窓から見えるは雲の海、徐々に高度を下げる飛行機はその中に飛び込み、本物の海と滑走路が目に映ります。
曇り空の出発地点とは打って変わって青い空。
空港に降り立ち上を見あげれば、つい先程までその中にいた雲が漂っています。
「……っと、電車が出ちゃう。急がないと」
空港からJRを経由し、駅から今度はバスに。
乗り物酔いに苦しみながらも、無事に事前に調べておいた停留所で降車します。
そこから地図を睨みながら歩みを進めるとようやくその建物は姿をあらわします。
「ついに着いた・・・!」
私、黒谷ヤマメは大学の学生寮の前に立っていました。
まもなくここの大学での学生生活が始まるのです。
同じ高校の連中は多くが地元の大学に進学した中で、私と友人のキスメは地元から遠く離れたここの大学に進学を決めました。
知り合いもほとんどいないこの地で無事に暮らしていけるかどうか不安ではありますが、幸いにも頼るべき人間が同じ大学にいらっしゃいます。
その名は星熊勇儀さん、同じ高校の一つ上の先輩で、高校時代には部活でインターハイに行き、AOでここに入学を決めた方で、私達後輩の中では密かに伝説化されているとかいないとか。
そのチートスペック、ぜひ間近で見てみたい……というか普通にお近づきになりたいです。
ところでもう一人の知り合いであり腐れ縁的親友のキスメは大学合格が嬉しくてはしゃぎまわり、先日発売された人気ゲームの新作を買うために糞寒い早朝から並び倒した挙句風邪をひいてしまったので私は一足早く入寮することになりました。
三人の相部屋になるそうなのですが、ルームメイトとは友だちになれるでしょうか。
なれなかったら悲惨ですね、考えたくもない。
出ようと思えば出ることだって不可能じゃありませんが、実家からの仕送りも心もとない現状としては家賃の安いここで大学生活を送りたいものです。
ちなみに文系は文系、理系の人は理系の人とを優先的に相部屋にするこの寮の方針からして、キスメと相部屋になるのは難しそうです。
というのも私は理学部、キスメは文学部に受かったものですから。
理系女子ってほとんどいませんでしたからね、どんな子がルームメイトになるか楽しみです。
合鍵を使ってこれからの根城となる部屋に入ると、趣味の良い可愛らしい鞄が玄関先に置いてありました。
どうやら私と相部屋になる子のうち一人はもう到着しているようですね。
早速中に入ると、先の子が掃除していてくれたのか古い建物の割にはかなり綺麗な部屋の様子が目に飛び込んできました。
ええ、かなり古いです。
一応地震じゃ倒れないようですが、少々心配になってしまうのが人の性と言いましょうか。
しかし人の気配はありませんね、出かけてるんでしょうか?
どうやら留守にしているらしいルームメイトを待つこと数十分。
その間にコーヒーを淹れる準備をしておきました。
第一印象って大事ですよね。
コーヒーか紅茶がないと禁断症状にのたうち回る私の普段の様子を見られるのは仲良くなってからで十分です。
すっかり準備も終わって更に待つこと五分ほど、正座で待ちくたびれて痺れた脚を組み直しているとドアが開く音がしました。
緊張で薄い胸がドキドキ、その割に肉付きのいい脚はピリピリですね。
何考えてんだ私、落ち着け。
混乱しまくっている私の前にドアから姿を表したのはお人形さんみたいに可愛らしい女の子でした。
私に気づくとにっこり笑ってご挨拶。
「あら、あなたが私のルームメイト?よろしくね」
一方私はガチガチに緊張して自分の名前も満足に言えず終い。
「わ……私っ、黒たにゅやまめといいまひゅっ!」
たにゅってなんだたにゅって。
第一印象ってなんだったんでしたっけ。
少女はクスリと笑って
「私はアリス・マーガトロイド。工学部一年よ」
と華麗に自己紹介するのでした。
だめだ、最初からつまづいていたらダメな子だと思われちゃう。
なんとか挽回しなくてはいけません。
そのためのコーヒーですよ、頑張れ私。
「私は理学部ですっ!よろしくお願いします!あ……あの、コーヒーどうですか?」
この決死の申し出にも余裕を見せるアリスさんは美しい微笑を見せて
「いただくわ」
と返してくれました。
良い人そうだし友達になれそうな気がしました。
なんとなく、ですけどね。
だから早いうちに好印象を植えつけてカフェイン中毒者であるというマイナスポイントを相殺してもらわねば。
コーヒーを飲みながら簡単に自己紹介を済ませると、アリスさんに付き合ってもらって日用品を買いに行くことに。
ここの大学があるところは政令指定都市ですし中都会くらいなのですが、アリスさんは首都圏から来たと自己紹介で言っていたとおり繁華街には慣れた様子で、綺麗な服のいっぱいある店へと私を案内してくれました。
ブティックって言うんですか?
田舎者にはわかりません。
勝手もわからずただアリスさんについていくだけでしたが思い切って少し言いづらい頼みごとをしてみることにしましょうか。
「あの……アリスさん」
「ん?何?」
「下着選ぶの手伝ってくれませんか?」
ここで少し冷静になる私。
ほぼ初対面の人間にいきなり下着選んで欲しいとか何考えてんでしょうね。
アリスさんも困ったような表情を浮かべていますね。
やっぱり常識的な頼みごとではなかったですよね。
それでも律儀なアリスさんは言葉を濁しながらもその申し出を承諾してくれました。
「……個人的な趣味で選ぶから似合うか保証できないわよ?」
「大丈夫ですよ。アリスさん趣味よさそうだし」
「褒めても何も出ないわよ?」
私はこういう店初めてですからね。
実家の近くには普通におばちゃんが来るような安さが売りの衣服店しかありませんでしたし。
下着コーナーに向かえばそこは一面の花畑……もとい様々な色の下着が。
当たり前といえば当たり前ですが私の地元にはこんなに種類がなかったのでやっぱりアリスさんについてきてもらって正解でした。
キスメがここに来たら目を回すかもしれません。
いや、むしろウキウキでアレな下着の試着を迫ってくる気もしますが。
「うわー見てくださいよアリスさん、こんな面積の狭い下着なんて初めて見ました」
「趣味嗜好は人それぞれだものね」
アリスさんが妙に達観してる気がするのは気のせいでしょうか。
実はハイレベルな変態さんなんでしょうか。
まさかね。
「誤解しないでよね。見たことあるだけよ、こういう下着つけてるやつを」
「……世の中広いですねえ」
やっぱり田舎から出てきてよかった。
少しは視野も広くなるというものです。
それの第一号が下着というのもどうかと思いますが。
そんなことを考えながら店内を物色している最中のことでした。
「おや、ヤマメじゃないかい」
突然声をかけられて慌てて振り向くと、
「ゆ、勇儀さん!?」
そこにはあの勇儀さんが。
その隣にも女性がひとりいらっしゃいますね。
「えーと」
誰だっけこの人。
見覚えはあるんですが名前が出てきません。
「水橋パルスィ」
「そうでしたパルスィさん!すいません……」
そうそう、同じく私の母校出身のパルスィさんですね。
一つ上でしたっけ。
「パルスィさんもここの大学だったんですね。」
「そうよ。まったく、名前を覚えてもらえる星熊が妬ましいわ」
「まあそう言いなさんな。それにしても、どうしてこんな所にヤマメがいるんだい?」
あちゃあ、パルスィさんはどうやら拗ねてしまったご様子です。
申し訳なさに縮こまる私をよそに勇儀さんは笑っていますが、私の名前、覚えていてくれたんですね。
ちょっと嬉しいです。
「晴れて大学でもお二人の後輩となることができましたので、ちょっとお買い物を。あ、アリスさん、こちらは私の高校の先輩の勇儀さんとパルスィさんです。」
「はじめまして。彼女のルームネイトのアリス・マーガトロイドです。大学のことなど、いろいろ聞けたらと思っています」
う……アリスさんのこともお二人に紹介しようと思っていましたが、先に自己紹介されてしまいました。
本当にしっかりしてますねえ。
まあ、そんなことを思っていたのも今のうちまでなんですが。
「それにしても……」
あたりを見回す勇儀さん。
当然周囲は桃源郷です。
「どうやら下着を選んでもらおうとしてるようだね。違うかい?」
うー……図星。
そりゃ見ればわかりますがね。
私はなぜ勇儀さんとパルスィさんがここにいるのかも疑問だったのですが。
「パルスィのやつも服を私に選んで欲しいって聞かないんだよ。どうせだから一緒に回ってもいいかい?」
「ちょっ、なにも言うことないでしょうが!?」
ああ、やっぱりそうだったんですね。
顔を真っ赤にして勇儀さんに詰めよるパルスィさんに思わず頬が緩んでしまいそうです。
「じゃあお願いします。いいですよね、アリスさん?」
「ええ、私一人じゃどうも自信がないので助かります」
そうして4人で店内を見て回ったのですが、私の視界の先にはFカップのブラジャー。
やっぱり世の中にはこんな大きいのをつける人もいるんでしょうか。
そして一瞬映る勇儀さんの胸。
「……身近にいましたね」
かたや私が試着室でサイズを測ると、ぺったんこというほどじゃありませんがこれはあまりに寂しい。
肩がこらなくていいといえばいいんですが……。
「ヤマメ、こういうのはどうだい?」
勇儀さんから手渡されたのはフリルの付いた可愛らしい下着。
「あ、これ可愛いですね。勇儀さんセンスいいなあ」
明らかにサイズあってませんが、たぶん私に合うサイズもありますよね。
ふと視線を感じて振り返ると、何故か勇儀さんから渡された下着をじっと見つめるアリスさんとパルスィさんが。
「な……なんですか?」
「「いや、別に」」
ちょっと二人がよくわかんないです。
パルスィさんもその後勇儀さんに服を選んで貰って会計を済ませて、みんなで何か甘いものでも食べに行こうということになりましたが、何故かアリスさんの視線は下着コーナーに。
気になったデザインのものでもあったんでしょうか。
結構アリスさんが人目を気にする性格なのはわかりました。
常識的だとも言います。
少なくともキスメよりははるかにまともと言えます。
あいつなら人目もはばからずに買いますもの。
……私に着させるために。
あと、一見むすっとしてるパルスィさんですけどさっき試着室から聞こえた鼻歌から察するにむちゃくちゃ上機嫌そうなんですけど。
あまり学校でお会いしたことはないけどこんな人だっけ?
買い物が終わって寮に戻り、勇儀さんたちと別れるとアリスさんが
「あ、私ちょっと買い忘れが……1時間ちょっとで帰るから先に部屋行ってて」
と言って駆けて行きました。
絶対下着買いに行きましたよね。
またコーヒーを淹れて待つこと小一時間、袋を後ろに隠したアリスさんが帰ってきました。
隠しきれてないし明らかに怪しいし、どうせ洗濯の時とかにバレると思うんだけどなあ……。
可愛らしいですけど。
「アリスさん、今日の晩御飯は私が作ろうと思うんですけど何がいいですか?」
「そうね、任せるわ」
出たよお任せ。
これが一番困るんですけどね。
ならちょっと意地悪してみましょうか。
「わかりました。じゃあインスリンスープでいいですか?」
「あーはいはい……ってなんでインスリンなのよ。糖尿病患者でもインスリンをスープにしようなんて思わないわよ」
むしろ健常者が過剰に摂取すると血糖値が異常に下がって死にます。
死にたくなかったら生返事はやめることですね。
「じゃあ硫化カドミウムで彩色したコンソメスープにしますね」
「……やれるものならやってみなさい」
黄色顔料だけでなく光センサーにも使われるマルチプレイヤーですが、カドミウムはカルシウムの補給を阻害し、イタイイタイ病を引き起こす女性の敵です。
出産経験者は骨内のカルシウムが不足しているので補給を絶たれるとくしゃみでも骨が折れます。
さらには発がん性まで。
毒としてもマルチプレイヤーです。
「理学部には変人が多いって噂は本当のようね」
変人扱いされたけど残念ながらそれは褒め言葉です。
でもあんまり引かれても困るので
「冗談です。普通にカレーにしますから安心してください」
と言って買い物に行きました。
あ、スーパーとかどこにあるんだろう……。
30分迷った末にようやくスーパーを見つけ、大量の超辛口カレーとガラムマサラを購入。
私は好きですよ、激辛カレー。
しかし後にアリスさんはこの街の水道水が飲めるレベルの味であることに人生最大限の感謝をすることになります。
「普通初対面の人間にこれ出す?」
「すいませんでした、マジすいませんでした。反省してますからガラムマサラ振り掛けんのやめてください」
「……いいけど、別に敬語じゃなくていいわよ。ルームメイトによそよそしくされると調子狂うわ」
「わかりま……わかったよ、アリスさん」
せっかく練習したんだけどなあ、敬語。
もったいないし地の文はこのままでいいですかね。
もう既に時々外れてますけど。
――二日後、今日は休日なので入寮者が多く来るそうです。
寮生活って思ったより大変ですね。
この寮は寮監がいないので門限がないのはいいんですが、お風呂とか共同ですし食事が出ないので交代で食事作る必要もあります。
なによりボロい。
さらにいえば先日作ったカレーは私一人で処分することになってその上アリスさんの晩御飯を作りなおしたので少々懐が寂しいです。
ついでに胸も寂しいです。
あれだけ食べさせられたのに栄養は全部へそから下に貯まりますからね。
あと二の腕。
まあ寮生活は慣れれば一人暮らしよりは楽なのかもしれませんが、やっぱり親元を離れると苦労が身にしみるといいますか。
キスメが午後に到着するようなので駅まで迎えに行こうかと思います。
駅ならバスに乗るだけなので迷うことはないはずです。
……多分。
お昼の用意をしていると3人目の到着でしょうか、チャイムが鳴り響きました。
どんな子かなあ……と期待に薄い胸を目いっぱいふくらませてドアを開けます。
あ、自分で言うのはいいけど他人から貧乳呼ばわりされるのは嫌です。
自虐限定です。
「あら、はじめまして。ルームメイトの方で合ってるわよね~?」
自虐ネタの直後に巨乳が来ました。
ジーザス。
へこむんですよ、結構。
「私はレティ。よろしくね~」
「あ、黒谷ヤマメですっ!よろしくお願いします!」
レティさん、ですか。
何食べたらそんなに白い肌と豊かな胸を獲得できるんでしょうか。
勇儀さんと張り合えそうですね、羨ましい。
自己紹介もそこそこにコーヒーを渡しますが
「あ、ごめん私ブラックダメなのよ~」
とのこと。
確かにブラックコーヒーを飲む女子大生というのも珍しかったかもしれませんね。
カフェイン中毒者の感覚で考えちゃダメですね。
ミルクと砂糖を手渡すとレティさんはミルクを大量投入。
カフェオレ派と見ました。
レティさんは地元出身なんだそうです。
なるほど、北国美人ですか。
私もアリスさんもあまりここには詳しくないので助かりました。
特に私にいたってはそこそこの方向音痴ですし。
結構話し込んでしまいましたし、そろそろ正午を回りますね。
レティさんにも私にいい印象を持ってもらった気がしますし、これからも仲良くやって行けそうです。
ところでアリスさんまだ起きてこないですね。
昨日の夜にテ○東が映らないとかわめいてましたが……ふて寝してるんでしょうか。
そろそろお昼ですし起きてもらわないと。
「アリスさーん!もう一人のルームメイトの方が来たから起きろー!」
「んー……もう5分……」
「子供かよ」
昨日から薄々感じてましたけどアリスさん朝弱いですね。
寝起きの顔はすごく可愛いんですけどいくらなんでもお昼まで寝るのは反則です。
今日はアリスさんが朝食を作るはずなのに私が作りましたし。
「ほら布団から出て着替えて。あんまり待たせちゃ相手に失礼だし」
「うー……ヤマメ私のお姉ちゃんみたい……」
お姉さんがいましたか、ってお昼忘れてた。
「ああもう!午後から出かけるのに!早く起きないと紅茶に変性アルコールを投入するからね!」
忙しいったらありゃしません。
変性アルコールは工業用の無課税エタノールが主成分ですが、飲料に転用されるのを避けるために毒性のあるメタノールやガソリンが入っています。
飲んだら失明しますよ。
一時間後、今度はようやく起きてきたアリスさんがレティさんと話し込んでます。
お昼のお蕎麦伸びてますけどもう知りません。
腹いせに麺つゆにカプサイシンを入れておきました。
唐辛子の辛さの源にもだえ苦しむがいいです。
私はキスメの迎えに行きます。
「自分のお皿は自分で洗ってよね!じゃあ行ってきます!」
アリスさんは家事得意なのに朝は何もしないから困ります。
その分午後になると手際よく掃除洗濯と片付けるんですけどね。
一方家を出た私はバスに乗って駅を目指します。
ここのバスや地下鉄は迷わなくて済むし確かに便利ですけど死ぬほど高いです。
早いところ定期を買わないと大赤字です。
少し時間に余裕があったので1つ前のバス停で降りて市街地を眺めながら駅に向かいます。
プロ野球球団があるだけあってそこらかしこに応援が書かれていますね。
私の好きな球団と同じリーグなので今度見に行きたいです。
それにしても歩きタバコをしてる人が少ないですね。
私の地元はけっこう歩きタバコしている人がいたので驚きです。
タバコは大量の有害物質が含まれているので大好きですけど命が惜しいので自分では吸いませんし受動喫煙もまっぴらです。
じゃあタバコの何がいいのかって喫煙者が自らの命を削るのがいいんですが。
愚かなものよ、自分から破滅に向かって行くとは……ってやつですね、中二病です。
そうこうしてるうちに駅に着きました。
この間はあまり見ている暇がなかったので駅のおみやげコーナーを物色していますが、このお菓子おいしそうですね。
黄色に輝くカスタードクリーム内蔵のカステラ風生地の饅頭とでも言いましょうか、商品名を挙げないで説明するの難しいですが。
お金さえ余裕があればいろいろ買いたいんですけど、この間服やら大量のカレーやらを買ったことだしここはぐっと我慢。
このままじゃ家賃が払えなくなります。
やっぱりバイト探すべきですかね。
ちょっとバイトできそうなところを探してみますかね……。
「何してんの」
「うひゃっ!?」
び、びっくりした……。
心臓止まるかと思いましたよ。
そんなときにはアコニチン、トリカブトの毒が効きます。
知っての通りの毒草であるトリカブトですが、適量であれば強心剤としての効能があります。
どれぐらいが適量かなんて知りませんがね。
……と思考をずらして心を落ち着け、視界を戻すと目の前には我が親友の姿が。
「なんだキスメか……脅かさないでよ」
「しばらく待ってても待ち合わせ場所に来ないから探しに来たんだけど」
すっかり夢中になってて時間を忘れてました。
私の悪い癖ですね。
「ごめんよー、今度なにかおごるからさクロロアセトフェノンとか」
「そんなのいいから今度から時間守ってよね?」
クロロアセトフェノンは催涙スプレーにも使われる、イギリスのフーリガンが涙を流して喜ぶほどの刺激性が売りのポピュラーな催涙ガスです。
それにしてもそういうところは妙に真面目だなあキスメは……。
まあここでずっと話しているのもなんなのでさっさと寮に案内することに。
「うわーバスの行き先たくさんあるんだねー」
「迷子になんないようにしなよ、キスメ」
「その言葉そっくりそのまま返すよ、方向音痴」
反抗期でしょうか。
ってことは第二次性徴も始まってその低い背も少しは伸びるんじゃないんですかね。
本人に伝えたところ
「余計なお世話だよ」
との答えが返って来ました。
しかしキスメはその背の割には胸があるからいいんですよ。
私なんかどうだ、平均身長から少し低いくらいで済んでるのに胸は平均のだいぶ下ですよこんちくしょう。
「それはともかく、寮について教えて欲しいんだけど」
「うん、まず洗濯はね……」
寮の説明をしているといつの間にバスは私達が降りる停留所の手前に。
「あ、降りなきゃ。行くよキスメ」
「はいはい」
入り口で部屋を確認。
「キスメは303号室か。私達の部屋は二つ隣の306号室だから近くていいねえ」
「・・・ついに引き算も出来なくなったの?」
「ちがわい、死と苦につながるから下一桁が4や9の部屋はないんですのー」
どうせなら666号室もやめてあげたほうがいいと思います。
そんなに一つの階に部屋があるかといわれればそれまでですが。
「じゃあ部屋の先客に挨拶してくるからまた後でね」
「じゃあねー」
それでは私もレティさんと交流を深めるとしましょう。
「ただいまー」
「おかえりなさ~い、アリスは買い物に出かけたわよ~」
朝寝坊した分きっちり働いてるみたいですね。
むしろ三倍は働いてもらわないと。
起こすの大変なんですからね。
「じゃあ私ご飯の前にシャワー浴びてくるね」
「あ、ちょっと待って」
一体何なんでしょうか?
そう問いかけるとレティさんは無駄に綺麗なウインクを決めつつ衝撃的な提案をしてきました。
「3人での寮生活初日だし、親睦を深めるために一緒にお風呂に入らない?」
風呂っていったら裸ですよ?
裸の付き合いですよ?
DVDじゃ外れる不自然な密度の湯気でバストサイズは隠しようがありませんし、むしろ正確なサイズがわかりかねませんよ?
この女、巨乳だからっていい気になるなよ……!
いや、せっかくの好意を無碍にしちゃいけませんね。
落ち着け私。
とりあえず否定的意見を出します。
「三人じゃ狭くない?」
そもそも共用ということもあってここのお風呂は浴槽にお湯を張るのに不向きな欧米スタイル。
シャワー浴びるだけなのに一斉に入るのはさすがにどうかと思います。
そう言っても簡単には引き下がらないレティさん。
「私ここから少しした場所に銭湯あるの知ってるからそこに行きましょう?」
銭湯、ですか。
今まで行ったことがないので興味ありますが……。
「あ、どうせならヤマメの友達も誘っていいかしら?もう来てるんでしょ?」
「えっ、あ、うん」
結構強引な人ですね。
キスメは風呂好きだから銭湯には大喜びでついてきそうだけど、あいつの性格だしなあ……。
「ただいまー」
「あ、アリスちょうどいいところに!」
もうどうにでもなーれ。
その気になれば一酸化二窒素で昏倒させてやる。
携帯を手に取り、キスメに電話をかけます。
「もしもーし、キスメさんやーい」
『ヤマメ、どうしたの?』
「いや、これからみんなで銭湯行くんだけど一緒に行かない?」
キスメは当然二つ返事。
「行く行く!部屋のみんなも誘ってくるね!」
大勢のほうが楽しいでしょうけどね。
初対面が銭湯かあ……。
そりゃ激辛カレーとどっちがマシかって話ですが。
待つこと数分、キスメが私たちの部屋のチャイムを鳴らします。
「おまたせー!あ、こちらルームメイトの文ちゃんとてゐちゃんね」
「はじめましてー黒谷ヤマメです」
「射命丸文です。以後お見知りおきを」
なんでしょうか。キャラ作ってる感がすごくします。
自白剤でも用意しておきましょうか。
でもあれってほんとうに効果があるか怪しい物がほとんどなんですよね。
「因幡てゐでーす。よろしくー」
こっちは小柄でキスメと同じくらいの背格好ですね。
可愛らしいですけど、あまり大学生には見えませんね。
こっちも何か黒い予感がします。
気のせいだといいですけどね。
「じゃあアリスさんとレティさん呼んでくるね」
全員揃ったらレティさんに案内されて銭湯へ。
時間が夕食前だからかそこそこ空いてますね。
瓶の牛乳が売ってます。
お風呂上がりに買ってみましょうかね。
さて、脱衣室ですが……てゐさんは私の同類のようで助かりました。
ただちょっとキスメが解せない、マジで解せない。
背はあんなにちっちゃいのに。
現実を受け入れたくないです。
「高校の卒業旅行から全く育ってないねえヤマメさんや」
「二週間そこらで育ってたまるもんですか」
「その割には少々太ももが厚くなってませんかねえ」
「硫酸ぶちまけるぞ」
セクハラ幼馴染みめ、そのうちぎゃふんと言わせてやる。
一応湯船に浸かるまで全員バスタオル巻いてますけど……文さん、小型のカメラ持ってません?
私の思い過ごしでしょうか。
一瞬手にそんなものが見えたような気がします。
笑気ガスこと一酸化二窒素は気体だから持ち運べないし、トリクロロメタンにすればよかったなあ……。
トリクロロメタンの別名はあの有名なクロロホルム。
そして自治体が必死になって水道水から除去している発がん性物質トリハロメタンの一種です。
でもトリクロロメタンは麻酔作用が弱いんですよね。
ドラマみたいに一瞬で昏倒させるのは無理です。
そうか、ジエチルエーテル持ってくればよかった。
「ヤマメ、なにぼーっとしてんの?入るよ?」
「ああ、ごめんごめん」
キスメに急かされて我に返る。
文さんをなんとかするのは上がった後でいいですかね。
こんなところで使うんだからデジカメではなくフィルム型でしょうし、フィルムだけ没収して私一人で桃源郷を楽しむことにしましょう。
いざ湯けむりの中へ飛び込むと、目移りするほどの浴槽の数です。
「へー、普通の湯船にジャグジーバス、打たせ湯、薬湯・・・電気風呂?」
「ああ、電気風呂は面白いわよ。上がってもしばらく指がビリビリするの」
レティさんはマゾヒストか何かなんでしょうか。
上がってなお痺れが残るような強烈な風呂が面白いだなんて。
そして改めて……胸、でかい。
「スタイルいいねえ。羨ましいよ」
「それが手を抜くとすぐ太っちゃってね~……肩は凝るし同年代の男子は貧乳の方が好みみたいで私に目を向けるのはおっさんばかりだし、面倒なのよ」
謙遜ではなく切実だった。
ここまで説得力のある巨乳の話は初めてです。
肩が凝るのはともかく同年代の異性には受けないとなると私も考えを改めざるを得ません。
まあ私貧乳なのにモテませんがね。
女子力とやらが足りないんでしょうか。
オムライス嫌いな子はモテるとかどっかで聞きましたが、残念ながらオムライスは大好きです。
ところで、さっきから妙な気配を感じますね。
十中八九のところ文さんでしょうが。
先ほど死角になりそうな場所に移動するのが見えました。
盗撮した写真には『巨乳と貧乳のツーショット』とでも銘打たれるんでしょうか、不名誉な。
やっぱり後でフィルム強奪しよう。
初対面の相手を堂々と盗撮する勇気には感服しますがその勇気も科学の力の前ではひれ伏さざるを得まい。
「キスメ、どう?寮は」
「ルームメイトのアクが濃すぎて移動の疲れがどっかいったわ」
「ああ、文さん?」
そのアクの強い面子と生活を共にするキスメも十分アクが強いので大丈夫でしょう。
「文ちゃんもアレだけどてゐちゃんが意外にもって感じかな」
「へ?」
意外といえば意外。
予想通りといえば予想通り。
やっぱり、あんなにちっちゃくて可愛らしいのに性格に難があるんでしょうか。
「あの子、かなりの三味線使いよ」
「へー今時珍しい」
日本における三味線の歴史は南から。沖縄では三線と呼ばれる楽器が本土にわたり、北の方に普及するにつれて徐々に変化していったため、津軽三味線の歴史はせいぜい百数十年です。
「いや、口の方」
ハッタリかましたりするんでしょうか。
「自白剤作ろうか?」
「前から言ってるけど素人がクスリ作るの犯罪だからね」
クスリとは失礼な。
覚醒剤の合成方法は知っているけど使う薬品が高いから作ったことなんてないです。
「その薬品が高いからって理由がおかしいと思ったことない?」
「いいや全然」
「大学で法学部の講義も受けるべきだね」
あいにく公民系の科目は全く興味がないので私が法学の講義を受けに来たとしたら、寝るため以外にありえません。
きっと教授の声がちょうどいい子守唄になって爆睡ですよ。
「ヤマメ~、のぼせたから介抱して~」
突然肩に手を回されて後ろからレティさんに密着されました。
白い肌が真っ赤ですよ、ほんとに大丈夫でしょうか。
降圧系の薬の副作用でも血管が拡張してのぼせることがあります。
グレープフルーツに含まれるナリンジンは降圧剤の効き目を弱めるので服用中に食べるのはお勧めしませんよ。
「って……ちょっ、胸!当たってる!」
「いいじゃない減るものじゃないんだし~」
目の前で起こる異常事態に置いてけぼりのキスメ。
しかもレティさんさりげなく減るものじゃないだなんて。
この巨乳、私をどうしたいんでしょうか。
「はしゃぎ過ぎたわ~……」
「じゃあ、それそろ上がろうか」
着替えながら時計を確認すると、どうやら30分ほども入浴していたようです。
そりゃのぼせるわけだ。
湯冷めして風邪をひかないようにしないと。
左手に一酸化二窒素の小瓶を忍ばせ文さんの隙をうかがいます。
「やっぱりお風呂上がりはフルーツ牛乳よね!」
隙だらけでした。
コーヒー牛乳を買い、無難な話題の会話を装って近づきます。
「文さん、フルーツ牛乳派?私はカフェイン入ってないと落ち着かなくって」
「それはカフェイン中毒なんじゃなゴホッゲホゲホ」
笑気ガスを一瞬開放し、もろにフルーツ牛乳でむせたところを容赦無く襲撃。見事カメラを奪うことに成功しました。
文さんはそれどころではなく、フィルムを抜き取って小型カメラを突き返しても何も出来ない有様。
やっぱり科学の力は偉大です。
「無難な写真だけ後で返すよ」
「ゲホゲホ……もうしませんから、ばら撒いたりしませんから全部返してくださいよー……」
ばら撒く気だったんですか、ますます返す気が失せましたよ。
寝言は寝て言うべきですね。
小型カメラに収まるほどの小さなフィルムを一酸化二窒素の瓶に保管。
これでどうあがいても奪取は不可能です。
「写真も回収しましたし帰りましょ」
「……恐れいったわ。まさかガスで動きを封じるとは」
「というか常備しているなんてねえ……」
キスメとてゐさんはまだむせている文さんを介抱していますが、キスメが先帰ってていいよと言うのでそうすることに。
そうして銭湯からの帰り道、こんな写真を店で現像してもらうわけにはいきませんね。
「できるだけ遠い写真店にしましょう」
「旅の恥はかき捨てね~」
するんですか。
その日は桃色の夢を見ました。
妙にレティさんの胸の感触が生々しいと思ったら本当に抱きつかれていたこともあわせて言及しておきましょう。
翌日。
「おはよーキスメ」
「あ、おはよー」
買い物の帰りにキスメに鉢合わせ。
「文さんから没収したフィルム、今日現像しにいくってさ」
「文ちゃんなら装置持ってるけど……まさか張本人に頼むわけにはいかないだろうしね」
なんだ、なら話は早いですね。
善は急げという言葉もありますし借りてしまいましょう。
「ちょっと、本気?」
「だってお金勿体無いじゃん」
文さんが部屋にいないなら無断で、いるならジエチルエーテルで眠らせて拝借することにしましょう。
「文さーん!ちょっといいー?」
「何ですか……昨日のあなたのクスリのせいで頭痛がするんですよ・・・」
「自業自得じゃない。頭痛がするなら……はい、アセトアニリドをどうぞ」
アセトアニリドはかつては頭痛薬に用いられたものの、肝機能障害というすさまじく割に合わない副作用を持つため現在は薬用に使われることはまずないです。
「いや、クスリはもう懲り懲りで……うわっ!?」
「二日続けてごめんねー」
昨日の反省を踏まえてジエチルエーテルで眠ってもらいました。
気分は刑事ドラマの犯人役、もしくは某探偵漫画の全身黒タイツ男です。
ただ一つ気になることが。
「キスメ、てゐさんは?」
「てゐちゃん?雀荘に行くって言って出かけたよ」
なら邪魔される心配はない。
でも女子大生の身で雀荘だなんてずいぶんアレな人ですね。
カモられないようにしないと。
「まあそれはいいとして、現像ね」
これ文さんの私物ですよね。
どうやら写真専用のスキャナとレーザープリンタのようですけど、どうやって寮に持ってきたんだろう……。
「どれくらいかかる?」
「フィルムスキャナで読み込んでプリントするから結構早いよ」
キスメの返事にそれはよかったと薄い胸を撫で下ろします。
一時間もしないで文さんの麻酔は切れますからね。
何度でも眠らせ直せばいいんですが、手間ですし。
「あ、出てきた」
ウィーンと音を立ててレティさんの艶やかな肢体を映した写真が印刷されてきます。
思ったよりも早い早い。
そして撮るの上手い。
「キスメは欲しい?」
「グロスでいただくよ」
「少しは自重しろ」
キスメの写真は私が独占しますがね。
小一時間ほどキスメとお茶を飲んで駄弁ってるうちにとっくに印刷まで終わり、写真とネガを回収してちょうど目を覚ました文さんにアセトアニリドをプレゼントして帰宅。
部屋では二人が待ち構えていました。
「はいアリスさんとレティさんの分」
自分やルームメイトのピンクな写真を受け取って喜ぶレティさん。
一番映ってたのレティさんですけどね。
アリスさんはやっぱり恥ずかしいのかおずおずと、でもしっかり受け取ってます。
私は写真をパソコンに取り込むことにしましょうかね。
今日はご飯なしでもお腹いっぱいになりそうです。
日はまだ高いですが既に文さん以外は有意義な一日だったと言えましょう。
その文さんには今度カレーをご馳走してお詫びしましょうかね。
激辛カレーとスパイシーライスにカプサイシンをはじめとする刺激物を大量投下してあげようと思います。
楽しみですね、カレーを振る舞うのが。
咲きかけの桜が飛び散る香辛料に身構えた気のする春のとある一日、大学生活の幕開けはもうすぐです。
曇り空の出発地点とは打って変わって青い空。
空港に降り立ち上を見あげれば、つい先程までその中にいた雲が漂っています。
「……っと、電車が出ちゃう。急がないと」
空港からJRを経由し、駅から今度はバスに。
乗り物酔いに苦しみながらも、無事に事前に調べておいた停留所で降車します。
そこから地図を睨みながら歩みを進めるとようやくその建物は姿をあらわします。
「ついに着いた・・・!」
私、黒谷ヤマメは大学の学生寮の前に立っていました。
まもなくここの大学での学生生活が始まるのです。
同じ高校の連中は多くが地元の大学に進学した中で、私と友人のキスメは地元から遠く離れたここの大学に進学を決めました。
知り合いもほとんどいないこの地で無事に暮らしていけるかどうか不安ではありますが、幸いにも頼るべき人間が同じ大学にいらっしゃいます。
その名は星熊勇儀さん、同じ高校の一つ上の先輩で、高校時代には部活でインターハイに行き、AOでここに入学を決めた方で、私達後輩の中では密かに伝説化されているとかいないとか。
そのチートスペック、ぜひ間近で見てみたい……というか普通にお近づきになりたいです。
ところでもう一人の知り合いであり腐れ縁的親友のキスメは大学合格が嬉しくてはしゃぎまわり、先日発売された人気ゲームの新作を買うために糞寒い早朝から並び倒した挙句風邪をひいてしまったので私は一足早く入寮することになりました。
三人の相部屋になるそうなのですが、ルームメイトとは友だちになれるでしょうか。
なれなかったら悲惨ですね、考えたくもない。
出ようと思えば出ることだって不可能じゃありませんが、実家からの仕送りも心もとない現状としては家賃の安いここで大学生活を送りたいものです。
ちなみに文系は文系、理系の人は理系の人とを優先的に相部屋にするこの寮の方針からして、キスメと相部屋になるのは難しそうです。
というのも私は理学部、キスメは文学部に受かったものですから。
理系女子ってほとんどいませんでしたからね、どんな子がルームメイトになるか楽しみです。
合鍵を使ってこれからの根城となる部屋に入ると、趣味の良い可愛らしい鞄が玄関先に置いてありました。
どうやら私と相部屋になる子のうち一人はもう到着しているようですね。
早速中に入ると、先の子が掃除していてくれたのか古い建物の割にはかなり綺麗な部屋の様子が目に飛び込んできました。
ええ、かなり古いです。
一応地震じゃ倒れないようですが、少々心配になってしまうのが人の性と言いましょうか。
しかし人の気配はありませんね、出かけてるんでしょうか?
どうやら留守にしているらしいルームメイトを待つこと数十分。
その間にコーヒーを淹れる準備をしておきました。
第一印象って大事ですよね。
コーヒーか紅茶がないと禁断症状にのたうち回る私の普段の様子を見られるのは仲良くなってからで十分です。
すっかり準備も終わって更に待つこと五分ほど、正座で待ちくたびれて痺れた脚を組み直しているとドアが開く音がしました。
緊張で薄い胸がドキドキ、その割に肉付きのいい脚はピリピリですね。
何考えてんだ私、落ち着け。
混乱しまくっている私の前にドアから姿を表したのはお人形さんみたいに可愛らしい女の子でした。
私に気づくとにっこり笑ってご挨拶。
「あら、あなたが私のルームメイト?よろしくね」
一方私はガチガチに緊張して自分の名前も満足に言えず終い。
「わ……私っ、黒たにゅやまめといいまひゅっ!」
たにゅってなんだたにゅって。
第一印象ってなんだったんでしたっけ。
少女はクスリと笑って
「私はアリス・マーガトロイド。工学部一年よ」
と華麗に自己紹介するのでした。
だめだ、最初からつまづいていたらダメな子だと思われちゃう。
なんとか挽回しなくてはいけません。
そのためのコーヒーですよ、頑張れ私。
「私は理学部ですっ!よろしくお願いします!あ……あの、コーヒーどうですか?」
この決死の申し出にも余裕を見せるアリスさんは美しい微笑を見せて
「いただくわ」
と返してくれました。
良い人そうだし友達になれそうな気がしました。
なんとなく、ですけどね。
だから早いうちに好印象を植えつけてカフェイン中毒者であるというマイナスポイントを相殺してもらわねば。
コーヒーを飲みながら簡単に自己紹介を済ませると、アリスさんに付き合ってもらって日用品を買いに行くことに。
ここの大学があるところは政令指定都市ですし中都会くらいなのですが、アリスさんは首都圏から来たと自己紹介で言っていたとおり繁華街には慣れた様子で、綺麗な服のいっぱいある店へと私を案内してくれました。
ブティックって言うんですか?
田舎者にはわかりません。
勝手もわからずただアリスさんについていくだけでしたが思い切って少し言いづらい頼みごとをしてみることにしましょうか。
「あの……アリスさん」
「ん?何?」
「下着選ぶの手伝ってくれませんか?」
ここで少し冷静になる私。
ほぼ初対面の人間にいきなり下着選んで欲しいとか何考えてんでしょうね。
アリスさんも困ったような表情を浮かべていますね。
やっぱり常識的な頼みごとではなかったですよね。
それでも律儀なアリスさんは言葉を濁しながらもその申し出を承諾してくれました。
「……個人的な趣味で選ぶから似合うか保証できないわよ?」
「大丈夫ですよ。アリスさん趣味よさそうだし」
「褒めても何も出ないわよ?」
私はこういう店初めてですからね。
実家の近くには普通におばちゃんが来るような安さが売りの衣服店しかありませんでしたし。
下着コーナーに向かえばそこは一面の花畑……もとい様々な色の下着が。
当たり前といえば当たり前ですが私の地元にはこんなに種類がなかったのでやっぱりアリスさんについてきてもらって正解でした。
キスメがここに来たら目を回すかもしれません。
いや、むしろウキウキでアレな下着の試着を迫ってくる気もしますが。
「うわー見てくださいよアリスさん、こんな面積の狭い下着なんて初めて見ました」
「趣味嗜好は人それぞれだものね」
アリスさんが妙に達観してる気がするのは気のせいでしょうか。
実はハイレベルな変態さんなんでしょうか。
まさかね。
「誤解しないでよね。見たことあるだけよ、こういう下着つけてるやつを」
「……世の中広いですねえ」
やっぱり田舎から出てきてよかった。
少しは視野も広くなるというものです。
それの第一号が下着というのもどうかと思いますが。
そんなことを考えながら店内を物色している最中のことでした。
「おや、ヤマメじゃないかい」
突然声をかけられて慌てて振り向くと、
「ゆ、勇儀さん!?」
そこにはあの勇儀さんが。
その隣にも女性がひとりいらっしゃいますね。
「えーと」
誰だっけこの人。
見覚えはあるんですが名前が出てきません。
「水橋パルスィ」
「そうでしたパルスィさん!すいません……」
そうそう、同じく私の母校出身のパルスィさんですね。
一つ上でしたっけ。
「パルスィさんもここの大学だったんですね。」
「そうよ。まったく、名前を覚えてもらえる星熊が妬ましいわ」
「まあそう言いなさんな。それにしても、どうしてこんな所にヤマメがいるんだい?」
あちゃあ、パルスィさんはどうやら拗ねてしまったご様子です。
申し訳なさに縮こまる私をよそに勇儀さんは笑っていますが、私の名前、覚えていてくれたんですね。
ちょっと嬉しいです。
「晴れて大学でもお二人の後輩となることができましたので、ちょっとお買い物を。あ、アリスさん、こちらは私の高校の先輩の勇儀さんとパルスィさんです。」
「はじめまして。彼女のルームネイトのアリス・マーガトロイドです。大学のことなど、いろいろ聞けたらと思っています」
う……アリスさんのこともお二人に紹介しようと思っていましたが、先に自己紹介されてしまいました。
本当にしっかりしてますねえ。
まあ、そんなことを思っていたのも今のうちまでなんですが。
「それにしても……」
あたりを見回す勇儀さん。
当然周囲は桃源郷です。
「どうやら下着を選んでもらおうとしてるようだね。違うかい?」
うー……図星。
そりゃ見ればわかりますがね。
私はなぜ勇儀さんとパルスィさんがここにいるのかも疑問だったのですが。
「パルスィのやつも服を私に選んで欲しいって聞かないんだよ。どうせだから一緒に回ってもいいかい?」
「ちょっ、なにも言うことないでしょうが!?」
ああ、やっぱりそうだったんですね。
顔を真っ赤にして勇儀さんに詰めよるパルスィさんに思わず頬が緩んでしまいそうです。
「じゃあお願いします。いいですよね、アリスさん?」
「ええ、私一人じゃどうも自信がないので助かります」
そうして4人で店内を見て回ったのですが、私の視界の先にはFカップのブラジャー。
やっぱり世の中にはこんな大きいのをつける人もいるんでしょうか。
そして一瞬映る勇儀さんの胸。
「……身近にいましたね」
かたや私が試着室でサイズを測ると、ぺったんこというほどじゃありませんがこれはあまりに寂しい。
肩がこらなくていいといえばいいんですが……。
「ヤマメ、こういうのはどうだい?」
勇儀さんから手渡されたのはフリルの付いた可愛らしい下着。
「あ、これ可愛いですね。勇儀さんセンスいいなあ」
明らかにサイズあってませんが、たぶん私に合うサイズもありますよね。
ふと視線を感じて振り返ると、何故か勇儀さんから渡された下着をじっと見つめるアリスさんとパルスィさんが。
「な……なんですか?」
「「いや、別に」」
ちょっと二人がよくわかんないです。
パルスィさんもその後勇儀さんに服を選んで貰って会計を済ませて、みんなで何か甘いものでも食べに行こうということになりましたが、何故かアリスさんの視線は下着コーナーに。
気になったデザインのものでもあったんでしょうか。
結構アリスさんが人目を気にする性格なのはわかりました。
常識的だとも言います。
少なくともキスメよりははるかにまともと言えます。
あいつなら人目もはばからずに買いますもの。
……私に着させるために。
あと、一見むすっとしてるパルスィさんですけどさっき試着室から聞こえた鼻歌から察するにむちゃくちゃ上機嫌そうなんですけど。
あまり学校でお会いしたことはないけどこんな人だっけ?
買い物が終わって寮に戻り、勇儀さんたちと別れるとアリスさんが
「あ、私ちょっと買い忘れが……1時間ちょっとで帰るから先に部屋行ってて」
と言って駆けて行きました。
絶対下着買いに行きましたよね。
またコーヒーを淹れて待つこと小一時間、袋を後ろに隠したアリスさんが帰ってきました。
隠しきれてないし明らかに怪しいし、どうせ洗濯の時とかにバレると思うんだけどなあ……。
可愛らしいですけど。
「アリスさん、今日の晩御飯は私が作ろうと思うんですけど何がいいですか?」
「そうね、任せるわ」
出たよお任せ。
これが一番困るんですけどね。
ならちょっと意地悪してみましょうか。
「わかりました。じゃあインスリンスープでいいですか?」
「あーはいはい……ってなんでインスリンなのよ。糖尿病患者でもインスリンをスープにしようなんて思わないわよ」
むしろ健常者が過剰に摂取すると血糖値が異常に下がって死にます。
死にたくなかったら生返事はやめることですね。
「じゃあ硫化カドミウムで彩色したコンソメスープにしますね」
「……やれるものならやってみなさい」
黄色顔料だけでなく光センサーにも使われるマルチプレイヤーですが、カドミウムはカルシウムの補給を阻害し、イタイイタイ病を引き起こす女性の敵です。
出産経験者は骨内のカルシウムが不足しているので補給を絶たれるとくしゃみでも骨が折れます。
さらには発がん性まで。
毒としてもマルチプレイヤーです。
「理学部には変人が多いって噂は本当のようね」
変人扱いされたけど残念ながらそれは褒め言葉です。
でもあんまり引かれても困るので
「冗談です。普通にカレーにしますから安心してください」
と言って買い物に行きました。
あ、スーパーとかどこにあるんだろう……。
30分迷った末にようやくスーパーを見つけ、大量の超辛口カレーとガラムマサラを購入。
私は好きですよ、激辛カレー。
しかし後にアリスさんはこの街の水道水が飲めるレベルの味であることに人生最大限の感謝をすることになります。
「普通初対面の人間にこれ出す?」
「すいませんでした、マジすいませんでした。反省してますからガラムマサラ振り掛けんのやめてください」
「……いいけど、別に敬語じゃなくていいわよ。ルームメイトによそよそしくされると調子狂うわ」
「わかりま……わかったよ、アリスさん」
せっかく練習したんだけどなあ、敬語。
もったいないし地の文はこのままでいいですかね。
もう既に時々外れてますけど。
――二日後、今日は休日なので入寮者が多く来るそうです。
寮生活って思ったより大変ですね。
この寮は寮監がいないので門限がないのはいいんですが、お風呂とか共同ですし食事が出ないので交代で食事作る必要もあります。
なによりボロい。
さらにいえば先日作ったカレーは私一人で処分することになってその上アリスさんの晩御飯を作りなおしたので少々懐が寂しいです。
ついでに胸も寂しいです。
あれだけ食べさせられたのに栄養は全部へそから下に貯まりますからね。
あと二の腕。
まあ寮生活は慣れれば一人暮らしよりは楽なのかもしれませんが、やっぱり親元を離れると苦労が身にしみるといいますか。
キスメが午後に到着するようなので駅まで迎えに行こうかと思います。
駅ならバスに乗るだけなので迷うことはないはずです。
……多分。
お昼の用意をしていると3人目の到着でしょうか、チャイムが鳴り響きました。
どんな子かなあ……と期待に薄い胸を目いっぱいふくらませてドアを開けます。
あ、自分で言うのはいいけど他人から貧乳呼ばわりされるのは嫌です。
自虐限定です。
「あら、はじめまして。ルームメイトの方で合ってるわよね~?」
自虐ネタの直後に巨乳が来ました。
ジーザス。
へこむんですよ、結構。
「私はレティ。よろしくね~」
「あ、黒谷ヤマメですっ!よろしくお願いします!」
レティさん、ですか。
何食べたらそんなに白い肌と豊かな胸を獲得できるんでしょうか。
勇儀さんと張り合えそうですね、羨ましい。
自己紹介もそこそこにコーヒーを渡しますが
「あ、ごめん私ブラックダメなのよ~」
とのこと。
確かにブラックコーヒーを飲む女子大生というのも珍しかったかもしれませんね。
カフェイン中毒者の感覚で考えちゃダメですね。
ミルクと砂糖を手渡すとレティさんはミルクを大量投入。
カフェオレ派と見ました。
レティさんは地元出身なんだそうです。
なるほど、北国美人ですか。
私もアリスさんもあまりここには詳しくないので助かりました。
特に私にいたってはそこそこの方向音痴ですし。
結構話し込んでしまいましたし、そろそろ正午を回りますね。
レティさんにも私にいい印象を持ってもらった気がしますし、これからも仲良くやって行けそうです。
ところでアリスさんまだ起きてこないですね。
昨日の夜にテ○東が映らないとかわめいてましたが……ふて寝してるんでしょうか。
そろそろお昼ですし起きてもらわないと。
「アリスさーん!もう一人のルームメイトの方が来たから起きろー!」
「んー……もう5分……」
「子供かよ」
昨日から薄々感じてましたけどアリスさん朝弱いですね。
寝起きの顔はすごく可愛いんですけどいくらなんでもお昼まで寝るのは反則です。
今日はアリスさんが朝食を作るはずなのに私が作りましたし。
「ほら布団から出て着替えて。あんまり待たせちゃ相手に失礼だし」
「うー……ヤマメ私のお姉ちゃんみたい……」
お姉さんがいましたか、ってお昼忘れてた。
「ああもう!午後から出かけるのに!早く起きないと紅茶に変性アルコールを投入するからね!」
忙しいったらありゃしません。
変性アルコールは工業用の無課税エタノールが主成分ですが、飲料に転用されるのを避けるために毒性のあるメタノールやガソリンが入っています。
飲んだら失明しますよ。
一時間後、今度はようやく起きてきたアリスさんがレティさんと話し込んでます。
お昼のお蕎麦伸びてますけどもう知りません。
腹いせに麺つゆにカプサイシンを入れておきました。
唐辛子の辛さの源にもだえ苦しむがいいです。
私はキスメの迎えに行きます。
「自分のお皿は自分で洗ってよね!じゃあ行ってきます!」
アリスさんは家事得意なのに朝は何もしないから困ります。
その分午後になると手際よく掃除洗濯と片付けるんですけどね。
一方家を出た私はバスに乗って駅を目指します。
ここのバスや地下鉄は迷わなくて済むし確かに便利ですけど死ぬほど高いです。
早いところ定期を買わないと大赤字です。
少し時間に余裕があったので1つ前のバス停で降りて市街地を眺めながら駅に向かいます。
プロ野球球団があるだけあってそこらかしこに応援が書かれていますね。
私の好きな球団と同じリーグなので今度見に行きたいです。
それにしても歩きタバコをしてる人が少ないですね。
私の地元はけっこう歩きタバコしている人がいたので驚きです。
タバコは大量の有害物質が含まれているので大好きですけど命が惜しいので自分では吸いませんし受動喫煙もまっぴらです。
じゃあタバコの何がいいのかって喫煙者が自らの命を削るのがいいんですが。
愚かなものよ、自分から破滅に向かって行くとは……ってやつですね、中二病です。
そうこうしてるうちに駅に着きました。
この間はあまり見ている暇がなかったので駅のおみやげコーナーを物色していますが、このお菓子おいしそうですね。
黄色に輝くカスタードクリーム内蔵のカステラ風生地の饅頭とでも言いましょうか、商品名を挙げないで説明するの難しいですが。
お金さえ余裕があればいろいろ買いたいんですけど、この間服やら大量のカレーやらを買ったことだしここはぐっと我慢。
このままじゃ家賃が払えなくなります。
やっぱりバイト探すべきですかね。
ちょっとバイトできそうなところを探してみますかね……。
「何してんの」
「うひゃっ!?」
び、びっくりした……。
心臓止まるかと思いましたよ。
そんなときにはアコニチン、トリカブトの毒が効きます。
知っての通りの毒草であるトリカブトですが、適量であれば強心剤としての効能があります。
どれぐらいが適量かなんて知りませんがね。
……と思考をずらして心を落ち着け、視界を戻すと目の前には我が親友の姿が。
「なんだキスメか……脅かさないでよ」
「しばらく待ってても待ち合わせ場所に来ないから探しに来たんだけど」
すっかり夢中になってて時間を忘れてました。
私の悪い癖ですね。
「ごめんよー、今度なにかおごるからさクロロアセトフェノンとか」
「そんなのいいから今度から時間守ってよね?」
クロロアセトフェノンは催涙スプレーにも使われる、イギリスのフーリガンが涙を流して喜ぶほどの刺激性が売りのポピュラーな催涙ガスです。
それにしてもそういうところは妙に真面目だなあキスメは……。
まあここでずっと話しているのもなんなのでさっさと寮に案内することに。
「うわーバスの行き先たくさんあるんだねー」
「迷子になんないようにしなよ、キスメ」
「その言葉そっくりそのまま返すよ、方向音痴」
反抗期でしょうか。
ってことは第二次性徴も始まってその低い背も少しは伸びるんじゃないんですかね。
本人に伝えたところ
「余計なお世話だよ」
との答えが返って来ました。
しかしキスメはその背の割には胸があるからいいんですよ。
私なんかどうだ、平均身長から少し低いくらいで済んでるのに胸は平均のだいぶ下ですよこんちくしょう。
「それはともかく、寮について教えて欲しいんだけど」
「うん、まず洗濯はね……」
寮の説明をしているといつの間にバスは私達が降りる停留所の手前に。
「あ、降りなきゃ。行くよキスメ」
「はいはい」
入り口で部屋を確認。
「キスメは303号室か。私達の部屋は二つ隣の306号室だから近くていいねえ」
「・・・ついに引き算も出来なくなったの?」
「ちがわい、死と苦につながるから下一桁が4や9の部屋はないんですのー」
どうせなら666号室もやめてあげたほうがいいと思います。
そんなに一つの階に部屋があるかといわれればそれまでですが。
「じゃあ部屋の先客に挨拶してくるからまた後でね」
「じゃあねー」
それでは私もレティさんと交流を深めるとしましょう。
「ただいまー」
「おかえりなさ~い、アリスは買い物に出かけたわよ~」
朝寝坊した分きっちり働いてるみたいですね。
むしろ三倍は働いてもらわないと。
起こすの大変なんですからね。
「じゃあ私ご飯の前にシャワー浴びてくるね」
「あ、ちょっと待って」
一体何なんでしょうか?
そう問いかけるとレティさんは無駄に綺麗なウインクを決めつつ衝撃的な提案をしてきました。
「3人での寮生活初日だし、親睦を深めるために一緒にお風呂に入らない?」
風呂っていったら裸ですよ?
裸の付き合いですよ?
DVDじゃ外れる不自然な密度の湯気でバストサイズは隠しようがありませんし、むしろ正確なサイズがわかりかねませんよ?
この女、巨乳だからっていい気になるなよ……!
いや、せっかくの好意を無碍にしちゃいけませんね。
落ち着け私。
とりあえず否定的意見を出します。
「三人じゃ狭くない?」
そもそも共用ということもあってここのお風呂は浴槽にお湯を張るのに不向きな欧米スタイル。
シャワー浴びるだけなのに一斉に入るのはさすがにどうかと思います。
そう言っても簡単には引き下がらないレティさん。
「私ここから少しした場所に銭湯あるの知ってるからそこに行きましょう?」
銭湯、ですか。
今まで行ったことがないので興味ありますが……。
「あ、どうせならヤマメの友達も誘っていいかしら?もう来てるんでしょ?」
「えっ、あ、うん」
結構強引な人ですね。
キスメは風呂好きだから銭湯には大喜びでついてきそうだけど、あいつの性格だしなあ……。
「ただいまー」
「あ、アリスちょうどいいところに!」
もうどうにでもなーれ。
その気になれば一酸化二窒素で昏倒させてやる。
携帯を手に取り、キスメに電話をかけます。
「もしもーし、キスメさんやーい」
『ヤマメ、どうしたの?』
「いや、これからみんなで銭湯行くんだけど一緒に行かない?」
キスメは当然二つ返事。
「行く行く!部屋のみんなも誘ってくるね!」
大勢のほうが楽しいでしょうけどね。
初対面が銭湯かあ……。
そりゃ激辛カレーとどっちがマシかって話ですが。
待つこと数分、キスメが私たちの部屋のチャイムを鳴らします。
「おまたせー!あ、こちらルームメイトの文ちゃんとてゐちゃんね」
「はじめましてー黒谷ヤマメです」
「射命丸文です。以後お見知りおきを」
なんでしょうか。キャラ作ってる感がすごくします。
自白剤でも用意しておきましょうか。
でもあれってほんとうに効果があるか怪しい物がほとんどなんですよね。
「因幡てゐでーす。よろしくー」
こっちは小柄でキスメと同じくらいの背格好ですね。
可愛らしいですけど、あまり大学生には見えませんね。
こっちも何か黒い予感がします。
気のせいだといいですけどね。
「じゃあアリスさんとレティさん呼んでくるね」
全員揃ったらレティさんに案内されて銭湯へ。
時間が夕食前だからかそこそこ空いてますね。
瓶の牛乳が売ってます。
お風呂上がりに買ってみましょうかね。
さて、脱衣室ですが……てゐさんは私の同類のようで助かりました。
ただちょっとキスメが解せない、マジで解せない。
背はあんなにちっちゃいのに。
現実を受け入れたくないです。
「高校の卒業旅行から全く育ってないねえヤマメさんや」
「二週間そこらで育ってたまるもんですか」
「その割には少々太ももが厚くなってませんかねえ」
「硫酸ぶちまけるぞ」
セクハラ幼馴染みめ、そのうちぎゃふんと言わせてやる。
一応湯船に浸かるまで全員バスタオル巻いてますけど……文さん、小型のカメラ持ってません?
私の思い過ごしでしょうか。
一瞬手にそんなものが見えたような気がします。
笑気ガスこと一酸化二窒素は気体だから持ち運べないし、トリクロロメタンにすればよかったなあ……。
トリクロロメタンの別名はあの有名なクロロホルム。
そして自治体が必死になって水道水から除去している発がん性物質トリハロメタンの一種です。
でもトリクロロメタンは麻酔作用が弱いんですよね。
ドラマみたいに一瞬で昏倒させるのは無理です。
そうか、ジエチルエーテル持ってくればよかった。
「ヤマメ、なにぼーっとしてんの?入るよ?」
「ああ、ごめんごめん」
キスメに急かされて我に返る。
文さんをなんとかするのは上がった後でいいですかね。
こんなところで使うんだからデジカメではなくフィルム型でしょうし、フィルムだけ没収して私一人で桃源郷を楽しむことにしましょう。
いざ湯けむりの中へ飛び込むと、目移りするほどの浴槽の数です。
「へー、普通の湯船にジャグジーバス、打たせ湯、薬湯・・・電気風呂?」
「ああ、電気風呂は面白いわよ。上がってもしばらく指がビリビリするの」
レティさんはマゾヒストか何かなんでしょうか。
上がってなお痺れが残るような強烈な風呂が面白いだなんて。
そして改めて……胸、でかい。
「スタイルいいねえ。羨ましいよ」
「それが手を抜くとすぐ太っちゃってね~……肩は凝るし同年代の男子は貧乳の方が好みみたいで私に目を向けるのはおっさんばかりだし、面倒なのよ」
謙遜ではなく切実だった。
ここまで説得力のある巨乳の話は初めてです。
肩が凝るのはともかく同年代の異性には受けないとなると私も考えを改めざるを得ません。
まあ私貧乳なのにモテませんがね。
女子力とやらが足りないんでしょうか。
オムライス嫌いな子はモテるとかどっかで聞きましたが、残念ながらオムライスは大好きです。
ところで、さっきから妙な気配を感じますね。
十中八九のところ文さんでしょうが。
先ほど死角になりそうな場所に移動するのが見えました。
盗撮した写真には『巨乳と貧乳のツーショット』とでも銘打たれるんでしょうか、不名誉な。
やっぱり後でフィルム強奪しよう。
初対面の相手を堂々と盗撮する勇気には感服しますがその勇気も科学の力の前ではひれ伏さざるを得まい。
「キスメ、どう?寮は」
「ルームメイトのアクが濃すぎて移動の疲れがどっかいったわ」
「ああ、文さん?」
そのアクの強い面子と生活を共にするキスメも十分アクが強いので大丈夫でしょう。
「文ちゃんもアレだけどてゐちゃんが意外にもって感じかな」
「へ?」
意外といえば意外。
予想通りといえば予想通り。
やっぱり、あんなにちっちゃくて可愛らしいのに性格に難があるんでしょうか。
「あの子、かなりの三味線使いよ」
「へー今時珍しい」
日本における三味線の歴史は南から。沖縄では三線と呼ばれる楽器が本土にわたり、北の方に普及するにつれて徐々に変化していったため、津軽三味線の歴史はせいぜい百数十年です。
「いや、口の方」
ハッタリかましたりするんでしょうか。
「自白剤作ろうか?」
「前から言ってるけど素人がクスリ作るの犯罪だからね」
クスリとは失礼な。
覚醒剤の合成方法は知っているけど使う薬品が高いから作ったことなんてないです。
「その薬品が高いからって理由がおかしいと思ったことない?」
「いいや全然」
「大学で法学部の講義も受けるべきだね」
あいにく公民系の科目は全く興味がないので私が法学の講義を受けに来たとしたら、寝るため以外にありえません。
きっと教授の声がちょうどいい子守唄になって爆睡ですよ。
「ヤマメ~、のぼせたから介抱して~」
突然肩に手を回されて後ろからレティさんに密着されました。
白い肌が真っ赤ですよ、ほんとに大丈夫でしょうか。
降圧系の薬の副作用でも血管が拡張してのぼせることがあります。
グレープフルーツに含まれるナリンジンは降圧剤の効き目を弱めるので服用中に食べるのはお勧めしませんよ。
「って……ちょっ、胸!当たってる!」
「いいじゃない減るものじゃないんだし~」
目の前で起こる異常事態に置いてけぼりのキスメ。
しかもレティさんさりげなく減るものじゃないだなんて。
この巨乳、私をどうしたいんでしょうか。
「はしゃぎ過ぎたわ~……」
「じゃあ、それそろ上がろうか」
着替えながら時計を確認すると、どうやら30分ほども入浴していたようです。
そりゃのぼせるわけだ。
湯冷めして風邪をひかないようにしないと。
左手に一酸化二窒素の小瓶を忍ばせ文さんの隙をうかがいます。
「やっぱりお風呂上がりはフルーツ牛乳よね!」
隙だらけでした。
コーヒー牛乳を買い、無難な話題の会話を装って近づきます。
「文さん、フルーツ牛乳派?私はカフェイン入ってないと落ち着かなくって」
「それはカフェイン中毒なんじゃなゴホッゲホゲホ」
笑気ガスを一瞬開放し、もろにフルーツ牛乳でむせたところを容赦無く襲撃。見事カメラを奪うことに成功しました。
文さんはそれどころではなく、フィルムを抜き取って小型カメラを突き返しても何も出来ない有様。
やっぱり科学の力は偉大です。
「無難な写真だけ後で返すよ」
「ゲホゲホ……もうしませんから、ばら撒いたりしませんから全部返してくださいよー……」
ばら撒く気だったんですか、ますます返す気が失せましたよ。
寝言は寝て言うべきですね。
小型カメラに収まるほどの小さなフィルムを一酸化二窒素の瓶に保管。
これでどうあがいても奪取は不可能です。
「写真も回収しましたし帰りましょ」
「……恐れいったわ。まさかガスで動きを封じるとは」
「というか常備しているなんてねえ……」
キスメとてゐさんはまだむせている文さんを介抱していますが、キスメが先帰ってていいよと言うのでそうすることに。
そうして銭湯からの帰り道、こんな写真を店で現像してもらうわけにはいきませんね。
「できるだけ遠い写真店にしましょう」
「旅の恥はかき捨てね~」
するんですか。
その日は桃色の夢を見ました。
妙にレティさんの胸の感触が生々しいと思ったら本当に抱きつかれていたこともあわせて言及しておきましょう。
翌日。
「おはよーキスメ」
「あ、おはよー」
買い物の帰りにキスメに鉢合わせ。
「文さんから没収したフィルム、今日現像しにいくってさ」
「文ちゃんなら装置持ってるけど……まさか張本人に頼むわけにはいかないだろうしね」
なんだ、なら話は早いですね。
善は急げという言葉もありますし借りてしまいましょう。
「ちょっと、本気?」
「だってお金勿体無いじゃん」
文さんが部屋にいないなら無断で、いるならジエチルエーテルで眠らせて拝借することにしましょう。
「文さーん!ちょっといいー?」
「何ですか……昨日のあなたのクスリのせいで頭痛がするんですよ・・・」
「自業自得じゃない。頭痛がするなら……はい、アセトアニリドをどうぞ」
アセトアニリドはかつては頭痛薬に用いられたものの、肝機能障害というすさまじく割に合わない副作用を持つため現在は薬用に使われることはまずないです。
「いや、クスリはもう懲り懲りで……うわっ!?」
「二日続けてごめんねー」
昨日の反省を踏まえてジエチルエーテルで眠ってもらいました。
気分は刑事ドラマの犯人役、もしくは某探偵漫画の全身黒タイツ男です。
ただ一つ気になることが。
「キスメ、てゐさんは?」
「てゐちゃん?雀荘に行くって言って出かけたよ」
なら邪魔される心配はない。
でも女子大生の身で雀荘だなんてずいぶんアレな人ですね。
カモられないようにしないと。
「まあそれはいいとして、現像ね」
これ文さんの私物ですよね。
どうやら写真専用のスキャナとレーザープリンタのようですけど、どうやって寮に持ってきたんだろう……。
「どれくらいかかる?」
「フィルムスキャナで読み込んでプリントするから結構早いよ」
キスメの返事にそれはよかったと薄い胸を撫で下ろします。
一時間もしないで文さんの麻酔は切れますからね。
何度でも眠らせ直せばいいんですが、手間ですし。
「あ、出てきた」
ウィーンと音を立ててレティさんの艶やかな肢体を映した写真が印刷されてきます。
思ったよりも早い早い。
そして撮るの上手い。
「キスメは欲しい?」
「グロスでいただくよ」
「少しは自重しろ」
キスメの写真は私が独占しますがね。
小一時間ほどキスメとお茶を飲んで駄弁ってるうちにとっくに印刷まで終わり、写真とネガを回収してちょうど目を覚ました文さんにアセトアニリドをプレゼントして帰宅。
部屋では二人が待ち構えていました。
「はいアリスさんとレティさんの分」
自分やルームメイトのピンクな写真を受け取って喜ぶレティさん。
一番映ってたのレティさんですけどね。
アリスさんはやっぱり恥ずかしいのかおずおずと、でもしっかり受け取ってます。
私は写真をパソコンに取り込むことにしましょうかね。
今日はご飯なしでもお腹いっぱいになりそうです。
日はまだ高いですが既に文さん以外は有意義な一日だったと言えましょう。
その文さんには今度カレーをご馳走してお詫びしましょうかね。
激辛カレーとスパイシーライスにカプサイシンをはじめとする刺激物を大量投下してあげようと思います。
楽しみですね、カレーを振る舞うのが。
咲きかけの桜が飛び散る香辛料に身構えた気のする春のとある一日、大学生活の幕開けはもうすぐです。
こういうのは学パロ?というのでしょうか。
とても面白かったです。
ヤマメが主役というのも
アリス、レティとルームメイトというのも
普段あまり絡まないと思われるキャラ達が
可愛らしくて良かった。
ぜひ続けて頂きたいな、と思います。
ですが、もう少し改行などをして空白をある程度作った方がもっと読みやすくなるかなと思いました
4さんが既に言われていますが改行、空行などを用いるとより読みやすくなると思います。
それと少々薬物ギャグが多すぎて後半ちょっとマンネリ感が。
ところで現像した写真はいくらで売ってもらえますか?
ジエチルエーテルとかアセトアニリドとかもろ理学部化学コースみたいな感じですね。
もしかして北海道大学が舞台かな?なんて思ったりして。
テレ東映らなくてしょげている都会派アリスはここでも顕在で、面白かったです。
ヤマメはキャラクターの色が決まりきってないので、主人公キャラに据える方ってちらほら見かけますね。
彼女の活躍に期待してます。