太陽が顔を出し始め、人里に残っていた闇を徐々に消していく。
闇が消え始めても、闇に冷やされた空気は地表の水分を凍らせ、細い氷の柱をあちこちに作る。
地面に溜まった水溜りは表面を氷へと変え、差し込む日の光を反射させる。
季節は冬。
雪こそまだ降っていないが、人里を包む冷気は日毎に強くなっている。
部屋に朝日が差すと少女は布団から飛び起き、着替えを済まし家から飛び出る。
まだ誰にも壊されていない霜柱と薄氷を壊すのは私だ。他の誰にも譲れない。
そう意気込むと玄関を出て大きく息を吐く。
自分の口から出たものとは思えない程息が白い。
庭から出て左右を見渡す。
通りに人の姿は見えない。
「一番乗りね」
そう呟くと自然と口角が上がっていく。
胸で踊るドキドキという感情を煽りながら通りの端に出来た霜柱を探す。
ザクッ。一踏みすると心地の良い音が辺りに響く。
ザクッザクッ。
「今日は踏み甲斐がありそうね」
少女は通りにそって出来た霜柱の長い列を見て無邪気な顔を浮かべる。
八百屋の前を通り過ぎ、茶屋、菓子屋、書店に乾物屋・・・
里の入り口の門を通り抜け、街道沿いに霜柱を探し歩みを進める。
寺子屋の先生に子供だけで里の外に出ない様にとよく言われるが、そこに霜柱がある以上しょうがないのだ。
あの霜柱を誰よりも先に私が壊す。
寺子屋でどれだけ霜柱を壊せたか自慢するんだから。
少女は意気込んでいた。
里の門から10分程進むと街道の脇には背の低い林が姿を現しはじめる。
広葉樹はその葉を落とし、寂しい姿になっている。
背の低い椿の前を通り過ぎた時だった。ガサガサと茂みから物音が聞こえ、少女の体は一瞬強張った。
この辺りは里の猟師が野うさぎや猪を捕まえる為に罠を仕掛けている。
きっと運悪く捕まってしまった動物だろう。
少女は好奇心に負け物音のする方へ足を向けた。
そこにいたのは巣から落ちたのだろうか烏のヒナが一羽。
ヒナ烏の体は大きく、大人の烏とさほど変わらない。
少女が何故ヒナと認識したか。
そのヒナ烏は体の半分程が産毛に覆われていたのだ。
「まったく、驚かせないでよね」
しゃがみ込みヒナ烏を覗き込む。
薄黒い羽に薄らと赤い液体が付いている。
「あれ、あなた怪我してるの?」
心配そうにヒナ烏を眺める。
辺りの木を見上げても巣は見当たらない。
巣から落ちて、じたばたしながらここまで進んできたのだろう。
「今、診てあげるからね」
そう言うと少女は優しく手を差し伸べ、ヒナ烏を持ち上げる。
驚いたヒナ烏は暴れ、手を突くが、傷が痛むのかすぐに抵抗をやめる。
「良い子、良い子。すぐ看病してあげますからね」
お姉さん気分でヒナ烏に話しかける。
落下した時に何か鋭いものにぶつかったのだろうか、右羽根の付け根に傷が見えた。
「えっと包帯、包帯」
肩から提げた巾着を探すが包帯など子供が持ち歩くわけがない。
「そうだ!」
そう言うと閃いた様に頭へ片手を伸ばす。
少女の髪を結っているリボンを解き、少しの間考え込む。
気に入っているし、大切な物だけど、怪我をしているヒナ烏を放って置く訳にもいかない。
寺子屋の先生に教えてもらった包帯の巻き方を必死に思い出しながらヒナ烏の羽根にリボンを巻きつけていく。
薬草をすり潰した液体で布を染めて作られたリボンは母がおてんばな少女に与えた物だった。
リボン自体に多少なりとも鎮静の効果があるそうだ。
その作用なのか、痛みに体を震わせていたヒナ烏は少し落ち着いた様に見えた。
「もう大丈夫よ。それより、あなたお家はどこなの?」
「辺りの木を見上げても巣は見当たらないし・・・」
次第に心の中にある気持ちが芽生えるのを感じた少女はヒナ烏を抱えその場を後にした。
小さな子供芽生えた母性本能と呼ぶにはまだ早い感情。
少女はまるで姉になったような気分だった。
「怪我が良くなるまで家で面倒みてあげるわ」
霜柱を踏み壊す事など既に頭の中から消えていた。
少女はヒナ烏に衝撃が伝わらないように早歩きで家に帰った。
太陽は完全に顔を出し、通りには仕事に向かう人達が姿を現し始めている。
ガラッと勢い良く玄関の扉を滑らせると朝食の匂いが漂っている。
急ぎ足で台所に向かい、母親に声をかける。
「お母さん、この子怪我してるの!」
どうしたの?と返事をしながら手を止め振り返る母親。
母親は振り返るとそこにいたヒナ烏に一瞬驚いたようだが、すぐに優しい表情が見えた。
「あらあら、烏の子供?怪我してるのね?」
「うん、里のちょっと先の林で見つけたの」
「ちょっと診せてごらん?」
取り乱す私を安心させるよう優しい声で母親は続ける。
「大切なリボンを包帯にしてあげたの?偉いわね」
そう言うとポンっと頭に手を置いてきた。
「大丈夫よ、大きな怪我じゃないしすぐ良くなるわよ」
母親のその一言で少女は心から安心した。
良かった、これでこの子は助かるんだ。
ヒナ烏の頭を撫でながら少女はそんな事を思っていた。
「それより、早く朝御飯食べなさい。寺子屋、遅刻するわよ」
そう言い少女を急かす母親は心なしか複雑な顔をしていたが、少女は遅刻の罰の頭突きの痛みを思い出し慌てて身支度を始めた。
寺子屋で授業を受けていると言うのに少女の頭の中はヒナ烏の事で占拠されていた。
名前は何が良いかな?
烏って何食べるんだろう?
お家はどこにあるんだろう?
お母さん烏はきっと心配してるはずよね。
ゴンッ
「痛っ!」
鈍い音と痛みが少女の頭の中からヒナ烏を追い出した。
「コラッ、次はお前が朗読する番だぞ?」
「え、あっはい!」
慌てて立ち上がり教科書を手に取る。
歴史の教科書には大昔に地底に移り住んだ妖怪の事が書いてあった。
地底の妖怪の事なんかより烏の事が知りたい。
そんな事を思いながら教科書に書かれている文章を声に出して読み上げていった。
寺子屋からの帰り道、烏の事が気になり大急ぎで家に帰る少女。
「おかえりなさい」と声をかけてくる近所のおばさんやおじさんにペコリと頭を下げ通学路を走った。
「はぁはぁ、あの子は大丈夫かな」
息を切らしながら玄関を開け、烏を探す。
自分の部屋へ向かったが姿は無い。
居間、台所と慌てて見て回ったがどこにも見当たらない。
日中、暖かい陽だまりができる縁側に鳥篭に入れられたヒナ烏の姿があった。
差し込んだ光を受けた黒い羽はキラキラと光を放つ。
黒という色がこんなにも綺麗だったのかと心を引かれ、ヒナ烏を見つめる。
「ただいま、良い子にしてた?」
そう言い、ヒナ烏を覗き込む。
「あれ?お札?」
鳥篭の一部にお札が張ってあることこに気付く。
難しい漢字が書いてあり、少女には何のお札なのか理解が出来なかった。
「何のお札だろう?」
手を伸ばした時、慌てた様子の母親が声をかけてきた。
「お札を剥がしちゃ駄目よ!」
「それは怪我を早く治してくれるお札で、剥がすと効果がなくなっちゃう」
そう聞いて少女は慌てて手を戻す。
まだ怪我が傷むのだろうか、鳥篭の中のヒナ烏は元気が無さそうだった。
「きっと疲れてるのね。静かにしておいてあげましょう」
そう言うと少女は夕飯のお使いに行く母親に無理矢理連れて行かれた。
少女は夕食を終えると、飽きもせずヒナ烏を見つめ続ける。
夜も更け、眠気が少女の体を支配する。
鳥篭の前で何度か意識を失った。
「寝るなら部屋で寝なさい!」
両親に叱られ、後ろ髪を引かれる思いでヒナ烏の前から立ち去る。
明日は寺子屋が休みだから一日中ヒナ烏の傍にいてあげよう。
そんな事を思いながら少女は目を閉じた。
差し込む月光、妙な胸騒ぎ、少女は目を覚ました。
「毛布を被っていてもこんなに寒いなんて・・・」
「それに何だか変な感じ」
・・・
「あの子は大丈夫かな・・・」
一度気になると心配で中々寝付けない。
様子を見に行こうと布団から出て縁側へ向かう。
夜中の廊下は氷のように冷たく歩くたびに全身に鳥肌が立つのを感じる。
「うぅぅ、冷たい」
長い廊下を歩いていると両親の部屋から話し声が聞こえてきた。
最初に聞こえたのは父親の声だった。
「家の中に地獄烏を置いておくなんて不吉だ。朝が来る前に始末しよう。」
私は耳を疑った。
「そうね。あの子には悪いけど、薄気味悪くて耐えられない」
同意する母親の声。
「退魔のお札を貼って力を封じてあるからわざわざ博麗の巫女様に頼むまでもないな」
地獄烏。
今日の歴史の授業で聞いた名前の妖怪だった。
地底に住む烏の妖怪。
あんな小さくて怪我をして弱ってるのに、妖怪だからって殺してしまうなんて絶対に間違っている。
きっとこれは悪い夢。
そう思った少女は思い切り頬を抓る。
その痛みも、足先を冷やす廊下の冷たさも、両親の会話も全て本当の事。
少女はこっそりと縁側に向かい、鳥篭からヒナ烏を出す。
退魔のお札のせいだろうか、ヒナ烏はぐったりとしている。
こんな状態で外に逃がしても人間に見つかれば殺されてしまうだろう。
「大丈夫よ、私が守ってあげる」
自分に言い聞かせるように呟くとヒナ烏を優しく抱き上げ自室へ向かう。
少し厚めの上着を着込み、雪の日の用の草履を履いて部屋の窓から外へ出る。
外はいつの間にか雪が積もっており、月明かりを受けて周囲を照らしていた。
不自然な程明るい夜、少女はヒナ烏を抱え無心に走った。
林道を抜け山に続く坂道をただひたすら進む。
時折立ち止まり、懐に抱えているヒナ烏に話かける。
「大丈夫?寒くない?」
「ウニュ」
昼間や夕食後にどれだけ話しかけても反応してくれなかったヒナ烏がようやく反応を示してくれた。
少女はその事が嬉しく笑顔で夜道を進んだ。
気が付くと夜の暗さは消え、雪が降り始めた。
太陽は出ていないが辺りは薄らと明るい。
自分の足音以外の音は一切無く、色が消えてしまったような錯覚に陥るほどの灰色の世界に少女はいた。
夜通し歩いたせいで足が痛い。
どこかで休まないと・・・
水の流れる音に誘われ、川沿いの細い道に出ると小さな洞穴が目に入った。
あそこでしばらく休もう。
そう思い洞穴に足を向ける。
頭や肩に積もった雪を払い落とし、恐る恐る洞穴の中に入っていく。
暗闇の奥に気配を感じた。
「誰?ここは私の場所だよ」
「わっ」
突然響いた声に驚き、少女は体を硬直させる。
気配がこちらを向いた。
「わっ!に、人間・・・の子供?」
暗闇に目が慣れ、薄らと気配の正体が見えてきた。
水色をした癖のある髪、青を基調にした服と帽子。
お互いがお互いを恐れ、静まりかえる。
少女は沈黙に耐えられず声を出す。
「あなた妖怪なの?」
「そうだよ。私は河童だよ、人間」
河童と名乗る妖怪は緊張の糸が解けたように話を始める。
「こんな朝方に山の麓に人間の子供がなにしてるんだい?」
確かに遠くに逃げようと思っていた少女だが、山の麓と言う言葉を聞いて少し安心した。
ここなら人間はまず来ない。妖怪の住処である山ならこのヒナ烏を襲う者はいないだろう。
「この子を助けようと思って家出してきたの」
そう言うと少女は懐に隠していたヒナ烏を河童に見せ、事の経緯を話す。
河童は大げさな涙を流し少女の手を取りブンブンと振る
「妖怪の為にそんな事をしてくれる人間がいるなんて・・・」
「あんたは今日から盟友だよ」
「人間も悪い奴ばかりじゃないんだね」
話を聞き終えた河童は一方的に話を始め、協力してやると言うと洞穴を飛び出してどこかに言ってしまった。
「悪い妖怪じゃなさそうだけど・・・」
「知り合いだったりする?」
「ウニュー」
しばらくすると鞄を目一杯に膨らませた河童が洞穴へ戻ってきた。
「お待たせ、盟友!」
「まずは少し寝たほうがいい。あんた疲れた顔してるよ」
そういうと一枚の毛布を取り出した。
「私の使ってたお古だけどまぁ使ってよ」
「あと地獄烏が食べるか分からないけど、烏天狗様達が好き好んで食べてるおやつだよ」
そう言うと干し柿をくれた。
「人間が何食べるか分からないけど、これ美味しいよ」
そういって手渡されたのは胡瓜の漬物。
「私ら河童はそれ食べれば力がみなぎるんだ」
「それとここらは私と違って怖い妖怪が出るから大人しく洞穴に篭ってることだね」
「その子の傷が癒えるまで動いちゃダメだよ」
「その子は地底の妖怪だ。色々あって地上の妖怪と地底の妖怪ってあんまり仲良くないんだ、絶対に見つかっちゃダメだよ」
一方的に話す河童の話に相槌を地打ちながら少女は絶望していた。
人間のいない山にくればヒナ烏に敵意を向ける者はいないと思っていたのに、まさかヒナ烏にとっての敵陣に入り込んでいたとは・・・
「ごめんね」
「ウニュウニュ」
ヒナ烏に少女の思いが伝わったのか、少女を励まそうと必死に鳴く。
「大丈夫さ、この洞穴の中にいれば絶対見つからない」
「これから入り口にちょっとした細工をするから」
そう言うと河童は工具を取り出し洞穴の入り口へと向かった。
少女は眠気に襲われその場にしゃがみ込む。
「あなたの傷がよくなったらここから逃げようね」
そう言うと少女はヒナ烏を抱え、毛布に包まり目を閉じた。
翌朝、河童が洞穴を訪れる。
「よう、盟友。よく寝れたかい?」
「おはよう、河童さん」
「寒くて何度も目が覚めたからまだ眠り足りないよ」
目の下に隈を作り、大きなあくびをして河童に返事をする。
河童は両手を腰に当て、寝ぼけ眼の少女を見下ろしながら話を始める。
「外は大雪で前も見えないほどだ。風や雪が凌げるだけありがたく思うんだね」
「うん、ありがとう」
「それと、昨日も言ったように」
少し強い口調で続ける河童。
「絶対外に出ちゃダメだよ」
「人間と知らない妖怪の気配がするって天狗様達が大騒ぎしてる。見つかったら無事じゃすまないよ、盟友」
なんで?
そう口にしようと立ち上がる少女を遮るよう河童は少女の前に座る。
「天狗様ってのは考え方が古いんだよ」
「縄張りだなんだって色々うるさいんだ」
「そういう古臭い考えの指導者の下じゃ進化する技術も進化しない」
「何人かは頭の切れる烏天狗様がいるけど、現状を打破しようと動くわけでもないし・・・」
河童の話は徐々に脱線し、少女の理解が及ぶ域を通り越していた。
「ウニュ」
河童の長い話を遮ったのはヒナ烏だった。
「おっと、悪い悪い。あんたや人間にゃ関係の無い話だったね」
ヒナ烏に笑顔を向けながら河童は話を元に戻す。
「とにかく、盟友と地獄烏に外は危険だよ」
「そいつの傷が治ったら逃げ道を探してあげるから、大人しくここにいるんだよ」
「ありがとう。河童さん」
少女は深く頭を下げる。
「ウニュ」
ヒナ烏も少女の真似るように頭を下げる。
それじゃそろそろ行くよ。
河童は夕方になるとそう言って洞穴から姿を消す。
夜になると自分の体すら見えなくなるような暗闇が少女を包む。
懐に感じる体温のみが少女に生を感じさせてくれた。
「私がこの子を守る」
自己暗示をするかのように自分に何度も何度も言聞かせ、暗闇が消えるのを待つ。
入り口から差し込む日の光が徐々に強くなる。
あぁ、やっと朝が来た。
安心すると少女は目を閉じる。
昼過ぎ頃だろうか。干し柿と胡瓜の漬物を持ってきた河童が帰り際に言う。
「外は猛吹雪だよ。これじゃ夜は相当冷え込むだろうけど大丈夫かい?」
「私はこの子のお姉ちゃんだから大丈夫よ!」
強がるように河童に言い返す少女。
「そうかい、それじゃ頼んだよ、盟友」
河童が洞穴から出て静かになると外の吹雪の音が存在感を増した。
洞穴の入り口に風がぶつかり、唸り声の様な音を上げる。
「寒さとお姉ちゃんは関係ないだろうに・・・人間って面白いな」
河童は洞穴を出て、川の真ん中にそびえる岩に飛び移る。
その夜、今までにないほどの寒さが幻想郷を包んだ。
少女は毛布に包まり、ヒナ烏を抱いていた。
異常なまでの寒さが少女から体力を奪う。
河童と違い胡瓜の漬物だけで体力が保つはずもない。
数時間前まで聞こえていた川の流れる音が完全に消えている。
寒さで凍り付いてしまったのだろう。
腕の中にいるヒナ烏を少しでも暖めようと体を小さくする。
連日の寒さによる睡眠不足と栄養失調で少女の意識は消えかけていた。
「やっと見付けました」
誰もいないはずの洞穴に声が響いたきがした。
目を開けると少女と同じくらいの背の高さの少女がいつの間にかヒナ烏を抱え立っていた。
紫色の髪に無表情の顔。
胸元に拳ほどの大きさの瞳をつけている。
この子は妖怪だと本能的に察知した。
河童の言っていた事が頭に浮かぶ。
地上の妖怪と地底の妖怪は仲が悪い・・・
「返して」
そう言うつもりだったのだが上手く声が出ない。
きっとこの妖怪はこの子を殺しに来たんだ・・・
少女の頭の中に最悪の状況が浮かぶ。
「返して!」
体を引きずりながら妖怪少女の足元へ進む。
「この子は私のペットです」
「殺す筈ないでしょう?」
少女の考えている事に返答が飛んでくる。
「そう、私は貴方の心が読めます」
自分が置かれている状況の理解が出来ず、ただ妖怪少女を見上げる事しかできなかった。
「もし、この子を攫った者がいるのならどんな手を使っても罪を償わせようと思っていたのだけれど・・・」
「色々とご迷惑をおかけしました、人間」
「この子の為に色々頑張ってくれたようですね。心から礼を言います」
「人間はみんな残酷で怖いものかと思っていたけど違うのね」
「ありがとう。この子も貴方に感謝しています」
「まって、その子を連れてかないで!」
残っている体力を振り絞って声を上げる。
「妖怪と人間が一緒に暮らすにはまだ時代が早すぎる」
「知らないものは恐い。妖怪も人間もみんな同じように互いに恐れあっている」
「でも貴方のような人間や、貴方の友達の河童のような妖怪が増えてくればきっと妖怪と人間が一緒に暮らせる日が来るかもしれないですね」
そう言うと私に背を向ける妖怪少女。
「ウニュー」
ヒナ烏の鳴声が響いた。
「ありがとう、お姉ちゃん。だそうです」
一度振り返り、笑顔でそう言うと妖怪少女は洞穴から姿を消した。
慌てて追いかけようとしたが私は意識を失いその場で倒れこんだ。
「待って!」
そう言いながら私は勢い良く上半身を起こした。
私のおでこは、私を覗きこんでいた河童のおでこと激しくぶつかった。
「うぐぅぅ」
「い、いきなり起き上がるなよ、盟友・・・」
「うぅぅ」
両手で額を押さえ、うずくまる二人。
「あのヒナ烏が見えないけど何かあったの?」
私は昨日の夜の事を河童に説明した。
「こりゃ驚いた」
「そいつは多分、地底の大物妖怪だよ」
「しかしそんな奴が地上の妖怪の住処である山の麓までくるなんて・・・」
「まぁあのヒナ烏も家に帰れたんだから良かったじゃないか」
「そうだよね・・・」
「私も家に帰らないと」
「私、悪い妖怪ばかりじゃないって里のみんなに話すよ」
「河童さんみたいに良い妖怪の事ちゃんとみんなに伝えるね」
「盟友・・・」
「どれ位時間がかかるか分からないけど、人間と妖怪が一緒に暮らせるようになるまで、里のみんなに話す」
「わかったよ、盟友。私も協力するよ!」
「山の連中に悪い人間ばかりじゃないってちゃんと伝えるよ」
それから少女は河童に別れを告げ里へと帰っていく。
温泉宿『地霊温泉』の一室で博麗霊夢は目を覚ました。
「ずいぶんと変わった夢だったわ」
「でも何だか知っている内容なのよね」
霊夢は記憶を遡るよう意識を集中させる。
目を閉じ、胡坐をかき瞑想をするかのようにじっと動かない。
「あっ」
巫女として神社に連れて行かれる前の頃の事だった。
彼女は何度も今の夢の内容を聞いていた。彼女の祖母に聞かせてもらった祖母の小さい頃の話にそっくりだった。
「人間と妖怪が一緒に暮らすねぇ」
霊夢はため息を付きながら胡坐を崩し、両手を後ろに付き天井を見上げる。
「お婆ちゃんの望んだ幻想郷になってるかしら?」
祖母を思い出し、少し感傷に浸っていた霊夢を現実に引き戻す聞きなれた声が響く。
「おーい、霊夢。宴会の準備が出来たってさ」
「あ、魔理沙。今行くから待ってて」
慌てて返事をする霊夢。
今日は地底にある温泉宿『地霊温泉』の創立記念の宴会。
迷惑をかけたお詫びと言う事で、霊夢や魔理沙、地上の妖怪達が招待されていた。
「無料で温泉宿に泊まれて、その上宴会までセットで付いてくるだなんて最高じゃない。毎日でも来てやるわよ」
さっきまで見ていた夢の事など忘れ、満面の笑みの霊夢。
「地底の妖怪も厄介な奴に目を付けられたもんだ」
笑いながら魔理沙が横を歩いている。
そして霊夢はただ酒に胸を躍らせ宴会場へと向かった。
地底の温泉宿『地霊温泉』の水風呂でプカプカと浮かびながら河城にとりは目を覚ます。
「こりゃ随分と懐かしいね」
「盟友に初めて会った時かぁ・・・」
そう言うと今は亡き友人を思い出す。
「盟友、あんたの思いはちゃんとお孫さんに伝わってるみたいだよ。少し歪んで伝わった感じは否めないけど・・・」
苦笑いをして勢い良く水風呂から飛び出る。
大浴場から出て脱衣所に向かうと射命丸文がいた。
「宴会、始まるって」
体の水気をふき取りながら文の話を聞く。
「えー、もうそんな時間?」
「お風呂で1時間近く寝てた人の台詞とは思えない・・・」
呆れた表情の文。
「それよりも気分はどう?」
「うん、いい湯だった」
「そうじゃなくて、昔助けた地獄烏と人間のおかげで開かれた宴会に望む気分」
少し意地悪な表情を作る文はいつの間にかペンと手帖を持っていた。
「へっ!?」
「へっ?じゃないわよ。誤魔化せたとでも思ってた?」
「ええええ!?知ってたの?」
慌てるにとりを涼しい顔で眺め話を続ける文。
「もちろん。でも新聞にするにはちょっと勇気のいる内容だったから黙ってたけど・・・」
「知ってたなら協力してよ!」
顔を真っ赤にして怒るにとり。
「まぁまぁ、あの辺りの調査に鼻の利く白狼天狗を向かわせなかったんだから、感謝してもらわないと」
そうなだめる様に諭す文。
「まったく天狗様には敵わないよ」
そう言い、愛用の帽子を深く被り脱衣所を出るにとり。
「ちょっと待ってよ。今の気分はー?」
慌てて後を追う文。
地霊温泉の従業員専用の小部屋。
宴会の片付けを終え、ぐったりしている妖怪達。
霊烏路空は疲労感に負け机に突っ伏して眠っていた。
頭に何かがぶつかる。
「うぅ、お姉ちゃん、助けてー」
楽しい夢でも見ているのだろうか。
幸せそうな声を出すお空に一人の妖怪がイライラしている。
みかんを怨霊に持ち上げさせ、お空の頭の上に落とす。
ドスっと鈍い音と共にお空は目を覚ます。
「わっ!」
辺りをきょろきょろと見渡し、向かいに座る見知った顔に声をかける。
「あ、おはよう、お燐」
「良く寝てたね」
嫌味を込めて言ったつもりがお空にはまったく伝わっていなかった。
「うん、疲れたからねー」
「あんたが地上侵略だなんて馬鹿な事企てなきゃこんなに疲れることもなかったのに」
机に突っ伏して恨めしそうな声を上げる火焔猫燐。
「いいじゃん、最終的にみんなで宴会が出来たんだから」
能天気な笑顔で答えるのは地上の間欠泉騒動の原因。
そんな二人のやり取りを笑顔で眺めるのは地霊温泉の女将、古明地さとり。
「大体、何で地上侵略なんて企てたのさ?」
「うーん、良く覚えてないんだけどさ、お姉ちゃんの為かな?」
「はっ?」
「小さい頃にお姉ちゃんと地上に行ったことがあって、その時、地上の寒さでお姉ちゃんが死んじゃったの・・・確かだけど」
「それで、お姉ちゃんの為にも地上から寒さを取り除こうと思って、地上灼熱地獄化計画を考えた訳っ!」
胸を張り、自信満々に答えるお空にお燐は冷たい視線を送る。
地上の寒さを取り除くって・・・
それにお姉ちゃん?
呆れる。
それ以外の感情が出てこない。
突っ伏していた体を起こしお燐は両手を机に突く。
「寒さを取り除きたいってのはまあ良いさ」
「でもね、あたいが納得できないのはあんたのお姉ちゃんの事だ」
「うにゅ?」
私変な事言った?みたいな顔がお燐を刺激する。
「お空、あんたにお姉ちゃんはいない!」
ドンっと机を叩く。
「いたんだって!このリボンはお姉ちゃんの形見だもん!」
「記憶力が無いだけでなく、出鱈目な記憶を作り出すなんて・・・」
「さとり様ぁ、何とか言ってやってくださいよぉ」
目の前の鳥頭に何を言っても、もはや意味などない。
自分を肯定してもらいたく、上座に座っていた飼い主を見る。
「お空のお姉さん?私も1回だけ会った事があるわ」
お茶をすすりながら答えるさとり。
ドヤ顔のお空がお燐を見る。
「もぉぉ、さとり様までそんな事言い出さないでくださいよ」
お燐の悲痛な叫び声が地霊温泉に響く。
闇が消え始めても、闇に冷やされた空気は地表の水分を凍らせ、細い氷の柱をあちこちに作る。
地面に溜まった水溜りは表面を氷へと変え、差し込む日の光を反射させる。
季節は冬。
雪こそまだ降っていないが、人里を包む冷気は日毎に強くなっている。
部屋に朝日が差すと少女は布団から飛び起き、着替えを済まし家から飛び出る。
まだ誰にも壊されていない霜柱と薄氷を壊すのは私だ。他の誰にも譲れない。
そう意気込むと玄関を出て大きく息を吐く。
自分の口から出たものとは思えない程息が白い。
庭から出て左右を見渡す。
通りに人の姿は見えない。
「一番乗りね」
そう呟くと自然と口角が上がっていく。
胸で踊るドキドキという感情を煽りながら通りの端に出来た霜柱を探す。
ザクッ。一踏みすると心地の良い音が辺りに響く。
ザクッザクッ。
「今日は踏み甲斐がありそうね」
少女は通りにそって出来た霜柱の長い列を見て無邪気な顔を浮かべる。
八百屋の前を通り過ぎ、茶屋、菓子屋、書店に乾物屋・・・
里の入り口の門を通り抜け、街道沿いに霜柱を探し歩みを進める。
寺子屋の先生に子供だけで里の外に出ない様にとよく言われるが、そこに霜柱がある以上しょうがないのだ。
あの霜柱を誰よりも先に私が壊す。
寺子屋でどれだけ霜柱を壊せたか自慢するんだから。
少女は意気込んでいた。
里の門から10分程進むと街道の脇には背の低い林が姿を現しはじめる。
広葉樹はその葉を落とし、寂しい姿になっている。
背の低い椿の前を通り過ぎた時だった。ガサガサと茂みから物音が聞こえ、少女の体は一瞬強張った。
この辺りは里の猟師が野うさぎや猪を捕まえる為に罠を仕掛けている。
きっと運悪く捕まってしまった動物だろう。
少女は好奇心に負け物音のする方へ足を向けた。
そこにいたのは巣から落ちたのだろうか烏のヒナが一羽。
ヒナ烏の体は大きく、大人の烏とさほど変わらない。
少女が何故ヒナと認識したか。
そのヒナ烏は体の半分程が産毛に覆われていたのだ。
「まったく、驚かせないでよね」
しゃがみ込みヒナ烏を覗き込む。
薄黒い羽に薄らと赤い液体が付いている。
「あれ、あなた怪我してるの?」
心配そうにヒナ烏を眺める。
辺りの木を見上げても巣は見当たらない。
巣から落ちて、じたばたしながらここまで進んできたのだろう。
「今、診てあげるからね」
そう言うと少女は優しく手を差し伸べ、ヒナ烏を持ち上げる。
驚いたヒナ烏は暴れ、手を突くが、傷が痛むのかすぐに抵抗をやめる。
「良い子、良い子。すぐ看病してあげますからね」
お姉さん気分でヒナ烏に話しかける。
落下した時に何か鋭いものにぶつかったのだろうか、右羽根の付け根に傷が見えた。
「えっと包帯、包帯」
肩から提げた巾着を探すが包帯など子供が持ち歩くわけがない。
「そうだ!」
そう言うと閃いた様に頭へ片手を伸ばす。
少女の髪を結っているリボンを解き、少しの間考え込む。
気に入っているし、大切な物だけど、怪我をしているヒナ烏を放って置く訳にもいかない。
寺子屋の先生に教えてもらった包帯の巻き方を必死に思い出しながらヒナ烏の羽根にリボンを巻きつけていく。
薬草をすり潰した液体で布を染めて作られたリボンは母がおてんばな少女に与えた物だった。
リボン自体に多少なりとも鎮静の効果があるそうだ。
その作用なのか、痛みに体を震わせていたヒナ烏は少し落ち着いた様に見えた。
「もう大丈夫よ。それより、あなたお家はどこなの?」
「辺りの木を見上げても巣は見当たらないし・・・」
次第に心の中にある気持ちが芽生えるのを感じた少女はヒナ烏を抱えその場を後にした。
小さな子供芽生えた母性本能と呼ぶにはまだ早い感情。
少女はまるで姉になったような気分だった。
「怪我が良くなるまで家で面倒みてあげるわ」
霜柱を踏み壊す事など既に頭の中から消えていた。
少女はヒナ烏に衝撃が伝わらないように早歩きで家に帰った。
太陽は完全に顔を出し、通りには仕事に向かう人達が姿を現し始めている。
ガラッと勢い良く玄関の扉を滑らせると朝食の匂いが漂っている。
急ぎ足で台所に向かい、母親に声をかける。
「お母さん、この子怪我してるの!」
どうしたの?と返事をしながら手を止め振り返る母親。
母親は振り返るとそこにいたヒナ烏に一瞬驚いたようだが、すぐに優しい表情が見えた。
「あらあら、烏の子供?怪我してるのね?」
「うん、里のちょっと先の林で見つけたの」
「ちょっと診せてごらん?」
取り乱す私を安心させるよう優しい声で母親は続ける。
「大切なリボンを包帯にしてあげたの?偉いわね」
そう言うとポンっと頭に手を置いてきた。
「大丈夫よ、大きな怪我じゃないしすぐ良くなるわよ」
母親のその一言で少女は心から安心した。
良かった、これでこの子は助かるんだ。
ヒナ烏の頭を撫でながら少女はそんな事を思っていた。
「それより、早く朝御飯食べなさい。寺子屋、遅刻するわよ」
そう言い少女を急かす母親は心なしか複雑な顔をしていたが、少女は遅刻の罰の頭突きの痛みを思い出し慌てて身支度を始めた。
寺子屋で授業を受けていると言うのに少女の頭の中はヒナ烏の事で占拠されていた。
名前は何が良いかな?
烏って何食べるんだろう?
お家はどこにあるんだろう?
お母さん烏はきっと心配してるはずよね。
ゴンッ
「痛っ!」
鈍い音と痛みが少女の頭の中からヒナ烏を追い出した。
「コラッ、次はお前が朗読する番だぞ?」
「え、あっはい!」
慌てて立ち上がり教科書を手に取る。
歴史の教科書には大昔に地底に移り住んだ妖怪の事が書いてあった。
地底の妖怪の事なんかより烏の事が知りたい。
そんな事を思いながら教科書に書かれている文章を声に出して読み上げていった。
寺子屋からの帰り道、烏の事が気になり大急ぎで家に帰る少女。
「おかえりなさい」と声をかけてくる近所のおばさんやおじさんにペコリと頭を下げ通学路を走った。
「はぁはぁ、あの子は大丈夫かな」
息を切らしながら玄関を開け、烏を探す。
自分の部屋へ向かったが姿は無い。
居間、台所と慌てて見て回ったがどこにも見当たらない。
日中、暖かい陽だまりができる縁側に鳥篭に入れられたヒナ烏の姿があった。
差し込んだ光を受けた黒い羽はキラキラと光を放つ。
黒という色がこんなにも綺麗だったのかと心を引かれ、ヒナ烏を見つめる。
「ただいま、良い子にしてた?」
そう言い、ヒナ烏を覗き込む。
「あれ?お札?」
鳥篭の一部にお札が張ってあることこに気付く。
難しい漢字が書いてあり、少女には何のお札なのか理解が出来なかった。
「何のお札だろう?」
手を伸ばした時、慌てた様子の母親が声をかけてきた。
「お札を剥がしちゃ駄目よ!」
「それは怪我を早く治してくれるお札で、剥がすと効果がなくなっちゃう」
そう聞いて少女は慌てて手を戻す。
まだ怪我が傷むのだろうか、鳥篭の中のヒナ烏は元気が無さそうだった。
「きっと疲れてるのね。静かにしておいてあげましょう」
そう言うと少女は夕飯のお使いに行く母親に無理矢理連れて行かれた。
少女は夕食を終えると、飽きもせずヒナ烏を見つめ続ける。
夜も更け、眠気が少女の体を支配する。
鳥篭の前で何度か意識を失った。
「寝るなら部屋で寝なさい!」
両親に叱られ、後ろ髪を引かれる思いでヒナ烏の前から立ち去る。
明日は寺子屋が休みだから一日中ヒナ烏の傍にいてあげよう。
そんな事を思いながら少女は目を閉じた。
差し込む月光、妙な胸騒ぎ、少女は目を覚ました。
「毛布を被っていてもこんなに寒いなんて・・・」
「それに何だか変な感じ」
・・・
「あの子は大丈夫かな・・・」
一度気になると心配で中々寝付けない。
様子を見に行こうと布団から出て縁側へ向かう。
夜中の廊下は氷のように冷たく歩くたびに全身に鳥肌が立つのを感じる。
「うぅぅ、冷たい」
長い廊下を歩いていると両親の部屋から話し声が聞こえてきた。
最初に聞こえたのは父親の声だった。
「家の中に地獄烏を置いておくなんて不吉だ。朝が来る前に始末しよう。」
私は耳を疑った。
「そうね。あの子には悪いけど、薄気味悪くて耐えられない」
同意する母親の声。
「退魔のお札を貼って力を封じてあるからわざわざ博麗の巫女様に頼むまでもないな」
地獄烏。
今日の歴史の授業で聞いた名前の妖怪だった。
地底に住む烏の妖怪。
あんな小さくて怪我をして弱ってるのに、妖怪だからって殺してしまうなんて絶対に間違っている。
きっとこれは悪い夢。
そう思った少女は思い切り頬を抓る。
その痛みも、足先を冷やす廊下の冷たさも、両親の会話も全て本当の事。
少女はこっそりと縁側に向かい、鳥篭からヒナ烏を出す。
退魔のお札のせいだろうか、ヒナ烏はぐったりとしている。
こんな状態で外に逃がしても人間に見つかれば殺されてしまうだろう。
「大丈夫よ、私が守ってあげる」
自分に言い聞かせるように呟くとヒナ烏を優しく抱き上げ自室へ向かう。
少し厚めの上着を着込み、雪の日の用の草履を履いて部屋の窓から外へ出る。
外はいつの間にか雪が積もっており、月明かりを受けて周囲を照らしていた。
不自然な程明るい夜、少女はヒナ烏を抱え無心に走った。
林道を抜け山に続く坂道をただひたすら進む。
時折立ち止まり、懐に抱えているヒナ烏に話かける。
「大丈夫?寒くない?」
「ウニュ」
昼間や夕食後にどれだけ話しかけても反応してくれなかったヒナ烏がようやく反応を示してくれた。
少女はその事が嬉しく笑顔で夜道を進んだ。
気が付くと夜の暗さは消え、雪が降り始めた。
太陽は出ていないが辺りは薄らと明るい。
自分の足音以外の音は一切無く、色が消えてしまったような錯覚に陥るほどの灰色の世界に少女はいた。
夜通し歩いたせいで足が痛い。
どこかで休まないと・・・
水の流れる音に誘われ、川沿いの細い道に出ると小さな洞穴が目に入った。
あそこでしばらく休もう。
そう思い洞穴に足を向ける。
頭や肩に積もった雪を払い落とし、恐る恐る洞穴の中に入っていく。
暗闇の奥に気配を感じた。
「誰?ここは私の場所だよ」
「わっ」
突然響いた声に驚き、少女は体を硬直させる。
気配がこちらを向いた。
「わっ!に、人間・・・の子供?」
暗闇に目が慣れ、薄らと気配の正体が見えてきた。
水色をした癖のある髪、青を基調にした服と帽子。
お互いがお互いを恐れ、静まりかえる。
少女は沈黙に耐えられず声を出す。
「あなた妖怪なの?」
「そうだよ。私は河童だよ、人間」
河童と名乗る妖怪は緊張の糸が解けたように話を始める。
「こんな朝方に山の麓に人間の子供がなにしてるんだい?」
確かに遠くに逃げようと思っていた少女だが、山の麓と言う言葉を聞いて少し安心した。
ここなら人間はまず来ない。妖怪の住処である山ならこのヒナ烏を襲う者はいないだろう。
「この子を助けようと思って家出してきたの」
そう言うと少女は懐に隠していたヒナ烏を河童に見せ、事の経緯を話す。
河童は大げさな涙を流し少女の手を取りブンブンと振る
「妖怪の為にそんな事をしてくれる人間がいるなんて・・・」
「あんたは今日から盟友だよ」
「人間も悪い奴ばかりじゃないんだね」
話を聞き終えた河童は一方的に話を始め、協力してやると言うと洞穴を飛び出してどこかに言ってしまった。
「悪い妖怪じゃなさそうだけど・・・」
「知り合いだったりする?」
「ウニュー」
しばらくすると鞄を目一杯に膨らませた河童が洞穴へ戻ってきた。
「お待たせ、盟友!」
「まずは少し寝たほうがいい。あんた疲れた顔してるよ」
そういうと一枚の毛布を取り出した。
「私の使ってたお古だけどまぁ使ってよ」
「あと地獄烏が食べるか分からないけど、烏天狗様達が好き好んで食べてるおやつだよ」
そう言うと干し柿をくれた。
「人間が何食べるか分からないけど、これ美味しいよ」
そういって手渡されたのは胡瓜の漬物。
「私ら河童はそれ食べれば力がみなぎるんだ」
「それとここらは私と違って怖い妖怪が出るから大人しく洞穴に篭ってることだね」
「その子の傷が癒えるまで動いちゃダメだよ」
「その子は地底の妖怪だ。色々あって地上の妖怪と地底の妖怪ってあんまり仲良くないんだ、絶対に見つかっちゃダメだよ」
一方的に話す河童の話に相槌を地打ちながら少女は絶望していた。
人間のいない山にくればヒナ烏に敵意を向ける者はいないと思っていたのに、まさかヒナ烏にとっての敵陣に入り込んでいたとは・・・
「ごめんね」
「ウニュウニュ」
ヒナ烏に少女の思いが伝わったのか、少女を励まそうと必死に鳴く。
「大丈夫さ、この洞穴の中にいれば絶対見つからない」
「これから入り口にちょっとした細工をするから」
そう言うと河童は工具を取り出し洞穴の入り口へと向かった。
少女は眠気に襲われその場にしゃがみ込む。
「あなたの傷がよくなったらここから逃げようね」
そう言うと少女はヒナ烏を抱え、毛布に包まり目を閉じた。
翌朝、河童が洞穴を訪れる。
「よう、盟友。よく寝れたかい?」
「おはよう、河童さん」
「寒くて何度も目が覚めたからまだ眠り足りないよ」
目の下に隈を作り、大きなあくびをして河童に返事をする。
河童は両手を腰に当て、寝ぼけ眼の少女を見下ろしながら話を始める。
「外は大雪で前も見えないほどだ。風や雪が凌げるだけありがたく思うんだね」
「うん、ありがとう」
「それと、昨日も言ったように」
少し強い口調で続ける河童。
「絶対外に出ちゃダメだよ」
「人間と知らない妖怪の気配がするって天狗様達が大騒ぎしてる。見つかったら無事じゃすまないよ、盟友」
なんで?
そう口にしようと立ち上がる少女を遮るよう河童は少女の前に座る。
「天狗様ってのは考え方が古いんだよ」
「縄張りだなんだって色々うるさいんだ」
「そういう古臭い考えの指導者の下じゃ進化する技術も進化しない」
「何人かは頭の切れる烏天狗様がいるけど、現状を打破しようと動くわけでもないし・・・」
河童の話は徐々に脱線し、少女の理解が及ぶ域を通り越していた。
「ウニュ」
河童の長い話を遮ったのはヒナ烏だった。
「おっと、悪い悪い。あんたや人間にゃ関係の無い話だったね」
ヒナ烏に笑顔を向けながら河童は話を元に戻す。
「とにかく、盟友と地獄烏に外は危険だよ」
「そいつの傷が治ったら逃げ道を探してあげるから、大人しくここにいるんだよ」
「ありがとう。河童さん」
少女は深く頭を下げる。
「ウニュ」
ヒナ烏も少女の真似るように頭を下げる。
それじゃそろそろ行くよ。
河童は夕方になるとそう言って洞穴から姿を消す。
夜になると自分の体すら見えなくなるような暗闇が少女を包む。
懐に感じる体温のみが少女に生を感じさせてくれた。
「私がこの子を守る」
自己暗示をするかのように自分に何度も何度も言聞かせ、暗闇が消えるのを待つ。
入り口から差し込む日の光が徐々に強くなる。
あぁ、やっと朝が来た。
安心すると少女は目を閉じる。
昼過ぎ頃だろうか。干し柿と胡瓜の漬物を持ってきた河童が帰り際に言う。
「外は猛吹雪だよ。これじゃ夜は相当冷え込むだろうけど大丈夫かい?」
「私はこの子のお姉ちゃんだから大丈夫よ!」
強がるように河童に言い返す少女。
「そうかい、それじゃ頼んだよ、盟友」
河童が洞穴から出て静かになると外の吹雪の音が存在感を増した。
洞穴の入り口に風がぶつかり、唸り声の様な音を上げる。
「寒さとお姉ちゃんは関係ないだろうに・・・人間って面白いな」
河童は洞穴を出て、川の真ん中にそびえる岩に飛び移る。
その夜、今までにないほどの寒さが幻想郷を包んだ。
少女は毛布に包まり、ヒナ烏を抱いていた。
異常なまでの寒さが少女から体力を奪う。
河童と違い胡瓜の漬物だけで体力が保つはずもない。
数時間前まで聞こえていた川の流れる音が完全に消えている。
寒さで凍り付いてしまったのだろう。
腕の中にいるヒナ烏を少しでも暖めようと体を小さくする。
連日の寒さによる睡眠不足と栄養失調で少女の意識は消えかけていた。
「やっと見付けました」
誰もいないはずの洞穴に声が響いたきがした。
目を開けると少女と同じくらいの背の高さの少女がいつの間にかヒナ烏を抱え立っていた。
紫色の髪に無表情の顔。
胸元に拳ほどの大きさの瞳をつけている。
この子は妖怪だと本能的に察知した。
河童の言っていた事が頭に浮かぶ。
地上の妖怪と地底の妖怪は仲が悪い・・・
「返して」
そう言うつもりだったのだが上手く声が出ない。
きっとこの妖怪はこの子を殺しに来たんだ・・・
少女の頭の中に最悪の状況が浮かぶ。
「返して!」
体を引きずりながら妖怪少女の足元へ進む。
「この子は私のペットです」
「殺す筈ないでしょう?」
少女の考えている事に返答が飛んでくる。
「そう、私は貴方の心が読めます」
自分が置かれている状況の理解が出来ず、ただ妖怪少女を見上げる事しかできなかった。
「もし、この子を攫った者がいるのならどんな手を使っても罪を償わせようと思っていたのだけれど・・・」
「色々とご迷惑をおかけしました、人間」
「この子の為に色々頑張ってくれたようですね。心から礼を言います」
「人間はみんな残酷で怖いものかと思っていたけど違うのね」
「ありがとう。この子も貴方に感謝しています」
「まって、その子を連れてかないで!」
残っている体力を振り絞って声を上げる。
「妖怪と人間が一緒に暮らすにはまだ時代が早すぎる」
「知らないものは恐い。妖怪も人間もみんな同じように互いに恐れあっている」
「でも貴方のような人間や、貴方の友達の河童のような妖怪が増えてくればきっと妖怪と人間が一緒に暮らせる日が来るかもしれないですね」
そう言うと私に背を向ける妖怪少女。
「ウニュー」
ヒナ烏の鳴声が響いた。
「ありがとう、お姉ちゃん。だそうです」
一度振り返り、笑顔でそう言うと妖怪少女は洞穴から姿を消した。
慌てて追いかけようとしたが私は意識を失いその場で倒れこんだ。
「待って!」
そう言いながら私は勢い良く上半身を起こした。
私のおでこは、私を覗きこんでいた河童のおでこと激しくぶつかった。
「うぐぅぅ」
「い、いきなり起き上がるなよ、盟友・・・」
「うぅぅ」
両手で額を押さえ、うずくまる二人。
「あのヒナ烏が見えないけど何かあったの?」
私は昨日の夜の事を河童に説明した。
「こりゃ驚いた」
「そいつは多分、地底の大物妖怪だよ」
「しかしそんな奴が地上の妖怪の住処である山の麓までくるなんて・・・」
「まぁあのヒナ烏も家に帰れたんだから良かったじゃないか」
「そうだよね・・・」
「私も家に帰らないと」
「私、悪い妖怪ばかりじゃないって里のみんなに話すよ」
「河童さんみたいに良い妖怪の事ちゃんとみんなに伝えるね」
「盟友・・・」
「どれ位時間がかかるか分からないけど、人間と妖怪が一緒に暮らせるようになるまで、里のみんなに話す」
「わかったよ、盟友。私も協力するよ!」
「山の連中に悪い人間ばかりじゃないってちゃんと伝えるよ」
それから少女は河童に別れを告げ里へと帰っていく。
温泉宿『地霊温泉』の一室で博麗霊夢は目を覚ました。
「ずいぶんと変わった夢だったわ」
「でも何だか知っている内容なのよね」
霊夢は記憶を遡るよう意識を集中させる。
目を閉じ、胡坐をかき瞑想をするかのようにじっと動かない。
「あっ」
巫女として神社に連れて行かれる前の頃の事だった。
彼女は何度も今の夢の内容を聞いていた。彼女の祖母に聞かせてもらった祖母の小さい頃の話にそっくりだった。
「人間と妖怪が一緒に暮らすねぇ」
霊夢はため息を付きながら胡坐を崩し、両手を後ろに付き天井を見上げる。
「お婆ちゃんの望んだ幻想郷になってるかしら?」
祖母を思い出し、少し感傷に浸っていた霊夢を現実に引き戻す聞きなれた声が響く。
「おーい、霊夢。宴会の準備が出来たってさ」
「あ、魔理沙。今行くから待ってて」
慌てて返事をする霊夢。
今日は地底にある温泉宿『地霊温泉』の創立記念の宴会。
迷惑をかけたお詫びと言う事で、霊夢や魔理沙、地上の妖怪達が招待されていた。
「無料で温泉宿に泊まれて、その上宴会までセットで付いてくるだなんて最高じゃない。毎日でも来てやるわよ」
さっきまで見ていた夢の事など忘れ、満面の笑みの霊夢。
「地底の妖怪も厄介な奴に目を付けられたもんだ」
笑いながら魔理沙が横を歩いている。
そして霊夢はただ酒に胸を躍らせ宴会場へと向かった。
地底の温泉宿『地霊温泉』の水風呂でプカプカと浮かびながら河城にとりは目を覚ます。
「こりゃ随分と懐かしいね」
「盟友に初めて会った時かぁ・・・」
そう言うと今は亡き友人を思い出す。
「盟友、あんたの思いはちゃんとお孫さんに伝わってるみたいだよ。少し歪んで伝わった感じは否めないけど・・・」
苦笑いをして勢い良く水風呂から飛び出る。
大浴場から出て脱衣所に向かうと射命丸文がいた。
「宴会、始まるって」
体の水気をふき取りながら文の話を聞く。
「えー、もうそんな時間?」
「お風呂で1時間近く寝てた人の台詞とは思えない・・・」
呆れた表情の文。
「それよりも気分はどう?」
「うん、いい湯だった」
「そうじゃなくて、昔助けた地獄烏と人間のおかげで開かれた宴会に望む気分」
少し意地悪な表情を作る文はいつの間にかペンと手帖を持っていた。
「へっ!?」
「へっ?じゃないわよ。誤魔化せたとでも思ってた?」
「ええええ!?知ってたの?」
慌てるにとりを涼しい顔で眺め話を続ける文。
「もちろん。でも新聞にするにはちょっと勇気のいる内容だったから黙ってたけど・・・」
「知ってたなら協力してよ!」
顔を真っ赤にして怒るにとり。
「まぁまぁ、あの辺りの調査に鼻の利く白狼天狗を向かわせなかったんだから、感謝してもらわないと」
そうなだめる様に諭す文。
「まったく天狗様には敵わないよ」
そう言い、愛用の帽子を深く被り脱衣所を出るにとり。
「ちょっと待ってよ。今の気分はー?」
慌てて後を追う文。
地霊温泉の従業員専用の小部屋。
宴会の片付けを終え、ぐったりしている妖怪達。
霊烏路空は疲労感に負け机に突っ伏して眠っていた。
頭に何かがぶつかる。
「うぅ、お姉ちゃん、助けてー」
楽しい夢でも見ているのだろうか。
幸せそうな声を出すお空に一人の妖怪がイライラしている。
みかんを怨霊に持ち上げさせ、お空の頭の上に落とす。
ドスっと鈍い音と共にお空は目を覚ます。
「わっ!」
辺りをきょろきょろと見渡し、向かいに座る見知った顔に声をかける。
「あ、おはよう、お燐」
「良く寝てたね」
嫌味を込めて言ったつもりがお空にはまったく伝わっていなかった。
「うん、疲れたからねー」
「あんたが地上侵略だなんて馬鹿な事企てなきゃこんなに疲れることもなかったのに」
机に突っ伏して恨めしそうな声を上げる火焔猫燐。
「いいじゃん、最終的にみんなで宴会が出来たんだから」
能天気な笑顔で答えるのは地上の間欠泉騒動の原因。
そんな二人のやり取りを笑顔で眺めるのは地霊温泉の女将、古明地さとり。
「大体、何で地上侵略なんて企てたのさ?」
「うーん、良く覚えてないんだけどさ、お姉ちゃんの為かな?」
「はっ?」
「小さい頃にお姉ちゃんと地上に行ったことがあって、その時、地上の寒さでお姉ちゃんが死んじゃったの・・・確かだけど」
「それで、お姉ちゃんの為にも地上から寒さを取り除こうと思って、地上灼熱地獄化計画を考えた訳っ!」
胸を張り、自信満々に答えるお空にお燐は冷たい視線を送る。
地上の寒さを取り除くって・・・
それにお姉ちゃん?
呆れる。
それ以外の感情が出てこない。
突っ伏していた体を起こしお燐は両手を机に突く。
「寒さを取り除きたいってのはまあ良いさ」
「でもね、あたいが納得できないのはあんたのお姉ちゃんの事だ」
「うにゅ?」
私変な事言った?みたいな顔がお燐を刺激する。
「お空、あんたにお姉ちゃんはいない!」
ドンっと机を叩く。
「いたんだって!このリボンはお姉ちゃんの形見だもん!」
「記憶力が無いだけでなく、出鱈目な記憶を作り出すなんて・・・」
「さとり様ぁ、何とか言ってやってくださいよぉ」
目の前の鳥頭に何を言っても、もはや意味などない。
自分を肯定してもらいたく、上座に座っていた飼い主を見る。
「お空のお姉さん?私も1回だけ会った事があるわ」
お茶をすすりながら答えるさとり。
ドヤ顔のお空がお燐を見る。
「もぉぉ、さとり様までそんな事言い出さないでくださいよ」
お燐の悲痛な叫び声が地霊温泉に響く。
読み終わった後、心が満足感に溢れかえりました
こういうのも良いですね
お前のような鳴き声の烏が居るか!
というのはさておき、面白い切り口のお話でした。なるほど、そういう繋がりも面白いなあ、と何度も感じさせられてしまいました。
個人的に涙もろいにとりが可愛かった。
こういう過去があっても良いです
霊夢のお婆さんのこと?
さとりはもう一度地上に行こうとするお空に少女は死んだと言い聞かせてたってことなのかな?
だからこそもう少し尺が欲しかったと思ってしまいます。
山での生活の話とか、ひなお空のその後とか。
次回も心温まるお話期待してます。
酒の肴にさせて頂きます