風見幽香は思う。自分ほど平和的な妖怪もいないだろうと。当然の結果として他者からの認識と自らの認識が食い違うのは仕方が無いが、少なくとも風見幽香はそう思っていた。
花を愛で、日がな一日花の育つ姿を見ているだけで満足出来る存在なんて、自分以外は存在しない。あの隙間も、吸血鬼も、会ったことは無いが宇宙人も、神とやらも、どいつもこいつも欲が強い。
これは、彼女のそんな認識の真逆に位置する物語。
チェックのスカートが揺れる。陽が当たり輝きを赤い瞳が反射させた。
風見幽香にとって日課であり、仕事であり、趣味でもある散歩の時間だった。というより普段それ以外の行動を取ることのほうが少ない程だ。今は秋。夏は太陽の畑なんて呼ばれているのだが、今は、スイランやアキギレ、ヨメナなんて、ちょっと地味な花がぽつぽつと咲いている。そんな中を歩くだけなのだが、幽香にはそれが至福の時であった。春には春の慎ましさと、躍動感を備えた花々が咲く。夏には夏の底抜けの明るさと、全力で美しさを主張する花々が咲く。冬には冬の寒い中から反逆するかのように力強さを感じる花々が咲く。全ての季節には全ての季節の美しさがある。
愛でることに怠けている生物には、ただの地味な花にしか見えないのかもしれないが、風見幽香は他の季節に劣らず秋の花が好きだった。
「秋は良いわ。日差しも強くないし、寒くもないし、頭の変な奴もいない。こんな行楽日和な季節は他に無いわ」
どんな季節だろうとこの花畑に近づく人間はいない。その原因は言わずもがな、この妖怪である。
ぷらぷらと歩き続けると、幽香の鼻に少し違和感のある香りが飛び込んできた。
悪い匂いではない。むしろ淑やかな、上品な香りだ。しかし、どこかに緊張感を含む。
「谷間の姫百合ね。こんな所まで歩いてきちゃったのか。そろそろ戻ろうかしら?」
太陽の畑。そこから連なるように続く丘。その線引きは実際に何かの領土というわけでもないのでしっかり決まってはいないが、幽香は鈴蘭が咲き始めたら太陽の畑ではない場所であるという認識でいた。
その丘には一体の人形が住んでいる。いや、彼女のことを人形と言うべきか。それは分からない。毒の丘に捨てられた人形がいつしか妖怪として意識を持ったもの。それを人形と呼ぶべきか。呼ぶべきでないのか。
幽香と彼女は特に長い付き合いというわけではないが、なにせ住んでいる位置が近いのでしばしば出くわすことになる。なので、妖怪になりたての彼女、メディスン・メランコリーと古の妖怪、風見幽香の間には妙な関係が生まれつつあった。妖怪としての先達として、産まれたばかりの子に道理を教えるような。
まぁ、実際にはそんな心温まるものではなく、暇な幽香がちょっかいという名の試練を与えたり、メディスンが変なことをやらかした時に幽香が説教をしに行く程度のものではあるのだが。
偶然とは言えここまで近くに来たのなら挨拶くらいして行こうか、と思った幽香は鈴蘭の毒を意に介しもせずに進んでいく。幻想の鈴蘭には強力な毒がある。群生地に向かうだけで、体が痺れ、頭が揺れる。並みの妖怪では無防備に近づけば昏睡してしまうかもしれない。
しかし、幽香はメディスンを見つける前に他の者の存在を嗅ぎ取った。粛々とした秋の自然に似つかわしくない、人工物の香り。
少し幽香の頬が引きつる。いや、口端が持ち上がり、凶悪な笑みを浮かべる。それは見たものを全て極寒の地へ叩き込むかのような怖気も凍る笑みだった。
差していた傘を折りたたむと、一息に丘を駆け抜けその匂いの元まで駆け抜ける。凄まじい速度にも関わらず、鈴蘭の花は一本も倒れていない。風見幽香はいつでも自然を愛するのだ。
辿り着いた先。
丘の中腹辺りには気配を隠して潜んでいた一人の妖怪がいた。アリス・マーガトロイド普段は魔法の森に住む魔法使いである。一般に想像される魔女と違い、黒い三角防帽子を被っていたり、黒いマントを羽織っているわけではなく、むしろ空色のスカートや真紅のカチューシャといった派手目な衣装を好む。今も変わらず派手な衣装だ。ウェーブのかかった金髪が太陽の光に輝いていた。
さもありなんと幽香は溜息をつく。
「人形遣いがこんな所に何の用?アンタの家は森の中。ここは無名なれど丘の上。アンタのいるべき場所じゃあない、お家で人形遊びでもしてなさい」
幽香はアリスと敵対関係にあるわけではない。しかし幽香は挑発するかのようにアリスに話しかける。意味は無い。風見幽香は損得や、計算高さだけで生きているわけではない。ただ、少しでも強引に理由を付けるとするならば、幽香はこの人形遣いが嫌いだった。嫌悪していた。本人に聞いたとしても絶対に認めないだろうが。
自然を愛し、花を愛でる幽香にとって、人形なぞという命すらない、むしろ、命を侮辱しているかのような存在に心奪われている人形遣いアリス・マーガトロイドは理解不能な人物だったのだ。自然のまま、徒然のまま、つまりは、分かりやすさ、である。
「ふーん。それは幽香。貴女も同じことでしょう?花畑に戻りなさいな。頭ん中もお花畑な貴女にはお似合いだから」
アリスにとってみれば、風見幽香に用は無い。彼女は無名の丘に住む、メディスンに用があるのだから。だが、だからといって、見え透いた挑発を無かったことに出来るほど穏やかな気性ではない。売られた喧嘩は買い叩く主義なのだ。
「こんな場所まで何の用なのかしら?ヒトアガリの魔法使い程度には鈴蘭の毒も辛いでしょう?」
「人の心配?お優しいのね。怖気が走るほど感謝感激雨霰よ。私は貴女みたいに暇でもないからさっさとどっかに消えてくれない?」
少しずつ、両者の距離が開いていく。幽香は人形での奇襲を警戒し、アリスは幽香に飛び掛られても反応できる距離を稼ぐため。
「メディに何か用なのかしら?」
「それを貴女に言う必要は無いわね」
幽香は考える。
人形遣いがメディスンに何の用なのか。
人形遣いでもあり、人形収集家でもあるアリス。
その思考は決してアリスに対して友好的なものであるはずもなく、マイナスの発想しか生まれては来なかった。
(………………これじゃまるでメディのために戦うみたいじゃない?………………まさか。そんな無様な理由で戦う妖怪なんているものか。これは私の戦闘で、私の戦争だ。他の誰にもくれてやるものか)
結局のところ幽香は戦うのが好きなのだ。これはもう妖怪の性としか言いようが無い。少しでも、少しでも戦う理由があればそれで良い。戦う相手が強ければ尚良い。
「まぁ、少し物足りない気もするけどね」
他の妖怪を前にして嘲笑を浮かべる。戦闘に対する絶対的な自信から来るものなのだろう。確かに身体能力で見れば、その差は絶望的である。アリスと幽香では生まれ持った格が違う。方や日々人形作りに勤しむ人上がりの魔法使い。方や純然たる暴力の化身。
「物足りない?」
しかし、仮に彼我の戦力差があろうとも、戦いを吹っかけてきてその言い草。
「だって………………弱い者虐めみたいじゃない」
アリスの肩が震える。
幽香からは表情は影になって見えなかったが、見るまでもないだろう。
「自分が一番強いとでも勘違いしてるの?」
顔を伏せたままのアリスの声のトーンが変わる。暗く。強い。
幽香は変わらない。変わらず、挑発的で、人を小馬鹿にするような声だった。
「そんな勘違いはしてないわ。ただ、貴女が凄く弱いってだけよ」
幽香は戦えばこの幻想郷において最強に数えられる妖怪なので、この言葉は嘘だ。
ただの挑発。
ただ、それを聞いているが側にとってみれば聴きたくも無い。――――アリスが動く。ポケットから小さな丸いボールを取り出すと同時に地面にたたきつけた。
ボールが弾け、辺りに煙が充満する。視界が煙る。紛れるようにしてアリスの姿が消失していった。
幽香はアリスの姿が消える前にと飛び込むが、既にそこにはいない。
(何だ!?毒煙!?まさか!?自分すら巻き込んで!?………………違う。毒じゃない。少なくとも即効性のものじゃない)
瞬時に判断すると、腰を落とし、傘を刀のように片手に構え、何が起きても対応の取れる姿勢をとる。無音のまま、時間が流れる。同時に秋風に流され煙が晴れた。
そこには数秒前と何も変わらない光景。唯一つ。アリス・マーガトロイドの姿が無いという点を除けば。
気配を探るが見つからない。今の一瞬でそう遠くに行けたとも思えないが。
「逃げた?」
幽香の目が怒りに吊り上る。歯が噛み締められ顔が歪む。
「ふざけてるの!?っくそ!さっさと倒しとけば良かった!」
髪を掻き毟る。もう構えもなにもあったものではない。そして、それを狙い澄ましたかのように。
幽香の背後から槍を持った人形が突撃してきた。
「なんてね。私が隙を見せないと攻撃してきてくれないものね。アハッ」
風見幽香は笑う。楽しそうに。可笑しそうに。
背後からだから、とか。
油断していたから、とか。
そんな条件、物ともしない。
格が違う。
傘をテキトーに振り回し人形を撃退する。歯車を撒き散らし粉々になった人形。
(ゴミは掃除しないとね)
その素材を栄養として蔦を生やす。全ては自然に回帰するように。
風見幽香の真骨頂である。莫大な妖力、絶大な身体能力。そんなもの幽香にとってはオマケみたいなものだ。自然と暮らし自然と共にある力。そちらの方がよっぽど幽香にとっては有用だった。
これも、彼女の認識と他者の認識が食い違う点でもあるのだが。
「さて、と。どこに隠れているのかしら?逃げて、隠れて、無様な戦い方が好きなのね、人形遣いさん?」
まるでその声に応えるかのように、地面から数対の人形が浮き上がった。手には様々な武器を構え、キリキリと幽香に向き直る。
「ひぃふぅみぃ。五つか。それで?それが何?命も宿らない人形で私がどうにか出来るとでも思っているの?一寸の虫にも五分の魂。私にはまだ一寸の虫の方が恐ろしいわ」
五方向からの同時攻撃。
決して人形が遅いわけじゃない。
普通の妖怪ならば、やられはしないまでも、簡単には対処できないレベル。
それでも風見幽香にとってみれば欠伸しながら避けられる程度だ。
風に揺れるエノコロ草のように幽香は人形の攻撃を避ける。
そして、避けながら、見る。全てを、見ていた。
(オートで動いてるって動きじゃないわね。ならば、私の行動を見れる位置にいるってことか、そして、どんなに細くても、人形からは糸が伸びているはず)
五体の人形の攻撃を全て避けながら幽香は糸を捜す。
それが見つかれば、この遊びは、終わりだ。
――――十秒。
それが幽香が糸を見つけるのにかかった時間。伸びている場所は、三十歩程離れた位置にある岩の影。
ニィッと幽香は笑う。また、笑う。少し残念そうに。
「もう終わりか。本当に残念ね。物足りないにも程があるわ」
三十歩の距離、それを一歩で詰める。
傘を振り上げ岩の影で必死で人形を操っているであろうアリスの脳天目掛け振り下ろす。
(違う!?)
幽香の目に映ったのはただの人形。ただ、今まで出てきた人形とは違い、何も持っていない。
(まさか!?)
傘が人形に触れた瞬間人形自ら爆散する。
中に仕込まれた鉄片と爆圧が幽香を襲った。
煙が晴れる。岩が消し飛ぶ威力を備えた人形ではあったが、幽香は傘を広げてそのほぼ全ての攻撃を無効化していた。
「こんな所でも火薬を使うなんてね………………イラつくわ。不愉快極まりないわ」
盛大な舌打ちと共に幽香は呟く。爆発した一帯。草木は粉微塵になっていた。剥げた地面が悲しげにこちらを見つめていた。ここで、この時点に至ってようやく、風見幽香はアリス・マーガトロイドを敵と認識した。
「そこにいるんでしょ?早く出てきなさいよ。それともまだ人形遊びがしたいの?」
岩でもなんでもない、ただの鈴蘭の群生地。そこからアリスは起き上がった。
「意外と気づかないものよね。きっと何かに隠れてる筈だと思った?自分みたいな強い妖怪を前に、こんな人形遣いなんて、隠れることしか出来ないとでも思った?整備された地面の上でもあるまいし。こうしているだけでも見えない物よ。特に、私じゃなくて糸を捜そうなんて思ってる頭の切れる人はね」
今度はアリスが嘲笑う番だ。
思考を見透かされ、手玉に取られ、幽香は激昂する。
「ずっと隠れていれば良かったのに!!そのまま朽ち果ててなさい!!」
幽香は走る。面倒な駆け引きや、フェイントの類。そんなものは無粋だ。戦闘に、戦争に失礼だ。戦いとはなんであるか、戦争とはなんなのか。
「どれだけ私が非力でもね。いくらでもそんなもの補えるのよ」
そういった幽香の思想とは真逆に位置する相手。操っているとはいっても、自らが戦うのではない。先ほどのような卑劣極まりない戦い方も堂々と行う。この時、ようやく幽香は自覚した。私は、コイツの事が嫌いなんだと。
しかし、幽香の攻撃はアリスまで届かない。
そのはるか手前で数対の人形に阻まれてしまう。
その上、
(攻めてこない………………厄介ね)
幽香の戦い方は言わば力に任せたものである。尋常ならざる身体能力、異常極まりない妖力。それさえあれば、技術なんて、必要が無い。しかし、その戦い方は、絡め手、奇策、遠まわしな戦い方とは決定的に相性が悪い。
それでも撃ち合えば勝つ自信はあったが、相手が攻めてこないのだ。防御に専念されると攻め切れない。離れた位置から動かすのと、間近で動かすのとでは、また違うのだろう。幽香には、アリスが、自らの手足以上の精度で人形を動かしているように感じられた。
「防戦一方ね」
戦況が硬直していくと喋る余裕も生まれる。どうにかして攻めさせ無ければ、受けきられる。
「あら、攻戦一方な貴女がそれを言うの?」
数合撃ち合うと距離を取る。それを幽香がまた詰める。その繰り返し。息も吐かせぬ連撃も、十体まで増えた人形が順に相手をするのならば一撃ずつ凌ぐのと何ら変わらない。何度目かの攻防の後、アリスが距離を取ると同時に大きめの岩の影に一瞬姿を隠す。
(また!?)
しかし、幽香の思惑とは逆にアリスはすぐに姿を現した。すぐさま幽香は距離を詰める。
「あら、また隠れなくて良かったのかしら?」
何体の人形を破壊しただろうか。途中から数えるのも止めてしまったが、それでも尚その距離が埋まらない。手を伸ばせば、その首を掴めそうなのに。
「………………ふん。猪突猛進しか知らない猪相手でしょ?正面から撃ち合わないと勝った気がしないじゃない?」
既にどう見ても正面から撃ち合ってはいないがアリスはそう嘯いた。
斜め上から斜め下から突き袈裟切り上段から下段から薙ぎ払い返し斜め上から斜め下から突き袈裟切り上段から下段から薙ぎ払い、力任せに攻撃を続ける。悉く人形に阻まれながらも攻撃は止めない。止め方を知らない。壊れた玩具のように暴れ続ける幽香。その、幽香の背後に突如として人形の気配が生まれる。
(な!?背後に迂回させた!?いつ!?)
どうせ正面から攻撃は来ないのだ。背後の敵をまずは撃墜すると決める。
正面の敵に背を向けるという暴挙。
その瞬間アリスが動いた。
全人形の同時攻撃。
(そうか、あの岩陰に潜ませておいたのか………)
緻密に計算された戦闘。幽香の思想とは相容れないが、それでも綺麗に嵌められたと、幽香自身も思った程だった。
それでも、風見幽香は倒れない。
幽香の手から血が滴る。
前方からの多量の人形の攻撃は傘を開きガード。
背後からの人形は構えていた槍を手に突き刺しつつも、無効化。急所には遠く届かない。
「ようやく攻めてきてくれたわね。………………ありがとう」
今ならば攻めも通るだろう。
開いた傘から力が収束していき放たれる。今ではすっかり白黒のイメージが付いてしまった魔砲である。人形を全て粉砕していくがアリスは機敏な動きでそれを避けた。
「………………………………後、使える人形は、これだけ、か」
五体の人形をどこからか取り出す。
「そう、じゃあこれで遊びもお開きね」
「………………………………あら、残念。このくらいで勝ったつもりなの?………………哀れね」
今度はアリスが距離を詰める。リーチならば勝てるという算段だろうか?
「攻撃し始めたら………………私の攻撃を凌げないでしょ?」
いっそのことがっかりした口調で幽香は溜息とともに呟いた。瞬間幽香はアリスの背後に回りこむ。互いが撃ち合えば、これが格の差。幽香の傘が刀以上の鋭さを持って、振り返ったアリスの体に突き刺さる。胸を貫き脊椎を貫通し背中から傘の先が突き出た。
勝負は決したかに見えた。しかし、アリスの体は、一滴の血を流すことも無く、駆動を始める。人体ではおおよそ不可能な方向に間接を曲げ、幽香に抱きつくようにして動きを封じた。更に回りに浮かんでいた人形も二人を糸で巻きつける。くるくると、くるくると二人を拘束されていく。体を貫かれ、それでも動き続けるアリスと、もがく幽香、それは不気味な光景だった。
「どういうこと!?ック!硬い!!こんなもの、引き千切って――」
幽香が全ての拘束を引き千切る前に、アリスと、五体の人形は爆発した。
それを、離れた小高い丘から見ていた人物がいた。
アリス・マーガトロイド。その人である。
「幽香相手でも騙せる物ね。私そっくりな人形なんて使い道、ないと思ってたけど、準備はしておいて損は無いってことか」
覗いていたオペラグラス(香淋堂から持ってきたものだ)から目を離し、踵を返す。
メディスンに会いに来たのだ。当然、幽香と出くわす可能性も考慮していた。最悪戦闘になる場合すら考えて、だから、備えていた。しかし、既に手持ちの人形は、もはや零に等しい。
下手な妖怪に出くわして戦闘になっても厄介だ。冷静に判断してアリスは家路に着くことにした。メディスンはまた後日でも問題は無い。
「あら、どこに行こうって言うの?まだ、終わってないのに」
アリスの背後から声がする。ゾクッとアリスに悪寒が走る。恐怖に任せ、背後すら振り返らず駆け出した。
しかし、一瞬で目の前に回りこまれる。
そこには、服も傘もボロボロになりながらも風見幽香が凛と立っていた。
「最近の人形って喋れるのね、知らなかったわ。すっかり騙されちゃった、アハハッ」
「糸電話って知らないの?それで喋ってるように見せかけてただけよ」
アリスからしてみれば、この場面、この状況で風見幽香に対する有効手段が無い。人形の直接攻撃も、爆弾ですら防ぎきる、生き残る化け物。
相手が会話を選択してくれるのならば、乗るしかない状況なのだろう。
「あぁ、だからちょっと声が遅れて変な間があったのか、入れ替わったのはいつ?煙の時?」
アリスは考える。どう戦況をひっくり返すか。弾幕はブレイン。彼女の金科玉条である。手持ちの人形は近接戦闘用が三体。爆破型が二体。これだけ。
どちらも決定打には程遠い。
「まさか、あんなあからさまな間が空いたら、いくらなんでも気づくでしょ?岩に一瞬隠れた時よ」
「へぇ。なるほどなるほど、十重二十重ね。ねぇ、そんな戦い方してて、楽しい?」
幽香にとって戦いは、戦闘は、戦争は、生き様。呼吸するように戦う。人が飯を食い、糞尿垂れるのとなにも変わらない。ただ、そうであるように戦う。
「別に………………今まで戦ってて楽しいなんて思ったことはないわ」
戦闘なんて、争いなんて、回避できればその方が良い。それがアリスの持論だ。必要不可欠な戦闘、それを避けることはしないが、それでも出来る限り戦う必要は無い。勿論、真正面から撃ち合えば、どうしても他の妖怪と身体能力で劣るというのも決して無関係ではないだろうが。ここから、魔法の森までは近い。森に逃げ込むことが出来れば、とアリスは考えるが、当然のように幽香がそれを許すはずも無い。逃げ込めた所で安全なわけでもない。追ってくるだろう。
しかし、それしかない。森は幽香の向こう側。あの妖怪の横を通り抜ける。それだけのことがどれだけ困難か。
しかし、それしかないのだ。
「そう、じゃあ、花の栄養になりなさい」
「嫌よ――」
幽香に向かって近接攻撃用人形を投げつける。こんなものでどうにか出来るとは思えないが、一瞬の隙を作り出してくれればそれでいい。
同時にアリスも幽香に向けて駆け出す。
アリスの想像通り、一体のみの人形なんて幽香にとっては脅威でも無く、一撃で葬り去られるだけのものだった。
もう一体。
「ほら、今度のは爆発するわよ」
その言葉が嘘であることは幽香は瞬間で理解した。自分が巻きこまれるような、こんな至近距離で爆弾なんて使うわけが無い。
それでも、先の戦いでの二回の爆発が、一瞬、瞬き一回程度のほんの一瞬だが、幽香の行動を遅滞させた。躊躇わせた。風見幽香も決して無傷ではないのだ。体も、心も。
その一瞬で人形は幽香に襲い掛かる。一合、人形の突撃を幽香が防いだ刹那の隙を見逃すことは無く、アリスは幽香の横を擦り抜ける。しかし、人形にそれ以上を望めはしない。
人形を返す傘で打ち崩すとまだ、アリスは手の届く範囲にいた。幽香は手を伸ばすが、アリスはもう一体人形を自分と幽香の隙間に構える。
「今度こそ、爆発しちゃうわよ」
「お前のその軽口に付き合うつもりはない」
差し出されたかのような人形を幽香は今度は躊躇い無く、握りつぶす。もう阻む人形もいない。
しかし、今度の人形は………………爆発した。
「ッック!」
(こんな至近距離で!?なにを考えてる!?)
戸惑う幽香だが次の瞬間には理解する。
アリスが爆圧を利用して、距離を離しているという現実に。
(あんな自爆まがいなことまでするのか………………面白い!!)
アリスは奔る。森まで残り数十歩。幽香も追う。が、アリスはもう一体人形を爆発させた。幽香は構わずに突っ込んでいったがアリスは爆風の彼方。もう姿は森の木々に隠れ、見えない。
「逃げられた………………」
呆然と立ち尽くす。
「………………わけ、ないでしょう!!」
猛然と追う。確かに、アリスがどこへ向かったのか、幽香には分からない。
「分からないけど………………分からないなら………………聞けば良い」
ジメジメとした森に足を踏み入れた幽香は目に留まった木に手を当てる。
(花と違ってそこまで深く疎通出来るわけじゃないけど。木も植物。私にとって森は無限の協力者がいるようなものよ)
「………………ありがとう」
アリスが向かった方向を聞き出すと走り出した。鬼ごっこの始まりだった。
とは言うものの、幽香の歩みは決して速くない。アリスも直線で進んでいるわけも無く、木達の情報が途切れれば前の場所まで戻って追撃を開始しなければならなかったからだ。
それでも、地力の速度が違う。鬼ごっこが始まって二十分ほどで、幽香の瞳はアリスを捉えた。
「………………………………素敵な逃走劇もここでお仕舞い。でも、もう帰れなんて言わないわ。無様に地に臥しなさい。私の自慢の傘をここまでボロボロにしてくれちゃったんだもの。そのくらい覚悟の上でしょう?」
もう、多量の策が隠されてるとも思えない。幽香は即座に踏み込み傘を振るう。アリスはそれを最後の人形でガード。しかし勢いを殺しきれずに自らも後方に吹き飛ぶ。
木々の間を擦り抜けながら幽香の視界から消える。
ゆったりとした足取りで幽香はそれを追う。
「逃走劇?………………最初から、最後まで、これはただの闘争劇。どちらかが地に臥すまでは終わらない。そして、それは貴女よ。幽香」
急に森が開けて陽の光が降り注ぐ。顔をしかめた幽香だがすぐに光に順応する。
そこには洋風な家屋が一軒建っていた。
「誘い込まれた。ということかしらね」
アリスの自宅。魔法使いにとっての自宅。それは、安息の地であり、研究所であり、………………武器庫だ。家の壁に寄りかかるようにしてアリスは立ち上がる。防御の上からでも幽香の一撃は十分な威力があったのだろう。
ここは、アリスにとって、最後の手段で究極の手段。
「そうね。………………ちゃんと追ってきてくれて………………助かったわ。あのまま追ってきてくれなかったら私がなんだか………………臆病者みたいだもの」
息も絶え絶えではあったがその言葉に宿る力は強い。
(骨が、何本か、いっちゃったか………………な?やれやれ、これだから馬鹿力は………………)
アリスは全身全霊を込め。
全兵力を起動させた。
建物が激震したように幽香には見えた。
いや、確かに揺れていた。
「どんなに人形があったって、一度に動かせるのは精精十体って所でしょ?なんの意味があるの?」
半分本音で半分強がり。
それだけの魔力が建物からは発せられていた。
「そうね。………………そのとおりだわ。自分の脳を分けるのも大変でね」
言葉どおり、アリスの周りに人形が十体浮かんでいた。
(少し、さっきのより、大きい?)
先ほどまで使用していたものよりも一回り大きな人形。何より、その人形たちは手に何も持っていなかった。
(自分の工房の付近で爆発物使うことは流石にないでしょうし。さっきまでの奇策も無い。逃げる場所なんて無いんだから。だから、真っ向勝負)
先ほどの一撃で骨の何本かは確実に折れているはずだ。だというのに、何故そこまでアリスの目は燦然と輝いているのか。
「でも、その………………人形が………………人形を動かせれば平気よね?十体の人形が十体の人形を動かしたら。何体に………………なるかしら?」
「な!?」
「………………さっきまでも、やってたじゃない」
人形に操られた人形。大本の戦術はアリスが指揮しているのであろうが多少、荒い。しかし、同時に百の攻撃。幽香の視界が人形で埋め尽くされる。それだけではない。視界の外、背後上下全方位からの攻撃。
「チィ!!」
(防ぎきれない!!)
常に一人で戦ってきた。自らの力以外のものなんて、頼る必要すら見当たらなかった。その風見幽香が、確かに押されていた。致命傷には程遠くても、疲労も傷も、溜まっていく。槍に貫かれた左腕は攻撃するのには使えない。
(一旦、引くか?)
アリスに近づこうとすればするほど前方からの攻撃は激しくなる。それは同時に一番危険な背後からの攻撃は薄いということを意味していた。アリスにとっても仕方の無い判断なのだろう。流石の人形遣いと言えど、これだけの数の人形を操るのは極度の集中力を必要とする。十体の人形に補助させているとはいえ、頭を十に分断して思考しているのだ。自らの足を一歩動かすことですらままならないだろう。なにがあっても幽香を近づけさせるわけにはいかなかった。
幽香は驚いていた。アリスにではない。自分に。引く。なんて選択肢が頭に浮かんだ自分に驚いていた。驚きすぎて数撃被弾してしまったほどだ。
「いつから、そんな無様なことを考えるようになってしまったのかしら?………………アハッ、アハハハハハハハハハハッ。なんだか懐かしいわ、こういうの。久しく忘れてた気がする。これが、闘争。これが、戦争。――――防げないなら――――――防がなければいい」
防御を捨てる。言うだけならば簡単だ。
しかし、生き物は、攻撃されたら、反応してしまう。
(だから、なんだ)
そんな普通は風見幽香には似合わない。
遠かったアリスまでの距離、改めてみれば、高々十五歩程度。
一歩歩みを進めた。
背後からの攻撃、見えない位置からの襲撃。全て、無視だ。
同時に背中に攻撃を受けたが致命傷には至らない。
視界に移るもの、全てを破壊する。シンプルな答え。
拳すら握れない左手。
拳が無くなったって、相手に腕という塊をぶつける事くらいは出来る。
頭に鈍器での一撃を喰らい、血が流れる。
顔を伝い口元にまで滴る。
ペロッと舐めると少し美味しいと感じた。懐かしい味だった。
また一歩と歩みは止まらない。
そして、それが、効果を発揮しだした。
アリスは幽香を自分に近づけさせたくない一心から、背後からの攻撃を、止めた。どれだけ攻撃しても進んでくる幽香に恐怖した。人形の壁を張る事しか考えられなくなった。力任せの攻撃を、防ぐことが出来ない。
ただ前進してくるだけの幽香を押し返すことが出来ない。
幽香は気づけばもうアリスの目の前にいた。
そのまま、目の前の人形と共にアリス目掛けて傘を振るう。
アリスは家の壁を突き破って床に叩きつけられた。
「――――っ痛ぅ」
人形をクッションにしても、折れた肋骨に衝撃は響く。
そのアリスの姿を見下ろしながら、幽香はゆっくりと歩みを開始する。
その時、懐かしい匂いを幽香は嗅いだ。
(これは………………鈴蘭?)
見れば窓際にプランターが置いてあり、そこには鈴蘭が咲いていた。
当然、アリスが世話をしているのだろう。決して環境が良いとは言えないが、確かな愛情を持って育てられてきたということは幽香には分かった。
「花を愛でる心くらいはあったのかしら?」
しかし、匂いはそこからだけ発せられているわけではなかった。
幽香からは見えないが、家の裏側。
そこからもっと強い匂いが漂っていた。
(花壇でもあるのかしらね?………………それにしても、何で鈴蘭なんて育てているのかしら?普通の妖怪にとっても、毒でしょうに………………………………メディ、か)
毒がある所でしか動けない人形、メディスン・メランコリー。
(少なくとも、真剣にあの子のことを考えては、いるのね………………………………………………)
しかし、幽香は足を止めない。
「これで、終わりよ!!」
満身創痍の体を叱咤し、駆ける!
「舐めるな!」
アリスは立ち上がることも出来なかったが、それでも人形を繰る。
幽香の傘がアリスの喉元、数ミリの位置で止まる。
「これで、詰みね、人形遣い。アンタが人形を動かすより、傘が喉を突き破るほうが、ずっと速い」
しかし、それと同時にアリスの人形は幽香の周りを完全に取り囲んでいた。アリスの号令と共に、数十の槍が幽香を刺し貫くだろう。中世の拷問器具、鉄の処女を思い浮かべる陣容である。
「へぇ、私が死んだら人形が止まるとでも?貴女が死んだらその傘は動かないけど、一度人形に命令したら、その命令は、消えない。」
どちらかが動いたら、どちらも死ぬ。
「一つ、聞きたいことがあったんだけど、良い?」
緊迫した雰囲気なんて意にも介さず、幽香が問う。
「質問次第では、死ぬわよ」
これ以上、私を怒らせるな、そうアリスの目は語っていた。
「あの毒の丘にいた時、アンタ、マスクも何も付けてなかったけど、どうして?戦い始めて少しの間、まともに体なんて動かなかったんじゃない?」
鈴蘭。普通以下の身体能力のアリスにとっては、毒である。
「貴女は研究のパートナーを訪ねる時にマスクなんて付けていくの?顔を隠して会いに行くの?少なくとも、私はそんな失礼なことはしたくはない」
その答えを幽香がどう聞いたのか、しばらくの間、両者とも何も語らなかった。生暖かい風だけがどうどうと巡る時間を数えていた。
「………………………………ふう」
吐息を吐き出して、幽香が傘を引いた。
その行為にアリスは怪訝な顔をするが、人形は引かない。
「早く、この邪魔な人形をどかしてくれないかしら?私、ちょっと疲れたから帰りたいのだけれど」
幽香が何を言っているのか、アリスには瞬時には理解できなかった。
しかし、少なくとも殺気も何もない相手に、必殺の構えを見せ続けることも出来ず、人形がこてんと落ちる。
「ありがとう。ほら、メディに会いに行くんでしょ?私もちょうど挨拶でもしておこうと思ってたから、一緒に行きましょ」
それどころか幽香はへたり込んでいるアリスに、手まで差し伸べてくる。
「は!?貴女一体、何を言っているの!?」
「どっちかが死ぬまでやりたいの?別に私はもう戦う気は無いのだけれど」
「何!?今ので勝ったつもりなの!?」
「まぁ、負けたつもりもないけどね。良いじゃない。どっちでも。私は楽しかったし。それに、知らなかった?私って平和主義者なのよ?」
「………………………………貴女が折ってくれちゃった肋骨が凄く痛いんだけど」
険しい表情をしながらもアリスは幽香の手を取る。少々乱暴に起こされたアリスは少し呻くが、命に関わるという怪我でもなさそうだった。
「そのくらいすぐ治るじゃない。それより、どうするの。行くの?行かないの?」
アリスは頭を抱え、小さく罵詈雑言を吐く。
「行くわよ………………行くけど、ちょっと待ちなさいよ。壊れた壁とか直させとかなきゃいけないし」
壁の補修と、薬草の準備を命じる。
妖怪にしてみれば、それほどの怪我ではないが、まだ魔法使いになって日が浅いアリスにとって、すぐさま治る程の軽症ではない。
見れば幽香の左手にあいた穴が塞がりかけてきていた。
「化け物め」
「なんか言った?」
「別に………………」
二人が去って、アリスの家では、人形がせっせと壁を直していた。
まるで、それを見守るかのように、鈴蘭が、凛と揺れた。
香霖堂
バトル描写が激しかったです
バトルものは誰がどこに行ったとかどこに何があるとか読んでてワケが解らないままになりがちなんですが、そういうことはなかったです。ただ欲を言えば、通読してどちらにも感情移入できなかった。
また最初からメディスンを軸に対立していればこの終わり方でストンと落ちたと思うんですが、生理的な対立に端を発している描写が強調されており、読後感もイマイチに終わったように思います。点数が低めなのはそのためです。
とはいえひねくれものな二人のこと。深読みしてメディスンの影を裏側に見つけることは容易ですし、そういった描写もあります。なるほどメディスンもなかなか罪な妖怪だ。
余談ですが夏コミでお邪魔しました。愚問史記面白かったです。
しかもその描写がそれぞれのキャラに有っていたから更に楽しめました。
なんというブレインアリス。ごちそうさまでした、すごく面白かったです。
どういう風に動いているのかも大体自然に想像できて違和感を覚えずに読めました
ただ、二人の心理描写がもうちょっと広範だったらよかったかなと思いました
戦っている間の昂りとか次の一手の予測とか、そういうピンポイントな要素に対しては十分には感じましたが、バックグラウンドやメディスンを絡めた二人の感情といったものが今一つ推測できずピンボケな感がありました