JR駅前北口に続く、賑やかな大通りに聳え立つ、某有名百貨店の4階。オーストリアはウィーンの、300年の歴史を忠実に再現したとの触れ込みのカフェハウスの前に、二人の少女の姿があった。
一人は、艶やかな黒髪を、頭の後ろで、大きな赤いリボンで一つに括った少女だ。顔の両側に垂らした鬢を、赤い飾り布で纏めている。
もう一人は、萌える若葉の色の髪に、デフォルメされた蛙の髪飾りを付けた少女だ。顔の片側に垂らした鬢を、白い飾り布と、巻き付く蛇の髪飾りで纏めている。
白昼の百貨店内は、雲霞の如き群集――とまで行かないが、大勢の買い物客達の姿で賑わっている。
県下有数の売り場規模を誇る、老舗百貨店の内部を行き交う買い物客達の多くが、カフェハウスの前に並び立つ二人の少女の姿を認めると、示し合わせた様に、好奇の視線をそちらに向けた。
その理由は、少女達の容姿が、共に本職のモデル顔負けの、人目を惹き付けるのに十分なだけの美しさを備えていたからと云うのも、勿論ある。
しかし、やはり、その理由の大半は、二人が揃って身に纏う、風変わりな衣装にこそ在るだろう。
少女達の衣服は、およそ現代社会におけるTPO――
少女達が身に纏う衣装。それは、通常、街中では滅多に見掛ける事など無い筈の、神事に携わる者の証たる装束だった。巫女装束である。
黒髪の少女は、紅白の巫女装束を。緑髪の少女は、青と白を基調にした、風変わりな巫女装束を纏っている。
神社の境内で目撃するならまだしも、買い物客で賑わう白昼の百貨店内において、この衣装を纏う少女達の姿が、どれだけ周囲の注目を集めるかなど、語るまでも無いだろう。
ある者は、すれ違い様に遠慮がちな視線を少女達に向け、また、ある者は、露骨に無遠慮な好奇の眼差しを向けてくる。
耳を澄ませば、行き交う人々の喧噪に紛れ、少女達を評する声が聞こえてきた。
「……何、あの格好。コスプレ?」
「映画の撮影か何かよね? あの二人、すっごく可愛いもん」
「え? 何々。有名人? 有名人?」
「けどカメラどこよー?」
「あれは巫女じゃないな。巫女さんだ」
「その二つは、一体、何が違うんだ?」
「それには、まずメイドとメイドさんの違いから説明しないといけないのだが――」
「あーあー、聞きたくなーい。聞こえなーい」
「けど、良く似合っているよね」
「ちょっと、ヒロシー? 私と、あのチンチクリンの小娘と、どっちが素敵だと思ってるのよー?」
「うん? そりゃあ、勿論。客観的に見て君の方が――」
「もう! さっすがヒロシね。判ってるじゃない!」
「――顔面偏差値は、低いと思うけど?」
「ハッハッハッ。よっしゃ。歯ぁ食いしばれー」
「えらい別嬪さんじゃのう……儂が、あと50ばかし若ければのう……」
「あらあら。ハルオさんったら……私みたいなヨボヨボのお婆さんじゃあ、駄目ですかねぇ……?」
「え……おトメさんや。今、何と……?」
「な、何でも無いんですよ。年寄りの戯言と思って、聞き流して下さいな。ああ、恥ずかしい……」
「お、おトメさん……実は儂……前から、あんたに伝えたかった事が……」
「畜生……! 三次元とは、完璧に縁を切った筈なのによぉ……巫女だけは。巫女だけは、未だに俺をどうにかしやがるぜ……!」
「ちょっとー、そこ退いてよー。折角、写メに撮ってるんだからさー」
……等々。好意的な意見も有れば、否定的な意見から、特に関係の無い意見まで、様々な感想の入り交じった遣り取りが、そこかしこで繰り広げられている。
最も、周囲からの好奇の視線に晒されている、話題の渦中にある巫女装束の少女達は、それらを取り立てて気にした風も無く、本場の300年の品格と雰囲気とを見事に再現したカフェハウスの様子を眺めやり、自分達のお喋りに花を咲かせていた。
大きな硝子窓越しに、姿勢の良い従業員が客席に配膳する、美しく盛り付けられた洋菓子や紅茶の数々を見つめ、緑髪の少女が、弾む様な声を上げる。
「見て下さい、霊夢さん。あれ。あっちのテーブルに、たった今運ばれていった奴。あれが、ザッハトルテですよ! オーストリアはウィーンの、ホテル・ザッハーの名物菓子です。古典的チョコレートケーキにして、チョコレートケーキの王様。1832年、レシピ考案者であるフランツ・ザッハーは、まだ16歳の下級料理人に過ぎなかったとか。チョコレート風味のバターケーキに、杏のジャムを塗り、表面全体を更に溶かしチョコレート入りの
弾む様な声から始まって、徐々に熱を帯びて行き、最後には狂態と読んでも差し支えないだろう熱弁を振るって、緑髪の少女――東風谷早苗は、爛々と光る眼差しで、傍らに立つ黒髪の少女――博麗霊夢を振り返った。
いや、果たしてそれを振り返ったと云っても良いのだろうか。上半身だけを捻り、両手の人差し指で、“びしぃっ”と云う効果音――わざわざ、口頭で云った――付きで、勢い良く霊夢を指差す早苗。控えめに云っても、果てしなくウザ可愛い。
「はぁ……どうしてあんたは、そんなにテンションが高いのよ?」
霊夢は、呆れた様に溜息を付いて、早苗を見た。
「そりゃあ、久しぶりの外の世界ですもの。やっぱりテンション上がりますよ。いやー、こっちに未練は残していないと思っていたんですけどね。ほら。私ってやっぱり、神様で巫女だけど、今時の女子校生でもあるじゃないですか? こう、田舎に住んでいると、偶に文明社会が恋しくなると云うか。虫や妖精達の鳴き声よりも、雑踏とクラクションの喧騒に耳を済ませたくなると云うか。排気ガス塗れの空気を胸一杯に吸い込んで、食品添加物ごってごてのジャンクフードを、思うがままに貪りたくなると云うか。そんな日もあるんですよ」
「不健康な奴ね。まったく。紫の奴に、文句を云われるのは私なんだからね」
「えー、でも、かく云う霊夢さんだって、外の世界の甘味には興味津々だったじゃないですかー。ノリノリで結界を緩めてたの、私、忘れてませんよ?」
「何よ。あんたが誘ったんでしょうが。外の世界を案内するから、一緒に美味しいものでも食べに行きましょうって。紫の奴が連れ戻しに来る前に、さっさと用事は済ませるわよ。えーと、何だっけ。ザッハトルテ?」
「ええ。特に、このお店のものは絶品ですよ。良く、学校帰りに食べに来ました。懐かしいなぁ。もう、何年食べてないんだろ。幻想郷じゃあ、チョコレートは高級嗜好品ですしね。レシピを知っていても、そう容易く作れるもんじゃないですし。それに、やっぱりプロの味には適いませんし」
「ふーん。そんなに美味しいの? ザッハトルッテって奴は。さっきの、あんたの演説だと、チョコレートへの狂おしいまでの愛情は伝わって来ても、肝心要のザッハトルテの味には、全く言及されてなかったんだけど」
「おや? 霊夢さん。聞いちゃいます? それを、私に。語りますよー。語っちゃいますよー?」
“すっ”と、目を細めて、不適な笑みを口元に浮かべる早苗。控えめに評しても、限りなくウザ可愛い。
「どうせ食べるんだし、別に、聞かなくてもいいわよ」
「では、仕方ありませんね。どうしてもと云うなら、少しばかり長くなりますが、語っちゃいましょうか」
「いや、聞きなさいよ、あんた。人の話を」
「そうですね。ザッハトルテそれ自体の味を端的に評するならば――野暮ったい味と云うのが、ぴったり当て嵌まるでしょうか」
「聞いちゃいない……って。野暮ったい味? 何よ、それ。あんた、凄く美味しいケーキだって云ってたじゃないの」
「まぁまぁ。話はこれからですよ。とりあえずは、ザッハトルテそれ自体は、チョコレートの濃厚な風味に満ちていますが、決して美味しくは無いのです。そうですね。他のケーキの様に、スポンジが“ふわふわ”してたり“しっとり”してたりする事も在りません。“ぱさぱさ”と云うのが、一番、感じとしては近いかと」
「“ぱさぱさ”……」
早苗の言葉に、霊夢が、“げんなり”とした表情を見せる。
「チョコレートを重ねている為に、甘みは濃厚ですが、逆に、それが砂糖の塊を食べている様な印象を与えますね。それ単体で食べたら、喉を通すのも一苦労かと」
「うぇー……」
早苗の言葉が発せられる度に、目に見えて、霊夢のテンションが下がっていく。どう云う事だ。聞いていた話と違うぞ、とでも云いたげなジト目で、霊夢は、早苗の事を睨み付けた。
しかし、当の早苗は、そんな風に肩を落としていく霊夢の様子を、さも楽しそうなものを見る目で見つめ返し、言葉を続けていく。まるで、取って置きの悪戯を披露する、その瞬間を、今か今かと待ち構えている様に。
「――ところで、話は変わりますけれど。私は、ケーキを食べる時に合わせる飲み物は、大抵は紅茶なんですよ。」
「え? んー……まぁ、紅魔館とかで出てくるケーキにも、良く紅茶がついてくるわね。まぁ、洋菓子に日本茶は合わないだろうけれど。それが、どうかした?」
「ですが! 私は、是非、ザッハトルテのお供には、とびっきり濃く入ったブラックコーヒーをお勧め致します!」
「コーヒーねぇ。ブラックって、砂糖もミルクも入ってない奴でしょ。あの、レミリアが飲めない癖に、咲夜の前で大人ぶって啜って、半泣きになりながら格好つけてる奴。私は、抹茶とかで苦いのは飲み慣れてるけど、それでも、あんまり好きな訳でも無いんだけど……」
「ふふふ。霊夢さん。まぁ、騙されたと思って試してみて下さい。この時のコーヒーの銘柄は、インスタントだなんて、ケチっちゃあいけません。奮発して、マンデリンの
「……えーと? つまり、端的に纏めると?」
「良いコーヒーの魅力とは、大人の女のエロティシズム。童貞坊やには判りません」
「……え? それで良いの? そんなんで良いの? 何かが、果てしなく間違っている様な気がするんだけど」
「私の言葉は、神の言葉です。間違っている訳が在りません。それに私は、上質のコーヒーの様な、大人の女ですからね。通じ合うものがあるのです」
「あんた、さっき、自分の口で女子校生とか云ってなかった?」
「ほら、霊夢さん」
早苗は、巫女装束から露出している己の腋を、周囲に見せ付けるように、頭上で腕を組んで、身体を、弓の様にしならせた。そこらのグラビア雑誌の、巻頭を飾る水着モデルさながらのポーズを決めながら、霊夢を見る。
「――うふん。どうです? 大人のエロティシズムを感じるでしょう?」
「うん。すっごい頭の悪そうな、必死に背伸びしてるお子様の、やっすいエロスしか感じない」
もしも、この場に早苗が奉じる二柱の神の姿があれば、自らの巫女の一連の発言と行為に対して、直ちに頭を抱えるか、首を括るかしている事だろう。返す返すも、実にウザ可愛い現人神だった。
「……むぅ。世間が、私の大人の魅力に追いつくまで、後どれだけかかるのでしょうね」
「さらりと、世間の側を間違っている事にしやがったわね」
「でも、幻想郷大人の女魅力ランキングをやったら、私、上位に名を連ねると思うんですよ」
「いや。永琳、慧音、勇儀、藍、幽香あたりが五強だと思う」
恐らく、実際にその様な格付けが開催された場合、早苗の順位は、僅差で、かろうじて魔理沙や妖夢より上とか、その辺りだろうなと、霊夢は当たりをつけた。何れにせよ、大人の魅力には程遠い順位になりそうだ。
「……で。ザッハトルテに合わせるのは、ブラックコーヒーでも、まぁ別に構わないとして。肝心の、ケーキの味がさっぱり掴めないんだけど? 聞いてる限り、全然、美味しそうじゃないじゃない。砂糖の塊みたいな野暮ったい味に、“ぱさぱさ”のスポンジでしょ? 食べたくないわよ、そんなもの」
「いやいや。急いてはいけませんよ。それは、あくまでザッハトルテ単体での話です。ザッハトルテはですね。ケーキそれ自体のみで味わうものでは無いのです。ほら、良く見て下さい。あちらのテーブルに運ばれていったザッハトルテのお皿を。乗っているものは、ケーキだけでは無いでしょう?」
霊夢が、店内に向けて目を凝らして見ると、確かに早苗の云うとおり、ザッハトルテの皿に乗っているものは、ケーキだけでは無かった。白く“ふわり”とした生クリームが、横に添えられている。
「……ただの生クリームじゃないの。別に、珍しくも無いんじゃない?」
「そう。ただの生クリームです。ですが、それを付けて食べる事で、初めて! ザッハトルテの真の魅力が引き出せるのです! 切り分けたザッハトルテに、たっぷりの生クリームを纏わせる事で、古風な砂糖菓子と云った風のザッハトルテの味が一変するのですよ。実直かつ上質なチョコレートの風味に、生クリームを纏う事によって“しっとり”となるスポンジ。これは、最初から生クリームをつけたスポンジでは、決して、味合うことの出来ない食感です。蕩けそうなクリームの舌触りが、ケーキそれ自体の過剰な甘みを抑え――いいえ、寧ろ渾然一体となる事で、全く新しい世界の扉を開くのです。その味を、口に運んだ時の感動たるや! さながら、最高の奏者達が奏でる、室内楽の装飾合奏! 世界でただ一人、ザッハトルテを食べている者の為にだけ開かれる、味覚のコンサートですよ。更に、更に! ケーキの甘みの余韻が引かぬ内に、とびっきり濃く入ったブラックコーヒーを一啜り。苦味が、甘みの余韻を引き立てながら洗い流していく。それが消え去った時、味覚は更に研ぎ澄まされ、結果、次に口に含むケーキに対して、更なる美味を感じる様になるのです。即ち、極上の甘味による無限ループ。時を忘れ、幾らでも、何時までも食べ続けていたくなります。ケーキの甘み、クリームの舌触り、コーヒーの苦味。渾然たる三位一体の美味こそが、ザッハトルテの本質なのです!」
天を仰ぎ、息を荒くして、握り拳さえ作って力説する早苗。その様子に、一時は沈みがちだった、霊夢の機嫌も直っていく。
「へぇ……そんなに美味しいんだ?」
「勿論です。ああ……思い出しますねぇ。初めて、ザッハトルテを食べた時の、あの感動を……」
早苗は、どこか“うっとり”とした様子で、目を閉じた。
「――重厚な佇まいを見せるザッハトルテを、それとは対照的な、小さく、可愛らしいフォークを持って切り分けるのです。ウェディングケーキの入刀にも似た、“ずっしり”とした重みを感じがら、一口大に切り分けたザッハトルテに、滑らかなクリームを纏わせていく。白く、きめの細かなクリームが、ケーキを彩っていく様に、人は、美しいものを自らの手で貶める時の様な、一種の背徳的な興奮さえ覚える事でしょう。立ち昇る、香ばしく焼きあがったバターケーキの香気と、甘やかなチョコレートの香りが溶け合うと、更にその奥に、主張しすぎない程度に、微かに漂う甘酸っぱい杏ジャムの香りにも気付かされます。鼻腔を擽る、魅惑の三重奏。その香りを嗅いだら最後、今すぐに、フォークの上で白い化粧を纏った、漆黒の貴婦人の一欠片を、口内に放り込み、思うがままに辱め、貪りたいと云う欲求にかられてしまう事は間違い在りません。しかし同時に、何時までも、その魅惑的な香りに酔い痴れていたいとの欲求も、胸の奥から“ふつふつ”と湧き上がってくるのです。大好きなあの人に触れたい――けれども、近づくのが怖い。それは、ほろ苦くも懐かしい、青春の1ページ。時には恋に臆病な、乙女の葛藤です。しかし、しかし。現実は、何時だって無常なのです。何時しか恋の魔法は冷めてしまう。ケーキに纏わせた生クリームは、時間と共に、その風味を劣化させていくのです。当然ですね。クリームの主成分は脂肪なのですから。空気に触れたら、刻一刻と酸化してしまうのが、自明の理です。ここは涙を堪えて、鼻腔の悦楽に別れを告げる事にいたしましょう。さようなら。貴方の事、好きだったけれど。でも、香りでは、空腹は満たされないのよね。頂きます。切り分けたケーキを、口に含みます。舌の上に乗せて、まず感じるのは、クリームの滑らかさ。砂糖を含まず、甘さを抑えたクリームの衣を、一枚一枚、丁寧に舌で拭い去っていきます。そうして、最後に現れるのは、上質なチョコレートケーキの、生まれたままの姿です。同時に、口の中一杯に広がる、コクのある濃厚な甘みと、カカオのほろ苦さ。先にも増して力強く立ち昇る、濃密な香り。クリームを纏ったスポンジは適度に“しっとり”として、飲み込むのに労苦を伴いません。“するり”と、滑り込む様に落ちていく。その感動と興奮も冷め遣らぬ内に、舌の上に残る余韻を、濃いブラックコーヒーで洗い流すのです。すると、どうでしょう。甘ったるくなっていた筈の舌が、“びしっ”と引き締められるのです。そうして、再びケーキ皿に向き合えば、そこには未だ堂々たる風格で佇むザッハトルテの勇姿! え? 一口だけで、これ程の感動を呼び覚ましてくれるケーキが、まだ、こんなに残っているの? 在り得なくない? これ全部食べていいの? いいや。寧ろ、もっと食べる。食べられます。さようなら、昨日までのダイエットに励んでいた私! でも、後悔はしない。する筈が無い! 店員さーん! ザッハトルテのお代わりもう一つー! コーヒーも、思いっきり熱く、苦い奴でお願いしますー!」
最早、自分の世界にトリップしていると云っても過言では無い早苗の熱弁。しかし、それ故に、彼女の言葉には力強さがあった。天性のカリスマを兼ね備えた独裁者の演説が如くに、早苗の言葉は、傍らで聞いていた霊夢を、そして、数多の聴衆たちを飲み込んでいく。
機は、熟した。白昼の百貨店内とは、とても思えぬ程に、“しん”と静まり返った場は、爆発する間際、開放の一瞬に向けて力を溜め込む火山にも似ている。
自らの熱意が、完全に場を支配した事を悟った、ザッハトルテに魅せられた現人神は、“ばっ”と腕を振りかざして、並み居る群集を見渡した。
「――やろうども! 今、何時だ!?」
「――はい! 午後三時、少し前と云った当たりです!」
唐突に指差された聴衆の一人が、さしたる疑問も挟まず、早苗の言葉に応えて、声を張り上げた。彼もまた、神の威光に見せられ、その化身たる少女に信仰を捧げる、神の戦士の一人と成り果てたのであった。
「よーし。丁度、アフタヌーン・ティーの時間ですね。そこの貴方! 一番好きな菓子は!?」
「え? わ、私ですか……? スコーンと、ロイヤルミルクティーが……」
「ファートナム・アンド・メイソンと洒落込みますか。成る程。悪くは在りません! しかし! 貴女が、今日、今から、注文すべきメニューは!?」
「は、はい! ザッハトルテと、悪魔のように黒く、地獄のように熱いブラックコーヒーです!」
「その通り! よもや、神たる私の演説を聴いて、まさかまさか。今日のティー・タイムに苺のショートケーキ等と、女々しい事をのたまう信者はいないでしょう。いませんね!?」
「――ハイ!」
「当然です!」
「イエス、マム!」
「よーし。貴方達は、実に優秀な信者です! 家に来て、神奈子様と諏訪子様をファックして構いません! ついでに、霊夢さんもつけちゃいましょう!」
「ちょっとっ!?」
霊夢の、抗議の悲鳴も何のその。
――ウ、ウォォォォォォォォォォォッ……!!
天を衝き、地を揺るがさんばかりの大歓声が、巫女装束の二人を中心に沸き上がる。その惜しみない賛辞と信仰を独り占めにしているのは、間違い無く、この熱気を作り出し、瞬く間に狂信者の群れを生み出した、緑髪の少女だった。扇動者にして、独裁者にして、教主たる彼女は、自らの信徒達を、奇跡の威光で持って導く様に、高々と手を振り上げ、そして告げる。
「いざ! これより我らは修羅となる! 貴女達は、既に一個の個人ではなく。この私の! 東風谷早苗と云う現人神の祝福を受けた、神の信徒が大軍勢! 我らが目指すは、上品かつ濃厚な甘みの、三位一体となった味覚の悦楽。その行く手を阻む愚か者は、喩え神であったとしても、打ち倒して進むべし! 我らが懐かしの戦場に――帰還せよ!!」
――オォォォォォォォォォォォォォッ……!!
早苗の号令の元、熱狂と興奮を引き連れた信徒達が鬨の声を上げて、カフェハウスへの突撃を決行する。その様子を、満足そうな目で見やっていた早苗は、笑顔のままに、更なる神の言葉を紡いだ。
「――と云う訳で。ここにいる美少女二人に、ケーキを奢っても構わないと考える、素敵な殿方を募集いたしまーす!」
――ウォォォォォォォォォォォ……オ……?
途端、忽ちの内に困惑の声に包まれる信徒達。その動揺を知ってか知らずか、全く空気を読まない、ゴーイングマイウェイな早苗の言葉は続く。
「ちょっと……早苗? あんた、それぐらい自分でだしなさいよね」
「いやー、それがですね。霊夢さん。さっき気付いたんですが。霊夢さんって、当然、外の世界のお金なんか持ってないでしょ?」
「当たり前じゃない。私は、あんたの財布を頼りに、ここまで付いて来たんだから」
「あはは。それがですねぇ。私も、もう何年も、幻想郷で暮らしてるじゃないですか。こっちの世界のお金とか、全部手放しちゃった後なんですよね。その事を、ほんのついさっきまで、すっかり忘れていて。霊夢さんと同じく、文無しなんですよ」
「はぁ? それじゃ、何も買えないし、食べれないじゃない! ここまで来た意味って何よ!?」
「ええ。ですから、これだけ大勢の人が居るのです。中には一人くらい、私達にご馳走してくれる様な、優しい人が居るんじゃないかなーって」
“てへぺろっ”と、可愛らしく微笑んで、舌を出す早苗。もう何と云うか、堪らない程にウザ可愛い。
「それで、どうですかね、皆さん?」
早苗は、自らの信徒達――正確には、さっきまで信徒達だった――聴衆を見回した。彼らは、皆一様に、冷め切ったジト目で、“にこにこ”と悪びれもせずに微笑んでいる、緑髪の少女を睨んでいる。
「どうですか、そこの貴方。今なら、美少女二人と、アフタヌーン・ティーの一時を楽しめる権利つきですよ?」
「いや……別にいいよ。俺、良く考えたら、大して甘いもの好きじゃないし」
「むぅ。じゃあ、誰か、他の方は……って。皆さん? 何ですか、その目は。ほら。一緒に、美味しいケーキを食べましょうよー」
早苗の言葉に応えるものは、誰一人としていなかった。熱しやすく、冷め易い。現代社会の弊害が、ここに現れているとも云えるだろう。彼らは、一様に溜息をつきながら、散り散りになっていく。後には、疲れた様な顔で溜息をつく霊夢と、“ぷくー”っと、風船の様に膨れっ面になっている早苗だけが残された。
「もう。折角、私達が誘って上げてるのに。うーん。どうしましょう。そうだ。霊夢さんがお礼にキスの一つでもして上げたら、ケーキの一皿や二皿ぐらい――」
「嫌よ! ってか、あんたが言いだしっぺなんだから。あんたが身体を張りなさいよ!」
「女の子の唇は、そう安売りするもんじゃないんですよ、霊夢さん」
「あんた……一度、本気で殴っていいかしら?」
額に青筋を浮かべて、硬く握った拳を振るわせる霊夢。
「あー、もう。どうするのよ! わざわざ外の世界まで来て、このままトンボ帰り!? ケーキ食べたいー!」
そう、霊夢が声を上げた瞬間。その声に、応える少女の声があった。
「なら、私が奢って上げましょうか?」
「え、本当ですか。やった。やりましたよ、霊夢さん。いやー、やっぱり世の中、捨てる神あれば拾う神あ……り……?」
聞こえてきた少女の声に振り向いた、早苗の笑顔が、忽ちの内に青ざめていく。その横で、霊夢も、引き攣った笑みを浮かべていた。
「ゆ、紫……」
「ふふふ。気持ち良く寝ていたら、いきなりに結界が緩み……幻想郷から貴方達の姿が消えた。一体、何の異変かと思って出向いてみれば……この騒ぎ……ね」
悠然と歩いて来る、紫の装束を纏った、金髪の少女――八雲紫の面には、笑顔が張り付いているが、その目は、全く持って笑っていない。
「ち、違うのよ、紫……これは、早苗の奴に誘われて……」
「うふふ。でも、結界を緩める事が出来るのは、霊夢。管理者である、貴方だけよねぇ……?」
「――ヒ、ヒィッ!?」
「あはは……霊夢さん。私、急に催して来たと云うかお花摘みに行きたくなって来ました。それでは――」
「あ、こら……!」
「逃げられると、思って?」
「きゃあっ!?」
脱兎の如く、背を向けて、走り去ろうとした早苗の襟首を、“むんず”と、スキマから伸びた紫の手が摘み上げる。
「いやー! 離し……離してくださいー!?」
“じたばた”と暴れて、みっともない悪足掻きを見せる早苗。
確保した二人に、絶対零度の凍えた笑みを向けて黙らせると、紫は、忠実な式である九尾の狐――八雲藍に、命令を与える。
「ああ、藍。折角来たのです。ザッハトルテを、テイクアウトで買って来て貰えるかしら。三人分」
「承知いたしました」
その言葉に、霊夢と早苗の表情が、“ぱぁっ”と明るくなる。
「紫……!」
「紫さん……!」
感動の眼差しを向けてくる二人に、優雅な微笑を返して、紫は、二人の淡い期待を脆くも打ち砕いた。
「――私と、貴女と、橙の分ね」
「はい」
「そんなオチだと思ったわよ、畜生!」
「ふぇーん! 本当にこの人、外道ですー!?」
「ふふ……さて、と。今日は、少しばかり遅いティータイムになりそうだけど。まぁ、偶にはそれもいかしら。と云う訳で、二人には、大切なお話があるわ」
「いやぁ! 私は、悪くないのにー!」
「えーん。私のザッハトルテー!」
百貨店内に、虚しく反響する巫女達の叫び。喚く少女達を引き連れて、紫は、無常にも幻想郷へと続くスキマを潜り抜けた。
一方、カフェハウス店内では――。
「ああ、すまない。テイクアウトは可能だろうか。出来たら、コーヒー豆も、少しばかり包んで頂きたいのだが。うん? それなら、上の階にコーヒー専門店がある? さすがは、S○GOデパート。何でも揃っているな。では、そちらにも立ち寄るとしよう。ああ、注文か。ザッハトルテを――5つばかり、包んで貰いたい。うん、ありがとう。ここはなかなか、感じの良い店だな。今度、プライベートで食べに来るよ。むぅ。ところで、何故、誰も彼もが、私の尻尾に興味深そうな視線を注いでいるのだ――?」
巫女装束など比べ物にならない程、人目を引き付ける格好――何せ、身体よりも大きな“ふさふさ”の尻尾を九つもつけている奇抜なファッション――をした、謎の金髪美女の姿に、誰もが、好機の視線を向けていたのだとか。
……風の噂によれば、それ以来、このカフエハウスには時折、狐耳や猫耳をつけたり、不可思議なコスプレに身を包んだ少女達が、ケーキを食べに訪れるとかで、人々の注目を集める事になったらしい。だが、それは、真偽の程も定かでは無い、噂話に過ぎなかった。
ちなみに、少女達が注文する中でも、一番人気のメニューは――濃厚なチョコレートの風味と、“ふわり”とした生クリームの舌触りが楽しめるザッハトルテに、とびっきり濃く、苦く入ったコーヒーであったらしい。
もうそれだけで満腹です。嘘です。ザッハトルテ食べたいです。
マンデリンをセレクトするとは流石だが100kg378円ではあるまいね?
早苗さんのウザ可愛さと藍様の優しさに癒された
不思議と食べたくなってきました
ただ、やっぱちょっと読みづらい…
長所がそのまま短所にもなってる感じか
嘘です。
でもザッハトルテは食べたことありますけどそんなに奥が深い物だったとは…!
藍様の優しさにほろりときた
やっべぇこの早苗さん超かっこいい惚れる
だが無一文が語るなwwww
あと藍しゃま超優しい惚れる結婚してくれ
藍様がスゴくステキ
そしてザッハトルテが超食べたい
それはさておき、熱いお話でした。
早苗さんが語っちゃうのも仕方ないってもんだ。
久しぶりに食べたくなったw
とにかくザッハトルテの魅力が煮詰められた文章。
美しく綴られていく濃厚なチョコレートに、大満足です。
おいしか……面白かったです!
2人はBABAAランキング扱いでしょうかwww
さなえさんかわいいね
面白かったです。
ただ、もしガチで三次元の霊夢と早苗を百貨店でも渋谷の駅前であろうと見かけたら、俺は見なかったように逃げるだろうけどね!ww
軽妙に進む早苗さんのザッハトルテ語りが面白かったです。
そこはかとなく早苗さんがウザ可愛くてたまりません
ところで、早苗さん今何歳なんでしょう・・・(恐れ)
そして藍しゃまああああああああああああああああ!!
八雲家お願いします 藍しゃまメインで
これも一種の飯テロですね。