Coolier - 新生・東方創想話

Cutie Lie

2011/10/22 02:30:08
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 どどんどんどどん。

 妖怪の山麓付近。
 何者かに追われているかのような焦燥感を感じさせるリズムで、厄神・鍵山雛の自宅の玄関ドアがノックされたのはその日の昼過ぎであった。

「はぁ~い」

 間延びした返事を外へ向けつつ、雛は洗い物で濡れた手を拭きながら玄関へ急いだ。
 土間へ降り、ゆっくりとドアを開ける。
 と、その瞬間―― ふらぁり、と何やら青い影がこちらへ倒れ込んでくるではないか。

「わっ」

 慌ててそれを抱き止める。腕を通じて、人肌の温もりが伝わって来た。
 目をぱちくりさせて見やれば、たった今抱き止めたのは毎日のように会う知った姿。

「にとり!どうしたの、大丈夫!?」

 河城にとり。河童で、発明家で、きゅうりの守護精霊で、そして雛の大親友。
 いつ見ても元気で人懐っこい笑顔を振りまく彼女が、玄関開けて一秒で胸元に倒れ込んできたのだから、これは異常事態と言う他あるまい。

「ひ、ひなぁ~……」

 弱々しい呟きが聞こえてきた。胸に顔を埋めたまま喋られると少々くすぐったい。
 だがそんな事を気にしていられる状況でも無く、雛は慌ててにとりの身体を抱き起こす。

「どっか怪我でもしたの?とりあえず中に……立てる?」

「うぅ」

 肩を貸し、靴を脱がせてやりつつ彼女はにとりを家の中へ運び込んだ。
 寝室へ向かいながら、雛はある事に気付いていた。

(あれ?そういえばにとり、帽子被ってない……)

 彼女の、むしろ河童のトレードマークとも言えるあのキャップ。どんな時でも肌身離した覚えの無いアイテムが、今の彼女には無かった。
 雛とにとりの親交が始まって以来、理由が無ければ脱いでいる所を見た事が無い。
 違和感を感じつつも、彼女はどうにかにとりをベッドに寝かし終えた。

「ご、ごめんね……」

「そんなのいいよ。それより、どうしたの?怪我じゃないみたいだけど……あ、しゃべるのが辛かったら後でいいからね」

 あくまでにとりを気遣いつつ、雛は尋ねてみた。
 すると彼女は、掛布団の中から手を出すとちょいちょい、と頭の辺りを指差す。

「ぼうし……」

「帽子?そういえばいつも被ってるのに今日はないね」

「うん……帽子、なくしちゃったの」

 こくこくと小さく頷くにとり。雛としては、確かに気になってはいた部分だが何故今その話題なのかよく分からない。
 しかし、続く彼女の説明でそれらの謎は紐解かれる事となった。

「河童の帽子ってさ、いわば伝承とかで言われる河童の、お皿とおんなじなんだ。被ってないとダメになっちゃうの」

「え、じゃあ……」

「寝る時とか、少しなら大丈夫なんだけど。なくしたのが一昨日で……まるまる二日くらい被ってなかったから、もうフラフラなんだ」

 『めんどくさい生き物だよ』と、にとりは弱々しい笑みを浮かべた。
 そんな彼女を見ていると内から溢れる衝動を抑え切れず、雛は思わずにとりの手を取っていた。

「そんな!だ、大丈夫なの!?早く見つけないと大変だったりとか……」

「はぅ……だいじょぶだよ、死にはしないから。でも一度こうなっちゃうと、なかなか回復しなくて……」

「な、何か出来ることある!?私、何でもするから!」

 手を取った瞬間、にとりが一瞬頬を染めた気がしたが、今の雛にそれを気にする余裕は無い。
 けほ、と風邪のような咳払いをしてから、彼女は続けた。

「ん、んと……その、しばらく休んだら多分一時的に体調はよくなると思うの。そしたら、帽子は自分で探しにいくよ。
 だからさ、その時まで……私をちょっと、雛んトコに置いてもらったり、とか……」

 言い辛そうなにとりの言葉が終わる前に、雛は身を乗り出して答えを返す。

「そんなコトでいいの?あったりまえだよ、何かして欲しいことがあったら何でも言ってね。
 にとりが良くなるまで、ちゃんと私が責任持って見てあげる!」

 彼女の目は、使命感で燃えていた。親友のピンチとあって、厄神としての奉仕精神がごうごうと音を立てて燃え上がる。
 そんな雛を見て、にとりはゆっくりと上半身を起こした。

「あ、ありがとぉ、雛……んしょ。椛は今の時期忙しいみたいだし、この上雛がいなかったらどうしようかと……」

「あっ、ダメだよ寝てなきゃ」

 辛そうなにとりの背中と胸元に手を添え、そっと寝かせてやる。温かなベッドの上で、にとりはどことなく上気した顔で笑った。

「えへへ、ごめんね」

「いいっていいって。それより、今日からしばらく泊まるんだから……準備しなくちゃね。着替えとか取ってこなきゃ」

「それじゃ、これ……」

 言いながらにとりが取り出したのは、彼女の家の鍵。

「いいの?そんなあっさり預けちゃって……いや、にとりに行かせようなんて思ってないけどさ」

「雛なら大丈夫だよ」

 仲良しとは言え他人、そんな雛にあっさり鍵を渡すにとり。しかし彼女は安心しきった表情でそう言って憚らない。
 信頼されている、その事実が無性に嬉しくて。雛は赤らんだ顔を背を向ける事で隠した。

「じゃ、じゃあお邪魔するね。ついでに買い物も行こうかと思うんだけど、何か食べたいもの……きゅうりだね」

「ありがと、雛」

 背後でにとりもちょっぴり頬を染めている事に気付かないまま、雛は家を出た。









 にとりの家で彼女の着替えを何着かカバンに押し込み、ついでに夕食の買い物をした雛が帰ったのは夕方だった。

「ただいま~」

 普段、一人で帰る時でも思わず口にしてしまう挨拶。だが今はちゃんと意味がある。

「おかえりぃ、ひなぁ」

 間延びした、かつ少し掠れた返事が奥から聞こえる。

(誰かが待っててくれるって、こんなに嬉しいコトなんだ)

 自然と笑顔になりながら、台所まで行って買い物袋を置く。
 その中からきゅうりを一本取り出し、それを手に寝室へ。

「雛、やっと帰ってきたぁ」

「ごめんね、時間かかっちゃった」

 雛の顔を見た瞬間の、にとりの安堵した表情。正確には違うのだろうが、病気の時はやはり心細くなるもの。
 もっと早く帰ってくれば良かった、と少しだけ申し訳無く思いつつ、彼女は持っていたきゅうりを差し出す。

「はい、おみやげ。あ、そのままで大丈夫?」

「わ、ありがと!だいじょぶだよ、きゅうりならどんな時でもいけるさ。
 逆に言うなら、きゅうりを食べられない状態は河童的に相当ヤバいと思っていいよ」

 冗談めかして、どことなく元気を取り戻したような口調でにとりは笑い、きゅうりをかじる。
 やはり、平素に比べると大分小さな一口だ。ぽりぽりと先端から少しずつかじっていく。
 そんな彼女の様子を見ていると、雛はどうしても彼女に対する庇護の念が溢れてしょうがない。

(今のにとりには、私が必要なんだ)

 誰かに、それもにとりに必要とされる事は、本当に嬉しい。厄神として日頃誰かの為に働く雛にとっては殊更、それは顕著な想いだった。
 気付けばきゅうりを半分以上消化したにとりの顔を覗き込みつつ、雛は尋ねる。

「にとり、お風呂入る?それとも今日はいい?」

「ん~……今日はいいや。出来れば入りたいけど、なんだか疲れちゃった」

「そうだよね。じゃあ着替えだけ置いとくから……何かあったら呼んでね。ご飯は後で持ってくるから」

「うん、ありがと」

 カバンからにとりのパジャマを取り出してベッドの上に置き、彼女は寝室を出た。
 自分はとりあえず毛布でも一枚引っ張り出して、居間で寝ればいいだろう。
 時計を見やれば、午後五時半。夕食の準備を始めてもいい時間だ。

(具合悪い時はおかゆだよね)

 鍋を用意し、焼き干しした川魚でだしを取る。その間に食器や、何か付け合せを探したり。
 だしが取れたら別の鍋に生米と、数倍量のだし汁を入れて火にかけた。
 ぐらぐらと鍋が煮立つ音を聞いていると、料理をしているという気分になれるので無性に興奮する。
 鍋の音が小さくなったので、蓋を取る。ほんのりと漂う程度だっただしの良い匂いが、台所中に広がった。

(お腹空いてきちゃった)

 無理も無い話だが、ぺろりと舌を出す雛。刻んでおいた万能ねぎに溶き卵を加え、卵が固まった所で茶碗に盛る。
 だし汁にねぎ・卵を少し添えただけの簡単なものだが、むしろこのくらいシンプルな方がいいだろう。
 家で作っていたきゅうりの浅漬けも小皿に取って、いよいよ完成。

「にとり~、ご飯できたけど食べれる?」

「……むしろ、さっきからダシのいい匂いがしまくりで胃袋がしぼんじゃったよ」

 出来たてのお粥と漬物をお盆に乗せて寝室へ。
 薄水色のパジャマに着替え、ベッドから少し身体を起こしたにとりが、期待に満ちた表情を湛えて待っていた。
 気付けばもう午後七時近い。具合悪けれど、流石にきゅうり一本ではお腹も寂しかろうという雛の判断は正解だったようだ。

「おかゆ作ったの。一応きゅうりもあるよー。口に合わなかったらごめんね」

「今更何言ってんの、雛の料理がマズかった覚えなんて一度もないさ」

 にとりの笑みに、雛の不安も除かれる。どうしても、誰かに料理を作る時というのは緊張するもの。
 さて、といざ作った料理を差し出そうとしたのだが、雛のベッドに病院のベッドにあるような簡易テーブルは無い。
 お腹の上に乗っけたら重いだろうし、万一こぼしたりしたら熱いだろう。
 ならば、打つ手は一つ。

「雛?」

 湯気を立てる茶碗の乗ったお盆を、ベッドの高さまで下ろしたまま持つ雛に疑問を感じたにとりが尋ねる。

「あ、気にしないでいいよ。私がお盆持ってるから」

「え、でも……」

「だいじょぶだよ、重くも熱くもないし、にとりが楽になるなら……?」

 雛の言葉が途中で途切れた。にとりが、更に何か言いたげな様子だったからだ。

「んと、えっとぉ……」

 だが言い辛そうだ。先のは雛の苦労を懸念しての言葉かと思ったし、その感情も無論あるのだろう。

(これって……ああ、そっかぁ)

 にとりの顔を見ていたら、彼女の求めるものが分かった。くすりと笑って、雛はベッドの空いた場所に腰を下ろす。

「んしょ。ごめんねにとり、気付かなくって」

「あ、う~……ごめん、雛……」

 察したらしい彼女の様子に、にとりは頬を染めて恥ずかしげ。

「いいんだって。ほんのちょっとでもにとりの苦労が削れるなら、なんだってするよ」

 聖母のような笑みと共に、雛はスプーンを手に取ると、お粥を少しすくって口元へ。
 ふぅ、ふぅ、と息を吹きかけて冷まし、程良く冷めた所でそれをにとりへ。

「はい、あ~ん」

「あ~……んむっ」

 ちょっぴり気恥ずかしくて、自然と顔が赤くなる。それはにとりも同じのようだった。
 むぐむぐと少しの間咀嚼して、飲み込むと同時に彼女は顔を輝かせた。

「うわ、何コレすごくおいしい!これなら毎日病人になるのも悪くないよ」

 実際、だしの風味がしっかりと利いていて口当たりは優しいのにしっかりと味がある。刻みねぎもいいアクセントになっており、食べ飽きてしまう事も無さそうだ。
 褒められて嬉しくない筈も無く、雛は更に頬を染めながら箸に持ち替えてきゅうりの漬物を一枚つまむ。

「やだなぁ、にとりったら。はい、きゅうりもあるよ」

「あ~ん」

 箸を軽く噛んでくる固い感触が手に返って来た。
 食べさせてあげるというこの行為が何だか無性に、雛の母性を刺激する。
 顔をほころばせながら、雛は再びスプーンに持ち替える。そんな彼女を見て、相変わらず赤らんだ顔のままにとりが笑った。

「ひ、雛……なんだか嬉しそうだね」

「そういうにとりこそ。はい次、あ~ん」

「あ~、んぅ」

 雛の言う通り、にとりもまた彼女に食べさせて貰うのがどうやら嬉しいようで―― と言うより、そもそも本人が望んだ事。
 緩やかな夕食は二十分程で終わり、残さず平らげたにとりは満足そうだ。
 空腹が満たされて安心したのか、顔色が先に比べて大分良くなった彼女はそのまま寝てしまった。

(にとり、おいしそうに食べてくれたなぁ。えへへ)

 食器を片付けながら、台所で一人笑みをこぼす雛。にとりに負けず劣らず、満足そうな表情であった。









 翌朝から雛の、にとりの面倒を見る日々が始まった。
 作る食事は二人分、先ににとりに食べさせてから自分が食べる。メニューも当然揃えた。
 洗濯物も、にとりの分があるので少し多いし、常に彼女の体調や顔色にも気を配る。
 洗顔や歯磨き等以外ではベッドから殆ど動かない、否動けないにとりの話し相手になる事で一日の殆どが過ぎていく。

「―― でさ、そしたら急に風が吹いて将棋盤の上のコマが全部吹き飛んじゃったの」

「え!それじゃ勝負は」

「うん、ドロー。というか無効試合。その後は何とか誤魔化し続けて、いつしかやっこさんも忘れてくれたみたい。
 椛は運がいいって笑ってたけど、多分ブン屋さん辺りに協力してもらったんだろうねぇ」

「あははは。そうだよね、風起こせるもんね」

「そそ。普段真面目なくせに、こういう時は随分と悪知恵が働くんだから。でもそういう所が面白いのさ、椛は」

 その日もにとりの何気無い話を聞き続けて二時間程になるか。しかし彼女の話が面白い事もあって、雛は全く退屈には感じない。
 口を動かす度に雛が違ったリアクションを見せてくれるのが嬉しくて、にとりも自然と饒舌になる。まるで、今の自分の体調を忘れてしまったかのように。

「あっ、もうこんな時間かぁ。ごめんね、そろそろご飯の支度するよ」

「え……行っちゃうの?」

「だってほら、もう五時半。できたら呼ぶから待ってて……」

 言いながら踵を返そうとした雛だったが、ぐいっとスカートの裾を引っ張られる。
 見やれば、今しがたまでベッドに座っていた為か、にとりが彼女のスカートの裾を掴んでいた。

「どうしたの?どっか痛い?」

「………」

 無言。俯き加減になりながら、上目使いでこちらを見てくるにとり。
 暫しの沈黙の後で、ふっと雛は笑って再びベッドに腰掛ける。

「ごめんね、よく考えたらあと三十分くらいなら大丈夫そうだよ。何か面白いお話、ない?」

 ぱぁっ、とにとりの顔が輝く。その笑顔を見ているだけで、雛はお腹いっぱいになれそうだった。

「ホントに?ありがと、それじゃあね……」

「……ふふ。にとり、結構具合良くなってきた?」

「えっ!?な、なんで?」

「いや、結構顔色いい感じかなぁって。ちょっと元気になってきたみたいだし……」

「い、いやその……けほ。今は落ち着いてるけど、ふとした時にまた頭がふらつくんだ……」

 しゅん、とした顔になるにとりに、雛は少しばかり慌てた。

「そうなの、ごめんね。何かあったらすぐ言ってね」

「うん、ありがとう……でも今は大丈夫だよ。えっと、それじゃそうだなぁ。こないだ作った発明品のコトなんだけど……」

 嬉々として次の話の種を探すにとりを、微笑ましそうに眺める雛。そんな光景も、毎日の事。
 その日の夜、夕食後に雛は彼女へ尋ねた。

「にとり、今日はお風呂入る?」

「あ、じゃあ入ろうかな……でも、雛……そのさ、いっしょ、に」

「うん、いいよ。お風呂で急に具合悪くなったら大変だし」

 そんな具合に入浴時も一緒。それもまた楽しい。彼女の身体に障らないよう温度は温めで、その分入りながらの会話が多い。
 寝る前まで一緒に話をして、名残惜しそうなにとりの視線を浴びながらも部屋の照明を落とす。そうしてから自分のいつもの仕事をして、寝るのは日付が変わってから。
 起きる時間は変わらないので朝は少々眠たいが、にとりが起きる頃には万全の状態に戻れる。
 それからまた、昨日と同じ一日。

(にとり、寝なくて大丈夫なのかな)

 昼間から彼女の話を聞きつつ、雛はふとそんな事を考える。以前風邪を引いた時も一日の大半を寝て過ごした記憶があったし、体調不良なら普通はそうするだろう。
 だが、にとりは基本的に健常人と変わらない睡眠時間。昼寝する事もあるが、そうでなければ雛との会話に殆どの時間を費やす。
 というより、彼女が積極的に雛に絡んでくるのだ。全くそれを嫌とは思わないし、頼られている感じがしてむしろ嬉しいくらいなので雛は敢えて何も言わないが。

(それがきっかけで、さらに体調を崩さなきゃいいけど)

 雛の懸念はそこにあるが、今は大丈夫そうなので見守る。それより、他に気を使うべき部分は山とあるのだ。
 そんな事を考えながら、この日もあっと言う間に一日が過ぎる。

「それじゃ、おやすみ」

「う、うん……」

 ベッドとその脇での会話を終わらせるのは、毎回雛の方だ。放っておけば、にとりはいつまでだって話を続けるだろう。
 いつまでも話し込んでしまえば、彼女の身体に障る。そう考え、若干後ろ髪を引かれつつ部屋の照明を落とした。

(何だか、普通のお泊りみたい。その方がいいけど)

 帽子を無くして、フラフラになってやってきたにとり。
 そんな彼女を介抱し、言わば看病をしていた筈なのだが。思い返せば、話を沢山している事もあってあまりそんな感じはしない。
 しかし、時折具合の悪そうな顔を覗かせるし、そうで無くとも彼女の事が心配なので雛は献身的に世話を続けてきた。
 にとりの口から、『もう大丈夫』という言葉を聞くまでは何が何でも続けるつもりだ。

(何より、にとりがどことなく楽しそうだし……)

 具合が悪いとは思えないくらい、雛が傍にいる時のにとりはよく笑う。それでいい、と思った。
 自分の存在が、少しでも楽な方に働いているのなら―― 薄ぼんやり、そんな事を考えながら雛は頬杖をついて宙を見る。
 そのまま数分間、ぼーっとしていたそんな時。

「ひな……」

 不意に後ろから囁くような声が掛かり、思わずびくりと背筋が伸びた。

「わっ、びっくりしたぁ」

 振り返ると、先程寝室で寝かせてきた筈のにとりの姿。どこか息が荒い。
 よく見れば目は涙が溜まってうるうると潤み、何かを堪えるかのようにパジャマの袖口をぎゅっと握り締めている。

「ど、どうしたの?」

「……なんか、ひとりでいるのがこわくて……」

 ぽつりと呟いて、彼女は懇願するような視線を雛へ向けてくる。

「おねがい、いっしょにいて……」

 普段のにとりからは考えられないくらい、弱気な声色。今にも涙がこぼれそうな目。
 雛はちょっぴり、自分自身の短慮を恥じた。風邪であれ特殊なケースであれ、体調が悪い時は異様に心細くなるもの。

「そうだよね、病気の時って寂しくなるもんね……いいよ、行こ」

「ありがと……」

 立ち上がり、にとりの肩を押して真っ暗なままの寝室へ。
 彼女をそっとベッドに寝かせ、掛布団を掛けてやる。

「んしょ……雛、いる……?」

「いるよ、大丈夫」

 にとりが布団から手を出したので、そっと自分の手を重ね、握ってやる。
 暗闇の中でも確かな温かさが伝わってきて、”そこにいる”事を何よりもはっきりと証明してくれた。

「えへへ……ありがと」

 暗くて見えないが、きっと笑っている。雛はベッドの前で膝立ちになり、握られたままの手を布団の上に。
 そのまま、沈黙。互いの小さな息遣いだけが聞こえる。
 時折にとりの手をさすってやると、きゅっ、と握り返してくる。それが妙に心地良い。

「ひな……」

「ちゃんといるよ」

「ん……」

 眠そうな呟きで、雛の名を呼ぶにとり。それに応えがあった事に安心したのか、やがてその息遣いは寝息へと変わっていった。
 そのまま三十分以上を動かずに過ごし、そろそろ大丈夫だろうかと雛はベッドを離れようとする。

「うー、しっかり握られちゃってる」

 だが、その手は未だしっかりとにとりに握られたまま。外そうとしたが一向に離れず、にとりがもぞもぞと身体を動かす。
 無理に外せば起こしてしまう―― 雛は諦め、そっと上半身を目の前のベッドに預ける。
 目を閉じると、彼女の寝息、それに合わせて上下する胸の動きなんかがはっきりと感じ取れる。
 不思議なくらい、雛もあっさりと眠りの世界へと引き込まれていった。











 ―― にとりが雛の家に泊まるようになって、一週間。
 相変わらず彼女はベッドの上生活だが、もう雛も完全に慣れたもの。
 いつしか、相手が病人であるという事も忘れそうになる。

(この分なら、もう少しで帽子を探しに行けるくらいにはなるかな?)

 にとりと一緒に暮らす毎日が終わってしまう事は寂しいけれど、やはり元気になるのが一番だ。
 その日、雛は彼女の家を再び尋ねる事にしていた。着替えを再び取りに行く為だ。
 洗濯は勿論しているが、ずっと同じ服というのも飽きるだろうし、他にも必要な物はある。

「じゃ、行ってくるね」

「ねぇ、雛」

「なぁに?」

 出がけににとりに呼び止められた。何事かと思えば、

「なるべく早く、帰ってきてね」

 ちょっぴり潤んだ目でそんな事を言われてしまう。雛は意地でも早く帰る決意を固めた。

「だいじょぶだよ、着替えとか取りに行くだけだし」

 笑みを返し、雛は家を出た。
 暫く飛んで行くと川が見えてくる。その脇に立つ木造の家がにとりの自宅だ。
 預かった鍵で中に入り、奥の部屋へ。
 そこにはクローゼットがいくつかあり、いつも着ているあの作業着のような服がみっちり。

(たまには、服を交換してみたりとか……面白くないかな?)

 ちょっと着てみたい気もするが、今は我慢。その隣を開け、パジャマやらタオルやらをカバンへ納めていく。
 とりあえず持っていくものはこれで全部だが、ふと気になって隣のクローゼットも開けてみた。

「あっ、これが噂の」

 そこには何やら透明なコートのような服。きっとにとりが目下開発中の光学迷彩という物だろう。
 発明家の家とあって、面白い物には事欠かない。いけないとは知りつつ、その隣 ―― 一番端も覗いてしまう。
 どうやら冬服スペースのようで、珍しくふかふかのコートなんかがかけてある。

「へぇ、にとりもこんなの着るんだ」

 興味を惹かれ、手を伸ばして袖をそっと手に取って眺める。しかしその時―― ぽとり。

「あっ」

 何かが袖口から落下した。どうやら、予備のボタンか何かが外れて落っこちたようだ。
 やはり人様の家を物色するのは良くないと自分を戒めつつ、雛は落下した物体を探した。
 そのクローゼットの下の方は、箱やら布やらが散乱していたり積まれていたりで非常に乱雑。
 今は使われていない、靴の入った箱やマフラーなんかを掻き分けていく。

「確か、この辺……」

 一番下の方にあった、大きな布。何かをカバーするように覆っていたそれを除ける。
 と、そこには――

「えっ?」

 思わず、雛は硬直した。クローゼット下部、乱雑に積まれた有象無象の下から現れたのは、



 ―― 青緑の生地に特徴的なマークの入った、あの帽子だった。



「あ……あった!にとりの帽子!」

 棚から牡丹餅、災い転じて福となす。まさか、にとりが無くした帽子を見つけられるとは。
 これを持って行ってやれば、きっと明日にでも元気を取り戻せるだろう。
 最高のお土産を手に、雛は玄関へと向かった。思わず鼻歌。

(よかったぁ、これでもうにとりは苦しまなくて済むんだね)

 それが何より嬉しくて、ついついスキップ。靴を履き、外へ出ようとした―― その瞬間。
 がらり。

「うわぁっ!」

「きゃっ!」

 唐突に玄関の戸が開いたのだ。そこにいた人物と雛とで、短い悲鳴が交錯する。

「びっくりしたぁ、なんで雛さんがにとりさんの家から?」

「ご、ごめんね。ちょっと事情があって」

 訪問者の正体は、白狼天狗・犬走椛であった。雛と並ぶ、にとりの大の親友。

「最近、にとりさんの姿が全然見えないので心配で……何かあったんですか?」

「そうなの、聞いて聞いて」

 雛は椛に、これまでの経緯を洗いざらい話して聞かせた。にとりの帽子の事、看病している事、帽子を見つけた事。

「一週間以上お世話してたけど、それも報われるよ。よかったよかった」

 にこにこ笑顔の雛。だがそれとは対照的に、椛は怪訝そうな表情を浮かべた。

「帽子……?雛さん、ちょっといいですか」

「うん?」

「帽子を被らないでいると具合が悪くなるって、にとりさんが?」

「うん、そうだよ」

 すると彼女は、眉をひそめて怪訝さ三割増しの顔になる。そして続けた。






「……それ、ウソですよ?」












「……へ?うそ?」

「はい、嘘です。にとりさんは帽子を被んなくても全然平気ですよ。帽子は帽子、河童のトレードマークとは言え、ただの被り物です」

「え、え?ごめん椛、ちょっと話が見えないよ……」

 これまでの一週間以上を、負けそうになった将棋盤の如くにくるりとひっくり返されるような衝撃の発言。雛の混乱も致し方無しだ。
 何せ、にとりの言葉を信じてこれまでずっと献身的に世話を続けてきたのだ。それが、嘘。

「私、にとりさんとはかなり長い付き合いですから……川で遊んだり、どっか出かけたり、温泉行ったり、色んな過ごし方をしました。
 で、その間中にとりさんがずーっと帽子を被ってるなんてありえないでしょう。
 寝る時は取りますし、そうでなくても帽子なしで丸一日一緒に過ごしたことだってあります。けど、にとりさんはピンピンしてました」

「そ、それじゃあ……」

「はい。にとりさんの言う、『帽子を被らないでいるとへろへろになる』っていうのは、真っ赤な嘘です」

 雛は押し黙ってしまった。自分より付き合いの長い椛が言うのだから、間違い無いだろう。彼女は決して嘘を言わない、正直で真面目な性格だ。
 にとりを通じて仲良くなった雛にはそれが十分に分かっていたし、だからこそ自身の混乱は極まっていく。

「……じゃあ、にとりはなんで……」

「……雛さん。この一週間、にとりさんとどのように過ごしましたか?」

「へ?過ごし方?」

「はい。何か頼まれた事とか、要望された事とか……ん~、とりあえず、どんな感じの生活だったかを」

 椛が何を思い、そんな質問をするのかが雛には皆目見当がつかない。しかし訊かれたからには答えるのが道理。記憶の袋を紐解いて、一つずつ取り出していく。

「えっとぉ……にとりの看病だけの生活だったかなぁ。四六時中そばにいたって言っても過言じゃないかも。
 ご飯作って食べさせてあげたり、一緒にお風呂入ったり、空いた時間はずっとにとりの横にいて、お話してたよ」

 椛はう~む、と顎をつまんで考え事。その果てに、再び雛へ質問をぶつける。

「お風呂も一緒。で、ずっとそばに?」

「そうなの。離れようとすると、行かないでって感じで呼び止められたり。病気の時って何だか人恋しくなるから、それかなって思ってたんだけど」

「……もしかして、寝るのも一緒だったりしました?」

「あ、えっと……半分は。なんか一人だと不安らしくて、にとりが眠るまでずっと手を握ってあげたりとか。
 最初は手だけだったんだけど、昨日は私の腕を抱いたまま寝ちゃって、離れるのに苦労したよ。その内添い寝になっちゃったりして」

 あはは、と冗談めかして笑う雛。椛もそれに笑い返し、緩んだ表情のままで続けた。

「本当に仲良しさんですね……はい、分かりました。薄々そうじゃないかな、とは思ったんですけど、雛さんのお話で確証を得ました」

「え、分かったって……にとりの考えが?」

「はい」

 頷く椛に、雛は思わず一歩踏み出して尋ねる。

「じゃ、じゃあ……にとりは何を思って?」

「あれ、分かりません?雛さんとの生活を振り返れば、あなたにも分かるかなって思ったんですけど。
 わざわざ仮病を使って、大事な友達であるあなたの不安を煽ってまであなたの家に泊まり込んだんですよ。
 しかも、病人の特権まで色々駆使して、常に雛さんを傍に置いた。沢山ワガママも言ったんじゃないですか?で、あなたはそれに応える」

「うん、確かに……何度も言うけど、私は全然それをイヤだとは思わないし、にとりがして欲しいことなら何だってするつもりだったよ」

「そうでしょうね。目に浮かぶようですよ、笑って甲斐甲斐しくお世話してあげる雛さんの姿。私だってお世話になりたいくらいです。
 つまり、そういうコトなんですよ。これでも分かりません?」

「……ごめん、全然」

「雛さん……あなた周りからよく、朴念仁って言われません?」

 首を傾げる雛に、椛は呆れたようにも見える苦笑い。

「ちょ、直接は言われたことないよ……」

「間接的にはあるんですね。まあいいや、じゃあ……とっても優しくって、果てしなくニブチンな雛さんのために、ハッキリ言ってあげましょう。
 正直、当事者じゃないのに私、何だか恥ずかしいです。だから一回しか言いません。ちゃんと聞いて下さい」

「う、うん……」

 ほんのりと赤らんだ頬をかきながら、椛は雛の目を見て念押し。
 急に真面目な口調になったのでどことなく緊張しつつ、彼女もそれに頷き返す。
 ふぅ~、と、まるで『しょうのない人ですね』とでも言いたいが如く―― それが雛の事か、にとりの事かは分からない―― ため息をついて、椛は続けた。




「―― にとりさんはただ……『あなたに甘えたかった』だけなんですよ」










「……あまえ、たかった?」

 言っている意味は分かるが、その意図は全く読めなかった雛は、目を点にして尋ね返していた。
 椛はこほんと咳払い一つ、解説を始める。

「雛さんも知ってると思いますけど……にとりさんって、かなりのしっかり者です。基本的には、自分で何でもこなしてしまいます。
 発明家気質だというのもあるんでしょうけど、ひょうひょうとしてても根が真面目なんでしょうね。なるべく、人に迷惑をかけたくないっていう」

 彼女の言葉の節々に頷く事で無言の相槌を打ちながら、雛は真剣な目で話を聞く。

「だけどその分、疲れてしまうんです。とにかく一人で片付けて、周りに負担をかけたくない。自分に良くしてくれる人に苦労させたくない。
 常に気を配って、困ってる人がいれば助けて、自分に何か困難があっても何でもないような顔をして……その裏で、どんどん疲弊していくんです」

「………」

「本当は、誰かに頭を撫でて欲しかったんでしょうね。よく頑張ったね、もう大丈夫だよって。だけど、普段はそんなコト言えないから口を塞いで抱え込んで。
 そんな中で、雛さんの存在です。厄神として毎日誰かの為に働いて、何があっても人を悪く言わず、いつも優しく笑いかけてくれて……。
 にとりさんは、そんなあなたに母性を感じたんじゃないでしょうか?」

 椛の真っ直ぐな視線を正面から受け止める。彼女の言葉は真剣でありながら、どこか遊んでいるような、軽い節が見られる。
 きっと、楽しいのだろう。友人達のちょっとした弱みや、それが引き起こした物事の顛末を紐解いていくのが。ちょっとした探偵気分だ。

「母性、って」

「優しさとか、笑顔とか、何を言っても許してくれそうな懐の深さとか……容姿もそうかもしれませんね。
 何でも自分でやってきた彼女もいつしか疲れ果てて、誰かに思いっきり甘えさせて欲しくなっていた。
 そして一番最初に思いついたのが、そんな風な母性だとか、包容力を持ったあなた。勿論直接なんて言えません。恥ずかしいですからね」

「それで、今回のうそを?」

「はい。病気・体調不良という大義名分の下、あなたに好きなだけ甘えられる。多少ワガママを言ったって、優しいあなたならきっと聞いてくれる。
 まるで小さな子供になったみたいに、誰かの胸に顔をうずめて、すやすやと眠りたい―― そんな欲求を満たしてくれそうな存在が雛さん、あなたです。
 きっとその帽子は、隠してたんでしょうね。不用意な所に置いてどこかで見つかったりしたら、台無しですから」

 思い返す。にとりの世話をしている時、特に初日の頃は顕著だったが、彼女に対する庇護の念がとにかく溢れていた。
 自分がいてあげなければと、とにかくにとりを安心させてあげられるように。毎日、出来るだけ傍にいた。
 己の行動は椛の言葉にも、にとりの思惑にも完全に合致しているではないか。

「ああ、大事な事をもう一つ」

「へ?」

 不意に椛が話を再開したので、雛は少々慌てた。
 すると彼女は、ニヤニヤした笑みを堪え切れず顔に滲ませながら、少しだけ気恥ずかしそうに呟く。

「何より、にとりさんはあなたが大好きなんですよ。好きな人のそばにいて、いつも触れられていたらって考えるのは当たり前です」

「ちょ……」

 その言葉に、瞬時に顔が赤くなる。かぁっと熱を帯びた頬をぺちぺちと叩いて冷まそうと試みるが、なかなか上手くいかない。
 彼女のそんな様子を楽しそうに眺めつつ椛は、

「普段でもある程度は出来ますけど、好きな人にべったり甘えようと思ったら、やっぱこういうシチュエーションが一番ですから。
 毎日優しくお世話してもらえて、きっとにとりさんも最高に幸せなんじゃないですか?」

 そう言って締め括った。雛は手に持ったままの帽子へ視線を注ぐ。
 使い込まれ、結構古くなってきているようにも見えるその帽子。

「それ、どうします?雛さんの自由ですけどね。
 ……まあ、にとりさんに何事もなくてよかったですよ。雛さんの所にいるなら大丈夫でしょうし」

 椛はうんうんと頷いて、再び玄関から外へ出る。
 踵を返そうとして、最後に雛へ一言頼み事。

「あ、そうだ。もし……彼女が『回復』したら、私の所にも来るようにお伝えして頂けますか?心配かけるなって、お説教してあげます」

 雛は笑って頷き、椛の目を見ながら聞こえないくらい小さな声で何かを囁く。
 『みっちりお願いね』―― 唇がそう動いていた。











「ただいまー」

 がちゃ、と玄関を開ける音に被せるように、帰宅の合図を投げかける。
 返事は帰ってこない。

「あれ、にとり?」

 少々不審に思い、名前を呼びつつ雛は靴を脱ぎ、家に上がる。
 肩にかけたカバンを手持ちに変えながら居間へ。

「……?」

 相変わらず返事が無いので、カバンをそこに残して彼女は寝室へと向かう。
 にとりの姿はすぐに見つかった。

「どうしたの?」

 にとりは雛のいる方に背を向け、ベッドの上で頭から布団をかぶって寝ていた。

「寝ちゃったのか」

 納得し、背を向ける雛。だがその途端に、

「寝てないってばぁ!」

「きゃっ!」

 不満の感情を多分に含んだ叫びと共に、背後から突進のような勢いで抱きつかれた。
 けほけほ、と軽く咳き込みながら、雛は尋ねた。

「ど、どうしたの?」

「……遅いよ!いつまでたっても雛が帰ってこないから、こちとらどんだけ寂しかったか……」

 そこまで言った所で、『あっ』という呟きと共に彼女は黙ってしまった。
 雛の腰に回した腕に力を込め、照れ隠しのようにぐいぐいと背中に顔を押し付けてくるにとりの様子に思わず笑ってしまう。

「ごめんね、ちょっと色々あってさ。今日の夕ご飯、何でも好きなの作ってあげるから許してほしいな」

「……わ、わかったよぉ」

 どうやら許してくれたようで胸をなで下ろすが、にとりはなかなか離れてくれない。
 『ちゃんと寝てなきゃ』と指摘すると、ようやく雛を解放して布団に戻った。

「よしよし、いいこいいこ」

 素直に布団を被るにとりの頭を撫でてみる。すると彼女はちょっぴり赤く染めた頬を膨らませた。

「子供じゃないんだから……」

「あ、ごめんね」

 不満そうだったので雛が撫でるのを止めると、

「いやっ、その……い、イヤなワケじゃ」

 慌てた様子で今しがた離れたばかりの雛の手を捕まえてくる。
 くすくすと笑って、再び頭を撫でてやる。にとりは嬉しそうだ。

(にとりの視界にいてあげるだけで、安心できるなら……ね)

 ―― 結局、雛は帽子を元の場所に隠してきた。
 にとりが『帽子を探しに行けるだけの体力が回復する』まで、きっちり面倒を見る事にしたのだ。
 面倒だなんてこれっぽっちも思わない。今目の前にいるこの子が、とても嬉しそうに笑ってくれるから。

「ねぇねぇ、ひなー」

「なぁに?」

「……えへへ、なんでもない」

「なんなの、もう」

 口ぶりとは裏腹に、とても楽しそうな顔で雛は呟いた。

(私は鈍いから、にとりが本当は何を考えてるかなんて全然分かんないや)

「にとり、身体の方はどう?」

「え?ん、ん~」

 不意な質問を向けられて、口ごもるにとり。分かってから見てみれば、その顔色はとても良く、どう見ても病人のそれでは無い。
 それ以外にも、彼女が別段身体を壊している訳では無いと気付ける材料はいくらでもあった。

(にとりに何かあったらって、必死だったからなぁ)

 だけど、雛には気付けなかった。ただひたすらに、彼女が良くなる事だけを考えていたから。
 椛が雛を『鈍い』と言っていたのは、この辺にも要素がありそうだと思い返す。けど、去り際に彼女は言っていた。

『雛さんの鈍い所、私は大好きですよ』

 相手の事をひたすらに考えていたから。つまり、一途に相手を思いやれる優しさの証拠。
 そう思うと、ニブチンなままでいいと思える。少なくとも、今は。

「よく分かんないけれど、帽子をなくしたって結構大変なんだよね?
 とりあえず私は、大事を取って最低あと一ヶ月くらいにとりの面倒を見るつもりでいるけど……」

「そ、そうなんだよ。ちょっとずつ良くなってはいるけど、河童はほら、センシティブだから。
 あんまり迷惑かけたくもないけど、もしかしたらそのくらいお世話になっちゃうかも……」

「いいのいいの。にとりは私の事なんか考えないで、自分の身体だけ気遣ってればいいんだよ」

「……ごめんね、雛。ありがとう」

 布団を被って、顔を隠すにとり。照れ隠しなのか、計画通りと言わんばかりにニヤリと笑ったのかは分からない。
 この先、いつまで『回復』に時間が要るか。とりあえず一ヶ月はかかるだろう。
 もしかしたらもっと?と考える自分が、心からわくわくしている事にも気付く。
 それだけ長い間、一緒にいられる事が雛も嬉しい。にとりはもっと嬉しいんだと思うと、更に嬉しい。

「ねぇ、にとり」

「なんだい、雛」

「なんでもないよ」

「……お返しのつもり?」

 目が合った。そっと微笑んでみる。彼女もまた、照れたようにはにかんだ。

(私なんかでよかったら、好きなだけ……ね?)

 とりあえず今は、にとりのお願いを何でも聞いてあげよう。病人には優しくしなくちゃ。
 どうしようもなく鈍い神様だから、考えたって分からない。





 ―― きっと私は、当分気付かないよ。正直な君の、可愛い嘘。
 にとりの入院生活は、二ヶ月目に入ろうとした辺りで椛がピリオドを打ちました。

『いつまでお世話になるつもりですか!ほら帽子!帰りますよ! ……ところで雛さん』

『なぁに?』

『そのぅ……わ、私が風邪引いたりしても、優しく看病してくれますか?』

『当たり前じゃない、何かあったら言ってね?』




 ―― その日から椛は、薄着で見回りに出るようになりました。
ネコロビヤオキ
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コメント



0.980簡易評価
3.100名前が正体不明である程度の能力削除
雛が母性にあふれてて、とてもよかったです。
5.100名前が無い程度の能力削除
にやにやしながら読ませていただきました。にとり、本業ほったらかしちゃいかんよ……
最終的にはにとりと椛が2人でお泊まりですね!
6.90奇声を発する程度の能力削除
穏やかでとても良かったです
7.90名前が無い程度の能力削除
椛さんたら……w

厄神様は可愛いなぁ
9.100名前が無い程度の能力削除
これは好い。三人とも一途で愛らしい。
10.100君の瞳にレモン汁削除
イイハナシダナー
11.100名前が無い程度の能力削除
とてもいい話でした!
12.100名前が無い程度の能力削除
厄神様マジ女神様
15.90CUTIE LIAR削除
にとりが嘘ついて雛に看病してもらいたかったということだろうとは思っていましたが、いつバレて怒られるのかと心配でしたw
雛ちゃんマジ聖母。
16.100名前が無い程度の能力削除
あ~もう皆可愛いよ可愛いよ可愛いよ(´∀`)
さてと。今から俺は滝に打たれてくるよ。ふんどし一丁で。
17.100名前が無い程度の能力削除
雛さんマジ厄神様
母性溢れ出るキャラがこれほど似合うキャラも居ませんよね

誤字?報告を
だいじょぶだよ、着替えとか取りに行くだけだし
「大丈夫」ですかね?
23.90とーなす削除
椛、逆に体が鍛えられて余計に風邪を引かなくなりそうだw
甘えん坊にとり、可愛かったです。
24.90名前が無い程度の能力削除
見える・・・見えるぞ・・・雛が倒れてどっちが介抱するかで揉める構図が・・・
28.100名前が無い程度の能力削除
にとりの甘えが止まらない!
まあ、気持ちは痛いほど分かりますが
雛はあらゆる意味で神様ですね
30.100キャリー削除
序盤から見ているこっちが恥ずかしくなりましたよ…!

>>椛「私もお世話になりたいです。」
からのオチは読めてましたがにやけずにはおれませんでした(笑)
31.100名前が無い程度の能力削除
甘えるにとりと世話する雛の雰囲気に終始にやにやしっぱなしでしたw
そして後書きの椛が可愛すぎる
32.無評価ネコロビヤオキ削除
遅くなりまして申し訳ありません。コメントかえすよ!('(゚∀゚∩

>>名前が正体不明である程度の能力様
幻想郷でもトップクラスに母性溢れる存在じゃないかなーと思います、ひなちん。
『キミが幸せならそれでいいんだよ』っていう能力・思考なんかがまさにカーチャン。

>>5様
河童だってたまには休みたい。天狗だってたまには楽したい。
三人で川の字になって寝るんですね……い、いかん!イラスト班ーッ!

>>奇声を発する程度の能力様
雛はその能力から毒のあるギャグやちょっと悲しいお話も結構ありますが、個人的にはこういう路線が一番似合うと思いますハイ。

>>7様
椛がにとりの事を評していた台詞は、殆ど椛自身にも当てはまってしまうのです。
厄神様の膝枕で寝れば厄も全部吸い取ってくれて心身全快。商売が成り立つレベルです。

>>9様
三者三様、でも心はまっすぐ。お互いをこれほどまで思いやれる関係って本当に羨ましいなぁと思います。

>>君の瞳にレモン汁様
名前欄がとっても痛いYO!レモンフレーバーってなんだかドキドキしちゃいますけど目は勘弁。このお話はきゅうり味ですけどネ。

>>11様
何だかんだで一番よく言って頂けるご感想なのですがそれが非常に嬉しいのです。妄想を必死に練り込んでる甲斐があるというもの。

>>12様
全ての人々に降りかかる不幸を肩代わりし、一心に皆の幸せを願い続ける神様……あれ、これ普通に女神様じゃないですか。真理だ。

>>CUTIE LIAR様
ありゃ読まれてたか。でもむしろわざとらしいくらいの方がにとりらしいかなぁと。この子絶対ウソつくの下手だと思います。
まあでも雛の場合バレても怒らないだろうなぁとも。ホンマ女神様やでぇ。

>>16様
可愛らしさを引き出せるよう日々努力していますので、そう言って頂けるととっても嬉しい。
そのまま風邪引いてその辺で倒れた場合、雛に発見されるか、天狗に発見されるか、霊夢に発見されるかで運命が大きく変わりそう。ファイト!

>>17様
全く持って同意。ひなちんかわいいよひなちん。
あ、これは誤字では無くて『大丈夫』を軽く短めに言ってる感じを表したかったのです。分かり辛くてごめんなさい。

>>とーなす様
いつも有難う御座います。その時は多分物理的な怪我に頼りそう。意地でも仮病は使わないマジメ気質。
普段しっかりしてても、ふと寂しそうな顔を覗かせるというギャップ。かわいい。

>>24様
それぞれベッドの両側について、我先にと雛へスプーンを向ける二人の様子が容易に目に浮かびます。愛されてるなぁ。

>>28様
いやぁ、誰もが疲れてるこの現代ですもの。
優しい、可愛い、母性と三拍子揃った神様がいたら誰だって甘えたくなります。
それを嫌な顔一つせず、むしろ頼られてて嬉しいとまで感じながらお世話してあげちゃう辺りが、雛の厄神様たる所以。

>>キャリー様
いつも有難う御座います。今回は自分にしては結構ストレートな描写が多いお話だったかなぁと思います。
何気無い一言に伏線を張るのが好きなのですが今回はバレバレ。でもそれが逆にこのお話らしいかなと自己擁護。

>>31様
読んだ後に笑顔になれるお話を目指しております故、ニヤニヤして頂けたとあれば大満足。
椛はまだ書いた数が少ないのですがお気に入りなので、後書きだけじゃなくこれからもっと活躍させてあげたい。
37.100絶望を司る程度の能力削除
ちょっ、もみちゃんw