雨が降ってきたので文の家に入った。文の家に入るのははじめてだった。狭いけど、あまりものをおいていないので、すっきりした感じだった。居間のほかに台所と、風呂と厠と、もう一室があるだけみたいだった。そっちの部屋は何、と訊くと、「写真を現像する部屋です。暗室といいます」と言う。そのときの口調が敬語になっていたので、今は山を守護する妖怪天狗ではなく、いつもの、新聞記者の立場になってるんだとわかった。
ずぶ濡れの髪と体を、タオルを出して文が拭いてくれた。寒いからから茶でも出せ、と言うと、へえへえ、と言いながら菓子も付けて用意してくれた。
「しかし何ですね、霊夢さんは強いですね。手加減したとはいえ、まさか負けるとは思いませんでした」
「こちとら何年も巫女やってるからね。ふだんならともかく、異変のときは性能が変わってくるのよ。あんたこそ強かった。手加減してもらってありがたいわ」
「天狗ですからね。でも霊夢さんも雨には弱いですね。寒くて震えてるみたいです」
風呂でも入りますか、と言う。
「いいの?」
「ええいいですよ。風邪でもひいたらことですからね。水ためて、沸かしてきますよ」
文はぺたぺた歩いて、家の奥に行った。自分もまだ濡れているんだから、着替えくらいすれば、と声をかけようとしたが、うまく言えなかった。どうも、人の家は調子が狂う。自分の神社であればお茶とお菓子があって落ち着かないなんてことは金輪際ないが、慣れない場所だと思うと、へんに緊張してしまうのだ。私は魔理沙じゃないんだから、しかたなかった。
お茶とお菓子をお腹の中に片付けてしまうと、手持ち無沙汰になった。どうもそわそわして、じっとしていられなかった。そこで、私はちらりと奥の様子をうかがうと、文のたんすを素早く開けた。
いつも着ている白いブラウスと、黒いミニスカートが何枚もたたまれてしまわれていた。同じ服を何枚も持っているようだ。きちんとていねいに、しわがつかないようにたたまれているのを見ると、少しおかしくなった。そんな素振りは見せないけれど、やっぱり女の子だから、身だしなみには気をつけているんだと思った。
もうひとつ引き出しを開けた。下着が入っていた。いわゆるパンツである。白いものが多かったが、緑色や桃色、薄い青や、黒いものもあった。素材は綿が主だったが、何か手触りの良い、私では分からないすべすべのものもあった。文のパンツはよく見る。飛んでいるときや、博麗神社に着陸するときに、下からよく見えるのだ。しかし黒い下着はいままで見たことがなかった。さては勝負下着か、と思って広げてみると、レースがたくさんあしらわれている、高級そうなもので、健康的なエロスを旨としている文には似つかわしくないように思った。回収した。さて次はブラジャーか、とさらに引き出しを開けたところで、文が戻ってきてぶん殴られた。
◆
山の上に神様がやってきたから、その神様を崇めなさい。
見たことのない人間がやってきて、そう言ったのは、少し前のことだった。私は魔理沙と相談して、神様に会いに行くことにした。
で、山の途中で、文に会った。
「文の様子が、いつもとちがったから、驚いたわ」
「そりゃあねえ。これでも組織人ですからね。お役目は果たさないといけないんですよ。お湯、ちょうどいいですか」
「ん、あったかい」
風呂に入っていた。ぬるめのお湯で、体にやさしい温度だった。当然、ひとりで入るのかと思ってたら、文もいっしょに入ってきた。
「お湯をひとりで使うなんて、そんな贅沢な真似、させるわけがないじゃないですか。私も濡れたんです」
「天狗だから、風呂は嫌いなんじゃないの?」
「時と場合によります」
湯船は狭いが、身を縮めていればふたりで入れないこともない。私は肩までお湯につかったが、文は私より背が高いので、お湯の上から鎖骨が見えていた。
文の胸を見たのははじめてだった。思った通り、それほど大きくはなかったが、全体的に細身の文にはちょうどよいくらいで、少し尖り気味だった。脱ぐところからガン見してやったら文は恥ずかしがっていた。良い乳ね、そそるわ、とか適当に言ってやった。文は「うるさいですね、子どものくせに」とぶつぶつ言いつつも、まんざらではないようだった。
「山の上に神様が現われたのはひと月前のことです」
「ふんふん」
「かなり力の強い神様で、どんどん山を自分のものにしようとするし、麓にまで降りて勢力を広げようとするし……で、けっこう困ってたんですよ。霊夢さんがお灸をすえてくれるなら、都合いいです」
「困った神様なんだ」
「ええ。ただ、怖いですよ。なんか蛇みたいなんです。蛇は嫌いです。卵を食べるので」
「文は卵産んだことあるの?」
「え? ないですよ。いきなり何を訊くんですか」
「私もないなあ」
「当たり前でしょう」
文が髪を洗ってくれた。洗いながら、霊夢さんは髪の毛が長いから、大変ですね、と彼女は言う。昔はえっと、母親が洗ってくれたので、よかったんだけどね、と言うと、文は、ああ、とか、ええ、とか、すっきりしない返事をした。文に母親はいるんだろうか。
「天狗ですので、いますよ」
「天狗関係ないじゃん。どこにいるの」
「さあ。とても昔のことですので、忘れてしまいました。私たちはそれほど、親子関係が強いわけではないんです。むしろ、上司とか部下とか、そういうほうが大事になってくるわけでして」
「ふうん。来る途中にいたあの白い天狗は、あんたの部下?」
「部下というわけではないですよ。ただ、私のほうが偉いです」
「ふうん。あんたは、卵産む予定はあるの?」
「ないですよ。相手もいないですし」
「うわ、さびしー」
「さびしくないですよ。手のかかることがいっぱいあるので、子どもなんか作ってる暇はないんです」
「たとえば、何やってるのよ」
「新聞作ったりとか、山に入ろうとする不埒な人間を追い払ったりとか」
「追い払えてないじゃん」
「巫女は特別です。どうしたんですか、今日はやけにからみますね」
「別にぃ」
自分が子どもみたいになっているのはわかった。風呂の中はあったかくって、頭がぼんやりした。交代して、今度は私が文の髪の毛と、羽根を洗ってあげた。黒い髪の毛と羽根はつやつやしていて、ほんとうにきれいで、ちょっと嫉妬してしまった。湯船のお湯を桶に汲んで、文の頭の上から流した。ぶるんぶるん、と文は頭を振る。動物みたいでかわいかった。もう一度お湯を汲んで、かけようとしたとき、足が滑って、文の背中に向かって転んでしまった。文の後頭部に、顔面から突っ込んだような形になった。あてて、ごめんね、と言って顔を上げると、文が心配そうな表情で振り向いてこちらを見ている。転んじゃったのよ、と言ったあと、立ち上がろうとしたけど、足がふらふらしてうまくいかなかった。それから風呂を出た。うまく動けない私の体と髪を、文が手早く拭いてくれた。文の寝間着を着せられて、布団に寝かされた。布団ももちろん、文のものだった。
◆
単にのぼせただけかと思ったら、測ったら熱があった。文がおかゆを作ってくれた。ふーふーして食べようとすると、文が私の手から匙を奪い取って、ふーふーしてくれた。そのまま、あーん、して食べさせてくれる。恥ずかしかった。
ふがいないですねぇ、とこちらを馬鹿にしたような顔で言う。一言もない。
「異変のときの巫女は特別性なんじゃなかったんですか」
「おかしいな」
「おかしいな、じゃないですよ。心配させないでください」
「雨が悪かったのかな。そんなに具合が悪いようには、自分では思わなかったけど」
「人間は弱いんだから、ちゃんとしてください」
「はい」
「……やけに素直ですね。また心配になってきました」
「あのさ」
「ん?」
「なんでもない」
「なんですか、それ。欲しいものがあるなら言ってくださいね」
「いいの。なんでもない」
「手間がかかる子ですね」
プリンあるから食べます? と言う。おかゆ食べてからにする、とこたえて、室内を見回した。
ほんとうにもののない部屋だった。たんすと、ちゃぶ台と、机と、机の周りにある文房具類、ちらほらとその近くに積み重なっている、何かの資料。布団を出したとき、押入れの中を見た。布団はひとつきりで、ほかには薄手の毛布が二三枚しかなかった。そこに、あれがしまわれてるかもしれない、と、会話をしながら、ちょっと思ったんだった。
おかゆを食べ終わると、私は布団に潜り込んで、目の上まで上掛をかぶった。
そのまま寝てしまった。
夢を見た。
起きると、布団のそばにお盆に乗ってプリンが用意されていた。文の姿は見えなかった。
少し調子が良くなったようだった。プリンを食べ終わると、文を探した。台所、風呂、厠にもいなかったので、暗室で写真を現像しているんだろうと思った。自分の服に着替えようと思ったが、干されているそれはまだ乾いていなかったので、どうしようか迷った。そうこうしているうちに文が帰ってきた。暗室からではなく外から帰ってきたので、出かけていたのだ。
私は口を尖らせた。
「どこ行ってたのよ」
「野暮用ですよ。記者仕事じゃなくって、今度も天狗さんのお仕事です。魔法使いも強いですね。で、具合よくなりましたか」
「よくなった」
「それは重畳。熱、測りましょうか」
「いい。治ったもん」
「ほんと、子どもみたいですね」
文はおかしそうに笑う。頭の上のぽんぽんが頭の上でぽんぽん跳ねた。元気が出てきたので、我慢できなくなってしまった。
私は口を開いた。
「ねえ。新聞読ませて」
「はいぃ?」
「新聞よ。あんたの新聞。読ませてよ」
「な、なんと。めずらしいですね。もちろんです。最新号はこれで、その前のがこれ。でも近ごろでいちばん気に入ってるのは、この加藤茶の再婚についてつっこんだ記事で」
「そういうんじゃない。もっと古い新聞」
「もっとですか。異変のときのですか? 紅霧異変のときのなら、えっと、ちょっと待ってくださいね」
「ちがう、ちがう。もっと古い新聞。私が生まれる前のやつよ」
「はぁ? なんだって、そんなの読みたいんですか」
「私のお母さんの記事を読みたい。あるんでしょう」
「……」
文は無言で、私の座っていたところの畳を平手でぱぁん、と叩いた。私といっしょに畳がひっくり返って、床が見えた。床に扉がついていて、こけた私が立ち上がるのを確認すると、文はその扉をぎぎぎと持ち上げた。
天狗の力で風を循環させていて、湿気対策もしてあるから、だいぶもつんですよ、とのことだった。床下に広大な空間が開いていて、膨大な量の新聞が保管されていた。せいぜい二、三十年前だから、近くにあるはずです、と言って、手近な紙の山を少しあさり、それから新聞を一部取り出して、私に見せた。
お母さんの写真が載っていた。赤子を抱いている写真で、見出しは「博麗の巫女、第一子を授かる!」とかそういうものだった。赤子のときの私だった。お母さんは、私を見て、うすく笑っている。
「いい写真でしょう」
「ちょっと、黙ってて」
「はいはい」
自分の中の、お母さんの印象とは、ちょっとちがっているように思った。あたりまえだけど、今の私よりも年をとっていた。
私はしばらくそこにいて、お母さんの記事を、次から次へと読んで過ごした。数えきれないくらいあった。ひとつひとつ、文が手渡してくれた。疲れて、倒れそうになるまで読んでいた。文が声をかけて、私を布団まで戻してくれた。
◆
次の朝、もう一度おかゆを食べた。もっと食いでのあるものがいい、と言うと、ぜいたく言うんじゃありません、と言って額を叩かれた。
「たんすをあさってたのも、新聞見つけるためだったの?」
「ううん。あれは性欲の発露。ごめん、パンツ返すね」
「正直に出したので、あとで怒りましょう。具合はどう?」
「だから、治ったって。昨日からぴんぴんしてる」
「それは重畳」
文はころころと笑った。昨日、文がいない間に見た夢の話をした。お母さんが出てきた。けれど顔がわからなくて、私はとても、さみしくなってしまったのだ。
小さいころのことは、あまり覚えていない。お母さんが死んだあとは、紫が私を育ててくれた。だからいまでも、紫に甘える癖がついている。博麗の巫女としては、あまり良くないことだ。
二度目に眠ったときは、ちゃんとお母さんの顔が見えた。文の写真で、じゅうぶん思い出すことができたからだった。夢の中で、私は少し泣いてしまった。
寝ているときの無防備さには、ほんとまいる。
そういえば、私はずっと文の布団を使っていた。文は昨日どこで寝たの、と訊いた。迷惑をかけてしまって、気後れがした。
「気にしないで。天狗は強いから、なんとでもなるのよ」
「うん……」
「……ああ! かわいい!」
文は私を、がばっと抱きしめた。
私は驚いて、目を白黒させてしまった。
「ねえ、霊夢さん。霊夢。文お姉ちゃん、って呼んでみて」
「え?」
「いいから」
「何で?」
「いいから!」
「……文お姉ちゃん」
「ああ! ああ!」
文がぎゅっうっと、力を込めて抱きしめたので、私は苦しくなってしまった。
顔をぐりぐり、頭にこすりつけられた。寝起きで汗をかいているから、くさくないかな、と気になった。でもこちらとしては、そんなに嫌でもなかった。
やっぱり、今日は新聞記者お休みにするわ、と文は言う。
「あなたの小さいころの写真、見せてあげる。とってもかわいいのよ」
待っててね、と言って、下に降りてたくさん写真を持ってきた。死ぬほど恥ずかしかった。
異変は魔理沙が解決した。
文みたいなお姉さん、理想です。
フリーレスなのは先程匿名50点を入れてしまったからです。
が、時系列はどこなんだろう。
一見すると風神禄の頃だけど、白蓮の名前が出た辺りから分からなくなって来ました。
視点は霊夢の娘で、名前も襲名して霊夢のまんま。
風神禄にそっくりなシチュエーションの異変が発生して……みたいな展開かと思ったけど、どうも違うようで。
深読みし過ぎたかしら?
そんな風に読めるようなミスリードが混ざっているようにも感じたので、こんな点数で。
欲望と自分に素直な霊夢可愛い。
どことなく幼さの残る霊夢が、この盆の時期に原点を振り返る、というシチュエーションはとても響くものがありますね。
>せいぜい二、三十年前だから、近くにあるはずです、と言って、手近な紙の山を少しあさり、それから新聞を一部取り出して、私に見せた。
霊夢が生まれた時期の新聞のことを指しているのだとしたら、ちょっと気になるところです。まあいくらでも脳内補完はできますが。
ばっちりオチもついてたので文句なしです。
ワンマンアーミーで神様ニ柱を撃破した魔理沙必死だったろうな、というのも分かった。
とそれ以外に感想が無いと思ったら、加藤茶結婚の記事とオチのスッキリさで色々どうでもよくなったw
幻想郷と外界の間の時空って歪んでますよねー
早苗さんのキョンシー見てました発言とか
さりげにパンツ回収しようとする霊夢さんまじ巫女さん
シリアスなところでは、セリフと地の文が締まるのも、霊夢にとって先代の存在がいかに大切か伝わる仕様で良かったです。