彼女の記憶は、少ししかもたない。
厳密に時間が決まっているわけではない。長くて一週間覚えていることもあれば3分で忘れることもある。
わかっているのは大抵のことは彼女は覚えていることはできない、ということ。
まぁ、誰がそんな身体にしたのかと問われれば……それは私なのだから責めることはできない。私の自業自得だ。
それでも縋るように―――そんなことあるわけないと知りつつも―――覚えてくれていることだってもあるかもしれないと……そう思いたいのだ。
命蓮寺墓地から通じる洞窟。その先には神霊廟への扉がある。
青娥娘々こと私、霍青娥は今日も眠り続けている神子達の復活を待っていた。
幻想郷へとこの霊廟が移動した―――つまり、彼女らが忘れられた存在になったことは復活へのステップがひとつ進んだことを意味する。彼女らの仕組んだ復活へのシナリオ通りに物事を進めるためには邪魔は許されない。ましてや彼女らの復活を邪魔している異教の者達には特に注意を払わなくてはならない。
……と、真面目ぶってはみたが、どうせ誰も来ないこの場所を守る必要はほとんどない。
私の日課はいまはそんなことよりも別のところにあった。
「さて、そろそろかしら?」
そんなことを呟く。地下深い洞窟では日も当然届かず、常人では時間の感覚などとうに無くなっていた。
しかし私は仙人……正確には天から認められなかった邪仙ではあるが……常人を超えた存在である。明確な時刻とまではいかなくても多少の時間なら感覚でわかる程度には永き時を生きていた。
いつもならこの時間に彼女が帰ってくるはずだ。
それまで静かだった洞窟内にそれまでとは違った気配を感じる。誰かが近づいている。そして遠くを見ればふよふよと飛んでくる影がひとつあった。
私の祖国の文化をモチ-フとした中華風の服とスカート。頭には星のついたこれまた可愛らしい中華帽子。そして帽子には彼女の種族……キョンシーを象徴する御札がぶら下がっている。
忠実な死体、宮古芳香は主のもとに帰ってきた。
「お?おー?だぁーれだお前はー?」
「あらあら、また忘れちゃったの?」
芳香は主に忠実だ。しかし、その主が誰なのかまでは常に覚えていない。彼女は既にこと切れた死体であり、その身体は既に一部腐食が進んでいる。当然それは頭に及んでおり彼女はあまり記憶力がよくない。
「私はあのお方のために、邪魔者を通すわけにはいかんのだぁー!」
「うふふ、私の言葉はちゃんと覚えているのね。ありがとう。」
記憶として忘れていても、彼女は私の術で操られている従者である。術の効果で私の命令や主人の存在などは本能に刷りこまれている。
「……お?おお、青娥!」
ようやく、己が絶対の忠誠と信頼を誓った主の顔と名前を思い出したようだ。侵入者を排除する守護者としての顔つきから一転して母親を見つけた子供のような表情へと変わる。
「そう、青娥。あなたの大好きな主人。霍青娥。」
私のことを忘れていたことなど気にせず彼女に笑顔を向ける。
「せーが!せーが!」
「よしよし。ちゃんと思いだしたのね。いいこ、いいこ。」
子供のようにじゃれてくる芳香へにっこりと微笑みながら彼女の頭をよしよしと撫でる。
芳香は頭を撫でられるのが好きだ。こういう所や主人である私に忠実なところを見ているとまるで犬のようだなぁ、と思う。
撫でられて喜んでいるこの子の笑顔はとても可愛い。親バカもとい主人バカなのは承知の上だ。
地上でこの場所の入り口を守る彼女の帰りをこうして待つのがいまの私の大切な日課となっていた。
「なんだか最近負傷が多いわねぇ」
帰ってきた彼女の身体を見ていると致命傷には程遠いにしろいくつかの損傷が見える。まぁこの子はすでに死んでいるのだからそもそも致命傷というものが存在しないのだけど。
「んー、変な紫色の奴がちょっかいかけてくるの。でもちゃんと追い返してるよ」
「紫色……?あの寺には茄子のお化けでもいるのかしら」
「なす?って、どんなの?」
「紫色で、そうね……こんな形かしら」
地面に簡単に絵を描いてみた。芳香はそれを見てうんうん唸っている。あまり続かない記憶ではあるが頑張って記憶を辿ってくれているのだろう。
「……おお!そうだ!たしかにこんな丸っこい形だったぞぉ!こう……ベロリとこんな感じの大きなのが出ていた!」
「そうなの。茄子の妖怪なんて……随分変わったものがいるのね。」
はて、適当に言ったつもりだったが本当にそんな妖怪が実在するのか。侮りがたし、命蓮寺。
「青娥は物知り!すごい!すごい!」
「ふふ、ありがとう」
目を輝かせて私を見る芳香に笑いかける。
「……あのお寺は妖怪寺らしいし他にもそんなのがいるかもしれないわね。西洋にはカボチャのお化けがいるとも聞くし、幻想郷の妖怪は和洋を問わないからもしかしたらそんなのもいるかもね」
「おぉ……そんなに色々いるのか……」
「まぁ私にとっては芳香が一番可愛くて一番強い妖怪なのだけどね」
「一番!私は青娥の一番だー!あんな奴には負けないぞぉ!」
「うふふ、頑張り屋さんね」
意気を見せる彼女の頭をまた撫でた。
―――そんなこと言ってても、やはり忘れてしまうのだろうけど。
修復は完了したが、一旦芳香を休ませ、同時に能力を補強することにした。
芳香の言葉を信じるなら芳香は常にその化け茄子妖怪と戦っていることになる。損傷はほとんどなかったことからも彼女の頑丈さの前では大したことのない妖怪だと推測できるが少なからず戦闘が発生しているなら戦闘力を強化しておくに越したことはない。もしも彼女の身体が損傷した場合、ある程度なら自己修復できるとはいえ、やはり心配である。
彼女の寝床である棺桶を用意する。死体である彼女の腐敗を抑えるために私の術で冷気を纏っている。
「じゃあ、貴女が寝ている内に強化しておくからね」
「うん!ありがとう、青娥」
棺桶に自分の身体を収めた状態で芳香は笑顔で答えた。
「ここで眠る間、青娥が私のことを強くしてくれるの?」
「ええ、そうよ」
「それじゃあ寝ている間はずっと一緒にいられるね!」
"ずっと、一緒"という言葉に
なぜか
ギシリと
胸が痛んだ
「そうね」
動揺を悟られないように言葉を紡ぐ
「ずーっと一緒よ、芳香」
笑顔は崩れていなかっただろうか
「うん!青娥と一緒なら安心して眠れるぞぉ」
芳香は無邪気な笑顔を私に向けた。大丈夫、悟られていない。
「ずっと寝てちゃダメよ?」
「うん、時間になったらちゃんと起きるよ。」
「うふふ、いいこいいこ」
笑顔の彼女の頭をまた撫でてあげた。
私は今までいったい何度この子の頭をよしよしと撫でて、この笑顔を見たのだろう。
「それじゃあ、おやすみ。私の可愛い芳香」
「うん!またね、青娥」
彼女の笑顔を見届けながら、棺桶の蓋をそっと閉めた。
芳香が棺桶の中で眠りにつき、また私は一人になった。
静寂の中、また私は一人だ。
「……静かね」
応える声は無い。芳香は今は棺の中ですやすやと寝ている。
ずっと、一緒。
これからも、一緒。
これまでも、一緒、だった。
しかし彼女は覚えていない。
彼女の腐敗した身体と頭は昔の物事を記憶することができない。彼女にとっては、過去や未来の概念はなく"今"しか存在しない。私と芳香は永い間一緒にいたが、その記憶は私にしか、無い。
確かに、きっとこれからも彼女はこの霊廟を守り、神子の復活後も私の可愛い従者としてずっと一緒にいてくれるのだろう。
だが……彼女はどれだけ永い時間を共に過ごそうと私と過ごしたことは忘れてしまう。
私のことを慕ってくれているのも、きっと術で制御しているからで、何もわからず私の名前を呼んでいるにすぎない。過去の蓄積から私を信頼してくれているとか、そういうわけじゃない。
どれだけ彼女を愛そうとも、彼女はそれを忘れてしまう。
私の名前すら、忘れてしまう。
ずっと一緒、と彼女は言った。
忘れられて、また愛して、思い出して、でも次に目覚めた時にはまた忘れられて。その繰り返し。
ずっと一緒とは、そういうこと。
これからも忘れられるということ。
どんなに彼女を愛しても私は彼女の中には残らない。
「またね、だなんて。また次に会った時には忘れちゃうのに」
無邪気さというのは時に残酷だ。
「それでも」
……それでも、私は、この子のことを愛さずにはいられないのだ。
「好きよ、芳香」
あなたが私のことを忘れてしまうなら、私が何度でも思い出させてあげるから。
だから、私は忘れない。あなたを愛してることを、忘れない。
彼女の頭を撫でるように、彼女の眠る棺桶の蓋をよしよしと撫でた。
手のひらには棺桶の冷たい感触だけが残った。
「さて、と」
最後の術を施し、芳香の強化が終わった。これで守護者としてのお仕事も捗るだろう。
「さぁ、終わったわよ。起きて、芳香」
彼女が眠る棺桶の蓋を開く。
……そしてまた、彼女は私を覚えてはいないのだろう。
「だぁーれーだぁー!」
死人とは思えない元気な声が棺桶の中から聞こえる。
「私はあのお方、我が主人、青娥のために霊廟を守る崇高な戦士だぞぉ!」
―――え?
いま―――私の名前を呼んだ?
呆けていると、棺桶から身体を起こした芳香と目が合った。
「あ、青娥。おはよう」
―――覚えて、る?私を?
「青娥?おーはーよーうー?」
「芳香」
気付くと私は彼女の身体を抱きしめていた。
「せ、せーが?」
「……おはよう、芳香」
「……うん!おはよう、青娥」
抱きしめているから彼女の顔は見えなかったけど、きっと彼女はいつものように笑っていた
その後、また芳香が眠りから醒めたときは相変わらず私のことは忘れていた。術で彼女の強化はしたかやはり記憶力まではカバーできない。たまたま覚えていただけだったようだ。
それでも、一度でもこんなことがあれば次もある気がする。相変わらず彼女は記憶を留めてはくれないけど、芳香ならもしかしたらまた……などと思ってしまう。やはり私は重度のバカ主人らしい。
だって、仕方がないじゃないか。
私の愛する芳香なのだから。
そう、私の愛したキョンシーなのだから。
ところでカボチャのお化けって西洋では……?
芳香との関係も打算が見え隠れしたりドロドロしてたりしますが、
だからこそこういうストレートで一途なせいよしを見せられると、すごい胸に沁みます。
こういう愛にあふれたせいよしも良いですね。すごく良い。
せいよし流行ってますねぇ。いいぞもっと流行れ!
芳香もかわいい。