魔法使いは弱くなれば弱くなるほど強くなる。
紅い館の魔女パチュリー・ノーレッジは一見矛盾した―――見るからに矛盾に満ち溢れたそんな持論を持っているのだけれど、彼女の主の吸血鬼などは
「はぁ? 弱くなったら弱くなるに決まっているじゃない。強くなるには強くなるしかないわ」
だなんて至極真っ当な正論を突き返してくるのだった。
正論。
正論である。
反論の余地などあろうはずもない。
ただしそれはレミリアのように正攻法に則って考えれば、の話である。
パチュリーはそんな風にはものを考えない少女であり、邪にひねくれて考える―――魔女だった。
「アリス、大丈夫? ……貴方が最近どこにも顔を出していないとレミィと咲夜に聞いて一応様子を見に来たのだけれど、どうやら来て正解だったみたいね」
「…………ぅ」
「苦しいなら喋らないほうがいいわ、アリス。病気のときは苦痛が去るまで大人しくしておくものよ」
だからこうして、
「それにしても酷い衰弱ぶりだわ。こんな弱り方は以前の貴方の健脚ぶりを見る限りじゃ夢想だにしなかった。私が未熟者と蔑んでいた頃の貴方では有り得なかった。こんなに弱々しい今のアリスは―――」
「……パチュ、リー?」
「一体、どれだけ強力な魔法を扱えるようになっているのかしら?」
いつもは綺麗に整えられているはずの金砂のような髪を乱れさせて。
ぜぇぜぇと息も荒く、白磁のような肌をいっそ青白くして、ベッドに横たわったまま立つことすら出来ずにいるアリスを。
こともあろうに『強く』なったなどと評すのだった。
そしてまるで愛しいものを慈しむようなそんな瞳をアリスに向けて、パチュリーは優しい声色で言葉を紡いだ。
「おめでとうアリス。やっと一人前の魔法使いになれたのね」
↓ ↓
物凄く砕けた言い方をしてしまえば。
人形の森の魔女アリス・マーガトロイドにはパチュリーがデレたように見えていた。
無論そんなわけではないのだが。
そんなわけではないと信じたい、のだが。
普段のそれとはまるで真逆とすら形容可能なパチュリーの自分に対する態度には些かばかりの疑問を抱かずにはいられないのだろう。
いくら病に倒れたアリス自身の今にも消え入ってしまいそうな弱々しさが、どうしようもなくパチュリーの庇護欲を掻き立てていたのだとしても。
「どう? 落ち着いた? ああ、まだ立とうとしない方がいいわ。貧血で倒れると大変だもの」
「大分楽になったわ、ありがとう。貴方の持ってきた薬のおかげね。……私の症状にピンポイントで効能のある薬を常備していたのには驚きだけれど」
「まあ病弱の大先輩だからね。魔法使いが陥りやすい病に対する処方箋は大概持ち歩いているの」
「よくあることなんだ、ああいうの」
「……よっぽど熱心に魔法実験に勤しんでいたのね。けれど流石に短期間に身体に毒素を溜め込みすぎよ。今度からはもうちょっとペースを落とすか、耐毒術式を十重二十重にかけてやることをおすすめするわ」
「毒素―――」
「そう、毒素。けれど毒が身体に蓄積して病に倒れるっていうのはある意味魔法使いにとっては一人前のステイタスでもあるわ。それだけの間――少なくとも人間には不可能なくらい――研究に打ち込んできたっていう偽らざる証拠だもの」
魔法使いは(専攻する分野にもよるが)砒素や水銀を始めとした実に様々な毒物を頻繁に使用する。
等価交換をモットーとする錬金術のような極端な例を挙げるまでもなく魔法というシステムはコストやリスクが大きければ大きいほど莫大なリターンを返してくることが常だ。
故にパチュリーのような割り切った魔法使いは自分の身体の健康程度のコストや病気に罹る危険性程度のリスクならば平気の平左で、ゴミを屑籠に投げ捨てでもするかのようにそれをリターンに変換することを躊躇わない。
その結果自らが病弱に、貧弱になろうとも能力値の総合で見れば圧倒的に強化されるからだ。
そういった観点から見れば、パチュリー・ノーレッジの持論はなんら間違ってはいないのだ。
弱くなれば弱くなるほど強くなる。
あるいは、堕落すれば堕落するほど昇華されていく。
……正統派な強さの概念を支持する輩には受け容れられはしないだろうが。
だがそれを受け容れて初めて魔法使いとして一人前になれるのだとパチュリーは定義する。
弱さを弱さとして、どころか弱さを誇りとしてすら受け容れている。
何故ならえげつない搦め手禁じ手や事前に強力極まりない術式を張り巡らせたテリトリーの準備、相手の致命的弱点を的確に突く戦術―――いわゆる『ハメ』『待ち』『かぶせ』を得意とし至上とする魔法使いは、最も正統派とはかけ離れた邪道なプレイヤー類型に当たるからだ。
そういったプレイスタイルを選択するのを、真っ当に戦って強いレミリアあたりは『弱い』からそうするのだとバッサリ切り捨ててかかるかもしれない(『かぶせ』に極端に弱い彼女が言ったところで負け惜しみにしか聞こえないという現実的な問題はさておき)。
理解者なき孤独を、パチュリーは百年間ずっと味わってきた。
けれど、それでも、だからこそ―――である。
「魔法使いは弱くなれば弱くなるほど強くなるのよ、アリス」
「え?」
アリスが体を預ける豪奢な少女趣味極まるベッドに自分も座って。
まるで姉が妹に寝物語でもするかのような柔らかい笑みを浮かべてパチュリーはそう、諭すように言った。
「研究を続けることと身体が病弱になっていくことは私達にとってはイコールで結ばれていて、避けられない宿命よ。聖白蓮のように身体を弱くして得たパラメータをそのまま身体強化魔法に注ぎ込んでデメリット完全相殺なんていうインチキじみた例外中の例外も存在するには存在するけれど、私達はそうではないでしょう?」
「パチュリーは精霊魔法で……」
「そ。そして貴方は何でも、ね。万能の魔法使いと言えば聞こえは良いけれど、色んな分野の研究に手を出す分色んなデメリットを背負うことになると思うわ。将来的にはそれはもう、私の比ではないレヴェルの数の病魔に身体を蝕まれることになるでしょうね。貴方の場合特に元々病的なまでに肌の色素が薄いから太陽の下に出るのはこれからは控えておくべきかもね」
「……まるで吸血鬼ね」
「彼女達に課せられた制約ほど厳密な行動制限と思う必要もないけれどね―――ああ、そういえば」
貴方の苗字はマーガトロイドだったわね、だなんて本人にすら意味の通じない冗談を吐く。
重ねて出身地も確か―――と言いかけるが中断する。
魔法使いにとって外の世界での故郷の話は結構な確率で『地雷』と成り得ることを魔女として百年生きた経験によって誰よりも深く理解していたからだ。
(時代的に『狩り』に遭った経験なんて流石にないだろうけれど……ね)
それでも、である。
「……まあこれからは日傘くらいは持ち歩くことね。あと多分貴方はこれから貧血で倒れることが多くなると思うから魔神に頼んで随身を付けてもらうか、」
「完全自立人形を完成させるか、か……現状の私の人形操作能力じゃ私が意識を失った瞬間全てシステムダウンしてしまうものね」
「そうそう。ちゃんとわかってるようで嬉しいわ。そうやって弱い部分をそれ以上に圧倒的な強さでカヴァーしていくことこそ魔法使いの本領なのだから。動けない身体になるのなら、動かなくてもいい使い手になればいい。貴方にはその才能も適正も十二分にある」
「……そっか。そうなるんだよね私。もう今までみたいに自由に外を飛び回ったりみんなと一緒に宴会で騒いだりなんてことは出来なくなるのかな」
悲しげに、呟くアリス。
「――――――」
失言だった、とはパチュリーは思わない。
いつか必ず直面する現実だから知っておかなければならないからだとか、そういった至極真っ当な人間らしい理由ではなく。
それを自ら口にするアリスがこの上なく儚げで実にそそるからという極めて邪な―――けれどそれ故にどこまでも純真な怪物的感情がパチュリーの中に芽生えていたからだ。
「私ね、実は怖いのよ。弱く―――病弱になっていくのが。なんだかどんどん本当に人間じゃなくなっていく気がして。ううん、もう私だって自分がバケモノだってことくらいわかってるつもり。それでもどうしようもなく不安なのはきっと私の心が弱いから。こんなこと、生まれついての魔法使いだったパチュリーにはわからないことかもしれないけれど」
かつてのアリス・マーガトロイドは気丈だった。
戦い方も(万能の才覚を持つにも関わらず)相手の弱点を突いたりすることは殆どなく、いわば正統派のそれだった。
しかしそれはもうパチュリーにとっては過去系でしか表現出来ないものだ。
戦い方もこれからは徐々に氷河期すら連想させるような魔法使いらしいプレイスタイルへと変化、否、進化していくだろう。
今ここで身も心もさらけ出しているアリスは――寝食を蔑ろにして毒に身体を蝕ませてようやく一人前と言えるレヴェルに達した強い魔法使いアリス・マーガトロイドは――今やパチュリーと遜色ないくらいに、弱い生き物だった。
魔女にとっては馬鹿馬鹿しい以外の何物でもない、真っ当な強さを全う出来る強者の真似事から脱却し、未熟者から一皮剥けた一人前の魔法使い。
自分と同じに病弱で。
自分と同じに孤独を恐れる鏡写しの愛しき弱者。
そんな存在は今まで幻想郷にパチュリーを除いて存在しなかった。
紅魔館という家を持ちレミリアという百年近い付き合いの友人を持つパチュリー・ノーレッジであったがしかし。
そういった弱さを共有出来る盟友の不在という意味では―――この世に生を受けてから今の今まで孤独だったのだ。
だからパチュリーは。
「そうね。悪いけれどそれだけはわかってあげられそうにないわね。私には人間から人外に転身するだなんてドラマチックな経験はないもの。最初から邪なバケモノだった私に貴方のその気持ちは共感してあげることも出来ないし、ましてや癒してあげることだって出来やしない」
少々残酷な物言いをしてしまったかと内心後悔しつつも、パチュリーはアリスの弱々しさに満ちた吐露を切り捨てた。
そっか、と残念なようでそれでいて諦念の混交したなんとも言えない表情を浮かべるアリスに罪悪感を抱きはした。
けれどそれ以上に滲み出る彼女の存在の筆舌に尽くし難いまでの可憐さにパチュリーは自分の心が吸い寄せられていくのを感じた。
堕落していくのを―――弱い彼女にますます自分が弱くされていくのを直感した。
「けどね」
とパチュリーは続ける。
「こうして病床に伏している貴方の弱さを、孤独感を紛らわせてあげることくらいは出来る。不安感を麻痺させてあげることくらいは―――してあげられるわ」
だからパチュリーは。
―――アリスが病気で倒れているのをその目で見たとき何物にも変え難い、彼女の百年の生の中でも最大級の嬉しさを感じたのだ。
(やっとあの辛さをわかってくれる仲間が出来たような気がして―――)
「一人で病に苦しめられているときの寂しさを、私は幻想郷の誰よりも知っているつもりだもの」
アリス・マーガトロイドをもっと自分と同じ域の弱さにまで堕落させたいと、思う。
この上なく強く思う。
いっそ彼女とどろどろに溶け合ってしまいたいとまで。
「だから私とささやかな契約をしましょう」
「契、約?」
「そう、契約。私達はこれから先どちらかが病気になったとき、常に互いの傍に居続ける。看病し続ける。甘い言葉を―――囁き続ける。そんな、病の床での心細さや孤独を解消するための堕落的相互契約」
それは病で弱った心身に付け込むかのような人としてあるまじき行為のように感じられたけれど、人でなしの魔女であるパチュリーにとってそんな誹謗は受ける筋合いもなかった。
というか、言ってしまうなら。
そういう風になる素質が幻想郷の中で誰よりも高かったアリスにパチュリーは元々目をかけていたのだから。
なんのことはない。
そもそも今日のこの日のパチュリー・ノーレッジは。
アリス・マーガトロイドと傷を舐め合う関係性を構築しにやってきていたのだから。
百年間埋まらなかった心の孔に何かが生まれることを期待して―――
「貴方には―――レミリアや咲夜やフランドールがいるじゃない」
一人という言葉に弱々しく突っ込みを入れるアリス。
それはアリスにとっては当然の突っ込みだったけれど。
当のパチュリーはそこを突っ込まれるの意味がわからないという風に、ごく自然に言葉を繋いだ。
「そうね。けどそれでも私は一人なの。独りと言った方が正確かしら。あいつらは結局みんなどいつもこいつも健康体だから私の苦しみなんて理解出来てはいないのよ。それでも感謝はしているけれどね」
感謝はしている。
それに偽りはない。
彼女らは得難い友人達だ。
だが、
決してパチュリーと同じにまではなれはしないのだ。
そういう器ではない。
器が、違うのだ。
―――アリス・マーガトロイドとは違って。
「酷い魔女」
「お褒めに預かり光栄ですわ」
くすくす、だなんて。
二人して笑い合う。
「だから私にも必要なのよ。貴方が―――私と同じ弱さを持つに至った一人前の魔法使い、アリス・マーガトロイドが」
右手を差し出し。
一緒に堕ちていきましょう、と言わんばかりに。
それがもし告白の言葉だったとしたなら最低の内容だとパチュリー自身自覚してはいたけれど。
(それでも自分には相応しい。否、それこそ自分に相応しい)
「病弱っ子同士、仲良く馴れ合いましょう?」
「―――うん」
アリスは差し出されたパチュリーの手をなんとか力弱く、けれどそれでもせいいっぱい、
握り返した。
かくして契約は成立し―――
二人は病めるときも病めるときも寄り添い弱さを露呈し合って傷とかその他諸々を舐め合う堕落しきりの、
甘えに甘えを重ねた甘ったるい関係性を結ぶことと相成った。
互いに堕落して弱くなって、もっと強くなるために。
と―――
パチュリーは何を思ったのかアリスの服に手をかけた。
「ちょっと、パチュリー何を……!? きゃっ―――」
とは言うものの、胸元のボタンを静かに一つずつ外していくがアリスは身体の自由がまだ利かないのか無抵抗のままだ。
そのまま手際良く上半身裸に剥いてしまう。
そしていつの間に用意したのか、濡れタオルがパチュリーの手に握られていた。
「いや、いくら代謝機能が殆ど必要ない魔法使いだからといっても貴方一週間以上ずっとそのままでしょう? 気分の問題ではあるけれど、身体拭いてあげようと思って。余計なお世話だったかしら?」
「……いいえ、世話になるわ」
「いやらしい意味はないのよ」
「わかってるわよ」
「いやらしい意味は……ないわ」
「二回言うほど大事なことなの?」
「いやらしい意味なんてこれっぽっちもないんだからね」
三度目の正直のつもりだったのかしかしそれは。
誰が聞いても一瞬でわかるくらい、
……あからさまな嘘だった。
↓ ↓
いやらしかった。
↓↓
「それじゃあ私はそろそろ紅魔館に戻るけれど、何かあったらすぐに連絡を入れること。いいわね?」
「……ええ。ありがとうパチュリー」
パチュリーが人形の森のアリスの家を訪れてから一週間程度経った日の夕暮れ時。
アリスの病状はある程度の収まりを見せ始め、少しずついつも通りの生活に戻り始めていた。
さすがにまだ戦闘行為はご法度だけれども、この様子ならパチュリーももう一人でも大丈夫だろうと思っていた。
思っていた、のだが。
「ん? どうしたのアリス」
「ぇ、ぁ……う」
人形屋敷の玄関先で、アリスがパチュリーの服の裾を掴んで離してくれないのだ。
アリスは。
そのまさしく人形のそれのような、いっそ宝石じみて綺麗な碧眼に涙を溜めて。
「行かないで」
と一言だけ。
時間が止まる。
勿論とある銀色の殺人鬼が何かをしたわけではないのだけれど。
ぎゅ、と裾―――どころか腕ごと抱き締められてまで引き留めようと試みてくるアリスに、パチュリーは何かのスイッチが入る音を幻聴した。
「寂しいのね?」
「うん……一人になると死んでしまいそうなくらい。自分でも情けないことを言ってるのはわかっているんだけど、またあれが再発したらと思うとどうしようもなく怖いのよ」
パチュリー決死の(体力的に)病人甘やかしにより、アリス・マーガトロイドの精神は一週間前より遥かに弱くなっていた。
それはパチュリーの思い通り、目論見どおりではあるのだけれども。
(まさかこんなに私に依存しきるとは思っていなかった)
嬉しい誤算である。
「わかったわ。もうしばらくは一緒にいましょう」
そして突如。
れろ、と。
「あ……」
パチュリーは今にも涙が零れ落ちそうなアリスの瞼を撫でるように舌で優しく舐めて。
ありったけの雫をそこから器用に掬い取り―――それをわざとらしく喉を鳴らして、飲み下した。
「ありがとうパチュリー……このお礼はいつか必ずさせてもらうわ」
口調こそ平静を取り繕ってはいたものの。
もしアリスに尻尾があったら上下にぶんぶん振りっぱなしなんだろうなあと感じる程度に、彼女はその人形のような姿からミスマッチなまでの喜悦を隠し切れていなかった。
断れないのは自分もまたアリスに依存している証拠―――この短期間に二人揃って急転直下で堕落しきった結果なのだろうと思うパチュリーだったが、そこにマイナスの感情は一切ない。
アリスに手を引かれ人形屋敷に舞い戻ったパチュリーの心に最早空洞らしき空洞は存在しない。
それは、生来より雹の気質を持つが故に孤独を宿命付けられていたはずのアリスにしても同様のようだった。
(私達は弱いけれど―――)
彼女ら以外誰も存在しない部屋の中で、パチュリーはアリスの唇に自らのそれをそっとあてがい、そのまま二人抱き合った。
(この幸せだけは強い者には永遠に得られない幸せだわ)
それはもしこれが仮に真っ当な人間同士のストーリーだったらバッドエンドの烙印を押されかけないくらいの二人の堕落っぷりではあったけれど。
邪な魔女たる彼女らにとってはこの上なしのハッピーエンドと言う他なかった。
紅い館の魔女パチュリー・ノーレッジは一見矛盾した―――見るからに矛盾に満ち溢れたそんな持論を持っているのだけれど、彼女の主の吸血鬼などは
「はぁ? 弱くなったら弱くなるに決まっているじゃない。強くなるには強くなるしかないわ」
だなんて至極真っ当な正論を突き返してくるのだった。
正論。
正論である。
反論の余地などあろうはずもない。
ただしそれはレミリアのように正攻法に則って考えれば、の話である。
パチュリーはそんな風にはものを考えない少女であり、邪にひねくれて考える―――魔女だった。
「アリス、大丈夫? ……貴方が最近どこにも顔を出していないとレミィと咲夜に聞いて一応様子を見に来たのだけれど、どうやら来て正解だったみたいね」
「…………ぅ」
「苦しいなら喋らないほうがいいわ、アリス。病気のときは苦痛が去るまで大人しくしておくものよ」
だからこうして、
「それにしても酷い衰弱ぶりだわ。こんな弱り方は以前の貴方の健脚ぶりを見る限りじゃ夢想だにしなかった。私が未熟者と蔑んでいた頃の貴方では有り得なかった。こんなに弱々しい今のアリスは―――」
「……パチュ、リー?」
「一体、どれだけ強力な魔法を扱えるようになっているのかしら?」
いつもは綺麗に整えられているはずの金砂のような髪を乱れさせて。
ぜぇぜぇと息も荒く、白磁のような肌をいっそ青白くして、ベッドに横たわったまま立つことすら出来ずにいるアリスを。
こともあろうに『強く』なったなどと評すのだった。
そしてまるで愛しいものを慈しむようなそんな瞳をアリスに向けて、パチュリーは優しい声色で言葉を紡いだ。
「おめでとうアリス。やっと一人前の魔法使いになれたのね」
↓ ↓
物凄く砕けた言い方をしてしまえば。
人形の森の魔女アリス・マーガトロイドにはパチュリーがデレたように見えていた。
無論そんなわけではないのだが。
そんなわけではないと信じたい、のだが。
普段のそれとはまるで真逆とすら形容可能なパチュリーの自分に対する態度には些かばかりの疑問を抱かずにはいられないのだろう。
いくら病に倒れたアリス自身の今にも消え入ってしまいそうな弱々しさが、どうしようもなくパチュリーの庇護欲を掻き立てていたのだとしても。
「どう? 落ち着いた? ああ、まだ立とうとしない方がいいわ。貧血で倒れると大変だもの」
「大分楽になったわ、ありがとう。貴方の持ってきた薬のおかげね。……私の症状にピンポイントで効能のある薬を常備していたのには驚きだけれど」
「まあ病弱の大先輩だからね。魔法使いが陥りやすい病に対する処方箋は大概持ち歩いているの」
「よくあることなんだ、ああいうの」
「……よっぽど熱心に魔法実験に勤しんでいたのね。けれど流石に短期間に身体に毒素を溜め込みすぎよ。今度からはもうちょっとペースを落とすか、耐毒術式を十重二十重にかけてやることをおすすめするわ」
「毒素―――」
「そう、毒素。けれど毒が身体に蓄積して病に倒れるっていうのはある意味魔法使いにとっては一人前のステイタスでもあるわ。それだけの間――少なくとも人間には不可能なくらい――研究に打ち込んできたっていう偽らざる証拠だもの」
魔法使いは(専攻する分野にもよるが)砒素や水銀を始めとした実に様々な毒物を頻繁に使用する。
等価交換をモットーとする錬金術のような極端な例を挙げるまでもなく魔法というシステムはコストやリスクが大きければ大きいほど莫大なリターンを返してくることが常だ。
故にパチュリーのような割り切った魔法使いは自分の身体の健康程度のコストや病気に罹る危険性程度のリスクならば平気の平左で、ゴミを屑籠に投げ捨てでもするかのようにそれをリターンに変換することを躊躇わない。
その結果自らが病弱に、貧弱になろうとも能力値の総合で見れば圧倒的に強化されるからだ。
そういった観点から見れば、パチュリー・ノーレッジの持論はなんら間違ってはいないのだ。
弱くなれば弱くなるほど強くなる。
あるいは、堕落すれば堕落するほど昇華されていく。
……正統派な強さの概念を支持する輩には受け容れられはしないだろうが。
だがそれを受け容れて初めて魔法使いとして一人前になれるのだとパチュリーは定義する。
弱さを弱さとして、どころか弱さを誇りとしてすら受け容れている。
何故ならえげつない搦め手禁じ手や事前に強力極まりない術式を張り巡らせたテリトリーの準備、相手の致命的弱点を的確に突く戦術―――いわゆる『ハメ』『待ち』『かぶせ』を得意とし至上とする魔法使いは、最も正統派とはかけ離れた邪道なプレイヤー類型に当たるからだ。
そういったプレイスタイルを選択するのを、真っ当に戦って強いレミリアあたりは『弱い』からそうするのだとバッサリ切り捨ててかかるかもしれない(『かぶせ』に極端に弱い彼女が言ったところで負け惜しみにしか聞こえないという現実的な問題はさておき)。
理解者なき孤独を、パチュリーは百年間ずっと味わってきた。
けれど、それでも、だからこそ―――である。
「魔法使いは弱くなれば弱くなるほど強くなるのよ、アリス」
「え?」
アリスが体を預ける豪奢な少女趣味極まるベッドに自分も座って。
まるで姉が妹に寝物語でもするかのような柔らかい笑みを浮かべてパチュリーはそう、諭すように言った。
「研究を続けることと身体が病弱になっていくことは私達にとってはイコールで結ばれていて、避けられない宿命よ。聖白蓮のように身体を弱くして得たパラメータをそのまま身体強化魔法に注ぎ込んでデメリット完全相殺なんていうインチキじみた例外中の例外も存在するには存在するけれど、私達はそうではないでしょう?」
「パチュリーは精霊魔法で……」
「そ。そして貴方は何でも、ね。万能の魔法使いと言えば聞こえは良いけれど、色んな分野の研究に手を出す分色んなデメリットを背負うことになると思うわ。将来的にはそれはもう、私の比ではないレヴェルの数の病魔に身体を蝕まれることになるでしょうね。貴方の場合特に元々病的なまでに肌の色素が薄いから太陽の下に出るのはこれからは控えておくべきかもね」
「……まるで吸血鬼ね」
「彼女達に課せられた制約ほど厳密な行動制限と思う必要もないけれどね―――ああ、そういえば」
貴方の苗字はマーガトロイドだったわね、だなんて本人にすら意味の通じない冗談を吐く。
重ねて出身地も確か―――と言いかけるが中断する。
魔法使いにとって外の世界での故郷の話は結構な確率で『地雷』と成り得ることを魔女として百年生きた経験によって誰よりも深く理解していたからだ。
(時代的に『狩り』に遭った経験なんて流石にないだろうけれど……ね)
それでも、である。
「……まあこれからは日傘くらいは持ち歩くことね。あと多分貴方はこれから貧血で倒れることが多くなると思うから魔神に頼んで随身を付けてもらうか、」
「完全自立人形を完成させるか、か……現状の私の人形操作能力じゃ私が意識を失った瞬間全てシステムダウンしてしまうものね」
「そうそう。ちゃんとわかってるようで嬉しいわ。そうやって弱い部分をそれ以上に圧倒的な強さでカヴァーしていくことこそ魔法使いの本領なのだから。動けない身体になるのなら、動かなくてもいい使い手になればいい。貴方にはその才能も適正も十二分にある」
「……そっか。そうなるんだよね私。もう今までみたいに自由に外を飛び回ったりみんなと一緒に宴会で騒いだりなんてことは出来なくなるのかな」
悲しげに、呟くアリス。
「――――――」
失言だった、とはパチュリーは思わない。
いつか必ず直面する現実だから知っておかなければならないからだとか、そういった至極真っ当な人間らしい理由ではなく。
それを自ら口にするアリスがこの上なく儚げで実にそそるからという極めて邪な―――けれどそれ故にどこまでも純真な怪物的感情がパチュリーの中に芽生えていたからだ。
「私ね、実は怖いのよ。弱く―――病弱になっていくのが。なんだかどんどん本当に人間じゃなくなっていく気がして。ううん、もう私だって自分がバケモノだってことくらいわかってるつもり。それでもどうしようもなく不安なのはきっと私の心が弱いから。こんなこと、生まれついての魔法使いだったパチュリーにはわからないことかもしれないけれど」
かつてのアリス・マーガトロイドは気丈だった。
戦い方も(万能の才覚を持つにも関わらず)相手の弱点を突いたりすることは殆どなく、いわば正統派のそれだった。
しかしそれはもうパチュリーにとっては過去系でしか表現出来ないものだ。
戦い方もこれからは徐々に氷河期すら連想させるような魔法使いらしいプレイスタイルへと変化、否、進化していくだろう。
今ここで身も心もさらけ出しているアリスは――寝食を蔑ろにして毒に身体を蝕ませてようやく一人前と言えるレヴェルに達した強い魔法使いアリス・マーガトロイドは――今やパチュリーと遜色ないくらいに、弱い生き物だった。
魔女にとっては馬鹿馬鹿しい以外の何物でもない、真っ当な強さを全う出来る強者の真似事から脱却し、未熟者から一皮剥けた一人前の魔法使い。
自分と同じに病弱で。
自分と同じに孤独を恐れる鏡写しの愛しき弱者。
そんな存在は今まで幻想郷にパチュリーを除いて存在しなかった。
紅魔館という家を持ちレミリアという百年近い付き合いの友人を持つパチュリー・ノーレッジであったがしかし。
そういった弱さを共有出来る盟友の不在という意味では―――この世に生を受けてから今の今まで孤独だったのだ。
だからパチュリーは。
「そうね。悪いけれどそれだけはわかってあげられそうにないわね。私には人間から人外に転身するだなんてドラマチックな経験はないもの。最初から邪なバケモノだった私に貴方のその気持ちは共感してあげることも出来ないし、ましてや癒してあげることだって出来やしない」
少々残酷な物言いをしてしまったかと内心後悔しつつも、パチュリーはアリスの弱々しさに満ちた吐露を切り捨てた。
そっか、と残念なようでそれでいて諦念の混交したなんとも言えない表情を浮かべるアリスに罪悪感を抱きはした。
けれどそれ以上に滲み出る彼女の存在の筆舌に尽くし難いまでの可憐さにパチュリーは自分の心が吸い寄せられていくのを感じた。
堕落していくのを―――弱い彼女にますます自分が弱くされていくのを直感した。
「けどね」
とパチュリーは続ける。
「こうして病床に伏している貴方の弱さを、孤独感を紛らわせてあげることくらいは出来る。不安感を麻痺させてあげることくらいは―――してあげられるわ」
だからパチュリーは。
―――アリスが病気で倒れているのをその目で見たとき何物にも変え難い、彼女の百年の生の中でも最大級の嬉しさを感じたのだ。
(やっとあの辛さをわかってくれる仲間が出来たような気がして―――)
「一人で病に苦しめられているときの寂しさを、私は幻想郷の誰よりも知っているつもりだもの」
アリス・マーガトロイドをもっと自分と同じ域の弱さにまで堕落させたいと、思う。
この上なく強く思う。
いっそ彼女とどろどろに溶け合ってしまいたいとまで。
「だから私とささやかな契約をしましょう」
「契、約?」
「そう、契約。私達はこれから先どちらかが病気になったとき、常に互いの傍に居続ける。看病し続ける。甘い言葉を―――囁き続ける。そんな、病の床での心細さや孤独を解消するための堕落的相互契約」
それは病で弱った心身に付け込むかのような人としてあるまじき行為のように感じられたけれど、人でなしの魔女であるパチュリーにとってそんな誹謗は受ける筋合いもなかった。
というか、言ってしまうなら。
そういう風になる素質が幻想郷の中で誰よりも高かったアリスにパチュリーは元々目をかけていたのだから。
なんのことはない。
そもそも今日のこの日のパチュリー・ノーレッジは。
アリス・マーガトロイドと傷を舐め合う関係性を構築しにやってきていたのだから。
百年間埋まらなかった心の孔に何かが生まれることを期待して―――
「貴方には―――レミリアや咲夜やフランドールがいるじゃない」
一人という言葉に弱々しく突っ込みを入れるアリス。
それはアリスにとっては当然の突っ込みだったけれど。
当のパチュリーはそこを突っ込まれるの意味がわからないという風に、ごく自然に言葉を繋いだ。
「そうね。けどそれでも私は一人なの。独りと言った方が正確かしら。あいつらは結局みんなどいつもこいつも健康体だから私の苦しみなんて理解出来てはいないのよ。それでも感謝はしているけれどね」
感謝はしている。
それに偽りはない。
彼女らは得難い友人達だ。
だが、
決してパチュリーと同じにまではなれはしないのだ。
そういう器ではない。
器が、違うのだ。
―――アリス・マーガトロイドとは違って。
「酷い魔女」
「お褒めに預かり光栄ですわ」
くすくす、だなんて。
二人して笑い合う。
「だから私にも必要なのよ。貴方が―――私と同じ弱さを持つに至った一人前の魔法使い、アリス・マーガトロイドが」
右手を差し出し。
一緒に堕ちていきましょう、と言わんばかりに。
それがもし告白の言葉だったとしたなら最低の内容だとパチュリー自身自覚してはいたけれど。
(それでも自分には相応しい。否、それこそ自分に相応しい)
「病弱っ子同士、仲良く馴れ合いましょう?」
「―――うん」
アリスは差し出されたパチュリーの手をなんとか力弱く、けれどそれでもせいいっぱい、
握り返した。
かくして契約は成立し―――
二人は病めるときも病めるときも寄り添い弱さを露呈し合って傷とかその他諸々を舐め合う堕落しきりの、
甘えに甘えを重ねた甘ったるい関係性を結ぶことと相成った。
互いに堕落して弱くなって、もっと強くなるために。
と―――
パチュリーは何を思ったのかアリスの服に手をかけた。
「ちょっと、パチュリー何を……!? きゃっ―――」
とは言うものの、胸元のボタンを静かに一つずつ外していくがアリスは身体の自由がまだ利かないのか無抵抗のままだ。
そのまま手際良く上半身裸に剥いてしまう。
そしていつの間に用意したのか、濡れタオルがパチュリーの手に握られていた。
「いや、いくら代謝機能が殆ど必要ない魔法使いだからといっても貴方一週間以上ずっとそのままでしょう? 気分の問題ではあるけれど、身体拭いてあげようと思って。余計なお世話だったかしら?」
「……いいえ、世話になるわ」
「いやらしい意味はないのよ」
「わかってるわよ」
「いやらしい意味は……ないわ」
「二回言うほど大事なことなの?」
「いやらしい意味なんてこれっぽっちもないんだからね」
三度目の正直のつもりだったのかしかしそれは。
誰が聞いても一瞬でわかるくらい、
……あからさまな嘘だった。
↓ ↓
いやらしかった。
↓↓
「それじゃあ私はそろそろ紅魔館に戻るけれど、何かあったらすぐに連絡を入れること。いいわね?」
「……ええ。ありがとうパチュリー」
パチュリーが人形の森のアリスの家を訪れてから一週間程度経った日の夕暮れ時。
アリスの病状はある程度の収まりを見せ始め、少しずついつも通りの生活に戻り始めていた。
さすがにまだ戦闘行為はご法度だけれども、この様子ならパチュリーももう一人でも大丈夫だろうと思っていた。
思っていた、のだが。
「ん? どうしたのアリス」
「ぇ、ぁ……う」
人形屋敷の玄関先で、アリスがパチュリーの服の裾を掴んで離してくれないのだ。
アリスは。
そのまさしく人形のそれのような、いっそ宝石じみて綺麗な碧眼に涙を溜めて。
「行かないで」
と一言だけ。
時間が止まる。
勿論とある銀色の殺人鬼が何かをしたわけではないのだけれど。
ぎゅ、と裾―――どころか腕ごと抱き締められてまで引き留めようと試みてくるアリスに、パチュリーは何かのスイッチが入る音を幻聴した。
「寂しいのね?」
「うん……一人になると死んでしまいそうなくらい。自分でも情けないことを言ってるのはわかっているんだけど、またあれが再発したらと思うとどうしようもなく怖いのよ」
パチュリー決死の(体力的に)病人甘やかしにより、アリス・マーガトロイドの精神は一週間前より遥かに弱くなっていた。
それはパチュリーの思い通り、目論見どおりではあるのだけれども。
(まさかこんなに私に依存しきるとは思っていなかった)
嬉しい誤算である。
「わかったわ。もうしばらくは一緒にいましょう」
そして突如。
れろ、と。
「あ……」
パチュリーは今にも涙が零れ落ちそうなアリスの瞼を撫でるように舌で優しく舐めて。
ありったけの雫をそこから器用に掬い取り―――それをわざとらしく喉を鳴らして、飲み下した。
「ありがとうパチュリー……このお礼はいつか必ずさせてもらうわ」
口調こそ平静を取り繕ってはいたものの。
もしアリスに尻尾があったら上下にぶんぶん振りっぱなしなんだろうなあと感じる程度に、彼女はその人形のような姿からミスマッチなまでの喜悦を隠し切れていなかった。
断れないのは自分もまたアリスに依存している証拠―――この短期間に二人揃って急転直下で堕落しきった結果なのだろうと思うパチュリーだったが、そこにマイナスの感情は一切ない。
アリスに手を引かれ人形屋敷に舞い戻ったパチュリーの心に最早空洞らしき空洞は存在しない。
それは、生来より雹の気質を持つが故に孤独を宿命付けられていたはずのアリスにしても同様のようだった。
(私達は弱いけれど―――)
彼女ら以外誰も存在しない部屋の中で、パチュリーはアリスの唇に自らのそれをそっとあてがい、そのまま二人抱き合った。
(この幸せだけは強い者には永遠に得られない幸せだわ)
それはもしこれが仮に真っ当な人間同士のストーリーだったらバッドエンドの烙印を押されかけないくらいの二人の堕落っぷりではあったけれど。
邪な魔女たる彼女らにとってはこの上なしのハッピーエンドと言う他なかった。
これはいい魔女。ほどよい捻れ具合が非常に好みです
そしてあとがきwww
そしていやらしいのか…
駄目そうだけど駄目じゃないふしぎ!!
そうか…いやらしかったのか…
「デレたように見えた」
でその後の展開が全てどうでもよくなってしまった
そんなに面白い文章だったか自分でも疑問だw
いやらしかった。
おお、えろいえろい
うひょー
こういう方向性のエロスってあんまりないから良いですね。
確かに、病弱設定はアリスの新しい可能性の一つですよね。
それをうまく料理していて、素晴らしい。
面白かったです!
最後、年単位かよwとふきました。いいパチュアリでした。
まさかこんな伏兵がいたとは、このパチュアリは好みすぎる!!