まさかの二本立て
需要が来い
流星
普通の魔法使い、霧雨魔理沙は困惑していた。先日の紅霧の一件以来紅魔館の連中とは面白おかしく付き合っていたが、その折々時々に妙な騒ぎを起こす奴らではあった。だが、それは主に館の主であるレミリアが起こしていた騒ぎなだけに原因は退屈やら好奇心で、本当に原因不明解決無理の事件は起きていない。まさに、今日までは。
「な、何でだ…………」
力無く呟いて、魔理沙は周りを見回して助けを求めた。こういう時に一番頼りになる筈の銀髪メイドも、しかし今回ばかりは現実逃避気味に月を眺めていた。ぼんやりと十五夜の月を見上げて、溜め息を吐いている。
魔理沙は諦めて自らに抱き付いて離れない少女を見下ろして、しかめっ面をした。そうしないと思わずにやけてしまいそうになる。なんとか自制しながら深呼吸した。
抱き付いているのは館の主である筈のレミリアだ。青の混じった銀の髪に紅の瞳、背中から生える蝙蝠の羽は正しく魔理沙の想い人であるレミリアだ。魔理沙の背中に手を回し、痛くない程度に強く、力を込めている。
「えっと、レミリア…………だよな?」
確認の為に声をかけてみるも、レミリアは一層手に力を込め、無言で身体を密着させてくる。羽を細かく震わせながらゆっくりと体を離すと、普段の彼女では考えられないほど柔らかに微笑んだ。
「魔理沙、大好き」
これはどんな異変だ、と魔理沙の頭の中を驚愕と困惑が走る。様子が変、所ではない、明らかにおかしいレミリアは深紅の瞳を揺らめかせてまた抱き付いてくる。普段恋人に好きとは言って貰えない魔理沙は、なんだかもう訳分からない感じになってしまった。
そう言えば、寝惚けている時のレミリアはこんな感じだと思い立ったのは、それから三十分後だった。
―
「それで、一体何が起きているんだ?」
緊急対策本部である図書館で声を荒らげつつテーブルを叩く。魔理沙の横には無防備に眠るレミリア。咲夜もようやく現実逃避を止めて対策本部に来ていた。
「状況把握はできているんだけど、…………気絶はしないって約束してね」
対策本部長パチュリーは重々しく言って、司書の小悪魔に手を振った。一度部屋を出て戻って来た小悪魔は、何も持ってはいない。不思議に思った魔理沙が近付いて見ると、小悪魔の後ろにしゃがみガード中なレミリアを発見した。気絶はしなかったが二度見はしてしまった。
「魔理沙の所にいたのが甘えん坊レミならこっちは内気レミね。人見知りが激しくて手に終えないわ」
言われれば成る程、しゃがみガード中でも帽子の下からあちこちに目を走らせてはまた隠れる。内気というよりは只の神経過敏かも分からないが。
「いや、何でレミリアが二人なんだよ! こんなおいし、じゃない大変な状況なんて稀だろ」
「あら、二人じゃなくて四人だから稀じゃなくて稀少よ」
「四人!?」
参謀の言うところによると、一人は地下室に閉じ込めているのだそうだ。ヤンデレミリアに魔理沙を見せると状況がやんどこ無くなるから会ってはいけないとのこと。もう一人はカリスマレミリアで正直怖いので隔離中だそうだ。
「で、どうするんだ?」
「とりあえずフォーオブアカインドしたのは間違いないから、本人に理由を聞くのが一番良いでしょうね。………と言うわけで頑張ってね、恋人さん」
その場の全員に肩を叩かれ、やむなく出撃することなった。魔理沙的には殺されても喰われても良いからヤンデレミリアに会いに行きたくはあったが、ここでバッドエンド出しても仕方がないので諦めた。
カリスマレミリアは寝室隔離だというので何の気無しに部屋に入った魔理沙だったが、部屋に足を踏み入れた瞬間に寒気にも似た張りつめた空気を感じて身震いした。
冷たい静寂と青い月、硝子のような空気の下、紅の吸血鬼は目を閉じて窓辺に座っていた。月光を受けて白く浮き上がって見えるその姿は、まるで眠っているというよりは死んだようだ。魔理沙に抱き付いてきた彼女が童女のようにあどけないのに対し、こちらは静謐な無色の寝顔。魔理沙は知らず息を飲んでその光景に見惚れていた。
「―――――――魔理沙、何の用?」
目を開いてレミリアは言う。こちらに向けられた視線にたじろいで言葉を失う魔理沙の顔を見て、嘆息する。
「分かってるわ、分身のことでしょう? 月が沈む頃には消えるから、心配しなくても良いわ」
一番普段のレミリアに近いのは彼女じゃなかろうか。魔理沙は思う。格好良い所も時折見せる臆病さも甘えた声も我儘な所も全部レミリアだ、と。
「レ、レミリア、私はお前の事が大好きだぜ!」
「そう、愛してるわよ魔理沙」
顔に血が上るのを感じて、魔理沙は一人毒吐いた。なんだいつものレミリアじゃないか。簡単に愛してるとか言うなよな。
走って部屋を出ていった想い人の姿を想い浮かべて、一人レミリアは笑った。まさか、魔理沙を驚かせようとフォーオブアカインドしたは良いが制御が利かなくなってスペル解除も出来ないから効果切れまで待つしかないなんて。パチュリー達には言えない事だ。
「やはりフランに詳しく教えてもらった方が良いか…………」
―
追いつめていたヤンデレミリアが消えたので、魔理沙はレミリアの寝室に行ってみた。先ほどと変わらない体制のレミリアがいた。今度は妙な威圧感も感じない。
「レミリア、私はお前の事好きだぜ」
「私は貴女の事愛してるわよ」
「お前は時には愛してるという言葉の方が胡散臭く聞こえるということを理解したほうがいいぜ」
「大好きの後の“だぜ”を外したら好きって言ってあげるわ」
そう言って笑う彼女はいつものレミリアだった。魔理沙は何度も頷いて笑った。
「やっぱりいつものレミリアが一番だ」
「あら、ヤンデレが貴女の趣味だとは今日知ったけど」
「所有されたいお年頃だからな」
「所有してあげようかしら?」
突然、レミリアは魔理沙を引き倒して馬乗りになる。されるがままに引き倒されても、魔理沙は挑発するように笑っていた。レミリアの軽い体重を感じながら、彼女の髪に触れてみる。
「キスもまだな関係で何を言ってるんだ?」
「今ここで全部奪っても良いけど?」
「どうぞご自由に」
魔理沙は睨むレミリアの視線も意に介さず不敵に笑ってみせる。が、レミリアに首筋にやんわりと噛み付かれると虚構は崩れてしまう。
「噛むな、噛まないで、噛まないで下さいの三段活用! 調子乗ったのには謝るから止めてくれ」
「貴女が悪い」
「応、喉がごりっていったような気もするがそういう事にしておこう」
レミリアは噛むのは止めたが起き上がろうとしない。しがみつくように魔理沙に抱き付いて、レミリアは小さな声で呟いた。
「ねえ、魔理沙…………キス、してもいい?」
それを断るような野暮はしない。魔理沙は、本当に全てを捧げてもいい気持ちでいたのだから。彼女が望めば吸血鬼化だって厭わない。自分が出来る事なんてそれくらいしか無いんだから。
「レミリア…………」
月も沈んだ暗い部屋、そっと口付ける。触れるか触れないかの優しいキス。目を開けてお互いの顔を見合って、二人して笑った。
「ははっ、なんだかなぁ。…………レミリア、愛してるぜ」
「ええ、魔理沙、大好きよ」
――――
紅白
やってしまった。頭を占めるのはそんな悔恨。してはならないからこその禁忌を侵した者に下る罰を恐れる暇もあればこそ。心を占めるのは後悔と言い訳、それ以外には何も無い。自分が呆けた顔をして突っ立っているとの自覚はあるのだが、何を言うべきなのかも見付からず、口を開けたまま立ち尽くす。
いや、一つは言える事があるか。
「フ、フラン、大丈夫?」
掠れ気味の声で問うが返事は無い。異形の翼を背負った少女は倒れ付したきりに動かず、その事が更に私を困らせる。まさか死んではいないだろうが気絶はしているのか。大事無いのなら良いのだけど、先程の事を鑑みると近寄る気にはなれない。
ふと、先刻の彼女を思い返して身震いする。思えば今日は朝からこいつは様子がおかしかった。それとなく探ってみたが気にするなと言われたので気にしない事にはしていたのに、よもやタイミングを見計らっていただけとは。
吸血鬼と謂うからには手持ちの簡単な封具では致命傷は負っていないだろう。しかも今日も今日とて弾幕ごっこの後で消耗していた。彼女の小柄な体躯を吹き飛ばすのが精一杯だったのだ。その後壁にうまい具合に当たって昏睡してくれなきゃ今頃どうなっていたことかと胸を撫で下ろす。
…………安心しておいてなんなのだが本当に大丈夫だろうか。良い感じに鈍い音が響いていたことだし、人間だったら死んでるのではないか。
「っく、落ち着け、落ち着きなさい。あんなので死ぬ筈ないでしょう」
仮にも吸血鬼だ。仮と言うか本物だ。そう自分に言い聞かせながらそっと彼女の様子を伺った。
いつも通りの殺風景、紅魔館の半地下部屋だ。フランが閉じ込め閉じ籠っていたあの部屋。彼女の自室とは違って装飾されてもいないただ頑丈なだけが取り柄である部屋。と言っても彼女の自室がどうと言われれば困るのだけど。
剥き出しの床に横たわる彼女は、相変わらず一枚の絵画中にいる様な可憐さだ。投げ出された手足は無造作に、散らばる金髪は金糸の様に、その白い透き通る肌と赤いスカートが相対的で。決して明るいとは言えない光量の中、際立って美しく見えた。彼女の前にしてなら、この様を保存しておくべきではないか、等と妄言を吐くのも許されるだろう。放っておくと消えてしまいそうな儚さが、またそれを引き立てる。
「フラン、大丈夫?」
気絶しているのなら返事は無いと理解はしつつも声をかける。傍に寄って見ると、綺麗な顔立ちが目の前で頭がパニックになる。彼女の姉も整った顔をしているが彼女には負ける、きっと誰も勝てない。顔を見る限り苦しそうにはしていないが、頭の怪我は素人判断ではいけないだろう。
そっと頬に触れると、温かな体温が冷えた指先に伝わって、彼女の熱が混ざっていくのを感知した。五感が鋭敏になったのか彼女の息遣いまで手に取るように分かる。その呼吸を合わせて、息を吐く。同調する感覚が心地良くて顔を寄せた。
パッと、フランが眼を開いた。深い、どこまでも深い紅の瞳が此方を覗き込む。反応するより速く、服の襟を掴まれた。
「ふふっ、捕まえ、た!」
ぐるんと天地を引っくり返して、彼女は笑った。暗い天井をバックに紅い吸血鬼が微笑む。
「…………私の心配を返してくれる?」
「やだ、ありがたく貰っとくよ」
「じゃあせめて上から退いて」
「退く訳ないじゃん、折角捕らえたんだからさ。さっきので随分と慌てたみたいだね、自慢の勘の良さはどうしたの?」
心底可笑しそうに宣う。だがもう一度吹き飛ばす事も出来ないし、さてどうしたものか。
「疲れてんの、帰って寝たい気分」
「このだるだれ巫女さんに初勝利を収めた私に労いは?」
「ある訳無いでしょうが」
私は本気で心配したのに、彼女は私に勝てたと言って喜んでいる。その笑顔があまりに無邪気でつい見惚れてしまう。ただ弾幕ごっこの相手でしかない私に、どうしてそんな笑顔を見せるのか。胸の奥がぎりっと痛む。
「ねぇ、霊夢」
組み敷かれてぼんやりと見上げるのみの私に、フランはそっと囁く。空気を揺らす響きにいつもの透明な悪戯心と紅の熱情を感じて、心臓が跳ねた。
「騙し討った事は謝るから、さっきのは本気だって分かって欲しい」
『強いよね、本当に。霊夢との弾幕ごっこは本気で殺し合いたくなるくらいに楽しいよ』
『変な事だって分かってるし霊夢の立場も理解できる。けど、この気持ちは伝えておかなきゃだから』
『好きです。大好きです。ごめんなさい』
そう言ってキスしてきた彼女。思わず彼女を吹き飛ばした私。さてどっちが不誠実でどっちが馬鹿者でしょう。
答え、両方私。
「――――っの、馬鹿!」
叫んで空いている左腕で渾身のパンチングをした。誰に? 自分に。
「え!? ちょっと何してんのさ!」
これは馬鹿者な自らに対する鉄拳制裁だ。角度も良く頬にヒットし後頭部から鈍い音がしてからそう言えば床に横たわっていたことを思い出した。しかし憤り心頭なので些末は気にせず、彼女と眼を合わせた。揺れる瞳に映った私の顔は至極真剣で、少し泣きそうだった。
「フラン、私がそれも分からないような人間だと?」
「だって、嫌だったから、拒絶したんじゃあ…………」
「違う」
フランの左の眼から流れ落ちた一滴を指先で掬いあげて、彼女の唇を己ので塞いだ。触れた唇の感触は柔らかく、仄かな甘い体臭が鼻を擽る。何秒触れていたか分からなくなるまで時間が過ぎて、それから漸く離れた。名残惜しく彼女の唇を指先で辿って、笑った。
「いきなりあんな事したから驚いただけ。私は貴女を拒絶した訳じゃないわ」
「本当に?」
「本当に」
「私を…………受け入れてくれるの?」
すがるように聞いてくる。必死な問答は当然に答えを是とすべきなのだから、私は迷わない。
「勿論。どんと来い、よ。幻想郷を支える巫女様にとってはそんなの朝飯前よ」
いや、フランが彼女だと色々と不味い事が発生するような気がするけど。何と言ったって幻想郷を支える巫女様なんだから不味いと言うか駄目過ぎる。が、そんなのまるで気にしてないかのように断固として言い放つ。
「良い? フランの全てを受け入れるって今決めたわ。だから貴女はもうそんな事気にしないで良いんだからね?」
「う、うん! 分かった」
彼女が頷いたのを確認して、そっと抱き寄せた。彼女の軽い体重が心地良い。ぎゅっと力を込めて抱き締めると、フランの微かな呟きが聞こえた。
「ああ、もう、本当にかっこいいな霊夢は。かっこよ過ぎて嫉妬しちゃいそう」
さて、魔理沙とレミリアには何て説明しよう。あの二人なら祝福してくれると信じて話すしかないか。紫にも話を通した方が良いだろうか。色々考える事が発生して嫌になる。
まあ、何はともあれ。
「疲れたし、一緒に寝ましょうか」
「うー、一緒に、かぁ。えへへっ」
可愛いなこのやろう。
需要が来い
流星
普通の魔法使い、霧雨魔理沙は困惑していた。先日の紅霧の一件以来紅魔館の連中とは面白おかしく付き合っていたが、その折々時々に妙な騒ぎを起こす奴らではあった。だが、それは主に館の主であるレミリアが起こしていた騒ぎなだけに原因は退屈やら好奇心で、本当に原因不明解決無理の事件は起きていない。まさに、今日までは。
「な、何でだ…………」
力無く呟いて、魔理沙は周りを見回して助けを求めた。こういう時に一番頼りになる筈の銀髪メイドも、しかし今回ばかりは現実逃避気味に月を眺めていた。ぼんやりと十五夜の月を見上げて、溜め息を吐いている。
魔理沙は諦めて自らに抱き付いて離れない少女を見下ろして、しかめっ面をした。そうしないと思わずにやけてしまいそうになる。なんとか自制しながら深呼吸した。
抱き付いているのは館の主である筈のレミリアだ。青の混じった銀の髪に紅の瞳、背中から生える蝙蝠の羽は正しく魔理沙の想い人であるレミリアだ。魔理沙の背中に手を回し、痛くない程度に強く、力を込めている。
「えっと、レミリア…………だよな?」
確認の為に声をかけてみるも、レミリアは一層手に力を込め、無言で身体を密着させてくる。羽を細かく震わせながらゆっくりと体を離すと、普段の彼女では考えられないほど柔らかに微笑んだ。
「魔理沙、大好き」
これはどんな異変だ、と魔理沙の頭の中を驚愕と困惑が走る。様子が変、所ではない、明らかにおかしいレミリアは深紅の瞳を揺らめかせてまた抱き付いてくる。普段恋人に好きとは言って貰えない魔理沙は、なんだかもう訳分からない感じになってしまった。
そう言えば、寝惚けている時のレミリアはこんな感じだと思い立ったのは、それから三十分後だった。
―
「それで、一体何が起きているんだ?」
緊急対策本部である図書館で声を荒らげつつテーブルを叩く。魔理沙の横には無防備に眠るレミリア。咲夜もようやく現実逃避を止めて対策本部に来ていた。
「状況把握はできているんだけど、…………気絶はしないって約束してね」
対策本部長パチュリーは重々しく言って、司書の小悪魔に手を振った。一度部屋を出て戻って来た小悪魔は、何も持ってはいない。不思議に思った魔理沙が近付いて見ると、小悪魔の後ろにしゃがみガード中なレミリアを発見した。気絶はしなかったが二度見はしてしまった。
「魔理沙の所にいたのが甘えん坊レミならこっちは内気レミね。人見知りが激しくて手に終えないわ」
言われれば成る程、しゃがみガード中でも帽子の下からあちこちに目を走らせてはまた隠れる。内気というよりは只の神経過敏かも分からないが。
「いや、何でレミリアが二人なんだよ! こんなおいし、じゃない大変な状況なんて稀だろ」
「あら、二人じゃなくて四人だから稀じゃなくて稀少よ」
「四人!?」
参謀の言うところによると、一人は地下室に閉じ込めているのだそうだ。ヤンデレミリアに魔理沙を見せると状況がやんどこ無くなるから会ってはいけないとのこと。もう一人はカリスマレミリアで正直怖いので隔離中だそうだ。
「で、どうするんだ?」
「とりあえずフォーオブアカインドしたのは間違いないから、本人に理由を聞くのが一番良いでしょうね。………と言うわけで頑張ってね、恋人さん」
その場の全員に肩を叩かれ、やむなく出撃することなった。魔理沙的には殺されても喰われても良いからヤンデレミリアに会いに行きたくはあったが、ここでバッドエンド出しても仕方がないので諦めた。
カリスマレミリアは寝室隔離だというので何の気無しに部屋に入った魔理沙だったが、部屋に足を踏み入れた瞬間に寒気にも似た張りつめた空気を感じて身震いした。
冷たい静寂と青い月、硝子のような空気の下、紅の吸血鬼は目を閉じて窓辺に座っていた。月光を受けて白く浮き上がって見えるその姿は、まるで眠っているというよりは死んだようだ。魔理沙に抱き付いてきた彼女が童女のようにあどけないのに対し、こちらは静謐な無色の寝顔。魔理沙は知らず息を飲んでその光景に見惚れていた。
「―――――――魔理沙、何の用?」
目を開いてレミリアは言う。こちらに向けられた視線にたじろいで言葉を失う魔理沙の顔を見て、嘆息する。
「分かってるわ、分身のことでしょう? 月が沈む頃には消えるから、心配しなくても良いわ」
一番普段のレミリアに近いのは彼女じゃなかろうか。魔理沙は思う。格好良い所も時折見せる臆病さも甘えた声も我儘な所も全部レミリアだ、と。
「レ、レミリア、私はお前の事が大好きだぜ!」
「そう、愛してるわよ魔理沙」
顔に血が上るのを感じて、魔理沙は一人毒吐いた。なんだいつものレミリアじゃないか。簡単に愛してるとか言うなよな。
走って部屋を出ていった想い人の姿を想い浮かべて、一人レミリアは笑った。まさか、魔理沙を驚かせようとフォーオブアカインドしたは良いが制御が利かなくなってスペル解除も出来ないから効果切れまで待つしかないなんて。パチュリー達には言えない事だ。
「やはりフランに詳しく教えてもらった方が良いか…………」
―
追いつめていたヤンデレミリアが消えたので、魔理沙はレミリアの寝室に行ってみた。先ほどと変わらない体制のレミリアがいた。今度は妙な威圧感も感じない。
「レミリア、私はお前の事好きだぜ」
「私は貴女の事愛してるわよ」
「お前は時には愛してるという言葉の方が胡散臭く聞こえるということを理解したほうがいいぜ」
「大好きの後の“だぜ”を外したら好きって言ってあげるわ」
そう言って笑う彼女はいつものレミリアだった。魔理沙は何度も頷いて笑った。
「やっぱりいつものレミリアが一番だ」
「あら、ヤンデレが貴女の趣味だとは今日知ったけど」
「所有されたいお年頃だからな」
「所有してあげようかしら?」
突然、レミリアは魔理沙を引き倒して馬乗りになる。されるがままに引き倒されても、魔理沙は挑発するように笑っていた。レミリアの軽い体重を感じながら、彼女の髪に触れてみる。
「キスもまだな関係で何を言ってるんだ?」
「今ここで全部奪っても良いけど?」
「どうぞご自由に」
魔理沙は睨むレミリアの視線も意に介さず不敵に笑ってみせる。が、レミリアに首筋にやんわりと噛み付かれると虚構は崩れてしまう。
「噛むな、噛まないで、噛まないで下さいの三段活用! 調子乗ったのには謝るから止めてくれ」
「貴女が悪い」
「応、喉がごりっていったような気もするがそういう事にしておこう」
レミリアは噛むのは止めたが起き上がろうとしない。しがみつくように魔理沙に抱き付いて、レミリアは小さな声で呟いた。
「ねえ、魔理沙…………キス、してもいい?」
それを断るような野暮はしない。魔理沙は、本当に全てを捧げてもいい気持ちでいたのだから。彼女が望めば吸血鬼化だって厭わない。自分が出来る事なんてそれくらいしか無いんだから。
「レミリア…………」
月も沈んだ暗い部屋、そっと口付ける。触れるか触れないかの優しいキス。目を開けてお互いの顔を見合って、二人して笑った。
「ははっ、なんだかなぁ。…………レミリア、愛してるぜ」
「ええ、魔理沙、大好きよ」
――――
紅白
やってしまった。頭を占めるのはそんな悔恨。してはならないからこその禁忌を侵した者に下る罰を恐れる暇もあればこそ。心を占めるのは後悔と言い訳、それ以外には何も無い。自分が呆けた顔をして突っ立っているとの自覚はあるのだが、何を言うべきなのかも見付からず、口を開けたまま立ち尽くす。
いや、一つは言える事があるか。
「フ、フラン、大丈夫?」
掠れ気味の声で問うが返事は無い。異形の翼を背負った少女は倒れ付したきりに動かず、その事が更に私を困らせる。まさか死んではいないだろうが気絶はしているのか。大事無いのなら良いのだけど、先程の事を鑑みると近寄る気にはなれない。
ふと、先刻の彼女を思い返して身震いする。思えば今日は朝からこいつは様子がおかしかった。それとなく探ってみたが気にするなと言われたので気にしない事にはしていたのに、よもやタイミングを見計らっていただけとは。
吸血鬼と謂うからには手持ちの簡単な封具では致命傷は負っていないだろう。しかも今日も今日とて弾幕ごっこの後で消耗していた。彼女の小柄な体躯を吹き飛ばすのが精一杯だったのだ。その後壁にうまい具合に当たって昏睡してくれなきゃ今頃どうなっていたことかと胸を撫で下ろす。
…………安心しておいてなんなのだが本当に大丈夫だろうか。良い感じに鈍い音が響いていたことだし、人間だったら死んでるのではないか。
「っく、落ち着け、落ち着きなさい。あんなので死ぬ筈ないでしょう」
仮にも吸血鬼だ。仮と言うか本物だ。そう自分に言い聞かせながらそっと彼女の様子を伺った。
いつも通りの殺風景、紅魔館の半地下部屋だ。フランが閉じ込め閉じ籠っていたあの部屋。彼女の自室とは違って装飾されてもいないただ頑丈なだけが取り柄である部屋。と言っても彼女の自室がどうと言われれば困るのだけど。
剥き出しの床に横たわる彼女は、相変わらず一枚の絵画中にいる様な可憐さだ。投げ出された手足は無造作に、散らばる金髪は金糸の様に、その白い透き通る肌と赤いスカートが相対的で。決して明るいとは言えない光量の中、際立って美しく見えた。彼女の前にしてなら、この様を保存しておくべきではないか、等と妄言を吐くのも許されるだろう。放っておくと消えてしまいそうな儚さが、またそれを引き立てる。
「フラン、大丈夫?」
気絶しているのなら返事は無いと理解はしつつも声をかける。傍に寄って見ると、綺麗な顔立ちが目の前で頭がパニックになる。彼女の姉も整った顔をしているが彼女には負ける、きっと誰も勝てない。顔を見る限り苦しそうにはしていないが、頭の怪我は素人判断ではいけないだろう。
そっと頬に触れると、温かな体温が冷えた指先に伝わって、彼女の熱が混ざっていくのを感知した。五感が鋭敏になったのか彼女の息遣いまで手に取るように分かる。その呼吸を合わせて、息を吐く。同調する感覚が心地良くて顔を寄せた。
パッと、フランが眼を開いた。深い、どこまでも深い紅の瞳が此方を覗き込む。反応するより速く、服の襟を掴まれた。
「ふふっ、捕まえ、た!」
ぐるんと天地を引っくり返して、彼女は笑った。暗い天井をバックに紅い吸血鬼が微笑む。
「…………私の心配を返してくれる?」
「やだ、ありがたく貰っとくよ」
「じゃあせめて上から退いて」
「退く訳ないじゃん、折角捕らえたんだからさ。さっきので随分と慌てたみたいだね、自慢の勘の良さはどうしたの?」
心底可笑しそうに宣う。だがもう一度吹き飛ばす事も出来ないし、さてどうしたものか。
「疲れてんの、帰って寝たい気分」
「このだるだれ巫女さんに初勝利を収めた私に労いは?」
「ある訳無いでしょうが」
私は本気で心配したのに、彼女は私に勝てたと言って喜んでいる。その笑顔があまりに無邪気でつい見惚れてしまう。ただ弾幕ごっこの相手でしかない私に、どうしてそんな笑顔を見せるのか。胸の奥がぎりっと痛む。
「ねぇ、霊夢」
組み敷かれてぼんやりと見上げるのみの私に、フランはそっと囁く。空気を揺らす響きにいつもの透明な悪戯心と紅の熱情を感じて、心臓が跳ねた。
「騙し討った事は謝るから、さっきのは本気だって分かって欲しい」
『強いよね、本当に。霊夢との弾幕ごっこは本気で殺し合いたくなるくらいに楽しいよ』
『変な事だって分かってるし霊夢の立場も理解できる。けど、この気持ちは伝えておかなきゃだから』
『好きです。大好きです。ごめんなさい』
そう言ってキスしてきた彼女。思わず彼女を吹き飛ばした私。さてどっちが不誠実でどっちが馬鹿者でしょう。
答え、両方私。
「――――っの、馬鹿!」
叫んで空いている左腕で渾身のパンチングをした。誰に? 自分に。
「え!? ちょっと何してんのさ!」
これは馬鹿者な自らに対する鉄拳制裁だ。角度も良く頬にヒットし後頭部から鈍い音がしてからそう言えば床に横たわっていたことを思い出した。しかし憤り心頭なので些末は気にせず、彼女と眼を合わせた。揺れる瞳に映った私の顔は至極真剣で、少し泣きそうだった。
「フラン、私がそれも分からないような人間だと?」
「だって、嫌だったから、拒絶したんじゃあ…………」
「違う」
フランの左の眼から流れ落ちた一滴を指先で掬いあげて、彼女の唇を己ので塞いだ。触れた唇の感触は柔らかく、仄かな甘い体臭が鼻を擽る。何秒触れていたか分からなくなるまで時間が過ぎて、それから漸く離れた。名残惜しく彼女の唇を指先で辿って、笑った。
「いきなりあんな事したから驚いただけ。私は貴女を拒絶した訳じゃないわ」
「本当に?」
「本当に」
「私を…………受け入れてくれるの?」
すがるように聞いてくる。必死な問答は当然に答えを是とすべきなのだから、私は迷わない。
「勿論。どんと来い、よ。幻想郷を支える巫女様にとってはそんなの朝飯前よ」
いや、フランが彼女だと色々と不味い事が発生するような気がするけど。何と言ったって幻想郷を支える巫女様なんだから不味いと言うか駄目過ぎる。が、そんなのまるで気にしてないかのように断固として言い放つ。
「良い? フランの全てを受け入れるって今決めたわ。だから貴女はもうそんな事気にしないで良いんだからね?」
「う、うん! 分かった」
彼女が頷いたのを確認して、そっと抱き寄せた。彼女の軽い体重が心地良い。ぎゅっと力を込めて抱き締めると、フランの微かな呟きが聞こえた。
「ああ、もう、本当にかっこいいな霊夢は。かっこよ過ぎて嫉妬しちゃいそう」
さて、魔理沙とレミリアには何て説明しよう。あの二人なら祝福してくれると信じて話すしかないか。紫にも話を通した方が良いだろうか。色々考える事が発生して嫌になる。
まあ、何はともあれ。
「疲れたし、一緒に寝ましょうか」
「うー、一緒に、かぁ。えへへっ」
可愛いなこのやろう。
どっちにしてもラブラブで、読んでるだけでニヤついちゃいました。フヒッ
「ぎぶみーとろーち」の時は、「よくこんなに描写できるなぁ」と思ったけど
今回は割とアッサリしつつも甘ったるい雰囲気はそのままで、やはり好きな感じ。
どうにも不完全燃焼だなあ
でも何が書きたいかはよく伝わってきた気がする。