フランは激怒した。
必ず、かの邪智暴虐の魔女を見返さなければならぬと決意した。
―――話は数時間前に遡る。
「ふんふんふ~ん」
フランドールがご機嫌な様子で鼻歌を口ずさみながら訪れたのは大図書館。
本好きの彼女は、今日も新たな本との出会いを求めてこの場所にやってきた。
「今日は何を読もうかなっと……おや」
図書館の中に入ると、パチュリーと小悪魔が何やら話をしているのが聞えてきた。
(何話してるのかな?)
特に深い意味も無く、純粋な好奇心で、フランドールは二人の会話を盗み聞きすることにした。
(どれどれ)
本棚の陰から、こっそりと聞き耳を立てる。
なんだかいけないことをしているような気がして、フランドールは少し楽しくなってきた。
―――しかし、そんな彼女の耳に飛び込んできたのは。
「つかぶっちゃけ、吸血鬼って弱くね?」
「えーまじすかパチュリー様。そんなこと言っていいんスか」
「だってさあ、今日みたいな小雨の日でも外出れないとかマジやばくね?」
「えーでも確か、パチュリー様が雨降らないようにしてやってンスよね?」
「この館の周りはそうなンだけどー、でもほら、そっから先は普通に降ってるっていうかー」
「えーでもあれっしょ、フツーに傘とか持って行けばいいンじゃねッスか」
「まあそうなんだけどー、でもアイツらちょっと濡れるだけでも怖いみたいでー、だからまず外に出ようとしないっていうかー」
「あー、まあ傘差してもちょっとは濡れますもんねー、吸血鬼まじぱねぇッスねー」
「だよねー、ぶっちゃけ激弱だよねー」
―――以上。
「ひどいと思わない!? お姉様!」
そう叫び、どん! と机を叩いたのはフランドール。
一方、叩かれた机を前に訝しげな目をフランドールに向けているのは、彼女の姉であり、この部屋の主でもあるレミリアだ。
レミリアは溜め息混じりに告げた。
「いや、それ、明らかに誇張してるでしょ」
「うぐっ」
姉の冷静なツッコミに、思わずたじろぐフランドール。
「ま、まあちょっとばかし大げさに言ったけどさ」
「いや、大分でしょ」
「うぐっ」
姉にジト目で睨まれ、思わず目を逸らすフランドール。
実際のところ、フランドールが盗聴した上記二名の会話は以下の通りであった。
―――数時間前、大図書館にて。
「それにしても、吸血鬼って不便な種族よね」
「どうしたんですか? パチュリー様。そんないきなり」
「だって、今日みたいな小雨の日でさえ、外に出られないのよ。不便極まりないわ」
「ああ、でも確か、パチュリー様が魔法で雨降らないようにしてあげてるんですよね?」
「この館の周りはね。でも、それ以上先は普通に降ってるから」
「うーん、じゃあ普通に傘でも持って行けばいいのでは」
「まあそうなんだけどね。でもレミィ達、やっぱり少し濡れるだけでも怖いみたい。だから雨の日はまず外に出ようとはしないわ」
「あー、まあ傘差してもちょっとは濡れますもんね。吸血鬼も大変ですねぇ」
「そうなのよ。本当に不便な種族だわ」
―――以上。
「全然違うじゃないの」
「大体一緒だよ!」
呆れ顔で溜め息を吐くレミリアに対し、再び、どん! と机を叩くフランドール。
「ワンピースかよ」
「え?」
「何でもないわ」
漫画好きゆえにツッコんでしまったレミリアだったが、妹はあまり漫画を読まないことを思い出して若干後悔した。
「まあとにかく、そんなことにいちいち腹を立ててどうするのよ」
「何言ってるのよお姉様! これが怒らないでいられるの!? 私たち誇り高き吸血鬼が『不便な種族』なんて言葉で愚弄されたんだよ!?」
「いやだって、不便なのは事実でしょう」
「何さらっと認めてるのさ! 私はお姉様をそんな腑抜けな吸血鬼に育てた覚えはないよ!」
「そりゃまあ私も、あなたに育てられた覚えはないけども」
フランドールが何を言っても、レミリアには今一つ事の重大さが伝わらないようだ。
それならばと、フランドールは軽く息を吸い、言った。
「……じゃあ」
「ん?」
「私が、証明してあげるよ」
「? 何を?」
「吸血鬼は『不便な種族』なんかじゃないってこと……つまり、吸血鬼にとって、雨なんか弱点たりえないってことをさ!」
「やめときなさいな、そんな不毛なこと」
「不毛なんかじゃない! これは吸血鬼の誇りをかけた戦いなんだ!」
そう言い捨てると、フランドールは姉に背を向け、勢いよく部屋を飛び出して行った。
レミリアは紅茶を啜りながら、そういえば私も五年くらい前はあれくらいとんがっていたわねぇ、と遠い昔を懐かしんでいた。
―――紅魔館・門前。
「あれ? ……雨?」
門番・紅美鈴は空からぽつぽつと降ってきた雨粒に首を傾げた。
館周辺はパチュリーの魔法によって雨が降らないようにされているはずなのに、これは一体どうしたことか。
もしやパチュリーの身に何かあったのだろうか? そう思い、美鈴が反射的に館の方を振り向くと、
「私がパチュリーに頼んで、魔法を解いてもらったんだよ」
そう言いながら、雨傘を差したフランドールが歩いてきた。
「妹様……?」
突然の状況に、困惑する美鈴。
「どういうことです?」
「簡単なことだよ」
フランドールは自信満々に言う。
「今から私は、証明する」
「何をです?」
「雨は、吸血鬼の弱点ではないと!」
そう叫ぶや、フランドールは一思いに雨傘を放り投げた。
開かれたままのそれは、風に煽られて転がっていった。
「妹様!?」
フランドールの突然の奇行に、思わず驚きの声を発する美鈴。
それと同時に、数多の雨粒がぽつぽつと、フランドールの肉体を穿ち始める。
「うぐおおおおおおおおおっ!」
「妹様!」
堪らず、フランドールは雄叫びを上げた。
すぐさま駆け寄る美鈴。
しかし、
「来るなッ!」
「!?」
鬼気迫る形相で、フランドールがそれを制した。
「こ、これは……うぐっ……わ、私の戦いなんだッ……! 吸血鬼の、誇りを、かけたッ……!」
「し、しかし」
「うぐっ……いいか、美鈴……早く、早くこの場から離れ……っはァ!」
「妹様!」
激痛のあまり、片膝を地面につくフランドール。
しかしなおも彼女は、右手を上げて美鈴を制する。
「妹様……」
「い、いいから……逃げろ……美鈴。こ、これ以上……私に近付くと……死ぬぞッ……うぐぅっ!」
「いやいや! どう見ても妹様の方が死にそうですけど!?」
「馬鹿野郎ーっ! 美鈴ーっ! 何を言ってる!? ふざけるなぁーっ!」
「え……えぇ!?」
「は、早く……早く逃げるんだッ……私の中の小宇宙≪コスモ≫が疼き出す前にッ……!」
そのとき、フランドールの身体から何やら煙のようなものが立ち上り始めた。
「妹様!? なんか出てますよ!?」
「ぐっ……どうやらいよいよ暴れ出してきたようだな……! 私の中の邪神≪アークゴッド≫が……ぐぅ……!」
「いやいやいや! それ明らかに雨に打たれた肌が爛れてきてるんですよ! ていうか小宇宙≪コスモ≫じゃなかったんですか!?」
「フッ……美鈴……ど、どうやら私は、もう、ここまでのよう、だ……」
「妹様!?」
「こ……この後目覚めるであろう“私”は、もう私ではない……そう、もう一人の“私”―――†アナザードール†―――だ」
「妹様!? なんか煙がえらいことになってますよ!?」
「もし……もし“奴”が目覚めたら……がはっ……そのときは、迷わず……コロ、セ……」
そこまで言うと、フランドールは全身から煙を立ち上らせたまま、小雨の中、地面にばたんと倒れ込んだ。
「い……妹様ぁーっ!」
彼女の亡骸を抱えた美鈴の叫びが、霧の湖に木霊した。
―――数時間後。
「……知らない天井だ……」
目を覚ましたフランドールは、ぼんやりと天井を見上げながら、誰に言うともなしに呟いた。
「いや、知ってるでしょ」
「妹様の部屋ですよ、ここ」
普通に聞かれていた。
自分のすぐ隣に顔を並べた美鈴と咲夜のツーショットを見て、フランドールは軽く死にたくなった。
「いやいや、悪い冗談やめてくださいよ、妹様。さっきのアレの後だと冗談に聞こえないですし」
「そうですわ。もっとお体を大事にして下さいまし」
「むぅ……」
フランドールは頬を軽く膨らませながら、むっくりと上体を起こした。
そこで初めて、自分がベッドに寝かされていたということに気付く。
「……ここには、美鈴が?」
「はい。あのままだとマジで死んじゃいそうだったんで、速攻で運び込みました」
「……ありがとう」
「いえいえ」
素直に礼を述べるフランドールに、美鈴はたははと手を振って答える。
「もう、あんな無茶はしないで下さいね」
「……うん」
「それを聞いて安心しました。……では、妹様も起きられたので、私は門の方に戻ります。咲夜さん、後お願いしますね」
「うん。おっけー」
「…………」
美鈴が部屋を出て行ったのを確認してから、フランドールは神妙な面持ちで咲夜に切り出した。
「咲夜」
「はい」
「……特訓するから、手伝って」
「はあ。何の特訓ですか」
「もちろん、雨を克服する特訓だよ」
「えー、なんかめんどいですわ」
「私、咲夜のそういうところ好きだよ」
「はあ。まあいいですけど」
こうして、フランドールは咲夜のサポートの下、対雨特訓をすることになった。
美鈴なら元来の心配性な性格に加え、先ほど自分が死にかけた様子も直に見ている。
そんな状況で特訓をしたいなどと言っても、反対されるのは火を見るよりも明らか。
しかし、咲夜は違う。
咲夜はそもそもからして適当な性格なので、こっちがやりたいといえば面倒くさがりながらも反対することはまずしない。
それは普段からなんだかんだで姉の我儘に付き合っていることからも明らかだ。
(計画通り……!)
フランドールがにやりとほくそ笑むその横で、咲夜はふああとあくびをした。
―――さらに、数時間後。
「で、何やるんですか?」
「フッフッフ」
流石は吸血鬼の回復力と言うべきか。
先ほどの降雨によるダメージがほぼ完全に消え失せたフランドールは、再び咲夜を自室に呼び付けていた。
ちなみにフランドールはビキニの水着を着用している。
「さっきはいきなり雨中に飛び込んで死にかけたが―――」
「まあ普通に予想できたことですよね」
「その反省を踏まえ、まずはここから始める!」
咲夜のツッコミをスルーしつつ、フランドールが指差したのは、部屋に付属しているバスルームだった。
フランドールはその中に備え付けてあるシャワーホースを手に取ると、そのまま咲夜に手渡した。
「? これをどうするんです?」
「これを使って、私の身体に少しずつ水を掛けていってほしい」
「妹様……まさかそんなご趣味がおありだったとは……」
「今までの話聞いてたのか貴様」
流石は安定の咲夜と言わざるをえない。
フランドールは軽く嘆息しつつ、自身は空の浴槽の中に入った。
そして咲夜に背を向ける形で、三角座りをする。
「じゃあ、まずはちょろっとだけ出してみて」
「はあ」
蛇口を少しだけひねる咲夜。
すると、本当にちょろろろ、と申し訳程度の水が出てきた。
「よし、やって」
「じゃあ」
背中を差し出すフランドールに対し、咲夜はシャワーヘッドを向ける。
ちょろろろっと滴る水が、フランドールの背中に当たる。
「うぐうっ……」
ビキニの上下の間、素肌がむき出しになっている部分に水が当たり、フランドールは顔をしかめる。
そして間もなく、水の当たっている部分から、煙がうっすら立ち上り始める。
「……なんか燻ってますけど、気持ちいいんですか? 妹様」
「ん、んなわけないでしょっ……!」
「じゃあ、もうやめます?」
「いや、いいっ……! これでいいっ……!」
ふるふると震えながらも、なんとか耐えるフランドール。
辛いことに変わりはないが、先ほどの全身を穿つ降雨に比べれば、水の当たる箇所が一ヶ所で済む分、まだ格段にマシといえる。
―――それから、水の当たる位置をこまめにずらしながら、三十分ほどが経過した頃。
(……よし)
時間の経過と共に、今の水量に大分慣れてきたフランドールは、咲夜の方を振り返り、言った。
「……もうちょっと、水、強めてみてくれる?」
「え、マジすか」
「うん。もう少しだけ」
「分かりました」
そう言いつつ、咲夜が蛇口を回すと。
「ぎゃあああああああああ!」
思いの外、大量の水が噴き出した。
「ああ、すみません。つい、いつものクセで」
慌てて蛇口を締め直し、先ほどと同じくらいの水量に戻す咲夜。
「し、しぬかとおもった……」
浴槽の底に両手をつき、ぜえぜえと肩で息をするフランドール。
「少し休みますか?」
「いや、いい……。こんなところで、へこたれるわけにはいかない……!」
ギラギラと、熱く闘志を燃やすフランドール。
咲夜はやれやれと溜め息を吐きながら、再びシャワーヘッドをフランドールの背中へと向けた。
―――その後結局、数時間に及ぶ水責めを経て、本日の特訓は終了となった。
「はあ……はあ……」
「お疲れ様でした」
ぐったりしているフランドールの身体を、タオルで優しく拭いてやる咲夜。
最後の方は、体から出る煙の量も少なくなっており、成果は確実に窺えた。
(この調子なら……そう遠くないうちに……!)
野心に燃えるフランドールは、またもにやりとほくそ笑んだ。
―――そんな特訓の日々が、一週間ほど続いた。
今やフランドールは、最大水量のシャワーですら、頭からモロにかぶっても耐えられる程度にまでなっていた。
「クックック……今こそ、我が吸血鬼一族の“最強”を証明する時が来たようだな……」
そして何故か、無駄にキャラ変までしていた。
フランドールは、自信に満ち溢れた声で咲夜に命じる。
「さあ、咲夜! 皆の者を門前に参集させよ!」
「うぃっす」
咲夜がなおざりな返事を残して姿を消すと、フランドールは一人、部屋の中心で腕を組み、仁王立ちをしながら語り始めた。
「さあ……宴の始まりだ……クーックックックッ……ひょっ!? ……げほっ、けほっ、む、むせちゃった……」
涙目で咳き込むフランドール。
彼女は、咲夜が行った後で良かったと思いながら、そっと目尻を拭った。
(……負けないぞ! 絶対に!)
そう。
今日の天気は―――雨。
フランドールにとって、一週間前の雪辱を果たすときが、遂に来たのである。
(……吸血鬼の、誇りにかけて!)
フランドールはぎゅっと拳を握りしめると、堂々とした足取りで地下室を後にした。
―――そしておよそ一時間後、門前。
門の前に立ち並びたるは、紅魔館の主にしてフランドールの姉でもある、レミリア。
その隣に、傘をレミリアに向けて差している従者・咲夜。
さらにその隣に、今回の事件の発端となった発言の主・パチュリーに、その横で心配そうな表情を浮かべている小悪魔。
そして最後に、小悪魔同様、不安げな面持ちを浮かべている美鈴に、その隣で傘を差している、今日の戦いの主役であるフランドール。
―――以上の六名が、そこそこに強い降雨の中、紅魔館の門前に揃い踏みしていた。
「妹様……本当にやる気なんですか?」
「当然だよ」
不安そうな顔で尋ねる美鈴に、フランドールは自信に満ちた表情で答える。
「でも今日の雨、前の時よりさらに強くなってますよ」
「平気だって。そのためにこの一週間、咲夜と特訓してたんだから」
「……それはさっき、咲夜さんから聞きました。私には内緒で、やっていたと」
「だって、言ったら反対するでしょ? 美鈴は優しいから」
そう言って、にっこりと微笑むフランドール。
そう言われてしまうと、美鈴としてはもう何も返す言葉が思い浮かばない。
「……危なくなったら、すぐに止めますからね」
「分かってるって」
ぐっと親指を立てるフランドール。
美鈴はやれやれと息を吐いた。
そして、次にフランドールに声を掛けてきたのは。
「……正気なの?」
今回のフランドールの戦いの原因ともなる発言をした張本人―――パチュリーであった。
フランドールは、にやりと笑って答える。
「当然だよ」
「……はあ。ま、止めても止まりそうにないし、好きになさいな」
「そうさせてもらうよ。そして今日、パチュリーにあのときの言葉を撤回させる!」
ずびし! と、パチュリーに指を突き付けて宣言するフランドール。
しかし、
「……『あのときの言葉』って、何?」
「んなっ」
きょとんと首を傾げるパチュリーに、思わず頭からズッコケるフランドール。
そういえばあれは直接言われたわけではなく、自分が勝手に盗み聞きしただけだった。
フランドールは頭をさすって起き上がりながら、説明する。
「……この前図書館で、『吸血鬼は不便な種族だ』って小悪魔に言ってたでしょ。……あれのことだよ」
「え? そんなこと言ったっけ? 私」
不思議そうな顔で、小悪魔の方を見るパチュリー。
慌てて、小悪魔がフォローするように言う。
「いやいや、言ってましたよ思いっきり! ……ていうか妹様、あのときいらしてたんですね」
「まあね」
「……まあ、そういえばそんなことも言ったかもしれないわね。それで何? それで、こんなバカげたことを?」
見下すようなパチュリーの言葉に、フランドールは思わずむきになって反論する。
「バカげたことなんかじゃない! これは吸血鬼の誇りをかけた戦いなんだ!」
「ふぅん」
「…………」
熱血系の主人公張りに熱い台詞を吐いたフランドールだったが、それに相対するパチュリーは妙に淡泊だった。
一応彼女は、今回の戦いの仮想敵的なポジションにいるはずなのだが。
(ま、まあいいや……)
なんとなく毒気を抜かれたフランドールだったが、こんなところでテンションを下げるわけにはいかないと気を取り直す。
そして次に、彼女に声を掛けてきたのは、
「頑張ってね、フラン」
「お姉様」
親愛なる姉、レミリアだった。
レミリアは寝癖のついた頭をぼりぼりと掻きながら、
「あなたなら、それなりに良い結果を残せるかもしれなくもない可能性も無きにしも非ずだわ。ふああ」
「何その微妙な励まし!? しかもなんかあくびしてるし!」
現在の時刻は正午前。
本来ならまだ眠っているはずの時間帯であるため、レミリアの思考能力は通常比七十パーセント減であった。
「いやあ、ここに来るまでの間、眠気覚ましに咲夜とオセロしてたんだけど、ふあ、それでもまだ眠くって。むにゅ」
「オセロしてたの!? どおりで咲夜が呼びに行ってから結構な時間が経ってたわけだよ!」
「まあまあ、フランちゃんならきっと吸血鬼の誇りを取り戻してくれるって、くあ、お姉ちゃんそう信じてるわ。うみゅう」
「……はあ。もういいよ」
終始ひたすら眠そうな姉の激励を受け、またしてもテンションが下がりかけたフランドールだったが、
「大丈夫ですよ、妹様」
「咲夜」
レミリアの横にいた咲夜が、フォローするように声を掛けてきた。
「この一週間、あんなに特訓したんですから。絶対に大丈夫です」
「咲夜……」
いつもあんなに不真面目な咲夜が、今日に限っていやに真面目に物を言う。
ただそれだけのことで、フランドールは少しばかり涙腺が緩むのを感じた。
「あらあら。まだ泣くのはお早いですわ」
「な、泣いてないよっ」
ぐいっと目尻をこすり、にこっと笑顔。
「……ありがとう、咲夜。今日まで頑張ってこられたのは、咲夜のおかげだよ」
「妹様……」
暫しの間見つめ合う、二人。
「でも今泣いてましたよね」
「空気読んでよ!」
やっぱり咲夜は咲夜だった。
―――そして。
「……それじゃあ、行くとしますか」
フランドールはコキコキと首を鳴らしつつ、空を見上げた。
さめざめと降りしきる―――雨。
相手にとって、不足はない。
(大丈夫……大丈夫だ)
目を閉じて、深呼吸を繰り返すフランドール。
この一週間の日々に、思いを馳せる。
(あんなに……特訓したんだから)
シャワーで咲夜に責められた日々。
一体何度、気を失いそうになったことか。
でも、その積み重ねがあるからこそ、今―――自分は臆することなく、戦いに臨める。
(……よし)
目を開く。
その瞬間、フランドールは、自信が確信に変わるのを感じた。
―――そして。
「えいっ!」
勢いよく、手に持っていた雨傘を放り投げた。
途端、容赦無く全身に襲い来る降雨。
「うぐうううううっ……!」
思わず、唸り声を上げるフランドール。
「妹様!」
美鈴が駆け寄ろうとするが、フランドールは前回同様、右手を上げて制止する。
そして。
「……大丈夫」
雨に打たれながら。
「……平気だよ、これくらい」
フランドールは、笑った。
「……妹様……」
その光景に、美鈴も目を丸くする。
体表から立ち上る煙も、前回に比べると格段に少なく、目を凝らさなければ視認できないほどだ。
「……私の……勝ちだよ」
フランドールはゆっくりと顔を動かし、この戦いの元凶(本人にその自覚はなさそうだが)―――パチュリーの方を見た。
すると、パチュリーは顎に手を当てながら、
「……ふむ」
何かを思案するような声を発した。
そして。
「まあ、そうね。うん。吸血鬼にしては、頑張った方だと思うわ」
「……何?」
その発言に、またも眉を吊り上がらせるフランドール。
パチュリーは淡々と続ける。
「いや、だから、“雨が苦手な”吸血鬼にしては、よく頑張ったなあ、と」
「……それは聞き捨てならないね」
雨に打たれながら、一歩一歩、フランドールはパチュリーの方へと近付いていく。
フランドールのすぐ傍にいた美鈴は、はらはらとした表情で、その様子を見つめている。
パチュリーの隣に立つ小悪魔も、美鈴と同じような面持ちを浮かべていた。
他方、レミリアと咲夜は、「雨の日も風情があっていいわねぇ」「まったくですわ」などと、ピントのズレた会話を呑気に交わしていた。
パチュリーの真正面に立ったフランドールは、その眠そうな瞳を真っ直ぐに見据えながら、言った。
「……これだけの雨に耐えれてるんだ。これはもう、雨は吸血鬼の弱点じゃないってことの証左だよ」
「……そうかしら? ……その結論はまだ、尚早だと思うけど」
「何だって?」
さらにずい、とパチュリーに詰め寄るフランドール。
小悪魔はおろおろとしながら、「ちょ、ちょっとパチュリー様」などと言っているが、パチュリーは聞く耳を持っていないようで、
「この程度の雨に耐えられたくらいで、『雨が弱点ではない』などと片腹痛いと―――そう言ったのよ」
「―――!」
ぞわっと、フランドールの妖気が膨れ上がった。
すぐさま、二人の間に割って入る美鈴。
「お、落ち着いて下さい妹様! パチュリー様も、何てことを言うんですか!」
「私は事実を言ったまでよ」
「いいじゃないですか別にもう! 妹様が、雨をここまで克服できるようになったのは事実なんですから!」
「……一週間後」
美鈴の言葉を無視するように、パチュリーはフランドールの顔を見据えて、言った。
フランドールもまた、パチュリーの顔から一秒も視線を外すことなく、問う。
「……一週間後? ……が、どうしたの?」
パチュリーは目を閉じ、抑揚の無い声で告げた。
「……“ワルプルギスの夜”が、幻想郷の上空に現れる」
「“ワルプルギスの夜”……?」
その聞き慣れない単語に、フランドールは首を傾げる。
パチュリーは淡々と続けた。
「……熱帯低気圧のうち、十分間平均の最大風速が三十四ノット以上のものに対する、魔女界における通称よ」
「それ、要は台風の事ですよね」
「……ともあれ、一週間後に“ワルプルギスの夜”が来る」
小悪魔の的確なツッコミをスルーしつつ、パチュリーは話を進めた。
「これは、今日の雨なんて比べ物にならないくらいの豪雨を伴って来る怪物よ。こいつを前にしてもなお立っていられたなら―――そのときは、妹様の主張の正当性を認めましょう」
「……本当だね」
「もちろんよ。魔女に二言は無いわ」
「……わかったよ」
フランドールはそう言うと、くるりとパチュリーに背を向け、そのまま門をくぐって紅魔館の敷地の中へと戻って行った。
「妹様」
するとすぐに、美鈴がその後を追ってきた。
彼女はフランドールに追いつくと、素早くその身体の上に傘を差した。
「風邪引きますよ」
「…………」
フランドールは立ち止まり、美鈴を見上げると、声を掛けた。
「……美鈴」
「はい」
「……後一週間、咲夜と一緒に……私の特訓に付き合ってくれないかな」
「…………」
「お願い。あともう一段階上に行くためには、美鈴の力が必要なんだ」
いつになく真剣な表情で懇請をするフランドールを前に、美鈴は軽く息を吐いた。
「……もう、仕方ないですね」
「! 本当?」
「……ええ。ここまで一生懸命な妹様を前に、無下に断る事なんかできませんし」
「……ありがとう、美鈴」
そう言って、フランドールはにこりと微笑んだ。
そしてそれとは対照的に、美鈴は、やれやれと苦笑いを浮かべた。
……一方こちらは、まだ門前に残っていた、パチュリーと小悪魔の二人。
小悪魔は溜め息混じりに、やや非難じみた口調でパチュリーに話し掛けた。
「……もう。なんであんなに、妹様を挑発するようなことを言ったんですか? パチュリー様」
「ん?」
すると、パチュリーは顎に指先を当てて空を見上げながら、
「……そうねぇ。まあ一言で言うと」
「言うと?」
「その方が、面白くなりそうだったから」
「…………」
パチュリーはそれだけ言うと、「さて、部屋に戻って読書の続きよ」と、何事も無かったかのように館の方へと歩き始めた。
小悪魔はそんな主の背中を見ながら、これだから魔女って生き物は……と、軽く額を押さえて嘆息した。
……そして、少し離れた場所にいた、レミリアと咲夜の二人は。
「あーそうだ。咲夜。早く戻って、オセロの続きやろうよ」
「え? お嬢様、まさかあの局面からまだ勝つ気でいるんですか?」
「何でそんな上から目線なの!? まだお互い角一つも取ってないのに!」
「いやあ、ここに来る前、こっそり時間を止めてお嬢様の黒をほとんど白にしておきましたので」
「何普通にイカサマしてんの!? ていうかそれ告白したら意味なくない!?」
「いやあ、言わないとお気付きになられないかなと。今までもそうでしたし」
「今までもしてたの!? どおりで私、今まで咲夜に全戦全敗だったわけだよ!」
……などと、相変わらず、一ミリたりとも今回の戦いとは関係の無い会話を呑気に交わしていた。
―――そして、その日の夜更け過ぎ。
フランドールは、美鈴と咲夜を伴い、妖怪の山を訪れていた。
「うわぁ……」
「大きいですねぇ」
「ホントだ。むしゃむしゃ」
そして今、三人が見上げているのは―――山から落ち来る、巨大な滝。
その水勢は猛烈で、言うまでもないが、昨日までフランドールが特訓に使っていたシャワーなどとは比較にもならない。
「……じゃあ、お願い。美鈴」
「……分かりました」
決意を滲ませた表情のフランドールの言を受け、美鈴が何らかの“気”を滝の方へと送り込む。
すると、滝の水勢は大幅に弱まった。
「へぇ。あなた、こんなこともできたのねぇ。むしゃむしゃ」
咲夜が肉まんを頬張りながら、緊張感の欠片もない声で言った。
「まあどんな物でも、それが自然の物である限り“気”は宿っていますからね。そこにこっちの“気”を送ってうまく調和させれば、これくらいのことはできます」
「うんうんすごいすごい。むしゃむしゃ」
「聞いてないでしょあんた」
美鈴が溜め息を吐いている間に、フランドールはもう滝壺の近くまで移動していた。
フランドールは美鈴の方を振り返り、一度だけ頷く。
それに答えるように、美鈴も一度だけ頷いた。
そして。
「っ!」
勢いよく、フランドールは滝の真下に飛び込んだ。
美鈴によって弱められているとはいえ、それでも十分に強い水勢が、フランドールの身体を容赦無く襲う。
「うううっ……! ぐぅっ……!」
その圧力に、思わず跪きそうになるフランドール。
視界はほぼゼロ、ただ轟音のような滝の音だけが耳をつんざいている。
―――しかし。
「こんなところで……負けてなんか、いられないのよっ……!」
その持ち前の気合と根性で、フランドールはなんとか踏みとどまった。
頭の上から足の先まで、全身全霊で集中力を研ぎ澄ませる。
一方その頃、
「……そろそろですね」
時計を見ながら、美鈴が少しだけ“気”を弱めた。
それと同時に、滝の勢いが少し強くなる。
「うっ……!」
やや辛そうにしながらも、まだなんとか同じ姿勢を維持しているフランドール。
これはフランドールとの約束で、彼女が耐えられている限り、数分おきに少しずつ、滝の水勢を元の強さに近づけていく、という作戦だ。
そして元の水勢に戻してもなお、フランドールが耐えることができれば、この特訓は完了となる。
「よっ、と」
数分後、フランドールがまだ耐えているのを確認すると、美鈴はさらに“気”を弱めた。
それに反比例して、滝の勢いは一層強くなる。
もう既に、フランドールの姿は滝に隠されるほどになっていた。
……そんなフランドールの様子を見守りながら、呑気に肉まんを頬張るメイドが一人。
「頑張ってるわねぇ、妹様。もぐもぐ」
「ちょっと咲夜さん。呑気に肉まん食べてないで、ちゃんと見てて下さいよ」
「わかってるって。妹様が溺れたら、時間止めて助けるんでしょ?」
「『溺れたら』じゃなくて『溺れかけたら』です!」
「んもぅ。相変わらず細かいわねぇ」
「あんたが大ざっぱ過ぎるんでしょうが!」
などと、二人が軽口を言い合っていた時だった。
「う……ぐうっ……!」
「!」
途端、フランドールの姿が滝壺に消えた。
焦燥する美鈴。
「妹さ―――」
反射的に声を上げかけた美鈴だったが、
「ふぅ」
次の瞬間には、フランドールをお姫様だっこで抱えた咲夜が、全身ずぶ濡れになりながら立っていた。
「咲夜さん……!」
思わず、顔を綻ばせる美鈴。
咲夜の腕に抱かれているフランドールは、はあはあと大きく息をしているものの、特に目立った異常などはなさそうだ。
「妹様……」
美鈴が顔を覗き込むと、すぐにフランドールは目を開いた。
そして、申し訳なさそうな面持ちで言う。
「ごめんね美鈴、失敗しちゃった……」
「何を言ってるんです。まだ始まったばかりじゃないですか」
ぐっと、拳を握って励ます美鈴。
「……咲夜もありがとう、助けてくれて」
「何のこれしき、お安い御用ですわ。むしゃむしゃ」
空いた方の手で、瀟洒に肉まんを頬張る咲夜。
そんな二人を見て、フランドールはくすりと笑った。
「……ありがとう、二人とも。私、頑張る」
―――その後も夜明け寸前まで、滝での特訓は続けられた。
最後の方は、もうかなり強い水勢でも、フランドールは耐えられるようになっていた。
(いける……これなら……!)
フランドールは滝に打たれながら、ぐっと強く、拳を握りしめた。
(勝てる……! “ワルプルギスの夜”に……!)
―――そしてあっという間に一週間が過ぎ……いよいよ、“ワルプルギスの夜”襲来前夜となった。
「ふぅ……」
深夜、人気の無い食堂で、フランドールは一人、水を飲んでいた。
「いよいよ明日か……」
この一週間の苛烈を極めた特訓を思い返し、しみじみと感慨に耽る。
夜更けから明け方にかけての、山の滝での猛特訓。
最終的には、美鈴による“気”の制御無くして、滝に元のままの水勢で打たれても、びくともしなくなった。
これならもう、何が来ても平気というものだ。
「ふふ……楽しみだな」
フランドールがそう独りごちていると、
「……妹様」
「小悪魔」
意外な人物がそこに現れた。
「どうしたの?」
「あ、えっと……これを」
そう言って小悪魔が差し出したのは、一人分のショートケーキだった。
「……これは」
「あ、その、明日の決戦に向けての……差し入れです」
「……毒入り?」
「そんなわけないじゃないですか!」
「ふふっ、分かってるって。冗談だよ。ありがとね」
悪戯っぽく笑いながら、フランドールは添えられていたフォークを手に取ると、早速ひとくち分を切り分け、口に運んだ。
「あ、美味しい」
「! ホントですか?」
「うん。クリームが滑らかでスポンジもふわふわで、ちょうおいしい」
「それは良かったです! 頑張って作った甲斐がありました」
「……え、わざわざ作ってくれたの? 私のために?」
「はい」
えへん、と胸を張る小悪魔。
その姿がおかしくて、フランドールはついくっくっと笑ってしまう。
「ど、どうしたんですか」
「いや……一応今は、小悪魔は私とは逆の立場なのにな、って思って」
「あー、まあ、そりゃ私はパチュリー様の従者ですけど」
少し照れくさそうに、頬をかきながら小悪魔は言った。
「でも、妹様も、私にとっては大事な方ですから。応援するのは当然です」
「小悪魔……」
「おっと、もうこんな時間ですね。それでは私はこのへんで。明日は頑張って下さいね」
「うん。……ありがとう」
小悪魔がぱたぱたと去って行った後、フランドールは最後のひとくちを口に入れた。
「……美味しい」
その甘味を堪能していると、また別の足音が聞こえてきた。
「あら、まだ起きていたの?」
そう言って現れたのは、
「お姉様」
「やっ」
レミリアは気さくに片手を上げて挨拶すると、そのままフランドールの前の席に腰掛けた。
彼女はフランドールの前に置かれた皿を見て、
「……あら、お夜食? 太っても知らないわよ」
「えへへ。まあ今日は特別ってことで」
「……そうね。明日は決戦の日だものね」
「うん」
そこでレミリアは、机の上に置かれていたフランドールの手が微かに震えていることに気付いた。
「……恐いの? フラン」
「まあ、正直に言えば……少しは」
フランドールははにかみながら、
「でも、今はそれ以上に……わくわくしてるんだ」
「フラン……」
「明日で、私たち吸血鬼の歴史が変わると思うと……ね」
「……そうね」
レミリアはそっと、フランドールの手に自分の手を重ねた。
「? お姉様?」
「フラン」
フランドールの目を真っ直ぐに見つめながら、レミリアは言った。
「……頑張りなさい。……吸血鬼の、誇りにかけて」
「……うん!」
フランドールの元気な返事を聞くと、レミリアは満足気に微笑み、席を立った。
その後ろ姿に、フランドールは声を掛ける。
「ねぇ、お姉様」
「ん? 何かしら?」
「もし明日、私が“ワルプルギスの夜”に勝てたら……」
「勝てたら?」
「―――そのときは、とびっきり豪華なパーティーを、この館で開いてほしいな!」
弾けるような笑顔で言うフランドールに、レミリアは暫し目を瞬かせた後、
「……ええ。もちろんいいわよ。約束するわ」
「本当? じゃあ、指切りね!」
「はいはい」
フランドールも席を立ち、レミリアに向かって右手の小指を差し出す。
レミリアがそれに自分の指を絡めると、二人で一緒に歌い出す。
「ゆーびきーりげーんまーん」
「嘘ついたら」
「針千本」
「のーますっ」
「指きったっ」
「……ふふっ」
「……あははっ」
静かな食堂に、二人だけの笑い声はとてもよく響いた。
―――そしていよいよ、“ワルプルギスの夜”襲来当日。
時刻は正午を過ぎた頃。
門前に集うは、一週間前と同じ面々―――レミリア、咲夜、パチュリー、小悪魔、美鈴、そしてフランドールの六名である。
“ワルプルギスの夜”は徐々に紅魔館近辺に近付いてはいるものの、まだ雨も降り出しておらず、その到来には若干の余裕がある。
だがしかし、空は既に厚い雲に覆われており、吹いている風も普段のそれより遥かに強い。
「いよいよね、フラン」
「頑張って下さいませ」
「ファイトですよ! 妹様!」
レミリア、咲夜、美鈴が、順々にフランドールに激励の声を掛ける。
ちなみにレミリアは雨合羽に全身を包んでおり、あらゆる方向からの雨にも耐えられる仕様になっている。
片やフランドールは、まだ雨が降り出していないこともあって、傘すら手に持っていない、完全なる無防備状態だ。
フランドールは大きく頷き、三名の激励に答えた。
「まあ、見ててよ。皆」
そして。
「……さあ、見せてもらうわよ。あなたの主張が、正しかったのかどうかを」
「頑張って下さいね、妹様」
無駄に凄みを利かせるパチュリーに、信頼しきった表情でフランドールを見つめる小悪魔。
そんな対照的な二人を前に、フランドールは不敵に微笑んだ。
「……言われなくても、見せてあげるよ」
そのとき。
「―――!」
フランドールは空を見上げた。
明らかに、先ほどまでとは風の質が異なる。
パチュリーが緊迫した表情で告げた。
「来る……!」
その、直後。
「ッ……!」
思わず、フランドールは両足に力を込めて踏ん張った。
びりびりと、大地が唸るような強風。
パチュリーが帽子を押さえながら叫んだ。
「どうやら、お出ましの、ようね……!」
「これが……“ワルプルギスの夜”……!」
そう言って、フランドールはにやりと笑った。
心臓が、高鳴る。
そして―――。
「―――ぅおおおおっ!?」
叫ぶ、フランドール。
その瞬間、未だかつて体験したことがないほどの豪雨―――否、暴雨、とでも形容すべき圧倒的な水量―――が、一気に天空から降り注いだ。
「あ、ぐ、うぁあっ……!」
それは爆音のような雨音とともに、無防備のフランドールに、微塵の容赦も無く襲いかかった。
「……っ……ぅぐっ……!」
一気にのしかかる、強大な暴力。
それに対して、フランドールは全身全霊で踏ん張る。
―――しかし。
「ぐ、う、うおおおおっ……!」
圧力。圧力。圧倒的圧力っ……!
それは滝の水量をも遥かに超越した、この世のすべてを押しつぶすかのごとき圧倒的水量。
「あ……が……」
そのあまりに強大な力を前に、早くもフランドールの意識が途絶えかける。
(流石に……これは……)
全身が痺れる。
声も出ない。
今、自分はまだ両の足で立つことができているのか。
それとももう、地面に這いつくばってしまっているのか。
その違いすらも分からない。
(甘かった、かな……)
視界は既にゼロ。
目が開いているのか閉じているのかも定かではないが、明瞭に認識できる輪郭は皆無。
(……ああ、ここまで、か……)
―――フランドールの意識の糸が途切れそうになった、その瞬間。
「妹様ー!」
「頑張って下さいー!」
絶えず響き渡る、怒号のような雨音をかいくぐって、その声は聞えた。
(咲夜……! 美鈴……!)
途絶えかけていたフランドールの意識が、寸でのところで持ちこたえた。
「フランー! 吸血鬼の誇りをー!」
さらに続く、聞き慣れた声。
(お姉様……!)
力が、活力が。
「頑張れ頑張れできるできる絶対できる頑張れもっとやれるって!」
少し離れた方向から、また別の声。
(小悪魔……!)
漲る。
手に、足に。
(皆……皆……!)
フランドールのすべてが、温かいもので満たされてゆく。
―――次の瞬間。ふいに、フランドールの聴覚が脳に伝え続けていた、つんざくような雨音が途絶えた。
(……)
無音の空間の中、一人立ちすくむフランドール。
(…………)
そしてすぐに、彼女は理解した。
(そうか……)
いつしか、身体の痺れも消えていた。
(これは、私の戦いだけど……)
地面を踏みしめる感触を、確かめながら。
(私一人だけの、戦いじゃなかった)
空を見上げる。
厚い雲から、とめどなく降り注ぐ雨、雨、雨。
だが今はそれすらも―――心地良い。
(皆がいたから……ここまで来れた)
二週間前、無謀にも雨に打たれて死にかけた自分を助けてくれた……美鈴。
その日から始まった、シャワーを使った特訓で、めんどうくさがりながらもずっと自分に付き合ってくれた……咲夜。
(体が軽い……)
さらにこの一週間は、山の滝での猛特訓。
美鈴が“気”を操り滝の水量・水圧を調整してくれ、それでも自分が溺れかけたときは、咲夜が時間を止めて助けてくれた。
(こんなに幸せな気持ちで雨に打たれるなんて、初めて……)
決戦前夜の昨日、パチュリーの従者という立場でありながら、ショートケーキを差し入れてくれた……小悪魔。
(私……一人ぼっちじゃないんだ)
自分がこの戦いに勝ったら、とびっきり豪華なパーティーを開くと約束してくれた……レミリア。
(もう……何も怖くない!)
―――そして。
「…………」
フランドールは、立っていた。
未だ厚い雲が空を覆ってはいるものの、雨はすっかり止んでいた。
―――“ワルプルギスの夜”は、去ったのだ。
フランドールの、完全なる勝利である。
「妹様……!」
「ん?」
フランドールが振り向くと、美鈴が涙を浮かべながら立っていた。
「……妹様!」
「わっ」
がっしと、フランドールに抱きつく美鈴。
「ちょ、ちょっと美鈴……」
「妹様!」
「フラン!」
「イヤッハァ!」
慌てるフランドールに構わず、咲夜、レミリア、小悪魔も美鈴に続く。
もみくちゃにされながらも、フランドールは嬉しそうに笑った。
「ちょ、もう……皆ったら……!」
「おめでとうございます! 妹様!」
「今夜は赤飯にいたしますわ!」
「フラン、あなたは吸血鬼一族の誇りよ!」
「イヤッハァ!」
忙しなく祝いの言葉を掛ける四人に、フランドールは照れくさそうに答えた。
「……ありがとう、皆。皆のおかげで、最後まで立っていられたよ。私一人じゃ、到底勝つことはできなかった」
「妹様……」
「そんな、謙遜なさらずに」
「そうよフラン、あなただから勝てたのよ」
「Perfect Communication!」
そんな中、フランドールに、最後の一人が歩み寄る。
「……おめでとう。妹様」
「パチュリー……」
清々しい笑顔で、パチュリーは右手を差し出した。
「……もう、認めるしかないわね。……雨は、吸血鬼の弱点じゃないって」
「……ありがとう。パチュリー」
フランドールは微笑を浮かべながら、その手を握り返した。
そして優しげな口調で、話し掛ける。
「……ねえ、パチュリー」
「? 何かしら?」
「パチュリーはさ、私に頑張らせようと思って……わざとあんなことを言ったんだよね」
「……え?」
「だって、パチュリーにあんな風に言われなかったら、私、滝に打たれてまで特訓するなんて……絶対考えなかったもん」
「あ、ああ……そうね」
「だから、本当はパチュリーのおかげなんだよ。今日私が、“ワルプルギスの夜”に勝てたのは」
「うん。そうね、そういうことよ」
単に面白くなりそうだったから煽ってみただけ、などとは口が裂けても言えないパチュリーだった。
(まあ、丸く収まったからいいか……)
パチュリーは安堵の息を漏らし、ふと空を見上げた。
「……あら」
「? どうしたの? パチュリー」
「……そうだ」
「?」
パチュリーは一人にやりと笑うと、再びフランドールの方を向き、彼女に対して問いかけた。
「……ねぇ、妹様。今日はせっかく、妹様が弱点を克服できた記念の日だっていうのに、こんな空模様じゃすっきりしないと思わない?」
「え? ああ……まあ」
確かに、“ワルプルギスの夜”は去ったとはいえ、空はまだ分厚い雲に覆われており、どんよりと暗い。
しかしだからと言って、それを一体どうしようというのか。皆目見当がつかず、フランドールは首を傾げた。
すると、そんな彼女に対し、パチュリーは諭すような口調で言った。
「ねぇ、妹様。まさかもう忘れたわけじゃないでしょう? そもそもこの館に雨が降らないのは、何故だったか」
「あ……!」
そこでようやく、フランドールもパチュリーの言わんとしていることを理解した。
そして、満面の笑顔になって言う。
「……うん! お願い、パチュリー」
「……ふふ。七曜の魔女に、お任せあれ」
パチュリーは得意気にウィンクをすると、右手の人差し指をすっと空に指し向けた。
そして早口で呪文を詠唱してから、声高に叫ぶ。
「―――消えよ!」
―――その瞬間、空を覆っていた分厚い雲も、さらには元々紅魔館周辺に発生していた霧すらも―――何もかもが、一瞬で消え去った。
「……あっ」
しかしこのときパチュリーは、重大な事実を失念していた。
「しまっ」
「え」
最後に、フランドールが見たものは。
抜けるような青い空から、燦々と降り注ぐ―――
直 射 日 光 ! !
「にぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああ!!」
「妹様ァアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
……こうして危うく消滅しかけたフランドールであったが、直後、時間を止めた咲夜によって館内に保護され、なんとか一命を取り留めたという。
了
いや、楽しませてもらいました
いやぁ、フランちゃん頑張ったw
くそー、思いっきり噴いてしまったwww
よって100点!
不毛な闘いに挑むフランちゃんはカッコいいけど、
もともと妹様は(主に首から下が)不毛やん? って、これはかなり下品な発言やん?
色々あって、なんだかんだあって、それでもやっぱり、
まりまりささんの創るお話は……素敵やん?
訳がわからないよ
相変わらずパチェさんおいしいところ持ってくな。
この次は日光に対抗するんですね…ワンチャン最強あるっす?
咲夜さん、いいキャラしてる。
色々とネタが多くて笑わせていただきましたが、どれも自然と馴染んでいたと思いました
面白かったです
ワルプルギスって地名なんだって。パチェがいってた
ナイスパチュリーww
フラン頑張れww
咲夜さんのキャラがまじ瀟洒。
みんなのキャラも可愛くて好きです。
フランちゃん、風邪ひかないように気を付けてね。
滝より強いとか大げさな、と思ったのは自分だけ?
すっかりのめりこんでました。私自身も素で日光の存在を完全に忘れてほどにww
ああフランちゃん可愛い。
ところで滝に打たれてたときもフランちゃんビキニだったのかな?ビキニで滝に打たれたら一瞬で取れて(以下略)
あと「えー、なんかめんどいですわ」っていうこの咲夜さんの性格大好きだわぁ。
つまりお空ですね。
そしてプチフレアと間違えてペタフレア撃ってぎゃあああと。
…いいね!
「私はあと二回変身を残している(フォーオブアカインド的な意味で)」