「……暑い」
口に出したからといって何が変わるわけでもないが、つい呟いてしまう。
ここは森の中だから里に比べたら幾らかは涼しいのだろうけど、それでも午前中とは思えない猛暑で完全に
グロッキー状態だ。
家中の窓は全開だけど、風が吹かないので意味が無い。盛大に鳴く蝉の声が聞こえても余計に暑苦しくなる
だけだ。
ただでさえ客なんて来ないのに、こんな暑い日なら尚更だろう。玄関の看板はcloseのままだ。霧雨魔法店
の店主としては、お客さんが来なくてもあんまり困っていないので、正直どっちでもいい。
今の関心事は目の前にある無駄に偉そうな魔道書だ。例によってパチュリーの所から借りてきた物。
あそこの魔道書はどれもこれも無駄にデカイか無駄に重いか無意味に偉そうな装丁が施されているか、その
どれかの特徴を持っている。目の前のコイツもデカくて重くて偉そう。広々としていたはずの作業机が完全に
占拠されてしまった。
魔道書というものはシンプルに捉えてしまえば、読めるか読めないかの問題である。それを読めるだけの能
力があれば、魔道書に込められた魔法を使うことができる。能力が足りなければ読めないし魔法もお預け。
この偉そうなコイツの場合、ギリギリ読めるか読めないかのボーダーライン上だったりする。集中して時間
をかけて読み解けばイケるかもしれない。もどかしいが、楽しくもある。
しかしそんな魔道書の解読も今朝は空回り気味。あまりにも暑いので頭がまともに働かず、成果の無いまま
時間だけが過ぎていく。こういうのは苛々が募る。
大体、今朝は目覚めから良くないことばかり続いている。なんだか嫌な夢を見て、うなされて起きた。しか
もどんな夢だったのか内容はさっぱり覚えていない。朝食に作ったキノコ雑炊は近年稀に見ぬ失敗作で、驚く
ほど不味いのを我慢して食べた。口直しに咲夜から分けてもらった紅茶を淹れようとしたら、茶葉が見事に腐
っていた。
そしてなにより暑い。
夏が暑いのはどうしようもないのだから、魔道書の解読はとりあえず置いておいて涼しい所に避難するのが
賢い選択だろう。
でもそれでは、なんだか魔道書に負けたような気がして悔しい。馬鹿な考えだとは思うが、ここでコイツを
一刻も早く解読してやらないと私の気が収まらない。
とはいっても意地を張ったからといって効率が上がるわけでもない。今の気だるい状況を変えるには何かし
らの打開策が必要だろう。
「はぁーっ」
溜め息を吐いてみる。気は進まないがアレを連れてくるしかないか。
アレがいれば部屋は涼しくなるだろう、これはメリット。しかしアレはひどくうるさい。これはデメリット。
魔道書とにらめっこしている横で、アレことチルノが一人で大騒ぎしている絵を思い浮かべる。暑さとは別
の意味で集中できない気もするが。
「まあ、しかたないか」
もぞもぞと外着に着替え、戸締りをして箒に跨る。
まだ今ぐらいの時間ならチルノも湖の近くにいるだろう、たぶん。
風を受けて空を飛べば暑さもさほど気にならない。暑い時は空を飛べばいいわけか。
日常生活がままならないので、ずっと飛んでいるのは現実的じゃないな。飛びながらできる事なんてたかが
知れてる。
現実逃避だったら目的も無く空を飛ぶのも悪くないな。
霧の湖はその名の通り霧で覆われていて、視界が悪い。チルノの周囲は気温が不自然に低くておまけに騒が
しいので、適当に飛んでいればすぐに見つけられる。
当てずっぽうに飛んでいると、見覚えのある妖精がふらふら踊っていた。いつもチルノと一緒にいる妖精だ。
名前は知らないが、確かみんなからは大妖精とか呼ばれていたっけ。
「なんだ、今日は一人なのか?」
「あ、こんにちは魔法使いさん」
「ああ、こんにちは。チルノにちょっと用があるんだけど、どこに居るか知らないか」
「チル……ノ?」
大妖精は不思議そうな顔で、大きく瞬きをしている。
「うーん、知らないかな、その子のことは」
「そうか知らないか……いつも一緒にいるのかと思ってたけど、そうでもないんだな」
「ん……?」
目の前の妖精は私の言葉を聞いて考え込んでしまった。なんだか微妙に会話が噛み合わない。
ギクシャクしたやり取りをしてるうちに、他の妖精が近づいてきた。
「どうしたの」
「ねえ、チルノって子、知ってる?」
「チルノちゃん?うーん、知らない」
新しく来た妖精の意見を聞いて、大妖精は私に向き直る。
どうやら二人ともチルノなんて子は知らないらしい。
「二人ともチルノのことは知らないのか。わかったありがと」
湖に居て、あの人一倍騒がしい妖精のことを知らないなんて在りえない。
これはきっと妖精の遊びなのだろう。湖の妖精で口裏合わせて、みんなしてチルノなんて子知らないと言う。
そして不思議がる人間をきっと陰で笑うんだ。悪戯好きの妖精らしい遊びだな。
ここしばらく暑い日が続いている。涼を取るためにチルノを連れていこうと考えるのは私だけでは無いはず
だ。毎日、入れ替わり立ち代りで連れ回されてしまい、チルノ本人が嫌になって隠れてしまったのかもしれな
い。
暇だったら可愛らしい遊びに付きあってやってもいいのだが、生憎と今は魔道書の解読を優先したい。
チルノは諦めて他の方法で涼を取ることを考えたほうが能率的だ。
他の方法と言っても魔道書の解読が目的なのだから、誰かの所に転がり込むのは駄目。自宅に手っ取り早く
導入できる方法に限られる。
考えるうち、頭の中に白髪メガネの青年の顔が浮かんでくる。
香霖堂に行けば、革新的で素晴らしい避暑のための道具があるかもしれない。
「いや、あそこにそんな都合のいい物は無いか」
期待に応えてくれないのもお約束。素晴らしい避暑の道具は無くても、きっと麦茶ぐらいはご馳走してくれ
るはずだ。
◆
空も無く地面も無く、どこまでも白い空間が続いていた。
こんな不可思議な場所、現実ではありえない。一瞬で夢の中にいるとわかる。
◆
「いらっしゃ……なんだ魔理沙か」
香霖はいつもと同じ席でいつもと同じように本を読み耽っていた。読んでいる本まではいつも同じではない
だろうけど。
「なんだとは失礼だな、お客さんに向かって」
「君はお金を払ってくれないお客さんだからね」
「非売品ばっかりのくせによく言うぜ」
香霖堂の店内には、外の世界の使い道がよくわからない物や、そもそも使い物にならない物などが所狭しと
並べられている。普通に使い方のわかる物なども扱っているのだが、よくわからないガラクタの中からそれを
探し出すのも一仕事といったところ。
「今日は麦茶でも飲みに来たのかい」
「麦茶は頂くけど、今日は暇つぶしじゃなくて探し物」
「探し物、どんな?」
「いや、家に居るとき暑くて仕方ないからさ、なんか部屋が涼しくなる凄い道具とか無いかなーって」
少し甘えるような口調で言ってみる。香霖はちょっと待ってと言いながら、店の奥をごそごそと掻き分けて
なにかを探し出してきた。
「はい」
「これは!!一見、何の変哲も無い風鈴に見えるが」
「はたしてその正体は、何の変哲も無い風鈴なのであった!」
「……涼しくなる?」
「……気分は」
香霖の指に吊るされた風鈴がチリンと間抜けな音色を響かせた。
「他には無いのかよ、もっと抜群に効果的なやつ!」
「他には、あとはすだれとかかな」
「それも気分アイテムだろっ!」
「いやいや、すだれはけっこう馬鹿にできないよ」
ガラクタの中から、すだれを引っ張り出そうとする香霖をやんわり引き止める。
「あーもう、こんな事ならやっぱり無理にでもチルノ探して捕まえとくんだったかな」
「チルノ?」
「そうチルノだよチルノ。湖に居るだろ生意気な氷の妖精が!」
香霖は眼鏡を直しながら、少し考えに耽る。
「残念だけど聞いたことないな。僕は君と違ってあんまり妖精と親しくないからね」
「聞いたことない?あ、そうなんだ……」
あれ?香霖、チルノのこと知らなかったんだ、なんか意外だな。
◆
白い空間に、呆然と立ち尽くす少女。私はその少女に近づく。
黒い服のその少女は、私だった。
いや、私は私なのだから、その少女が私のはずが無い。
私そっくりの少女。まるで鏡を見ているかのように。
◆
結局のところ、すだれと風鈴を持ち帰ることになってしまった。箒にすだれをくくり付けて風鈴を鳴らしな
がら飛ぶ姿は、少し間が抜けている。
香霖曰く、すだれの隙間を抜けた風は気圧が低くなって同時に温度も低くなるから涼しくなるらしい。もち
ろんそんなの信用できない。
もっと確実で抜群に涼しくなる方法が必要だ。ということで私はアリスの家に向かっている。魔法的な手段
で涼しくなる方法を模索するためだ。
「はーい……なんだ魔理沙か」
いつものように玄関に立ち、樫の木のドアをノックするとアリスが出迎えてくれた。
「なんだとは失礼だな、どいつもこいつも」
「どうせ暇を潰しに来たんでしょ?いいわ、上がって」
少し引っかかるものがあるが、とりあえずアリスに案内されてテーブルに着く。
テーブルに置かれたティーカップに、アリスがティーポットを傾けてお茶を淹れてくれた。僅かに薔薇の香
りを含んだ、いい匂いが漂ってくる。
「今日は暇潰しってわけじゃないんだ、実は相談があってな」
「相談?聞きましょうか」
「ここ最近、暑くて堪らないだろ?家に居ても暑くて集中できない。だからこう、部屋を涼しく快適な環境に
できる魔法とかないかなぁーって」
ティーカップに口を付け、上目遣いで私を眺めるアリス。
「うーん、無くはないけど、あなたの能力で使える魔法だとコストが釣り合わないのよね。部屋を涼しくする
ために山のような金を触媒として溶かすなんて問題外でしょ」
「金を溶かす!?そりゃ駄目だな問題外だ。……私の能力が問題だっていうんなら、なんか涼しくなるマジッ
クアイテムとか無いのか」
「今は無いけど、そうね、一ヶ月待ってくれれば用意してあげる」
「一ヶ月も待ってたら秋になっちゃうぜ!あー、やっぱ湖に戻ってチルノ探して捕まえるしか無いのかなぁ」
「チルノ?」
「そうチルノ。どっか隠れてるらしくて湖の妖精に聞いても、そんな子知らないとか言うんだぜ。あれきっと
みんなしてグルになって、人間からかって遊んでるんだぜ」
「……ふーん」
ワザと大袈裟に落ち込む私をアリスは不思議そうな顔で眺める。その表情がなんだか妙に気にかかる。ちょ
っとした違和感のような。
そういえば、いつものアリスの部屋より静かというか殺風景というか、なにかが微妙に違う気がする。いつ
もと比べて、何かが足りないような……。
「あ、そういえばお茶請け忘れてたわ。昨日焼いたクッキーだけど食べるわよね」
アリスはそう言って立ち上がり、台所へ向かう……そう、立ち上がって、台所まで自分で歩いて。
つまり……人形を使わずに。
玄関でノックした時、出迎えてくれたのは人形じゃなくてアリスだった。
紅茶を淹れてくれたのも、人形じゃなくてアリスだった。
台所へクッキーを取りに行くのも、人形じゃなくて……。
見慣れたはずのアリスの部屋。どこを見回しても、上海も蓬莱も……それどころかあんなに沢山あった人形
自体がどこにも見当たらない。
「なあアリス、おまえ上海どうしたんだ?」
「へ?」
首を傾げて、ゆっくりと言う。
「しゃんはい……って?」
いつもと何一つ変わらない表情でアリスは柔らかく微笑む。
それがむしろ、私には不気味に見えた。
「お、おまえ、なに言ってんだよ……上海だよ上海人形!」
「人形?」
「ああ!おまえいつも、玄関開けるのも紅茶淹れるのもお茶請け用意するのも、人形にやらせてたじゃないか
よ!何で今日は自分でやってるんだよ、人形はどうしたんだよ!!」
「ちょ、ちょっと落ち着いて!」
気がつくと、私は立ち上がってアリスに詰め寄っていた。
困惑して眉を寄せるアリスに気づき、とりあえず席に戻る。
「つまり、普段の私が人形を遣って雑用をやらせてる、でも今日は人形を遣ってない、それが何故かって、そ
う言いたいの?」
「本当に知らないのか、人形のこと」
「ええ、人形を操るなんて全く身に覚えが無いわ。そんな魔法、私使えないし、上海とかいう人形のこともチ
ルノとかいう妖精のことも知らないし」
上海のことを知らない?それってつまり……どういうことだ?
アリスの青い瞳を見つめる。その瞳からは私をからかうような表情は読み取れない。
「知らない……そうか」
気まずい沈黙が訪れ、部屋に時計の音だけが響く。
「……」
「……」
「……帰るわ」
「うん、なんかゴメン」
「気にするな、たぶん私の勘違いだ」
不安そうな顔のアリスに手で挨拶して、箒を担いで歩く。
アリスの家が見えなくなるまで歩くと、すだれを括り付けた箒に跨り、静かに空へ浮かんでいく。
私の勘違い?そんなはずは無い。
湖では妖精たちがチルノのことを「知らない」と言った。
香霖もチルノのことを「知らない」と言った。
アリスは、チルノのことも上海のことも「知らない」と言った。
そしてその言葉を裏付けるかのように、チルノも上海も姿を消した。
私の知らないところで、なにかが起こっている。誰かが企んで、異変を起こしている。
暢気に魔道書の解読なんてやってられる状況じゃなくなったわけだ。
「一人じゃ少しキツいかな」
状況からしても、一筋縄ではいかなさそうなどうにも得体の知れない相手だ。
とりあえず霊夢にも声をかけてみるか。
◆
少女は不思議そうな表情で、私に触れようと手を伸ばす。私も、少女に手を伸ばす。
私と少女の手が触れ、そして……。
少女は音も無く、砂粒のように崩れていった。
足元から頭に向かい崩れていく少女。
◆
霊夢は神社の業務を自主休業して裏庭でバテていた。
盥に張った水に足を漬けて、団扇を仰ぐ手だけが忙しない。
「なんだ魔理沙か。この暑いのによく出歩く気になるもんね」
皮肉混じりの挨拶を無視して霊夢の正面に立つ。
「……なによ」
「異変が起こってる」
霊夢の表情が緊張を取り戻す。団扇を止め、盥から足を上げる。
「詳しく聞かせて」
「ああ」
どう切り出せばいいのかと、しばらく考えを巡らせる。
「チルノって妖精、知ってるか」
「チルノ?……聞いたことないわね」
「それが異変だ」
「はぁ?なにそれ」
霊夢は口を尖らせて私を睨みつける。私は構わず続ける。
「湖にチルノっていう氷の妖精がいた。騒がしくて目立つ奴だから大抵の人がチルノのことを知っているはず
だった。もちろん霊夢とも面識がある。ところが今日になって、みんな揃ってチルノなんて知らないと言うよ
うになった。そしてその言葉に合わせるようにチルノ本人も姿を消した」
「あんたの記憶違い、なんかじゃないわよね」
「そこは私を信用してもらわないと話が進まないな」
「……いいわ、信用する。つまり私たちが誰かに騙されて、そのチルノって子を知らないと思い込まされてる
ってわけね。本人が消えたってなると神隠しみたいなものかしら」
「神隠しなら本人が姿を消して終わりだな、周りがチルノを知ってるかどうかなんて関係ない。わざわざ手間
をかけてチルノを知らないと思い込ませてるわけだから、まるでチルノが存在しなかった事にしたい、そう見
える」
霊夢は顔をしかめて再び団扇を仰ぎはじめる。
「そういう実感の湧かない感じ苦手なのよね。知らないのに本当は知ってるハズだって、頭が混乱するわ」
「まだややこしくなりそうだぜ、消えたのはチルノだけじゃない。ここに来る前にアリスのとこ寄って来たん
だが、人形が一つ残らず消えてた。しかもアリス本人も人形なんて知らないとか言い出す始末。あのアリスが
人形を知らないなんて信じられるか?」
「あのアリスが、人形を知らない!?」
霊夢は不思議そうな顔で私を見る。
「ね、ねえ」
「アリスって、誰だっけ」
……えっ!?
「霊夢……おまえなに言っ」
妖精たちも香霖もチルノを知らないといった……そしてチルノは消えた。
アリスは上海のことを知らないといった……そして上海は消えた。
そして今ここで、霊夢がアリスのことを知らないといった……つまり
悠長に考えてる場合じゃ無かった。
慌てて箒を手に取ると、呼び止める霊夢に構うことなく、私は全力でアリスの家に向かった。
「なっ、何だよ……これ」
空から一目見ただけでも、そこが異常な状態にあることは見て取れた。
私がアリスと別れて、まだ三十分ほどしか経ってないはずなのに。
青い屋根の見慣れた家も、毎日手入れを欠かさない小さな庭も、そこには綺麗に無くなっていた。
無くなった、というのは違うかもしれない。アリスの家があった場所には、その代わりのように大きく古い
木が生えていた。
最初からここに家なんてものは無かった、まるでそう言いたいかのように。
「信じられるかよこんなの……ついさっきまで一緒に紅茶を飲んでたじゃねぇか!」
「ちょっと……急に何なのよ」
後れて付いて来た霊夢が、不思議そうにアリスの家があった場所を眺める。
「ここにアリスの家があって、……私はそこでアリスと話をしたんだ」
「そのアリスって子、本当なら私も知ってる子なわけね」
「ああ」
「その子だけじゃなくて家まで、綺麗に消えちゃったってこと?」
「そうらしいな……畜生、こんなの一体どうしろって言うんだ!?」
やり場の無い怒りに、目頭が熱くなってくるのを感じる。
「落ち着いて魔理沙」
私の肩に霊夢が手をかける。
「人だけじゃなくて家まで簡単に消しちゃうなんて、私たちだけでどうこうできるような相手じゃないかもし
れない」
「確かに、どうにも得体が知れない相手だな」
「私、紫に相談してみる」
「……ああ」
「いい、相手の素性がわかるまで絶対に無茶しちゃ駄目よ」
「わかってる」
ここで何も無くなった森を眺めていても状況が良くなるはずがない。雲を掴むような話だが、今は相手の正
体を調べるしか手は無いか。
紫に相談するのは霊夢に任せて、その間私は私にできる事をするしかない。
◆
驚きに見開かれる少女の瞳。口元が『たすけて』と動く。
私は恐ろしくなり、少女から逃げ出す。
どこまでも続く白い空間の中、どこに行けばいいかも分からず、闇雲に走った。
なにも考えられず、ただただ怖かった。走ることしか、逃げることしか、私にはできなかった。
◆
紅魔館の地下、日のあたらない図書館。
図書館の主パチュリーは執務机に広げた魔道書の文字を黙々と目で追っていた。
私は図書館の扉を乱暴に押し開けると、一直線にパチュリーの前に行き執務机に両手をついた。
「……小悪魔、泥棒が入っているわ」
スペルを詠唱する小悪魔の声に気づく。構ってる暇は無い。
「異変が起きてる、助けてくれ」
「……どんな?」
「妖精と魔法使いが姿を消した」
「うちは迷子センターじゃないわ」
パチュリーは魔道書から顔を上げることなく応える。詠唱の声はいつのまにか止んでいた。
「ただの尋ね人なら興味は無い、他をあたって」
「ただの尋ね人じゃない。そいつらが居なくなると同時に、そいつらがいままで居たという証も消えてる」
「……具体的に」
「そいつらの知り合いが口を揃えて、そんな奴のことは知らないって答えてる」
長い沈黙の後、パチュリーが初めて表情の薄い顔を上げて私を見る。
「少しは面白そうね。いいわ、付き合ってあげる」
小悪魔の運んできた紅茶を飲みながら、私はいままで起こった事を詳細に説明した。
目を瞑り黙って話を聞いていたパチュリーは、私の説明が終わると小声で呟く。
「不思議ね」
「ああ、チルノもアリスもまるで最初から居なかったみたいだ。どうにも腑に落ちない」
「不思議なのは、そこじゃないわ」
そっと目を開き、パチュリーは射るような視線を私に投げかける。
「その二人のことは私も覚えていない、これは他の人と同じなのだから不思議ではない。私が不思議だと言っ
たのはね、なぜ魔理沙だけが二人のことを覚えているのか、ということ」
「あ……!?」
言われてみれば、その通りだ。私以外にも二人のことを覚えている人がいるなら話はわかる。もしくは、私
も二人のことを覚えてないのなら。
しかし現状は、なぜか私以外だれも二人のことを覚えていないのに、なぜか私だけが覚えている。これは確
かに奇妙な話だ。
「可能性その一、その二人は本当に実在しないが、魔理沙だけが実在したと思い込まされている」
「ちょっと待て!私が信じられないって言うのか!?」
「もちろん信じているわ、でもこれは飽くまでも可能性の話。なにか心当たり無いかしら」
納得はいかないが、私一人が騙されているとすれば確かに辻褄は合う。
本当は元から居なかったのに居たと思い込まされている、その観点でしばらく考えを巡らす。
「あるいは……慧音だったら」
「けいね?」
「ああ慧音だよ。里で寺小屋をやってる……」
最後まで言うことができなかった。私を見るパチュリーの目が、そんな人知らないと告げていたから。
「三人目の犠牲者、ってとこかしら」
「……みたいだな」
テーブルの下で拳に力を込める。
私の知らないところで次々と人が消えてくわけか。
こんなの、一体どうしたらいいのかわからない。
「可能性その二、二人……いえ三人ね。その三人は確かに実在して魔理沙以外みんな騙されているけど、何ら
かの理由で魔理沙だけ対象から外されている」
「何らかの理由?」
「これも二通りの考え方ができるわ。わざと魔理沙を対象から外しているのか、それとも魔理沙を対象にでき
ない理由があるのか。前者の場合つまりパフォーマンスね。みんなが消えていく様子を魔理沙に見せたいとい
った趣向。後者の場合は、私たちと魔理沙でなにかしら差異があるのでしょうけど……これは考え出すとキリ
が無いわね」
淡々としたパチュリーの言葉の内容が気にかかった。私の知り合いが消えていく様子を見せたいだなんて、
そんなことする理由は嫌がらせだとしか思えない。私自身には誰かの恨みを買った覚えは無いのだけれど……。
無言で考え込んでいるうちに、小悪魔がパチュリーの元にやってきて「魔方陣の準備ができました」と告げ
る。
「魔方陣?」
「消えた三人の探索をしてみるわ」
小悪魔の案内で図書館の奥へ向かう。大きく開かれた床に赤色の魔方陣が描かれていて、円の中心に大きな
水晶が浮かんでいた。
「探索対象の所持品か、できれば髪の毛とかあれば良かったんだけど、綺麗に全部消えてるのよね」
「ああ、多分な」
「じゃあ強引だけど魔理沙を媒体に使うわ。水晶の前に立って」
「こうか?」
「ええ。それで、消えた三人のうち誰でもいいわ。私が詠唱を始めたらその人の事を心の中に思い出して」
私は頷き、一心にアリスとの記憶を思い出した。
「成功したら、探索対象の今の状態が水晶に映し出される」
パチュリーが魔道書を開き、囁くようにスペルを詠唱し始めた。
私はアリスのことを思い出しながら水晶に集中する。
水晶は淡い光を放つ。しかしその水晶には何の姿も映し出されていない。
スペルの詠唱は三十分ほど続けられたが、水晶に変化は見られなかった。
「なにも、映らなかったぞ」
「今の魔法は捜索範囲が幻想郷内だった。つまり少なくとも幻想郷の中には居ないというわけね」
その後も捜索範囲を徐々に広げながら探索が続けられたが、水晶には一向に変化が見られなかった。
「これって」
「どこにも居ない、ということになるわ」
「そんな……」
受け入れたくない事実が、魔法によってはっきりとしてしまった。
アリスは幻想郷にも外の世界にも、どこにもいない。
私たちがもし異変を解決できたとしても、アリスは…………帰ってこない。
なにも考えられない。
体に力が入らず、椅子から立ち上がれない。
「魔理沙」
呼ばれた気がして、パチュリーの顔を眺める。
「今日はもう遅いわ、異変のことは私と小悪魔で続けて調べておくから、あなたは帰って休みなさい」
「……ああ」
家に帰ってもベッドに横になっても、なかなか寝付くことができなかった。体は疲れているのだが、とても
じゃないが眠れる気分じゃない。
薄暗い部屋で天井をなんとなく眺めながら、アリスと過ごした思い出に浸る。
よく喧嘩もしたけど、アリスはなんていうか、とても気の合う友達だった。優しくて世話焼きだけどいつも
私を受け入れてくれて、受け入れてくれながらも心地良い距離感は保っていて。
アリスの部屋で、なにもしないで過ごす時間が好きだった。これといった話をするわけでもなく、お互いに
別々のことをしてるんだけど、でも一緒に居たい、話さなくても一緒に居られるから嬉しい。そんなゆっくり
時間が流れるような、アリスといる空間が好きだった。
明日も明後日も、何年先でも変わらない時間が過ごせると疑いなく信じていた。いつかは二人の関係が変わ
ったりどちらかがいなくなるかもしれない、でもそんなのは今すぐ考える必要がないぐらい未来のことだと、
根拠もなく信じていた。
アリスは居るのが当たり前で。アリスだけじゃない、チルノだって慧音だって。別れの言葉も残さずに突然
いなくなってしまうなんて、受け入れられるわけがない。私が健在なかぎり、この幻想郷での生活もいつまで
も続くと思っていた。この生活が終わってしまうなんて考えたこともない。そんなの……考えたくない。……
失いたくない。……どうすればいいんだ!?
喪失感と焦燥感がいつまでも心の中で渦巻いていた。とても落ち着かない気持ちだったが、それでもいつの
まにか眠りに就いていたようだ。ベッドで気がついた時には既に、夏の太陽が高く昇っていた。
焦っていても今の私ではどうすることもできない。霊夢が紫と相談すると言っていた。
どちらにしても幻想郷に起きた異変だ、紫ものんびり眺めているわけにもいかないだろう。
あの反則スキマ妖怪なら、今回の事件のこともなにか知っているんじゃないだろうか?
霊夢は箒を手に境内の掃除をしていた。暗い表情でどことなくいつもより元気がないように見える。
私と目が合うと驚いたような表情を見せ、小走りで近づいてきた。
「異変、なにか解った?」
「消えた人たちはもう帰ってこないかもしれない。魔法で探索したけど、どこにも居ないという結果が出た」
「それって、死んでるってこと?」
「わからない」
努めて冷静に報告した。感情的になって解決するような問題じゃない。
「霊夢のほうはどうなんだ、紫は捕まったのか」
「ゆかり?」
霊夢の目に動揺の色が表れ、私から目を逸らす。
これって……。
「その……」
「わからないのか、紫のこと」
目を伏せたまま小さく頷く霊夢、つまりそれは八雲紫が既に消えているという意味。
なら、紫が消えたというなら幻想郷と外の世界を隔てる結界は、どうなってしまったんだろうか?
「霊夢、それじゃおまえ結界はどうなってるんだ」
「結界?……ごめん、わからない」
「わからないって、じゃあ幻想郷はどうなっちゃうんだよ!?」
「それも、わからないの……」
霊夢の伏せた目が潤んでいた。
何も知らない霊夢を責めても八つ当たりにしかならない、そんなの時間の無駄だ。
私の力では結界をどうこうできないわけだから、とりあえずは後回しにするしかない。
「……悪かった、また来る」
「……うん」
紫は当てが外れてしまったが、パチュリーと小悪魔が異変のことを調べてくれているはずだ。
それでなにも結果が得られなければ、気は進まないが神頼みとするしかないか。
守矢の二人も、これだけの大事ならば快く協力してくれることだろう。
しかし結局のところ、紅魔館にも守矢神社にも辿り着くことはできなかった。
何が起こったのか把握するまで、かなりの時間が掛かった。
あまりにも変化が大きすぎて、とてもじゃないが信じられなかった。
紅魔館は消えて無くなっていた。
建物どころか、そこに館があったという痕跡すらない。妖精たちの群れる霧の湖も同様。
紅魔館のあった場所にはなにも無い荒れ果てた原野が広がっていた。
「そんな……馬鹿な!?」
一晩で訪れた信じられない変化も、守矢神社と比べればまだ可愛いものだったのかもしれない。
妖怪の山の頂にある守矢神社。
その妖怪の山がまるごと、消えて無くなっていた。
とても冷静でいられるわけがない。
目の前に広がる幻想郷の景色は、私の馴染みある風景とは似ても似つかぬ物だった。
永遠亭のあった竹林も、命蓮寺も、地底へ続く間欠泉も、消えて無くなっていた。
博麗神社と人里だけを残して、幻想郷は消えて無くなってしまった。
夕暮れ時。
私は一軒の邸宅の前に立っていた。幻想郷縁起を代々編纂している稗田阿求の家。
今さら何かがわかったところで、なにもかもが手遅れなのかもしれない。
もうとっくの昔に、取り返しの付かない事態に至っている。
しかし、何もせずに幻想郷が消えていくのをじっと待っている事は私には出来なかった。
残された手掛かり、本来の幻想郷が私の知っている幻想郷であると証明する、ただそれだけの意味しかない
最後の手掛かりが、幻想郷の歴史を綴った幻想郷縁起だった。
私は意を決して、玄関の引き戸に手をかける。
「そこには何も無いよ」
聞き覚えのある幼い声。振り返ると、神社と一緒に消えたはずの洩矢諏訪子が、私を見上げていた。
「稗田阿求はさっき消えた。幻想郷縁起はまだあるけど中身は白紙だ」
「……これは、おまえの仕業なのか?」
冷静に八卦炉を構えるが、既に諏訪子の姿は無く、再び背後から声が聞こえた。
「あんたは勘違いしてるんだよ。これは誰かの起こした異変なんかじゃない、事故なんだよ」
「事故?どういうことだ、なにか知ってるのか!?」
「立ち話もなんだから、茶屋にでもいこうか。そう時間は無いだろうけど」
近くに見つけた茶屋で、赤い敷物を敷いた椅子に諏訪子と並んで座る。
「この人里も間も無く消える。実家にお別れの挨拶済ませなくても大丈夫かい」
「今さら、どんな顔であそこに行けばいいんだよ」
「そうか」
諏訪子は抹茶をこくこくと飲んで器を置くと、小さな声で話しだす。
「正直、ここに来るべきか相当悩んだ。真相を知ることが魔理沙にとって幸せなことなのか私には分からなか
ったからね。で、今も悩んでる」
「そんなの、中身を聞かなきゃ私にも分からないぜ」
「うん、つまりね、もし真相を聞けばそれは魔理沙にとって足枷になる。聞かずに済ませば、時間は掛かるだ
ろうけど忘れられると思うんだ」
「忘れられる、って……」
「あんたが、自分の意思で決めてほしい。聞くか、聞かないか」
じっと私の目を見つめる諏訪子。私は小さく頷く。
「話してくれ」
「……わかった」
「簡単に言うとね、今の状態てのは二つの世界が重なり合ってる状態なわけ」
「二つの世界?」
「うん、ものすごく良く似た二つの世界。本来は重なり合うことは無いんだけど、とても低い確率の偶然が起
こって、運悪く重なってしまった。具体的になにが起こったのかは私も知らないんだけど、とにかく重なって
しまったものはしょうがない」
「二つの世界はとても良く似てるんだけど、私たちにとって重要な所が違っていた。私たちの世界にある幻想
郷がもう一つの世界には無かった。幻想郷が無いのだからそこの住人も居ない。ただ魔理沙、あんただけは例
外だった。幻想郷の無い世界で、霧雨魔理沙は外の世界で生まれ育ち、平凡な生活を送っていた」
とても嫌な予感がした。
心に引っかかる何かが、話の続きを聞きたくないと訴えているような。
「で、世界が重なり、もう一つの世界の魔理沙とあんたが偶然出会ってしまった。結果としてあっちの魔理沙
が消えちゃったわけだ。これはあんたも覚えてるはずだけど」
言葉ではっきりと言われて……やっと思い出した。
あの朝見た、嫌な夢だ。
白い空間。
私そっくりの少女。
砂のように崩れていく少女。
私に……助けを請う少女。
「そんな…………馬鹿な!だってあれは……夢だったんじゃ!?」
「夢じゃなかったわけだ」
「だっ、だって!……そんな、じゃあもう一人の私は、私が殺」
「違う!!」
心に直接響くような声で諏訪子は言い切る。
「とびっきりの不運だけどこれは事故だ!あんたは何も悪くない」
「……」
「続けるよ。もう一人の魔理沙が消えたことが切欠で、二つの世界は不安定な状態になった。不安定な状態の
まま、世界は安定方向に動こうとした。つまり消えた魔理沙の穴埋めにあんたを使おうとしたってわけ。あん
た一人が消えてあっちの世界に現れたら手間無かったんだろうけど、誰か意思のある奴が監督してるわけでも
なかったからね。結局何がどうなったかっていうと、こっちの世界から幻想郷が少しずつ消えて、消えた分だ
けあっちの世界に現れたと」
「じゃ、じゃあアリスやパチュリー達は」
「なにも知らずに、あっちの世界でいつもどおり生活してるよ」
胸に希望が湧いてくるのを感じた。
諦めかけて絶望していたけど、みんな、無事だった。
心が暖かさで包まれるようで、泣きそうなぐらい嬉しい。
諏訪子が、私の手を取り、ぎゅっと握る。
「辛いだろうけど大事な話だから聞いてくれ。…………あんたは、みんなのいる世界には行けない」
……え!?
「みんなも、あんたのことは忘れてしまってる」
そんな……そんなのって!
「神奈子と二人で、あんたを助けようといろいろがんばったんだけど、どうしても駄目だった。言い訳にしか
ならないけど、私たちの力不足だ。本当に済まない」
「そ、それじゃ、どういう事だよ」
「あんたは、外の世界で生まれたもう一人の魔理沙として生きていく。私たちじゃこれが変更できなかった」
「そんな……う、嘘だろっ!」
「……ごめん」
諏訪子は俯いて小さく呟く。帽子に隠れて表情は読み取れない。
「い、今までの私の人生はどうなっちまうんだよ!急に無かったことにして別人として生きろだなんて!!そ
んなの受け入れられるわけが……」
不意に頭を抱き寄せられた。諏訪子の小さな体に抱きしめられ、温もりを感じる。
「もうすぐここも消える。残るのは博麗神社と霊夢だけ。その霊夢も、夜が明けたら居なくなる」
「……」
「行ってあげな」
諏訪子が手を離す。顔を上げると、周りは人里ではなく見知らぬ雑木林になっていた。
いつのまにか箒も八卦炉も無くなっていて、そして私は空を飛ぶことが出来なくなっていた。
諏訪子に背中を叩かれ、神社に向かって歩く。振り返っても、そこにはもう諏訪子は居なかった。
博麗神社に着く頃には、日は暮れかけていた。
台所で霊夢が夕飯の支度をしている。
「あ、魔理沙」
「突然悪いけど、晩飯食べさせてくれよ。あと泊めてくれ」
霊夢は手を止めて僅かに微笑む。
「いいわ、今から用意するからあんたも手伝いなさい」
「ああ」
霊夢と並んで台所に立ち、私の分の夕飯を支度する。焼いた川魚とお味噌汁。
豪勢とは言えない食事をちゃぶ台に並べて、霊夢といっしょに食べ始める。
こういう食事を、数え切れないぐらい繰り返してきた。いつものちゃぶ台で、いつもと同じように霊夢の横
に座って。
焼き魚もお味噌汁も霊夢の味がした。魚は焦がしすぎだしお味噌汁は薄味で薩摩芋が入っている。
でも素朴で、なにより慣れ親しんだいつもの味だった。
「異変、どうなったの」
霊夢が聞き辛そうに尋ねてくる。
「あー、あれはもういいんだ」
「もういいって、たくさん人が消えちゃったんでしょ?」
「消えたんじゃなかったみたいなんだ。消えた人は別の場所に移っただけで、順番で私たちもそこに移るらし
い」
「そうなの?じゃあ何も心配ないんだ」
「ああ」
安心したのか、いつものような笑顔を浮かべる霊夢。その笑顔を見る私は、正直複雑な心境だった。
夕飯が終わると、二人で縁側に並んでお酒を呑んだ。
湿った生温かい風に風鈴の音が響き、蚊取り線香の匂いが漂う。
雲ひとつない星空に綺麗な月が浮かんでいた。
「ねぇ」
「ん?」
「その、消えた人たちの話や幻想郷って所の話、聞かせてよ。本当は私も知ってるんだろうけど、ほら、記憶
に無いから」
微かに紅くなった霊夢の顔を眺める。
「ああ、わかった」
「幻想郷ってのは、人から忘れられた物が流れ着く場所らしいんだけど、妖精とか妖怪とかが人間に混じって
普通に生活してたりするんだ」
「妖精や妖怪?」
「ああ。この神社にも妖怪が入り浸っててな、人間が寄り付かないっておまえよく愚痴ってたぜ」
「そうなんだ」
「で、妖精の沢山いる湖があってな、そこの畔に紅魔館ていう城みたいにでかい屋敷があるんだ。そこには吸
血鬼が住んでてな」
「吸血鬼って、あの血を吸う?」
「普段は吸わないけどな、それに吸血鬼っていってもこんな小さい女の子で、でも体は小さいけど威張ってて
いつも咲夜ー、咲夜ーって、あ、咲夜ってのはそこのメイドなんだけど、時を止めたりナイフを投げたり、凄
い奴で。あと、地下には馬鹿みたいに広い図書館があって、パチュリーっていう魔法使いがいつも本を読んで
るんだ」
「なんだか、化け物屋敷みたいで怖いわね」
「怖くなんかないぜ、みんな話せばいい奴だし。それに、そいつらが悪さしたとき霊夢が全員倒したんだぜ」
「え、私が?そんなの無理よ怖いわ」
「いや、倒したんだよ。そんで、仲良くなった」
「……仲良く?」
「ああ、人間も妖怪も関係なく、みんなで神社の境内に集まって宴会するんだ」
妖怪たちでごった返す宴会のことを思い出す。
人間も妖怪も、強いも弱いも関係なく、みんながみんな楽しそうで。
その中心には、いつも霊夢が居る。
「なんだか、楽しそうね」
「ああ、楽しくて、みんな活気があって」
眩しいぐらいに楽しかった沢山の思い出。
みんな、霊夢が居たからなんだろうな。
遠く、星空を眺めるような霊夢の横顔を見る。
「ねぇ、魔理沙」
「……ん?」
「私たちが初めて会ったときのこと、覚えてる?」
「……ああ、星が綺麗だったな」
空が降ってきそうな星空だった。
自分と同じくらいの年の人間なのに、能力に恵まれた少女。
何度挑んでも、全然敵わなかった。
私は霊夢に憧れ、そして惹かれていった。
「私、魔理沙と会えて、よかったなって思ってる」
「……何だよそれ」
「うーん、うまく言えないんだけど、魔理沙が居てくれて幸せだったなって」
照れながら微笑む霊夢。
その微笑みは、何故だかひどく寂しそうに見えた。
「な、なんか恥ずかしいこと言っちゃったわね。もう寝ましょうか」
居間のちゃぶ台を畳み、布団を並べて敷く。
床に就いても寝られるわけがない。
このまま寝て、起きたら、その時にはもう霊夢はいない。
考えてしまうと急に寂しさが込みあげてくる。寂しさでどうにかなってしまいそうだ。
「なぁ……霊夢」
「……なに?」
「手、出して」
差し出された霊夢の手を、私は握り締める。
「なによ、これじゃ落ち着いて眠れないじゃない」
「お願い……握っててほしいんだ」
「子供みたい」
「……駄目か?」
「……いいよ」
握った手に霊夢の温もりを感じる。
この手を離したくない。
せめて霊夢だけは、どこにも行ってほしくない。
寂しさと、悲しさと、諦めと、それらで訳が分からなくなって、気がつくとまどろみの中に落ちていた。
起きているのか寝ているのかわからない、夢うつつな状態。
握っていた手は、解かれていた。
霊夢は畳に座り、私を見下ろしていた。
外は明るくなり始めていて、逆光で霊夢の表情はわからない。
聞き取れないくらい、か細い声で
「ありがとう」
と言ったのが聞こえた気がする。
衣擦れの音が聞こえ、やがて霊夢は立ち上がり、障子の向こうに姿を消した。
ああ、やっぱり霊夢も行っちゃうんだ……仕方ないよな。
夜が明けたら消えるって諏訪子も言ってたもんな。
最後に一緒にご飯食べて、お酒呑んで喋れたから、それで良しとしないとな。
今さら追いかけて引き止めたりしたら、未練がましくて駄目だよな。なんか格好悪いし、霊夢も困るよな。
……でも、未練がましくても格好悪くても、私がそうしたいんだから……別にいいよな。
いいよな、引き止めても。
私は布団から起き上がり、薄暗い廊下を走り出した。
「霊夢!」
「……朝っぱらから騒々しいわね」
霊夢は賽銭箱に背中を預け、ちょこんと座っていた。
「せっかく綺麗に退場したのに、追いかけてきちゃったら台無しじゃない」
「おまえ、本当は全部知ってたんだろ!」
「ん、……まぁ、それはそうだけど」
気まずそうに下を向く霊夢。
上目遣いに私を見つめる黒い瞳は、なんだかとても弱々しかった。
「なあ、霊夢お願いだ、行かないでくれ。私を一人にしないでくれ!霊夢がいなくなったら、私は……私はど
うしたらいいのか……」
「そんなこと言ったって……私だって魔理沙と別れなきゃいけないなんて嫌よ、絶対に嫌!……絶対に嫌だけ
ど、けど、……それでもどうしようもないの」
「どうにも、ならないのか?」
霊夢は膝を抱えたまま、小さく頷く。
夜明けを待ちきれずに鳴き始める蝉の声が、やたらと頭に響いた。
霊夢の横に並んで座り、賽銭箱にもたれかかる。そこからは飽きるくらいに見慣れた神社の境内が一望でき
た。
沢山の時間を過ごし、思い出の詰まった境内が。
「ねえ、みんなでお手玉して遊んだの、覚えてる?」
「ああ、三人組の妖精にせがまれてよくやってたな」
「あんた全然上手くできないからって、悔しがってムキになっちゃって」
「え、でも最後はできるようになったじゃん」
「家でさんざん練習したんでしょ?私知ってるんだから」
「いいじゃんかよ、私はおまえと違って何でも器用にこなすタイプじゃないんだし」
「うん、そうやってムキになって一生懸命なとこが、ちょっと羨ましかった」
「何だよそれ、誉めてるのか貶してるのかわかんねぇよ」
「あと、ちょっと可愛いかった」
「なっ!?」
悪戯っぽく笑う霊夢を見て、妙に恥ずかしくなる。
「そ、そういえば、よくここで宴会やったよな」
「数え切れないくらいね。みんな何かっていうとウチに集まりたがるんだもん。掃除する身にもなって欲しい
わ」
「たまには手伝ってるじゃん。それにおまえも賑やかで楽しいって言ってたし」
「うん、そりゃ楽しいし宴会好きだけどね」
「あれ覚えてるか?去年、月見で集まったときの」
「去年の月見?ああ、あの妖夢が酔いつぶれちゃった時?」
「そうそう、あの時は大変だったな」
「半霊はそこらじゅう暴れまわるし、幽々子はよろしくねーとか言って先に帰っちゃうし、まあ魔理沙が残っ
て介抱付き合ってくれたのは助かったけど」
「しばらく妖夢のやつも、私たちと会うたびに謝りっ放しだったよな」
「そんなに気にしなくてもいいのにね。あんまり謝られると逆にこっちが悪い気がしてきちゃうわよ」
「まあでも、大変だったけど過ぎちゃえば不思議と楽しいことしか覚えてないんだよな」
「そうね、楽しい思い出しかないわ」
境内を包むかのように、蝉の声が聞こえる。
遠い山の稜線が朝日で輝きはじめる。
「また、みんなで集まって宴会やりたいよな。人間も妖怪も妖精も関係無くさ」
笑いながら、横に座る霊夢に話しかける。
そこには
誰もいなかった。
「あ……」
賽銭箱にもたれて座っていた霊夢は、もうすでにいなかった。
そこにいたという痕跡すら無い。
「あ、ああっ…………」
蝉の声の響く境内。
人気のない境内に、私はたった一人残されて。
幻想郷の消えた、この世界に
私はたった一人残されて。
◆
晴れ渡った夏空を、飛行機雲が割っていく。
私は意味も無くそれを眺めていた。
古美術商霧雨商店の一人娘、霧雨真里。
両親は健在、近所に幼馴染の親友が一人。
地元の普通な中学校に通い、部活は所属せず。
これが外の世界での私だった。
外の世界の生活には意外と難なく馴染むことができた。霧雨魔理沙として生きていくのだったら、それなり
に軋轢もあったかもしれないが、霧雨真里という別の人間を演じるのであれば、ただ周りに流されていけばい
い。
なにも難しくはない。
香霖や紫から聞いていたとおり、外の世界は物には恵まれていた。暑さ寒さも関係無いし、夜になっても街
は明るいままだ。
しかしそこでの生活は、なぜかとても味気ない物だった。家族も友達もクラスメイトも、なんだか空気の抜
けかけた風船のようで、私も溜め息を吐くことが多くなった。
活気に溢れ、みんながみんな毎日を一生懸命生きている、そんな幻想郷とは大違いだった。
空の色は、同じなのにな。
「……ねえ真里、聞いてるの?」
「ん?ごめん、聞いてなかった」
幼馴染で親友の裕子だ。なにか話しかけられてたらしい。
たぶん暇潰しの世間話だろうけど。
「なんの話だっけ」
「いいわよもう、二回も言うの馬鹿らしいし」
頬を膨らませて不貞腐れる裕子。こういう仕草は、どことなく霊夢と似てるかもしれない。
……悪い癖だ。霊夢や幻想郷のことを思い出しても、苦しくなるだけなのに。
「空ばっかり眺めて、なにがあるのよ」
「いや、今日みたいな日は空を飛べたら気持ちいいだろうなって」
「はぁ!?なんかの冗談なの?人間が空飛べるわけないじゃない」
「例えば、の話だよ」
人間が空を飛べるわけがない。
確かにそうだな、そんなの当然の話だ。
でも
案外、飛べるかもしれないんだぜ。
特に、こんなにも暑い夏の空なんかは。
終
サスペンス風味で引き込まれました!
結末に、ちょっと片付いていない感を感じてしまいました。
キッカケが、理由もなく唐突に。何もしてないのに偶然に。違う世界の人間が偶然に?何故か出会って片方消えて。訳も分からず理不尽で。何故か諏訪子達だけ記憶引き継ぎ。
バッドエンドでもいいからキッカケの理由付けとかの細かいとことかに不満があるのは自分だけですか。
でも幻想郷に帰れる話もあったら嬉しいな
でも雰囲気がすごくイイ