Coolier - 新生・東方創想話

メランコリックフランドール2

2011/10/10 22:20:28
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   ◇


 フランドール様がまともな調子に戻るまで丸数年。その間ほぼ同じような日々を過ごしているわたしに、まともな記憶はあまり残っていない。
 逆に言えば、滅多に無い日であればそれなりに思い出すことはできる。
 例えばこんな日のこと。
 いつものお勤めを果たすべくフランドール様のお部屋に向かうと、真っ暗な闇がわたしに襲い掛かってくる。いつもは謎の照明で明るい部屋が、一切の光を失っていた。
 しょうがないので「フランドール様、起きていらっしゃいますか?」と声をかける。
 返事は無く、代わりにうっすらと光が灯る。
 反応がそれだけでどうしていいか分からなくなったが、とにかく確認しなければ始まらないと部屋に踏み込み、ベッドの近くまで行き覗き込む。
 フランドール様は寝巻き姿でうつ伏せになっている。翼が何かを言いたそうに動いているので起きてはいるのだろうけれど、相変わらず反応がないので、もう一度「フランドール様?」と声をかけると、僅かに首を捻りこちらに視線を向けてくる。
 照明のせいか雰囲気のせいか、いつもよりなお生気のない表情は、思わず息をすることさえ躊躇うほど弱々しい。守らなければいけないのに、手を触れてしまえば崩れるような、そんな気がしてわたしは、ただただ見守ることしかできなかった。
「……三号?」
「はい」
「お願い……今日は何もしないで」
 それで限界だったのか、フランドール様の顔が再び枕に隠される。
 視線には天然の魔力が宿っていたのか、顔が見えなくなってからようやく意識が他のことにも向き、手がシーツをぎゅっと握り締めていることや、体が微かに震えていることに気がつく。
 とても苦しそうだ。しかし、当人からのリクエストは「放置」。
 何度も踵を返そうとしたが、流石にはいそうですかと帰れない。せめて何が辛いのかだけでも聞かせてもらえないだろうか。でないとわたしの精神衛生的にもよろしくない。
 中々出て行かないことを察したのか、わたしがもう一度名前を呼ぶと、意外にもすぐに返事がくる。
「夢を見たの。
 ……すごく、辛い夢」
 正直なところ、わたしはその「辛い夢」とやらをうまく想像することができない。夢の内容が悲惨だったのか、意識を取り戻してからの余韻がひどいのか――何がフランドール様を苦しめているのか――分からない。
 どう返していいものか困った挙句、わたしはとにかくできることを行うことにする。
「承知いたしました。胸の内に留めておきます」
 本当にただ、聞きましたとしか言っていないような言葉だったが、気に入っていただけたのだろう。頭と翼が僅かに頷く。
 結局その日はそのまま失礼して、他のメイドのお手伝いをして一日を終えた。
 次の日にはフランドール様も起き上がれる程度に回復しており、これといった問題も無くそれまで通りの日々に戻っていった。


   ◇


 どうもわたしが就いた時が最近の中でも一番調子の悪かった時らしく、話しかけられてから以降は少しずつ会話が弾むようになる。
 掃除の時はちゃんと部屋から出てくれるようになり、お召し物も毎日取り替えている。流石にお手伝いを申し出てきた時は驚いてしまいましたが、根がいい子なんだと分かってからは時たま、メイド長とかにバレない程度にお手伝いしてもらっちゃったりして。
 セカンドコンタクトの印象は、まんま箱入り娘といった感じで、言動からして正直アホの子なんじゃないかと思っていましたが。ある日突然、本性が顕になってしまう。
「ねえ三号。ちょっと頼まれて欲しいんだけど」
 ある日のこと。紅茶を飲んでティータイムを満喫しているフランドール様が、そんな調子で話しかけくる。
「珍しいですね。何なりとお申し付けください」
「ありがと。じゃあ図書館からこれとこれ、持ってきてほしいな」
 そうしてメモ紙を受け取るのだが……これは、本のタイトルだろうか?
 とりあえずそのまま図書館に直行。小悪魔さんをひっ捕まえて、まず本の貸し出しってやってるんですかと訊ねてみる。
「ああ、フランドール様ですね。許可の下りている人には私が代行して貸し出しいたしますよ」
「そうなんですか。じゃ、これをお願いします」
 いつものですねー。とかるく受けた小悪魔さんが持ってきたのは、用途不明の書物。
 なんだろう。小説? それにしては文学的なタイトルをしていない。っていうか表紙が幾何学的過ぎる。
 思わず、「これ、何の本ですか?」と口に出すと、「数学の参考書です」という予想の遥か斜め上を行く回答が寄越される。
 これ、マジなんだろうか。なんかの悪戯?
 とにかくタイトルは一致しているので平静を装いつつ部屋に戻ると、「これこれ、ありがとう!」とフランドール様はご機嫌な調子で受け取って、紅茶を片手に読み始める。
 しばらく呆然とその様子を眺めていると、やがてフランドール様がノートとペンを持ち出してきて、数式を描き始める。
 数式、と判断したのは数学の教科書という情報があったからで、実際わたしが目にしているのは呪文のような記号の塊だ。数字は隅っこに追いやられており、まるっこい文字がただひたすらにイコールや+といった記号で纏められていく。途中から普通の言葉も混じり始めるが、数式を文章の一部のように扱っていて意味が分からない。
 これ、どうもマジらしい。
「あ、ごめんね。フツーにしてていいよ」
 はいと返事はするものの、それはちょっと無理な注文だ。すごく気になる。
「お勉強ですか?」
「のようなもの。どっちかっていうと遊びに近いんだけどね」
 ――これは、娯楽と言えるのか?
 紙面をこれ以上眺めるとわたしの脳がパンクしかねないので、参考書と手元を交互に見るフランドール様を眺め続ける。
「調子が良くなってくると、無性にこういうのがしたくなっちゃって」
「数字がお得意なんですね」
「うん。パズルとか大好き」
 どうやら認識を改める必要がある。フランドール様はまったくのアホの子ではないようだ。
「頭、良いんですね」
 何気なく口にした言葉だが、またしても何か予想外の言葉を放ってしまったらしい。ペンを握る指先が止まり、フランドール様の視線がこちらへ来る。ちょっと嬉しそう。
「ほんとに?」
 ――『ほんとに?』
「はい。わたしはそういう数式を扱ったことがないのでよくは分からないのですが、こういうことできるのが純粋にすごいなぁと思いまして」
 するとフランドール様は「……ありがと」と小さく呟き、照れながら数式へと戻ろうとして、そんな気分ではなくなったのかうにゃーとテーブルの上に上体を寝せて、参考書とノートを閉じてしまう。
「ごめんなさい。邪魔しちゃいました?」
「ううん。なんていうか、そういう評価慣れてなくって」
「えー。これくらいすごかったら、天才とかもてはやされてそうなのに」
「そうだったら良かったんだけど、ね」
 うへぁ――明らかにフランドール様のテンションがだだ下がりしている。そんなこと言ってる時点で、実際は違う現実があったと。
 強制的に打ち切ってしまうべきなのだが、その前にフランドール様が言葉を続ける。
「これさ、けっこう『気持ち悪い』って言われるんだ」
 ……ふむ。そういう視点もあるわけか。
「なるほど。そもそも『数学』なんていうものから説明しなきゃいけない人には、異質に見えたんですね」
 これを数式と認識できる者が、妖精メイドの中にどれほどいるだろうか。そんな者からしてみれば、フランドール様のこの遊びは、さぞかし奇異に見えることだろう。そちらの気持ちも分からなくは無い。
 うん。と頷いたフランドール様がさらに言葉を続けようとするが、どうにも口にできない様子でいる。
 いけない。なんとかして話題を逸らさないと……ああ、そうだ。
「フランドール様。一ついいですか?」
「どうしたの?」
「パズルも好き、と仰っていましたね――よろしかったら、わたしにも教えてくださいませんか?」
 引くに引けないのなら押し込んでしまえ。
 するとフランドール様は少し間を置いてから、僅かに微笑んで「うん」と頷いてくれる。
 よかった。なんとか挽回できるかもしれない。そう思っているわたしの目の前に、ことんと一つの立方体が置かれる。立方体は一面が九つのブロックでできているらしく、それぞれのブロックが違う発色をしている。
「なんでしょうか、これ」
「これはね。こんな風に動くから、六面全部を同じ色で統一するってパズルなの」
 言いながらフランドール様は、恐ろしく慣れた手つきで立方体をカチャカチャ回転させていく。そうして数分の時間もかけずに、配色のバラバラだった立方体を六面それぞれ別の色で統一してみせる。
 え、何これ。ハイレベルすぎる。わたしやっぱり地雷踏んだまんま?
 フランドール様は改めて立方体の色をバラバラに崩し、はいとこちらに差し出す。
 ……とりあえず受け取って、見よう見まねでかちゃかちゃと回してみるが、予想を遥かに上回る難易度に苦戦してしまう。フランドール様みたいに人差し指だけで回すのなんて無理。どうなってんのこれ。
 辛うじて一面を揃えてみるが、もちろん他の面はばらばらのまま。
 当然フランドール様の反応は落胆の「すごーい!」あれ、喜んでる。
「あはは……これ難しいですね」
「うん。みんなそう言って投げちゃうんだけど、一面だけでも揃えてくれたのは三号が初めてだよ!」
 言うフランドール様の顔といったらまあ。ご自身の翼でさえそんなに輝きませんよとつっこんでしまいそうなくらいきらっきらな目をしている。とっても眩しい。
「四×四面のもあるんだけど、うん。わたしにはそれがあるから、三×三は三号にあげる」
「え、そんないただけませんよ」
「ダメー。じゃあ全部の面が揃ったら返してね」
 これはなんたる意地悪……!
 だが、甘んじるしか手がないわたしは、「何十年後になっても知りませんよ?」とおどかしなのか目測なのか自分でもよく分からない言葉だけしか返せなかった。
「三号ならわりとすぐにできちゃいそうだけど……あ、ねえねえ別のパズルがあるんだけど、一緒に遊ばない?」
 眩しいままの顔で提案されると、思わず「いいですよ」と口にしそうになるが、手にしている立方体と目の端に映る時計が寸前で押し留めてくれる。流石にこの立方体以上に難解なものは出してこないと思われるが、解けるかどうかは分からない。そして、パチュリー様に呼び出しを食らっている。そりゃあ状況次第ではフランドール様のお世話を優先させるべきでしょうが、今のフランドール様はそれなりに調子もよい。なので素直に呼び出しの旨を告げる。
「そっか。じゃあまた今度ね」
 言ってから、調子が戻ったのかフランドール様は再びペンと参考書を手に取り、鼻歌交じりに数式の羅列を再開する。
 うん。なんかちょっとおかしい気もしますが、持ち直したのでこれでよし。
 今なら丁度、パチュリー様もお茶の時間になる。小悪魔さんの準備を手伝って、そちらへ向かうとしましょう。


「手遅れだったみたいね」
 紅茶を差し出された魔女は、湯気と香りの立ち上るカップをお薬のように一口含んでから、わたしに向かってそう告げた。
 いや、いやいやいや。流石に話が突拍子もなさ過ぎてついていけない。
「その、順を追って説明していただけないものでしょうか」
「流石にこればかりは説明していない私とメイド長の不手際ね」
 だからその説明をですねー。
 抗議したいのをぐっと堪えると、パチュリー様が人差し指をわたしに向ける。と言っても指しているのはわたし自身ではなく、ちょっとそれた場所。先ほどフランドール様から預かった立方体の入っている服のポケットくらいのところ。
 これが、どうかしたというのだろうか。
 しかし結論を語ることなく、魔女は紅茶を啜って話を変える。
「フランドールの調子はどう?」
「はい。最近はもう以前までの状態が嘘のように元気です」
「本当に元気なら、世話がないのだけれどね」
 ? 本当に元気なら、とはどういう意味だろうか。
 わたしが見る限り、フランドール様は元気と言って差し支えない状態だ。それをパチュリー様は喜んでいない? むしろ問題視しているような素振りだ。
 しょうがないので、続きを待つ。
 紅茶を二、三口すすると、魔女が憂鬱そうに口を開く。
「要するに今のあの子は、元気すぎるのよ」
「はあ。まあそう言えなくもないですけど」
「あの子のうつはね、この間までの「鬱」状態と、今みたいな「躁」状態がセットになってサイクルしているものなのよ。厳密に言うとこれはうつとは違うのだけれど、とにかく今のあの子は「躁」状態になっている」
「特に問題ないようにも見えますが」
「それが危険なのよ。異常な状態であるのに、誰も、当人さえも異常だと気がつかない。むしろ絶好調だと思ってしまう。
 徐々に露呈していくから気をつけなさい。この状態になると、やりきれもしないことをやろうとしてしまうから。自尊心が高くなったり、喋りまくっていたり、活動的になったりするのだけれど、あの子の場合は睡眠しなくなるのが一番危ない。こまめに寝ているかどうかを確認して、必要なら睡眠薬を飲ませるように」
 ……言い終わるくらいのタイミングで小悪魔さんに小袋を手渡される。どうやらこれがその睡眠薬らしいのだけれど、そこまで厳重にする必要があるのだろうか? 吸血鬼なんだからそんなに寝なくてもいいと思うし、っていうかレミリアお嬢様は平気で一週間くらい起きっぱなしの時もあるし。
「そりゃあ、無茶をやらかされればわたしも困りますが、そこまでひどいのですか?」
「逸脱の酷さも問題だけれど、考えてもみなさい。あの子には、そんなことを行うだけのキャパシティがあると思う?」
 なるほど。パチュリー様の言いたいことがなんとなく見えてくる。
 エネルギーは損失こそあれど、大体は等価のままめぐっている。あちらが立てばこちらで立たないのが世の常である。
 フランドール様には今、精神的に力がみなぎっている。しかしその力は常に発揮できるものではなく、長くて苦しい鬱期間を経てようやく出せる程度のもの。それも気がつかない内に一点集中している感じの。
「あなたが勤め始める前にね。あの子は思いっきり力を使って、その過負荷に耐え切れなくて、ひどく落ち込んでしまったのよ」
「つまりこのまま好き放題ざせておくと、いずれやってくる鬱状態の時にとんでもない目をみることになると」
「今はそうとっておけばいいわ。正しい理解は後々でいい。
 ただ問題が一つ。鬱の時と同じような距離を保って接すればいいのだけれど、まさかフランドールの方から歩み寄ってくるとは思わなかった」
 言いながら、再び立方体を指差す魔女。
 取り出してみて、パチュリー様のやっぱりと言いたそうな顔と交互に見比べる。
「……もしかして、わたしはとても気に入られていますか?」
「そうね。あの子のお気に入りのはずよそれ」
 よくよく立方体を眺めてみると、あちこちが擦り切れており、とても使い込まれたものだと分かる。も、もしかしてこれはとても重たいものを渡されてしまったんじゃあ。
 できることなら早めに返したいのだけれど、ハードルは高い。あと一応、念のために確認をしておこう。
「一つ質問をしても良いでしょうか?」
「つまらなくなければいいわ」
「……面白いかどうか分からない質問をしてもよいでしょうか?」
「いいから、はやくしてちょうだい」
「フランドール様は頭が良いのでしょうか?」
「そう言えるけれど、完全な理系ね」
 理系という概念はよく分からないのだけれど、とにかくアホではないと。
「それは心の病と何か関係があったりします?」
「むしろ要因の一つと捉えてもいいわ」
 さらにパチュリー様が言葉を続けようとして、言いよどんでから「この説明はまたの機会にしておきましょう」と言ってため息をつく。
「とにかく大事なのは距離よ。あまり親密になりすぎないこと」
「気をつけます……」
 ううむ。これは、困る。
 なにせ、広く浅くテキトーにが妖精たちのモットー。いやわたしだけかもしれませんが、とにかくこういうものの扱いには慣れていない。
 しょうがない。部屋においてしまうとそのまま放置しかねないので、これはしばらく持ち続けることにしよう。まあほら、暇つぶしくらいにはなるかもしれませんし。
 パチュリー様は、忠告はしたからねと言わんばかりに興味をわたしから本へと移す。後で小悪魔さんがフォローに来て、薬の補充など細かい支持を伝えてくれる。
 前までは地雷を踏まないように気をつけていたのに、今度は風に吹き飛ばされないようにしなくてはならないのか。
 きっと前任者のお二方も、苦労したんだろうなぁ。


 翌朝、フランドール様の部屋に向かうと、床一面が紙で埋め尽くされていた。
 紙はノートのページで、紙面のほとんどは昨夜見た数式たちがびっしり書き連なっている。
 挙句の果てにフランドール様は、鼻歌でも歌い出しそうな雰囲気で新しいノートに手をつけている。
 ――非常事態だ。
「フランドール様、昨晩はお休みになられましたか?」
「ううん、ずっとこれしてた。問題と証明が楽しくって止まらないんだ」
 パチュリー様の言っていたことを今になって初めてかつ正しく理解する。確かにこれは異常だ。できることなら今すぐ止めさせないと。
「はい。とても素晴らしいのですが……寝ていないのは流石にお体に障るでしょうから、そろそろ休憩なさってはいかがでしょうか?」
「えー、大丈夫だよ。むしろギンギンに冴えてるんだから」
「でしたら、なおのこと今ご休息ください。疲れすぎてからでは手遅れになりかねませんから」
「平気だってばもー、じゃあきりのいいところまで」
 とか言いながら手元では忙しく文章を書き続けるフランドール様。よくよく観察すれば文章の端々が始まりかけのような内容だ。これ多分止めないんだろうなぁ。
 しょうがない。遠まわしシフト解除。
「そんなことを言って。目の下に隈ができていますよ」
「え? うーん、鏡見れないからなぁ」
 実はできていない。吸血鬼は鏡に映らないのを見越しての力技だ。
「とにかく。今のフランドール様はちょっと危ないので、ここいらでサクっとお休みください」
「そうかなー? むしろ今寝てくださいって言われても寝れないかも」
「寝付けないようでしたら、睡眠薬をお持ちしますから」
 よしここで話がまとまる。と思いかけたのだが、ふっと何かを思慮するように空中に目を泳がせたフランドール様が、突然こちらに視線を向ける。
「ねえねえ三号、ちょっとすごいの見せてあげる」
「パズルでしたら、後でも構いませんよ」
「ううん今の方がいい。それに、パズルなんかよりずーっとすごいんだから」
 あれ、てっきり五×五の立方体や超難解な数式でも出てくるかと思ったのですが。
 わたしの返事を待たずに、フランドール様は部屋の中を物色して、一つのコインを取り出す。コインは外の世界のもので、貴金属としての価値はあるが幻想郷では通貨としての価値がないのだとか。
「三号、これ持ってて」
 と言ってコインはわたしの手に移り、そのままと言われる通り掌の上に載せておく。フランドール様は何故か遠ざかって、三歩くらい離れた所で立ち止まる。
「いくよー。コインをよーく見ててね」
 これをどうするのだろう。浮かすのだろうか。
 そんなわたしの予想を裏切るかのように、視界の端っこでフランドール様の手がこちらに差し出され、きゅっと握り拳を作り。
 ――大きな破裂音を立てて、コインが砕け散る。
 手の上に残ったのは、もう貴金属としての価値さえ危うい細かな金属片だけ。
 そして不思議なことに、わたしの手は全くの無傷だ。これだけの破壊が行われたのだからわたしの手も爆砕していそうなのに。
 入れ替えなどのトリックが頭に過ぎるが、砕けた衝撃がずっと手に残って、そんなちゃちなことが起こったのではないとわたしに訴えかけてくる。
 驚いて呆然としているわたしを見て、フランドール様が嬉しそうに近づき、金属片を人差し指でつまみあげて、さらさらとわたしの手の上に戻していく。
「すごいでしょ」
「はい……一体、何を?」
「うふふー。説明はするけど、分かるかな?
 世の中のありとあらゆるものには、力を加えればそれを破壊できる「目」が存在しているの。もちろん破壊って言うからには真っ二つとか粉々とかそんな物理的な破壊じゃなくって、それが用を成さなくなるくらいの意味合い的な破壊まで壊れる。
 普通はこの「破壊の目」はどうがんばっても見えないんだけど、私の数理的な直感が冴えると、吸血鬼としての力が「破壊の目」を理解して、私にも分かるようになるんだ。
 私がやったのは、その「破壊の目」を私の手の中に移動させて握りつぶしただけ」
 握りつぶしただけ。とは簡単に言うが、そんなことできるのかどうかは怪しい。そもそもわたしにはその破壊の目という概念からが未知の存在だ。というか確認できないのでそんなのあるわけねぇよハハハと否定するか、そうなんですかすっげぇーと肯定するしかないのですが、心なしか軽くなった手の上を見ると鵜呑みにして理解したつもりにならざるを得ない。計らずとも鏡の仕返しをされた気分だ。
「今ならこのくらいは軽いかな。もっと大きなものでも全然いけちゃう」
 ――もしかすると、時々廃棄されている瓦礫ってこれが原因の廃棄物?
 これはその、是が非でも休んでもらわなければならない。だってフランドール様はそんな危ない力を使ったというのに、やっぱり数式を解いているのと同じような雰囲気で話かけてくるのだから。いっそ禍々しい表情や危ない雰囲気でも纏ってくれた方が、安直に危険だと分かりやすいのに。こんなことが日常の一端であっていいはずがない。
「と、とてもすごいのですが。あまりモノを壊してしまうのはよろしくないかと」
「そうなんだよね。ほんとはこれお姉さまに禁止されてるんだけど、三号には――」
 言葉を途中で切ったフランドール様は、得意げだった表情が消えて、目をまん丸に見開いて。
「――うそ、お姉さま起きてる!?」
 悲鳴のように叫んで、ばたばたとベッドの上に避難するかと思いきや、そのまま向こう側へと転がり落ちてしまう。
 たしかレミリアお嬢様なら、今の時間帯は寝ているはずだけれども?
 そう言おうとするが、誰かが扉をひらいたような気配がする。
 その瞬間から、部屋全体が鋭い刃物で溢れかえってしまったようにギチギチとした空気へと変わる。気を抜いて動けばそれだけで大怪我をしてしまいそうな、危ない雰囲気。
 振り返ると、そこには寝ているはずのレミリアお嬢様が居る。どうやらこの空気を作り出しているのはお嬢様らしく、眉の釣りあがった怒りの表情をしている。
 そして視線が、ちらりとだけわたしを捉える。
 ……たったのそれだけで、体が、いや脳の奥から震え上がってしまう。目の前に居るのは地獄の業火と同じ。それと相対しているわたしは、消滅の危機に瀕しているのと同じだ。
 その場で立ち尽くしてしまったわたしを無視して、お嬢様は視線をめぐらし、ベッドの向こう側にある七色の翼を見つける。
「フランドール」
「ごめんなんさいごめんなさい! お姉さまごめんなさい!」
 必死の謝罪も空しく、ずんずんと近づいたレミリアお嬢様はフランドール様の首根っこを掴んで、部屋の中央へと引きずり出す。
「またやったのね」
「で、でもあの、その」
「やったのね?」
「あぅ……はい」
「何度も言わせないでちょうだい! それが壊しているのは、もっと大きなものよ」
 そうして、レミリアお嬢様の纏う空気が一瞬で激しく膨張し、部屋も、何もかも壊す勢いで叩きつけられた後。
 半泣きになってへたり込むフランドール様を他所に、すぐに萎んでしまう。
「その子……四号だっけ?」
「――申し訳ありません。三号です」
「三号か。この子への説明ということで今回は許す」
 それを聞くとフランドール様は、床をばたばたと移動してわたしのエプロンにしがみついてくる。本当に怖かったらしく、体が微かに震えている。
 そんな妹の様子を見てお嬢様は、先ほどとは打って変わった柔らかい笑みを浮かべる。
「ふうん。気に入っているみたいだね」
 ――当然のことながら、フランドール様がわたしのことを気に入っている。という意味で聞くのだが、「いいや、あんたもだよ」と何も意思表示をしていないのに釘を刺されてしまう。
 わたしもフランドール様のことを気に入っている?
 確かに。どちらかというなら必要以上に好意はありますが、どうしてそれを指摘する必要があるのか。
 しかし肝心なところを告げる前に、レミリア様は「これからもよろしく頼むよ。四号」と言い残して部屋から出て行ってしまう。
 あれほど緊張していた空気はどこへ消えたのか、地下室はいつも通りの少し沈んだ雰囲気に戻る。フランドール様もおちついたようで、わたしのエプロンから離れてぽふんとベッドに倒れこむ。
「あーーー………、怖かった」
「禁止されているのでしたら無理をせずとも」
「やだ。三号には知ってて欲しかったから」
 ……なんなんだろう。自慢のようなものだろうか? いや、どちらかというなら手の内をさらけだすというか、秘密を持ち出すような、親しみの込められた感じ。
 なんだろう。下手くそだなぁと微笑んでしまうような。妙なむずがゆさ。どうしたものかと服装を正してみると、不意にパズルの立方体が手に当たる。
 その固さにパチュリー様から言われたことを思い出して、レミリア様の指摘に納得する。そうか。わたしは今ここで、踏みとどまらなければいけないのか。タイミング的にはどこどこまでもフランドール様との距離を詰められるのだろう。しかし、その先に待っているのは――
「……ところで、どうしてあそこまで固く禁止にされているのでしょうか?」
 話題そらしついでに訊ねてみる。お嬢様の言う「色々」とはなんなのだろうか。
 フランドール様は、ベッドの上で寝そべったまま答える。
「お姉さまの能力を知ってる?」
「たしか、運命を操る程度の能力。でしたっけ?」
「それさ。あえて能力として名前をつけるなら、そういう名前にせざるを得ないってだけなんだ。本当は、お姉さま自身が意図的に運命を操作しているわけじゃないの。
 運命を数字で表すと、強い運命ほど大きな値で、普通な運命はそこそこの値くらい。お姉さまは、実はお姉さま自身がとんでもなく大きな運命の値を持ってて、そこまで大きな運命は他のそれなりの運命の近くでは、値が比較にならなくて、全体としてそれなりの運命が無視されて、本流が大きな運命と変わらなくなってしまう。数字でも万とと一では一なんて誤差みたいなものだから無視されてしまう。お姉さまの言う『数奇な運命を辿りやすくなる』っていうのは実はそういうこと。レミリア・スカーレットの巨大な運命によって、他の運命を持っている人は巻き込まれて結果として「数奇な運命」を辿ることになるの」
 ……なんという屁理屈だ。というか数値に置き換えて説明しなくても。
 こう言い換えることもできる。レミリア・スカーレットの運命が全て数奇な運命のうちに含まれるのならば、彼女と出会い関わることそのものが数奇な運命となる。例え出会った当人がそう思っていなくても、第三者から見ればそれは十分に数奇な運命と呼べる。
「お姉さまが実際にやっているのは、吸血鬼の力がその運命と結びついて、自分の回りに起こる運命を辿ることができるだけ。でも未来予知みたいなものだから、わりと運命は変動している。えーっと、前置きが長くなっちゃったけどわたしの力が禁止されているのはこれを踏まえた上でのこと。わたしの力でモノが破壊されると、周囲の運命が著しく変動をきたすからなんだ。それもほとんどの場合は悪い方向へと転がり落ちてしまう。何より、お姉さまが辿っているものに酷いノイズが入るから、禁止になってるの」
 最後の理由はわりとレミリア様本意のような気が。まあ、あんなに怒るくらいなのだから無視できないレベルなんだろう。そう思うことにしておく。
 ふと、そこで一つ思いつく。
「……とすると、もしかしてフランドール様の力も、根本は運命に関わっているのでしょうか?」
「おお、三号すごい。確かにそうだね。わたしのもある意味では運命を操っている」
 ただしそれは、その先の運命を全て奪ってしまう破壊だが。
 と、そこで喋りつかれたのか、それとも落ち着いたからなのか、フランドール様がくあっと大きく欠伸をする。そりゃあ寝ていないのですから眠たいでしょうとも。
「部屋は片付けておきますので、フランドール様はお休みください」
「うんありがと、すごく眠くなってきた」
「お薬はお持ちしましょうか?」
「……一応、お願い」
 すぐに水とお薬を用意して、飲んでもらう。薬の効き目が出なくとも相当な眠気が溜まっていたようで、ベッドに戻って枕に頭を預けると、わりとすぐに寝息が聞こえてくる。
 ……あれだけハジけていたものの、やはり疲れていたようで、フランドール様が目を覚ましたのは翌々日になってからのことだった。


 そんな躁の日々と、以前のような鬱の日々が交互にやってくる。とパチュリー様が仰ったように、フランドール様は数年単位で調子が変わっていく。
 その日々で一貫していたのは、本当にフランドール様自身が地下から出ようとしないことだ。どんなに調子が良くてはじけ飛びそうでも、調子が悪くて暴れてしまいそうでも、決して地上への階段に足をかけることはなかった。
 一度だけ。ちょっとお酒が入ってて頭が働いていなかったわたしは、軽い調子でその何故を聞いてしまったのだが、フランドール様の返答は「出たら、すぐ鬱になってダメになっちゃう」というものだった。
 ……鬱の状態になるには一定期間の経過か、もしくは過剰なストレスを感じた時なのだとパチュリー様から伺っている。
 つまり、地上にはフランドール様がひどくストレスを感じる何かが居るということか。
前回から約一月。作者のメンタルヘルスもアレなのでペースはお察しください。
能力等の解釈は勝手にやっちゃったこの作品特有のものということで。

読んでいただきましてありがとうございます。
が、ごめんなさいまだ続きます……
カイ
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コメント



0.890簡易評価
1.100名前が無い程度の能力削除
話の中にしっかりとした組み立てが、あるようでキャラクターや内容がブレていないのが凄いと思います。無理をなさらず、落ち着いて書いて下さい。気長に続きをまってます。
2.90奇声を発する程度の能力削除
続きを待ってました!これからどんな展開になるか楽しみです
作者様のペースでやって行けば良いと思います
3.100名前が無い程度の能力削除
姉妹二人の能力解釈は難しくて理解できませんでしたが、数学に当てはめるのはおもしろいと思いました。
……文系の頭じゃ理解できませんが。
7.100名前が無い程度の能力削除
久しぶりにそそわに来たら続きが!

カリスマと言うのとも違うおっかねぇおぜう…フランちゃんが地上へ上がれない理由と関係があるだろうか…ううむ。
四号、いえ三号も踏ん張りどころですねぇ
9.100パレット削除
 ちょっと小出し過ぎるかなあとは思わなくもなかったのですが、1に比してワンエピソードとしてのまとまりがついてるような感じなので、小規模連載としての面白さが出てきてるなあと思いました。
 続きをお待ちしています。
11.100名前が無い程度の能力削除
凄いな。とても面白かったです。
続きも楽しみにしています。
12.80名前が無い程度の能力削除
なにこれ!続きが気になる!妹が鬱で地下に出てこないっていうのは、なんだかすごく納得がいくなぁ...。
13.80直江正義削除
これは続きを期待ですね。
作者の世界観がうまく二次創作の世界に溶け込んでいて、お手本になるような作品です。
うまいなぁ。
15.100とーなす削除
フランドールのキャラに面白い味付けがされていて素敵でした。
フランとレミリアの能力ってなんか似つかないなあ、としばしば思っていたので、その二つを結びつけて解釈するのは目からウロコです。理系フランちゃん可愛い。
17.100名前が無い程度の能力削除
これはとてもいいフランドール様。
理系で知的なフランちゃんがかわいいです。
27.100名前が無い程度の能力削除
またたのしみにしてます
28.100名前が無い程度の能力削除
面白かったです