「誰かしら?こんな時間から」
モーニングティーを飲んでいると玄関をノックする音が聞こえた。日頃から来訪者の少ない我が家ではあるけど、午前中となると特に珍しい。不思議に思いながらドアを開けた。
「げっ!地震野郎」
ドアの向こうにいた人物を見て思わず声が出た。何でこいつが……。
「随分と大層な挨拶じゃない。それが貴方流の来客をもてなす作法なのかしら?」
その人物--比那名居天子はそう言って不機嫌な表情を見せた。まあ当たり前と言えば当たり前なのだが、これ以上機嫌を損ねると何をされるかわからないからフォローしなければ。
「えーっと、 今のは私が悪かったわ。あまりに予想外の来客だったから驚いちゃって。とりあえず中で用件を伺うわ。上がって頂戴」
「ん、まあ今日のところは大目に見てあげる。それじゃ失礼するわね」
「どうぞ、そこに座って。今お茶を淹れるわ」
そう言って彼女をダイニングのテーブルに案内した。物珍しいのだろうか、そこら辺に置いてある人形をキョロキョロ見回している。
「お待たせ。よかったらクッキーもどう?」
「 あ、せっかくだからいただくわ」
私が神社に差し入れを持っていくと 大抵一番美味しそうに食べているのが彼女だと思う。素直じゃないから言葉には出さなくても態度で丸わかりだから。
「ん、変わった味のお茶なのね」
「ハーブティーは初めてかしら?このクッキーがよく合うのよ」
そう言ってクッキーを出すと彼女は一瞬目を輝かせた。やっぱりね。あとハーブが鎮静作用のあるラベンダーなのは内緒だ。
「で、今日は一体どんな用事でわざわざこんな辺鄙な場所まで来てくれたのかしら?」
私も彼女と向かい合わせに座ってそう切り出したとき、最初は十枚あったクッキーは残り三枚になっていた。そんなに時間は経ってないはずなんだけど。
「えと……今日は……その……あの……」
彼女は急に顔を真っ赤にさせてモジモジし始めた。これは初めて見る姿だわ。あの天狗が居たら大喜びでシャッターを切るだろう。
「……人形の作り方……教えて欲しいの」
ようやくそれだけ絞り出した。彼女にとってはよっぽど恥ずかしいことだったのだろうか。
「ええと、一口に人形と言ってもいろいろあるわ。貴方はどんな人形を作りたいの?」
「あ……う……れ、れ、霊夢と……私の人形。霊夢にプレゼントしてあげたいの」
「ああ、なるほどね」
霊夢が天子と二ヶ月くらい前から付き合い始めたことはおおよそ幻想郷の住人なら知らないものはいないだろう。 で、来月は霊夢の誕生日だ。そういうことだったのか。
「……お願い。貴方しかあてが無いから……きっとお礼もするから手を貸して」
何だかいつもの彼女と違うせいか逆に調子狂うなあ。恋人ができて丸くなったのか、それともこれが本来の性格なのか。いるものね、周囲に人がいるとついつい虚勢を張っちゃう人。にしても、こうしてると妙に可愛く思える。いつもこうならもっとみんなにも好かれそうなものなのに。
「 いいわよ、教えてあげる。私だってそんなに必死にお願いしてる人を無碍にするような人でなしじゃないわ。じゃ、早速こっちの部屋に」
「あ、ありがとう!」
そうして私達は二階の工房へと上がった。彼女を椅子に座らせ、私は幾つか人形の見本を持ってくる。
「だいたいこんなのがあるけど、どれにする?」
「これ!これがいいわ!」
他のものには脇目も触れず彼女が手に取ったのはシンプルにフェルトを重ねた2・5頭身の、人形というよりぬいぐるみに近いそれ。まあ確かに一番可愛らしいと言えば可愛らしいし、初心者が作るならこれだろう。ちなみに私なら一分もあれば作成可能だ。
「じゃあ決まりね。材料揃えてくるからちょっと待ってて」
「あ、あの」
「ん?どうかしたの?」
「いや、そこまでしてもらうのも悪いかなと思って。作り方教えてもらったら後は自分で作るつもりだったから」
「なるほどね。気持ちはわかるけど、多分人里じゃなかなか材料見つからないわよ?それに貴方だって失敗したくないでしょ。最後まで面倒見てあげるから遠慮しないでいいわよ」
「ん……、それじゃ、お言葉に甘えさせてもらうわね」
彼女がここに来る前までの高慢で我儘な印象のままだったら、私は多分適当にあしらって返していただろう。 しかし今私が相対しているのは、照れ屋で可愛い恋する女の子だ。つい応援してあげたくもなるというもの。
そんなことを考えながら、クローゼットの中の引き出しを開けてフェルト生地を見繕う。霊夢は……紅白だからあとは髪の色を、と。そして天子を見る。フェルトの人形を両手で持ったままぼーっとしてるみたい。
……いや、私が彼女にドキッとしてどうするのよ。 そんな、まさかね。
えーっと、ん、シンプルな意匠の割に色数の多い服ね。とまあ、こんなものか。
「お待たせ。じゃあ、始めましょうか」
「あ、うん、よろしく」
「まずは頭から作りましょう。二枚縫い合わせて綿を入れるから、この布に頭の大きさの丸を描いて切り抜くのよ」
「こんな感じ?」
「それだとちょっと縦長になってしまうわ。もう少し横に広く」
「じゃあこれでいいかしら」
「ええ、じゃあ四枚重ねてずれない様にこれで留めて、このハサミで切って」
「わかったわ。失敗は許されないものね」
「いやまあ、生地はいっぱいあるから大丈夫よ」
ハサミを持つ彼女の横顔はまさに真剣そのものだ。 少しでも線から逸れないように少しずつ、ゆっくりと。随分昔のことだけど、私にもこんな時期があったかしら。
「できた!」
「はい、じゃあ次は体ね。初めてだと細くなりやすいから 心持ちずんぐりめに線を引いてね」
こうしてパーツごとに線を引いて切り抜いていく。最初から最後まで、彼女は真剣な態度を崩さなかった。それだけ霊夢への想いが強いのだろうか。そう考えると羨ましくなってきちゃった。私にもこんな恋人がいたらなあ、なんて。
「パーツはこれで全部ね。じゃあこれを縫い合わせていくわけだけど、その前に」
「え?何かすることがあるの?」
「ええ、ちょうどいい時間だからお昼にしましょう。ご馳走するわ」
「あ、もうそんな時間なんだ。夢中だったから全然わからなかったわ。 ……と、喜んでご馳走にあずからせていただきます」
「いいのよ、今更そんなにかしこまらなくても。さあ、下に行きましょう」
ダイニングに戻ると、キッチンの琺瑯鍋からこぼれるクリームスープの匂いで満たされていた。二階にいる間、人形に作らせていたのだ。
「うわ、すごい……」
キッチンで忙しなく動く人形達を見て天子がそう呟いた。私としては弾幕勝負で扱う方がより高等技術なのだけど、それですごいとは言われたことがない。まあ技術的なことがわからなければこんな感想になるのだろう。
二人とも席に着いて、人形にスープとパン、それとスプーンを持ってこさせる。天子はずっとその様子を物珍しげに見ていた。
「どうぞ、召し上がれ」
「じゃ、遠慮なくいただきます」
彼女はスプーンを手に取って、スープを口に運んだ。常々思ってはいたのだがこういう所作は美しく躾られている。見ていて気持ちのいいものだ。
「どう?お味は」
「ん……美味しいわ。私も地上に降りるようになってからいろいろ食べるようになったけど、これはすごく印象に残る味ね」
「そう言ってもらえると作った甲斐があったわ。お代わりもあるから好きなだけ食べてね」
そう言って私はパンを千切ってスープに浸し口に運ぶ。
「あ、そんな食べ方もあるのね。どれどれ……なるほど、これもいけるわ」
それを見ていた天子が真似をした。その様子につい笑顔になってしまう。いつ振りだろう、こうして来客と楽しく会食するなんて。しかも相手はあの天人。本当、何があるかわからないものね。
「ご馳走様でした」
「ご馳走様。どうする?早速続き始める?」
「 ええ、貴方さえよければ」
「じゃあそうしましょう」
また工房に戻ってきた。棚の上から縫い針と糸の入った小箱を取って机の上に置く。
「じゃ、今からこれで縫い合わせていくけど、その前にこれを」
そう言って私は彼女の両手の人差し指にそれぞれ陶器の指留を通した。そのとき触れた彼女の肌は信じられないくらいきめ細かくて、吸い付くような瑞々しさを湛えていた。
「えっと、私、こういうの初めてで全然わからないから、うまくできないかも……」
「大丈夫、私が教えるんだから。自分で言うのも何だけど、最高の先生だと思うわ」
「あー……、それなら。天人の着る服って、糸も針も使わないで作るから誰にも相談できなくて本当に困ってたの。アリスがいてくれて助かったわ」
「それはどうも。ねえ、その服も糸と針使ってないってこと?」
「ええ、そうだけど……」
「ちょっと見せて!」
彼女の服への興味だけで私は動いた。襟元、胸元のリボン、前のフリル、袖口、エプロンの飾り、スカート縁のフリル……どこを見ても縫い目がない。どうやって繋いであるの?この私が裁縫に関わることでわからないことがあるなんて。厳密には裁縫じゃないのだろうけど、この謎を解きたいと思った。
「……そろそろいいかしら?」
気付けば天子が苦笑していた。どうも夢中になってしまったみたい。かと言ってこれを放置したくはないし……。
「ああそうだ、お礼」
「え?」
「お礼してくれるって言ってたわよね。思いついたの」
「え、それはこっちで考えてたんだけど……」
「たかがこれくらいのことで大層なお礼されても困るから、こっちから決めさせてもらうわ。天界の服の作り方を教えて」
うん、これならお互い五分五分で釣り合う条件だろう。あとは彼女が呑んでくれれば。
「うーん、まあ貴方にとってはそっちの方が良さそうね。いいわ、今度うちが贔屓にしてる仕立屋に話通しておくから天界まで来てちょうだい」
「了解よ。交渉成立ね」
これは思いもかけずいい話にありつけたわ。この製法を知れば私の人形製作は更に進化できるかもしれない。魔法使いたるもの、常に研鑽を怠ってはいけないのだ。
「それじゃ、本題に戻りましょう」
「ええ、改めてよろしく」
「まず針穴に糸を通して。あ、この糸通しを使うのよ」
「ん……こうね」
「そしたら……指にこう糸を巻きつけて結び目を作るの……これが玉結び」
「……こう?」
「そうそう、上手じゃない。そしたら早速端を縫っていくわけだけど、こうやって糸を巻いていくように……この縫い目が大きくならない様に縫っていくのよ」
「……くっ、なかなか難しいわね……」
「ゆっくりでいいから丁寧にね。でもいい調子でできてるわよ」
まあ確かに仕草はぎこちないけど、それでもそれなりに綺麗にはできている。もともと器用なのだろう。
手持ち無沙汰になった私は手元に全神経を集中させている彼女の横顔を覗き見る。最初に天界で会ったときも、鬼にそそのかされて虐めに行ったときも、それから主に神社で顔を合わせるときも、そんなこと全然思ったことなかったのに、今はその横顔がすごく綺麗に見える。まあもともと整った顔立ちで睫毛は長いし肌も真っ白だから美人ではあったのだけど、 殊更今になって強くそれを意識するのはもしかして私の彼女に対する気持ちの変化のせいかもね。
実際、彼女への評価は今日のここまでですっかり変わってしまった。迷惑で疎ましい存在でしかなかったはずなのに、今こうして目の前で霊夢のために一生懸命裁縫をしている彼女のなんと可愛らしく愛おしいことか。
「あ、そこまででいいわ。後でそこから綿を入れるから。残りも同じ様に縫ってちょうだい」
「うん、ところで出来はどう?」
「最初でここまで綺麗にできれば上出来よ。特に何も直すところはないわ」
「よかった……ひょっとしてこれが愛の力なのかしら」
「ほら、のろけてる暇があったら次を縫って」
「はーい。ところでアリス、私の見てるだけじゃ暇じゃない?」
「いいのよ、何かあったときに対処できるようにしてるから。私に構わず続けていいのよ」
そう、暇じゃない。 彼女の表情を真近でもっと見ていたいから。たどたどしいその針の動きを追い続けるその眼差しの熱さはきっと、本人が言ったように霊夢への気持ちを表しているのだろう。その熱に、私の心も揺り動かされているようで……。
「全部終わったわ!」
「それじゃ一応出来を確認するわね…………うん、これなら大丈夫。後はこの隙間からこの綿を詰め込んで」
……
……
……
「できたわ。これでいいの?」
「この二つはこれでいいわ。あとのはもう少しだけ詰めた方がいいわね」
「うん……これくらいでいい?」
「それでいいわ。後はこの隙間を最後まで縫い合わせたら、玉どめして終わりよ。一つだけお手本見せるからよく見てて」
……
……
……
「できたー!すごい、ちゃんと頭と体の形だわ。これ本当に私が作ったのね!」
「ほらほら、喜ぶのはまだ早いわよ。じゃ、今から服を作りましょう。それぞれ切り離したパーツをボンドでつなぎ合わせていくの」
「うわ、細かい作業ね。この紐の部分なんてすごくちっちゃいわ」
「ああ、小さなパーツはピンセットを使うといいわ。構造がわからなかったら聞いてね」
天子は四苦八苦しながらも段々服が形になっていく。本当はもっと単純な構造にすれば楽なのだけど、忠実に服の形を再現するのは私なりのこだわりだ。それは最終的に作品のクオリティに反映されると信じている。
それにしても、だ。 こうしている間も私の視線は天子から外れることはないし、考えるのも天子のことばかり。昨日までの私が明日天子が特別な存在になるよ、などと言われても、なんて馬鹿げたことを、と鼻で笑い飛ばしていたことだろう。それくらいあり得ないことなのだけど、事実は人形劇よりも奇なりとでも言っておこうか。
「ねえ、ここがわからないのだけど……」
「ああ、袖口の紐はこうやって互い違いに通して……」
……
……
「ここは?」
「ん、襟元はこう、ぐるっと……」
フエルトを挟んで顔が近づく。ドキドキしちゃってるのを天子に気取られることはないだろうけど、 もし私の気持ちを知ったらどういう反応をするだろう。
そんな馬鹿げたことを考えながらも人形は完成に近づいていく。既に両方とも服を来せて、後は髪と顔で終わりだ。
天子は黙々と作業している。終わりが見えたことで早く仕上げてしまいたい一心なのがよくわかる。もう私が口を挟むこともないし、 このまま天子の顔を見ているとしよう。
ふと、霊夢のことを思った。彼女はこういう天子の姿をきっと知っている。私は霊夢より早く天子のことを知ることができたら、と思ったけど、この彼女を引き出したのは霊夢に他ならないだろう。私に見えていなかったものを霊夢は見て、私に見せなかったものを天子は見せた。ちょっとだけ歯がゆいけど私には無理だった、そういうことだ。
「できた!ねえアリス、最後確認して」
「どれどれ……」
二体の人形を隅々までチェックする。まあ細かいことを挙げればきりがないけどとりあえず出来としては文句のつけようがない。
それにしてもなんて柔らかくて素敵な表情かしら。私の気持ちまで暖かくしてくれる。 天子がこれを作ったなんて知ったら誰もが目を丸くするに違いない。
「うん、大丈夫。 これなら胸を張ってプレゼントできるわ」
そう言って私は人形を天子に手渡した。
「本当!?アリスのおかげだわ!ありがとう!」
嬉しそうに左腕で人形を抱えて、右手で私と握手して嬉しそうにブンブン振り回した。
私が多少体温低いせいもあるのだろうけど、繋いだ天子の手はすごく暖かった。
「あ……」
「どうかしたの?」
「いや、なんでもないわ」
その暖かさが気恥ずかしくなって手を引いてしまった。天子は一瞬だけ不思議そうな顔をしたけど、今は人形ができた喜びでそれどころじゃなかったみたい。両手で人形を掲げて笑顔でくるくる回っている。
ああ、どうしよう。好きになってしまった。ことここに至ってはっきり言葉として自覚した。自分でもわかっている。私はほんの数時間前まで天子のことを疎ましく思っていて、天子はほんの二ヶ月前に霊夢と付き合い始めたばかりで。実に馬鹿げている。だけど、そうなってしまったものはしょうがないのよね。
「あ、そう言えばアリス、今何時頃かわかる?」
「えっと……七時半過ぎね」
「もうそんな時間!?えっと、それじゃもうお邪魔しようかしら」
「あら、何なら夕食もご馳走するけど?」
「気持ちはありがたいけど、早速輝夜に永遠の魔法をかけてもらおうと思って」
「輝夜……ああ、竹林のお姫様ね」
なあんだ、彼女は彼女でしっかりと交友関係を広げているのね。つくづく私は彼女に勝手なレッテルを貼っていただけなのかも。
「アリス……今日は本当にありがとう。実を言うとすっごく来づらくて、相手にされなかったらどうしようなんて思ってたの。でもすごく親切にしてくれて嬉しかったし、心から感謝してるわ」
玄関先で人形の入った手提げの麻袋を両手に持って、天子はそう言って深々と頭を下げた。
青い髪がランプの光に照らされてキラキラと輝く様子がとても美しい。彼女はこのまま行ってしまうのだと思うと、どうしようもないとわかっていながら胸がチクチクする。
「 そう言ってもらえて嬉しいわ。私もそれなりに楽しかったから。今度天界に伺うからそのときはよろしくね」
「ええ、任せてちょうだい。それじゃまた会いましょう」
……行ってしまった。さあて、この恋心をどうしようか。人形には永遠の魔法をかけることができても人の心にはかけられない。ならばやっぱりここは待つしかないだろう。
何年後、もしかしたら何十年後になるかもしれない。ひょっとしたらその間に私の前に違う相手が現れるかもしれない。例えそうでなくても、霊夢には悪いけど私と天子にはこの先無限とも言える時間がある。霊夢を失った天子に私が優しく声をかける、そんなケースもあり得るだろう。
そう、何も焦ることはない。とりあえず次の約束も取り付けてあるし、そうやって天子の心と視界の片隅に居続けるとしよう。そうしていれば私も常に天子の傍にこの身を置けるのだから。
まあ、天子の顔が私の脳裏に焼き付いているうちに、今からひとつ人形でも作るとしましょうか。
そう思って私は二階への階段に足をかけた。
「そう言えば、天子の髪の毛落ちてないかしら……」
モーニングティーを飲んでいると玄関をノックする音が聞こえた。日頃から来訪者の少ない我が家ではあるけど、午前中となると特に珍しい。不思議に思いながらドアを開けた。
「げっ!地震野郎」
ドアの向こうにいた人物を見て思わず声が出た。何でこいつが……。
「随分と大層な挨拶じゃない。それが貴方流の来客をもてなす作法なのかしら?」
その人物--比那名居天子はそう言って不機嫌な表情を見せた。まあ当たり前と言えば当たり前なのだが、これ以上機嫌を損ねると何をされるかわからないからフォローしなければ。
「えーっと、 今のは私が悪かったわ。あまりに予想外の来客だったから驚いちゃって。とりあえず中で用件を伺うわ。上がって頂戴」
「ん、まあ今日のところは大目に見てあげる。それじゃ失礼するわね」
「どうぞ、そこに座って。今お茶を淹れるわ」
そう言って彼女をダイニングのテーブルに案内した。物珍しいのだろうか、そこら辺に置いてある人形をキョロキョロ見回している。
「お待たせ。よかったらクッキーもどう?」
「 あ、せっかくだからいただくわ」
私が神社に差し入れを持っていくと 大抵一番美味しそうに食べているのが彼女だと思う。素直じゃないから言葉には出さなくても態度で丸わかりだから。
「ん、変わった味のお茶なのね」
「ハーブティーは初めてかしら?このクッキーがよく合うのよ」
そう言ってクッキーを出すと彼女は一瞬目を輝かせた。やっぱりね。あとハーブが鎮静作用のあるラベンダーなのは内緒だ。
「で、今日は一体どんな用事でわざわざこんな辺鄙な場所まで来てくれたのかしら?」
私も彼女と向かい合わせに座ってそう切り出したとき、最初は十枚あったクッキーは残り三枚になっていた。そんなに時間は経ってないはずなんだけど。
「えと……今日は……その……あの……」
彼女は急に顔を真っ赤にさせてモジモジし始めた。これは初めて見る姿だわ。あの天狗が居たら大喜びでシャッターを切るだろう。
「……人形の作り方……教えて欲しいの」
ようやくそれだけ絞り出した。彼女にとってはよっぽど恥ずかしいことだったのだろうか。
「ええと、一口に人形と言ってもいろいろあるわ。貴方はどんな人形を作りたいの?」
「あ……う……れ、れ、霊夢と……私の人形。霊夢にプレゼントしてあげたいの」
「ああ、なるほどね」
霊夢が天子と二ヶ月くらい前から付き合い始めたことはおおよそ幻想郷の住人なら知らないものはいないだろう。 で、来月は霊夢の誕生日だ。そういうことだったのか。
「……お願い。貴方しかあてが無いから……きっとお礼もするから手を貸して」
何だかいつもの彼女と違うせいか逆に調子狂うなあ。恋人ができて丸くなったのか、それともこれが本来の性格なのか。いるものね、周囲に人がいるとついつい虚勢を張っちゃう人。にしても、こうしてると妙に可愛く思える。いつもこうならもっとみんなにも好かれそうなものなのに。
「 いいわよ、教えてあげる。私だってそんなに必死にお願いしてる人を無碍にするような人でなしじゃないわ。じゃ、早速こっちの部屋に」
「あ、ありがとう!」
そうして私達は二階の工房へと上がった。彼女を椅子に座らせ、私は幾つか人形の見本を持ってくる。
「だいたいこんなのがあるけど、どれにする?」
「これ!これがいいわ!」
他のものには脇目も触れず彼女が手に取ったのはシンプルにフェルトを重ねた2・5頭身の、人形というよりぬいぐるみに近いそれ。まあ確かに一番可愛らしいと言えば可愛らしいし、初心者が作るならこれだろう。ちなみに私なら一分もあれば作成可能だ。
「じゃあ決まりね。材料揃えてくるからちょっと待ってて」
「あ、あの」
「ん?どうかしたの?」
「いや、そこまでしてもらうのも悪いかなと思って。作り方教えてもらったら後は自分で作るつもりだったから」
「なるほどね。気持ちはわかるけど、多分人里じゃなかなか材料見つからないわよ?それに貴方だって失敗したくないでしょ。最後まで面倒見てあげるから遠慮しないでいいわよ」
「ん……、それじゃ、お言葉に甘えさせてもらうわね」
彼女がここに来る前までの高慢で我儘な印象のままだったら、私は多分適当にあしらって返していただろう。 しかし今私が相対しているのは、照れ屋で可愛い恋する女の子だ。つい応援してあげたくもなるというもの。
そんなことを考えながら、クローゼットの中の引き出しを開けてフェルト生地を見繕う。霊夢は……紅白だからあとは髪の色を、と。そして天子を見る。フェルトの人形を両手で持ったままぼーっとしてるみたい。
……いや、私が彼女にドキッとしてどうするのよ。 そんな、まさかね。
えーっと、ん、シンプルな意匠の割に色数の多い服ね。とまあ、こんなものか。
「お待たせ。じゃあ、始めましょうか」
「あ、うん、よろしく」
「まずは頭から作りましょう。二枚縫い合わせて綿を入れるから、この布に頭の大きさの丸を描いて切り抜くのよ」
「こんな感じ?」
「それだとちょっと縦長になってしまうわ。もう少し横に広く」
「じゃあこれでいいかしら」
「ええ、じゃあ四枚重ねてずれない様にこれで留めて、このハサミで切って」
「わかったわ。失敗は許されないものね」
「いやまあ、生地はいっぱいあるから大丈夫よ」
ハサミを持つ彼女の横顔はまさに真剣そのものだ。 少しでも線から逸れないように少しずつ、ゆっくりと。随分昔のことだけど、私にもこんな時期があったかしら。
「できた!」
「はい、じゃあ次は体ね。初めてだと細くなりやすいから 心持ちずんぐりめに線を引いてね」
こうしてパーツごとに線を引いて切り抜いていく。最初から最後まで、彼女は真剣な態度を崩さなかった。それだけ霊夢への想いが強いのだろうか。そう考えると羨ましくなってきちゃった。私にもこんな恋人がいたらなあ、なんて。
「パーツはこれで全部ね。じゃあこれを縫い合わせていくわけだけど、その前に」
「え?何かすることがあるの?」
「ええ、ちょうどいい時間だからお昼にしましょう。ご馳走するわ」
「あ、もうそんな時間なんだ。夢中だったから全然わからなかったわ。 ……と、喜んでご馳走にあずからせていただきます」
「いいのよ、今更そんなにかしこまらなくても。さあ、下に行きましょう」
ダイニングに戻ると、キッチンの琺瑯鍋からこぼれるクリームスープの匂いで満たされていた。二階にいる間、人形に作らせていたのだ。
「うわ、すごい……」
キッチンで忙しなく動く人形達を見て天子がそう呟いた。私としては弾幕勝負で扱う方がより高等技術なのだけど、それですごいとは言われたことがない。まあ技術的なことがわからなければこんな感想になるのだろう。
二人とも席に着いて、人形にスープとパン、それとスプーンを持ってこさせる。天子はずっとその様子を物珍しげに見ていた。
「どうぞ、召し上がれ」
「じゃ、遠慮なくいただきます」
彼女はスプーンを手に取って、スープを口に運んだ。常々思ってはいたのだがこういう所作は美しく躾られている。見ていて気持ちのいいものだ。
「どう?お味は」
「ん……美味しいわ。私も地上に降りるようになってからいろいろ食べるようになったけど、これはすごく印象に残る味ね」
「そう言ってもらえると作った甲斐があったわ。お代わりもあるから好きなだけ食べてね」
そう言って私はパンを千切ってスープに浸し口に運ぶ。
「あ、そんな食べ方もあるのね。どれどれ……なるほど、これもいけるわ」
それを見ていた天子が真似をした。その様子につい笑顔になってしまう。いつ振りだろう、こうして来客と楽しく会食するなんて。しかも相手はあの天人。本当、何があるかわからないものね。
「ご馳走様でした」
「ご馳走様。どうする?早速続き始める?」
「 ええ、貴方さえよければ」
「じゃあそうしましょう」
また工房に戻ってきた。棚の上から縫い針と糸の入った小箱を取って机の上に置く。
「じゃ、今からこれで縫い合わせていくけど、その前にこれを」
そう言って私は彼女の両手の人差し指にそれぞれ陶器の指留を通した。そのとき触れた彼女の肌は信じられないくらいきめ細かくて、吸い付くような瑞々しさを湛えていた。
「えっと、私、こういうの初めてで全然わからないから、うまくできないかも……」
「大丈夫、私が教えるんだから。自分で言うのも何だけど、最高の先生だと思うわ」
「あー……、それなら。天人の着る服って、糸も針も使わないで作るから誰にも相談できなくて本当に困ってたの。アリスがいてくれて助かったわ」
「それはどうも。ねえ、その服も糸と針使ってないってこと?」
「ええ、そうだけど……」
「ちょっと見せて!」
彼女の服への興味だけで私は動いた。襟元、胸元のリボン、前のフリル、袖口、エプロンの飾り、スカート縁のフリル……どこを見ても縫い目がない。どうやって繋いであるの?この私が裁縫に関わることでわからないことがあるなんて。厳密には裁縫じゃないのだろうけど、この謎を解きたいと思った。
「……そろそろいいかしら?」
気付けば天子が苦笑していた。どうも夢中になってしまったみたい。かと言ってこれを放置したくはないし……。
「ああそうだ、お礼」
「え?」
「お礼してくれるって言ってたわよね。思いついたの」
「え、それはこっちで考えてたんだけど……」
「たかがこれくらいのことで大層なお礼されても困るから、こっちから決めさせてもらうわ。天界の服の作り方を教えて」
うん、これならお互い五分五分で釣り合う条件だろう。あとは彼女が呑んでくれれば。
「うーん、まあ貴方にとってはそっちの方が良さそうね。いいわ、今度うちが贔屓にしてる仕立屋に話通しておくから天界まで来てちょうだい」
「了解よ。交渉成立ね」
これは思いもかけずいい話にありつけたわ。この製法を知れば私の人形製作は更に進化できるかもしれない。魔法使いたるもの、常に研鑽を怠ってはいけないのだ。
「それじゃ、本題に戻りましょう」
「ええ、改めてよろしく」
「まず針穴に糸を通して。あ、この糸通しを使うのよ」
「ん……こうね」
「そしたら……指にこう糸を巻きつけて結び目を作るの……これが玉結び」
「……こう?」
「そうそう、上手じゃない。そしたら早速端を縫っていくわけだけど、こうやって糸を巻いていくように……この縫い目が大きくならない様に縫っていくのよ」
「……くっ、なかなか難しいわね……」
「ゆっくりでいいから丁寧にね。でもいい調子でできてるわよ」
まあ確かに仕草はぎこちないけど、それでもそれなりに綺麗にはできている。もともと器用なのだろう。
手持ち無沙汰になった私は手元に全神経を集中させている彼女の横顔を覗き見る。最初に天界で会ったときも、鬼にそそのかされて虐めに行ったときも、それから主に神社で顔を合わせるときも、そんなこと全然思ったことなかったのに、今はその横顔がすごく綺麗に見える。まあもともと整った顔立ちで睫毛は長いし肌も真っ白だから美人ではあったのだけど、 殊更今になって強くそれを意識するのはもしかして私の彼女に対する気持ちの変化のせいかもね。
実際、彼女への評価は今日のここまでですっかり変わってしまった。迷惑で疎ましい存在でしかなかったはずなのに、今こうして目の前で霊夢のために一生懸命裁縫をしている彼女のなんと可愛らしく愛おしいことか。
「あ、そこまででいいわ。後でそこから綿を入れるから。残りも同じ様に縫ってちょうだい」
「うん、ところで出来はどう?」
「最初でここまで綺麗にできれば上出来よ。特に何も直すところはないわ」
「よかった……ひょっとしてこれが愛の力なのかしら」
「ほら、のろけてる暇があったら次を縫って」
「はーい。ところでアリス、私の見てるだけじゃ暇じゃない?」
「いいのよ、何かあったときに対処できるようにしてるから。私に構わず続けていいのよ」
そう、暇じゃない。 彼女の表情を真近でもっと見ていたいから。たどたどしいその針の動きを追い続けるその眼差しの熱さはきっと、本人が言ったように霊夢への気持ちを表しているのだろう。その熱に、私の心も揺り動かされているようで……。
「全部終わったわ!」
「それじゃ一応出来を確認するわね…………うん、これなら大丈夫。後はこの隙間からこの綿を詰め込んで」
……
……
……
「できたわ。これでいいの?」
「この二つはこれでいいわ。あとのはもう少しだけ詰めた方がいいわね」
「うん……これくらいでいい?」
「それでいいわ。後はこの隙間を最後まで縫い合わせたら、玉どめして終わりよ。一つだけお手本見せるからよく見てて」
……
……
……
「できたー!すごい、ちゃんと頭と体の形だわ。これ本当に私が作ったのね!」
「ほらほら、喜ぶのはまだ早いわよ。じゃ、今から服を作りましょう。それぞれ切り離したパーツをボンドでつなぎ合わせていくの」
「うわ、細かい作業ね。この紐の部分なんてすごくちっちゃいわ」
「ああ、小さなパーツはピンセットを使うといいわ。構造がわからなかったら聞いてね」
天子は四苦八苦しながらも段々服が形になっていく。本当はもっと単純な構造にすれば楽なのだけど、忠実に服の形を再現するのは私なりのこだわりだ。それは最終的に作品のクオリティに反映されると信じている。
それにしても、だ。 こうしている間も私の視線は天子から外れることはないし、考えるのも天子のことばかり。昨日までの私が明日天子が特別な存在になるよ、などと言われても、なんて馬鹿げたことを、と鼻で笑い飛ばしていたことだろう。それくらいあり得ないことなのだけど、事実は人形劇よりも奇なりとでも言っておこうか。
「ねえ、ここがわからないのだけど……」
「ああ、袖口の紐はこうやって互い違いに通して……」
……
……
「ここは?」
「ん、襟元はこう、ぐるっと……」
フエルトを挟んで顔が近づく。ドキドキしちゃってるのを天子に気取られることはないだろうけど、 もし私の気持ちを知ったらどういう反応をするだろう。
そんな馬鹿げたことを考えながらも人形は完成に近づいていく。既に両方とも服を来せて、後は髪と顔で終わりだ。
天子は黙々と作業している。終わりが見えたことで早く仕上げてしまいたい一心なのがよくわかる。もう私が口を挟むこともないし、 このまま天子の顔を見ているとしよう。
ふと、霊夢のことを思った。彼女はこういう天子の姿をきっと知っている。私は霊夢より早く天子のことを知ることができたら、と思ったけど、この彼女を引き出したのは霊夢に他ならないだろう。私に見えていなかったものを霊夢は見て、私に見せなかったものを天子は見せた。ちょっとだけ歯がゆいけど私には無理だった、そういうことだ。
「できた!ねえアリス、最後確認して」
「どれどれ……」
二体の人形を隅々までチェックする。まあ細かいことを挙げればきりがないけどとりあえず出来としては文句のつけようがない。
それにしてもなんて柔らかくて素敵な表情かしら。私の気持ちまで暖かくしてくれる。 天子がこれを作ったなんて知ったら誰もが目を丸くするに違いない。
「うん、大丈夫。 これなら胸を張ってプレゼントできるわ」
そう言って私は人形を天子に手渡した。
「本当!?アリスのおかげだわ!ありがとう!」
嬉しそうに左腕で人形を抱えて、右手で私と握手して嬉しそうにブンブン振り回した。
私が多少体温低いせいもあるのだろうけど、繋いだ天子の手はすごく暖かった。
「あ……」
「どうかしたの?」
「いや、なんでもないわ」
その暖かさが気恥ずかしくなって手を引いてしまった。天子は一瞬だけ不思議そうな顔をしたけど、今は人形ができた喜びでそれどころじゃなかったみたい。両手で人形を掲げて笑顔でくるくる回っている。
ああ、どうしよう。好きになってしまった。ことここに至ってはっきり言葉として自覚した。自分でもわかっている。私はほんの数時間前まで天子のことを疎ましく思っていて、天子はほんの二ヶ月前に霊夢と付き合い始めたばかりで。実に馬鹿げている。だけど、そうなってしまったものはしょうがないのよね。
「あ、そう言えばアリス、今何時頃かわかる?」
「えっと……七時半過ぎね」
「もうそんな時間!?えっと、それじゃもうお邪魔しようかしら」
「あら、何なら夕食もご馳走するけど?」
「気持ちはありがたいけど、早速輝夜に永遠の魔法をかけてもらおうと思って」
「輝夜……ああ、竹林のお姫様ね」
なあんだ、彼女は彼女でしっかりと交友関係を広げているのね。つくづく私は彼女に勝手なレッテルを貼っていただけなのかも。
「アリス……今日は本当にありがとう。実を言うとすっごく来づらくて、相手にされなかったらどうしようなんて思ってたの。でもすごく親切にしてくれて嬉しかったし、心から感謝してるわ」
玄関先で人形の入った手提げの麻袋を両手に持って、天子はそう言って深々と頭を下げた。
青い髪がランプの光に照らされてキラキラと輝く様子がとても美しい。彼女はこのまま行ってしまうのだと思うと、どうしようもないとわかっていながら胸がチクチクする。
「 そう言ってもらえて嬉しいわ。私もそれなりに楽しかったから。今度天界に伺うからそのときはよろしくね」
「ええ、任せてちょうだい。それじゃまた会いましょう」
……行ってしまった。さあて、この恋心をどうしようか。人形には永遠の魔法をかけることができても人の心にはかけられない。ならばやっぱりここは待つしかないだろう。
何年後、もしかしたら何十年後になるかもしれない。ひょっとしたらその間に私の前に違う相手が現れるかもしれない。例えそうでなくても、霊夢には悪いけど私と天子にはこの先無限とも言える時間がある。霊夢を失った天子に私が優しく声をかける、そんなケースもあり得るだろう。
そう、何も焦ることはない。とりあえず次の約束も取り付けてあるし、そうやって天子の心と視界の片隅に居続けるとしよう。そうしていれば私も常に天子の傍にこの身を置けるのだから。
まあ、天子の顔が私の脳裏に焼き付いているうちに、今からひとつ人形でも作るとしましょうか。
そう思って私は二階への階段に足をかけた。
「そう言えば、天子の髪の毛落ちてないかしら……」
このアリスはどんな結果でも報われて欲しいなあ
天子かわいすぐるでしょう?
最後の髪の毛を探すアリスにフイタw