剣に身を捧ぐ者ならば、誰しも、一度は「最強」なる言葉を意識する。
瑞々しく鋭気走らせ、若者は己が腕に無限の夢を見る。星へ至り、月をも斬らんと気炎を揚げる。
だが歳を重ね、腕を磨き修練を積み、道を登り詰めるほどに、若者は見上げた月の高さを思い知る。己の技倆が届かぬ場所をわきまえてしまう。
斯くて、若き情熱は骸へ変わり。
その骸を苗床にして初めて……剣の技術は、剣客の心得へ昇華されるのだ。
「――――――」
さわり
風が変わるのを肌に聞き、魂魄妖忌は追憶を中断した。
腰の打刀へ手を伸ばす。
脱力せず、さりとて強ばる事もない自然な動きは、静まりかえった夜気を騒がせぬ。
「何者か」
問う声鋭く、妖忌は辺りへ視線を配った。
森へ分け入る小川の傍。
星明かりにひっそり沈む草花に、ジィジィ鳴くは虫の声。
遠くに大滝を臨むこの水場は街道を少し逸れた所にあり、古くから人々に利用されている。
川面に揺れる老いさらばえた自身の顔を横目に見、彼は僅かに首を廻らせた。
「物盗りであれば引き返せ。ぼろの着物と三文刀欲しさに、闇夜で斬り合うのは利に合うまい」
総髪にした白鬢を撫でつけ、油断なく木立を見透かす。
暗く沈黙した空間に潜みこちらを窺う気配は、間違っても夜盗などと可愛らしいものではない。
「…………里で噂を聞いた。滝の水場に、武芸者を襲う妖怪が出ると」
微かな音。
遠く響く滝の音の合間に、確かにそれを聞きつける。
金属の擦れる乾いた音だ。
一拍の間を置いて、柄に指を触れる。
「私はお前を狩りに来た」
瞬間の出来事であった。
伏していた気配が破裂するように膨れ上がり、木立を蹴立てて飛び出してくる。
黒い影となり飛びかかる潜伏者を、しかし妖忌はまるで動ぜず見据えていた。音もなく、動きすらなく抜き放った刀を頭上へ掲げ、飛びかかる影を迎え撃つ。
が、
「……っ!?」
叩きつけられた巨大な剣は、決して小柄ではない妖忌を小枝のように弾き飛ばしていた。
驚愕に呻き声をこぼしながらも、身軽に態勢を整え振り向くが……既に、影はどこにも見あたらなかった。
いや、否。
ざざざざ、と下生えを踏みしだく音がする。闇と木立に紛れ、間違いなくこちらの隙を窺っていた。
痺れの残る手で柄を握り直し、妖忌は油断無く辺りへ警戒を飛ばす。
(見上げた膂力だ)
多くの武芸者に打ち勝ってきたのも頷ける。
力だけではない。闇夜の木立を危なげなく疾走する感覚も、殆どこちらに気配を掴ませぬ潜伏能力も、全てが人間離れしていた。
熊か、マシラか。いずれ古い獣の妖怪であろう。見当をつけ、妖忌は無造作に目を伏せる。
観念したわけではない。
膂力に勝ろうと。
速度に優れようと。
――所詮、敵は、剣士ではない。
白刃一閃。
紫電眩く、背後へ放った剣が宙を薙いだ。
掬い上げるように弧を斬る刀が飛びかかってきた影をかち上げ、その勢いをかり背負い投げの要領で地面へ叩きつける。
予想以上に大きな地響きを立てた影は、はたして人の形をしているようだった。
当然、人間では有り得ない。何せ身の丈ざっと十五尺……妖忌の倍以上もある。
そのくせいやに細い両腕には、岩でも真っ二つに出来そうな西洋剣をそれぞれ握っていた。なんとも大妖怪に似つかわしい得物ではあるが。
大の字に転がった影に素早く飛び乗り、妖忌はその喉元辺りへ刀を突きつけた。
「悪く思うな」
言葉はむしろ穏やかに。
柄を握る手を緩めることなく、肩へぐっと力を込めた瞬間。冷たい風に雲が割れ、射し込んだ月明かりが影の姿を照らし出す。
そして。
あらわになった敵の姿に、妖忌は不覚にも、一瞬呼吸を止めていた。
朧な月光に暴き出された妖怪は――よもやそう呼ぶことがあるとは思わなかったが――可憐であった。
蜂蜜色の長い髪を仄かに輝かせ、こちらを見上げる顔は自然のものでは有り得ぬ精緻な造作。
玉瑠璃の瞳は状況を把握しているのかいないのか、ぱちくりと子供じみて瞬いている。
不自然なほど整えられたその白貌は、まるで。
「人形……か?」
きりきりと、部品の擦れる音を立て瞬きする巨大な物体を見下ろす。
草鞋が踏んだ感触は明らかに生物のそれであったが……こうして目の当たりにしてなお、感じる気配はひどく稀薄だった。
だがこんな精緻で巨大な人形を造れる人物がいるとも、その人形に武芸者を襲わせる理由があるとも思えぬ。
あまつさえその攻撃物体がフリルたっぷりのエプロンドレスを着ている理由となれば、これは皆目見当がつかない。
突きつけていた切っ先を僅かに引いて、妖忌はばりばりと頭を掻く。
「一体どうなっている。人形、口がきけるのなら、なにか喋ってみせよ」
人の形をしている以上、ものを言うこともあるだろう。ともすれば意思の疎通が図れる可能性もあった。
刀を握る手を緩めず、妖忌は踏みつけたままの人形を睨む。
巨大人形はしばし、彼の言葉を吟味するように瞬きをしていた。
再び月へ雲がかかるほどに時間をおいてから、人形の唇が微かに動く。月光の加減か、静かな笑みを浮かべているようにも見えた。
僅かに身を屈め、妖忌は言葉を聞き取ろうと耳を澄ませる。
そして、
「――――バカジャネーノ」
「てい」
間髪入れず、人形の額を峰打ちに引っぱたいた。
『野苺と剣侠ロケット ~SAMURAI,Addio~』
事は、昼まで遡る。
■
剣士という仕事は存在しない。
剣は職能ではなく生き方のひとつに過ぎぬ。少なくとも、戦乱の影もないこの幻想郷に剣術ひとつで生活を立てる気であれば、選べる道は限られていた。
物売りの護衛。用心棒。あるいは短絡に、脛傷者の悪漢に堕ちるか。いずれ男子一生の道と胸を張れる仕事ではない。
とはいえ、まずは糊口が凌げるのなら結構なこと。やくざ仕事にすらありつけねば、剣士はどうなってしまうのか。
その端的な解答が、即ち、魂魄妖忌その人であった。
「むう」
街道筋の腰掛け茶屋。
その店先で、夏の訪れを感じさせる清々しい風にひたりながら、呻く妖忌は陰気な顔。
手元にはくたびれた財布。
傍らに置かれた団子と番茶の代金を払った今、完全無欠の空っケツ。最早ただの布袋に他ならぬ。
何かを誤魔化すように茶をすすり、彼は独りごちた。
「生活とは、斯くも難しいものだったろうか」
「あんたが勝手に難しくしているだけだろうに」
ふと。
横合いから声をかけられ、妖忌はちらりとそちらを見た。
誰もいなかったはずの椅子に女が腰掛けている。
長身の女であった。下駄の高さを勘定に入れてもなお高い。組んだ膝に頬杖を突き、にやついた顔でこちらを見ている。
その顔を――というよりは奇妙な意匠の着物と、傍らに立てかけた巨大な鎌を見て、妖忌は渋い顔をした。
「まだお前に目をつけられるほど餓えてはおらん」
「まだ、ね」
刺々しい物言いを気にも留めず、女は歯を剥いてみせる。
仏頂面を深めると、妖忌は湯飲みを置いて腕を組んだ。
「団子が不味くなる。サボっとらんと仕事に戻れ、死神め」
「へん。サボる仕事もないジジイが、笑わせるじゃないか」
ほっとけ、と吐き捨て妖忌は顔を背けた。いい加減に長い付き合いだが、口で勝てた試しはない。
ますます笑みを深めるこの小娘――小野塚小町は、彼岸の死神である。
かつて妖忌が冥界に住んでいた時分、主の仕事の筋で顔を合わせる機会があったのだが……腐れ縁と言うべきか、冥界を出奔してからも度々こうして出くわしている。
見た目こそ孫ほども歳の離れていそうであるが、妖忌がまだ尻の青い少年のころに初めて会った日から、彼女はずっと同じ姿のままだ。
「孫は立派にお務めしてるってのに。なんていったっけ、ほれ」
「妖夢か」
「そう。あの子の半分も甲斐性がありゃ、仕事なんざいくらでも転がり込んで来そうなもんだ」
ぽんと膝を打つ小町を肩越しに見てから、妖忌は団子を一つ囓った。粉を丸めただけの素団子だが、これで中々味がある。と、思うことにする。
「にっちもさっちもいかなくなったら、素直に古巣へ帰んなよ。あの子はあんたを責めやしないさ」
「だから戻れんのだ」
「難儀なジジイだね」
呆れた風に言い捨てて、死神が俄に双眸を細めた。
途端、気のせいか――いや間違いなく。空気が、微かに冷え込んだ。
「その難儀な御仁に、朗報だ。仕事をひとつ世話してやろう」
「…………」
土が鳴く。
草鞋を擦って、即座に立ち上がれるよう体重を移す妖忌に、小町はひらひら手を振ってみせた。
「そう急くない。お上の仕事だ、聞いて損はない話だよ」
「閻魔の仕事は割に合わん」
呻き、ぬるくなった茶をすする。
幻想郷の大閻魔――四季映姫・ヤマザナドゥには昔、幾度か手間取りを任された事がある。転生のサイクルを乱す性質の悪い自縛霊や、地上へ彷徨い出た怨霊を斬って回るという、苦労と面倒の割りに手当の吝い仕事であった。
「こちらは明日にも食い詰めようというのだ。飯の種にもならん話に割く余裕は一切ない」
「……あんた、お屋敷を出てから年々しみったれていくねえ」
多分に呆れた半眼の小町に反論は出来ず、無言で視線を逸らす。
その横顔をしばし睨みつけてから、彼女は改めてニヤリと笑った。
「心配御無用。雇い主は閻魔個人じゃない――――更にその上、是非曲直庁だ」
「なに?」
「金の臭いがしてきたろう」
思わず振り向いた妖忌に、死神、ぱちんと片目を瞑り。
燕が獲物を攫うような手付きで妖忌の団子を一本取り上げると、急に声を落として囁いてくる。
「『キツネ憑き』の噂は聞いているかい?」
「む…………」
近頃、奇妙な噂が巷間を騒がせている。
一部の妖精や低級妖怪が「凶暴化」し、人間や他の妖怪達に見境無く襲いかかっているのだとか。
力の弱い連中のこと、未だ大した騒ぎではなく、覚えのある人妖によって鎮圧されているらしいが……その現象は幻想郷全土で確認されていた。
定石通りの決闘法、スペルカードルールにも従わず、何かに取り憑かれたように暴れ狂う彼らを、人々は「キツネ憑き」だと噂しているのだ、が――
「あんたにゃ分かるだろうが、騒動のネタは、キツネなんかじゃあない」
「で、あろうな」
キツネ憑き、という霊障がどだい、悪霊に取り憑かれたという「思い込み」に過ぎない。
真っ当な妖狐なら人になど憑かず、妖術を以て手ずから心を誑かすものさ――とは、ある式の語り口であるが。
重々しく答えた妖忌へ、小町は満足げに笑み返す。
「しかし、それじゃあなにが原因なのかと言われちまえば……なにがなんだか、と答えるしかないんだ、これが」
「ふん。本当にキツネに憑かれたのかも知れんぞ」
「可能性はあると思っていたよ――――『憑かれた』連中の、魂を見るまではね」
団子の串を軽く噛み、死神、溜め息混じりに頭を振る。
「無惨なもんさ。連中の魂はひとつッきりも例外なく、ぼろぼろに傷ついていた」
「魂が、傷つくと?」
「意に沿わぬ暴威に走らされたせいさ。あまりにひどく傷ついた魂は三途の河も渡れない……消滅するしかないんだよ」
怪訝顔で視線を投げる妖忌に、小町は小さく肩をすくめた。
「妖精はともかく、妖怪連中は、輪廻の環に戻ることも出来んだろうね」
「……由々しいな」
「由々しいさ、彼岸と此岸の魂の均衡が崩れてしまう。そもそも魂を弄ぶような真似が――」
ぱきん
食べ終わった団子の串をへし折って、小町が笑顔を消す。
「――だいぶん、気に喰わん。胸くそが悪くなる」
「真っ当な死神のような物言いだ」
「職務熱心がチャームポイントでね」
二つに結った髪を掻き串を吐き捨てる小町を、じろりと見返し。
最後の団子を皿に置き、妖忌はくたびれた袴の脚を椅子へ乗せた。
「話が見えんな、小野塚。『キツネ憑き』の原因を調査しろとでも?」
「そいつはこっちで探りを入れる」
こちらに合わせて椅子に脚を乗せ、彼女はぐいと顎を突き出す。
「ジジイ。あんたの仕事は、掃除と救済だ」
瞬間。
言葉の意味を察して渋面を造る妖忌を見て、彼女は胸を指で突いてきた。
彼岸花のような紅髪がくすぐるように鼻先を掠める。
「魂の傷は、どうしたって癒やしてはやれん。『憑かれ』ちまった時点で手遅れだ。してやれるのは……なるたけ早く、苦しみから解放してやることだけなんだよ」
「……それは」
「そう。つまり、あんたは」
――――連中を狩り出して、斬れ。
風が白髪を撫でて行くのを、妖忌は押し黙ったまま意識していた。すっかり冷めてしまった茶には手を伸ばす気になれぬ。
「原因が分からんことには、時間稼ぎになるかも怪しいもんだがね。『憑かれた』連中を捨て置くのはうまくない」
「…………」
「嫌な目をおしでないよ。お上も、あんたが憎くて汚れ仕事をさせようって訳じゃあない」
憮然顔を解かない妖忌に肩をすくめ、小町はひょいと身体を離した。
「なにせ分からんことだらけだ。相応の腕っこきでなけりゃ、この事態は任せられないのさ」
「老骨を引きずり出す前に、動かすべき者があろうが」
幻想郷に度々起こる、『異変』と呼ばれる特異事態。その解決に臨む者は少なくない。
専門家たる博麗の巫女を筆頭に、腕に覚えのある人妖が興味本位に乗り出す事も多い。未熟者の我が孫にすら心得があると聞く。
殊、此度の『キツネ憑き』は顕界の魂の均衡を乱しかねない凶事。
ならば必然、「彼奴」が動く。
「八雲紫はなにをしている。異常は彼奴の専門だろう」
「あっこのスキマにゃボスが直々に声をかけてるよ。……『この件には、決して関わるな』、ってね」
「なに?」
答える小町に、妖忌は思わず困惑顔を向けた。
妖怪の賢者――スキマ妖怪・八雲紫は、神格と比して尚遜色のない力を持つ大妖である。
半ば全能にも近い彼女の介入を禁じるとは、いかにも平仄の合わぬ話であったが……
「用心だよ。なにが原因で『憑かれ』るのか、なにも分かってないからね。万一スキマが『憑かれ』て暴れ出したら、あんたアレを止められるかい?」
「……私とお前が千人ずつ、束になっても敵うまいな」
「同感だ。同じ理由で、博麗の巫女にも動いて貰っちゃあ困る」
あれはアレで結界の要だからね、と鼻を鳴らし。
凝りをほぐすように首を回しつつ、彼女は後を続けた。
「とにかく身動きがとれないのさ。現状で積極的に動かせるのは、魂の制御・自律が商売のあたいら死神くらい――」
「若しくは」
まだ口を閉じていない小町を遮り、被せるように言葉を差し込む。
鼻白んだように押し黙る死神娘をひたと見据え、妖忌は責めるでもなく平板に呟いた。
「なんとなれば切り捨てるも容易な、捨て駒という訳か」
「話の早いジジイは好きだよ」
即座に言葉を切り返し。
乱暴に頭を掻いて、小町は砂を噛んだような顔をする。
「察しの通り。『憑かれた』連中を片付けるに充分な腕があり、万一のときは始末しても惜しくない人材。……ジジイ。あんた本当に、恰好の駒なんだ」
「…………」
「もちろん手当は相応に出す。心持ちは悪いかも知れんが、あんたをアテにしているんだよ」
ばつの悪い顔で呻きながら、小町が指で示した数字は、成る程。大した額だった。
それが必ずしも命と引き合う訳ではあるまいが、妖忌の思案の内にあったのはそんなことではない。
剣は生き方である。
振るう一閃には意味があり、そこには己の真実が映る。
かつて主を護るべく振るった妖忌の剣に、迷いはなかった。曇り無く、迷い無く、歪み無く研ぎ澄まされた鋼そのものであった。
だが今は、どうだ?
仕えるべき主を自ら投げだし、流浪に身をやつし幾年月。剣士一介とは、冗談にも胸を張れぬやくざ仕事で漸う食い繋ぐ日々。
老いと共に身体は衰え、浪人暮らしに腕は錆び付くばかり。残っているのは腕の伴わぬ心得だけだ。
両目を伏せ、大きく息を吸う。
その仕草をどう取ったか、死神が目を尖らせ、釘を刺すように言い添えてきた。
「なあ、仕事を選べる立場ではないだろう? 剣士としちゃ、あんた、とうに盛りを過ぎてる」
早口気味に言ってから、彼女は、ぬっとこちらに詰め寄ってきた。きつく細めた双眸が説き伏せるように妖忌の瞳を覗き込む。
「あんたは生粋の剣客だ。だんびら商売が、泥水を避けてちゃあ立ちゆかんよ」
「…………」
「ヨゴれも殺しも生くる術さ。躊躇うな、剣を執れ。いいかい、こいつはあんたを思えばこそ――」
「分かっている」
尚も言い募ろうとする小町を、掌を見せて押しとどめ。
妖忌は低く押し殺した声を上げた。舌に苦みを覚えるが、迷いはない。
「剣の穢れを厭うて浪人暮らしは務まらぬ。……案ずるな。血も泥も、全て啜って生きてきた」
「……あん?」
渋ッ面ながら淡々と言う妖忌に、死神が怪訝そうに眉根を寄せた。
しばし虚空を睨んだ後、小娘然として首を捻り、
「じゃ、なにが不満なんだい。意味ありげに黙っちまうから、剣士の誇りに懸けて云々とでも言い出すのかと思ったよ」
「誇りなんぞ叩けば落ちる」
「そこまで露骨に擦れッ枯らさんでも」
「小野塚よ」
重々しく呟き、妖忌は促すように傍らへ視線をやる。
椅子に立てかけられた、古い一振りの打刀。
孫に託した極致の銘刀――剛剣・楼観、玉刃・白楼の二振りとは比べるも愚かしい、くたびれた数打物だ。
言うなれば、この三文刀は妖忌自身であった。
手入れもままならず朽ち折れるのを待つばかりの、見窄らしいなまくら――
自嘲めいた思いつきは胸中に封殺し、再び視線を死神へ戻す。
「いまは、これが私の剣だ。刃は曇り歪んでいる。ひと筋、斬り違えれば自分の手を落としかねん悪刀よ」
「……剣は己の真実を映す。あんたの言葉だっけね」
憎い敵でも見るように刀を睨めつけ、小町が唇を突き出す。
小さく舌を鳴らしてから、彼女は苛立たしげに頭を掻いた。
「これが、あんただと言いたいのか? このオンボロ刀が。かつて冥界に並ぶ者無しと謳われた剣士――魂魄妖忌の真実だと」
「然り」
俄に気色ばむ小町に、頷く妖忌はあくまで平静。
血色の良い顔が激憤の余り白くなるのを見、彼は静かに言葉を押し出した。
「この刀はオンボロだ。物を斬るのに役立たぬでは、日陰仕事もままならん。わかるな?」
「……、あん?」
「死神よ、口入れとしては未熟に過ぎる。いまの私を動かし得るたったひとつの勘所になぜ触れぬ」
辛抱強く噛んで含めるように言い重ねると、彼女もひとまず怒りを収めたようだった。口を噤み、視線を落として考え込む。
待つこと一分余り。
顔を上げて胡乱な眼差しを向けると、小町はやにわ懐に手を突っ込んだ。
探り当てたのは革の財布。私物なのか、意外と可愛らしい刺繍のそれから幾許かの銀をつまみ出し、
「これで足りるかい」
「やればできるではないか」
「前金が欲しけりゃそう言やいいだろう」
じっとりと半眼を造る小町に構わず、妖忌はいそいそと銀を袂へ仕舞い込んだ。
刀は研ぎに出すか、いっそ買い換えてしまうべきか考えながら、残りの団子とお茶を忙しなく片付ける。
それを最早眺めもせず、死神は下駄を鳴らして立ち上がり、立てかけていた大鎌を肩に担ぎ上げた。
「払いは五日毎、あたいがお上から預かってくる。監視をつけるわけじゃあないが、あまりに『憑かれ』た連中を抑えられんようなら手当はそれなりに考慮するよ」
「うむ。……時に、お前はどうするつもりだ?」
「『キツネ憑き』の原因を探らにゃあならん。……あたいが明日にでも事態を解決しちまえば、前金は返して貰うからね」
「なら心配には及ばんな」
「へん。憎たらしいったらありゃしない」
「気をつけよ」
「こっちの台詞さ」
くるり、軽やかに踵を返し。
背中越しにひらひら手を振る小町の姿は、瞬き一つする間にふいと消え失せていた。茶屋に面した街道は平坦だが遠目にも姿は見あたらない。
下駄の跡だけ残してかき消えた死神に慌てるでもなく、妖忌は湯飲みを置いて自らも椅子を立った。
三文刀を帯に差し、柄頭に手を添え独りごちる。
「確か、峠を騒がせている妖怪の噂があったか――」
その妖怪が『キツネ憑き』とは限らぬが、どのみちドブをさらって鼠を駆除するような仕事だ。可能性を嗅ぎ回り、片端から潰していく他あるまい。
尾羽打ち枯らした素浪人にはいかにも相応しい汚れ仕事だが……その事には、取り立てて感慨もなく。
乾いた息を一つつき、妖忌は噂の詳細を確かめるべく人里へ向かって歩き出した。
■
斯くて、人里で話を聞き込み、刀が研ぎ上がるのを待って水場へ入ったのが夜半前。
雲はいつしか疎らになり、薄ぼけた月明かりが辺りを照らしていた。草葉の陰から、こちらを窺う小動物の気配も在る。
その静かな夜の中心で、魂魄妖忌はただただ困り果てていた。
「ショウブアリー」
「…………」
草の上に胡座を掻き、妖忌は「それ」を見上げる。
少女型巨大人形――
つい先刻、妖忌の背丈ほどもあろうかという巨剣を振り回し襲いかかってきた、悪い冗談としか思えないその物体は、今は妖忌と差し向かいに座り込んでいた。
二本の得物は傍らに横たえ、ぺたんとあひるさん座り。……構図だけ見れば大変可愛らしいが、いかんせん図体の迫力が勝りすぎる。
どうしたものかと腕を組む妖忌に、巨大人形は両手をスカートの上に揃えてぺこり、頭を下げた。
「マンシンソウイー」
「……左様か」
何となく会釈を返しながら、負けを認めたという事で良いのかなとぼんやり考える。
巨体の重量と突進の速度を利用し投げ飛ばしてやったというのに、この人形には損傷らしい損傷がない。峰打ちにした額にも跡すら付いていなかった。
何一つ満身創痍には見えなかったが、本人がいうならそれで良かろう。問い質すべきは別のことだ。
肩を揺すって座り直し、妖忌はしかめ面で訊ねる。
「何者なのだ。ここで武芸者を襲っていたのはお前であろう」
「ゴリアテー」
「妖怪ではあるまい。しかし、絡繰り人形にしては巨大で、精密すぎる」
「ゴリアテー?」
「人形が『憑かれ』る訳もあるまい。一体、ここでなにをしていた?」
「ゴリアテー!」
「なるほど」
皆目分からぬ。
ぱたぱたと両腕を振り回し、見た目にそぐわない――あるいはこの上なく見た目相応に――鈴のような声で鳴く巨大人形を、妖忌は半眼で見上げる。
察するに、先程から連呼しているのはこの人形の名前なのではあるまいか。
ゴリアテ。
強靱で俊敏なこの物体を象徴する意図でそう名付けられたのであれば、さては、この人形は――
「ゴリラの人形か」
「バカジャネーノ」
違うらしい。
頬を膨らませ、きゅっと眦を吊り上げる様などは本当に生きているような精巧さだ。
とりあえずこちらの言葉は理解できるらしい。妖忌は憤慨する推定・ゴリアテに掌を向ける。
「ともあれ。先の剣を見るに、武芸者を襲っていたのはお前であろう」
「ゴリアテー?」
「目的は知らぬが、このままでは遠からず自警団か巫女にとっちめられようぞ。早々に止めておくのが賢明だ」
「トッチメ、ヤメルー」
「うむ」
思いのほか素直に挙手する巨大人形に、潔し、と頷き返しておく。
仕事は空振りだが、これで水場を訪れる者が襲われることも無くなるだろう。
ささやかな満足を噛みしめると、妖忌は袂に腕を引っ込め立ち上がった。
「近頃は物騒だ。『キツネ憑き』になど出くわさん内に、主の元へ帰るのだぞ」
「ゴリアテー!」
縮尺さえ無視出来れば額縁に入れておきたくなる程の美貌に、ぱっと笑顔が浮かぶ。
いかにも人形らしい穢れない笑みに肩をすくめ、妖忌は踵を返し歩き出した。
「図体はでかいが、あれでは子供と変わらんな」
巨大な体躯、精緻な外見に幼い中身。まるきりチャンバラ殺法ながら途轍もない豪剣を振るう少女人形。
一体何を考えてこうも奇天烈な代物を造り上げたのか、興味がないではなかったが……
そこまで考えたところで森が切れる。真夜中を過ぎた街道に人影はない。
――今夜は宿をとり、明日は山の方へでも脚を伸ばすか。
久し振りに畳の上で眠れるかと思えば、自然と心も軽くなる。月明かりが照らす街道を颯爽と歩き出しかけた、その時。
背後で、茂みを掻き分ける音。
否。茂みのみならず、木立の葉が擦れている。地面すら微かに揺れていた。
ややあって低木の間から、巨大人形の首がぬっと突き出す。
「ゴリアテー」
半眼で見上げる妖忌へ手を振ってくる。
思わず手を振り返している間にも、人形は梢を押しのけようとしていた。裾でも引っかけたのか、ひとしきりもぞもぞと暴れてからようやく道へ出てくる。
あちこちに木の葉のついた物体をしばし見やり、なるほど、と頷き。
「挨拶がまだであったな。天晴れ、義理篤き人形だ」
「アッパレー?」
「これにて御免。気をつけて帰るが良い」
「キヲツケー」
意味を履き違えたらしく背筋を伸ばす人形に一礼して、今度こそ里の方へ歩き出した。
歩く、歩く、歩く。
歩くほどに背後から迫る、巨大な音と震動。
「……?」
振り返る。
その巨躯を淡い月影に晒し、金の燐光を帯びた人形がこちらを見下ろしていた。
再び無言でその目を見つめてから、妖忌は何も言わず歩みを再開した。今度は心持ち早足気味に。
すたすたすた。
ずんがずんが。
「…………」
振り向けば、変わらぬ間合いに巨大人形。こうして見ると全体にメルヒェンな造作の中、腰の後ろへぶっちがいに帯びた諸刃の大剣がいかにも厳めしい。
しばし考え、妖忌は先を譲るように道を退く。
人形はきょとんと首を傾げると、倣うように道の端へ寄った。
見上げる。じろり。
笑み返された。にぱ。
「ふむ」
髭を撫でる。
風音に揺れる夜気に身を任せ、押し黙ること鼓動で百。
百を数えるその間、静か、静かに呼吸を廻らせ、気取られぬよう丹田に力を込めてゆく。
十二分に勁力を蓄えた所で――妖忌はぎらり、瞳を研ぎ上げた。
草鞋が焦げるほどの速度で前へ踏み込み、その勢いを殺さず身体を回転。抜き打つように夜空を指差し、喝声鋭く気合いを発す。
「やや! 空を飛ぶ不思議な巫女!」
「ミコッ!?」
つられた人形がそちらを振り向いた瞬間――妖忌は全力で地面を蹴った。
弩の弦を解き放つように、全くの零から最大速度まで加速した身体が街道を駆け抜ける。
夜風そのものと化した妖忌は……ややあって、ふと視線だけで背後を窺った。
「ミコー! イナイー!!」
そこには案の定、何故か楽しげに叫びながら追走してくる人形の姿があった。巨大な身体で地面を揺るがし、妖忌の俊足に遅れずついて来る。
成る程、この程度なら苦もないか。
小癪千万。刀を押さえる手に力を込め、妖忌は横っ飛びに道を飛び退いた。
跳んだ先は、沢を見下ろす切り立った崖。だが人形も躊躇いなく崖へ身を躍らせたようだった。沢に落ちる巨影でそれが知れる。
――よかろう。その図体でどこまでついてこられるか、試してみるが良い!
喉の奥で唸るように声を潰して。
岩肌を削って滑り降りてゆく巨大人形を横目に見ながら、妖忌は呼吸を止め、雄鹿の如くに崖を蹴った。
果たして二人が脚を止めたのは、曙光が東の空に輝いてからであった。
「……不覚」
ムキになりすぎたな、と忸怩たる思いで認めながら、白み始めた空を睨む。
全身を疲労に縛り付けられ、沢の大岩へ大の字に寝そべるのは、存外心地の良い物だったが。
「ゴリアテー……」
水縁では巨大人形が、やはりぐったりと俯せになっている。人形も疲れを感じるのかは分からなかったが、夜通し走り続けていればうんざりもするだろう。
軋む身体をなんとか起こし、妖忌は懐から取り出した手ぬぐいを沢の水に浸す。
「お前のせいで無意味に疲れてしまった」
「オツカレー」
額と首筋を簡単に拭いながら、巨大人形の方を振り返る。疲れ切った表情すら造り、人形は子供じみて呻いた。
頭を振って、妖忌は岩の上へ胡座を掻く。
「相分かった。お前は、私に用があるのだな?」
「ゴリアテー」
俯せのまま器用に頷く人形に、うむと首肯を一つ返し。
「こちらもいまは多忙の身。手短に済ませるなら訊いても良い」
「テミジカー?」
「用件を簡潔に纏めて話せという意味である」
「カンケツー……カンタン?」
「そう、簡単にだ。実に物分かりが良いぞ。では話すがよい。さん、はい」
「ゴリアテー」
「絞め殺してやろうか貴様」
わきわきと両手をわななかせるが、人形は得意満面に微笑み返している。
とりあえず悪気はないのだという事だけは如実に分かり、妖忌はやるかたなく溜め息をついた。
理由は分からぬが、この巨大な物体は自分の後について回る腹積もりのようだ。
「参ったな」
このまま、死神に回された「仕事」へ赴くのは得策ではない――いつまた、あの豪腕と速度で背後から襲われるか分からないのだ。
最悪、脚の一本もへし折ってやろうかとも考えたが、この頑強な人形を動けなくなるほど傷付けるのは容易ならぬ事と思われた。
腕を組み、背中を丸める。
人形は相変わらず俯せのまま、鼻先に登ってきたトカゲをぱちくりと見つめていた。と。
こちらの視線に応じたわけでもあるまいが、人形は不意に身体を起こし、慌てて飛び降りたトカゲにも目をくれずその場に座り込んだ。
「どうした」
怪訝に思い、声をかける。
だが物体はぺたんと尻をついたまま、いかにも人形然とした無表情で虚空を見上げていた。
――剣を取り、静かに体重を移す。
指一本、視線の一つでも腰の得物へ向かえば即座に斬りかかれるよう意識を研ぎ澄ませ、巨大人形の挙動に目を配る。
沢の流れる音が静かにさざめく。
冷たい朝の空気へ、溶かすように呼吸を押し出した、その瞬間。
……ぐゎらげろごろごろぐごらがぐげらぐぁッ!
「ぬお!?」
突然辺りに轟いた怪音に、思わず岩から滑落しかけた。
慌てて踏みとどまってから音のする方を見れば、巨大人形が困ったように眉根を寄せていた。
「ハラペコー」
「腹の虫かッ……いや! 腹の虫、なのか!? どうなのだ、それ!?」
どう指摘したものか計りかね、妖忌は困惑して怒鳴る。
金屑を大窯で煮立てるような怪音は、明らかに巨大人形から聞こえてくるが……
「人形の分際で腹が空くとは面妖な」
「ハラヘリヘリハラー」
とはいえ、そもそも尋常の人形であればこうも巨大である必要はないし、まして戦闘機動が可能である必要もない。
端から埒外の物体を常識で計っても詮無い話だ。腹が減ったと言うからには、腹が減るものなのだろう。
剣から手を離し、妖忌はうんざりと頭を掻いた。
「……よもやと聞くまでもなかろうが、その音を鳴らしながらでもついてくるのであろうな」
「ゴリペコー」
「混ぜるな」
頷く人形をたっぷり睨み返してから…………観念し、袂へ手を入れる。
取り出したのは、笹の葉でくるんだ握り飯。
一抹、未練の視線を落としてから、妖忌はそれを人形の手へ放り上げた。
「……里の飯屋が心意気で包んでくれた麦飯だ。その図体には到底足るまいが」
「? ゴリアテー?」
「さっさと喰え。こう喧しくては、厄介払いの算段も纏まらぬ」
受け取った包みとこちらを不思議そうに見比べる巨大人形に、妖忌は嘆息混じりに頭を振った。
――曇ったな、魂魄妖忌。
己の甘さに舌打ちする。あの人形の事を気に懸けねばならぬ理由は無いはずだ、が。
(ふん)
昨晩からの僅かな記憶――無邪気な子供そのものの笑みを浮かべた巨大人形の姿が脳裏を過ぎり、妖忌はしかめ面で肩をすくめた。
剣は生き様、士はこころ様。
腹を空かした童を捨て置く程には、自分はまだ「剣士」を捨ててはいなかったという事だろう。
人形はしばし掌を見下ろしていたが、やがて恐る恐る、と言った風に笹の包みを解く。
そして、その手に載ると小粒の団子のような握り飯を、慎重に口へ運び――
「――――――ペッ」
「貴様という奴は!」
即座に握り飯を吐き出す人形の身体を駆け上り、鞘ごと抜いた刀で脳天を引っぱたく。
ぱかん、といい音を鳴らしつつ、妖忌はそのまま蜻蛉を切って着地した。
「もう勘弁ならん、性根を叩き直してくれる!」
「アレ、イヤー! ゴリアテ、ハラペコー!」
「こっちこそ餓えて死ぬわ! 米一粒に七人の神様がおるのだぞ、お前いま何人殺したと思っとる!?」
「イヤー!」
最後はちょっと涙すら滲ませて地団駄を踏むが、人形は頑なに首を振るばかり。怪音もまったく鳴りやまぬ。
――とんだ厄種を背負い込んだ。
己の不運やら、我が儘な巨大人形やら、運命の苛酷さやら、八つ当たり気味に赤毛の死神までも呪いつつも、ともあれ気を落ち着ける。
激するに任せて人形をとっちめても腹は膨れない。幸い、死神からせしめた前金はまだ幾許か残っていた。つましく過ごせば次の払いまでは食い繋げるやも知れぬ。
……問題は、それまでこの騒音物体を連れ回さねばならないということだ。
もはや遠慮もなく険悪な目付きで睨みつけてやると、巨大人形はかくんと首を傾けた。
「ハラペコー」
「黙らっしゃい」
「ハラペコー。ハラペコー。ペッコペコー」
「歌うな」
意外と余裕がありそうだが、腹の虫(と思しき)怪音は静まる様子もない。ぐゎらげろごろごろぐごらがぐげらぐぁ。
何か妙案を捻り出そうにも、こう喧しくては纏まる考えも纏まらない。
苛々と辺りを睨めつけて――ふと、妖忌は視線を止める。
沢の傍、川風に揺れる下生えの合間に一瞬、赤い色が覗いた気がした。
眉を寄せて茂みへ立ち入れば、それは木の実だった。緋玉の粒を留め集めたような球状の果実は、
「草苺か」
見回せば、背の高い下生えに紛れ幾つもの苺が実を結んでいた。
まだ季節には早いはずである。一粒を摘んで囓ってみるが、やはり熟しておらず、強烈に酸っぱい。余程せっかちな性分の株だったのだろう。
しかめ面で果実を吐き出した所で、茂みの向こうから巨大人形の声。
「ハーラーペーコー!」
「ええい、やかましい。これでも喰って思い知れ」
駄々をこねる物体へ怒鳴り返し、妖忌は酸っぱい苺を一粒、放り投げる。
苺は宝石じみて朝日に輝き、雛鳥のように開いた人形の口に吸い込まれていった。
その巨躯では薬丹を飲むのと大差はなかったろうが……白い喉が鳴り、苺を呑み込んだ途端、人形から発せられる怪音がぴたりと止まった。
「――む?」
「ゴリアテー」
思わず訝しんでいると、人形はぱっと笑顔を浮かべる。
試しにもう一つ苺を摘み、放ってみた。人形はそれを器用に口で受け取り、ますます御機嫌になってゆく。
犬でも餌付けしている気分だったが、ともあれ静かになったことは間違いない。
どっと疲れて、妖忌は茂みの中に座り込んだ。
「分からん奴だな、お前は」
「? ゴリアテー」
にこにこと微笑む人形へ投げやりに手を振り、長々と息をつく。
――せめて此奴の目的が分かればな。
何をせんとして自分につきまとうのかさえ分かれば、適当にあしらって追いはらう事も出来るかも知れぬ。
無論、ろくすっぽ言葉を話せないこの物体からそれを聞き出すのはかなりの難関であろう。
いっそ頭をかち割って直接中を覗いてみれば早いかも分からんな、と物騒な事を考えて……ふと。
「…………、?」
何かが頭に引っかかった。
――手繰り寄せるのは古い記憶。
遠い昔に主か、その友人だったかに訊いた、とある妖怪の話。
かつてその力を疎まれ地底へ去った種族の一つ。
怨霊すらも畏れ怯む、その妖怪は――
「そう、か。その手があった」
膝を打って、妖忌は勢いをつけ立ち上がった。
心細く鳴いた腹は意志の力で屈服させ、巨大人形を振り返る。
「物体よ。お前の望み、叶えられるかも分からんぞ」
「ウマウマー」
「いつまで喰っとる」
もそもそと苺を摘んで頬張っていた人形を手刀で叩き。
辺りの地形と太陽の位置から大まかな居場所を推し量って、茂みを掻き分け歩き出す。
巨大人形が器用に梢を潜ってついてくるのを確認し、妖忌はふと思い立って訊いてみた。
「お前、空は飛べぬか? 少し距離のある場所へ行きたいのだ」
「ゴリアテー」
困ったように呻き、人形はふるふる頭を振る。
元より、この図体で天狗のように飛び回る事を期待していた訳ではないが……そうか、と息をつく。
「私も飛行術は不得手でな。こればかりは孫にも後れを取る体たらくよ」
「ドンマイ」
「やかましい」
軽く言い放つ人形に呻いて、妖忌は歩調を早めた。
溜め息混じりに頭上を見上げ、渋い顔で梢を見透かす。
「かなり歩く事になるぞ。ここからではいささか遠い」
「トオイー、ドコー?」
「その物体頭の中身を覗ける者のところ――」
無意識に声を低くして、妖忌は僅かに双眸を細めた。
向かう所は愉快な場所ではない。棄てられ、嫌われた者達が集い暮らす場所。
即ち、
「――旧地獄。覚り妖怪の棲処だ」
■
地底へ続く縦坑は、覚悟していたより随分と広かった。
妖忌自身は言うに及ばず、巨大人形が大剣を担いだまま下る余裕がある。この分ならもう一体同じ人形が居てもつかえはしないだろう。
どこまでも続く暗闇の中心を見据え――妖忌は、適当な岩棚に飛び降りて脚を止めた。
「まだ先は見えんな。地獄へ繋がっているという話も頷ける」
「ゴリアテー」
「お前は足を踏み外さんようにだけ気をつけていろ」
にべもなく言い捨て頭上を見上げる。
岩壁を、巨大人形ががさごそと這い降りてきていた。流石にこの巨体で、底の見えない坑へ飛び降りるのは無謀に過ぎる。
しばし待ち、瑠璃玉の瞳が自分の顔の高さまで降りてきてから妖忌は呟いた。
「ちゃんと足下が見えておるのだろうな」
「ミエミエー」
「……転げ落ちても支えてはやらんぞ」
頭を振って、妖忌はつと視線を宙へ向ける。
そこには大きな人魂が浮かび、尾に吊した角燈で暗闇を照らしていた。
無論、奇特な迷い幽霊ではない。半人半霊――人と幽霊の境界を生きる魂魄妖忌、その半霊である。
半霊をやや下へ先行させ、妖忌は岩を蹴り人形の肩に飛び乗った。
「急げ、先は長い。足下は照らしてやるほどに」
「……ズルッコー」
「口より足を動かすのだ」
不服げに口を尖らせる横に胡座をかき、のんびりと脚を揉みほぐす。昨夜から走り通しの跳ね通しだったため、そろそろ疲れが溜まっていた。
尚も続く文句は軽やかに無視し、妖忌は腕を組んで狸寝入りを決めこんだ。
とりあえずは人形に振り落とされることもなく、しばし、静かに坑を下ってゆく。
狸寝入りを止めて辺りを見回していた妖忌は、ふと気付いて双眸を細めた。
――何かがいる。
腰の刀へ手を伸ばし、彼は鋭く囁いた。
「止まれ」
「レンコン!」
「しりとりではない」
しかも負けとる。
律儀に指摘してから、妖忌は壁沿いに飛ばしていた半霊を坑の中央へ浮かべた。灯りに浮かび上がる岩肌に別段、変わったものは見えなかったが……
ようやく脚を止めた人形から手近な岩に飛び移り、声を張り上げる。睨むのは頭上――たった今通り過ぎた大岩の陰。
「奇襲は出来んぞ。この距離であれば、何をされても先手をとれる」
「ゴリアテー?」
応えた声は間抜けな人形のものだけだったが、ややあって岩の陰から何者かが這い出してくる。
その数二つ。一つはトカゲのように岩肌へ貼り付き、もう一つはするすると宙を滑り降りてきた。
角燈の灯りに照らされた両者の姿を見、僅かに目を細める。
「土蜘蛛に……釣瓶落としか」
岩肌からこちらを睨む少女と宙に浮く桶を交互に見やり、妖忌は溜め息をついた。
見た目は子供と変わらぬが、いずれ劣らぬ危険な妖怪。縄張りに踏み込んできた妖忌達へ向ける目は、厳しい。
不思議そうに瞬きする人形の額を軽く叩き、妖忌は声低く訊ねた。
「我等は用向きあり、地底の旧都を訊ねるところ。お前たちはこの坑の番人であるか」
「地上の者は通さない」
獰猛な声で唸ったのは、土蜘蛛。
お世辞にも友好的とは呼べないが、内心、妖忌は胸を撫で下ろしていた。
会話が出来るのなら、
(『キツネ憑き』ではない)
得物から手を離し、幾らか声を和らげる。
「近頃、地上との往来に寛容になったと聞く。通せぬならその訳を知りたい」
「……地上ではいま、妙な呪いが流行してるだろう。そいつを地底に持ち込んで貰いたくないんでね」
「呪い? 『キツネ憑き』のことか」
「あんたらがなんて呼ぶのかなんて知らないよ」
その瞬間だけ、見た目相応の少女らしい口調で土蜘蛛が吐き捨てた。
「めったやたらと凶暴な連中が、何度か坑へ押し寄せてきた。あれは正気を失う呪いかなにかだろうて」
「なぜ『呪い』と思う?」
「病気や細菌が原因なら、私に分からないはずがない」
「成る程」
さもありなん。土蜘蛛は疫病の大家であったか。
腕組みして唸り、妖忌は尚も声をかけた。
「ならば、我々が正気であるとも分かるだろう。危害を加えるつもりはない」
「…………」
「こうして話し合えていることが互いに『憑かれ』……いや、呪われていないことの証明だ。通して貰えまいか、土蜘蛛よ」
「……まあ、そうだろうけどさー」
不意に厳めしい表情を崩し、土蜘蛛、ぷくりと膨れっ面を造る。
砂色の髪を掻きむしり、彼女はじっとりとこちらを睨んだ。
「分からないじゃないか。そうやって騙くらかそうって魂胆の呪いかも」
「疑えばきりがなかろうよ」
「うん。だから私たちが納得できてる内に、行ってしまいな」
苦笑する妖忌へ舌を突き出して、土蜘蛛が追いはらうように手を振る。桶の縁からこちらを窺っている釣瓶落としも、こくこくと頷いているようではあった。
安堵の息をつき、妖忌は二人へ目礼を送る。
「かたじけない」
「おかしな真似をするようなら、すぐ素っ首刎ねにいくからね」
「肝に銘じよう。行くぞ、物体――――、?」
牙を覗かせ脅す土蜘蛛に肩をすくめ、人形を促そうとした所で妖忌は動きを止めた。
壁に貼り付いていた人形は、その巨体でどうしたものか、いつの間にか身体を反転させている。
坑の僅かな傾斜に寄りかかるように身体を支え……両手には、丸太も両断できそうな無骨な剣。
妖忌にも、今はこの人形が何を考えているのか手に取るように分かっていた。
即ち、臨戦態勢。
「ゴリアテ――――!」
「どこまで迷惑なのだこの物体ッ!?」
力一杯振り回される剣を避けながら上げる怒声は、悲鳴とも区別がつかなかった。
釣瓶落としを小脇に抱え、泡を食って上方へ逃れた土蜘蛛がぎゃんぎゃんと唾を飛ばす。
「ひッ……ひ、卑怯者! 初めから騙し討ちする気だったな!?」
「ゴリアテー!」
「そうか! さては地上の連中は呪いから身を隠すため、地底を侵略しようとしているんだろう!」
「ゴリアテーッ!」
「そうは問屋がおちゃらかほい。地底の平和は私が守る! 広がれ蜘蛛の脚ー!」
「言葉足らずと早合点で戦争を勃発させるなああああ!!」
今度は明確に悲鳴を上げ、だすだすと地団駄を踏み。
頭上を塞ぐ凶々しい八本脚を見上げると、妖忌はそれでも一縷の望みに縋って声を張り上げる。
「あいやしばらく! なにぶんものの分からぬ物体がしでかした不始末、代わって深く詫び入れる! 血気を鎮められよ!」
「もう騙されないよ! この穢土の疫病で、お前も痘瘡と結核と痛風と高血圧と糖尿病に苦しむが良い!」
「半分以上疫病でないものが混じっとるぞ」
聞く耳を持たない土蜘蛛に低く唸り返しざま、妖忌は僅かに背を丸めてすぐ起き上がる。
そしてその反動を利用し――神速に抜き打つ刀で、死角の闇から飛び出した糸の束を切り払った。丹念に紡いだ銀糸の如き、美しい土蜘蛛の糸である。
残骸を吸い込まぬよう袂で口を押さえる妖忌に、暗闇のどこからか土蜘蛛の声が浴びせられた。
「やるね、サムライ! でも、この風穴で私に敵うと思わないでよ!」
「……で、あろうな」
独り言のつもりでぼそりと溢し、妖忌は表情を歪める。
閉所の化け蜘蛛はすこぶる危険だ。
縦横無尽に壁を這い、糸と脚を使って立体的に得物を追い詰める狩りの手法は、一種の結界に近いものがある。
横目に見れば、巨大人形はその手管に見事嵌められているようだった。
四方から襲い来る糸を悉く見切り、大剣で薙ぎ払う様は一見して熟達した剣客に見えるが、それに手一杯で周りが見えていない。
あの様子では、微塵も気付いてはいないだろう。
『地底の平和は私が――』
『私に敵うと――』
なぜ土蜘蛛が、執拗に自分へ注意を集めようとしているか。
「…………物体!」
気付けば、彼は叫んでいた。
「頭上! 払え!!」
「ッ!?」
そこから全ては、同時に起きた。
土蜘蛛の糸がぴくりと動きを止め。
巨大人形が何の疑いもない動きで頭上を薙ぎ払い。
その剣の腹が何かを捉え、銅鑼のような轟音を響かせて。
――頭上から奇襲をしかけた釣瓶落としが、盛大に闇の中へ打ち返される。
「キスメ!?」
弧を描き闇の彼方へ飛んでいく桶に悲鳴を上げ、土蜘蛛が慌ててそちらに脚を伸ばした。
その瞬間を逃さず、妖忌は素早く岩棚を蹴り――――背を向けた土蜘蛛へ斬りかかろうとしていた人形の耳を掴み、叫ぶ。
「跳べ!」
「トブー!?」
振りかけた剣を戸惑うように止めながら、それでも人形はこちらの意図を察したようだった。身体を預けていた壁面を蹴り、坑の中心へ身を躍らせる。
その肩に掴まった妖忌は、半霊を操り灯りを投げ捨てた。
岩にぶつかった角燈は派手に砕け、硝子と残り少ない油を虚空へ散らす。
「っ、しまッ…………!」
完全な暗闇が辺りを閉ざす直前、土蜘蛛が上げた痛恨の怒声を最後に聞き。
巨大人形に掴まったまま、妖忌はどこまで続くとも知れない坑の中を落ちていった。
■
結論から言えば、底までの距離は覚悟していたより短かった。
つまり、人形をクッションにしたおかげで骨も痛めず着地できた程には、近かった。
「何事も斬ればよい、というものではない」
「ゴリアテー」
坑の底から伸びていた横穴を歩きながら、妖忌はしかめ面で呻く。
角燈は失ったが、横穴には所々灯りが設けられていて不自由はない――なんとハイカラにも、電灯である――。
それだけ往来が頻繁なのであろう。足下も石が少なく、踏み均されている感があった。
「不意に灯りを消せば土蜘蛛といえど一寸、視界を失う。諍いを避けられるのであればそうするに越したことはないのだ」
「ゴリアテー……?」
「剣の極意は、抜かずにことを収める『居合い』の心得。手当たり次第に斬り捨てるのは辻斬りと変わらん」
「ツジキルー」
「……峠で暴れていたのはそのケがあったからではあるまいな、お前」
悪びれなく頷く人形を不審な思いで振り向き、嘆息する。
「技倆をわきまえることだ。いくら怪力を誇ろうとお前の剣には、目が足りん」
「? タリナイ、ナイー。バカジャネーノ」
「誰が目玉の数を訊いとる」
両目を指差して胸を張る人形の脛を蹴飛ばし、妖忌は髭を撫でた。
「目先の刃に囚われていては、敵に思わぬ機を与える。……先の釣瓶落としのようにな」
「ツルベー」
「斬線を置き、脚と牽制で陣を敷いて縦横に空間を支配するのが剣の勝負だ。限られた間合いの奪い合いで周りが見えぬ、では致命的よ」
「マワリ、ミルー」
「…………」
素直に頷く巨大人形に三白眼を向けてから、妖忌はおもむろに歩調を速めた。
――人形に剣を説いて何とする。
傲りであるぞ、魂魄妖忌。
拙い人形の剣を見下し、己の技倆を誇るが如く指南めいた口を叩く……まこと恥ずべき振る舞いだ。
己の傲慢と不甲斐なさに憤りながら、ただただ、草鞋を先へ急がせる。と。
「…………あん? やい、そこを行くのは魂魄のジジイじゃないか?」
「うむ?」
不意に、行く手から声をかけられた。
広く長い横穴は、電灯があっても真昼並みに明るいとは言えない。薄暗い道の先から誰かが飛行してくるのが辛うじて見える。
とはいえその声は、昨日聞いたばかりであったのだが。
飛来した某は妖忌の目の前へ軽やかに降り立つと、手に持った大鎌の柄で肩を叩いた。
「なんだってこんなとこにいるんだい。仕事はどうした、仕事はァ」
「それはこちらの台詞だ」
小さく鼻を鳴らし、妖忌は気安げな笑みを浮かべている小野塚小町に半眼を向ける。
もともと癖の強い赤毛を手櫛で整えながら、小町はからん、と下駄を鳴らした。
「あたいは仕事だとも。例の件で、ちょいと地底の主に会ってきたところだい」
「む。なにか掴めたのか」
「いんや」
思わず聞き返すと、小町は途端にしゅんと肩をすぼめる。
「いつぞやみたいに、怨霊が地上へ這い出しているのかと踏んだんだよ。怨霊に憑かれると、魂はちょうど『キツネ憑き』と似た具合に傷ついちまうモンでね。これはよもやと思ったんだけど」
「外れか」
「大ハズレ。怨霊たちの処分はむしろ、近年稀に見る順調ぶりだとさ」
苦々しく歯を剥くと、彼女は力無く頭を振った。
「怨霊が原因なら地底で目立った動きがあるだろうに、旧都じゃ『キツネ憑き』も出ていないとくる。やれやれ、たまに勤労意欲を働かせるとこれだ」
「たまにしか働かんからツケが回るのであろう」
「お黙り。そっちこそどうなんだい。言ったとおり、この先にゃあお前さんの仕事はないよ」
指摘する妖忌に頬を膨らまし、小町は肩越しに背後へ親指を向ける。
確かに『キツネ憑き』が居ないのであれば、彼女に貰った「仕事」は果たせまいが……
「その仕事を果たすために、覚り妖怪に会わねばならなくなったのだ」
「うん?」
「コレを見るがいい」
「ああ……まあ、ソレだろうね」
仏頂面で、今度は妖忌が自分の背後を指す。
横穴の薄闇を纏い、きょとんと二人を見下ろす巨大人形を眺め、小町が何とも言えない面持ちで呻いた。
「やっぱり幻覚じゃないかぁ……出来ればジジイの背後霊あたりで手を打って欲しかったけど」
「大差はないな。頼みもせんと勝手について回る」
「マワルー」
「回るな」
つま先立ちになってくるくる回り出す巨大人形へ、振り向きもせずぴしゃりと告げる。
残念そうに回転を止める人形を見上げ、死神、ふうむと顎に手を当てて。
「……お前さん、もしかして森の人形遣いんとこの子じゃあないかね?」
「? アリスー?」
「そう、アリスだ。上海人形だかってやつと似てる気がする」
「シャンハイ、オトモダチー。アリス、ダイスキー」
「知っとるのか。このフリル付き攻撃物体」
心当たりのありそうな物言いに、妖忌は思わず目を剥いた。
無邪気に諸手を挙げる人形と彼を見比べ、小町は苦笑を浮かべる。
「良く似た人形を見たことがあるだけさ。まあ、どうせこの子もやっこさんの作品だ」
「うん? 言い切るな」
「人形を喋らせ巨大化させて、あまつさえ武器まで持たせようと考える人形師なんざ、そうごろごろいるもんかい」
「…………」
何となく、それはもっともな言い分に思えた。
思わず押し黙った妖忌に一歩近づき、小町は眉根を寄せて訊ねる。
「で、結局この連れはなんなんだい」
「それを知りたくてここまで来たのだがな――」
ひとつ溜め息をついてから、妖忌は昨晩からの出来事をかいつまんで話し聞かせた。
改めて、自分を取り巻くわけの分からぬ事情を確認してしまい少し落ち込みかけたが、なんとか最後まで話し終えた後……
最終的に死神が寄越したのは、まるきり他人事の笑声だった。
「そりゃジジイ。雪辱戦でも望まれてるんじゃあないのかね」
「であれば、ついて回るだけという態度は道理に適うまい」
「分からんよ、寝首を掻こうとしているのやも。こりゃあ大変だ。いま三途に来ても渡しちゃやれんぜ」
「別の船頭を頼るわい、たわけ」
こちらの憮然面がよほど嬉しいらしく、けらけらと喉を見せ死神が笑った。
それから、不思議そうにその様を見つめている人形へ無造作に歩み寄っていく。足取りに、既に警戒は無い。
「デカ人形。ジジイの首を取るときは手を貸すよ」
「? ジ、ジ……?」
「この岩屑に目鼻つけたみたいな男の名前さ、そう呼んでやるといい」
「ジジー?」
「あっという間に染められるな」
と。反射的に言い返してしまったのが不味かったらしく。
みるみる満面の笑み咲かせ、人形は嬉しげに声を弾ませた。
「ジジー! ジジー!」
「ええい、余計な知恵を」
「わはは。素直で可愛らしいじゃないか」
睨みつけるもどこ吹く風。
ひとしきり腹を抱えて笑うと、死神は苦しそうに目の端を拭った。肩はしつこく震えていたが。
憮然としてそっぽを向く妖忌を余所に、彼女は更に人形へ手を振ってみせる。
「あたいは三途の渡し守、小野塚小町だ。小町と呼んどくれデカ人形」
「コ……マ。チー?」
「そう、ひと息で言ってごらん。ほれ」
「コマチチー」
「うん。間違い方になんか作為を感じるが、まあ良いだろう」
「良いのか」
唸る妖忌はさらりと無視し、腕組み頷く小野塚小町。
担いだ鎌を軽々回し、頭でしゃん、と地面を叩く。
「さて、あたいはここらでお暇するよ。お仕事の途中なのさ」
「オシゴトー。ガンバー」
「よい子だねえ。ご褒美に旧都まで送ってあげよう」
へらりと笑い、死神が軽く足を踏み鳴らすと――捻れた大鎌が霊気を帯び、陽炎じみて空間を揺らめかせる。
眼を丸くする人形へ胸を張りながら、彼女は妖忌の方へぞんざいに手を振った。
「ほらジジイ。ついでに飛ばしてやるから、もっとそっち行きな」
「途中で放り出されはすまいな」
「死神サマを甘く見るない。デカ人形、ジジイをとっ捕まえとくれ」
「トッツカマラレー」
「潰れる、潰れる」
ひょいと無造作に抱き上げられつつ、妖忌はなんとか人形の指を手刀で引っぱたく。
エプロンドレスのフリルに埋もれた妖忌の姿がさぞ愉快らしく、死神は顔を背けてくっくっ、と喉を振るわせていた。文句の一つも言ってやろうかと思ったが、仏頂面で鼻を鳴らすだけに留めておく。
ややあって、笑いの治まった小町が改めて大鎌を肩に担ぎ上げた。
「それじゃあね。仕事の方も抜かりなく頼むよ」
「……この物体の始末がつき次第な」
「シダイー」
「あたいにゃ、似合いの連れに見えるがねぇ」
抜かせ。
妖忌がうんざり言い返すと同時、死神は二人の前から消え失せる。否――二人が、死神の前から消え失せたのだ。
周囲は既に岩肌剥き出しの横穴ではなかった。
恐ろしく広い空間に彼らは立っている。空の如く高い天井は果てが見えず、壁らしき壁も見あたらないが、独特の冷えた空気は地底特有のものか。
近くには木造の、地上ではもう見ないような黒ずんだ長屋が立ち並んでいた。旧い時代の裏店通りのような風情。
「!……!?」
磨り減った石畳の真ん中で、巨大人形は忙しなく辺りを見回していた。
その胸から這い出し路面へ飛び降り、妖忌はふむ、と息をつき人形を振り向く。
「落ち着け。目的地の傍まで飛ばされただけだ」
「ト、バサレー?」
「地底の住人を無用に刺激せず済むのは助かるな。行くぞ、物体」
寸分、辺りを見回して歩き出した妖忌に、巨大人形は首を捻りながらついてきた。
――地底を訪れるのは初めてだが、目的の相手がいる場所は見当がついている。
うら寂しい通りを歩く妖忌の背に、人形が不思議そうに声をかけた。
「トバサレ、ドウシテー? コマチチ、ドコー?」
「…………」
どうやってここまで飛ばされたのかと訊いているのだろうか。
要領を得ない人形の言葉を確かめる気持ちで、妖忌は肩越しに振り返る。
「小野塚の能力だ。あの死神は『距離』を操る。通路から此処までの距離を縮め我々を送り出したのだ」
「ゴリアテー……」
「目的地へ直に飛ばさなかったのは考えてくれたな。お前の図体が突然現れては、協力を仰ぐどころではない」
はすっぱな死神の心算に一応、感謝はしておく。
人形はしばし、何も言わなかった。考え込むように眉根を寄せ、黙って妖忌の後ろを歩いている。
――しかしよく出来た人形だ。
制作者の趣味であろうが、偏執的と言って言い過ぎる事もあるまい。
思わずその細かな造作に見入っていると、人形はふとこちらを見返して来た。そしてかくんと小首を傾げ、
「コマチチ、ツヨイー?」
「……ほう?」
片眉を上げ、妖忌は脚を止めた。
相手の力量を見抜くには相応の「目」が要る。まして打ち合いもせず腕を量るには、経験以上に才覚が重要になってくるものだ。
僅かに興味を引かれた彼は、腕を組みそちらへ振り返る。
「なぜ、そう思う」
「ゴリアテー」
「……訊いた私が愚かであった」
即座に肩透かしを喰らい、憮然と頭を振る。
腰に提げた刀へ何とはなしに手を遣りながら、妖忌は幾らか熱の抜けた調子で答えた。
「出鱈目に強くはない、というところだろう。船頭死神としては心得のある方だが、霊力のみをとっても彼奴を上回る妖怪は枚挙に暇がない――が」
「ガー」
「私、あるいはお前では千年経っても彼奴には敵わない。技倆や修練の如何に関りなく、だ。……なぜだか分かるか?」
再び見上げる妖忌に、人形が即座に頷く。
あるいは端から、「それ」に思い至った故に問うてきたのかも知れないが――無機の眼球で真っ直ぐこちらを見つめ、人形ははっきり答えた。
「アヤツル。キョリ」
「いかにも」
ゆっくりと頷き、刀の鯉口を鳴らしてみせる。
小さなその音の行方を捜そうとでも言うように視線をふらつかせる人形へ、妖忌は声低く続けた。
「剣術とはつまり、間合いの奪い合いだ。しかし小野塚はその間合いを自在に操る。こちらの剣は息のかかる距離でも決して届かず、逆に彼奴の大鎌は、千里先からでもこちらの首を刎ねることが出来よう」
「クビチョンパー」
「……そんな太い首まで落とせるかは知らんがな」
「ゴンブトー」
頬に手を当て、何故か嬉しげに微笑む人形に頭を振り、妖忌は再び歩みを再開した。
やや遅れて後を追いつつ、人形が頬を押さえたまま訊ねてくる。
「コマチチ、カテナイー?」
「彼奴を斬れる剣士はおらんだろう。それが天下の達人であれ、お前のようなチャンバラ人形であれ」
「……ズルッコ?」
「さてな。競技や試合であれば卑怯者の誹りは免れまいが、そもそも彼奴は剣士ではない」
「ケンシ、ヨワー」
「黙らっしゃい」
ぴしゃりと言い捨て、妖忌はまだ何か喋っている人形を無視して足を速めた。
――そう、剣士では小野塚小町を斬れはしない。
剣士は剣に己を映す。だから穢れや曇りを纏うことを許さず、いたずらに刃を抜く愚を避ける。
故に剣士は死神を相手にすることもない。
それは、届かぬ月を斬ろうとするような愚かな真似だ。
妄想を鼻で笑い飛ばす。
歪めた口は苦笑のつもりで、妖忌は肩越しに背後を見やった。人形は興味深げな様子で道沿いの裏店や小道筋を見回している。
余計な考えは必要ない。
今はこの人形を厄介払いし、食い繋ぐための仕事に取りかかることだ。同じ剣を穢す業とて、こちらは直ちに腹が膨れる。穢れる甲斐もあろうというものであった。
剣客くずれの夢想者から現実的な素浪人へ立ち返り、妖忌は軽く溜め息をつく。
「お前の目的が、簡単に済むものであることを祈っていよう」
「ゴリアテー」
皮肉が通じるわけもなく、ふにゃり微笑む巨大人形に頭を振って、彼は行く手に聳える大きな屋敷を見上げた。
薄暗い旧都に一際強く威容を示し、地底の住人も近寄らぬ旧地獄の中心。
地霊殿。
覚り妖怪の棲まう、それが屋敷の名前であった。
■
「あなたが訊ねたいことは分かっています。『本当にこの童女が、忌み嫌われた覚り妖怪なのであろうか』――そう思っていますね」
黙って腕を組み、妖忌は厳しく表情を引き締めたまま目の前の少女を見返した。
外見は、孫と同じかそれより幼いくらいだろう。妖怪の見た目ほど当てにならないものもないが。
「安心してください。確かにわたしが覚りの妖怪、怨霊も畏れ怯む嫌われ者……古明地さとりです」
その言葉は、石造りのホールに減衰することなく響き渡った。
幼い容姿に不自然なほど融和する毒々しい笑みを浮かべ、覚り妖怪・古明地さとりは円卓越しにこちらを見る。対面の椅子に座る厳めしい面持ちの妖忌にも、傍の床に三角座りで鎮座する巨大人形にも臆した様子はない。
――突然に訪れた妖忌達を、地霊殿は存外に丁重な扱いで迎えてくれた。
見上げんばかりの巨大人形には流石に驚かれたが(そして扉をくぐれるか否か採寸はされたが)、取り立てて待たされもせず主への面会が取りはからわれ現在に至る。
くすくすと喉を鳴らし、覚り妖怪が肩をすくめた。
「もっとも、敢えて鼻つまみ者たらんと努めている訳ではありませんが。これでもシャンプーとコロンには気を遣っているんです」
「…………」
「『うまいこと言った』――そう思っていますね」
「いや」
素直に答えてしまったが、特に訂正はせず妖忌は背中を丸めた。
そうですか、と思いのほか消沈し、さとりが眉を下げる。
「ほがらか地霊殿。これを来月の標語にしようと思っていたのですが」
「舵を取る方向を間違えていまいか」
「やはりパジャマで登場するべきでしたね。出オチから、流れるように『お前それ普段着とあんまり変わらないやんけ』という二重の布陣で納得の大爆笑プラン」
「それを初対面でどう笑えばいいのだ、私は」
「さとり様」
「ああん」
どこからか取り出した企画書らしき紙束を後ろに控えていた少女に取り上げられ、さとりが残念そうに声を上げる。
怨霊を運ぶ妖怪、火車であろう。妖忌たちをここへ通したのもこの少女だ。
頭に生えた三角形の耳を動かし、取り上げた企画書を淡々と傍らの猫車へ放り込む火車を恨みがましく睨んでから、さとりは小さく咳払いをする。
「さて。ともあれ地上の方の訪問、わたしたちは歓迎しますよ」
「突然の無調法、まずは深く詫びいたす」
「ワビスー」
気を取り直して居ずまいを正し、妖忌は一礼した。
それを真似たのか、巨大人形も正座に座り直してぺこりとお辞儀しているのを横目に見てから、妖忌は改めて顔を上げる。
「それがしは魂魄妖忌。思う仕儀有り、いまは主を持たず浪人している」
「まあ、サムライなのですね。珍しい」
「実は此度、心を読むという覚り妖怪の力を借りたく地底へ参じた次第。話を聞いていただけまいか」
「話す必要はありませんよ」
音もなく微笑むと、さとりは四角張った態度の妖忌へじっと視線を注いだ――両のまなこにひとつを加えた、都合三つの眼差しを。
胸元にぎょろりと開いた手の平大の眼球。
相手の心意を余さず見透かす、覚り妖怪の「第三の目」である。
瞬きなどはせぬものかな、と多少興味深く思いながら、妖忌はとりあえずさとりの双眸を見返した。
ややあって、鞠でも持つように眼球を抱えたさとりが再び肩をすくめる。
「瞬きくらいはしますよ。ひどく稀にですけれどね」
「や、これは…………面目ない」
「ところで両眼を瞑って、この目だけ開いているとウインクに見えませんか」
「見えんだろう、それは」
「困るのはお洒落のときなんです。このサイズのつけ睫毛を特注したまでは良かったのですが、引き出しに入っているとでかいゲジゲジに見えてちょっぴり不気味」
「さとり様」
「ああん」
実際に取り出して見せた睫毛――確かに不気味ではあった――を火車に没収され、無念そうに呻き。
気を取り直すように円卓へ手を置くと、さとりはすい、と背筋を伸ばした。
「とまれ、お話は分かりました。そちらの人形の考えていることを知りたいというわけですね」
「いかにも。とりわけ、なにを目的にそれがしについて回るかを。頼めるであろうか」
「構いませんよ。お客に優しく。ほがらか地霊殿計画の第一歩です」
あっさり頷くさとりに、肩透かしを喰らった気分になる。
地底の妖怪はひねくれ者揃いと聞いていたが……まあ、助力を頼めるなら文句を言う筋でもない。
自分に話が向いたことを察したらしく、巨大人形は床のタイルを数える遊びを止めこちらを見た。半眼で覚り妖怪の方を示せば、素直にそちらへ顔を向ける。
子供そのものの振る舞いに、さとりが愉快そうな笑みを口元に刻んだ。
「お人形の心を読むのは初めてです。よろしくお願いしますね」
「メダマ、ミッツー。ケンシー? ツヨイー?」
「は?」
「だから目玉の数の問題ではないと……話を聞け、お前は」
きょとんとするさとりに代わる気持ちで、妖忌はじっとり人形を睨んだ。
先の妖忌の言葉を間違ったまま覚えていたらしい。こちらこそ不思議だと言わんばかりの表情で覚り妖怪を見返している。
その辺りの事情を読み取ったのか、そもそも気にしないことにしたのか、さとりは改めて人形へ向き直った。
「わたしに剣は振れませんよ。生まれつき身体が弱いのです」
「ヨワイー、ドンマイ」
気にするなというポーズなのか、口を一文字に引き締めびしりと腕を突き出す人形に、妖忌は嘆息混じりに額を押さえた。
ますます笑みを深めながらも、覚り妖怪の第三の眼は人形から視線を外さない。一寸もぶれぬ眼差しをじっと注ぎ続け……
何を契機にしたわけでもなくさとりは唐突に妖忌を見た。というのは、つまり両の眼をこちらに向けたという意味だが、
「あなたに、伝えなくてはいけないことがあるそうです」
「なに?」
言われ、人形へ視線を向ける。
これまでは少女人形らしくふやけた表情の目立った人形だが、こちらを見下ろすその視線はかつて無いほど真摯で、深刻だ。
……人形の制作者が、自分へあてたメッセンジャーという事か?
不審と警戒を強める妖忌に、さとりは平板な口調で後を続けた。
「この子の自我は高度なパラ・メンタル・マジック――魔法による擬似精神です。そのため、少し思考が読みにくい」
「パラマメー」
「だから少々意味の繋がらない部分もあるでしょうが、そこは適宜そちらで解釈を」
「心得た」
妖忌が答えるのを確認し、覚り妖怪は一度、もったいつけるように頷いた。
小さな身体へ溜め込むように深く息を吸い、ちらりと人形へ視線をやってから、おもむろに口を開く。
「『ゴリラではない』、だそうです」
「……ずっと引き摺っていたのか、その話題」
「ゴリアテー」
さも重大事だと言いたげに膨れっ面をする人形へ、妖忌は面倒臭い気持ちで溜め息をついた。
なんの話か覚り妖怪にわからなかった訳もなかろうが、彼女は表情一つ変えず首をすくめる。
「この子の名前……人形の巨大化と魔術式の実験を含めた一連のプラン名でもあるようですが。ゴリアテ人形、と名付けられたようですね」
「ゴリアテー」
「ふむ。なぜ辻斬りじみた真似をしておったのか」
「元々、この子は戦闘を主眼に置いて造られた人形だとか」
いわゆる「弾幕ごっこ」の範疇ですけれど。
言い置いてから、さとりは尚も人形――ゴリアテに視線を注いだ。
「制作者は『完全なる自律人形』を目指す人形遣い、アリス・マーガトロイド。自律術式・仮称《ゴリアテ人形》の試験を目的にこの子を起動したようです」
「アリスー」
「ところが術を起動して間もなく、彼女は魔界へ向かわなくてはならなくなったと」
「魔界? 唐突な話だな」
「ええと。里帰り……定期的に。会いに、母。泣く? 亡び。神、駄々、滅――――ああすみません。この辺りはちょっと読みづらいですね」
「…………」
漏れ出た単語にかなりの温度差がある気がしたが、指摘は控えておく。
疲れをほぐすように第三の目を両手でくるんで、さとりが小さく息をついた。
「なんにせよ、退っ引きならない用事だったのでしょう」
「こんな危なっかしい物体をそのままにして、か?」
「複雑な魔術は、起動にも恐ろしく手間がかかるそうです。まして効率も考慮していない実験段階の術式では」
苦笑して頭を振るさとりは、まるで自分がその魔法の施術者であるかのようだ。
「この子も、起動にひと月の時間をかけたそうですよ。費やした魔術的媒体も少なくはない。術を停止させて再起動、という訳にはいかなかったのですね」
「なら、せめて連れて行けば良かったろうに」
「魔界の魔力理は現世のそれとは質を違えるのだとか。この子の術式は、魔界での稼働を想定していない」
「ゴリアテー」
「『困ったものだ』と、そう言っています」
よほどこちらの台詞だと言ってやりたかったが、詮無い事なので黙っておく。
もっとも覚り妖怪にはその内心が見えていたらしく、彼女は僅かに苦笑を深めた。
「制作者は自分が帰るまで待機するように命じたのですが、擬似精神は制作者のために、自主的に機能の最適化を試みたというわけですね」
「つまり、戦闘人形として修練を積もうとした?」
「そのようです。……是非はどうあれ、命令よりも自己判断を優先したのですから、自律人形の実験としては大成功なのではないですか」
制作者は大層驚くでしょうけれど。
心底可笑しそうに笑う覚り妖怪に頷きながら、妖忌はゴリアテ人形を一瞥する。
峠で武芸者へ挑んでいたのも、土蜘蛛達へ襲いかかったのも、つまり修練の為であったという訳か。
(莫迦者め)
喝破するような鋭い視線でゴリアテを睨み、妖忌は眉間に深い皺を刻む。
徒に野試合を繰り返し腕が磨けるのなら苦労はしないのだ。況んや、あの辻斬り紛いのチャンバラをや。
こちらの視線には気付かず、ぽわんとした顔で天井のアーチを見上げているゴリアテに溜め息をついた。
……しかし、まあ。
主が為に強くあらんと武を磨く、その心意気だけは真実であろう。
剣は真実を映し出す。めくらめっぽう振り回す豪剣は型こそ目も当てられぬ程だったが、確かに、ただ強く在りたいという意志で澄み切っていた。
それは魔法で生み出された、混じりけの無い心が故のものかもしれない。
だが、その想いこそ――
「――…………?」
その時。不意にうそ寒い物を感じ、妖忌は顔を上げた。
目。
冷たい大理石の卓越しに、瞬きもせぬ眼球がこちらを見つめている。その眼球に添えるように手を載せて、覚り妖怪が微笑んでいた。
唇の端から覗く歯が闇夜の凶刃を思わせ、背骨に氷柱を通されたような心地になる。
束の間、沈黙が円卓を覆った。
事務的な無表情で控える火車へ何事か目配せし、彼女が一礼してどこかへ下がるのを待ってから、さとりはわざとらしく手を打ち合わせた。
「ああ。まだ知りたいことがあるのでしたね。そうでしょう?」
辛うじて頷き返せたのは、老いた身体に微かに残る剣士の嗅覚が警告を発していたからだ。
――退けば、呑まれる。
確信し、妖忌は心を硬く凍らせた。
忘れるな。此の屋敷こそは地霊殿――魑魅魍魎、百鬼夜行も避けて通るは覚りのねぐら。与し易しと侮れば、たちまち地獄の荊に囚われる。
心を暴かれるのは問題ではない。
心を握られぬよう、己を律するのだ。
あら、と呟き、さとりは僅かに意外そうに妖忌を見つめる。
「ふふふ。あなたの心は、まるで鉄刃。サムライは皆そうなのかしら」
初めて、声に出して笑い。
さとりは片目を瞑り、いくらか声の調子を跳ね上げた。
「ごめんなさい。地上では妙な呪いが流行っているようだから、これでも警戒しているのですよ」
「……地底は平和なものと伺ったが」
「用心していますから。ほがらか地霊殿は安全第一なので」
即ち、不審な様子を見せれば容赦しない。
言下に冷たく釘を刺した覚り妖怪は、ところが終始笑顔を崩さぬ。
演技とは思わない。
この微笑みが詰まるところ、古明地さとりをして旧地獄の管理者たらしめる一因には違いなかった。
最早動揺は無く、こごった空気を視線で裂くが如く、妖忌は眼光鋭く口を開いた。
「話の続きを願いたい」
「ええ。ほがらか地霊殿は三つの計画からなる一大イメージアップ構想です。即ち広報・営業・流通の抜本的な構造改革」
「そこではなく」
「広報、つまり地上へのアピールその他はわたし、古明地さとりが担当します。覚り妖怪ならではの隙のないマーケティングは本構想の要です」
「その結果がパジャマで出オチだったのか?」
「問題は流通ですね。『流通て、そもそもなに流通させる気なの』という意見が全体の十割を占めており」
「お前もか」
「まずは形から、という方針がここに来て仇になりました」
「さとり様」
「ああん」
どこからか音もなく現れた火車に第三の目を引っ張られ、さとりが困り顔でそれを取り返そうとする。
お茶を用意して来たらしい。猫車ではなくティーセットを乗せたワゴンを押し、火車は淡々と妖忌の前に紅茶と菓子を置く。律儀にもゴリアテにまでワゴンを卓代わりに給仕していた。無論目を掴まれたままのさとりもその間、おぶおぶと引き回されている。
最終的には床へ放り捨てるように主を解放し、火車の少女はまた足音も立てず大股に去っていった。
取り戻した第三の目を慰めるように撫でながら、さとりがくすん、と鼻を鳴らす。
「最近、あの子がわたしに厳しいんです。なにか悪いことでもしたのでしょうか」
「まずもって、ほがらか某計画のせいであろ」
「さては地上の呪いですね。なんて恐ろしい。あんなに可愛かったのに、いまや心の底まで『ヤッテランネ』一色です」
「揺るぎないではないか」
「ウマウマー」
それが同調かどうかはかなり判断しかねたが、ゴリアテ人形も生クリームをたっぷり乗せたシフォンケーキを片手に頷いている。
指先よりも小さなケーキを器用に潰さず口へ運ぶゴリアテに、妖忌はしかめ面で呻いた。
「その程度の菓子では腹の足しにもならんだろう」
「ジジー、タベナイ? ゴリアテ、タベルー」
「たわけ、貴重なカロリーをみすみす譲るか。絡繰り人形らしく油でも飲んでいるがいい」
「……油ではだめですよ」
物欲しそうな人形から隠すようにケーキを平らげる妖忌へ、さとりが半眼を向ける。
機嫌が悪いのではなく、単にまだ引っ張られた所が痛いのだろう。第三の目をそっと抱えながら彼女は慎重に椅子へ戻った。
「その子の動力は食物ではない。いえ食物は必要ですが、その量が問題ではないとか」
「む……そう言えば握り飯は吐き出した癖に、草苺の一粒で腹が膨れたようだったな」
「ああ、それは正解ですね。この子はある『概念』を動力に動いています。故にその概念、属性を備えた食物を摂取する必要があるのだそうです」
「苺はその条件に合致していた、と。ふむ、つまりどういうことだ?」
「可愛さで動いています」
間。
微動だにしてはいない。身体は勿論、意識すら。
妖忌はあくまでしかめ面、腕を組んだ姿勢のまま一切変化を起こさなかった。それでも、自分の顔から何かがぼろぼろこぼれ落ちていく錯覚をぬぐい去ることが出来ない。
ティーカップを取り、紅茶を含む。
シンプルなストレートティーは紅茶を嗜まぬ妖忌にも飲みやすい味だった。暖かさが舌に染み渡る感覚をじっくりと確かめてから、妖忌は改めてさとりを見る。
「……うん?」
「体内に取り込んだ『可愛い』という概念を分解、再構築することで稼働に必要な魔力に転換する。少なくとも、制作者はそういう理論で組んだ術式のようですよ」
「あり得るのか、そんなトンチキな魔法が」
「あるのですから、あるのでしょう。かかるがゆえに可愛い食物を摂取する必要があるというわけですね。果物、お菓子といったような」
「どんな利点がある。可愛さとやらを動力にする利点が」
「さあ――でも推測はつくでしょう?」
思案げに口元へ手を遣りながら、さとりがこちらを見る。
そう言われても、魔法の知識のない妖忌には見当すらつかない。肩をすくめて押し黙る。
出来の悪い門徒を見るように頭を振り、さとりはゴリアテ人形を見上げた。
「この子はでっかい身体を動かすため、ちっちゃいケーキやイチゴやマシュマロをちまちまもふもふと食べるわけです」
「うむ」
「爆裂可愛いじゃないですか」
「…………」
火車は戻ってこないものかな。
期待して視線を逸らすが、残念ながら二叉尻尾の陰はどこにも見えなかった。
途方に暮れるこちらを余所に、真顔のさとりは拳すら握って、熱っぽい口調で続ける。
「その感性、この古明地さとりをして戦慄を禁じ得ない。アリス・マーガトロイド。覚えておくに値する名です」
「アリスー」
「戦闘用といえど――否、戦闘用だからこそ、その可愛げには一切の妥協を許さない。飽くなき執念、怨念を地底の主が心から賞讃すると、あなたの主に伝えてください」
「オツタエー」
姿勢良く挙手するゴリアテに、妖忌はぐったりと背中を丸めた。
……出来れば早急に引き上げたいが、まだ肝心要の用件を果たしていない。意図的に声を低め、覚り妖怪を真っ直ぐ睨む。
「これ以上、貴殿と話して無用に疲労したくはないので早急に残りの用件も済ませて貰えまいか」
「いよいよ遠慮しませんね。サムライのくせに」
「覚りを相手に言葉を取り繕っても仕方あるまい」
「乱暴な。わたしが傷ついたらどうするんです」
心の底から知ったことか、という想いで半眼を造る。機嫌を損ねる恐れは勿論あったが、そうなればもうそれでもいいかな、という気分になっていた。
据わった眼差しに気圧されたらしく、僅かに椅子の上で身じろいでから、さとりは拗ねたように顔をしかめる。
「教えますよ、教えますとも。覚り妖怪はケチンボなんて流言を広められてはほがらか地霊殿の名折れですからね。ふんだ、ふーんだ」
「拗ねるな」
「ダッフンダー」
「かき回すな」
口を尖らせるさとりへ呻き、ゴリアテにはフォークを投げておく。
髪の毛に潜り込んでしまったらしいそれを慌てて探る人形に第三の目を向け直し、覚り妖怪はまだ少しふて腐れた口振りで言ってきた。
「先ほど、あなたは野試合で腕は磨けないと言っていましたが――失礼。考えていましたが」
「…………」
「それはこの子も気付いていたようですね」
「うん?」
「ゴリアテー」
怪訝顔をする妖忌に、もそもそと髪を探りながら頷くゴリアテ人形。
双方を見比べて、さとりは自分のカップを取り上げる。
「アリス・マーガトロイドは優れた人形師にして魔法使いのようですが、剣術にまでは通じていなかったようです」
「で、あろうな」
詳細に思い返すまでもなく、ゴリアテの剣はただ棒を振り回しているだけという有り様だった。
自分が魔法を理解できぬのと同様に、魔法使いであるアリスは剣を知らないのだろう。でなくば、少なくとも同じ長剣を二本持たせる真似はすまい。
「つまり彼女が造りだした擬似精神では『剣術の修練』を発想できない。基本的な型、構えなどは、手引き書などを研究しているようですが……」
「それで、あの四角四面な剣か」
「だからこの子は探していたのですよ。自分の剣を、高める剣を……それを遣う剣客を」
「成る程な」
深く息をつく妖忌は、ようやく胸のつかえが取れた気分だった。
思えば理解の及ばぬ行動ばかりの人形だったが、タネが割れればわけはない。そういう理由で自分に――
「……うん?」
止まる。
取れたつかえががさごそ胸へ這い上がってくる錯覚を振り払うように、やや卓へ身を乗り出して。
「古明地殿」
「さとりんで構いませんよ」
「古明地殿。私は、このかさばる高機動物体が私についてくる理由を尋ねたつもりであったが」
「わたしもそれを答えたつもりでした」
呼び方は拘るところではなかったのか、あっさり頷く覚り妖怪。
それには逆らわず頷き返し、しばし言葉を反芻するように沈黙してから。
ごくり、喉を鳴らすと、妖忌は鉄を呑み込んだ様な顔で言葉を押し出した。
「……つまり……この物体は、私の剣を習得するまでこびりついてくるつもりだと?」
「といいますか」
持ち上げたカップは、結局一度も口をつけずにソーサーへ戻し、さとりはくにゃりと首を傾げる。
「この子の中では、もうあなたに師事しているつもりのようですけれど」
「…………」
「ジジー!」
「『師事だけに』ですか。ふっふ、やりますね」
両腕を振り何かをアピールするゴリアテ人形にさとりがしたり顔で笑っていたが、妖忌の耳には届かなかった。
頭のどこかで大鐘でも撞かれているように揺れる意識の中から、なんとか意味ある言葉を掬い上げる。
心地は白州の砂利の上。即ち、
「『年貢の納め時』――ですね」
「黙らっしゃい」
あるいは地底流の心遣いだったかもしれないが。
先回りして言う覚り妖怪へ力無く呻き、妖忌はとうとう卓に突っ伏した。
さとりはさも底意地悪く唇を歪めると、ゴリアテには対照的に柔らかな微笑を向ける。
「よかったですね。彼は良い師匠のようです」
「シショー」
「ふふ、頑張ってください。……さて、すみませんがわたしは仕事に戻らなければいけません。このところ繁盛していましてね」
「オシゴトー。サトリン、ガンバー」
「ええ。頑張りましょう」
くすり、と含みのない笑声を溢し、さとりが椅子を立った。それに合わせてゴリアテ人形も裾を払い立ち上がる。
頭をアーチに擦らないよう微妙に中腰になって出口へ向かう人形に続いて……さとりは、ようやくのろのろと立ち上がりかけた妖忌を横目に見た。
肝でも抜かれたように疲れ切った彼の横顔に、覚り妖怪の視線が注がれる。
「あなたも、大変でしょうが頑張ってください。『キツネ憑き』とやらの件は閻魔様も手を焼いているそうで、先ほども死神が調査に訪れましたよ」
「……小野塚であろう」
ひどい脱力感に苛まれる身体を苦労して起こし、妖忌は気のない口調で答えた。
返事をするのも億劫な心持ちだったが、それが「見える」はずの覚り妖怪は気にもせず話を続けてくる。
「ええ。怨霊の処分は順調だと教えてあげたら、ひどく残念がっていましたね」
「見通しが甘いのだ、彼奴は。怨霊が原因であれば貴殿が――ひいては、彼岸がそれを把握しておらぬ訳もない」
「あら、『こちら』の繋がりに詳しいのですね。……ああ、元は冥界の姫に仕えていたのですか。道理で」
「いまや半端仕事で食いつなぐ浪人分だがな」
「――死神と違って、『仕事』に乗り気ではないようですね?」
かたん
触れていた椅子を揺らしてしまったことに内心で舌打ちする。
その内心も看破しているはずの覚り妖怪は、薄い笑みを口元に張り付けていた。
「奇妙だこと。この『仕事』をこなさなければたつきに窮するというのに。だからこそあの人形を追い払いたがっていたはずでしょう?」
「…………」
「あなたの心は鉄刃ですよ、サムライ。腰の刀とまるで同じ。捻れて歪んで曇りきって――それでも剣の鋭さを捨てきれない。哀れな、哀れな、人斬り庖丁」
笑う、笑う。
覚りが笑う。
ガラスの荊で絡め取るように、冷たい何かが心へ侵入してくるのを妖忌は確かに察していた
「どうして冥界を離れたの? なぜ主を捨てねばならなかったの? だって、あそこはあなたの行き着く場所ではなかったから」
「…………」
「それを悟ったから、当てもなく現世へ彷徨い出たのでしょう? 一刀を恃み、浪人暮らしに身をやつして。……だけど、そこは目指した場所だった?」
「黙れ」
「サムライ、あなたは道に迷っている。当て所ない生に厭いている。剣を振るう理由を見失い、幼子のように怯えている――――!」
「私は黙れと言った」
その旋風に、音も無し。
刀を抜き打ち、さとりの細い首へ突きつけるまで瞬き一つと時間はかからなかったはずだ。それより僅かでも遅かったなら――たった今、自分の首へ添えられている火車の爪が頸動脈を掻き切っていない理由はなかったろう。
無音のまま妖忌の背後に現れ、首を絞めるように爪を立てている少女を視線で制し、覚り妖怪は喉元の刃にそっと指を触れた。
「――正直に、驚きましたね。ここまで深く潜り込めば大概の心はトラウマで押し潰せるのですけれど」
「それも用心か?」
「いいえ。……お燐、大丈夫よ」
名前なのだろう。主に声をかけられ、火車はするりと妖忌の首を放した。しかし錐の如き視線は未だ、うなじの辺りに突き刺さる。
それに促されたではないが、妖忌も刀を鞘へ収めた。厳しい顔をする彼へ、さとりがツゥ、と唇を吊り上げる。
「わたしも可愛いものには目がないのです。サムライ、あなたの複雑で頑なな心は、とても愛おしい。手元に飾っておきたいほどに」
「私を飼うつもりなら」
妖しげな覚り妖怪の笑みは、ともすれば身も世もなく縋り付いてしまいたくなるほど蠱惑的だったが……眉根を寄せた妖忌の顔は、むしろ辟易としたものだった。
嘆息を溢し、背を向け様に言い捨てる。
「少々の手当に、三食、寝床。それより他は余分な手管だ」
「それは残念」
と、言い放つさとりの声はひどく軽い調子だった。恐らくはフェイクでも何でもなく、心底から向けられた友好の意志。
――怨霊も恐れ怯むとは言ったものだ。
これならば、まだ恨みしか持たぬ怨霊の方が可愛げがある。
苦笑を浮かべる気力もなく、妖忌はまだ剣呑な目をしている火車の横を通りすぎた。
ホールを出ようとしたその時、さとりが尚も言葉を投げてくる。
「ゴリアテ人形」
「……?」
「出来なくはないですよ。あの子を、あなたから引き離すこと」
足が止まった。
振り返るつもりまではなかったが、どのみちさとりは殆ど間を置かずに言葉を継いでくる。
「複雑なあなたと違い、あの子の心は魔法による擬似精神。素朴で素直で純粋で……つまり無防備で、ひどく単純」
「…………」
「元々が不安定な試験中の術。トラウマを抉るまでもありません、ほんの少し心に負荷をかけてあげればいい。か細い自我は、それだけで灼き切れてしまう――」
笑っているのが気配で知れた。
肩越しに睨みつける。捧げ持った第三の目で口元を隠し、覚り妖怪は双眸を針のように細めた。
「どうです? 彼岸の仕事のためでもあることですし、わたしもあなたが気に入りました。あの子の心――――引き取ってさしあげましょうか?」
「……断る」
「だと思いました」
向き直り、剣を放つ心地で返した言葉は、しかしあっさり空を切った。
鼻白み口を閉ざす妖忌に、さとりは無造作に歩み寄る。
胸程までもない背丈でこちらを見上げた彼女の顔は、訪問からこちら、一番気安げで悪戯っぽい笑顔だった。
「魂魄妖忌、半霊の剣士。あなたの剣は迷っている。そしてその迷いを脱するなにかを、あの人形に見出そうとしているのね」
「なんだと?」
「だから、あの人形を見限る事が出来ない。……心とは、自分でこそ計り知れぬもの。答えはゆっくり探り出すと良い」
へな、と柔らかい拳で胸を突かれる。
困惑顔で立ち尽くす妖忌を見上げた覚り妖怪は既にして、旧地獄の管理者に似合いの、取り澄ました微笑を浮かべ直していた。
「以上。ほがらか地霊殿名物、心理分析サービスでした。またの来訪をお待ちしています」
「――正直、もう訪れたくはないな」
「社交辞令ですよ。社交地霊殿。なんつって、ぷぷ」
「………………」
「ちなみにどこが面白かったのかというと、地霊殿だけに」
「さとり様」
四度、火車の声が聞こえたが、今度はさとりが答えなかった。
妖忌には聞こえなかっただけかも知れない――火車は瞬く間に主を猫車に放り込み、ホールの奥へ運び去ってしまっていたので。
なんとなく耳を澄ませるが、屋敷は空恐ろしくも生温い静寂に閉ざされている。
とりあえず深く立ち入らないことにして、妖忌はそそくさと踵を返した。
一枚岩を削りだした地霊殿の門扉は、巨大な客人を通すため開け放たれている。
悪魔の口から這い出る心地でそれを潜った妖忌がまず目にしたのは、群がる鬼を千切っては投げているゴリアテ人形だった。
「ゴリアテー!」
……群がる鬼を、千切っては投げているゴリアテ人形である。
二本の大剣は腰に固定したまま豆袋でも扱うように鬼を掴んでは放り捨てていた。投げ飛ばされる鬼達に気色ばんだ様子はなかったが……
そのまま座り込みたくなる気持ちを堪え、きりきり痛む胃の腑を押さえる。
覚り妖怪の言を疑うわけではないものの、
「アレから一体、なにを見出せと言うのだ……」
「あんた、あいつの保護者かい?」
背中を丸めたところに、横合いから声をかけられる。
門の横に胡座を掻き、大柄な女性がこちらを見上げていた。急に現れた訳ではなく最初からそこに居たのだろう、朱塗りの盃を片手に取っ組み合いを眺めている。
額に一本生えた角を軽く振り、女性は快活な笑みを浮かべた。
「さとりの客人か。見慣れん顔だが、地上から?」
「いかにも。……保護者ではないが、アレが迷惑をかけているようだな」
「いや、合意のケンカだよ。鬼って連中は力試しが好きでね、やっこさんも了解してくれたんでああして騒がせてもらってる」
「貴殿も鬼であろう」
額の角を見下ろし、妖忌は目を細める。
「乱痴気騒ぎに興味はないか」
「大好物さ。若い連中を先に遊ばせてやってるだけだよ」
呵々と笑って、一角の鬼はゴリアテの方へ顎をしゃくった。人形そのものではなく腰の長剣を示したようだったが。
「本気の力比べなら、得物まで使ってくれにゃあ。ひよっ子どもには危なかろうがね」
「貴殿を満足させられるような剣客ではないぞ、あれは」
「……お? あんた、あたしの力を量ったのかい」
渋面で呟いた途端、鬼は俄然こちらへ興味を示したようだった。
長い髪をゆらり揺らし、立ち上がった鬼は無遠慮に妖忌を眺め回す。愛想の無いしかめ面と腰の数打に何度も視線を往復させ、彼女はふむと息をついた。
「面白い。侍なんぞ見かけるのはいつ以来であることか」
「いまは手間取りの浪人に過ぎんよ」
「鬼の好奇心を刺激しておいて、そんな言い逃れが通ると思いなさンな」
高らかに笑って、鬼がかすりの片肌を脱ぐ。
さらしに巻かれた肌はきめ細やかで艶めかしいほどに白かったが、その腕をぐるりと回す鬼の顔はむしろ物騒な輝きに満ちていた。
大きな身の丈で威圧するように立ち、鬼が獰猛に歯を剥く。
「あたしは星熊勇儀。ここいらの鬼を纏めてるモンだ。名乗りな、侍」
「……こちらに争う理由はないぞ」
「あたしの興味を引いた。それが理由で、あんたの義務さ、名も無き侍!」
いかにも鬼らしい無邪気な、そして傍若無人な笑声と共に、星熊勇儀は腕を振るった。
踏み込んだわけでもない、虫を払うように無造作な一振りだったが――咄嗟に仰け反った妖忌の首筋を掠めるように、つむじ風が吹き抜ける。
ぱらり、彼の着物の袷がほつれるのを見、勇儀はますます笑みを深めた。
「嬉しいねえ。あんたに手加減は要らないかも知れん」
「や、貴殿の勝ちだ。一張羅を切らせるつもりはなかった」
「だったら分けさ。こっちは髭を落とすつもりだった」
ひと息に干した杯を懐へ仕舞うと、鬼は腰を落として足を踏み鳴らした。
両腕を締める鉄の枷など重みもないと言う風に構えてみせる鬼へ、音に出さず舌打ちする。
面倒なことになった。
山颪が如く吹き荒れる闘気に中てられぬよう、妖忌は刀へ伸びそうになる手を抑えていた。
抜けば力試しに付き合わねばならぬ。そして力試しとはいえ、死力を尽くさねば鬼は納得すまい。
冗談ではない――こちらは久方ぶりにありついた仕事を控えているのだ。
「鬼と仕合い、無事に済む道理もなかろうが。いまは用事を抱えている故、腕比べは受けかねると申しておる」
「そんなものはうっちゃっておけばいい。あたしはあんたの剣が見たいんだ」
「無体を言うな。貧乏慣れはしているが、喰うものを喰わねば顎が干上がる」
「ええい、なんだいなんだい! あたしと闘るのは嫌だってのかい!」
「だからそう言っておろう」
うっかり本心を呟いてしまったが、勇儀はそもそも聞いていないようだった。
子供のようにどすどす地団駄を踏み、恨みがましげな半眼で睨めつけてくる。
「あんたは相当、遣うはずなんだ。下手な謙遜はするなよ。鬼は嘘を嫌う」
「謙遜なものか。明日の米味噌にも事欠く貧窮よ」
「そっちじゃないよお馬鹿。……ああ。ああ、侍よ! もったいないと思わないのか? 手加減無しで闘れると確信できた相手なんざ何十年ぶりなのに!」
「知らんよ。……放せ、放せ。破ける」
「あんたにも悪い話じゃないだろう。鬼を斬ったと箔がつきゃ、旗本からでも引く手数多というものだ」
「地上では、剣客を雇わねばならん時代は終わっておるのだ。鬼の頭領」
うんざりと呟いて、ふと。
妖忌は呼吸を止めた。意識してのことではない。こちらの襟首を掴む鬼の力は遠慮のないものだったが、そのせいでもない。
自身で吐き出したひと言が意識に引っかかっていた。
――剣客を雇わねばならん時代は終わった。
『剣客を雇わねばならぬ時代は終わったのです』
記憶の中から滑り出てきたのは、自身の言葉。
錆び付くことも、埃に霞むこともなく、つい今し方の出来事のように鮮明に思い出せる。
それはかつて、彼が主の下を離れる際に告げた言葉だった。
『桜哭かずして冥土は静泰、幽冥楼閣は貴女の下、穏やかな死後を魂に約束するでしょう』
『なれば貴女がまことに従えるべきは、その御身を損ねる厄災を寄せ付けぬ硬き盾』
『我が剣、遂にして剣を脱すこと能わず、その役目に適わぬと了悟致す次第。然らば、血吸い刀が錆びくれ浄土を穢す前に、私は――――』
「――――侍?」
我に返る。
はっと焦点を合わせた視界には、怪訝そうな星熊勇儀の顔が映った。襟首を鷲手に掴んだまま、口を曲げて唸っている。
「鬼の話を無視するとは良い度胸じゃないか」
「や……失礼」
と、返す言葉も上の空であったことは否定できない。着物を掴まれたまま、妖忌は横目に通りの方を見た。
ゴリアテ人形と若い鬼の力比べは終局を迎えつつある。多くの鬼が疲れ果て、今は三、四名ばかりが挑みかかっていた。彼らも遠からず音を上げるだろうが。
無論人形も動きは衰えていた。汗などかくわけでもないが、鬼のタックルに目に見えてよろけている。
しかし、屈さぬ。
並の男なら十人束ねて摘み捨てる鬼の若衆を相手取り、それでもゴリアテは膝をつかない。真っ向から相手を掴み返し、技術も何もない力投げではね除ける。膝をついたら負けとでも思っているのだろうか。
パラ・メンタル・マジック――覚り妖怪に言わせれば、ひどく単純な擬似精神。
子供じみているのも道理であった。正しくムキになった子供のように鬼との力比べを続ける人形を見てそう思う。
闘志があるだの、意欲的だのと呼べるものではない。前進しか考えぬ剣が許されるのは、剣を振るう意味も分からぬ手習いの時分だけだ。
(――では、お前は?)
何者かが問う。
声のない、耳の底からじわり染み出すようなその問いに、しかし妖忌は狼狽えない。問いの主ならば漠然と察していた。
問うているのは己自身だ。
己の剣が問うているのだ。
(剣を振るう意味を見失い、無為な流浪に歳月を溶かし。無様が過ぎると思わぬか。まだしもあの絡繰り人形の方が潔い。抜かず収める『居合い』の極意だと? 笑止な! お前は慎ましく技倆をわきまえたつもりで、ただ小利口な屁理屈が洒落臭いだけの腑抜けに堕したに過ぎぬ――――――!)
「左様」
「あん?」
突然、皮肉げに口を歪めた妖忌に、勇儀が眉間に皺寄せる。
構わずに妖忌は鬼の目を見返し、きっぱりと告げた。
勇ましくはない。しかし臆することもない、静かな枯木のような声。
「老いは剣気を陰らせ、骨と肉から意気地を奪う。地底の大鬼と刃を交えるだけの覚悟はいまの私にはないのだ」
「はッ、強い奴は見れば分かる。怪力乱神、力の勇儀の目ン玉が、あんたは強いと言っているんだ。強い奴なら、闘る気にさえなりゃ身体の方で沸き立つさ」
「鬼の尺度で考えてくれるな。ともあれ剣は抜かん」
「うがああああもう、口弁の立つ爺さんだなあ! やい、お前もなんとか言っとくれ! こういうのはお前の得意だろう」
掴んだ襟をがくがく揺らして喚いていた大鬼が、不意に顔を上げた。
盛大に揺れる視界の中でその視線を追い、妖忌もそちらへ顔を向ける。
通り沿いの長屋の平屋根に、小さな影が蹲っている。
影はしばらく微動だにしなかったが、やがてもぞもぞ蠢くと、ぴょこんと二本の角を生やした。こちらを振り向いたらしい。
そこに居たのは小鬼だった。
蹲っているのではなく寝そべっていたらしい。腕を枕に、大儀そうにこちらを見下ろす童女の目はどこか気のない調子である。
見た目だけなら覚り妖怪よりも幼い二本角の鬼は、小さな嘆息と共に呻いた。
「きっぱりフられてるんだ、諦めなよ」
「分別くさいことを! 萃香、お前も鬼なら、こいつの腕を見てみたいだろう」
「私はあんたほど血気盛んじゃないの」
憤慨する勇儀に答え、萃香と呼ばれた鬼は面倒臭そうに身体を起こす。その手には矮躯に不釣り合いな大瓢箪の提げ緒を握っていた。
その瓢箪をぐい、と大仰に呷り、小鬼はふらり立ち上がる。妖忌の襟を掴んでぶら下げたまま、勇儀は怪訝そうに首を捻った。
「どこへ行くんだい」
「静かなところさ。喧しくって眠れやしない」
しかめ面で答え、萃香は屋根を伝って歩いていく。
が、その足取りはどうにも覚束ない。何度か足を踏み外しかけ、がぶがぶと呷る酒の雫を溢しながら小さくなる背中を見つめ、勇儀が拍子抜けした風に鼻を鳴らす。
「なんだい。付き合いの悪い奴め」
「あの鬼、肝の臓でも患っているのか?」
ふらつく小鬼の足取りを見送り、妖忌は眉根を寄せた。
もっとも、鬼が病に罹るということ自体が考えにくい。案の定、勇儀が軽く肩をすくめる。
「数百年と年季の入った酔っ払いだぞ。そう柔な身体はしていないさ」
「左様か」
「ここしばらく喧嘩もせず、ああしてぐうたら呑んでばかりだからね。流石に悪酔いしてるんだろう」
がりがりと長い髪を掻きむしり、大鬼は盛大な溜め息をついた。
「あー! 長年の友は愛想が悪いし、珍しい客人は乗り気でないし! つまらん、実につまらん!」
「揺するなと言ったろうが、おい、破ける破ける破ける」
襟首を捕まえた妖忌を、縁日のボンボンでもつくように振り回す鬼に抗議の呻きを上げる。
一張羅を破かれる前にどう止めさせるべきか悩み始めたとき、不意に身体がぴたりと止まった。
勇儀の鼻っ面に鋼色の壁が突きつけられている。否、それは壁ではない――
ニヤリ、愉快そうに口の端を歪め、一角の鬼は壁の向こうを睨めつけた。
「向こうは片付いたようだね」
「ゴリアテー」
眼光に圧されまいとするように、鬼へ突きつけた壁――鋼の長剣を構えたゴリアテ人形も双眸を細める。元々が精緻な造作の顔は、そうして引き締めているといかにも西洋の戦女神じみて見えた。
背後では、鬼の若衆が力尽きた様子でこちらを眺めている。力比べはこの物体に軍配が上がったようだ。
微かな賞讃の色を込め、勇儀の瞳がぎらりと光る。
「あれだけの鬼を相手にして、挙げ句に私と闘ってくれるのかい」
「ジジー」
「うん?」
唐突に呼ばれ……そもそも名前を呼ばれたわけでない事に気付き渋面をつくる妖忌へ、勇儀が視線を向ける。
彼を掴まえる鬼の手を睨んで、人形はさも立腹しているとばかりに口を開き――その憤慨を伝える語彙を持ち合わせていなかったのだろう、困り顔で首を傾げていた。
辛抱強く待っていると、やがて適当な言葉を探り当てたらしく、膨れっ面で宣言する。
「モッテカナイデー」
「お前の玩具か、私は」
鬼に掴まれているため、足下の小石を蹴飛ばして額にぶつける。
額を押さえて仰け反るゴリアテに、勇儀は豪快に笑声を上げた。剣先が逸れたからという訳でもあるまいが、ずっと掴んでいた妖忌の襟を解放する。
「そうか、そうか! 大丈夫だ、あんたの爺を取り上げるつもりはないよ、大人形!」
「誰があの物体の持ち物だと……鬼、おい」
「爺は腑抜けちまったようでね。代わりに、あんたがあたしの相手をしてくれるかい?」
「フヌ――?」
と。
一度は引いた剣をゴリアテが再び持ち上げるのに、妖忌は慌ててそちらへ手を振った。
「物体、いい加減にしろ。いつまでも遊んでいる訳にはいかんのだぞ」
「ひっこんでおいで、侍。あたしとこいつの問題だ。なあ?」
もう闘る気になっているのだろう、豪放に笑う鬼を睨み、ゴリアテは無言で長剣を構える――ただし、両手で一本の剣を支えて。
見れば既に脚はふらつき、両腕を使っても剣を支えきれていない。若い鬼との戦いで動力を消耗しすぎたのだ。
視線だけでその様子を観察し、勇儀が静かに腕の枷を鳴らす。
「疲れているようだね。少し待つかい?」
「……ゴリアテー!」
「いい覚悟だッ――――!」
半ば自棄とも聞こえるゴリアテの喊声が合図だった。鬼と人形、互いが互いを目指して疾駆する。
地を蹴る音は雷鳴さながら。
唸る颶風は稲妻さながら。
鬼の若衆からは鋼が光ったとしか見えなかったに違いない。それほどまでに疾く、鋭く、迷い無い一合であった。
ゴリアテの剣は重量に任せた大上段。満足に動けぬ身体で鬼の怪力を打ち破るには最善の工夫と言える。
最善なればこそ、勇儀はそれを見抜いたろう。見抜いた上で真っ向から受けて立つ、地面ごと掬い去るような振り上げる拳が彼女の応じ手だ。
人形の剣が天を裂き、鬼の枷が地を砕く。
誰もがその様を幻視しただろう。
ただ一人。剣と拳が打ち合う瞬間、割って入った魂魄妖忌を除いて。
「ッ!」
「侍――――っ!?」
共に相手を押し切るつもりだったのだろう。渾身に込めた力を急激に殺されたゴリアテと勇儀は身動き取れず、自分たちの狭間に立つ老爺を凝視していた。
右手に抜き身の打刀。
左手には、それを収めていた鞘。
腕と背中で背負うように構えた刀が巨剣の鍔元を噛み、鞘は鬼の拳先でなく肘を引っ掛けた上で鞘ごと踏みつけ抑え込んでいる。
踏み込む位置と機を一寸でも違えれば死を避け得ない――針の先を針で受けるが如き妙技であった。
「双方そこまで」
決して軽くはない剣と拳を封じながら、妖忌の声には震えもない。聞けば思わず背筋を伸ばしてしまう類の厳粛な眼差しで、鬼と人形をそれぞれ睨みつける。
その視線に弾かれたように、二者は同時に飛び退いた。と言って、半歩ばかり後退したに過ぎなかったが。
刀と鞘を元通りに腰帯へ差し、妖忌はじろりと勇儀を睨む。
「こちらの事情は告げたはず。承知で焚きつけるのはものの道理に反しよう」
「人の尺度で考えてくれるな。……ってところかね、あんたの言葉を借りれば」
肩をすくめ、勇儀は止められた己の拳をしげしげと見つめていた。
苦い息をつき、今度はゴリアテ人形へ目を向ける。びくりと竦み上がり、慌てて剣を腰へ戻す巨体の姿は滑稽だったが……何も言わない。
無言で鋭利な視線を注ぐ妖忌に、人形がおろおろと視線を彷徨わせ始めた頃、勇儀が声低く唸った。
「あんた、二刀を遣うのかい」
解いた拳を振りながら、彼女は探るように首を傾ける。
「なぜ一刀しか持たぬ」
「……喰わんが為、質に入れたのでな」
「ふん。鬼に隠し事かい?」
「たわけ。事実だ」
半眼で告げるが、鬼は首をすくめるだけだった。
そしてじっとこちらの目を覗き込んでから、キュウと口角をつり上げる。
「なんだっていい。ともあれ、あんたは万全ではないってわけだ、侍」
「…………」
「今度は二本を差してきな。あたしは全力のあんたと仕合いたい」
「来ることがあればな」
「小賢しいことを!」
豪快に笑う鬼に、ばしんと背中を張られる。
息が詰まるほどの力に顔をしかめるが、何にせよ面倒は避けられたらしい。頭を振って歩き出し――かけるが、ふと思い立って勇儀を振り返る。
「訊ねるが、神社裏の風穴と別の出口などはないものか」
「あん?」
「土蜘蛛たちと一悶着あってな。出来れば避けて通りたい」
「ああ……まあ、あの娘らもここの暮らしを守りたいだけなんだ。悪く思わんでくれ」
優しい娘たちなんだよ、と苦笑する鬼に、よもやこちらから襲いかかったとは言える由もなかった。
幸い勇儀はこちらの沈黙に気付くこともなく、磨り減った敷石の通りを示してみせる。
「真っ直ぐ行けば件の風穴だが、その手前に橋がある。そこの橋姫に訊いてみるといい。この辺りの道はあの娘が明るい」
「む、かたじけない」
「ちょいと癖のある奴だが、なに。悪いようにはしないだろうよ」
肩を揺する勇儀に、妖忌は吐息だけで苦笑した。今更、この鬼や覚り妖怪よりアクの強い妖怪もおるまい。
一礼して歩き出す彼の背後で、勇儀がからからと笑い声を上げた。立ち尽くしているゴリアテ人形に語りかけているらしい。
「失言を取り消すよ、大人形。あんたの師匠は腑抜けじゃあないな」
「フヌケチガウー。バカジャネーノ」
「悪かったって。師匠と一緒に、また遊びにきな」
「ゴリアテー!」
嬉しげに声を弾ませ、早足に妖忌の後を追う人形を、鬼の頭領は意外にも――とまで言うのは失礼か――優しげな笑顔で見送っている。
人形が追いついてきたので視線を前に戻し、妖忌は黙々と歩き続けた。
先ほど睨みつけた意味は、人形頭なりに理解しているらしい。ついてくる巨大な足音も心なしか大人しげに聞こえた。
それはどこか、こっぴどく叱られた親に手を引かれ歩く子供を思わせる。遥か昔、孫が今よりも更に未熟であった頃は妖忌自身がよくそうして孫を叱ったものだ。
「――――例え」
だからと言うわけでは、断じてないが。
気付けば彼は立ち止まり、ゴリアテの玉眼を見上げていた。
「手遊びの剣でも、まずは教えを守ることだ」
「……ゴリアテー?」
「戦うなと言った相手とは戦うな。暴れるなと言ったら暴れるな。とにかく、仕事の邪魔をするな」
ゆっくり目を伏せ、息を吸う。
これから発しようとしている一言を、後悔するという確信はあるが……
百万匹の苦虫を噛み潰したような顔を造り、実際そんな気分になりながら、妖忌はぽかんとしている人形へ半眼を向けた。
「それを守ると誓えるなら、物体…………………………ええい。いいだろう、私も誓おう。貴様に、剣の道のなんたるかを教えてくれる」
言葉の意味を、理解できなかったのだろう。
白髪をがりがり掻きむしりながら、吐き捨てるように告げた妖忌を、ゴリアテはしばし瞬きもせずに見つめていた。そのまま数秒も難しい顔で黙りこくってから、やがて、絵筆で塗り替えるように笑顔を浮かべてゆく。
そこから光線でも出さんばかりに笑みを咲かせた人形は両の拳を胸に当て、はちきれんばかりの喜色を湛えた声で叫んだ。
「ハラペコー!」
「このタイミングだぞ貴様!!」
反射的に指摘して、妖忌はゴリアテの脛に回し蹴りをくれる。
元より人形は意に介さぬ様子だった。作り物の瞳をきらきら輝かせ、今にも辺りを跳ね回り出しそうな有り様である。「ハラペコ」でなければ実際にそうしていただろう。
流石にあの数の鬼と仕合って、消耗しない訳もないか。
憚ることなく盛大な溜め息をつき……妖忌はおもむろに袂を探ると、取り出したものを指で弾いた。
ゴリアテの鼻に当たったそれは、小さな草苺の実。
「沢で摘んでおいて正解だった。また腹の虫が轟く前に喰っておけ」
「ペコペコー」
呆れた眼差しに促されるまでもなく、既に人形は受け止めた苺を口に含んでいた。
未熟で酸っぱい苺を、人間でもそこまでしないというほど丹念に咀嚼して呑み込むと、ゴリアテはやおら妖忌の身体を掴み上げフリルの胸元に抱きしめる。
「ジジー、シショー!」
「……そういうことにしてやるから、離せ」
潰れる、潰れる。
容赦なく締め付けられながらなんとか蹴飛ばしてみるが、笑顔のゴリアテは気付いてもいない風だった。
童が仔猫を抱くように頬をすり寄せてくる人形に、妖忌はぐったりと脱力する。
人形に人形の如く扱われる我が身の滑稽は分かっていたが、笑えるほど気力は残っていなかった。
――この春色頭の物体に、一端の剣を仕込まねばならんのか。
見境無く暴れさせない為の方便とはいえ、誓った上は反故に出来ぬ。
誓えば、果たす。
その理を以てのみ剣士とそうでない者は区別される。
尤も、それすらこの人形が理解できるとは思い難いのだが。
露骨に険しい前途を思い、妖忌はもう何度目かも分からない嘆息を溢した。
「とまれ、此処にいても仕方ない。まずは鬼の言っていた橋へ向かうぞ、物体」
「ゴリアテー!」
だから早く降ろせと言ったつもりだったが、元気よく答えたゴリアテは彼を抱いたまま歩き出す。解放する気はないらしい。
色々なものを諦め、妖忌は観念して人形に運ばれる事にする。
ずんがずんがと建物を揺るがす巨大な物体を見上げ顎を落とす住人たちは、なるたけ見ないようにしておく。
このかさばる、厄介で、手のかかる物体に誓いを立ててしまったことは、魂魄妖忌一生の不覚と言って良い。
が。
ふん。成る程、良かろう。
認めようではないか。成り行きとはいえ、確かに自分は期待していた。
覚り妖怪は言った。自分の剣は迷っていると。
そしてその迷いを脱する何かを、この物体に見出そうとしていると。
彼に助言をくれる義理も無い地底妖怪がひとり、そう言っただけに過ぎない。彼にもまた、それを信じる義理はない。
しかし尚。さとりの人品を踏まえた上で尚、無視しきれない程度には思い当たる節があった。
――あろうことか、自分はこの巨大腹ぺこ人形に、何かを期待をしているというのだ!
改めて確認した言葉は口に出さず仕舞い込み。
鼻歌でも歌い出しそうな人形のフリルに埋もれながら、彼は頭を抱えようとする。しかし人形に拘束されているためそれもままならない。
無邪気に嬉しげな人形に、多少は皮肉るつもりで三白眼を向け――
結局それしか出来ないという理由で、妖忌は長々と嘆息した。
【続く】
>「うむ」
>「爆裂可愛いじゃないですか」
>「…………」
さとりんに概ね同意。
そして、そんなさとりんも一番好みのタイプのさとりん。後ゴリアテかわいい。
こんな作品を待っていた。
でも面白いんで読んじゃいます
「剣の極意は、抜かずにことを収める『居合い』の心得。手当たり次第に斬り捨てるのは辻斬りと変わらん」
……孫に全く伝わってない……
さっそく2へ突撃してまいります!
ちぐはぐなコンビですが、意外にもお似合いな感じで見ていて楽しい。
はてさて、異変の先には何があるのか。期待して読み進めたいと思います。
いろいろと突っ込みたいけどとりあえず、
>「ハラヘリヘリハラー」
古い!
電車の中で声出したんだけど。マジ恥ずかしいんだけど。
でも面白い
そして作中の雰囲気や、登場人物の軽妙洒闥な掛け合いが、まったくもって気持ちいい。
爆裂お茶目カリスマなさとりさまもいいですね。
粋な小町もたまらない。
そしてなによりジジイが良すぎる。
残り三話、これから読ませていただきます。
…さて、こいしちゃんを探す作業に移るか。
気に入った。しばし同道させて頂きやしょう。
巨大人形ちゃんにはどこかで会った記憶がある。
フェリーニの映画だったような気がする。
かの大女も清純で、逞しくて、神々しかった。
完結まで一気に読めるとか俺のテンションがうなぎ登り。
まだ1しか読んでないけど続きに期待して満点もっててー
アリスは故郷を滅亡の危機から救うため、たった一人で神に挑んでいたんですね・・・
100kbというと、気合を入れてさあ読むぞと心してかかるような重たいものだった印象でしたが、気がつくとあっさりと消化してしまっていました。
ジジイと巨大フリル物体のやりとりが雰囲気を和ませてくれました。そして、格好よく決めるときにはキチンと決めてくれる。
さとり様のつかみ所のない性格が魅力的でした。
今回は地底編といったところでしょうか。各勢力を訪問する形の物語なら、まだまだいろんなキャラクターに出会えそうな予感がします。
こんなにいい作品が4つもあるとはなんという幸運か! 楽しい一週間が過ごせそうです。
横に水戸の御老公置いても違和感ないよこの二人。
では2へ行ってきます。
ピクッ
ってのは冗談として。
緩急の付け方が素晴らしい。空気が張ったかと思えばあっと言う間に崩して笑かす。
読んでいて飽きが来ませんね。
余計なお世話かもしれませんが、気炎は燃やすんでなく揚げるものだと思います。
妖忌との掛け合いも凄く素敵です。
これは続きが楽しみ。
さとりん可愛い
語彙がとても豊富だなと思いました。しかし、堅苦しくなく、かわいさで動くゴリアテやどこかで出てくるこいしのおかけで、
とてもキューーーートなssの印象でした。
なんぞこの要領
と、思わずにはいられないけどビックリするほど読みやすくて内容が面白い
ジジイの渋さとゴリアテの可愛さの凸凹コンビが超科学反応か何かを起こし、さらにそこに小町やさとりなどのアクセントが効いて爆裂面白い
今すぐ2へ飛んでいきます
いや面白すぎますよ。テンポが良くて、文字数があっという間に消費されていきますし、ゴリアテは可愛いし、ジジィはお茶目だし。
それでは、早く続きが読みたいので2へ行ってきます!
さて、次行くか。
これは面白い!
さとりんがさとり妖怪しているのも珍しいw
さて次を読まねば・・・あ、朝日がぁー!
まず最初に思い浮かんだ感想がそれでした。
セリフの言い回しや掛け合い、テンポよく流れるよな情景描写等々レベル高くて驚きました。
キャラ立ちも素晴らしいし、文句無しです。
キャラも、その口調も、良いなと思わせられるものでした。これがまだあと3つあるのか…!
続きを読む作業に入ります。楽しみ!
張り切って2に進ませていただきます。
当たり判定の大きそうなゴリアテ人形にとっては何よりも警戒すべきスペルですね。
・>「ああん」
このさとり姉様はぬえをも飼っていたに違いない。
・全体的に幼気(いたいけ)なゴリアテ人形が微笑ましかったです。
ああん
感想は読み終わるまで控えます。
ゴリアテの半角セリフがいちいち可愛いし、妖忌が最高に格好いい。
ゴリアテと勇儀の間に割り込んだ瞬間とか、もうね、脳汁分泌しまくり。
心を暴かれるのは問題ではない。心を握られぬよう、己を律するのだ。
ていう、さとり様に対する心構えが「いかにも」と思わせてくれる。たまらんね。
タグでなんだこれはと思ったけど読んでみたらこれはとてもいい。続きが楽しみ。
ハラヘリヘリハラなどなどの小ネタも面白い。
おもしろかった、次!
何度読んでも面白い、このジジイと物体のやりとりが・・・
そして読み終えると気付く時間の経過ww
夢中になって入り込んじゃいますな
じじいと幼女(でかいけど) 鉄板の組み合わせにによによと続きを読みたいと思います
多面的に描かれていて深みがあります。