木々の緑は濃くなり、山も里も暑くなってきた。太陽を遮るように設けられた胡瓜のカーテンは涼しい風を部屋の中へと運んでいく。
私は緑のカーテンを覗くと、遠くで蔵を漁っている二人の神さまを見かけた。
「こんなに暑いのに、よくやりますね」
半身を窓から出そうとした時、偶然あたった手が一冊の本を机から落とした。その本のページから一枚の葉書が舞い落ちる。
【暑中見舞い申し上げます】
もう掠れてしまった文字が書かれていた。
「わぁ、懐かしい」
それは、昔に友達から貰った暑中見舞いの葉書。
「……たまには……書いてみようかな」
山の神社の一室で、私は机に広げた葉書を一枚手に取った。
「こうして手紙を書くのは、なんだか恥ずかしいですね……」
誰にも何も言わずに幻想郷に来てしまった。後悔はしていないけど、心残りは微かに在った。
「えっと、【暑中見舞い申し上げます】っと」
私のことを覚えていてくれてくれること祈りながら、私は筆を滑らせていった。
【暑中見舞い申し上げます。
拝啓 お元気でしょうか。猛暑が続いておりますが、いかがお過ごしでしょうか。
私のことは覚えているでしょうか】
<幻想郷に来るのは忘れ去られたもの>
私は、微かに震える手を押さえながら字を連ねていった。脳裏に浮かんだのは、微笑みあっている両親の顔。友達の顔だった。
「何をやっているんだろう。こんなものを書いても、届くはずないですよね」
心臓が締め付けられる痛みを感じていた。それは、懐かしさや悲しさが身体中を支配していくような痛みだ。私はきっと、この幻想郷に来た事を後悔してきているのかもしれない。
「もし、こんなものが届いたとしても……困りますよね」
もう戻る事の出来ない世界は、どこまでも遠くて。まるであっちの世界が夢の中のような気がして。私だけが夢から覚めてしまったような気だるさに襲われている。
私だけが覚えているのに、私の記憶の中の人たちは私のことを覚えていない。そうなったら……。
「もう、やめましょう。書いても無駄ですから」
切ない気持ちを押し込めて私は、葉書を引き出しにしまった。
昔の葉書なんて見るんじゃなかった。
私は氷室から氷を取り出しながら呟いた。
「……氷菓子なんて作るのは久しぶりですね」
神奈子さまが蔵にしまっていたカキ氷機を発見したのは、ついさっきのことだった。私は昔に作った記憶をたどりながら、氷を粉雪のように削っていく。
涼しく透き通った硝子の器には白い山が積もっていった。それは季節外れの雪のようで、夏の暑さを和らげる。
外の楽しい思い出は毒のように身体の自由を奪い始めていた。
「もう後悔しても仕方がないのに」
私は、もやもやした頭を振り切るように必死で笑顔を作った。
御柱に座っている神奈子さまと諏訪子さまに氷菓子を届けると、私は居間に入る。そこでは暑さにだれている霊夢が待っていた。
「お待たせしました。宇治金時でよかったですか」
「やっときたわね」
霊夢の目はキラキラと輝いて私を貫いた。幸せそうな目だ。
「いくら避暑でもだらけすぎですよ、霊夢さん」
なんでも、先日の大嵐で井戸も氷室も壊れてしまったらしく私の神社まで避暑にきたそうです。
「な、何よ」
「霊夢さんは、いろいろ大変ですね。この前は神社が倒壊してしまったらしいですし」
「まあ。あの地震でわたしの神社の氷室も井戸もガタが来ていたらしいのよね」
霊夢さんは呆れたように笑っていた。今は里の人たちに修理を頼んでいる最中で、修理の日程が決まらずに困っているのだそうだ。
「結局、わたし自信が修理をしなければならないのね。本当に暑くて溶けてしまいそうよ」
緑の山を銀色のスプーンが突き刺さった。
私たちは氷を口に運ぶと同時に頭に走る鈍痛に悶絶してしまった。
「そういえば。霊夢さんは、暑中見舞いを書いたことはありますか」
私は半分になった氷の山を掻き混ぜながら、頭を押さえている霊夢さんに聞いた。幻想郷にも暑中見舞いがあるのか知りたかった。
「暑中見舞いってなによ」
「こんな夏の暑い日に知人の安否を確認するための儀礼のようなものです。葉書に書くんですよ」
私は机にしまっていた葉書を取り出した。霊夢は私の葉書を覗き込むと、興味をなくしたように残っている氷を口に運んでいった。
「さてね……わたしの知人っていっても、暑くても神社に来る奴らばっかりだし。安否を心配するにしても無駄なような気がするのよね。殆どが妖怪なわけで」
「じ、じゃあ。霊夢さんのご両親とかにはださないんですか」
「出そうにもね。いないのよ」
私は一瞬、時間が止まったような気がした。笑う霊夢がどうしても理解できなかった。
「どうして、そんなに笑えるんですか」
「こればかりは性格。わたしにも両親がいたのは間違いないんでしょうけど。記憶も何もないのよ」
「……」
「そんな変な顔をしないでよ。わたしは一人でも楽しく暮らしているんだから。それよりも早苗は暑中見舞いを書いたの」
「まだ、途中です」
ここに来たことを後悔いし始めているなんていえない。幻想郷はいいところですよ。天狗さんも河童さんもいい人ばかりですし、霊夢さんたちも仲良くしてくれますし。
「それに、書いたとしても……届きませんから。それに」
私のことを覚えていないかもしれないじゃないですか。それが恐いんです。
「私は故郷を捨てて幻想郷に来ました。幻想になることは忘れ去られることですよね。両親もきっと私のことも覚えてませんよ」
私はもう一度必死で笑顔を作った。でも、その笑顔はパズルのようにゆっくりと崩れていった。
霊夢がどんな顔で私を見ているのか、見るのが恐い。
その時、私の額に微かな痛みが走った。いわゆる<デコピン>。
「早苗……あなたが故郷を捨てたことにどんな苦痛を感じているのか、わたしは分からないわ。幻想郷がわたし故郷だから。
でもね、ここもすでにあなたの故郷じゃないの。あなたは今、ここにいるんだから」
霊夢は静かに私を見下ろしていた。その目はとても強く、とても優しかった。
「霊夢さん。私もここを故郷にしてもいいのでしょうか」
「好きにしなさい。決めるのは、早苗よ」
相変わらず、霊夢さんは厳しいですね。
日が暮れて涼しい風が部屋の中を吹き抜けていった。
私は、もう一度机の前に座り葉書に筆を走らせる。
「皆と遊んだ思い出は今でも私の中に残っているんですね」
私は確かに外の世界で生きていた。
【暑中見舞い申し上げます。
拝啓 お元気でしょうか。猛暑が続いていますが、いかがお過ごしでしょうか。
あなたたちの娘は新天地で元気に暮らしています。 敬具】
私は後悔をせずにここで生きていこうと誓った。
この暑中見舞いの葉書が……いつか。
「いつか、届きますように」
私は過ぎ去った故郷の思い出に笑顔で向き合うことにした。それが……私なのだから。
私は緑のカーテンを覗くと、遠くで蔵を漁っている二人の神さまを見かけた。
「こんなに暑いのに、よくやりますね」
半身を窓から出そうとした時、偶然あたった手が一冊の本を机から落とした。その本のページから一枚の葉書が舞い落ちる。
【暑中見舞い申し上げます】
もう掠れてしまった文字が書かれていた。
「わぁ、懐かしい」
それは、昔に友達から貰った暑中見舞いの葉書。
「……たまには……書いてみようかな」
山の神社の一室で、私は机に広げた葉書を一枚手に取った。
「こうして手紙を書くのは、なんだか恥ずかしいですね……」
誰にも何も言わずに幻想郷に来てしまった。後悔はしていないけど、心残りは微かに在った。
「えっと、【暑中見舞い申し上げます】っと」
私のことを覚えていてくれてくれること祈りながら、私は筆を滑らせていった。
【暑中見舞い申し上げます。
拝啓 お元気でしょうか。猛暑が続いておりますが、いかがお過ごしでしょうか。
私のことは覚えているでしょうか】
<幻想郷に来るのは忘れ去られたもの>
私は、微かに震える手を押さえながら字を連ねていった。脳裏に浮かんだのは、微笑みあっている両親の顔。友達の顔だった。
「何をやっているんだろう。こんなものを書いても、届くはずないですよね」
心臓が締め付けられる痛みを感じていた。それは、懐かしさや悲しさが身体中を支配していくような痛みだ。私はきっと、この幻想郷に来た事を後悔してきているのかもしれない。
「もし、こんなものが届いたとしても……困りますよね」
もう戻る事の出来ない世界は、どこまでも遠くて。まるであっちの世界が夢の中のような気がして。私だけが夢から覚めてしまったような気だるさに襲われている。
私だけが覚えているのに、私の記憶の中の人たちは私のことを覚えていない。そうなったら……。
「もう、やめましょう。書いても無駄ですから」
切ない気持ちを押し込めて私は、葉書を引き出しにしまった。
昔の葉書なんて見るんじゃなかった。
私は氷室から氷を取り出しながら呟いた。
「……氷菓子なんて作るのは久しぶりですね」
神奈子さまが蔵にしまっていたカキ氷機を発見したのは、ついさっきのことだった。私は昔に作った記憶をたどりながら、氷を粉雪のように削っていく。
涼しく透き通った硝子の器には白い山が積もっていった。それは季節外れの雪のようで、夏の暑さを和らげる。
外の楽しい思い出は毒のように身体の自由を奪い始めていた。
「もう後悔しても仕方がないのに」
私は、もやもやした頭を振り切るように必死で笑顔を作った。
御柱に座っている神奈子さまと諏訪子さまに氷菓子を届けると、私は居間に入る。そこでは暑さにだれている霊夢が待っていた。
「お待たせしました。宇治金時でよかったですか」
「やっときたわね」
霊夢の目はキラキラと輝いて私を貫いた。幸せそうな目だ。
「いくら避暑でもだらけすぎですよ、霊夢さん」
なんでも、先日の大嵐で井戸も氷室も壊れてしまったらしく私の神社まで避暑にきたそうです。
「な、何よ」
「霊夢さんは、いろいろ大変ですね。この前は神社が倒壊してしまったらしいですし」
「まあ。あの地震でわたしの神社の氷室も井戸もガタが来ていたらしいのよね」
霊夢さんは呆れたように笑っていた。今は里の人たちに修理を頼んでいる最中で、修理の日程が決まらずに困っているのだそうだ。
「結局、わたし自信が修理をしなければならないのね。本当に暑くて溶けてしまいそうよ」
緑の山を銀色のスプーンが突き刺さった。
私たちは氷を口に運ぶと同時に頭に走る鈍痛に悶絶してしまった。
「そういえば。霊夢さんは、暑中見舞いを書いたことはありますか」
私は半分になった氷の山を掻き混ぜながら、頭を押さえている霊夢さんに聞いた。幻想郷にも暑中見舞いがあるのか知りたかった。
「暑中見舞いってなによ」
「こんな夏の暑い日に知人の安否を確認するための儀礼のようなものです。葉書に書くんですよ」
私は机にしまっていた葉書を取り出した。霊夢は私の葉書を覗き込むと、興味をなくしたように残っている氷を口に運んでいった。
「さてね……わたしの知人っていっても、暑くても神社に来る奴らばっかりだし。安否を心配するにしても無駄なような気がするのよね。殆どが妖怪なわけで」
「じ、じゃあ。霊夢さんのご両親とかにはださないんですか」
「出そうにもね。いないのよ」
私は一瞬、時間が止まったような気がした。笑う霊夢がどうしても理解できなかった。
「どうして、そんなに笑えるんですか」
「こればかりは性格。わたしにも両親がいたのは間違いないんでしょうけど。記憶も何もないのよ」
「……」
「そんな変な顔をしないでよ。わたしは一人でも楽しく暮らしているんだから。それよりも早苗は暑中見舞いを書いたの」
「まだ、途中です」
ここに来たことを後悔いし始めているなんていえない。幻想郷はいいところですよ。天狗さんも河童さんもいい人ばかりですし、霊夢さんたちも仲良くしてくれますし。
「それに、書いたとしても……届きませんから。それに」
私のことを覚えていないかもしれないじゃないですか。それが恐いんです。
「私は故郷を捨てて幻想郷に来ました。幻想になることは忘れ去られることですよね。両親もきっと私のことも覚えてませんよ」
私はもう一度必死で笑顔を作った。でも、その笑顔はパズルのようにゆっくりと崩れていった。
霊夢がどんな顔で私を見ているのか、見るのが恐い。
その時、私の額に微かな痛みが走った。いわゆる<デコピン>。
「早苗……あなたが故郷を捨てたことにどんな苦痛を感じているのか、わたしは分からないわ。幻想郷がわたし故郷だから。
でもね、ここもすでにあなたの故郷じゃないの。あなたは今、ここにいるんだから」
霊夢は静かに私を見下ろしていた。その目はとても強く、とても優しかった。
「霊夢さん。私もここを故郷にしてもいいのでしょうか」
「好きにしなさい。決めるのは、早苗よ」
相変わらず、霊夢さんは厳しいですね。
日が暮れて涼しい風が部屋の中を吹き抜けていった。
私は、もう一度机の前に座り葉書に筆を走らせる。
「皆と遊んだ思い出は今でも私の中に残っているんですね」
私は確かに外の世界で生きていた。
【暑中見舞い申し上げます。
拝啓 お元気でしょうか。猛暑が続いていますが、いかがお過ごしでしょうか。
あなたたちの娘は新天地で元気に暮らしています。 敬具】
私は後悔をせずにここで生きていこうと誓った。
この暑中見舞いの葉書が……いつか。
「いつか、届きますように」
私は過ぎ去った故郷の思い出に笑顔で向き合うことにした。それが……私なのだから。
わたし自身?
何時か届くと良いですね、とても良かったです
相方役の霊夢もいい味出してる。
少女の切ない心境、良かったです。
なんとなく
早苗さんを応援したくなりますね