永遠亭へと続く踏みならされた道を、フランは歩いていた。
空は快晴、あたり一面がうだるような暑さだ。けれどもフランは、その暑さよりも強烈な日差しのほうがずっと恐ろしかったので、出来るだけ木の影を、もちろん日傘をさして歩いている。
フランの目的は、最近頭が痛むというパチュリーのために永遠亭で薬を処方してもらってくること、つまりおつかいである。紅魔館でパチュリーが頭痛を訴えたときには、すぐさま咲夜が薬を貰いに行こうとしたのだが、偶然その場に居合わせたフランは「私が行く!」と珍しく主張したのだ。普段あまり館から出ない妹なのに、とレミリアも少し不思議がったが、結局は外出を許可してもらい、今ここにいるのだった。
しかし、フランがその役を買って出たのは、単に外出したかったからではない。
「……ん?」
ふいに、歩いていた木陰の木の茂みからがさがさ音が聞こえ、何か黒いものがフランの前に躍り出てきた。フランはぴたっと立ち止まって、出てきたものを見つめた。
「ウウウ……」
フランと同じ程度の背丈の、体中が骨ばった餓鬼のような妖怪だった。いわゆる低級妖怪というやつで、目ばかりぎらぎら光らせ、口角からは涎をたらしている。フランが何か口にするよりも先に、餓鬼は躊躇いもせず襲い掛かってきた。フランは右手を開き、餓鬼の頭に「狙い」を定め、そしてぎゅっと握った。
瞬間、餓鬼の頭部が粉々に爆散し、フランにもその飛沫がかかった。残された体がどさっと地面に落ち、血がすぐに水溜りをつくった。
「もう、何なの? あんたから仕掛けてきたんだから、当然だよ?」
返事をしない屍にそう呟き、血だまりを避けて進もうとしたが、木の陰から一人の幼い顔つきの妖精がこちらの様子を窺っていることに気付いた。フランと視線がかち合うと、妖精は怯えきった表情のまま、すっと木の陰に引っ込んだ。すぐに逃げるように飛び去っていく。
妖精はあまり強くはない。だからフランの能力を目の当たりにして、恐れをなして逃げたのだろう。次は自分が標的にされる、と思ったのかもしれない。
フランは小さくため息をついて、自分の両手のひらを見つめた。この破壊の能力は、フランの悩みの種だった。
この能力は今のように敵に急襲されたときには非常に使い勝手がいいが、フランが他人と関わりを持つ上では厄介以外の何物でもない。相手に「いつ殺されてもおかしくない」という恐怖感を与えてしまうかもしれないからだ。実際,フランはそのことを恐れて紅魔館の住人以外とまともな会話を交わしたことが殆どない。紅魔館の面々はフランにごく自然に接してくれているが、長い間一緒に暮らしていれば慣れてしまいもするだろう。
けれども、フランは紅魔館以外の場所にも友達を作りたかった。湖の周りでふざけあっている氷の妖精や闇の妖怪の中に入って自分も遊びたかった。どうしたら相手に怖がられずに仲良くなれるか――誰かに相談したかったが、紅魔館のメンバーに言うのはなんだか気恥ずかしかったので、今まで言い出せなかったのである。幻想郷の誰かに相談しようにも、知り合いなど殆どいない。
そんなときに、チャンスが訪れた。永遠亭へのおつかいという名目で、八意永琳に一人で会うという機会だ。彼女がとても頭がいいということは噂でフランも知っていたので、訊けばちょっと思いつかないような解決策を教えてくれるかもしれない、と淡い希望を持って、永遠亭に向かっていた。
それまでの道から竹林に入り、抜けると、平べったい和風の屋敷が現れた。以前レミリアと来たときの記憶と、咲夜に書いてもらった地図とを頼りにようやく辿り着き、フランはほっと一息ついた。玄関の引き戸に手を伸ばしかけ――フランが触れるよりも先に、戸が引き開けられた。
「師匠、行ってきまっひゃあ! ……あ、フランドールさんですか?」
出てくるなり驚いて叫んだのは、薬箱を背負い、腰まである長い紫色の髪と少し垂れた兎の耳をつけた人だった。以前来たときに見た気もするが、なぜか名前が思い出せない。この人は確か妖怪だ、どことなく美鈴と似てるなあ。
「……あのう?」
再び声を掛けられ、フランははっと我に返った。その妖怪兎は膝に手をつき、フランと同じ目の高さに顔を持ってきている。フランは慌てて答えた。
「あ、あの、パチェが頭が痛いって言ってたから、効くお薬を貰おうと思って、来たの」
妖怪兎はああ、という顔で、
「頭痛薬を処方して欲しいの?」
と言った。しょほう、という言葉がいまいち理解できなかったが、フランは激しく頷いた。
「わかりました。ちょっと時間がかかりますけど」
妖怪兎がそう言って屋内に戻りかけたので、フランはとっさに声を掛けた。
「ねえ、ちょっと上がってもいい? えーりんって人にちょっとだけ聞いて欲しいことがあって……」
妖怪兎が振り返って、怪訝そうにフランの顔を見つめた。
「……? いいですけど、師匠に……? 師匠――! お客さんですよーー」
彼女がそう呼びかけると、やや暗い廊下の奥から「いいわよ」という声が聞こえてきた。
フランは胸の高鳴りを抑えつつ日傘を折りたたみ、靴をきちんと揃えて脱ぎ、永琳の所へ向かった。妖怪兎は薬を調合するとかで、途中で別れた。
「久しぶりね。お姉さんは相変わらず我がままを言ってる?」
フランは屋敷の奥の和室で、永琳と向かい合って座っていた。永琳の容貌は以前見たときと少しも変わらず、煌めく銀色の長い髪に、印象的な赤と青で色分けされた服を着ている。落ち着いた雰囲気や、ちょっと冷たそうな眼もそのままだ。
「う、うん、あのね、大したことじゃないんだけど、相談したいことがあるの」
それを聞いた永琳の眼は、心なしか悪戯っぽく光ったように見えた。とても興味深い、というような感じに。話を切り出そうとしたが、いざとなると喉に言葉がつっかえてうまく出せない。口を開きかけては閉じるフランに、永琳は苦笑して、どこからともなく二つ湯飲みを取り出した。中には既にお茶がいっぱいに注いである。一つをフランに差し出し、
「慌てなくてもいいわ。ほら、飲む?」
と言った。フランはありがとう、と受け取り、ぐっと一気に半分ほど飲んだ。何となくおかしな苦さがした。
それからフランは、胸の内に抱えていたことを少しずつ話し始めた。話し始めるとつっかえていた物が取れたように、言葉が次々に溢れてくる。永琳は真剣な顔で、時々頷いたりしながら話を聞いていた。自身の破壊能力のこと、皆優しいけれど物足りない紅魔館での暮らし、それに館と湖の周りで遊びまわる妖怪や妖精達のこと。
「私窓から見てて、一緒に遊んでみたいって思ったの。本当だよ。玄関まで走ってって靴もはいて、お外に行こうとして気付いたの。晴れてる日の昼間には私は外で遊べないって。ううん、それより、『悪魔の妹』なんて呼ばれてる私が、あの子達の所に行ったって、たぶん……」
そこまで言って、フランは自分の目の奥が熱くなってきていることに気付き、言葉を切った。唇をぎゅっと引き締めて泣くまいと頑張ったが、堪えきれず、透き通った水の玉が目の端から零れ落ちる。あれ、あれ? 私なんで泣いちゃってるの? いつもならこのくらい我慢できるのに……。
「えっ……ひぐっ、何、なんで……? うっ、はっ…ひっく……」
目が曇って表情が見えない永琳の前で泣き止もうと必死になっても、涙はどんどん溢れてくる。涙だけでなく訳の分からない悲しさと、ずっと言いたくて、言えなかった思いも一緒に。
「……みんなと遊びたい……一度だっていいから、私もお外でみんなと遊びたいよ! みんなが笑って走り回ってるの見て、いつもすごく羨ましくて……どうして私だけ一人ぼっちなの……?」
言うとまた無性に悲しくなり、涙がぽろぽろ零れて頬をつたうのもそのままに俯いて泣いた。永琳がまだ目の前にいることからの恥ずかしさや悩みを話した解放感などの感情は、どこか隅に追いやられている。とにかく、この色々な感情が一緒くたになった心の中をどうにかしたかった。
そのとき、涙に濡れた自分の顔が、何かふわっとしたものに押しつけられるのをフランは感じた。それが永琳の豊満な胸であると気付くのに数秒かかった。永琳が自分を抱きしめているのだ。訳が分からず上を見ると、柔和な、鋭さの欠片も無いような笑みを浮かべた永琳の顔があった。その状態でしばらく見つめ合っていたが、動く様子も無いので、フランは永琳の胸に頭をもたせた。
熱く溢れていた涙はいつの間にか止まり、とても穏やかな気持ちに満たされていた。そこには、何の危険も敵意も存在しなかったから。フランはそのまま目を閉じて永琳の腰の辺りに両腕をそっとまわし、体全体を彼女に預けた。微かに薬のような、鼻に通るような匂いがする。なんだかひどく平和な空気だった。
ふと、頭をそうっと撫ぜられているのを感じた。永琳の手だろう、当然。柔らかな声がした。
「善人が必ずいい思いが出来るとは限らないわ。けど、あなたはただ、仲良くしたいって意思があるだけだもの。あの子達があなたを遠ざけるなんて残酷なことは、ありはしないと思うわよ?」
フランは頭の中でその言葉を反芻し、噛みしめ、しばらくそのままでいた。
廊下のほうでぱたぱたと足音が聞こえ、さっきの妖怪兎が戻ってきたと分かってから、永琳から体を離した。体が触れ合っていた所には、まだ彼女の体温が残っていた。
「落ち着いた?」
さっきとは違う、にこやかな笑顔――フランが初めて会ったときにも見せていた、普通の笑顔の永琳だ。さっきまでの聖母のような雰囲気はどこかに消えていた。妖怪兎が戻ってきたからだろうか。フランはこくっと頷いた。
廊下の足音が大きくなり、ふすまがしゃっと開かれた。手に紙袋を持った妖怪兎が立っていた。
「フランドールさん! ……あっ、ごめんなさい……」
向かい合った二人を見て取り込み中と思ったのだろう、妖怪兎はすぐにふすまを閉めようとした。
「大丈夫ようどんげ、もう終わったわ」
そう言って永琳は立ち上がり、ゆっくり歩いて部屋を後にした。今度は足音が遠ざかり、部屋にはフランと妖怪兎だけが残った。
「……何の話だったんですか? 師匠、薬が多かったとか呟いてましたけど」
妖怪兎がフランの側に擦り寄り、声をひそめて尋ねてきた。フランが泣いていたことがばれないように兎の太ももあたりを見つめ、ううん、大したことじゃないよと言うと、頬をむっと膨らませ、
「師匠と二人だけの秘密ってことですねっ、ずるいですよ……はい、頭痛薬です。用法は中に書いてありますけど、分からないことがあったらまた聞いてくださいね」
と言って、永琳と同じ方へと歩いていってしまった。部屋を出る前に振り向いて「お大事にー!」と言い残して姿が見えなくなってから、フランは先ほどのことを思い返した。自分の知っていた永琳からは考えられない優しい仕草。あれが彼女の本心だったのか、一種のお遊びであったのかはフランにはよく分からなかったが――少なくとも、悪意は全く含まれていなかったように思えた。
陽が薄い雲に隠されるのを見てから、フランは永遠亭を後にした。何と言って彼女達の輪に入ろうか考えながら。
期待しました。期待が肩透かしを食らいました。もったいないと思います。
出来る事なら、この先を書いて欲しかった。フランドール様の努力とか空回りとか涙が欲しかった。
それと盛り上げようとした箇所は、分かった気がします。そこまでに積み上げるシーンが足りなかったと思います。
誰も彼も優しくて雰囲気がよかっただけに色々と惜しい。勝手ながら続編を期待します。
読みやすいし、せっかく面白くなってきたところなのに勿体ない。
ただ、これで完結とするのもアリだと思いますが。読み手に想像させる終わり方も好き。
優しい永琳も愛らしいフランドールも良かったです。
わかりやすい文で表現できてとても羨ましい限りでした。
フランドールと永琳かぁーこれは面白い。
しかし、この構成だとやっぱり「フランがチルノたちの輪に入ることができました、めでたしめでたし」まで書いてやっとひとつのSSとして完成、という感じがします。それを期待してるせいで、ちょっと物足りなくなってしまう話でした。
しかし、丁寧で温かみのある文章でいい作品。
しかし永琳……盛ったな? 自白剤か何か。