買い物の帰りに雨に降られた。
傘の代わりに出来そうな盾も非番の日までは持ってない。
仕方なしに雨宿り出来そうな場所を求めて雨中を走る。
山の天気は変わり易いとは言うがこれは変わり過ぎだ。家を出た頃は晴れていたのに。
そもそも河童の天気予報では晴れだった筈。まあ、天気予報なんて占いと同じだが。
当たるも八卦当たらぬも、だ。愚痴を言ってもしょうがない。大きな木でも探そう。
だが中々良い木は見つからない。妖怪の山は高山だから木が大きくなり難いらしい。
今は慣れ親しんだ山の環境さえ憎らしくなる。道々に生えてる木はどれも半端だった。
酷い降りだ。一間先も見えないのではないだろうか。これでは雨宿りしようにも――
「ん――」
あった。木々の間に隠れるように建つ家が一軒。
軒先を借りようと近づく。……空き家だろうか。どこか朽ちた印象を受ける。
別段木の壁が腐ってるということはないようだが、ふと視線を落とせば錆びた鎌が転がっていた。
戸を見れば、取っ手に苔が生えている。窓から家の中を覗き込む。床板は所々腐り落ちており囲炉裏に積もるのは灰ではなく埃のようだ。住む者が居なくなってから随分と経っているらしい。
雨宿りするには丁度いいか……どこか、寂しさを感じるけれど。
荷物を濡れなさそうなところに置いて一息つく。
このまま雨足が弱まるのを待とう。とりあえず、服の水気を払って、って。下着まで濡れてる……
人気が無いとはいえ流石に外で脱ぐわけにもいかないし、どうしよう。
腰の太刀は、まあ大丈夫か。河童に鍛えてもらったものだし。後で手入れすれば間に合うだろう。
袴は手遅れだからいいとして……上着だけでも脱いで絞るか。紐を解き前を開く――
「え」
匂いがした。
この匂い。微かだけど、雨のせいでわかり辛いけれど、間違える筈がない。
でもこんな強い雨の中で? もしやと思いひさし沿いに歩き角の向こうを確かめる。
「文さん」
「椛?」
やはり勘違いではなく、彼女はそこに居た。
鮮やかな黒髪に清潔な白いシャツ。真赤なリボンタイ。いつも通りの文さんだった。
仕事の途中だったようでカメラを携えている。取材、だろうか。
「こんな所で奇遇ですね」
応じる文さんは見た限りあまり濡れてない。雨の中を逃げて来たわけではないのだろうか?
しかしこの土砂降りではどのようにしたって濡れる筈だが……
「文さんも雨宿りを?」
「はい。雨の匂いがしたので引き揚げようとしたのですが、間に合いそうになかったので」
匂い……風の匂いか。流石だな、私はそこまで風を読めない。
雨が降り出す前に気づけるなんて便利だ。それのおかげで本降りになる前に避難出来たらしいし。
「珍しいですね」
「え?」
「あなたがそんなだらしない格好してるなんて」
彼女が指差すは肌蹴た胸元。そういえば脱いでいる途中だった。
下に襦袢は着ているし、そう恥ずかしくもないのだが一応直しておく。
このまま戻るのもよそよそしいので荷物を取り文さんの居る方へ移動する。
「随分と濡れてますねぇ」
「今来たところでして……」
濡れた服が彼女に触れない位置で足を止め荷物を下ろす。
ほんの少し、恨めしくて抱きついて濡らしたいとも思うのだけど。
そんなのみっともない八つ当たりだからしないけど。
「椛は大きいから濡れやすいんですよ」
彼女は笑ってそんなことを言う。
確かに背は高いけれど。いや、その通りなのか? 雨は当たり易い気がする。
なんて、考えてもしょうがない。文さんはからかってるだけだろう。
いつもの悪癖である。彼女は意地悪なのだ。
「おや、だんまりですか?」
「流石に学習しましたので。下手に噛みつけば泥沼です」
「性質の悪い妖怪のように言いますねぇ」
実際性質の悪い妖怪じゃないか。キレイな顔で優しく笑って誘い込む。
この人は天狗ではなく橋姫の類ではないかと疑ったことだってある。
美しい女に化けて誘い喰らう鬼女。
……いや――例えるなら仏陀を堕落させようとした悪魔か。
誘惑し、堕落させる。そういう危険な匂いがこの人にはある。
「本当にあなたは、悪魔のような妖怪だ」
やや重い口調になってしまった。溜息混じりだったかもしれない。
だが、そんな口調で言われたというのに彼女は。
「それは光栄」
悪女の笑みで応えた。
惚れ惚れとする程美しく、悪い笑み。
これで無自覚だというのだから性質が悪い。
「ああ、そういえば新しく出来た喫茶店行きました? 評判聞きたいんですよ」
さらりと話題を変える。私は重い気分のままだというのに。
まあいい。こんな話題を続けていたら変な気分になったろうし。
「中々良い店でしたよ。かかる音楽の趣味もいいし、コーヒーが美味しかった」
彼女は紅茶派だったかコーヒー派だったか。
紅茶の味を訊かれたらどうしようか。あの店の紅茶は飲んでいない。
お茶に拘りは無いのだ。なんでもいける。む、となると私の感想は当てにならないのだろうか。
文さんは、こういうの拘りそうだし……困ったな。
一応、味の違いくらいはわかるようになろうと努力しているのだけど。
「へえ、じゃあ行ったらコーヒーを頼んでみますね」
……私を立ててくれたのかな?
なんとなく、気恥ずかしくて彼女がどんな顔でそう言ったのか見れなかった。
大人な対応だと思う。私より二まわりは小さくて、子供のようだけど、文さんは洒脱だ。
こんなことを言えば彼女はあなたが大きいだけですよと軽くあしらうのだろう。
敵わない、なぁ。少しは、近づきたいのに。横に並べなくても、少しは。
「ああコーヒーといえば」
「なんです?」
「コーヒー豆衝動買いしちゃって、困ってるんですよ」
相槌に返ってきた言葉に眉をひそめる。
「困るって……コーヒーはお嫌いで?」
今さっきコーヒーを肯定されたのに、それでは私の立つ瀬がない。
そんな利己的な不満が鎌首をもたげてしまうけれど、彼女は即座に否定した。
「いえいえ、うちにコーヒーミル無いんです」
それは、また――すごい偶然だ。足元の荷物をちらと見る。
こんなこともあろうかと、というわけではなかったのだけど。
そっと置いた荷物を手に取る。
「擂り鉢で代用利きますかねぇ……」
「あの」
振り返る彼女の表情に言葉が詰まる。
狙っていたわけではないし、やましいところもないのに。
なんか、恥ずかしい。
「丁度コーヒーミルを買ったのですが、使いますか」
目を丸くされてしまった。
いや、まあ、確かにタイミング良過ぎだけど。
お茶に拘りなさ過ぎるから、多少は学ぼうと買っただけなのに。
……荷物の中にコーヒー豆が無いのが痛い。これから買いに行こうとしていたところに雨が降ってきて、ああもうこっちのタイミングは悪過ぎる。これじゃまるで彼女のこと調べてたみたいじゃないか。
「また随分とタイミングのいい……」
声に出されて言われると余計になんか、恥ずかしい。
なんで声掛けちゃったんだろう。今からでも撤回は間に合うだろうか。
そうだ、早く引っ込めて……
「今度使わせてもらいましょうかねぇ」
笑顔、だった。
それが作り笑いかはわからないけれど、流してくれたのだろうか。
だとしたら助かった。恥が薄い私だけど、流石に恥ずかしかったから。
コーヒーミルの入った袋を置いて息を吐く。曖昧な返事をして視線を逸らした。
そして無言。激しい雨の音だけになる。
困ったな……間が持てない。多弁な方ではないけれど、話さねば。
黙ったままで平然としていられるほど悟れていない。落ちついていられない。
失敗したばかりなせいかなんか、胸の中が暴れ回ってしまう。
「あの、文さん」
話し続けて紛らわせないと。
「なんでしょう?」
――そうだ。先程からかわれた意趣返しといこう。
ほんの少し彼女を困らせてみよう。
「文さんはどんな人が好みなんですか?」
四方山話としてはよくある類だ。不自然でもあるまい。
「それはまた唐突な。……ええと」
文さんは考え込む。予想通り答えあぐねている。
プライドの高い人だからそう簡単には答えられまい。
本音を言えばちゃんと答えを聞いてみたかったけど、これはこれで溜飲が下がる。
……存外意地が悪いな、私。少し反省。自分が窮したからって文さんを巻き込むなんて。
子供っぽすぎたかもしれない。文さんを意地悪だなんて責められないな。
「……あの、答え難いのでしたら……」
「いえ、ちょっと考えてるだけです」
止めようとしたけれど逆効果だったかもしれない。
文さんはプライドが高いから気遣われるのが嫌なのだろう。
失敗したかな……
「私の好みは」
一拍置いて彼女は答えを告げる。
「私は……そうですね、手が暖かい人が好きです」
「手、ですか?」
「はい。手を繋いだりした時、なんかあったかい気持ちになるんです」
手。手、か。
「――ああ」
なんとなく……わかるような気がする。
ちょっと、残念な答えだったけれど。
私は手が冷たい。剣を振るい続けて皮が厚くなったのか、暖かいと言われたことは無い。
体温は高い方なのに手の平だけは冷たかった。
彼女の好みとは正反対。彼女の好みでは、ない。
「言いますね、手が暖かい人は心も。なんて、なん……」
ん?
「文さん、それは手の冷たい人だったと」
「あや、意外と乙女なこと知ってますね」
なんだこれは。高度なからかいだったのか。
心配して損した。本当に一筋縄じゃ行かない人だな、文さんは。
「そりゃ……私も一応女ですから」
私は、確かにどちらかと言えば強面だし、でかいし、筋肉ばかりで柔らかくないし、女らしいところ
は少ない。華奢でキレイな彼女と比べれば一目瞭然だ。
可愛げが無いのは認めざるを得ない。でも気にしてるのだからそこは突かないで欲しかった。
意趣返しとはいえこちらからからかった手前文句も言えないのが口惜しい。
「椛は剣一筋かと思ってましたよ」
意表を突かれた。
反射的に腰に佩いた太刀に触れてしまう。
からかったわけじゃなかった。好意的な意味で、私はそんなの知らないと見ていた。
コーヒーミルの件だって私が意識し過ぎていただけだったのかもしれない。
これじゃ、これじゃあ……一人相撲だ。勝手に勘違いして、勝手に翻弄されて。
どんどん彼女が遠くに行ってしまう気がする。私の手が届かない人になってしまった気がする。
なんとか、したい。少しでもいいから、ほんの少しでも彼女に近づきたい。
私はまだまだ子供で、彼女のようには振舞えないけれど、近づきたい。
「――文さんは、手が暖かい人が好きなんですよね」
「? ええ、手が冷たい人は、ってのの逆じゃありませんけど」
太刀から手を離す。
がしがしと手をこすり合わせる。
「え、ちょ、椛?」
困惑の声に構わず続ける。
痛いくらいになって止め、その手を文さんに差し出した。
「私の手は、熱いです」
雨音が響く。
文さんは目を丸くしたまま動かない。
だんだんと手の平の熱は失せていく。
乾いていない、雨に濡れた服が体温を奪って、
「…………っぷ」
ふいに差し出した手が握られた。
彼女は笑って、私の手を取っている。
「あはは、ずるじゃないですか」
「普段から、とは聞いていませんから」
「確かに、言っていませんでした」
よほど面白かったのか彼女は肩を揺らして笑い続ける。
いや――手を握られ続けるというのは、困るのだけど。
彼女から視線を逸らす。雨が小降りになっていることに気付いた。
ああ、雨のことなんて忘れていた。雨宿りしていたんだっけ。
「これなら帰れそうですね」
文さんの言葉に頷く。それ以上の返事は出来ない。
なんか、声を出しづらい。今声を出せば上ずった、変な声を出してしまいそうだ。
だんだんと、顔が熱くなってきた、ような。
「椛」
彼女の声にも逸らした視線は戻せない。
だけど、文さんは構わずに続けた。
「手は熱いですけど、雨に濡れて冷えたでしょう。うちでコーヒーでも飲んでいきなさい」
「え」
「ちょうどコーヒーミルもあるようですしね」
逸らした私の視線は、いつの間にかコーヒーミルの入った袋に向いていた。
その申し出は嬉しいけど、でも、いいのだろうか。
だって、私は、私は――
「折角熱い手なんですから、冷まさないようにしましょう」
そう言って、文さんは私の手を引いた。
文の前で大人を取り繕おうと背伸びするけれど、一人相撲で混乱してしまい、
焦れば焦るほどに思考が急いて、言動も拙くなく無作法になってしまう。
そんな、椛がとても可愛らしかったです。
ありがとうございますリクエストした者です!
不器用椛可愛いよ椛。
雨を眺めながら、コーヒーが飲みたくなりました。
早く涼しくなあれ!
何はともあれ、もみあや最高
やっぱり椛は負けず嫌いでお堅いイメージ
テンプレだけど、敢えて王道と言いたい
やっぱもみあやは最高だ!
手を繋ぐって基本にして究極の百合だと思うのです。
それが子供っぽくありつつも大人っぽくて何とも言えないこの素敵な空気を何て言ったらいいのか良くわかりません。
飄々としている文と、くるくる考えて、一生懸命な椛の関係がよかったです。
濃い目に淹れてミルクと砂糖も多めに入れたコーヒーを飲みたくなりました。
素晴らしい
他の二次創作に毒されているせいか、文よりもタッパのある椛はちょっぴり違和感、でも新鮮。
無骨で不器用な感じがいいですね、この椛。
椛…その口説き方は普通に好きっていうより恥ずかしくてもにょもにょしないか……
あまあまありがとうございました!
…この興奮はしばらく落ち着きそうにないぜ…
外はサクサク、中はふんわりほのかに暖かい。そんな話だと感じました。
ありがとうございました。