とぼとぼと少女が山道を歩いていた。
少女の名は月見亭くじら。鐘櫓の九十九神である。
くじらは力なく俯き、たまにでるのは寂しげな溜め息。
「うぅ」
泣きそうになって、涙を拭い道を歩く。
そんな時、くじらの視界に建物が映る。お寺であった。
「あっ」
今にも泣き出しそうだったくじらの表情はあっと言う間に晴れ渡り、重そうだった足取りはすぐに駆け足になっていた。
そして寺の門前まで駆け上ると、そのすぐ内側で掃除をしている少女と目があった。
「あ」
「あ」
二人の声が重なる。
それから訪れる、沈黙。
じぃっと見つめ合ったままで、二人は少しも動かない。緊張しているのと何を言えばいいのか判らないという気持ちから、くじらは見ず知らずの少女に言葉を掛けられないで居た。
更にしばらく時間が過ぎた頃、少女がゆっくりと口を開く。
「おはよーございます!」
間の抜けた大声がくじらの耳を捉えた。不意打ちであった為、きぃんと耳の奥に声が響き渡る。
「あぅ! え、あ、おはようございます」
目をパチパチしながら、ぼんやりと挨拶を返した。
「声が小さいです! おはよーございます!」
どこぞの軍曹よろしく、少女は挨拶に駄目出しをすると再度挨拶を開始した。それにあてられて、くじらもピシッと姿勢を正して声を張る。
「あ、はい! おはよーございます!」
くじらの姿勢に、少女は破顔してサムズアップを返す。くじらも真似してサムズアップして見せる。
お互いすぅっと息を吸ってから、カッと目を見開いた。
「おはよーございます!」
「おはよーございます!」
「おはよーございます!」
「おはよーございます!」
「おはよーございます!」
「おはよーございます!」
「おはよーございます!」
「おはよーございます!」
「おはよーございます!」
「おはよーございます!」
「おはよーございます!」
「おはよーございます!」
「おはよーございます!」
「おはよーございます!」
「おはよーございます!」
「おはよーございます!」
「おはよーございます!」
「おはよーございます!」
「おはよーございます!」
「おはよーございます!」
「おはよーございます!」
「おはよーございます!」
「すごくうるさい!」
スココーン
朝焼けにダウジングロッドが煌めき、挨拶合戦は終了した。
二人の爽快な挨拶のし合いに乱入した新しい少女は、ロッドを両手でくるくると回して怒りを露わにしながら、歯を剥いて二人を睨み付けている。
「君たちは馬鹿かい! どうしようもない馬鹿なのかい! 朝からおはようおはようと何度も何度も! 挨拶なのだから一度で充分だろう! それより何より、まだ朝なのだから眠っている人が居るというのに! 話すにしてももう少し静かにできないものか!」
目の下に大きな隈を蓄えた寝不足鼠、ナズーリンが二人を怒鳴る。あまり感情的にならない性分のナズーリンだけに、随分と珍しい光景であった。が、怒鳴られている二人は頭を押さえて丸くなっているため、その希少なシーンを完全に見逃していた。
「まったく、私はまだ寝不足で頭がくらくらしているというのに……」
説教の嵐が止み、二人はちらりとナズーリンの方を向く。
上体をふらふらとさせたそんな辛そうなナズーリンを見て、二人はお互い目を合わせてから、ぺこりと頭を下げる。
「「ごめんなさい!」」
さながら、声の大砲であった。
「あぁぁあ! 声量を下げてくれぇ!」
寝不足の頭にキインと響く澄んだ声。ナズーリンは初めて自分の頭の軋む音を聞いた。
はぁはぁと息を吐き、どうにかナズーリンが落ち着いた頃、三人は寺の入口付近にある縁台に腰を下ろし、ふぅと一息吐いていた。
「あぁ、ようやく頭痛が抜けたよ……ところで、君は誰なんだい?」
とりあえず怒りに任せて飛び出して叩いたものの、落ち着いて好く見てみると、それは知らない子なのだと今気付いたのである。
そう問われたくじらは、辺りをきょろきょろと見回してから、ハッとして自分を指す。
「私ですか?」
「そう、君」
君以外にいないだろう、という目線がぐさぐさとくじらに突き刺さる。
「あ、はい。私は、月見亭くじらと申しますか?」
「え、何故疑問系なんだ?」
自信満々に言っておきながら最後の最後で疑問系になる。眠くて頭があまり回っていないナズーリンでさえ、思わずツッコミを入れてしまった。
「あ、すみません。月見亭くじらのハズです」
「言い直されてさえ微妙に胡乱気なのは何故だ……」
溜まっている眠気と疲労感がドッと強くなる。危うく膝を折りそうになってしまった。
いかんいかんと頭を振って、ぴしりと立ち上がる。するとそんなナズーリンに、おずおずとくじらは声を掛けた。
「あの、鼠さんのお名前は?」
「鼠さん……私はナズーリンだ」
鼠さんというのが若干不服そうではあったが、次の瞬間にはあまりに膨らみのないなだらかな胸をつんと張って名を名乗った。
「私は響子だ」
同じくない胸を張り響子も名を名乗る。それに、ナズーリンはギョッとした。
「ナズーリンさんと響子さんですか」
のほほんとくじらが確認をする。そんなくじらと響子を、ナズーリンはゆっくり観察した。
「何、君ら初対面だったのか?」
「そうですよ」
「初対面でした」
ここで何故か胸を張る響子とくじら。三人揃って乳がない。
こんな似た他人もいるものかとしきりに頷いて感心している。外見はほとんど似ていないが、雰囲気が何処か似通っている様に感じられる。
「似た者同士の様だったから、てっきり知り合いかと思ったが」
「残念でした」
「残念ではない」
「残念でしたか?」
「残念ではない! というかやっぱり似てるな君ら!」
体力の残り少ないナズーリンから、二人は的確に体力を奪い取っていた。
少し荒い呼吸で霞む視界を擦りながら、ふとナズーリンは一応確認しておくべきことを思い出した。ここが神社である以上、それは大事なこと。
「ところで、違うと思うけど、君は入信希望者かい?」
「私は入信希望者なのですか?」
「すまない、なんでもない」
入信希望者かというどうでもいいことではあったが、聞いて損したとナズーリンは思った。それほどまでに、くじらの脳天気さは周囲の気力を奪い去っている様であった。
ナズーリンが大袈裟な溜め息を吐いて、どうやったらさっさと部屋に戻って眠れるかを考えていると、ぽんとくじらが手を叩き、ナズーリンの肩に手を乗せた。
「あ、ところで、霊夢さんはいらっしゃいますか?」
まさかの問い掛けに、ナズーリンは目を大きく見開いて困惑した。
「れ、霊夢? 博麗神社の巫女のことかい?」
「はい、たぶん」
やはり胡乱気である。
「いや、此処には来てないけど」
「あれ。此処に住んでるんですよね?」
「はい?」
ナズーリンは目を丸くした。鳩が豆鉄砲を食ったような顔とは、恐らくこういう顔のことなのだろう。
眉間に拳を添えナズーリンは考える。くじらの言った言葉の意味が寝惚けた頭では理解できない。しかし理解しなければ返答できない。
ぐるぐるぐるぐるとナズーリンの頭で言葉が回る。
そして、ナズーリンは諦めた。
「君、此処は命蓮寺だよ」
単純な確認から入ることにする。さながら古いロールプレイングゲームの村人の科白である。
「はぁ」
しかしその言葉に対する反応は限りなく薄い。
「はぁ、って。此処はお寺だよ。博麗の巫女は神社に住んでるんだろう」
「お寺と神社って、鐘が有るか無いか以外は同じものではないんですか?」
「大違いだよ!」
まさかのくじらの言葉に、寝不足で短気になっているナズーリンは思わず怒鳴ってしまった。
「「そうなんですか!?」」
そしたら声の大砲が再度返ってきた。
「うぐっ! 何故響子も驚く!」
「すみません。会話に混ざりたくて」
「黙っていなさい」
「しゅん」
響子は静かに萎えた。好し、とナズーリンは頷いて意識をくじらに戻す。
「お寺と神社は似ている部分もあるにしろ、まったくの別物だよ。そんな風なことを言ったら、博麗の巫女も機嫌を損ねるんじゃないかい」
くじらの間違った認識をどう正したものかと考えるが、しかし寝不足で空回る今の頭で、判りやすい説明は無理だと思うと、また後日にするか、靈夢に説明して貰おうかと考える。
「えっと、霊夢さんにそう聞いた気がするんです」
「あのぐーたら巫女めぇ……!」
こうして、後で説明するという選択肢が選ばれた。
そんなナズーリンの静かなる決定が終わった直後に、くじらは何かを思い出して辺りをきょろきょろと見回し始める。
「そういえば、ここはお寺なのですよね」
「たった今そう言ったね」
呆れながらのナズーリンの言葉を聞くと、くじらの目がきらきらと輝きだした。
「梵鐘はあるのですか?」
「あ、あるよ」
無邪気に輝く子供の瞳に僅かに気圧され、一歩退いてしまう。
「見せて欲しいです?」
「それは君の気持ちだ」
「見せて欲しいです」
段々と扱い方が判ってきたナズーリンである。
「ふぁああ……あぁ、好いよ。でもそれ案内したら私は眠るからね。ふぁあ」
大きな欠伸を抑えきれず大口を開けてしまい、それを僅かに恥じながら、ナズーリンはくじらを鐘へと案内した。
案内されて辿り着いた梵鐘は、細工こそ荒い部分があり豪奢ではなかったが、妖怪寺という強烈なインパクトにさえ負けない、見る者を圧倒する迫力のあるものであった。
「わぁ! おっきいです!」
「そりゃ、これを大晦日に鳴らすのだから、大きいさ」
寝惚けているナズーリンの言葉は若干メチャクチャであったが、それにツッコミを入れられる人は居ない。
とたとたとくじらは鐘に駆け寄り、そのすぐ手前で停止して、ぺこりと頭を下げた。
「わぁ。あ、初めまして。私は月見亭くじらと申します?」
「何故鐘に自己紹介をしているんだね。というかやっぱり疑問系なんだね」
わざとじゃなく天然だと判れば、ツッコミを入れる労力は温存される。要するに、反応を諦めたのであった。
そんなナズーリンの大人の対応には意識を向けず、くじらは鐘に向かいうんうんと頷くばかり。
「はぁ。あ、そうなんですか。それは申し訳ありませんでした」
そこそこに長い時間を置いて、くじらはそう呟いた。
変な観賞の仕方だと思っていたナズーリンも、ふとくじらが意思疎通をしているのではないかと思い至った。
「……君、まさかとは思うけど、会話してるのかい?」
「あ、はい。この鐘さんは寡黙な方なのですね。落ち着いた素敵な方です。でも私よりもお若め?」
きょとんと首を傾げてナズーリンに問い掛ける。
「君が何歳か判らないけれど、この鐘は聖を助けに向かった時に作った鐘だからね。そこまで古くもないよ」
「だから歴戦の英雄の様なんですね」
合点がいったという顔で、にかぁと笑う。
「……確かに傷は多いけど、そんなに格好良いものなのかい? というか、どうして君は鐘と話ができるんだ」
妄想か何かかと一瞬考えもしたが、此処は幻想郷である。無機物と会話できる妖怪が居ても何もおかしいことではない。
「あ、私、鐘櫓の九十九神なんだそうです」
「……一々断言できない子だね。あぁ、でもそれで鐘と会話を……」
そこまで言ってから、ナズーリンはハッと思い当たる。それは、自身が寝不足の原因。
「……待ちたまえ。もしかして、ここ数日間、夜中に大きな間の抜けた泣き声が響いていたけれど……君、どういう力を持っているんだい?」
「私の力ですか? 良く判りませんが、声が良く響かせられるそうです」
そこで、ナズーリンは深呼吸した。それを数度繰り返してから、精一杯息を吸い込み、ダウジングロッドをビシッと突きつけて大声で怒鳴った。
「……君か! ここ数日、命蓮寺の安眠を妨げ続けた騒音の正体は!」
「はぅ!?」
目を丸くしてくじらは怯んだ。だが、お構いなしにナズーリンは言葉を続ける。
「どういうつもりだか知らないが、君の声が山に延々反響を続け、お陰で私たちは寝不足だ! それに君が叫ぶ度に、そこの響子が真似て叫ぶから一層煩くて堪らない!」
そのナズーリンの言葉に、くじらはハッとした。
「あ、あの私を励ましてくれた山彦は響子さんでしたか!」
「あなたがあの大声の主でしたか!」
「そこの二人喜ばない!」
謎の友情を感じ始めていた二人を怒鳴りつけてから、怒りを更なる叫びで放出して、そこから原因を突き止めた安堵感からゆっくりと崩れ落ちた。
「……君はなんだって山道で迷ってたんだい。鐘櫓の九十九神なら、里に居るはずだろう? それがなんでわざわざわお山になんかに」
ぺたりと座り込んだナズーリンは、溜め息を吐きながら事の次第を問うた。
すると、迷ったことを照れながら、くじらは事情を説明し始める。
「それがですね。見識を広めて来ると好いと慧音さんに言われまして」
「それはたぶん見聞だろうが、それで?」
些細な訂正を加えつつ話を促す。
「どうせなら霊夢さんの神社を見てみたいと思い歩いていたのですが、いつまで経っても辿り着かず……あまりに悲しい出来事に」
ナズーリンは目を剥いた。
つまり、くじらは博麗神社の位置以前に、幻想郷の地図すら判らないまま適当に歩き出して博麗神社に辿り着こうとしていたのである。
「き、君、勘で歩き回ってたのかい!」
「歩いていれば着くと思ったのですが、そうでもない様子」
「当たり前だ!」
そんなことできるのは、幻想郷でも随一の幸運を誇る博麗の巫女くらいのものだろう。ナズーリンはそう考え、顔を覆った。
なんだこの阿呆の子。
そんな感想を抱いたのは初めての事であった。
「……後でこの辺りの地図をあげよう。それを見て里に戻るなり、博麗神社に往くなりすると好いよ」
「え。わぁ、本当ですか! 有り難う御座います」
「それで安眠ができるなら安いものさ。君の声はそこら中に反響するから、音源を突き止められなくて苦労したよ……これで、ようやく眠れるんだね」
安堵と呆れの混ざった溜め息は、あまりに重いものであった。
一方で、迷子から脱せられることを無邪気に喜ぶくじらは、見た目以上に幼く見えた。
「ははは……そういえば、あの鐘は君になんて言っていたんだい?」
疲れた以外の感想が出てこないナズーリンは、よいしょっと身を起こしながら雑談代わりに気になっていたことを聞いてみた。鐘がどういうことを話すのか興味があった。
「えっとですね。私の泣き声で、唐傘のお化けが可哀想なくらいビックリしてたので、あまり泣かないでくれっていうような意味でしたよね?」
口にして、鐘に確認する。それからほどなくして、
「合ってました」
嬉しそうにくじらは笑った。
案外しっかり生き物しているのだなとナズーリンは感心してしまった。てっきりもう少し味気ない会話なのだと勝手に思っていただけに、驚きの少なくなかった。
「そうか、そんなことを」
そう口にしてから、感慨深く梵鐘を見上げる。
意志があると思って見上げた鐘は、以前よりも親しげに見えた。
「あ、鐘さんからナズーリンさんに言いたいことがあるそうです」
思わぬくじらの言葉に、無理矢理押し開いている目を細めて振り返った。
「ん? なんだい」
「以前閉じ込めてしまって申し訳なかった、だそうです」
言われて、なんだっけと思い返し、思い出す。
ダイブ前の出来事だが、大掃除の時に鐘の内側を磨いていたら、鐘が外れて閉じ込められてしまったことがあったのである。
「あぁ、あれか。別に気にしてないよ。あれは偶然の事故」
「黒い服の女の子が、急に外して落ちてしまったと言ってます」
「ぬえの仕業だったのかぁ!」
数年前の事件の真相が今更判明した。
そんなこんなで、くらくらくらくらして、既に限界突破したナズーリンは、どうにか地図を持ってくると、それをくじらに手渡した。
「さぁ、これを持っていくと良い。荒い地図だが、方角さえ判れば問題ないだろう」
「有り難う御座いました。それでは私は、一度人里に帰ることにします」
「そうかい。人里への帰り道は判ったかい?」
「この道だよ」
確認するナズーリンと、道を指差す響子。
二人にぺこりと感謝してから、くじらは破顔する。
「判った気がしてます」
「どこまでも不安が残るなぁ……まぁいいか」
大丈夫だろう。一本道だ。
そう思って、ナズーリンもまた笑う。
「それじゃ、ナズーリンさん、響子さん、またお会いしましょう」
「あぁ、また来ると良い。今度は迷わずにな」
「はい!」
「まーたーねー!」
「まーたーねー!」
「うるさい!」
姦しい別れを告げ、手をぶんぶんと振りながら、やがてくじらは命蓮寺から見えなくなっていった。
この二日後、夜の山に響く泣き声の噂を聞きつけた霊夢によって、地図が読めず山中を彷徨っていたくじらは無事に保護されるのであった。
めでたし、めでたし。
ナズのような当事者の立場ならHPガリガリ削られること請け合いなんだろうなぁ。
優しくてチャーミングなお話が読めて楽しかった。作者様に感謝。
ちょっと可愛いじゃないか……
よかった!忘れられてはいなかったんだ!!
くじらちゃんと響子ちゃんホントいいお友達になれるな。初対面から息が合いすぎて可愛い。
くじらちゃんの台詞がイチイチ可愛いくてたまらない。怯える小傘ちゃんも可愛い。
あと無い胸を張る三人を想像するとみんな可愛い。なんか可愛いしか言ってないな。でも可愛い。
そして、いま一個目を読んでからのコメントだ。くじらちゃんかわいいな仲間できてよかったなくじらちゃん
響子ちゃんを知った時から「これくじらちゃんと気が合うんじゃね?」とは思っていたが・・・まさか本当に書かれるとは。
いいぞもっとやれ
ごおおおぉぉぉぉん。
いやはや、響子ちゃんとくじらちゃんなんとも素敵過ぎるコンビです。
もはやオリジナルとも思えない馴染みっぷり、素晴らしいですネー。
あとはわちきな九十九神と三人仲良くなってですね、ワクワク
>ここが神社である以上、それは大事なこと。
神社→寺 です?