Coolier - 新生・東方創想話

紙飛行機に肖って

2011/09/16 18:09:40
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 例えば陰鬱になりそうな時、どんな事例が当てはまるだろうか。
 
 連日の大雨で、外出が億劫になってしまう事? 違う。
 同様に洗濯物を館内に干して、乾き切らず衣服に臭いが残ってしまう事? それも違う。
 じめっとした湿気の中だと髪が纏まらなくて、気掛かりが増えてしまう事も違う。
 綺麗に整えられた庭園が浸水してしまう事だって違う。違う、違う。
 
 買い出しの外出ならメイド妖精に任せればいいし、乾き切らない服はローテーションを工夫すれば何とかなる。髪に関しては整髪料を少量だけど用いてるから平気。
 庭園の様子なら、さっき美鈴が外から帰ってきた。雨合羽を身につけて、大粒の雫で全身をいっぱいにして。玄関口でその雫でいっぱいになった合羽の水気を切っていた。
 ばさり、と払う度にあの子の太陽の匂いに雨の湿った草木の匂いが広がる。嫌い、ではない。何となく懐かしい感じだから。
 そんな美鈴にタオルを手渡しながら、庭の様子はどうと聞くと「ちょっと酷かったので、移動できる鉢は軒下に移動しておきました」と。私が少し懸念した顔をするとやや土汚れた手を大丈夫ですよぉ、とひらひらと振って見せる。
 合羽を着ての力仕事だったのか、美鈴の頬は上気して微かに汗ばんでいた。タオルを手にとって首筋を拭っていく。
 手を拭く為の湿らせた手拭いもすぐに用意して渡した。「ありがとうございます」と笑みを浮かべる美鈴。
 何気なしの日常の一幕。此処には陰鬱になるところなどなかった。
 
 メイドとしての仕事も平常運転。雨の関係上、仕事に変化はあるけれど些細な事。それも雨続きだから新鮮さはもう消えた。
 むしろ湿気があれば埃が沈んで掃除はしやすい。外の窓拭きは例外だけど。
 最近、メイド妖精も仕事を覚えて任せられるようになったから少し楽ができる。
 雨中の買い出しご苦労様。私の苦労がわかった? それはもう貴女たちに任せるから。
 これもいつも通りだった。にも拘らず、私の中には気づけば陰鬱が存在していた。何時から無断で私の中に立ち入ったのだろう。
 仕事をするにも気力が削がれていて、目に映るものが野暮ったく見える。
 
 日も暮れてきて、いよいよ曇天の空は墨を溢した様に暗くなり始める。稲光なんてものはないから余計に深くなりそう。
 光から切り離された時、この館はようやく目を覚ます。
 そろそろお嬢様からお呼びが掛かる頃だな、なんて考えながら上部の階段へ繋がる広いロビーを過ぎ去ろうとする。真っ赤な空間なんだけど、今は色褪せて見えてしまう。
 そんな空間を通り過ぎようとするが、この時間にしては珍しく空気が震えていた。震源は二つ。明るくて無邪気なものと、呑気でマイペースなもの。
 思わず足が止まった。物珍しさはあったけれど、その二人の組み合わせには今更どうとも思わなくなった。
 テーブルを挟んでソファに美鈴。その向かい合わせには妹様。その二人が遠目に見える。きゃいきゃいと声を弾ませる妹様と言うのは珍しい。
 食事の際にはいつもお顔を合わせになるのだけれど、その際はお嬢様と同様気品が漂う。私語は慎むのは当然として、音を立てて食事する事はまずない。
 私はそんな妹様の素な顔をあまり見た事がない。私がお茶菓子を給仕してもあんなに両手を離してはしゃぐ事なんてなかった。
 
 何をしているのだろう、と興味に引かれるままに体がその活気に吸い込まれてしまう。
 近寄る私に気にする様子もなく二人の視線はテーブルの上へ向いていた。
 チェスでもしてるのかな。けれど盤を叩く様な堅い音はしない。耳を澄ませると、そうしなければ聞こえない程小さく繊細で、崩れてしまいそうな弱い音。
 また一歩、さらに一歩と近づいてみる。消えそうな音を潰さない様に靴音は殺す。
 やがて、美鈴の手の中からその音が繰り出されているのがわかった。翻される度、畳まれる度、広げられる度、形と音を変えそれは形成されていく。
 一度捉えてしまえばそれが何かはすぐにわかった。折り紙だ。美鈴の手のひらの中で一枚の紙が躍っている。
 
「はい、出来ましたよ。お星様です」
「わっ凄い。広げたら全然違う」
「それが折り紙の凄いところですよ。一枚の紙だけで色んなものが作れるんですから。折り紙を何枚か使ったお星様ならもっと凄いんですが、私にはこの一枚星が限界で」
 
 出来上がった黄色の美鈴の言う一枚星。それが妹様に手のひらに収まると、妹様はロビーの天井に翳してみせる。
 天井を空に模したのか星はゆっくりと紅い天井を滑った。その様は流れ星、妹様はご覧になった事があるのだろうか。
 そんな無邪気な妹様を、美鈴は頬を緩めながらまた別の折り紙を手に取った。一緒になって何かをしない所、気を置かなくていいんだろう。私には無理だ。
 
「ねぇ、見て見て美鈴」
「なんでしょう? あっ――」
 
 弾む様な声に顔を上げた美鈴が呆気に取られてしまった。折ろうとした空色の紙はテーブルから滑り落ち、かさりと絨毯に僅か刺さる音。
 美鈴をそうさせた妹様の行動は、貰ったそのお星様を前頭部に当てた事。美鈴の頭にある人民帽と一緒。流石に今、それは脇に置かれていたが。
 
「美鈴と一緒だね」
 
 妹様の屈託がない笑みには不思議な力があって、目にした相手もつられて笑ってしまう。
 妙な魔力だとは思うけれど、あんな裏の無さそうな顔をされたら従者としては喜ばしい事。
 昔はそんな無邪気に笑うなんて事はなかったけれど、今はああする事が間々ある。
 美鈴と関わる事で錆びついた感情を少しずつ取り戻してきていた。酸化した茶褐色の粒子を一つずつ一つずつ取り除いて、荒廃してざらついて脆く崩れそうなものを元の光沢ある色へと。
 そんな器用な真似ができる美鈴を羨ましく、時に恨めしく思いながら私はあの子と妹様を見守り続けた。
 あの笑みだって、美鈴から譲り受けたもの。乾いた海綿の感性を持つ妹様はすぐにそれを吸収していく。良いところも悪いところも、区別付けずにあるがまま。
 悪影響は今のところ、ない。あの子だって従者としては弁えているし、何でも受け入れてしまうところは一番傍にいる美鈴が知っている。
 
 美鈴は、人間臭い。私なんかよりもずっとずっと。
 褒められれば喜んで笑うし、怒られれば落ち込んでしょぼくれる。良い事があれば歩調はリズミカルで、気分が悪い時は足音が重い。
 多分それは当り前の事なんだと思う。あの子にしてみれば。でも私はその起伏がかなり小さい。どんな時でも変わらず居ようと思うし、変にお嬢様たちに心配を掛けたくない。
 忠誠心がないかと聞かれたら、そう言う訳でもなくて。あの子にも立派な忠誠心はある。
 証拠に――と言う訳ではないけれど、今だって人民帽を再び頭に被り直した。妹様と同じように前頭部に星をチラつかせながら。
 何がそんなに面白いのかはわからないけれど、あの空間には笑みが絶えていなかった。雨続きでは折り紙ですら湿気ていそうなのに。
 美鈴は絨毯に落ちた空色の折り紙を拾った。作られた色であれ、その淡い青を見たのは久しぶりな気がする。鉛に覆われた空しか最近は目にしてなくて、私には重く暗いイメージでしかなかった。
 今度は別のものを作りましょうか、と美鈴。空を半分に折って、私の中にある鉛をねじ曲げる様に。
 ぱきり、とは折れない。深く同化してしまっているのか粘る様に曲がるだけ。
 陰鬱さも折れてはくれなかった。いっそこいつは折れてしまってくれた方がいいのに。
 
「フランドール様、折角なので一緒に作りましょう」
「あ、いいね。何にする?」
「そうですねぇ、ではまず簡単なものから」
 
 美鈴の提案に妹様は身を乗り出して賛同する。背中の虹が揺れ、涼しげな音を奏でた。その後無造作に折り紙を手にする。すぐにそれを美鈴と同様に半分に折って長方形に。
 角と角を合わせて、きちんと折ると綺麗にできますよ。そんな美鈴の声からするに、妹様は折り紙を目にした事はあまりないのかもしれない。
 星一つであんなに笑みを浮かべるのだから、間違いはなさそうだ。
 
「そうです。そしたら開いて、次はこっちの角を中央へ持ってきます」
「ん、ここ?」
「どの角でも大丈夫ですよ。フランドール様のお好きなところを」
「じゃあ美鈴と一緒の所にするよ。その方が良さそう」
 
 フランドール様。二度目だ、聞き間違いなんかじゃない。
 美鈴は前々から妹様の事をその名で呼ぶ。でも私はその名で呼ぶ事をしない。従者が主の名を口にするのは無礼に値するから。
 もちろんお嬢様を名で呼ぶような事なんてありえなかった。
 だから美鈴が軽々しく妹様の名を口にする事は良いと思わない。
 けれど、妹様の表情は曇らない。お嬢様ほど体裁にはそれ程気を使わないのは周知。気にしてないのか、許しているのか。
 もし許しているのなら……。それが頭を過ると何時しか在る陰鬱が膨らんだ様な気がした。
 
 居た堪れなくなった。自分だけがこのロビーに場違いな様な気がして。沈むモノトーンな私とは違う。明朗快活な美鈴に照らされ、元ある多彩さを引き出された妹様。
 薄かった喜怒哀楽も、折り紙につける折り目一つにすら表情を変える様になった。
 いや、元より私は招かざる客。妹様たちが何をなさっているのか、と興味本位で遠目から見つめてしまっただけ。元より居場所なんてない。
 そう決めつけて、ロビーを抜け階段に繋がる廊下へ進む。そうしなければ、また陰鬱がやってきそうだったから。
 
 
 
 
 
「咲夜」
 
 お嬢様が私の名を呼ぶ。脇で紅茶を給仕していた時の事。
 私が「はい」と一つ返事をすると、お嬢様はクッキーの盛られた皿に手を伸ばす。
 お茶菓子としてのクッキーは蜂蜜を入れたものは狐色で甘く甘く。それだけだとくどくなってしまうから、カカオ色の砂糖を少量に味付けを押さえたビターものと合わせて。
 今は甘い方を口に含んだ。さく、さく、と硬めに焼いた生地が砕かれる音。甘みを味わう様に何度も咀嚼して細かくなったところを唾液と混ぜて嚥下する。細い喉が僅かに動いていた。
 紅茶も口にする。今日は二つのクッキーの味を消せるようにレモンティーにしてみた。それをゆっくりと飲み下して、私を焦らす様に。
 味が気に入らなかったのかもしれない。そう考えたら空気が余計に重たく感じてしまう。
 カップから口を離しても、ソーサーに戻すまで時間を要した。小さく円を描く様にして紅茶をくるりと一回転させる。そしてようやくカップは舞い戻った。
 
「何か、思い詰めている様だけど?」
「そのような事は決して」
「ふぅん、まぁいいけど。最近雨続きね、それが関係しているのかしら」
 
 別に私に問いただした訳でもなかったけれど、お嬢様はこちらに視線を向けた。好奇心、と言うのには程遠くて、憮然した様な濁った色。
 自分の中に巣食う陰鬱が煩わしいが、それほど思い詰めてるつもりもなかった。もしあったとしてもお嬢様に対して気掛かりな点を晒す必要もない。
 私が何も答えないでいると、お嬢様は一つ息を吐き捨てる。
 
「これじゃ何処にも行けやしないね。今日は何をしようか」
「そう言えばパチュリー様が、そろそろ漫画を返せ、と」
「……はぁ、決まってそう言う時は実験に付き合わされるんだよねぇ。ま、無視するけど」
 
 私の言葉を跳ね除ける様にお嬢様は返す。答えなかった事に関して気分を害してしまったのだろうか。
 クッキーに伸ばす手もやや粗雑になる。口の中に放り込んで一気に歯を立てた。砕ける音だけが部屋中に広がる。
 私はそれを黙って見届けるだけ。お食事の最中にお嬢様に対して気掛かりな言動をする事はない。
 だから、やがてお嬢様から繋がるであろう言葉を待った。
 
「フランは何してた?」
「ロビーで美鈴と一緒に折り紙を。楽しんでおられましたよ」
「へぇ、折り紙。懐かしいね、昔にやったっきりで今はもう折り方なんて覚えてないな」
「では美鈴。あの子、色々と詳しい様なので」
「いや……やっぱりいいや」
 
 手のひらを返した様に声色が変わる。美鈴が苦手? いや、そんな事はない。むしろ仲が良い方だ。
 空気が重い中、お嬢様は紅茶をぐいと飲み干す。そして爪でその空のカップを軽く弾く。チリン、と涼しげな音。御代わりの合図だ。
 すぐさまポットを手に、新たな紅茶を注ぐ。カーキ色が純白なカップを満たしていく。七分まで、それがお嬢様と私の暗黙の了解となっていた。
 暗黙。暗く黙る。お嬢様の元に来ると最近はそんな感じだ。空気が重たくて、会話がうまく噛み合わない。
 
「雨、いつまで降るのかしらね?」
「私にはわかりかねます」
「例えば、だよ。適当でも予想でも、何でもいいから言ってごらん」
「……まだ数日の間は降られるかと」
「そ。長いわね……」
 
 後は続かなかった。お嬢様はまた紅茶を口にする。言いたい事をそれで押し流す様にも見えた。
 こうして見ていると、思い詰めているのはお嬢様の方ではないのだろうか。ここ最近――雨が降り続いている時――は普段気に掛けない様な事を口にするようになっていた。
 今の雨についてもそう。運命視が出来るのなら、それほど当てになるものは他にないと思うのだけれど。
 思考している間にカップは戻り、再びクッキーを口に運ぶ。けれど今度はカカオ色でゆっくりと。硬い生地がすり潰れていく様に。自分の口の中にも苦みと黒みが広がっていくのを感じられた。
 お嬢様の視線は右往左往している。やがて何かを見つけたのか視線は止まる。が、焦点は何処を向いているのだろう。
 その目線を何気なく追っても、格別何かがある訳じゃない。立てかけられた肖像画に変化はないし、照明に汚れを残した覚えもない。いつだってこの部屋の掃除に関しては欠かしたことがない。
 しかし、本棚の上へ乱雑に積み上げられた漫画の山は何時出来上がっていたのだろう。あれについてお咎めが……。気が重くなった。
 
「……咲夜、今日はもういいわ。貴女も疲れてるんだろうし、たまには休みなさい」
 
 私に関しての仕事は、休め。お嬢様から皆まで言われなくても伝わった。
 何処にも焦点が合っていない目が伏せられる。空想の苦みがより一層強く感じられた。黒く汚れて舌まで染まってしまいそう。
 至らなかっただろうか。甘みが欲しい。狐色のクッキーに目を向けても、お嬢様が手を伸ばす仕草は見せない。ならば紅茶――それも同様だった。
 お嬢様と味覚がリンクしてしまった様だ。お嬢様も舌を窄めて口を噤んでいる。苦い苦いカカオが舌に付着して黒く染み広がっていく様。甘い方だけにしておけば、結果は違っただろうか。
 これほど早くこんな事を言われたのは初めて。亀裂が入ったのを感じて、素直に従うのはと思ったが、これ以上お嬢様を煩わせる訳にもいかなかった。
 ややあって、私は「はい」と答えて身を引く。声に出すと尚の事、苦さがいっぱいになる。返事に返事がないなんて当たり前のことだけれど、会話を拒まれた様に感じてしまった。
 お嬢様の視線が私を一瞥。すぐに離れて、特別な意味はないのがすぐわかった。
 失礼します、と頭を下げて部屋を後にしようとしてもお嬢様は依然として押し黙ったまま、動こうともしなかった。
 
 
 
 
 
 お嬢様の私室を後にして、足を踏み入れたのは先程のロビーだった。
 足を踏み入れる前から、変わらない活気を身にしみて感じていた。それを受けて、お嬢様の前に居た時にはそれほど感じなかった陰鬱が、急激に増大した。
 消え去った苦みは胸元まで向かってしまったらしい。黒ずんでぬめりを感じさせる。息を吐き出しても消し去る事なんて出来なかった。
 鉛の切り口は錆び易い。防錆加工なんてされてないから一気に黒く。
 
「そうです。そうやって折り目を付けて……。あ、ここに合わせるとバランスが良くなりますよ」
「ん、これでいい? ここを広げるの?」
「えぇ、それが翼になります。反対側も同じ様に折ってあげれば完成です」
「よし、出来たよ。何か見た事ないけれど、これは何?」
「紙飛行機です」
「紙、ひこーき?」
 
 浮いた妹様の声に、私の視線がそっちに向けられる。未だソファに腰掛け、折り紙で遊んでいた。テーブルには雑然と作られたもので溢れかえっている。
 何寸も離れた先でも妹様と美鈴がそれぞれ別の紙飛行機を手にしているのがわかった。
 確かにそれの作り方は簡単。私にだって折れる。いくらか昔、美鈴に折り方を教えてもらった記憶がある。
 その記憶を辿る妹様は、出来上がった紙飛行機をまじまじと見つめ、度々首を傾げている。本物の飛行機を御存じないのだから、その反応は当然だ。
 
「何それ、依怙贔屓の仲間?」
「ふふ、違いますよ。飛行機と言うのは外の世界の空を飛ぶ乗り物です。流石に幻想郷にはありませんし、それ以前に私たちは飛べますからね」
「へぇ、じゃあこれも飛ぶの?」
「そうです、投げれば飛びます。うまく飛ばすには飛行機の中央から少し前、そう、そこです」
 
 美鈴は妹様の傍に寄り、紙飛行機の持ち方を直に教えていく。指の添え方、角度等を大雑把にではあるが伝えていく。
 その最中、妹様と目が合った。あっ、と口を開けたものだから私は軽く会釈。その声に引きつけられて美鈴の視線とも合う。あの子の顔は自然と緩んで、色白の妹様との対比で血色が良く見えた。
 ややあって、美鈴も同様に紙飛行機を投げる為に肘を曲げる。ただ、そこに美鈴のものはなかった。
 こうやって投げるんです、と美鈴が告げた後、投げる仕草。曲げられた肘から先が、ぱたんと倒れる様に柔らかい。力が入ってなかった。
 
「どうぞ、お投げになってください」
「ん、じゃあ」
 
 目の前で投げ方を見せられても、判然としない様子の妹様。それでも言われるがままに、曲げられた肘を伸ばす。紙飛行機が前へと進み、指先から放たれる。
 宙を滑るかと思われたそれは、ふわっと浮いた後、バランスを崩して絨毯へと急降下。
 傍目から見てもわかった力が入りすぎだ。空回りして大きな揚力をうまく制御出来ていなかった。
 
「……美鈴、飛ばないじゃん」
「ん~、もうちょっとゆっくり投げた方がいいですね。力は必要ないんです」
 
 こうするんです、と自分の紙飛行機を構えて立ち上がる美鈴。
 床と水平に構えられた空色のソレ。またその色なのは何故? 天然? 計算? どっちにしても今の私には質が悪い。その飛行機の先端は私の方を向いている。
 そこを通して美鈴と目が合った。「咲夜さん、行きますよ」。声もついてきたのだから間違いはない。
 でも、結構な距離がある。妹様が不慣れだったとはいえ、美鈴が慣れていたとしてもここまで飛ばせるようには思えない。
 けれど美鈴の顔つきはいつもみたいに穏やかで、どこか抜けてて、引け目を感じさせなかった。
 スッと紙飛行機が前へと進んだ。まだ美鈴の手の中にあるんじゃないのかと思った。真っすぐ平行に等速だから。
 錯覚してしまった私の視線だが、迷う事なくこっちに向かってくる紙飛行機を目にしてそれがもう宙に放たれている事を確信した。
 
 無風の室内。真っ赤なロビーを空色の飛行機が線を引く。染まった世界の中に投じられる一筋の光。私にはくすんで見える世界を、新たに作り替え目には刺激的。
 そこから生まれた光が真っすぐ真っすぐ進んで、やがて私の胸元に収まった。
 思わず受け止める。光が残像として目に残る。光源には変に折り目が付かなくてホッとした。
 
「わ、美鈴凄いっ!」
「どんなもんです」
 
 その飛距離に湧く妹様と、グッと軽く握り拳を作って見せる美鈴。
 放たれた位置から僅かに高度を下げるだけで、滑空して来た紙飛行機。その瞬間だけ時の流れが遅くなった気がした。
 一色に染まって詰まらない世界を裂いた光。私の中の鉛色に亀裂が入った様にも感じた。
 
「……美鈴っ」
 
 思わず名前を呼ぶ。と、握り拳と頬を緩めてくれた。そして両手を私に向けて差し出す。
 それもそのはず。投げられた紙飛行機を手に、私は投げ返そうとしているのだから。
 ナイフだったら余裕で届く。重たいから力任せに投げたって大丈夫だ。
 でもこれは違う。軽くて脆い。相手を傷つけるものでもない。
 
 美鈴はなんて言っていた? 力は要らない。持つ位置は中央から少し前。
 どうやって投げてた? 床と水平に。曲げた肘がぱたんと倒れる様に。
 真っすぐ真っすぐ。飛行機の先端を美鈴へ。
 
 あれ? でもこの構え、何かに似てる。何だっけ、何処かで見た。
 焦がれた匂いが蘇る。毎日のように足を踏み入れて、慣れ親しんだ場所。でも今は純粋にそれを感じられてはいない。
 知っているはずなのに濃い鉛色に濁ってる。紅魔館で一番強い色を放つのに、そこは黒く錆びついている。
 ルージュ? ノワール? 多分両方。近づいた。その二色の小さな世界に投げ出された意思が領地を侵す。
 一回、二回、三回。リズム良く領地に旗は立つ。「……今日はブルに入らないわね」。
 ため息交じりの言葉。耳に入れ過ぎた声。立てた旗を引き抜いて、また今の私と同じ投げる構え。
 
 やっと鮮明に蘇った。ダーツだ。肘を曲げて余計な力を入れずにそのまま下ろすだけ。
 放たれた矢が真っすぐ的へと吸い込まれる様を何度となく見てきた。
 お嬢様……。そう意識すると目の前が揺らいだ。最近は避けられている気がしてならない。話が続かないから。あの方の無邪気な声が聞きたい。
 
 
 雑念が混じる。振り払う。
 腕を下ろす。放たれる。
 真っすぐ飛んだ、紙飛行機。
 
 
 すぅ、と進む。美鈴の元へと向かっていく。
 届けっ。柄にもなくそんな事を思った。途中で落ちて欲しくない。
 届け、届けっ。もう少し、もう少しで美鈴のところまで。真っすぐ進む。そのまま、そのまま。
 
「あっ……」
 
 私の間抜けな声。落ちる紙飛行機に声が釣られたのか、声が紙飛行機に圧し掛かってしまったのか、どちらが先なのかわからないけど失速。
 美鈴を目の前にして、私の投げた紙飛行機は地に落ちてしまった。
 先端がくしゃりと曲がり、不格好に絨毯に転がる。美鈴自身を投げつけて、傷つけてしまった気がして酷く気分が悪くなった。
 
 それだけじゃない。疎外感が現れた。美鈴の手は届くのに、こちらからの手は届かない。
 一方的で視界が遠くなった。離れている距離が目で確認できる以上に遠く感じる。
 私の力じゃ届きやしない。でも、美鈴はいとも簡単にここまで届かせて、妹様を喜ばせるのに。私には出来っこない。
 折角胸中の鉛色に亀裂が入ったと言うのに、もう塞がってしまいそうだ。
 自分の無力さ――いや違う。何だろうこの心の重たさは。ずくん、ずくん、と疼いて心臓が奥の方へ引っ込んでいく感覚。
 空白感とでも言うのだろうか。体の一部が欠落して、その一部を渇望する。
 陰鬱がまた膨らんだ。また深く、根付いて、根付いて。千切り捨てたら体の細胞まで一緒に持って行かれるんだろうな。
 
「ひこうき、かぁ。不思議だね、特別な力を掛けてる訳じゃないのに飛ぶなんてさ」
 
 妹様の声。それと美鈴に落ちた紙飛行機を拾ってもらった事で、僅かにだけど救われた。
 このまま押し黙って、重い雰囲気にしてしまっては耐えられなかったから。
 美鈴の指先は、曲がった紙飛行機の先端をピンと張って元に戻す。指の腹で何度何度も撫でて皺を伸ばしていた。
 ごめん、飛ばなくなっちゃったかな……。
 
「ねぇ美鈴、外に行こうよ」
「ありゃ、もう折り紙には飽きちゃいました?」
「ん、そう言う訳じゃないんだけど、紙ひこーきを見てたら、久しく空を飛んでないなぁと思ってさ」
「でも、外は雨ですよ?」
「合羽持ってくるよ。全身を覆えるでっかい奴があるんだ」
 
 そう口にした妹様は翻る様にロビーの出口へと向かう。流石に本人に取らせに行くのは、と思ったのは私だけでないらしく、先に美鈴が妹様を呼び止めていた。
 
「それぐらい自分でするよ……」
 
 と、すぐに返ってくる。頬を膨らませてむぅ、としている。その無邪気さが可愛らしい。しかし、子供扱いするな、と両手を広げて肩を竦めたアピール。
 お嬢様とは違って体で示す妹様。唇も尖っていて言葉は続いた。
 
「お姉さまと一緒にしないでよね、私は自分の事ぐらい自分でするさ」
 
 何とも頼もしいお言葉で。私の胸中まで覗かれていた。
 美鈴も同様で、踏み出しかけた足が止まる。同じ事を思っているのか若干笑みが硬い。
 二人して嬉々としてロビーを出ていく妹様を見送る。何だか子の成長を見守る親の心境。
 絨毯を蹴る軽い足音が消えていくのを耳に入れていると、重い――いや、妹様が軽すぎるだけ――美鈴の足音が混ざった。
 
「お体は大丈夫ですか?」
「えっ……?」
「いや、そんな感じだったので」
 
 歩み寄った美鈴の窺う声。裏がないのはわかる。そう言うのがあればすぐに表が出る様な子だ。
 でも、また救われた。どうしようもない疎外感と欠落感が少しだけ和らぐ。自分から美鈴と妹様の間に割って入る事なんて出来なかったから。
 美鈴の顔を覗き込むと呑気な顔は変わらないんだけど怪訝そう。首をちょっと傾げて、口をへの字に曲げている。
 本人からしたら真剣なんだろうけど、似合わな過ぎてちょっと可笑しい。
 けれど、体の調子が悪いと言う事はない。ただちょっと、精神的に黄昏てただけで。
 
「……お嬢様と、うまく行ってないんですか?」
「そんな事――」
「でも、そんな顔してました。ここ最近ずっと雨ですからね。気分も湿っちゃいますよね」
「……お嬢様も同じ事言ってたわ」
「なら、確定ですね。お嬢様も私と同じ気持ちですよ」
 
 意味がわからなかった。突然雨の話題から気持ちの話題へと飛ぶなんて。
 先程の美鈴を真似してへの字口。私のは美鈴のより似合う。自負しているし、目の前の美鈴の顔が硬直するのが何よりの証拠。
 少しうろたえた美鈴だが、軽く咳払いをして自分を奮い立たせていた。
 
「えっと、つまりですね、お嬢様も同じ様に咲夜さんの身を案じているんです」
「まぁ、今日は休むように言われたし」
「ダメ押しですね。心配してるんですよ、咲夜さんがそんな調子だから」
「……別に私は、いつもと変わったつもりはない。ただ、お嬢様も様子が可笑しくて」
「それは、咲夜さんに元気がないからですね」
 
 ピン、と弾かれた様に美鈴の背筋が伸びる。反動でさらりと揺れる長い髪。
 この湿気でも纏まるなんてな。羨ましい。と関係ない事が刹那、頭を巡る。
 下らない思考の間に物事を咀嚼。変わったつもりはないと伝えたのに、念を押される様に美鈴から返された。
 まるで私が悪いみたいな口振りだ。そうは思いたくない。お嬢様に合わせる形で私は在ったのだから。
 
「私の所為なの? でもお嬢様、最近は口数が少なくて、的外れな事ばかり聞いてきて……」
「楽しくない、ですか?」
 
 近い言葉で紡がれた。遠いはずがなかった。
 最近のうまく噛み合わない会話は自分でも心苦しく感じる。ちょっと前までは悪戯を思いついた幼い子供みたいな顔をしていたのに。
 気を利かせれない自分が瀟洒じゃないな、と思う。今日だって自ら会話を断ってしまった。
 
「楽しむ、と言うのは違うでしょう。従者だし、主人との会話を楽しむなんて」
「でも、会話は噛み合ってない」
「……そうね」
 
 咄嗟に出た見てくれの強がりも、呆気なく砕けた。美鈴、変なところだけは鋭いのよね。
 顔を合わせ続けてると心を読まれる気がして目を思わず伏せた。
 こんな私の様子に美鈴は思案に暮れた吐息。何とか間を持たせようとするこの子もまた、迷っていた。
 ぐるり、と私は私で思考を巡らす。会話が楽しくないのは認めたくないけど、確かにそうだ。
 何を話しても重たくて錆びついてしまった様に。潤滑油があればこの錆を取る事も出来ように。けれどその錆びつきはいつの間にか大分酷く。
 
「……でも、咲夜さんが元気のない理由がわかって良かった」
「別に、そんなつもりないって――」
「自分でも気付いてなかったんですよ。お嬢様の不機嫌を感じ取っちゃったんでしょうねぇ」
「……そうかしら?」
「えぇ、恐らくは」
 
 私が悪いみたいな流れだったのに、結局は最初に戻った。お嬢様に原因が移る。
 でも、変化を感じ取った私がその苛立ちを放置してしまったのは確か。そのままずるずると事態は進み、今ではちょっと手の付け方がわからない。
 雨が止めば、事態の収拾を付ける事が出来るだろうか? 陰鬱が消えるだろうか? わからない……。
 
「あんまり、深く考えない方がいいですよ」
 
 美鈴の声のトーンはいつもと変わらなかった。
 声の調子はゆっくりで、危機が感じられなくて呑気だ。私より長くここに努めているのだから、そのところは理解が深いはずだ。
 視線を上げる。美鈴とまた目を合わせた。憂いのない朗らかな顔。そんな顔が出来るのが羨ましくも思い、ちょっとばかり憎かった。
 私がぶすっとした顔で未だ見つめていると、それを解す為に「ねっ?」と首を傾げて呼び掛けられた。
 
「……私、貴女みたいに器用じゃないから」
「私だって咲夜さんみたいに器用じゃないです」
 
 器用の意味を取り違えたか、私たちの言葉はすれ違った。
 貴女の何処が器用じゃないのよ、とぼやくと、それはこっちの台詞ですよ、と返ってきた。
 また口をへの字に曲げる。美鈴も私の顔の真似をした。頬を膨らまして目を吊り上げるために目を見開いている。
 このっ、私はそんな面白い顔はしていないって……。埒が明かなくなって溜め息。
 
「でもね、貴女が妹様と仲良くしてるのは、正直に凄い事だと思うわ」
「そうでしょうか? 素直で良い子ですよ。ただまぁ、ちょっとやんちゃ盛りではありますが」
「ちょっとやんちゃ、で済ます辺りがもうね……。私だったら振り回されるだけで疲れそうよ」
「そこは大丈夫ですよ。私の言葉にもちゃんと耳を傾けてくれますし」
「羨ましいわね」
 
 途端、美鈴の眉がピクリと反応する。癪に障った、訳ではなさそう。
 ただ、頬はまた膨らみ、視線は急激に湿っぽくなった。
 その視線はある種の妬みを含んで、私より高い背丈が小さく見えてしまう。
 
「……私は、咲夜さんとお嬢様が仲良くしている事の方が羨ましいです」
 
 どちらへの嫉妬だろうか。
 私? いや、それは流石に自意識過剰だろう。美鈴だって忠誠心はある。お嬢様へと考える方が普通。だから私はその思考のまま言葉を直進させる。
 
「貴女だって、お嬢様から気に入られてるじゃない」
「咲夜さんほどでは。だって、貴女はお嬢様一番のお気に入りなんですよ?」
「…………現状がこうだと、素直に受け入れられないわ」
 
 私の返答に美鈴は下唇を噛んだ。それは受け入れてくださいよ、との事が伝わる。
 でもごめんね。今の関係だと、ちょっとそういう風には思えないから。
 逃げ道を作る様に「お互い大変ね」と呟く私。美鈴もそうですね、と続けた。やっぱり妹様の相手をするのは骨が折れるみたいだ。
 
「でも、大変な事ばかりじゃないんですよ? 妹様が笑ってくださると、やっぱり私も嬉しいですし」
「それは総意ね。私もお嬢様には笑っていて欲しい。今の関係は、辛い、かな……」
「ならまず、笑顔の練習ですよ咲夜さん」
 
 にぱっと笑みを浮かべて、笑窪に両の人差し指を押し当てる美鈴。
 屈託のないその笑みが瞬時に作れるのはやっぱり器用だ。何が不器用なのか私にはわからない。
 さっきあった、妬みで縮こまった体なんて何処へやら。今の笑みはそんなものを忘れさせるほどに眩しかった。
 
「だから、私はそんなうまく作り笑いなんてできないわ。器用じゃないっていってるでしょ?」
「作り、なんて思うからいけないんですよ」
「何よそれ……」
「深く考えない方がいい、って私言いましたよ。自然体ですよ自然体」
 
 こんな風に、と美鈴は続けて手にした紙飛行機をまた構える。
 また真っすぐだ。地面と水平で、ロビーの向こうの遠い壁にその先は向いている。私が落として曲げてしまったその先端。今は修復が施されて前を向いている。
 やがてその手から飛行機が離陸した。すぅ、と文字通り滑空。空にレールが引いてあるみたいに真っすぐ進んだ。
 私が付けた傷なんて諸共しなかった。壁がその飛行機を引きこんでいる様。
 けれど、自力ではやがて限界がやって来る。エネルギーの変換が終わり、地に足を付けてしまうのも時間の問題。
 ゆっくり下って、ついにはその紙飛行機も絨毯へと。でも、着陸はあくまでも綺麗だった。
 
「むぅ、向こうの壁までいったら格好良かったのになぁ……」
「流石にそれは無理でしょ。あれだけ飛ばせるなら十分よ。私なんてその半分も行くかどうか」
「余計な事を考えると、その分だけ飛行機も重たくなっちゃいますからね」
「……うまい事言ったつもり?」
「さぁ……?」
 
 妹様よろしく美鈴も肩を竦めてみせる。正直似合ってない。妹様がする分には可愛らしかったけれど、美鈴がするとちょっとした憎さがある。わざとらしく大げさにしてるのかもしれないけど。
 私がまたむくれると妙な間が出来上がる。どちらとも口を開く事を躊躇っていると、飛行機の投げた先の廊下からぱたぱたと軽快に駆ける音が帰ってきた。
 
「めいりーんっ! ごめん、遅くなっちゃった」
 
 既にすっぽりと全身を半透明の合羽に身を包んだ妹様がお見えになった。小柄でフードにも被られてて、大きなてるてる坊主みたい。
 はい、美鈴の。と、手にしていたもう一つの合羽。さっき美鈴が身につけていたのと同じ。まだわずかに水滴が付いて残ってる。
 
「わざわざすみません」
「気にしないで。これぐらい当然だから」
 
 お嬢様もこれぐらい素直だったら、なんて事を思ってしまう。妹様がこんなにも素直なのは美鈴のお陰だ。
 私も当初は苦労したもの。お出ししたお茶菓子を「いらない」の一言でひっくり返された時にはショックで気が遠くなったものだ。その妹様が今こうなったのだから感慨深い。
 なんて昔を思い出している間に、美鈴はもぞもぞと合羽を羽織っていく。水滴が一滴二滴落ちる。これぐらいなら問題はないけれど、予想外に酷くなって後で掃除の手間にならない事を祈るだけ。
 そうなったら美鈴にも掃除を手伝ってもらおうか。メイドの仕事というものをみっちり教えてあげるいい機会だ。
 
「では、行きましょうか」
 
 合羽への着替えを終えた美鈴。その顔は嬉しそう。なによ、私と話してる時はそんな風に笑わなかった癖に。
 それに釣られて自然と笑みをこぼす妹様。羨ましくて、いいな、と心の中で呟いてしまう。
 しかし、その表情はすぐに曇った。背中ではあの七色の翼が苦しそうにもぞもぞと動いている。布地が擦れて、柔くした絹の裂ける音が鳴った。
 
「……しまった。合羽着てたら羽ばたけないじゃん……」
「ふふ、そうでしたね。では、お手を」
 
 美鈴は膝を折って跪き、妹様よりも目線を下に。
 そして手のひらを返して捧げる。間もなく、妹様の手は美鈴と触れ合う。その小さな手は美鈴に優しく握られた。
 
「ん、エスコート、よろしく頼むよ」
「お任せください、フランドール様」
 
 美鈴は立ち上がりその手を引いていく。親と子ほどの身長差がある二人。
 その差は大きいけれど、そんなものを感じさせなかった。互いが互いに歩み寄ってて精神的に近い位置に居る。
 今もそうやって美鈴は妹様の手を取った。あの子の言う自然体がそれなのだとしたら大したものだ。
 力みもなく不自由さもなく、二人はロビーの外へと足を踏み出そうとする。しかし美鈴はこちらを振り返った。
 
「おゆはんまでには戻りますので」
「咲夜、美味しいの頼むよ」
「えぇ、かしこまりましたわ」
 
 釣られるように舞い込んだ妹様の言葉。それは楽しんでいる証拠。そうでなければ会話に参加するような事はしないお方だから。
 言葉が、行動が、今の私とお嬢様とはまるで逆。自分たちにないものを目にすると何故こうも輝かしく思えるのだろう。
 黒く錆び付いた私たちの関係なんかじゃない。明るく照らされてプリズムを通した様に目に鮮やか。
 
「妹様の事、頼んだわよ」
「はい、咲夜さんも」
 
 何について、なんて言われなくても私には伝わった。
 全く、お節介という言葉を知らないのだろうか。貴女に言われなくても私は自分で答えを見つけようと思っていたのに。
 私の視線が細くなる前に美鈴は身を翻した。そして再度、一緒に外へと向かう。しっかりと手は握られていた。
 ひょっとしたら、私の見てないところでは指同士を互い違いにさせて絡ませたり何かしたりしてるのだろうか。
 そんなちょっとふしだらな事を考えたけどすぐにやめた。だって、あんな楽しそうに話し始めるんだもの。
 信じられる? あの妹様が自分から話題を振って、会話に花を咲かせようとするなんて。
 やがてその声も小さくなって聞こえなくなり、私は一人、ロビーに取り残された。
 紙飛行機を投げ損なった時に似ている。ここに私が一人だけ放り出されたみたいに。
 でも、あんな虚無感はやって来なかった。陰鬱は消えてはなかったけれど、少しばかり出来た切り口が見えた。
 
「こんな風に、ねぇ……」
 
 無風のロビーに私の力ない声が残響する。残された作り置きの折り紙と、投げ飛ばされた紙飛行機は答えてはくれない。
 後片付けは美鈴の仕事だろう。今は放っておくがいい。
 こんな風に。と、小馬鹿にした様に、今度は心の中でもう一度。紙飛行機を投げる構えだけを作る。
 そこに紙飛行機を生成。色は何にしよう。空を駆けるものがいい、あの二人に肖ったものがいい。虹色だ。決まる、イメージする。
 出来上がった紙飛行機を自然体と告げられた言葉通り投擲。飛べ、なんてものも念じなかった。脱力した腕はだらんと下がる。
 私が作り出した暗く沈黙したロビーを、これまた私が作り出した紙飛行機は進む。
 重苦しい空気で、遠くへ飛ぶことは困難。進行方向は変わらなかったけれど、すぐに重みに耐えられなくなった。
 失速して機首は下を向いた。なだらかに落ちていく。悪あがきなんてする事もなくそのまま等速で進み、やがて墜落した。
 
「美鈴、飛ばないわよ……」
 
 ぼやいても誰も返してくれるはずもない。わかっていたけれど伝えたかった。
 貴女の方法じゃダメ。やっぱり私が自分で考えないと。
 息を一つ吐き捨ててくるりと半回転。しかし不思議、足取りが軽やかだった。
 投擲した空想の紙飛行機の残像が目に焼き付いている。ぶれる事のない綺麗な放物線だった。
 鉛色の私の空には刺激的で、僅かに出来上がった切り口にその鮮やかな虹色が流れ込む。あの二人に中てられて随分とその色は眩しい。
 いいな、とあの二人の関係をやっぱり羨む。明るくて輝かしくて、憂いを感じさせない関係。
 あの子に負けたままでいるのは正直悔しい。負けてられないな、と思った。
 
 胸の奥の方へ逃げ込んだ心臓が熱で持ち上がる。どうにかして、今の錆び付いた関係を打破する気力が湧いてきた。
 ロビーに目を一周させると、濁って感じられた紅さが嘘の様に強く見える。目に色彩が戻ってきたみたい。
 大股で一歩踏み出してみる。何だか少し、陰鬱に風穴があいた気がした。
 
 
 
初めまして、一斗缶と申します。
イカロで細々と執筆をしていたのですが、何を間違えたのかこちらに迷い込んでしまいました。

久しぶりに書く全年齢とあって、正直話として出来ているのかどうか不安です。
雑然とした文章なので、もう少し話をまとめれるよう精進していきたいです。
缶田一斗
[email protected]
http://twitter.com/#!/liter18
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コメント



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2.100奇声を発する程度の能力削除
全体的に薄い灰色の膜みたいなのがあって咲夜さんの心情がとても表れていました
そして凄く綺麗な終わり方でとても良かったです
6.100名前が無い程度の能力削除
読んでいるうちに“ああ、わかるわかる。そんな気分の時ってあるよね。”なんて、思わず頷いてみたり。
心理描写が凄く綺麗だと感じました。
7.100名前が無い程度の能力削除
読んでる途中ちょうど外が大雨で陰鬱な感じが共感しやすかったです。
雨が続くとちょっとした事で暗くなっちゃいますよね。
8.80晩飯トマト削除
心理描写と情景描写のバランスが良く、素直に分かりやすいので読みやすい読みやすい。
文章の流れが、それこそ、紙飛行機みたいにスーッと行く感じで好きです。
内容も、青春物の様なサッパリさ、良 き か な …。
9.100名前が無い程度の能力削除
えらく綺麗な心理描写でした。
落ち込んでいる咲夜とフランとキャッキャしている美鈴の対比が実に魅力的。
美鈴が落ち込むときもあるのでしょうかね。
12.100名前が無い程度の能力削除
なんでか泣けてきた
21.80名前が無い程度の能力削除
本当に灰色だ
26.80名前が無い程度の能力削除
もやもやしてるのにスッキリしてる。
28.100名前が無い程度の能力削除
今現在の俺の心がまさにこれだったからものすごい共感してしまった
ものすごく絶妙な心理描写だと思います、これは…傑作ですね
33.70みすゞ削除
紙飛行機は好きです。