Coolier - 新生・東方創想話

椛の里親達

2011/09/16 22:15:04
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「うう、これは困りましたねえ…」

暑い夏も終わり、これから鮮やかに秋めいていく妖怪の山。夏の気配は消え去り、涼やかな風が吹いている。そして射命丸文の目の前にいるのは小さな小さな白狼天狗。まだ腰ほどの高さの背丈もないその存在は眼をぱちぱちとさせながらじっとこちらを見つめていた。




――――椛の里親達―――


事の始まりはつい一月前の話。天魔からの呼び出しを受けて渋々ながらも正装を身に纏い、話を聞きに馳せ参じたことが運の尽きだった。

なんとかのらりくらりとはぐらかそうとしたものの、最終的には「命令」として下されたものは「少しの間白狼天狗を預かって育ててみろ」ということだった。

文は鴉天狗のなかでもとりわけ優秀であり、若くして幹部として招き入れようという話も出たくらいだ。しかし、そこは組織の性か、老獪な策術によって、阻止された経歴がある。むしろ文はそれを喜んでいた。仲間意識というものはあるが、実際のところ組織をまとめる、というのはなかなかに厄介なもので、自由気ままに生きていきたい彼女にとって縛られるのは是非とも避けたいと思っていたからだ。
 そんな政治的な理由もあってか、文の住居は山の中、大小ある多くの滝の中でもとりわけ静かな、かなり下流のほとりの静かなところにあった。

 今回の天魔の命令、もとい申し出には人材育成を行わせることで少しでも射命丸文という存在が優秀であり、天狗社会の中で必要な存在であるということを少しでも証明したいという、云わば多少おせっかいともいえる親心のようなものからくるものであった。


そんなこんなで文が苦々しい回想をしているのを余所に、眼の前の現実は変わらない。
(だからといって本当に寄越しますか…しかもこんなに小さい子供を…)

彼女はどちらかといえば子供が苦手であった。癇癪をもつものもいれば、いつの間にかどこかへ行って勝手に迷子になっていたり、全く何を考えているか分からないからだ。なにより声が甲高くて癪に触る。いつものように仲間とバカ騒ぎでもしながらどんちゃん騒ぎをしていたいものなのだが。

「・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」

お互い何も話さず見つめあっている。この小さな天狗は何も知らず、何の疑いもなくひょこひょことここに来るように指示されたようだ。

突然何かを思い出したのか、垂れていた耳がぴくん、と上を向く。すると腰に身に着けている体のわりには大きめの巾着袋から、丁寧に折りたたまれた一枚の封筒を取り出した。他にもごちゃごちゃといろいろ入っているのが見える。中に入っているのは木の実やら、きれいな石やら、そんなもののようだが、おそらくは大切にしているものなのだろう。そして手紙を両手に持ち、文に差し出す。

「…これは、私に、ですか?」
こくこく。

未だしゃべることはしないが、肯定の意味をあらわすように、二度頷く。ひょこひょこと忙しなく耳を上下させている。何となく嫌な予感がする手紙を開いてみると、やたらに達筆な文字で、つらつらと長く書かれていたが、要約するとこんな感じだった。

「この間の指令の通り、半年の間この手紙を持ってきた白狼天狗を育てること。名前は犬走椛。必ず立派に育て上げること。最後にちゃんと手紙を持ってこられたことは褒めてあげること」


いったい何なんだ、と心の中で呟く。天魔様ってこんなキャラだったっけ。何故こんなにも親バカっぷり満載な手紙をよこしてきたのか。一般的に封筒というものは中に入っている手紙自体は一枚か二枚ほどであるものだと考えているが、実のところ五十枚にも渡る内容であった。その場で突っ立ったまま全て読み切ってしまった文も文だが、この子もこの子だ。ずっと何も言わずに待っていた。


ようやく全て読み終わったところでもう一度眼の前に映る幼い天狗を見つめる。どこにでもあるような大きな白の風呂敷を背中に背負っている。中には予備の装束といったところか。銀が混じったような白い髪に、頭に生えている大きな耳。相変わらず上下に動いている。紅の袴を纏い、お尻から生えているのは髪と同じ色の大きめの尻尾。太陽の光を十分に受け、ふかふかとしている。さわり心地は良さそうだ。幼く、相変わらずあどけない容姿で見つめるその瞳は大きな琥珀色をしている。ぱちぱち、と瞬きをしては、こちらの様子を伺っている。視線を逸らさないのは、狼というものが犬に属するからか、子供故か。


上司の命令である以上、とにかくはこの厄介な愛情の詰まった手紙の通りにはしないといけない。顔の筋肉を引き攣らせ、無理やりに作り笑顔を作りながら、何とかその頭を撫でつける。

「あ、ありがとうございます。椛。イ、ィ、イイコデスネェ」

最後の方はなぜか片言になってしまった。顔の筋肉がやばい。しかし手に感じる感触はなかなかに心地よい。ふさふさとしていて、撫でる手に合わせてぐらぐらと頭も揺れる。

すると、

ぱあああっ、

初めて名前を呼ばれてうれしかったのか、それとも褒められて嬉しかったのか、椛は満面の笑みを浮かべながら尻尾がちぎれんばかりに尻尾を振るのだった。


――――――――――――――


ずっと頭を撫でているわけにもいかないので、とりあえず文は自己紹介ののちに家の中に招き入れることにした。その時にふと気づく。椛が履いているのはよく見かけるような草鞋なのだが、とにかく古くてぼろぼろになっている。しかも見ただけで薄っぺらくなってしまっているのがよく分かる。白狼天狗は貧しいわけではないが、質素倹約を旨としている。とりわけ椛が普段暮らしている集落ではそれが顕著のようだ。

(それにしてもこれはひどいわね…何か代わりになるものはあったかしら?)

頭を掻きながら一足先に自らの家に入ろうとする文。しかし、一つ忘れていた。

(しまった…家の中を掃除してない!)

半ば冗談だと思っていた、というよりそう願っていた文は部屋の掃除を怠っていた。それに昨日は夜遅くまで山の中腹で飲み明かしていたところなのだ。決して普段からズボラで掃除をするのがめんどくさいとか、そのうちやろうと思ってここまできてしまったとか、そういうことではない。
とにかくここは一刻も早く部屋を綺麗にしなくては鴉天狗の沽券に関わる。誇り高い天狗の部屋がこんなものか、と笑われてしまっては一巻の終わりだ。

何とかこの場をやり過ごすため、とことことすぐそこまで近づいてきている椛の両腋に手を通し、持ち上げてそのまま走って遠ざける。不思議そうな顔をしながらも抵抗することなく運ばれ、文を見上げると、文は何とか取り繕うような笑顔で、

「ちょーーっとだけ、ほんとにちょっとだけ部屋の片づけをしていますから、ここで待っていてくれますか?」

(・・・・・?)こくこく。

よく分からないながらも特に疑問を持つこともなく了承する椛。二度頷くのは癖なのだろうか、近くにあるちょうどいい大きさの岩に座らせた直後、まさに疾風のごとく、家の中に駆けていった。その速さは座っている椛の体をふわりと浮き上がらせる程だったという。

椛を誤魔化して戻ったは良いものの、中は惨憺たるものだった。中を見られないようにしっかりと戸を閉じる。改めて見回してみると、布団を除く他の場所には足の踏み場もない程だ。最後に掃除したのはいつだったのか、もはや思い出すことは出来ない。一か月前?半年前?それとも、もしかしてまだ今年は掃除してない?
そんなどうでもいい事実は置いといて、このごみはどうにかしないといけない。腰のあたりから黒く艶やかな羽を広げて、向かい側の窓に狙いをつけると、一気に旋風を巻き起こす。そして勢いよく上手く家の中から塵芥を吐き出させると、ぱっぱっ、と衣服を整え直し、さも何事もなかったかのように、普段通りに戸を開ける。窓は戸とは反対側なので幸い椛には何をしていたのかは分からないはずである。

「お待たせしました、もう入ってきてもいいですよ」

「…!!」

ようやく招き入れられると、座っていた岩から勢いよく飛び降り、笑顔で駆けてきた。



ちょこん、と文が用意した紫の座布団の上に行儀よく正座する椛。初めて入る他人の家の中なだけに、いろいろ興味があるのだろう、視線をあちこちに移しては、尻尾と耳をゆらゆら、ぴくぴくとさせている。文は囲炉裏で茶を沸かしながら、先程の草鞋の件について考えていた。

(確かどこかにほとんど使っていなかったあれがあった、ような)

茶を入れた湯呑みと一緒に適当な菓子を差し出す。置かれた茶と菓子、そして文を交互に見比べている。その眼は控えめにだが何かを期待しているのが分かる。

「さあどうぞ、召し上がれ」

ぱっと笑顔になり、大きな声で
「!! いただきます!」
と言いながらぺちん、と両手を合わせる。生真面目な白狼天狗らしく、躾はきちんとされているようだが、やはり子供っぽさは拭えない。相変わらず尻尾は勢いよく左右に揺れている。まあそんなものか、と思い直し、思い出したあれを探すべく襖を開ける。長い間整理していないため埃を被っているだろうが、それだけにどのあたりにあるのかはおおよその予想がついていた。



十分に熱くした茶に椛が時折小さな舌を出しながら時間をかけて飲んでいる間にそれを見つけた。丁寧に桐の箱に収められており、中には綿が詰められ、一目で高級品であることが分かる。殆ど使ったこともなく、新品といってもあながち間違いないだろう。念のために適当に見繕った布切れで磨き上げる。うん、悪くない。


お茶菓子も綺麗に平らげ、次は何をするのだろう、と文を見つめる椛。これから渡す贈り物に喜んでくれるだろうか。内心冷や汗をかきながらも平静を装う文。

「椛、あなたにこれをあげます」

そういいながら先程の桐の箱を椛に差し出す。首を傾げながらも両手で受け取る椛。何が入っているのかを確かめたくて、しきりに箱と文に視線を移している。勝手に開けるなどといったことをしないあたり、本当によく躾けられているなあ、と半ば感心さえ覚えるほどだった。自分はどうだっただろうか。思い出すのはやめておこう。

「どうぞ、開けてください。それはもうあなたのものですから。」


「わあ・・・」
椛はそっと箱を床に置き、丁寧に蓋を開ける。中には、天狗の中でも特に上位の者が正装をする際に用いる最高級の、入れ物の箱と同じく桐製の高下駄が収められていた。椛の袴と同じ色の赤漆にて丁寧に塗られており、驚くほどの滑らかな手触り。花緒は真っ白な革製で、良く馴染むようにできている。まだ幼い椛にはいささか大きすぎるかもしれないが、そのうちに見合うようになるだろう。鴉天狗でもこれほどのものを扱っている者はそう多くは無い。贈る側である文でさえほとんどこのような高級品は使用しないのだから。
 この高下駄は昔、天魔と飲み比べの際に奇跡的に勝利を収めた際に頂戴したものだ。なぜこんなものを選んだのかは本人でさえ覚えていない。同じく酔いつぶれるまで追い込まれていた文が手っ取り早く家に戻るために適当に選んだものなのだろう。

「ねえ、ホントにいいの?これもらって本当にいいの?」
不安そうにしながらも期待を隠すことができない椛。すでに箱ごとしっかりと胸に抱きしめている。


「ええ、椛にあげます。そのかわり、大事に使ってくださいね?」
「うん、ありがとう!文おねえちゃん!!」

あやおねえちゃん。アヤオネエチャン。オヤオネエチャン。

「っ~~!!!」


文おねえちゃん。生まれてこの方そんな呼ばれ方をされたことのない文の全身にこれまでにない程のむず痒いものがこみ上げる。この場に椛さえいなければ身悶えしながら体中を掻き毟っていたことだろう。それほどにその一言は強烈だった。
我慢出来ない。そう悟った文はやんわりと少しの間だけ外に出るからいい子にしてなさい、と伝え、静かに戸を閉めたのち、ぶるぶる、と震えたかと思うと、

「うう・・・あひゃあぁぁああああぁあぁあ!!!!!」

ばっ、と勢いよく羽を広げ、奇声を発しながら全身全霊で妖怪の山をとびまわるのだった。



――――――――――――――



一通り飛び回ってどうにか気持ちも落ち着いたのか、肩で息をしながら戻ってきた文が提案したのはとてもシンプル、「散歩に行こう」というものだった。兎にも角にもしばらくの間はここで寝泊まりをするわけだし、下駄での歩き方の練習も兼ねて、このあたりの地形や風景を知ってもらうという目的があった。

早速もらった高下駄を使うことができて嬉しさを隠せない椛は嬉々として下駄を履き、駆けだそうとした。しかしである、

カコッ、

びたんっ


草鞋や草履と違って地面との接着面が圧倒的に少ないのが下駄の最も分かりやすい特徴である。ましてや今履いているのは天狗御用達の高下駄。そのことに全く気付けなかった椛は早速一歩目から独特な重心に躓き、もろに顔面から大地の痛烈な抱擁を浴びる目となった。慣れないまま思い切り重心を前にして駆けだすとこうなるのだ。
倒れてそのまま動かない椛に思わず文が駆け寄り、先程と同じように持ち上げる。幸い大きな怪我はしていないが、鼻を少し擦りむいてしまっている。痛みを感じている様子がない当たり頑丈なのだろうが、どちらかと言えば驚きの方が勝っているようだった。しきりに瞬きをしたまま、まさに吃驚した、という表情を浮かべている。泣かなかったのは幸運だったとしか言いようがない。装束のところどころに付いた砂や埃をはたき落しながら
苦笑いを浮かべて

「天狗の高下駄は少し特徴があるのです。まずは気を付けて歩いてみましょうね」

こくこく。

表情はそのまま、納得したかのように頷いた。やはり二度頷いてしまうのは癖なのだろう。汚れをきれいに落として手を放すと、今度はとても慎重に歩き出した。足元を見ながら文の周りをくるくると周っている。いつまでもそうさせていると目を回すかもしれないので、一旦家に戻って鼻に塗り薬を塗って上げた後、手を繋いで散歩を行うことにした。その手は小さくて、暖かい。

カランッコロン、カラッコロッ

手を繋ぎながら二人で近くの河の側を歩く。躓きそうになるたびつないだ手を軽く引っ張って支えているうちに、もう大丈夫かな?というところで手を放し、一人で歩かせてみる。少しだけ名残惜しそうな顔をするものの、すぐに前を向いて歩き出す。

カランッカラン、カコココ、カランッ


最初の数歩は一人で歩けたが、すぐにバランスを崩してこけそうになる。あわただしく前へ後ろへグラグラと体を揺らし、ぴょんぴょん跳ねながら体勢を戻そうとしているが上手くいかない。

「うわっわっわ…みゃっ!?」

最後に犬なのに猫のような悲鳴を小さく上げると、勢いよく蹴り上げた右足のおかげで完全にバランスを崩してくるっと空中で一回転し、再度顔から激突しそうになる。今度は文も咄嗟にがばっ、と腰回りに両手を伸ばし、すれすれのところで止めることに成功した。

「みっ・・・!…?」

きゅっと目を瞑って本日二度目の地面との抱擁に備えた椛は、すんでのところで身体が浮き上がるのを感じた。文が助けてくれたのだ。腰からぶら下がるように持ち上げられた椛の視線が文と重なる。すると照れたように、はにかんだ笑顔を浮かべるのだった。同時に揺れる尻尾がぽふぽふと文の頬に当たる。癖になりそうだ、と文は思った。


――――――――――――――――


結局散歩と言ってもそれほど時間はかからず、特に注意することもないので、また家の中に戻ることになった。簡単に川魚を捕って昼食をとり、茶を淹れ直して時間をつぶすものの、いきなりで特にすることもない。


(どうしよう…何もすることがない)

普段なら気の向くままに空を飛びまわったりぼんやりしているところだが、今だけはそうはいかない。眼の前に鎮座する白狼天狗は、先程の散歩で分かったことなのだが、まだあまり空を飛ぶのが得意ではないようだ。元々は狼だから仕方ないかもしれないが。体の重心をちゃんと理解していないようで、先程掴んだ時のように腰が上に来てぶら下がるような姿勢のままふよふよと飛ぶのだ。まだ子供のままならかわいいで済むかもしれないが成長するうちに恥ずかしいものになるだろうから、矯正させようと思っていた。
 しかし今はとてもじゃないがそんな気分になれない。慣れないことの連続で疲れていたのだ。もう今日は酒を煽って寝てしまいたい。が、それは駄目。おそらく(当然だが)椛はまだ酒を飲んだことは無いだろうし、鴉天狗としてそれなりに矜持を持っている文としては、そう簡単に潰れてしまうわけにはいかない。思わず頭を抱えながら唸っていると、椛も同じように頭を抱えてうーうーと唸っている。真似をしているのだろうか。少しずつ愛着がわいてくるのを感じていた。


いろいろ考えを巡らしているうちにとある二人が頭の中に浮かんだ。
(そうだ・・・あの2人なら面倒見もいいだろうから少しは助けになってくれるかも!)

思い立ったが吉日、すぐさま椛を連れ出し、飛翔する。一緒に飛んでいけば目的地に着く前に日が暮れるだろうと判断し、背中に乗せてみたが、どうやらお気に召したみたいだ。
振り落してしまわないように肩につかまるように指示すると、はっし、と言葉通りしっかりとつかむ。少し握力が強すぎて指が肩にめり込んでしまっているが、むしろ今はその方がいいだろう。痛いけど。




 時折背中の上から聞こえてくる感嘆の声を聞きながら、山のはずれにある比較的大きな河のそばに到着する。これから会おうとしているうちの片方の住まいの近くだ。例え居なかったとしてもじきに戻ってくるだろう。静かに椛を降ろし、家のそばまで歩いていく。もう高下駄には慣れたようだ。小気味よい音を立てながらぴょこぴょこと文の後ろを付いてくる。
 あたりをつけて家の裏手に回ってみると、文の期待通り、いた。からくりが大好きな河城にとり。手先が器用で、一日中彫り物をしていたり、釣竿の作成を行ったりとしている。そしてもう一人が鍵山雛。人間の厄を吸い取るという、何とも七面倒くさいことをやっている神様だ。神といっても、様々な性格のものがいるようで、彼女はいつも控えめにしており、柔らかな笑顔を湛えていることが多い。閉鎖的な天狗社会に属する文にとって珍しく、そして貴重な交友関係を保っている。二人で並んで釣りをしているようだった。

「おーい、にとりー、雛―っ」

「うむ?」
「あら?」

そろってこちらを振り向き、声の主を見つけると、笑顔を向けてくる。

「やあ、文じゃないか、昨日は山で宴会をしていたんじゃなかったのかい?元気だねえ」
「あらそうなの?じゃあ家でゆっくりしていたら良かったのに」

「いやいや、私としてはそうしたかったところなんだけど、そうもいかなくてねえ」

 流石に旧知の仲同士では口調も砕けた言い方になる。縦社会の名残でときどき丁寧語が混ざったりはするが、そこはご愛嬌、ということで通っている。
 文の後ろから何やら小さくて白いものがカコカコと音を立てながらついてきているのに気付いた二人は注目する。文の服の裾を摘まみながらじっとこちらを見ている。苦笑いを浮かべている文を見て、「へぇ…」と何となくではあるが、事情は悟ってくれたようだ。


「ほら、初めて会う人にはきちんと挨拶なさい」
文に優しく諭された椛は一歩前に出て、
「い、いぅばしりもみじです、よろしくおにぇがいしましゅ!」



見事に噛んだのだった。




予想していなかった自己紹介に、文も含め腹が捩れるほど笑った三人は、少しむくれた様子の椛を囲みながらいろいろと質問を投げかける。

「へー、哨戒天狗は遠くから何度か見たことあるけど、普段はどこに住んでるんだい?」
「えっと、山のたいらなところにいくつかいえをたてたり、ほら穴だったりだよ!わたしもほら穴にすみたいなっておもってるの!」
だの、
「腋のところだけ切れちゃっているけど、こういうものなの?」
「うん、すずしくて気持ちいいよ!冬はちゃんとあったかくするんだよ」
だの、
「尻尾と耳触っていい?」
「いいよ?ほらっ」
そういってくるりと回って後ろを向いた椛のふかふかの尻尾とぴくぴくと動く柔らかい耳を三人でたっぷりと堪能したり。次々と質問やら椛を撫でまわす会が発足したり。雛は椛をぎゅっと抱きしめた時には、「きゅー…」と鳴いたりして雛を悶絶させたりもした。

「ところで、その高下駄、かなり見事な品だね、ここまでの逸品にはそうそうお目にかかれるものじゃないよ」
と、にとりが感心しながら話していると、椛は待っていましたとばかりに、
「うん!これはね、これはねっ文おねえちゃんがわたしにくれたんだよ!!」


 「文おねえちゃん」。それを聞いたにとりと雛はまずお互いを見つめ、それからそろそろと文に視線を移すと、笑顔そのままに冷や汗を流していた。そして、



――――にやぁ。

二人しておおきくにやけ顔を浮かべる。絶好の酒の肴を見つけました、といわんばかりの顔だ。何も言わずに、しかし眼だけは雄弁に何かを語りかけながら、にたにたと見つめ続けている。その空気に堪えきれなくなった文は、椛にここで動かないように伝えると、またもや疾風のごとく近くの林の中へ消えていく。しばらくすると、離れたところですさまじい竜巻とともに奇声を発しながら飛び回る文がいた。本日二度目の発狂であった。





さすがに連続での全力飛行は疲れたらしく、ヨレヨレになりながら文が戻ってくる。すると、そこには料理が並べられているところだった。


「お、『文おねえちゃん』、戻ってきたねえ」
「…それは勘弁してくださいほんとに」


 カラカラ、くすくす、と笑いながら出迎える二人。にとりの方にはちょうど椛がすっぽりと収まるほどの酒樽を抱えていた。
「ささやかながら、今日は椛のために、歓迎会という名の宴会をしようと思ってね」
「いいでしょ?あの子も楽しみにしているみたいだし」

 椛をだしに使われてしまってはしょうがない。その張本人はにとりの家の奥の台所でせっせとおにぎりを作っていた。味付け自体は雛が行ったものだから味は保証できるのだが、椛の小さな手でおにぎりを作るのは少し難しかったようだ。形や大きさがてんで不揃いになっており、見た目はあまり良くなかった。しかし、文のために一生懸命おにぎりを作っているその姿に、にとりも雛も口を出すのは野暮だと、したいようにさせていた。

途中で文も加わり、日が沈む少し前に小さな宴会が始まった。急に企画した割には食材がかなり揃っており、豊作の神は今年もかなり張り切っているようだ。文・にとり・雛はにとり謹製の焼酎を、椛は文が家からとってきた茶葉を、近くの河で汲んできた水で茶を沸かす。にとり曰く、ここの河の水は妖怪の山で一番だと言い切っている。比べたのだろうか。
普段文が参加しているようなどんちゃん騒ぎではなく、静かな賑やかさを見せている。宴会の場でも、話題はもっぱら椛に集中し、文達に料理を勧められては笑顔で次々と平らげていた。雛の膝の上がお気に入りのようで、その豊かな胸に頭を乗せて後頭部で感触を楽しんでいる。文の地面の奥深くから何やらパルパルという声が聞こえてくるような気がした。まだあんたの出番は先だ。


いい感じに酔っぱらったにとりが、ちょこんと座っている椛の肩に腕をまわして絡みだす。
「あはは、いや~こんなに気分のいい宴会は久しぶりだねえ!どうだい椛、あんたも一杯飲んでみたらどうだい?」
「やめなさいってにとり。この子にはまだちょっと早いわよ」
そのまま勧めようとしたにとりにさすがに雛が止める。にとりは辛めの酒が好きなのだ。にとりの趣味全開なその焼酎は滅法な辛さであり、文でさえ割って飲むくらいだ。ストレートで飲むのは、何十年か前までこの山にいた鬼たちくらいなものだろう。
一方、大方の予想通りお酒というものを飲んだことがない椛は、興味をそそられていた。この場で椛だけがお酒を飲んでおらず、少しだけ仲間外れのような気分を持っていた。まだお酒がどういう味をしているのか知らないのだ。

椛はがばっと右手を挙げて、

「わたしも、おさけのむ!」
と言ってしまった。その言葉を聞いて満足したにとりはもう一つ杯を用意しなみなみと注いでいく。いつもより早く酒がまわっていた文は、反応に遅れていた。今日一日つきっきりでいた感想としては、飲まさない方がいい、と勘が告げていたのだ。


「ちょ、にとり・・・」
くいっ。

文が止めようとするも、椛はまさかの一気飲み。これにはさすがににとりも驚いて椛を凝視する。これが酒を飲める連中だといい飲みっぷりと囃し立てるところだが、椛はどうだろうか。
飲み込まずにそのまま口に含んでいた椛。


しびびびびっ、

顔がぶるぶるっと震えたかと思うと、耳の先、足の先、尻尾の先端まで順番に震えが広がる。笑顔がたちまち無表情に変わり、そして眉にしわが寄っていく。そして、

だぱあっ

大きく口を開けると、そのまま酒を吐き出したのだった。着ている袴までに酒が染み込んでいく。

「うっ、うえぇぇ・・・・・・・・」

三人が固まっている間に、椛の大きな目にみるみるうちに涙が溜まっていく。ぽろぽろ、と零れ落ちたのを合図にしたかのように、

「びみゃぁあぁああぁああああ!!!!!」
と大きな泣き声をあげながらじたばたと暴れだした。文は弾かれたように椛を抱き上げ、河まで駆け寄り、口を濯がせる。少しでも酒の味を薄めるためだ。相変わらずもがいているが、気にせず掌で水を掬い上げ、椛の口を洗い流していく。
 いやーははは、と困ったように笑うにとりに対して雛がごらんなさいとばかりに叱りつけている。小さい子供にお酒を飲ませるのはもはや恒例行事だと言わんばかりだ。それでもさすがに少しは悪いと思ったのか、家の中からいざという時の為にとっておいた羊羹を持ってきた。本来は酒のお供に食べるようなものでは無いが、お茶とならば相性は抜群だろう。この時代には貴重品とされる砂糖を惜しげもなく使用し、栗を甘露煮したものを混ぜ込んである。


 どうにか椛を泣き止ませることに成功した文は、半目になりながらにとりを恨めしそうに睨み付ける。まだ少しべそをかきながら、茶を啜る椛ににとりは苦笑いをしながら羊羹を見せる。まだ瞳をうるませながらもぱっと笑顔になったところでにとりも安心する。器の中で艶やかな光沢と滑らかな肌触りが今から想像できるような出来栄えをみて、文でさえほう、と溜息をつく。
 まあ半分くらい切り分けて、あとは一人で食べよう、と画策していたにとり。しかし、その夢は一瞬で潰える。椛は元気よく羊羹を両手でつかむと、なんとそのままかぶりついてしまった。

「ああ~~~~!?」

まさか出した羊羹をそのまま全部持って行かれるとは思ってなかったのか、にとりが悲鳴を上げる。雛はその横で顔を両手で隠しつつも漏れる笑い声を隠すことは出来ない。今度は今まで散々な目にあってきた文もここぞといわんばかりに大声で笑い出した。


「あーーーーはははは!!にとり、自業自得ですよ!あははははは!」
「うぎぎぎぎ・・・・」

なんとも悔しそうな顔で歯ぎしりをするにとり。相手が子供なうえ、自分の先程の行いもあってか、口出しすることができない。何とか一口だけでも残してもらおうと考えている内に両手をべたべたにしながらも、完食されてしまった。けふ、と小さく息を吐いた後、

「ごちそうさまでした!!にとりおねえちゃん!」

太陽のような笑顔で言われてしまってはもう何も言えない。項垂れながらも、

「お粗末さまでした・・・・」

と言うしかなかった。


――――――――――――――――


ひとしきり食べて遊び終わると満足したのか、椛は文の側でしばらくうとうしていたかと思うといきなり電池が切れたかのようにかくん、と夢の世界へと旅立っていった。今は文に膝枕してもらっている。起こしてしまわないように、三人は静かに晩酌を続けていた。話題はやはり椛に集中している。

「それにしても今日は本当に助かりました、ありがとうございます」
「いやだなあ、そんなにかしこまらないでよ。むず痒いなあ、文おねえちゃん」
「そうそう、それにこんな可愛い子を連れてきてくれるなら毎日だって構わないわよ、文おねえちゃん?」

「だからそれはやめてくださいって・・・二人も同じくおねえちゃんよばわりされてたじゃない」
「うん?私は別に気にしないよ?」「ええ、私もよ?」
「「ね~?」」
「本当に仲いいですねあなた達・・・」

がっくりと項垂れる文。下を向いた視線の先には安らかに寝息を立てている椛がいる。知らなかった。子供の寝顔ってこんなにいいものだったのか。安心して眠ることができる場所を提供できているということは、信頼してもらっていることの証拠。嬉しくない訳がない。
ひんやりとした水で割った焼酎が身体の中にすっと入っていく。あいにく月こそ出ていないものの、眺めるものには不足しなかった。

「うーん、それにしても本当に可愛いねえ、文のところに置いとくのが勿体ないくらいだよ」
「そうは言っても天魔様から直々に預かるように言われましたからねえ、こればっかりはどうしようもないですよ」
「でもさ、冗談抜きでちょくちょくこっちに遊びに来ないかい?文が飛んで行っちゃった間に大将棋とか釣りとか教えてあげるって約束しちゃったんだよ」
「私も、詩や踊りとか、おいしい木の実の成ってる場所を教えてあげるって約束したのよ、いいでしょ?」
「いやほんと助かります。私も先輩天狗として色々教えていくつもりですけどね、まずはまともに空を飛べるようになってからですね」


くすくす、と静かながらも楽しい時間を過ごす三人。お開きになるころには夜もすっかり更けていた。にとりと雛に片づけはいいから早くお帰り、と何度もいわれ、申し訳ないと思いながらもお言葉に甘えることにした。
行きは背中に乗せて運んだが、寝てしまっているので起こすわけにもいかない。起こしたとしてもまた途中で眠られては困るので両手で抱えながら帰ることにした。

「うん・・・むぅ・・・」

胸元ですりすりと顔を寄せる椛。落とさないようにしっかりと抱きしめているため、すり寄ってくる感触がむずむずと芽生えてくる。しかし決して嫌な気分ではない。

(これが親、というものなのかもしれないわね…)
集団から抜け出して一人で暮らし始めたのは何時だっただろう。独り寝が当たり前になってきたのは何時からだっただろう。ここまで自分以外の、誰かの熱を身近に感じたのはいつ以来のことだろうか。いつもなら考えもしないようなことが次々と思い浮かんでは離れずに漂っている。きっとお酒のせいだ。寂しいからじゃない。
 自分の家についても、まだ椛は文の胸の中でしっかりと抱きついたまま眠っていた。意識は無いはずなのにその手を離そうとしない。離そうとしてもいやいやと小さく首を振ってむずがってしまう。

「仕方ないですねぇ」
小さくひとりごちるも、全く嫌そうな顔はしていない。結局その日はそのまま抱き合ったような姿勢のまま布団をかけて休むことにしたのだった。


――――――――――――――


それからというものの、椛は実に充実した毎日を送っていた。文からは空の飛び方を教えてもらい、すぐに自然な形で空を飛べるようになった。にとりからは大将棋のルールだけではなく、はさみ将棋や山崩しなどといった他の遊び方も教えてもらっていた。雛からは野草の種類や見分け方、古くから伝わる詩や御伽話など、相変わらず膝の上に座りかけながら色々教えてもらっていた。そして時々集まっては楽しく宴会。椛を中心として賑やかなひと時を楽しんでいった。






あっという間に月日は流れ、桜が舞い始める季節。まだ肌寒さが残る中、椛が文のもとから離れる日がやってきた。天魔が直々に迎えに上がり、連れて帰ろうとするが、

「いやぁ、いやだぁぁああ!!!」


椛は火が付いたかのような勢いで泣き喚きながら文の腕に必死にしがみついている。顔は涙と鼻水でぐしょぐしょになってしまい、せっかくの可愛い顔が台無しになっている。天魔が何とか引きはがそうとするが、一向に離れようとしない。普通の天狗なら白狼天狗と天魔との間には絶対的な地位の差があるわけだが、まだ幼い彼女にはそのようなことは理解できていなかった。久しく童の相手などしたことなかった天魔は参ったといわんばかりに困り果てていた。
一方の文も同じく困っていた。懐いてくれているとは思っていたが、まさかここまでだったとは。もしかしたら腕に手の形の痣が残ってしまうのではと思うほどの力強さで掴まれている。しかし、いつまでもこうしてはいられない。椛も元々は白狼天狗の集落で平和に暮らしていたのを、多少なりとも政治的な思惑があってここに連れてこられたのだ。きっと集落の仲間も心配していることだろう。早くいるべき場所に返してやらなければならない。


「天魔様、ここは私に任せてもらえないでしょうか。この子を説得いたしますので」

「む、そうか…よし、頼んだ」


 ここは自分より文が適任だと判断したのだろう、やけにあっさりと了承し、場を離れた。文は未だに泣き止まない椛の頭を優しく撫で、抱きしめる。この半年間何度もやってきたことだ。涙も鼻水も一切気にしなくなっていた。


「よしよし、椛、いい子だから泣き止みなさい」
「うっ、うん…ひっく」

 なんとか泣き止んだ椛の顔を袖で拭う。眼は真っ赤に充血していて、気まずそうにしている。耳は垂れ下がり上目遣いで文を見つめ返す。

「いいですか椛、今日であなたは住んでいたところに帰らないといけません」
「やだ…」「駄目です」
ぴしゃりと言い放つ文。内心は彼女も離れるのは惜しんでいるのだ。尻尾は丸まってしまい、袴の下から先端が見えてしまっている。

「あなたにも友達や家族がいるでしょう?私にとってのにとりや雛みたいに、あなたにもまた会えるのを心待ちにしてくれる皆がいるんだから戻らないといけません」
「…うん」
「もうこれでずっと会えなくなるわけじゃないんですから。椛が頑張ったらすぐに私にも会えるようになりますよ」
「…ほんと?」「ええ、本当です」

これまでで一番優しい笑顔で語りかける。今のままでは無理かもしれないが、これからは認められるようになるかもしれない。天魔が変えようと思っているのなら、協力するのも悪くない。鴉天狗の矜持そのままに、垣根を外すことが私になら出来るかもしれない。いや、やらなくちゃいけない。この子の為に。嘘をついてしまわないように。


「…うん、わたし、頑張る!」
「…そうですか、わかってくれてありがとうございます。」

もう椛の眼に涙は無く、強い決意が宿っていた。見た目はまだ子供だが、その体に眠る強さはもう一人前だ。


天魔と椛が空へ飛び立つ。椛は振り返らなかった。文もまた、遠く離れていく二人を見ることは無かった。どの方向へ行ったかを見てしまうと、様子を見に行ってしまうかもしれないと思ったからだ。こちらが勝手に会いに行ってしまえば、彼女の決意を裏切ることになる。そう感じた以上、空を見上げるわけにはいかなかったのだ。腕に残った小さな手の痣を見つめ続けている。祈るように。願うように。



 そして彼女はまた一人になった。



――――――――――――――――



数百年の時が過ぎ、射命丸文はとある噂を耳にしていた。とある白狼天狗が妖怪の山の大瀑布の警護に当たるらしい、というものだった。
そこはいわば妖怪の山の正門ともいえる特別な場所。哨戒であっても伝統的に実力のある鴉天狗が選ばれる場所である。かくいう文も少しの間だけだが、その任に就いたことがある。少しの間だけ、というのはまだ今よりもずっと争いが絶えなかった頃はそれこそ熾烈を極める任務だったのだ。純粋な実力で言えば妥当だったと今でも思うのだが、彼女本人としてはそんな殺気立った場所で休みもろくにとらずに任務に就き続けるなんてとんでもないことだった。実際、文が任務に就いていた時には一度たりとも侵入どころか、本人を除いては、かすり傷程度の負傷者しか出したことがなかったほどの実績を収めていたのだが。もはやそれは鴉天狗の中でも語り草となっており、後任となった者たちから何度も復帰を切望されたほどである。
今でこそそれほどまでに危険と隣り合わせではないにしろ、やはり重要な立場につくことになる。そんなところに、鴉天狗をおさえて、まさかの白狼天狗がおさまるというのだ。これが話題にならない訳がない。


(ふうん、特にほかにネタもないことだし、ここはいっちょ様子見も兼ねていってみようかしら?)

そのころの射命丸文は瓦版というものを書いていた。自ら幻想郷を飛び回り、自分の書いた記事を人間も妖怪も関係なく紹介し、見分を広げてもらおうという目的があった。自らの口のうまさと明るさで人間と妖怪の垣根を取り除く文に、一部の胡散臭い大妖怪も理解を示してくれている。
 愛用している筆と半紙を懐に入れられるように手ごろな大きさに切ったものを綴じ紐で適当に束ねて手帳のようにしたものを持ち、気持ちいい快晴の中、翼を大きく広げて飛び立った。



 これから見に行く白狼天狗に対して、事前に他の天狗から情報をかき集めていた。どうやらその天狗は、やたらに真面目で、任務中だから、といって取材にも応じようとしないらしい。しかも白狼天狗のくせに立派な高下駄を履いてるだとか。
 最後の見下したような発言には少し眉を寄せざるを得なかったが、立派な高下駄、というものに引っ掛かるものを感じた。もう遠い昔のことだが、幼い天狗に高下駄を贈ったことがあるのだ。

(まさかね…今じゃもう高下駄なんて昔ほど高価なものでもなくなったし、任命されたときにもらったものかもしれない)


そう思いながらも、文は静かに期待をしていた。もしかしたらあの時の子なのかもしれないと思ったのだ。


逸る気持ちを抑えながらも文は大瀑布に到着した。観察しているのがばれないように、わざわざ滝の上から回り込んで、見下ろす形で様子をみようという作戦だ。滝での警護という任務の性質上、あまり上空に気を遣う必要がないということもある。上空は上空でほかの天狗が絶えず見張りをつけている。文自身の経験からくるものであった。
 正に轟く、という表現はこの場所の為にある、と言わんばかりに滝壺からすさまじい水の音が聞こえてくる。はるか上から見下ろして話題の者を探し出すのにそう時間はかからなかった。


(いた!)

確かにそこにいたのは鴉天狗では無かった。少し癖のあるほとんど白と言っていいほどの銀髪のてっぺんにぴょこんと生えた二つの耳。同じ色をしている尻尾は立派に反り返っており、それだけで真面目さがうかがえる。他にも数人の白狼天狗がいて、何かしら指示を飛ばしている。あいにく見下ろしていることもあって、顔は見えない。だがしかし、文にはほとんど確信と言っていいほどの自信があった。



(まさか・・・本当に・・・あの子が?)

 俄かには信じがたい。あの甘えん坊だった子供がそこまでの成長をするのか。あれほどまでに立派になるのか、信じがたいものがあった。
 そして何より文本人が心配していることがある。




果たして彼女は私のことを覚えてくれているのだろうか?


覚えていなくても無理はない。あれから軽く見てもう五百年ほどの歳月が過ぎているのだ。その内のたった半年の間のこと、しかも幼い頃のことなら尚更、覚えていろというほうが無茶なものだ。文でさえ高下駄の話が無かったら一目で思い出せたかどうかは疑わしい。文自身はほとんど容姿に変化はないが、覚えてくれているだろうか?

いつも余裕をもって振る舞っている文に似合わずに生唾を飲み込む。ごくり、という音が大きく聞こえて、思わず顔を引っ込めた。…大丈夫、聞こえた様子はない。気配を隠してはいるものの、音を出してしまえば元も子もないのだ。
いつまでもこうして遠くから見続けているわけにはいかない。しかし、どうやって一言目を紡いだらいいのかも分からない。悩み続けていた彼女は、つい、

「もみじ・・・?」

 と声を出してしまっていた。



ぴくん、と下にいる白狼天狗の耳が動いたかと思うと、素早くがばっ、と声の聞こえた方角を的確に見つめる。その瞬間、間違いなくお互いに目があった。不意を突かれたか、文は隠れることもできずにその視線を浴びることになる。
まだ少し幼さの残る顔に見開いた大きな琥珀の瞳。その表情からは少しの驚きの感情が混じっているのが分かる。


 見つかってしまってはしょうがない、と文は覚悟を決めて、しかし、余裕たっぷりであるかのように見せつけながらゆっくりと降りていく。既に背中は冷や汗でしっとりとしていた。
 部下の哨戒天狗が警戒の色を見せるが、リーダー格である彼女はそのままでいい、と視線を文に縫い付けながら身振りで指示をしている。少なくとも敵意は無いし、下手に鴉天狗に逆らおうものなら、厄介なことになるからだ。早い段階でそれを指示し、離れさせるあたりそこいらの気位だけ高い鴉天狗よりはよっぽど優秀であることが分かる。



「あやややや、なかなかいい眼を持っているみたいですね、羨ましい限りです」
「…何か御用でしょうか、鴉天狗様。生憎と現在は御覧の通り大天狗様より承った任務に就いております故、どうかお引き取り願えませんでしょうか」
「いやあちょっと取材をさせてもらおうかと思いましてね」

とんでもない、と断りを入れて深く頭を下げるその挙動に、評判に違わずの生真面目さに少し呆れ返る仕草を見せる文。成程、想像以上の堅物のようだ。
 しかし、頭を下げている傍ら、耳が落ち着かないようにぴくぴく、と動いている。この癖には見覚えがある。
それ以上に彼女が履いているあの高下駄。かなり使い込まれてしまってはいるものの、当時と同じく、色褪せることなく鮮やかな朱さを保っている。間違いない、私があげたものだ。あの子なのだ、と心の中で再度確信する。

「っと、自己紹介が遅れましたね。私の名前は射命丸文、といいます。以後お見知りおきを」
「!!」

つい先ほどまでの頑固そうな雰囲気はどこに行ってしまったのか、尻尾の先までふくらまして全身で驚きを表現する彼女に内心面食らう。その姿はまるで無防備で、もしかしたらまだまだ半人前なのかもしれないな、と心の中で呟く。まずは聞き覚えのある名前であるようだ、ということは分かった。あとは自身の名前の出所さえわかってくれれば。何しろ射命丸文の名前はこの任務に就く際にはほぼ確実といっていいくらいに耳にしているだろうから。

「あら、聞いたことはあったでしょうか。有名人は辛いですねえ」
「…心中お察しします。なにしろあの高名な射命丸様だとは露知らず、申し訳御座いませんでした」

―――答える声には些か元気が感じられない。私としては早く再開を喜びたいのだけれど、思い出してくれているのかしら?

心の中で不安が増大していく。やはり覚えていないのだろうか。もし覚えていなかったら、今後はどのように接するべきか、悩んでいた。


「そういえば貴女の名前を聞いていませんでしたね、伺ってもよろしいですか?」
「いえ、一介の哨戒天狗の名前など・・・」
「まあまあ、そう言わずに。いいじゃないですか」

何故か名前を教えることを嫌がる彼女に少し焦りを覚える。名前さえ。あとは名前さえ聞くことができれば。
ほんの少しの問答の後、ようやく諦めがついたのか、名前を聞き出すことに成功する。少し恥ずかしそうにもじもじして頬を染めながらも、何かを期待しているような、そんないじらしささえ感じるかのように、


「犬走・・・・椛と申します」



やっとのことで一番聞きたかったその名前を聞くことができた。ああ。あの子だ。椛だ。私にあの楽しい日々を送らせてくれた小さな小さな白狼天狗が、ここまで立派になって今私の目の前にいるのだ。

「っ・・・!」

 あまりの嬉しさと懐かしさに思わず声を詰まらせる。きっと椛は覚えている。あの時のことを。高下駄をあげた時のこと。にとり達と過ごした時のこと、全て覚えてくれているはずだ。



「大きく・・・・・そして、立派になりましたね。椛」
「・・・・っ!!」
 もうこれ以上隠す必要は無いだろう。お互いに覚えていたのだ。椛の瞳が潤んだかと思うと、大粒の涙がこぼれだす。我慢していたのだ。一目見た時から、ずっと。


「あ・・・や、おねえちゃん・・・・うあぁああぁああん!!」
 脇目も振らずに、あの別れの時と同じように文の胸にしがみついて号泣する椛。文も涙を滲ませながら、優しく、数百年にわたる時間を埋めるかのように強く抱きしめるのだった。




 どのくらいの時間が経っただろうか。既に椛は泣き止み、少し恥ずかしそうにしながらもじもじとしている。最初に見た時のあのお堅い雰囲気はやはり多少無理して作っていたようだ。相変わらず彼女は昔と変わらず、素直で正直者だった。

「あの、すみませんでした射命丸様。あのような粗相を…」
「文、でいいですよ。昔みたいに仲良くしましょう?」
「え、えっと…文様」
「あ・や」
「ぁ…文さん」

 どうやらこれ以上は譲ってもらえないようだ。顔を真っ赤にしながら俯いてしまっている。昔にはさほど無かった恥じらいというものを覚えたようで、これもまた良いかもしれない、と文は一人納得する。今は呼び方よりも大事なことがあった。

「まあ当分はそれでいいでしょう。ところで椛、今日の仕事は何時までですか?」
「え?えっと…もうそろそろ終わりです。交代の仲間がもうすぐ来る頃合いだと思います」
「ほほう、で、明日は休みですね?」
「ええ、まあ…って、え?」

確認が取れたと同時に、文は椛の手を取る。そして下から眺めていた彼女の部下たちに、

「哨戒天狗の皆さん、お仕事お疲れ様です!少し早いですが椛はここで本日の任務を終了とさせてもらいますねー!」
「ええ!?ちょっと、文さ…うわっ!?」

言い終わるや否や、ぎゅんっ、と旋回して椛を連れたままものすごい速度で大瀑布から離れていく。椛の悲鳴だけを残して。


逃げるのは不可能だと感じたのか、途中からは文の少し後ろを付いていくように飛ぶ椛。そこそこの速さで飛んではいるが、苦にしていない様子だった。そんな周りからすれば分からないような成長でさえ、文は嬉しく思っている。そんな静かな感動を余所に、椛は小さく愚痴を呟いていた。
 そんなこんなで二人がたどりついたのは椛にとっても懐かしい場所。最後に会って以来恐らく一度も訪れていないはずの河のほとり。さほど時間をかけることもなく、ここがどこだか思い出したようだ。
「ここって…」
「そうです椛。ついてきなさい」

昔と同じように先導する文。後ろから聞こえてくるのは、文が贈った高下駄の心地よい音だ。懐かしくてどうも目尻が下がってしまう。

「おーい、にとりー!雛―!」

「おろ?」「あら?」

やはりいた。あの頃と同じように河城にとりと鍵山雛。最初に椛が出会った頃そのままに、ぼんやりと釣りをしていた。最初こそいつものように笑顔で手を振ろうとしていた二人だが、後ろからついてくる椛をみて、次第に驚きの表情が広がっていく。

「ちょっと文、もしかして、ひょっとして、その後ろの子って・・・・」
「まさか・・・本当に、あの子なの・・・?」


「ほら、きちんと挨拶なさい」
以前と全く同じ言葉で自己紹介を促す。違うのは、もはや初対面では無いことぐらいだ。
「あの・・・お久しぶりです、にとりさん、雛さん。犬走、椛です」
「「椛!」」

懐かしい旧友との再会。にとりは涙をぼろぼろと流しながら椛に力いっぱい抱き着く。嬉しさの余りに、ほとんど何を言っているのかは分からないが、感動しているのだろう。そして次は雛。包み込むようにとても優しく抱きしめ、その瞳には同じく涙を滲ませている。文を含む三人とも、椛と別れた後しばらくは物足りず寂しい思いをしていたものだ。数百年の会えなかった時間を埋めるかのように、再開を祝福していた。



「いやあー懐かしいね!ここまで立派に成長してくれて、ホントに嬉しいよ!」
「ありがとうございます、にとりさん、雛さん。あなたたちのおかげです」
「そんなに畏まらなくていいのよ?もうあなたも一人前なのだし、私たちと同じように呼び捨てで構わないわ」
「雛のいう通りだよ!堅苦しいなあ」
「じゃあ・・・にとり、雛」
「うんうん、これで椛も私たちと同じ、仲間だねっ」
満足げに頷く二人。特ににとりにはその表情がありありと浮かんでいる。




「よし、それじゃあ私たち四人の再会を祝して一杯やりましょうか!」
文が後ろから椛の両肩をがっしりとつかみながら提案する。
「おっいいねえ。文。早速準備しようか」
「まあ大変、それなら早くおつまみを作らなくっちゃ」
「いやいや、おつまみは簡単なもので十分ですよ。そんなものよりここに最高の酒の肴があるじゃないですか」
「「えっどこに…?」」

訝しげに文を見返すにとりと雛。そして気づいた。笑顔そのもの以上に文の眼が笑っていることを。気づいていないのは文の表情が見えていない椛だけだ。

にたにた。にやにや。

 成程、と二人は納得すると文と同じようににやにやとしながら椛を見つめる。一人だけ理解が追い付いていなかったが、


しっかりと捕まれた両肩。
にやにやと薄ら笑いを浮かべる新しくも懐かしい友人たち。

椛の理解が他の三人に追いついたとき、ぞくり、と背筋に寒いものが走った。


手早くにとりが用意したゴザの上に座らせられるも、未だに文の両手が離れることは無い。むしろ先程より力が込められており、頭についている耳に息が吹きかけられ、それこそ相手を蕩けさせそうなほどの甘い声で、

「さあさあ可愛い椛ちゃん、今日は今まで会えなかった分、たぁっっっぷりと可愛がってあげるからねえ」

「ひゃっ、うみゃぁぁあああああ!?」




椛にとって生涯忘れることのできない、とても長い宴会が幕をあけるのだった。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
前回の投稿からかなり経ってしまいましたね。八雲一家以外に挑戦してみました。

最初は椛(幼)の可愛さを表現しようと思っていたらまさかの長編。油断していました…
これでもかなりカットした方ですが…

それでは、また次回作で読んでいただけるのを楽しみにしています。
yan
http://twitter.com/#!/yan003
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コメント



0.1290簡易評価
1.80名前が無い程度の能力削除
面白いとは思うけども、少し物足りないかな。
子供時代の話をもう少し長く続けても良かったと思う。
3.90奇声を発する程度の能力削除
>奇声を発しながら全身全霊で妖怪の山をとびまわるのだった
ピクッ
椛がとても可愛すぎる…めっちゃ悶える…
4.100名前が無い程度の能力削除
GJ!

おもしろかったです!
8.100名前が無い程度の能力削除
可愛い椛に100点満点!
19.100名前が無い程度の能力削除
これからたびたび貞操を奪われかけて、次第に照れ隠し的に文を警戒してしまうようになるんですね?
23.70名前が無い程度の能力削除
もみじでロリに目覚めたのか…
28.90とーなす削除
椛がとても可愛らしくてよかったです。
これならカットしなくても長いまま投稿してくれた方が嬉しかった。