命蓮寺の軒下にツバメが巣をかけた。
巣は命蓮寺入り口に作られ、やがて五羽の雛が生まれた。だから最近は雛の鳴き声で命蓮寺の玄関はとても賑やかだ。
ツバメが巣を作り始めた時から命蓮寺のメンバーはみんな気にかけていて、雛が生まれると口には出さないけど内心嬉しがっているのが見てとれた。
私、村紗水蜜もそうで、雛が生まれてからうきうきわくわくしている。寺に出入りするとき、自然と巣に目を向けてしまう。
一輪は時々目を細めて巣を見上げている。
星は子どもがいたずらしないように注意書きを書いて、ナズーリンは手下のねずみに猫が近づいたら知らせるように警戒網を作らせた。
聖はいつものように穏やかに笑っていて、あのぬえでさえ時折巣を見守っているようだった。巣に近づいたカラスを追い払っているのを、一度見かけたことがある。
ツバメが巣をかけた家は繁盛している――、なんて言うけれど、ツバメが私たちの寺に巣を作ってくれたのは、命蓮寺にも人の出入りが多くなってきた証なのかもしれない。
なんだかツバメにも幻想郷の一員として認められたような気がして、嬉しかった。
幻想郷でツバメの嫌いな人はいない。
かわいいし、そうでなくとも益鳥だから、畑仕事に携わる人はみんなツバメを大事にする。
ツバメが人の家の近くに巣を作るのは、人に見守ってもらうことで外敵から雛を守るためなんだそうだ。
誰ともなく、ツバメの雛が巣立ちするまでは誰か必ず命蓮寺にいるようにしようと言い出し、すんなりとそれは決まった。
かわいそうに、烏天狗の新聞記者は、雛が巣立つまで命蓮寺出入り禁止になった。
それからというもの、私ははりきって巣を守っていた。
命蓮寺は聖輦船が変わったものだから、なんとなく自分の船にツバメが巣を作ってくれたような気がしたのだ。
それに、ツバメはもともと好きだった。見ていて健気で愛らしい。
もちろん餌をやるようなことはしなかったけど、時間があれば巣の周りを見はって、猫やカラスや蛇が近づかないように気をつけた。
多分命蓮寺のメンバーでは一番巣を気にかけていたと思う。
あんまり気を張っていたものだから、ある時ふと、自分がはりきり過ぎてないかと心配になったことがある。
野鳥というのはあまり人が(人じゃないけど)手を出しすぎるとよくないのではないかと。
そこで、一輪にそのことを聞いてみた。
「別に大丈夫じゃない」
一輪は気にする風も無く言った。
「ツバメは多少積極的に見守るくらいでいいのよ。雛や親鳥に直接手を出したりしなければ大丈夫。
ま、もしわからないことがあれば私に聞いて」
一輪は加えて、でもツバメにばかり集中して仕事をおろそかにしないでね、と苦笑した。
その言葉に安心した私は、仕事を注意されないように気を付けつつ、ますます巣の見守りに精を出すようになった。
ツバメもそれがわかったのか、それともタダの気まぐれか、親鳥になつかれるようになった。
ある朝、私が玄関に出て巣を見に行くと、ちょうど私が姿を表したのに合わせてツバメが鳴いてくれた。
それがまるで私にあいさつをしているみたいに聞こえて、ちょっとびっくりした。
さすがに私の勘違いかと思って、これはちょっとツバメ熱が高じ過ぎたかなとその時は思った。
ツバメは警戒心の強い鳥で、雛はともかく親鳥になると人になつかないと一輪からも聞いていたのだ。
でもそれからというもの、親鳥が巣にいるときは毎朝、私に会うと鳴いてくれるようになった。
私も手を上げておはようとあいさつを返す。そうするとツバメもまた囀ってくれる。
人に見られるとちょっと恥ずかしい気もしたけど、たとえ勘違いかもしれなくてもあいさつを返さないのは失礼な気がしたのだ。
ツバメとあいさつができると、その日一日調子がいいような気がした。
数日後、ツバメはさらに私になれてきた。
オスの親鳥が巣に餌を運ぶときたまに私の肩にとまるようになった。
まるで私の肩で一回バウンドするようにして餌を運ぶ。
一輪やナズーリンに聞くと普通そんなことはないらしい。というか二人とも私の話を聞いても半信半疑だった。
まあそうだろう。私だって信じられないのだから。自分の思い込みを疑ったくらいだ。
止まってくれるのは自分が人間じゃなくて木か何かに思われているんじゃないか(だって幽霊だし体温低いし)と思っていた。
やがて雛が大きくなって巣の周りを飛べるようになり、せっせと巣に餌を運ぶ必要がなくなると、さらにツバメは私に親しくなった。
私の肩に止まって羽を休めたり、私の手に乗ったり、里の商店で買い物をしている私を見つけて鳴いてくれたり。
私は嬉しくて嬉しくて、ツバメが可愛くて仕方がなかった。
命蓮寺のみんなは驚いた。
ツバメが私の肩に止まっているのを見て、一輪とナズーリンは「信じられない」と言った。
星がうらやましそうに私の肩を見て、聖は「よかったわね、ムラサ」と言ってくれた。ぬえは「鳥が止まってるってだけでそのしまりのない顔になるのヤメなよ」と口を尖らせていた。
ぬえの言うとおりだ。自分でも浮かれているとわかるくらい私は嬉しかった。
命蓮寺のメンバーでツバメが心を許してくれたのは私だけのようで、他のみんなに申し訳なく思いつつも、私だけというのが少し誇らしかった。
特にオスのほうが私になれてくれていて、私は彼を飼いたい衝動にいくども駆られた。
さすがにそれは自制したが、いつも一緒にいてくれる彼を名前で呼ばないのは失礼な気がして。
スーちゃんと呼ぶことにした。スワローからスーちゃん。我ながら安直だけど仕方がない。
私はスーちゃんと始終一緒にいた。寺でも、里でも、川でも山でも。移動で空を飛んでいるときにも隣を一緒に飛んでくれることもあった。
そうそう、もし機会があればぜひツバメと一緒に夏の空を飛んでみて欲しい。
澄み切った初夏の青空の中を、ツバメと一緒に飛ぶのは、本当に爽やかで気持ちのいい体験なのだ。
特に私はツバメの飛び方が大好きで、それに憧れてもいた。
そんなツバメと一緒に飛べる日が来るなんて、夢にも思わなかった。
ある日、一輪が言った。
「ムラサって、なんとなくツバメに似ているわよね」
その時私はスーちゃんを肩に止まらせていた。スーちゃんを見て、自分を見て、首を傾げた。
「そうかな?」
「うん、なんとなくだけど」
そう言われてみれば、ツバメの羽の鮮やかな黒と私の髪とか、それと対比するお腹の白と私のセーラーとか、胸元の赤がタイっぽく見えなくもないとことか、どことなく似ている気がしないでもない。
そう言うと、一輪は苦笑した。
「んん、色合いが近いっていうのもあるけど、それよりもなんか、気質がね」
「気質?」
「のびのびと飛んでいるところとか、すごく似ていると思うわ」
そう言われて悪い気はしないけど、でも自分がツバメと似ているとは思えなかった。
ツバメは私なんかより、もっとずっとかっこ良く飛ぶ。空を切って飛んでくツバメの姿に、私は憧れたのだ。
私がスーちゃん達を大事にしたのは、そんな幼い頃からの憧憬があったからかもしれない。
ツバメの飛び方に憧れて真似をしていたから、一輪が似たような部分を感じたのかもしれない。
昔の自分なら想像もしなかっただろう。
ただ船を沈める日々を送っていた私が、こんなに幸せな友達を手に入れられるなんて思わなかった。
ツバメに好いてもらえるなんて思わなかった。
それから、穏やかな初夏の午後、両肩に親鳥をとまらせて、雛たちの飛ぶ練習を眺めるのが、私にとって一番幸福な時間になった。
あっという間に夏が過ぎ、秋の足音が聞こえ出した。
雛もだいぶ育ってきて、りっぱな若ツバメになっていた、そんなある日のこと。
その日は特に雛を狙う敵が多くて、私は何度もおい払っていた。
雛が飛ぶようになってからますます増えた気がする。
蛇を追い払ったあと、錨を脇に立てかけ私はひたいの汗を拭った。日差しは強く、ジリジリと照りつけてくる。
どうも最近雛を狙う動物がしつこくなった気がする。殺生禁止だから殺しはしない。結界もはらない。
そのせいで敵さんも簡単には逃げなくなってきた。
追い払っても追い払っても、何度もやってくる。私は一旦錨を置いて、水を飲みに命蓮寺に入った。
台所ではちょうど一輪とナズーリンがいた。水を頼むと、一輪が、お疲れ様、と言って持ってきてくれた。
「相変わらず張り切っているね」
ナズーリンが私を見て言う。
「そりゃあね。最近スーちゃんたちを狙ってくるのが増えた気がするし……」
「まあ、もうしばらくだ。そろそろ巣立ちだろう」
「ああ」
巣立ち、という言葉にちょっと気が重くなった。もうすぐスーちゃんたちは去ってしまう。
巣ができてから、思えばあっという間のようだった。
いきものだから仕方ないとはいえ、やっぱり寂しい。せっかく仲良くなったのに、という思いがある。
私の表情から、そんな気持ちを読み取ったのか、一輪が慰めるように話しかけてきた。
「落ち込まないで。もっと喜ばなきゃ。ここまで無事に育ってきたのはムラサのおかげでもあるんだから」
「ありがと一輪。でも私は何も大したことしてないよ。ちょっと見張っていただけ」
スーちゃんたちが雛を育てるためにどれだけ苦労していたか、私は知っている。
「そうだよね、私が落ち込んじゃ、いけないよね。笑って見送ってあげなきゃ」
スーちゃんたちのこれまでの苦労を思い出したら、元気が湧いてきた。
「そうそう、泣かないようにな、船長」
皮肉っぽいナズーリンの言葉に、私は言い返そうとした。
その時、けたたましい叫び声が命蓮寺を貫いた。
切り裂くような鳴き声が深く鋭く耳の内側に入り込んでくる。
体が硬直する。
「玄関だ」
ナズーリンが短く言った。
鳴き声は続いている。
私は弾かれたように飛び出した。
外に出てすぐに状況はわかった。
野良猫がいた。狩猟動物そのものの目で、巣を狙っていた。鳴き声は母鳥のものだった。
低く飛んで猫の注意を惹きつけようとしている。
私はすぐに猫を追い払った。小さな爆発を起こしただけで猫は逃げ出した。
飛び上がって巣の中を除く。
雛たちは無事だった。母鳥も、怪我はしてないようだった。
ほっと、安堵の溜息をついたところで、足元にあるものに気づく。
スーちゃんだった。猫にやられて、虫の息だった。
「スーちゃん!?」
叫び声を上げて、地面からすくい上げる。
ひどい状態だった。翼は半分折れ、足はあらぬ方へ曲がっていた。血が流れ白い体毛が赤く染まっている。
「どうした、船長」
みんなが慌てた様子で寺から出てきた。私はすぐに今あったことを話した。
スーちゃんの姿に、みんなも息を飲んだ。
「早く、早く手当してあげないと」
「いや、でもこれは……」
ナズーリンが言いかけて言葉を濁した。何を言いたいかは伝わってくる。
体の各部がぼろぼろで、きちんとした知識のない私達には手におえる怪我じゃない。それに、スーちゃんの吐息は今にも消え入りそうで、とても長くは持ちそうもない。
「と、とにかく何とかしなきゃ!」
私は固まったままのみんなをおいて、寺の中に駆け戻った。まっすぐに聖の居室を目指す。
突然訪室した私に聖は驚いていたが、事情を話すとすぐに治癒魔法をかけてくれた。
暖かな光がスーちゃんを包んだ。傷口がふさがり出血が止まっていく……。
期待を込めて見つめていると、唐突にその光は途切れてしまった。
「ごめんなさい、村紗。私にはここまでしかできないわ」
いつにない弱々しさで、聖が言う。
「そんな、どうして? 聖の力なら」
「私の治癒魔法では、この子の身体を元通りにすることはできないの。生命力を与えるだけ。傷がふさがっても、この子は二度と飛べなくなってしまうわ。
きちんと治してあげるには足を接いだり骨の形をきちんと整えてあげないと」
「そんな……」
私は言葉を失う。スーちゃんが、こぽっ、と血の泡を吐いた。
身体に温かみは戻ってきてるのに、瀕死であることはかわりない。
このままでは、スーちゃんをいたずらに苦しめることになる。
気づくと私は身を翻していた。
「どこへ行くの、村紗」
「お医者さんを探してきます。スーちゃんを治せる人を」
私は聖の部屋を飛び出した
廊下の途中で、一輪に会った。狭いところですれ違ったのでぶつかりかけ、
「きゃ」
と一輪が悲鳴をもらす。私は慌てて謝った。
「そんなに急いでどこに行くの?」
「獣医さんを探してくるの。聖でも、完全には治せないらしいから」
「そう。……ねえ、ムラサ」
一輪が言いにくそうに、口ごもりながら話しかけてきた。
「なに?」
「あまり言いたくはないのだけど、その、あなた錨を玄関に置いておいたでしょう」
視線をさまよわせながら、一輪が言う。
それどころじゃないのに。そう思いながらも私は返事をする。
「うん、それが?」
「……あのね、ツバメの巣の近くには、余り物は置かないほうがいいの。
普段は高いところにある巣を、猫や蛇が伝って、襲うことがあるから」
ガン、と頭を殴られたような気がした。
「ごめんなさい。私も教えておけばよかった」
「そんな、それじゃあスーちゃんは、」
わたしの、せいで?
「…………」
「ムラサ……」
一輪が気遣わしげに声をかけてきた。黙ったまま、私は再び駆け出す。
「ムラサ!?」
「まだ……まだ間に合うから」
振り返らないまま一輪に答える。
「私がきっと、スーちゃんを助けてみせる!」
玄関に出たとき、錨を回収した。
なんて馬鹿だったんだろう。
スーちゃんを見る。血を混ぜながら、かろうじて息をしている。
知らなかったの、ごめんなさい。
なんて、言えるわけなかった。
なかなか医者は見つからなかった。
初めに尋ねた里の獣医は、牛や馬専門で小鳥は見れないと断られた。
続いて鶏も診てくれる獣医さんを尋ねたが、一目見るなり。
「これは、私には難しいなあ」
と言われた。こんなにひどい傷は治したことがないと。
生きているのが不思議だと言われた。里の他の獣医も全部回ったが、あとはどこも似たような返事だった。
竹林を抜けて有名な薬師の元へも行ったが、返事は芳しくなかった。
「ツバメ、ねえ……」
銀色の髪を垂らした薬師は、眉根を寄せてスーちゃんを見ていた。
「小鳥は専門外なの。手術なんてしたこと無いし、データも取ったこと無いから」
「そこをなんとか、治せませんか」
「麻酔の仕方も体の構造も人間とはまるで違うわ。
傷を癒すだけならともかく、ちゃんと飛べるように体を直してあげられる自信はないの。ごめんなさい」
そこでも断られて、私はすっかり消沈した。
里に戻ってきて空を見上げた。太陽はだいぶ傾いている。
もう時間がない。
手の中のスーちゃんも前よりぐったりしていた。
「ムラサ!」
声に顔を上げると、一輪とナズーリンが私に走りよってきていた。
「どうだった?」
問いかけに、私は力なく首を振る。
「そう」
一輪も聞いたきり、言葉を継ぐことはしなかった。
代わりに、ナズーリンが言った。
「いっそ、諦めてはどうだ?」
「えっ」
私はびっくりした。
「これだけ探して見つからないんだ、そのツバメを治せる腕の医者なんて、無いんだろう」
それに、とナズーリンは続ける。
「その傷で、無理に生かしてやるべきなのか? 自然に任す、という選択もあると思うが」
「そんな……」
「その父鳥は身を呈して跳びかかる猫から巣を守ったんだろう。名誉の傷だ。船長、君が気にすることじゃない」
ナズーリンがいつもの冷静な声で言う。
「不幸な偶然ではあったが、よくあることだ。父鳥はするべきことをしたにすぎないし、その鳥は君のペットでもない」
射ぬくような視線で見つめられる。正論だけに、恐かった。
思わずナズーリンから目をそらす。すると、手元に視線が落ちた。
スーちゃん。
私の友達でこどもを守るために傷ついたスーちゃん。
いま、ようやく息だけしているスーちゃん。
「……できないよ」
つぶやきが唇からこぼれた。
「できないよ。私のせいでこんな傷を負ったなんて知ったら、なおさら。諦められないよ。
スーちゃんは、命蓮寺の巣の子たちは、他でもない私たちが守ってくれると思って、そう信じてあそこで暮らしていたんだよ。
それを、私がバカだったから、台無しにするようなことしたんだ」
ツバメたちを守ると、一人で勝手に息巻いて、調子にのって、取り返しの付かないことをしてしまった。
私は償わないといけない
たとえ自然に反しててもいい。間違っててもいい。
「スーちゃんに、生きててほしい。生きて、また空を飛んで、ヒナちゃんたちと一緒に南へ渡って欲しい」
目から熱いものがこぼれた。ポタポタと、スーちゃんの羽を濡らしていく。
「私のわがままなのは、わかってるよ。でも、スーちゃんは友達だったんだよ。まだあきらめたくないよ」
こんな、こんな私に。
なついて、すり寄って、甘えてくれた。
そんな友達を、自分が傷つけた友達を、見捨てることなんてできない。
そう強く思った。
ナズーリンが言った。
「まあ、君の言い分はわかったが、しかし現実問題どうするんだい。もう里の獣医には全て聞いたのだろう?」
私はうつむいて、小さくうなずく。頼れそうなところは全て聞いていた。もう心当たりはほとんどない。
私は記憶もう一度全部探ってみた。
何か、なにか見落としているような場所はないか。
頭の中をひっくり返すようなつもりで、覚えてる限りのお医者さんを探ってみる。
そのとき、チラリと頭の隅にひらめくものがあった。
「あ、」
私のつぶやきを聞きとがめて、一輪とナズーリンが同時にこちらを見る。
「なにか思い出したの?」
一輪にうなずきを返す。そうだ。なぜ今まで忘れていたのだろう。
「いる、もしかしたら、あのひとなら」
「? 知り合いなのかい?」
ナズーリンの質問に答えるより前に、私は飛び出していた。空中から一輪とナズーリンに声をかける。
「ごめん、私行ってくる。二人は先に帰っていて」
「ちょっとムラサ、行くってどこへ?」
「地霊殿」
短く答えると、私は地底へ向け全速力で飛んだ。
地霊殿の主人、覚り妖怪のさとりさんとは地底で出会った。
彼女は地霊殿の主で地底の管理人をやっている。
私が地下に封じられているとき色々と面倒を見てもらった恩がある。
さとりさんは「映姫に貴方達も含めたここの管理を任されているからですよ」なんてそっけなく言ってたけど、仕事だか仕方なく、とはとても思えない温かい手を差し伸べられた。
さとりさんは怨霊を管理すると同時に、地底の様々な生き物をペットとして飼っていた。
でも地底にはきちんとした獣医さんなんていなかったから、ペットの体調管理は全部さとりさんが面倒を見ていた。薬も作るし手術もこなす。
勉強家で手先も器用なさとりさんはもともと玄人はだしの腕前で、さらに何百年も研鑽を積んだものだから地底では右にでるものがいないくらいりっぱな獣医になっていた。
なにより、さとりさんは動物の心がわかる。どこが痛くてどんな症状があるのか内外でわかるのだ。これは一番の強みだった。まさに地底のドリトル先生といった風だ。
さとりさんに診てもらえれば、スーちゃんを治してくれるかもしれない。
あとは自分がどれだけ早くたどりつけるかだ。
どうか間にあいますように。
祈り、地底への道を急いだ。
祈りを神様か仏様が聞いてくれたのかもしれない。地底に行ってすぐ、私はさとりさんを見つけられた。
旧都へとつなぐ橋の下の川岸で、さとりさんは涼んでいた。
生成地に金魚と水草が描かれた浴衣を着て、足先を川面につけている。
隣には尾が二つに別れた黒猫が寝転がっていた。
さとりさんは時々ゆるく団扇を扇いで自分と猫の両方に風を送っている。
私がそばに駆け寄ると、さとりさんはゆったりとした動作でこちらを振り返った。
「あら村紗、どうしたのですか。……今にも泣きそうな顔をしてますよ」
私はなにか言おうにも言葉が詰まってしまい、黙って手の中のスーちゃんを見せた。
さとりさんがやさしくスーちゃんを受け取る。早速身体を点検しはじめた。
「この子は、どうしてこうなったのかしら」
尋ねられて、私は思い出した様に慌てて経緯をしゃべりだした。
しどろもどろな私の説明をさとりさんは静かに聞いてくれ、途中二三の質問を挟んだ。
ちゃんと伝わったかも怪しい私の説明が終わったあとも、ふんわりと優しい手つきで羽や足の爪、骨の具合なんかを診て回っている。話し終えた私はもう何も言うこともできず、じっとりと嫌な汗を手のひらに感じながらさとりさんの言葉を待った。
さとりさんがようやくスーちゃんから目を話して顔を上げたとき、私は思わず勢い込んで言ってしまった。
「お願いします、この子を、スーちゃんを助けて下さい」
さとりさんは私を落ち着けるように小さく微笑んで言った。
「やってみましょう」
さとりさんのその言葉が聞けただけで、へなへなと崩れ落ちてしまった。
また断られたらどうしよう、とか、この間にスーちゃんが助からなくなったらどうしよう、とかそんな事ばかり考えて緊張で壊れそうになっていた私はさとりさんの言葉で一気に力が抜けてしまったのだった。
「お願いします」
そう言うのが精一杯だった。
地霊殿の奥には大怪我をしたペットのための手術室がある。
浴衣から手術用の服に着替えたさとりさんはその扉の前で、私に言った。
「この子は確かに預かりました。あなたはどうしますか? 今は帰っていただいても大丈夫ですが。あとでお燐に呼びに行かせましょう」
さとりさんの言葉に私は首を振る。さとりさんが先に口を開いた。
「ああ、ここで待ちたい、と。まあ、そう言うのではないかと思っていました」
さとりさんは続けて、
「この近くに応接間があるのは覚えてますか? そこで休んでいてください。
あいにくここには待合のソファーのような気のきいたものはないので」
そうすすめてくれた。
「ありがとう、さとりさん。でも私、ここで待ちたいよ」
「いけません」
強い口調でさとりさんが遮る。手で応接間の方を示した。
「どうぞそちらで。今にも倒れそうな顔をしていますよ。待つのは構いませんが、休んでいてください」
反論できず、私はこっくり頷いた。それで満足したように、さとりさんは手術室にスーちゃんを連れて入る。
そのまま待ちたい気持ちは強くあったが、私はさとりさんとの約束通り応接間に向かった。
ソファーに座るとどっと疲れが出て、私は思わず身を横たえた。少し身体は楽になったが、心は些かも休まらない。スーちゃんのことが心配で心配で、もうさとりさんに任せたんだからと思っても、そのことばかり考えてしまう。
ぐるぐるぐるぐる。渦のような思考が終わりなく続く。嫌な予感を打ち消し打ち消し、ジリジリと時間が過ぎた。
なんの前触れもなく、部屋の扉は開いた。
パッと、弾かれたようにソファーから立ち上がる。少し疲れた顔のさとりさんが出てきた。
私を見て、さとりさんは笑った。
「ふふ、私よりやつれて見えますよ。大丈夫、なんとか無事終わりました」
そう言うと、私に透明な箱を差し出した。
中ではスーちゃんが、静かに眠っていた。羽も、身体も、元通り。
ところどころ羽毛が薄くなっていなければ、怪我をしたとは思えない。
全身から力が抜けた。良かった、良かったと何度もつぶやく。
スーちゃんが治った。さすがさとりさんだと思った。これできっと、また飛ぶことができる。
やがてさとりさんは、スーちゃんの入った箱を再び手元に抱えた。
「ちょっと待っていてください」
そう言い残し、ふらりと廊下の奥へ消えていく。
それほど長い時間は掛からず、戻ってきた。手にはもうスーちゃんは抱えてない。
どこかに連れていったのかと思うと、
「まだ安静にしていなければならないのですよ。そういう療養のための部屋もあるのです」
そうさとりさんは説明してくれた。ちなみにあの箱も、菌を遮断し生命力を高める特殊なものらしい。
つくづく地霊殿には何でも揃っていた。最初にここに来ればよかったかもしれない。
すると、その思考を読んだらしいさとりさんが言う。
「とんでもない。私が手術できたのは、最初に回復魔法がかけられていたからですよ。
丁寧で力強く緻密なあの術式がなければ、とても保たなかったでしょう。貴方の恩人は、素晴らしい力をお持ちですね」
聖。
さとりさんに言われるまで、聖がしてくれたことに気づいてなかった。
あの短い時間の中で、精一杯の処置をしてくれていたのだ。
聖に心から感謝した。帰ったらいっぱいお礼を言おうと思った。
それだけじゃない。今回のことはみんなにいっぱい迷惑をかけた。みんな心配しているだろう。
そして、スーちゃんが治ったと知ったら、きっと喜んでくれるだろう。
ナズーリンはああ言っていたが、良い知らせを聞いたら一緒に喜んでくれるのを私は知っている。
良かった、スーちゃんが元気になれて本当に良かった。
眼がなんか曇っているな、と思ったら、泣いていることに今更気づいた。今度は、うれし涙だった。ぼやけた目でさとりさんを見つめ、お礼を言った。
「さとりさん、本当にありがとう。なんてお礼したらいいかわからないよ。本当に、本当にありがとう」
「あら、お礼なんて気にしないでいいですよ」
さとりさんの手がしなやかに動いた。そっと私の顎を掴んで顔の向きを変える。
「これだけいただければ」
急にさとりさんの顔がアップになったかと思うと、目元に吸い付かれた。チュッ、という可愛らしい音がものすごく間近で聞こえて、思わずヒィッ!?と固まる。
涙のあとをなぞるようにぺろりと頬を舐められた。
「うん、甘い」
「さ、さささとりさんなにを」
「ですからお代をいただこうかと」
なおも私の頬をついばんでくる。
「や、やめてください。ちゃんとお題ならお金で払いますから」
「お金なんかよりこっちのほうが私の栄養になるのですよ」
「で、でも最初に言って欲しかったですっ。うひゃあ!?」
さとりさんはこぼれる私の涙を美味しそうに掬い取り続けた。
実はこれをされるのは初めてではない。
心を食べる妖怪のさとりさんは、心が形どったものも食べることができるらしい。
霊体でできている私の流す涙は、純粋な魂の雫みたいなものなのだそうだ。
何故かさとりさんは私の味を気に入ってしまい、地底にいた頃時々こうして舐めとられていた。
でも、このくすぐったいような妙な感覚は、何年経ってもなれない。
私の涙が止まると、さとりさんは満足したように唇を離した。
そのまま私を置いて部屋を出て行く。おかげで私はまだバクバクいっている心臓をなだめることができた。
やがてさとりさんは二人分の茶器を持ち戻ってきた。花柄のティーカップに熱い紅茶を注いで、私に勧めてくれた。
お礼を言って受け取った。
さとりさんのいれる紅茶は美味しくて、今日一日スーちゃんを心配してとがった神経がほぐれていくように感じた。
さとりさんがおもむろに言った。
「あなたの嬉し涙は蜂蜜のような味がするのですよ。実に紅茶によく合って」
紅茶吹き出した。
ゲホゴホとむせ込む私を見て、さとりさんはクスクス笑っている。
「そういう味の感想とか、言わないでください」
「あら、褒めているんですよ。濁りのない素敵な涙だと」
ちょっと涙目になった。恨めしくさとりさんを見上げる。
「むう、さとりさんって、私に対していじわるですよね。そんなに涙が欲しいんですか」
「いじめたときのあなたの涙はペパーミントのようですね。爽やかですが、私は好みません。甘党なので」
では私をいじるのは趣味ということだろうか。それとも私がいじられキャラなんだろうか。
心のなかで聞いてみたが、さとりさんは素知らぬ顔で紅茶をすするだけだった。
諦めて私も紅茶を飲む。
突然思い出したようにさとりさんが言う。
「貴方のことだから医者探しで何も食べていないでしょう、よければ夕食を作りますが」
毒のない笑顔で尋ねられる。
む。
魅力的な申し出だった。
でも返事をする前ちらと、命蓮寺のみんなも夕食を用意してくれているかもしれないという考えが頭をよぎった。
『目ざとく』それに気づいたさとりさんが追って言葉をかぶせる。
「もちろん無理にとは言いませんが」
私はちょっと迷って、やっぱり地霊殿の夕食をいただくことにした。命蓮寺のメンバーには連絡しておけばいい。
それに、さとりさんの洋食はおいしいのだ。
「良いのですか?」
「うん、いただきます」
「そうですか」
その時さとりさんは少しだけ嬉しそうに微笑んだ気がした。
気のせいかもしれないけど。
机の上の茶器を、さとりさんが片付け始める。
「では夕食の準備を手伝ってください。命蓮寺への言付けは、お燐に任せましょう。あの子が一番早いだろうから」
「オッケー」
さとりさんはお燐を呼んで伝言を頼んだ。私も茶器を片付け、両手に持って立ち上がる。
さとりさんの後に続いて地霊殿のキッチンに向かった。
廊下を緩やかな足取りで進むさとりさんの背中を見ていると、急に、自分の中である言い表し難い感情が湧いてくるのがわかった。
それは思わず口をついて言葉となって出てきた。
「さとりさん、本当にありがとう。今日のことは忘れません」
さとりさんは静かに振り返った。口元にはいつもの薄い笑みがある。
お気になさらず、さとりさんはそう穏やかに言って、
「泊まりにきたければ、いつでも来ていいのですよ」
と、私の顔を見た。
「たまには地上の話も聞かせてください」
その言葉で、今さらながら私は、地上に行ってから一度も便りを出さなかったことを後悔した。
地底でよくしてもらった恩人に、あまりにも素っ気無い態度だったと思う。
「うん、さとりさん。迷惑でなければ、また遊びにこさせて」
「ええ、ぜひ」
さとりさんは嬉しそうに言う。
「今度はレモンティーにしましょう」
「もう私の涙の話はいいから!」
(おわり)
後半の安心しきった水蜜が可愛くて仕方ない!
いじめたい
鳥を虐める輩は全員映姫様の悔悟棒をケツに喰らえばいいのだ。
さとり様が動物のお医者さんというのは目から鱗。とってもべネな設定ですね。
水蜜は可愛らしく、そして微笑ましい。ネーミングセンスがメラン子並みってのも気に入った。
欲を言えばさとり様経由でスーちゃんの水蜜に対する気持ちが伝わるシーンがあればな、と。
ほのぼのしく面白かった。良い作品をありがとう、作者様。
>ツバメが巣を作り始めた時から命蓮寺のメンバーはみんな気にかけいて →気にかけていて?
>「行けません」強い口調でさとりさんが遮る →そこに行っては行けません。自分は違和感を覚える性質ですね
それも変じゃないか?
作品には関係ないけど