※若干のオリキャラ成分があります。苦手な方はご注意下さい。
幻想郷の東の山奥に位置する博霊神社。そこの一室で霊夢はお茶を啜っていた。
ちゃぶ台を挟んだ向かい側には魔理沙が床にごろんと仰向けに寝転がっていた。
部屋の戸は大きく開け放たれていて、そこから時折心地よい風が入ってくる。
真夏の時期を過ぎたとはいえ、まだまだ残暑は厳しく、何かをしようという気力が沸いてこない。
しかし、もし気力があったとしても特にする事などなかった。
何もする事がないからこそ何をするでもなく集まってダラダラしているのが日課のようなものだった。
「毎度お馴染み文々。新聞でーす!」
境内に聞き覚えのある声が響いた。
それから少し遅れて部屋に新聞が投げ込まれ、目の前でパサッと音を立て着地する。
「定期購読はしないって言ってるでしょー」
文に向かって文句を言うが、既にこの場を離れているかもしれない。
「号外ですよ号外ー、今回も新鮮な記事ばかりですよ」
どうやら文はまだ外にいたようで、返事が返ってきた。
「定期発行より多い号外ってのもどうなのよ」
今度は外には聞こえない程度の声で不満を漏らす。
「それでは、記事に興味を持ちましたら、定期購読の方もよろしくお願いしますね!」
そう言って飛んでいったのだろう。文によって巻き起こされた風が部屋の中に吹き込んできて、戸をガタガタと揺らした。
新聞を開いて見ると物々しい見出しの記事がいくつも並んでいるが、特に興味を惹くような話題は見当たらない。
「どうだ、なんか面白い記事はあったか?」
いつの間にか魔理沙が横から新聞を覗きこんでいた。
よっぽど暇だったのか、新聞を見るその表情は嬉しそうだ。
「人里で自殺未遂が多発!心中の可能性も……なんか物騒な記事だな」
霊夢はそんな内容の記事を見た覚えはなかった。
少しその内容が気にかかったので、再度新聞に目を這わせ魔理沙が読んだ記事を探す。
それは右下の目立たない位置にあった。
どうやらここ二日間ほどの間に里の人間が三人ほど自殺を試みたようだ。
たまたま通りかかった者に助けられたり、うまく死に切れず倒れていた所を発見されたりと、三人とも命を落とさなかったのは奇跡のようなものだったらしい。
幻想郷に自ら命を絶つ者がいないわけではない、しかしそれでもとても珍しい事だった。
少なくとも霊夢は暮らしている間にそんな話を聞いたことは一度もなかった。単に耳に入っていなかっただけかもしれないが。
幻想郷は理想郷ではない。当然辛い事情を抱えてる人もいるだろうという事はわかっている。
しかし、それでも霊夢は何か釈然としなかった。
博霊神社の巫女として、以前に一人の人間として幻想郷に愛着があるからこそ、幻想郷に自ら命を絶ちたいと思うほど苦しんでいる人がいるという事実は、目の前に突きつけられると受け入れがたいものがあった。
「自殺なんて、私には理解できないわね」
嫌な物を見てしまった。霊夢は新聞を閉じて雑に机に放り投げる。
「同感だな、嫌な気分にさせられたぜ、文の奴ももっと面白い事を記事にするべきだ」
どうやら魔理沙も似たような事を感じているようだった。
「ん、そうだ、新聞の記事で思い出したんだが、色々と必要な物を買いに人里に行こうと思ってたんだ、霊夢もどうだ?」
「そうね、私も食材とか買い足したいし、行こうかしら」
ちょっとした気分転換にもなるかもしれない、そう思い霊夢は神社を後にした。
──────────
霊夢は魔理沙と共に人里へ向かっていた。
神社から人里までは長い山道を抜ける必要があるため、歩くには困難だった。しかし、それも空を飛んでいれば関係ない。
上空から見下ろす地上の景色は心地良かった。
生い茂る木々によって一面が鮮やかな緑に彩られ、そこに一筋流れた川の水面が日の光を反射して輝いている。
風が吹く度に森がざわざわと合唱するのも耳に馴染んだ。
そうしてしばらく空中遊泳しながら地上の景色を楽しんでいると、霊夢は川べりに立つ人影を見つけた。
こんな山奥で人が何を、と思い霊夢はその人物をまじまじと観察してみる。
遠くからでよくは見えないが、その人物は着の身着のままで、何か山に用事があるようにも思えなかった。
川をじっと見つめ、その場から動く様子はない。
浅瀬からは離れており、既に膝上あたりまでが水に浸かっている。
更に違和感を覚えしばらく飛びながら観察を続けていると……何の前触れもなくその人物は川へと倒れこんだ。
大きな白い飛沫の後に、川にゆっくりと波紋が幾重に広がる。
霊夢はしばらくその光景を眺めていたが、その人物がどれだけ経っても川から上がってくる様子はない。
霊夢は異常事態に気付き、急いで川へ向かって高度を下げた。
「お、おい!急にどうしたんだよ霊夢」
後方から魔理沙の声が聞こえた。
それを無視して、更に霊夢は速度を上げる。
そして、勢いを緩めることなく川へと飛び込んだ。
視界が泡で一瞬濁る。深さはあるが、さほど水流は強くなかった。
水中を見回すと、7~8mほど下流の方に、先程上空から見えてたであろう人物を発見した。
水を吸って重くなった衣服に引っ張られながら、泳いで身を寄せると、その人物を抱き抱え、岸へと連れていった。
霊夢は改めてその人物を見て、自分とさほど年齢が変らない少女であると気付く。
身長も同程度、肩に毛の先が触れる程の長さの綺麗な栗色の髪に、鼻や唇は小ぶりで可愛らしく、人好きのする顔立ちだった。
今は水を飲んでしまったのか、気を失っており、目を開く様子はない。
「その子は、人里の子か?」
魔理沙が少女を覗きこんで言った。
「ええ、たぶんね」
「川で溺れていたところを、発見して助けたと」
「そうなんだけど、自分から飛び込んだようにも見えたのよね」
「自分から?それはどういう……」
会話をしていると、少女の瞼が微かに動いた。
霊夢は手の平で軽く少女の頬を叩き、呼びかける。
「大丈夫?意識はあるかしら?」
声が聞こえたようで、少女は瞼を重そうに持ち上げ、黒目をキョロキョロとさせた後、上半身を起こした。
少し苦しそうに咳き込んでから、息を整え、口を開く。
「助けて……くれたんですか?」
「まぁね、上から溺れてたのが見えたから」
「ありがとうございます……」
少女は伏し目がちに言う。
面持ちは暗く、命が助かったというのに安堵したような表情は見られなかった。
「一体なんだってこんなとこに一人でいたんだ?」
魔理沙が手先で箒をくるくる回しながら言う。
「それは…………」
少女は顔を下げ、口を噤んでしまう。
そんな態度の理由を霊夢は感付いてはいたが、それを聞くのは躊躇われた。
聞いたところで、他人である自分がどうすればいいのか……。
とはいえ見て見ぬ振りをするわけにもいかなかった。
「…………勘違いだったら悪いんだけど、どうも足を踏み外して落ちました、って感じには見えなかったのよね」
「…………」
少女は黙ったままだ。
「まさかとは思うけど、自分から川に飛び込んだ……ってことは?」
またも霊夢の問いかけに返答はなかった。
俯いたまま少女は地面を見つめている。
髪を伝って毛先から水滴がポタポタと垂れていた。
「答えたくないならいいわ。変なこと聞いて悪かったわね……体は大丈夫かしら」
「…………死のうと思って」
少女が喉から声を絞り出した。
川のせせらぎにかき消されてしまいそうなほどの声だった。
「なんだぁ?最近人里では自殺が流行ってるのか?」
魔理沙は不快そうに眉を顰めて言った。
「私達に出来ることがあるかわからないけど、何か力になれることがあるなら協力するわよ?」
もちろん死を決意するほど思い詰めた状況で、他人がしてやれることなどさほどないことはわかっていた。
異変解決は生業だが、人間の悩み解決などほとんどしたことはない。
「いえ……いいです」
霊夢は無意識に拳を強く握っていた。
この状況で何もすることが出来ない自分への憤り、命を絶とうとした少女への苛立ち、様々な思いが入り交じり、怒りともつかない感情が霊夢を沸かせていた。
「もういい、好きにするといいわ。自殺でも何でもしなさい」
そう、ごちゃごちゃと考えるのは性に合わないのだ、霊夢は思う。
「お、おい霊夢何を……」
魔理沙の表情が引きつる。
「その代わり、次に死にたくなったらまず私のとこに来なさい。私が直々に殺してやるわ!」
「へ?」
少女がやっと顔を上げた。呆気に取られ目を見開いている。
「せっかくだからうちの神社で過労死するまで働かせてあげる。途中でもし気が変わったら、ずっといなさい。もちろん働いてもらうけど、三食と寝床ぐらいは保障するわ」
「もしかして……あなたってあの博麗神社の巫女さんなんですか?」
「そうだけど、何よ?」
「ふふふ……」
それは初めて見る少女の笑顔だった。
ぎこちなく笑うその表情は、先程よりも少女を幼く感じさせた。
「ごめんなさい、あの神社の巫女さんといったらもっと厳格な人を想像していたから」
少女は申し訳なさそうに、口元を手で隠した。
「何よそれ、でもまぁ、まだ笑えるってことは大丈夫そうね」
「嫌な事があったら逃げ出せばいいんだよ。私だって親に勘当されて一人で暮らしてるが、それなりに楽しく生きてるぜ」
魔理沙は少女の肩を右手で数回叩いて言う。
「ありがとうございます……少しですけど、元気が出たような気がします」
そう言ってまた少女は微妙に口元を上げた。
「さて、私達は人里に行く途中なんだけど、そこまで送ってこうかしら?また川に飛び込まれても困るしね」
霊夢が言う。
「いえ、一人で帰れます…………少し一人になりたいんです」
「……わかったわ。でも、また変なこと考えたりしないでよね」
「大丈夫です……もうちょっとだけ頑張ってみることにしましたから」
少女は立ち上がり、地面を濡らしながら、重そうな足取りで歩き始める。
「本当に辛くなったら私のところに来なさいよ!もし来ないで勝手に死のうとしたら殺すからね!」
遠ざかる少女の背中に向かって霊夢は叫ぶ。
少女は思い止まってくれたようだが、根本的な問題は何も解決してあげることはできなかった。
自分のしたことはその場凌ぎに過ぎないのではないか、そんな思いが渦巻く。
「きっと大丈夫だろ。少なくとも、助けてくれる人間がいるってことはわかってくれたさ」
気持ちを察してくれたのか、そんな言葉を魔理沙がかけてくれた。
──────────
「そろそろ私達も行こうかしら。飛んでれば服も乾くでしょ」
霊夢は水をたっぷりと含んだ袖を絞った。
あまりここで考え込んでいても意味はない。さっさと目的を済ませてしまおう。
「いや……私は行かない」
魔理沙は首を横に振った。
「どうしたのよ急に。まぁ、あんな事があったんじゃ気が削がれるのもわかるけど」
気分転換に出たつもりが、逆に気が重くなってしまった。それは魔理沙も同じなのだろう。
「私はもう帰る……」
そう言って魔理沙は箒を水平に構え、跨った。
「ちょ、ちょっと気持ちはわかるけど、人里への用事はいいの?」
「私は死ななきゃいけないんだ……」
「え?」
霊夢は一瞬魔理沙の言った事がわからなかった。
死ぬ、と魔理沙は言ったように思えたが、何かタチの悪い冗談だろうか。
「私は戻って首を吊る……じゃあな」
どうやら先程の言葉は聞き間違いではなかったようだ。霊夢は怒りが込み上げてくるのを感じた。
あんな場面に出くわした直後だというのに、なぜこうも無神経な事が言えるのだろうか。
本人はフザケているつもりなのかもしれないが、全く笑えるものではない。
「魔理沙!冗談にしても度が過ぎてるわよ!」
箒に乗り、飛び立とうとする魔理沙の肩を掴み、霊夢は怒鳴った。
「うるさい、私は死ぬんだ……邪魔をしないでくれ」
そう言って魔理沙は霊夢の手を払おうとした。
その行動に霊夢は更に腹を立て、魔理沙の肩を掴んでいた右腕を勢い良く引き寄せる。
急に引っ張られたことで魔理沙はバランスを崩し、箒から落ちて地面へ背中から倒れこんだ。
篭った鈍い音が鳴り、軽く砂埃が巻き上がる。
「いててて……いきなり何すんだよ霊夢!」
「あんたがフザけたことぬかすからでしょ!」
「は?何のことだ?」
魔理沙は首を傾げる。
「惚けてんじゃないわよ!言ったじゃない、死ぬ、とか首を吊る、とか!よくもそんなこと言えたもんね!」
「何言ってんだよ、言いがかりもほどほどにしてくれ」
「あんた…!!」
霊夢は、知らばっくれる魔理沙に我慢できず掴みかかる。
それと同時に、聞き覚えのある声を聞いた。
「それは縊鬼の仕業だね」
声の方向に顔を向けると、目に入ってきたのは小町の姿だった。
先程まで近くに気配など感じられなかったが、例の能力を使ったのだろうか。
小町は肩に鎌をかけ、ニヤついた顔でこちらへと歩いて来る。
「小町、どうしてここに?その“いつき”ってのは何のことなの」
霊夢が尋ねる。
「ちょっと仕事でね。縊鬼ってのは人に取り憑き、自殺をさせる妖怪だよ」
小町は得意げに言う。
「自殺させる……?それって……」
「魔理沙に取り憑いていたのが、たぶんそうだろうね」
霊夢が言い終わる前に小町が答えた。
「霊夢、状況がよくわらかんが、とりあえず一旦手を離してくれ、話はそれからだ」
魔理沙に言われ、霊夢は魔理沙の服を掴んでいた手を開いた。
そして、改めて小町に聞く。
「つまり、その縊鬼てのが魔理沙に取り憑いて自殺させようとしてたってこと?一体どんな妖怪なの」
「冥界には一定の人口が定められていてね。この人口を常に保たなければいけないため、死者が転生して冥界を去ろうにも、自分に代わる後任の死者が入らなければ転生の許可が下りない。
そこで、現世の人間に取り憑き、自殺させることで自分の代替にするというわけ」
「もっとも、それは遥か昔の話。今はそんな人口は定められていないし、現世の人間を死に陥れるようなことがあれば、確実に地獄行きだね。縊鬼は今じゃ存在しないはずの妖怪なのさ」
小町は肩をすくめる。
「存在しないって、じゃあ何でその妖怪が出てきたんだよ」
魔理沙が尋ねた。
「いや、まぁそれはねぇ、不可抗力というかなんというか」
小町は目を逸らして答える。
「何よ、ハッキリしないわね。なんか理由があるんでしょ?」
煮え切らない態度をとる小町を霊夢は睨んだ。
「その……参ったもんでね、霊にも話半分しか聞かない奴もいてさ……」
視線を逸らしたまま、小町は顔を指先で軽く掻いた。
「小町、あんたまさか……」
「確かに縊鬼の話はしたよ。でもちゃんと説明したんだ。今はそんな事しても無駄だってね。ただ話を途中までしか耳に入れないで逃げ出す頭悪い霊もいるんだこれが……」
バツが悪そうに小町は笑う。
「まったく……お喋りが好きなのはいいけど、程々にしなさいよ」
霊夢は呆れて溜息を吐いた。
「また上司に叱られるんじゃないの?」
「だから、知られる前に退治しにきたんだよ」
小町はあっけらかんと答える。
「ちょっと待て、じゃぁさっきの女の子もその縊鬼とかいう奴の仕業だったんじゃないか?」
魔理沙が言った。
「あれ、さっきも自殺しようとした人がいたのかい?なら、その人から魔理沙に縊鬼が乗り移った可能性が高いね」
小町は先程の少女の件は目撃していなかったようだ。
霊夢は少しほっとして、今度は安堵の溜息をつく。
その縊鬼とかいう妖怪の仕業ならば、あの少女は本当に死ぬ程思いつめていたわけではない。
妖怪さえ退治していまえば二度とあんなバカなマネをすることはないのだ。
「しかし、一般人から犠牲が出るとなると、ちょっとマズイね。もちろん霊夢達も退治するの手伝ってくれるだろ?」
小町が当然のように言う。
「勝手に決めないでよ。何で小町の尻ぬぐいを私達がしなきゃいけないわけ?」
「今はまだ力が弱いから死に至った人はいないようだけど、このままほっとくと本当に死者を出しかねないよ。それでもいいのかねぇ?博麗の巫女さん」
「わかった。わかったわよ協力する。それでいいんでしょ」
霊夢は観念して言った。
思えば今朝新聞でみた事件もこの妖怪が起こしたものだったのだろう。
さすがにこのまま自殺者が出るのは黙って見過ごすわけにもいかない。
霊夢は今日三度目の溜息を吐いた。
──────────
「どうだ。これで完璧だろ!」
魔理沙は腰に手を当て胸を張って言った。
「完璧って……ねぇ」
霊夢が呆れて言う。
霊夢の前には大きな樹木あった。
根は一本一本が太く、大地を掴む巨大な手のように根付いている。
上を見上げると、緑々しい葉達が空を遮り、木の頂を覗くことはできない。
どっしりとした幹から別れて多くの枝が伸びており、その中でも一際丈夫そうな物の一つに、きつく編みこまれた稲藁の縄が結びつけてつけてあった。
縄は重力に身を任せて下へと垂れ下がり、地上から約2m弱ほどの位置で半径30cmほどの輪を形成している。
そこから更に下を見ると、地面に人が丁度一人乗れる程の、高さ50~60cmほどの階段状の木の台が置いてあった。
つまりは、首吊り用の自殺セットといったところだ。
「そこらの人間を死なすよりも、自殺しようとしている人間に取り憑くほうが手間も省ける。
つまり自殺しようとしている人間がいれば縊鬼は自然と寄ってくるということだ!
これぞ名付けて、自殺すると見せかけて縊鬼を誘き寄せ退治してしまおう作戦!!!」
魔理沙は高らかに声を張り上げる。
「なげぇよ……」
霊夢が呟く。
「いやーナイスアイディアじゃないか。これで退治したも同然だね!」
小町は声を出して笑った。
どこまで本気で言っているのかはわからない。
ただ状況を楽しんでいるようにも見えた。
「じゃぁ、さっそく霊夢。よろしく」
魔理沙が親指を立て、木を指し示す。
「え、何で私なのよ」
霊夢は驚いて言う。
「そりゃぁ私はもう1回取り憑かれてるしな。残る人間は霊夢しかいないし」
「災難だわ……」
霊夢は渋々、木の台を上り、縄の輪と向き合った。
とりあえず輪の両側を両手で掴んでみる。
しかし、本当に死ぬわけではないので、そこから先はどうすればいいのかわからない。
縄を掴んだままその場に立ち尽くす。
「っあーダメだね。ぜんっぜんダメ。死のうって気持ちが全然伝わってこないな!」
魔理沙が喧しく囃し立てる。
「はぁ……」
霊夢は少し振り返り、横目で魔理沙を睨む。
「何だその目は!本当に死ぬ気があるのか!?」
そう言って怒鳴る魔理沙の目元は笑っていた。
完全に他人事として面白がっているようだ。
「ないっての……」
霊夢はもう反論する気も起きなかった。
「もっとほら、これから死ぬ!って雰囲気を出さないとね」
ついに小町まで茶々を入れ始める。
「しょうがないなぁ。まずは私に続いて言ってみろ。死にたい!」
魔理沙が言い出す。
「え……?」
霊夢は眉間に皺を寄せた。
「ほら続けて言うんだよ。死にたい!」
「死にたい……」
霊夢は嫌々声を出す。
「伝わらない!それじゃ伝わらないよ!もっと心から死にたいと願って!さぁ、死にたい!!」
魔理沙が捲し立てる。
「死にたい」
「もっと元気よくー、死にたい!!」
「死にたい!!」
霊夢はもはや抵抗するのを諦め、半ばヤケクソになって叫んだ。
「いいねー!声が出てきたよ。もっと言葉に気持ちを乗せてー。死にたい!」
魔理沙はノリノリで、当初の目的を完全に忘れているようだ。
「死にたい!!」
霊夢も魔理沙に続き声を張り上げる。
「ワンモアー!死にたい!!めっちゃ死にたい!」
「死にたい!!めっちゃ死にたい!!」
「死にたい……」
「死にたい!!!」
「私は……死ぬ……」
「私は!死……ん?」
魔理沙の声のトーンが急に沈んだことで霊夢は違和感を感じた。
「私は……首を吊って死ぬんだ……そこをどけ、霊夢」
魔理沙は突然そう言い、木の台に上がり、霊夢の背中を手で押した。
押された霊夢は前のめりになり、危うく頭から落下するという寸前で、足の踏ん張りをきかせ、なんとか地面へと飛び降りた。
着地してから若干遅れて、足にジンとした痛みが広がる。
「どうやら、また憑かれたみたいだねぇ」
小町が言う。
「魔理沙、またあんたなの……」
霊夢は呆れながら言った。
魔理沙を見ると既に縄に手をかけ、輪の中に頭を入れていた。
「っと、このままじゃマズイね……」
いつの間にか小町は魔理沙の背後に移動していた。
足を離そうとする魔理沙の両脇から腕を回し、体を拘束した後に台から引きずり降ろす。
「今だ霊夢!ちゃっちゃと退治しちゃってくれ!」
小町に呼びかけられ、霊夢は懐に手を入れた。
懐から護符を掴み、取り出すと、抑えられている魔理沙の額に貼り付ける。
貼りつけられた護符は辺りに青白い閃光を放ち、一瞬霊夢の目をくらませた。
霊夢が視界を取り戻すと、既に護符は消滅しており、魔理沙の背後から薄暗い影のようなものが立ち上り、空気に溶けていくのが見えた。
無事、縊鬼とやらを退治するのには成功したようだ。
「あたたた……なんかちょっと前にも同じ目に合った気がするんだが」
気付いた魔理沙は額をさすりながら言った。
「どう?正気に戻ったかしら?」
霊夢が魔理沙に聞く。
「あ?何のことだ?…………ってもしかして、また、なのか?」
魔理沙は今起こった出来事を理解したようで、首を上げ空を仰いだ。
「まぁまぁ、こうして無事解決できたんだからよかったよ。二人ともご苦労さん」
そう言って小町は微笑む。
「ったく今日は疲れたな。もう帰って休むとしようぜ、霊夢」
魔理沙が大きく伸びをした。
「一件落着したことだし、あたいも仕事に戻るとするかね」
「あ、ちょっと待って小町」
その場から離れようとする小町を霊夢は呼び止めた。
「縊鬼って妖怪について一つ聞きたいことがあるんだけど…………」
──────────
霊夢は縁側に座り、微かな秋の気配を運んでくる風に当たり、涼んでいた。
妖怪を退治してから、2週間以上が経ったが、今のところ人里で自殺者が出たという話はない。
それでも霊夢の気分晴れなかった。
霊夢はあの時小町が言った言葉を思い出す。
「人の間では縊鬼は水死者の霊とされ、これに取り憑かれた者は、川に飛び込んで自殺したくなるもの。と言われていたりもするね。
だけどこれも一説に過ぎなくて、人に取り憑き、首を括らせる霊と定義されていたりもする。
亡者が生まれ変わるには他者に自分と同じ死に方をさせることが条件で、縊鬼もそれに準じている、なんてのもあるかな。
でも一つだけ確実に言えることがあるよ。縊鬼は一通りの方法でしか人を殺さない。」
「さっきの縊鬼は魔理沙に首を吊らせようとしていた。そしてそれをあたい達が退治した。
つまり、霊夢が出会った女の子が首吊り以外の方法で死のうとしていたなら、それは縊鬼の仕業ではないだろうね」
少女は川へ飛び込もうとしていた。
それは妖怪によるものではなく、自らの意思で行っていたことを意味していた。
霊夢は少女のことを思い返したせいで、より一層気分が重くなる。
ふと、ガランガランと大きな鈴の音が鳴り響いてきた。
誰かが神社に参拝しにきているようだった。
霊夢は参拝客とは珍しい、と思い、来客の顔を拝んでやろうと腰を上げ境内へと出て行く。
「あ!ここの巫女さんですか?実はここの神社はご利益があるって聞いて来たんですけど」
参拝客は霊夢の顔を見て嬉しそうに言う。
「そう、ところで何のお願いをしたの?」
霊夢が聞いた。
「私のお願いですか?それは…………長生きです!」
少女は満面の笑顔で答えた。
その顔にもう以前のような迷いは見られなかった。
結局自分は何もしてやることができなかったな、霊夢は思う。
自らの命を捨てようとしたのが彼女の弱さなら、それを克服したのもまた彼女自身の強さだろう。
少女につられ、思わず霊夢の表情も綻んだ。
「叶うわよ、あなたが生きたいと願う限りはね」
幻想郷の東の山奥に位置する博霊神社。そこの一室で霊夢はお茶を啜っていた。
ちゃぶ台を挟んだ向かい側には魔理沙が床にごろんと仰向けに寝転がっていた。
部屋の戸は大きく開け放たれていて、そこから時折心地よい風が入ってくる。
真夏の時期を過ぎたとはいえ、まだまだ残暑は厳しく、何かをしようという気力が沸いてこない。
しかし、もし気力があったとしても特にする事などなかった。
何もする事がないからこそ何をするでもなく集まってダラダラしているのが日課のようなものだった。
「毎度お馴染み文々。新聞でーす!」
境内に聞き覚えのある声が響いた。
それから少し遅れて部屋に新聞が投げ込まれ、目の前でパサッと音を立て着地する。
「定期購読はしないって言ってるでしょー」
文に向かって文句を言うが、既にこの場を離れているかもしれない。
「号外ですよ号外ー、今回も新鮮な記事ばかりですよ」
どうやら文はまだ外にいたようで、返事が返ってきた。
「定期発行より多い号外ってのもどうなのよ」
今度は外には聞こえない程度の声で不満を漏らす。
「それでは、記事に興味を持ちましたら、定期購読の方もよろしくお願いしますね!」
そう言って飛んでいったのだろう。文によって巻き起こされた風が部屋の中に吹き込んできて、戸をガタガタと揺らした。
新聞を開いて見ると物々しい見出しの記事がいくつも並んでいるが、特に興味を惹くような話題は見当たらない。
「どうだ、なんか面白い記事はあったか?」
いつの間にか魔理沙が横から新聞を覗きこんでいた。
よっぽど暇だったのか、新聞を見るその表情は嬉しそうだ。
「人里で自殺未遂が多発!心中の可能性も……なんか物騒な記事だな」
霊夢はそんな内容の記事を見た覚えはなかった。
少しその内容が気にかかったので、再度新聞に目を這わせ魔理沙が読んだ記事を探す。
それは右下の目立たない位置にあった。
どうやらここ二日間ほどの間に里の人間が三人ほど自殺を試みたようだ。
たまたま通りかかった者に助けられたり、うまく死に切れず倒れていた所を発見されたりと、三人とも命を落とさなかったのは奇跡のようなものだったらしい。
幻想郷に自ら命を絶つ者がいないわけではない、しかしそれでもとても珍しい事だった。
少なくとも霊夢は暮らしている間にそんな話を聞いたことは一度もなかった。単に耳に入っていなかっただけかもしれないが。
幻想郷は理想郷ではない。当然辛い事情を抱えてる人もいるだろうという事はわかっている。
しかし、それでも霊夢は何か釈然としなかった。
博霊神社の巫女として、以前に一人の人間として幻想郷に愛着があるからこそ、幻想郷に自ら命を絶ちたいと思うほど苦しんでいる人がいるという事実は、目の前に突きつけられると受け入れがたいものがあった。
「自殺なんて、私には理解できないわね」
嫌な物を見てしまった。霊夢は新聞を閉じて雑に机に放り投げる。
「同感だな、嫌な気分にさせられたぜ、文の奴ももっと面白い事を記事にするべきだ」
どうやら魔理沙も似たような事を感じているようだった。
「ん、そうだ、新聞の記事で思い出したんだが、色々と必要な物を買いに人里に行こうと思ってたんだ、霊夢もどうだ?」
「そうね、私も食材とか買い足したいし、行こうかしら」
ちょっとした気分転換にもなるかもしれない、そう思い霊夢は神社を後にした。
──────────
霊夢は魔理沙と共に人里へ向かっていた。
神社から人里までは長い山道を抜ける必要があるため、歩くには困難だった。しかし、それも空を飛んでいれば関係ない。
上空から見下ろす地上の景色は心地良かった。
生い茂る木々によって一面が鮮やかな緑に彩られ、そこに一筋流れた川の水面が日の光を反射して輝いている。
風が吹く度に森がざわざわと合唱するのも耳に馴染んだ。
そうしてしばらく空中遊泳しながら地上の景色を楽しんでいると、霊夢は川べりに立つ人影を見つけた。
こんな山奥で人が何を、と思い霊夢はその人物をまじまじと観察してみる。
遠くからでよくは見えないが、その人物は着の身着のままで、何か山に用事があるようにも思えなかった。
川をじっと見つめ、その場から動く様子はない。
浅瀬からは離れており、既に膝上あたりまでが水に浸かっている。
更に違和感を覚えしばらく飛びながら観察を続けていると……何の前触れもなくその人物は川へと倒れこんだ。
大きな白い飛沫の後に、川にゆっくりと波紋が幾重に広がる。
霊夢はしばらくその光景を眺めていたが、その人物がどれだけ経っても川から上がってくる様子はない。
霊夢は異常事態に気付き、急いで川へ向かって高度を下げた。
「お、おい!急にどうしたんだよ霊夢」
後方から魔理沙の声が聞こえた。
それを無視して、更に霊夢は速度を上げる。
そして、勢いを緩めることなく川へと飛び込んだ。
視界が泡で一瞬濁る。深さはあるが、さほど水流は強くなかった。
水中を見回すと、7~8mほど下流の方に、先程上空から見えてたであろう人物を発見した。
水を吸って重くなった衣服に引っ張られながら、泳いで身を寄せると、その人物を抱き抱え、岸へと連れていった。
霊夢は改めてその人物を見て、自分とさほど年齢が変らない少女であると気付く。
身長も同程度、肩に毛の先が触れる程の長さの綺麗な栗色の髪に、鼻や唇は小ぶりで可愛らしく、人好きのする顔立ちだった。
今は水を飲んでしまったのか、気を失っており、目を開く様子はない。
「その子は、人里の子か?」
魔理沙が少女を覗きこんで言った。
「ええ、たぶんね」
「川で溺れていたところを、発見して助けたと」
「そうなんだけど、自分から飛び込んだようにも見えたのよね」
「自分から?それはどういう……」
会話をしていると、少女の瞼が微かに動いた。
霊夢は手の平で軽く少女の頬を叩き、呼びかける。
「大丈夫?意識はあるかしら?」
声が聞こえたようで、少女は瞼を重そうに持ち上げ、黒目をキョロキョロとさせた後、上半身を起こした。
少し苦しそうに咳き込んでから、息を整え、口を開く。
「助けて……くれたんですか?」
「まぁね、上から溺れてたのが見えたから」
「ありがとうございます……」
少女は伏し目がちに言う。
面持ちは暗く、命が助かったというのに安堵したような表情は見られなかった。
「一体なんだってこんなとこに一人でいたんだ?」
魔理沙が手先で箒をくるくる回しながら言う。
「それは…………」
少女は顔を下げ、口を噤んでしまう。
そんな態度の理由を霊夢は感付いてはいたが、それを聞くのは躊躇われた。
聞いたところで、他人である自分がどうすればいいのか……。
とはいえ見て見ぬ振りをするわけにもいかなかった。
「…………勘違いだったら悪いんだけど、どうも足を踏み外して落ちました、って感じには見えなかったのよね」
「…………」
少女は黙ったままだ。
「まさかとは思うけど、自分から川に飛び込んだ……ってことは?」
またも霊夢の問いかけに返答はなかった。
俯いたまま少女は地面を見つめている。
髪を伝って毛先から水滴がポタポタと垂れていた。
「答えたくないならいいわ。変なこと聞いて悪かったわね……体は大丈夫かしら」
「…………死のうと思って」
少女が喉から声を絞り出した。
川のせせらぎにかき消されてしまいそうなほどの声だった。
「なんだぁ?最近人里では自殺が流行ってるのか?」
魔理沙は不快そうに眉を顰めて言った。
「私達に出来ることがあるかわからないけど、何か力になれることがあるなら協力するわよ?」
もちろん死を決意するほど思い詰めた状況で、他人がしてやれることなどさほどないことはわかっていた。
異変解決は生業だが、人間の悩み解決などほとんどしたことはない。
「いえ……いいです」
霊夢は無意識に拳を強く握っていた。
この状況で何もすることが出来ない自分への憤り、命を絶とうとした少女への苛立ち、様々な思いが入り交じり、怒りともつかない感情が霊夢を沸かせていた。
「もういい、好きにするといいわ。自殺でも何でもしなさい」
そう、ごちゃごちゃと考えるのは性に合わないのだ、霊夢は思う。
「お、おい霊夢何を……」
魔理沙の表情が引きつる。
「その代わり、次に死にたくなったらまず私のとこに来なさい。私が直々に殺してやるわ!」
「へ?」
少女がやっと顔を上げた。呆気に取られ目を見開いている。
「せっかくだからうちの神社で過労死するまで働かせてあげる。途中でもし気が変わったら、ずっといなさい。もちろん働いてもらうけど、三食と寝床ぐらいは保障するわ」
「もしかして……あなたってあの博麗神社の巫女さんなんですか?」
「そうだけど、何よ?」
「ふふふ……」
それは初めて見る少女の笑顔だった。
ぎこちなく笑うその表情は、先程よりも少女を幼く感じさせた。
「ごめんなさい、あの神社の巫女さんといったらもっと厳格な人を想像していたから」
少女は申し訳なさそうに、口元を手で隠した。
「何よそれ、でもまぁ、まだ笑えるってことは大丈夫そうね」
「嫌な事があったら逃げ出せばいいんだよ。私だって親に勘当されて一人で暮らしてるが、それなりに楽しく生きてるぜ」
魔理沙は少女の肩を右手で数回叩いて言う。
「ありがとうございます……少しですけど、元気が出たような気がします」
そう言ってまた少女は微妙に口元を上げた。
「さて、私達は人里に行く途中なんだけど、そこまで送ってこうかしら?また川に飛び込まれても困るしね」
霊夢が言う。
「いえ、一人で帰れます…………少し一人になりたいんです」
「……わかったわ。でも、また変なこと考えたりしないでよね」
「大丈夫です……もうちょっとだけ頑張ってみることにしましたから」
少女は立ち上がり、地面を濡らしながら、重そうな足取りで歩き始める。
「本当に辛くなったら私のところに来なさいよ!もし来ないで勝手に死のうとしたら殺すからね!」
遠ざかる少女の背中に向かって霊夢は叫ぶ。
少女は思い止まってくれたようだが、根本的な問題は何も解決してあげることはできなかった。
自分のしたことはその場凌ぎに過ぎないのではないか、そんな思いが渦巻く。
「きっと大丈夫だろ。少なくとも、助けてくれる人間がいるってことはわかってくれたさ」
気持ちを察してくれたのか、そんな言葉を魔理沙がかけてくれた。
──────────
「そろそろ私達も行こうかしら。飛んでれば服も乾くでしょ」
霊夢は水をたっぷりと含んだ袖を絞った。
あまりここで考え込んでいても意味はない。さっさと目的を済ませてしまおう。
「いや……私は行かない」
魔理沙は首を横に振った。
「どうしたのよ急に。まぁ、あんな事があったんじゃ気が削がれるのもわかるけど」
気分転換に出たつもりが、逆に気が重くなってしまった。それは魔理沙も同じなのだろう。
「私はもう帰る……」
そう言って魔理沙は箒を水平に構え、跨った。
「ちょ、ちょっと気持ちはわかるけど、人里への用事はいいの?」
「私は死ななきゃいけないんだ……」
「え?」
霊夢は一瞬魔理沙の言った事がわからなかった。
死ぬ、と魔理沙は言ったように思えたが、何かタチの悪い冗談だろうか。
「私は戻って首を吊る……じゃあな」
どうやら先程の言葉は聞き間違いではなかったようだ。霊夢は怒りが込み上げてくるのを感じた。
あんな場面に出くわした直後だというのに、なぜこうも無神経な事が言えるのだろうか。
本人はフザケているつもりなのかもしれないが、全く笑えるものではない。
「魔理沙!冗談にしても度が過ぎてるわよ!」
箒に乗り、飛び立とうとする魔理沙の肩を掴み、霊夢は怒鳴った。
「うるさい、私は死ぬんだ……邪魔をしないでくれ」
そう言って魔理沙は霊夢の手を払おうとした。
その行動に霊夢は更に腹を立て、魔理沙の肩を掴んでいた右腕を勢い良く引き寄せる。
急に引っ張られたことで魔理沙はバランスを崩し、箒から落ちて地面へ背中から倒れこんだ。
篭った鈍い音が鳴り、軽く砂埃が巻き上がる。
「いててて……いきなり何すんだよ霊夢!」
「あんたがフザけたことぬかすからでしょ!」
「は?何のことだ?」
魔理沙は首を傾げる。
「惚けてんじゃないわよ!言ったじゃない、死ぬ、とか首を吊る、とか!よくもそんなこと言えたもんね!」
「何言ってんだよ、言いがかりもほどほどにしてくれ」
「あんた…!!」
霊夢は、知らばっくれる魔理沙に我慢できず掴みかかる。
それと同時に、聞き覚えのある声を聞いた。
「それは縊鬼の仕業だね」
声の方向に顔を向けると、目に入ってきたのは小町の姿だった。
先程まで近くに気配など感じられなかったが、例の能力を使ったのだろうか。
小町は肩に鎌をかけ、ニヤついた顔でこちらへと歩いて来る。
「小町、どうしてここに?その“いつき”ってのは何のことなの」
霊夢が尋ねる。
「ちょっと仕事でね。縊鬼ってのは人に取り憑き、自殺をさせる妖怪だよ」
小町は得意げに言う。
「自殺させる……?それって……」
「魔理沙に取り憑いていたのが、たぶんそうだろうね」
霊夢が言い終わる前に小町が答えた。
「霊夢、状況がよくわらかんが、とりあえず一旦手を離してくれ、話はそれからだ」
魔理沙に言われ、霊夢は魔理沙の服を掴んでいた手を開いた。
そして、改めて小町に聞く。
「つまり、その縊鬼てのが魔理沙に取り憑いて自殺させようとしてたってこと?一体どんな妖怪なの」
「冥界には一定の人口が定められていてね。この人口を常に保たなければいけないため、死者が転生して冥界を去ろうにも、自分に代わる後任の死者が入らなければ転生の許可が下りない。
そこで、現世の人間に取り憑き、自殺させることで自分の代替にするというわけ」
「もっとも、それは遥か昔の話。今はそんな人口は定められていないし、現世の人間を死に陥れるようなことがあれば、確実に地獄行きだね。縊鬼は今じゃ存在しないはずの妖怪なのさ」
小町は肩をすくめる。
「存在しないって、じゃあ何でその妖怪が出てきたんだよ」
魔理沙が尋ねた。
「いや、まぁそれはねぇ、不可抗力というかなんというか」
小町は目を逸らして答える。
「何よ、ハッキリしないわね。なんか理由があるんでしょ?」
煮え切らない態度をとる小町を霊夢は睨んだ。
「その……参ったもんでね、霊にも話半分しか聞かない奴もいてさ……」
視線を逸らしたまま、小町は顔を指先で軽く掻いた。
「小町、あんたまさか……」
「確かに縊鬼の話はしたよ。でもちゃんと説明したんだ。今はそんな事しても無駄だってね。ただ話を途中までしか耳に入れないで逃げ出す頭悪い霊もいるんだこれが……」
バツが悪そうに小町は笑う。
「まったく……お喋りが好きなのはいいけど、程々にしなさいよ」
霊夢は呆れて溜息を吐いた。
「また上司に叱られるんじゃないの?」
「だから、知られる前に退治しにきたんだよ」
小町はあっけらかんと答える。
「ちょっと待て、じゃぁさっきの女の子もその縊鬼とかいう奴の仕業だったんじゃないか?」
魔理沙が言った。
「あれ、さっきも自殺しようとした人がいたのかい?なら、その人から魔理沙に縊鬼が乗り移った可能性が高いね」
小町は先程の少女の件は目撃していなかったようだ。
霊夢は少しほっとして、今度は安堵の溜息をつく。
その縊鬼とかいう妖怪の仕業ならば、あの少女は本当に死ぬ程思いつめていたわけではない。
妖怪さえ退治していまえば二度とあんなバカなマネをすることはないのだ。
「しかし、一般人から犠牲が出るとなると、ちょっとマズイね。もちろん霊夢達も退治するの手伝ってくれるだろ?」
小町が当然のように言う。
「勝手に決めないでよ。何で小町の尻ぬぐいを私達がしなきゃいけないわけ?」
「今はまだ力が弱いから死に至った人はいないようだけど、このままほっとくと本当に死者を出しかねないよ。それでもいいのかねぇ?博麗の巫女さん」
「わかった。わかったわよ協力する。それでいいんでしょ」
霊夢は観念して言った。
思えば今朝新聞でみた事件もこの妖怪が起こしたものだったのだろう。
さすがにこのまま自殺者が出るのは黙って見過ごすわけにもいかない。
霊夢は今日三度目の溜息を吐いた。
──────────
「どうだ。これで完璧だろ!」
魔理沙は腰に手を当て胸を張って言った。
「完璧って……ねぇ」
霊夢が呆れて言う。
霊夢の前には大きな樹木あった。
根は一本一本が太く、大地を掴む巨大な手のように根付いている。
上を見上げると、緑々しい葉達が空を遮り、木の頂を覗くことはできない。
どっしりとした幹から別れて多くの枝が伸びており、その中でも一際丈夫そうな物の一つに、きつく編みこまれた稲藁の縄が結びつけてつけてあった。
縄は重力に身を任せて下へと垂れ下がり、地上から約2m弱ほどの位置で半径30cmほどの輪を形成している。
そこから更に下を見ると、地面に人が丁度一人乗れる程の、高さ50~60cmほどの階段状の木の台が置いてあった。
つまりは、首吊り用の自殺セットといったところだ。
「そこらの人間を死なすよりも、自殺しようとしている人間に取り憑くほうが手間も省ける。
つまり自殺しようとしている人間がいれば縊鬼は自然と寄ってくるということだ!
これぞ名付けて、自殺すると見せかけて縊鬼を誘き寄せ退治してしまおう作戦!!!」
魔理沙は高らかに声を張り上げる。
「なげぇよ……」
霊夢が呟く。
「いやーナイスアイディアじゃないか。これで退治したも同然だね!」
小町は声を出して笑った。
どこまで本気で言っているのかはわからない。
ただ状況を楽しんでいるようにも見えた。
「じゃぁ、さっそく霊夢。よろしく」
魔理沙が親指を立て、木を指し示す。
「え、何で私なのよ」
霊夢は驚いて言う。
「そりゃぁ私はもう1回取り憑かれてるしな。残る人間は霊夢しかいないし」
「災難だわ……」
霊夢は渋々、木の台を上り、縄の輪と向き合った。
とりあえず輪の両側を両手で掴んでみる。
しかし、本当に死ぬわけではないので、そこから先はどうすればいいのかわからない。
縄を掴んだままその場に立ち尽くす。
「っあーダメだね。ぜんっぜんダメ。死のうって気持ちが全然伝わってこないな!」
魔理沙が喧しく囃し立てる。
「はぁ……」
霊夢は少し振り返り、横目で魔理沙を睨む。
「何だその目は!本当に死ぬ気があるのか!?」
そう言って怒鳴る魔理沙の目元は笑っていた。
完全に他人事として面白がっているようだ。
「ないっての……」
霊夢はもう反論する気も起きなかった。
「もっとほら、これから死ぬ!って雰囲気を出さないとね」
ついに小町まで茶々を入れ始める。
「しょうがないなぁ。まずは私に続いて言ってみろ。死にたい!」
魔理沙が言い出す。
「え……?」
霊夢は眉間に皺を寄せた。
「ほら続けて言うんだよ。死にたい!」
「死にたい……」
霊夢は嫌々声を出す。
「伝わらない!それじゃ伝わらないよ!もっと心から死にたいと願って!さぁ、死にたい!!」
魔理沙が捲し立てる。
「死にたい」
「もっと元気よくー、死にたい!!」
「死にたい!!」
霊夢はもはや抵抗するのを諦め、半ばヤケクソになって叫んだ。
「いいねー!声が出てきたよ。もっと言葉に気持ちを乗せてー。死にたい!」
魔理沙はノリノリで、当初の目的を完全に忘れているようだ。
「死にたい!!」
霊夢も魔理沙に続き声を張り上げる。
「ワンモアー!死にたい!!めっちゃ死にたい!」
「死にたい!!めっちゃ死にたい!!」
「死にたい……」
「死にたい!!!」
「私は……死ぬ……」
「私は!死……ん?」
魔理沙の声のトーンが急に沈んだことで霊夢は違和感を感じた。
「私は……首を吊って死ぬんだ……そこをどけ、霊夢」
魔理沙は突然そう言い、木の台に上がり、霊夢の背中を手で押した。
押された霊夢は前のめりになり、危うく頭から落下するという寸前で、足の踏ん張りをきかせ、なんとか地面へと飛び降りた。
着地してから若干遅れて、足にジンとした痛みが広がる。
「どうやら、また憑かれたみたいだねぇ」
小町が言う。
「魔理沙、またあんたなの……」
霊夢は呆れながら言った。
魔理沙を見ると既に縄に手をかけ、輪の中に頭を入れていた。
「っと、このままじゃマズイね……」
いつの間にか小町は魔理沙の背後に移動していた。
足を離そうとする魔理沙の両脇から腕を回し、体を拘束した後に台から引きずり降ろす。
「今だ霊夢!ちゃっちゃと退治しちゃってくれ!」
小町に呼びかけられ、霊夢は懐に手を入れた。
懐から護符を掴み、取り出すと、抑えられている魔理沙の額に貼り付ける。
貼りつけられた護符は辺りに青白い閃光を放ち、一瞬霊夢の目をくらませた。
霊夢が視界を取り戻すと、既に護符は消滅しており、魔理沙の背後から薄暗い影のようなものが立ち上り、空気に溶けていくのが見えた。
無事、縊鬼とやらを退治するのには成功したようだ。
「あたたた……なんかちょっと前にも同じ目に合った気がするんだが」
気付いた魔理沙は額をさすりながら言った。
「どう?正気に戻ったかしら?」
霊夢が魔理沙に聞く。
「あ?何のことだ?…………ってもしかして、また、なのか?」
魔理沙は今起こった出来事を理解したようで、首を上げ空を仰いだ。
「まぁまぁ、こうして無事解決できたんだからよかったよ。二人ともご苦労さん」
そう言って小町は微笑む。
「ったく今日は疲れたな。もう帰って休むとしようぜ、霊夢」
魔理沙が大きく伸びをした。
「一件落着したことだし、あたいも仕事に戻るとするかね」
「あ、ちょっと待って小町」
その場から離れようとする小町を霊夢は呼び止めた。
「縊鬼って妖怪について一つ聞きたいことがあるんだけど…………」
──────────
霊夢は縁側に座り、微かな秋の気配を運んでくる風に当たり、涼んでいた。
妖怪を退治してから、2週間以上が経ったが、今のところ人里で自殺者が出たという話はない。
それでも霊夢の気分晴れなかった。
霊夢はあの時小町が言った言葉を思い出す。
「人の間では縊鬼は水死者の霊とされ、これに取り憑かれた者は、川に飛び込んで自殺したくなるもの。と言われていたりもするね。
だけどこれも一説に過ぎなくて、人に取り憑き、首を括らせる霊と定義されていたりもする。
亡者が生まれ変わるには他者に自分と同じ死に方をさせることが条件で、縊鬼もそれに準じている、なんてのもあるかな。
でも一つだけ確実に言えることがあるよ。縊鬼は一通りの方法でしか人を殺さない。」
「さっきの縊鬼は魔理沙に首を吊らせようとしていた。そしてそれをあたい達が退治した。
つまり、霊夢が出会った女の子が首吊り以外の方法で死のうとしていたなら、それは縊鬼の仕業ではないだろうね」
少女は川へ飛び込もうとしていた。
それは妖怪によるものではなく、自らの意思で行っていたことを意味していた。
霊夢は少女のことを思い返したせいで、より一層気分が重くなる。
ふと、ガランガランと大きな鈴の音が鳴り響いてきた。
誰かが神社に参拝しにきているようだった。
霊夢は参拝客とは珍しい、と思い、来客の顔を拝んでやろうと腰を上げ境内へと出て行く。
「あ!ここの巫女さんですか?実はここの神社はご利益があるって聞いて来たんですけど」
参拝客は霊夢の顔を見て嬉しそうに言う。
「そう、ところで何のお願いをしたの?」
霊夢が聞いた。
「私のお願いですか?それは…………長生きです!」
少女は満面の笑顔で答えた。
その顔にもう以前のような迷いは見られなかった。
結局自分は何もしてやることができなかったな、霊夢は思う。
自らの命を捨てようとしたのが彼女の弱さなら、それを克服したのもまた彼女自身の強さだろう。
少女につられ、思わず霊夢の表情も綻んだ。
「叶うわよ、あなたが生きたいと願う限りはね」
こまちはたらけ
かっけえなこの霊夢さん。
かっこいい
良かったです
平常の妖怪(ってか幽霊?)退治らしくて