森近霖之助は紙をめくりながら頭を抱えていた。
狭い部屋だ。香霖堂には拾って集めた外の世界の道具が所狭しと並んでいる。ほとんどが効果が分かっているが用途不明のものばかりである。残りは分かっているけどどうでもいいガラクタか、霖之助の日常用品として使われている非売品だ。
最近、商品と呼ばれるそれらを悪びれず、堂々と持って行く輩がいる。
しかも二人。
一人でも十分なのに、二倍した時のガッカリ感は尋常じゃない。
で、そいつらは商品を持っていく際に「ツケ」という大義名分(?)を掲げている。
手元にある紙の束はその目録だ。
目録と言っても簡素な造りだった。数枚の紙に名前とツケとした商品が横書きに並べられているだけである。その紙は右上に穴を開けられ、ひもに通してある。名前が書いてある紙は二枚。それぞれに目を通す。
一枚目には霧雨魔理沙、数枚めくった紙には博麗霊夢。それぞれにツケにした商品名が列挙されている。
……改めて目を通すとひどいものだ。
一人につき四、五枚の目録がある。だが、見えやすさと商品の詳細を記載する観点から、一枚に書かれている商品の数はそれほど多くない。
それでもなぜ霖之助が呻いているかと言うと、一つ一つの商品が値の張る逸品ばかりだったからだ。どれも外の世界でしか作られない貴重品ばかりで、その物珍しさからツケと称して持っていくのだが、肝心のツケが払われたことは今の一度もない。
「これは……払わせなくてはな……」
だから、霖之助は取り立てに行くことを決めた。
少しでも損失を補填するために、立ち上がる。
立ち上がった拍子に、机の脇にぐらりと揺れたものがあった。
「おっと」
霖之助はそれを支え、転倒を防いだ。
「危ない危ない……」
霖之助が支えたものは酒瓶二本だ。少し前、紫に暖房の燃料分の代金を渡した際に、ついでにもらったものだ。紫の話では相当古く作られたワインであるとか。それこそ、作った当人でさえ忘れてしまったほどの。どれほどの味がするのか、興味がないと言えば嘘になる。
そうだ、一仕事終えたあとで飲もう。
楽しみができたことで、俄然やる気も出るというもの。
霖之助は目録を抱えて、香霖堂から出た。
まずは、商品を多く取っていった者からだ。
「えぇ~……」
霧雨魔理沙は明らかにイヤそうな表情を浮かべた。想定の範囲内である。
霖之助は目録を掲げ、数枚ぺらぺらとめくる。
「この名前一つ一つが君がツケにしてきたものたちだ。僕からにしてみたら絶句するような金額が、この文字たちに隠されている」
「隠されているなら出さなくていいぜ」
「そういうわけにもいかない。僕はこの失われた金額を少しでも補填するために、今こうやって君の家に赴いて、玄関で取り立てているんだ」
「イヤな店主だぜ」
「商品を勝手に持っていく客には言われたくないな」
はぁ、と霖之助はため息を吐く。
魔法の森も障気は正直あまり吸いたくないと霖之助は思う。半分妖怪だが、半分は人間でもあるのだ。よくこんな所にいられるなと、霖之助は感心する。
少しでも早く終わらせるために、霖之助は口元を押さえるジェスチャーをしつつ、交渉を進める。
「とにかく、少しでもいいから返してくれ」
「イヤだぜ」
きっぱりと言われた。むしろ清々しいほどだが、今の霖之助には必要ない。
「ま り さ」
と、一語ずつ区切って強調させる。
それでも、魔理沙の態度が変わらなかった。
「だって金がねえんだからさー。しょうがないと思うぜ?」
「しょうがないかどうかは君が決めることではないんだが……」
「私が決めたことはこーりんが決めたことだぜ」
「だ、れ、が、き、め、た」
よりゆっくりと言い、より強調させた。この場合は伝えるべきものは憤りだ。
さすがに伝わったのか、魔理沙は少し体を引かせた。
「こ、怖いな。ちょっとジョークを効かせただけなのに。もっと気楽に生きないと胃に穴が空くぜ?」
魔理沙はハハハと笑う。少女らしい幼さが垣間見える表情だが、今の霖之助には必要ないものだ。
霖之助はため息を吐いて、やれやれと首を振った。
「とにかく、少しでもいい。金でも、物でも、何でもいい。ツケを払ってほしいんだ」
「……しょーがないなー」
魔理沙は渋々家に戻った。
おっ、と霖之助は目を丸くした。
……案外、あっさりと返してくれるんだな。
もっと色々と抵抗してくるかと思ったが、こうすんなりと返されると拍子抜けもする。
けれど返してくれることには変わりない。魔理沙がどれくらい返してくるかは分からないが、まず一歩だと霖之助は小さくガッツポーズをする。
金額を換算しておかないと返せないなと、目録を細かく見ていたところで魔理沙が戻ってきた。
「ほら」
おぉ、と期待を膨らませて顔を上げた霖之助の前に、大きく身を膨らませた袋が置かれた。
どう見ても、ゴミを捨てる時に使われる簡素な袋であった。
「……これは?」
「少しでも価値があるものだろ? ゴミだって立派に価値があるぜ。ついで私の部屋が少し片づいて一挙両得だぜ?」
ケラケラケラと笑う魔理沙の頭に、失望の分だけ霖之助は強く拳を降りおろした。
魔理沙の頭から手応えが返ってくる。
「ッテェェェーーーーーーーー!」
「今のは普段温厚な僕でもさすがに怒ったよ……」
怒り半分、呆れ半分と言ったところか。霖之助は大きく息を吐いて、不機嫌そうな態度を取る。
魔理沙は頭をさすりながら、ため息を吐く。先ほどの態度とは打って変わって、小さな声でぼそりと呟く。
「だって、正味な話本当に金がないんだ。仕方ないだろう?」
ふむ、と霖之助は顎に手を当てる。
急に萎れた魔理沙を見ている限り、どうやら本当に金がないと見える。だったら、高いもんを持っていくなよと思うが、日頃の魔法研究には必要なものであることは霖之助も分かっている。どうしても欲しいものなのだろう。
「堂々と開き直る話じゃないだろう、全く……」
そう愚痴りながらも、取り立ては後日しようと霖之助は切り出した。
「いいのか?」
「本当にないようだからな。魔理沙の言うとおりで癪だが、仕方ないだろう」
諦めのため息を吐いた霖之助に、魔理沙は笑った。
「ありがとうこーりん!」
礼を言われ、ぽりぽりと頬をかく。
「別にツケがなくなったわけじゃないからな?」
「えー……」
「えーじゃないだろう。全く」
「ツケは返したくない」
「そりゃそうだろうな」
「……そういう意味じゃねえんだぜ」
「そういう?」
「いや、気にするな。とにかく、また後日だぜ」
霖之助は「やれやれ」と首を振る。
「しょうがない。じゃあ、また取り立てに来るから」
霖之助が次の取り立てに向かおうとした時、
「ちょっと待ってくれ」
「? なんだい? 突然気が変わって返す気になったとか?」
「そんなわけない」
「じゃあ、なんだよ」
「こーりん、そういえば最近外の世界から流れてきた酒を拾ったんだよな?」
霖之助は眉をひそめる。
魔理沙が言っているのは、紫からもらったあの酒のことだろう。なぜ知っている? と霖之助が問うと、
「紫が酒瓶持ってたから『くれ』と言ったんだが、こーりんに渡すもんだと断られてな」
と答えた。なるほど、なぜ知っていたかも分かった。
しかし、
「その酒をどうするつもりだい?」
「買うに決まってるんだぜ」
「金がないのに?」
「もちろん、ツケだ」
「おいおい……」
霖之助は呆れた。
「これ以上ツケ増やしてどうする?」
「一つや二つ増えたところで変わりはしないぜ」
霖之助は心底呆れかえった。
金がないのに、どうしてこうやって借金を増やしていくんだ? 僕を、なめているのか?
魔理沙には、きっと返す気なんてないんだろう。「こーりんだから」の一言で、全て済ましてしまうに違いない。
それは魔理沙の悪いところだ。
口調に憤りを含ませて断ろうと口を開く。
霖之助が何か言う前に、魔理沙は歯を見せて笑った。
「な。いいだろ?」
霖之助は口を開いたまま――肩を落とした。
「……まぁ、いいけどさ」
その一言に、魔理沙は一層笑顔を輝かせる。
「よっしゃ! 後で取りに行くぜ!」
「はいはい……。それじゃあな」
霖之助はとぼとぼと歩み始める。
どうして、許しちゃったのかなぁ……。
霖之助は歩きながら自問する。
森は大きく枝葉を広げ、光を遮っているせいで辺りは若干暗い。その暗さが考え事をする時に邪魔にならない程度の明るさを醸し出していた。
先ほどの魔理沙の笑顔。
あれに、価値を感じてしまった。
それで、まぁいいかなと思ってしまった。
「馬鹿馬鹿しい」
自分で自分を呆れる。
「どうして魔理沙の笑顔を見たぐらいで許してしまうんだ」
先ほどの取り立てだって魔理沙は何回も笑顔を浮かべたが、価値を感じなかったじゃないか。なのに、どうしてあの時だけ?
自分が分からなくなるのは致命的なことだ。
だから霖之助はいったん思考を停止した。
即座に次の取り立てのことを考え始める。
次は、高い商品ばかりを持っていく者だ。
「えぇー……」
明らかにイヤそうな顔をされた。これも想定内だ。
「君が諸々持っていった商品はきちんとこの紙に記されている。どれもこれも値段としてはかなりのものばかりだ。さぁ、少しでもいいから返してもらおうか」
「霖之助さん? 私、お賽銭が入らない哀れで貧乏な巫女なんだけど?」
「知ってる。だからこうして君が境内を箒で掃いているのに関わらず、取り立てに来ているんじゃないか」
「いつまでも払わないから?」
「分かってるじゃないか」
「鬼よ、ここに金の鬼がいるわ……。あぁ、神様。清貧である巫女になお、お金を強請ろうとする亡者がいます……あぁどうにかしてくださいませ神様……」
「演技はいいから金を出せ」
「ちぇー」と霊夢は頬を膨らませる。その顔は年相応の少女らしい可愛さがあるものだが、背負ったツケは大人が裸で夜逃げするほど膨大なものだ。それを少しでもいいから回収したい。霖之助の切実な想いである。
「まぁね。見ての通り私は明日のご飯も心配になるほどの貧乏人なのよ? そんなお金持ってるわけがないわ」
「じゃあ、何で持っていくものはことごとく嗜好品でなおかつ高いもんばかりなんだよ」
「別に貧乏巫女が贅沢したっていいじゃない。霖之助さんのおごりで」
「譲った覚えはない。それと開き直るな。どれもこれも耳をそろえて払ってもらうからな」
「……けち」
「正当な請求だ」
「けちー、けちー」と霊夢が舌を出して言ってくる。
……正直、この巫女に支払いの能力があることを期待してはいない。けど、
「払ってもらわくちゃ困るんだけどね」
「ないものはないの」
「はぁ、どうして君たちは毎度毎度、金がないのにツケで持っていくのかな……」
「あら、魔理沙もツケにしているの?」
「あぁ、魔理沙もいつもツケで商品を持って行っているよ、君みたいにね」
「ふーん。魔理沙のことだからツケにしないで、勝手に持っていくものだと思っていたわ」
霊夢の一言に霖之助はハッとする。
「確かに。紅魔館ではいつも勝手に本を持って行ってるらしいけど、どうして僕のところではツケにするんだろう……」
ツケにすれば請求されるのは分かるはず。だから、勝手に持っていくのが一番だ。もちろん、それをされるのはたまったものではないが、魔理沙の立場から考えると、そうしないのはおかしい。
「どうしてだ? さっきだって僕の酒をツケで買ったし……」
「どういうこと?」
霊夢は霖之助の顔を下から覗くようにして訊いてくる。何故か目には真剣味が籠もっている。
何か違和感を感じながらも、霖之助が紫から年代もののワインをもらったこと、魔理沙がそれをツケで買って、あとで香霖堂に取りに来ることを話すと、
「……霖之助さん。それ、あと何本残ってる?」
「ん? えぇっと、魔理沙一本買って、残り一本は僕が飲む用に取ってあるけど……」
「霖之助さん、私もそれ買うわ」
「……はぁっ!?」
霖之助が大口を開けて驚いた声を出すと、霊夢は不満そうな顔を浮かべた。
「何よ? 魔理沙はいいのに私はだめなの?」
「いやだって……金は?」
「もちろん――魔理沙と同じツケよ」
霊夢はくすりと笑った。
その笑顔を見て霖之助は天を仰いだ。
世の中は無情なものだと、そう思った。
香霖堂の店内。二本の酒瓶がカウンターに置かれている。ラベルはミミズを走らせたような文字で何か書いてあるが、これが酒の名前を指しているであろうことは推測している。
酒の種類はぶどう酒。しかも年代物。人々に忘れ去られるまで置かれたその味は素晴らしいだろうと、霖之助はいつもの椅子に座りながら思う。
「楽しみにしてたが……」
しかし、譲ってしまった。ツケと言っているが、ツケを返しっこない二人に売ってしまったのは最早譲ってしまったと言っても過言ではないだろう。
なぜ譲ってしまったのかという疑問に対して、思い浮かぶは二人の笑顔だ。
魔理沙のにやりという表現が似合う強気な笑顔。
霊夢のくすりという表現が似合うきれいな笑顔。
二人の笑顔を思い浮かべてみて、霖之助はこう思う。
……この絶品の酒を飲んだ二人は、どんな表情を浮かべるんだろうか。
それは、自分が飲んでも得られないものだ。何だかんだ言いつつ、あの二人が笑ってくれるのならそれでいいんじゃないかと、思うのだ。
あぁ、と霖之助は思いついた。
それが理由かなぁ。
……思えば、あの二人がツケにする時にすでに答えは出ていたのかな。
つまり、霖之助はすでに商いをしていたのだ。高価な商品を売り、対価として得難い少女たちの笑顔を目にしている。二人の喜びが、霖之助にとっての対価だったのだ。
しかし、それではつけ込まれるのではないか。現状そうだ。魔理沙と霊夢、返さない二人のツケを許し、実質無償で高価な酒や過去に並べた商品を提供している。
利潤を得るという点では失格であり、でも――得難いものを得るという点では誰よりも勝っているだろう。
つまり、こういうことではないだろうか。
「商売は金だけじゃない、ということか……?」
直後、気配を感じた。
「よー、こーりん。約束通り取りに来てやったぜ」
カランコロンと音を立て、意気揚々と魔理沙が入ってきた。
「奪いに来たの間違いじゃないのか?」
「人聞きが悪いぜ。――おぉ、それが例の!」
魔理沙が机の上に置いてある酒に気がついた。その星のようにキラキラとした笑顔は、霖之助の心をくすぐる。
「お気に召してもらって光栄だよ」
「おぉ。……それにしても、どうして二本あるんだ? 私に二本くれるのか」
「いや、それは――」
「私の分よ。魔理沙」
声がした方角は入り口だ。魔理沙が振り向くと驚愕の表情を浮かべた。
「げげ、霊夢!?」
「何よー。人を幽霊みたいに扱って」
不敵に笑う霊夢。魔理沙は顔をしかめた。
「ッチ。しくじったぜ……」
「そのお酒が欲しかったのは、あんただけじゃなかったってことよ、魔理沙」
睨み合う二人に、霖之助は「おいおい」と声をかける。
「二人とも。確かにこれはいい酒だが、何もいがみ合うようなことしなくてもいいだろ。ちゃんと二人分あるんだからさ」
霊夢と魔理沙は一度霖之助の方に向き、再び顔を見合わせて、苦笑した。
「バカだな」
「ま、霖之助さんだしね」
「何か、僕の知らないところで評価が下がってる気がするんだが……」
「まぁいい」と呟きつつ、霖之助は二つの酒瓶を二人に手渡した。
「これで完了だな。二人とも、遅くてもいいからきちんとツケを払ってもらいたいもんだけど……」
酒瓶を持った魔理沙が、にやりと笑った。
「いいや、まだだぜ」
霊夢もくすっと笑う。
「そうね」
え? っと疑問符を浮かべる霖之助の隣に、二人はそれぞれ立った。
「これは、一体……」
「霖之助さん。グラスないの?」
「あぁ、えっと……」
元々は自分で飲もうとしたものだ。ちゃんと、グラスは用意してある。
カウンターの下からそれを取り出す。
魔理沙が躊躇うことなく瓶の栓を栓抜きで開けて、グラスに並々と注いだ。
「おい……」
「おっと、問答無用だぜこーりん」
ワインの赤が、グラスの中で輝いている。
「さぁ」
魔理沙に促され、霖之助はグラスに口をつけた。
霖之助の喉に、ワインが通る。
「どうだ?」
「……うまいけど」
「よかったな」
魔理沙は満面の笑みで言う。
「あの、魔理沙?」
「霖之助さん早く飲んでよね。次は私のも控えてるんだから」
「いや、え? ちょ、そんな一気には飲めないってこれ。もったいないし――いや、そうじゃなくて!」
霖之助が大声で叫んで、霊夢は眉をひそめる。
「何よ? ワインおいしいんでしょ?」
「いや、このワインは君たちが買ったものなんだよ? すごく、おいしいワインだ」
「それは分かってるわよ」
「なら、どうして僕に飲ませるんだい?」
「何言ってるのよ。もともとそのつもりだったのよ?」
一瞬何を言っているのかが分からなくて、言葉に詰まる。
その隙を縫うようなタイミングで、霊夢は霖之助の肩に手を乗せる。魔理沙もならうように手を置く。
「私たちのツケで飲むお酒はおいしいかしら? 霖之助さん?」
霊夢と魔理沙が顔を覗き込むようにして、笑いかける。
それは、霖之助を少し放心させるには十分なほどで、何よりも得難いものだった。
霖之助は確信した。
自分が何に利益を見いだしてるのかを。
霖之助はメガネの位置を直して、
「全く、君たちは過払いだよ」
「何よそれ」
「こーりんボケたのか? ツケはまだ払っちゃいないぜ」
笑う二人に、霖之助は席を立ってくるりと背を向けた。
「うるさいな。それと、さすがにこれ一人じゃ飲みきれないからね。グラスはあと二つあるから、一緒に飲もう」
「そうね、霖之助さんがそう言うなら」
「あぁ、飲もうぜ」
霖之助の死角で、二人は笑って答えた。
霖之助は戸棚からグラス取り出しつつ思う。
……そういえば。結局分からなかったことがある。
それは根本的な問題だ。
……どうして二人は金がないのに、わざわざツケにしてまで買うんだろう。
買えない商品は普通、買わない。当たり前のことだが、この二人はそんな当たり前のことが通用しない。ツケをしてまで無理に買う。少しでも気に入ったら買い上げる。
それは、何故だろう?
魔理沙はまだ魔法の研究という理由があるから、分かる。しかし霊夢は? 贅沢をしたいという理由だけで、ツケにしてまで買うだろうか? あの無邪気な巫女は?
ツケは無料じゃない。借金だ。負債を抱えるのを好き好んでやるやつはいないはずだ。
それと、分からない問題はもう一つある。
霖之助が飲むと分かっている酒をわざわざ買ったことだ。
彼女らの金で飲ませたかった。それは分かる。だが、なぜ?
理由は全く見当もつかない。ツケを増やしたかったとしか……。
けど、訊いたところできっとはぐらかされるだろう。
……なにか、隠している。
何となく、霖之助はそう感じる。けれどその理由がなんなのかも、分からない。
試しに霖之助は少し考えてみるが、
……まぁ、いいか。
考えるだけ無駄だと悟る。
とりあえず今は――この二人からもらう笑顔をツケの代金にしておこうと、そう思う。
霖之助はグラスを置いて、目録をゴミ箱に放り捨てた。
「ちょ、何やってるの!?」
「え?」
「こーりん、気が狂ったのか!?」
「あ、あぁ……」
……普段守銭奴である僕が、目録をいきなり放り捨てたらそりゃ驚くだろうなぁ。
ちょっと失敗したなと思いつつ「もう必要ないから」とだけ霖之助は言った。さすがに笑顔が十分代金になったからもういらない、なんて言えない。
内心、霖之助はほくそ笑んでいた。
目録が必要なくなったからという理由で捨てるのは、ツケがなくなるということだ。これで二人は喜ぶだろうと霖之助は思う。
「何言ってるの!? 馬鹿じゃないの!?」
「目録が必要ないなんて、そんな馬鹿なことはないぜ!」
しかし二人は怒っていた。それも結構本気で。
訳が分からなかった。
「何で怒ってるんだい? ツケはいらないって僕は言ってるんだよ?」
「そんなのは――あぁ、もう!」
魔理沙は荒い足取りでゴミ箱まで歩き、放り込まれた目録を拾う。
そして霖之助にまで歩み寄り、
「ほら」
と、目録を差し出した。
「えっと……」
「何やってるの、ほら」
霊夢は霖之助を手を掴んで、目録を掴ませた。
「あー……」
何を言っていいのか分からない。とりあえず、目録を机の上に乗せると、頷く。
打って変わって、二人の雰囲気が穏やかなそれに変わった。
「よし。じゃあ、酒飲むか」
魔理沙と霊夢は笑った。
「こーりん、それ取ってくれよ」
魔理沙はグラスを指さす。「あ、私も」と霊夢も言う。
急な変化に戸惑いながらも、
「自分で取ればいいんじゃないか?」
と応じる。
やれやれと、魔理沙は首を振った。
「分かってないな。こーりんが注いで、私たちに渡すんだ。さっき注いでやったろ?」
「元は僕に飲ませるものだったんじゃ……」
「いいから。注いで渡してくれよ」
霖之助はため息を吐いて、グラスにワインを注ぐ。
並々と注がれたワイングラスを二つ手に取り、魔理沙と霊夢に手渡す。
「これでいいんだろ?」
「あぁ、サンキュ」
「ありがとう、霖之助さん」
魔理沙と霊夢はグラスを取る。
なぜわざわざ自分に注がせたのか分からなかったが、霖之助は考えるのをやめた。
今は戸惑うよりも考えるよりも先にすることがある。
それは――勘定だ。
魔理沙と霊夢が上機嫌でワインを飲んでいる。
見るとその笑顔には個人差があるのが分かる。
魔理沙はワインを飲み干した後「くぁ~」と言い、目をぎゅっと瞑る。酒のうまみを全体で表現している中、その笑顔は力強く、「弾幕はパワーだぜ」と主張する魔理沙らしさが垣間見える。
霊夢は少し飲む。飲んで、口をもごもごとさせる。酒の味を楽しんでいるのだろう。そして、小さく笑う。細かく弾幕をかわせる霊夢らしい繊細な感性が出ている。
それらの笑顔を見て、商売人冥利だなぁと、微笑みながら霖之助はそう思った。
霖之助は気づいていない。
魔理沙と霊夢がグラスを手に取る際、さりげなく霖之助の指に触れた、その意味を。
酒を飲んだ後、霊夢と魔理沙は互いに目を合わせ、小さく苦笑した。
狭い部屋だ。香霖堂には拾って集めた外の世界の道具が所狭しと並んでいる。ほとんどが効果が分かっているが用途不明のものばかりである。残りは分かっているけどどうでもいいガラクタか、霖之助の日常用品として使われている非売品だ。
最近、商品と呼ばれるそれらを悪びれず、堂々と持って行く輩がいる。
しかも二人。
一人でも十分なのに、二倍した時のガッカリ感は尋常じゃない。
で、そいつらは商品を持っていく際に「ツケ」という大義名分(?)を掲げている。
手元にある紙の束はその目録だ。
目録と言っても簡素な造りだった。数枚の紙に名前とツケとした商品が横書きに並べられているだけである。その紙は右上に穴を開けられ、ひもに通してある。名前が書いてある紙は二枚。それぞれに目を通す。
一枚目には霧雨魔理沙、数枚めくった紙には博麗霊夢。それぞれにツケにした商品名が列挙されている。
……改めて目を通すとひどいものだ。
一人につき四、五枚の目録がある。だが、見えやすさと商品の詳細を記載する観点から、一枚に書かれている商品の数はそれほど多くない。
それでもなぜ霖之助が呻いているかと言うと、一つ一つの商品が値の張る逸品ばかりだったからだ。どれも外の世界でしか作られない貴重品ばかりで、その物珍しさからツケと称して持っていくのだが、肝心のツケが払われたことは今の一度もない。
「これは……払わせなくてはな……」
だから、霖之助は取り立てに行くことを決めた。
少しでも損失を補填するために、立ち上がる。
立ち上がった拍子に、机の脇にぐらりと揺れたものがあった。
「おっと」
霖之助はそれを支え、転倒を防いだ。
「危ない危ない……」
霖之助が支えたものは酒瓶二本だ。少し前、紫に暖房の燃料分の代金を渡した際に、ついでにもらったものだ。紫の話では相当古く作られたワインであるとか。それこそ、作った当人でさえ忘れてしまったほどの。どれほどの味がするのか、興味がないと言えば嘘になる。
そうだ、一仕事終えたあとで飲もう。
楽しみができたことで、俄然やる気も出るというもの。
霖之助は目録を抱えて、香霖堂から出た。
まずは、商品を多く取っていった者からだ。
「えぇ~……」
霧雨魔理沙は明らかにイヤそうな表情を浮かべた。想定の範囲内である。
霖之助は目録を掲げ、数枚ぺらぺらとめくる。
「この名前一つ一つが君がツケにしてきたものたちだ。僕からにしてみたら絶句するような金額が、この文字たちに隠されている」
「隠されているなら出さなくていいぜ」
「そういうわけにもいかない。僕はこの失われた金額を少しでも補填するために、今こうやって君の家に赴いて、玄関で取り立てているんだ」
「イヤな店主だぜ」
「商品を勝手に持っていく客には言われたくないな」
はぁ、と霖之助はため息を吐く。
魔法の森も障気は正直あまり吸いたくないと霖之助は思う。半分妖怪だが、半分は人間でもあるのだ。よくこんな所にいられるなと、霖之助は感心する。
少しでも早く終わらせるために、霖之助は口元を押さえるジェスチャーをしつつ、交渉を進める。
「とにかく、少しでもいいから返してくれ」
「イヤだぜ」
きっぱりと言われた。むしろ清々しいほどだが、今の霖之助には必要ない。
「ま り さ」
と、一語ずつ区切って強調させる。
それでも、魔理沙の態度が変わらなかった。
「だって金がねえんだからさー。しょうがないと思うぜ?」
「しょうがないかどうかは君が決めることではないんだが……」
「私が決めたことはこーりんが決めたことだぜ」
「だ、れ、が、き、め、た」
よりゆっくりと言い、より強調させた。この場合は伝えるべきものは憤りだ。
さすがに伝わったのか、魔理沙は少し体を引かせた。
「こ、怖いな。ちょっとジョークを効かせただけなのに。もっと気楽に生きないと胃に穴が空くぜ?」
魔理沙はハハハと笑う。少女らしい幼さが垣間見える表情だが、今の霖之助には必要ないものだ。
霖之助はため息を吐いて、やれやれと首を振った。
「とにかく、少しでもいい。金でも、物でも、何でもいい。ツケを払ってほしいんだ」
「……しょーがないなー」
魔理沙は渋々家に戻った。
おっ、と霖之助は目を丸くした。
……案外、あっさりと返してくれるんだな。
もっと色々と抵抗してくるかと思ったが、こうすんなりと返されると拍子抜けもする。
けれど返してくれることには変わりない。魔理沙がどれくらい返してくるかは分からないが、まず一歩だと霖之助は小さくガッツポーズをする。
金額を換算しておかないと返せないなと、目録を細かく見ていたところで魔理沙が戻ってきた。
「ほら」
おぉ、と期待を膨らませて顔を上げた霖之助の前に、大きく身を膨らませた袋が置かれた。
どう見ても、ゴミを捨てる時に使われる簡素な袋であった。
「……これは?」
「少しでも価値があるものだろ? ゴミだって立派に価値があるぜ。ついで私の部屋が少し片づいて一挙両得だぜ?」
ケラケラケラと笑う魔理沙の頭に、失望の分だけ霖之助は強く拳を降りおろした。
魔理沙の頭から手応えが返ってくる。
「ッテェェェーーーーーーーー!」
「今のは普段温厚な僕でもさすがに怒ったよ……」
怒り半分、呆れ半分と言ったところか。霖之助は大きく息を吐いて、不機嫌そうな態度を取る。
魔理沙は頭をさすりながら、ため息を吐く。先ほどの態度とは打って変わって、小さな声でぼそりと呟く。
「だって、正味な話本当に金がないんだ。仕方ないだろう?」
ふむ、と霖之助は顎に手を当てる。
急に萎れた魔理沙を見ている限り、どうやら本当に金がないと見える。だったら、高いもんを持っていくなよと思うが、日頃の魔法研究には必要なものであることは霖之助も分かっている。どうしても欲しいものなのだろう。
「堂々と開き直る話じゃないだろう、全く……」
そう愚痴りながらも、取り立ては後日しようと霖之助は切り出した。
「いいのか?」
「本当にないようだからな。魔理沙の言うとおりで癪だが、仕方ないだろう」
諦めのため息を吐いた霖之助に、魔理沙は笑った。
「ありがとうこーりん!」
礼を言われ、ぽりぽりと頬をかく。
「別にツケがなくなったわけじゃないからな?」
「えー……」
「えーじゃないだろう。全く」
「ツケは返したくない」
「そりゃそうだろうな」
「……そういう意味じゃねえんだぜ」
「そういう?」
「いや、気にするな。とにかく、また後日だぜ」
霖之助は「やれやれ」と首を振る。
「しょうがない。じゃあ、また取り立てに来るから」
霖之助が次の取り立てに向かおうとした時、
「ちょっと待ってくれ」
「? なんだい? 突然気が変わって返す気になったとか?」
「そんなわけない」
「じゃあ、なんだよ」
「こーりん、そういえば最近外の世界から流れてきた酒を拾ったんだよな?」
霖之助は眉をひそめる。
魔理沙が言っているのは、紫からもらったあの酒のことだろう。なぜ知っている? と霖之助が問うと、
「紫が酒瓶持ってたから『くれ』と言ったんだが、こーりんに渡すもんだと断られてな」
と答えた。なるほど、なぜ知っていたかも分かった。
しかし、
「その酒をどうするつもりだい?」
「買うに決まってるんだぜ」
「金がないのに?」
「もちろん、ツケだ」
「おいおい……」
霖之助は呆れた。
「これ以上ツケ増やしてどうする?」
「一つや二つ増えたところで変わりはしないぜ」
霖之助は心底呆れかえった。
金がないのに、どうしてこうやって借金を増やしていくんだ? 僕を、なめているのか?
魔理沙には、きっと返す気なんてないんだろう。「こーりんだから」の一言で、全て済ましてしまうに違いない。
それは魔理沙の悪いところだ。
口調に憤りを含ませて断ろうと口を開く。
霖之助が何か言う前に、魔理沙は歯を見せて笑った。
「な。いいだろ?」
霖之助は口を開いたまま――肩を落とした。
「……まぁ、いいけどさ」
その一言に、魔理沙は一層笑顔を輝かせる。
「よっしゃ! 後で取りに行くぜ!」
「はいはい……。それじゃあな」
霖之助はとぼとぼと歩み始める。
どうして、許しちゃったのかなぁ……。
霖之助は歩きながら自問する。
森は大きく枝葉を広げ、光を遮っているせいで辺りは若干暗い。その暗さが考え事をする時に邪魔にならない程度の明るさを醸し出していた。
先ほどの魔理沙の笑顔。
あれに、価値を感じてしまった。
それで、まぁいいかなと思ってしまった。
「馬鹿馬鹿しい」
自分で自分を呆れる。
「どうして魔理沙の笑顔を見たぐらいで許してしまうんだ」
先ほどの取り立てだって魔理沙は何回も笑顔を浮かべたが、価値を感じなかったじゃないか。なのに、どうしてあの時だけ?
自分が分からなくなるのは致命的なことだ。
だから霖之助はいったん思考を停止した。
即座に次の取り立てのことを考え始める。
次は、高い商品ばかりを持っていく者だ。
「えぇー……」
明らかにイヤそうな顔をされた。これも想定内だ。
「君が諸々持っていった商品はきちんとこの紙に記されている。どれもこれも値段としてはかなりのものばかりだ。さぁ、少しでもいいから返してもらおうか」
「霖之助さん? 私、お賽銭が入らない哀れで貧乏な巫女なんだけど?」
「知ってる。だからこうして君が境内を箒で掃いているのに関わらず、取り立てに来ているんじゃないか」
「いつまでも払わないから?」
「分かってるじゃないか」
「鬼よ、ここに金の鬼がいるわ……。あぁ、神様。清貧である巫女になお、お金を強請ろうとする亡者がいます……あぁどうにかしてくださいませ神様……」
「演技はいいから金を出せ」
「ちぇー」と霊夢は頬を膨らませる。その顔は年相応の少女らしい可愛さがあるものだが、背負ったツケは大人が裸で夜逃げするほど膨大なものだ。それを少しでもいいから回収したい。霖之助の切実な想いである。
「まぁね。見ての通り私は明日のご飯も心配になるほどの貧乏人なのよ? そんなお金持ってるわけがないわ」
「じゃあ、何で持っていくものはことごとく嗜好品でなおかつ高いもんばかりなんだよ」
「別に貧乏巫女が贅沢したっていいじゃない。霖之助さんのおごりで」
「譲った覚えはない。それと開き直るな。どれもこれも耳をそろえて払ってもらうからな」
「……けち」
「正当な請求だ」
「けちー、けちー」と霊夢が舌を出して言ってくる。
……正直、この巫女に支払いの能力があることを期待してはいない。けど、
「払ってもらわくちゃ困るんだけどね」
「ないものはないの」
「はぁ、どうして君たちは毎度毎度、金がないのにツケで持っていくのかな……」
「あら、魔理沙もツケにしているの?」
「あぁ、魔理沙もいつもツケで商品を持って行っているよ、君みたいにね」
「ふーん。魔理沙のことだからツケにしないで、勝手に持っていくものだと思っていたわ」
霊夢の一言に霖之助はハッとする。
「確かに。紅魔館ではいつも勝手に本を持って行ってるらしいけど、どうして僕のところではツケにするんだろう……」
ツケにすれば請求されるのは分かるはず。だから、勝手に持っていくのが一番だ。もちろん、それをされるのはたまったものではないが、魔理沙の立場から考えると、そうしないのはおかしい。
「どうしてだ? さっきだって僕の酒をツケで買ったし……」
「どういうこと?」
霊夢は霖之助の顔を下から覗くようにして訊いてくる。何故か目には真剣味が籠もっている。
何か違和感を感じながらも、霖之助が紫から年代もののワインをもらったこと、魔理沙がそれをツケで買って、あとで香霖堂に取りに来ることを話すと、
「……霖之助さん。それ、あと何本残ってる?」
「ん? えぇっと、魔理沙一本買って、残り一本は僕が飲む用に取ってあるけど……」
「霖之助さん、私もそれ買うわ」
「……はぁっ!?」
霖之助が大口を開けて驚いた声を出すと、霊夢は不満そうな顔を浮かべた。
「何よ? 魔理沙はいいのに私はだめなの?」
「いやだって……金は?」
「もちろん――魔理沙と同じツケよ」
霊夢はくすりと笑った。
その笑顔を見て霖之助は天を仰いだ。
世の中は無情なものだと、そう思った。
香霖堂の店内。二本の酒瓶がカウンターに置かれている。ラベルはミミズを走らせたような文字で何か書いてあるが、これが酒の名前を指しているであろうことは推測している。
酒の種類はぶどう酒。しかも年代物。人々に忘れ去られるまで置かれたその味は素晴らしいだろうと、霖之助はいつもの椅子に座りながら思う。
「楽しみにしてたが……」
しかし、譲ってしまった。ツケと言っているが、ツケを返しっこない二人に売ってしまったのは最早譲ってしまったと言っても過言ではないだろう。
なぜ譲ってしまったのかという疑問に対して、思い浮かぶは二人の笑顔だ。
魔理沙のにやりという表現が似合う強気な笑顔。
霊夢のくすりという表現が似合うきれいな笑顔。
二人の笑顔を思い浮かべてみて、霖之助はこう思う。
……この絶品の酒を飲んだ二人は、どんな表情を浮かべるんだろうか。
それは、自分が飲んでも得られないものだ。何だかんだ言いつつ、あの二人が笑ってくれるのならそれでいいんじゃないかと、思うのだ。
あぁ、と霖之助は思いついた。
それが理由かなぁ。
……思えば、あの二人がツケにする時にすでに答えは出ていたのかな。
つまり、霖之助はすでに商いをしていたのだ。高価な商品を売り、対価として得難い少女たちの笑顔を目にしている。二人の喜びが、霖之助にとっての対価だったのだ。
しかし、それではつけ込まれるのではないか。現状そうだ。魔理沙と霊夢、返さない二人のツケを許し、実質無償で高価な酒や過去に並べた商品を提供している。
利潤を得るという点では失格であり、でも――得難いものを得るという点では誰よりも勝っているだろう。
つまり、こういうことではないだろうか。
「商売は金だけじゃない、ということか……?」
直後、気配を感じた。
「よー、こーりん。約束通り取りに来てやったぜ」
カランコロンと音を立て、意気揚々と魔理沙が入ってきた。
「奪いに来たの間違いじゃないのか?」
「人聞きが悪いぜ。――おぉ、それが例の!」
魔理沙が机の上に置いてある酒に気がついた。その星のようにキラキラとした笑顔は、霖之助の心をくすぐる。
「お気に召してもらって光栄だよ」
「おぉ。……それにしても、どうして二本あるんだ? 私に二本くれるのか」
「いや、それは――」
「私の分よ。魔理沙」
声がした方角は入り口だ。魔理沙が振り向くと驚愕の表情を浮かべた。
「げげ、霊夢!?」
「何よー。人を幽霊みたいに扱って」
不敵に笑う霊夢。魔理沙は顔をしかめた。
「ッチ。しくじったぜ……」
「そのお酒が欲しかったのは、あんただけじゃなかったってことよ、魔理沙」
睨み合う二人に、霖之助は「おいおい」と声をかける。
「二人とも。確かにこれはいい酒だが、何もいがみ合うようなことしなくてもいいだろ。ちゃんと二人分あるんだからさ」
霊夢と魔理沙は一度霖之助の方に向き、再び顔を見合わせて、苦笑した。
「バカだな」
「ま、霖之助さんだしね」
「何か、僕の知らないところで評価が下がってる気がするんだが……」
「まぁいい」と呟きつつ、霖之助は二つの酒瓶を二人に手渡した。
「これで完了だな。二人とも、遅くてもいいからきちんとツケを払ってもらいたいもんだけど……」
酒瓶を持った魔理沙が、にやりと笑った。
「いいや、まだだぜ」
霊夢もくすっと笑う。
「そうね」
え? っと疑問符を浮かべる霖之助の隣に、二人はそれぞれ立った。
「これは、一体……」
「霖之助さん。グラスないの?」
「あぁ、えっと……」
元々は自分で飲もうとしたものだ。ちゃんと、グラスは用意してある。
カウンターの下からそれを取り出す。
魔理沙が躊躇うことなく瓶の栓を栓抜きで開けて、グラスに並々と注いだ。
「おい……」
「おっと、問答無用だぜこーりん」
ワインの赤が、グラスの中で輝いている。
「さぁ」
魔理沙に促され、霖之助はグラスに口をつけた。
霖之助の喉に、ワインが通る。
「どうだ?」
「……うまいけど」
「よかったな」
魔理沙は満面の笑みで言う。
「あの、魔理沙?」
「霖之助さん早く飲んでよね。次は私のも控えてるんだから」
「いや、え? ちょ、そんな一気には飲めないってこれ。もったいないし――いや、そうじゃなくて!」
霖之助が大声で叫んで、霊夢は眉をひそめる。
「何よ? ワインおいしいんでしょ?」
「いや、このワインは君たちが買ったものなんだよ? すごく、おいしいワインだ」
「それは分かってるわよ」
「なら、どうして僕に飲ませるんだい?」
「何言ってるのよ。もともとそのつもりだったのよ?」
一瞬何を言っているのかが分からなくて、言葉に詰まる。
その隙を縫うようなタイミングで、霊夢は霖之助の肩に手を乗せる。魔理沙もならうように手を置く。
「私たちのツケで飲むお酒はおいしいかしら? 霖之助さん?」
霊夢と魔理沙が顔を覗き込むようにして、笑いかける。
それは、霖之助を少し放心させるには十分なほどで、何よりも得難いものだった。
霖之助は確信した。
自分が何に利益を見いだしてるのかを。
霖之助はメガネの位置を直して、
「全く、君たちは過払いだよ」
「何よそれ」
「こーりんボケたのか? ツケはまだ払っちゃいないぜ」
笑う二人に、霖之助は席を立ってくるりと背を向けた。
「うるさいな。それと、さすがにこれ一人じゃ飲みきれないからね。グラスはあと二つあるから、一緒に飲もう」
「そうね、霖之助さんがそう言うなら」
「あぁ、飲もうぜ」
霖之助の死角で、二人は笑って答えた。
霖之助は戸棚からグラス取り出しつつ思う。
……そういえば。結局分からなかったことがある。
それは根本的な問題だ。
……どうして二人は金がないのに、わざわざツケにしてまで買うんだろう。
買えない商品は普通、買わない。当たり前のことだが、この二人はそんな当たり前のことが通用しない。ツケをしてまで無理に買う。少しでも気に入ったら買い上げる。
それは、何故だろう?
魔理沙はまだ魔法の研究という理由があるから、分かる。しかし霊夢は? 贅沢をしたいという理由だけで、ツケにしてまで買うだろうか? あの無邪気な巫女は?
ツケは無料じゃない。借金だ。負債を抱えるのを好き好んでやるやつはいないはずだ。
それと、分からない問題はもう一つある。
霖之助が飲むと分かっている酒をわざわざ買ったことだ。
彼女らの金で飲ませたかった。それは分かる。だが、なぜ?
理由は全く見当もつかない。ツケを増やしたかったとしか……。
けど、訊いたところできっとはぐらかされるだろう。
……なにか、隠している。
何となく、霖之助はそう感じる。けれどその理由がなんなのかも、分からない。
試しに霖之助は少し考えてみるが、
……まぁ、いいか。
考えるだけ無駄だと悟る。
とりあえず今は――この二人からもらう笑顔をツケの代金にしておこうと、そう思う。
霖之助はグラスを置いて、目録をゴミ箱に放り捨てた。
「ちょ、何やってるの!?」
「え?」
「こーりん、気が狂ったのか!?」
「あ、あぁ……」
……普段守銭奴である僕が、目録をいきなり放り捨てたらそりゃ驚くだろうなぁ。
ちょっと失敗したなと思いつつ「もう必要ないから」とだけ霖之助は言った。さすがに笑顔が十分代金になったからもういらない、なんて言えない。
内心、霖之助はほくそ笑んでいた。
目録が必要なくなったからという理由で捨てるのは、ツケがなくなるということだ。これで二人は喜ぶだろうと霖之助は思う。
「何言ってるの!? 馬鹿じゃないの!?」
「目録が必要ないなんて、そんな馬鹿なことはないぜ!」
しかし二人は怒っていた。それも結構本気で。
訳が分からなかった。
「何で怒ってるんだい? ツケはいらないって僕は言ってるんだよ?」
「そんなのは――あぁ、もう!」
魔理沙は荒い足取りでゴミ箱まで歩き、放り込まれた目録を拾う。
そして霖之助にまで歩み寄り、
「ほら」
と、目録を差し出した。
「えっと……」
「何やってるの、ほら」
霊夢は霖之助を手を掴んで、目録を掴ませた。
「あー……」
何を言っていいのか分からない。とりあえず、目録を机の上に乗せると、頷く。
打って変わって、二人の雰囲気が穏やかなそれに変わった。
「よし。じゃあ、酒飲むか」
魔理沙と霊夢は笑った。
「こーりん、それ取ってくれよ」
魔理沙はグラスを指さす。「あ、私も」と霊夢も言う。
急な変化に戸惑いながらも、
「自分で取ればいいんじゃないか?」
と応じる。
やれやれと、魔理沙は首を振った。
「分かってないな。こーりんが注いで、私たちに渡すんだ。さっき注いでやったろ?」
「元は僕に飲ませるものだったんじゃ……」
「いいから。注いで渡してくれよ」
霖之助はため息を吐いて、グラスにワインを注ぐ。
並々と注がれたワイングラスを二つ手に取り、魔理沙と霊夢に手渡す。
「これでいいんだろ?」
「あぁ、サンキュ」
「ありがとう、霖之助さん」
魔理沙と霊夢はグラスを取る。
なぜわざわざ自分に注がせたのか分からなかったが、霖之助は考えるのをやめた。
今は戸惑うよりも考えるよりも先にすることがある。
それは――勘定だ。
魔理沙と霊夢が上機嫌でワインを飲んでいる。
見るとその笑顔には個人差があるのが分かる。
魔理沙はワインを飲み干した後「くぁ~」と言い、目をぎゅっと瞑る。酒のうまみを全体で表現している中、その笑顔は力強く、「弾幕はパワーだぜ」と主張する魔理沙らしさが垣間見える。
霊夢は少し飲む。飲んで、口をもごもごとさせる。酒の味を楽しんでいるのだろう。そして、小さく笑う。細かく弾幕をかわせる霊夢らしい繊細な感性が出ている。
それらの笑顔を見て、商売人冥利だなぁと、微笑みながら霖之助はそう思った。
霖之助は気づいていない。
魔理沙と霊夢がグラスを手に取る際、さりげなく霖之助の指に触れた、その意味を。
酒を飲んだ後、霊夢と魔理沙は互いに目を合わせ、小さく苦笑した。
自然と笑顔になれました
でも霖之助が魔理沙から騙し貰った天叢雲剣は、いくらツケにしてもお釣りが来る代物だよね。
霖之助には是非立場を代わって欲しいが、生活コストがかかる自分ではあっという間に生活できなくなるなw
100点
いつもなら反論したいけど、今回の場合は全面的に同意せざるを得ない。
霖之助の対応もまストーリーも甘すぎです
良いお話でした
まぁ、幻想郷には関係ないが
後書きGJ!