しとしとと雨が降っている。こんな日は輪をかけて客が少ないし、僕としてはゆっくり本を読めてありがたい。
「ごきげんよう」
一人を堪能していたら玄関がしとやかに開いて、そんな挨拶が聞こえてきた。魔理沙や霊夢ではない。お客様か。僕は珍しく普通に「いらっしゃいませ」と店主らしい挨拶を返してからしかし、その対応をすぐに後悔することになる。
「私がいらっしゃいましたわ」
そう言って満面の笑みを浮かべるのは八雲紫。正直、霊夢や魔理沙よりも厄介な手合いだった。まぁ、あの二人に関してはお互いに相手をすることが慣れているだけでもあるけれど。
商品の対価は不当気味なりにきちんと支払うので、客としてはありがたい(この店においては本当に有り難い)存在なのだが、いかんせん、僕は僕よりも知識が豊富な、それも外に関する知識が豊富で僕との差が膨大であろう彼女のことが、少なからず苦手だった。僕が積み上げて組み立ててきた外に関する知識と考察を、『空想だ』と一笑に付しかねない危うさが彼女にはある。たとえそんなことを言われても、八雲紫の主観と僕の客観では僕の客観の方が正しいという自負はもちろんあるが、それでも、実際に外の世界を見ている彼女にそんなことを言われると、これから先の考察に影響を与えかねない。
それはそれとして、彼女はあの二人と違って用とも言えない用で顔を出すことはないだろう。客の相手をするのはいまだに苦手な部分だが、精一杯の対応はしなければ。
「何をお探しで?」
「人間を少々」
僕の精一杯の対応と愛想笑いが無碍にされたようで、何とも言えない気分となるが、仕方が無い。
「あいにく生ものは扱っておりませんが」
「ああ、そういえばこのお店、私にしか使い方のわからないアイテム専門のお店でしたわね」
そこは『私にしか』ではなく『誰も』と言っておいてほしいところなのだが(ちなみに、僕でなくとも見れば何の道具なのかわかるような日用品も扱っている)。とはいえ、細かいところに突っ込む勇気もない。この幻想郷において、彼女には誰も逆らえないのだから。
「心配されなくともご飯と人手は間に合っていますわ。ただ、遊び相手に逃げられてしまって」
「ああ、そういうことですか。今日は霊夢、来てませんよ」
彼女の目的が割とあっさり判明して、僕は胸をなでおろす。商品が目当てではないということにほっとするのは、商売人として何かが間違っているような気もするが、触らぬ神に祟りはないのだ。
いや、神はきちんと祀れば祟りもないので、触らぬ妖怪に祟りはないと言った方がこの状況にも真理にも近いかもしれない。もちろんこの場合の『触らぬ』は、妖怪、すなわち八雲紫が主語である。いわゆるひとつの倒置法で、そこに人や、僕のような存在の意思が介入する余地のないことは勘違いのないように付け加えておこう。わざわざ自分から妖怪に触りに行くのは、妖怪退治の専門家と、どこぞの魔法使いと、あとは主人に命令された従者くらいで十分だ。
「それはわかっております。ただ、稽古から逃げてこちらに向かっているのを見たものですから、先回りしてあげようと思って」
そう言って八雲紫は扇子で顔を隠して上品に笑う。
「別に霊夢を使って何を企んでいようと僕にはどうしようもありませんが、店を巻き込むのは勘弁してもらえませんかね……」
「あら、『僕は関係ない』だなんて冷たいこと言うのね。あんなに仲がよろしいのに」
「まぁ、僕は関係ありませんからね」
特に洒落た返しも思い浮かばず、そのまま認める。正直言って、幻想郷の秩序を守ったり異変を解決したりというのは、僕にとって興味のわく話ではない。霊夢が博霊神社の巫女としての本分を果たすために力をつけるということは霊夢を知る者として、もちろん喜ばしい事ではあるのだが、それを扇動しているのが大妖怪であるところの八雲紫というのはなんともうさんくさく、長生きしたければ関わらない方が良い部類の話だとも思う。
「そ」
そんな僕のちっぽけな計算を知ってか知らずか、八雲紫は素っ気なく返事をすると、椅子に座って腕と足を組み、デッサンの練習にでも付き合っているかのように微動だにしなくなった。
霊夢や魔理沙が相手ならここで新しく拾った道具の話をするなり、話題に即した薀蓄を語るなりするところなのだが、いかんせん八雲紫が相手では愉快な結果には終わりそうにない。早く霊夢に来てほしいような、それはそれで店に被害が及びそうで来てほしくないような。魔理沙あたりに来てもらうのが無難か? いやいや、あいつは誰もいなくたってトラブルメーカーだし……
「あら、気が利くのね。いただきますわ」
らしくもなく不毛な事を考えていたら、無意識にお茶を二人分淹れていた。対応に困ると僕はお茶を淹れてしまう習性にあるらしい。唯一僕の商売人らしいところかもしれない。小売業では回転を遅くするばかりであまり意味はないけれど。
「ええと、霖之助さん、だったかしら」
「ああ、霊夢はそう呼びますね。魔理沙は『香霖』なんて呼びますけど」
「ふうん。じゃ、香霖は甘いのと辛いのどっちが好き?」
そっちを選ぶのか。いやいや、そうじゃなくて何の話をしているんだ?
「さーん、にーぃ、いーち」
「甘い方が」
カウントダウンされて、とっさに本音で答えてしまう。いやまぁ、酒好きは辛党であるべきみたいなイメージは打ち破られるべきで、その先陣を切るのも吝かではないが。
「そ」
やはり素っ気なくそう返事をする。が、今回は何らかの感情を押し隠しているようにも見えた。端的に言えば笑われているわけだが、まぁ、機嫌を損なわれるよりはマシか。
八雲紫は組んだ腕をほどいて、何も無い空間に右手を伸ばすと、何も無いはずの空間から厚紙で出来ている箱を取り出した。見れば見るほど人を食ったような能力だ(言うまでもないが皮肉である)。運動不足になりそうでうらやましい。
「これ、外で流行ってるのよー。時代遅れの香霖さんにはちょっと刺激が強すぎるかも」
呼び方混ざった。まぁ、なんとでも好きに呼んでくれてかまわない。名前に関しては一家言ある僕だが、呼び方にこだわりはあっても呼ばれ方にこだわりはない。時代遅れ呼ばわりに関しては、八雲紫に先んじるには少なくとも外の世界を超えなければならないので、致し方ない。今の僕は、コンピューターもカメラも携帯ゲーム機も使い方がわからないのだから。
とにかく八雲紫はそう言って箱を開けて、手のひらに収まる大きさの紙包みを一つ僕に手渡した。やわらかい。
「饅頭ですか」
「えぇ、お茶請けくらい、最初から用意しておくべきだったかしら」
「いえ、そんなことは。いただきます」
最初からそんなものを用意されていたら、後から何を要求されるのかが恐ろしくて、とても手を出す気にはなれなかっただろうとは言えない。しかも、それを見透かされた上での『後出し』の可能性も高いのが、この妖怪のいやらしいところだ。吸血鬼に仕えるメイドあたりは、少なくとも迎えるべき客として対応させてくれるのだが、彼女のこの常に自分を上に置こうとする態度は、性格のようなものなのだろう。何にせよ、警戒してしすぎることはないと再認識する。
「ううん、やっぱり人間は、食べ物に関しては良い仕事をするわね。上品な味だわ」
饅頭を一口かじってはしゃぐ八雲紫を横目に、僕も一口いただく。
「……おいしい」
気泡を多めに含んだ皮の素朴な食感が、豊かな香りを引き立てている。甘さも砂糖だけに頼らず、素材の味を活かしている点はまさに上品の一言に尽きる。警戒心が先に立ち、かといって食べないわけにもいかず、味わうことなんて二の次だったはずだが、外の世界の饅頭がここまで洗練されているとは思わなかった。
「かるかん饅頭というらしいですわ」
僕の反応を見て、八雲紫は満足げにそう教えてくれた。冷静に考えれば、僕は外の世界の道具は持っていても、外の世界の物を食べたことはなかった。貴重な瞬間なのに、自ら感動を薄めてしまったことを後悔しつつ、もう一口かじる。……おいしい。
饅頭はおいしいが、それだけに僕は八雲紫に対して気を許さないように改めて心がける。
「そんなに警戒されなくても、取って食ったりはしませんわ」
「……そりゃ、饅頭の方がおいしいでしょうからね」
「あなたはじめっとしてるわりに固そうだものねぇ」
そう言って八雲紫は小さくあくびをした。ずいぶんな言いようである。
「それにしてもあの子、遅いわねぇ。妖怪でも見つけたのかしら」
「ここに来るのはまずいと感じたのかもしれませんよ」
「……どうして?」
八雲紫が首を傾げる。不用意な発言だったか。軽く脳内で警報が鳴る。
「なんて、ね。ま、直感で避けられるということは、今日のところは諦めた方が良いってことかも」
ため息をひとつついて、八雲紫は立ち上がると、店内の物色を始めた。僕が最近拾った道具の中でも、一番使い方のわからなかった外付けハードディスクに興味を惹かれたようで、それを手にとった。コンピューターのオプションらしいが、そもそもコンピューターの使い方がわからないので、お話になりそうもなかった一品だ。
――カランカラン
「居るかしら? って、ああ、ここに来るのはまずい気がしたのよね」
と、八雲紫が諦めかけたその時、霊夢が現れた。
「あら、いらっしゃいませ」
八雲紫が霊夢を笑顔で迎える。
「……香霖堂は紫を雇うほど暇だったの? いや、暇なのは知ってるけど」
「これでも僕は猫の手を借りたいほど忙しいんだけどね」
「猫の手の方が面倒はなさそうね」
「橙を呼ばせましょうか?」
「それはそれで面倒だわ」
「で、今日は何の用だい?」
尋ねてから、霊夢が見覚えのある紙箱を持っていることに気がつく。
「おいしい饅頭が手に入ったからお裾分けしようかと思ったんだけど、無駄足だったわね」
そういって霊夢は自分のお茶を淹れると、八雲紫の持っている箱から饅頭を一つ手に取った。変なところで貧乏性である。というか、色々と遠慮がない。
「さて、それでどうするの。まさかこんなところで稽古を始めるつもり?」
霊夢が八雲紫に尋ねる。そういえば、稽古とは言うが、巫女と妖怪で実際何をするというのだろうか。
外で、店に被害がない程度にやれるものなら一度くらい見学してみても面白そうだ。
「いいえ、丁度私があなたを諦めて仕方なく香霖さんで遊ぼうと思い立ったところで来るんだもの。あまり稽古って気分じゃないわね。全く呆れた幸運よ」
しかし、八雲紫の方はつれない返事だった。気分の問題で左右されるならば、案外単なる暇つぶし、遊びのようなものなのかもしれない。
お菓子に喜んだり、稽古と称して遊んだり。この分では、星に願い事をしていたとしても違和感がない。
ここに来て、八雲紫のイメージが、普通の少女となんら変わらなくなりそうになっていることに気が付き、自己を戒める。単純にオンオフを切り替えているだけの話だ。気を許しても良いことはない。
「ならいいけど。それにしても香霖さんだなんて、ずいぶん仲良くなったものね」
「私はわりと誰にでも合わせられるのよ? 香霖さんは私のことが嫌いみたいだけど」
「肯定したいのか否定したいのか」
「否定はしないわ」
「否定していることを、でしょ。ま、相性は悪そうよね」
「肯定していることを、よ。とはいえ、相性は悪いわね。香霖さん風に言えば私は幻想郷の管理者であり、境界でもある。すなわち土そのものだから」
なるほど。土は水を吸う。今の説明はわかりやすい。わかりやすいが……
「木は土を痩せさせるんじゃなかったかしら。それなら何で紫は私に構うの?」
同じことを僕も考えた。木であるところの霊夢が十の力を自分に関することだけでも覚えていることに少し感心しつつ、八雲紫の企みがさらに謎となる。
「バランスよ。今の幻想郷は、私達にとって肥沃にすぎる」
「私が未熟ってこと?」
「そう思うなら自主的に修行でもしてくれればねぇ……」
「いやよ。なんで私があんたのダイエットに付き合わなきゃいけないの」
そう言って霊夢は後から来たのにも関わらず、僕や八雲紫に先んじて二個目の饅頭に手をつけた。自分が太ることは構わないらしい。
「そういうわけで、今の私は香霖さんや魔理沙に害となる必要はない存在ですわ」
ああ、それが言いたかったのか。
僕の八雲紫に対する苦手意識や警戒心を解除して、何の利益があるのかは理解に苦しむが、苦手がられて得意になるタイプの存在でもないらしい。まぁ、そういう話は中途半端に強い存在にありがちなだけで、本当に力のある妖怪はもっと感情に素直なものか。
もちろん、苦手意識なんてものはいったん心に植えつけられれば理由……それこそ物質における相性なんて話は後付けに過ぎない(そもそも、八雲紫が土という話も疑わしい。僕の見立てでは彼女も水寄りなのだが)。何にせよ、好きも嫌いも、その本質を他の言葉に置き換えることなどできないのだ。……それでも。
「あまり怖がるのも失礼でしたかね。外の世界では、他にどんな食べ物が流行ってるんですか?」
僕は少しだけ、八雲紫に心を開こうとしていた。触らぬ妖怪に触ろうとするとは、僕もヤキが回ったものだ。生き急いでいると言ってもいい。……それでも、外の世界という長い物に巻かれる前準備に、八雲紫という長い物に巻かれてみるのも悪くはないかもしれない。
そんなことを考えたのも事実だったので、その感情に素直に従ってみることにする。
「さて、別にかるかん饅頭も私が好きなだけで、流行っているというわけでもないのよねぇ。こと食べ物に関しては多様化が進みすぎて、個人の嗜好以上の物にはなかなかなって来ませんわ。ただ単に、外の世界に絡めたら香霖さんが喜ぶかと思っただけで」
そして僕は、最初からからかわれていただけということを知るのであった。
「助平なこと考えるからそうなるのよ」
霊夢が知った風な口を利いた。まぁ、僕の外に対する想いは彼女も知っているんだけれど。
「とはいえ、知りたいというなら教えてあげるくらいは構わないわ。灯油だけで商品をいただくのも、罪悪感がないでもなかったし」
さらりと、八雲紫は商品と引き換えという条件を出してきた。うちの客はいつもこうだ。香霖堂の商品は言い値で買えるものと勘違いしている。
しかし、外の世界の情報――それも、『外の世界にとっては書くに値しない情報』は僕にとって、外の世界の道具以上に得がたいものではある。中身にもよるがコレクションを差し出す対価として、悪い話でもない。
「良いの? 霖之助さんの考えていることは、紫にとっては面白くないことだと思ってたんだけど」
「あら、別に構わないわよ。幻想郷の、人にあらざる者にとって、外の世界の現実は空想の物語と何も変わりはしないもの。逆もまた同じようにね」
いつかは外に出て、今以上に道具屋としての自分を磨きたい。八雲紫はそんな僕の夢を根本から否定して受け入れた。とはいえ、それは八雲紫の主観であり、僕が諦める理由には到底ならない。
すなわち、八雲紫を超えることが、僕の夢を叶える第一段階となるのだから。……気の遠くなる話には感じるが、それは僕が幻想郷という小さな場所に留まっていることの証明に過ぎない。外に見合う力が僕につけば、自然と外は僕を受け入れるだろう。
「別に今は僕にとって空想の物語でも構わないさ。僕自身を磨けば、そこに現実を見出せるようになる」
「その考え方が、既に幻想に染まっているのよ」
八雲紫はこれまでのあどけない笑顔とは一転し、口元だけで不敵に笑う。
「ま、今日の授業はこの辺かしらね。それじゃ、これはもらっていくわ」
そう言って八雲紫は、先ほど手に取った外付けハードディスクを懐に収めて立ち上がる。
「あら、もう帰るの? まだ何の授業もしてないじゃない」
「家庭教師は自己紹介から始めるものよ。今日はお互いにそれを済ませただけ。それとも、霊夢は私にまだ帰って欲しくないのかしら?」
「引きとめたように聞こえたのなら悪かったわ」
「つれないわねぇ。それではごきげんよう」
八雲紫はそう言って、あどけない笑顔とも不敵な笑顔とも違う、困ったような笑みを浮かべて、きちんと玄関から外に出た。
「変ね。霖之助さんに外のことを教えて、いったい何になるのかしら」
「君に稽古をつけているということだってずいぶん変な話だしなぁ」
「まぁ、あいつは普通じゃないからな。変で普通だぜ」
どこから現れたのか、八雲紫と入れ替わるように魔理沙が突然会話に割り込んできた。八雲紫以上に神出鬼没とは恐れ入る。既にお茶も饅頭もその両手に収まっていた。
「ま、それもそうかもね。考える方が馬鹿を見るのかも」
「ああ、饅頭がうまい。それでいいだろ?」
「それもそうか。理解できないことは気にしない、だな」
「そうそう。饅頭がうまいことが理解できればそれでいい。しかし、うまいなコレ」
魔理沙はかるかん饅頭を痛く気に入ったらしく、うまいうまいと連呼していた。
そんな魔理沙の姿を見ていると、饅頭に騙されているようでやはり警戒してしまうが、かるかん饅頭の味わいが僕の警戒心をあっさりと打ち破る。まぁ、好きも嫌いも理由は後付けだ。彼女を警戒する必要性を薄く感じてしまう今の僕は、食べ物であっさり懐柔される。
太陽の光が窓から差し込んできたので外を見ると、雨が止んで虹がかかっていた。
その紫色の内側に手をかざして、自分と虹との距離に思わず肩をすくめてしまう。
「なんだ、何もないところに手を伸ばしたりして、紫の真似か? そんなことしても意味ないぜ」
「ああ、そうかもしれないね。でも、そうじゃないかもしれない」
「私にもできなかったのに、百年早いぜ」
一応試したのか。まぁ、魔理沙なら当然の話ではある。
「それなら、百年後にまた試すことにするよ。僕は案外気が長いんだ」
「確かに、ツケが効くのはこの店の良いところだな」
「別にお金を払わなくていいわけではないからな。それに、ツケは百年も待てないぞ」
客ですらない客と他愛のない会話をして、いつもの日常が回り始める。
八雲紫の訪問は少々イレギュラーな出来事ではあったが、これからは八雲紫とのやりとりも僕の日常の一部となるのかもしれない。そうなれたら後は慣れるだけの話で、霊夢や魔理沙の相手をするようなものとなるのも、時間の問題だ。その、八雲紫と当然のように関われる僕は、今日の僕よりも成長していると言える。
「変なのに絡まれたわりにうれしそうね」
彼女にとっては三個目の、八雲紫が取り出した箱では最後の饅頭に、ためらいなく手を伸ばした霊夢は、僕の顔を見て意外そうな顔をする。
「まぁ、外に近づいていると思えばね」
「紫がそんなことの手伝いをするとは思えないんだけど。あることないこと吹き込まれるんじゃないの?」
「なに、ないことを言われても、その根拠となる話は必ずあるはずだ。それを考えるのはわりと僕の得意とするところだよ」
荒唐無稽な言い伝えにも、必ず起源はある。そういう思いで聞けば得るものはあると確信していた。
「そう。まぁ、余計なこと言わないでおくわ。紫がうちに来る頻度が減るのは、私にとっても悪い話じゃないし」
そう言って、お茶を追加した霊夢はまたのんびりし始める。
僕はその霊夢の最後の一言が、のどに刺さった小骨のように、ひっかかった。
さて、それから一ヵ月後。
果たして、その間八雲紫が香霖堂の敷居をまたぐことは一度としてなかった。
神出鬼没なのだから敷居をまたぐ必要もないとか、香霖堂から実は一歩も出ていなかったとか、そういう叙述的なトリックでも何でもなく、僕と八雲紫が顔を合わせることは一度もなかったということだ。
ここに来て、僕は案外自分が浮かれていたことに気づき、そして、八雲紫があんなことを言った理由もおおよそ理解してしまっていた。
――カランカラン
ドアの開く音がする。どうせ客ではない。そして、客ではない客も以前は二人だったが、ここ最近は一人にしぼられる。
「今日も寂しいやもめ男に私が来てやったぜ」
「寂しいのは僕じゃなくて魔理沙の方だろう。霊夢はあの妖怪の相手で忙しいだろうから」
「なんだ、知ってたのか」
魔理沙がつまらなそうな顔をする。
要は、人間の親が子供に、あそこは怖い妖怪が出るから近づくのはやめなさいと言ったようなものだったのである。まぁ、その妖怪とは八雲紫自身のことなのだけれど。
次に八雲紫が訪れるのは、やはり霊夢が彼女からここに逃げ込もうとした時なのだろう。しかも、僕に外の話をするつもりなんてさらさらないに違いない。
「そんなことより僕は、あの日、いったいいつから魔理沙がこの店にいたのかの方が気になるね」
魔理沙が来たのは八雲紫が帰ってからと記憶しているのだが。
「そんなことはどうでもいいだろ。とりあえず面白い物を拾ったから見てくれ。こんなもの、幻想郷じゃ見たこともない」
あからさまにはぐらかした。どうせ蔵の中でも物色していたところに八雲紫が現れて、出てくるのをためらっていたというあたりだろう。しかし、それを言及しようとすると、八雲紫の小憎い笑顔が脳裏をかすみ、気概がなくなる。良いタイミングで泥棒に入ったものだ。
とにかく僕は、魔理沙が持ってきた拾い物で、軽く拗ねて眠りかけていた脳を働かせることにした。結局僕は、こうやって外の物や道具を見ることで、地道に外に近づくより他ないのだろう。うまい話なんてそうあるわけではないのはわかっているが、思わず僕はため息をついてしまう。
「どうした?」
「いや、紳士的な対応というものは、難しいなと思って」
僕は、つい最近今代の御阿礼の子が書いた幻想郷縁起における、八雲紫への対策を思い出していた。そして一ヶ月前のあの時は、とても紳士的とは言えなかったと自分でも思う。最初はただ警戒していて、最後は外の世界の話(の約束)に浮かれて。
「紫を相手にして、真摯な対応をさせてもらえるのは霊夢くらいのもんだろうぜ」
ま、当の霊夢にその気はないからお手上げだな。魔理沙はそう付け加えると両手を上げて、「そんなことより」と、思い出したように帽子から赤い縫い目のある、拳ほどの大きさの白い球を取り出した。
「多分この縫い目に何か術的な意味があると思うんだが……」
「これは硬球と言って、投げたり棒で打ち返したりするための物のようだね」
「ふむ。なら、サッカーボールの親戚か?」
「いや、このいささか大げさで紋様じみた縫い目と、赤と白という色使いを見る限り、遊具というよりも神具に近いものだろう。魔理沙の見立ては最初の方で概ね正しい」
「おお、そうこなくちゃな。それで、一体どういう儀式に使うんだ?」
魔理沙は笑うと、僕に話の続きを促す。
よく見ると縫い目がちょうど108個だ。これはすなわち煩悩を意味する。赤と白――つまり生を象徴する二色で煩悩を表現するとはなんとも皮肉だが、それと「投げる・打ち返す」というキーワードを絡めれば、いともたやすくどのような儀式に使うのか想像できた。
こうやって外の世界の道具のことを考えたり、説明をしていると、外の世界に一歩ずつ近づいていることを肌で感じる。この感覚を持ち続け、外の世界の人間と遜色のない知識を得たとき、答え合わせという意味で外の世界を見る資格が得られるのかもしれない。少なくとも八雲紫に頼るようなやり方は邪道で意味がない。
それがわかっただけでも、僕は一ヶ月前よりも成長している。結局彼女に良い印象は持てないままだが、ある意味、大事なことを教えてくれたとも言える。
まぁ、それはさておいて、今は目の前の硬球だ。僕の能力は、そして僕の幸せは、こうやって、使い道を理解されない道具のことを人に伝え、道具に生きる道を与えることなのだから。
叙述が丁寧でしかも無駄なく、小品として実によくできているとも思います。
まさに佳作!
目まぐるしく展開が移り変わるのも好きですが、こういうゆったりしたのも悪くない。個人的には好きな部類です。
ただ少々テーマがぼやけ過ぎている気もします。
タイトルは「からかわれる」ですが、あまり漠然とし過ぎで初見で予測するのは無理です。タイトルのみではなく、内容も取り留めがないというのでしょうか。まあ、ここらへんはこの独特の雰囲気を出す為には多少仕方ない気もしますが。
敢えてハードディスク或いはサッカーボール一つに絞って長々と語らせても面白いかも。その点では、ババァという言葉一つからひたすら話を膨らませた某作品なんかが特徴的です。伝えたい事、書きたい事は明確にした方が良いと思います。
後小さな事ですが気になった点としては、会話文の前後や話の一区切りに改行(スペース)を入れないのだろうかという事。
書籍なら行間が広めに取ってあり読みやすく工夫されてますが、ネット上はその点を弄りにくく、読みにくくなる事が多いです。行数や文字数、漢字の密度等も含めたレイアウトも、一つの作品を見る指標だと思いますよ。
まあ高得点作家さんが大抵そうされてる一番の理由ですが。
パッと見であまりゴチャゴチャし過ぎているのは、個人的には余程でないと読まない気がします。
長文すみませんでした。