目が覚めると、私はベッドの上に横になっていた。
「……あれ?」
寝る前との状況の違いに思わず声が漏れてきてしまう。身体を起こすと同時に、かけられていた毛布がずれ落ちる。それから、なんとなしに自分の身体を見下ろしてみるけど、特に変化はない。頭に触れてみても、髪を片側だけ結わえたリボンがあるだけだ。
私の記憶では、天気が良かったから木陰に隠れて、空を眺めながら本を読んでいたはずだ。
その最中、少しずつ暖かさに誘われた眠気が集まってきて、心地よさに身を委ねてそのまま眠ってしまった。でも、部屋に戻ったという記憶はない。
誰かが部屋まで運んでくれたのだろうか。
でも、この部屋は今まで見たことがない。そもそも館の中に運び入れるなら、普通は私の部屋へと運んでくれるはずだ。自室とは違う、それも私が知らない部屋へ運ぶとは思えない。
もしかしたら、なんらかの事情があって、わざわざ別の部屋へと運んだのかもしれない。
でも、その事情とはなんだろうか。
いや、それ以前にこの部屋は、館の部屋とは雰囲気が違っている気がする。
部屋に窓はない。でも、明かりが灯されているから暗くはない。同じように地下にある私の部屋よりも明るい印象を受ける。
それは壁のせいだろう。白色であることは見慣れた部屋と同じだけど、材質が違う。表面に光沢があり、明かりを反射してきらきらと輝いているように見える。それによって、明るい印象を受けるようだ。
部屋には物が雑多に置かれている。ビー玉やガラス瓶といった光り物の類が多い。ふと、自分の羽のことがよぎったけど、これのせいでこんなところにいるわけじゃないよね?
……それで、今どこにいるんだろうか。
部屋の中を見回している間に頭は冴えてきて、じわりと不安が滲み出してきている。ここにいるべきではない。そんなふうに何かが訴えかけてきている。
じっとしていることに耐えられなくて、ベッドから起き上がる。もしかしたら、もしかしたらだけど、ここは紅魔館で、たまたまこの部屋だけ作りが別なのかもしれない。地下にある部屋は自室と図書館だけだと聞いていたけど、ここはわざと窓を作らなかったのかもしれない。
自分自身に言い聞かせるようにして、不安を払いのけようとする。
扉の向こうには知っている場所があるんだと信じて、扉に駆け寄る。その向こうの景色を見れば、不安は消し飛ぶんだと思い込ませながらノブを掴む。
扉は抵抗なく開いた。そのことに、一瞬安堵しかける。
でも――
「え……?」
部屋と同じ壁。白と黒のタイルの床。所々にはめ込まれたカラフルなステンドグラス。それらで構成された長い廊下。
色鮮やかなガラス細工は、下からの光を受けて輝き、天井を染め上げている。それが、今までに見たことのない不思議な景観を作り出している。
扉の向こう側にあったのも、やっぱり知らない場所だった。
珍しい光景をゆっくりと眺めているような余裕はない。
興味や好奇心よりも、怯えや不安の方が断然大きかった。
逃げるようにして扉を閉じる。焦ってはいたけど、それと同時に音を立てないようにと慎重だった。音を立てた瞬間に何か怖いことが起こるんじゃないだろうかと、とても不安だったから。
扉から離れて、現状をもう一度考えてみようとしてみる。本能の方が現実を直視するつもりがないのか、未だに紅魔館のどこかだ、なんて考えている。でも、そんな悠長に構えている余裕はなさそうだ。
私は誰かに誘拐されたのかもしれない。知らないうちに全く知らない場所にいるということは、そうとしか考えられない。廊下の作りがこの辺りだけ違うと考えるのはかなり無理がある。
でも、どうするべきなんだろうか。
戦うことはできる。ある程度力のある妖怪や人間を相手にしても、負けることはないくらいの力があることは自覚している。でも、できることなら戦うことは避けたい。
私の持っている力は、ふとした弾みでも簡単に殺せてしまうような力だ。弾幕ごっこのような遊びの場合はともかく、こうして実際に危険が迫っているような場面で制御しきれる自信はない。私の精神が不安定になってしまえば、使うつもりがなくとも周囲を無作為に巻き込んでしまう危険が高い。
なら、どうするのが最善なんだろうか。
とっさの場合になんとかできるようにレーヴァテインを出しておくというのも考えてはみたけど、武器を見せて下手に刺激してしまうのもまずい気がする。向こうがいきなりこちらに手を出してくるつもりがないなら、様子を窺って不意打ちを仕掛ける方が有効そうだ。
あ、それよりも――
「お待たせっ! 助けに来たよ!」
突然、扉が開け放たれた。扉が壁にぶつかる音が部屋の中に響く。
驚いた私は、身体をびくりと竦ませる。もう少しで最善の答えが出てきそうな気がしたけど、全部大きな音と共に吹き飛んでしまった。
「だ、だれっ?」
一歩後退り、警戒態勢に入る。先ほどの言葉を鵜呑みにするなら私を助けに来てくれたようだけど、扉の向こう側にいるのは特徴的な姿をしている、でも知らない人、おそらくは妖怪だった。
まず、目に付くのは胸の前にある藍色の閉じた目のような大きな物体。そこから二本の紐のようなものが伸びていて、彼女の身体に巻き付くようになっている。
それから、黄色いリボンの揺れる大きな黒色の鍔広の帽子が目に入る。その下には、不思議な色合いをした銀髪。純粋な銀ではなく、緑と青の中間のような色が混じっている。
そして、好奇心で輝く翠色の瞳でこちらを見てきていた。私よりも身長がいくらか高いから、少し見下ろすようになっている。
普段なら、好奇の視線を向けられると恥ずかしいような、逃げ出したいような、そんな気持ちになるけど、今は不思議とそうはならない。今が異常事態だからだとかは関係なく、目の前の彼女の存在感がどこか希薄だからだろうか。
目をそらしたその瞬間に姿を消してしまっていそうな、そんな雰囲気をまとっているのだ。行動と雰囲気とが不釣り合いで、違和感がある。
「私は古明地こいし。あなたを助けに来たんだ」
「……あなたは、私のことを知ってるの?」
存在感の薄さに何か恐怖に近いようなものを感じて警戒心を抱く。でも、はっきりとしたものではないから、少し及び腰になる程度にとどまった。
私は目の前にいる彼女のことを知らない。誰かと出会う機会もかなり限られているから、どこかで会っていたけど忘れているということもありえないだろう。
でも、向こうだけが知っているという可能性がないこともなかった。お姉様はいろんな人と出会う機会があるから、話をしている間に私のことが話題に上ったということもありえる。
「ううん、知らない」
でも、返ってきたのは予想に反して否定の言葉だった。
なら、どうして私を助けようなんてしているんだろうか。善意からという雰囲気ではない。
いくら世間知らずでも、悪意の存在は知っている。でも、彼女から悪意は感じない。なんにもない。それが、一番しっくりとする気がする。
「だから、今から知るよ。ほらほら、あなたの名前を教えて。誘拐した人が戻ってくる前にさ」
「あ、えっと、フランドール。フランドール・スカーレット」
急き立てるように言われて思わず名乗ってしまう。
「む、長い。面倒だし、フランでいいよね」
「え。別に、いいけど……」
そんな理由で、出会っていきなり愛称で呼ばれることがあるとは思わなかった。確かに幻想郷の中では長い名前だとは思うけど。
知らない人から愛称で呼ばれるのが嫌ということはない。ただ、初対面でいきなりそのことを感じさせないような近づき方をされると、困惑が大きくなってしまう。こっちは初対面というだけで、どういう態度を取ればいいのかわからなくなってしまうのだから。
「よしっ、さっさとここから逃げよう!」
私の困惑に気づいた様子もなく、こちらへと手を伸ばしてくる。
掴めということなんだろうけど、どうしても躊躇してしまう。意図がわからないし、不自然なほどに希薄な存在感に警戒を抱かざるをえない。
「ねえ――」
「ああもう! 焦れったい! さっさと行くよっ!」
――どうして助けてくれるの?
せめて、それだけでも聞こうとしたのに、質問を遮るように手首を掴まれてしまった。こいしはそのまま部屋の外へと駆け出す。
手首を掴まれている私は引っ張られるように後に続く。失礼かもしれないけど、私の手首を掴んだその手が温かかったことが意外だった。
「ちょ、ちょっと! 話を聞いてっ!」
「質問は後! 今はこっから逃げるのが最優先!」
確かにそれは正論かもしれないけど、このまま素性のわからないこいしに連れていかれてもいいのかという不安もある。
でも、帽子を押さえて駆けるその後ろ姿からは、質問を受け付けてくれるような雰囲気はない。何を言っても無視されてしまいそうだ。
後で質問を聞いてくれるみたいだし、仕方なく足を動かす。
色鮮やかに照らされる廊下に、私たちの足音が不揃いに響いた。
「よし、無事に脱出成功っ!」
こいしに導かれるまま廊下を駆け抜けて、館の玄関扉に負けないくらいに大きな扉を二人でくぐり抜けた。
外に出る直前に身構えたけど、予想していたものはどこにもなかった。見上げて映り込んできたのは、茶色い天井だけ。
どうやら、ここは巨大な洞窟の中のようだ。吸血鬼の天敵である太陽はどこにも見当たらない。
そして、もう一度思う。ここは、どこなんだろうかと。
「何か、聞きたそうだね。走るのも飽きたし、ここらで、質問タイムに、しようか」
こいしがこちらへと振り返る。体力はあまりないのか、少し息が上がっているようだ。ちょうど目線の高さに肩があるから、上下しているのがよくわかる。
「こんなところで立ち止まっててだいじょうぶなの?」
確かに聞きたいことはいくつかあるけど、誘拐されて連れてこられた場所の目と鼻の先でそんな悠長なことをしていていいんだろうか。後ろの方ばかりが気になって、質問に集中できそうにない。
「大丈夫大丈夫。ほら、私がいるから」
「……どこからそんな根拠が出てくるの?」
こいしは、かなり余裕のある表情を浮かべている。でも、その余裕の理由が分からないから、大丈夫という言葉は全く信用できない。
そもそも、本当に私を助ける気があるのだろうか。
「ふっふっふー、何を隠そうこの私は無意識を操れるんだよ。だから、私たちのことを無意識のうちに無視しちゃうようにすれば、そう簡単には見つからないよ。たとえ、目の前に立っていようともね」
不敵な笑みを浮かべながら、そう説明をしてくれる。
そういえば、建物の中で何匹かの動物とすれ違ったけど、どの動物も一切の反応を見せなかった。いくら命令に忠実でも、注意さえも向けさせないということになるとほとんど不可能だと思う。
だから、こいしの言葉を信じてもいいという根拠はある。
でも、こいしのことはまだ信頼できない。追いかけてくる存在がいないというのは確実だろうけど、突然現れて私を助け出したこいしに対する胡散臭さは消えていない。
もしかしたら、こいしが第二の誘拐犯という可能性だってある。
「というわけで、質問をどうぞ。あんまり疑問を抱えてたら楽しめないでしょ?」
「楽しめないって、どういうこと?」
どうして今そんな言葉が出てくるのかわからない。
何かさせるつもりなんだろうか。
「そのままの意味だけど? 一人で遊んでてもつまんないから、一緒に地底巡りでもしてもらおうとね。面白い羽を持ってるあなたとなら、面白いことになるかなって」
今の答えで私が抱いていた疑問のうちの二つの解を得られたということになる。でも、そんな理由で遊び相手を決めるのはどうなんだろうか。誰かと遊ぶなんてことを滅多にしない私にそんな期待を抱かれても困る。
それよりも、ここは地底なんだ。
言われてみれば大きな建物が洞窟の中にある時点でそう思うべきだったかもしれない。そんなことに気づけないくらい、余裕を失っているということなんだろう。
地底については、パチュリーから少しだけ聞いたことがある。確か、地上で忌み嫌われていた妖怪たちが住んでいる場所だとか。
……私が、こんな場所にいてだいじょうぶなんだろうか。
ある程度地上との関わりを取り戻してきたとも聞いたけど、それは表向きの話であって、実際のところはどうだかわからない。特に感情面なんかはそう簡単に変わるとも思えないし。
「……私、遊んでないですぐに帰りたい」
そんなことを考えていると急に不安になってきて、声も潜めたようなものになってしまう。こいしと二人きりの状態でそんなことをしても意味がないというのに。
それに、寝てしまってからどれくらい時間が経ったかはわからないけど、館から私がいなくなったことには気づいているはずだ。私が無断で外に出るなんていうことは今まで一度もなかったから、お姉様も心配していると思う。
「ん? そう? なら気をつけて帰ってね。この辺の人たち、余所者に対する風当たり強いから」
「えっ? 出口まで案内してくれないの?」
不安を抱えていた上に、そんなことまで言われてしまって一人で帰れるはずがない。
「うん。私は一緒に遊んでくれるかなって思ってフランを助けたんだよ? だから、フランが遊んでくれないっていうんなら、これ以上何かをしてあげる理由はない」
私の手首を放して、距離を取ろうとする。でも、途中で足を止めると、こちらへと振り向いてきた。
かなり意地悪そうな笑みを浮かべている。
「で、どうするの? 私と遊んでくれる?」
絶対に断られることがないだろうという確信に満ちたような問い。
こちらの考えを見透かしているのだろう。だからこそ足を止め、振り向いたのだと思う。
それに、こいしの方は私に断られたところでなんの不利益もない。優位に立っているのは明らかに向こう側だ。
お姉様のことは気になる。でも、度胸が足りないから断るなんてことはできない。そもそも、それだけの度胸があったなら、一人でさっさと逃げ出していたと思う。
「……わかった。遊んであげる」
だから、私はそう答えることしかできなかった。仕方がないけど、信頼しきれないこいしの傍にいるしかないようだ。
「でも、私なんかと一緒に歩いても楽しいとは思わないんだけど」
地底巡りをすると言っていたけど、私にできるのは後ろから付いていくことくらいだろう。
数年前まで部屋に閉じこもって、特定の人以外とは一切接触のない生活を送ってきていたのだ。他人と話をすることにはなんとか慣れてきているけど、場の盛り上げ方は未だにわからない。
そんな私が、散歩の相方に適しているとはとても思えない。
「楽しい楽しくないは私が決める。だから、フランは私に付いてきて好きなようにすればいいよ。さっ、行こうっ」
「あ、うん」
再びこいしは私の手首を掴んで、立ち止まっている時間がもったいないとでも言うかのように駆け出した。
他に選択肢がなかったから、私はその背中を追いかけた。
こいしに引っ張られるようにしながら歩いたのは、旧地獄街道と呼ばれる通りだった。
地面に白い敷石が敷き詰められ、それに沿うように長屋が並ぶ。所々に提灯がぶら下げられ、敷石をぼんやりと赤色に染めていた。いつか本で読んだ古い時代の日本の城下町。それも、大通りを外れたところのような雰囲気の場所だった。
本に描かれていたものからは狭そうな印象を受けたけど、ここはそうでもなかった。並んで歩いていても、意識することなく反対側からやってきた人たちとすれ違うことができる程度には広い。
そのすれ違う人もひっきりなしに現れてきたから、もしかしたらここが地底で一番賑わっている場所なのかもしれない。地底に住んでいる人の数もそれほど多くはないだろうし。
通りに沿って並んでいる長屋の中には小さな商店を営んでいるようなところもあり、こいしに連れられてそのうちのいくつかに入った。私もこいしも、お金も物々交換に使えそうな物も持っていなかったから、綺麗に、ときには雑多に並べられた商品を見るだけだった。
こいしは、興味を抱いたらしい物を手に取ったり触れたりしながら感想を漏らしていたけど、私はそれに対して気のきいた言葉を返したりはできなかった。こじんまりとした店内で、羽をぶつけないように注意することばかりに神経を注いでいた。
そうだというのに、こいしはなんだか楽しそうだった。途中で何度も私がいる必要はないのではないだろうかと思ったほどだ。
そういえば、商店をまわっている間もこいしは力を使い、店員が私たちに気づかないようにしていた。最初のうちは、商品を盗み出したりするんじゃないだろうかと思って不安になっていたけど、問題行動を起こすようなことは一度もなかった。
でも、それならどうしてこいしは、力を使ってたりしていたのだろうか。商品を眺めるだけならそんなことをする必要はないはずだ。
「ねえ、フラン。何か考え事してる?」
不意に、こいしが足を止めてこちらへと振り向いた。余計に進んだ分だけ、こいしとの距離が縮まる。
私を見るこいしは、小さく首を傾げている。今までの余韻からか、楽しげな雰囲気を纏っている。
「あ、えっと、なんで力を使ってるのかなって。散歩をするだけなら必要ないよね?」
今も力は維持しているようで、道の真ん中で足を止めている私たちに注目するような人はいない。誰も一瞥も向けることなく、でもぶつからないように避けて歩いている。
「そんなつまんないこと考えてたの? フランがこっちに集中してくれないと、私の楽しさも半減するんだけど」
少々不満そうな表情を浮かべたこいしが一歩こちらへと近づいてくる。もとからそれほど離れていなかったから、お互いの距離はほとんど零となる。そのせいで、見上げないと顔が見えない。
じっと見下ろしてくる翠色の瞳。そこに最初のころの好奇心の輝きはない。代わりに少々不機嫌そうな色が浮かんでいる。
その視線の威圧感から逃れるように一歩後ろに下がってみるけど、同じ距離を保ったまま追ってきた。
「余計なことなんて考えずに、素直について来て楽しめばいいのに。そうすれば、私も楽しくなれるのに」
不機嫌さを消して、無表情に告げる。その様子が怖くて、意識せずに再び一歩後ずさってしまっていた。でも、今度はこいしが追いかけてくるようなことはなく、きっちりと一歩分距離が開く。
「……ねえ、なんで私を選んだの? 私の羽は関係なかったよね?」
こいしは面白い羽をしていて面白いことがありそうだから、と言っていた。でも、力を使って誰にも気づかれないようにしていたのでは意味がないのではないだろうか。力を使っていなければ、注目を集めるということはできそうだけれど。
「……ほんと、余計なことばっかり考えてるんだね」
無表情の上に呆れが上塗りされた。今にもため息をつきそうな様子だ。もう先ほどまでの楽しそうな雰囲気は、どこにも感じられなくなっている。
「まあ、そうだね。フランが育ちの良さそうなお嬢様だったから、だね。最初に興味を持ったのはその羽の方だけど」
視線が少し横にそれる。おそらく、私の羽を見ているのだろう。飛ぶのには全く役に立たない、でもやけに目立つ宝石のような羽を。
「つまんなくなっちゃった」
興味を失ったように私に背を向ける。おそらく、こいしは私が従順に素直に楽しむことを期待していたのだろう。先ほどの、お嬢様という言葉にはそういったニュアンスが込められていたように思う。
私はこのまま置いて行かれてしまうのではないだろうかという不安に襲われた。とっさに、こいしの手を掴んでしまう。
「なに? いくら楽しくなかったからっていっても、約束は守るからそんなに焦らなくてもいいよ」
明らかに態度が刺々しくなっている。完全に私への興味も失せてしまっているということだろう。
だから、こいしの言葉が信じられなくて、及び腰になりながらもこいしの手を放すことはできなかった。
「……」
こいしは、一度こちらを睨むように見ただけで振り払うようなことはしない。
そのことに安心をしながら、突然歩き始めたこいしの背中を追いかけたのだった。信頼できなくとも、今この場で頼ることができるのはこいしだけだから。
◆
館に着いたとき、辺りはすっかり真っ暗となってしまっていた。
「ただい――」
「ああっ、良かったわ。無事だったのね!」
館の玄関扉を開いた途端に、誰かに真っ正面から抱きしめられた。声とその感触からお姉様だとすぐにわかる。
お姉様はかなり私のことを心配してくれていたようで、抱きしめる腕にはいつも以上に力が込められている。でも、痛みは感じられない。しっかりと私のことを思いやってくれているのだとわかる。
いつから私のことを待っていてくれたんだろうか。聞いても答えてくれないだろうけど、その腕に込められた力の分だけ待っててくれたんだろうなと想像はできる。
胸がほんわりと温かくなる。
「お姉様、心配かけてごめんなさい」
「どうして貴女が謝るのよ。何かあったんでしょう? そのことについて話してくれる?」
「うん」
お姉様が腕の力を抜いて顔を覗き込んでくる。私は頷き返して、抱きしめられたまま、今日あったことを話し始めた。
木陰で寝ていたら知らない場所にいたこと。そこにこいしが助けに来てくれたこと。遊びに付き添わされたあと、こうして帰ってこれたということ。
お姉様に話をしていて気づいたけど、私の中では連れ去られたことよりも、こいしに引っ張り回されたことの方が印象的になっているようだ。
知らない場所に連れてこられていたとはいえ、あったのはそれだけで特に大したことはなかった。だから、こいしのことの方が印象的になるのも当然かもしれない。あれだけちぐはぐな雰囲気を纏っているのなんて、なかなかいないだろうし。
そのこいしは、館までついてきてくれた。本当は地底の出口で私と別れるつもりだったみたいだけど、頼み込んだら非常に面倒くさそうな表情を浮かべながらもついてきてくれたのだ。まあ、実際には夜道に不慣れで、どこに進めばいいのかよくわからなくて案内してもらったという感じだけど。
吸血鬼だから暗いのは平気だけど、外を歩き慣れてない私にとって昼の世界と夜の世界というのは全く異なる世界に見えるのだ。そもそも昼間だろうとも道がよくわからない。だから、私のよく知っている場所、要するに館の周辺まで連れてきてもらったのだ。
こいしは地上を散歩することもよくあるらしくて、私よりもずっと道に詳しかった。
そうして無事に館にたどり着いたけど、門が見えてきてそちらに気を取られている間にこいしはいなくなってしまっていた。私は門の傍で立ち尽くし、美鈴が話しかけてくれるまで動くことができなかった。
どうしてお礼も挨拶も言う暇もなくいなくなったんだろうか。
「フラン? 大丈夫?」
「あ、う、うんっ。だいじょうぶだいじょうぶ」
「そういう慌てたような反応は大丈夫じゃない証拠よ。まあ、色々とあって疲れてるんでしょうね。夕食を食べたらゆっくりと休みなさい」
「うん……」
そうかもしれない。
お姉様にそう言われた途端にどっと疲れが出てきた。
我ながら単純だなぁ、とお姉様に気づかれない程度に小さく苦笑を浮かべるのだった。
◆
パチュリーの図書館にある大きな丸テーブルの一つに本を置いて、ページを捲る。図書館にある本は大体大きくて手に持って読むのは難しい。
地底にさらわれた翌日以降、外で本を読むことはなくなった。
また同じことが起きるんじゃないだろうかと警戒しているのだ。これくらい警戒していれば、寝てしまうなんてこともないだろうけど、本を読むことに集中することもできない。
だから、安心することのできる場所、自分の部屋か図書館で本を読むことにした。図書館なら大体パチュリーとこあがいるから、こっちにいることの方が多い。
でも、私の話を聞いたパチュリーは、そこまで警戒する必要はないだろうと言う。
私が連れて行かれた場所は地霊殿と呼ばれる建物で、古明地さとりという妖怪がそこの主らしい。名字からわかるとおり、こいしの親類で姉だそうだ。
そのさとりというのは面倒ごとを起こす性格とは思えず、ペットたちの暴走だろうとのこと。
確かにそれなら、連れて行かれた後にどうこうとかはなさそうだけど、連れて行かれるかもしれないという懸念が消えるわけではない。よって、私はこのまま外に出ることはない。
臆病だから、なかなか本当の本当に安心することはできないのだ。
そうやって外から逃げて本の世界に入ろうとするけど、なんとなく集中することができない。
ページを捲っては意識が本からそれ、文字を一行追っては内容が入ってこなくて結局何度も読み返したり。
そんな状態だから、全体の内容を掴むことなんてできない。
こうして注意力が散漫になってしまっている原因はわかっている。
それは、こいしのことを気にしてしまっているから。私といるだけで楽しそうにしていたこいし、散歩の間も力を使っていることを指摘されて百八十度態度を変えたこいし、そしてお礼や挨拶をする間もなく姿を消したこいし。
なぜか、こいしの姿が頭から離れないのだ。
とはいえ、どうしていいのかもわからない。
こいしの住んでいる場所はわかっているから会いに行くことは簡単だ。でも、会いに行ったところで私にできることはあるんだろうかとも思う。
向こうが会いに来てほしいと言っていて会いに行くならまだしも、こっちから勝手に会いに行くとなると、図々しいんじゃないだろうかと考えてしまう。
それ以前に、こいしと私の相性は最悪みたいだから、会いに行くとこいしの機嫌を悪くしてしまうような気がする。昨日のやり取りから、それはほぼ明らかだ。
私がこいしに関わるという必要性は全くないのだ。あの日あのとき偶然出会っただけで、このまま忘れてしまったところで、問題は一切ない。むしろ、会うべきではない。
本当、どうしてここまで気にしてしまっているのだろうか。
助けてもらったというのは確かに衝撃的なことではあるけど、ただ私に興味を抱いて遊んでみたかっただけということ、あそこがこいしの家だということを知った今ではそれも相当薄れてしまっている。
でも、よく考えてみれば、どうしてああやって自分の家の中の人たちに気づかれないようにしていたのだろうか。散歩をしている間も周りの人たちに気づかれないようにしていて、まるで人目に付くことを嫌っているかのようだった。
ああ、もしかしたらこの疑問がこいしを気にしてしまっている原因なのかもしれない。
そうやって、自分の中のもやもやとした部分が少しばかりすっきりとしたとき、
「フラン」
不意に誰かが私を呼んだ。世界で一番聞き慣れた声だから、誰なのかはすぐにわかった。
「お姉様? どうしたの?」
全く読み進めることのできない本から顔を上げて振り返ってみれば、ぱっと思い描いたイメージ通りお姉様がいた。喘息持ちのパチュリーが発作を起こしてないかどうかを見に来るから、図書館でお姉様を見かけることは多い。
でも、本を読んでいる私のことを気遣ってか、話しかけられることは滅多にない。だから、首を傾げる角度はいつもよりも大きくなっている。
「ここ最近、ずっと考えごとをしてて上の空みたいだから、相談に乗ってあげようと思ってね。自分でなんとかしようとするのが悪いとは言わないけど、一向にまとまらないときは誰かに相談してみた方がいいわよ。一人では限界があるのだし」
そう言いながら、お姉様は私の対面の席に座る。お姉様とはこうした位置関係となることが多い。お茶会をするとき、食事のとき、今みたいに不意に私の話を聞いてくれるとき。
お互いにそう決めたということはなく、自然とそうなっていた。
「さすがお姉様。わかるんだ」
「流石も何も、メイド妖精たちでさえも気付いてるわよ」
「えっ、……そうなの?」
「ええ、そうよ。まあ、そうやって、本を開いたまま何十分も固まってたら当然だと思うけれどね」
お姉様が私の手元を指さす。
思わず開きっぱなしの本を見下ろしてしまうけど、それで何かが変わるということはない。確かにそうかもと納得ができるだけだ。
「それで、あれから何を考えていたのかしら? 貴女を館まで連れて帰ってくれたっていうこいしとかいうやつの事?」
顔を上げてみると、お姉様が紅い瞳でじっとこちらを見ていた。心の中を覗かれるような視線。でも、そのことに不快さを感じることはなく、むしろそのまま私の内面を見ていてほしいなんて思ってしまう。
「……やっぱりさすがだよ、お姉様は」
「そうかしらね? 悩めそうな事なんてそれくらいしかないと思うけど」
「そうかな?」
「さあ? 他がどう考えてるかなんて知らないし」
私としては、お姉様が特別すごいんだと思いたかったんだけど、私の思考はわかりやすいのか他の人にまで簡単にばれてしまうようだ。ちょっと残念。
「まあ、そんな事はどうだっていいのよ。私が知りたいのは、貴女が何をどう悩んでるか。他人との関係に関してどれくらい助けになれるかは分からないけど、話を聞くくらいならしてあげられるわよ?」
そんなことはない。私の交流が広がったのもお姉様のおかげだ。お姉様がいなければ、いつまでも閉じた世界のままだった。
そもそも私に関するどんなことにも始まりにはお姉様がいる。それくらい、私の中でのお姉様の存在感は大きいのだ。
でも、今はそんなことを声高に主張したって仕方がない。だから、代わりに相談に乗ってもらう。その中で、お姉様はちゃんと役に立ててるんだと知ってほしい。わかってほしい。
「うん、お姉様の言う通りこいしのことを考えてたんだけど――」
先ほどまで考えていたことを言葉にする。とはいえ、具体的なことはあまり考えていなかったから、こいしに対する印象とかそういったものばかりとなってしまう。
それでも、お姉様は真剣に聞いていてくれた。
「会いに行けばいいじゃない」
私が話し終えたときにお姉様が私に向けてきたのは、そんな極簡単な言葉だった。余計な修飾は何一つ付いていない。
「で、でも、どうしていいかわからないんだよ?」
「数日考えてもわからない問題の答えが、考える時間を増やしただけで出てくるとは思えないけどねぇ。無駄に時間を過ごすよりは実際に会いに行って、話を聞きに行く方がずっと有意義だと思うわよ?」
「……たぶん、私が会いに行ったら、また機嫌を悪くすると思う」
それに、余計なことを聞かれるのをものすごく嫌っているような態度をしていたし。
「んー、まあ、確かにそれはありそうね」
そう言って、お姉様は考え込む。
「……咲夜のお菓子で機嫌をよくする、とかはどうかしら?」
「え……、突然そんなのを持っていくなんて不自然じゃないかな」
そもそもお菓子のひとつふたつでこいしとの最悪の相性がどうにかなるとも思えない。食べている間は上機嫌でも、私が話しかけた途端に不機嫌になることだって十分に考えられる。
「大丈夫よ。館まで案内してもらったお礼とでも言っておけば、何も不自然な所はないわ」
「それは、確かに不自然さはないかもしれないけど……、お菓子だけで相性の悪さってどうにかなるのかな?」
「心配性ねぇ。まあ、駄目だったら駄目で別の手段を考えてみればいいんじゃないかしら? ねえ、パチェ、その時は貴女も一緒に考えてくれるでしょう?」
そう言って、私の背後に目配せをする。
意識せずにほとんど反射的に振り返ってみると、そこには本を抱えたパチュリーがいつの間にか立っていた。今まで全然気配を感じなかったから驚いてしまう。
「いいわよ。レミィの頼みなら断れないしね」
「ありがとう。それと、今日もちゃんと元気そうね」
「ええ、おかげさまでね」
お姉様の言葉に笑みを浮かべて答える。普段はあまり感情の変化を見せないパチュリーも、お姉様の前でだけは雰囲気が柔らかくなる。友達同士だからだろう。
「まあ、きつい態度を取っていたとしても、本心までそうだとは限らないし、しつこく付き纏ってみるのもいいと思うわよ」
本をテーブルに置きながら、パチュリーはお姉様の横に座る。二人ともこちらに視線を向けてきているから、少々居心地が悪い。
お姉様の視線だけなら全然大丈夫なんだけど、それ以外となるとよく見知った相手だろうとも、とたんに耐えられなくなる。
「レミィはそうだったわよね?」
「別に取りたくてきつい態度を取ってたわけじゃないわよ。私たちの所に来るのが敵ばっかりだったから自然とそうなってただけ」
「ええ、知ってる」
少し拗ねたようなお姉様の様子に、パチュリーがおかしそうに答える。パチュリーと話しているときのお姉様は対応がどこか子供っぽくなる。そこに、お姉様の友達であるパチュリーと妹である私との差が生まれる。
甘えることはできるけど、頼ってもらえることはない。そのことを少し残念に思う。
「だから、フランが気にしているこいしも、何か事情を抱えてるんじゃないのかと思うのよ。私たち、というか魔理沙が対峙した時は誰にでも関わっていきそうな雰囲気は持っていたし」
「……もしそうだとしたら、余計に会いに行きにくいよ」
そんな他人を避けたがるような事情を抱えている人と関わることができるとは思えない。そのことばかりを気にしすぎて、ぎくしゃくした感じになってしまうと思う。もともと相性が悪いのだから、もはやどうしようもないほどの溝ができてしまうのではないだろうか。
「レミィに一目惚れした私は、何か事情を抱えてそうだと思ってもしつこく関わってみたわ。だから、出会ったその日からこいしのことを気にしているという事は、フランも一目惚れしたのではないのかしら? その勢いがあればどうとでもなるわよ」
「……その表現は誤解を招く気がする」
なんとなく言いたいことはわかるけど。
要するに、出会ったそのときに仲良くなりたいと強く思ったとか、そういうことを言ってるんだろう。
でも、私の中にそういった気持ちはないと思う。本当に純粋にこいしのことが気にかかっているだけなのだ。どうしたいという気持ちは、全然ない。
「そうかしら? でも、レミィとなら恋仲になってみるのも悪くはなさそうね」
「私はそんなのごめんよ。恋だと愛だとか難しい事考えるのは面倒だし」
「とか言いながら、子供たちにはしっかりと愛を注いでるのよね」
「ん? ……ああ、そうね。気が付けばそうなってたから、特に何かを考えてた訳じゃないけれど」
お姉様は首を傾げて少し考えた後、パチュリーの言ったことの意味を理解したようだ。
私はすぐに理解できた。お姉様の反応を見ていると、誰かにどれだけ大きな影響を与えているかという自覚がないんじゃないだろうかって思うことがよくある。
「一人は予想以上に立派に育ってくれたんだけど、もう一人はまだ私の力を必要としてるのよねぇ。いつになったら、立派になった姿を見せてくれるのかしらね」
試すような、問いかけるような視線をこちらに向けてくる。このときばかりは、お姉様の視線でさえも真っ正面からは耐えられなくて、わずかに視線をそらしてしまう。
そんな私の様子を見たお姉様におかしそうな笑みを浮かべられてしまって、余計にいたたまれなくなる。
「まあ、でも、今まで他人に興味を抱くような事がなかった貴女が、今は少し交流があっただけの他人に興味を抱いてる。きっかけはともかくとして、今回の事は絶好の機会なんじゃないかと思うのよ」
お姉様が穏やかそうな表情を浮かべる。そんな顔をされると、何でも言うことを聞いてしまいそうになる。たとえ、心の底から無理だと思っていても。
「だから、貴女は明日、こいしに会いに行きなさい。お礼もせずにそのままという訳にもいかないでしょう?」
「う……、そう、だよね」
しかも、逃げ道を塞がれてしまった。言い訳しつつなんとか逃れようとか考えるけど、何も思い浮かばない。
だから、悩んで考えて私なりに延ばせるだけ延ばしたあげく、
「……わかった、明日行ってみる」
仕方なく、そう決めたのだった。
私の返事を聞いたお姉様は満足そうな笑みを浮かべていた。
ここで悔しいとか思わない時点で、私はお姉様には絶対に勝てないんだろうなぁ。
◆
翌日、お姉様に告げたとおり地霊殿へと向かった。流されるような形ではあったけど、自分で決めたことなんだからうじうじと悩んでも仕方がないと無理矢理意気込んで。
館を出る前に、お礼の品であるクッキーの詰め合わせを咲夜から渡された。移動の途中に割れてしまわないようにと、魔法で作り出した空間の中に納めてある。
このクッキーを渡すだけで十分なのではないだろうかなんて、会う前から及び腰になってしまっている。でも、それだと意味がない。最悪の場合でも、私がこいしへの興味を失ってしまうくらいの収穫がないといけない。
そのために、昨日の夜の間に気になっていることの質問をまとめておいた。
そうやって、自分なりにどうするかは決めているけど、こいしが素直に答えてくれるかという、私からはどうしようもない問題は残っている。そもそも会ってくれるんだろうか。
とまあ、そうやって考えごとをしながらも遅々と足を進める。こいしの言葉があったから、地霊殿の前までは魔法で姿を消して真っ直ぐに飛んできたけど、その後からはほとんど前に進んでいない。
さらわれたという事実があるせいで、怯えて前に進めないのだ。正面から行けばだいじょうぶだということをパチュリーが言っていたけど、大した支えにはなっていない。
それでもがんばって足を進めて、後は扉を叩くだけというところまでは距離を詰めた。でも、私をさらった犯人が出てきた場合、どうなるんだろうかと考えてしまって扉を叩くことができない。
そうやって玄関の前でうだうだと考え込んでいると、不意に扉の軋む音が聞こえてきた。
驚いた私は、すでに逃げ腰になっていたということもあって、反射的に背中を向けて逃げ出しそうになってしまう。
「あっ! 待ってください!」
でも、呼び止める言葉が思っていたよりもずっと丁寧だったから、なんとか踏みとどまった。
開かれた扉の向こう側に立っているのは、こいしに似た容姿をしている人だ。紫の髪はこいしとは色が違うけど癖が似ていたりと共通点が見られる。
最も際だっている共通点はやはり胸の辺りにある赤色の目のような物だろう。こいしのものとは違ってその目は開かれていて、妙な存在感がある。作りものめいた瞳がこちらをじっと見つめてきていて、なんだか怖い。目から伸びる紐のようなものもこいしよりも多く、六本の紐が複雑に絡み合うようになっている。
この人が古明地さとりで間違いないだろう。地霊殿の主で、こいしの姉。それから、心を読むことができる、だったっけ。読めないこいしの方が覚りとしてははみ出し者らしいけど。
「ああ、自己紹介は必要なさそうですね。……先日は、申し訳ありませんでした」
さとりが謝罪の言葉を述べながら深々と頭を下げる。そういうふうにして謝られたことがないから、困惑してしまう。
それに、さとり自身が犯人だというわけでもないから、どういう感情を抱くべきなのかもよくわからない。
「えっと……、なんで、私は連れ去られたりしたの?」
とにかく頭を上げてもらいたくて、とっさに思い浮かんだそのことを聞いてみる。
コレクションの一部にしたかったからだとかだといやだなぁ。私が入れられていた部屋のことを思い出しながら、そんなことを思う。
「うちのペットが、……私をこいしに会わせようとしたから、です」
さとりは言うか言うまいかを悩む素振りを見せたあと、そんな予想さえもしていなかったことを口にしたのだった。
「……それって、どういうこと?」
言われたことの意味がよくわからなかった。でも、なんだか深刻なことが起こっているような気配を感じ取る。
「ここ半年、こいしは私たちに姿を見せていません」
さとりが口にした事実は、私の持っている常識からすれば大きく逸脱していることだった。
でも、不思議と衝撃はそれほど大きくなかった。もしかしたら、こいしと関わっている間に、理性とは関係のない部分でそのことを感じ取っていたのかもしれない。
さとりに案内してもらったのは、こじんまりとした食堂だった。大きな木造のテーブルが一つと、同じく木造の椅子が数脚置かれているだけだ。
「これでも地底では一番大きいそうですよ。座って待っていてくださいますか?」
「あ、うん」
私が頷くと、さとりは食堂の奥へと向かった。向こう側が厨房になっているのだろう。それにしても、どこに行っても私の普通はずれてるんだなぁ、と思い知らされる。
ずっと館にいたから、そこでのことが私の普通の基準となっているけど、どうやら一般的な普通とは大きく逸脱しているようなのだ。
外に出始めた頃はそんなことにもいちいち驚いていたけど、今ではすっかり慣れてしまった。
そんなことを思いながら、適当な椅子に座らせてもらう。
そして一息つきつつ、玄関からここに向かうまでの間に聞かせてもらったことを頭の中で反芻してみる。
さとりは言っていた。こいしは半年ほど前から姿を見せなくなったのだと。でもそれは、地霊殿に帰ってきていないということではないらしい。
食事を用意すればいつの間にか一人分なくなっているし、洗濯物も気がつけば一人分増えていたりする。そうして、こいしがいるという確かな痕跡があるにも関わらず、姿を見た者は誰もいないというのだ。
姿を見せなくなる前も、二、三日帰ってこないというのはよくあり、数日帰ってこないというのは時々あったそうだ。でも、帰っているにも関わらず姿を見せないということはなかったらしい。どちらかというと、わざとらしいくらいに姿を見せていたそうだ。
そんな折に、この状況を是としないさとりのペットのうちの一匹が独断で行動し、私を連れ去ったとのことだ。そのペットの言い分は、好奇心の強いこいしが興味を持って姿を見せてくれるんじゃないだろうかと思ったとのこと。
その思惑通り、こいしは私に興味を持ったようだけど、力を使って私を部屋から連れ出したから意味はなかったようだ。
それにしても、どうしてこいしはさとりやペットたちを避けるようにしながら、傍にいるようなことをするんだろうか。
他人を避けるように力を使っているのとそのこととは、何か関係があるのだろうか。
ここまで移動する間はさとりの話を聞かないと、と思って思考は止まっていたけど、こうして一人になるとぐるぐると思考が空回りし始める。
考えるには考えるんだけど、堂々巡りで考えはまとまらない。昨日までの私と同じ状態だ。深刻な状態だというのを聞いた分だけ、空回りの具合も酷くなっているような気もする。
「フランドールさん」
と、不意に思考の間に声が割り込んできた。
「あっ、わ、ご、ごめんなさいっ」
びくりと肩を震わせながら、反射的に謝る。こっちから訪ねたのに、考えごとに没頭していたことに申し訳なさを感じる。
「いえ、気にしなくてもいいですよ。私のペットが勝手なことをしなければフランドールさんが関わることもなかったのですから」
ことり、と小さな音を立てながら取っ手の付いた大きめの白磁のコップが置かれる。容器の中では微かに湯気を立てるココアが小さく揺れていた。
今更ながらに甘い香りが部屋の中に漂っていることに気づく。あれこれ考えていて、頭の中がぐちゃぐちゃになってしまっていても、気づいた途端に意識は甘い物の方へと向かってしまう。
単なる逃避なのかもしれないけど。
「えっと、いただきます」
せっかく作ってくれた物を味わうときにまで、うじうじと考え込んでいたら失礼かと思い、意識はそのままココアの方へと向けておくことにした。しばらくすれば、また考えることになるだろうし。
「はい、どうぞ」
さとりが柔らかな微笑みを浮かべる。さとりが纏っている雰囲気と違わない微笑み方だ。
たぶん、さとりの傍は居心地がいいんだろうな。心を読むことで忌み嫌われていると聞いたけど、大したことを考えてない私にとっては特に気にならない。だから、さとりを嫌ってる人たちはもったいないことをしていると思う。
まあ、私にとって一番居心地がいいのは当然お姉様のいる場所だけど。
そんなことを考えながら、私の手には少し大きなコップを両手で包むように持ち上げる。警戒するように触れてみたけど、ちょうどいい温度に調節されているようで、持ち上げてみても熱くはなかった。心地よい温かさが手に伝わってくる。
コップに口を付けて、ココアを口に含む。そうすると、ほわりとした暖かさと一緒に幸せにも似た甘さが広がった。なんだか身体だけじゃなくて、心も暖められていくような気がする。
「……おいしい」
コップから口を離したとき、自然とそんな言葉がこぼれてきていた。
ただただおいしいものを作るのではなく、誰かを想って作り始めたものなんだろうか。一時期、お姉様が作ってくれた料理のことを思い出す。あの料理を食べたときも、同じような暖かさを感じたのだ。
「ありがとうございます」
さとりが、顔を少し伏せて恥ずかしそうに言う。褒められることに慣れていないのだろうか。頬が少し赤く染まっているのが見える。
私も私で、誰かを褒めてそんな反応をされたことがなかったから、ちょっと反応に困ってしまう。でも、いやな感じはしない。
「あの子の、こいしの好きな飲み物なんですよ。まだ普通に姿を見せてくれていたときは、帰ってくる度に作ってあげていたんです」
一言一言大切そうに言葉を紡いでいく。さとりが姉として、こいしのことを本当の本当に大切に想っているのだというのが伝わってくる。
でもだからこそ、さとりから聞いた現状を思い出して胸が苦しくなってくる。
どうして、こいしはこんなにも想ってくれているさとりを避けるような行動を取るんだろうか。
「……避けられている事は、構わないんです」
そうは言っているけど、その声は寂しそうで、構わないと思っているとはとても思えない。
「でも、寂しそう」
「そう、見えてしまいますか……。ですが、私があの子にあれこれ言うべきではないと思うんです。あの子が独り立ちをしたいというなら、私に止める理由もありません」
そう言われると、口を挟むことはできなくなってしまう。同じ姉という立場にいるお姉様も、時々私に独り立ちをしてほしいと言う。そこにさとりのような寂しさが見えたことはないけど、もしかしたら私のいないところでは寂しそうにしているのかもしれない。私が知っているのは、私の前にいるお姉様だけなのだ。
独り立ちしてほしいから関わらなくてもだいじょうぶなんて言う理由は理解できない。だから、妹である私からは何を言っても無駄なんだろうと思ってしまう。
私にとって姉というのは絶対的な存在であって、決して理解の及ばない存在なのだ。
でも、なんとなくだけどさとりは現状について納得していないような気がする。それが私の中に何かもやもやとしたものを作り出して、これでいいんだろうかという気持ちになってしまう。形がはっきりとしていないから、言葉にできない。そして、そのことがひどくもどかしい。
「ただ、こいしには独りではいて欲しくないと思うんですよ」
私が考えていることを無視するかのようにさとりはこいしへの願いを口にする。でもそれは、はたして何番目の願いなのだろうか。
「嘘偽りなく一番目ですよ」
淡々と告げる様子に、本当に何も言えなくなってしまう。何にも知らない私が口を挟める余地がどこにもない。
「フランドールさん。よろしければ、こいしの友達になってあげてくれませんか?」
そして、これ以上私の追求を避けるかのように、そんなお願いをしてきた。納得はできていないけど、強く押していけない私は、そんなことだけで諦めの気分になってしまう。
「それは、できないと思う」
でも、だからといって流されてさとりの言葉を聞き入れるということはない。私のこいしとの相性は最悪だというのは、よくわかっているから。
正直に言うと、今日こいしに会うことさえ少し怖いと思っている。少々無理にこうしてここに来たせいか、苦手意識が表面化してしまったようなのだ。
私がこんな状態で友達になれるとはとても思えない。
「そう、ですか」
さとりもそれ以上言う事を失ってしまったようで、俯いて黙ってしまう。気まずい沈黙がお互いの間に流れる。
「……えっと、こいしにお礼を言いに来たんですよね? 現れるかどうかは分かりませんが、部屋に案内しましょうか?」
しばらくして、さとりが今までの会話をなかったことにするかのようにそう聞いてきた。
私はそれに救われたように何度か頷いて、ココアの残りを一気に飲み干した。
冷めてしまっていてもおいしかったけど、暖かさが失われてしまっていたことをもったいないなぁ、と寂しく思った。
「ここが、こいしの部屋です」
黒と白のチェックのタイルとカラフルなステンドグラスの廊下をさとりについて歩いていると、ある部屋の前で立ち止まった。通り過ぎた部屋の扉はどれも代わり映えがしなかったけど、ここの扉には『こいし』と書かれた青いハートのネームプレートがかかっている。
さとりが扉を叩いてしばらく待ってみるけど、反応はない。今はいないのか、それとも私たちのことを無視しているのか。
少し諦めたようにそう考えていると、さとりが突然ノブを回して扉を開けた。
視界に入ってきたのは中に誰もいない、空っぽの部屋だった。
でも、勝手に入ったりしても大丈夫なんだろうか。私は部屋に勝手に誰かが入ってきてもいやだとは思わないけど、普通はいやがったりするものだと思う。
「大丈夫ですよ。こいしは自室を寝るためか休憩するための場所だと思っているので、あの子が部屋にいるにも関わらず勝手に入らない限りは怒ることはないと思います」
さとりの言葉を証明するかのように、部屋に置かれている物は極端に少ない。テーブルと椅子、ベッド、クローゼットといった必要最低限の物しか目に入ってこない。私の部屋の方が広いはずなのに、この部屋の方が広い感じがする。物が少なくて、空虚さを感じるせいだろうか。
「では、帰ってくるかどうかはわかりませんが、くつろいでお待ちください」
「うん。ありがと、ここまで案内してくれて」
本当は一緒にこいしのことを待って、三人で話をしようと言いたかった。そうするべきだと思った。
でも、さとりの様子を思い返すと断られてしまうような気がして、呼び止めることができない。
「私の代わりに色々と話してあげたり、聞いてあげたりしてください。あの子は私のことは気に入らないようですし」
「……」
そんなこと、言わないでほしかった。でも、現実としてこいしはさとりのことを避けているから、何も言うことはできない。
それに、さとりの方が私よりもずっとこいしのことを知っているというのは確実だ。こいしの姉だし、心も読むことができるのだから。
でも、だからこそ正面から向き合えばこいしを連れ戻すことができるのではないだろうか。いや、でも、それならそもそもこんなことにはなっていなかったのではないだろうか。
何がどうして、それをどうすべきなのか全くわからない。
「私のことは気にしないでください。こいしのことだけを考えて、どうやって仲良くするかだけを考えれば十分ですよ」
「そんなこと、できない」
私は姉妹というのは仲がいいものであってほしいと思っている。実際は全ての姉妹でそうあるというのは不可能だろうけど、さとりとこいしの二人は仲良くできるんじゃないんだろうかって信じてる。さとりが作ってくれたココアの柔らかな暖かさが私にそう思わせる。
「いいえ」
短く否定の言葉を告げられる。私の思考のうちのどれだけを否定されたのか正しくはわからないけど、自分はこいしと仲良くすることはできない。そう言っているかのようだった。
「私には、あの子の心は見えませんから」
やっぱり寂しそうな声だった。それだけに、どう受け止めて、何を言えばいいのかわからなくなる。
でも、一つだけ理解する。さとりとこいしの間には何か妙な距離があると。
「では、私はこれで失礼させていただきます」
さとりが逃げるように部屋から出ていく。
私はそれを止められず、小走りに遠ざかっていく背中を視線で追いかけることしかできなかった。
◆
「他人の部屋で何してるの?」
「……っ!?」
突然聞こえてきた声に、びくりと身体が震えた。私の大きな動きに合わせて、椅子ががたりと音を立てる。
椅子に腰掛けて、こいしがさとりやその周辺の人たちを避けているということ、さとり自身もこいしを避けているような様子をしていたことを考えていたせいで、かなり驚いてしまった。
心臓が早鐘を打っている。それをなだめるように、左胸に手を当てる。どくどくと高鳴っているのがよく分かる。
「お、おかえりなさい、こいし」
顔を上げてみると、不機嫌そうなこいしの顔が目に入ってきた。一応予想して心構えをしていたはずなんだけど、さとりから聞いたことを考えてたせいか、もしくはそもそも心構えが足りなかったせいか、すでに及び腰だ。
「ここ、私の家であってフランの家じゃないんだけど」
不機嫌な上に、怒っているような雰囲気もある。あんまり他人と関わることのない私でも、毛嫌いされているらしいというのはいやでもわかる。
「そうだけど、私の方が先にここにいたから、そう言うべきかなって」
「普通はお邪魔してますとかじゃない?」
「あ……、そっか。えっと、お邪魔してます」
少し冷ややかな視線を向けてくるこいしの指摘に納得して、頭を下げつつそう言い直す。誰かの家を訪れることがなかったから、とっさに思い浮かんでこなかった。
「……非常識だね」
「う……、ごめんなさい」
自覚しているだけに何も言い返せない。
「それで、わざわざ私の部屋まで何しに来たの?」
こちらに用件を聞いてきながらも、声は刺々しく、関わるつもりがないというのが伝わってくる。何を言っても最終的には追い出されてしまいそうな気がする。
「こいしに館まで案内してもらったお礼が言いたくて。この前は、ありがと。それで、私たちの従者が作ったお菓子を持ってきたんだ」
あらかじめ用意していた言葉を告げる。ただ、怯えのせいか思ったよりも早口になっていた。
魔法空間からクッキーの入った黄色いリボンでラッピングされた青色の少し大きな袋を取り出す。
どうやら興味を持ってくれたようで、こいしの視線は私の手を追っている。
「ど、どうぞ」
おずおずと袋を差し出す。刺すような視線を向けてきているのと、こういうときにどうやって渡すのがいいのかがわからなくて、かなりぎこちなくなってしまう。
しかも、なかなか受け取ってくれないから、さらにどうしていいかわからなくなってしまう。こちらから何かをすべきなのか、それとも受け取ってもらえるまで待っているべきなのか。
でも、仮に何かをした方がいいにしても、それはそれでどうしていいかわからない。だから、結局、固まってしまったように動きを止めたまま、こいしが受け取ってくれるのを待つことしかできない。
「……私は、お礼がされたいわけじゃない」
「……何か、別にしてほしいことがあるの?」
こいしの潜めたような声につられて、私まで潜めたような声となってしまう。
「そんなこと言ってないっ」
自分の発言を誤魔化すように言いながら、私の手から袋をひったくる。乱暴に掴んだから、クッキーの潰れるような音が聞こえてきた。
そのことを残念だと思うよりは、こいしの態度が気になった。そうやって誤魔化すような態度を取るのは図星だからなのか、単に私に知ったような態度を取られるのが気に入らないのか。
「これで用事は終わり?」
冷たい視線でこちらを見下ろして、すぐに出て行けという雰囲気を醸し出している。その威圧感に圧倒されそうになってしまうけど、それではここまで来た意味がないと意気込んで、なんとか言葉を紡ごうとする。
「ね、ねえっ。なんで、さとりを避けてるの?」
地霊殿に着くまでは一切考えていなかった疑問。でも、さとりの話を聞いてから一番大きくなってしまった疑問。
「あなたには関係ない。勝手に私の領域に入り込んでこないで」
冷え冷えとした声で突き放される。
関わってくるなと、拒絶される。
それでも、さとりの作ったココアや、寂しそうなさとりを思い浮かべると簡単に後には引けない。
「で、でも、私はこいしがさとりを避けてるから、さらわれたわけだし、関係ない、ってことは、ないと、思う……」
自分がなんだか無茶苦茶なことを言っているような気がして、最後の方は掠れたようになってしまう。でも、さとりのペットがさとりをこいしと会わせるために私をさらったというのは事実だ。だから、間違ってはいないと思う。
なんだかこいしの不機嫌そうな態度を前にしていると、どんな自信も失ってしまいそうな気がする。
「なに? お礼じゃなくて、文句を言いに来たの?」
「そ、そういうわけじゃ、なくて」
こいしがテーブルに手をついて、顔を近づけてきた。
不機嫌そうな表情が間近にあることに、たじろいでしまう。でも、まだこのまま引き下がるわけにはいかない。せめて、何か納得する答えを引き出したい。
だから、その場に踏みとどまるようにして気を引き締める。更に不機嫌そうになってしまったら、簡単に一歩後ろに下がってしまいそうだけど。
「……ただ、こいしがさとりのことを避けてるのは、いやだな、って」
一言にしてしまえば、本当にただそれだけ。でも、だからこそ、抗いがたいほどに強く、私らしくないとはわかっていても、口に出してしまう。
「ふーん……」
心底どうでもよさそうに呟いてこいしが離れる。その無関心さは私の言葉だからなのか、それともさとりの話だからなのか。
前者なら別にいい。私がこいしにとって他人で、受け入れがたいということはわかっているから。
でも、もし後者なのだとしたら、それほど悲しくて寂しいことはないと思う。こいしがさとりを避けているのは、無関心やそういったものではなく、もっと別の理由があるんだと思いたい。
たとえ、世間知らずの勝手な思いなのだとしても。
「……ねえ、そのクッキー、さとりと一緒に食べてくれないかな。一人で食べるよりはきっと、ずっとおいしいと思うよ」
たぶん、私の言葉なんて聞き入れないだろうと思いながらも、抗うようにそう口にする。
「あなたに指摘されるいわれなんてない」
「そう、だよね。……ごめんなさい、勝手に部屋に入っちゃったりして」
これ以上は何を言っていいかわからず、立ち上がって部屋から出て行こうとする。
最初から私にどうすることもできないことはわかっていたけど、無力感に襲われる。
本当に何もできないんだなぁ、私。
「目障りだから、もう二度と近づいてこないで」
「……うん」
こいしの拒絶に、私は頷くことしかできなかった。
◆
こいしの言葉に打ちのめされた私は、頼りない足取りで館へと帰ってきた。
帰り際にさとりに挨拶をしたのは覚えているけど、その後のことは全然覚えていない。地霊殿を出たら館に着いていた。まさにそんな感じだ。
開いた覚えはないのに、日傘はしっかりと私を日光から守ってくれていた。開いてなければ、道中で倒れてたんだろうけど。
「お帰りなさい。……随分と傷付いてきたみたいね」
「あ……」
館に入ると、出迎えてくれたのはお姉様だった。有無を言う暇もなく抱きしめられる。
その瞬間、全身から力が抜けるのを感じた。身体をお姉様に預けて支えてもらうことで今の私は立っている。
お姉様はそんな私の頭を撫で始める。何も言わず、ただただ優しく撫でてくれる。
今になって私はようやく気づく。こいしの拒絶の言葉に自覚していた以上に傷ついていたということに。
昔だったら、私が自分自身のことを否定することはあった。
私は必要ない存在だ。私は周りを傷つけるだけで捨てられるべき存在だ。そんなことを毎日毎日繰り返し繰り返し続けていた。
でも、誰かに面と向かって拒絶されるようなことは一度もなかった。なぜだか知らないけど、お姉様を筆頭として周りに私を否定する人はいなかった。
だからだろう。こいしの拒絶で前後不覚に陥るほど傷ついてしまったのは。
「お姉様」
「ん? 何?」
「私……、どうすればいいのかな?」
何も考えられないほどのショックは受けたけど、こうしてお姉様に抱きしめられて頭を撫でてもらって冷静になってくると、やっぱりさとりとこいしのことが気になってくる。姉妹の間で何か問題がありそうだから、なおさらだ。
「突然そんなことを聞かれても困るわよ。私は何があったのか知らないんだから。貴女のやりたいようにやればいいと言われたい訳でもないんでしょう?」
苦笑の混じったお姉様の声。お姉様の言うことはもっともだ。
さとりとこいしのことに関して見聞きしてきたことは何も話してない。いくら私の考えていることを見抜くことのできるお姉様でも、知らないことはどうしようもない。
「でも、大丈夫? これ以上踏み込もうっていうつもりなら、今回以上に傷付けられる可能性だってあるわよ」
「それは、そうかもしれないけど……」
だからといって、無視することもできない。見なかった、聞かなかったと思い込もうとしても、今までのように集中力がどこかへと飛んでいってしまうような気がする。
だったら、納得ができるまで関わっていった方がいいんじゃないだろうか。
「まあ、貴女がそうしたいって言うんなら止めはしないわ。ただ、そういう覚悟はしておいた方がいいって言いたかっただけ」
背中を優しく何度も叩いてくれる。でも、お姉様の手が触れる度に覚悟という言葉が重くのしかかってくる。
「フラン? なんだか身体が強張ってきてるわよ?」
「え? あ、う……、覚悟、なんてできるのかなって思って……」
「これは、行動に移せるまで長そうねぇ。まあ、向こうから会いに来たりすればそんな事言っていられなくなるでしょうけど」
「……それは、絶対にないよ」
面と向かって二度と来ないでほしいと拒絶してきたのだ。そんなこいしが自ら会いに来るとは思えない。
「ふーん、そう? なら、貴女自身で何とかするしかないわね」
お姉様が私の身体を放す。でも、完全に脱力していて、お姉様に支えられていることで立っていた私は、その瞬間に倒れそうになってしまう。
なので、お姉様に両肩を押されることでなんとか倒れずにすんだ。お姉様は、呆れたように私を見ている。
「なんだか頼りないわねぇ。本当に大丈夫?」
「……大丈夫じゃない、かも」
もともと自信なんてなかったところに、覚悟なんて言葉が出てきたのだ。雀の涙程度しかなかった自信も、簡単に涸れ果ててしまう。
「でも、諦めるつもりはないのよね」
強い意志の宿った紅い瞳でじっと見据えてくる。対して、同じ色であるはずの私の瞳は、躊躇や不安で揺れているのだろう。
それでも、私は頷いた。諦めるつもりがあるかどうかではなく、諦められないのだ。姉妹の仲というのは、私の根底にある大切なものだから。
たとえそれが他人のものだろうと、関係なく気になってしまうのだ。
「よし。それならいいわ」
そう言って、肩から手を離す。今度は、バランスを崩すことなくちゃんと一人で立つことができた。
「とりあえずパチェの所に行きましょう。そこで、今日貴女が見聞きしてきたことを聞かせてちょうだい。どうするのがいいか一緒に考えてあげるから」
「うん」
私が頷くと、お姉様は図書館の方へと向かい始める。私はその背中を何の疑いもなく追いかけた。
◆
自室の真ん中にあるテーブルに据え置かれた椅子の一つに座って、一人考えごとをする。
昨日、お姉様たちに相談に乗ってもらった結果、さとりと話をしに行くべきだということになった。
お姉様もパチュリーもそして私自身も、こいしと話をするのが最重要だと思っていたけど、こいしの力とあの態度、それから会いに来るなと言ってきたことから、こちらから会いに行くのはほとんど不可能だという結論が出てきた。
私が何度も地霊殿に行って、こいしの部屋に居座っていたらそのうち出てくるかもしれないけど、会いに来るなと言われた矢先にそんなことをする度胸はない。だから、代わりというわけではないけど、さとりに会いに行って、とりあえず情報収集をすべきだということになった。
そんなわけで、今はさとりに何を聞こうかと考えている。
ただ難しいことが一つある。それは、昨日のさとりの態度は自分の気持ちや考えを隠しているようだったということだ。
相手は心を読めるわけだから、半端な気持ちで臨んでも簡単にいなされてしまうと思う。そもそも、私は相手の裏の心情を予測しつつ話を進めるなんてことをしたことがないから、例え心を読まれていなかったとしても、さとりから情報を引っ張り出すのは難しい気がする。
お姉様は心を読めることを逆手にとって、根拠のない確信を持っていどめばなんとかなるんじゃないだろうか、みたいなことを言っていたけど、まずその根拠のない確信を持つことが難しい。
このままでは、いつになってもさとりの所へと向かえない気がする。
お姉様たちは大まかな行動の方針は考えてくれたけど、質問することの内容のような具体的なことまでは決めてくれなかった。お姉様は関わる本人が一番わかってるだろうからと、パチュリーは自分で悩んで結論を出した方が柔軟に対応できるからとそれぞれ言っていた。
だから、一人で考えるしかないんだけど、答えが出てくる未来が見えてこない。
「フランドールお嬢様。紅茶をお持ちしました」
「あ。ありがと」
私の集中力が散漫になるころを見計らったかのように咲夜が現れる。手には銀色のトレイがあり、白磁のティーポットとカップ、それからマフィンの並べられたお皿が乗せられている。
カップはなぜか二つある。時間を操ってほとんど一瞬でお茶の用意ができる咲夜がその場にいない人の分まで用意するのを見たことがない。
私の疑問をよそに、咲夜はテーブルにお皿とカップ二つを並べる。もしかして、誰かがこの部屋に来るんだろうか。それぐらいしか考えられないけど、お姉様が来るなら席に着いてから用意を始めるはずだ。
「咲夜。そのカップは何?」
対面の席に置かれたカップを指さして聞いてみる。
「すぐに分かりますよ」
悪戯っぽい笑みを浮かべてはぐらかされてしまった。なんだろうか、この反応は。
釈然としない気持ちを浮かべる私を気にした様子もなく、咲夜はカップに紅茶を注ぐ。すると、柔らかな香りが広がった。
いつもとは違うようだ。なんだかとても落ち着く。この釈然としない気持ちもどうでもよくなってきた。
「いつもと違う紅茶?」
「はい、そうです。朝からずっと考えごとをしているようなので、心を落ち着かせることのできるようなブレンドにしてみました。早速効いてきましたか?」
「うん。ちょっと落ち着いてきたよ」
今なら先ほどまで考えていたことをもう少し冷静に見つめられそうだ。だからといって、解決策が出てくるということはなさそうだけど。
「何かいい案は思い付きそうですか?」
「……ううん、どうしていいのか全然わかんない」
咲夜には何も話していない。でも、咲夜はいつだって館の中でのできごとを誰よりも把握している。
だから、当たり前のように私が何に悩んでいるのかわかっていても不思議だとは思わない。
「やはりそうですか。そんなお嬢様のために素敵な訪問者をお連れしてきました」
そう言うと、咲夜の前に誰かが現れる。あまりにも意外すぎる人物の登場で、一瞬誰なのかわからなかった。
「……別に、フランに会いたくて来たわけじゃない」
ものすごく不機嫌そうなこいしがこちらを睨んでくる。咲夜に肩を押さえられ、自由に動けなくなっているようだ。
私は、驚きを隠すこともせずに、目で咲夜にどういうことかと問いかける。
「厨房でつまみ食いという不届きなことをしようとしていたところを捕らえたので、こうしてフランドールお嬢様の所へ連れてきたんですよ。お嬢様がこいしのことを気にしている事は伺っていましたので」
そう言って、こいしの肩から手を放す。こいしは逃げ出そうとする様子も見せず、じっと私の方ばかりを睨みつけてきている。私はどうやってこいしを受け入れればいいのだろうか。
咲夜は私たちの間の妙な雰囲気の中でも、平然とした様子でもう一つのカップにも紅茶を注いでいく。なんとなく楽しそうに見えるのは気のせいだろうか。
「では、私は失礼させていただきます。お二人ともごゆっくりとどうぞ」
そして、紅茶を注ぎ終えるとすぐに姿を消してしまった。もともと気まずかった空気が余計に気まずくなってくる。図書館に逃げ込もうかと一瞬考えたけど、こいしをこのままにしておけないとも思って、ここにとどまることを選ぶ。
「えっと、とりあえず座ったら……?」
昨日拒絶されたばかりだから、どう接すればいいのかがわからない。だからといって、何もしないというわけにもいかないだろうから、とにかく私の対面の椅子に座ることをおずおずと勧めてみる。
「ねえ、なにあれ」
でも、こいしは椅子に座ることなく、かなり端的な質問を飛ばしてきた。流れからして咲夜のことを聞いているのはわかるけど、その意図がわからない。
だから、とりあえず紹介をしておく。その中にこいしの望んでる答えがあるかもしれないし。
「名前は十六夜咲夜で、この館のメイド長をやってて、こいしにあげたお菓子を作ったのもあの人だよ」
「そういうことじゃなくてっ。なんで、能力を使ってる私のことを見つけられるのかってことっ!」
「え、っと、……咲夜は、いっつも館中に気を配ってるから、それでこいしに気づいたの、かも」
「でも、私は気づかれないように力を使ってた。それでも気づかれたのはなんで?」
「えっと、……なんでだろう」
咲夜には完璧な存在でなんでもそつなくこなせるというイメージがある。さらには、神出鬼没ということもあって多少枠を外れたようなことをしても不思議ではない。
そんな説明だと、こいしは納得するどころか怒り出しそうな気がするから言わないけど。
「役立たず」
「……だったら、咲夜に直接聞いてみればよかったんじゃないかな?」
「……やだ」
何故か拗ねたようにそっぽを向く。興味があることには食いついていくものだと思っていたから、なんとなくだけどらしくないような気がした。
「えっと、なんで?」
「フランには関係ないっ」
怒ったような口調で答えて、私の対面の椅子に座る。でも、私の顔を見たくないのか、マフィンを手に取ると横を向いてしまった。
乱暴に一口ずつ頬張っていく。でも、おいしいものの力には抗えないようで、少しずつ顔が綻んでいくのがわかる。
こいしは、昨日私が持っていった咲夜の作ったお菓子を食べてその虜になってしまったのかもしれない。だから、厨房に侵入したのだろう。
私と向き合ってるときも柔らかい態度を取ってくれたら、少しは話しやすくなる気がする。
「……なに?」
横顔を見つめていたら、睨み返された。せっかく柔らかい態度になってきていたのに、一気に鋭くなってしまう。もともと私のことが嫌いみたいだから、お菓子だけではどうしようもないのかもしれない。
「こいしは、甘い物好きなの?」
嫌われてるかもしれないからといって、話しかけないわけにもいかない、と思う。こいしとさとりの妙な関係を改善させるには、こいしから話を聞いて、どうにかしてさとりに会いに行かせるべきだろう。
それとも、ここはこいしのことを気遣って部屋から出ていくべきだったんだろうか。
「別に」
そう言うと、椅子を動かしてこちらに背中を向けてしまう。でも、その前に二つ目のマフィンを掴んでいたから嫌いということはないのだろう。好きなのかはわからないけど。
私はこいしの背中を眺めながらマフィンを一つ取る。こいしの顔は見えないけど、また表情を緩ませているんだろうか。
その表情を私に見せてくれないのは別にいい。
でも、さとりたちを避けるようになる前はさとりに対しても隠そうとしたりしていたんだろうか。それとも、素直にその無防備な姿を見せていたんだろうか。
そうやっていろいろと考えながらマフィンを少しずつかじる。味わうことに全然集中してなかったから、味がよくわからなかった。それがひどくもったいなく感じたから、一旦考え込むのはやめて、咲夜のお菓子の方へと集中することにする。昨日、地霊殿に行ったときもそうだったけど、どうやら私は甘い物を前にすると切り替えが早くなるようだ。
改めてマフィンを一口かじる。そうすると、鼻の奥を香ばしい匂いがくすぐり、口の中では甘さがじんわりと広がる。その二つが交わるときが至福のときだ。自然とため息が漏れてくる。
もう一度同じ感覚を得ようともう一口かじる。香ばしい匂いを感じ取れるのは、マフィンを口元に近づけてからの少しの間だけなのだ。
「見ててものすっごく焦れったくなるような食べ方」
「……そうかな?」
口の中の分を飲み込んでから、首を傾げる。こいしは不機嫌そうなのは相変わらずだけど、呆れが少し混じっているようだ。
「でも、おいしいものだとゆっくりと味わいながら食べたいなぁって思わない?」
「思わない。そんなにちんたら食べてたら、誰かに取られるし」
そう言いながら、こいしが早くも三つ目のマフィンを手に取ってかぶりつく。残りも少なくなってきている。
でも、こいしがおいしいと思って食べてるなら、ほとんどをこいしに食べられてもいいかなと思っている。その方がこいしの機嫌がよくなるような気もする。
少なくとも、昨日会ったときほどの鋭さは感じられなくなっている。
心の底から、甘い物は偉大だなぁと思う。
「取るっていっても、この部屋にはこいしと私くらいしかいないけどね」
だからか、突然こいしが現れたことによる動揺が引いてくると多少余裕が出てきた。深いところまで入り込んでいけるかはわからないけど、普段の調子で話すことはできそうだ。
「……」
こいしは私の言葉に返事をすることなく、マフィンを黙々と食べる。お茶会には会話が付き物だけど、こいしはそれを望んでいないようだ。相性が最悪らしいのはお互いに承知してるから、当たり前といえば当たり前なのかもしれない。
でも、せっかくこうして同じ空間にいる機会があるのだから、お互いに黙っているのはもったいない気がする。そんなことを考えてるのは、こいしだけでなくさとりのことも気にしてる私だけなんだろうけど。
話題が見つからないから、私もマフィンをゆっくりと口に運ぶ。さっき十分に味わったから、こいしの方へと意識を向けながら味を楽しむ。
こいしは変わらず私が数口食べる量を一口で食べている。背中は向けていないけど、顔をそらしている。
「……つまんないから何か面白いことして」
「え? えっと?」
三つ目のマフィンを食べ終えたこいしが、脈絡もなしにそんな無茶振りをしてきた。
「だーかーらー、つまんなくてお菓子が美味しく食べれないから、面白いことしてって言ってるの」
心底不満そうな表情を浮かべながら、声に合わせてテーブルを三度叩いてこちらを見る。いやだと答えられるような雰囲気はない。
「……そういうことするの苦手だっていうの、わかってるよね?」
それでも、心ばかりの抵抗を試みてみる。
「うん、致命的に苦手そうだね」
率直にそう言ってくる。
私がそういうことに向いていないとわかっていて私に頼むのはどうしてなんだろうか。私の無様な姿を見て楽しむとか?
「でも、そんなふうに壊滅的なまでにエンターテイナーに向いてなくても、他人を楽しませることを生業としてる人の力を借りれば多少はましになるんじゃない?」
そう言って、こいしは部屋のある一点へと視線を向けた。自分の部屋だから何があるのかは知っているけど、つられたように同じ方を見る。
そこには、私の身長よりもずっと大きな本棚がある。お姉様がどこからか持ってきてくれた本ばかりがぎっしりと収められている。
「自分で読んだ方が面白いんじゃないかなぁ」
「お菓子を食べながら読めると思う?」
まあ、ごもっともな意見だ。私がお菓子を食べられなくなるということに釈然としないものを感じるけど、別にいいかと気持ちを入れ替える。
こいしとさとりの間にある妙な距離をどうにかするには、こいしをさとりに会わせる必要がある。だから、ここでこいしの要求を呑めば、後々私のお願いを聞いてくれるようになってくれるようになる、といいなぁ。
今にも別の物に混じって見えなくなってしまいそうなほどに淡い期待を抱きながら、いつの間にか手元に現れていた真っ白なテーブルナプキンで手を拭く。
ナプキンは咲夜が置いていったものだろう。常に館の中で何が起きているのか把握しているから、こちらから何も言わなくても適切な行動を取ってくれる。本当に優秀な従者だと思う。
「……わかった。じゃあ、何がいい?」
「一番面白くて楽しいやつ」
端的でわかりやすい要求だった。楽しいということは、明るい話ということだろう。私も甘いお菓子を食べてささやかな幸せに浸っているときに暗い話や重い話を読みたいとは思わない。
でも、一番面白いとなるとかなり難しい。そもそも一番面白いなんて人それぞれだと思う。
とはいえ、聞いたものを無碍にするのも悪いから、本棚へと向かいながら記憶の中を漁る。
私の趣味ってこいしに合うのかなぁ。
本を決める時点から、不安でいっぱいになっていた。
「フランはもっと喋る練習した方がいいよ」
帰り際にこいしが残したのはそんな辛辣な感想だった。自覚があるとはいえ、真っ正面から非難を言われればへこんでしまう。それが読んでいる途中だとなおのこと。
こいしが扉の向こう側にいなくなるのと同時に、先ほどまで朗読していた本を胸に抱いてテーブルに突っ伏した。カップは脇に寄せてあるから、安全に倒れる場所は確保されている。
そのまま大きなため息を吐く。
淡い期待を抱くことさえおこがましいほどに私の朗読の腕前は壊滅的だった。黙読をしているときとは勝手がかなり違う。声に出している箇所を目で追いかけていると追いつかなくなってきたり、そもそも書いてあるままを声に出すのが思っていた以上に難しかったり。
他人の力を借りてもこいしを楽しませられなかった私に、こいしに少しでも心を許してもらうなんて無理なんだろうなぁ、なんて思ってしまう。
「フランドールお嬢様、お疲れ様です」
不意に頭上から私を労う声が聞こえてきた。
億劫さを感じながらも顔を上げてみると、咲夜が立っているのが見えた。手には薄黄色の液体の注がれたグラスの乗った銀のトレイがある。
「ありが――」
お礼を言おうとして、咳が出てきた。長時間喋るようなことがないから、喉をやられてしまったようなのだ。口を閉じているときは気にならないけど、声を出すといがいがする。
「大丈夫ですか? 喉が痛いときは無理して喋らない方がいいですよ。とにかく、これを飲んで喉を潤してください」
咲夜がグラスを私の前に置く。柑橘類の酸っぱくて爽やかな香りが鼻腔を抜けていく。
咳が落ち着くのを待ってから、グラスをゆっくりと傾ける。
舌を刺激するほどの酸っぱさに口を離しそうになるけど、後からやってきた甘さがその刺激を和らげてくれる。レモンの爽やかさがすっと喉を潤し、甘みが喉を柔らかく覆う。
「喉の痛みには、レモネードがいいそうですよ」
そう言ってから、レモンやハチミツの話をしてくれる。私がこいしに散々に言われて落ち込んでいるのを紛らわせるためにそうしてくれているのかもしれない。
でも、痛めた喉をレモネードで労りながら意識するのは、咲夜の明朗な声だ。
私とは全然違う。私の喋り方は咲夜のものとは比べられないくらいに酷かった。聞いていたこいしは、私が何を言っているのかわからなくなっていたかもしれない。現に、こいしが立ち去ったのはお菓子がなくなったその瞬間で、私の朗読を聞いていなかったという証拠だろう。
そうして圧倒的な差を見せつけられると、咲夜がこいしと関わっていった方がいいんじゃないだろうかと思ってしまう。
「お嬢様? どうかなさいましたか?」
でも、この問題は私が勝手に首を突っ込んでいるだけで、咲夜には一切関係がない。だから、そんなことを口にしたところで意味なんてないだろう。
「……どうやったら、咲夜みたいに上手に喋れるようになるのかなぁ、って」
代わりにそんなことを口にしてみる。ちょっと回りくどいような気はする。
「レミリアお嬢様がお聞きしやすいようにと常に心がけていたら、今のような喋り方になりましたよ。なので、心の持ちようが大切なのではないでしょうか」
とっても咲夜らしい答えだった。でも、その後で自然に一般的な形に言い換えている辺り、咲夜の優秀さが窺える。
「とはいえ、私も朗読の方法は知りません。まあ、何度か声に出して読んで練習してみればいいのではないでしょうか? 少なくとも、詰まらずに読む、声を出す練習にはなると思いますよ」
知らないと言った割には的確な指示のような気がする。単に私も何も知らないからそう思うだけかもしれないけど。
「なんにせよ、一度の失敗で諦めず、何度も何度も挑戦することが肝要だと思いますよ」
「うん。……でも、相性の悪い私ががんばってうまくいくことなんてあるのかな?」
嫌われていてもなお、朗読だけでも気に入られるためには、万人に賞賛されるほどうまくならないといけない気がする。それこそ、天才と呼ばれる人が努力を重ねた上で辿り着くくらいの高みに到達するくらい。
「確かに相性が悪ければ、いくら頑張ったところで成果は出てこないでしょうね」
「そう、だよね」
「しかし、お嬢様のことに関しては、悲嘆することはないと思いますよ。一つ、いいことを教えて差し上げます」
咲夜は笑みを浮かべながら、人差し指をぴん、と立てる。
「こいしは、一度も私と顔を合わせようとはしませんでした」
「それは――」
「どう受け取るかはお嬢様の勝手ですが、後ろ向きに考えていいことなんてないですよ」
――私に対して敵意を抱いていて威嚇してるからなんじゃないだろうか。
そう言おうとしたのに、言葉をかぶせられてしまって、私の声はしばし迷子となってしまう。
「もしかしたら嫌われてしまうのではないかなんて考えながらレミリアお嬢様に悪戯を仕掛けるよりも、呆れたような表情や不意を打たれて驚いた表情を浮かべて、最後には笑いかけてくださるのではないだろうかと考えた方が幾分も楽しいですよ」
「それとこれとは、違うんじゃないかなぁ……」
そもそも罪悪感を抱きながらするような悪戯があるんだろうか。私はされる側だけど、悪戯を仕掛けてくる人たちはいつも楽しそうな気がする。
とはいえ、咲夜がお姉様に仕掛けてる悪戯は度が過ぎてるとは思う。いくら影響がないとはいえ、茶葉に毒草とかを混ぜて使うのはどうなんだろうか。
「そうでしょうかね?」
咲夜がとぼけたように首を傾げる。本気なのか冗談なのかはよくわからない。
「ともかく、次は朗読でこいしを魅了してみせるというくらいの意気込みで練習してみてはどうですか? 失敗するなんて考えながら練習するよりはずっとやる気がでると思いますよ」
「うーん……、参考にはしてみる」
さすがにそこまでの自信は持てない気がする。でも、いつも自信を持っているような態度の咲夜は、そうやって今まで成功させてきたのかもしれない。
だから、私もそれを見習い、自信を持ってみようと意識してみることにした。
◆
次にこいしが現れたのは、あれから三日後のことだった。
その日も私は、部屋に一人でいた。この前と違うのは、声を出して本を読んでいるということと、こいしやさとりのことをあまり考えていないということ。声に出して本を読むことに慣れていないから、他のことを考えるような余裕がないのだ。
本の中で、悩んでるときは身体を動かしている間はそのことを忘れられるというのがあったけど、こういうことなんだろうか。声を出すことが体を動かすことになっているのかというのは、微妙なところだけど。
ちなみに、読んでいるのはこの前読んだのとは違う本だ。上手な人なら違うんだろうけど、私程度の実力なら同じ物を読んでも飽きられてしまうと思って本を変えたのだ。前回どの程度聞いてくれてたかもわからないから、途中から読むこともできないし。
こうして声に出して本を読んでいると、黙読していたときには気づくことにできなかったことに気づくことができたりして結構楽しい。下手な自分の声が部屋の中に反響してもへこまずに続けられるのは、この楽しさがあるからかもしれない。
「フランドールお嬢様、紅茶とお茶菓子とこいしを持ってまいりました」
明らかに不自然なのに、自然な様子を装って咲夜が突然現れる。
顔を上げてみれば、不機嫌そうな上に不満そうな表情を浮かべているこいしが咲夜の背後にいた。咲夜から距離を取ろうとしているけど、咲夜に手を握られているせいで逃げられないようだ。
咲夜はこいしの手を引っ張って無理矢理に私の正面に座らせると、どこからかトレイを取り出し、そこに乗せているものをテーブルに並べていく。
今日のお菓子はチーズケーキのようだ。テーブルの真ん中に八等分された一ホールが置かれる。二人分にしてはかなり多いような気がする。でも、用意されているカップの数から、これ以上誰かが増えるということはなさそうだ。
「ねえ、咲夜。ケーキの量多くない? 誰か来るの?」
紅茶を注ぎ終えたところを見計らって聞いてみる。
「いえ、こいしがどれくらい食べるかわからないので、多めに用意してみたんです。多いと感じたら残してもいいですよ。はい、どうぞ」
「そうなんだ。ありがと」
咲夜は質問に答え終えると、紅茶の注がれたカップとチーズケーキが一切れ乗ったお皿を私の前に置く。それから、同様のセットをこいしの前にも置いた。こいしは俯いてテーブルを見たままで反応がない。
咲夜に言われたことを意識して見てみると、確かに私だけといるときとは様子がかなり異なっているのがわかる。
それは好意からなのか、敵意からなのかはわからない。私は、後者だと思ってるけど、咲夜はそうではないようだ。
「……なに?」
私の視線に気付いたこいしが睨んでくる。好意は感じられず、敵意しか見えてこない。
「あ、えっと、まだ挨拶してなかったなぁって。こんにちは、こいし」
「……この前は、挨拶さえもされなかったけどね」
「う……、そうだったっけ。……ごめんなさい」
「……」
こいしからの返事はなく、かなり気まずい雰囲気となる。過去の自分の行動を後悔するけど、今更どうしようもない。
「では、私はここで失礼させていただきます。お嬢様、頑張って下さいね」
しかも、狙ったかのように最悪のタイミングで咲夜が部屋から出ていってしまう。いや、実際に狙っていたのかもしれない。こいしの分の用意ができた時点で咲夜がすることは終わっていたのだから。
お姉様だけに向いていたはずの悪戯心が私にも向き始めたんだろうか。勘弁してほしい。もともと咲夜に頼るつもりはなかったとはいえ、なんのフォローもなしに出て行かれるとダメージが大きい。
「懲りずにまた下手っくそに読むつもりなの?」
こいしの今までのしおらしさが消え、声に先ほどは抑えられていた険が出てくる。変に大人しくされているよりは、こうしていつも通りの態度をとってくれている方が幾分かはまし、のような気がする。……どっちもどっちかもしれない。
こいしは不機嫌そうなまま、チーズケーキをフォークで大きめに切り分けて口に運んでいる。
「一応、こいしが来なかった間に練習はして、少しは上手になった、よ?」
自信のなさが声にまで現れてきてしまっている。この時点でなんだか精神的に追いつめられてきている。
「どうせ、元があんなだったから高は知れてる」
相変わらず言葉が刺々しい。でも、やめろとは言ってこないから、幸い退こうという気持ちは湧いてこない。一歩目を踏み出すなけなしの勇気を失う前にさっさと始めてしまおう。
「……耳障りにならない程度にはがんばるよ」
こいしの刺々しさで心が折れてしまわないよう、強がるようにそう言う。ちょっと強がるのとは違う気もするけど、これが限界なのだ。
始まる前から心が後ろ向きになっている。それでも、咲夜が部屋に来てから脇に置いていた本を手に取る。こいしに聞いてもらおうと思って、練習してきたのだから。
小さく深呼吸をした後、ゆっくりと一文目を読み始めた。
「最悪だった」
私が本を読み終えたときのこいしの第一声。
「聞き取りにくいし、途切れ途切れだし、全然感情が伝わってこない。ほんとに才能を感じられない。史上最悪につまんなかったよ」
一度感想を言う間に、二度も最悪と言われてしまった。初めて朗読したときよりも酷い評価だ。
でも、最初と違うのは一応最後まで聞いてくれたということ。最後までといっても、時間がかかりすぎるから始めの方の何章かだけ。
ともかく、最後まで聞いて批評をする程度にはよくなったと考えても良さそうだ。そんな前向きな思いも簡単に砕かれてしまうほどの酷評ではあったけど。
「じゃあ、言いたいことも言ったし、私は帰る」
「……うん」
気持ちが沈んでいた私の声はかなり暗かった。こいしには届いていないかもしれない。
立ち上がったこいしはこちらに一瞥もくれずに真っ直ぐに部屋から出ていった。後に残ったのは、空っぽになったカップとお皿だけだった。
なんだか意識がぼんやりとしている。意味もなく朗読していた本を抱く。強く批判をされたことがない私は、自分の中にある感情を持て余していて、どうしていいのかわからなくなっていた。
ゆらゆらと意識が揺れ始めている。
「随分と酷い言い種だったわね。私は良かったと思うわよ。フランの朗読」
でも、突然聞き慣れた声が聞こえてきて、そんな感情も驚きに覆い隠されてしまう。意識もはっきりとする。
「な、なんでお姉様がここにいるの?」
開きっぱなしの扉の向こう側に、お姉様が立っていた。
館の中での出来事を把握している咲夜がこのタイミングで現れるならともかく、お姉様が出てくるのはかなり意外だった。
「妹が頑張った成果を聞いてみたいと思ったのよ。咲夜から話は聞いてたからね」
悪びれた様子もなく、平然とこちらへと近寄ってくる。こいしにあれこれ言われてへこんでいたから、お姉様が傍にいてくれるのは嬉しいけど、今はまだ困惑が大きい。
「……どこにいたの?」
私の部屋へと続く階段は一つしかないから、確実にこいしと対面するはずだ。でも、こいしが扉を開いたときにお姉様の姿は見えなかった。あんまり扉から離れすぎると私の声は聞こえないだろうし。
「蝙蝠の姿で天井に張り付いてたのよ。こいしと対面して面倒な事になるのが嫌だったから」
そう言いながら私の対面に、さっきまでこいしが座っていた椅子に座る。そこに座っている人の差が、私の安心感の違いとなる。
「また、傷付けられてしまったみたいね」
「うん……」
こいしに地霊殿から追い返されたときと同じような声音だった。でも、あのときとは違ってお姉様との間にはテーブルがあって、触れ合ってはいない。
それでも、紅い瞳は私を真っ直ぐに見てくれている。それだけでも十分に心強い。
「でも、こいしの言葉は気にする必要なんてないわよ。どうせ、素直になれなくて適当に批判してただけでしょうし」
「……そんなことないよ。こいしの言ってたことは正しいと思うよ」
最初のときに比べればよくなっていたかもしれないけど、それだけだ。絶対的な視点から見れば底辺レベルのものだった。
「まあ、私も朗読のプロって訳じゃないから、私の評価が正しいとも言えないわ。でも、つまらないなら咲夜のお菓子を食べ終わった後もわざわざ最後まで聞いたりするものかしらね? 確か、初めての時は途中で帰ったんじゃなかったかしら?」
確かにそれはそうだ。でも、それには何か別の理由があるのかもしれない。そんな風に、否定の言葉を探そうとしていると、
「なんなら、咲夜の感想も聞いてみましょうか。一番客観的な立場から物を言えるでしょうし」
お姉様がそう言うのに合わせて、咲夜が虚空から現れた。当然のように、こいしとのやり取りも含めて一から話を聞いていたのだろう。
「ふむ、そうですね。こいしの言っていた事も的外れという訳でもないですね。前回何度も噛んでいたので、それを意識していたのでしょうがそのせいで途切れ途切れになって聞き取りにくくなっていたように思います。感情面に関しては言わずもがなですね。そのような余裕はなかったでしょうから」
傷を抉るような遠慮のない言葉だった。お姉様にも言いたいことははっきりと言っているから、当然私に対しても容赦がない。
私は俯いて、でも咲夜の言葉からは逃げないようにと耳を傾ける。敵意を感じられないから、幾分かは耐えられる。
「しかし、最悪というほどのものでもありませんでしたよ。前回あれだけ酷かったにも関わらず、短時間の間に物語を聞くことにある程度は集中させられるようになっているのですから、もっと練習すれば格段に良くなると思います」
後半のその言葉によって気持ちが最低辺まで落ち込むということはなかったけど、沈み込んでいるということに変わりはない。
「相変わらず容赦なく手厳しいわねぇ」
「たとえレミリアお嬢様であろうとも、プラスになると確信していればどんなに聞くのが辛いことだろうとも言葉にするのが私の信念ですから」
服従しているのではなく、純粋に忠誠心だけで動いているからこその言葉なんだろう。
「それに、フランドールお嬢様自身下手な慰めは望んでいなかったようでしたし」
そう、なんだろうか。
……うん、そうなんだろう。ただ慰められたいと思っていたら、お姉様の言葉だけで満足していたはずだ。
へこまされはしたけど、まだこいしのことを諦められてはいない。だから、立ち止まってはいられないのだ。
「慰めようとしてたのは事実だけど、思ったことを言っただけよ。私だって場合によっては厳しい態度で接するつもりよ」
「お嬢様はフランドールお嬢様のことを溺愛なされていますからね。知らぬうちに色眼鏡をかけてしまって、どうしても評価が甘くなられてしまうんですよ」
「そうかしらね?」
沈んでた気持ちも少しだけ浮かび上がってきたから顔を上げてみる。そうすると、納得いかないような表情を浮かべて首を傾げるお姉様の顔が見えた。
「当事者の感じ方がそのまま第三者にも当てはまることなんて稀なことですよ。ですから、お嬢様は素直に従者の言葉に耳を傾けるべきです」
「自分から望んで従者になったのに、生意気なことを言うのね」
「自ら選んだからこそ、少々生意気でいられるのですよ」
「……まあ、それもそうかもしれないわね」
お姉様は咲夜の悪戯っぽい言葉に若干呆れた様子を見せながらも、口元をゆるめて小さく微笑む。咲夜もそれに応えるように笑みを浮かべた。
そんな二人を良いなぁ、と思いながら眺める。羨ましいのではなく、優れたものを見られて満足するようなそんな感じだ。
「そういえばフラン。古明地姉妹の問題を解決したいと言ってたけど、解決した後はどうするつもりなのかしら?」
二人の表情に見惚れていたら突然、お姉様がこちらを向いた。私はもう関係ないと思っていたから驚いてしまう。
「え? えっと、たぶん関わることは、なくなるんじゃないかな」
もともとこいしと私は相性が悪いから、用もないのに関わり続けるなんていうことはないだろう。きっとその方がお互いの精神衛生にいい。さとりに関しては、よくわからない。まだ、一度しか顔を合わせていないし。
でも、なんで突然そんなことを聞いてくるんだろうか。
「そう。友人になろうとは思わないのかしら?」
「思わないよ。こいしとの相性はかなり悪いし……」
「ふーん? 何か問題を抱えてるから、変に刺々しくなってるだけなんじゃないかしらね? 現に貴女が見た限りでは、貴女以外とは誰ともまともに喋ってないんでしょう?」
「うん、そうだけど……」
初めて会ったときは、力を使って周りの人たちに一切気付かれないようにしていたし、前回や今回、咲夜がいるときはどこかしおらしかったりもした。
「だったら、こいしは貴女のことを特別視していると考えるのが自然な事ではないかしら? まあ、あんな態度取られてて苦手意識を持つのも分からないではないけど。私なら関わるのも嫌になるわね」
そう言った後、なぜかお姉様はあごに手を当てて考え込んでしまう。少し困っているように見える。
「……お姉様? どうしたの?」
「あー、いやいや、なんでもないわ。気にしないでちょうだい。まあ、あんまり私が口出しすべきではないわよね。貴女の好きなようにしなさい」
突然なんだか投げやりな口調になった。
「お嬢様、理想と現実のギャップにお気付きになったからといって、中途半端なところで投げるのはどうかと思いますよ」
「やっぱりそうよねぇ……」
お姉様が咲夜の指摘にため息をつく。私一人だけが話についていけず置いていかれている。話題の中心はこいしと私のことのはずなのに。
お姉様は再び悩む素振りを見せ、しばらくしてから真っ直ぐにこちらを見つめてきた。
「フラン、私は貴女に親しい友人がいてほしいと思っているのよ」
「うん」
反射的に頷いてしまってから、そもそも自分には友達と呼べるような存在がいただろうかと考える。
ぱっと思い浮かんだのは、よく図書館に本を借りにくるアリスと盗みにくる魔理沙。話をすることはあるけど、たまたま会ったからそのついでといった感じで、お姉様とパチュリーほどの距離の近さは感じない。もしかしたら、二人の距離が特別で、それがお姉様の言ってる『親しい友人』なのかもしれない。
だからといって、アリスと魔理沙の二人を友達に含めてもいいのかというのもよくわからない。まず、友達という存在自体がよくわからないから。
「そこで、フランがこいしの事をなんだか気にしてるみたいだし、これをきっかけにすればいいと思っていたんだけれど、冷静になってみればあんなのが貴女の傍にいるのは不安なのよねぇ……」
私が友達というものについて悩んでいることに気づいている素振りはなく、こいしのことをあんなの呼ばわりしている。でも、こいしの感じが悪いというのは確かではある。
「だから、私はあまり考えない事にしたわ。それに、そもそも他人の友人関係に私が口出ししたって仕方のない事だし」
「結局丸投げするんですね」
「だって、それ以外に選択肢がないじゃない」
少しだけばつが悪そうに、なのにしっかりとした口調でそう言う。簡単に揺らいでしまう私とは根本的に在り方が違うんだろうと思う。
「で、フランとしては問題が解決したら、関わりたくないというわけね」
「え? 別に関わりたくないということもないけど……」
「じゃあ、どうしたいのかしら?」
「……わかんない」
成り行きに任せていれば、そのまま関係が終わってしまうということは予想できる。でも、お姉様が聞きたいのはそういうことではないだろう。
「……ねえ、友達ってどういうものなの?」
そして、私はそんな質問を口にしていた。
「咲夜はどう思う?」
お姉様は、質問を受け流すかのように咲夜に言葉を投げかける。何か意図があるんだろうか。
「……。いえ、分からないです」
しばらく考え込んだ咲夜がそう返す。
「私にお聞きになられるより、お嬢様がお答えになればよろしいのではないですか?」
「いろんな意見を聞いてみたいと思ったのよ。友人の捉え方なんてそれぞれでしょうから」
お姉様はそう言って、居住まいを正す。私だけではなく、咲夜の方にも意識を向けているようだ。
「そうね。私にとって友人というのは、煩わしくて自分勝手。でも、悪くはない、そう思えるような存在よ」
お姉様の言葉は、私にはあまり理解できなかった。
それは、咲夜も同様のようだった。
◆
こいしに散々と言われたけど、お姉様に慰めてもらったり、咲夜から助言をもらったりしてなんとか立ち直ることができた。
今のところ、私ができることなんて朗読をしてこいしを楽しませようとすることくらいなのだ。もし仮にこいしを楽しませることができたとしても、こいしとさとりとの間にある不自然な距離が縮まるなんていう確信はどこにもないけれど。
さとりに会いに行こうとも何度か考えたけど、それに必要な情報は相変わらず全然足りない。こいしから聞ける話なんてないに等しいから。
だから、こいしの方からこちらに来てくれるという状況はとても好ましい。いつ終わるともしれない、不安定な関係でも。
だから、今日も一人部屋の中で朗読の練習を続けている。
「あれだけ言われてまだ続けるつもりなんだ。意外に雑草みたいにしぶといんだね」
不意に、自分の声の間にこいしの冷ややかな声が混じってきた。その不意打ちに驚いた私は、身体を震わせ物語をぶつりと途切れさせてしまう。
今までは咲夜が連れてきていたから、こいしだけがやってくるということに対しては全く心構えができていなかった。咲夜が突然現れても驚かないのは、この心構えができているからだ。もしかしたら、驚かない瞬間を狙ってくれているのかもしれないけど。
「きょ、今日は直接こっちに来たんだ」
「どうせ台所の方に行ったってあのメイドに捕まるだけだし。……フランは私が学習しないとでも思ってるの?」
椅子に座ったこいしがこちらを睨んでくる。私は少し怯んでしまう。
「そうは思ってないけど……」
「けど?」
「……絶対に私のところに直接来ないだろうって思ってた」
嫌いな相手の前に好き好んで現れることなんてないだろうと思ってるから。
「ふーん……」
こいしの声の温度が更に下がり、居心地が悪くなってくる。さほど逃げ腰にならなくなってきたとはいえ、この雰囲気からはどうやっても居心地のよさを感じることはなさそうだ。
「え、えっと……、あっ、こ、こんにちは、こいし」
気まずい空気をなんとかしようとして、挨拶をしていなかったことを思い出す。無理矢理言葉を絞り出すようにしたから、かなり不自然だ。
「普通は、会ったときにするもんじゃないの?」
「それは、こいしが突然話しかけてきたから。……こいしの方から挨拶するべきじゃないの?」
「私は別に挨拶する気なんてない。だから、フランだけが私に会ってすぐに言えばいい」
かなり自分勝手な意見だった。なんだか呆れが出てくる。というか、自分の中にそんな余裕があることが意外だった。
もしかすると、何度もこいしの刺々しい態度を前にしてきたから慣れてきてしまったのかもしれない。
これで少しは自然体で振る舞えるだろうか。あまり自信はないけど。
「そんなどうでもいいことよりも、いつになったらお菓子は出てくるの? 私はフランに会いに来たわけじゃないんだけど――っ?!」
不満そうなこいしの言葉に応えるように、突然テーブルの上に色とりどりのタルトが乗せられたお皿と紅茶の注がれたカップが現れる。タルトはいろいろな種類を食べれるようにと配慮してか、随分と小振りで代わりに数が多い。
こいしと私は同時に一瞬でお茶会の準備が済まされたことに驚く。咲夜の仕業だというのはすぐにわかったけど、こういうことをしてくるとは思っていなかったから身体が竦む方が早かった。
「……顔を見せないなんて、失礼なメイドだね」
こいしが平然とした様子を装ったように言う。あの驚きは心の底からのものだったようで、こいしの素の表情が微かに覗いているような気がする。
「こいしが咲夜のことを苦手視してたから、気を遣ってるんじゃないかな」
「……別に、苦手視なんてしてない」
そう言いながらも、視線は私からそれている。
もしかして意地っ張りなんだろうか。今までの行動を振り返ってみればそんな感じはする。
さとりもなんだか意地を張ってるみたいだし、姉妹揃って一筋縄ではいきそうにないというのをより一層強く感じる。
うーん……。
「……なに?」
「こいしとさとりって二人とも意地っ張りなのかなぁって」
怒るだろうなと思いながら、考えていたことを素直に言葉にしてみた。少しずつ自分の中に余裕が芽生えてきているからこそできたことだろう。あんまり距離を取り続けていても、進展がなさそうだと思った結果でもある。
「お姉ちゃんはそうかもしれないけど、私はそんなことない」
「なら……、なんでさとりのことを避けてるのか教えて」
一度は冷たく拒絶された質問。それを、今一度聞いてみた。
きっとこの問題を解決するには、この質問に対する答えは必要不可欠なものだろう。こいしから聞き出すか、いろいろな断片を繋ぎ合わせて自分で導き出すしかない。
「フランには関係ないって言ったはず」
顔をこちらに向けて再び睨んできた。まだ話してくれそうにないし、私もこれ以上の言葉は持っていない。
「……わかった。今はもう聞かない」
「今後一切二度と聞いてこないで」
「それはできない」
「……フランこそ意地っ張りなんじゃない?」
「うん、そうかもね」
何を言われても諦めようとは思わないから、こいしの言うとおりなのかもしれない。だから、否定の言葉は考えず平然と肯定した。
私の様子が気に入らないのか、こいしが浮かべたのはつまらなさそうな表情だった。どういう反応を期待してたんだろうか。
こいしは不機嫌そうにしたままタルトを手で掴んで食べ始める。
私はこいしの様子を眺めながら本をめくる。前回の続きのページを探しているのだ。
こいしがそれを止めようとする様子はない。だから、目的のページはすぐに見つかったし、滞りなく朗読を始めることができた。
「感情がこもってないし、声がこもってて聞き取りにくかった。やっぱりフランの朗読は最悪」
相変わらず散々な感想だった。でも、前に比べれば指摘されている箇所も減っているし、一応進歩はしているという証かもしれない。初めて散々に言われたときに比べれば、前向きに受け取ることができたからかさほどへこんでいない。
一度最悪を味わったおかげか、少々打たれ強くなったのかもしれない。
「うん、今度はその辺りに気をつけてみる」
頷きながら、今回の朗読に関して思い返してみる余裕さえもある。
声がこもっていたというのは俯いて読んでいたからかもしれない。もしくは、まだ失敗を引きずっていて慎重になりすぎていたかもしれない。次からはできるだけ顔を上げるようにしよう。少しずつではあるけど、こいしにも慣れてきているし。
でも、感情を込めて読むというのはどうすればいいんだろう。練習中にもよくわからなかった部分だ。
「……」
「ん? どうしたの?」
「……なんでもない」
無言でこちらを見ていたこいしは、私が視線を向けると顔をそらしてしまった。そして、まだ残っているタルトを食べ始める。
気になるけど、追求しても答えてくれないだろう。だから、後で考えてみようと思いつつ私もタルトを手に取ろうとして、あることに気付いた。
何種類かのタルトがあったはずなのに、残っているのはココアのタルトばかりだ。ちらほらと他のも残っているけど、その他でまとめしまってもいいくらいに少ない。
さとりがココアはこいしの好きなものだと言っていた。でも、今こうしてそれを避けているのはどうしてなんだろうか。
嫌いになってしまったから? それとも、さとりを避けているから?
「……さとりは、ココアを作るのが上手だよね」
ココアのタルトを一つ取って、不意にそう言ってみる。この話題がこいしのどこまで届くのかはわからない。
まあ、届かなかったならそれでも構わない。さとりの作ってくれたココアを思い出した私の独り言。そう思うことにするから。
「あのココアが本当においしいって思えるのは、作った直後だけだと思うんだ。熱いわけでもなく、ぬるいわけでもなく、暖かくてほっとできる温度になってるのは本当に短い時間だけだろうから」
そして、きっとそれは飲んでくれる誰かのことを想っている暖かさなんだろう。あのときに飲んでいたのは私だったけど、きっと作りながら想い浮かべていたのはこいしだったはずだ。
こいしがココアを好きだと話すさとりの様子からそのことは十分に伝わってきていた。
「……なんで、いきなりそんな話をするの?」
「ココアタルトばっかり残ってたのを見たら、ふと思い出したから。それに、こいしも半年もさとりのことを避けてるなら、忘れてるんじゃないかなって思って」
「余計なお世話」
そう言ってこいしはタルトの最後の一欠片を口の中に放り込み、残っていた紅茶でそれを流し込む。
「じゃあ、私帰るから」
「うん、……ばいばい」
また来てと言うのとどっちがいいだろうかと考えて、立ち上がったこいしへとそう言った。相手に嫌われてるのがわかってるのに、また来てなんていうのはどうかと思ったのだ。
こいしは振り返りもせず、無言で逃げるように部屋から出て行った。
その足はどこへ向かっているのだろうか。
私の言葉でさとりの想いが届いたなら、さとりに会いに行ったのかもしれない。
そうだといい。……そう簡単にはいかないんだろうけど。
思い通りにいきそうになく、少しばかり現実逃避をし始めた私は、あのおいしいココアをもう一度飲んでみたいなぁ、なんて思っていた。
◆
なぜだかわからないけど、こいしは三日に一度ここに来るようにしているようだ。今までのことを振り返ってみて、そのことに気づいた。
三日以上空けてようやく私の顔を見れるということだろうか。まあ、私のことを嫌ってるみたいだし当然か。
そして、その三日空ける法則は今回も変わっていない。こいしは突然部屋に現れて、私の正面に座ると非常に不機嫌そうにこちらを睨んできた。
その間に咲夜がお茶会の準備を一瞬ですませ、私はこいしから文句を言われつつも朗読を始める。そして、朗読が終われば批判される。
そんな流れができあがりつつある気がする。
「さっきからこっちをちらちら見てきてるけど、なに?」
こいしは、不機嫌そうにこちらを睨んできながら、手に持ったフォークでアップルパイをつついている。今はもうすでに朗読を終えた後で、こいしが食べ終わるのを待っているような状態だ。
なんとなくだけど、日に日に食べるのに時間をかけるようになってきているような気がする。物語が進んできているからそれに引き込まれてきているんだろうか。読み手がだめだめでも、聞き手を楽しませられる物語を書ける作家の人は偉大だなぁと思える。
ちなみに、今日も感情がこもっていないと言われた。これだけは、いくら指摘されても直せない。
こいしとさとりとの距離を縮めるまでの間に、感情面に関して何も言われなくなる日が来るのだろうか。まあ、こいしとさとりとの問題をどうにかできるなら、今のままでも別に構わないんだけど。
「こいしはなんで三日ごとに来るのかなって」
「フランと毎日顔を合わせたくないから。フランがいなければ毎日でも来てるよ」
「やっぱりそうなんだ」
予想していたとおりの答えだった。嫌われていることを前提にした身構え方を覚えたのか、これくらいの言葉ならなんとも思わなくなってしまった。
まあ、こいしの言葉は傷つけるためというよりは、追い払うためといった感じが強い気がする。だからこそ、傷つけられにくいというのもあるかもしれない。こいしの言葉が攻撃的になってきて身を引けば、その時点でそれ以上酷いことを言ってきたことは今までなかった。
「はあ……、なんでそんなに平気そうなの? 大抵の人はここまで言われると関わるの、やめると思うよ」
「こいしがちゃんとさとりと話をするようになってほしいから」
結局、私がこいしに関わる理由なんてそれくらいだ。それ以外の理由はない。
「……フランにお姉ちゃんのことに関してあれこれ気にされたいなんて思ってない。ほっといてよ」
「その態度がすごく気になるからできないよ。こいしはさとりのことを話題にすること自体を避けてるけど、さとりのことどう思ってるの?」
こいしは一層不機嫌そうになるけど、私はできるだけ気にしないようにしながら一歩踏み込んだ。こいしの態度に慣れてきたからこそできたことだ。出会ったばかりの頃なら、それこそ不機嫌そうになっただけでそれ以上踏み込むことを躊躇していたはず。
「私はもう二度と聞いてくるなって言ったはずだけど?」
「私も聞き入れるなんて答えたつもりはないよ」
「じゃあ、今すぐ聞き入れて」
「やだ」
「意地っ張り」
「うん、言われなくても知ってる」
なんだか変に肝が据わってきていて、だんだん思っていることを言葉にするのに躊躇がなくなってきている。
そのせいか、不毛な言い争いになってきた。お互いに譲るつもりはないからいつまでも続きそうだ。
「初めて会ったときはわかんなかったけど、フランって面倒な性格なんだね」
「そうかな? こいしには負けると思うけど」
「へぇ……。生意気だとか言われたことない?」
「咲夜はこの前、お姉様に生意気だって言われてたよ」
「私はフランのことを聞いてるのっ!」
こいしが怒ったようにテーブルを叩く。そんなこいしを前にしても私は驚くようなことはなかった。
むしろ少し意地悪な返しをして、こいしがそんな反応をしてくれたことがちょっぴり嬉しかった。
「ううん、言われたことはないよ。私自身、こんなことが言えたんだって驚いてる」
別に隠すつもりもないから正直に話す。
「へぇ……。じゃあ、私に対してだけそんな態度になるってことなんだ?」
「まあ、そうなるね。こいしが全然素直になってくれないせいで」
「私は正直にフランのことが嫌いって言動で示してるつもりだけどね」
「でも、さとりのことについては一度も聞かせてもらってない」
今日さとりの名前を出すのは、これで三度目だ。今までは一度出して拒絶されればそこで諦めていたけど、今日はせっかくだからやれるところまでやってしまおうと、そんな気持ちになっている。
「私に話したくないなら、別にいいよ。でも、さとりにはちゃんと話してあげて。もし自分から会いに行きにくいって言うなら、私が無理矢理にでも連れていってあげるよ」
「……」
こいしは何も答えずに私から顔をそらした。やっぱりさとりのことは一言も話してくれようとはしない。
「……こいし、逃げてばっかりなのはだめだと思うよ」
臆病な私にこんなことを言える資格なんてないだろう。でも、私は周りの人たちによって逃げ出そうとするのを何度も止められた。今回こうしてこいしと関わっているのも、逃げ腰になっていた私の背中をお姉様とパチュリーが押してくれていたからだ。
そんな経験から、黙っていられなかった。
「逃げてなんかない。知ったような口をきかないで」
「じゃあ、なんで中途半端にさとりとの距離を保ってるの?」
「食事とか洗濯とかができないし、寝る場所とかがないから」
予想してたとおりの言葉だった。でも、だから返す言葉はすぐに浮かんできた。
「それは、さとりに甘えていたいって欲求があるってことじゃないの? ううん、こいしはさとりに拒絶されてないことに甘えてる」
こいしは以前から二、三日帰らないことがあったとさとりは言っていた。だから、洗濯はともかく、食事や寝る場所は地霊殿に帰らなくても何とかなるはずなのだ。
そのことに気づいてからしばらくするけど、言い出すタイミングが見つからなくて、今の今までため込んでいたのだ。
「うるさいっ! なんにも知らないくせに、好き勝手言わないでっ!」
「あっ、待って!」
こいしが立ち上がって部屋から出ていこうとする。私はそんなこいしを反射的に呼び止めてしまう。ついでに、行動まで伴って。
テーブルを飛び越えた私は、背中からこいしに抱きついていた。なおもこいしは前に進もうとするけど、吸血鬼の力にはかなわないようだ。一歩も前に進んでいない。
こいしが逃げようとしたのを止められたのはいいけど、さてどうしようか。
「放して」
「やだ」
こいしが肩越しにこちらを睨んでくる。私はこいしの顔を見上げつつ見返す。
なんであれ、今すぐ放すつもりはない。意地でも今日のうちに解決してやろうという気持ちになっている。
「……こいしからしたら、好き勝手言ってるように聞こえるかもしれないけど私はちゃんと考えてから言ってるつもり」
「じゃあ、その考え方が根本から間違ってるんじゃないの?」
「かもしれない。だから、答え合わせしてくれる? 納得できたら放してあげるから」
「なにその自分勝手な提案」
「まあ、そう思うよね。でも、こいしがちゃんと答えてくれればすぐに終わるから辛抱してよ」
「はあ……、本当面倒な性格。……で、フランがそう思うようになった根拠ってなに?」
ようやく折れてくれたようだ。強引だとは思うけど、今までの反応からこれくらいしないと何も話してくれないような気がするのだ。
「さとりに会わなくなる前は二、三日帰らないことがあったらしいけど、その間なんとかできてたんだから、わざわざ地霊殿に戻って食事とかをする理由がそれ以外に思い浮かばないから」
とはいえ、種族的に食事や睡眠が必要なのかどうかはわからない。お姉様や私も食事に関しては、生きるだけなら血さえあれば事足りる。いつからか人間が食べるのと同じ物を食べるようになって、気がつけば食べないとなんだか落ち着かないという状態になっていた。
だから、覚りという種族もそういった可能性は大いにある。まあ、それならかなり論破しやすくなるから逆に嬉しいくらいだけど。
「……帰ってなかったわけじゃない。帰るタイミングが悪くてお姉ちゃんと顔を合わせることがなかっただけ」
「だったらさとりは、毎日こいしは帰ってきてたって言うんじゃないかな? 食事が減ってたら帰ってきてたのはわかるわけだし」
「調理されてないものだって食べれるものは食べれる」
今までの発言からとりあえず、こいしは食事を必要としていると考えておいてよさそうだ。
それよりも、言われたことに対する反論を考えないといけない。ほとんど行きあたりばったりだから、こいしの答えを聞いてから頭を動かす必要がある。
料理はさとりが担当してるみたいだし食材が減っていれば気づきそうなものだ。あー、でも、ペットがいるっていう話だし、そのペットたちが食材を漁るという可能性もありうる。そうなれば、どれがこいしの食べたものなのかわからなくなるはずだ。
うちの館も食材は自由に使えるようになってるから、地霊殿もそうなってる可能性は十分にある。
「どう? 納得できた?」
「納得したくないけど、反論の言葉が浮かんでこない」
「ずるいこと言うねぇ。そんなんじゃ嫌われるよ?」
「もうこいしに嫌われてるのはわかってるから、そんなこと気にしない。……でも、今は放してあげる」
今の私の情報量ではこいしに勝てない。私自身、返ってきたら困る答えを思い浮かべている時点で、適当な問いをしてそこから真実を引き出すということもできない。
それに、私がやりすぎた結果、さとりまで嫌われてしまうのもいやだった。
「そ、ありがと」
嫌味っぽくそう言って、こいしは部屋から出ていった。
でも、私は諦めていない。とにかく、さとりのところに行って情報収集をしてみようとそんなことを考えていた。
◆
「ペットたちが勝手に食材に触れることはありません。自由に出入りさせていたら、どれだけ荒らされてしまうかわかりませんから。それと、あの子が私に顔を合わせてくれている間にいつの間にか食材が減っていたということもありませんでしたね」
翌日、私は地霊殿へと訪れていた。
さとりは快く迎え入れてくれ、食堂へと案内してくれると密かに望んでいたココアを作ってくれた。
そちらに心を奪われて、どのタイミングで質問を切り出そうかなんて考えつつココアを飲んでいたところ、さとりは私が何度も何度も頭の中で反芻していた質問に答えてくれた。
心を読めるさとりにしてみれば、うるさくてかなわなかったかもしれない。
「いえ、これくらい大丈夫ですよ。食欲に突き動かされているペットたちの催促に比べればずっと静かなものですから」
気にしてはいないようだ。
ペットの世話も大変なんだなぁ、と思いつつ次に何を聞こうかと考える。昨日、こいしに言い返せなかったことへ言い返せるような情報がほしいとだけ考えていたから、これ以上は何も考えていなかった。
「……なんだか、こいしが迷惑ばかりをかけているようですね。すみません」
「いいよ、気にしなくて。なんだか私もやりたい放題やってるような気がするし」
聞かれたくないと思ってることをしつこく何回も聞いたり、抱きついて無理矢理足を止めさせたり。まあ、主に昨日のことだけど。
なんだか、昨日は私自身把握してなかった部分が露呈されてしまった。相手に言われたことを受け流そうとするのは、お姉様の影響のような気がするけど。
「そのことですが、フランドールさんは私のことは気にせず、純粋にこいしを相手にしてもらえませんか?」
「それは無理だよ。こいしとの話題なんてさとりとのことくらいしかないし、なにより私はこいしに嫌われてる」
今私がなんとかこいしと顔を合わせられているのは、こいしが咲夜のお菓子に興味を持っていて、かつその咲夜が館に侵入してきたこいしに気づくことができるからだ。
今思えば、咲夜のおかげでこいしとの繋がりをなんとか保っていられるんだなぁ。対して私は何一つ成果を出せていない。私が知っている限りではこいしと関わっているのは私だけのはずなのに。
「いえ、あの子はフランドールさんのことを嫌っていないと思いますよ。あの頃から変わっていなければ、嫌いなものは優先的に避けようとするような性格ですから」
「そうなの?」
それほど意外だとは思わなかったけど、それだとお菓子を食べに来る理由がわからなくなってしまう。
嫌いなんじゃなくて、無関心なんだろうか。でも、面と向かって嫌いだって言われたし……、よくわからない
「そう、ですね……。あの子のことは、よく分かりません」
目を伏せて、寂しそうな表情を浮かべる。
その姿を見て、やっぱりこのままではだめだと思う。さとりとこいしがどう距離を取るのがいいのかはわからないけど、少なくともその間には理解や納得があるべきだと思う。
よくわからないまま距離をあけているなんていう状態を見るのはいやだ。
そんなわがまま混じりの主張をさとりに向ける。心が読まれているのを防げないのはわかっているから遠慮がない。
昨日、こいしが帰った後に考えてみて気づいたけど、私は開き直ると図々しくなってしまうようだ。
今は勢いがほしいからあまり気にしないようにするけど、この問題が片付いたら気をつける必要がありそうだ。
「そういえば、あのころっていうのは? 今と昔で何か違うの?」
ふと気になったことを質問してみる。
こいしを説得するのに何か重要な手がかりになるかもしれない。
「はい。……こいしの第三の目、今は閉ざされていますよね? ですが、昔はしっかりと開いていて、私もあの子もお互いに心を読めていたんですよ。あの頃なら、こいしに関して知らないことは何もありませんでした。そして、あの子もそうだったでしょう」
そう言われて私は今頃になって気づいた。閉ざされているなら、当然開かれていたときもあったということに。
そして、こいしが目を閉ざしてしまったその理由は――
「フランドールさんのお察しの通りです。こいしは他人に嫌われることを、疎まれることを、拒絶されることを嫌がり、同時に怖がっていました。私が最後に見たあの子の心もそういった感情で満たされていたのです」
悲しそうに目を伏せて言う。やっぱりさとりはこいしのことを強く強く想っている。それは、さとり自身振り返りたくないだろう過去を話す姿が、とても痛ましく見えるくらいに。
「あの子が閉ざしたのは目だけではありません。心を読む力を閉ざすというのは、同時に心を閉ざすことでもあります。目を閉ざしてしまって以降、あの子が外へと向ける感情はどこか空虚な物となってしまいました」
心を閉ざしている?
でも、私が何度か相対したこいしからそういった様子は見えなかった。
初めて会ったときはなんとなく雰囲気の焦点が合わず、その理由がわからない私はそのことを怖がっていた。たぶん、さとりの言う空虚な感情を本能のどこかで警戒していたのだろう。
でも、私の言葉に機嫌を悪くしてからはそういったことはなかった。不機嫌そうだったり、不満そうだったり、怒ったり、そして咲夜のお菓子を食べて顔を綻ばせたり。
良い方向の感情を見せてくれることはほとんどなかったけど、あれらの反応は、心を閉ざした人の反応なのだろうか。心を閉ざしていたにしては感情の輪郭がやけにはっきりしていたように思う。
「ねえ、こいしはもう、心を閉ざしてなんかいないんじゃないかな」
でも、こいしは無意識を操る力を手に入れてしまっていた。たぶんだけど、それは心を閉ざしたことで得られた力なのだろう。
その力でこいしは自らの心を守っていた。意識しなければ、どんなことが起きても傷つくことはなくなるはずだ。私が初めて出会ったのはそんな状態のこいしだった。
感情を隠し、意識もぼやかして関われば嫌われることはない。でも、同時に好かれることもなくなる、はずだ。人付き合いがまだまだ薄いからなんとも言えない。
でも、もしそれが正しいなら、こいしがさとりを避ける理由も予想がつく。
「たぶん、こいしはさとりに嫌われることを怖がってる。心を閉ざして無意識だけで動く姿じゃなくて、ちゃんと感情があって自分の意識で動いてる姿を嫌われることを怖がってる」
それが私の単なる想像ではないなんていう確たる証拠はない。でも、想像だという証拠だってない。
だったら、私がそうあってほしいと願う方を信じる。違ったら、なんていうつまらないことは考えない。
どうせ、二人の間には何か動きがあるべきなのだ。だから、私が今こうして作る。
「……理性的なのに、地の部分は感情的。初めてお会いしたときから見抜いてはいましたが、実際に感情的な部分を見せられると、少し圧倒されてしまいますね」
「え? あ、勝手なこと言ったりしてごめんなさい」
さとりの落ち着いた声を聞いたら、私も内側の熱が引いていってしまった。同時に勢いもなくなってしまう。
でも、思いは変わらず、ある一つの願いはまだ胸の中に残っている。それを言葉にするだけの勢いも残っていないけど、さとりには届いてしまっているだろう。
「いえいえ。フランドールさんの視点のおかげで、真実を垣間見れた気がします。……正直に言うと、私は私で悲劇にどっぷりと浸かり込み、あの子のことをちゃんと見てあげることができていなかったようです。本来は、私が気づいてあげるべきだったんですよね」
自虐的な笑みと言葉。でも、どこか吹っ切れたようにも見えて、清々しさが覗いているように見える。
「……フランドールさん。こいしを、ここに連れてきてくださいませんか? 私ではあの子を捕まえることができませんから」
「うん、もちろん。今後一切絶対に私に会いたくないって思われるくらいのことをしてでも連れてくるよ」
それが、どんな方法なのかなんて思い浮かばない。でも、こいしを連れてくる手段は考えてある。
「私としては、フランドールさんのような方があの子の友達になってくだされば嬉しいんですけどね」
「相性が悪いからうまくいかないよ」
今までのやり取りを思い返せばよくわかる。そこに、私が無理矢理関わっているのだから、今更どうしようもないほどに嫌われてしまっていると思う。
「私は、そうは思いませんけど……、まあ、頼むようなものでもないですよね」
「さとりにとって、友達ってどういうものなの?」
いつだったかお姉様に聞いてみた問い。
お姉様が友達の捉え方にはいろいろある、みたいなことを言っていたのを思い出して、少し気になったのだ。
「私に友達と呼べるような相手はいませんが、うちのペットたちにとても仲のいい子たちがいるんですよ。その子たちを見ていると、こういうのが友達なのではないだろうかと思うんです」
一息、間を置いて、
「お互いに励まし合い、叱り合えるそんな関係」
お姉様の答えよりはわかりやすかった。でも、わかりやすいというだけで、実際にするとなれば難しいと思う。私の場合、叱る場合萎縮してしまうだろうし。
「まあ、私の知っている子たちは片方がしっかりものなので、叱り合っているというのは見たことないですが。それに、フランドールさんは、誰かを叱るということはできると思いますよ。現に、こいしから目をそらしていた私も叱られたような気持ちですし」
「う……、ごめんなさい……」
「だから、謝らなくてもいいですよ。むしろ、感謝しているくらいです。ですが、もしどうしても謝りたいというなら、代わりにちゃんとこいしを連れてきてくださいね」
「……うんっ」
今日ここで初めて私は覚悟というものをできた気がする。
あのときのように、身体が強張るようなことはなかった。
◆
さとりと約束をしてからこいしが来る日まで、私は来るべきときに備えて準備をしていた。
といっても、私自身がする準備はほとんどない。こいしが来るまでにしておくのは、心の準備くらいだ。
そんな私に反して、一番準備量が多いのは手伝いをしてくれることになっているパチュリーだろう。もともとは手伝ってもらう予定はなかったんだけど、お姉様から話を聞いて協力してくれると言ってくれたのだ。
少し不安な部分があったから、パチュリーが協力してくれることにはとても感謝している。
そして、前回こいしがここに来てから三日経った今日、私は妙にそわそわしながら椅子に座っている。こいしの気分が変わっていなければ、今日こいしは現れるはずだ。……前回、こっちが好き勝手言ってしまったから、不安はあるけど。
「フランドールお嬢様、こいしが館に入ってきました」
「あ。ありがと」
ついに、このときがやってきた。そわそわとしていた気分は一気に引っ込んだけど、代わりにかなり緊張してくる。
こいしが来たことをわざわざ伝えてもらう必要はないけど、心の準備をする時間が必要だろうと思って頼んでいたのだ。この緊張感にいきなり襲われていたら動けなくなっていたかもしれないから、頼んでいて正解だったかもしれない。
「いえいえ、これくらいお安いご用ですよ。大変でしょうが、頑張ってくださいね」
「うん」
咲夜は姿を消して、部屋の中には私だけとなる。私は胸に手を当て、ついでに目も閉じてゆっくりと深呼吸をする。
なんとなくだけど、緊張で大きくなっていた心臓の鼓動が少しは落ち着いたような、気がする。いや、こういうのは思い込みが大切だろうから落ち着いた。そういうことにする。
でも、そんな余計なことを思考の中に入れると、余計に心音が気になる。結果として、緊張している自分を自覚してしまい、元に戻ってしまう。
「……なにやってるの?」
そして、こいしが現れてしまった。一応、心構えができていたのか緊張している割には驚くことがなかった。まあ、上手くやるというのが最終目標だから、驚かないだけでは何の意味もない。
つむっていた目を開けてみると、こちらをいぶかしむように見るこいしの姿が映った。私の姿を見て警戒しているのか、まだ扉の近くにいる。
計画ではこいしは椅子に座っていることになっていたけど、こちらの方が都合がいい。そう思いながら、すぐに行動を開始する。
「魔法を使う準備」
ごく簡単にそれだけを言い、姿を消すと、一気にこいしとの間合いを詰めた。
警戒をしていたこいしは私の姿が消えた瞬間に一歩引いたみたいだけど、それ以上は動いていない。何が起こるかを見極めようとしたからだろう。そして、そうやってほとんど動かなくするのが、わざわざ姿を消してこいしとの距離を詰める理由だった。
「さとりに会って、話をしよう?」
こいしの目の前で姿を現した私は、こいしが逃げ出す前に手を掴んだ。たぶん、これで逃げられないはずだ。
「……こんな小細工が使えるんだ」
近くに寄ると身長差が如実に現れて、見下ろされつつ睨まれるという状況になってしまう。こうして正面から見下ろされるのも久々だけど、やっぱり迫力を感じる。でも、実際に手を出されたことはないから、怯えは出てこない。
態度が怖いだけなら、慣れてしまうとなんともなくなる。
「うん、魔法はそれなりに使えるからね」
パチュリーには才能があるなんて言われた。でも、種族的に相性の悪い魔法もあるし、そこまでがんばろうという気にはならなくて、なんとなく興味を持った魔法くらいしか練習はしていない。
「……そう。でも、フランに何を言われようとも会いに行くつもりはない」
私はなんと言われようともだいじょうぶだ。でも、さとりのことに関して一切の躊躇もなくそう言い切られると悲しくなる。
「さとりは、こいしのことを嫌ったりも、疎ましく思ったりも、拒絶したりもしないよ。だから、怖がらないでさとりに会いに行こう?」
「うるさい。なんの根拠があってそんなこと言ってるの」
「さとりの想いは本物だよ。私が保証する」
「そうじゃなくて、なんで私が怖がってるって思うのかってこと」
「それに関しては返す言葉もないんだよね」
さとりから話を聞いて、そうなんじゃないだろうかって思っただけだから。
「でも、怖くないなら会いに行けるよね?」
「会いに行く理由がない」
「さとりが会いたがってた。それだけでも、十分理由になるよ」
「……やだ」
なかなか頑固だ。でも、否定の言葉を口にするときに今までの勢いがなくなっているから、何か思うところはあるのだと思う。
なんとしてでも隠し通すつもりなのか、話してくれそうな様子は全く感じられない。
「残念。話し合いをして、こいしが自分の意志でさとりのところに行ってくれればよかったのに」
というわけで、話し合いをして同意の上でさとりのところへ連れていくというのは諦めて、最初から実行するつもりだった計画の方へと切り替える。
「……なにするつもり?」
「私が何を言ってもむだみたいだから、さとりのところまで連れていってあげる」
そう答えつつこいしの手を放す。そして、逃げ出す前にこいしとの距離を零にまで詰めて、正面から抱きしめた。
ただ、このままだと全然前が見えないから、こいしの腰の辺りに回した腕を調節しつつ浮かび上がる。これで、こいしの肩から前方を覗くことができる。端から見れば、私が抱きついているようにしか見えないかもしれない。
「……放して」
「だいじょうぶ、さとりは逃げも隠れもせずにちゃんとこいしのこと、受け止めてくれるよ」
「私は放してって言ってるの」
声は冷ややかで少々攻撃的な感じにはなっているけど、逃げ出すような雰囲気はない。
どうやらこいしの力では私を振り払うことはできないようだ。でも、気を抜いたときにどうなるかわからないから、常に注意は向けておく。
「あんなに想ってくれてる姉から逃げるなんて可哀想だよ。今までずっと読めてた心が読めなくなってこいしは不安で怖いかもしれないけど、ちゃんと向き合ってあげて」
「だから、知ったような口をきかないで」
「私は知ったような態度しか取れないから」
本当の気持ちを全然見せてくれないから、予測に予測を重ねていくことくらいしかできないのだ。それでも、いくつかのことは私なりに確信しているから、こうして行動に移した。
「……やっぱりフランは生意気で、余計なことしかしない」
「たぶん、こいしが素直じゃないからじゃないかな」
いつだったかと似たような答えを返しつつ、こいしごと浮き上がる。重さはそれほど感じず、問題なく地霊殿にたどり着くことができそうだ。
私みたいに動くことが少ないと吸血鬼なんていうのは日常生活での利点がないけど、こういうときはよかったと思える。まあ、力が強い妖怪は他にもたくさんいるから、吸血鬼であるのはあんまり関係ないけど。
そんなことを考えながら、扉の方へと向かう。両手は塞がっているけど、魔法で分身を作り出して扉を開けさせる。
「なにしたの?」
「私の分身で扉を開けただけだよ。ほら」
分身を背後、こいしの正面へと移動させる。
「魔法って便利だねぇ。あのとき、私に助けられる必要なんてなかったんじゃない?」
「まあ、そうなんだけど、あのときは混乱してたから。すぐに思い浮かばなかったんだ」
「はぁ……、そのときにすぐに思い浮かんでてくれればこんなことにならなかったのに」
こいしの後悔からくるため息が耳元をくすぐった。そんな些細なことで腕の力が緩みかけるけど、なんとか我慢する。
それにしても、確かにあのときの出会いがなければ、私が二人の問題に首を突っ込むようなことはなかったはずだ。
真っ直ぐ館まで帰って、たぶん外に出ることに怯えて、それでも時間が経てばまた外に出るようになって。それだけで終わっていたはずだ。
私はまだこいしやさとりと関わったことに対してどう思えばいいのかわからない。それは、今からの行動で全て決まるはずだ。
だから、私は適当な言葉を返すにとどめる。
「でも、そのおかげで、咲夜のお菓子を食べれるようになったんでしょ?」
「ま、そうだね。余計すぎるくらいに余計なおまけがついてきたけど」
「さとりとの話し合いがうまくいけば、私はこれ以上関わらないよ」
「なんでフランがそんなに偉そうなの」
「ん? そうかな?」
そうやって、無駄話をしながら地霊殿を目指す。最後の最後までなんだかへんてこな関係だったけど、いざ終わりが近づいてくると、なんとなく寂しいものがある。
そんな気持ちを表すかのように、今日の天気は曇りだった。
太陽に焼かれてしまわないようにと、パチュリーがやってくれたことなんだけど。
「ねえ、こいし。何してるの?」
「私はお姉ちゃんに会うなんて一言も言ってない」
地霊殿へと向かう途中、パチュリーのおかげとこいしのせいで障害はほとんどなかった。移動していた途中ですぐに気づいたけど、こいしが周りの人たちに私たちのことを気づかれないようにしていたのだ。
そして、それはさとりの部屋に着いた今も続けられていて、緊張した面持ちで椅子に座っているさとりがこちらに気づく様子は全くない。
さとりは、私たち、正確にはこいしが現れるのを待っているようだ。
このまま扉の前に突っ立っていても事態は好転しない。なんとかさとりに気づいてもらわないと。
こいしの能力はその有効範囲がわかりにくいのが厄介だ。でも、限界はあるはず。現に、ぴったりとこいしにくっついている私はこいしを見落としたりしていない。
とにかく、こいしを抱きしめたままさとりの方へと近づいていく。こいしが抵抗するような様子はない。
ここに来るまでの途中、何度か不意を突くように逃げようとして、それらがことごとく失敗しているから諦めたようだ。でも、最後の最後まで力を使っての抵抗はやめないあたり、往生際が悪いことに変わりはない。
「さとり」
正面に立って呼びかけてみる。そうすると、ぴくりと身体を動かした。でも、目の焦点は私たちの方には合っておらず、扉の方を見ている。まるで、私たちが透明にでもなってしまったかのような反応だ。でも、さとりは気づいていないだけなのだ。こんなにも近くにいるのに。
でも、さとりは何かを感じ取っているのか、部屋を見回してそれからじっとこちらの方を見つめてきた。気づいてはいないけど、きっとそこにこいしがいるのだと信じているかのように。
「さとりっ!」
もう一度、それもさっきよりもずっと大きい声で呼びかけてみる。でも、その直後に口を手で塞がれた。頭も後ろから抑えられていて、こいしが逃げてしまわないようにと両腕を腰に回している今、そう簡単には振り払えそうにない。
首を何度か振ってみるけど、こいしの帽子が落ちるだけで手は離れない。
「……こいし」
いや、それだけじゃなかった。こちらの方をずっと見ていたさとりが椅子から立ち上がり、帽子を拾い上げた。
さとりの口からこいしの名前がこぼれた瞬間、微かにこいしの身体が強張るのがわかった。やっぱりさとりと正面から向き合うことを怖がってるようだ。
「こいし、そこにいるのよね?」
さとりが呼びかけてくる。それでもなお、こいしはさとりと向き合おうとせず、逃げ続けるつもりのようだ。
怖いから逃げたいという気持ちはよくわかる。私だってすぐに逃げ出したくなる。
でも、お姉様はそんな私を許してはくれなかった。優しい言葉や励ましの言葉はくれたけど、逃げることを肯定してくれるようなことは決してなかった。
だから、私は誰よりも尊敬するお姉様の真似をしてみる。言葉は封じられてしまっているけど、それだけで諦める程度の意志では動いていない。
こいしに気づかれないよう、おもむろに片方の腕をこいしの身体から離す。ずっと密着していたから、それだけで涼しさを感じた。これでは、こいしも気づいてしまっているかもしれない。
まあ、気にしない。どうせ遅かれ早かれ気づかれてしまうことだし。
腕を上げて、こいしの頭に触れる。本当ならさとりの役目だろうけど、そのさとりをこいしが避けているのだから私がするしかない。不満に思われる点はいくらでもあるかもしれない。
手がこいしの髪に触れる。その感触にくすぐったさを覚えながら、お姉様の手を思い出しながら不器用に手を動かす。
でも、案の定気に入らなかったようで、こいしは逃げ出そうとした。私の頭と口から手を離し、突き飛ばそうとしてくる。私なんかでは、こいしを安心させることはできない。
それはよくよくわかっていたから、ショックはさほど受けない。早々にさとりにこの役目を引き渡してしまおう。
片腕でもこいしをなんとか逃がさないようにしていたけど、不意にその力を抜く。
その瞬間、私はこいしに突き飛ばされ、距離が離れる。思ったよりも衝撃が強くて少々ふらついたけど、なんとか倒れずに自立した。
対して、こいしには自分の力では立っていなかった。驚いたような表情を浮かべながらも、こいしの真後ろに立っていたさとりが帽子を持ったままこいしを後ろから抱きしめていた。
「さとり。約束どおり、こいしを連れてきたよ」
「……はい、ありがとうございます。それから、おかえりなさい、こいし」
さとりの腕にぎゅっと力が込められる。こいしはそれに抗おうとはせず、大人しく腕の中に収まっている。正確には動けなくなっているという感じだ。
正面にいる私を睨んできてはいるけど、その翠色の瞳は微かに揺らいでいるように見える。
私は早々に退散した方がいいのか、それとも、もしこいしが逃げ出した場合に備えて、ここにとどまっているべきなのか。
結果がよくわからないうちに投げ出してしまうのはどうかと思い、とどまることにした。丸く収まりそうなところを見届けたら、すぐに出ていこう。
「ごめんなさい、私はあなたを理解してあげられなかった」
さとりが静かに話し始める。こいしを抱きしめて、きっとずっとずっとため込んでいた気持ちを言葉にしていく。
「私はあなたが知らずのうちにどこか遠くへ行ってしまうのではないだろうかと怖かった。だから、あなたが目を閉ざしてから私はできるだけあなたに関わろうとした。そうすることで、あなたを私の近くに繋ぎ止めようとした。あなたがどんなことを考えているのか、考えようともせずに、ね。
だから、あなたが私に顔を見せなくなったとき、そんな私を嫌ってしまったんだろうと思ったわ。そうやって、また私はあなたが何を考えているのかしっかりと考えようとしていなかった。
でも、そこにいるフランドールさんが気づかせてくれたわ。あなたが私と関わることを怖がっているのではないだろうかと。私があなたと関わるのを怖がっているように。
私にとっても、そして、きっとあなたにとっても心が読めるのは当たり前で、心が見えないのは異常で、恐ろしいこと。でも、あなたは心を読む力を捨ててしまった。
他人の心を読めない世界なんて私にはわからない。……でも、あなたの心が読めない世界はとても心細いわ。昔は私を好きでいてくれたけど、心を閉ざしてしまってからはそれが全然わからないから」
さとりの想いをこいしは静かに聞いていた。いつの間にか私の方を睨むのをやめて、代わりにその顔は無表情となっている。
何を思って、何を感じているのだろうか。私にはそれを窺い知ることはできない。
「……こいしは、あなたを守れなかった私を恨んでいるの? 憎んでいるの? 嫌っているの? ……それとも、今でも好きでいてくれているの?」
そう問う声はとても不安そうで、声が震えているのが伝わってくる。心を読むことのできるさとりにとって、答えが返ってくるまで何もせずに待つ時間なんていうのは未知のことなのだろう。
なら、不安になるのも頷ける。しかも、質問の内容からすでに後ろ向きの気持ちになっているということもよくわかってしまう。
「……」
こいしは何も答えようとしない。本心を言葉にするのが怖いのだろうか。それとも、私の見込み違いでさとりのことはどうでもいいと思っているのか。
いや、後者はないはずだ。今までのこいしの反応からそれはないと思いたい。そうじゃないと、私がさとりにしてしまったことはあまりにも残酷すぎるから。
私は、祈るような気持ちでこいしを見つめる。せめて、今何を思っているのかそれだけでも口にしてほしい。
じっとこいしの顔を見る。
「……お姉ちゃんは?」
私の願いが届いたのか、それとも何か覚悟ができたのか、こいしはおずおずと不安を隠そうともせずにそう問いかけた。自分の方から正直な気持ちを言うのが怖いのかもしれない。
「え……? ……あ。ええ、大好きですよ、こいしのこと」
さとりはなんだか素っ頓狂な声を出したかと思ったら、慌てたようにそう言った。これはもしかすると、
「お姉ちゃん?」
「……ごめんなさい。いつも心を読んで会話をしているから、あんまり省略されると意図をなかなか掴めないのよ。これでは、嫌われてしまっても仕方ないですね……」
そう言ってさとりは落ち込み、こいしを抱きしめている腕からも力が抜けている。
さとりのその反応にこいしは小さく呆れたようなため息をつく。無表情だった顔にも感情が表れ始める。そこにある感情を読みとる前に、こいしの視線はさとりの手の方へと向いてしまったから、どんな顔をしているかはわからない。
「……嫌いになれるわけがない。お姉ちゃんのおかげで、私の心は外に向き始めたんだから……」
ようやく今までずっとはぐらかされてきた、こいしのさとりへの想いが言葉にされた。おずおずとそして恥ずかしげで小さな本当に小さな声だったけど、すぐそばにいるさとりにはちゃんと届いたことだろう。
「こいし……っ」
その証拠に、さとりは驚いたような、でも嬉しさが滲み出てきているような表情を浮かべると再び腕に力を込めた。こいしは恥ずかしそうに身をよじる。
この様子なら、私はもう必要ないだろう。
後は、二人っきりで今まで距離をあけていた分しっかりと話をしてほしい。
私は音を立てることもなく部屋から消えた。
最後の最後にこいしがこちらを見てきていたけど、何かを言ってくるようなことはなかった。
◇
風が吹き抜け、ぱさぱさと音を立てながらページを揺らす。空には雲一つ浮かんでおらず、澄んだ青空がよく見える。
今日は空を眺めるにはちょうどいいみたいだけど、外で本を読むのにはあまり向いていないようだ。せっかく本を持って出てきたけど、読むのは諦めて閉じる。
代わりに日傘を使いつつ木陰の下で足を伸ばせるだけ伸ばして、空を眺めるのに楽な姿勢を取る。風に飛ばされてしまわないよう、傘は魔法で固定。
こいしをさとりに会わせてからまだ一日しか経っていない。
去り際の二人の雰囲気から、うまくいっているだろうという確信はある。だから、二人のことはあまり気にならない。まあ、こいしがあの後何を話したのだろうかというのは気になるけど、数日もすれば消えてしまう程度の興味だ。
随分と長い間、悩まされてきたような気がする問題が解決したからか、今日の目覚めはやけに清々しかった気がする。だからといって、何か特別なことをしたわけでもないけど。
もう私があの二人に関わることはないだろう。
それを聞いたお姉様はもったいないと言っていたけど、片方には嫌われているのに理由もなく関わるなんていうこと、私にはできない。
さとりの作ってくれるココアも気になるには気になるけど、そのためだけに会いに行くのも気が引ける。たまたまこいしに出会ったとき、何を言われるかわからない。
だから、私は今までの基本的には本を読んで時間を潰す生活に戻ることにする。そっちの方が私には合ってる気がするし。
「一人でなにやってんの?」
「え……? あ、あれ? なんで、こいしがここにいるの?」
内側に向いていた意識を外に向けて、空を眺めようと思ったら、正面にこいしが立っていることに気づいた。
私を見るその顔にいつもあった不機嫌そうな色は見られない。
私が知っているこいしの中では初めて会ったときの雰囲気が一番近いだろうか。でも、それに比べると存在感がはっきりとしてる。
咲夜には、もしこいしが来たら私のところに来るようになんて言わずにそのままお菓子をあげてほしい、とお願いしたはずだ。咲夜が勝手にこいしをこちらに向かわせるようにしたんだろうか。
「咲夜がここにフランがいるって教えてくれたからね」
「そう、なんだ?」
混乱のしすぎで、語尾がちょっとおかしくなっている。
「まあ、なんというか……、まあ、うん」
なんだかこいしの様子もおかしい。こちらから顔をそらしたかと思うと、逃げるように去ってしまう。と、思ったら私が寄りかかっている木の反対側に腰を下ろした。
「こっち見ないで、前向いてて」
「あ、うん」
なんなんだろうかと思いながら、視線を前に戻す。眩しいくらいの青に視界が塗りつぶされる。
「その……、ありがと。……フランがいなかったら、いつまで、すれ違ったままかわからなかった」
「ううん、どういたしまして」
刺々しさも冷たさも感じない、それどころか口にするのを恥ずかしがっているような声音に新鮮さと戸惑いを感じながら、私はそう返す。そう言えば、お礼を言うことはいくらでもあっても言われることはあまりなかった気がする。
「……」
「……」
まだ何かあるんだろうかと待ってみるけど、こいしは黙ったままだ。でも、背後に気配はあるからいなくなってはいないようだ。
何か、口にすることを躊躇っているんだろうか。今回のさとりとのすれ違いは、こいしの臆病さとさとりの臆病さが原因だったし。
でも、今までは言いたいことを言われてきてたし……、うーん?
「こいし、まだ何か言いたいことがあるんじゃないの? だいじょうぶ、私はこいしに何言われても動じないよ? こいしから酷いこと言われるのは慣れてるから」
だから、私の方から促してみた。こいしから生意気だと言われた、でもいつの間にか、こいしと話すときは普通になっていた言い回しで。
「……やっぱり、フランには私のこと、そんなふうに映ってるんだ」
返ってきたのはやけに沈んだこいしの声だった。
「えっ? べ、別にこいしが酷い性格だって思ってるわけじゃなくって……っ?!」
思ってもいなかった反応に狼狽し、こいしの方へと振り向きながら慌てて訂正をする。
そうすると、いきなり視界が何かに塞がれた。一瞬何をされたかわからず、身体が硬直してしまう。
視界の下の方に、第三の目がある。どうやら、正面からこいしに抱きしめられたようだ。
「こっち見ないでって言ったのに、見ちゃったね」
「え……、ごめんなさい?」
何の問題があるのかわからず、首を傾げつつ謝ってしまう。
「……私が、フランに酷いことを言ってきたっていうのは自覚してる。その、ごめんなさい」
しおらしい様子でこいしが謝ってきた。
そして、今ここに来て私はようやく気づいた。昨日まで私が相手をしていたこいしとはちょっと違うこいしなんだな、と。
ずれていた歯車が元に戻った姿が、今のこのこいしなんだと思う。
私を嫌っていたのもその歯車がずれていた方のこいしで、今はそんなことはないのだろう。真っ正面から嫌いだと言うこいしが、嫌いな相手を抱きしめるようなことをするとは思えない。
「でも、その、お姉ちゃんに言われたり、一人でいろいろ考えてみたら、えっと、……フランといるのも、悪くないかなって」
最後の言葉は消え入ってしまいそうなほどに小さかった。でも、密着するくらい近くにいるからちゃんと聞こえてきた。
「……だから、私と友達になってくれない?」
「私なんかでよかったら喜んで」
こいしに全然余裕がないみたいだから、私の方が気取ったようにそう言ってみた。でも、抱きしめられたままだったから、声がこもってしまって全然決まってなかった。
それがなんだかおかしくて、笑いがこみ上げてくる。そして、抑えられなくてついには一人肩を揺らして笑っていた。
嫌われていないのだとわかったとたんに、気持ちが舞い上がってしまっていたのだからしょうがない。
なんだかんだと受け流してはいたけど、やっぱり嫌われているよりはそうじゃない方がいい。
友達とは何なのか。
自分なりの答えはまだわからないけど、いつかわかればいいな。
困惑したようなこいしに構わず、一人で笑いながらそんなことを思っていた。
Fin
「……あれ?」
寝る前との状況の違いに思わず声が漏れてきてしまう。身体を起こすと同時に、かけられていた毛布がずれ落ちる。それから、なんとなしに自分の身体を見下ろしてみるけど、特に変化はない。頭に触れてみても、髪を片側だけ結わえたリボンがあるだけだ。
私の記憶では、天気が良かったから木陰に隠れて、空を眺めながら本を読んでいたはずだ。
その最中、少しずつ暖かさに誘われた眠気が集まってきて、心地よさに身を委ねてそのまま眠ってしまった。でも、部屋に戻ったという記憶はない。
誰かが部屋まで運んでくれたのだろうか。
でも、この部屋は今まで見たことがない。そもそも館の中に運び入れるなら、普通は私の部屋へと運んでくれるはずだ。自室とは違う、それも私が知らない部屋へ運ぶとは思えない。
もしかしたら、なんらかの事情があって、わざわざ別の部屋へと運んだのかもしれない。
でも、その事情とはなんだろうか。
いや、それ以前にこの部屋は、館の部屋とは雰囲気が違っている気がする。
部屋に窓はない。でも、明かりが灯されているから暗くはない。同じように地下にある私の部屋よりも明るい印象を受ける。
それは壁のせいだろう。白色であることは見慣れた部屋と同じだけど、材質が違う。表面に光沢があり、明かりを反射してきらきらと輝いているように見える。それによって、明るい印象を受けるようだ。
部屋には物が雑多に置かれている。ビー玉やガラス瓶といった光り物の類が多い。ふと、自分の羽のことがよぎったけど、これのせいでこんなところにいるわけじゃないよね?
……それで、今どこにいるんだろうか。
部屋の中を見回している間に頭は冴えてきて、じわりと不安が滲み出してきている。ここにいるべきではない。そんなふうに何かが訴えかけてきている。
じっとしていることに耐えられなくて、ベッドから起き上がる。もしかしたら、もしかしたらだけど、ここは紅魔館で、たまたまこの部屋だけ作りが別なのかもしれない。地下にある部屋は自室と図書館だけだと聞いていたけど、ここはわざと窓を作らなかったのかもしれない。
自分自身に言い聞かせるようにして、不安を払いのけようとする。
扉の向こうには知っている場所があるんだと信じて、扉に駆け寄る。その向こうの景色を見れば、不安は消し飛ぶんだと思い込ませながらノブを掴む。
扉は抵抗なく開いた。そのことに、一瞬安堵しかける。
でも――
「え……?」
部屋と同じ壁。白と黒のタイルの床。所々にはめ込まれたカラフルなステンドグラス。それらで構成された長い廊下。
色鮮やかなガラス細工は、下からの光を受けて輝き、天井を染め上げている。それが、今までに見たことのない不思議な景観を作り出している。
扉の向こう側にあったのも、やっぱり知らない場所だった。
珍しい光景をゆっくりと眺めているような余裕はない。
興味や好奇心よりも、怯えや不安の方が断然大きかった。
逃げるようにして扉を閉じる。焦ってはいたけど、それと同時に音を立てないようにと慎重だった。音を立てた瞬間に何か怖いことが起こるんじゃないだろうかと、とても不安だったから。
扉から離れて、現状をもう一度考えてみようとしてみる。本能の方が現実を直視するつもりがないのか、未だに紅魔館のどこかだ、なんて考えている。でも、そんな悠長に構えている余裕はなさそうだ。
私は誰かに誘拐されたのかもしれない。知らないうちに全く知らない場所にいるということは、そうとしか考えられない。廊下の作りがこの辺りだけ違うと考えるのはかなり無理がある。
でも、どうするべきなんだろうか。
戦うことはできる。ある程度力のある妖怪や人間を相手にしても、負けることはないくらいの力があることは自覚している。でも、できることなら戦うことは避けたい。
私の持っている力は、ふとした弾みでも簡単に殺せてしまうような力だ。弾幕ごっこのような遊びの場合はともかく、こうして実際に危険が迫っているような場面で制御しきれる自信はない。私の精神が不安定になってしまえば、使うつもりがなくとも周囲を無作為に巻き込んでしまう危険が高い。
なら、どうするのが最善なんだろうか。
とっさの場合になんとかできるようにレーヴァテインを出しておくというのも考えてはみたけど、武器を見せて下手に刺激してしまうのもまずい気がする。向こうがいきなりこちらに手を出してくるつもりがないなら、様子を窺って不意打ちを仕掛ける方が有効そうだ。
あ、それよりも――
「お待たせっ! 助けに来たよ!」
突然、扉が開け放たれた。扉が壁にぶつかる音が部屋の中に響く。
驚いた私は、身体をびくりと竦ませる。もう少しで最善の答えが出てきそうな気がしたけど、全部大きな音と共に吹き飛んでしまった。
「だ、だれっ?」
一歩後退り、警戒態勢に入る。先ほどの言葉を鵜呑みにするなら私を助けに来てくれたようだけど、扉の向こう側にいるのは特徴的な姿をしている、でも知らない人、おそらくは妖怪だった。
まず、目に付くのは胸の前にある藍色の閉じた目のような大きな物体。そこから二本の紐のようなものが伸びていて、彼女の身体に巻き付くようになっている。
それから、黄色いリボンの揺れる大きな黒色の鍔広の帽子が目に入る。その下には、不思議な色合いをした銀髪。純粋な銀ではなく、緑と青の中間のような色が混じっている。
そして、好奇心で輝く翠色の瞳でこちらを見てきていた。私よりも身長がいくらか高いから、少し見下ろすようになっている。
普段なら、好奇の視線を向けられると恥ずかしいような、逃げ出したいような、そんな気持ちになるけど、今は不思議とそうはならない。今が異常事態だからだとかは関係なく、目の前の彼女の存在感がどこか希薄だからだろうか。
目をそらしたその瞬間に姿を消してしまっていそうな、そんな雰囲気をまとっているのだ。行動と雰囲気とが不釣り合いで、違和感がある。
「私は古明地こいし。あなたを助けに来たんだ」
「……あなたは、私のことを知ってるの?」
存在感の薄さに何か恐怖に近いようなものを感じて警戒心を抱く。でも、はっきりとしたものではないから、少し及び腰になる程度にとどまった。
私は目の前にいる彼女のことを知らない。誰かと出会う機会もかなり限られているから、どこかで会っていたけど忘れているということもありえないだろう。
でも、向こうだけが知っているという可能性がないこともなかった。お姉様はいろんな人と出会う機会があるから、話をしている間に私のことが話題に上ったということもありえる。
「ううん、知らない」
でも、返ってきたのは予想に反して否定の言葉だった。
なら、どうして私を助けようなんてしているんだろうか。善意からという雰囲気ではない。
いくら世間知らずでも、悪意の存在は知っている。でも、彼女から悪意は感じない。なんにもない。それが、一番しっくりとする気がする。
「だから、今から知るよ。ほらほら、あなたの名前を教えて。誘拐した人が戻ってくる前にさ」
「あ、えっと、フランドール。フランドール・スカーレット」
急き立てるように言われて思わず名乗ってしまう。
「む、長い。面倒だし、フランでいいよね」
「え。別に、いいけど……」
そんな理由で、出会っていきなり愛称で呼ばれることがあるとは思わなかった。確かに幻想郷の中では長い名前だとは思うけど。
知らない人から愛称で呼ばれるのが嫌ということはない。ただ、初対面でいきなりそのことを感じさせないような近づき方をされると、困惑が大きくなってしまう。こっちは初対面というだけで、どういう態度を取ればいいのかわからなくなってしまうのだから。
「よしっ、さっさとここから逃げよう!」
私の困惑に気づいた様子もなく、こちらへと手を伸ばしてくる。
掴めということなんだろうけど、どうしても躊躇してしまう。意図がわからないし、不自然なほどに希薄な存在感に警戒を抱かざるをえない。
「ねえ――」
「ああもう! 焦れったい! さっさと行くよっ!」
――どうして助けてくれるの?
せめて、それだけでも聞こうとしたのに、質問を遮るように手首を掴まれてしまった。こいしはそのまま部屋の外へと駆け出す。
手首を掴まれている私は引っ張られるように後に続く。失礼かもしれないけど、私の手首を掴んだその手が温かかったことが意外だった。
「ちょ、ちょっと! 話を聞いてっ!」
「質問は後! 今はこっから逃げるのが最優先!」
確かにそれは正論かもしれないけど、このまま素性のわからないこいしに連れていかれてもいいのかという不安もある。
でも、帽子を押さえて駆けるその後ろ姿からは、質問を受け付けてくれるような雰囲気はない。何を言っても無視されてしまいそうだ。
後で質問を聞いてくれるみたいだし、仕方なく足を動かす。
色鮮やかに照らされる廊下に、私たちの足音が不揃いに響いた。
「よし、無事に脱出成功っ!」
こいしに導かれるまま廊下を駆け抜けて、館の玄関扉に負けないくらいに大きな扉を二人でくぐり抜けた。
外に出る直前に身構えたけど、予想していたものはどこにもなかった。見上げて映り込んできたのは、茶色い天井だけ。
どうやら、ここは巨大な洞窟の中のようだ。吸血鬼の天敵である太陽はどこにも見当たらない。
そして、もう一度思う。ここは、どこなんだろうかと。
「何か、聞きたそうだね。走るのも飽きたし、ここらで、質問タイムに、しようか」
こいしがこちらへと振り返る。体力はあまりないのか、少し息が上がっているようだ。ちょうど目線の高さに肩があるから、上下しているのがよくわかる。
「こんなところで立ち止まっててだいじょうぶなの?」
確かに聞きたいことはいくつかあるけど、誘拐されて連れてこられた場所の目と鼻の先でそんな悠長なことをしていていいんだろうか。後ろの方ばかりが気になって、質問に集中できそうにない。
「大丈夫大丈夫。ほら、私がいるから」
「……どこからそんな根拠が出てくるの?」
こいしは、かなり余裕のある表情を浮かべている。でも、その余裕の理由が分からないから、大丈夫という言葉は全く信用できない。
そもそも、本当に私を助ける気があるのだろうか。
「ふっふっふー、何を隠そうこの私は無意識を操れるんだよ。だから、私たちのことを無意識のうちに無視しちゃうようにすれば、そう簡単には見つからないよ。たとえ、目の前に立っていようともね」
不敵な笑みを浮かべながら、そう説明をしてくれる。
そういえば、建物の中で何匹かの動物とすれ違ったけど、どの動物も一切の反応を見せなかった。いくら命令に忠実でも、注意さえも向けさせないということになるとほとんど不可能だと思う。
だから、こいしの言葉を信じてもいいという根拠はある。
でも、こいしのことはまだ信頼できない。追いかけてくる存在がいないというのは確実だろうけど、突然現れて私を助け出したこいしに対する胡散臭さは消えていない。
もしかしたら、こいしが第二の誘拐犯という可能性だってある。
「というわけで、質問をどうぞ。あんまり疑問を抱えてたら楽しめないでしょ?」
「楽しめないって、どういうこと?」
どうして今そんな言葉が出てくるのかわからない。
何かさせるつもりなんだろうか。
「そのままの意味だけど? 一人で遊んでてもつまんないから、一緒に地底巡りでもしてもらおうとね。面白い羽を持ってるあなたとなら、面白いことになるかなって」
今の答えで私が抱いていた疑問のうちの二つの解を得られたということになる。でも、そんな理由で遊び相手を決めるのはどうなんだろうか。誰かと遊ぶなんてことを滅多にしない私にそんな期待を抱かれても困る。
それよりも、ここは地底なんだ。
言われてみれば大きな建物が洞窟の中にある時点でそう思うべきだったかもしれない。そんなことに気づけないくらい、余裕を失っているということなんだろう。
地底については、パチュリーから少しだけ聞いたことがある。確か、地上で忌み嫌われていた妖怪たちが住んでいる場所だとか。
……私が、こんな場所にいてだいじょうぶなんだろうか。
ある程度地上との関わりを取り戻してきたとも聞いたけど、それは表向きの話であって、実際のところはどうだかわからない。特に感情面なんかはそう簡単に変わるとも思えないし。
「……私、遊んでないですぐに帰りたい」
そんなことを考えていると急に不安になってきて、声も潜めたようなものになってしまう。こいしと二人きりの状態でそんなことをしても意味がないというのに。
それに、寝てしまってからどれくらい時間が経ったかはわからないけど、館から私がいなくなったことには気づいているはずだ。私が無断で外に出るなんていうことは今まで一度もなかったから、お姉様も心配していると思う。
「ん? そう? なら気をつけて帰ってね。この辺の人たち、余所者に対する風当たり強いから」
「えっ? 出口まで案内してくれないの?」
不安を抱えていた上に、そんなことまで言われてしまって一人で帰れるはずがない。
「うん。私は一緒に遊んでくれるかなって思ってフランを助けたんだよ? だから、フランが遊んでくれないっていうんなら、これ以上何かをしてあげる理由はない」
私の手首を放して、距離を取ろうとする。でも、途中で足を止めると、こちらへと振り向いてきた。
かなり意地悪そうな笑みを浮かべている。
「で、どうするの? 私と遊んでくれる?」
絶対に断られることがないだろうという確信に満ちたような問い。
こちらの考えを見透かしているのだろう。だからこそ足を止め、振り向いたのだと思う。
それに、こいしの方は私に断られたところでなんの不利益もない。優位に立っているのは明らかに向こう側だ。
お姉様のことは気になる。でも、度胸が足りないから断るなんてことはできない。そもそも、それだけの度胸があったなら、一人でさっさと逃げ出していたと思う。
「……わかった。遊んであげる」
だから、私はそう答えることしかできなかった。仕方がないけど、信頼しきれないこいしの傍にいるしかないようだ。
「でも、私なんかと一緒に歩いても楽しいとは思わないんだけど」
地底巡りをすると言っていたけど、私にできるのは後ろから付いていくことくらいだろう。
数年前まで部屋に閉じこもって、特定の人以外とは一切接触のない生活を送ってきていたのだ。他人と話をすることにはなんとか慣れてきているけど、場の盛り上げ方は未だにわからない。
そんな私が、散歩の相方に適しているとはとても思えない。
「楽しい楽しくないは私が決める。だから、フランは私に付いてきて好きなようにすればいいよ。さっ、行こうっ」
「あ、うん」
再びこいしは私の手首を掴んで、立ち止まっている時間がもったいないとでも言うかのように駆け出した。
他に選択肢がなかったから、私はその背中を追いかけた。
こいしに引っ張られるようにしながら歩いたのは、旧地獄街道と呼ばれる通りだった。
地面に白い敷石が敷き詰められ、それに沿うように長屋が並ぶ。所々に提灯がぶら下げられ、敷石をぼんやりと赤色に染めていた。いつか本で読んだ古い時代の日本の城下町。それも、大通りを外れたところのような雰囲気の場所だった。
本に描かれていたものからは狭そうな印象を受けたけど、ここはそうでもなかった。並んで歩いていても、意識することなく反対側からやってきた人たちとすれ違うことができる程度には広い。
そのすれ違う人もひっきりなしに現れてきたから、もしかしたらここが地底で一番賑わっている場所なのかもしれない。地底に住んでいる人の数もそれほど多くはないだろうし。
通りに沿って並んでいる長屋の中には小さな商店を営んでいるようなところもあり、こいしに連れられてそのうちのいくつかに入った。私もこいしも、お金も物々交換に使えそうな物も持っていなかったから、綺麗に、ときには雑多に並べられた商品を見るだけだった。
こいしは、興味を抱いたらしい物を手に取ったり触れたりしながら感想を漏らしていたけど、私はそれに対して気のきいた言葉を返したりはできなかった。こじんまりとした店内で、羽をぶつけないように注意することばかりに神経を注いでいた。
そうだというのに、こいしはなんだか楽しそうだった。途中で何度も私がいる必要はないのではないだろうかと思ったほどだ。
そういえば、商店をまわっている間もこいしは力を使い、店員が私たちに気づかないようにしていた。最初のうちは、商品を盗み出したりするんじゃないだろうかと思って不安になっていたけど、問題行動を起こすようなことは一度もなかった。
でも、それならどうしてこいしは、力を使ってたりしていたのだろうか。商品を眺めるだけならそんなことをする必要はないはずだ。
「ねえ、フラン。何か考え事してる?」
不意に、こいしが足を止めてこちらへと振り向いた。余計に進んだ分だけ、こいしとの距離が縮まる。
私を見るこいしは、小さく首を傾げている。今までの余韻からか、楽しげな雰囲気を纏っている。
「あ、えっと、なんで力を使ってるのかなって。散歩をするだけなら必要ないよね?」
今も力は維持しているようで、道の真ん中で足を止めている私たちに注目するような人はいない。誰も一瞥も向けることなく、でもぶつからないように避けて歩いている。
「そんなつまんないこと考えてたの? フランがこっちに集中してくれないと、私の楽しさも半減するんだけど」
少々不満そうな表情を浮かべたこいしが一歩こちらへと近づいてくる。もとからそれほど離れていなかったから、お互いの距離はほとんど零となる。そのせいで、見上げないと顔が見えない。
じっと見下ろしてくる翠色の瞳。そこに最初のころの好奇心の輝きはない。代わりに少々不機嫌そうな色が浮かんでいる。
その視線の威圧感から逃れるように一歩後ろに下がってみるけど、同じ距離を保ったまま追ってきた。
「余計なことなんて考えずに、素直について来て楽しめばいいのに。そうすれば、私も楽しくなれるのに」
不機嫌さを消して、無表情に告げる。その様子が怖くて、意識せずに再び一歩後ずさってしまっていた。でも、今度はこいしが追いかけてくるようなことはなく、きっちりと一歩分距離が開く。
「……ねえ、なんで私を選んだの? 私の羽は関係なかったよね?」
こいしは面白い羽をしていて面白いことがありそうだから、と言っていた。でも、力を使って誰にも気づかれないようにしていたのでは意味がないのではないだろうか。力を使っていなければ、注目を集めるということはできそうだけれど。
「……ほんと、余計なことばっかり考えてるんだね」
無表情の上に呆れが上塗りされた。今にもため息をつきそうな様子だ。もう先ほどまでの楽しそうな雰囲気は、どこにも感じられなくなっている。
「まあ、そうだね。フランが育ちの良さそうなお嬢様だったから、だね。最初に興味を持ったのはその羽の方だけど」
視線が少し横にそれる。おそらく、私の羽を見ているのだろう。飛ぶのには全く役に立たない、でもやけに目立つ宝石のような羽を。
「つまんなくなっちゃった」
興味を失ったように私に背を向ける。おそらく、こいしは私が従順に素直に楽しむことを期待していたのだろう。先ほどの、お嬢様という言葉にはそういったニュアンスが込められていたように思う。
私はこのまま置いて行かれてしまうのではないだろうかという不安に襲われた。とっさに、こいしの手を掴んでしまう。
「なに? いくら楽しくなかったからっていっても、約束は守るからそんなに焦らなくてもいいよ」
明らかに態度が刺々しくなっている。完全に私への興味も失せてしまっているということだろう。
だから、こいしの言葉が信じられなくて、及び腰になりながらもこいしの手を放すことはできなかった。
「……」
こいしは、一度こちらを睨むように見ただけで振り払うようなことはしない。
そのことに安心をしながら、突然歩き始めたこいしの背中を追いかけたのだった。信頼できなくとも、今この場で頼ることができるのはこいしだけだから。
◆
館に着いたとき、辺りはすっかり真っ暗となってしまっていた。
「ただい――」
「ああっ、良かったわ。無事だったのね!」
館の玄関扉を開いた途端に、誰かに真っ正面から抱きしめられた。声とその感触からお姉様だとすぐにわかる。
お姉様はかなり私のことを心配してくれていたようで、抱きしめる腕にはいつも以上に力が込められている。でも、痛みは感じられない。しっかりと私のことを思いやってくれているのだとわかる。
いつから私のことを待っていてくれたんだろうか。聞いても答えてくれないだろうけど、その腕に込められた力の分だけ待っててくれたんだろうなと想像はできる。
胸がほんわりと温かくなる。
「お姉様、心配かけてごめんなさい」
「どうして貴女が謝るのよ。何かあったんでしょう? そのことについて話してくれる?」
「うん」
お姉様が腕の力を抜いて顔を覗き込んでくる。私は頷き返して、抱きしめられたまま、今日あったことを話し始めた。
木陰で寝ていたら知らない場所にいたこと。そこにこいしが助けに来てくれたこと。遊びに付き添わされたあと、こうして帰ってこれたということ。
お姉様に話をしていて気づいたけど、私の中では連れ去られたことよりも、こいしに引っ張り回されたことの方が印象的になっているようだ。
知らない場所に連れてこられていたとはいえ、あったのはそれだけで特に大したことはなかった。だから、こいしのことの方が印象的になるのも当然かもしれない。あれだけちぐはぐな雰囲気を纏っているのなんて、なかなかいないだろうし。
そのこいしは、館までついてきてくれた。本当は地底の出口で私と別れるつもりだったみたいだけど、頼み込んだら非常に面倒くさそうな表情を浮かべながらもついてきてくれたのだ。まあ、実際には夜道に不慣れで、どこに進めばいいのかよくわからなくて案内してもらったという感じだけど。
吸血鬼だから暗いのは平気だけど、外を歩き慣れてない私にとって昼の世界と夜の世界というのは全く異なる世界に見えるのだ。そもそも昼間だろうとも道がよくわからない。だから、私のよく知っている場所、要するに館の周辺まで連れてきてもらったのだ。
こいしは地上を散歩することもよくあるらしくて、私よりもずっと道に詳しかった。
そうして無事に館にたどり着いたけど、門が見えてきてそちらに気を取られている間にこいしはいなくなってしまっていた。私は門の傍で立ち尽くし、美鈴が話しかけてくれるまで動くことができなかった。
どうしてお礼も挨拶も言う暇もなくいなくなったんだろうか。
「フラン? 大丈夫?」
「あ、う、うんっ。だいじょうぶだいじょうぶ」
「そういう慌てたような反応は大丈夫じゃない証拠よ。まあ、色々とあって疲れてるんでしょうね。夕食を食べたらゆっくりと休みなさい」
「うん……」
そうかもしれない。
お姉様にそう言われた途端にどっと疲れが出てきた。
我ながら単純だなぁ、とお姉様に気づかれない程度に小さく苦笑を浮かべるのだった。
◆
パチュリーの図書館にある大きな丸テーブルの一つに本を置いて、ページを捲る。図書館にある本は大体大きくて手に持って読むのは難しい。
地底にさらわれた翌日以降、外で本を読むことはなくなった。
また同じことが起きるんじゃないだろうかと警戒しているのだ。これくらい警戒していれば、寝てしまうなんてこともないだろうけど、本を読むことに集中することもできない。
だから、安心することのできる場所、自分の部屋か図書館で本を読むことにした。図書館なら大体パチュリーとこあがいるから、こっちにいることの方が多い。
でも、私の話を聞いたパチュリーは、そこまで警戒する必要はないだろうと言う。
私が連れて行かれた場所は地霊殿と呼ばれる建物で、古明地さとりという妖怪がそこの主らしい。名字からわかるとおり、こいしの親類で姉だそうだ。
そのさとりというのは面倒ごとを起こす性格とは思えず、ペットたちの暴走だろうとのこと。
確かにそれなら、連れて行かれた後にどうこうとかはなさそうだけど、連れて行かれるかもしれないという懸念が消えるわけではない。よって、私はこのまま外に出ることはない。
臆病だから、なかなか本当の本当に安心することはできないのだ。
そうやって外から逃げて本の世界に入ろうとするけど、なんとなく集中することができない。
ページを捲っては意識が本からそれ、文字を一行追っては内容が入ってこなくて結局何度も読み返したり。
そんな状態だから、全体の内容を掴むことなんてできない。
こうして注意力が散漫になってしまっている原因はわかっている。
それは、こいしのことを気にしてしまっているから。私といるだけで楽しそうにしていたこいし、散歩の間も力を使っていることを指摘されて百八十度態度を変えたこいし、そしてお礼や挨拶をする間もなく姿を消したこいし。
なぜか、こいしの姿が頭から離れないのだ。
とはいえ、どうしていいのかもわからない。
こいしの住んでいる場所はわかっているから会いに行くことは簡単だ。でも、会いに行ったところで私にできることはあるんだろうかとも思う。
向こうが会いに来てほしいと言っていて会いに行くならまだしも、こっちから勝手に会いに行くとなると、図々しいんじゃないだろうかと考えてしまう。
それ以前に、こいしと私の相性は最悪みたいだから、会いに行くとこいしの機嫌を悪くしてしまうような気がする。昨日のやり取りから、それはほぼ明らかだ。
私がこいしに関わるという必要性は全くないのだ。あの日あのとき偶然出会っただけで、このまま忘れてしまったところで、問題は一切ない。むしろ、会うべきではない。
本当、どうしてここまで気にしてしまっているのだろうか。
助けてもらったというのは確かに衝撃的なことではあるけど、ただ私に興味を抱いて遊んでみたかっただけということ、あそこがこいしの家だということを知った今ではそれも相当薄れてしまっている。
でも、よく考えてみれば、どうしてああやって自分の家の中の人たちに気づかれないようにしていたのだろうか。散歩をしている間も周りの人たちに気づかれないようにしていて、まるで人目に付くことを嫌っているかのようだった。
ああ、もしかしたらこの疑問がこいしを気にしてしまっている原因なのかもしれない。
そうやって、自分の中のもやもやとした部分が少しばかりすっきりとしたとき、
「フラン」
不意に誰かが私を呼んだ。世界で一番聞き慣れた声だから、誰なのかはすぐにわかった。
「お姉様? どうしたの?」
全く読み進めることのできない本から顔を上げて振り返ってみれば、ぱっと思い描いたイメージ通りお姉様がいた。喘息持ちのパチュリーが発作を起こしてないかどうかを見に来るから、図書館でお姉様を見かけることは多い。
でも、本を読んでいる私のことを気遣ってか、話しかけられることは滅多にない。だから、首を傾げる角度はいつもよりも大きくなっている。
「ここ最近、ずっと考えごとをしてて上の空みたいだから、相談に乗ってあげようと思ってね。自分でなんとかしようとするのが悪いとは言わないけど、一向にまとまらないときは誰かに相談してみた方がいいわよ。一人では限界があるのだし」
そう言いながら、お姉様は私の対面の席に座る。お姉様とはこうした位置関係となることが多い。お茶会をするとき、食事のとき、今みたいに不意に私の話を聞いてくれるとき。
お互いにそう決めたということはなく、自然とそうなっていた。
「さすがお姉様。わかるんだ」
「流石も何も、メイド妖精たちでさえも気付いてるわよ」
「えっ、……そうなの?」
「ええ、そうよ。まあ、そうやって、本を開いたまま何十分も固まってたら当然だと思うけれどね」
お姉様が私の手元を指さす。
思わず開きっぱなしの本を見下ろしてしまうけど、それで何かが変わるということはない。確かにそうかもと納得ができるだけだ。
「それで、あれから何を考えていたのかしら? 貴女を館まで連れて帰ってくれたっていうこいしとかいうやつの事?」
顔を上げてみると、お姉様が紅い瞳でじっとこちらを見ていた。心の中を覗かれるような視線。でも、そのことに不快さを感じることはなく、むしろそのまま私の内面を見ていてほしいなんて思ってしまう。
「……やっぱりさすがだよ、お姉様は」
「そうかしらね? 悩めそうな事なんてそれくらいしかないと思うけど」
「そうかな?」
「さあ? 他がどう考えてるかなんて知らないし」
私としては、お姉様が特別すごいんだと思いたかったんだけど、私の思考はわかりやすいのか他の人にまで簡単にばれてしまうようだ。ちょっと残念。
「まあ、そんな事はどうだっていいのよ。私が知りたいのは、貴女が何をどう悩んでるか。他人との関係に関してどれくらい助けになれるかは分からないけど、話を聞くくらいならしてあげられるわよ?」
そんなことはない。私の交流が広がったのもお姉様のおかげだ。お姉様がいなければ、いつまでも閉じた世界のままだった。
そもそも私に関するどんなことにも始まりにはお姉様がいる。それくらい、私の中でのお姉様の存在感は大きいのだ。
でも、今はそんなことを声高に主張したって仕方がない。だから、代わりに相談に乗ってもらう。その中で、お姉様はちゃんと役に立ててるんだと知ってほしい。わかってほしい。
「うん、お姉様の言う通りこいしのことを考えてたんだけど――」
先ほどまで考えていたことを言葉にする。とはいえ、具体的なことはあまり考えていなかったから、こいしに対する印象とかそういったものばかりとなってしまう。
それでも、お姉様は真剣に聞いていてくれた。
「会いに行けばいいじゃない」
私が話し終えたときにお姉様が私に向けてきたのは、そんな極簡単な言葉だった。余計な修飾は何一つ付いていない。
「で、でも、どうしていいかわからないんだよ?」
「数日考えてもわからない問題の答えが、考える時間を増やしただけで出てくるとは思えないけどねぇ。無駄に時間を過ごすよりは実際に会いに行って、話を聞きに行く方がずっと有意義だと思うわよ?」
「……たぶん、私が会いに行ったら、また機嫌を悪くすると思う」
それに、余計なことを聞かれるのをものすごく嫌っているような態度をしていたし。
「んー、まあ、確かにそれはありそうね」
そう言って、お姉様は考え込む。
「……咲夜のお菓子で機嫌をよくする、とかはどうかしら?」
「え……、突然そんなのを持っていくなんて不自然じゃないかな」
そもそもお菓子のひとつふたつでこいしとの最悪の相性がどうにかなるとも思えない。食べている間は上機嫌でも、私が話しかけた途端に不機嫌になることだって十分に考えられる。
「大丈夫よ。館まで案内してもらったお礼とでも言っておけば、何も不自然な所はないわ」
「それは、確かに不自然さはないかもしれないけど……、お菓子だけで相性の悪さってどうにかなるのかな?」
「心配性ねぇ。まあ、駄目だったら駄目で別の手段を考えてみればいいんじゃないかしら? ねえ、パチェ、その時は貴女も一緒に考えてくれるでしょう?」
そう言って、私の背後に目配せをする。
意識せずにほとんど反射的に振り返ってみると、そこには本を抱えたパチュリーがいつの間にか立っていた。今まで全然気配を感じなかったから驚いてしまう。
「いいわよ。レミィの頼みなら断れないしね」
「ありがとう。それと、今日もちゃんと元気そうね」
「ええ、おかげさまでね」
お姉様の言葉に笑みを浮かべて答える。普段はあまり感情の変化を見せないパチュリーも、お姉様の前でだけは雰囲気が柔らかくなる。友達同士だからだろう。
「まあ、きつい態度を取っていたとしても、本心までそうだとは限らないし、しつこく付き纏ってみるのもいいと思うわよ」
本をテーブルに置きながら、パチュリーはお姉様の横に座る。二人ともこちらに視線を向けてきているから、少々居心地が悪い。
お姉様の視線だけなら全然大丈夫なんだけど、それ以外となるとよく見知った相手だろうとも、とたんに耐えられなくなる。
「レミィはそうだったわよね?」
「別に取りたくてきつい態度を取ってたわけじゃないわよ。私たちの所に来るのが敵ばっかりだったから自然とそうなってただけ」
「ええ、知ってる」
少し拗ねたようなお姉様の様子に、パチュリーがおかしそうに答える。パチュリーと話しているときのお姉様は対応がどこか子供っぽくなる。そこに、お姉様の友達であるパチュリーと妹である私との差が生まれる。
甘えることはできるけど、頼ってもらえることはない。そのことを少し残念に思う。
「だから、フランが気にしているこいしも、何か事情を抱えてるんじゃないのかと思うのよ。私たち、というか魔理沙が対峙した時は誰にでも関わっていきそうな雰囲気は持っていたし」
「……もしそうだとしたら、余計に会いに行きにくいよ」
そんな他人を避けたがるような事情を抱えている人と関わることができるとは思えない。そのことばかりを気にしすぎて、ぎくしゃくした感じになってしまうと思う。もともと相性が悪いのだから、もはやどうしようもないほどの溝ができてしまうのではないだろうか。
「レミィに一目惚れした私は、何か事情を抱えてそうだと思ってもしつこく関わってみたわ。だから、出会ったその日からこいしのことを気にしているという事は、フランも一目惚れしたのではないのかしら? その勢いがあればどうとでもなるわよ」
「……その表現は誤解を招く気がする」
なんとなく言いたいことはわかるけど。
要するに、出会ったそのときに仲良くなりたいと強く思ったとか、そういうことを言ってるんだろう。
でも、私の中にそういった気持ちはないと思う。本当に純粋にこいしのことが気にかかっているだけなのだ。どうしたいという気持ちは、全然ない。
「そうかしら? でも、レミィとなら恋仲になってみるのも悪くはなさそうね」
「私はそんなのごめんよ。恋だと愛だとか難しい事考えるのは面倒だし」
「とか言いながら、子供たちにはしっかりと愛を注いでるのよね」
「ん? ……ああ、そうね。気が付けばそうなってたから、特に何かを考えてた訳じゃないけれど」
お姉様は首を傾げて少し考えた後、パチュリーの言ったことの意味を理解したようだ。
私はすぐに理解できた。お姉様の反応を見ていると、誰かにどれだけ大きな影響を与えているかという自覚がないんじゃないだろうかって思うことがよくある。
「一人は予想以上に立派に育ってくれたんだけど、もう一人はまだ私の力を必要としてるのよねぇ。いつになったら、立派になった姿を見せてくれるのかしらね」
試すような、問いかけるような視線をこちらに向けてくる。このときばかりは、お姉様の視線でさえも真っ正面からは耐えられなくて、わずかに視線をそらしてしまう。
そんな私の様子を見たお姉様におかしそうな笑みを浮かべられてしまって、余計にいたたまれなくなる。
「まあ、でも、今まで他人に興味を抱くような事がなかった貴女が、今は少し交流があっただけの他人に興味を抱いてる。きっかけはともかくとして、今回の事は絶好の機会なんじゃないかと思うのよ」
お姉様が穏やかそうな表情を浮かべる。そんな顔をされると、何でも言うことを聞いてしまいそうになる。たとえ、心の底から無理だと思っていても。
「だから、貴女は明日、こいしに会いに行きなさい。お礼もせずにそのままという訳にもいかないでしょう?」
「う……、そう、だよね」
しかも、逃げ道を塞がれてしまった。言い訳しつつなんとか逃れようとか考えるけど、何も思い浮かばない。
だから、悩んで考えて私なりに延ばせるだけ延ばしたあげく、
「……わかった、明日行ってみる」
仕方なく、そう決めたのだった。
私の返事を聞いたお姉様は満足そうな笑みを浮かべていた。
ここで悔しいとか思わない時点で、私はお姉様には絶対に勝てないんだろうなぁ。
◆
翌日、お姉様に告げたとおり地霊殿へと向かった。流されるような形ではあったけど、自分で決めたことなんだからうじうじと悩んでも仕方がないと無理矢理意気込んで。
館を出る前に、お礼の品であるクッキーの詰め合わせを咲夜から渡された。移動の途中に割れてしまわないようにと、魔法で作り出した空間の中に納めてある。
このクッキーを渡すだけで十分なのではないだろうかなんて、会う前から及び腰になってしまっている。でも、それだと意味がない。最悪の場合でも、私がこいしへの興味を失ってしまうくらいの収穫がないといけない。
そのために、昨日の夜の間に気になっていることの質問をまとめておいた。
そうやって、自分なりにどうするかは決めているけど、こいしが素直に答えてくれるかという、私からはどうしようもない問題は残っている。そもそも会ってくれるんだろうか。
とまあ、そうやって考えごとをしながらも遅々と足を進める。こいしの言葉があったから、地霊殿の前までは魔法で姿を消して真っ直ぐに飛んできたけど、その後からはほとんど前に進んでいない。
さらわれたという事実があるせいで、怯えて前に進めないのだ。正面から行けばだいじょうぶだということをパチュリーが言っていたけど、大した支えにはなっていない。
それでもがんばって足を進めて、後は扉を叩くだけというところまでは距離を詰めた。でも、私をさらった犯人が出てきた場合、どうなるんだろうかと考えてしまって扉を叩くことができない。
そうやって玄関の前でうだうだと考え込んでいると、不意に扉の軋む音が聞こえてきた。
驚いた私は、すでに逃げ腰になっていたということもあって、反射的に背中を向けて逃げ出しそうになってしまう。
「あっ! 待ってください!」
でも、呼び止める言葉が思っていたよりもずっと丁寧だったから、なんとか踏みとどまった。
開かれた扉の向こう側に立っているのは、こいしに似た容姿をしている人だ。紫の髪はこいしとは色が違うけど癖が似ていたりと共通点が見られる。
最も際だっている共通点はやはり胸の辺りにある赤色の目のような物だろう。こいしのものとは違ってその目は開かれていて、妙な存在感がある。作りものめいた瞳がこちらをじっと見つめてきていて、なんだか怖い。目から伸びる紐のようなものもこいしよりも多く、六本の紐が複雑に絡み合うようになっている。
この人が古明地さとりで間違いないだろう。地霊殿の主で、こいしの姉。それから、心を読むことができる、だったっけ。読めないこいしの方が覚りとしてははみ出し者らしいけど。
「ああ、自己紹介は必要なさそうですね。……先日は、申し訳ありませんでした」
さとりが謝罪の言葉を述べながら深々と頭を下げる。そういうふうにして謝られたことがないから、困惑してしまう。
それに、さとり自身が犯人だというわけでもないから、どういう感情を抱くべきなのかもよくわからない。
「えっと……、なんで、私は連れ去られたりしたの?」
とにかく頭を上げてもらいたくて、とっさに思い浮かんだそのことを聞いてみる。
コレクションの一部にしたかったからだとかだといやだなぁ。私が入れられていた部屋のことを思い出しながら、そんなことを思う。
「うちのペットが、……私をこいしに会わせようとしたから、です」
さとりは言うか言うまいかを悩む素振りを見せたあと、そんな予想さえもしていなかったことを口にしたのだった。
「……それって、どういうこと?」
言われたことの意味がよくわからなかった。でも、なんだか深刻なことが起こっているような気配を感じ取る。
「ここ半年、こいしは私たちに姿を見せていません」
さとりが口にした事実は、私の持っている常識からすれば大きく逸脱していることだった。
でも、不思議と衝撃はそれほど大きくなかった。もしかしたら、こいしと関わっている間に、理性とは関係のない部分でそのことを感じ取っていたのかもしれない。
さとりに案内してもらったのは、こじんまりとした食堂だった。大きな木造のテーブルが一つと、同じく木造の椅子が数脚置かれているだけだ。
「これでも地底では一番大きいそうですよ。座って待っていてくださいますか?」
「あ、うん」
私が頷くと、さとりは食堂の奥へと向かった。向こう側が厨房になっているのだろう。それにしても、どこに行っても私の普通はずれてるんだなぁ、と思い知らされる。
ずっと館にいたから、そこでのことが私の普通の基準となっているけど、どうやら一般的な普通とは大きく逸脱しているようなのだ。
外に出始めた頃はそんなことにもいちいち驚いていたけど、今ではすっかり慣れてしまった。
そんなことを思いながら、適当な椅子に座らせてもらう。
そして一息つきつつ、玄関からここに向かうまでの間に聞かせてもらったことを頭の中で反芻してみる。
さとりは言っていた。こいしは半年ほど前から姿を見せなくなったのだと。でもそれは、地霊殿に帰ってきていないということではないらしい。
食事を用意すればいつの間にか一人分なくなっているし、洗濯物も気がつけば一人分増えていたりする。そうして、こいしがいるという確かな痕跡があるにも関わらず、姿を見た者は誰もいないというのだ。
姿を見せなくなる前も、二、三日帰ってこないというのはよくあり、数日帰ってこないというのは時々あったそうだ。でも、帰っているにも関わらず姿を見せないということはなかったらしい。どちらかというと、わざとらしいくらいに姿を見せていたそうだ。
そんな折に、この状況を是としないさとりのペットのうちの一匹が独断で行動し、私を連れ去ったとのことだ。そのペットの言い分は、好奇心の強いこいしが興味を持って姿を見せてくれるんじゃないだろうかと思ったとのこと。
その思惑通り、こいしは私に興味を持ったようだけど、力を使って私を部屋から連れ出したから意味はなかったようだ。
それにしても、どうしてこいしはさとりやペットたちを避けるようにしながら、傍にいるようなことをするんだろうか。
他人を避けるように力を使っているのとそのこととは、何か関係があるのだろうか。
ここまで移動する間はさとりの話を聞かないと、と思って思考は止まっていたけど、こうして一人になるとぐるぐると思考が空回りし始める。
考えるには考えるんだけど、堂々巡りで考えはまとまらない。昨日までの私と同じ状態だ。深刻な状態だというのを聞いた分だけ、空回りの具合も酷くなっているような気もする。
「フランドールさん」
と、不意に思考の間に声が割り込んできた。
「あっ、わ、ご、ごめんなさいっ」
びくりと肩を震わせながら、反射的に謝る。こっちから訪ねたのに、考えごとに没頭していたことに申し訳なさを感じる。
「いえ、気にしなくてもいいですよ。私のペットが勝手なことをしなければフランドールさんが関わることもなかったのですから」
ことり、と小さな音を立てながら取っ手の付いた大きめの白磁のコップが置かれる。容器の中では微かに湯気を立てるココアが小さく揺れていた。
今更ながらに甘い香りが部屋の中に漂っていることに気づく。あれこれ考えていて、頭の中がぐちゃぐちゃになってしまっていても、気づいた途端に意識は甘い物の方へと向かってしまう。
単なる逃避なのかもしれないけど。
「えっと、いただきます」
せっかく作ってくれた物を味わうときにまで、うじうじと考え込んでいたら失礼かと思い、意識はそのままココアの方へと向けておくことにした。しばらくすれば、また考えることになるだろうし。
「はい、どうぞ」
さとりが柔らかな微笑みを浮かべる。さとりが纏っている雰囲気と違わない微笑み方だ。
たぶん、さとりの傍は居心地がいいんだろうな。心を読むことで忌み嫌われていると聞いたけど、大したことを考えてない私にとっては特に気にならない。だから、さとりを嫌ってる人たちはもったいないことをしていると思う。
まあ、私にとって一番居心地がいいのは当然お姉様のいる場所だけど。
そんなことを考えながら、私の手には少し大きなコップを両手で包むように持ち上げる。警戒するように触れてみたけど、ちょうどいい温度に調節されているようで、持ち上げてみても熱くはなかった。心地よい温かさが手に伝わってくる。
コップに口を付けて、ココアを口に含む。そうすると、ほわりとした暖かさと一緒に幸せにも似た甘さが広がった。なんだか身体だけじゃなくて、心も暖められていくような気がする。
「……おいしい」
コップから口を離したとき、自然とそんな言葉がこぼれてきていた。
ただただおいしいものを作るのではなく、誰かを想って作り始めたものなんだろうか。一時期、お姉様が作ってくれた料理のことを思い出す。あの料理を食べたときも、同じような暖かさを感じたのだ。
「ありがとうございます」
さとりが、顔を少し伏せて恥ずかしそうに言う。褒められることに慣れていないのだろうか。頬が少し赤く染まっているのが見える。
私も私で、誰かを褒めてそんな反応をされたことがなかったから、ちょっと反応に困ってしまう。でも、いやな感じはしない。
「あの子の、こいしの好きな飲み物なんですよ。まだ普通に姿を見せてくれていたときは、帰ってくる度に作ってあげていたんです」
一言一言大切そうに言葉を紡いでいく。さとりが姉として、こいしのことを本当の本当に大切に想っているのだというのが伝わってくる。
でもだからこそ、さとりから聞いた現状を思い出して胸が苦しくなってくる。
どうして、こいしはこんなにも想ってくれているさとりを避けるような行動を取るんだろうか。
「……避けられている事は、構わないんです」
そうは言っているけど、その声は寂しそうで、構わないと思っているとはとても思えない。
「でも、寂しそう」
「そう、見えてしまいますか……。ですが、私があの子にあれこれ言うべきではないと思うんです。あの子が独り立ちをしたいというなら、私に止める理由もありません」
そう言われると、口を挟むことはできなくなってしまう。同じ姉という立場にいるお姉様も、時々私に独り立ちをしてほしいと言う。そこにさとりのような寂しさが見えたことはないけど、もしかしたら私のいないところでは寂しそうにしているのかもしれない。私が知っているのは、私の前にいるお姉様だけなのだ。
独り立ちしてほしいから関わらなくてもだいじょうぶなんて言う理由は理解できない。だから、妹である私からは何を言っても無駄なんだろうと思ってしまう。
私にとって姉というのは絶対的な存在であって、決して理解の及ばない存在なのだ。
でも、なんとなくだけどさとりは現状について納得していないような気がする。それが私の中に何かもやもやとしたものを作り出して、これでいいんだろうかという気持ちになってしまう。形がはっきりとしていないから、言葉にできない。そして、そのことがひどくもどかしい。
「ただ、こいしには独りではいて欲しくないと思うんですよ」
私が考えていることを無視するかのようにさとりはこいしへの願いを口にする。でもそれは、はたして何番目の願いなのだろうか。
「嘘偽りなく一番目ですよ」
淡々と告げる様子に、本当に何も言えなくなってしまう。何にも知らない私が口を挟める余地がどこにもない。
「フランドールさん。よろしければ、こいしの友達になってあげてくれませんか?」
そして、これ以上私の追求を避けるかのように、そんなお願いをしてきた。納得はできていないけど、強く押していけない私は、そんなことだけで諦めの気分になってしまう。
「それは、できないと思う」
でも、だからといって流されてさとりの言葉を聞き入れるということはない。私のこいしとの相性は最悪だというのは、よくわかっているから。
正直に言うと、今日こいしに会うことさえ少し怖いと思っている。少々無理にこうしてここに来たせいか、苦手意識が表面化してしまったようなのだ。
私がこんな状態で友達になれるとはとても思えない。
「そう、ですか」
さとりもそれ以上言う事を失ってしまったようで、俯いて黙ってしまう。気まずい沈黙がお互いの間に流れる。
「……えっと、こいしにお礼を言いに来たんですよね? 現れるかどうかは分かりませんが、部屋に案内しましょうか?」
しばらくして、さとりが今までの会話をなかったことにするかのようにそう聞いてきた。
私はそれに救われたように何度か頷いて、ココアの残りを一気に飲み干した。
冷めてしまっていてもおいしかったけど、暖かさが失われてしまっていたことをもったいないなぁ、と寂しく思った。
「ここが、こいしの部屋です」
黒と白のチェックのタイルとカラフルなステンドグラスの廊下をさとりについて歩いていると、ある部屋の前で立ち止まった。通り過ぎた部屋の扉はどれも代わり映えがしなかったけど、ここの扉には『こいし』と書かれた青いハートのネームプレートがかかっている。
さとりが扉を叩いてしばらく待ってみるけど、反応はない。今はいないのか、それとも私たちのことを無視しているのか。
少し諦めたようにそう考えていると、さとりが突然ノブを回して扉を開けた。
視界に入ってきたのは中に誰もいない、空っぽの部屋だった。
でも、勝手に入ったりしても大丈夫なんだろうか。私は部屋に勝手に誰かが入ってきてもいやだとは思わないけど、普通はいやがったりするものだと思う。
「大丈夫ですよ。こいしは自室を寝るためか休憩するための場所だと思っているので、あの子が部屋にいるにも関わらず勝手に入らない限りは怒ることはないと思います」
さとりの言葉を証明するかのように、部屋に置かれている物は極端に少ない。テーブルと椅子、ベッド、クローゼットといった必要最低限の物しか目に入ってこない。私の部屋の方が広いはずなのに、この部屋の方が広い感じがする。物が少なくて、空虚さを感じるせいだろうか。
「では、帰ってくるかどうかはわかりませんが、くつろいでお待ちください」
「うん。ありがと、ここまで案内してくれて」
本当は一緒にこいしのことを待って、三人で話をしようと言いたかった。そうするべきだと思った。
でも、さとりの様子を思い返すと断られてしまうような気がして、呼び止めることができない。
「私の代わりに色々と話してあげたり、聞いてあげたりしてください。あの子は私のことは気に入らないようですし」
「……」
そんなこと、言わないでほしかった。でも、現実としてこいしはさとりのことを避けているから、何も言うことはできない。
それに、さとりの方が私よりもずっとこいしのことを知っているというのは確実だ。こいしの姉だし、心も読むことができるのだから。
でも、だからこそ正面から向き合えばこいしを連れ戻すことができるのではないだろうか。いや、でも、それならそもそもこんなことにはなっていなかったのではないだろうか。
何がどうして、それをどうすべきなのか全くわからない。
「私のことは気にしないでください。こいしのことだけを考えて、どうやって仲良くするかだけを考えれば十分ですよ」
「そんなこと、できない」
私は姉妹というのは仲がいいものであってほしいと思っている。実際は全ての姉妹でそうあるというのは不可能だろうけど、さとりとこいしの二人は仲良くできるんじゃないんだろうかって信じてる。さとりが作ってくれたココアの柔らかな暖かさが私にそう思わせる。
「いいえ」
短く否定の言葉を告げられる。私の思考のうちのどれだけを否定されたのか正しくはわからないけど、自分はこいしと仲良くすることはできない。そう言っているかのようだった。
「私には、あの子の心は見えませんから」
やっぱり寂しそうな声だった。それだけに、どう受け止めて、何を言えばいいのかわからなくなる。
でも、一つだけ理解する。さとりとこいしの間には何か妙な距離があると。
「では、私はこれで失礼させていただきます」
さとりが逃げるように部屋から出ていく。
私はそれを止められず、小走りに遠ざかっていく背中を視線で追いかけることしかできなかった。
◆
「他人の部屋で何してるの?」
「……っ!?」
突然聞こえてきた声に、びくりと身体が震えた。私の大きな動きに合わせて、椅子ががたりと音を立てる。
椅子に腰掛けて、こいしがさとりやその周辺の人たちを避けているということ、さとり自身もこいしを避けているような様子をしていたことを考えていたせいで、かなり驚いてしまった。
心臓が早鐘を打っている。それをなだめるように、左胸に手を当てる。どくどくと高鳴っているのがよく分かる。
「お、おかえりなさい、こいし」
顔を上げてみると、不機嫌そうなこいしの顔が目に入ってきた。一応予想して心構えをしていたはずなんだけど、さとりから聞いたことを考えてたせいか、もしくはそもそも心構えが足りなかったせいか、すでに及び腰だ。
「ここ、私の家であってフランの家じゃないんだけど」
不機嫌な上に、怒っているような雰囲気もある。あんまり他人と関わることのない私でも、毛嫌いされているらしいというのはいやでもわかる。
「そうだけど、私の方が先にここにいたから、そう言うべきかなって」
「普通はお邪魔してますとかじゃない?」
「あ……、そっか。えっと、お邪魔してます」
少し冷ややかな視線を向けてくるこいしの指摘に納得して、頭を下げつつそう言い直す。誰かの家を訪れることがなかったから、とっさに思い浮かんでこなかった。
「……非常識だね」
「う……、ごめんなさい」
自覚しているだけに何も言い返せない。
「それで、わざわざ私の部屋まで何しに来たの?」
こちらに用件を聞いてきながらも、声は刺々しく、関わるつもりがないというのが伝わってくる。何を言っても最終的には追い出されてしまいそうな気がする。
「こいしに館まで案内してもらったお礼が言いたくて。この前は、ありがと。それで、私たちの従者が作ったお菓子を持ってきたんだ」
あらかじめ用意していた言葉を告げる。ただ、怯えのせいか思ったよりも早口になっていた。
魔法空間からクッキーの入った黄色いリボンでラッピングされた青色の少し大きな袋を取り出す。
どうやら興味を持ってくれたようで、こいしの視線は私の手を追っている。
「ど、どうぞ」
おずおずと袋を差し出す。刺すような視線を向けてきているのと、こういうときにどうやって渡すのがいいのかがわからなくて、かなりぎこちなくなってしまう。
しかも、なかなか受け取ってくれないから、さらにどうしていいかわからなくなってしまう。こちらから何かをすべきなのか、それとも受け取ってもらえるまで待っているべきなのか。
でも、仮に何かをした方がいいにしても、それはそれでどうしていいかわからない。だから、結局、固まってしまったように動きを止めたまま、こいしが受け取ってくれるのを待つことしかできない。
「……私は、お礼がされたいわけじゃない」
「……何か、別にしてほしいことがあるの?」
こいしの潜めたような声につられて、私まで潜めたような声となってしまう。
「そんなこと言ってないっ」
自分の発言を誤魔化すように言いながら、私の手から袋をひったくる。乱暴に掴んだから、クッキーの潰れるような音が聞こえてきた。
そのことを残念だと思うよりは、こいしの態度が気になった。そうやって誤魔化すような態度を取るのは図星だからなのか、単に私に知ったような態度を取られるのが気に入らないのか。
「これで用事は終わり?」
冷たい視線でこちらを見下ろして、すぐに出て行けという雰囲気を醸し出している。その威圧感に圧倒されそうになってしまうけど、それではここまで来た意味がないと意気込んで、なんとか言葉を紡ごうとする。
「ね、ねえっ。なんで、さとりを避けてるの?」
地霊殿に着くまでは一切考えていなかった疑問。でも、さとりの話を聞いてから一番大きくなってしまった疑問。
「あなたには関係ない。勝手に私の領域に入り込んでこないで」
冷え冷えとした声で突き放される。
関わってくるなと、拒絶される。
それでも、さとりの作ったココアや、寂しそうなさとりを思い浮かべると簡単に後には引けない。
「で、でも、私はこいしがさとりを避けてるから、さらわれたわけだし、関係ない、ってことは、ないと、思う……」
自分がなんだか無茶苦茶なことを言っているような気がして、最後の方は掠れたようになってしまう。でも、さとりのペットがさとりをこいしと会わせるために私をさらったというのは事実だ。だから、間違ってはいないと思う。
なんだかこいしの不機嫌そうな態度を前にしていると、どんな自信も失ってしまいそうな気がする。
「なに? お礼じゃなくて、文句を言いに来たの?」
「そ、そういうわけじゃ、なくて」
こいしがテーブルに手をついて、顔を近づけてきた。
不機嫌そうな表情が間近にあることに、たじろいでしまう。でも、まだこのまま引き下がるわけにはいかない。せめて、何か納得する答えを引き出したい。
だから、その場に踏みとどまるようにして気を引き締める。更に不機嫌そうになってしまったら、簡単に一歩後ろに下がってしまいそうだけど。
「……ただ、こいしがさとりのことを避けてるのは、いやだな、って」
一言にしてしまえば、本当にただそれだけ。でも、だからこそ、抗いがたいほどに強く、私らしくないとはわかっていても、口に出してしまう。
「ふーん……」
心底どうでもよさそうに呟いてこいしが離れる。その無関心さは私の言葉だからなのか、それともさとりの話だからなのか。
前者なら別にいい。私がこいしにとって他人で、受け入れがたいということはわかっているから。
でも、もし後者なのだとしたら、それほど悲しくて寂しいことはないと思う。こいしがさとりを避けているのは、無関心やそういったものではなく、もっと別の理由があるんだと思いたい。
たとえ、世間知らずの勝手な思いなのだとしても。
「……ねえ、そのクッキー、さとりと一緒に食べてくれないかな。一人で食べるよりはきっと、ずっとおいしいと思うよ」
たぶん、私の言葉なんて聞き入れないだろうと思いながらも、抗うようにそう口にする。
「あなたに指摘されるいわれなんてない」
「そう、だよね。……ごめんなさい、勝手に部屋に入っちゃったりして」
これ以上は何を言っていいかわからず、立ち上がって部屋から出て行こうとする。
最初から私にどうすることもできないことはわかっていたけど、無力感に襲われる。
本当に何もできないんだなぁ、私。
「目障りだから、もう二度と近づいてこないで」
「……うん」
こいしの拒絶に、私は頷くことしかできなかった。
◆
こいしの言葉に打ちのめされた私は、頼りない足取りで館へと帰ってきた。
帰り際にさとりに挨拶をしたのは覚えているけど、その後のことは全然覚えていない。地霊殿を出たら館に着いていた。まさにそんな感じだ。
開いた覚えはないのに、日傘はしっかりと私を日光から守ってくれていた。開いてなければ、道中で倒れてたんだろうけど。
「お帰りなさい。……随分と傷付いてきたみたいね」
「あ……」
館に入ると、出迎えてくれたのはお姉様だった。有無を言う暇もなく抱きしめられる。
その瞬間、全身から力が抜けるのを感じた。身体をお姉様に預けて支えてもらうことで今の私は立っている。
お姉様はそんな私の頭を撫で始める。何も言わず、ただただ優しく撫でてくれる。
今になって私はようやく気づく。こいしの拒絶の言葉に自覚していた以上に傷ついていたということに。
昔だったら、私が自分自身のことを否定することはあった。
私は必要ない存在だ。私は周りを傷つけるだけで捨てられるべき存在だ。そんなことを毎日毎日繰り返し繰り返し続けていた。
でも、誰かに面と向かって拒絶されるようなことは一度もなかった。なぜだか知らないけど、お姉様を筆頭として周りに私を否定する人はいなかった。
だからだろう。こいしの拒絶で前後不覚に陥るほど傷ついてしまったのは。
「お姉様」
「ん? 何?」
「私……、どうすればいいのかな?」
何も考えられないほどのショックは受けたけど、こうしてお姉様に抱きしめられて頭を撫でてもらって冷静になってくると、やっぱりさとりとこいしのことが気になってくる。姉妹の間で何か問題がありそうだから、なおさらだ。
「突然そんなことを聞かれても困るわよ。私は何があったのか知らないんだから。貴女のやりたいようにやればいいと言われたい訳でもないんでしょう?」
苦笑の混じったお姉様の声。お姉様の言うことはもっともだ。
さとりとこいしのことに関して見聞きしてきたことは何も話してない。いくら私の考えていることを見抜くことのできるお姉様でも、知らないことはどうしようもない。
「でも、大丈夫? これ以上踏み込もうっていうつもりなら、今回以上に傷付けられる可能性だってあるわよ」
「それは、そうかもしれないけど……」
だからといって、無視することもできない。見なかった、聞かなかったと思い込もうとしても、今までのように集中力がどこかへと飛んでいってしまうような気がする。
だったら、納得ができるまで関わっていった方がいいんじゃないだろうか。
「まあ、貴女がそうしたいって言うんなら止めはしないわ。ただ、そういう覚悟はしておいた方がいいって言いたかっただけ」
背中を優しく何度も叩いてくれる。でも、お姉様の手が触れる度に覚悟という言葉が重くのしかかってくる。
「フラン? なんだか身体が強張ってきてるわよ?」
「え? あ、う……、覚悟、なんてできるのかなって思って……」
「これは、行動に移せるまで長そうねぇ。まあ、向こうから会いに来たりすればそんな事言っていられなくなるでしょうけど」
「……それは、絶対にないよ」
面と向かって二度と来ないでほしいと拒絶してきたのだ。そんなこいしが自ら会いに来るとは思えない。
「ふーん、そう? なら、貴女自身で何とかするしかないわね」
お姉様が私の身体を放す。でも、完全に脱力していて、お姉様に支えられていることで立っていた私は、その瞬間に倒れそうになってしまう。
なので、お姉様に両肩を押されることでなんとか倒れずにすんだ。お姉様は、呆れたように私を見ている。
「なんだか頼りないわねぇ。本当に大丈夫?」
「……大丈夫じゃない、かも」
もともと自信なんてなかったところに、覚悟なんて言葉が出てきたのだ。雀の涙程度しかなかった自信も、簡単に涸れ果ててしまう。
「でも、諦めるつもりはないのよね」
強い意志の宿った紅い瞳でじっと見据えてくる。対して、同じ色であるはずの私の瞳は、躊躇や不安で揺れているのだろう。
それでも、私は頷いた。諦めるつもりがあるかどうかではなく、諦められないのだ。姉妹の仲というのは、私の根底にある大切なものだから。
たとえそれが他人のものだろうと、関係なく気になってしまうのだ。
「よし。それならいいわ」
そう言って、肩から手を離す。今度は、バランスを崩すことなくちゃんと一人で立つことができた。
「とりあえずパチェの所に行きましょう。そこで、今日貴女が見聞きしてきたことを聞かせてちょうだい。どうするのがいいか一緒に考えてあげるから」
「うん」
私が頷くと、お姉様は図書館の方へと向かい始める。私はその背中を何の疑いもなく追いかけた。
◆
自室の真ん中にあるテーブルに据え置かれた椅子の一つに座って、一人考えごとをする。
昨日、お姉様たちに相談に乗ってもらった結果、さとりと話をしに行くべきだということになった。
お姉様もパチュリーもそして私自身も、こいしと話をするのが最重要だと思っていたけど、こいしの力とあの態度、それから会いに来るなと言ってきたことから、こちらから会いに行くのはほとんど不可能だという結論が出てきた。
私が何度も地霊殿に行って、こいしの部屋に居座っていたらそのうち出てくるかもしれないけど、会いに来るなと言われた矢先にそんなことをする度胸はない。だから、代わりというわけではないけど、さとりに会いに行って、とりあえず情報収集をすべきだということになった。
そんなわけで、今はさとりに何を聞こうかと考えている。
ただ難しいことが一つある。それは、昨日のさとりの態度は自分の気持ちや考えを隠しているようだったということだ。
相手は心を読めるわけだから、半端な気持ちで臨んでも簡単にいなされてしまうと思う。そもそも、私は相手の裏の心情を予測しつつ話を進めるなんてことをしたことがないから、例え心を読まれていなかったとしても、さとりから情報を引っ張り出すのは難しい気がする。
お姉様は心を読めることを逆手にとって、根拠のない確信を持っていどめばなんとかなるんじゃないだろうか、みたいなことを言っていたけど、まずその根拠のない確信を持つことが難しい。
このままでは、いつになってもさとりの所へと向かえない気がする。
お姉様たちは大まかな行動の方針は考えてくれたけど、質問することの内容のような具体的なことまでは決めてくれなかった。お姉様は関わる本人が一番わかってるだろうからと、パチュリーは自分で悩んで結論を出した方が柔軟に対応できるからとそれぞれ言っていた。
だから、一人で考えるしかないんだけど、答えが出てくる未来が見えてこない。
「フランドールお嬢様。紅茶をお持ちしました」
「あ。ありがと」
私の集中力が散漫になるころを見計らったかのように咲夜が現れる。手には銀色のトレイがあり、白磁のティーポットとカップ、それからマフィンの並べられたお皿が乗せられている。
カップはなぜか二つある。時間を操ってほとんど一瞬でお茶の用意ができる咲夜がその場にいない人の分まで用意するのを見たことがない。
私の疑問をよそに、咲夜はテーブルにお皿とカップ二つを並べる。もしかして、誰かがこの部屋に来るんだろうか。それぐらいしか考えられないけど、お姉様が来るなら席に着いてから用意を始めるはずだ。
「咲夜。そのカップは何?」
対面の席に置かれたカップを指さして聞いてみる。
「すぐに分かりますよ」
悪戯っぽい笑みを浮かべてはぐらかされてしまった。なんだろうか、この反応は。
釈然としない気持ちを浮かべる私を気にした様子もなく、咲夜はカップに紅茶を注ぐ。すると、柔らかな香りが広がった。
いつもとは違うようだ。なんだかとても落ち着く。この釈然としない気持ちもどうでもよくなってきた。
「いつもと違う紅茶?」
「はい、そうです。朝からずっと考えごとをしているようなので、心を落ち着かせることのできるようなブレンドにしてみました。早速効いてきましたか?」
「うん。ちょっと落ち着いてきたよ」
今なら先ほどまで考えていたことをもう少し冷静に見つめられそうだ。だからといって、解決策が出てくるということはなさそうだけど。
「何かいい案は思い付きそうですか?」
「……ううん、どうしていいのか全然わかんない」
咲夜には何も話していない。でも、咲夜はいつだって館の中でのできごとを誰よりも把握している。
だから、当たり前のように私が何に悩んでいるのかわかっていても不思議だとは思わない。
「やはりそうですか。そんなお嬢様のために素敵な訪問者をお連れしてきました」
そう言うと、咲夜の前に誰かが現れる。あまりにも意外すぎる人物の登場で、一瞬誰なのかわからなかった。
「……別に、フランに会いたくて来たわけじゃない」
ものすごく不機嫌そうなこいしがこちらを睨んでくる。咲夜に肩を押さえられ、自由に動けなくなっているようだ。
私は、驚きを隠すこともせずに、目で咲夜にどういうことかと問いかける。
「厨房でつまみ食いという不届きなことをしようとしていたところを捕らえたので、こうしてフランドールお嬢様の所へ連れてきたんですよ。お嬢様がこいしのことを気にしている事は伺っていましたので」
そう言って、こいしの肩から手を放す。こいしは逃げ出そうとする様子も見せず、じっと私の方ばかりを睨みつけてきている。私はどうやってこいしを受け入れればいいのだろうか。
咲夜は私たちの間の妙な雰囲気の中でも、平然とした様子でもう一つのカップにも紅茶を注いでいく。なんとなく楽しそうに見えるのは気のせいだろうか。
「では、私は失礼させていただきます。お二人ともごゆっくりとどうぞ」
そして、紅茶を注ぎ終えるとすぐに姿を消してしまった。もともと気まずかった空気が余計に気まずくなってくる。図書館に逃げ込もうかと一瞬考えたけど、こいしをこのままにしておけないとも思って、ここにとどまることを選ぶ。
「えっと、とりあえず座ったら……?」
昨日拒絶されたばかりだから、どう接すればいいのかがわからない。だからといって、何もしないというわけにもいかないだろうから、とにかく私の対面の椅子に座ることをおずおずと勧めてみる。
「ねえ、なにあれ」
でも、こいしは椅子に座ることなく、かなり端的な質問を飛ばしてきた。流れからして咲夜のことを聞いているのはわかるけど、その意図がわからない。
だから、とりあえず紹介をしておく。その中にこいしの望んでる答えがあるかもしれないし。
「名前は十六夜咲夜で、この館のメイド長をやってて、こいしにあげたお菓子を作ったのもあの人だよ」
「そういうことじゃなくてっ。なんで、能力を使ってる私のことを見つけられるのかってことっ!」
「え、っと、……咲夜は、いっつも館中に気を配ってるから、それでこいしに気づいたの、かも」
「でも、私は気づかれないように力を使ってた。それでも気づかれたのはなんで?」
「えっと、……なんでだろう」
咲夜には完璧な存在でなんでもそつなくこなせるというイメージがある。さらには、神出鬼没ということもあって多少枠を外れたようなことをしても不思議ではない。
そんな説明だと、こいしは納得するどころか怒り出しそうな気がするから言わないけど。
「役立たず」
「……だったら、咲夜に直接聞いてみればよかったんじゃないかな?」
「……やだ」
何故か拗ねたようにそっぽを向く。興味があることには食いついていくものだと思っていたから、なんとなくだけどらしくないような気がした。
「えっと、なんで?」
「フランには関係ないっ」
怒ったような口調で答えて、私の対面の椅子に座る。でも、私の顔を見たくないのか、マフィンを手に取ると横を向いてしまった。
乱暴に一口ずつ頬張っていく。でも、おいしいものの力には抗えないようで、少しずつ顔が綻んでいくのがわかる。
こいしは、昨日私が持っていった咲夜の作ったお菓子を食べてその虜になってしまったのかもしれない。だから、厨房に侵入したのだろう。
私と向き合ってるときも柔らかい態度を取ってくれたら、少しは話しやすくなる気がする。
「……なに?」
横顔を見つめていたら、睨み返された。せっかく柔らかい態度になってきていたのに、一気に鋭くなってしまう。もともと私のことが嫌いみたいだから、お菓子だけではどうしようもないのかもしれない。
「こいしは、甘い物好きなの?」
嫌われてるかもしれないからといって、話しかけないわけにもいかない、と思う。こいしとさとりの妙な関係を改善させるには、こいしから話を聞いて、どうにかしてさとりに会いに行かせるべきだろう。
それとも、ここはこいしのことを気遣って部屋から出ていくべきだったんだろうか。
「別に」
そう言うと、椅子を動かしてこちらに背中を向けてしまう。でも、その前に二つ目のマフィンを掴んでいたから嫌いということはないのだろう。好きなのかはわからないけど。
私はこいしの背中を眺めながらマフィンを一つ取る。こいしの顔は見えないけど、また表情を緩ませているんだろうか。
その表情を私に見せてくれないのは別にいい。
でも、さとりたちを避けるようになる前はさとりに対しても隠そうとしたりしていたんだろうか。それとも、素直にその無防備な姿を見せていたんだろうか。
そうやっていろいろと考えながらマフィンを少しずつかじる。味わうことに全然集中してなかったから、味がよくわからなかった。それがひどくもったいなく感じたから、一旦考え込むのはやめて、咲夜のお菓子の方へと集中することにする。昨日、地霊殿に行ったときもそうだったけど、どうやら私は甘い物を前にすると切り替えが早くなるようだ。
改めてマフィンを一口かじる。そうすると、鼻の奥を香ばしい匂いがくすぐり、口の中では甘さがじんわりと広がる。その二つが交わるときが至福のときだ。自然とため息が漏れてくる。
もう一度同じ感覚を得ようともう一口かじる。香ばしい匂いを感じ取れるのは、マフィンを口元に近づけてからの少しの間だけなのだ。
「見ててものすっごく焦れったくなるような食べ方」
「……そうかな?」
口の中の分を飲み込んでから、首を傾げる。こいしは不機嫌そうなのは相変わらずだけど、呆れが少し混じっているようだ。
「でも、おいしいものだとゆっくりと味わいながら食べたいなぁって思わない?」
「思わない。そんなにちんたら食べてたら、誰かに取られるし」
そう言いながら、こいしが早くも三つ目のマフィンを手に取ってかぶりつく。残りも少なくなってきている。
でも、こいしがおいしいと思って食べてるなら、ほとんどをこいしに食べられてもいいかなと思っている。その方がこいしの機嫌がよくなるような気もする。
少なくとも、昨日会ったときほどの鋭さは感じられなくなっている。
心の底から、甘い物は偉大だなぁと思う。
「取るっていっても、この部屋にはこいしと私くらいしかいないけどね」
だからか、突然こいしが現れたことによる動揺が引いてくると多少余裕が出てきた。深いところまで入り込んでいけるかはわからないけど、普段の調子で話すことはできそうだ。
「……」
こいしは私の言葉に返事をすることなく、マフィンを黙々と食べる。お茶会には会話が付き物だけど、こいしはそれを望んでいないようだ。相性が最悪らしいのはお互いに承知してるから、当たり前といえば当たり前なのかもしれない。
でも、せっかくこうして同じ空間にいる機会があるのだから、お互いに黙っているのはもったいない気がする。そんなことを考えてるのは、こいしだけでなくさとりのことも気にしてる私だけなんだろうけど。
話題が見つからないから、私もマフィンをゆっくりと口に運ぶ。さっき十分に味わったから、こいしの方へと意識を向けながら味を楽しむ。
こいしは変わらず私が数口食べる量を一口で食べている。背中は向けていないけど、顔をそらしている。
「……つまんないから何か面白いことして」
「え? えっと?」
三つ目のマフィンを食べ終えたこいしが、脈絡もなしにそんな無茶振りをしてきた。
「だーかーらー、つまんなくてお菓子が美味しく食べれないから、面白いことしてって言ってるの」
心底不満そうな表情を浮かべながら、声に合わせてテーブルを三度叩いてこちらを見る。いやだと答えられるような雰囲気はない。
「……そういうことするの苦手だっていうの、わかってるよね?」
それでも、心ばかりの抵抗を試みてみる。
「うん、致命的に苦手そうだね」
率直にそう言ってくる。
私がそういうことに向いていないとわかっていて私に頼むのはどうしてなんだろうか。私の無様な姿を見て楽しむとか?
「でも、そんなふうに壊滅的なまでにエンターテイナーに向いてなくても、他人を楽しませることを生業としてる人の力を借りれば多少はましになるんじゃない?」
そう言って、こいしは部屋のある一点へと視線を向けた。自分の部屋だから何があるのかは知っているけど、つられたように同じ方を見る。
そこには、私の身長よりもずっと大きな本棚がある。お姉様がどこからか持ってきてくれた本ばかりがぎっしりと収められている。
「自分で読んだ方が面白いんじゃないかなぁ」
「お菓子を食べながら読めると思う?」
まあ、ごもっともな意見だ。私がお菓子を食べられなくなるということに釈然としないものを感じるけど、別にいいかと気持ちを入れ替える。
こいしとさとりの間にある妙な距離をどうにかするには、こいしをさとりに会わせる必要がある。だから、ここでこいしの要求を呑めば、後々私のお願いを聞いてくれるようになってくれるようになる、といいなぁ。
今にも別の物に混じって見えなくなってしまいそうなほどに淡い期待を抱きながら、いつの間にか手元に現れていた真っ白なテーブルナプキンで手を拭く。
ナプキンは咲夜が置いていったものだろう。常に館の中で何が起きているのか把握しているから、こちらから何も言わなくても適切な行動を取ってくれる。本当に優秀な従者だと思う。
「……わかった。じゃあ、何がいい?」
「一番面白くて楽しいやつ」
端的でわかりやすい要求だった。楽しいということは、明るい話ということだろう。私も甘いお菓子を食べてささやかな幸せに浸っているときに暗い話や重い話を読みたいとは思わない。
でも、一番面白いとなるとかなり難しい。そもそも一番面白いなんて人それぞれだと思う。
とはいえ、聞いたものを無碍にするのも悪いから、本棚へと向かいながら記憶の中を漁る。
私の趣味ってこいしに合うのかなぁ。
本を決める時点から、不安でいっぱいになっていた。
「フランはもっと喋る練習した方がいいよ」
帰り際にこいしが残したのはそんな辛辣な感想だった。自覚があるとはいえ、真っ正面から非難を言われればへこんでしまう。それが読んでいる途中だとなおのこと。
こいしが扉の向こう側にいなくなるのと同時に、先ほどまで朗読していた本を胸に抱いてテーブルに突っ伏した。カップは脇に寄せてあるから、安全に倒れる場所は確保されている。
そのまま大きなため息を吐く。
淡い期待を抱くことさえおこがましいほどに私の朗読の腕前は壊滅的だった。黙読をしているときとは勝手がかなり違う。声に出している箇所を目で追いかけていると追いつかなくなってきたり、そもそも書いてあるままを声に出すのが思っていた以上に難しかったり。
他人の力を借りてもこいしを楽しませられなかった私に、こいしに少しでも心を許してもらうなんて無理なんだろうなぁ、なんて思ってしまう。
「フランドールお嬢様、お疲れ様です」
不意に頭上から私を労う声が聞こえてきた。
億劫さを感じながらも顔を上げてみると、咲夜が立っているのが見えた。手には薄黄色の液体の注がれたグラスの乗った銀のトレイがある。
「ありが――」
お礼を言おうとして、咳が出てきた。長時間喋るようなことがないから、喉をやられてしまったようなのだ。口を閉じているときは気にならないけど、声を出すといがいがする。
「大丈夫ですか? 喉が痛いときは無理して喋らない方がいいですよ。とにかく、これを飲んで喉を潤してください」
咲夜がグラスを私の前に置く。柑橘類の酸っぱくて爽やかな香りが鼻腔を抜けていく。
咳が落ち着くのを待ってから、グラスをゆっくりと傾ける。
舌を刺激するほどの酸っぱさに口を離しそうになるけど、後からやってきた甘さがその刺激を和らげてくれる。レモンの爽やかさがすっと喉を潤し、甘みが喉を柔らかく覆う。
「喉の痛みには、レモネードがいいそうですよ」
そう言ってから、レモンやハチミツの話をしてくれる。私がこいしに散々に言われて落ち込んでいるのを紛らわせるためにそうしてくれているのかもしれない。
でも、痛めた喉をレモネードで労りながら意識するのは、咲夜の明朗な声だ。
私とは全然違う。私の喋り方は咲夜のものとは比べられないくらいに酷かった。聞いていたこいしは、私が何を言っているのかわからなくなっていたかもしれない。現に、こいしが立ち去ったのはお菓子がなくなったその瞬間で、私の朗読を聞いていなかったという証拠だろう。
そうして圧倒的な差を見せつけられると、咲夜がこいしと関わっていった方がいいんじゃないだろうかと思ってしまう。
「お嬢様? どうかなさいましたか?」
でも、この問題は私が勝手に首を突っ込んでいるだけで、咲夜には一切関係がない。だから、そんなことを口にしたところで意味なんてないだろう。
「……どうやったら、咲夜みたいに上手に喋れるようになるのかなぁ、って」
代わりにそんなことを口にしてみる。ちょっと回りくどいような気はする。
「レミリアお嬢様がお聞きしやすいようにと常に心がけていたら、今のような喋り方になりましたよ。なので、心の持ちようが大切なのではないでしょうか」
とっても咲夜らしい答えだった。でも、その後で自然に一般的な形に言い換えている辺り、咲夜の優秀さが窺える。
「とはいえ、私も朗読の方法は知りません。まあ、何度か声に出して読んで練習してみればいいのではないでしょうか? 少なくとも、詰まらずに読む、声を出す練習にはなると思いますよ」
知らないと言った割には的確な指示のような気がする。単に私も何も知らないからそう思うだけかもしれないけど。
「なんにせよ、一度の失敗で諦めず、何度も何度も挑戦することが肝要だと思いますよ」
「うん。……でも、相性の悪い私ががんばってうまくいくことなんてあるのかな?」
嫌われていてもなお、朗読だけでも気に入られるためには、万人に賞賛されるほどうまくならないといけない気がする。それこそ、天才と呼ばれる人が努力を重ねた上で辿り着くくらいの高みに到達するくらい。
「確かに相性が悪ければ、いくら頑張ったところで成果は出てこないでしょうね」
「そう、だよね」
「しかし、お嬢様のことに関しては、悲嘆することはないと思いますよ。一つ、いいことを教えて差し上げます」
咲夜は笑みを浮かべながら、人差し指をぴん、と立てる。
「こいしは、一度も私と顔を合わせようとはしませんでした」
「それは――」
「どう受け取るかはお嬢様の勝手ですが、後ろ向きに考えていいことなんてないですよ」
――私に対して敵意を抱いていて威嚇してるからなんじゃないだろうか。
そう言おうとしたのに、言葉をかぶせられてしまって、私の声はしばし迷子となってしまう。
「もしかしたら嫌われてしまうのではないかなんて考えながらレミリアお嬢様に悪戯を仕掛けるよりも、呆れたような表情や不意を打たれて驚いた表情を浮かべて、最後には笑いかけてくださるのではないだろうかと考えた方が幾分も楽しいですよ」
「それとこれとは、違うんじゃないかなぁ……」
そもそも罪悪感を抱きながらするような悪戯があるんだろうか。私はされる側だけど、悪戯を仕掛けてくる人たちはいつも楽しそうな気がする。
とはいえ、咲夜がお姉様に仕掛けてる悪戯は度が過ぎてるとは思う。いくら影響がないとはいえ、茶葉に毒草とかを混ぜて使うのはどうなんだろうか。
「そうでしょうかね?」
咲夜がとぼけたように首を傾げる。本気なのか冗談なのかはよくわからない。
「ともかく、次は朗読でこいしを魅了してみせるというくらいの意気込みで練習してみてはどうですか? 失敗するなんて考えながら練習するよりはずっとやる気がでると思いますよ」
「うーん……、参考にはしてみる」
さすがにそこまでの自信は持てない気がする。でも、いつも自信を持っているような態度の咲夜は、そうやって今まで成功させてきたのかもしれない。
だから、私もそれを見習い、自信を持ってみようと意識してみることにした。
◆
次にこいしが現れたのは、あれから三日後のことだった。
その日も私は、部屋に一人でいた。この前と違うのは、声を出して本を読んでいるということと、こいしやさとりのことをあまり考えていないということ。声に出して本を読むことに慣れていないから、他のことを考えるような余裕がないのだ。
本の中で、悩んでるときは身体を動かしている間はそのことを忘れられるというのがあったけど、こういうことなんだろうか。声を出すことが体を動かすことになっているのかというのは、微妙なところだけど。
ちなみに、読んでいるのはこの前読んだのとは違う本だ。上手な人なら違うんだろうけど、私程度の実力なら同じ物を読んでも飽きられてしまうと思って本を変えたのだ。前回どの程度聞いてくれてたかもわからないから、途中から読むこともできないし。
こうして声に出して本を読んでいると、黙読していたときには気づくことにできなかったことに気づくことができたりして結構楽しい。下手な自分の声が部屋の中に反響してもへこまずに続けられるのは、この楽しさがあるからかもしれない。
「フランドールお嬢様、紅茶とお茶菓子とこいしを持ってまいりました」
明らかに不自然なのに、自然な様子を装って咲夜が突然現れる。
顔を上げてみれば、不機嫌そうな上に不満そうな表情を浮かべているこいしが咲夜の背後にいた。咲夜から距離を取ろうとしているけど、咲夜に手を握られているせいで逃げられないようだ。
咲夜はこいしの手を引っ張って無理矢理に私の正面に座らせると、どこからかトレイを取り出し、そこに乗せているものをテーブルに並べていく。
今日のお菓子はチーズケーキのようだ。テーブルの真ん中に八等分された一ホールが置かれる。二人分にしてはかなり多いような気がする。でも、用意されているカップの数から、これ以上誰かが増えるということはなさそうだ。
「ねえ、咲夜。ケーキの量多くない? 誰か来るの?」
紅茶を注ぎ終えたところを見計らって聞いてみる。
「いえ、こいしがどれくらい食べるかわからないので、多めに用意してみたんです。多いと感じたら残してもいいですよ。はい、どうぞ」
「そうなんだ。ありがと」
咲夜は質問に答え終えると、紅茶の注がれたカップとチーズケーキが一切れ乗ったお皿を私の前に置く。それから、同様のセットをこいしの前にも置いた。こいしは俯いてテーブルを見たままで反応がない。
咲夜に言われたことを意識して見てみると、確かに私だけといるときとは様子がかなり異なっているのがわかる。
それは好意からなのか、敵意からなのかはわからない。私は、後者だと思ってるけど、咲夜はそうではないようだ。
「……なに?」
私の視線に気付いたこいしが睨んでくる。好意は感じられず、敵意しか見えてこない。
「あ、えっと、まだ挨拶してなかったなぁって。こんにちは、こいし」
「……この前は、挨拶さえもされなかったけどね」
「う……、そうだったっけ。……ごめんなさい」
「……」
こいしからの返事はなく、かなり気まずい雰囲気となる。過去の自分の行動を後悔するけど、今更どうしようもない。
「では、私はここで失礼させていただきます。お嬢様、頑張って下さいね」
しかも、狙ったかのように最悪のタイミングで咲夜が部屋から出ていってしまう。いや、実際に狙っていたのかもしれない。こいしの分の用意ができた時点で咲夜がすることは終わっていたのだから。
お姉様だけに向いていたはずの悪戯心が私にも向き始めたんだろうか。勘弁してほしい。もともと咲夜に頼るつもりはなかったとはいえ、なんのフォローもなしに出て行かれるとダメージが大きい。
「懲りずにまた下手っくそに読むつもりなの?」
こいしの今までのしおらしさが消え、声に先ほどは抑えられていた険が出てくる。変に大人しくされているよりは、こうしていつも通りの態度をとってくれている方が幾分かはまし、のような気がする。……どっちもどっちかもしれない。
こいしは不機嫌そうなまま、チーズケーキをフォークで大きめに切り分けて口に運んでいる。
「一応、こいしが来なかった間に練習はして、少しは上手になった、よ?」
自信のなさが声にまで現れてきてしまっている。この時点でなんだか精神的に追いつめられてきている。
「どうせ、元があんなだったから高は知れてる」
相変わらず言葉が刺々しい。でも、やめろとは言ってこないから、幸い退こうという気持ちは湧いてこない。一歩目を踏み出すなけなしの勇気を失う前にさっさと始めてしまおう。
「……耳障りにならない程度にはがんばるよ」
こいしの刺々しさで心が折れてしまわないよう、強がるようにそう言う。ちょっと強がるのとは違う気もするけど、これが限界なのだ。
始まる前から心が後ろ向きになっている。それでも、咲夜が部屋に来てから脇に置いていた本を手に取る。こいしに聞いてもらおうと思って、練習してきたのだから。
小さく深呼吸をした後、ゆっくりと一文目を読み始めた。
「最悪だった」
私が本を読み終えたときのこいしの第一声。
「聞き取りにくいし、途切れ途切れだし、全然感情が伝わってこない。ほんとに才能を感じられない。史上最悪につまんなかったよ」
一度感想を言う間に、二度も最悪と言われてしまった。初めて朗読したときよりも酷い評価だ。
でも、最初と違うのは一応最後まで聞いてくれたということ。最後までといっても、時間がかかりすぎるから始めの方の何章かだけ。
ともかく、最後まで聞いて批評をする程度にはよくなったと考えても良さそうだ。そんな前向きな思いも簡単に砕かれてしまうほどの酷評ではあったけど。
「じゃあ、言いたいことも言ったし、私は帰る」
「……うん」
気持ちが沈んでいた私の声はかなり暗かった。こいしには届いていないかもしれない。
立ち上がったこいしはこちらに一瞥もくれずに真っ直ぐに部屋から出ていった。後に残ったのは、空っぽになったカップとお皿だけだった。
なんだか意識がぼんやりとしている。意味もなく朗読していた本を抱く。強く批判をされたことがない私は、自分の中にある感情を持て余していて、どうしていいのかわからなくなっていた。
ゆらゆらと意識が揺れ始めている。
「随分と酷い言い種だったわね。私は良かったと思うわよ。フランの朗読」
でも、突然聞き慣れた声が聞こえてきて、そんな感情も驚きに覆い隠されてしまう。意識もはっきりとする。
「な、なんでお姉様がここにいるの?」
開きっぱなしの扉の向こう側に、お姉様が立っていた。
館の中での出来事を把握している咲夜がこのタイミングで現れるならともかく、お姉様が出てくるのはかなり意外だった。
「妹が頑張った成果を聞いてみたいと思ったのよ。咲夜から話は聞いてたからね」
悪びれた様子もなく、平然とこちらへと近寄ってくる。こいしにあれこれ言われてへこんでいたから、お姉様が傍にいてくれるのは嬉しいけど、今はまだ困惑が大きい。
「……どこにいたの?」
私の部屋へと続く階段は一つしかないから、確実にこいしと対面するはずだ。でも、こいしが扉を開いたときにお姉様の姿は見えなかった。あんまり扉から離れすぎると私の声は聞こえないだろうし。
「蝙蝠の姿で天井に張り付いてたのよ。こいしと対面して面倒な事になるのが嫌だったから」
そう言いながら私の対面に、さっきまでこいしが座っていた椅子に座る。そこに座っている人の差が、私の安心感の違いとなる。
「また、傷付けられてしまったみたいね」
「うん……」
こいしに地霊殿から追い返されたときと同じような声音だった。でも、あのときとは違ってお姉様との間にはテーブルがあって、触れ合ってはいない。
それでも、紅い瞳は私を真っ直ぐに見てくれている。それだけでも十分に心強い。
「でも、こいしの言葉は気にする必要なんてないわよ。どうせ、素直になれなくて適当に批判してただけでしょうし」
「……そんなことないよ。こいしの言ってたことは正しいと思うよ」
最初のときに比べればよくなっていたかもしれないけど、それだけだ。絶対的な視点から見れば底辺レベルのものだった。
「まあ、私も朗読のプロって訳じゃないから、私の評価が正しいとも言えないわ。でも、つまらないなら咲夜のお菓子を食べ終わった後もわざわざ最後まで聞いたりするものかしらね? 確か、初めての時は途中で帰ったんじゃなかったかしら?」
確かにそれはそうだ。でも、それには何か別の理由があるのかもしれない。そんな風に、否定の言葉を探そうとしていると、
「なんなら、咲夜の感想も聞いてみましょうか。一番客観的な立場から物を言えるでしょうし」
お姉様がそう言うのに合わせて、咲夜が虚空から現れた。当然のように、こいしとのやり取りも含めて一から話を聞いていたのだろう。
「ふむ、そうですね。こいしの言っていた事も的外れという訳でもないですね。前回何度も噛んでいたので、それを意識していたのでしょうがそのせいで途切れ途切れになって聞き取りにくくなっていたように思います。感情面に関しては言わずもがなですね。そのような余裕はなかったでしょうから」
傷を抉るような遠慮のない言葉だった。お姉様にも言いたいことははっきりと言っているから、当然私に対しても容赦がない。
私は俯いて、でも咲夜の言葉からは逃げないようにと耳を傾ける。敵意を感じられないから、幾分かは耐えられる。
「しかし、最悪というほどのものでもありませんでしたよ。前回あれだけ酷かったにも関わらず、短時間の間に物語を聞くことにある程度は集中させられるようになっているのですから、もっと練習すれば格段に良くなると思います」
後半のその言葉によって気持ちが最低辺まで落ち込むということはなかったけど、沈み込んでいるということに変わりはない。
「相変わらず容赦なく手厳しいわねぇ」
「たとえレミリアお嬢様であろうとも、プラスになると確信していればどんなに聞くのが辛いことだろうとも言葉にするのが私の信念ですから」
服従しているのではなく、純粋に忠誠心だけで動いているからこその言葉なんだろう。
「それに、フランドールお嬢様自身下手な慰めは望んでいなかったようでしたし」
そう、なんだろうか。
……うん、そうなんだろう。ただ慰められたいと思っていたら、お姉様の言葉だけで満足していたはずだ。
へこまされはしたけど、まだこいしのことを諦められてはいない。だから、立ち止まってはいられないのだ。
「慰めようとしてたのは事実だけど、思ったことを言っただけよ。私だって場合によっては厳しい態度で接するつもりよ」
「お嬢様はフランドールお嬢様のことを溺愛なされていますからね。知らぬうちに色眼鏡をかけてしまって、どうしても評価が甘くなられてしまうんですよ」
「そうかしらね?」
沈んでた気持ちも少しだけ浮かび上がってきたから顔を上げてみる。そうすると、納得いかないような表情を浮かべて首を傾げるお姉様の顔が見えた。
「当事者の感じ方がそのまま第三者にも当てはまることなんて稀なことですよ。ですから、お嬢様は素直に従者の言葉に耳を傾けるべきです」
「自分から望んで従者になったのに、生意気なことを言うのね」
「自ら選んだからこそ、少々生意気でいられるのですよ」
「……まあ、それもそうかもしれないわね」
お姉様は咲夜の悪戯っぽい言葉に若干呆れた様子を見せながらも、口元をゆるめて小さく微笑む。咲夜もそれに応えるように笑みを浮かべた。
そんな二人を良いなぁ、と思いながら眺める。羨ましいのではなく、優れたものを見られて満足するようなそんな感じだ。
「そういえばフラン。古明地姉妹の問題を解決したいと言ってたけど、解決した後はどうするつもりなのかしら?」
二人の表情に見惚れていたら突然、お姉様がこちらを向いた。私はもう関係ないと思っていたから驚いてしまう。
「え? えっと、たぶん関わることは、なくなるんじゃないかな」
もともとこいしと私は相性が悪いから、用もないのに関わり続けるなんていうことはないだろう。きっとその方がお互いの精神衛生にいい。さとりに関しては、よくわからない。まだ、一度しか顔を合わせていないし。
でも、なんで突然そんなことを聞いてくるんだろうか。
「そう。友人になろうとは思わないのかしら?」
「思わないよ。こいしとの相性はかなり悪いし……」
「ふーん? 何か問題を抱えてるから、変に刺々しくなってるだけなんじゃないかしらね? 現に貴女が見た限りでは、貴女以外とは誰ともまともに喋ってないんでしょう?」
「うん、そうだけど……」
初めて会ったときは、力を使って周りの人たちに一切気付かれないようにしていたし、前回や今回、咲夜がいるときはどこかしおらしかったりもした。
「だったら、こいしは貴女のことを特別視していると考えるのが自然な事ではないかしら? まあ、あんな態度取られてて苦手意識を持つのも分からないではないけど。私なら関わるのも嫌になるわね」
そう言った後、なぜかお姉様はあごに手を当てて考え込んでしまう。少し困っているように見える。
「……お姉様? どうしたの?」
「あー、いやいや、なんでもないわ。気にしないでちょうだい。まあ、あんまり私が口出しすべきではないわよね。貴女の好きなようにしなさい」
突然なんだか投げやりな口調になった。
「お嬢様、理想と現実のギャップにお気付きになったからといって、中途半端なところで投げるのはどうかと思いますよ」
「やっぱりそうよねぇ……」
お姉様が咲夜の指摘にため息をつく。私一人だけが話についていけず置いていかれている。話題の中心はこいしと私のことのはずなのに。
お姉様は再び悩む素振りを見せ、しばらくしてから真っ直ぐにこちらを見つめてきた。
「フラン、私は貴女に親しい友人がいてほしいと思っているのよ」
「うん」
反射的に頷いてしまってから、そもそも自分には友達と呼べるような存在がいただろうかと考える。
ぱっと思い浮かんだのは、よく図書館に本を借りにくるアリスと盗みにくる魔理沙。話をすることはあるけど、たまたま会ったからそのついでといった感じで、お姉様とパチュリーほどの距離の近さは感じない。もしかしたら、二人の距離が特別で、それがお姉様の言ってる『親しい友人』なのかもしれない。
だからといって、アリスと魔理沙の二人を友達に含めてもいいのかというのもよくわからない。まず、友達という存在自体がよくわからないから。
「そこで、フランがこいしの事をなんだか気にしてるみたいだし、これをきっかけにすればいいと思っていたんだけれど、冷静になってみればあんなのが貴女の傍にいるのは不安なのよねぇ……」
私が友達というものについて悩んでいることに気づいている素振りはなく、こいしのことをあんなの呼ばわりしている。でも、こいしの感じが悪いというのは確かではある。
「だから、私はあまり考えない事にしたわ。それに、そもそも他人の友人関係に私が口出ししたって仕方のない事だし」
「結局丸投げするんですね」
「だって、それ以外に選択肢がないじゃない」
少しだけばつが悪そうに、なのにしっかりとした口調でそう言う。簡単に揺らいでしまう私とは根本的に在り方が違うんだろうと思う。
「で、フランとしては問題が解決したら、関わりたくないというわけね」
「え? 別に関わりたくないということもないけど……」
「じゃあ、どうしたいのかしら?」
「……わかんない」
成り行きに任せていれば、そのまま関係が終わってしまうということは予想できる。でも、お姉様が聞きたいのはそういうことではないだろう。
「……ねえ、友達ってどういうものなの?」
そして、私はそんな質問を口にしていた。
「咲夜はどう思う?」
お姉様は、質問を受け流すかのように咲夜に言葉を投げかける。何か意図があるんだろうか。
「……。いえ、分からないです」
しばらく考え込んだ咲夜がそう返す。
「私にお聞きになられるより、お嬢様がお答えになればよろしいのではないですか?」
「いろんな意見を聞いてみたいと思ったのよ。友人の捉え方なんてそれぞれでしょうから」
お姉様はそう言って、居住まいを正す。私だけではなく、咲夜の方にも意識を向けているようだ。
「そうね。私にとって友人というのは、煩わしくて自分勝手。でも、悪くはない、そう思えるような存在よ」
お姉様の言葉は、私にはあまり理解できなかった。
それは、咲夜も同様のようだった。
◆
こいしに散々と言われたけど、お姉様に慰めてもらったり、咲夜から助言をもらったりしてなんとか立ち直ることができた。
今のところ、私ができることなんて朗読をしてこいしを楽しませようとすることくらいなのだ。もし仮にこいしを楽しませることができたとしても、こいしとさとりとの間にある不自然な距離が縮まるなんていう確信はどこにもないけれど。
さとりに会いに行こうとも何度か考えたけど、それに必要な情報は相変わらず全然足りない。こいしから聞ける話なんてないに等しいから。
だから、こいしの方からこちらに来てくれるという状況はとても好ましい。いつ終わるともしれない、不安定な関係でも。
だから、今日も一人部屋の中で朗読の練習を続けている。
「あれだけ言われてまだ続けるつもりなんだ。意外に雑草みたいにしぶといんだね」
不意に、自分の声の間にこいしの冷ややかな声が混じってきた。その不意打ちに驚いた私は、身体を震わせ物語をぶつりと途切れさせてしまう。
今までは咲夜が連れてきていたから、こいしだけがやってくるということに対しては全く心構えができていなかった。咲夜が突然現れても驚かないのは、この心構えができているからだ。もしかしたら、驚かない瞬間を狙ってくれているのかもしれないけど。
「きょ、今日は直接こっちに来たんだ」
「どうせ台所の方に行ったってあのメイドに捕まるだけだし。……フランは私が学習しないとでも思ってるの?」
椅子に座ったこいしがこちらを睨んでくる。私は少し怯んでしまう。
「そうは思ってないけど……」
「けど?」
「……絶対に私のところに直接来ないだろうって思ってた」
嫌いな相手の前に好き好んで現れることなんてないだろうと思ってるから。
「ふーん……」
こいしの声の温度が更に下がり、居心地が悪くなってくる。さほど逃げ腰にならなくなってきたとはいえ、この雰囲気からはどうやっても居心地のよさを感じることはなさそうだ。
「え、えっと……、あっ、こ、こんにちは、こいし」
気まずい空気をなんとかしようとして、挨拶をしていなかったことを思い出す。無理矢理言葉を絞り出すようにしたから、かなり不自然だ。
「普通は、会ったときにするもんじゃないの?」
「それは、こいしが突然話しかけてきたから。……こいしの方から挨拶するべきじゃないの?」
「私は別に挨拶する気なんてない。だから、フランだけが私に会ってすぐに言えばいい」
かなり自分勝手な意見だった。なんだか呆れが出てくる。というか、自分の中にそんな余裕があることが意外だった。
もしかすると、何度もこいしの刺々しい態度を前にしてきたから慣れてきてしまったのかもしれない。
これで少しは自然体で振る舞えるだろうか。あまり自信はないけど。
「そんなどうでもいいことよりも、いつになったらお菓子は出てくるの? 私はフランに会いに来たわけじゃないんだけど――っ?!」
不満そうなこいしの言葉に応えるように、突然テーブルの上に色とりどりのタルトが乗せられたお皿と紅茶の注がれたカップが現れる。タルトはいろいろな種類を食べれるようにと配慮してか、随分と小振りで代わりに数が多い。
こいしと私は同時に一瞬でお茶会の準備が済まされたことに驚く。咲夜の仕業だというのはすぐにわかったけど、こういうことをしてくるとは思っていなかったから身体が竦む方が早かった。
「……顔を見せないなんて、失礼なメイドだね」
こいしが平然とした様子を装ったように言う。あの驚きは心の底からのものだったようで、こいしの素の表情が微かに覗いているような気がする。
「こいしが咲夜のことを苦手視してたから、気を遣ってるんじゃないかな」
「……別に、苦手視なんてしてない」
そう言いながらも、視線は私からそれている。
もしかして意地っ張りなんだろうか。今までの行動を振り返ってみればそんな感じはする。
さとりもなんだか意地を張ってるみたいだし、姉妹揃って一筋縄ではいきそうにないというのをより一層強く感じる。
うーん……。
「……なに?」
「こいしとさとりって二人とも意地っ張りなのかなぁって」
怒るだろうなと思いながら、考えていたことを素直に言葉にしてみた。少しずつ自分の中に余裕が芽生えてきているからこそできたことだろう。あんまり距離を取り続けていても、進展がなさそうだと思った結果でもある。
「お姉ちゃんはそうかもしれないけど、私はそんなことない」
「なら……、なんでさとりのことを避けてるのか教えて」
一度は冷たく拒絶された質問。それを、今一度聞いてみた。
きっとこの問題を解決するには、この質問に対する答えは必要不可欠なものだろう。こいしから聞き出すか、いろいろな断片を繋ぎ合わせて自分で導き出すしかない。
「フランには関係ないって言ったはず」
顔をこちらに向けて再び睨んできた。まだ話してくれそうにないし、私もこれ以上の言葉は持っていない。
「……わかった。今はもう聞かない」
「今後一切二度と聞いてこないで」
「それはできない」
「……フランこそ意地っ張りなんじゃない?」
「うん、そうかもね」
何を言われても諦めようとは思わないから、こいしの言うとおりなのかもしれない。だから、否定の言葉は考えず平然と肯定した。
私の様子が気に入らないのか、こいしが浮かべたのはつまらなさそうな表情だった。どういう反応を期待してたんだろうか。
こいしは不機嫌そうにしたままタルトを手で掴んで食べ始める。
私はこいしの様子を眺めながら本をめくる。前回の続きのページを探しているのだ。
こいしがそれを止めようとする様子はない。だから、目的のページはすぐに見つかったし、滞りなく朗読を始めることができた。
「感情がこもってないし、声がこもってて聞き取りにくかった。やっぱりフランの朗読は最悪」
相変わらず散々な感想だった。でも、前に比べれば指摘されている箇所も減っているし、一応進歩はしているという証かもしれない。初めて散々に言われたときに比べれば、前向きに受け取ることができたからかさほどへこんでいない。
一度最悪を味わったおかげか、少々打たれ強くなったのかもしれない。
「うん、今度はその辺りに気をつけてみる」
頷きながら、今回の朗読に関して思い返してみる余裕さえもある。
声がこもっていたというのは俯いて読んでいたからかもしれない。もしくは、まだ失敗を引きずっていて慎重になりすぎていたかもしれない。次からはできるだけ顔を上げるようにしよう。少しずつではあるけど、こいしにも慣れてきているし。
でも、感情を込めて読むというのはどうすればいいんだろう。練習中にもよくわからなかった部分だ。
「……」
「ん? どうしたの?」
「……なんでもない」
無言でこちらを見ていたこいしは、私が視線を向けると顔をそらしてしまった。そして、まだ残っているタルトを食べ始める。
気になるけど、追求しても答えてくれないだろう。だから、後で考えてみようと思いつつ私もタルトを手に取ろうとして、あることに気付いた。
何種類かのタルトがあったはずなのに、残っているのはココアのタルトばかりだ。ちらほらと他のも残っているけど、その他でまとめしまってもいいくらいに少ない。
さとりがココアはこいしの好きなものだと言っていた。でも、今こうしてそれを避けているのはどうしてなんだろうか。
嫌いになってしまったから? それとも、さとりを避けているから?
「……さとりは、ココアを作るのが上手だよね」
ココアのタルトを一つ取って、不意にそう言ってみる。この話題がこいしのどこまで届くのかはわからない。
まあ、届かなかったならそれでも構わない。さとりの作ってくれたココアを思い出した私の独り言。そう思うことにするから。
「あのココアが本当においしいって思えるのは、作った直後だけだと思うんだ。熱いわけでもなく、ぬるいわけでもなく、暖かくてほっとできる温度になってるのは本当に短い時間だけだろうから」
そして、きっとそれは飲んでくれる誰かのことを想っている暖かさなんだろう。あのときに飲んでいたのは私だったけど、きっと作りながら想い浮かべていたのはこいしだったはずだ。
こいしがココアを好きだと話すさとりの様子からそのことは十分に伝わってきていた。
「……なんで、いきなりそんな話をするの?」
「ココアタルトばっかり残ってたのを見たら、ふと思い出したから。それに、こいしも半年もさとりのことを避けてるなら、忘れてるんじゃないかなって思って」
「余計なお世話」
そう言ってこいしはタルトの最後の一欠片を口の中に放り込み、残っていた紅茶でそれを流し込む。
「じゃあ、私帰るから」
「うん、……ばいばい」
また来てと言うのとどっちがいいだろうかと考えて、立ち上がったこいしへとそう言った。相手に嫌われてるのがわかってるのに、また来てなんていうのはどうかと思ったのだ。
こいしは振り返りもせず、無言で逃げるように部屋から出て行った。
その足はどこへ向かっているのだろうか。
私の言葉でさとりの想いが届いたなら、さとりに会いに行ったのかもしれない。
そうだといい。……そう簡単にはいかないんだろうけど。
思い通りにいきそうになく、少しばかり現実逃避をし始めた私は、あのおいしいココアをもう一度飲んでみたいなぁ、なんて思っていた。
◆
なぜだかわからないけど、こいしは三日に一度ここに来るようにしているようだ。今までのことを振り返ってみて、そのことに気づいた。
三日以上空けてようやく私の顔を見れるということだろうか。まあ、私のことを嫌ってるみたいだし当然か。
そして、その三日空ける法則は今回も変わっていない。こいしは突然部屋に現れて、私の正面に座ると非常に不機嫌そうにこちらを睨んできた。
その間に咲夜がお茶会の準備を一瞬ですませ、私はこいしから文句を言われつつも朗読を始める。そして、朗読が終われば批判される。
そんな流れができあがりつつある気がする。
「さっきからこっちをちらちら見てきてるけど、なに?」
こいしは、不機嫌そうにこちらを睨んできながら、手に持ったフォークでアップルパイをつついている。今はもうすでに朗読を終えた後で、こいしが食べ終わるのを待っているような状態だ。
なんとなくだけど、日に日に食べるのに時間をかけるようになってきているような気がする。物語が進んできているからそれに引き込まれてきているんだろうか。読み手がだめだめでも、聞き手を楽しませられる物語を書ける作家の人は偉大だなぁと思える。
ちなみに、今日も感情がこもっていないと言われた。これだけは、いくら指摘されても直せない。
こいしとさとりとの距離を縮めるまでの間に、感情面に関して何も言われなくなる日が来るのだろうか。まあ、こいしとさとりとの問題をどうにかできるなら、今のままでも別に構わないんだけど。
「こいしはなんで三日ごとに来るのかなって」
「フランと毎日顔を合わせたくないから。フランがいなければ毎日でも来てるよ」
「やっぱりそうなんだ」
予想していたとおりの答えだった。嫌われていることを前提にした身構え方を覚えたのか、これくらいの言葉ならなんとも思わなくなってしまった。
まあ、こいしの言葉は傷つけるためというよりは、追い払うためといった感じが強い気がする。だからこそ、傷つけられにくいというのもあるかもしれない。こいしの言葉が攻撃的になってきて身を引けば、その時点でそれ以上酷いことを言ってきたことは今までなかった。
「はあ……、なんでそんなに平気そうなの? 大抵の人はここまで言われると関わるの、やめると思うよ」
「こいしがちゃんとさとりと話をするようになってほしいから」
結局、私がこいしに関わる理由なんてそれくらいだ。それ以外の理由はない。
「……フランにお姉ちゃんのことに関してあれこれ気にされたいなんて思ってない。ほっといてよ」
「その態度がすごく気になるからできないよ。こいしはさとりのことを話題にすること自体を避けてるけど、さとりのことどう思ってるの?」
こいしは一層不機嫌そうになるけど、私はできるだけ気にしないようにしながら一歩踏み込んだ。こいしの態度に慣れてきたからこそできたことだ。出会ったばかりの頃なら、それこそ不機嫌そうになっただけでそれ以上踏み込むことを躊躇していたはず。
「私はもう二度と聞いてくるなって言ったはずだけど?」
「私も聞き入れるなんて答えたつもりはないよ」
「じゃあ、今すぐ聞き入れて」
「やだ」
「意地っ張り」
「うん、言われなくても知ってる」
なんだか変に肝が据わってきていて、だんだん思っていることを言葉にするのに躊躇がなくなってきている。
そのせいか、不毛な言い争いになってきた。お互いに譲るつもりはないからいつまでも続きそうだ。
「初めて会ったときはわかんなかったけど、フランって面倒な性格なんだね」
「そうかな? こいしには負けると思うけど」
「へぇ……。生意気だとか言われたことない?」
「咲夜はこの前、お姉様に生意気だって言われてたよ」
「私はフランのことを聞いてるのっ!」
こいしが怒ったようにテーブルを叩く。そんなこいしを前にしても私は驚くようなことはなかった。
むしろ少し意地悪な返しをして、こいしがそんな反応をしてくれたことがちょっぴり嬉しかった。
「ううん、言われたことはないよ。私自身、こんなことが言えたんだって驚いてる」
別に隠すつもりもないから正直に話す。
「へぇ……。じゃあ、私に対してだけそんな態度になるってことなんだ?」
「まあ、そうなるね。こいしが全然素直になってくれないせいで」
「私は正直にフランのことが嫌いって言動で示してるつもりだけどね」
「でも、さとりのことについては一度も聞かせてもらってない」
今日さとりの名前を出すのは、これで三度目だ。今までは一度出して拒絶されればそこで諦めていたけど、今日はせっかくだからやれるところまでやってしまおうと、そんな気持ちになっている。
「私に話したくないなら、別にいいよ。でも、さとりにはちゃんと話してあげて。もし自分から会いに行きにくいって言うなら、私が無理矢理にでも連れていってあげるよ」
「……」
こいしは何も答えずに私から顔をそらした。やっぱりさとりのことは一言も話してくれようとはしない。
「……こいし、逃げてばっかりなのはだめだと思うよ」
臆病な私にこんなことを言える資格なんてないだろう。でも、私は周りの人たちによって逃げ出そうとするのを何度も止められた。今回こうしてこいしと関わっているのも、逃げ腰になっていた私の背中をお姉様とパチュリーが押してくれていたからだ。
そんな経験から、黙っていられなかった。
「逃げてなんかない。知ったような口をきかないで」
「じゃあ、なんで中途半端にさとりとの距離を保ってるの?」
「食事とか洗濯とかができないし、寝る場所とかがないから」
予想してたとおりの言葉だった。でも、だから返す言葉はすぐに浮かんできた。
「それは、さとりに甘えていたいって欲求があるってことじゃないの? ううん、こいしはさとりに拒絶されてないことに甘えてる」
こいしは以前から二、三日帰らないことがあったとさとりは言っていた。だから、洗濯はともかく、食事や寝る場所は地霊殿に帰らなくても何とかなるはずなのだ。
そのことに気づいてからしばらくするけど、言い出すタイミングが見つからなくて、今の今までため込んでいたのだ。
「うるさいっ! なんにも知らないくせに、好き勝手言わないでっ!」
「あっ、待って!」
こいしが立ち上がって部屋から出ていこうとする。私はそんなこいしを反射的に呼び止めてしまう。ついでに、行動まで伴って。
テーブルを飛び越えた私は、背中からこいしに抱きついていた。なおもこいしは前に進もうとするけど、吸血鬼の力にはかなわないようだ。一歩も前に進んでいない。
こいしが逃げようとしたのを止められたのはいいけど、さてどうしようか。
「放して」
「やだ」
こいしが肩越しにこちらを睨んでくる。私はこいしの顔を見上げつつ見返す。
なんであれ、今すぐ放すつもりはない。意地でも今日のうちに解決してやろうという気持ちになっている。
「……こいしからしたら、好き勝手言ってるように聞こえるかもしれないけど私はちゃんと考えてから言ってるつもり」
「じゃあ、その考え方が根本から間違ってるんじゃないの?」
「かもしれない。だから、答え合わせしてくれる? 納得できたら放してあげるから」
「なにその自分勝手な提案」
「まあ、そう思うよね。でも、こいしがちゃんと答えてくれればすぐに終わるから辛抱してよ」
「はあ……、本当面倒な性格。……で、フランがそう思うようになった根拠ってなに?」
ようやく折れてくれたようだ。強引だとは思うけど、今までの反応からこれくらいしないと何も話してくれないような気がするのだ。
「さとりに会わなくなる前は二、三日帰らないことがあったらしいけど、その間なんとかできてたんだから、わざわざ地霊殿に戻って食事とかをする理由がそれ以外に思い浮かばないから」
とはいえ、種族的に食事や睡眠が必要なのかどうかはわからない。お姉様や私も食事に関しては、生きるだけなら血さえあれば事足りる。いつからか人間が食べるのと同じ物を食べるようになって、気がつけば食べないとなんだか落ち着かないという状態になっていた。
だから、覚りという種族もそういった可能性は大いにある。まあ、それならかなり論破しやすくなるから逆に嬉しいくらいだけど。
「……帰ってなかったわけじゃない。帰るタイミングが悪くてお姉ちゃんと顔を合わせることがなかっただけ」
「だったらさとりは、毎日こいしは帰ってきてたって言うんじゃないかな? 食事が減ってたら帰ってきてたのはわかるわけだし」
「調理されてないものだって食べれるものは食べれる」
今までの発言からとりあえず、こいしは食事を必要としていると考えておいてよさそうだ。
それよりも、言われたことに対する反論を考えないといけない。ほとんど行きあたりばったりだから、こいしの答えを聞いてから頭を動かす必要がある。
料理はさとりが担当してるみたいだし食材が減っていれば気づきそうなものだ。あー、でも、ペットがいるっていう話だし、そのペットたちが食材を漁るという可能性もありうる。そうなれば、どれがこいしの食べたものなのかわからなくなるはずだ。
うちの館も食材は自由に使えるようになってるから、地霊殿もそうなってる可能性は十分にある。
「どう? 納得できた?」
「納得したくないけど、反論の言葉が浮かんでこない」
「ずるいこと言うねぇ。そんなんじゃ嫌われるよ?」
「もうこいしに嫌われてるのはわかってるから、そんなこと気にしない。……でも、今は放してあげる」
今の私の情報量ではこいしに勝てない。私自身、返ってきたら困る答えを思い浮かべている時点で、適当な問いをしてそこから真実を引き出すということもできない。
それに、私がやりすぎた結果、さとりまで嫌われてしまうのもいやだった。
「そ、ありがと」
嫌味っぽくそう言って、こいしは部屋から出ていった。
でも、私は諦めていない。とにかく、さとりのところに行って情報収集をしてみようとそんなことを考えていた。
◆
「ペットたちが勝手に食材に触れることはありません。自由に出入りさせていたら、どれだけ荒らされてしまうかわかりませんから。それと、あの子が私に顔を合わせてくれている間にいつの間にか食材が減っていたということもありませんでしたね」
翌日、私は地霊殿へと訪れていた。
さとりは快く迎え入れてくれ、食堂へと案内してくれると密かに望んでいたココアを作ってくれた。
そちらに心を奪われて、どのタイミングで質問を切り出そうかなんて考えつつココアを飲んでいたところ、さとりは私が何度も何度も頭の中で反芻していた質問に答えてくれた。
心を読めるさとりにしてみれば、うるさくてかなわなかったかもしれない。
「いえ、これくらい大丈夫ですよ。食欲に突き動かされているペットたちの催促に比べればずっと静かなものですから」
気にしてはいないようだ。
ペットの世話も大変なんだなぁ、と思いつつ次に何を聞こうかと考える。昨日、こいしに言い返せなかったことへ言い返せるような情報がほしいとだけ考えていたから、これ以上は何も考えていなかった。
「……なんだか、こいしが迷惑ばかりをかけているようですね。すみません」
「いいよ、気にしなくて。なんだか私もやりたい放題やってるような気がするし」
聞かれたくないと思ってることをしつこく何回も聞いたり、抱きついて無理矢理足を止めさせたり。まあ、主に昨日のことだけど。
なんだか、昨日は私自身把握してなかった部分が露呈されてしまった。相手に言われたことを受け流そうとするのは、お姉様の影響のような気がするけど。
「そのことですが、フランドールさんは私のことは気にせず、純粋にこいしを相手にしてもらえませんか?」
「それは無理だよ。こいしとの話題なんてさとりとのことくらいしかないし、なにより私はこいしに嫌われてる」
今私がなんとかこいしと顔を合わせられているのは、こいしが咲夜のお菓子に興味を持っていて、かつその咲夜が館に侵入してきたこいしに気づくことができるからだ。
今思えば、咲夜のおかげでこいしとの繋がりをなんとか保っていられるんだなぁ。対して私は何一つ成果を出せていない。私が知っている限りではこいしと関わっているのは私だけのはずなのに。
「いえ、あの子はフランドールさんのことを嫌っていないと思いますよ。あの頃から変わっていなければ、嫌いなものは優先的に避けようとするような性格ですから」
「そうなの?」
それほど意外だとは思わなかったけど、それだとお菓子を食べに来る理由がわからなくなってしまう。
嫌いなんじゃなくて、無関心なんだろうか。でも、面と向かって嫌いだって言われたし……、よくわからない
「そう、ですね……。あの子のことは、よく分かりません」
目を伏せて、寂しそうな表情を浮かべる。
その姿を見て、やっぱりこのままではだめだと思う。さとりとこいしがどう距離を取るのがいいのかはわからないけど、少なくともその間には理解や納得があるべきだと思う。
よくわからないまま距離をあけているなんていう状態を見るのはいやだ。
そんなわがまま混じりの主張をさとりに向ける。心が読まれているのを防げないのはわかっているから遠慮がない。
昨日、こいしが帰った後に考えてみて気づいたけど、私は開き直ると図々しくなってしまうようだ。
今は勢いがほしいからあまり気にしないようにするけど、この問題が片付いたら気をつける必要がありそうだ。
「そういえば、あのころっていうのは? 今と昔で何か違うの?」
ふと気になったことを質問してみる。
こいしを説得するのに何か重要な手がかりになるかもしれない。
「はい。……こいしの第三の目、今は閉ざされていますよね? ですが、昔はしっかりと開いていて、私もあの子もお互いに心を読めていたんですよ。あの頃なら、こいしに関して知らないことは何もありませんでした。そして、あの子もそうだったでしょう」
そう言われて私は今頃になって気づいた。閉ざされているなら、当然開かれていたときもあったということに。
そして、こいしが目を閉ざしてしまったその理由は――
「フランドールさんのお察しの通りです。こいしは他人に嫌われることを、疎まれることを、拒絶されることを嫌がり、同時に怖がっていました。私が最後に見たあの子の心もそういった感情で満たされていたのです」
悲しそうに目を伏せて言う。やっぱりさとりはこいしのことを強く強く想っている。それは、さとり自身振り返りたくないだろう過去を話す姿が、とても痛ましく見えるくらいに。
「あの子が閉ざしたのは目だけではありません。心を読む力を閉ざすというのは、同時に心を閉ざすことでもあります。目を閉ざしてしまって以降、あの子が外へと向ける感情はどこか空虚な物となってしまいました」
心を閉ざしている?
でも、私が何度か相対したこいしからそういった様子は見えなかった。
初めて会ったときはなんとなく雰囲気の焦点が合わず、その理由がわからない私はそのことを怖がっていた。たぶん、さとりの言う空虚な感情を本能のどこかで警戒していたのだろう。
でも、私の言葉に機嫌を悪くしてからはそういったことはなかった。不機嫌そうだったり、不満そうだったり、怒ったり、そして咲夜のお菓子を食べて顔を綻ばせたり。
良い方向の感情を見せてくれることはほとんどなかったけど、あれらの反応は、心を閉ざした人の反応なのだろうか。心を閉ざしていたにしては感情の輪郭がやけにはっきりしていたように思う。
「ねえ、こいしはもう、心を閉ざしてなんかいないんじゃないかな」
でも、こいしは無意識を操る力を手に入れてしまっていた。たぶんだけど、それは心を閉ざしたことで得られた力なのだろう。
その力でこいしは自らの心を守っていた。意識しなければ、どんなことが起きても傷つくことはなくなるはずだ。私が初めて出会ったのはそんな状態のこいしだった。
感情を隠し、意識もぼやかして関われば嫌われることはない。でも、同時に好かれることもなくなる、はずだ。人付き合いがまだまだ薄いからなんとも言えない。
でも、もしそれが正しいなら、こいしがさとりを避ける理由も予想がつく。
「たぶん、こいしはさとりに嫌われることを怖がってる。心を閉ざして無意識だけで動く姿じゃなくて、ちゃんと感情があって自分の意識で動いてる姿を嫌われることを怖がってる」
それが私の単なる想像ではないなんていう確たる証拠はない。でも、想像だという証拠だってない。
だったら、私がそうあってほしいと願う方を信じる。違ったら、なんていうつまらないことは考えない。
どうせ、二人の間には何か動きがあるべきなのだ。だから、私が今こうして作る。
「……理性的なのに、地の部分は感情的。初めてお会いしたときから見抜いてはいましたが、実際に感情的な部分を見せられると、少し圧倒されてしまいますね」
「え? あ、勝手なこと言ったりしてごめんなさい」
さとりの落ち着いた声を聞いたら、私も内側の熱が引いていってしまった。同時に勢いもなくなってしまう。
でも、思いは変わらず、ある一つの願いはまだ胸の中に残っている。それを言葉にするだけの勢いも残っていないけど、さとりには届いてしまっているだろう。
「いえいえ。フランドールさんの視点のおかげで、真実を垣間見れた気がします。……正直に言うと、私は私で悲劇にどっぷりと浸かり込み、あの子のことをちゃんと見てあげることができていなかったようです。本来は、私が気づいてあげるべきだったんですよね」
自虐的な笑みと言葉。でも、どこか吹っ切れたようにも見えて、清々しさが覗いているように見える。
「……フランドールさん。こいしを、ここに連れてきてくださいませんか? 私ではあの子を捕まえることができませんから」
「うん、もちろん。今後一切絶対に私に会いたくないって思われるくらいのことをしてでも連れてくるよ」
それが、どんな方法なのかなんて思い浮かばない。でも、こいしを連れてくる手段は考えてある。
「私としては、フランドールさんのような方があの子の友達になってくだされば嬉しいんですけどね」
「相性が悪いからうまくいかないよ」
今までのやり取りを思い返せばよくわかる。そこに、私が無理矢理関わっているのだから、今更どうしようもないほどに嫌われてしまっていると思う。
「私は、そうは思いませんけど……、まあ、頼むようなものでもないですよね」
「さとりにとって、友達ってどういうものなの?」
いつだったかお姉様に聞いてみた問い。
お姉様が友達の捉え方にはいろいろある、みたいなことを言っていたのを思い出して、少し気になったのだ。
「私に友達と呼べるような相手はいませんが、うちのペットたちにとても仲のいい子たちがいるんですよ。その子たちを見ていると、こういうのが友達なのではないだろうかと思うんです」
一息、間を置いて、
「お互いに励まし合い、叱り合えるそんな関係」
お姉様の答えよりはわかりやすかった。でも、わかりやすいというだけで、実際にするとなれば難しいと思う。私の場合、叱る場合萎縮してしまうだろうし。
「まあ、私の知っている子たちは片方がしっかりものなので、叱り合っているというのは見たことないですが。それに、フランドールさんは、誰かを叱るということはできると思いますよ。現に、こいしから目をそらしていた私も叱られたような気持ちですし」
「う……、ごめんなさい……」
「だから、謝らなくてもいいですよ。むしろ、感謝しているくらいです。ですが、もしどうしても謝りたいというなら、代わりにちゃんとこいしを連れてきてくださいね」
「……うんっ」
今日ここで初めて私は覚悟というものをできた気がする。
あのときのように、身体が強張るようなことはなかった。
◆
さとりと約束をしてからこいしが来る日まで、私は来るべきときに備えて準備をしていた。
といっても、私自身がする準備はほとんどない。こいしが来るまでにしておくのは、心の準備くらいだ。
そんな私に反して、一番準備量が多いのは手伝いをしてくれることになっているパチュリーだろう。もともとは手伝ってもらう予定はなかったんだけど、お姉様から話を聞いて協力してくれると言ってくれたのだ。
少し不安な部分があったから、パチュリーが協力してくれることにはとても感謝している。
そして、前回こいしがここに来てから三日経った今日、私は妙にそわそわしながら椅子に座っている。こいしの気分が変わっていなければ、今日こいしは現れるはずだ。……前回、こっちが好き勝手言ってしまったから、不安はあるけど。
「フランドールお嬢様、こいしが館に入ってきました」
「あ。ありがと」
ついに、このときがやってきた。そわそわとしていた気分は一気に引っ込んだけど、代わりにかなり緊張してくる。
こいしが来たことをわざわざ伝えてもらう必要はないけど、心の準備をする時間が必要だろうと思って頼んでいたのだ。この緊張感にいきなり襲われていたら動けなくなっていたかもしれないから、頼んでいて正解だったかもしれない。
「いえいえ、これくらいお安いご用ですよ。大変でしょうが、頑張ってくださいね」
「うん」
咲夜は姿を消して、部屋の中には私だけとなる。私は胸に手を当て、ついでに目も閉じてゆっくりと深呼吸をする。
なんとなくだけど、緊張で大きくなっていた心臓の鼓動が少しは落ち着いたような、気がする。いや、こういうのは思い込みが大切だろうから落ち着いた。そういうことにする。
でも、そんな余計なことを思考の中に入れると、余計に心音が気になる。結果として、緊張している自分を自覚してしまい、元に戻ってしまう。
「……なにやってるの?」
そして、こいしが現れてしまった。一応、心構えができていたのか緊張している割には驚くことがなかった。まあ、上手くやるというのが最終目標だから、驚かないだけでは何の意味もない。
つむっていた目を開けてみると、こちらをいぶかしむように見るこいしの姿が映った。私の姿を見て警戒しているのか、まだ扉の近くにいる。
計画ではこいしは椅子に座っていることになっていたけど、こちらの方が都合がいい。そう思いながら、すぐに行動を開始する。
「魔法を使う準備」
ごく簡単にそれだけを言い、姿を消すと、一気にこいしとの間合いを詰めた。
警戒をしていたこいしは私の姿が消えた瞬間に一歩引いたみたいだけど、それ以上は動いていない。何が起こるかを見極めようとしたからだろう。そして、そうやってほとんど動かなくするのが、わざわざ姿を消してこいしとの距離を詰める理由だった。
「さとりに会って、話をしよう?」
こいしの目の前で姿を現した私は、こいしが逃げ出す前に手を掴んだ。たぶん、これで逃げられないはずだ。
「……こんな小細工が使えるんだ」
近くに寄ると身長差が如実に現れて、見下ろされつつ睨まれるという状況になってしまう。こうして正面から見下ろされるのも久々だけど、やっぱり迫力を感じる。でも、実際に手を出されたことはないから、怯えは出てこない。
態度が怖いだけなら、慣れてしまうとなんともなくなる。
「うん、魔法はそれなりに使えるからね」
パチュリーには才能があるなんて言われた。でも、種族的に相性の悪い魔法もあるし、そこまでがんばろうという気にはならなくて、なんとなく興味を持った魔法くらいしか練習はしていない。
「……そう。でも、フランに何を言われようとも会いに行くつもりはない」
私はなんと言われようともだいじょうぶだ。でも、さとりのことに関して一切の躊躇もなくそう言い切られると悲しくなる。
「さとりは、こいしのことを嫌ったりも、疎ましく思ったりも、拒絶したりもしないよ。だから、怖がらないでさとりに会いに行こう?」
「うるさい。なんの根拠があってそんなこと言ってるの」
「さとりの想いは本物だよ。私が保証する」
「そうじゃなくて、なんで私が怖がってるって思うのかってこと」
「それに関しては返す言葉もないんだよね」
さとりから話を聞いて、そうなんじゃないだろうかって思っただけだから。
「でも、怖くないなら会いに行けるよね?」
「会いに行く理由がない」
「さとりが会いたがってた。それだけでも、十分理由になるよ」
「……やだ」
なかなか頑固だ。でも、否定の言葉を口にするときに今までの勢いがなくなっているから、何か思うところはあるのだと思う。
なんとしてでも隠し通すつもりなのか、話してくれそうな様子は全く感じられない。
「残念。話し合いをして、こいしが自分の意志でさとりのところに行ってくれればよかったのに」
というわけで、話し合いをして同意の上でさとりのところへ連れていくというのは諦めて、最初から実行するつもりだった計画の方へと切り替える。
「……なにするつもり?」
「私が何を言ってもむだみたいだから、さとりのところまで連れていってあげる」
そう答えつつこいしの手を放す。そして、逃げ出す前にこいしとの距離を零にまで詰めて、正面から抱きしめた。
ただ、このままだと全然前が見えないから、こいしの腰の辺りに回した腕を調節しつつ浮かび上がる。これで、こいしの肩から前方を覗くことができる。端から見れば、私が抱きついているようにしか見えないかもしれない。
「……放して」
「だいじょうぶ、さとりは逃げも隠れもせずにちゃんとこいしのこと、受け止めてくれるよ」
「私は放してって言ってるの」
声は冷ややかで少々攻撃的な感じにはなっているけど、逃げ出すような雰囲気はない。
どうやらこいしの力では私を振り払うことはできないようだ。でも、気を抜いたときにどうなるかわからないから、常に注意は向けておく。
「あんなに想ってくれてる姉から逃げるなんて可哀想だよ。今までずっと読めてた心が読めなくなってこいしは不安で怖いかもしれないけど、ちゃんと向き合ってあげて」
「だから、知ったような口をきかないで」
「私は知ったような態度しか取れないから」
本当の気持ちを全然見せてくれないから、予測に予測を重ねていくことくらいしかできないのだ。それでも、いくつかのことは私なりに確信しているから、こうして行動に移した。
「……やっぱりフランは生意気で、余計なことしかしない」
「たぶん、こいしが素直じゃないからじゃないかな」
いつだったかと似たような答えを返しつつ、こいしごと浮き上がる。重さはそれほど感じず、問題なく地霊殿にたどり着くことができそうだ。
私みたいに動くことが少ないと吸血鬼なんていうのは日常生活での利点がないけど、こういうときはよかったと思える。まあ、力が強い妖怪は他にもたくさんいるから、吸血鬼であるのはあんまり関係ないけど。
そんなことを考えながら、扉の方へと向かう。両手は塞がっているけど、魔法で分身を作り出して扉を開けさせる。
「なにしたの?」
「私の分身で扉を開けただけだよ。ほら」
分身を背後、こいしの正面へと移動させる。
「魔法って便利だねぇ。あのとき、私に助けられる必要なんてなかったんじゃない?」
「まあ、そうなんだけど、あのときは混乱してたから。すぐに思い浮かばなかったんだ」
「はぁ……、そのときにすぐに思い浮かんでてくれればこんなことにならなかったのに」
こいしの後悔からくるため息が耳元をくすぐった。そんな些細なことで腕の力が緩みかけるけど、なんとか我慢する。
それにしても、確かにあのときの出会いがなければ、私が二人の問題に首を突っ込むようなことはなかったはずだ。
真っ直ぐ館まで帰って、たぶん外に出ることに怯えて、それでも時間が経てばまた外に出るようになって。それだけで終わっていたはずだ。
私はまだこいしやさとりと関わったことに対してどう思えばいいのかわからない。それは、今からの行動で全て決まるはずだ。
だから、私は適当な言葉を返すにとどめる。
「でも、そのおかげで、咲夜のお菓子を食べれるようになったんでしょ?」
「ま、そうだね。余計すぎるくらいに余計なおまけがついてきたけど」
「さとりとの話し合いがうまくいけば、私はこれ以上関わらないよ」
「なんでフランがそんなに偉そうなの」
「ん? そうかな?」
そうやって、無駄話をしながら地霊殿を目指す。最後の最後までなんだかへんてこな関係だったけど、いざ終わりが近づいてくると、なんとなく寂しいものがある。
そんな気持ちを表すかのように、今日の天気は曇りだった。
太陽に焼かれてしまわないようにと、パチュリーがやってくれたことなんだけど。
「ねえ、こいし。何してるの?」
「私はお姉ちゃんに会うなんて一言も言ってない」
地霊殿へと向かう途中、パチュリーのおかげとこいしのせいで障害はほとんどなかった。移動していた途中ですぐに気づいたけど、こいしが周りの人たちに私たちのことを気づかれないようにしていたのだ。
そして、それはさとりの部屋に着いた今も続けられていて、緊張した面持ちで椅子に座っているさとりがこちらに気づく様子は全くない。
さとりは、私たち、正確にはこいしが現れるのを待っているようだ。
このまま扉の前に突っ立っていても事態は好転しない。なんとかさとりに気づいてもらわないと。
こいしの能力はその有効範囲がわかりにくいのが厄介だ。でも、限界はあるはず。現に、ぴったりとこいしにくっついている私はこいしを見落としたりしていない。
とにかく、こいしを抱きしめたままさとりの方へと近づいていく。こいしが抵抗するような様子はない。
ここに来るまでの途中、何度か不意を突くように逃げようとして、それらがことごとく失敗しているから諦めたようだ。でも、最後の最後まで力を使っての抵抗はやめないあたり、往生際が悪いことに変わりはない。
「さとり」
正面に立って呼びかけてみる。そうすると、ぴくりと身体を動かした。でも、目の焦点は私たちの方には合っておらず、扉の方を見ている。まるで、私たちが透明にでもなってしまったかのような反応だ。でも、さとりは気づいていないだけなのだ。こんなにも近くにいるのに。
でも、さとりは何かを感じ取っているのか、部屋を見回してそれからじっとこちらの方を見つめてきた。気づいてはいないけど、きっとそこにこいしがいるのだと信じているかのように。
「さとりっ!」
もう一度、それもさっきよりもずっと大きい声で呼びかけてみる。でも、その直後に口を手で塞がれた。頭も後ろから抑えられていて、こいしが逃げてしまわないようにと両腕を腰に回している今、そう簡単には振り払えそうにない。
首を何度か振ってみるけど、こいしの帽子が落ちるだけで手は離れない。
「……こいし」
いや、それだけじゃなかった。こちらの方をずっと見ていたさとりが椅子から立ち上がり、帽子を拾い上げた。
さとりの口からこいしの名前がこぼれた瞬間、微かにこいしの身体が強張るのがわかった。やっぱりさとりと正面から向き合うことを怖がってるようだ。
「こいし、そこにいるのよね?」
さとりが呼びかけてくる。それでもなお、こいしはさとりと向き合おうとせず、逃げ続けるつもりのようだ。
怖いから逃げたいという気持ちはよくわかる。私だってすぐに逃げ出したくなる。
でも、お姉様はそんな私を許してはくれなかった。優しい言葉や励ましの言葉はくれたけど、逃げることを肯定してくれるようなことは決してなかった。
だから、私は誰よりも尊敬するお姉様の真似をしてみる。言葉は封じられてしまっているけど、それだけで諦める程度の意志では動いていない。
こいしに気づかれないよう、おもむろに片方の腕をこいしの身体から離す。ずっと密着していたから、それだけで涼しさを感じた。これでは、こいしも気づいてしまっているかもしれない。
まあ、気にしない。どうせ遅かれ早かれ気づかれてしまうことだし。
腕を上げて、こいしの頭に触れる。本当ならさとりの役目だろうけど、そのさとりをこいしが避けているのだから私がするしかない。不満に思われる点はいくらでもあるかもしれない。
手がこいしの髪に触れる。その感触にくすぐったさを覚えながら、お姉様の手を思い出しながら不器用に手を動かす。
でも、案の定気に入らなかったようで、こいしは逃げ出そうとした。私の頭と口から手を離し、突き飛ばそうとしてくる。私なんかでは、こいしを安心させることはできない。
それはよくよくわかっていたから、ショックはさほど受けない。早々にさとりにこの役目を引き渡してしまおう。
片腕でもこいしをなんとか逃がさないようにしていたけど、不意にその力を抜く。
その瞬間、私はこいしに突き飛ばされ、距離が離れる。思ったよりも衝撃が強くて少々ふらついたけど、なんとか倒れずに自立した。
対して、こいしには自分の力では立っていなかった。驚いたような表情を浮かべながらも、こいしの真後ろに立っていたさとりが帽子を持ったままこいしを後ろから抱きしめていた。
「さとり。約束どおり、こいしを連れてきたよ」
「……はい、ありがとうございます。それから、おかえりなさい、こいし」
さとりの腕にぎゅっと力が込められる。こいしはそれに抗おうとはせず、大人しく腕の中に収まっている。正確には動けなくなっているという感じだ。
正面にいる私を睨んできてはいるけど、その翠色の瞳は微かに揺らいでいるように見える。
私は早々に退散した方がいいのか、それとも、もしこいしが逃げ出した場合に備えて、ここにとどまっているべきなのか。
結果がよくわからないうちに投げ出してしまうのはどうかと思い、とどまることにした。丸く収まりそうなところを見届けたら、すぐに出ていこう。
「ごめんなさい、私はあなたを理解してあげられなかった」
さとりが静かに話し始める。こいしを抱きしめて、きっとずっとずっとため込んでいた気持ちを言葉にしていく。
「私はあなたが知らずのうちにどこか遠くへ行ってしまうのではないだろうかと怖かった。だから、あなたが目を閉ざしてから私はできるだけあなたに関わろうとした。そうすることで、あなたを私の近くに繋ぎ止めようとした。あなたがどんなことを考えているのか、考えようともせずに、ね。
だから、あなたが私に顔を見せなくなったとき、そんな私を嫌ってしまったんだろうと思ったわ。そうやって、また私はあなたが何を考えているのかしっかりと考えようとしていなかった。
でも、そこにいるフランドールさんが気づかせてくれたわ。あなたが私と関わることを怖がっているのではないだろうかと。私があなたと関わるのを怖がっているように。
私にとっても、そして、きっとあなたにとっても心が読めるのは当たり前で、心が見えないのは異常で、恐ろしいこと。でも、あなたは心を読む力を捨ててしまった。
他人の心を読めない世界なんて私にはわからない。……でも、あなたの心が読めない世界はとても心細いわ。昔は私を好きでいてくれたけど、心を閉ざしてしまってからはそれが全然わからないから」
さとりの想いをこいしは静かに聞いていた。いつの間にか私の方を睨むのをやめて、代わりにその顔は無表情となっている。
何を思って、何を感じているのだろうか。私にはそれを窺い知ることはできない。
「……こいしは、あなたを守れなかった私を恨んでいるの? 憎んでいるの? 嫌っているの? ……それとも、今でも好きでいてくれているの?」
そう問う声はとても不安そうで、声が震えているのが伝わってくる。心を読むことのできるさとりにとって、答えが返ってくるまで何もせずに待つ時間なんていうのは未知のことなのだろう。
なら、不安になるのも頷ける。しかも、質問の内容からすでに後ろ向きの気持ちになっているということもよくわかってしまう。
「……」
こいしは何も答えようとしない。本心を言葉にするのが怖いのだろうか。それとも、私の見込み違いでさとりのことはどうでもいいと思っているのか。
いや、後者はないはずだ。今までのこいしの反応からそれはないと思いたい。そうじゃないと、私がさとりにしてしまったことはあまりにも残酷すぎるから。
私は、祈るような気持ちでこいしを見つめる。せめて、今何を思っているのかそれだけでも口にしてほしい。
じっとこいしの顔を見る。
「……お姉ちゃんは?」
私の願いが届いたのか、それとも何か覚悟ができたのか、こいしはおずおずと不安を隠そうともせずにそう問いかけた。自分の方から正直な気持ちを言うのが怖いのかもしれない。
「え……? ……あ。ええ、大好きですよ、こいしのこと」
さとりはなんだか素っ頓狂な声を出したかと思ったら、慌てたようにそう言った。これはもしかすると、
「お姉ちゃん?」
「……ごめんなさい。いつも心を読んで会話をしているから、あんまり省略されると意図をなかなか掴めないのよ。これでは、嫌われてしまっても仕方ないですね……」
そう言ってさとりは落ち込み、こいしを抱きしめている腕からも力が抜けている。
さとりのその反応にこいしは小さく呆れたようなため息をつく。無表情だった顔にも感情が表れ始める。そこにある感情を読みとる前に、こいしの視線はさとりの手の方へと向いてしまったから、どんな顔をしているかはわからない。
「……嫌いになれるわけがない。お姉ちゃんのおかげで、私の心は外に向き始めたんだから……」
ようやく今までずっとはぐらかされてきた、こいしのさとりへの想いが言葉にされた。おずおずとそして恥ずかしげで小さな本当に小さな声だったけど、すぐそばにいるさとりにはちゃんと届いたことだろう。
「こいし……っ」
その証拠に、さとりは驚いたような、でも嬉しさが滲み出てきているような表情を浮かべると再び腕に力を込めた。こいしは恥ずかしそうに身をよじる。
この様子なら、私はもう必要ないだろう。
後は、二人っきりで今まで距離をあけていた分しっかりと話をしてほしい。
私は音を立てることもなく部屋から消えた。
最後の最後にこいしがこちらを見てきていたけど、何かを言ってくるようなことはなかった。
◇
風が吹き抜け、ぱさぱさと音を立てながらページを揺らす。空には雲一つ浮かんでおらず、澄んだ青空がよく見える。
今日は空を眺めるにはちょうどいいみたいだけど、外で本を読むのにはあまり向いていないようだ。せっかく本を持って出てきたけど、読むのは諦めて閉じる。
代わりに日傘を使いつつ木陰の下で足を伸ばせるだけ伸ばして、空を眺めるのに楽な姿勢を取る。風に飛ばされてしまわないよう、傘は魔法で固定。
こいしをさとりに会わせてからまだ一日しか経っていない。
去り際の二人の雰囲気から、うまくいっているだろうという確信はある。だから、二人のことはあまり気にならない。まあ、こいしがあの後何を話したのだろうかというのは気になるけど、数日もすれば消えてしまう程度の興味だ。
随分と長い間、悩まされてきたような気がする問題が解決したからか、今日の目覚めはやけに清々しかった気がする。だからといって、何か特別なことをしたわけでもないけど。
もう私があの二人に関わることはないだろう。
それを聞いたお姉様はもったいないと言っていたけど、片方には嫌われているのに理由もなく関わるなんていうこと、私にはできない。
さとりの作ってくれるココアも気になるには気になるけど、そのためだけに会いに行くのも気が引ける。たまたまこいしに出会ったとき、何を言われるかわからない。
だから、私は今までの基本的には本を読んで時間を潰す生活に戻ることにする。そっちの方が私には合ってる気がするし。
「一人でなにやってんの?」
「え……? あ、あれ? なんで、こいしがここにいるの?」
内側に向いていた意識を外に向けて、空を眺めようと思ったら、正面にこいしが立っていることに気づいた。
私を見るその顔にいつもあった不機嫌そうな色は見られない。
私が知っているこいしの中では初めて会ったときの雰囲気が一番近いだろうか。でも、それに比べると存在感がはっきりとしてる。
咲夜には、もしこいしが来たら私のところに来るようになんて言わずにそのままお菓子をあげてほしい、とお願いしたはずだ。咲夜が勝手にこいしをこちらに向かわせるようにしたんだろうか。
「咲夜がここにフランがいるって教えてくれたからね」
「そう、なんだ?」
混乱のしすぎで、語尾がちょっとおかしくなっている。
「まあ、なんというか……、まあ、うん」
なんだかこいしの様子もおかしい。こちらから顔をそらしたかと思うと、逃げるように去ってしまう。と、思ったら私が寄りかかっている木の反対側に腰を下ろした。
「こっち見ないで、前向いてて」
「あ、うん」
なんなんだろうかと思いながら、視線を前に戻す。眩しいくらいの青に視界が塗りつぶされる。
「その……、ありがと。……フランがいなかったら、いつまで、すれ違ったままかわからなかった」
「ううん、どういたしまして」
刺々しさも冷たさも感じない、それどころか口にするのを恥ずかしがっているような声音に新鮮さと戸惑いを感じながら、私はそう返す。そう言えば、お礼を言うことはいくらでもあっても言われることはあまりなかった気がする。
「……」
「……」
まだ何かあるんだろうかと待ってみるけど、こいしは黙ったままだ。でも、背後に気配はあるからいなくなってはいないようだ。
何か、口にすることを躊躇っているんだろうか。今回のさとりとのすれ違いは、こいしの臆病さとさとりの臆病さが原因だったし。
でも、今までは言いたいことを言われてきてたし……、うーん?
「こいし、まだ何か言いたいことがあるんじゃないの? だいじょうぶ、私はこいしに何言われても動じないよ? こいしから酷いこと言われるのは慣れてるから」
だから、私の方から促してみた。こいしから生意気だと言われた、でもいつの間にか、こいしと話すときは普通になっていた言い回しで。
「……やっぱり、フランには私のこと、そんなふうに映ってるんだ」
返ってきたのはやけに沈んだこいしの声だった。
「えっ? べ、別にこいしが酷い性格だって思ってるわけじゃなくって……っ?!」
思ってもいなかった反応に狼狽し、こいしの方へと振り向きながら慌てて訂正をする。
そうすると、いきなり視界が何かに塞がれた。一瞬何をされたかわからず、身体が硬直してしまう。
視界の下の方に、第三の目がある。どうやら、正面からこいしに抱きしめられたようだ。
「こっち見ないでって言ったのに、見ちゃったね」
「え……、ごめんなさい?」
何の問題があるのかわからず、首を傾げつつ謝ってしまう。
「……私が、フランに酷いことを言ってきたっていうのは自覚してる。その、ごめんなさい」
しおらしい様子でこいしが謝ってきた。
そして、今ここに来て私はようやく気づいた。昨日まで私が相手をしていたこいしとはちょっと違うこいしなんだな、と。
ずれていた歯車が元に戻った姿が、今のこのこいしなんだと思う。
私を嫌っていたのもその歯車がずれていた方のこいしで、今はそんなことはないのだろう。真っ正面から嫌いだと言うこいしが、嫌いな相手を抱きしめるようなことをするとは思えない。
「でも、その、お姉ちゃんに言われたり、一人でいろいろ考えてみたら、えっと、……フランといるのも、悪くないかなって」
最後の言葉は消え入ってしまいそうなほどに小さかった。でも、密着するくらい近くにいるからちゃんと聞こえてきた。
「……だから、私と友達になってくれない?」
「私なんかでよかったら喜んで」
こいしに全然余裕がないみたいだから、私の方が気取ったようにそう言ってみた。でも、抱きしめられたままだったから、声がこもってしまって全然決まってなかった。
それがなんだかおかしくて、笑いがこみ上げてくる。そして、抑えられなくてついには一人肩を揺らして笑っていた。
嫌われていないのだとわかったとたんに、気持ちが舞い上がってしまっていたのだからしょうがない。
なんだかんだと受け流してはいたけど、やっぱり嫌われているよりはそうじゃない方がいい。
友達とは何なのか。
自分なりの答えはまだわからないけど、いつかわかればいいな。
困惑したようなこいしに構わず、一人で笑いながらそんなことを思っていた。
Fin
『考えるな、感じるんだ』
『見るまえに跳べ』
みたいなパーソナリティだと自己分析している俺にとって、フランドールは内省的過ぎたので。
でも彼女が朗読の練習をしだしたあたりから俄然応援する気持ちが溢れて止まらなくなった。
そうだよな。
考えを重ねないと感じ取れない思いもあるだろうし、
しっかり前を見てないと、こいしを連れてさとりの元まで飛んでいけないですものね。
ヘコムわぁ、495才児とはいえ童女に蒙を啓かれるのは。
130KBを使って語られたのは、端的にいって一組の友人が出来て一組の姉妹が仲直りしただけのお話。
でも、少なくとも俺にとってその容量が絶対に必要だったと断言できますね。ツーカモットヨミタイゾヨ
あ、物語中盤以降からフランちゃんの鈍感さに別の意味でイラついていたのは俺だけの内緒。
こいしちゃんと仲良くね。
最後に。
すげぇ面白かったです!
読んでて色んな気持ちになったけど面白かったです
この後のさとこいやこいフラも見てみたいなと思ってみたり
良い話をありがとうございました
最初は確かにこいしの背は高かった。だけれども最後のシーンで少しだけ、ふたりの目線が近くなった気がしました。
どちらかが伸びたのか、どちらかが縮んだのかは解りませんが。
とても丁寧なssでした。すばらしかった。フランの思考の過程にすごく納得がいきました。
お決まりの展開に安易に乗らず、フランの考えを一つ一つ追っていってから、物語を進めている。
その姿勢を最後まで貫いてくださったのが嬉しいです。
知らない部屋に誘拐された時の対応。絶対的な信頼がおける姉(普通の人は父とか?母とかでしょうか)への対応。
嫌われることに対しての対応。どれも抵抗なく追っていけました。2か月前と違って。ただ、自分がすこし違和感を覚えたのが
フランが自分のためにこいしをつなぎとめておかず、姉妹を仲直りさせるために行動していたことでしょうか。
だからこそハッピーエンドにたどり着けたんですね。フランいい子ですね。
以前読んだときはフランが内省的すぎて展開が遅いのが嫌になりましたが、このssが最後まで丁寧に
きちんと書き切ってくれることがわかっていれば、全然苦にならなかったです。一行当たりの文字数もウフフじゃないフランも
苦にならなかったです。
こんなに丁寧で緻密なssなのに、評価数が少ないのが不思議です。「知らない部屋に閉じ込められた」という冒頭で
引き込まれる人は多いと思うのですが…。そこから二人がゆ~~~っくりと仲良くなる過程についていきづらかったのかなぁ…
丁寧だけどわくわくしづらいssなのかなぁ…
自分の一回目のコメントと言っていることが違いすぎて、ちょっと自分の人格が自分でも疑われるのですが、
その感想の違いをポジティブに考えて、残しちゃいます。
それより次回作があったんですね!気づけなかったのが残念でならないです。まとまった時間ができた時に読ませてください
>>(作者さんへ、参考のために以前の感想)
コチドリさんと同じで、自分もかなり中盤~終盤ぐらいまでかなりこの話にイラついていました。まず一行あたりの文字数が少なくて自分は読みづらかったです。目を左右に動かさずに眺めるように労なく読めるようにする配慮が紅雨 霽月さんにあったと思うのですが、う~んその分行数が増えて、その行数に圧倒され読むのが敬遠したくなる第一印象でした。そして、なによりフランが非常に内省的なキャラだったこと。「おてんば、考える前に行動する直情的、キャッキャッウフフ、自己中心的」なよくあるフランドールのキャラ像に慣れていた自分はこのフランは受け入れがたく、キャラが気に食わないので、そのキャラが織りなすストーリー展開も腑に落ちませんでした。
しかし、ずーっと読み進めるうちに、このお話がフランにトンデモな性格(自分のキャラ像も所詮2次創作のものですが、私にとってトンデモという意味で。)をつけて奇をてらったものではなく、なかなか上手くいかない二人がゆっくりと分かり合っていく過程を細かく書いた、とてもしっかりしたストーリーであることがわかりました。ん~、もしこのフランがアリスとかでつじつまを合わせて同じストーリーだったら、もっとたくさんの評価ついたのではないかなぁと残念に思います。
素晴らしいお話でしたよ!
素晴らしいssだと思いました。
言葉の力は計り知れないですね
抉ったり温めたり
はじめは、こいしの刺々しい雰囲気に圧倒されてました。でも、それがなんか新鮮な感じでどんどん読み進められました。
その刺々しさもこいしの本質の部分ではなくて安心しましたw
作者様のシリーズものの作品が大好物です。(勿論単発ものも好きです!)
Fran'sTaleもこいフラ散歩録も、終わってしまっているのが残念なくらい好きでした。
今シリーズも、触りの回からとても楽しく読ませていただけましたので、楽しみにしてます!
愛を感じます。
律儀なおねえちゃんに思わず涙してしまいました。