理解できない。あいつらなら天狗にも、大妖怪にも勝てそうな気がする。私なら負ける。
そうだ、虫も出るんだ。なんだか気の滅入る発見だった。虫が住んでいるという事は、栄養があるという事。栄養があるという事は、誰かがそこで生きているという事だ。
ゴキにも見放されてるだけじゃん。
なるほど、あの言葉はかなり的を射た言葉だったのか。
あの家は、生のにおいがしないのだろう。
あの家というか、私か。
だから死ぬんだよ、と言われた。あれはその場の出まかせでも、咄嗟の言葉ではなく、まごう事なく文の本心だったんだ。目がそう言っていた。
しかし、何故私は死ぬんだろう?
まだ死ぬような歳ではないと思うし、確かにちょこっと不摂生はしてるけど、死ぬ程劣悪な環境で生きているとも思わない。病気をしているわけでもないし、むしろ子どもの頃から身体は丈夫な方で……。
いやもうどうでもよくなってきたわ。ゴミ出したしさっさと帰ろう。
久しぶりに、ちょっとだけおなかがすいたような気がした。
こういうのも悪くない。
夕日が沈んでゆく。じわじわと、オレンジにネイビーが混じる。綺麗だ、と思った。久しぶりだった。
久しぶりな事がたくさんある。
ポケットからケータイを取り出して、夕日をカメラに収めた。見直す事もないような気がするけど、満足だった。
こういうのは、念写してるだけじゃ味わえない気分だ。ふむ。文の新聞の得体のしれない魅力の理由はここにあるのかもしれない。気持ちの投影ってやつか。
私が知らないだけで、綺麗なものも珍しいものも、そこらじゅうに溢れている。私が知らないままでも、私がいないままでも、そういうものは変わらずそこにある。
世界はうまくできているなぁ、と感動した。
私ひとりいようがいまいが、ちゃんと正しく回っていけるのだから。
三、
「これは驚いたな。文さんの家に君がいるなんて」
「じゃあもっと驚いた顔してよ」
「失礼。こういう顔でね」
「つまんなーい」
今日の来訪者は、椛だった。
文の家には来訪者が多い。とても多い。そう文に言ったら、そうでもないよ、私は出向くばっかでむしろ少ない方、と返された。
これで少ない方だとしたら、私は来訪者が少ないランキングでぶっちぎりの一位を取れると思う。取っても嬉しかねぇよ。
椛は、床に転がって雑誌を読んでいる私をしげしげと見つめながら、鞄から取り出した分厚い文書を手渡した。なんかの資料だろうか。
文はそれを読みながら、奥の部屋へ行ってしまう。奥は、記事を書く部屋らしい。
「全く、もう嫌ですよ、こんな事」
「御苦労、御苦労。ご褒美にはたてを好きに使っていいよ」
「えっなんか知らないうちに身売りされたっ」
「はぁ。なら、少し話し相手にでもなってもらおうかな」
椛は文に対しては敬語を使うのに、何故か私には普通に喋る。文との関係は上下関係って感じで、私とは友達関係って感じがするにしても、なんかこの扱いの差は舐められてる感が凄い。
「なになに、文の悪口大会でもする?」
「してもいいけど、はたて今日ご飯抜きにするからねー」
「うそうそッ、文以外の悪口大会しよう」
文はそれっきり、完全に部屋にすっ込んでしまった。
「悪口大会に変更はないんだな」
「えー、椛の悪口大会にする?」
「誰が好き好んで自分への悪口を聞くというんだ」
「えっとねー、喋り方が堅苦しいところー。私にへこへこしてくんないところー。ご飯の食べ方が汚いところー。シュミがサイアクなところー」
「勝手に始まってるし。しかもなんだ最後、趣味が最悪って」
「だって椛、グロ画像好きじゃん?」
「その言い方には語弊があるな。不得手ではないというだけだ」
「そんな事言って、ひとりでこそこそグロ画像見てにやにやしてんでしょー?」
「君は一体私にどんな属性をつけたいんだ……」
折角椛が来たので、私はお茶を淹れる事にした。玉露は勝手に使うと怒られるから、安物の葉っぱにした。
「いいのか?」
「何が?」
「いや、文さんに許可を取らなくて」
「えー、取んなきゃ駄目? 玉露じゃないから怒らないよ」
「そうか。ますます驚いたよ」
「全然驚いてる顔じゃない」
「こういう顔だ」
ポットからお湯を注ぐと、ポットがすっからかんになってしまった。水を入れて、電源を入れる。
私の家にそんなものはないので最初はまごついたけど、今ではすっかりお茶を淹れるのは私の仕事である。
いいように使われてるって言うな。判ってるよ馬鹿。
椛に湯飲みを渡して、私は椛に向かい合うようにして、枕代わりに折り畳んでた座布団の上に座った。
「文さんは、滅多な事ではひとを家に入れない」
「入ってんじゃん」
「今日は滅多な事があったからさ。普段は玄関で門前払いだよ。こっちだって用がなけりゃこんなとこ来ないのに」
「椛も苦労してんだねぇ」
「全くだ。そこに来ると、君はどうやってこの家に上がり込んだ?」
「私は普通にしてたつもりなんだけど。文が見かねて、あんたこのままじゃ死んじゃうからって」
「どこか悪いのか? そうは見えないが」
「全然。だから私にも判んないの。でも、文は優しいから毎日楽しいよ」
へぇ、と椛の意外そうな顔。
「ますます理解不能だ。あのひとが優しいなんてね」
「え、そう?」
「おおよそ私の持つイメージには及びもつかないな」
首をかしげた。
まぁでも、私しか判ってない事なんだろう、そのうち椛も判るだろう、と納得しておいた。
「自分の領分を侵されるのを何より忌み嫌うあのひとが、ひとを家に招くなんてね」
「そんなに意外な事?」
「まぁね。君がよっぽど自堕落な生活をしていたのか、それとも……」
椛は含みがちに言葉を溜めたまま、私からすっと視線を逸らした。
「……、いや。君がよっぽど自堕落な生活をしていたんだろう。どうせ食事も取らずに寝てばかりいたんじゃないか?」
「げっ、なんで判るの」
「君と少し仲良くなれば判る。君は、なんていうか、そうだな。あんまり妖怪っぽくないんだ」
「マジ? そんな事初めて言われたんだけど」
「少なくとも私から見ればな。君は天人に似ている」
「えっなんか凄い! 超かっこいいじゃんそれ」
「真面目に話すの馬鹿らしくなってきたな……」
「あっ、これもしかして私の悪口大会始まってた系?」
「別にそのつもりはなかったけどね。さて、私の用事は済んだ。お暇させてもらうよ」
「そう? またおいで」
「君の家じゃないだろう」
「勝手知ったるなんとやらよ」
そうか、とだけ返事をして。椛はそっと私を見て、立ち上がった。
「はたて。早く、君のしたい事が見つかるといいな」
「え、そんなの今あるよ。椛にはたてさんってさん付けさせる事」
「はは、それは失礼した。では私はこれで。文さんによろしく、はたてさん」
椛と少し入れ違いになって、奥の部屋から文がさっきの分厚い文書の一枚を持って歩いてきた。
「あれ。馬鹿犬帰ったの?」
「うん、今さっき」
「はー。タイミング悪ぅ」
「椛にさ、天人みたいって言われちった。かっこいい? かっこいい?」
文はなんだか、嫌そうな顔をした。結構露骨に。
あれ、かっこよくない?
「要らん事ばっか言っていくな、あの犬。今度殺そう」
不穏な言葉は聞かなかった事にします。
椛の前でキツいから優しくないとか言われるんだ。絶対そうだ。
「文さー。もっとみんなの前で柔らかくなったらいいのに。私と一緒だとゆるゆるなのにさー、なんでそういう怖い感じになっちゃうの? 勿体ないよ」
文は、ため息だけついて、何も言うべき言葉なんかない、みたいな態度だった。
「要らないから、そういうの」
とてもそっけなく言われて、ちょっとしゅんとする。文からそんな言い方をされるのは、椛だったらいつもかもしれないけど、私はあまりない事だった。
文はため息と共に、メモを一枚渡してきた。買い出しのリストだ。この材料だと、今日は鍋になりそうだ。
「じゃあ、いってきます」
「あのさぁ、」
気だるげな文の声が背中を覆った。なんだかその声は、少し、困っているようにも聞こえた。
「出て行きたかったら、勝手に出て行っていいから」
――はぁ?
◆
私にとって名前とは、気付いたら持ってるものじゃなくて、ひとからちゃんともらうものだった。
私がそこに連れられた頃、丁度それは春の終わりで、そこの庭には綺麗なズミが咲いていたらしい。そのズミは私が来る少し前に別のところからその園に寄贈されたもので、私がやって来た時、その園で初めて花を見せたのだった。
だから、そのズミと一緒にやって来た子、という意味で、姫海棠という苗字をもらった。
天狗は身内に甘く、同じ種族というだけでベタ甘なのだから、そこに血の繋がりでもあれば、その甘さはサッカリンも超える。
だから、家族のいない子どもというのは、ほとんどお目にかかる機会がない。私はその珍しい子だった。
気が付いたらとっくに独りだったし、周りのおとなは私を憐れんでいたく可愛がってくれたから、それをつらいと思った事はなかったし、何不自由なく暮らしてこれた。
私は、ひとから与えてもらう為の色んな努力を知っていた。家族というものが私にはない事を、不便には思わなかったがよく理解していたので、折角だからその差異を最大限に利用しなければ、と考えていた。
ひとから憐れんでもらう方法も、同情してもらえる方法も、優しくしてもらう方法も、甘える方法も、それらを無自覚に注がれる子ども達を尻目に、幾らでも手にしていった。
わたしはある意味で、周りのどんな子ども達より賢かった。一歩前に進んでいた。そしてそれをよく自覚していて、なおかつそれを自覚していないふりをした。その方が可愛げがあるからだ。
子どもはみんな私を好いてくれた。家族のいない珍しい子を、みんなして構ってくれた。絶対に仲間はずれにしなかった。子どもは構いたがりで、同情したがりなのだ。
私はそれをきちんと理解して、とても嬉しく思いながら、彼らの同情に甘えた。
そうして私は、射命丸文に出逢ったのだ。
四、
買い物の帰り道。
「あ、れ」
お気に入りの喫茶店は、なくなっていた。
取り潰されて、どうやら次の店が入る準備をしているようだった。
もうあの店のハニーラテはもう飲めない。そんな事は前行った時に判っていた。
でも、もうあの店の、あの子には会えないのだ。
あの子。
あの子って誰だ? 名前は?
そんな事も思い出せないんだ、私は。私をはたてちゃんと呼んでくれて、私を友達と呼んでくれて、行く度に安くサービスしてくれたあの子の名前も、私はもう知らない。そんな事さえ、覚えてない。
次行けば会えると思っていた。最後の会話はたぶん、「またね」だ。もう【また】は来ない。来ても、私は彼女の名前も覚えていない。
こんな風にひととひとは離れていく。本当にどうでもいいキッカケで、急にぱたんと途切れてしまう。
椛の言葉を思い出す。
――君は天人に似ている。
文の言葉を思い出した。
――だから死ぬんだよ。
あぁ、そうか。
私、こんな風に死んでいくんだ。
つまんない、一生だったなぁ……。
五、
わけも判らず、泣いていた。
どこへ行ったらいいか判らなくて、行きたいところがひとつあって、行きたくないところがいっぱいあって、行きたいところへ辿り着けなくて、なんだか悲しくなってしまった。
でもあまりにもみっともないから、少しだけ泣いて、諦める事にした。
諦めて、家に帰ろう。私んち。すぐ帰ると思ってたけど、一ヶ月も空けちゃってた家。
そう思ったのは、もう夕日が沈んでたっぷり経った頃だった。私は買い出しの荷物だけ持って、行く宛もなく、正確には行く宛を探して、ふらふらしていた。
帰ろう。帰ってどうって事もないけど。
文になんて言おう。ごめんねって言わなきゃ。一ヶ月も無理させてごめん、本当にありがとうって、言わなきゃいけない。でも、いつ言おう? 会いたくない。一生会いたくない。このまま死んでしまいたい。文になんか、一生会いたくない。
だから椛に会いたい。私を天人みたいだと言った、文とあんまり仲良くない椛なら、話を聞いてくれると思った。
でも家が判らない。椛って、どこに住んでるんだろう。行った記憶はあるのに、全然思い出せない。
「はたてか? こんな時間にどうした」
椛の声が聞こえた時は、また泣きそうになった。
◆
「文さんと喧嘩したのか?」
首を横に振った。
違う。文には私が迷惑をかけたのだ。私の知らないところで、文はいっぱい我慢したのだ。私の為に。
椛は私を部屋の居間に通して、座るよう言った。言われるまま座布団の上に座り込んだ。
「椛、私の事、天人みたいだって言ったよね。あれって、私が、何にも興味を持たないからだよね」
「何にも、というと語弊があるが……確かに方向は同じだ。君はたくさんのものから興味を失っている。それも少し、常軌を逸している。死んでないから生きているとでも言いたげな生き方だ。そんな風では、とても危ない。私の言っている意味が判るね」
椛の声は優しかった。私は首を縦に振った。
「妖怪は、精神を拠り所にしてこの世に定着している。我々天狗も同じだ。だから誰でも大なり小なり、何かに縋って生きている。いや、縋る、という言い方はよくないか」
「何かに祈りながら、生きている」
私は、私が終わっていると思っていた。ピリオドがついた文章、エンドマークのついた物語、フィーネのついた楽譜。それらと同列だと。
そんな事を考えている時点で、私は妖怪として死に始めていたのだ。過去にも現在にも未来にも、どこにも続きがないのなら、ないと諦めていたのなら、どうしようもない。
そのままただ、思いに従って沈んでいくだけだ。ゆっくり、じわじわと。確実に。
「君は衰弱していた。君は気付かなかったかもしれないけどね。傍目から見れば歴然だった。食欲を失くし、時間間隔を失っている。記憶もあやふやだ。君の精神が前進する事を諦めたからだよ。停滞を選んだ。どうして?」
どうして。
どうしてって、そんなの、理由はひとつしかない。でも、こんな事を理由にしたくないのに。
「文が、いたから……」
文がいたから、私は要らない。
文がいれば、全部綺麗に収まる。
文は頂点が相応しい。私のような、そんな比較対象は要らない。
一番最初は、面白くない、だった。
文に対する最初の感情だ。文はなんでもひとよりうまくできたし、明るくて、みんなの中心になれる性格で、いつもちやほやされていた。たぶん、私は羨ましかったのだろう。
私は一生懸命頑張っておとなからちやほやされる術を手に入れたのに、彼女はなんでも始めから持っていた。
でも、そのうち私は悟った。彼女は私よりずっと優れている。今は誰も気付いていなくとも、いずれ私など視界にも入らないくらいに有能な天狗になる。
それを受け入れるのは凄く難しかったけど、受け入れたあとは楽だった。
射命丸文は、私なのだと思った。
完成された私。私がなりたかった私。私はなれないけど、彼女がきっとなってくれる、そんな私。
そう思うと、私は無理に頑張る必要がなくなった。なれない自分になろうとストレスを感じる事もなくなった。私は生きづらくならないようそれなりに立ち回っておけば、あとは彼女がうまくやってくれる。
ちゃんと家族がいて、生まれながら苗字があって、才能があって、それを活かす場を持っていて、将来が確約されている存在。過去も現在も未来も、どこを取っても文句ない存在。
私がなれなくて、なりたかった自分。産まれる前からやり直さなきゃ、どうにもならない事ばっかり。
「私、劣等感で生きてただけだった。認めたくなくて、賢いふりしてた。文の事も全部判った気でいてた。私、ただ、勝手に諦めて、勝手に文に夢押し付けてただけだった……」
だから終わってるんだ、私は。
ないものねだりばっかりして、ひとに自分の責任も夢も押し付けて自己満足してるだけ。そんな存在に、未来なんかある筈ないし、要らない。
みんなが持ってるものを持ってないのが恥ずかしくて、仲間はずれにされた気分になって、いじけて、そんなものなくたって私は生きていけるって、臆病の裏返しにふんぞり返って、そんな自分を認めたくなかった。
寂しいよって、言いたくなかった。
でも寂しい。
なんで私にはお父さんもお母さんもいないの。お兄ちゃんに意地悪されて困る話がしたい。お姉ちゃんのお古の服を着せられて嫌がる話がしたい。弟が我儘なのに親からは我慢しなさいって言われるのが面白くないって言いたい。妹が自分の真似ばかりして鬱陶しいって言いたい。
あんなに嫌そうに言うのに、それなのに、あんな風に楽しそうに話してみたい!
なんで私から奪っていくのよ。あんたには家族も友達もあるのに、才能まであるなんておかしい。あんたの幸せ、ちょっとでも分けてよ。私の気持ちなんか判らないでしょ。
みんなから同情されるのを嬉しいと思った事ある? みんなから可哀相だと思われるのを喜ばしい事だと思った事ある?
あんたみたいな幸せな奴に、私みたいな、幸せじゃない事を幸せだと思わなきゃ生きていけない奴の気持ちなんか判らないでしょ、射命丸!
「文の事、ムカついて、ムカついて、あんな奴死ねばいいって思うのに、なのに……なの、に、」
おまえなんて嫌いだって、大声で言いたかった。
でも言えなかった。試験の点数をどきどきしながら言えるのも、本気で勝ちたいと思うのも、勝って死ぬ程嬉しいのも、負けても心からおめでとうって言えるのも、ペアを組まされて一番わくわくするのも、名前を呼ばれると一番嬉しいのも、全部文だった。
大好きだった。
今でも好きだ。昔から、ずっと、好きで好きでしょうがない。
だって、文が私の一番の友達だったから。本当の、友達だったから。
大好きだ、今でも。ずっと!
「文が、好きなの……!」
そこからは、声にならなかった。ずっとずっと昔から押し込めていたものがどろどろ溶け出して、言葉の体を成していなかった。
言葉と一緒に出てくる涙を止められなくて、吐き出すみたいに泣いた。全然可愛くない泣き方だった。
椛は、ため息をついた。
私じゃない、隣の部屋に繋がる襖を見つめて、
「だそうですよ、文さん」
心臓止まるかと思った。
ていうか五秒くらい止まった。
「え、ぢょっ、と、椛、文いるとか聞いてない、ぐず、んだけどぉ!」
「聞かれなかったから言わなかったまでだ」
「ざっけんな犬!」
思わず暴言が。
「いや、おかしいと思わなかったのか? なんで私が君の衰弱の詳細を知ってるんだよ、はたてさん」
……、……、……そうだ、死のう。
「死のう」
「いやいやいや早まるな、どうせ死ぬんだ君は」
「あぁ、そう言えばそうだった」
しかし、文がいつまで経っても出て来ないわけだが?
「ほんとにいるの? 私の事びびらす為に言ってない?」
「ほらこんな事言われてますよ、文さん」
その声に応じたように、襖がずず、と動いた。
「あ、あぁぁ、マジでいやがるぅ……」
ちょっ、もう私今すぐ死のうよ。こんな恥ずかしいとこ見られたっていうか今までの人生の恥部をさらけ出したようなもんだよこれ。
そうだ死のう。どうせ死ぬんだし今死のう。もういいや言いたい事言ったし死のう。
「や、なんか、こういう時どういう顔したらいいか判んないんだけど」
文が困ったような顔で、出てきた。出ちゃった。
「いや、私のがもっと判んないです」
「判んない以前にもう相当凄い泣き顔だから大丈夫」
「それ大丈夫って言わないの知ってた?」
「知らないごめん」
「いいよ、間違いは誰にでもあるから」
「何を茶番繰り広げてるんだよ」
椛の視線が痛い。
「はー。私の家だと言うのに当人そっちのけだよ。場所を変えてくれないか? 文さんの家に帰ったらどうです。どうせ、文さん晩ご飯まだでしょ」
「えーあー、うーん。はたて、歩ける? つか、外出れる?」
「出れない」
今凄い顔してるぞ私。だってもう泣き過ぎて目元超痛いもん。しぱしぱしてきたもん。
「んーでも、私、この椛のにやついた顔見てると殺したくなってくるからやっぱ帰ろう」
不穏な単語は聞かなかった事にします。
「えっと、なんかよく状況飲み込めてないけど、色々ありがとう、椛……」
「いやいや気にするな。それに、今の君は全然天人に似ても似つかないから、安心してるよ」
「え」
「もういい早く帰ろう、はたて」
ぐいぐいと、文に引っ張られて帰る事になった。
外はもう夜中だった。風が痛い。涙の跡に当たって、またひんやりと頬を刺していった。
「何がどうなってんのか判んない……」
「あー、えーと。なんか、なんとなく、はたてが出て行くんだろーなーと思って。それで、あの犬ッコロの千里眼であんたを追跡させて。んでまぁ、私は様子を見ようと思って犬の家に隠れてて、偶然を装って犬があんたに声かけた」
「は?」
「いやまぁ、うん。悪かったとちょっとだけ思ってる」
「は?」
「メンゴ」
「死ねぇぇぇぇぇ今すぐ死んでくれよぉぉぉぉぉメンゴとか古いんだよぉぉぉちゃんとごめんなさいって言えよぉぉぉぉ!」
「ごめんなさい」
あらやけに素直。許す。
沈黙。沈黙。沈黙。沈黙沈黙沈黙。
無言が痛い。
「あ、あのさ、文」
「うん」
「なんか、色々気遣わせてごめんなさい」
「何が?」
「いや、ほら、家に来いって言ったの、私がヤバかったからだよね。ひと家に入れんの嫌なのに、なんか長い事ごめんね」
家に帰ろう。私の家。明日からは、もうちょっと食欲が湧く気がする。しなければ、無理にでも食べよう。時計を買おう。いつでも腕に付けて、時間をちゃんと把握していよう。忘れちゃいけない事はメモに書いて壁に貼っておけばいい。
死にたくないとか、そういうのじゃない。
ただ、ここまでしてもらって、私本人が何もしないでころっと死んだら、それこそ文がしてくれた事が全部なんの意味もない事になってしまう。
「もう少しだけ、頑張ってみる」
私は私なりに誠意を篭めて言ったのだが、文から凄い睨まれた。
え、なんで? 誠意足りない? 指とか詰めた方がいいの?
「ほんっ……っとに、なんも判ってない」
ついでに舌打ちまでされた。どうしよう、指十本しかないけど、全部詰めたら許してくれるのかな? あ、足も入れたら二十本あるじゃん。私あったまいいー。
「あのさぁ、」
「は、はいぃ」
「私が、嫌いな奴を家に入れると思ってんの」
「そ、それは椛さんに仰った方がよいのではないでしょうか……」
「あのねぇ!」
「はいすみません!」
条件反射で謝ってしまう怖さ。言っとくけど文のマジギレ顔、死ぬ程怖いからな。たぶんその辺の妖精だったら木端微塵になってるし、河童とかだったら漏らしてるからな。
謝ってるだけで直立できてる私凄いからな。
「……、はぁ……なんかもう、いいや……」
何か呆れられた模様。
「まぁ、あんたが出て行くのは勝手だけど、別にあんたさえ良ければ帰ってきてもいいし、私がご飯作りに行ってもいいし、うちにご飯だけ食べに来てもいいから……」
「え、あぁ、はい、ありがとうございます」
なんかよく判らんけど文が優しいのでこれ以上怒らせないようにします、はい。
「あ、でもさ、文」
「何……」
「今日の買い出し、ふたり分あるよね」
「あるね」
「じゃあさー、明日帰るから、今日は文んちでご飯食べてってもいい?」
怒られるかな、と思って精一杯の媚び売り笑顔を浮かべてみたのだが、文はため息をつくだけだった。
「や、だって、文のご飯おいしいから! 正直毎日食べたいと思わないでもないよ!」
「こういう事言うんだもんなーこいつー……殺してやりたいわー……」
「もうちょっと待ったら衰弱死するからあとちょっとだけその殺意抑えて」
「はぁ? 衰弱死なんかさせるわけないでしょ」
「えっなにそれこわい」
「そういう意味じゃなくてー……もういいわ、ほんともういい……今日死ぬ程おいしいご飯作るから」
「マジでー! 超楽しみー!」
「はぁ……」
もうちょっとだけ、頑張って生きてみたいな、なんて。
思ったり思わなかったりです。
なんかところどころよく判んないけど、一件落着したからよしとする!
六、
「だからなんで私がこういう時に呼ばれるんだよ……」
「フレッフレー、も、み、じー!」
「運べよ家主」
「はいすみません」
やっぱり椛は私をちょっと舐めているよね。おかしいよね。私が敬語使うってちょっとヘンテコだよね。
新しく買った家具やら生活用品がどさどさと部屋に運び込まれていく。
生きるって大変だ。こんなに必要なものがある。
「あー、椛、それはそこじゃない。あっちのリビングに置いて」
「文さんも運ぶの手伝って下さいよ! そもそもあんたらの問題でしょうが!」
「あ? 今誰に向かってもの言ったの?」
「あなたがたの問題でしょうに……」
「でも椛が一枚噛んでるのも事実。ハイ、つべこべ言わずに働く働く」
「もうやだこんな縦社会……」
椛よ、強く生きて。私も頑張るから。
「文ー私おなかすいたー」
「はえぇよ。さっき朝ご飯食べたでしょ」
「なんか最近、すっごいすくの。おなかペコペコなのヤバい」
「はぁ。じゃあ犬ッコロはほっといてお昼ご飯作ろうか」
「はぁ?! ちょっと文さん、これ全部私ひとりで運べと?!」
「働け働けー」
「椛、強く生きて」
「君もちょっとは手伝えよ、家主!」
「腹が減っては戦はできぬー。おなかいっぱいになったら手伝うね」
「もうやだ、ほんとやだ、もうやだ……」
縦社会の悲しみを垣間見ている気がする。
「何作ろうかな」
「秋刀魚焼こうよ、秋刀魚」
「あんた前嫌そうだったじゃん」
「今は食べたい気分なの」
「ふぅん。今から焼くのめんどいけど……まぁいいか」
「文、最近優しいよね。なんで?」
「おまえは一生判んなくていいですもう……」
最近文がちょっと不機嫌になりやすいのもなんで? まぁ、今は気にしないでおこう。
「ねぇねぇ、文」
「今度は何」
「名前呼んでよ」
「はぁ?」
「名前」
「はたて」
「はい、なんでしょう」
「なんもないけど……」
「そうですか!」
「何これ……」
「いいのいいの、これからはもうちょっと積極的に呼んでね。私、あんたとかおまえっていう名前じゃないから」
「へいへい」
やっぱり、呼ばれて一番嬉しいのは、文だしねぇ。
<了>
砂糖吐いて死ねる。
コンプレックスのせいもあるんでしょうが、最後の雰囲気からは単に鈍感なだけかなぁとも。
でも、楽しそうだししばらくははたても死にそうにないし、これはこれでいいのかもしれません。
あやはた!あやはた!
このはたてが好き、というのとも違うのに、このはたては自分の中に強烈にねじ込んでくる何かがある。
あやはた
良いお話を読ませていただきました。
あと一年位したらはたてが消滅してそう
くうぅ~! もうっ!もうっ! 相変わらずですなあっ!
もちろん椛も良かったです。頑張れ椛!
もっていって満点
はたてちゃんはいつ好意に気付くのか
あ、でも椛がガチで精神的にやられそうなので、その点だけは改善を要求します!
いや、もうしたも同然か
椛……強く生きろよ
一万年と二千年前から――
この二人の関係はいいね
三人ともキャラが立っていて、尚且つ妙に生々しくて好きです。
勝手な希望ですが続編待ってます
会話文が長くて描写が少ないのにテンポの良さで引きこんでくる。
反則だと思いました。いいぞ、もっとやれ!
ステキな天狗社会
それはともかく、哀れな椛に幸多からんことを願います。
はたてさん鈍いにもほどがありますよ……
あとはたてのモノローグが時々すごく面白い
ところで、
恣意性のある暴力的な行為
ってらへんところ、そそわじゃないどこかで見た記憶があるけど、思い出せない。
何処だったかなあ…
椛はほんと強く生きろ
何だかんだで、気の合う三人だなー
グレイトでした。
名前を呼ばると一番嬉しいのも
呼ば「れ」ると
椛がんばれ
面白かったです。
長々書くのもアレなので一言
素晴らしい作品でした、ありがとう。
一番良い距離間が出ているように思います。
二人の距離間の目安になる椛の存在もとても良かったです。
本当におもしろかったです。
三人とも愛しい
永遠にあれ天然のはたてちゃん