※夏の暑い日の一幕。
既出ネタだったら申し訳ありません。
季節柄、何番煎じかとも思いますがぬるく見守っていただけるとありがたく存じます。
「チルノちゃん、今日も紅魔館行くの?」
「んー、アイスもらえるからなー」
「じゃあ私たちも一緒に…あ、リグルきた!」
『夏季熱と人形遣い』
本日の最高気温は三十七・五度。魔法の森周辺気温は三十七度であった。
幻想郷の夏は暑い。特に今年は。魔法の森も例外ではない。
そして、魔法の森に居を構える普通の魔法使いアリス・マーガトロイドは暑いのが苦手である。
いつも涼しい顔をしている彼女は今日も一見涼しげな顔をしていた。
しかしその見た目に反して実は暑さで相当やられていた。
暑くて何もやる気が出ない。気分的な問題だけでなく、身体も不調を訴えていた。
なんとなく身体もだるいし頭が痛い。
対するそのアリスの恋人である風見幽香は、暑さ寒さにはさほど左右されないという、内面的にも外面的にもパーフェクトボディの持ち主であった。
どこぞの橋姫の口癖がついうつる。ああ、妬ましい。主に胸の辺りが。
そしてこの恋人は、言葉やうわべにはあまり示したりしないがアリスに心を寄せいてた。
いや、心だけでなく体も寄せてきていた。かまいたがりのかまわれたがり。
二人でいれば(時に二人きりでなくても)すぐ触れたがる。
好きだから、相手にかまってもらいたい、触れたいというのは至極自然な理屈であり、普段であればアリスもそれを邪険にしつつも甘受してきた。
だがしかし。ここ数日の暑さは異常であった。
最後に幽香に会ったのは一週間とちょっとくらい前、だっただろうか。
そのときはこれほどの暑さではなかった。少し涼しいくらいだったのだ。
久方ぶりの逢瀬ではあるが、暑くてなるべく体温が上がるようなことは避けたい。
しかし暑さなどには頓着しないのがこの妖怪である。
今も、口数が少なくなったアリスにお構いなしにコアラのこどもよろしく背中にはりついている。
ちなみに場所はリビングのソファの上。幽香の膝の上にアリスが座らされている。
人の気も知らずにアリスを後ろから抱きしめ、好きなようにじゃれている。
アリスが幽香とつきあいはじめたのは、昨年の秋のはじめごろである。
だから今年は二人にとって初めての夏とも言える。
もともと暑いのも他人の熱も苦手なアリスである。
幽香に対しては(半ば無理やり)慣らされてきたとはいえ、これほどの暑さの中誰かと触れ合っているというのは初の体験だった。
家の中だしかまわないだろうと、アリスはいつも来ている青い上着は着ていない。
シャツ一枚に下も薄手のハーフパンツという格好だ。それでも暑い。
幽香はいつもどおりの格好。だというのにそこまで暑がってはいない。
やはり基礎体力やら鍛え方が違うのだろうか。
「ねぇ幽香…暑いからちょっと離れて」
「なんで?」
「暑いって言ってるでしょ……」
「ふーん」
普段であれば人形のメンテナンスや服作りなど、作業中だから邪魔するなと引き剥がすこともできるのだが今は暑くて何もする気がおきない。
何もしていないアリスにはひっついても良いという図式が成り立っているのか、好都合とばかりに幽香は一向に離れない。
アリスの言い分はスルーすることに決めたようだ。
ふーんじゃないわよ、と苛立ちを覚えつつも、もはや抵抗する気力もない。
ダルい。余計な体力は使いたくない。暑い。暑い。
三十分は耐えた。が、限界だった。
幽香が来る前からあまり優れなかった気分がさらに悪化していた。
身体のダルさと頭痛に加え、吐き気もしてきた。
暑い。暑い。暑い。あつい。
アリスの頭の中にはその三文字しかなかった。このままでは危険だ。
人間ではないから死ぬことはないだろうが、人間だったら死んでしまうのが夏の暑さなのである。
自分の身体に絡みつく腕をほどき、立ち上がる。
気分の悪さを堪えて、やっとで声を絞り出す。
「……悪いけど、暑いから、気分悪いの。くっつくの、きんし」
そのままふらふらと途中ぶつかりながらも家の中を歩き寝室へ、そしてベッドに倒れこむように横たわる。
じゃあ私もとばかりに、もそもそ入り込んでこようとする幽香に力の入らない手を動かして留め、言う。
「……ほんとにきもち、悪いの。お願い、だから……ちょっと休ませて」
言うと、アリスはぐったりと寝込んでしまった。
どうしよう。
ベッドサイドで内心オロオロするは、体調不良になど記憶の限り一度もなったことのない健康優良児な四季のフラワーマスター。
なにせ暑さで具合が悪くなったことはもちろん、熱を出したことさえない。風邪などもってのほか、である。
苦しそうなアリスの顔に触れて自分よりも大分熱いことに今更ながら気付いた。
首元にも触れようとして、手が止まる。そういえばくっつくの禁止と言われたのだった。
それは触れるのも駄目なのだろうか。
時にまったく守られない「お願い」もあるが、基本アリスの「お願い」は幽香にとっては「絶対」だ。
出しかけていた手を引っ込めて、十分ほどアリスを見つめていたがそれでも起きない。
苦しそうな顔もよくならない。暑くて気持ち悪くなるものなのね、と一人ごちる。
心配そうにアリスの上空をあわあわと旋回していた上海に小声で、ちょっと出かけるからよろしくね、と声をかけると幽香は部屋を出て行った。
花の香りがする。今日の香りはくちなし?甘い…
ああもう、くっつくの禁止って言ったのに。
我慢できるようなヤツじゃなかったわね。まったく……
でもなんだかひんやりする……。
気持ちいい。
夢うつつから不思議を感じて現実に戻る。
目の前には、壁と窓と窓枠に置いた一輪挿しと本が数冊。
そしてやはり花のにおい。花のにおいはかの恋人の香り。
毎回何がしかの花のにおいをまとっている。
自分の身体を見れば、幽香の腕が巻きついている。
後ろを伺うと、いつもの緑のふわふわした髪の毛が見える。
いつもの、目覚めの光景。
だけれど、なんだか幽香の寝顔がいつもより遠い気がする。
普段ならもっとアリスにべったりなのに。
疑問に思って身を起こそうとすると、なにかがズルリとアリスの背中からはがれた。
「あぢい……」
さらに、アリスのものでも幽香のものでもない幼い声がした。
「……ぇ?って、チルノッ!?」
幼い氷精が顔を真っ赤にしてぐったりしていた。
「チルノ!ちょっとチルノ大丈夫!?」
慌てて声をかける。
聞くまでもない、非情な花の妖怪に捕らわれてアイスノン代わりにさせられたのだろう。
しかもこの暑さの中、二人に挟まれるなどいくら氷精とはいえ不憫すぎる。
だいたいにして、なんで幽香までひっついているのだ。
アリスを冷やすためならいないほうが良い。
くっつくのは禁止といったのに。まったくそこまでする?
幽香の場合アリスのためなのか自分のためかイマイチわからない。
しかし今回はチルノには気の毒だがおかげでアリスの調子は大分良くなった。
快適すぎて良い夢まで見ていた。
その恩恵を与えてくれたチルノの頬をぺちぺちと軽く叩いて呼ぶ。
回復力が高いのかはたまたサンド状態が解消されたせいか、すぐにチルノの顔から赤みは引き、目が開いた。
「お?」
パチパチとまばたきしている。よかった、無事なようだ。
チルノの丈夫さにアリスはホッと胸をなでおろした。
なにせここにはチルノを冷やしてやれるものなど何もない。
「あ!アリス起きた!!」
「ええ、チルノのおかげだわ。ありがとう」
「いいんだ、あたいの仕事だから!」
「は?しごと?」
意味がわからない。
仕事って……無理やり連れてこられたのだと思っていたのだが違うのだろうか。
思わぬ闖入者により一気に目が覚めたアリスとは対照的にぼんやりした顔の幽香に視線を向ける。
幽香はアリスに視線を定めると、手を伸ばしてアリスの額に触れる。
自分の額と合わせ、熱を確かめるような動作をする。
たぶんアリスだけに聞こえた安堵のため息と、今の状況がまず間違いなく目の前の緑の髪の妖怪のおかげ(仕業?)であることは間違いないので、アリスはチルノの視線を気にしつつも幽香のなすがままになっていた。
が、そのまま唇が近づいてきたので慌てて身を引く。
「ちょ、チルノがいるでしょ!なに考えてんの!」
幽香は今気付いた、というふうにチルノと目を合わせるとにっこりと笑った。
「……チルノ、ちょっと私がいいって言うまで目をつぶっててくれる?」
「いいぞー、でもどれくらいだ?」
「え、ちょ、なにい」
「一分くらいよ」
「いっぷんってどれくらいだ?」
「十を六回数えるのよ」
「十を六回だな、わかった!いーちにー」
「ありがと。さ、これでいいでしょう」
「いいわけないでむがっ」
「んー?・・・ごーぉろーく、しーちはーち」
「ん…っ」
口づけにより抗議の声は遮られ、せっかく涼しかった体温が一気に上がった気がした。
チルノの数を数える声が余計羞恥をあおられる。
約束どおり目は開けないだろうけど、見られてないからといって何をしててもいいわけじゃないだろう。
いくら相手がチルノとはいえ悟られやしないかと心がざわめく。
「きゅー」
チルノの声にハッとして幽香の肩をバシバシ叩く。
やっと離れた。チルノはまた一から数えていた。
まだ六回目ではなかったのだろう。乱れた息が中々整わない。
わなわなと幽香を睨みつけるしか出来ないままチルノがじゅう!と勢いよく言って目を開けた。
「いっぷん数えた!」
「ありがとね、チルノ」
幽香がまた微笑んでチルノの頭を撫でている。
息一つ乱れてないのがこれまた癪に障る。
アリスが何も言わないのを不思議に思ったか、チルノの視線が幽香からアリスに移る。
「あれ?アリス口に赤いのついてるぞ?ゆーかと同じいろ…」
「あああああああ!」
「あ、アリス?どーしたんだ?」
「チルノ!冷やしてくれてありがとう!助かったわ!!でもね、まだちょっと眠いから幽香と一緒に外に行ってくれる?っていうか、とにかく幽香は出てけ!!」
本日二度目の限界だった。
動かせる限りの人形たちを総動員して妖怪と妖精を家から追い出した。
アリスの不調を前にして幽香がとった行動はもちろん助かったが、そもそも離れろと言っているのに離れなかった幽香にも責任がないとは言えない。
自分がアリスに触れるためにチルノを連れて来たのだとしたら、この後にも似たようなことが続くと予想される。
これ以上チルノの前で幽香と一緒にいるのは危険すぎた。
それにしても幽香は自業自得だがチルノは正直不憫すぎる気がした。
なにやら「仕事」と言っていたがこの暑い中、劣悪な環境でアリスを冷やしてくれたのだ。
この時期引っ張りだこだろうに。
しかしチルノの純粋な疑問にいちいち答えられるわけがなかった。
幽香に期待は出来ない。アリスがしどろもどろする羽目になるのは目に見えている。
チルノが自分を犠牲にしてまで冷気を放出していてくれたおかげで部屋はまだひんやりしている。
おそらく外はこんなに涼しくないだろう。
もう一眠りして、落ち着いたら改めてチルノにはお礼をしよう。
シャツの袖で口を拭うとチルノの言った通り赤い色がついていた。
幽香のつけていた口紅だろう。
はぁ、と大きくため息をついて、アリスは再びベッドに倒れこんだ。
アリスが不貞寝をはじめた頃、紅魔湖へ向かう道の途中では花の妖怪と氷の妖精が手をつないで歩いていた。
「なんかアリス怒ってたな」
「そうね」
「でも元気になったみたいだ。よかったな!」
「……そうね。本当にチルノのおかげだわ。ありがとう」
「んひひっ。ゆーかの頼みだからな!」
照れたように嬉しそうに氷精はつないだ手をぶんぶん振りながら言う。
それに優しく微笑んで、幽香が返す。
「そのうち、アリスが夕ご飯に招待してくれるわ」
「ほんとかっ」
「ええ、きっと」
「ひひっ、楽しみだ!」
紅魔湖が見えた。
夕暮れの赤みが差しはじめた空の下、湖にその赤が映えて、とても綺麗だった。
チルノに気付いた大妖精が手を振っている。
それを機にして幽香はチルノと別れた。
三日後、暑さに慣れたか大分復調したアリスがチルノを訪ねて紅魔湖にやってきた。
チルノはバシャバシャと水浴びをしていた。
そばには大妖精をはじめいつものメンツが一緒にいた。
あまり大勢の前では話したくなかった(チルノの口から何が飛び出すかわからない)ので、チルノだけ呼び出した。
「こんにちは、チルノ。三日前はありがとうね」
「みっかまえ…?なんかあったっけ?」
「えーと、幽香と一緒に……その、冷やしてくれたでしょ」
「ああ!あれか!いいんだ、あれはあたいの仕事だから!!」
「……前も言ってたけど、仕事ってどういうこと?」
「ゆーかが言ったんだ!あなたにしか頼めない仕事だって。ゆーかになにか頼まれたのは初めてだからな。あたいはぜったい手伝うって決めた」
「…チルノは、幽香のこと好きなの?」
「うん、大好きだ!!」
邪気のない笑顔で素直に言うチルノの言葉を、アリスは意外な思いで聞いていた。
こんな小さな子に好かれてるとは思わなかった。
あんな意地悪ないじめっ子を自分以外に好いてるものがいるとは驚いた。
「それに、ゆーかはやさしい!みんな夏はいいけど、冬はあたいに近寄るなっていう。さびしいけど、あたいの周りは寒いから仕方ない。でもゆーかは冬でもあたいがくっついてもやな顔しない!レティみたいにぎゅってしてくれる」
「……」
「あたいはゆーかに冬以外も世話になってるのになにも返せなかった。返さなくてもゆーかは嫌な顔しないけど。でもこの前はゆーかが困った顔して言ったんだ。すごくすごく大事な人がくるしんで困ってるから助けてほしいって。だからあたいはゆーかの大事なアリスも大好きだ。元気になってよかった!」
ヒヒッと笑って言い切るチルノにアリスも自然と笑みがこぼれてしまう。
その上今しがた聞いたいろいろが、心の中をあたたかくしていた。
幽香が人に頼みごとをするのが苦手なことは知っている。基本的に実力行使でお願いという名の強制が多い。
今回はなにしろ力の弱い妖精が相手なのだ。強引に拉致してそのまま有無も言わさずアイスノンにしたのだと思っていた。
だから今日は、感謝とお詫びをしようと思っていたのだ。幽香の代わりに。それがどっこい思わぬ話だった。
どうやら幽香がアリスのことを本当に心配してチルノにお願いしていたこと。
チルノに無体なことは一つもしていないこと。
それどころか、チルノにはとても慕われているのだということ。
チルノとはきちんとした友情らしきものでつながっているとは。
新たな一面を知った。いろんな意味を込めてチルノに伝える。
「ありがと、チルノ」
「もういいって!」
またヒヒッと笑ってチルノが首を振る。
アリスもつられて一緒に笑ってから、本来の目的を思い出す。
「そうだ、チルノ。感謝の印に今日の夕食に招待したいんだけど、どう?」
「お!ゆーかの言ったとおりだ!!いくぞ!いくいく!!」
「む、なんかおもしろくないわね…アイツ誘うのやめようかしら」
「なんで!ゆーかもいっしょがいい!!」
「ハイハイ。じゃあその幽香さんを探しに行きましょうか。他の子達の分は今日はないから悪いけどまた今度ね」
「わかった!じゃあみんなにバイバイしてくる!」
「ん」
今の時期はやはり向日葵畑にいるだろう。
今日はチルノが一緒だから、暑さで参ってしまうことはない。
ゆっくりお花見をしながら探すとしよう。
戻ってきたチルノと手を繋いで、紅魔湖を後にした。
End
既出ネタだったら申し訳ありません。
季節柄、何番煎じかとも思いますがぬるく見守っていただけるとありがたく存じます。
「チルノちゃん、今日も紅魔館行くの?」
「んー、アイスもらえるからなー」
「じゃあ私たちも一緒に…あ、リグルきた!」
『夏季熱と人形遣い』
本日の最高気温は三十七・五度。魔法の森周辺気温は三十七度であった。
幻想郷の夏は暑い。特に今年は。魔法の森も例外ではない。
そして、魔法の森に居を構える普通の魔法使いアリス・マーガトロイドは暑いのが苦手である。
いつも涼しい顔をしている彼女は今日も一見涼しげな顔をしていた。
しかしその見た目に反して実は暑さで相当やられていた。
暑くて何もやる気が出ない。気分的な問題だけでなく、身体も不調を訴えていた。
なんとなく身体もだるいし頭が痛い。
対するそのアリスの恋人である風見幽香は、暑さ寒さにはさほど左右されないという、内面的にも外面的にもパーフェクトボディの持ち主であった。
どこぞの橋姫の口癖がついうつる。ああ、妬ましい。主に胸の辺りが。
そしてこの恋人は、言葉やうわべにはあまり示したりしないがアリスに心を寄せいてた。
いや、心だけでなく体も寄せてきていた。かまいたがりのかまわれたがり。
二人でいれば(時に二人きりでなくても)すぐ触れたがる。
好きだから、相手にかまってもらいたい、触れたいというのは至極自然な理屈であり、普段であればアリスもそれを邪険にしつつも甘受してきた。
だがしかし。ここ数日の暑さは異常であった。
最後に幽香に会ったのは一週間とちょっとくらい前、だっただろうか。
そのときはこれほどの暑さではなかった。少し涼しいくらいだったのだ。
久方ぶりの逢瀬ではあるが、暑くてなるべく体温が上がるようなことは避けたい。
しかし暑さなどには頓着しないのがこの妖怪である。
今も、口数が少なくなったアリスにお構いなしにコアラのこどもよろしく背中にはりついている。
ちなみに場所はリビングのソファの上。幽香の膝の上にアリスが座らされている。
人の気も知らずにアリスを後ろから抱きしめ、好きなようにじゃれている。
アリスが幽香とつきあいはじめたのは、昨年の秋のはじめごろである。
だから今年は二人にとって初めての夏とも言える。
もともと暑いのも他人の熱も苦手なアリスである。
幽香に対しては(半ば無理やり)慣らされてきたとはいえ、これほどの暑さの中誰かと触れ合っているというのは初の体験だった。
家の中だしかまわないだろうと、アリスはいつも来ている青い上着は着ていない。
シャツ一枚に下も薄手のハーフパンツという格好だ。それでも暑い。
幽香はいつもどおりの格好。だというのにそこまで暑がってはいない。
やはり基礎体力やら鍛え方が違うのだろうか。
「ねぇ幽香…暑いからちょっと離れて」
「なんで?」
「暑いって言ってるでしょ……」
「ふーん」
普段であれば人形のメンテナンスや服作りなど、作業中だから邪魔するなと引き剥がすこともできるのだが今は暑くて何もする気がおきない。
何もしていないアリスにはひっついても良いという図式が成り立っているのか、好都合とばかりに幽香は一向に離れない。
アリスの言い分はスルーすることに決めたようだ。
ふーんじゃないわよ、と苛立ちを覚えつつも、もはや抵抗する気力もない。
ダルい。余計な体力は使いたくない。暑い。暑い。
三十分は耐えた。が、限界だった。
幽香が来る前からあまり優れなかった気分がさらに悪化していた。
身体のダルさと頭痛に加え、吐き気もしてきた。
暑い。暑い。暑い。あつい。
アリスの頭の中にはその三文字しかなかった。このままでは危険だ。
人間ではないから死ぬことはないだろうが、人間だったら死んでしまうのが夏の暑さなのである。
自分の身体に絡みつく腕をほどき、立ち上がる。
気分の悪さを堪えて、やっとで声を絞り出す。
「……悪いけど、暑いから、気分悪いの。くっつくの、きんし」
そのままふらふらと途中ぶつかりながらも家の中を歩き寝室へ、そしてベッドに倒れこむように横たわる。
じゃあ私もとばかりに、もそもそ入り込んでこようとする幽香に力の入らない手を動かして留め、言う。
「……ほんとにきもち、悪いの。お願い、だから……ちょっと休ませて」
言うと、アリスはぐったりと寝込んでしまった。
どうしよう。
ベッドサイドで内心オロオロするは、体調不良になど記憶の限り一度もなったことのない健康優良児な四季のフラワーマスター。
なにせ暑さで具合が悪くなったことはもちろん、熱を出したことさえない。風邪などもってのほか、である。
苦しそうなアリスの顔に触れて自分よりも大分熱いことに今更ながら気付いた。
首元にも触れようとして、手が止まる。そういえばくっつくの禁止と言われたのだった。
それは触れるのも駄目なのだろうか。
時にまったく守られない「お願い」もあるが、基本アリスの「お願い」は幽香にとっては「絶対」だ。
出しかけていた手を引っ込めて、十分ほどアリスを見つめていたがそれでも起きない。
苦しそうな顔もよくならない。暑くて気持ち悪くなるものなのね、と一人ごちる。
心配そうにアリスの上空をあわあわと旋回していた上海に小声で、ちょっと出かけるからよろしくね、と声をかけると幽香は部屋を出て行った。
花の香りがする。今日の香りはくちなし?甘い…
ああもう、くっつくの禁止って言ったのに。
我慢できるようなヤツじゃなかったわね。まったく……
でもなんだかひんやりする……。
気持ちいい。
夢うつつから不思議を感じて現実に戻る。
目の前には、壁と窓と窓枠に置いた一輪挿しと本が数冊。
そしてやはり花のにおい。花のにおいはかの恋人の香り。
毎回何がしかの花のにおいをまとっている。
自分の身体を見れば、幽香の腕が巻きついている。
後ろを伺うと、いつもの緑のふわふわした髪の毛が見える。
いつもの、目覚めの光景。
だけれど、なんだか幽香の寝顔がいつもより遠い気がする。
普段ならもっとアリスにべったりなのに。
疑問に思って身を起こそうとすると、なにかがズルリとアリスの背中からはがれた。
「あぢい……」
さらに、アリスのものでも幽香のものでもない幼い声がした。
「……ぇ?って、チルノッ!?」
幼い氷精が顔を真っ赤にしてぐったりしていた。
「チルノ!ちょっとチルノ大丈夫!?」
慌てて声をかける。
聞くまでもない、非情な花の妖怪に捕らわれてアイスノン代わりにさせられたのだろう。
しかもこの暑さの中、二人に挟まれるなどいくら氷精とはいえ不憫すぎる。
だいたいにして、なんで幽香までひっついているのだ。
アリスを冷やすためならいないほうが良い。
くっつくのは禁止といったのに。まったくそこまでする?
幽香の場合アリスのためなのか自分のためかイマイチわからない。
しかし今回はチルノには気の毒だがおかげでアリスの調子は大分良くなった。
快適すぎて良い夢まで見ていた。
その恩恵を与えてくれたチルノの頬をぺちぺちと軽く叩いて呼ぶ。
回復力が高いのかはたまたサンド状態が解消されたせいか、すぐにチルノの顔から赤みは引き、目が開いた。
「お?」
パチパチとまばたきしている。よかった、無事なようだ。
チルノの丈夫さにアリスはホッと胸をなでおろした。
なにせここにはチルノを冷やしてやれるものなど何もない。
「あ!アリス起きた!!」
「ええ、チルノのおかげだわ。ありがとう」
「いいんだ、あたいの仕事だから!」
「は?しごと?」
意味がわからない。
仕事って……無理やり連れてこられたのだと思っていたのだが違うのだろうか。
思わぬ闖入者により一気に目が覚めたアリスとは対照的にぼんやりした顔の幽香に視線を向ける。
幽香はアリスに視線を定めると、手を伸ばしてアリスの額に触れる。
自分の額と合わせ、熱を確かめるような動作をする。
たぶんアリスだけに聞こえた安堵のため息と、今の状況がまず間違いなく目の前の緑の髪の妖怪のおかげ(仕業?)であることは間違いないので、アリスはチルノの視線を気にしつつも幽香のなすがままになっていた。
が、そのまま唇が近づいてきたので慌てて身を引く。
「ちょ、チルノがいるでしょ!なに考えてんの!」
幽香は今気付いた、というふうにチルノと目を合わせるとにっこりと笑った。
「……チルノ、ちょっと私がいいって言うまで目をつぶっててくれる?」
「いいぞー、でもどれくらいだ?」
「え、ちょ、なにい」
「一分くらいよ」
「いっぷんってどれくらいだ?」
「十を六回数えるのよ」
「十を六回だな、わかった!いーちにー」
「ありがと。さ、これでいいでしょう」
「いいわけないでむがっ」
「んー?・・・ごーぉろーく、しーちはーち」
「ん…っ」
口づけにより抗議の声は遮られ、せっかく涼しかった体温が一気に上がった気がした。
チルノの数を数える声が余計羞恥をあおられる。
約束どおり目は開けないだろうけど、見られてないからといって何をしててもいいわけじゃないだろう。
いくら相手がチルノとはいえ悟られやしないかと心がざわめく。
「きゅー」
チルノの声にハッとして幽香の肩をバシバシ叩く。
やっと離れた。チルノはまた一から数えていた。
まだ六回目ではなかったのだろう。乱れた息が中々整わない。
わなわなと幽香を睨みつけるしか出来ないままチルノがじゅう!と勢いよく言って目を開けた。
「いっぷん数えた!」
「ありがとね、チルノ」
幽香がまた微笑んでチルノの頭を撫でている。
息一つ乱れてないのがこれまた癪に障る。
アリスが何も言わないのを不思議に思ったか、チルノの視線が幽香からアリスに移る。
「あれ?アリス口に赤いのついてるぞ?ゆーかと同じいろ…」
「あああああああ!」
「あ、アリス?どーしたんだ?」
「チルノ!冷やしてくれてありがとう!助かったわ!!でもね、まだちょっと眠いから幽香と一緒に外に行ってくれる?っていうか、とにかく幽香は出てけ!!」
本日二度目の限界だった。
動かせる限りの人形たちを総動員して妖怪と妖精を家から追い出した。
アリスの不調を前にして幽香がとった行動はもちろん助かったが、そもそも離れろと言っているのに離れなかった幽香にも責任がないとは言えない。
自分がアリスに触れるためにチルノを連れて来たのだとしたら、この後にも似たようなことが続くと予想される。
これ以上チルノの前で幽香と一緒にいるのは危険すぎた。
それにしても幽香は自業自得だがチルノは正直不憫すぎる気がした。
なにやら「仕事」と言っていたがこの暑い中、劣悪な環境でアリスを冷やしてくれたのだ。
この時期引っ張りだこだろうに。
しかしチルノの純粋な疑問にいちいち答えられるわけがなかった。
幽香に期待は出来ない。アリスがしどろもどろする羽目になるのは目に見えている。
チルノが自分を犠牲にしてまで冷気を放出していてくれたおかげで部屋はまだひんやりしている。
おそらく外はこんなに涼しくないだろう。
もう一眠りして、落ち着いたら改めてチルノにはお礼をしよう。
シャツの袖で口を拭うとチルノの言った通り赤い色がついていた。
幽香のつけていた口紅だろう。
はぁ、と大きくため息をついて、アリスは再びベッドに倒れこんだ。
アリスが不貞寝をはじめた頃、紅魔湖へ向かう道の途中では花の妖怪と氷の妖精が手をつないで歩いていた。
「なんかアリス怒ってたな」
「そうね」
「でも元気になったみたいだ。よかったな!」
「……そうね。本当にチルノのおかげだわ。ありがとう」
「んひひっ。ゆーかの頼みだからな!」
照れたように嬉しそうに氷精はつないだ手をぶんぶん振りながら言う。
それに優しく微笑んで、幽香が返す。
「そのうち、アリスが夕ご飯に招待してくれるわ」
「ほんとかっ」
「ええ、きっと」
「ひひっ、楽しみだ!」
紅魔湖が見えた。
夕暮れの赤みが差しはじめた空の下、湖にその赤が映えて、とても綺麗だった。
チルノに気付いた大妖精が手を振っている。
それを機にして幽香はチルノと別れた。
三日後、暑さに慣れたか大分復調したアリスがチルノを訪ねて紅魔湖にやってきた。
チルノはバシャバシャと水浴びをしていた。
そばには大妖精をはじめいつものメンツが一緒にいた。
あまり大勢の前では話したくなかった(チルノの口から何が飛び出すかわからない)ので、チルノだけ呼び出した。
「こんにちは、チルノ。三日前はありがとうね」
「みっかまえ…?なんかあったっけ?」
「えーと、幽香と一緒に……その、冷やしてくれたでしょ」
「ああ!あれか!いいんだ、あれはあたいの仕事だから!!」
「……前も言ってたけど、仕事ってどういうこと?」
「ゆーかが言ったんだ!あなたにしか頼めない仕事だって。ゆーかになにか頼まれたのは初めてだからな。あたいはぜったい手伝うって決めた」
「…チルノは、幽香のこと好きなの?」
「うん、大好きだ!!」
邪気のない笑顔で素直に言うチルノの言葉を、アリスは意外な思いで聞いていた。
こんな小さな子に好かれてるとは思わなかった。
あんな意地悪ないじめっ子を自分以外に好いてるものがいるとは驚いた。
「それに、ゆーかはやさしい!みんな夏はいいけど、冬はあたいに近寄るなっていう。さびしいけど、あたいの周りは寒いから仕方ない。でもゆーかは冬でもあたいがくっついてもやな顔しない!レティみたいにぎゅってしてくれる」
「……」
「あたいはゆーかに冬以外も世話になってるのになにも返せなかった。返さなくてもゆーかは嫌な顔しないけど。でもこの前はゆーかが困った顔して言ったんだ。すごくすごく大事な人がくるしんで困ってるから助けてほしいって。だからあたいはゆーかの大事なアリスも大好きだ。元気になってよかった!」
ヒヒッと笑って言い切るチルノにアリスも自然と笑みがこぼれてしまう。
その上今しがた聞いたいろいろが、心の中をあたたかくしていた。
幽香が人に頼みごとをするのが苦手なことは知っている。基本的に実力行使でお願いという名の強制が多い。
今回はなにしろ力の弱い妖精が相手なのだ。強引に拉致してそのまま有無も言わさずアイスノンにしたのだと思っていた。
だから今日は、感謝とお詫びをしようと思っていたのだ。幽香の代わりに。それがどっこい思わぬ話だった。
どうやら幽香がアリスのことを本当に心配してチルノにお願いしていたこと。
チルノに無体なことは一つもしていないこと。
それどころか、チルノにはとても慕われているのだということ。
チルノとはきちんとした友情らしきものでつながっているとは。
新たな一面を知った。いろんな意味を込めてチルノに伝える。
「ありがと、チルノ」
「もういいって!」
またヒヒッと笑ってチルノが首を振る。
アリスもつられて一緒に笑ってから、本来の目的を思い出す。
「そうだ、チルノ。感謝の印に今日の夕食に招待したいんだけど、どう?」
「お!ゆーかの言ったとおりだ!!いくぞ!いくいく!!」
「む、なんかおもしろくないわね…アイツ誘うのやめようかしら」
「なんで!ゆーかもいっしょがいい!!」
「ハイハイ。じゃあその幽香さんを探しに行きましょうか。他の子達の分は今日はないから悪いけどまた今度ね」
「わかった!じゃあみんなにバイバイしてくる!」
「ん」
今の時期はやはり向日葵畑にいるだろう。
今日はチルノが一緒だから、暑さで参ってしまうことはない。
ゆっくりお花見をしながら探すとしよう。
戻ってきたチルノと手を繋いで、紅魔湖を後にした。
End
だか今の俺に必要なのは気化熱による冷却。おお暑い熱い。
それにしても幽香の情緒面が赤ん坊並みとな? 言われてみれば確かにこの作品ではそんな感じですね。
とても可愛らしい反面、むずがった時を想像すると恐怖がハンパないッス。
アリスと幽香、+チルノによる愛のマッチポンプ、楽しく読ませて頂きました。
幽香とアリスってのも中々乙なもので。
どうでもいいけど漢数字で小数点を表す時は「三十七・五度」とした方が良いようです。
そうか、冬は近寄るなって言われるのか。不憫な。
幽香いいやつだな。
オロオロしてるところがかわいすぎてやばい