死ぬこと八度。
生きること九度。
先代までの記憶は定かでない所も多いが、一応貧弱者は貧弱者なりに、多くの妖怪と向き合ってきたとは思う。それこそ命がけで妖怪と対峙するような修羅場も、少なくない数をくぐってきた。幻想郷の人間に妖怪の生態と対処法を伝える『幻想郷縁起』は、まさに代々の御阿礼の子たちの血と汗と涙にまみれた戦いの結晶である。
そして現在。
御阿礼の子の九代目であるところの私、稗田阿求ももちろん、先代までと同じく『幻想郷縁起』を編纂する役目を担うこととなるのであるが。
ぶっちゃけ先代ほどの苦労はないと思う。
過去の幻想郷は、今よりもずっと人間と妖怪の対立が激しく、それはそれは殺伐としていた。今のように人里で妖怪が買い物をする光景など、これまでの私が生きた時代では考えられなかったくらいだ。いい時代になったものである。それはひとえにかつての博麗の巫女、先見の明があった人妖、それにまあ、もしかしたら先代までの私の尽力の賜物なのかもしれないが、私のプチ自慢を交えた歴史の講釈はともかく。
要するに『幻想郷縁起』九刷目の編纂には、少なくとも命に関わる危険は無縁であろうということだ。
内心は別として、実際に人間に危害を加えようとする妖怪はほとんどいないし、あまつさえ妖怪の方から取材をせがんでくることもあるほどだ。
さすがに百パーセント安全とタカをくくるほど暢気ではないが、死の危険と隣り合わせの仕事は想定していないというのが本当のところだ。事実、九刷目の編纂作業において、今のところ身の危険を感じたことはない。自分勝手な妖怪がほとんどだから精神的には疲れてしょうがないが、それは贅沢な悩みというものだろう。
まあ今代は今までの苦労の分、楽をさせてもらうと決めていた。そんな暢気な考えが許されるなんて、つくづくいい時代になったものである。死の危険と隣り合わせの仕事はもうこりごり。私は大好きな紅茶でも飲みながら、優雅に仕事に励むのだ!
「その、はずなんですがね……」
「あら、どうかしましたか。ため息など吐いて」
前置きが長くなった。
なぜ私が、だらけ切ったダメな方向への決意を再確認しているかというと、それは私がまさに死の危険と隣合わせの仕事に臨まんとしているからに他ならない。要は現実逃避である。
「ああ、これからの仕事のことですか。それならご安心を。貴方の身の安全はこの私が保障しますよ」
先を案じる私に余裕と自信を滲ませた貫録の笑みを向ける同行者。
「もちろん貴方のことは信用していますよ、永琳さん」
道中を共にする彼女は八意永琳。凄腕の薬師と名高い彼女には、今回の仕事の補助をお願いした。
これから私が取材に向かう場所は、私のような貧弱者をもれなく三途の河遊覧ツアーに招いてくれるという粋なスポットなので、薬のスペシャリストである彼女の力を頼ったというわけである。
「してはいるのですが、何分根っからの虚弱体質でして」
「それはそれは。まあ虚弱云々はもはや関係ない気はしますがね、これから向かう場所を考えると。例え健康優良児が束で掛かっても、場合によっては数分かからず死神さんのお世話になるかも」
涼しい表情でさらっと怖いことを言うパートナー。そこまでの魔境だったかあそこ。永琳さんが大げさに言った冗談だと思いたいのだが、いかんせん今の私には、決定的にポジティブ思考が欠けていた。
「うう、不安を煽るようなこと言わないでくださいよぅ……」
「ですからそうならないために私を頼ってくれたのでしょう? 大船に乗った気でいてくれればいいわ」
私としてはその大船が三途の川を渡る羽目にならないよう祈るしかない。
「そもそも、そんなに命が惜しいならわざわざ藪をつつくような真似はよせばいいのでは?」
永琳さんはナンマンダブと手を合わせる私に至極真っ当な質問を投げかける。
私は顔が青くなっているのを自覚しながら、それでも精一杯ポジティブさをかき集めて答えた。
「いえ、そういうわけにもいきません。もし私が危険を恐れて仕事を放棄したとして、次に危険にさらされるのは他ならぬ幻想郷に生きる人間たちです。そんな事態を招いたら、それこそ先代までの私に顔向けできません」
そう、これは御阿礼の子の矜持の問題でもある。たとえ火の中水の中スキマの中。未知の妖怪がいると聞けば、私は幻想郷のどこにだって飛んでいってみせる。フラワーマスターのスカートの中とかは命に関わるので遠慮願いたいところであるが。
「なるほど、素晴らしい使命感です」
真顔で頷く永琳さん。私の仕事に向ける情熱が伝わったようで何よりだ。
「いや、まったく。その使命感の前では、貴方の膝が大爆笑している事実など些細なことだというものです」
「うぐ……」
くっ、静まれ私の膝小僧! お前の笑いの沸点はそんなに低くないだろう!
「コホン。とにかく、こたびのご協力には感謝します、永琳さん」
聞かん坊の膝をなだめつつ、私は遅ればせながら礼を言う。
永琳さんはそれをあくまで涼しげな顔で受け取った。
「お構いなく。私もかの妖怪には興味がありますから」
「興味?」
「ええ、不肖の弟子から中々面白い話を聞きまして」
顎に手を添えながら薄く笑う彼女の瞳は、見慣れた輝きを宿していた。あれは、そう、好奇心。御阿礼の子には漏れなく備わっている、武器にも厄介のタネにもなり得るものだ。つまるところ私と同類。二つ返事で引き受けてくれるわけだ。
「断られるものとばかり思ってましたからね。私としては大助かりです」
「それはそれは」
「その上無償で引き受けてくれるなんて」
「待ちなさい。さすがの私もそんなサービス精神を持った覚えはないわ」
「無償で引き受けてくれるなんて」
「ゴリ押し。このいきなりすぎるたくましさ、伊達に何回も生きたり死んだりしてないというわけね」
和やかな会話という体裁を繕った言質の取り合いをしつつ、私たちは目的の場所へ歩を進めた。
無名の丘。
そう遠くない過去において、子どもの間引きが行われていた曰くつきの場所である。
幻想郷の暗い歴史の象徴とも言えるこの場所に近づく者は人妖問わずほとんどいない。
そしてそういった感情論を抜きにしても、我々人間が物理的に近づけない理由が、そこにはあった。
「綺麗な場所ね」
涼しい顔をした永琳さんのセリフも、どこか空々しさを感じさせるものだった。
「……そうですね」
辺り一面の鈴蘭。
目の前に広がる一見華やかなこの風景は、それ自体が命を刈り取る毒として機能する恐ろしい代物だ。
「体調はいかがですか? 阿求さん」
道中静かなる死闘を繰り広げた私を気遣うように、私を見下ろす永琳さん。この辺りの切り替えはさすがの貫録というべきである。
「はい、おかげさまで何ともないみたいです」
永琳さんが調合した特別性の薬を飲んだおかげで、病弱っ娘である私もなんとか取材に臨むことができる。
ただ気になる点が一つ。
「でも永琳さん。この薬にも副作用があるんですよね。大したものではないとの話ですからもう飲んじゃいましたけど」
どんな副作用でも、命を投げ出すよりはマシだろう。永琳さんは私を安心させるように朗らかに笑いながら答えた。
「大丈夫。おっしゃる通り、まったく大したものではありませんよ」
「そうですか、良かった。で、具体的には?」
「まあ明日から二、三日膝が笑い転げる程度のものです」
どうしよう、あんまり笑えない副作用だ。私の泣き顔などお構いなしに笑い続ける膝とかおぞましいにも程がある。
「さて、目標の妖怪を探すとしましょう」
「いえ、私としてはもう少し薬のことについてお話したいところなんですが」
全力の抗議も辞さないつもりの私をよそに、永琳さんは鈴蘭畑を見渡し始めた。渋々私もそれに倣うと、
「コンパロ、コンパロ」
何やら妙な呪文を唱えながら一人の少女が佇んでいた。
「永琳さん、あれは」
「ええ、どうやらあれが、鈴仙の言っていた人形のようね」
ふんわりとウェーブのかかった金髪に大きなリボン。私と同じくらいか、もしかしたらそれ以下かもしれない、幼い子どもほどの背丈。まさに人形のように可憐な少女といった風だが、毒に満ちたこの場で平然としている時点で、普通の人間でないことは明らかだ。確認するまでもなく、今回の私の取材対象となる妖怪だろう……って。
「え? 人形?」
「この目で見るまでは完全に信用したわけではなかったのだけれど。鈴蘭の毒が躰を構成したという仮説はあながち的外れでもなかったみたい」
永琳さんは少女を食い入るように見つめ、そのまま自分の世界に入ってしまった。私もよく考察が高じて周りが見えなくなるから気持ちはわかるが、実際他人にやられると身の置き所に困る。
「あの、永琳さん」
「ん? ああ失礼。何だったかしら」
「あの少女は人形なんですよね」
「そのようですね」
「ということは、彼女は妖怪ではない?」
例えば魔法の森の魔法使いが操る人形。彼女の技術を以て操作されたそれは、まるで生きているかのように精密な動きを見せるが、あくまで人形は人形。彼女の操る人形を見て、それを妖怪と呼ぶものはいないだろう。
永琳さんは少女から目を離すことなく、顎に手を添えながら私の疑問に答えてくれた。
「いえ、あれはただの人形というには道具の枠から著しく外れているように思えます」
私も少女に注目する。距離があるので詳しい内容はよく聞き取れないが、少女は無邪気に笑いながら誰かに話しかけるような仕草をしていた。鈴蘭にでも話しかけているのだろうか。とにかく人形の少女の様子は、まさしく「生」を感じさせるものだった。
「なるほど、枠を逸脱して妖怪の域に達していると。付喪神のようなものでしょうか」
「私はこの地に充満する毒性が関係あると睨んでますが。まあ、その辺りのことも本人に聞いてみればよいのでは?」
言われてギクリとする。永琳さんの言うとおり、ここであれこれ議論を重ねるよりは、とっとと取材に入ったほうが早いだろう。が、正直に言おう。
ここへきて、私はビビっていた。鈴蘭畑の毒ももちろんだが、私はあの少女の笑顔から何か良くないものを感じ取っていた。
それはある種勘のようなものだが、幾度の転生を繰り返してきた私の危険察知能力、言い換えれば死の気配を感じ取る嗅覚は無駄に研ぎ澄まされている。さすがに博麗の巫女のようにとまではいかないが、私自身が私の行動の根拠にするくらいには信頼できるのである。
「うぅ……でも」
「大丈夫ですって。それにせっかくここまで来たのですし、ね?」
すぐそこに潜む死の危険を感じ取って及び腰になっている私に、永琳さんは涼しい顔でどうぞと先を促してきた。実はわかってやってるんじゃないかと邪推したくなるのは私の未熟さの致すところだろう。とにかく、考察という名の時間稼ぎもここらが限界のようだ。
「はぁ……そうですね。これも仕事ですもんね……」
なんだかカッコいいことを言っていた気がするここへ来る前の私を張り倒してやりたい。そんな非生産的な衝動に駆られたが、いつまでも悪あがきしていてもどうにもならない。私はひとつ頷き、意を決して声を掛けようと少女に近づいた。
「あの、こんにち――」
「ねえスーさん。世界中の人間をてっとり早く根絶やしにするようないい毒はないものかしら」
回れ右。私は慌てず騒がず、極めて冷静に、元の位置である永琳さんの隣に戻っていた。
「あら、どうしました?」
「永琳さん、どうやら今日は時機が悪いようです。残念ですが彼女からお話を聞くのはまたの機会にということで」
「機会というのなら今この時をおいて他に無い気もするのだけれど。あと、膝が笑いすぎてひきつけを起こしていますよ」
仕方がないではないか。今少女が吐いたセリフは全人類の笑いのツボを容赦なくつく渾身のボケだ。笑うなというほうが無理な話である。
私はメモ書きを取りだし、早速あの少女についての情報を書き加える。
危険度:高
人間友好度:最悪
まだ名前も判明していないのに、初っ端からこれでは先が思いやられる。
私は心が折れそうになっているのを自覚しながら、永琳さんに泣きついた。
「永琳さん、彼女はダメです。可愛い顔してますが、その顔で人類の虐殺を企てるような妖怪ですよ、あれ」
「あらあら、お転婆さんなのね」
違う。そんな和やかな反応は私が求めているものではない。
「それに阿求さん、それはもしや音に聞くギャップ萌えというものなのでは」
それも違う。どちらかというと天使のような悪魔の笑顔というべきものだ。
ズレたことをのたまう天才薬師に、なおも必死の説得を試みる。
「いやいや本当に洒落になってません。取材をするまでもなく、彼女は危険な妖怪だと断定できます。一刻も早くここを離れないと私たちの命が危ないです。ええもう膝の震えが止まらないのも認めますからどうか、どうか……!」
彼女の項目に名前など必要ない。
命が惜しければ鈴蘭畑には近づくな。この一文だけで人間の注意を喚起するには十二分過ぎる。
「なるほど、おっしゃりたいことはわかりました」
私が涙目で退避を訴えると、永琳さんは神妙に頷いた。
「大丈夫ですよ阿求さん」
そして私を安心させるように薄く微笑みながらそう言った。
良かった、なんとかわかってもらえたようだ。
「すぐに膝の震えを止める薬を処方します。これで貴方の心配事も減るでしょう」
だから違う。私が解消したいのはそんな些末事ではない。
むしろあまりにピンポイントな薬効を持つ怪しげな薬を飲まされるという心配事が一つ増えてしまった。
私は彼女の厚意を全力で辞退しつつ、懇切丁寧に私が抱える懸念の要点を説いた。
『ここは危険だからとっとと帰りましょう』たったこれだけのことを伝えるのになぜこれほどの労力を費やさないといけないのか。
「うーん。私としてはもう少しあの妖怪を調べたいですねえ」
これだけ言ってもなおも渋る永琳さん。危険を感じていないというよりは、危険をものともしないという感じだ。
同じ人間なのにこうも違うものなのだろうか。私が価値観の差に思いを馳せていると、
「貴方もそうなのではなくて?」
永琳さんは目を細めて私を見つめ、そんなことを言った。見透かすような物言いに、思わずたじろぐ。
「い、いえ。そんなことは……」
「だって本当に逃げたいのなら、私に断りを入れるまでもなく、とっくにそうしているでしょうし」
それに、と永琳さんはなぜか心底愉快そうに笑いながら、こう付け加えた。
「貴方からは同類の匂いがしますわ」
呆気にとられている私を尻目に、永琳さんは少女の元に向かって颯爽と歩き出した。
「……」
頭では音速よりも早く退避した方がいいと理解している。だが御阿礼の子の根源となる部分。武器にも厄介のタネにもなるそれはずっと、未知との遭遇を待ち望んでいたのも、また事実。
「……ここで賢明な判断が出来ないから、御阿礼の子は短命だったりするのでしょうか」
自分の愚かさにため息を吐きつつ、永琳さんの顔を追う。少しだけ振り向いた永琳さんは頬を緩め、任せなさいと言うように小さくうなずいた。ああ、本当にお願いしますよ。ただでさえ短い人生だ。死んでも生き返らせるくらいのことはしてもらわないと。
「こんにちは、お嬢さん。良い天気ね」
永琳さんが警戒心を与えないように、笑顔で少女に挨拶をする。しかしせっかくの笑顔も功を奏さなかったのか、少女は声を掛けられるやいなや、表情を引き締めて身構えてしまった。
「あっ! あんたたち人間ね! ゆけ、スーさん!」
嘘っ、出会いがしらに攻撃!? マズい、これは本当にマズい! 想像以上に取りつく島がない!
「永琳さん! やっぱり駄目です、早く逃げ――」
遠い記憶に刻まれた、いっそ懐かしささえ感じる本物の恐怖。
パニックに陥りかけた私をよそに。
「まあまあそう慌てないで」
永琳さんは一切動じた様子を見せず、私と少女をなだめるようにそう言った。
「お嬢さん、私たちは怪しい者ではあるけれど、敵ではないわ」
「ふん、そんなこと言って。貴方もにっくき人間なんでしょう?」
「概ね人間よ。毒では死なないだけでね」
毒で死なない? そんな人間がいるものだろうか。きっと永琳さん一流のジョークか何かだろう。
永琳さんの取り成しで少女は攻撃をやめたようだが、未だ警戒は解いてない。永琳さんはそんな少女の様子を気にするでもなく、笑顔を崩さないまま話を続けた。
「可愛いお嬢さん。お近づきの印に、貴方に耳寄りな話があるわ」
「耳寄りな話? そんなもので私がどうこう出来ると――」
「人類をてっとり早く根絶やしにできる毒の話なのだけれど」
途端に少女の表情が輝きだした。私の表情は死んだ。
未だかつてこんな物騒な会話の掴みがあっただろうか。少なくとも初対面でする話ではない。というか十年来の友人同士でもしない。
大好きな紅茶を友人と嗜む席で和やかに交わされる猛毒の話。そんなティータイムは何十回転生しても断固願い下げだ。
「あ、あるの? そんなすごい毒が」
「そうね。例えば小さじ一杯でウン千万単位の人間もイチコロな毒、なんていかがかしら」
「なにそれすごい!」
なにそれこわい。そう思いつつも好奇心のままにメモしかけたけどやめた。人類を虐殺するほどの毒に関しての覚書なんて見られたら、私の信用に関わる。まったく、こういうときは自分の業の深さを改めて自覚する。
一方、朗らかに笑う永琳さんと、無邪気にはしゃぐ少女。一見お姉さんが幼子に優しくモノを教えるという微笑ましい光景に見えるが、今取り上げられている話題は人類の存続を左右しかねない代物である。
「あ、あのっ」
これ以上この二人に話をさせておくのは危険だと判断し、私は強引に口を挟んだ。攻撃は怖いがそれよりも人類が滅亡の危機に晒されている今この瞬間、私が立ち上がらなければ誰がやるというのか。
「む、何よ人間」
私の英雄的行為に、少女は気分を害したのか不機嫌そうに顔を歪める。表情がコロコロと変わるところを見るに、妖怪ではあるけれど精神の方も見た目相応なのかもしれない。
「あ、いえその。……そ、そういえばまだお名前とか聞いてなかったなーって」
恐怖のあまり若干つっかえながらも、私は少女との会話の糸口を探す。
「ああ、そういえばそうね。うっかりしていたわ」
永琳さんが本当に今気づいたというように手を打つ。
私も常識を語れるほど人間は出来てはいないが、会話の掴みに名前ではなく猛毒の話を選ぶ人よりはマシだと思った。
私の言葉に少女は目をパチクリさせたが、すぐに誇らしげに胸を張る。
「ふふん、にっくき人間なんかに名乗る名は無いと言いたいところだけど。いいわ、教えてあげる」
ほっ。少女の言葉にはいちいち毒が含まれているが、何とか会話の流れは変えられたようだ。
「私はメディスン・メランコリー。人形開放を目指す孤高の毒人形とは私のことですわ」
少女はスカートの端を摘まみあげながら礼をした。優雅さを演出したいのだろうが、その容姿では背伸びしている印象は拭えない。でもそれは言わぬが華というものだろう。短い命だ、せめて大事に大事に使っていきたい。
それよりようやく名前が判明する。すかさずメモメモ。一個の独立した項目を作成するならやはり名前は必須だ。意見のブレなどは気にしない。私も必死なのだ。
「初めましてメディスンさん。私は稗田阿求と申します」
「申し遅れました。八意永琳よ、メディスン」
遅ればせながらこちらも自己紹介。
永琳さんが手を差し出すと、メディスンと名乗った少女は快く小さな手で握り返した。どうやら少なくとも永琳さんに対しては警戒を解いてくれたようだ。あまり認めたくはないが、毒の件は掴みとしては正解だったということか。
「よろしくお願いします、メディスンさん」
私も永琳さんに倣って笑顔で手を差し出すと、やや表情を硬くしながらもメディスンは手を差し出してくれた。あらま、これは少し友好度を考え直してもいいかもしれない。
無事お近づきの印が成立しようとし、私は内心ホッとしていたが、
「――ッ!?」
唐突に脳内で鳴り響く警告音。差し出した手をとっさにひっこめ、代わりに逆の手に持っていた筆を小さな手に握らせる。
瞬間、毛は跡形もなく抜け落ち、柄はみるみるうちに腐り、可愛いおててには筆の残骸が残されるのみとなった。
ようやく打ち解けつつあった空気が一瞬にして凍る。
「……」
「……」
「……」
え。何だこれ。もしかしなくてもこれは私が悪いのか。確かに握手を拒否した形になったのは私がとっさに保身を図ったのが原因かもしれないが。いやでも、他にどうすれば良かったというのだ。
「あ……あ……」
ぼろぼろに成り果てた筆を落とし、自らの震える両手を見比べるメディスン。その姿を見た私の胸を、罪悪感が毒のように蝕んでいった。
「何よ……これ。私に、こんな力があったなんて……知らないわよ……こんな……こんな!」
「メ、メディスンさん……」
声まで震えてきたメディスンにかける言葉を必死で探すが、千年蓄えた知の泉は、私にただの一つも冴えたやりかたを提供してくれなかった。
今までの無邪気な所作から推測すると、メディスンはまだ精神的にも未発達な妖怪なのだろう。そんな幼子に等しい彼女を、私の行動がどれだけ傷つけたのか。誰かに拒絶される痛み。あまりにも危険な力を宿した自分への恐怖。不可抗力とはいえ、メディスンの心に渦巻く暗い感情を想像すると、いたたまれなくなる。
すがるように永琳さんを見ても、彼女は無表情でこの遣り切れない空気が支配する場を見つめるのみ。自分で撒いた種は自分で何とかしろということなのか。でも、愚鈍で未熟な私にはもう謝るしかこの場を取り繕う方法が思い浮かばない。私は精一杯の誠意を込めて頭を下げた。
「メ、メディスンさん! 本当にごめんなさ――」
「すごい! この力さえあれば、人間を始末するなんて楽勝だわ!」
罪悪感がキレイサッパリ霧散する。どうやらこの少女は人類にとって非常にマズイ方向にポジティブだったらしい。とりあえず頭の下げ損だった。
「ありがとうちっちゃい人間! 貴方のおかげでまた一歩、人形開放に近づいたわ!」
「あ? あ、ああ。そう、それは良かったですね」
良くはない。だが空気の変化にまったくついていけてない私はそう答えるしかなかった。というか変化も何も、私が勝手に独り相撲を取っていただけではないか。これは恥ずかしすぎる。あとちっちゃい人間て。少なくとも私よりちっちゃい貴方に言われる筋合いはない。
なんだか人類滅亡を後押ししてしまった気がしなくもないが、それはともかくとして。
「……永琳さん?」
ご機嫌なメディスンに対して、永琳さんはさっきからやけに静かだ。どうしたのかと声を掛けると、彼女は我に返ったように私の方を向く。そしてなぜか少し照れたように苦笑しながら言った。
「ごめんなさい。ついあれが気になってしまって」
「あれ?」
永琳さんが指し示した先には、私が愛用していた筆の成れ果て。
職人技が光っていた逸品は、今では見る影もない。うう、お気に入りだったのに……。
「阿求さん。お願いがあります」
「お願い?」
「はいっ」
私が亡き戦友の死を悼んでいると、永琳さんは珍しくそわそわしながらそんなことを申し出た。
「はあ、なんでしょう」
「あの筆を、ぜひとも私に譲っていただけないでしょうか」
「はあ……?」
私がこういうのもなんだが、あれはもはや筆の用を為さないガラクタだ。そんなものをどうして欲しがるのかと訝しんでいると、永琳さんはなんだか上気した顔でまくしたてた。
「あの筆は貴重なサンプルとなり得ます。阿求さん、貴方も見たでしょう? あの有り得ない反応を。ああ違うわ、現実に起こっているのだもの。有り得ないということが有り得なかったわね。とにかくウチに持ち帰って精査すれば、もしかしたらまったく新しい毒が発見できるかもしれない。ああ! まさか地上で未知に出会えるなんて、長く生きてみるものだわ!」
途中から完全に置いてけぼりになってしまった。無表情で静かだったのは単にあの筆(元)に夢中になっていただけなのか。そうするとさっきは三者が三者とも、まったく違うことを考えていたことになる。このまとまりの無さはもはや空気云々以前の問題だ。
「あー、ええっと。あんなもので良ければお好きにどうぞ。どうせもう使えないですし」
「本当ですか! かたじけないわ、阿求さん!」
ドン引きした私の許可が出るやいなや、本当に嬉しそうにウキウキと筆の残骸を袋に入れる永琳さん。さらば我が愛しき戦友(とも)よ。君にはマッドサイエンティストのおもちゃとして、立派に第二の人生を歩んでほしい。しかし何だろう、私の中の八意永琳像が音を立てて崩れていくような。これがホントのギャップ萌えなのか。いや、やっぱどうでもいいや。とにかく縁起に載せる彼女の項目は再検討しないといけないかもしれない。
「そういえば永琳さん、手は大丈夫なんですか?」
永琳さんもあの毒手としっかと握手していたはずだが。
「ええ、この通り」
傷一つない、綺麗な掌を見せつけるようにヒラヒラとしてみせる。
「ああ、さっきちょっと言ってましたっけね。毒は効かないとかなんとか」
「うーん、確かに回復は早いですが。効かないとは少し違いますかね」
「へ? じゃあ」
「我慢しました。かなり痛かったけど」
んなアホな。妖怪ではあるまいし、筆の有様を見ても我慢で片づけられるような威力ではないと思うのだが。
「いや、そんな無理しなくても」
「だって大声で喚くのは恥ずかしいじゃないですか。私にも体面というものがありますし」
永琳さんが体面を気にしているところ悪いが、乙女チックに頬を染めている辺り、色々と台無しだと思う。この人はこの人でまったく人となりが掴めない。
「でも手、綺麗ですよね」
「もう治りました」
さいですか。謎も興味も深まる一方だが、今はそっとしておこう。正直手に余る気がする。
「ところであんたたち、こんな所へ何しに来たのよ。ここは人間ごときが好き好んで来る場所じゃないよ」
自分の力をスーさんとやらに誇示していたメディスンが、私たちに向き直る。
なんだか脇道に逸れすぎて目的を見失いかけていたが、ようやく本題に入れる。
「私は妖怪の記録を編纂している者でして。ここ無名の丘に未確認の妖怪がいるという情報を聞きつけて参りました」
目的を告げながら、名刺を差し出す。こんなものでも興味はあるのか、名刺を手に取ってしげしげと見つめるメディスン。ちなみに名刺はすぐに風化してしまったが、もう余計な気を回さないほうが精神衛生上よろしいだろう。
「つきましてはメディスンさんにぜひともお話を伺いたいのです。ご協力願えますか」
「ふうん。そういうことなら、ええ、構わないわよ」
あら意外。人間を敵視しているようだし、てっきり断られるかと思ったのだが。
「ふふん、人形開放の第一歩として私の恐ろしさを知らしめておくのも悪くはないわね。さあ、なんでも聞いてちょうだい」
縁起の理念からいって妖怪の恐怖を伝播させるのは決して間違いではない。故に人類滅亡へのカウントダウンが進んだからといって、それは決して私のせいではないのであしからず。というわけで、早速質問をぶつけてみる。まずは気になってることから。
「コホン。ではお言葉に甘えて」
予備の筆を取り出して、仕事モードに切り替える。永琳さんが隣で、調子が出てきましたねと笑った。
「先ほどから度々口になさっている“人形開放”とは、いったいどういうものなのでしょうか」
私の質問に、メディスンはよくぞ聞いてくれたと言わんばかりに胸を張り、ついでに声も張って言った。
「ずばり、にっくき人間から人形の尊厳を取り戻すための戦いよ!」
メディスンにとって「にっくき」は人間を語る上では欠かせない枕詞らしい。人間への敵意を持つ妖怪は、実は現在の割と平和な幻想郷においてもそこそこ存在する(昔のことを考えると、少数派になっただけでも驚くべき変化と言えるのだが)。それにつけても妖怪になってまだ日の浅そうな彼女がここまで敵意を露わにするとは。何か余程の理由があるのだろうか。
「古くから人形は人間によって虐げられてきたわ。可愛い可愛いと愛でられるのも束の間、だんだん振り回したり投げつけたり乱暴な扱いを受けるようになり、最後には飽きられて忘れ去られる。貴方たちにわかるかしら? ゴミ捨て場で独り風雨にさらされ、人に愛されるようにと願いを込めて作られたその姿がボロボロに朽ちていくのをただ受け入れるしかない人形の気持ちが。ああ、なんて哀れな人形たち! なんて愚かな人間ども!」
身振り手振りを交え、情感たっぷりに人形が置かれている境遇を語るメディスン。若干芝居がかっているきらいはあるが、言いたいことは伝わってきた。
「忘れられた人形、か」
体こそちんちくりんだが、もう私もお人形遊びはとうの昔に卒業している。でも幾度も繰り返してきた人生の中には、私にもきっと人形と共にあった時間があったのだろう。私が短い生を終え、残された人形は一体どこへいったのだろう。あるいはメディスンの言うような、哀れな運命をたどったのだろうか。
「なんだか少しだけ申し訳ない気持ちになりました」
「そうですね、人間、特に女なら誰にだって、心当たりがあることですもの」
「え?」
「何か?」
私に同意する永琳さんに、思わず聞き返してしまった。いかん、この人が人形遊びをしていた姿がまったく想像できなくてつい。
ハテナマークを浮かべる永琳さんと冷や汗をかく私に、メディスンは力強く指を突きつけながら言った。
「ふふん、思い知ったようね、自らの罪深さを。そう、私は貴方たちのような人間の支配から人形を解き放つ! それが私の目指す、人形開放よ!」
うわぁ、ものすごく良い顔だ。使命感と自負に満ちた実にやる気に溢れる表情だが、彼女のやる気は殺る気とほぼ同意だろうから、あまり彼女に頑張られると人類にとっては不都合極まりない。
「具体的にはどうするかというと……」
「それは大体わかるんで大丈夫です」
人類を根絶やしにする毒をお求めの時点でお察しだ。
「毒にこだわるのは、貴方の能力や出自と関係あるのかしら」
永琳さんも質問を投げ掛ける。メディスンに興味があるのは私だけではないのだ。
「そうよ。毒から生まれた私はありとあらゆる毒を作ることができる。触れただけで物を腐らせられるのは私もさっき知ったんだけどね」
自慢げに自らの能力を語るメディスンに、内心懸念を深める。永琳さんが目を細めているところを見るに、彼女も同じことを考えているのだろう。
メディスンの言うことが本当なら、彼女は自分の力を制御下に置いてない。それはつまり見境無しの手加減無しということだ。人間にとってこれほど恐ろしいこともない。故意はもちろんのこと、それこそ無自覚に被害を及ぼすことすら有りうるのだ。
「……これは想像以上に危険なのではないでしょうか」
「子どもに猛毒を持たせるのと同じですからね。その上使用に躊躇がないときている」
うちに患者が増えるのは困りものですね。そう言って永琳さんはやれやれと首を振った。彼女のお世話になるくらいで済むのなら御の字だ。腕利きの薬師ですら匙を投げる、そんな最悪の事態は御阿礼の子として絶対に防がなければならない。
「あの、その人形開放は、人間を滅ぼさないと叶わないことなのでしょうか」
「もちろんよ。そうでないと第二、第三の悲劇が待っているでしょう」
とりあえず説得を試みてみる。
が、当然と言った風に、メディスンがそう答える。人間の滅亡を是とするようなことを、当たり前のように。
「でもこの幻想郷は、人と妖怪がバランスを取りながら共存している狭き世界です。どちらかが欠けても世界は成り立ちません。それに、本気で人間に危害を加えようとしたら博麗の巫女が黙ってませんよ。貴方だって、本格的に退治されてしまうかもしれない」
本気で殺そうとする者は本気で殺される。そんなあまりにも時代錯誤な価値観は、現在の幻想郷には似つかわしくない。もうそういうのは、私はこりごりなのだ。しかし私の説得を一笑に付すように、メディスンは言った。
「ふん、くだらない。“ハクレイノミコ”だかなんだか知らないけど、人形開放の邪魔をするっていうんなら誰だろうと容赦しないわ! これは私にとって絶対に負けられない戦いなのよ!」
「メディスンさん……」
「なんなら、まずは貴方から始末してあげましょうか? にっくき敵である人間が私に説教だなんてちゃんちゃらおかしいわ」
毒々しい瘴気が見えるような、メディスンの壮絶な笑み。危険を察した永琳さんが、私の前に立ちはだかる。比較的和やかな雰囲気が流れていた鈴蘭畑を、毒の混ざった一触即発の空気が一気に包みこむ。
「……」
人間は敵、か。それは幼い精神によって単純化された認識かもしれないが、それゆえに本質を突いている。
結局のところ、いくら時代が移り変わって人妖の距離が縮まろうとも、その溝は決して埋まらない。当然だ。だって人間と妖怪は、身体的にも精神的にも、まったく違うものなのだから。今は顕在化していないかもしれないが、いつか目の前の少女のような、そしてかつて幻想郷中に蔓延していた人間への敵意が妖怪から噴出するかもしれない。もちろん逆もまた然り。そんな悲しいことは過去のものとして語られるべきであるが、未来においてその可能性が有り得ないとは言えないのだ。
だからその未来が、今の私が死んで次の私が生まれる時代が、できるだけ良き方向へ進んでいくことを願う。
それが私の、初代御阿礼の子・阿一の頃から連綿と続く私たちの、祈りだった。
「……? 阿求さん、いけません。貴方は下がっていなさい」
空気を読まずに前へ出る私に、永琳さんの制止がかかる。
だが前へ。人間を迷いなく敵と言い切る懐かしき妖怪と正面から対峙するために、前へ。
「なるほど、わかりましたよメディスンさん」
下手な説得は当然の如く一蹴された。力ずくで止めようにも、肝心の力がない。
ならば御阿礼の子として、稗田の名を冠する者として、幻想郷の記憶を任ずるものとして、私ができることは一つ。
「いいでしょう。私と戦いましょう。お望み通り、貴方の敵は、まずこの稗田阿求が務めます」
私の命知らずと呼ぶにもおこがましい宣戦布告に、毒人形の少女は呆気にとられたように口を開けた。背中には永琳さんが息を呑む気配が伝わってくる。これもまた、珍しい反応だった。
「もちろん私は見ての通り、ちょっと記憶力の良いただの病弱っ娘です。弾幕張るどころか空だって飛べません。まともにぶつかったら十数える間もなく死神さんに再会の挨拶を出来る自信があります」
「え? え? ちょ、なんでいきなり弱さ自慢しちゃってるのさ」
そう、私は弱い。弱い人間の中でも最弱の部類に入ると思う。それでも私はいつの時代だって、この幻想郷で戦ってきた。私はメディスンから決して目を逸らさず続ける。
「だから力でぶつかったりはしません。そういうのはまあ、博麗の巫女にでも期待してください」
「じゃ、じゃあどうやって戦うっていうのよ。貴方の言ってること、めちゃくちゃじゃないの」
戦いと言えば弾幕の張り合い、力比べ、命のやりとり、そういう直接的なやり方しか知らないと見える。上から目線で申し訳ないが、でも言う。
「青いね」
「は、はあ?」
私は理解できないものを見るように戸惑うメディスンに、私一流の戦い方を突きつけてやった。
「私の戦い、それは相手を知ることです」
「相手を知る……?」
「そう、人間のために立ち上がった最初の私が掲げた使命感。この目で見たものを決して忘れない頭脳。そして大妖怪でも阻むことのかなわない好奇心。剣よりも強いペン。私は私の持ちうる全てを武器として、貴方に戦いを挑む」
あれほど笑い上戸だった膝は、嘘のように沈黙を守っていた。よほど私の言うことがつまらないのだろう。でもご勘弁頂きたい。これは冗談や諧謔を差しはさむ余地のない、そしてもう今代では出す機会がないと思われた、つまりは御阿礼の子である私の、本気なのだ。
「私が貴方をわかるまで。幻想郷の住民が貴方をわかるまで。貴方が貴方をわかるまで。私は決して、降伏しません」
それが御阿礼の子の戦い。今も昔も変わることのない、脆弱な私が妖怪たちに叩きつけられる唯一の挑戦状だ。
「さあいかがです、メディスンさん。この戦い、受けてくれますか」
ここで毒の一つも放たれたら何もかもが終わる。彼女としても私の土俵に上がるよりは、その方が手っとり早くて都合がいいだろう。それでもメディスンは。まだ幼い少女のような妖怪は。
「う、あぅ。……も、もちろん受けてたつわよ!」
私に対して敵意を露わにしながらも自らの力を奮うことなく、彼女にとっては七面倒くさいだけの選択肢を選んだ。
「なんだか良くわからないけど、このまま貴方をやっつけちゃったら負けな気がするわ! これからってときに初っ端からこんなちっちゃい人間に負けてたら、人形開放なんて夢のまた夢じゃないの!」
もちろんメディスンの言う負けた気というのは、文字通り気のせいだ。でも私が戦いを挑んだ妖怪は、皆決まってそんなことを言う。精神性を重要視する彼らなりの矜持なのかどうかは人間の私には預かりしれないところだけれど。そしてこの幼い毒人形の魂にも、その何かはしっかり備わっているようだった。
「だからこの戦い、乗ってやるわ。その代わり、貴方が諦めたその時は、私とスーさんの毒は容赦しないよ」
「望むところです」
これで勝負は成立。相手はかなりの強敵だが、そもそも相手が強敵じゃなかった戦いなんてこれまでただの一度もなかった。だから私はいつもどおりやればいい。紅茶を飲みながらの優雅な仕事というのも、それはそれで憧れるけれど。やはりずっと続けてきた戦い方というのは、そう簡単に捨てられるものではないらしい。
時は今。
場所は幻想郷。
相手は強力な妖怪。
舞台も条件も、そして私も、何も変わらない。
さあ、懐かしき戦争を始めよう。
「ではメディスンさん。改めてお話をお聞かせ願いますか。まずは――」
鈴蘭畑を後にして、永琳さんと二人、帰路につく。
「結局、あれからはほとんど雑談に終わっちゃいましたね」
「ですね。でも決して、無駄ではなかったですよ」
苦笑する永琳さんの言うとおり、確かに有益な情報はあまり無かったが、ただの雑談も、メディスンの人となりを知るには重要なことだ。
「それにしても」
「ん?」
思わずため息が出る。弱い私が出来ることを考えに考え抜いた結果、選んだ道とはいえ、だ。
「いえ、いつもながら思うのですがもう少し、スマートなやり方は出来ないものかと」
「というと?」
「例えば拳で語り合った後お酒を酌み交わすとか、彼女が考えを改めるようなありがたい説法を説くとか、まあそんなところです」
私の知る二人の人物を思い浮かべながら、そんなことを漏らす。もちろん無い物ねだりということは、そんなことを考えても詮方ないということは、嫌というほどわかりきっているのだけれど。
肩を竦める私に、永琳さんは言った。
「まあ、何事も適材適所といいますし」
そう、適材適所だ。私は恐らくこの先も弾幕を張って妖怪と戦うこともなければ、弾幕が飛び交う空の戦場を飛び回ることもないのだろう。私にそんな華々しい活躍は似合わない。いつの時代も、主役にはなれない日陰者だ。
そんな地味目な出番しか用意されていない私に、それでも永琳さんは、
「故に貴方の戦いは、他ならぬ貴方にしか出来ないことなのでしょう。私はおろか、博麗の巫女にも大妖怪にも、神々にだって真似できない。だから幻想郷は、貴方を必要としているのはなくて?」
私の迂遠極まりない戦いを肯定するように、そう言ってくれた。
思いがけない彼女の言葉が何だか気恥ずかしくて、つい自虐めいた返答をしてしまう。
「……そんな大それたものでもないとは思いますが。筆を執るくらいしか能がないだけとも言えますし」
「あら、能が一つだけでもあるというのは偉大なことだと思います。実際貴方は唯一無二なのですし。それに先ほどのメディスンに対してもまったく退くことのなかった堂々たる佇まい、見事の一言です。ビクビクしていた取材前の貴方とは別人のようでしたわ」
「うう、そこまで持ち上げられるとむずがゆい通り越して変な汗が出てきます……」
ここまで直接的な賞賛は、あるいは初めてかもしれない。
感情を表す色の選択を誤って青くなった顔を俯ける私を見て、永琳さんはクスクスと笑う。
「ほらぁ、やっぱりからかってるじゃありませんか」
「うふふ、ごめんなさい。先ほどの凛々しい佇まいとの差を楽しみたくてつい。なるほどギャップ萌えの良さがわかった気がします」
腕利きの薬師はなかなか厄介な趣味をお持ちのようだった。あと凛々しいとか言わないでほしい。ああいうのは後に布団の中で思い返すと悶え苦しむこと請け合いなのだ。
「ああでも、からかいはしましたが、私が貴方を尊敬するというのは本当ですよ」
未だ感情の置き所に困っている私に、永琳さんは言った。
「やはり貴方は面白い」
なぜかその端正な顔に、心底愉快そうな笑みを浮かべながら、言った。
「きっと貴方はどうしようもないくらい弱い生き物で、それゆえにこんなにも強い存在なのですね」
これもギャップ萌えのうちに入るのかしら――最後は真顔でそう締めた。言いたいことは色々、それこそ山ほどあるけれど。とりあえず一つだけ。
「入りません。むしろ貴方にこそ、その言葉はふさわしいと思います」
私の返しに、天才薬師永琳さんはまったく意味がわからないという風に、ハテナを浮かべながら首を傾げるのだった。ギャップ萌え、絶賛実施中である。
「メディスンは、考えを変えてくれるでしょうか」
まだ私の言うことを気にして何やら考え込んでいる永琳さんに、そんなことを聞いてみた。
メディスンの人間への敵意が間違っているなんて、そんな傲慢なことを言うつもりはないし、また言う資格もない。
それでも。
それでも、私は今の幻想郷が好きだ。
人間と妖怪が、まだぎこちなさを残しつつも手を取り合おうとしている幻想郷が好きだ。
だから知ってほしい。この世界は決して大きくないけれど、鈴蘭畑ほどには狭くはないということを。
人間は時に人形をぞんざいに扱ったりもするけれど、決してそれだけの救えない存在ではないということを。
そして貴方には、人類を滅亡させることにまい進する以外の可能性も存在するということを。
まあ、この願いこそが、人間本位で傲慢そのものなのかもしれないけれど、そこは千年培われてしまった人間のエゴということでひとつ。
「どうでしょうねえ。何せ未来は残酷にも幸いにも、不確定のままですから。私も彼女には興味を深めましたし、ちょくちょく足を運んでみるつもりではいますが。果たして私や貴方の行動が彼女にどんな影響を及ぼすのか、その辺は何とも」
永琳さんは同意するでもなくそう言った。気休めは決して言ってくれない人だ。
「まあでもほら、拳で語り合った後お酒を酌み交わしたり、彼女が考えを改めるようなありがたい説法を説いてくれる人がこの先現れるかもしれませんし」
「……そうですね」
結局のところ、出来ることをやるしかないのだ。適材適所。自分のやったささやかなことが、少しでも未来を良き方向に導いてくれるのを信じて、おっかなびっくり進んでいくしかない。まったく、ままならないものではあるが、しかし。
「きっと、上手くいきますよ」
こうして言葉にする分には自由だ。メディスンと縁を持ったのは私だけではない。永琳さんだっているし、きっとこれからも誰かさんが、彼女と交わすのだろう。言葉とか、お酒とか、弾幕とかを、たくさんたくさん。九代目の私が生きる現在の幻想郷とは、そういう場所なのだ。
永琳さんが、また笑う。
「楽天的なんですね」
「数少ない取り柄ですから」
私たちも取り留めない言葉を交わして、それを合図に足を止める。
「では私はここで失礼します。お疲れ様でした、阿求さん」
「はい、永琳さんもご協力ありがとうございました」
「いえいえ。ではしばらくはゆっくり休んでください。副作用のこともありますし」
「う……そ、そうします」
なんだか良い感じの雰囲気になっていたので忘れていたが、明日から地味に地獄な生活が始まるのだった。薬は容量と用法を守って正しく使わないといけないということだ。今更だけど。
頭を抱える私にクスリと笑いかけて、永琳さんは踵を返して家路についた。私も帰ろうと、歩を進めようとしたところに、
「ああ、そういえば阿求さん。貴方には言うまでも無いことかもしれませんが」
「?」
永琳さんは心底愉快そうに笑って、置き土産のように言い残していった。
「毒と薬は本質的には同じもので、その境界は紙一重なんですよ」
どんな存在も、どんな行動も、どんな想いも、毒にだって薬にだってなる。
つまりはそれも、一つの可能性の語り方なのかもしれない。
後日。
膝の笑い声が消えた日という一見鬱要素を含んでそうな、もちろん全然そんなことは無かったりする晴れの日。
厄介ごとがようやくなくなり、久々に清々しさを覚えていた私に、お手伝いさんから言伝。何でも私に来訪者があるとのことだった。玄関先で待ってもらっているらしいので、はて今日は約束なんてあったかしらんと思いながらも、急ぎ足でそこに向かう。
「お待たせしました」
ガラッと戸を開けた。
「あっ、ちっちゃい人間」
ガラッと戸を閉めた。
「あ、こら!」
出オチだった。
お約束のようなベタベタのボケだが、膝には大いにウケたようだった。
「ちょっと! なんで閉めるのよ! せっかくこっちから来てやったのに非常識だわ!」
「貴方に言われたくありません! せめてアポくらいはとってください!」
違う。そこは本質的な問題ではない。そもそもわざわざアポをとって訪ねてくれる常識人がどれほどいるものか。
そして自分で自分にツッコミを入れるなんて芸当を披露する私の混乱ぶりは、もはや察するに難くないだろう。
「それっ!」
「きゃん」
必死の抵抗空しく、再び開かれる戸。地面に打ち付けられる私の小さなお尻。思わず出るどこからか抗議が来そうな悲鳴。似たような体格でも、妖怪と病弱っ娘では勝負にもならない。
諦めて襲撃者、もとい来訪者メディスンを客間に通し、向かい合って座る。
「というか、どうして貴方が人里に。妖怪を簡単に通すような警備ではないはずですが」
「そうね、人間のくせに生意気だわ。でも門の前でウロウロしてたら変な帽子かぶった人間が入れてくれたのよ」
「まさか」
「本当よ。ちっちゃい人間に会いに来たって伝えたら、微妙な顔しながら案内してくれたわ」
「あの人は……」
頭を抱える。いつから貴方はそんな寛大になったのですか先生。もちろん安全面への配慮はしてくれているだろうけど。あと“ちっちゃい人間”という文言でなぜ私と特定できるのか。今度ちゃんと話し合う必要がある。
「なるほど納得はしてませんがわかりました。それで、私に何の用です?」
ついさっきまでの清々しい気分はどこへやら、私はため息混じりに聞いた。
「は? そんなの決まってるじゃない」
そしてメディスンは、何を今更というように答えた。
それだけで未来が良い方向へ向かってくれると信じてみる気になるような。
私のこれまでの戦いが決して間違ってなかったのだと、ある種報われたような気持ちすら抱いてしまうような。
そんな、毒々しさなんてどこにも見受けられない、満面の笑顔で。
「貴方と戦争の続きをしにきたのよ」
妖怪・メディスン・メランコリーは人間・稗田阿求に宣戦布告した。
「――っ」
俯く。ともすれば溢れそうになるものを、必死でこらえる。だって、いくらそれが流れ出るのが憂鬱であるときとは限らないとはいえ、今はそんな場面ではない。まだ、早い。この想いを胸に泣くのは、いつか死ぬその時でいい。
「何よ。いきなり黙っちゃって。もしかしてあれだけ大口叩いておいて、もう怖気づいたのかしら」
メディスンが、呆れたように言う。いけない。いつまでもこんな姿を見せていたら毒が飛んできかねない。
目を拭って顔を上げると、メディスンは満足したように、実に得意げな良い表情を浮かべた。
「さあ、精々頭を働かせて質問なさい。太っ腹な私は何でも答えてあげるわ、ちっちゃい人間」
「そうですか、では遠慮なく。あと私は稗田阿求と申しますって言ってるでしょうが、ちっちゃい妖怪」
「いきなり前触れもなく毒を入れてきた!? くっ、思ったより手強いようね……!」
メディスンの、堂々としたノーガード戦法。私もその心意気に応えなくてはならない。ペンは剣よりも強し。私は自らの武器を取り出す。
開いた手帳には、彼女についての覚書。そこには名前に先んじて、こうある。
危険度:高
人間友好度:悪
ほんの少しばかり引き上げられた友好度。あるいはこれも、私が勝ち取った戦果なのかもしれない。でもまだまだ。可能性がある内は、どこまで高望みしようと構わない。こうして想像する分には、自由だ。猛毒について語り合える仲を目指す気はないけどね。
さあ、戦争を始めよう。
私が貴方をわかるために。幻想郷の住民が貴方をわかるために。貴方が貴方をわかるために。貴方が私を、わかるために。
願わくば、私のちっぽけで偉大なる戦いが、私の愛する今よりももっともっと、良き未来に繋がりますように。
「メディスンさん。いくつかお尋ねしたいことがあるのですが、まずは――」
死ぬこと八度。
生きること九度。
私の戦いは、まだまだこれからだ。
(了)
で、ここから妄言タイム。
「この作品が好きという前提があるんだから多少我がまま言ってもイイよね」
「作品から汲み取れる作者様の筆力を考えればこれくらいの注文は」
というような、貴方からしてみれば理不尽極まりない理由で吐かれる俺の妄言。どうかお許しを。
メランコが阿求の提示した条件で戦争することをあっさり肯んじた理由。
妖怪の性といわれれば納得できる部分もある。人間に対する表裏一体の愛情の存在も否定できない。
でも、もっと具体的に見てみたかった。
九代鍛えた舌という名の武器の冴えで、毒人形を己がフィールドに引きずり込む阿求の雄姿を。
貧弱にしかできない、御阿礼の子ならではの対妖怪戦闘にとても興味をひかれたので。
もうひとつ。
或る意味幻想郷における最高クラスのバトルジャンキーともいえる稗田の子。
戦争に向かわせる原動力は何だろう? 勿論作品の端々からその尊い理由は窺える。
だけどもう一段。もう一段の掘り下げが為されて欲しかった。
当然作品のトーンは重くなるだろうし、それは作者様の目指す道ではないのかもしれない。
正解などでは断じてないし、どこまでいっても俺の我がまま。うむ、卑怯なコメントの仕方だ。
長文、更にお許しを。
意外とお茶目な永琳が可愛かったり、なぜかちょくちょく出てくる膝の表現が妙にツボにww