夏を迎える前、奇妙な墓守が命蓮寺の墓地に現われた。墓守といっても墓を管理することは決してなく、夜ふらふらとどこからか起き出しては夜な夜な弾幕ごっこを行っている。
小傘がコテンパンにやられて帰ってきたこともあり、一体どんな妖怪かと私は警戒していた。
「そんなに攻撃は強くないんだけど、回復しちゃうから勝てないんだよー……」
小傘は怪我の手当てをぬえにしてもらいながら情けない声で言っていた。回復する?そんな簡単に?
疑問は募るばかりであった。
だが夜行性の相手ではなかなか出くわすこともできず、お寺のお勤めがある以上は私も勝手に夜のお墓を歩くわけにはいかない。
大して害を与える妖怪でもないので、放っておきましょうと一輪や星と話していた。
そのうち夏が来た。霊廟が復活し私達妖怪の存在が危惧されていたが、思っていた以上のことは起きなかった。
そして命蓮寺に新しい仲間がやってきて、いつも騒がしいこのお寺はもっと騒がしくなるのだった。
響子は相変わらず五月蠅い。ぬえは新しくやってきた仲間―マミゾウと一緒にいつも化かし合って笑い合っている。
ある時マミゾウが星のご飯を違うものに取り換えてしまって怒った星が虎になってマミゾウを捕食しようとした時は、ここは動物園かと私と一輪はため息を吐いてしまった。
普通の妖怪より獣の妖怪が多いこのお寺。やっぱり妖怪寺は普通のお寺じゃないのね。
そう言い合ったら、ナズーリンが自分は毘沙門天の使いだからあんな獣と一緒にするなと毒づいた。
マミゾウがそれを聞いてわしをお前のような小さな獣と一緒にするでないと悪態を吐き、さらに騒がしい命蓮寺は続くのであった。
おまけに響子が来ると声が反響されてもっと五月蠅いし……響子に悪気はないとは思うんだけど、山彦という種族である以上この弊害は避けられまい。
人間の世界にいた頃は静かに修行が出来るお寺だったけど、ここはもうそういう場所ではなくなったようだ。
別に嫌じゃないし、仲間が増えるのは嬉しいけれど。私と一輪くらいしか人間だった妖怪っていないなあ。
そんなどたばたした日々が終わる頃、蝉の鳴き声が小さくなって、風が涼しくなり秋の匂いがし始める。
山の神たちが秋が来たと知らせるように命蓮寺の庭は紅く色づきだすのであった。
幻想郷では季節の到来を神が教えてくれる。
人の里に招かれて見た秋祭りでは、秋の神である姉妹が嬉しそうに舞を踊っていたのがこの目に焼き付いている。
季節と言うものは本当に神様がくれたものなのだと私は神の漂わせる匂いを嗅ぎながら思った。
ある日、花壇に水をやった後廊下に出たら甘い匂いが命蓮寺いっぱいに漂っていた。台所からは湯気が漂っていて、もうもうとした湯気の中を覗き込むと一輪がひょっこりと顔を出す。
「おはよー」
「あら、おはよう水蜜。水やり御苦労さま」
いつもの頭巾は脱いでいて額には玉のような汗が浮かんでいた。湯気だと思ったものの中に雲山がいて捻り鉢巻きをしながら私を見ている。入道って捻り鉢巻きできたんだ。
ああそうだ。もうすぐお彼岸だから命蓮寺総出で今日はおはぎを作るんだったっけ。お彼岸だと法要しなくちゃいけないから前もってやっておくんだ。
お墓参りに来た人とかに配るんだよね。
「……!」
「黙って立ってるなら手伝えですって。だめよ雲山、水蜜はおはぎ作るチームじゃないんだから」
台所の中ではマミゾウが暑い、まったくわしを狸汁にして殺す気かと騒いでいるが、聖がもち米を捏ねているのを見て真似している。
こう言ってはなんだが、なかなかマミゾウは手際が良い。聖と一緒に並んでると……お婆ちゃん二人でおはぎを作ってるように見えちゃう。
「そう、そうよ。貴女上手ねえ」
「ほっほっほ。そりゃあわしは人間たちが作ってるのを見てきたからのう。そんじょそこらの奴よりかは数倍ええのが作れるぞい」
褒められてまんざらでもないらしく、次々に丸い形を作って行くマミゾウ。
奥の方ではぬえがめんどくさそうに小豆をかきまぜている。ぬえもおはぎ作りチームに駆り出されているようだ。
「あーあー、ぬえ。まだ砂糖いれちゃだめよ」
「砂糖はな、小豆が指でつぶせるくらいに入れないと失敗するぞ」
「もう……こんなの星にやらせればいいのに」
ぶつぶつと文句を言いながらぬえは二人のお婆ちゃんの言う事を聞いているのだった。
確かにこの二人に言われると文句も言いづらいだろうなあ。
「水蜜はちょっと縁側で休んでてね。おはぎができたらお墓に来た人に配りに行くのよ」
「うん、分かった」
「頑張ってね」
星やナズーリンは人里に挨拶しに行ってるし、私とか響子みたいなアウトドア組じゃないとこういうのはできないんだろうなと思う。
あまり手際が良くない、うるさいから台所に入らせてもらえないということは断じてない。
かくいう響子も今日は山に籠ってお経を唱えているからこっちには来てくれないんだけど。
お彼岸はこっちにいる人間も修行を積む時期だって聖から教わった響子は一生懸命それを実践しようとしているのだ。
でも、どうせまたそのお経が人間たちの恐怖の対象になって怖がられるのが落ちなんだろうなあ。
呼ばれるまで暇だったので縁側で命蓮寺のお墓をぼうっと見ていると、後ろから一輪に声をかけられた。
「水蜜。一皿分できたらみんなに配って」
「ん、分かった」
ほかほかと湯気を立てるおはぎがお皿いっぱいに盛られている。すぐにでも食べたいが私達が食べられるのはもっと後。
できたてを食べられる墓参りの人たちがちょっと羨ましくなるけれど、これも命蓮寺のために大切なことだから我慢我慢。
縁側から靴を履いて出て、ゆっくりと落とさないように墓地の方へ歩いて行く。
大きなお皿を抱えて命蓮寺の墓地に立っていると、早速墓参りの人たちがぞくぞくとやって来ていた。
手には桶や花を持っており、私がおはぎを布に包んで渡すとお供えしてから食べようと喜んで受け取って行ってくれた。
「ありがとう」
「おいしく頂くわね」
中には自分の家で作ったおはぎを既に持ってきている人もいたけれど、おおむねお供え(かつ家で食べる用)のおはぎは墓参りの人の手に渡って行った。
基本的に、お墓のお供えものというものはお花以外持ちかえるのが礼儀である。
お供え用の食べ物はお供えしてお参りした後、家に持ち帰ってみんなで食べる。それが決まり。
放っておいても動物とか妖怪が食べちゃうけどお墓は汚れるしやっぱり食べられる時に食べた方が食べ物としてもありがたいから。
一通り配り終えると、大分人がまばらになったのでお墓の中の見回りをする。食べ物が供えられていた場合はしょうがないけど、後から聖に注意してもらうことにしていた。
最近は聖の説法や注意の効果でずいぶんなくなったから私達も楽なんだけど。
お墓を通ると、列ごとに色とりどりの花が供えられている。生けたばかりの花というものは、太陽を反射して瑞々しい。
この時期はたとえ死んだとしても繋がっていることを感じられる、そんな時期だ。
「……」
死体さえあれば弔ってもらえたんだけどな。私は死体がないし、もうお墓なんてないだろうしな。
そんなんだから船幽霊なんてやってるんだけど。
だいたいのお墓は綺麗に整頓されていたので、奥の無縁仏の墓のほうに行ってみた。
ここは誰も来なくなったお墓を集めて合祀した所。弔ったり、掃除をしたり、お参りをする人がいなくなった場所で、誰からも見放されたお墓が集まるところ。
「……ここはとりあえず、私だけでもやっておこうかな」
無縁仏だった私にはこの場所がすごく近いものに感じるので、お皿の上に残ったおはぎを全部供養塔の側に置くと手を合わせて経を唱えた。
門前の妖怪なんとやら、命蓮寺で修行をすればこれくらい朝飯前である。
本当なら聖とか星とかみんなで集まって供養をするんだけどそれは法要が終わった後だし、私が先にやったってバチは当たらないと思うんだ。
一通りお経を唱え終わっておはぎをお供えしようとすると、後ろから気配を感じた。
「……」
まさか、ここまでお参りにやってくる奴なんているまい。小傘は私達身内は脅かしにかからないし、だとしたら違う妖怪か。
それとも妖怪退治に来た人間か?
「誰?」
振り向いてみるとそこには奇妙な格好をした少女が立っていた。おでこに変なお札を張り、異国風の衣装を纏っている。
まあ変な格好ならこの幻想郷にいっぱいいるからいいんだけど、何より変なのはその体勢。
手を真っ直ぐに伸ばして指先は下を向いている。足はぴんと伸びていて姿勢はいい。
その少女はじっと私をみている。だけど私、この子知らないんだけどな。
どうしたものかと立っているといきなりその子が何か唇を動かして言うとする。
「うぉ……お……お」
「お?」
呻くような声を上げるので私も警戒して構える。もしやあの復活した奴の手先なのかもしれない。
油断は禁物。もう二度と封印させられるものですか。
「お……」
「……」
わなわなと手を震わせて少女は何かを言うおうとしている。『お前を殺す』なんて言われたらどうしよう、私もう死んでるけど。
この子どう見ても人間じゃないし、変なポーズをずっとしているし、明らかにへんてこりんな奴。
もしかして、小傘が言ってた奴なのかもしれない。だとしたら厄介だわ。
そう思いいつでも弾幕ごっこが出せるようにポケットに手を突っ込んでいると。
「おなかがすいた」
その瞬間、私は盛大にずっこけておはぎのお皿をあやうく落としかけた。
「よく食べるねえ……」
おなかがすいたと言った妖怪は、手元にあったおはぎを見せるとすぐに食いついた。
手渡そうと思ったんだけど関節が曲げられないらしいから私が口元に運んで食べさせてあげているのだ。
折角のお供えものだけど……まあ、後でみんなで食べただろうしおはぎの残りまだたくさんあったから大丈夫だよね。
「んぐ、んぐ、これおいしーなー。もっと食べたいなあ」
「だめだよ、私も食べるもん……それより貴女の名前は?」
食べてばかりの妖怪にいい加減苛立ってきたので聞いてみる。
「ん」
尋ねられた妖怪は、ぴたりと食べるのをやめるとしばらく考え込んだ。まさかこの子、自分の名前も言えないの?
さっきから使う言葉は語彙がないしちょっと幼い感じがしたけどまさかそこまでとは。
「んーと……そうだ、えーと……芳香。宮古芳香って言うんだ!」
思い出したぞーえらいぞーとけらけら笑いだす芳香。口の周りに餡子がたくさんついている。
口の奥から覗く鋭い牙のようなもの。殺傷力が高そうで私はぞおっとした。
「宮古、芳香ねえ……」
恰好は異国っぽいけど日本人の名前なんだね。芳香って。
「お前は誰だ?」
「私?わたしはムラサ。村紗水蜜っていうの」
「そうか。お前はムラサっていうのか」
芳香はそう言うと私の右手にあった最後のおはぎの一口を美味しそうに口に入れた。
この妖怪はなんていう種族なんだろう。食欲が半端ない。幻想郷にはとんでもない大飯ぐらいがたくさんいるって聞いたけど、この妖怪も間違いなくその部類に入るわ。
私が持ってたおはぎ十個のうち九個も食べちゃうなんて。
「芳香はどうしてここにいるの?迷っちゃったの?」
「えー……?あれ、そういえばわたしなんでここにいるんだっけ」
頭にハテナマークが浮かんでいる芳香に、またずっこけるかと思った。
この子脳みそに虫でも湧いてるの?腐ってるの?
ふざけているのかと思ったけど、うーとかあーとか言いながら頭を抱えている芳香を見ているとこれは本気で悩んでいるのだ。
これが俗に言う記憶喪失ってやつかなあ。
なんだかそういう態度が可哀想に見えてきたので私は芳香が思い出せるように色々と助言をすることにしてみた。
芳香がここにいる理由っていったら、やっぱり最初の『おなかすいた』が気になる。
「もしかしてご飯を探してたの?」
「ん?わたしはいつもおいしいごはんがたべたいぞ」
そいでもって思いっきりかぶりつくのだーと大きく口をぱっくりと開ける芳香。思った通り牙が凄い。
人を食べる妖怪の類……なのかな。って、私の質問の答えになってないよ芳香。
「……そりゃ、そうだろうね」
「ムラサはおいしいもの食べたくないのか?」
「ん、そりゃあ食べたいよ」
「そうかー、私とおんなじだな!」
大笑いする芳香。さっきから私芳香のペースに乗せられてない?何者かも聞いてないし、おはぎはほとんど食べられちゃうし。
それにしても芳香は変な子だなあ。
私はお墓の近くの塀にもたれかかっているんだけど芳香はぴんと立ったまま私に体を向けて立っている。
座らないのと聞いたら私はこの状態からうごけないんだーと言っていた。
「芳香はどうしてそんな恰好になっちゃったの」
「それはなー……んーと……私が」
眉を寄せて言葉を引き出そうと必死の芳香。うんうん唸った後言い放った言葉。
「霊廟を守るキョンシーだからだ!!」
「……やっぱり」
胸を張ってきりっと表情を変えるがこの体勢ではさっぱり恰好がつかない
やっぱりこの子、最近復活した奴らと関わりがある妖怪か。しかもキョンシーだって自分から名乗ってくれたし。
「でも芳香って、夜じゃないと活動しないって聞いてたけど」
「いつもは夜に起きるんだけど、おなかがすいてなー。何か食べられるものがないか探してたんだ」
「はあ、それで今起きているってわけね……」
お墓参りの人もたくさんいるんだから、やめてほしいんだけど。おはぎごちそうしたんだし夜までぐっすり寝てくれないかなあ。
「芳香。貴女がいるとお墓に来られなくなっちゃう人がいるから寝てくれないかなあ」
「うーん……今日はちょっと寝すぎたから目が冴えて無理だ」
妖怪が人をむやみに襲ってはいけない。ましてやここは死者と生きている人が対話する場所。
私が過去にやってきたことを考えたらこんなこと言えやしないけど。一応ここの決まりだから。
「もしもその最後のやつをくれれば私は寝るぞ」
そう言うと芳香は目を輝かせて私の皿の上にあるおはぎをもらおうとだらんと伸ばした手で必死におはぎを掴もうとしている。
あれだけ食べてまだ欲しがるなんて、信じられない。
それに、これ……無縁仏の人たちにあげるはずのものだったんだよ。
それを芳香に全部食べられちゃうなんて、供養塔の中で眠る人たちに申し訳ない気がする。
「……あのね芳香、あげてもいいんだけどひとつ言う事聞いて」
「なんだ?」
そう言って芳香は首を傾げる。
「これはね、このお墓に眠ってる人達にあげるものなんだよ」
「おお!そいつらも私と一緒なのかー!早速掘り起こして食べさせてやらないとな」
そう言うと芳香はぴょんぴょん飛びながら供養塔の近くに行こうとした。
「え……芳香も死んでるの?」
「そうだ!私も死体から蘇った立派な妖怪なんだ。ムラサも死んでるのか?」
振りかえって笑顔で答える芳香。蘇ったということは誰かが意図的に何かしてやったということ。
「そうだけど……芳香は誰に蘇らせてもらったの?」
「ご主人だ!壁をすり抜けられるすごい人なんだぞ。ご主人がいれば死体だって蘇っちゃうんだ」
芳香は起きろ、起きろと言いながら供養塔に向かって話しかけていた。
それにしても芳香、掘り起こして食べさせようなんて。そんなことも分からないのかしら。
私も死んでるけどここまで馬鹿にならなかったよ。
「芳香。そんなことしなくてもいいんだよ」
そう言って私は芳香の体を掴み供養塔のお供え物を置くところに立たせる。本当はちゃんとした体勢を取らせたいんだけど、間接曲がらなそうだから諦めた。
「どうしてだ?こいつら口も手もないじゃないか。食べられるのか?」
「こうすればいいんだよ」
こう言って、私は残った一つのおはぎをお供えして手を合わせた。芳香は私の行為がよくわからなかったらしく、棒のように突っ立って、いやもともとそのままか、私を見ていた。
「どうぞ、おあがりください」
供養塔に囁くように言った後私は立ちあがる。芳香はほけーと私を見ながら
「一体今のは何なんだ?」
と聞いて来た。
「この人たちはね、来てくれる人がいなくなっちゃった人なの」
「来てくれる人がいない?」
「誰もお墓に来てくれなくなって、掃除もしてもらえなくて、ここに入ったの」
「……じゃあこいつらは名前も、食べ物を食べさせてくれる人もいないのか?」
「そういうこと。ここにいれば私達がちゃんと来るでしょ?」
そういうと芳香は何かを理解したらしく芳香は肩を落として申し訳なさそうに供養塔に向かって抱きついた。腕は回さないままで。
そして何度も墓石に頬ずりしながら
「たべちゃってごめんなー……お前らのものだったんだなー……」
「わ、よ、芳香!だめだよ墓石に抱きついちゃ」
急いで芳香をひっつかんで元に戻そうとするが、芳香は見た目以上に怪力で墓石から離すことが出来ない。何この怪力ぶり……
ぐいぐいひっぱってもびくともしない。キョンシーって怪力なの?
「寂しいよなー、誰も来てくれないで地面の中で眠るって辛いよなー……私も寂しかったぞー」
「芳香……」
芳香は馬鹿だけど、誰かを想う気持ちって言うのは残ってるんだ。昔の私とは違って。
私はそんな芳香の的外れな行為がなんだか愛おしくなって、芳香の伸びっぱなしの腕をそっと掴んであげた。
「このおはぎは後で生きてるみんなで食べるからいいんだよ。ほら、いっしょに手を合わせて謝ろう?」
私と芳香が生きてるみんなに入るかは分からないけど、説得がそれしか浮かばなかった。
わたしみたいにやってごらんと手を合わせてみるが、芳香は関節が曲がらないため四苦八苦している。
「むー……私は手が合わせられないぞ」
「じゃあちゃんと立って挨拶してご覧。目を閉じて」
そう言うと芳香は素直に目を閉じた。
「……食べてしまってごめんなさい」
「はい、よくできました」
ぽんと芳香の背中を叩き、笑いかけると芳香もにっと歯を出して笑いかけた。
芳香は供養塔を見ながら
「こいつらも青娥に起こしてもらえればいっぱい食べられるのになあー」
青娥に頼もうかなあと、呟いているので私は慌てて止める。
「ゆっくり眠ってるんだから起こしちゃだめだよ」
芳香みたいのが大量発生したら、それはそれで恐ろしい気がする。
「でもこいつら、名前もなくてみんなで寝てるんだろう?呼んでもらえないなんて可哀想だ」
「そうだね……」
海で一人ぼっちだったからその気持ちは私も分かる。
名もなき船幽霊として暴れていた頃は寂しくて辛くて仕方がなかった。それを聖に救われて、呼んでもらえる愛しい名前を貰った。
芳香と私は死んでる同士、奇妙な親近感が生まれつつあった。
「芳香も、青娥って人につけてもらったの?」
「そうだ。青娥が私のことを芳香って呼んでくれるから私はこの名前が大好きなんだ!」
芳香の笑顔は、眩しいくらいに輝いていた。
「あ、そうだ。約束だったね」
私はお供えしたおはぎを手に取ると芳香に食べさせようとした。
だけど芳香は、口を閉じてそれを受け取ろうとしない。
「どうしたの?芳香が食べていいんだよ」
「いらない。これはこいつらに食べさせてやればいいんだ」
さっきのことを気にしているのか意地でも食べようとしない芳香。
「この人たちにどうやって食べさせてるの?」
私は苦笑しながら答える。そして、おはぎを芳香の口に運んであげると芳香は犬みたいにおはぎを咥えたままどこかへぴょんぴょん飛んで行ってしまった。
「……変な妖怪」
あの後私は一輪に頼んで新しいおはぎをもらい、供養塔に再度お供えに行った。
芳香はもういなくなっていたけどきっとどこかでおはぎを食べながら眠っているのだろう。
何も知らない一輪は人にあげすぎてあまりおはぎが残らなかったのねと言ってたけど、おはぎを十個余裕で平らげる妖怪に出会ったなんて聞いたら、どんな顔しただろう。
びっくりしたら言ってあげよう。でもね、とっても優しい死体の妖怪だったんだよって。
お彼岸が過ぎてだいぶ風が冷たくなってきた頃、命蓮寺に新しい来客が一人。
「こんにちは。ここで一番偉い方はいらっしゃるかしら」
ある日命蓮寺の玄関前で掃除をしていると不思議な衣装を来た女性がやってきた。髪の結い方も独特でどうも日本というよりどこか違う東洋から来たように見える。
ひらひらとした布が浮いていてどこか浮世離れした雰囲気を醸し出している。
年齢は私より上に見えるんだけど……こんな人幻想郷にいたっけ?
「どうしたの水蜜、お客様?」
一輪が声を聞きつけて廊下から玄関に歩いてくる。一輪も目を丸くしてそのお客様を見ていたが、その女性が微笑みながら挨拶をする。
「初めまして。芳香の主、霍青娥と申します。こちらにムラサという妖怪はいらっしゃるかしら」
「……貴女が」
この人が青娥って言う人なんだ。
あの復活した人の仲間なのかな……だとしたらうちとは敵同士になるけど、どういうことなんだろう。
「ムラサならこの子ですが何か御用ですか?」
一輪が警戒して私の前に出る。法輪を握っていつでも雲山で攻撃ができるようにしている。
そう言うと青娥はくすくすと笑って警戒しなくてよろしいですわと言う仕草をした。
その瞬間ふわっといい匂いが広がる。本当に不思議な人だ。
「どなたかしら」
「誰でしょうか?」
「なんじゃいこんな朝っぱらから」
朝の珍しい来客に、聖、星、ぬえ、ナズーリン、響子、マミゾウがぞろぞろとやってくる。
でも聖は来客の本性を見破ったらしく、鋭い目で青娥を見ていた。
青娥はそんな圧倒にも臆することがなく笑顔を崩さずに口を開いた。
「ようこそ命蓮寺へ。私がここの住職の聖白蓮です」
「初めまして白蓮様。前にうちの芳香が何やら御馳走になったようで。これは私からのほんの気持ですわ」
青娥がそう言うと芳香がぴょんぴょん跳ねながらこちらのほうにやってきた。よく見ると風呂敷の包みを手に引っ掛けている。
「青娥、呼んだか?」
「呼んだわよ。ほら、ムラサにこれを渡すんでしょう?」
「おお、そうだった」
青娥が芳香の腕から風呂敷包みを抜き取ると私の手に風呂敷包みを乗せた。
ずっしりとして、何やら柔らかいものが入っているようだ。
聖に開けてみてもいいですか?と聞くと聖は黙って頷いたのでゆっくりと包みの結びを解く。
「わあ……」
その中には、おはぎが10個。この前あげたのとそっくりなのが入っていた。
「芳香がどうしてもこの前のお返しがしたいと言ってましてね。どうも私の国ではこのようなものがなく、芳香が持ち帰って来てくれたものや芳香の話を聞いて作ってみたのです」
この子すぐ忘れちゃうのに、このお菓子のことだけは覚えてて、と青娥は苦笑しながら答えていた。
それにしてもおはぎなんて意外……。
「あんれまあ、こりゃびっくりしたことじゃなあ」
「……毒でも入ってるんじゃないの?それか泥饅頭ってオチ」
「狸じゃあるまいしそれはないと思うけど」
マミゾウ、ぬえ、ナズーリンの三人がまじまじとそれを見つめ、星と響子は青娥と芳香に警戒して引き続き聖を守るようにしていた。
青娥は芳香の背中をほら、と押して芳香を前に出させる。芳香はおどおどとしていたが意を決して私達に向かって大声で叫んだ。
「あ、あのな。この前みんなのものたべちゃったから……これをたべてくれ!」
他のみんなはぽかんとしていたが、私にはそれが何を意味するか分かっていたから。
笑いだしそうになるのを堪えて私は芳香に言ってあげた。
「芳香、あれは食べられる人が食べていいんだよ」
「でも私が全部食べちゃったからあいつらが食べられなかっただろうし……」
「後で違うおはぎをお供えしたから大丈夫だよ」
「おなかがすいてるやつはかわいそうだ!」
私と芳香の会話を聞いていた聖や一輪はだんだんどうして私と芳香が知り合いか分かって来たらしく、笑顔になってきた。
疑っていたみんなもどうやらこれは本当の芳香の気持ちだと言うのが伝わったらしくおはぎを持ちあげてその出来栄えなどを眺めていた。
「よければお召し上がりください」
芳香を後押しするように青娥が頭を下げて言う。それを見て聖はこう答えた。
「私、星、ナズーリン、一輪、ムラサ、ぬえ、響子、マミゾウ。さっそくお茶を入れて食べましょう」
「はい!」
私達はお茶の準備に取り掛かる。あれ……でも私達って8人だから2つ余っちゃうよね。
残りの2つはどうするんだろう。
そんなことを考えていると、一輪が私の表情に気がついたらしく聖にこう言う。
「姐さん、来客用の湯呑二つ出していいわよね?」
「ええ。もちろんよ」
私はそれを聞いて嬉しくなって、響子と一緒に湯呑が保管してある部屋にうきうきと足を進めて行った。
後ろでは一輪が青娥と芳香に上がって行って下さいと勧めている声が聞こえる。
その日、命蓮寺は縁側でちょっと季節遅れのおはぎをみんなで食べることになった。
青娥と言う人の手際はなかなか良く、みんな美味しいと言いながら食べていた。
聖と青娥が戦いだしたらどうしようかと正直心配していたから怖れていたことが起きなくてよかったと私と一輪は胸をなでおろした。
そして芳香は、人を襲わなければ命蓮寺の墓守として暮らしてもいいと言うことも決まった。
「うちの芳香をよろしくお願いします。腐ってて可愛い子なんですよ」
「はあ……腐ってて……」
青娥と言う人は力はあるとは思うけどちょっと感覚がずれていて星がちょっと引いていた。
でもよその国から来た人はだいだいこういうものじゃないのかなあ。
食べ終わってお茶を飲んでいると、芳香が私の側にやってきた。
「芳香」
「ムラサ、ありがとうな」
「芳香もありがとう」
死んでいるけど芳香はきっといい子。忘れっぽいけどそれは青娥がなんとかしてくれそうだし。
敵同士かもしれないけど死んでいる同士面白いかもしれない。死んでも優しさを忘れないこなんだから。
「ムラサ!死んでる同士、仲良くしような!」
芳香はそう言ってだらんと伸ばした腕を私の顔に近づけて来る。
私はその腕を取ってにっと笑って見せる。
「こちらこそ。私も伊達に死んじゃいないからね!」
終わり
小傘がコテンパンにやられて帰ってきたこともあり、一体どんな妖怪かと私は警戒していた。
「そんなに攻撃は強くないんだけど、回復しちゃうから勝てないんだよー……」
小傘は怪我の手当てをぬえにしてもらいながら情けない声で言っていた。回復する?そんな簡単に?
疑問は募るばかりであった。
だが夜行性の相手ではなかなか出くわすこともできず、お寺のお勤めがある以上は私も勝手に夜のお墓を歩くわけにはいかない。
大して害を与える妖怪でもないので、放っておきましょうと一輪や星と話していた。
そのうち夏が来た。霊廟が復活し私達妖怪の存在が危惧されていたが、思っていた以上のことは起きなかった。
そして命蓮寺に新しい仲間がやってきて、いつも騒がしいこのお寺はもっと騒がしくなるのだった。
響子は相変わらず五月蠅い。ぬえは新しくやってきた仲間―マミゾウと一緒にいつも化かし合って笑い合っている。
ある時マミゾウが星のご飯を違うものに取り換えてしまって怒った星が虎になってマミゾウを捕食しようとした時は、ここは動物園かと私と一輪はため息を吐いてしまった。
普通の妖怪より獣の妖怪が多いこのお寺。やっぱり妖怪寺は普通のお寺じゃないのね。
そう言い合ったら、ナズーリンが自分は毘沙門天の使いだからあんな獣と一緒にするなと毒づいた。
マミゾウがそれを聞いてわしをお前のような小さな獣と一緒にするでないと悪態を吐き、さらに騒がしい命蓮寺は続くのであった。
おまけに響子が来ると声が反響されてもっと五月蠅いし……響子に悪気はないとは思うんだけど、山彦という種族である以上この弊害は避けられまい。
人間の世界にいた頃は静かに修行が出来るお寺だったけど、ここはもうそういう場所ではなくなったようだ。
別に嫌じゃないし、仲間が増えるのは嬉しいけれど。私と一輪くらいしか人間だった妖怪っていないなあ。
そんなどたばたした日々が終わる頃、蝉の鳴き声が小さくなって、風が涼しくなり秋の匂いがし始める。
山の神たちが秋が来たと知らせるように命蓮寺の庭は紅く色づきだすのであった。
幻想郷では季節の到来を神が教えてくれる。
人の里に招かれて見た秋祭りでは、秋の神である姉妹が嬉しそうに舞を踊っていたのがこの目に焼き付いている。
季節と言うものは本当に神様がくれたものなのだと私は神の漂わせる匂いを嗅ぎながら思った。
ある日、花壇に水をやった後廊下に出たら甘い匂いが命蓮寺いっぱいに漂っていた。台所からは湯気が漂っていて、もうもうとした湯気の中を覗き込むと一輪がひょっこりと顔を出す。
「おはよー」
「あら、おはよう水蜜。水やり御苦労さま」
いつもの頭巾は脱いでいて額には玉のような汗が浮かんでいた。湯気だと思ったものの中に雲山がいて捻り鉢巻きをしながら私を見ている。入道って捻り鉢巻きできたんだ。
ああそうだ。もうすぐお彼岸だから命蓮寺総出で今日はおはぎを作るんだったっけ。お彼岸だと法要しなくちゃいけないから前もってやっておくんだ。
お墓参りに来た人とかに配るんだよね。
「……!」
「黙って立ってるなら手伝えですって。だめよ雲山、水蜜はおはぎ作るチームじゃないんだから」
台所の中ではマミゾウが暑い、まったくわしを狸汁にして殺す気かと騒いでいるが、聖がもち米を捏ねているのを見て真似している。
こう言ってはなんだが、なかなかマミゾウは手際が良い。聖と一緒に並んでると……お婆ちゃん二人でおはぎを作ってるように見えちゃう。
「そう、そうよ。貴女上手ねえ」
「ほっほっほ。そりゃあわしは人間たちが作ってるのを見てきたからのう。そんじょそこらの奴よりかは数倍ええのが作れるぞい」
褒められてまんざらでもないらしく、次々に丸い形を作って行くマミゾウ。
奥の方ではぬえがめんどくさそうに小豆をかきまぜている。ぬえもおはぎ作りチームに駆り出されているようだ。
「あーあー、ぬえ。まだ砂糖いれちゃだめよ」
「砂糖はな、小豆が指でつぶせるくらいに入れないと失敗するぞ」
「もう……こんなの星にやらせればいいのに」
ぶつぶつと文句を言いながらぬえは二人のお婆ちゃんの言う事を聞いているのだった。
確かにこの二人に言われると文句も言いづらいだろうなあ。
「水蜜はちょっと縁側で休んでてね。おはぎができたらお墓に来た人に配りに行くのよ」
「うん、分かった」
「頑張ってね」
星やナズーリンは人里に挨拶しに行ってるし、私とか響子みたいなアウトドア組じゃないとこういうのはできないんだろうなと思う。
あまり手際が良くない、うるさいから台所に入らせてもらえないということは断じてない。
かくいう響子も今日は山に籠ってお経を唱えているからこっちには来てくれないんだけど。
お彼岸はこっちにいる人間も修行を積む時期だって聖から教わった響子は一生懸命それを実践しようとしているのだ。
でも、どうせまたそのお経が人間たちの恐怖の対象になって怖がられるのが落ちなんだろうなあ。
呼ばれるまで暇だったので縁側で命蓮寺のお墓をぼうっと見ていると、後ろから一輪に声をかけられた。
「水蜜。一皿分できたらみんなに配って」
「ん、分かった」
ほかほかと湯気を立てるおはぎがお皿いっぱいに盛られている。すぐにでも食べたいが私達が食べられるのはもっと後。
できたてを食べられる墓参りの人たちがちょっと羨ましくなるけれど、これも命蓮寺のために大切なことだから我慢我慢。
縁側から靴を履いて出て、ゆっくりと落とさないように墓地の方へ歩いて行く。
大きなお皿を抱えて命蓮寺の墓地に立っていると、早速墓参りの人たちがぞくぞくとやって来ていた。
手には桶や花を持っており、私がおはぎを布に包んで渡すとお供えしてから食べようと喜んで受け取って行ってくれた。
「ありがとう」
「おいしく頂くわね」
中には自分の家で作ったおはぎを既に持ってきている人もいたけれど、おおむねお供え(かつ家で食べる用)のおはぎは墓参りの人の手に渡って行った。
基本的に、お墓のお供えものというものはお花以外持ちかえるのが礼儀である。
お供え用の食べ物はお供えしてお参りした後、家に持ち帰ってみんなで食べる。それが決まり。
放っておいても動物とか妖怪が食べちゃうけどお墓は汚れるしやっぱり食べられる時に食べた方が食べ物としてもありがたいから。
一通り配り終えると、大分人がまばらになったのでお墓の中の見回りをする。食べ物が供えられていた場合はしょうがないけど、後から聖に注意してもらうことにしていた。
最近は聖の説法や注意の効果でずいぶんなくなったから私達も楽なんだけど。
お墓を通ると、列ごとに色とりどりの花が供えられている。生けたばかりの花というものは、太陽を反射して瑞々しい。
この時期はたとえ死んだとしても繋がっていることを感じられる、そんな時期だ。
「……」
死体さえあれば弔ってもらえたんだけどな。私は死体がないし、もうお墓なんてないだろうしな。
そんなんだから船幽霊なんてやってるんだけど。
だいたいのお墓は綺麗に整頓されていたので、奥の無縁仏の墓のほうに行ってみた。
ここは誰も来なくなったお墓を集めて合祀した所。弔ったり、掃除をしたり、お参りをする人がいなくなった場所で、誰からも見放されたお墓が集まるところ。
「……ここはとりあえず、私だけでもやっておこうかな」
無縁仏だった私にはこの場所がすごく近いものに感じるので、お皿の上に残ったおはぎを全部供養塔の側に置くと手を合わせて経を唱えた。
門前の妖怪なんとやら、命蓮寺で修行をすればこれくらい朝飯前である。
本当なら聖とか星とかみんなで集まって供養をするんだけどそれは法要が終わった後だし、私が先にやったってバチは当たらないと思うんだ。
一通りお経を唱え終わっておはぎをお供えしようとすると、後ろから気配を感じた。
「……」
まさか、ここまでお参りにやってくる奴なんているまい。小傘は私達身内は脅かしにかからないし、だとしたら違う妖怪か。
それとも妖怪退治に来た人間か?
「誰?」
振り向いてみるとそこには奇妙な格好をした少女が立っていた。おでこに変なお札を張り、異国風の衣装を纏っている。
まあ変な格好ならこの幻想郷にいっぱいいるからいいんだけど、何より変なのはその体勢。
手を真っ直ぐに伸ばして指先は下を向いている。足はぴんと伸びていて姿勢はいい。
その少女はじっと私をみている。だけど私、この子知らないんだけどな。
どうしたものかと立っているといきなりその子が何か唇を動かして言うとする。
「うぉ……お……お」
「お?」
呻くような声を上げるので私も警戒して構える。もしやあの復活した奴の手先なのかもしれない。
油断は禁物。もう二度と封印させられるものですか。
「お……」
「……」
わなわなと手を震わせて少女は何かを言うおうとしている。『お前を殺す』なんて言われたらどうしよう、私もう死んでるけど。
この子どう見ても人間じゃないし、変なポーズをずっとしているし、明らかにへんてこりんな奴。
もしかして、小傘が言ってた奴なのかもしれない。だとしたら厄介だわ。
そう思いいつでも弾幕ごっこが出せるようにポケットに手を突っ込んでいると。
「おなかがすいた」
その瞬間、私は盛大にずっこけておはぎのお皿をあやうく落としかけた。
「よく食べるねえ……」
おなかがすいたと言った妖怪は、手元にあったおはぎを見せるとすぐに食いついた。
手渡そうと思ったんだけど関節が曲げられないらしいから私が口元に運んで食べさせてあげているのだ。
折角のお供えものだけど……まあ、後でみんなで食べただろうしおはぎの残りまだたくさんあったから大丈夫だよね。
「んぐ、んぐ、これおいしーなー。もっと食べたいなあ」
「だめだよ、私も食べるもん……それより貴女の名前は?」
食べてばかりの妖怪にいい加減苛立ってきたので聞いてみる。
「ん」
尋ねられた妖怪は、ぴたりと食べるのをやめるとしばらく考え込んだ。まさかこの子、自分の名前も言えないの?
さっきから使う言葉は語彙がないしちょっと幼い感じがしたけどまさかそこまでとは。
「んーと……そうだ、えーと……芳香。宮古芳香って言うんだ!」
思い出したぞーえらいぞーとけらけら笑いだす芳香。口の周りに餡子がたくさんついている。
口の奥から覗く鋭い牙のようなもの。殺傷力が高そうで私はぞおっとした。
「宮古、芳香ねえ……」
恰好は異国っぽいけど日本人の名前なんだね。芳香って。
「お前は誰だ?」
「私?わたしはムラサ。村紗水蜜っていうの」
「そうか。お前はムラサっていうのか」
芳香はそう言うと私の右手にあった最後のおはぎの一口を美味しそうに口に入れた。
この妖怪はなんていう種族なんだろう。食欲が半端ない。幻想郷にはとんでもない大飯ぐらいがたくさんいるって聞いたけど、この妖怪も間違いなくその部類に入るわ。
私が持ってたおはぎ十個のうち九個も食べちゃうなんて。
「芳香はどうしてここにいるの?迷っちゃったの?」
「えー……?あれ、そういえばわたしなんでここにいるんだっけ」
頭にハテナマークが浮かんでいる芳香に、またずっこけるかと思った。
この子脳みそに虫でも湧いてるの?腐ってるの?
ふざけているのかと思ったけど、うーとかあーとか言いながら頭を抱えている芳香を見ているとこれは本気で悩んでいるのだ。
これが俗に言う記憶喪失ってやつかなあ。
なんだかそういう態度が可哀想に見えてきたので私は芳香が思い出せるように色々と助言をすることにしてみた。
芳香がここにいる理由っていったら、やっぱり最初の『おなかすいた』が気になる。
「もしかしてご飯を探してたの?」
「ん?わたしはいつもおいしいごはんがたべたいぞ」
そいでもって思いっきりかぶりつくのだーと大きく口をぱっくりと開ける芳香。思った通り牙が凄い。
人を食べる妖怪の類……なのかな。って、私の質問の答えになってないよ芳香。
「……そりゃ、そうだろうね」
「ムラサはおいしいもの食べたくないのか?」
「ん、そりゃあ食べたいよ」
「そうかー、私とおんなじだな!」
大笑いする芳香。さっきから私芳香のペースに乗せられてない?何者かも聞いてないし、おはぎはほとんど食べられちゃうし。
それにしても芳香は変な子だなあ。
私はお墓の近くの塀にもたれかかっているんだけど芳香はぴんと立ったまま私に体を向けて立っている。
座らないのと聞いたら私はこの状態からうごけないんだーと言っていた。
「芳香はどうしてそんな恰好になっちゃったの」
「それはなー……んーと……私が」
眉を寄せて言葉を引き出そうと必死の芳香。うんうん唸った後言い放った言葉。
「霊廟を守るキョンシーだからだ!!」
「……やっぱり」
胸を張ってきりっと表情を変えるがこの体勢ではさっぱり恰好がつかない
やっぱりこの子、最近復活した奴らと関わりがある妖怪か。しかもキョンシーだって自分から名乗ってくれたし。
「でも芳香って、夜じゃないと活動しないって聞いてたけど」
「いつもは夜に起きるんだけど、おなかがすいてなー。何か食べられるものがないか探してたんだ」
「はあ、それで今起きているってわけね……」
お墓参りの人もたくさんいるんだから、やめてほしいんだけど。おはぎごちそうしたんだし夜までぐっすり寝てくれないかなあ。
「芳香。貴女がいるとお墓に来られなくなっちゃう人がいるから寝てくれないかなあ」
「うーん……今日はちょっと寝すぎたから目が冴えて無理だ」
妖怪が人をむやみに襲ってはいけない。ましてやここは死者と生きている人が対話する場所。
私が過去にやってきたことを考えたらこんなこと言えやしないけど。一応ここの決まりだから。
「もしもその最後のやつをくれれば私は寝るぞ」
そう言うと芳香は目を輝かせて私の皿の上にあるおはぎをもらおうとだらんと伸ばした手で必死におはぎを掴もうとしている。
あれだけ食べてまだ欲しがるなんて、信じられない。
それに、これ……無縁仏の人たちにあげるはずのものだったんだよ。
それを芳香に全部食べられちゃうなんて、供養塔の中で眠る人たちに申し訳ない気がする。
「……あのね芳香、あげてもいいんだけどひとつ言う事聞いて」
「なんだ?」
そう言って芳香は首を傾げる。
「これはね、このお墓に眠ってる人達にあげるものなんだよ」
「おお!そいつらも私と一緒なのかー!早速掘り起こして食べさせてやらないとな」
そう言うと芳香はぴょんぴょん飛びながら供養塔の近くに行こうとした。
「え……芳香も死んでるの?」
「そうだ!私も死体から蘇った立派な妖怪なんだ。ムラサも死んでるのか?」
振りかえって笑顔で答える芳香。蘇ったということは誰かが意図的に何かしてやったということ。
「そうだけど……芳香は誰に蘇らせてもらったの?」
「ご主人だ!壁をすり抜けられるすごい人なんだぞ。ご主人がいれば死体だって蘇っちゃうんだ」
芳香は起きろ、起きろと言いながら供養塔に向かって話しかけていた。
それにしても芳香、掘り起こして食べさせようなんて。そんなことも分からないのかしら。
私も死んでるけどここまで馬鹿にならなかったよ。
「芳香。そんなことしなくてもいいんだよ」
そう言って私は芳香の体を掴み供養塔のお供え物を置くところに立たせる。本当はちゃんとした体勢を取らせたいんだけど、間接曲がらなそうだから諦めた。
「どうしてだ?こいつら口も手もないじゃないか。食べられるのか?」
「こうすればいいんだよ」
こう言って、私は残った一つのおはぎをお供えして手を合わせた。芳香は私の行為がよくわからなかったらしく、棒のように突っ立って、いやもともとそのままか、私を見ていた。
「どうぞ、おあがりください」
供養塔に囁くように言った後私は立ちあがる。芳香はほけーと私を見ながら
「一体今のは何なんだ?」
と聞いて来た。
「この人たちはね、来てくれる人がいなくなっちゃった人なの」
「来てくれる人がいない?」
「誰もお墓に来てくれなくなって、掃除もしてもらえなくて、ここに入ったの」
「……じゃあこいつらは名前も、食べ物を食べさせてくれる人もいないのか?」
「そういうこと。ここにいれば私達がちゃんと来るでしょ?」
そういうと芳香は何かを理解したらしく芳香は肩を落として申し訳なさそうに供養塔に向かって抱きついた。腕は回さないままで。
そして何度も墓石に頬ずりしながら
「たべちゃってごめんなー……お前らのものだったんだなー……」
「わ、よ、芳香!だめだよ墓石に抱きついちゃ」
急いで芳香をひっつかんで元に戻そうとするが、芳香は見た目以上に怪力で墓石から離すことが出来ない。何この怪力ぶり……
ぐいぐいひっぱってもびくともしない。キョンシーって怪力なの?
「寂しいよなー、誰も来てくれないで地面の中で眠るって辛いよなー……私も寂しかったぞー」
「芳香……」
芳香は馬鹿だけど、誰かを想う気持ちって言うのは残ってるんだ。昔の私とは違って。
私はそんな芳香の的外れな行為がなんだか愛おしくなって、芳香の伸びっぱなしの腕をそっと掴んであげた。
「このおはぎは後で生きてるみんなで食べるからいいんだよ。ほら、いっしょに手を合わせて謝ろう?」
私と芳香が生きてるみんなに入るかは分からないけど、説得がそれしか浮かばなかった。
わたしみたいにやってごらんと手を合わせてみるが、芳香は関節が曲がらないため四苦八苦している。
「むー……私は手が合わせられないぞ」
「じゃあちゃんと立って挨拶してご覧。目を閉じて」
そう言うと芳香は素直に目を閉じた。
「……食べてしまってごめんなさい」
「はい、よくできました」
ぽんと芳香の背中を叩き、笑いかけると芳香もにっと歯を出して笑いかけた。
芳香は供養塔を見ながら
「こいつらも青娥に起こしてもらえればいっぱい食べられるのになあー」
青娥に頼もうかなあと、呟いているので私は慌てて止める。
「ゆっくり眠ってるんだから起こしちゃだめだよ」
芳香みたいのが大量発生したら、それはそれで恐ろしい気がする。
「でもこいつら、名前もなくてみんなで寝てるんだろう?呼んでもらえないなんて可哀想だ」
「そうだね……」
海で一人ぼっちだったからその気持ちは私も分かる。
名もなき船幽霊として暴れていた頃は寂しくて辛くて仕方がなかった。それを聖に救われて、呼んでもらえる愛しい名前を貰った。
芳香と私は死んでる同士、奇妙な親近感が生まれつつあった。
「芳香も、青娥って人につけてもらったの?」
「そうだ。青娥が私のことを芳香って呼んでくれるから私はこの名前が大好きなんだ!」
芳香の笑顔は、眩しいくらいに輝いていた。
「あ、そうだ。約束だったね」
私はお供えしたおはぎを手に取ると芳香に食べさせようとした。
だけど芳香は、口を閉じてそれを受け取ろうとしない。
「どうしたの?芳香が食べていいんだよ」
「いらない。これはこいつらに食べさせてやればいいんだ」
さっきのことを気にしているのか意地でも食べようとしない芳香。
「この人たちにどうやって食べさせてるの?」
私は苦笑しながら答える。そして、おはぎを芳香の口に運んであげると芳香は犬みたいにおはぎを咥えたままどこかへぴょんぴょん飛んで行ってしまった。
「……変な妖怪」
あの後私は一輪に頼んで新しいおはぎをもらい、供養塔に再度お供えに行った。
芳香はもういなくなっていたけどきっとどこかでおはぎを食べながら眠っているのだろう。
何も知らない一輪は人にあげすぎてあまりおはぎが残らなかったのねと言ってたけど、おはぎを十個余裕で平らげる妖怪に出会ったなんて聞いたら、どんな顔しただろう。
びっくりしたら言ってあげよう。でもね、とっても優しい死体の妖怪だったんだよって。
お彼岸が過ぎてだいぶ風が冷たくなってきた頃、命蓮寺に新しい来客が一人。
「こんにちは。ここで一番偉い方はいらっしゃるかしら」
ある日命蓮寺の玄関前で掃除をしていると不思議な衣装を来た女性がやってきた。髪の結い方も独特でどうも日本というよりどこか違う東洋から来たように見える。
ひらひらとした布が浮いていてどこか浮世離れした雰囲気を醸し出している。
年齢は私より上に見えるんだけど……こんな人幻想郷にいたっけ?
「どうしたの水蜜、お客様?」
一輪が声を聞きつけて廊下から玄関に歩いてくる。一輪も目を丸くしてそのお客様を見ていたが、その女性が微笑みながら挨拶をする。
「初めまして。芳香の主、霍青娥と申します。こちらにムラサという妖怪はいらっしゃるかしら」
「……貴女が」
この人が青娥って言う人なんだ。
あの復活した人の仲間なのかな……だとしたらうちとは敵同士になるけど、どういうことなんだろう。
「ムラサならこの子ですが何か御用ですか?」
一輪が警戒して私の前に出る。法輪を握っていつでも雲山で攻撃ができるようにしている。
そう言うと青娥はくすくすと笑って警戒しなくてよろしいですわと言う仕草をした。
その瞬間ふわっといい匂いが広がる。本当に不思議な人だ。
「どなたかしら」
「誰でしょうか?」
「なんじゃいこんな朝っぱらから」
朝の珍しい来客に、聖、星、ぬえ、ナズーリン、響子、マミゾウがぞろぞろとやってくる。
でも聖は来客の本性を見破ったらしく、鋭い目で青娥を見ていた。
青娥はそんな圧倒にも臆することがなく笑顔を崩さずに口を開いた。
「ようこそ命蓮寺へ。私がここの住職の聖白蓮です」
「初めまして白蓮様。前にうちの芳香が何やら御馳走になったようで。これは私からのほんの気持ですわ」
青娥がそう言うと芳香がぴょんぴょん跳ねながらこちらのほうにやってきた。よく見ると風呂敷の包みを手に引っ掛けている。
「青娥、呼んだか?」
「呼んだわよ。ほら、ムラサにこれを渡すんでしょう?」
「おお、そうだった」
青娥が芳香の腕から風呂敷包みを抜き取ると私の手に風呂敷包みを乗せた。
ずっしりとして、何やら柔らかいものが入っているようだ。
聖に開けてみてもいいですか?と聞くと聖は黙って頷いたのでゆっくりと包みの結びを解く。
「わあ……」
その中には、おはぎが10個。この前あげたのとそっくりなのが入っていた。
「芳香がどうしてもこの前のお返しがしたいと言ってましてね。どうも私の国ではこのようなものがなく、芳香が持ち帰って来てくれたものや芳香の話を聞いて作ってみたのです」
この子すぐ忘れちゃうのに、このお菓子のことだけは覚えてて、と青娥は苦笑しながら答えていた。
それにしてもおはぎなんて意外……。
「あんれまあ、こりゃびっくりしたことじゃなあ」
「……毒でも入ってるんじゃないの?それか泥饅頭ってオチ」
「狸じゃあるまいしそれはないと思うけど」
マミゾウ、ぬえ、ナズーリンの三人がまじまじとそれを見つめ、星と響子は青娥と芳香に警戒して引き続き聖を守るようにしていた。
青娥は芳香の背中をほら、と押して芳香を前に出させる。芳香はおどおどとしていたが意を決して私達に向かって大声で叫んだ。
「あ、あのな。この前みんなのものたべちゃったから……これをたべてくれ!」
他のみんなはぽかんとしていたが、私にはそれが何を意味するか分かっていたから。
笑いだしそうになるのを堪えて私は芳香に言ってあげた。
「芳香、あれは食べられる人が食べていいんだよ」
「でも私が全部食べちゃったからあいつらが食べられなかっただろうし……」
「後で違うおはぎをお供えしたから大丈夫だよ」
「おなかがすいてるやつはかわいそうだ!」
私と芳香の会話を聞いていた聖や一輪はだんだんどうして私と芳香が知り合いか分かって来たらしく、笑顔になってきた。
疑っていたみんなもどうやらこれは本当の芳香の気持ちだと言うのが伝わったらしくおはぎを持ちあげてその出来栄えなどを眺めていた。
「よければお召し上がりください」
芳香を後押しするように青娥が頭を下げて言う。それを見て聖はこう答えた。
「私、星、ナズーリン、一輪、ムラサ、ぬえ、響子、マミゾウ。さっそくお茶を入れて食べましょう」
「はい!」
私達はお茶の準備に取り掛かる。あれ……でも私達って8人だから2つ余っちゃうよね。
残りの2つはどうするんだろう。
そんなことを考えていると、一輪が私の表情に気がついたらしく聖にこう言う。
「姐さん、来客用の湯呑二つ出していいわよね?」
「ええ。もちろんよ」
私はそれを聞いて嬉しくなって、響子と一緒に湯呑が保管してある部屋にうきうきと足を進めて行った。
後ろでは一輪が青娥と芳香に上がって行って下さいと勧めている声が聞こえる。
その日、命蓮寺は縁側でちょっと季節遅れのおはぎをみんなで食べることになった。
青娥と言う人の手際はなかなか良く、みんな美味しいと言いながら食べていた。
聖と青娥が戦いだしたらどうしようかと正直心配していたから怖れていたことが起きなくてよかったと私と一輪は胸をなでおろした。
そして芳香は、人を襲わなければ命蓮寺の墓守として暮らしてもいいと言うことも決まった。
「うちの芳香をよろしくお願いします。腐ってて可愛い子なんですよ」
「はあ……腐ってて……」
青娥と言う人は力はあるとは思うけどちょっと感覚がずれていて星がちょっと引いていた。
でもよその国から来た人はだいだいこういうものじゃないのかなあ。
食べ終わってお茶を飲んでいると、芳香が私の側にやってきた。
「芳香」
「ムラサ、ありがとうな」
「芳香もありがとう」
死んでいるけど芳香はきっといい子。忘れっぽいけどそれは青娥がなんとかしてくれそうだし。
敵同士かもしれないけど死んでいる同士面白いかもしれない。死んでも優しさを忘れないこなんだから。
「ムラサ!死んでる同士、仲良くしような!」
芳香はそう言ってだらんと伸ばした腕を私の顔に近づけて来る。
私はその腕を取ってにっと笑って見せる。
「こちらこそ。私も伊達に死んじゃいないからね!」
終わり
おばけは学校も試験もなんにもない
しかし、命蓮寺のメンバーって総じて歳いっt(チューン
……響子ちゃんだけはそこそこかな?
特に村紗と芳香は死んでいる者同士、仲良して欲しいものです
ムラサと芳香の話は前々から読んでみたかったのですが、なんと優しい死人たちなのか……。
タグの通りのほのぼの、ごちそうさまでした。
よんでるこっちもおはぎが食べたくなってしまったじゃないか
作者さんGJ
ムラサも言っていたけど、この芳香はきっといい子。
よしかよしよし
みんなかわいい。