=======注意 所謂CAUTION==========================
こいし×パルスィ
だけどこいしの出番が少ないかも
能力(特にこいし)について独自解釈あり
過去捏造注意
多少のグロ描写注意
スクロールバー注意
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了承出来た方はスクロールバーを下に
【序 水橋パルスィの日常】
当然の事だが地底に朝日は昇らない。
従って地底の妖怪の起床時間は人それぞれならぬ妖怪それぞれで、しかも毎日同じ時間には起きない。
地霊殿の連中は意外な事に時間には結構五月蝿いらしいが鬼は時間など知ったことではない様子だ、勇儀クラスになると別だが宴会と睡眠と力仕事だけしている下っ端の鬼は起きて、吞んで働いて吞んで騒いで寝ると言った暮らしをしている、呑気な事で実に妬ましい。
そんな地底において私はいつも決まった時間に起床する方の妖怪だ。
…いや、させられると言った方が正しいか。ともかくいつもほぼ同じ時間に起床する。
む、そろそろか…
そう思った矢先、むっくりと私が入っている掛け布団が持ち上がっていき、水色の髪が現れた。
水色の髪、青い閉じた目
古明地こいし
「パルさん、外に行こうぜパルさん!」
こいしはいつものようによく言えば元気に、悪く言えば頭の痛くなる声で開口一番、笑顔で催促した。
いつもながら思うが普通に家に入って欲しい。多分その願いが叶うことは無いけど。
【§1 古明地こいしの妖怪どなり】
「…で、いつも思うんだけどあんたは普通に出て来れないのかしら。」
古明地こいし、こいつの名前、古明地さとりの妹にて姉にも劣らぬモンスター精神を持つ。
こいしが家に入って来る方法と言ったら後ろに立っているのなんて常識、むしろましな方でタンスの裏、天井裏、挙句の果てには台所で料理を作っていたりする。
因みにこいつの料理は意外と旨い、妬ましい。
最初こいしが布団から、しかも自分が寝ていた布団から出て来たときは「うっひゃあ!?」と間抜けな叫び声をあげてしまったが、今ではもう動じないまでに成長した。いや、させられた。
その時に「パルスィってあったかいね~」と言われて赤面してしまった、なぜ抱き着いた、絶対に許さない、絶対にだ。
「恋するこいしちゃんはパルスィの事を思うとつい隠れちゃうの。」
「嘘つけ」
だったら台所に立っていたのは何だったんだ。
「ねえパルスィ、それより外行こう外。」
「まずは飯ぐらい食べさせなさい。」
「あれ?パルスィご飯食べてなかったの?」
「起きる前にあんたが入ってたんでしょうが。」
「そうだっけ?」
「なに?無意識と記憶喪失は一緒なの?」
どちらにしてもこちらから見れば迷惑極まりないが。
天然だか嫌がらせだか分かったものでは無い。
後者だったら厄介だ
前者だったらもっと厄介だ
「うぐーっ」
いかん、伸びをしながら声を出したから思わず変な声色が出てしまった。
「くぁ…眠い」
私はこいしを置いて台所に立っていた。
まずは朝食を食べないといけない、こいしと付き合うのは何よりも体力が必要だ。でないとこちらの身が持たない。
さっと軽く朝食を作る、というか昨日作っていた作り置きの料理を火にかけて温める、昨日は根菜の煮物だった。
暫く前までは地底には地底産の野菜しかなかった。
当然の事だがこの野菜は一部除いてすこぶる不味い、味、量、栄養が足りない。
何せ日光に当たっていないので元気な物がもやしぐらいしかなかった。
しかしあのバ鴉が暴れ出してから事情は大きく変わった。
地上の元気で新鮮な野菜が仕入れられるようになったのだ。
当然長い間そういった物に飢えていた妖怪達は食いつく。
しかし地上産には限りがある
物が不足する
結果的に暴動が起きる
さとりが何とかしてくれと勇儀にお願いする。
勇儀はとりあえず鉄拳制裁をする。
それで暴動が治まる訳が無い。
そこで地底の有力差たちが集って会合する。
会合は荒れたが地底産の旨い野菜を作ればいいとか勇儀が進言して無事丸く収まる。
かくして見事に核エネルギーで作り上げられた野菜ができる。
安くて旨い地底産野菜「核ブランド」はこうして出来上がった、もっとましな名前は無かったのか。それよりも勇儀の突飛な考えを実行に移せるなんて実に妬ましい行動力だ。
そんなこんないらぬ回想にふけっていると煮物が良い感じに温まってきた様で。良い匂いが台所中に漂っていた、おなかへった。
「おおう、今日は煮物だね!」
「なんであんたが箸を握ってるのよ。」
部屋に帰るとこいしが箸を持って何処から取り出したのか分からないが茶碗をカンカンと鳴らしていた。実に五月蝿い。
「実は私も朝飯を食べてないんだよパルさん!お揃いだね!」
「そんなお揃いがあって堪るか。」
「えー、でもパルさんもちゃんと二人前持ってきてるじゃん。」
「うぐっ…」
しまった、いつもの癖で持ってきてしまった。
たまにこいしは私に朝食をせがむので私はついつい二人前作ってしまうようになっていた、慣れって恐ろしい。
「さあさあ、大人しく諦めて私と朝食を共にするのだ!」
「色々と誤解を招きそうな言葉ね、それ。」
諦めて食卓に着くとこいしが箸を渡してきた。
「はい」
「…何これ。」
「お箸だよ。」
そんなの見れば分かる。
ふとこいしの手元を見ると箸は無い、とすると箸はこの一組だけだ。
その代わりこいしが口を大きく開いていた。
………
……………。
「なに見てるのパルさん」
じーっと見ているとこいしは痺れを切らしたようで少し怒った様にきりだした、こいつが怒っても怖くは無いが能力は厄介なので侮れない、妬ましい、力のあるやつは妬ましい。
「いや、何をして欲しいのかさっぱり分からないんだけど…。」
「ははぁん、鈍いねパルさん。」
こいしは口に手を当てて嬉しそうにこちらをちらちらと見ている、残念だがこちらはそんな事では動じない。
「こういう時はねえ、パルスィが私に食べさせてあげるものだってお姉ちゃんが。」
「はい?」
あの姉なんて事を教えてくれるんだ。
後できつく問いただしておこう、どうせのらりくらりとかわすに決まっているが。
「…餌付け?」
「違うよ、恋人同士の儀式なんだって!さあ、パルさんやってみよう!」
こいしは再度口を大きく開いた、どう見ても餌付けにしか見えない、ついでに私とこいしは恋人ではない、本人に言っても聞く耳を持たないだろうが。
口を大きく開けるこいしに鳥の鳴き声の擬音をつけてみる。
ピーチクパーチクピーチクパーチク
…いかん、吹きそうだ。
いい加減にしないとこいしが怒るし料理も冷めるのでこいしに煮物を食べさせることにする。「口移ししてくれ」と言わないだけまだましだと思おう。
南瓜の煮物、瓜の煮物、苦瓜の煮物、東瓜の煮物、西瓜の煮物、胡瓜の煮物
こいしは何でも美味しそうにぱくぱく食べていた。
そんなこいしをよく見ていると分かるのだがこいつは可愛い。
薄くても潤いの見て取れる唇も、さらさらでふわふわの良く手入れが行き届いてあるであろう髪の毛も、十分に可愛いと形容できる。
むらむらとした感情が湧いてくる、情欲に似たどろりとしたこの感覚、
それは橋姫の象徴
己の身を滅ぼす甘い毒薬
嫉妬
ああ妬ましい妬ましい、可愛げのある顔が妬ましい。
妬ましい妬ましい、権力者の妹で有力者、実に妬ましい。
今日も嫉妬で飯が旨い。
食べさせているとふいにカチンと箸が皿の底に当たった音がした。
我に返って皿を見てみると煮物が無くなっている。
しまった、残りを見ていなかった。
しかし時すでに遅し、煮物は全てこいしの腹の中だ。
「ん?ふぁるふぁんのふんふくふぁっふぁったふぉ?」
「とりあえず物を食べ終わってから言いなさい。」
「んぐんぐ。パルさんの分無くなっちゃったの?」
「食べ終わるの早すぎない?」
どういう事だ、瞬きしている隙に口いっぱいの煮物が消えている。
「ん、まあそういう事になるわね。」
「ふーん」
もう家には食べ物が無い、また旧都に言って買い出しをしてくるか。
そんな事を考えているとこいしがにまぁっと笑った。
「パルさん、家に食べ物無いんだよね?」
「ん、まあそうだけど。」
「買い出しに行かなくちゃいけないんだよね?」
「そういう事になるわね。」
途端にこいしの笑みは更に嫌な感じに深まった。これはあれだ、何か悪巧みしているときの顔。
「旧都に行かなくちゃならないんだよね?」
「随分しつこいわね、そうよ。」
「へへぇ~、じゃあ着替える必要があるよね?」
その瞬間こいしが何をしたいか、いや『何をしようとしているか』分かってしまった。
「え、ちょっと待って」
「着替えなきゃ…いけないよね?」
こいしはすっ…とどこから出したか知らないけど服を取り出した。
服と言ってもただの服では無い、フリフリの沢山ついたやつだ。
「ちょっと待ちなさい、どこからそんな物を…」
「何か部屋のクローゼットに入ってた。」
あの馬鹿なんて物を妹に着せようとしてるんだ。
と言うか何処から仕入れたそんな物。
「一緒に『パルスィに着せたら面白いかもって』カードが入ってた。」
畜生、私狙いか
にやにやしているさとりの顔が目に浮かぶ。
「大人しく着ちゃいなよ、新しい扉が見えるかも。」
嫌だ、そんな少女趣味に走りたくはない。
しかしにじり寄って来るこいしは引かない。
「フリフリを着たパルスィが居ても良いと思わない?」
「少なくとも私は思わないわ。」
「えー、でも私が着せたいからなー。」
「…………」
「……」
「…………」
「……隙あり!」
「甘い!」
ゲシィ
「ねーねーパルさん、今日は何するの?」
ポックポックと音を立てながら旧都を歩く
高下駄が石畳に弾かれる音は不思議と心安らぐ。
「普通に八百屋に行って帰って来るだけよ。」
「えー?つまんなーい。」
「足をじたばたさせないで、痛い。」
今、私とこいしは旧都の石畳の上を歩いていた。
足音が一つしかしないのは私がこいしを肩車しているからだ。
あれから何度か押し問答を繰り返した結果、こいしが飽きて私は恥さらし者にならずに済んだ、こいしの飽きっぽさに感謝だ。
それから普通に旧都に赴いたのだがここでこいしが「パルスィ肩車してよ」とか言い出した。
いつものことながらお前は何を言っているんだと言おうとしたが気が付いたらこいしを肩車していた。
本人曰く「これが無意識の力だ!」だそうで、はた迷惑にも程がある。
こいしの「無意識を操る程度の能力」は使いようによっては賢者にも引けを取らない出鱈目能力なのではなかと思う。
橋姫がさとりの妹を肩車しながら旧都を歩いているという異常性に今更ながら気付く。
当然ながら橋姫も、さとり妖怪も他の妖怪から見れば警戒される対象だ。
恐れ嫌い嫌悪し恐怖し侮蔑し軽蔑する対象だ。
普段の旧都ならば警戒の目で見られてもおかしくなく、自警団の一人や二人が付いても何らおかしくはない。現に私が一人の時はさりげなく勇儀が横に居た。
別に、それは何らおかしい事ではないのだろう。
さとり妖怪も橋姫もどちらも恐れ、嫌悪される種族
それを監視することは旧都住人並びに私達の平和を守る事にも繋がる。
地底の最下層の中でも精神ヒエラルキー特級最下層に位置する私達は常に保護と言う名の檻に入れられている。
「えへへ~」
「だからばたばたさせない!」
だが
こいしとの買い物はそう言った事一切抜きにできる非常に珍しい機会だ。
目立った事をしない限りはこいしの能力で気にされない。
それは檻から抜け出す機会
檻の外から、檻を観察する奴らを見物できる機会。
こいしの能力は意識的に使用できない筈だが本人に聞いてみたところ「そんなに強力な無意識でないなら意識的に使用可能」だそうだ。イメージとしては「目の前に居てもそれが誰だか気にならない」程度だそうで。
その後本人は「これも愛の力だねパルさん!」とか言いながら飛びかかって来たので投げ飛ばしておいたが。
「しかし面白い眺めね、気にされないって。」
「でしょ~?」
気にされない
例えこいしを肩に乗せていても気にされない
あっちにふらふら、こっちにふらふら
こいしを肩車して旧都を探索する
「パルさんパルさん」
「何よ」
「好きだよ」
そういったかと思うとこいしは急に笑い出して私の顔を抱きしめてきた。
「えへへへ~」
「何してんのよ」
「なんにも~?」
こいしの息が耳にかかってくすぐったい
旧都のど真ん中でそんな事をするなと言いたいがこいしの事だ、そんな話は聞かないだろう。
こいしは時々私にこう囁いてくる
好きだと
もしくは愛していると
何故そんなことを言うのかは分からない
だがこいしは懸命に私に飛びかかり、はったおされても諦めずにまた飛びかかって来る。
こいしの心は空虚だ
幾らその口が愛を囁いたとしてもそれは実体のないただの音だ。
幾らその手足が私を求めていたとしてもそれはただの機械の駆動だ。
しかし、仮にそれが明確な意思を持っていたとしてもそれは決して私には届かないだろう。
なぜなら私は橋姫だから、恋を妬み、心を妬むから。
最もそういった物とは遠い所に居るから。
こいしは煙の腕を伸ばす
私はそれを跳ね除ける
空虚な只の茶番だ
それを何十年も飽きずに続けると言う事は
「大した大根役者ですね。」
「五月蝿い」
やはり、と言うべきか。
私の背後にはしっかりとさとりが突っ立っていた。
保護と言う名の鬼を侍らせて。
こいしの隠れ蓑はやはりさとりには通用しないらしい。
普段のこいしならばまず見つかることは無いが今はあくまで能力の利用に過ぎない。
私達の事をいつも考えているさとりには通じない、そうこの前こいしから聞いた。
妹を常に考えている姉、その姉妹愛が妬ましい。
「あ!お姉ちゃん!」
「こいし、久しぶりですね。この前に会ったのは何か月前ですっけ?」
「ん~、わかんない。」
さとりは無論知っているのだろう、こいしに会うのが何時ぶりだと。
ただの挨拶に過ぎない会話。
それすらも通じない、一方通行の姉妹
「役者はどっちよ。」
思わず呟く、口から飛び出る。
「どっちも、ですかね。」
さとりはニヒルっぽく笑う。
本当にそっくりだ、この姉妹は。
古明地さとりと古明地こいしは
完全に違うという一点に目を瞑れば完全に一緒だ
初めて会った時からそう思っていた。
そしてそれは、私も同じ。
方向性は違うが似通った性格
空虚で、生命力に乏くて、でもしぶとい
「パルスィも姉妹になったらどうです?古明地パルスィ。」
訂正、私はこんなにいやらしくは無い。
私とこいしとさとりは近くにある茶屋に入った、費用は当然向こう持ちだ、子守代も含めてご馳走して貰おう、別にそんな事を考えてこいしと付き合っている訳では無いけどこれくらいの要求は許されるだろう。
こいしは餡蜜、私は磯部団子、さとりは何とぱふぇと言う代物を頼みおった
ぱふぇと言うのは外の世界の菓子らしく夏に食べる物らしい、どう見ても貧弱な腹を持つさとりには食いきれるものでは無いと思う。
「お待たせしました」
数分ほどで注文した物は届いた
かわいそうに、店員は大層怯えている、客も皆こちらを警戒している。
当然だろう、なにせ地霊殿の主とその妹と橋姫が一堂に集っているのだ、そろそろ鬼の増員が来るかもしれない。
そんな事は関係無いとばかりにこいしは我先にと餡蜜を喉に流し込んでいる、詰まるぞ。
「プハーッ!旨い!もう一杯!」
「一杯しかありませんよ」
「えー?そうなのー?じゃあパルさん膝貸して膝。」
餡蜜を食べ終えた、と言うより流し込んだこいしは此方の返事も聞かずに膝に頭を乗っけて眠り始めた、所謂膝枕というやつだ。
こっちの話を聞かずにさっさと眠り始めてしまうあたり流石と言った所か、図々しいという意味で。ああ妬ましい、人の迷惑も考えないその性格が妬ましい。
こいしはすぐにすぅすぅと息を落ち着かせた、能天気な奴は寝るのが速いのか。
「可愛いですよね。」
さとりがこいしの寝顔を見て穏やかに呟く。
確かにこいしは一部の性格を覗けば可愛いと言えるだろう、万人受けする容姿、それをひけらかさない性格、普通ならば妬ましいと思うだろう、現に先程は妬ましく思っていたはずだった。
だが
「今はあんまり妬ましくないのよね。」
こいしの寝顔を見ている今はそんな事は考えられない。
いや、「妬む気が起きない」と言った方が正しいか。
「こんな表情をされちゃあね。」
無邪気で、虚ろだ
寝ているこいしはそれが克明に現われる。
無邪気な顔をしているのはそれしか持ち合わせがないからだ。
「無表情な無邪気なんて、見たことが無いわ。」
先程からこいしはまったく表情を変えない。
そうなればこの顔はまるで不気味な表情でしかない。
やはりこいしは、洞だ、虚ろな洞。
どこまでも暗い、飲み込むような洞。
「果たして、本当にそうでしょうかね?」
「・・・何か問題でも?」
「こいしは確かに洞のような性格ですよ、心の眼を閉じた時から。」
「否定はしないのね。」
「そんなくだらない肯定なんてしても意味がありませんよ。」
意味の無い肯定より
現実を捕える否定を
非生産的で非効率的な生温い肯定よりも
非感情的で凍てつくように冷徹な否定を
きわめて乾いた考え
さとりはふうっ、と溜息を吐く。
それはまるで、そんな考えを具現化する様な乾いた息だった。
世の中の暗い部分を知っている者がする全てを吐き出す様な溜息。
「ですが…こいしは変わったと思います。」
「変わった?」
「ええ、間違いなく。以前のこいしはもっと無表情でした。」
「今も無表情だけど。」
「今の様ではなく、もっと無表情です。そもそも無防備に寝る所すら見せなかった。」
「ふーん…。」
無表情、鉄面皮の表情で眠るこいし
鉄の薔薇に囲まれて眠るお姫様
確かにそれに比べれば私の膝で眠るこいしは随分と穏やかに見えるだろう。
「何故だと思います?」
「さあ?」
さとりは指をすっと持ち上げ、私を指さした。
ありきたりな表現だが白魚の様な指だ
さとり妖怪は幸薄と引き換えに美貌を手にしたのかもしれない 。
美人薄命、いや美人幸薄か
そんな本人の前で、しかも心を読める奴の前でそんな事子考えられる私は頭のねじが何処かすっ飛んでいるのかもしれない、
そんな思考を読み取って気にした風も無く話題を続行するさとりは変人だが冷徹だか合理主義なのかは分からない、恐らくどちらもだろう。
ともかくさとりは私の方を指さしていた。
「私?」
「少なくとも私はあなたを指したつもりですが。」
しかし私が、何をしたと言うのだろう
私はただこいしに付き合ってやっているだけで…。
「それですよ。それ、こいしはあなたと会ってから確実に変わりました。」
さとりは「こんなものも分からんのか」と言った風に首を傾げた。
こちらは心を読むなんて便利極まりない能力を持っていないのだ。
さとりは「それもそうですね」と切り返した。変わり身の早さは姉妹でよく似ている。
「こいしは多分、恐れずに遊んでくれる遊び相手が欲しいんですよ、端的に言うと。」
「端的に、ね。」
「端的に、ですよ。」
まあ、要するにそんな事だとは思っていた。
こいしにとって私はただの遊び相手に過ぎないのだろう。
まるで幼子が好きとすきの区別がつかない様に。
こいしにはそれが恋だと思ってるに過ぎないのだろう。
そう思いたい。
「分かってるわよ、そんな事。」
「分かっているであろうことは分かっていました。」
「回りくどい。」
「心を読めることの有効活用です。」
「どう見ても無駄遣いよ。」
「そんなあなたを見込んでお願いがあるんです。」
「『場合によっては』聞くわ。」
「気に入らなかった場合は?」
「聞くだけよ。」
「良かった」
何が良かったのだろう。
それを知るすべを私は持たない。
「こいしと」
そこまで言ってさとりは少しばかり言い淀んだ。
「こいしと、仲良くしてやってくださいね。」
ああ、なんだ、そんな事か。
その程度の事ならば…
「聞いてやらないわ。」
「助かりました。」
やっぱり私達は似ていると思う。
認めたくないが。
「ああパルスィ、もう一つだけ。」
さとりが呼び止めるように頼んだ。
「パフェを一緒に食べてくれませんか?」
「食べ切れる物を頼みなさいと親に言われなかった?」
「生憎ながらそういった事とは無縁の財布を持っているので。」
妬ましい
そう思ったが素直に貰っておいた。
私とさとりは財布のベクトルに関しては真逆だ、実に妬ましい。
「ふいー、良く寝た!」
暫くするとこいしがむっくりと起き上った
「あれー?お姉ちゃんは?」
「先に帰ったわよ。」
さとりは会計を済ませて先に帰ってしまった。
帰りがてらの「ゆっくりしていってくださいね、うふふ」は余計だったと思うが。
どうもあの姉は苦手だ。
「ふうん」
こいしはそんな溜息に似た音を発した。
それは溜息の様であり、また微かな空気の揺蕩いの様であり、当然ながら意味の無い戯言だった。
こいしは無表情で数秒佇んだ後、元気いっぱいを装ってにっこり笑った。
その笑みは普通ならば人妖関係なくころりといってしまうだろう、そんな悪女の笑みだった。少なくともそう見えた。
だが私には何処からどう見ても虚ろで空虚な表情にしか見えなかった。
恐らくはその認識は正しいのだろう。
こいしは、この成り損ないは何処までもでき損ないだ、憶測に過ぎないが。
故に空虚
故に未完成
故に不完全
それがこいしなのだろう
これまでも、これからも。
だから私は
「んで、そろそろもたれ掛かるの止めてほしいんだけど。」
いつも通りに振る舞う事にした。
いつも通りを演じる事にした。
「えー?良いじゃん減るもんじゃないし。」
「減るのよ、プライドが。」
「パルスィのプライドは私が頂いた!」
「何それ怖い、後重い。どいて、ってかどけ。」
「うーん、後小一時間」
「長いわよ」
結局私達が店を後にしたのはこいしが起き出して十分程経ってからだった。
もたれ掛かられるこちらの身にもなって欲しい。
「とっとと八百屋行って帰るわよ、余計な寄り道もしちゃったし。」
また、こいしを肩車して旧都を歩いていた。
さとりと会ってから大分時間が経っていて、夕食頃なのだろうか市場は賑わっていた。
生憎ながら私はそういったものとは無縁極まりない生活をしている
食いたい時に食い、寝たい時に寝る
さとりによると「まるで動物」だそうだが失礼な話だ、仕事はちゃんとやっている。
地底には市場と言うものがある
食品などが一堂に集まるそこには八百屋が数十件あり地底の民は好きな八百屋を選んで買っていくといった仕組みになっている、所謂競争と言う奴だ。
従ってどこの店も品ぞろえが多く、種類が豊富だ。
私とこいしは妖怪でごった返す市場に来ていた。
こいしは興奮気味に足をバタバタと動かす、痛い。
「わー、野菜がいっぱいだ!」
「なによ、あんた八百屋に行った事も無かったの?」
「うん、いつもお姉ちゃんやお燐が買い物に行ってたから。」
そりゃそうだろう、こいつを買い物なんかに行かせたら何が起こるか分からない。
店の品物をごっそり持ってきてもおかしく無いしもっと厄介な事を引き起こすかもしれない。
とにかくこいつには用事を言いつけない方が良いと分かっているんだろう。
「さて、さっさと買って帰りますか。」
「今日はカレー?おでん?シュールストレミング?」
「何よそれ、おでん以外知らないわ。」
「ん~、外の世界の食べ物だって前に森の店主が。」
森の店主が如何なる輩か知らないが外の世界の事が分からないのは分かる。
しかしシュールストレミングと言う物には本能的に危機感を感じる、何故だろう。
そんな他愛のない会話をしていると買い物袋(ヤマメ製)がいっぱいになった。
「今日のご飯はな~ん~で~す~か~?」
「あんたは地霊殿でしょ、ただの里芋の煮っ転がしよ。」
「お~、それが私の夕食か。」
「あんたのじゃない、話聞きなさい。」
「え~?いいじゃんいいじゃん、食べさせてよ。」
こいしは私の肩の上でばたばたと暴れる、果てしなく鬱陶しい。
こっちは一日中旧都でこいしをおぶっていたせいで肩が痛い、こいしが軽いとはいえ妖怪だからこの程度で済んでいるけれども人間だったらどうなるかは分からない。恐らく翌日は絶賛筋肉痛だろう。
旧都に夕日は無いけれども、もし地上ならば夕日が映えるのだろうか。
小さい女の子をおんぶする影
だが残念なことにそんな光景を見てもそんな感傷深い光景は出来上がらないだろう、私といえば果てしなく気だるげな前屈をし、こいしといえば相も変わらず足をバタバタと忙しなく動かしているので「暴れる子供にほとほと嫌気がさした妖怪」とか言うちっとも面白くない光景が出来上がるのだろう。
そんなくだらない事を地底を覆い尽くす岩盤の黒を見ながら考えた。
「真っ赤なぁー誓いぃぃぃぃ!」
「何よその変な歌」
肩の重りが歌を歌う
私はそれにつっこみを入れる
こいしはこの後家に来るのだろう
いつもの様に私の家でくつろぎ
いつもの様に食べ
いつもの様に無意識に溶けるのだろう
それが私の日常だったから
そして恐らくは、こいしの日常であったから
いつも通りの日常
私は『いつも通り』明日も、無ければ明後日こいしは来るのだろうと思っていた。
それが私にとって、こいしにとって、さとりにとって、地底においての『いつも通り』だったから。
だからまさか、こいしが私の目の前から居なくなるとは思ってもいなかった。
【BGN 無題】
この世界にさようなら
私が嫌いな世界にさようなら
私の事が嫌いな世界に さようなら
【§2 古明地こいしの挑戦状】
意識の混濁から覚醒する
起きる あるいは目が覚める
いつもの天井 昨日とは違う明るさが出迎える
しばらく微睡みの中でゆらゆらと揺蕩っている
体が水中を浮かび上がって行く感覚
体が水中を出て水面に到達するのと同期して私は起き上がる
部屋の中は昨日と一切変わらない
畳 昔したであろう藁の香りはもうとっくに消えている
押入れ 布団を入れる用だったが布団は出しっぱなしなので使っていない
襖 奥には台所があるこの部屋よりも活気がある
机 ちゃぶ台だ、一人用らしい
天井 薄い板張り、黒い染みがある
窓 と言うよりも穴だ、常に開けっ放し
掛け軸 そんな洒落た物は無い、花瓶も同じ
扉 外界につながっている、鍵は当然かかっていない
箪笥 この部屋の中でもっともよく使う物、中には同じ衣装が約十着
いつもと寸分たがわず変わらないつまらない私の世界、小さな小さな六畳の世界。
大きく伸びをし、台所で顔を洗う。冷たくも温かくも無いぬるい水、目は覚めない。
寝ぼけ眼で料理を作る、朝食は別に作らなくてもいいのだが朝食は人間だったころからの習慣だ。
今日の料理は白米、味噌汁、昨日の残りの煮物、豆腐、漬物、八百屋の店主謹製ふりかけ、勇儀から貰った酒のつまみ(今日は煎り大豆だった、なんで鬼がそんなもの食うんだ)以上、全く一貫性も何もない、ついでに味気も面白味も無い朝食。
ちゃぶ台に朝食を置く(乗り切らないので畳に数品置く)で、食べる。「頂きます」なんて言わない。
白米に味噌汁をぶっかけ、漬物と大豆とふりかけを乗っけて煮物を少しつまみ食いしながら掻き混ぜ口に掻きこむ、以上、たった数秒の朝食。
ちゃっちゃと衣服を着替えて橋に出かける、と言っても橋から家までたった数歩の距離だが。
私の家は橋守の詰所と言ってもいい、小さく、おんぼろで、薄汚い、だが私の住居だ。
あまり綺麗すぎると他人を妬めないし私自身もこの方が落ち着くのでなかなか気に入っている。
橋の欄干にもたれ掛かり今日一日どうやって暇を潰すか考える、これは全妖怪共通の悩みだ。
そこまで来て私はやっとこさ今日の第一声を発することになるのである。
「暇…」
思わず憂鬱になる第一声だがこれ以外言う事も無いし考える事も無い
そう、私は時間を持て余していたのだ。
こいしが家に来なくなったのはさとりのぱふぇに二人で挑んだまさにその翌日だった。
あれから今日で約40日となる。
これは異常な長さだ、普段のこいしならば三日も間を開けずに来ていたから。
長くても三日、短いと一日
こいしの出没頻度だ、それが40日もの空白。
「本当、どうしちゃんたんでしょうねぇ」
ぶつぶつと呟くしか数秒の暇は潰せない。
ちなみにこの場合この台詞は私に向けての物だ。
こいしが来なくなったぐらいで、暇を持て余すようになるとは。
「馬鹿みたい」
日常なんて、あっけなく崩れる事くらい分かっていたのに。
それでも、いつの間にかそれに縋っていたなんて。
本当に
「ばーっかみたい」
思わず大きな声で罵倒する
頼りたくないと思っている物にはいつの間にか頼っていて
頼りたい物は、いつの間にか無くなっていて
そんな世界を創り上げた神様はどうやら歪みだらけの世界がお好みのようだ、そうとしか思えない。
「んじゃまあ、行きますかね。」
地霊殿に向かう準備をする。
どうせこの橋には人が来ない、来ないのに番人何てする必要が無い。
でも一応分身は置いておこう、案山子代わりだ。
「さーって、暇潰しにでも出かけますか。」
こいしのお守りが暇つぶしの良い手段になってしまっているのならば、私が切れる札はこれしか無いだろう。
地霊殿に居るか、居ないか。
私が持っている唯一の札は果たして鬼札か凡札か。
まあどちらにせよ良い暇つぶしにはなるだろう。
しかし、私を待っていたのは、それ程単純な事ではなかった。
やっぱり世界は歪んでいて、神様は相も変わらず意地悪だった。
地霊殿に着いた私を出迎えたのは火焔猫の燐だった。
丁度『仕事帰り』らしく長話をするのは遠慮していたがさとりを呼びに行かせた。
どうせ向こうが遠慮していたのは猫車に積んだ『荷物』だろう。
そんなもんなら見慣れているし何個も作っている。
「にゃーん、鬼の中にはそんなもの見たくないっていう人もいるんだよ。」
「鬼がそんな事をいうとはね。どこの老いぼれよ。」
「屋台の老いぼれさ。」
「ああ、それはあんたが悪いわ。」
流石に飲み屋に持っていくとは思わなかった、常識を知れ。
そこまで考えていると階段をかっ、かっ鳴らしてとさとりが降りてきた。
「言った所でお燐は聞かないでしょう『仕事帰りに一杯ひっかけることが至上の喜びさ。』とか心の中でいつも嘯いていますから。」
「迷惑な常連ね。」
「常連にしてお得意様ですから店側も断り辛いらしいですよ。」
「あんたは本当にたちが悪いわね。」
「お燐にも息抜きが無いといけないでしょう。」
しかしお燐に止めさせることは飼い主たるさとりにとって容易いだろう。
面倒くさいのかそれとも他の理由か。
どちらにせよ興味は無いが。
「あなたは、暇つぶしには積極的なくせに興味の無い事には冷淡なんですね。」
「説教に命を捧げるのは聖職者と教師で十分よ。」
「実にあなたらしい回答ですね。」
くっくっ、とさとりは笑う
ホールにさとりの乾いた笑い声が反響する。
「さて、本題に入りましょう…ってあんたはもう分かってるんでしょ?」
「無論、愚問ですよ。」
「じゃあ回答を頼むわ、簡潔にね。」
「その前にお茶でもしていきません?お客様。」
「それもそうね、御主人?」
まあこいしは居ないわけだし。
お茶会と言う名のただの暇つぶしはもってこいだろう。
「こいしが居ない…って言うのは分かっていたけどね。」
「『まさかこれほどとは』と?」
さとりの話によるとこいしはここ一か月は帰ってきていない、最後に姿を現したのはやはり私達が一堂に会したあの日の夜でそれ以来地霊殿には帰ってきていない、もしくは姿を現していないそうだ。
約40日
960時間
3,456,000秒
それ程の期間家に帰っていないのか、あの放蕩娘は。
「心配?」
「それは愚問ですよ。」
「心配している様には見えないんだけど。
「主がおろおろしていては部下も気が気でないでしょう。」
「生憎私は上下の繋がりは居ない者で。」
「そうでした」
「もしかして『お気楽だな』とか思ってる?」
「パルスィの判断に任せますよ。」
「そう言われても私は心を読めないんだけど。」
くいっと紅茶をあおる
勇儀だったらここで酒でも突っ込んで「紅茶入り酒」と言うけったいな代物を作って誰かの頭を痛くさせるかもしれない。
紅茶を飲みながらの雑談も良いがそろそろ本題に入る事にする。
「んで?あるんでしょう、隠し事。」
「隠してなぞいませんよ、『言わなかっただけ』です。」
「物は言い様ね。」
さとりは一枚の紙を渡してきた。
厚紙でできた様な一枚の小さな紙。
「これは?」
「こいしの部屋に手紙を入れた封筒が置いてありました、表紙に『パルスィへ』と書いてありましたから恐らくはあなた向けだと思います。」
「恐らくじゃなくて完全にあたし向けね、それ。」
何の変哲も捻りない白い紙
そこには一文だけ言葉が書かれていた。
無意識は、あなたの二重扉の奥に
ははあん、こいつは思ったよりも厄介そうだぞ、水橋パルスィ。
どこかで誰かが、私に話しかけた。
「で、どう思います?これ。」
私とさとりは気晴らしも兼ねて橋の上に移動した後話し込んでいた。
こいしの手紙の意図は掴めない。
私は恐らく、これはこいしの挑戦状だと思っている。
こいしは恐らく、新しい遊びを考え出したのだろう。隠れん坊と謎解きを組み合わせた遊びを。
ならばこの手紙は恐らく――――
「挑戦状、かしらね。」
「挑戦状?」
「そう、こいしは私に遊びを誘っているのよ。『新しい遊びを考えたから私を見つけ出して!』って。」
「まるでウォーリーを探せですね。」
「ウォーリー?」
「外の世界の絵本で前にお燐が拾って来たんですけどどうやらウォーリーって言う人を絵の中から探し出せって物で。嵌って二日間徹夜しちゃいましたよ。お燐に死ぬほど叱られました。」
「…それ、冗談?」
「さあ?」
冗談に聞こえない、恐らくは本当なのだろう。
さとりは熱中すると周りが見えなくなる癖がある。
あの火焔猫も可愛そうなことに。
「それで、パルスィはこれを挑戦状だと?」
「そうとしか見えないわ。少なくとも私からは。」
さとりはそう聞くとふむ、と考え込んだ。
「私はどうもそう思えないんですよね。」
「と、言うと?」
「確かに前にこいしはあなたを遊び相手と見ていると言いました。それは間違いないでしょう、ですが…。」
「それだけじゃない、と?」
「ん、まあそういう事です。恐らくあなたはこいしにとって…」
特別な存在ではないかと
特別
特別な存在
「特別…ねぇ。」
それは一体どういう関係なのだろうか。
少なくとも私は知らない
さとりに目を向け、続きを催促する。
「さあ?それまでは分かりませんが。」
「知らないのかい。」
「少なくともこいしはあなたに対して何か思い入れがあるかと、それぐらいしか分かりません。」
さとりはぴらぴらと手紙を振った。
風に白が靡く。
「少なくとも私はこいしが置手紙並みとはいえ手紙を書くと走りませんでした、それどころか字を書ける事すら気付きませんでしたしあり得ないとも思っていました。なにしろこいしは自然淘汰のお手本のような妖怪ですから。」
「あんたに手紙を書いたことは、無いと?」
「ええ、そのつもりで言ったのですが。」
「もしかして怒ってる?」
「いいえ、妬いているんです。こいしの始めての手紙の相手が私じゃないとは、妬ましい。」
「妬くのは私の仕事でしょ?」
「憎らしいんでお株を奪ってみました。」
そこまで言った後、さとりは溜息を吐いた。
さとりも私もよく溜息を吐く、それは幸福を逃しているのか幸福を捕まえようとして失敗しているのかよく分からないが。
溜息を吐くたびに幸福が逃げるのであればとっくにそんな物は尽きているだろうから私達は構わず溜息を吐く。
自分が幸福だと思ってる奴らは妬ましい。
「とにかく、こいしにとってあなたは特別なんですよ、だってそうでしょう?地霊殿には一か月に一度姿を見せるか見せないかって妖怪がパルスィの所には一日二日あけずに来るんですから。家よりよく通っているとなるとそういった意味で受け取った方がいいでしょう?」
「………。」
「だったらその手紙は挑戦状と言うよりも…」
その時のさとりの言葉の続きは私には聞こえなかった。
風のうねりによってか
さとりがそこだけ言わなかったか
はたまた私が聞こうとしなかった所為か
ともかく、聞こえなかったという事実のみが残った。
私は何故か、それを問いただす気にはならなかった。
私の意識はときどきよく分からなくなる。
「ん、では帰りますか。」
暫くすると、さとりは踵を返して旧都の方に歩き始めた
私はしばらく迷った後、やはりさとりについていく事にした。
夕飯を奢って貰えるかもしれないし、もしかするとこいしの事で何か話があるのかもしれない、ぼんやりとそう考えながら橋を降り、岩の上を走った。
その時
背後から大きな爆発音がした。
やれやれ、どうやら今日の神様はすこぶる不機嫌らしいぞ。
やっぱり誰かが、私に囁いた、
【BGN 無題】
逃げ出した
不条理から不合理から不都合から
ただ逃げたかった
この世の中から
耳を塞いで 目を閉じて
でも現実は私をどこまでも追ってきた
そもそも逃げ出す事は出来る筈も無かったのだ。
私は現実に生きているから逃げられないのだ。
ならば変えてやればいい。
世界が変わらないならば自分を変えてやればいい。
そうして酷く誰よりも臆病な私は逃げ出した。
【§3 古明地こいしの生き方】
やはり、と言うべきか。
爆発音がしたのは橋からだった。
もうもうと煙が立ち込めている。
つぅ、と火薬臭と焦げた匂いが鼻をかすめる。
音と臭いの元凶は橋の対岸だった
「あらまあ…」
「うわっ…見事な穴だ。」
「大きいですね、随分と。慣れてるんですか?」
「ん、まあね。慣れたいもんじゃないけど。」
私が地底に来た当初はこんなことが日常茶飯事だった。
恐らくそれはさとりも同じなのだろう、少し険しい顔をしていた。
嫌われ者は何処に行っても同じ事を繰り返されるものだ。
「しっかしどでかい穴が開いたわね。」
「下手にとんちを利かせたお坊さんが落ちる穴ですね、きっと。」
「それって晩年髑髏を持って市内徘徊していた変人?何年前だっけ、それ。」
「恐らくは百年単位だったと思いますが。」
あれ、あの坊主ってどうやって逝っちまったんだっけ。どうせ碌な死に方をしなかったに違いない。
身近で爆発事故が起こっておいてよくもまあそんな事が悠々と考えられるもんだと心の中で苦笑する。
私達にとって重要な事は一つ
生きているか
死んでいるか
それと関係が無ければ幾ら身近な事でも蚊帳の外だ
幾ら身内が死のうが砕けようが知った事では無い。
もっともこれは、私だけの話かもしれないが。
少なくとも私は「あいつ」が目の前で物言わぬ肉塊に変わってもそれを冷淡に見つめているだけだった。
ああ、違ったな
私が変えたんだった。
私が「あいつ」の皮を剥ぎ
私が「あいつ」の爪を剥ぎ
耳を塞ぎ
目を閉じて
私が「あいつ」を
××したんだ。
××
××した
×
罰
罰罰
罰罰罰×
罰×罰×罰罰×罰×
罰罰罰×罰罰罰罰×罰罰罰罰罰×罰罰罰罰罰罰罰罰罰×罰罰罰罰罰罰罰×罰罰罰罰×罰罰罰罰罰××罰罰罰罰罰罰×罰罰罰罰罰罰×罰罰罰罰罰×罰罰罰罰罰×罰罰罰罰罰罰罰罰罰罰罰罰罰罰罰×罰罰罰罰罰罰罰罰罰×××罰罰罰罰罰罰罰罰罰罰×罰罰罰罰罰罰罰罰×罰罰罰罰×罰罰罰罰罰×罰罰罰罰罰罰罰罰罰×罰罰罰罰×罰罰罰罰罰罰罰×罰罰罰罰罰×罰×罰罰罰罰罰罰罰罰罰×罰罰罰罰罰罰罰罰罰×罰罰罰罰罰罰罰罰罰×罰罰罰罰罰罰罰×罰罰罰罰罰罰罰×罰罰罰罰罰×罰罰罰罰
罰
×
××
××した
私が
あいつを
××した
ワタシガ
アイツヲ
××シタ
あれ?
××ってなんだっけ
「あいつ」って誰だっけ
私って
何だっけ
「パルスィ、パルスィ!」
「あ、うん。」
さとりの声で目が覚める
色が混ざって混濁した混沌の暗闇の混乱から抜け出す
いや、引っ張り上げられる
地獄の綱は蜘蛛の糸なんかじゃなくってただの華奢な白だった。
「ごめん」
力が抜ける
思わず地面に倒れ込む
湖も無い地底で溺れるなんて洒落でもない
しかも自分に溺れるだなんて
「何処の自己愛者よ。」
「気をつけなさい、そういう事に関してあなたは昔から危うい。」
「知った口を利くわね。」
「実際知っていますから。読心能力は伊達じゃないですよ。」
「………。」
「どうしました?」
「ごめん、上手い冗談も言えない状況。」
どうやらだいぶ消耗していたようだ
意識を保つのも危うい、朦朧白濁としている。
ああ、目が回る
ぐるぐるぐるぐる
それはまるで世界が回っている様な感覚
ぐるぐるぐるぐる
気持ち悪い
少し眠ろう
眠れば、ちゃんと見えて来る筈だから
何を?
何かが、だよ。
ああともかく
疲れた
さとりとの繋がりがぷつりと切れて
私は、意識を手放して落ちて行った
深く
深く
何処までも
何時までも
ああ
暗いな
目を覚ますと、私は橋の欄干に体を支えられていて、さとりはちゃんと隣に居た。
嫌な夢を見たが現実は夢よりもリアルでまともだった。
「どうです?」
「大分良い、少なくともさっきよりは。」
「さっきっていつですか?昨日?」
「私が地面と接吻をした時よ。」
さとりはそれを聞いて「合格です」と言ったきり黙ってしまった。
びょおびょおと風が哭く音だけが微かに聞こえてくる
橋の上を地上からの風が吹いてくる。
さとりはうすぼんやりとした目でただ前を見ていた
胸の三つ目も心なしかぼんやりと虚ろっているようだった。
あの目も眠ったりするのだろうか
そんなとりとめも無い事を考える。
ぼんやりとした頭で思考の海を漂う
さとりは、いつの間にか眠っていた
毛ほども見せないが、疲れていたのかもしれない。
ひょっとしたら、今まで探し続けていたのかもしれない、こいつは強がりだから滅多な事では弱みを出さないから。
すうすうと穏やかな寝息をたてるさとりを見ていると、どうも世界が危うく見える。
世界の汚れがどうも目立って見える。
そう言えばこの厄介極まりない奴と知り合いになってしまったのはこいしに無理やり地霊殿に連れて行かれた時だった。
その頃私はさとりを見た事があるのだが、地霊殿の主と言う事もあったりして近くで見ることは無かったし常に近くに鬼が居たので近寄る気もしなかった。
こいしの姉だと言う事でどんな精神構造をした輩だと思ってよく見てみると案外普通、いや可愛い部類に入るものだったので驚いた。妬ましい、それが第一印象。
しかし中身は凄惨極まりなくて突然こいしと家に突っ込んできて料理を作らせるわ旧都まで引っ張って行って私を着せ替え人形にするわこちらの読まれると微妙に痛い歴史を的確に付いてきたりでこいしがああなる訳が分かる姉だった。
だけども
さとりは少なくとも越えてはいけない一線は分かっていた、そこを決して越えることは無く常に距離を取り続けた。
鬼やらなんやらがこいつらを忌避する理由は何だっけ、そうそう『心を読むから』だった。
でもこいつらは読んだ所で何にもしないし干渉してこない、それはこいつらのみの下らないポリシーってやつなのかもしれないけれど、少なくとも忌避する理由は無い。
やはり偏見なのだろう、下らないポリシーよりももって下らなくて醜悪で臭いたつもの。
さとりにもこいしにも、もしさとり妖怪の能力が無ければ今頃は平和に暮らしていたのだろうか。
そんな事を時々考える
万に一つも
億に一つも
例え那由多の彼方でも見つからない確率
しかし探さずにはいられないのだろう
その問題に、何よりも支配されている者ならば。
さとりも一回、一瞬は考えたことがあるのだろう。
あるいは、今考えている最中かもしれないが。
どちらにせよ同じく、変わりの無い事だ。
あり得ないことだと首を振って追い出したかもしれない
そういう世界も良いかもしれないと空想に胸を馳せたかもしれない
同じ事だ 何もかもが
もし、そんな世界があったらさとりも、こいしも大層人気があっただろう。
可愛いもんなぁ、こいつら、妬ましい。
私の中を、緑色が吹き上げる
噴水に乗って何かが吹き上げてくる
そいつは実体の無いようで実は肉がついている
霧が隠してよく見えないけれど、そいつはそのうすぼんやりとした中にちゃんと存在していて私に語りかけてくる。
ねえ、あなたは?
なにが?
もしも、橋姫じゃなかったら?
だれが?
貴方が
わたしが?
それは、どういう事だろう
私が「あいつ」に裏切られなかった世界?
それとも龍神の力なんて無くてそのまま子供と共に押し流されていた世界?
もしかして私の生まれなかった世界?
ありえない
それこそ万に一つも、億に一つも無い
でもさあ、それって
○○○にも言える事じゃない?
また声が聞こえる
どれでも同じなんだよ
たとえどんなに嘆こうが、喚こうが、暴れようが変えようがないんだよ、そんな事。
生まれて来たからには、来てしまったなら嘆いちゃ駄目なんだよ、きっと。
逃げた奴が良く言うわ
へへーん、私は第二の人生ならぬ妖怪生を謳歌しているのでーす。
この会話は、どこかで聞いたことがある
香り高い飲み物と共に交わした気がする
久しぶり家に帰って来たと思ったらなんて会話をしているんですか。
あ、さとり。私は砂糖もミルクもいらないわ。
そう言うと思って砂糖とミルクましましで持ってきました。
どんな嫌がらせよ、それ。うえっ、不味い。
まっくすコーヒーと言う名の飲料をミルク替わりに入れてみました、やたらと甘いので。
悪戯にも限度があるわよ…。
悪戯ではありません、嫌がらせです。
どうしてそんなことで胸を張れるのか分からないわ。
途中で「(無い)胸を張れる」と思いましたね、成敗です。
うわっ!ちょっと待ちなさい!
ねえねえパルしー、これ飲んでいい?
ふんっ!えっ?うわっ!良いけどあんた甘党だったっけ?おわっ!
ううん、パルしーが飲んだのだから。
前言撤回!それ返して!
もう遅い!紅茶は私の腹の中だ!
チェストォォオッ!
のわっ!あんたは、いい加減に、しなさいっ!
あべしっ!
さとり選手、ノックアウト~!地霊殿マッチ、勝者は水橋パルスィ選手です!さあ私と勝利のキスを!
いらんわ!
ああ、そうか
これはあの時の会話だった
あの時の他愛のない会話の再現だった
そうか、『もし』なんて無いのか、あいつには
あいつはそうやって全ての物を笑って受け流すのか
あいつの笑顔が
無邪気そうで実際何も考えていない笑顔が
頭の中をぐちゃぐちゃに掻きまわす
何も考えられなくなる
もういい
もういいや、また寝てしまおう
落ちてしまおう 微睡の中へ
再び温かい泥に沈んでゆく私の目の前には
満面の笑みを浮かべたこいしがいた気がした。
【間章 穴と鏡のある絵画】
心にぽっかり穴が開くって言う事は一体どういう事なのだろうか
多大な喪失感を得た時によくこの表現を使うけれどその時心はどんな状態なのだろうかね。
心と言う土台に大きな大きな穴が開いていてそれを見ている人が一人居る、そういう絵があったとするよ。
普通の者はそれを見て「心にダメージを負ってその穴を見ている人」と答えるだろうね。
だけど「心には元々穴が開いていてそれを凝視している人」とも見れるわけだよ。
つまりどっちともいえると思っているんだ。
喪失感なんて何かを失った時やふとした拍子に見つけてしまえるようなそこらじゅうに転がってるわけなんだ、要するに観測者の主観に頼っている状態。
小さな穴を大きいと思って大層腫れ者みたいに扱う奴もいるしそれがどんなに大きくとも見向きもしない奴も居る。
ただ、たまにね。穴の中で完結しちゃってる奴がいるんだよ。
穴を見つめすぎて想い過ぎてその中に落ちちゃったお馬鹿さんが。
そうなっちゃったらもう穴から誰かに引っ張り上げられなければ出て来れないんだけどそいつのなかでは完結しちゃってるから出てこようとしないんだよね、引きこもりみたい。
え?私はどうかって?
分からないなあ、なんたって誰の心の中にも鏡は無いんだから。
【§4 古明地こいしの日常】
目が再び開いた時、私はすっかり回復している様だった。
隣のさとりは相も変わらず眠りこけていたが軽く揺するとぬふう、とよく分からない声をあげて目蓋をゆっくりと開いた。
「あら、おはようございます。」
「おはよう、目覚めの気分はどう?お姫様。」
「最高に背中が痛いです、我が抱き枕。」
取り合えずぶん殴っといた。
寝起き一番それは無いだろう。
「痛いですね。」
「そりゃそうなるようにぶん殴ったもの。」
「いえ、背中がです。」
「そっちか」
「この痛みはパルスィの愛の証。」
「頭沸いとんのか。」
さとりは寝起きテンションの所為か少しおかしかった。
かく言う私も少し言葉遣いがおかしかったが全て寝起きテンションの所為だ。
「パルスィ」
「んう?」
「さあ、目覚めのキスを」
「ぶうっ!?」
さとりはやっぱりおかしかった。
さっきまではいつものさとりだったのだが何かそれとは違う。
心なしか肉食獣のような眼になっている。
こら、にじり寄って来るな。
「ふうーっ、ふうーっ」
怪しげな唸り声も出している
危ない、何が危ない?
さとりの理性が?私の衣服が?
それは、貞操の危機と言う物です。
天の声が聞こえてきた気がした、そんなところで囁いていないで助けに来い。
そんな事でしどろもどろしていたらとうとうさとりが飛びかってきた。
「うわっ!こら、耳齧るな!甘噛みするな!」
「ぐるるるる」
「やめなさい!やめなさいって!」
「はい、やめます」
「え?」
さとりはさっさと立ち上がって何でもないかのように見つめてきた。
「ちょっとさとり・・・」
「はい?何でしょう。」
「さっきのは何なのよ。」
「ははあ、ただ単にからかっただけですが。それとも発情期ですと言えばよかったのですか?何なら今襲ってあげましょうか」
「いや、いい。止めて頂戴。」
本気なのかそうでないのか分からないのがこいつの怖い所だ。
「冗談はさておき・・・どうします?この爆発跡。」
「修理しかないでしょ、このままなんて気持ちが悪い。」
「そうなると鬼を呼ぶことになりますね。あなたでは修理できないでしょうから。」
「そうね」
「困ります?」
「当然」
鬼に修理を依頼するのは良いだろう、どうせ私ではできない仕事だ。
問題はその鬼なのだ、どうやったって私と鬼の間柄は険悪極まりない事になっている。
この間なんか四天王の・・・誰だっけ、そう萃香とか言う輩に『下賤な妖怪』と言われてしまう始末だし。
あながち間違いでもない、むしろ的を射た表現だが。
ともかく誰だって苦手な奴の近くには寄りたく無い。
かと言って旧都に滞在するのも同じ理由で避けたい。
となると、野宿?
プライドを捨てて野に伏すか
いらいらおどおどしながら待つか
私とすれば断然前者だ、プライドなんて無いも等しい。
でも野宿は体のあちこち痛くなるから苦手だ、でも心の安穏は捨てがたい。そういえば寝袋は何処にあったか。
もはや野宿前提だがくだらない事でダブルバインドに陥っている私を助け上げたのはまたしても華奢な白い手だった。
「なんなら地霊殿に泊まって行きます?丁度空き部屋が一部屋ありますし。」
「是非そうさせて下さい。」
かくして私は地霊殿の一員となった。
「計画通り」
「何か言った?」
「いいえ、何にも。」
場所は再び地霊殿に映る
「こんなに移動したのは今日が初めてよ、疲れた。」
「移動するのは今日が最後になるかもしれませんよ。」
「なにそれ」
「いいえ、何でも。」
さとりは思わせぶりにくっくっと笑った。
「ああ、ここがこれからのパルスィの部屋ですよ。」
そう言われた部屋の扉には一枚のプレートが掛けられていた
「『古明地こいし』って・・・ここ、こいしの部屋?」
「はあ、そうですが。私はこの部屋に入ったことが無いですが。」
「そうですがって・・・あんた。」
「何なら私の部屋に住みます?可愛がってあげますよ?」
「いえいえ、滅相も無い。」
さとりの部屋の住民なんかになったら何をされるか分からない
良くて言葉通りの意味、悪かったら・・・
「・・・調教?」
「・・・。」
「・・・黙るな、怖い。」
・・・これ以上いらぬ想像に走るのはやめておこう、嫌な予感しかしない。
さとりはそのまま欠伸をしながら自分の部屋に帰って行ってしまった。
大方自分の部屋に眠りにでも行ったのだろう。
「さて・・・。」
ドアノブに手を掛ける
この先にこいしの部屋が・・・。
果たしてどんな空間が広がっているのだろうか。
呪いアイテムとかが詰まった空間か
それとも何もない空間か
いや、何を動揺しているのだ
さっさとドアを開けてしまおう。
しかし扉を開いた私を待っていたのはそんなとんちきな部屋ではなく。
至って普通の平凡な部屋だった。
強いて違う所を言えば人形が少し多い所か。
ちみっこい人型の人形
機械仕掛けの大道芸人が使ってそうな怪しい人形
やる気の無さを前面に押し出した少し湿っている白黒の人形
何処かに電気でも貯めてそうな人形
青狸の人形
「どこからこんなに集めて来たんだか。」
清潔なベッドの上に寝転ぶ、ふかふかだ。こいしが妬ましい。
「ここをこいしが使っている訳ね・・・。」
こいしの笑顔が頭に浮かんでくる。
そう言えばあの無邪気そうな笑みとはいつ頃から付き合い始めたのだろうか。
随分昔な様な気がする。
思い出す限りでは、さとりよりも付き合いが長いのでこの世では一番長い付き合いと言う事になる。
人間だったころの付き合いなんて親でさえほんの十数年だったし。
いつだって家に乗り込んできて好き勝手やってるが最初からそんな関係だった訳では無い・・・と思う。
確かこいしと私が初めて会ったのは、いつ、どこでだったか。
思い出せない
頭をひねっても思い出せない
旧都でばったりと会ってしまった?
無いだろう、そんな事になったら嫌でも誰かさんが記憶しているはずだ。
上から降ってきた?
湧いてきた?
机に座っていた?
服の中に潜り込んでいた?
私はこいしを何だと思っているのだ。
それとも白馬に乗ったこいしが私を迎えに来た?
ないないないない、ありえない
駄目だ、思い出せない、ちっとも寸分たりとも思い出せない。
ぴらり、と懐から手紙を取り出す。
「無意識は、あなたの二重扉の奥に、ねえ。」
こいしはこの手紙にどんな謎かけをしたんだろう。
何処に隠れているんだろう。
そもそも何故急にこんなことを始めだしたんだろう。
分からない、ちっとも理解できない。
そもそも私は何故こいしを探しているのだろう。
それがそもそも分からなくなってきた。
さとりに聞きに行ったところまでは暇つぶしのつもりだった。
でも時間が進めば進むほどにそれがどうにも怪しくなってくる。
果たして私は本当に暇つぶしのつもりでこいしを探しているのだろうか。
もっと別の考えがあるのかもしれない。
あるいは、何も考えずに探し出したのかもしれない。
こいし
古明地こいし
日常の中で暇なときはいつもこいしが居た
暇じゃない時もこいしは居た
嬉しい時も、悲しい時も
そんな時は滅多にないが数年に一度はそんな日だってある
そんな日もこいしは隣にいた
怪我をしていた日もあった
雨に濡れてぐしょっぐしょになっていた日もあった
なぜか涙を流している日があった
さとりと喧嘩してきた日もあった
怪我に包帯を巻き
濡れた髪を拭いてやり
抱きしめてやり
さとりと仲直りさせた
我ながら妬ましくなるほどにこいしの面倒を見ていた。
旧都見物をしたこともあった。
初めて見る物が多すぎていつもより多めにじたばたする足をどうどうとなだめていた
さとりとこいしと私で夏祭りに行った時があった
花火を見に行き、屋台を楽しみ、私は地上に居た頃の記憶をひっくり返しながらさとりとこいしに祭と言う物を説明していた。
地霊殿で他愛のない話をしていた
橋の欄干に腰掛けて下を眺めていた
昼寝につき合わされた
飯をたかりに来た
気が付くと私の時間は、いつもこいしと一緒になっていた
こいしが私の日常に組み込まれていた
ははあ、道理で暇になる訳だ
道理でこんなにも変な感じなんだ
こいしは、思った以上に私に接近していた
私の日常にはいつの間にかこいしが居座っていた。
いつも隣にはこいしがいた
こちらの壁をよじ登って笑っていた
いつの間にか私はこいしの事が――――――――
私は、何を言おうとしていたんだろう。
どうもこいしの笑みには私を狂わせる何かがあるらしい、また頭がくらくらしてきた。
パルさん
好きだよ
こいしが何度も言っている言葉が反芻される。
ぐわんぐわんと頭の中を跳ね返る。
こいし、何であんたはそんなに私に囁くの
そんなこと言い続けないでよ
囁かないでよ
私、あんたの事××になっちゃうじゃない。
怖いのよ
それが
また何にも無くなっちゃう事が
伸ばした手の先に暗闇しかないことが
ねえ
だから
誰か私を××してよ。
ねえ
こいし
【間章 ある橋姫の日常】
少なくとも人間には三種類しか居ない
誰かが隣に居ないと安心できない者と隣に居ても居なくても変わらない者、そして誰も隣に居ない方が安心できる者
一番目は一般人
二番目は能天気
三番目はあぶれ者
少なくとも私は一般人だった。
そもそも三番目は周りには居なかった、それはよっぽどの変人か何処か壊れてる奴だろう。
そう思っていた
赤が滴る何かを放り捨てる
今は?
今はどうだろう
分からない、居ても居なくても良いかもしれないし居ない方が良いかもしれない。
どうでも良い、どちらでも良い。
ぺたりと茶色に座りこむ
孤独とは何なのだろう
寂しいと孤独感の違い
少なくとも三番目には何の関係の無い話だ
彼ら、もしくは彼女らが感じるのはそれでは無い。
じわじわと茶色が赤に侵されてゆく
目の前の肉塊を見る
数分前まで生きていたこいつらは少なくとも一般人だったに違いない
手を繋いで逢瀬をしていたこいつらは少なくとも他人が近くに居て初めて幸せを感じられる奴らだったに違いない。
妬ましい
ああ妬ましい
自分は今どんな顔をしているのだろうか
壮絶で凄惨な笑みか
鬼女の様な怒りか
今にも泣きだしそうな顔か
どれにせよ私の心はぽっかりと空いたままだ
どんなに喰らっても
どんなに殺しても
どんなに嘆いたふりをしても
やっぱり私の心は空っぽのままで空虚だ
空虚な洞にただ一人取り残された気分だ
その穴の中には一緒に居る人がいた
周りにはいろんな物があった
これからも詰め込んでいくつもりだった
だけど、もう無い
いつの間にかその穴は何にもない洞になっていてそこにぽつんと一人で入って居る私もやっぱり寸分たがわず同じような何も無い洞だった。
洞から見た空はただの黒で塗りつぶされていた
いつまで膝を抱えて蹲って震えていればいいのだろう。
後どれだけしたらこの洞は私以外の物が入るのだろう。
もしかしたらその時は二度と無いのかもしれない。
そうだ、さっきの問いの答えが分かった。
私は普通の一般人だった。
『人間』には三種類しか居ない。
私はもう、人間じゃなかった。
ただ、どこまでも妖怪になっていた。
【§5 古明地こいしの手紙】
一日に何度も眠ると何日経ったのか分からなくなる。
私はぼんやりとした思考で天井を見つめていた。
幸いこの部屋には大きな柱時計があるので脳内と現実の時間の不一致を矯正する。
あれから私は5時間ほど眠っていたらしい、ここ一日で私が起き上った回数は4回程となる計算だ。
時計の短針は丁度7を指している。
コンコン
軽い音と共にお燐が入って来た。
猫車の代わりに食事の乗せられた荷台のような物を引いて。
そしていつもの服装では無くこの間宴会で見た吸血鬼の従者のような恰好をしていた。
「これはメイド服って言うんだよ、お姉さん。」
「その服の名前は私も気になっていた所よ、それより何でそんな大層な格好をしているのかしら。」
「気になる?」
「ものすごく気になる。」
「あたいが着たかったからだよ。」
「聞いて損をしたと感じるのはこれが初めてよ、光栄な事ね。」
「はは~っ、光栄です。」
こちらの愚痴を軽くかわした燐はくるっとその場で一回転した。
・・・さとりやこいしといいこいつも、どうして地霊殿にはこう見てくれが良いのが集まっているのだろうか、あのバ鴉も八咫烏取り込んでから無駄に体型が良くなったし。
「まあそれは置いといて、私はお姉さんと話をしに来たんだよ。」
「話?」
「こいし様の事についてだよ。」
「・・・ふうん。」
「『興味大有り』だね、その反応。」
「さとりに聞いたのかしら。」
「ん、そうだよ『パルスィがそっけない態度を取ったら興味大有りの印』だってさ。」
「・・・あいつめ。」
「『そこで寸止めすると良い表情が見れる』とか言っていたけどあたいはそんな意地の悪い事はしないよ。」
「それってさとりのことを意地が悪いって言ってるのと同じじゃない?」
「あははは、無礼講だよ。それよりもお姉さん。」
とたんに燐の表情が険しくなる
先程とは打って変わった様な厳しめの表情
「何時までこいし様から逃げてるつもりだい?」
「逃げる?」
「あたいの目からはお姉さんは逃げてるようにしか見えないんだよ。それもただ逃げるんじゃなくってやり過ごす、って感じだね。」
「・・・。」
「大方こいし様は人形みたいに感情が無いと思ってるんだろうね。」
燐は白黒の人形を持つとぽいぽいとお手玉を始めた。
「私も確かにこいし様は無感情だって思うときはあるよ。でもさ、こいし様がたまに私達と一緒に食事をするとまず最初に何を話題にするか分かるかい?」
「・・・分からないわ。」
嘘をついた
大抵こういう場合自分のもっとも言われると困る事を言われるのは目に見えている。
「お姉さんの事だよ、いっつもこいし様は今日はパルスィの寝顔を見ただの団子を食べただのパルスィの下着の色は黒だっただの報告するんだよ。」
「・・・いろいろと言いたい事はあるけど続けて。」
「その時こいし様はすっごく嬉しそうな顔をしてるんだよ。」
「こいしはいつも笑顔じゃない。」
「そうじゃないんだよお姉さん、『笑顔である事』と『嬉しそうな事』は必ずしもつながらないんだ。こいし様はお姉さんの事を話す時が一番嬉しそうなんだよ。さとり様は妬いてるけどね。私は嬉しそうにしているさとり様を見るのも、嬉しそうなこいし様を見るのも大好きなんだよ。だからこそね、お姉さんが許せないんだ。」
「・・・こいしの気持ちを何で汲んでやらないかって事?」
「その通りだよ、お姉さん。分かってるんだろ?分かっててこいし様から逃げてるんだろう?『感情が無い』って判断だけで誤魔化して逃げているんだろ?」
「・・・・・・。」
「逃げる事はそんなに悪い事じゃないよ、その方が楽だしね。現に私もいくつかの局面逃げて流されて此処に居る訳だよ。でもねお姉さん、あんたは人を待たせてるんだ、何年も何年も選択肢から逃げ続けてるんだ。逃げられるわけは無いんだよ。」
燐はこちらを強く睨む
それはこちらを攻めている様な目つきで
「お姉さん自身もそうだよ、どうせ『自分は橋姫だから愛だのなんだのって言うのは無関係だ』とかなんだか考えてないかい?」
何も言えない
ただ図星だったから
私は臆病なのは分かっていた
橋姫なんて結局言い訳に過ぎないのも分かっていた
それでも誤魔化さずにはいられなかった
気付くのを恐れていた
傷つくのが怖かった
「まあ私はお姉さんの事は分からないけれど。少なくともね、こいし様はちゃんと考えて、ちゃんと感じているよ。人形でも機械でもない、ただの妖怪だよ、でなければあんな表情はできない。でも私の言える事はそこまでなんだよ。後はお姉さんの問題、お姉さんがやっぱりこいし様には感情が無いだの思ってたりお姉さんが動かなかったら何にもならない、もちろん何にもする気が無いなら強制しないしあたいにはできない。でもねお姉さん、怯えて恐れて怖がって逃げてばかりだったらあたい怒るよ、大切なご主人様がこれ以上そんな理由で待たせられるのは堪らないんだよ。」
一気にまくしたてた燐は軽く息を荒げていたがすっきりとした表情だった。
「お姉さん、素直になりなよ、答えはもう出てるんだろ?」
「さとりの受け売りかしら。」
「さとりさまも似たようなこと言ってたよ、でもさとり様ははっきりと物事をつけないんだ、どうでも良い事はずばずば言うくせしてそういう所になると臆病になっちゃって苦しそうな表情をするんだ。だから私が代わりに言ってやるってわけさ。」
そのまま「後で食器は取りに来るよ」と言って部屋から出て行ったメイド服の後ろ姿を私はただ眺めていた。
こいしの机の引き出しを何ともなしに開けてみる事にする。
下段 中段 上段
特に目を引く物は引き出しの中には入っていなかった。
「・・・まったく、何やってんだか。」
私が最上段左端の引き出しを戻そうとした時に違和感は現れた
引き出しの裏に何か引っ付いている
それは封筒だった
表には「パルスィへ」と書かれた封筒
そして中に一枚手紙の入った封筒
懐を見るとさとりから受け取った手紙はちゃんと入っている
暫く考えて私はそれが何なのか気が付いた
――――――――――こいしの部屋に手紙を入れた封筒が置いてありました、表紙に『パルスィへ』と書いてありましたから恐らくはあなた向けだと思います。
・・・やられた
さとりは一言たりとも「手紙はこの一枚」とは言っていない。
思い返してみるとさとりの行動は最初から怪しかった
こいしからの手紙に気が付いていて宛先に私が書いてあっても私を呼ばなかった
あの爆発事件があった時にも地霊殿に来るよう誘導したのはさとりだった
あの橋がなぜ爆発したのかもさとりが噛んでいる可能性が高い、私の記憶している限りでは橋に来ていて怪しいのはさとりかこいししか居ない、勇儀やヤマメやキスメや燐やお空も来ることは来るが隠れて何か行う事に向いて無かったりそんな技術持っていなかったりだ。
第三者も考えられるが私の寝ているときに来ても私はすぐ気付くようになっている。
だとしたらさとりだろう、こいしがさとりに何かお願いをしている事ぐらい容易に考えられる。
しかし何故さとりはそんな回りくどい事をしたのだろう。
橋を壊す為?
それによる利点が浮かばない
目くらまし?
ありうる話だ、私をなにかから目を逸らさせようとした。
だとしたら何を?
分からない
とりあえずもう一枚の手紙を読んでみる事にする
こちらの手紙もやっぱり一文だけ、しかしそこにはこいしの居場所が書いてあった。
初めて出会った所で待ってるよ
「これじゃあまるで・・・」
昨日さとりが言っていた事の続きが分かった
――――――――――だったらその手紙は挑戦状と言うよりも…
「恋文じゃない」
思い出す
私が「あいつ」に呼び出されたのはこう言った謳い文句だった
大事な話がある
私達が初めて会った橋の上で待っている
あり得ない話だが、もしそれを知っていたならばこいしの性格は凶悪極まりないだろう。
まだ世界が光り輝いていたあの頃の事は私には辛過ぎる。
長く地底にいたせいだろう、その輝きは私を焼くのだ。
「年貢の納め時かね。」
逃げ続けてきた
ただひたすらに逃げ続けてきた
私を追う物から
私に手を差し伸べてくる者から
失いたくないならば得なければいい
自分が零で底辺であれば何も失うものは無い
そう思ってきた
馬鹿な話だ
私はただ壁を向いて振り返らない様に座りこんでいただけだ。
本当は穴の中にはもう沢山の物が詰まっている事が分かっていたから。
振り向かないといけない
本当は私もそうだったから
他人の温かさを知っているから
隣に誰かがいる事の安心を知ってしまったから
朝食をがつがつと食べる。
気品なんて関係ない、そういった物はとうにごみ箱に捨てている。
「行きますか」
こいしを探しに。
地霊殿のエントランスでさとりに出くわした
こいつが居たから色々と厄介なことになったけれど結果が全てなので礼を言おうとするとさとりが遮った、そう言えばこいつには言う必要が無い。
「・・・鬼がもうすぐ橋に行くそうですよ。」
「分かったわ」
「こいしを連れて帰って来てくださいね、今日はパルスィの好きなオムレツですよ。」
「それはこいしの好きな物じゃないの?あいつは何でもかんでもパクパク食べるけど。」
「いいえ、あの子の好物は二つあります、一つ目はエビフライ、二つ目はあなたの料理だそうですよ。」
「・・・ありがとう。」
「いえいえ」
「あと、もう一つだけ聞いていい?」
「なんでしょう?」
「あんたこいしから何を頼まれたの?時間稼ぎ?」
「いいえ、私が頼まれたのはただ一つだけ。『パルスィがこいしを見つけられるようにアシストして』です。」
「全く逆の事しかしてないじゃない。」
「私は天邪鬼ですから。それはパルスィ、あなたも同じ事でしょう?」
私達はやっぱりよく似ていた。
【BGN 眼中模索】
その目は暗い光を宿していた
何処となく漂う気怠さ、倦怠感
こいつはどこかで外れてしまった奴だ
敷かれた線路から落っこちてしまった奴だ
さとりに似た空気を漂わせている
いや 厳密には違う
さとりはこんなに全てを諦めたような表情はしない
こういう奴を私は一人知っている
どこかで一人知っている
誰だっけ、思い出せない
とんでもなく近くに一人いる気がするのだけれど
【§6 古明地こいしの○○】
旧都の石畳を歩く
多分後ろからは監視役が付いているんだろう。
旧都住民もこちらを明らかさまに避けている。
慣れっこになるとこの程度どうということは無い。
初めて会った場所
私とあの変てこな連中との付き合い始めた場所
ようやく思い出した
それこそがさとりが橋を爆破した理由だった。
「よくもまあ忘れられていたもんだわ。」
あんな奇怪な出会い方をしておいてすっかり忘れているなんて。
よほど私の日常は奇怪に溢れていたに違いない。
旧都の端にある門を潜る
そのまま歩いて橋に辿り着く
まだ鬼たちは来ていない、僥倖僥倖
あのこいしからの手紙はちっとも謎かけではなかった
ただ事実に少し謎めいた雰囲気を出しただけで。
それを一枚目の手紙を隠す事で難しい謎に仕立て上げたさとりには流石と言うしかない。
私の家の扉を開ける
ぼろぼろの扉はぎいいと嫌な音を立てて開いた、後で油を注しておこう
私はそのまま部屋を進んで『もう一度扉を開けた』
そこにはやっぱりこいしが居た
無意識は、あなたの二重扉の奥に
何と言う事は無い
こいしはあの時、私の家の押入れの中に入っていたのだ。
【間章 さようなら日常】
押入れを開けると何か青いのがこちらを見ていた
じーっとこちらを見ていたからこちらもじーっと見返した
無感情そうな無愛想な顔だったが妬ましい顔つきをしていたので対抗してこちらも無愛想に見返した。
小動物の様なそいつの胸からは管が付いていてその根元には閉じた目玉が付いていた。
どこかで見た事のある顔だったので頭の中の引き出しをひっくり返して思い出すとそいつは地霊殿の主の妹だった。
なんでそんな大層な身分の奴が押入れの中いるのかさっぱり分からないが厄介なことになった。
私は地霊殿の主・・・確か古明地さとりだったっけ、そいつの事をよく知らないしこいつが何か意味を持ってここに来たのだとしたらここまで面倒くさい状況は無い。
はて、こんな時は何をすればいいか。
生憎私は必要最低限の者しか持たない、娯楽の為の物なんか当然だし来客も居ないのでそれ用の菓子も無い。
どうするか
あ、そうだ。確か緑茶があった
「お茶の用意をするわ。」
なんとなく気まずい空気だったのでさっさと台所に行こうとしたらそいつはまだ押入れの中に入ったままだった。
「せめてそこに座ったら?」
ちゃぶ台を指してそこに座るよう言うがいっこうに動かずこちらを見ている
何だこいつ
そのままそこに居座られても困るので腰を持って持ち上げる、驚くほど軽い
とりあえず畳の上に配置し終わったので湯を沸かしに行く事にする
それにしてもこいつと似ている奴をどこかで見た気がする。
◆ ◆ ◆
気が付いたら何か暗い所に居た
照明が消えてるのかと思ったけどそうでも無さそうだ
どこだろう、ここは
とんでもなく狭くて暗い場所だ、それに埃っぽい
ガラリと言う音と光がふいに入って来た
どうやらここはどこかの家の押し入れらしい
しまったな
逆光でよく見えないが間違いなく今押入れを開けた奴は驚いた眼でこちらを見ているだろう
その後の事は分かり過ぎるほど分かっている
大騒ぎになるだろう、暴力沙汰になるかもしれない
ああ、面倒くさいな
いっそのこと目の前のこいつを黙らせちゃおうか
目が慣れて来たのでよくその顔を見ておくことにする
一言で言えば美人だった
くすんだ色のあまり手入れをされてない風な金髪とか農家の服装をしていたが美人と言い切れる綺麗な人だった
その眼はちっとも驚いてなくってただ不愛想にこちらを見ていた
何だか悔しかったのでこちらも無愛想に見返してやったらきっと怯むだろうと思ったらますます不愛想にこちらを見て来た
何だこいつ
こんなの知らない
この胸の第三の目が見えないのだろうか
いや、そっちも凝視している
暫くそんな状態が続いてそいつは口を開いた
「お茶の用意をするわ。」
何だそれ
何故か押入れに入っている私を恐れずに普通に台所に向かうか?
いやいや、第一声がそれなのか?
そしたらそいつはこちらを振り向いてやっぱり不機嫌そうに床を指さしてまた口を開いた
「せめてそこに座ったら?」
唖然とした
つまり私は客として迎え入れられてるわけだ
あり得ないと思っていたことが続いて半ば茫然自失としている私をそいつはひょいと掴みあげた
ふんふんとこちらを見ている
なんなんだこいつ
私を床に座らせたそいつはさっさと扉の向こう側に行ってしまった
それから緑茶を出されて普通に飲み終えて「家族が心配しているかもしれないから早く帰れ」的なことを言われて普通に帰ってお姉ちゃん初めお燐にも驚かれて普通に夕食を食べて普通に風呂に入って普通にベッドに入った
何なんだあいつ
ベッドの中で思い出す
何にも興味が無さそうな気だるげな目をしていた
お姉ちゃんによく似た目だった
凄く 興味深い
よし、明日もあの家に行こう
あいつを驚かせてやる
それにしてもあいつと似ている奴をどこかで見た気がする。
どこだったっけ
【終 水橋パルスィの日常】
かちっかちっ
柱時計の音がする
かちっかちっ
ぼーっとした目で時計を見るとまだ短針は5を指してもいなかった・
まだ眠れる
再び沈み込もうとする私を誰かが激しく揺さぶった
ゆっさゆっさ
とりあえず無視して眠り込む
ゆっさゆっさゆっさゆっさ
更に揺さぶりが速くなる
終いにはそいつは耳元で大声を立てた
「パルさぁぁぁぁん!!」
「うるさぁぁぁい!!」
朝っぱらから何をやっているのだろう。
と言うか何時の間にか私はベッドに入っているのだ、確か昨日は床で寝たはずだ。
「どうせ無意識にベッドに入れたんでしょう。」
「昨日は激しかったですね。」
ベッドの下から埃まみれのさとりが姿をあらわした
「あ、お姉ちゃん。」
「あんたはなんて所に居るのよ・・・。」
「床に居るのです。」
「そういう事じゃないわ。」
あれからこいしを連れ帰った私だったが穴が橋の基部まで損傷させていた為、急遽橋ごと作り直す事になった。その報告中さとりはしきりににやにやしていたがわざとじゃないだろうな。
結果として私が地霊殿に逗留するのは奇しくも40日前後となった。
空いている部屋はこの部屋だけだと言う事なのでこいしと一緒に寝泊まりしているがさとりやたまに燐まで侵入してくるのは何とかしてほしい。
「そう言えば今日の夕方から『地底―地上間開通記念式典兼第三百九十四回夏祭り』があるそうですよ、三日間ぶっ続けだそうです。どうせ夏祭り主体だそうですが。」
「わあお!ぐっどたいみんぐ!パルさん早速行こうぜ!」
「今日の夕方からって部分が聞こえなかったのかしら。」
「私も着いていきますよ、ヨーヨーのさとりとは私の事です。」
「随分とまあしょぼい二つ名ね。」
「射撃のこいしとは私の事だ!」
「射撃!?」
恐らく今日の朝食はどうせ私が作らされる羽目になるだろう
これから私達はこいしに引っ張られて夏祭りに行くだろう
浴衣を着るときに一悶着あって
屋台でも一悶着あって
とりとめのない話をしながらこいしは私の肩に乗るだろう
夏の暑い熱気は地底には届かねど、地上の活気は地底にも届くだろう
それが地底の日常の一部分で
それは私の大事な日常だった
部屋の開いた窓からは新しい日常の新しい風が吹き込んできた
終わり または始まり
こいし×パルスィ
だけどこいしの出番が少ないかも
能力(特にこいし)について独自解釈あり
過去捏造注意
多少のグロ描写注意
スクロールバー注意
=================================================
了承出来た方はスクロールバーを下に
【序 水橋パルスィの日常】
当然の事だが地底に朝日は昇らない。
従って地底の妖怪の起床時間は人それぞれならぬ妖怪それぞれで、しかも毎日同じ時間には起きない。
地霊殿の連中は意外な事に時間には結構五月蝿いらしいが鬼は時間など知ったことではない様子だ、勇儀クラスになると別だが宴会と睡眠と力仕事だけしている下っ端の鬼は起きて、吞んで働いて吞んで騒いで寝ると言った暮らしをしている、呑気な事で実に妬ましい。
そんな地底において私はいつも決まった時間に起床する方の妖怪だ。
…いや、させられると言った方が正しいか。ともかくいつもほぼ同じ時間に起床する。
む、そろそろか…
そう思った矢先、むっくりと私が入っている掛け布団が持ち上がっていき、水色の髪が現れた。
水色の髪、青い閉じた目
古明地こいし
「パルさん、外に行こうぜパルさん!」
こいしはいつものようによく言えば元気に、悪く言えば頭の痛くなる声で開口一番、笑顔で催促した。
いつもながら思うが普通に家に入って欲しい。多分その願いが叶うことは無いけど。
【§1 古明地こいしの妖怪どなり】
「…で、いつも思うんだけどあんたは普通に出て来れないのかしら。」
古明地こいし、こいつの名前、古明地さとりの妹にて姉にも劣らぬモンスター精神を持つ。
こいしが家に入って来る方法と言ったら後ろに立っているのなんて常識、むしろましな方でタンスの裏、天井裏、挙句の果てには台所で料理を作っていたりする。
因みにこいつの料理は意外と旨い、妬ましい。
最初こいしが布団から、しかも自分が寝ていた布団から出て来たときは「うっひゃあ!?」と間抜けな叫び声をあげてしまったが、今ではもう動じないまでに成長した。いや、させられた。
その時に「パルスィってあったかいね~」と言われて赤面してしまった、なぜ抱き着いた、絶対に許さない、絶対にだ。
「恋するこいしちゃんはパルスィの事を思うとつい隠れちゃうの。」
「嘘つけ」
だったら台所に立っていたのは何だったんだ。
「ねえパルスィ、それより外行こう外。」
「まずは飯ぐらい食べさせなさい。」
「あれ?パルスィご飯食べてなかったの?」
「起きる前にあんたが入ってたんでしょうが。」
「そうだっけ?」
「なに?無意識と記憶喪失は一緒なの?」
どちらにしてもこちらから見れば迷惑極まりないが。
天然だか嫌がらせだか分かったものでは無い。
後者だったら厄介だ
前者だったらもっと厄介だ
「うぐーっ」
いかん、伸びをしながら声を出したから思わず変な声色が出てしまった。
「くぁ…眠い」
私はこいしを置いて台所に立っていた。
まずは朝食を食べないといけない、こいしと付き合うのは何よりも体力が必要だ。でないとこちらの身が持たない。
さっと軽く朝食を作る、というか昨日作っていた作り置きの料理を火にかけて温める、昨日は根菜の煮物だった。
暫く前までは地底には地底産の野菜しかなかった。
当然の事だがこの野菜は一部除いてすこぶる不味い、味、量、栄養が足りない。
何せ日光に当たっていないので元気な物がもやしぐらいしかなかった。
しかしあのバ鴉が暴れ出してから事情は大きく変わった。
地上の元気で新鮮な野菜が仕入れられるようになったのだ。
当然長い間そういった物に飢えていた妖怪達は食いつく。
しかし地上産には限りがある
物が不足する
結果的に暴動が起きる
さとりが何とかしてくれと勇儀にお願いする。
勇儀はとりあえず鉄拳制裁をする。
それで暴動が治まる訳が無い。
そこで地底の有力差たちが集って会合する。
会合は荒れたが地底産の旨い野菜を作ればいいとか勇儀が進言して無事丸く収まる。
かくして見事に核エネルギーで作り上げられた野菜ができる。
安くて旨い地底産野菜「核ブランド」はこうして出来上がった、もっとましな名前は無かったのか。それよりも勇儀の突飛な考えを実行に移せるなんて実に妬ましい行動力だ。
そんなこんないらぬ回想にふけっていると煮物が良い感じに温まってきた様で。良い匂いが台所中に漂っていた、おなかへった。
「おおう、今日は煮物だね!」
「なんであんたが箸を握ってるのよ。」
部屋に帰るとこいしが箸を持って何処から取り出したのか分からないが茶碗をカンカンと鳴らしていた。実に五月蝿い。
「実は私も朝飯を食べてないんだよパルさん!お揃いだね!」
「そんなお揃いがあって堪るか。」
「えー、でもパルさんもちゃんと二人前持ってきてるじゃん。」
「うぐっ…」
しまった、いつもの癖で持ってきてしまった。
たまにこいしは私に朝食をせがむので私はついつい二人前作ってしまうようになっていた、慣れって恐ろしい。
「さあさあ、大人しく諦めて私と朝食を共にするのだ!」
「色々と誤解を招きそうな言葉ね、それ。」
諦めて食卓に着くとこいしが箸を渡してきた。
「はい」
「…何これ。」
「お箸だよ。」
そんなの見れば分かる。
ふとこいしの手元を見ると箸は無い、とすると箸はこの一組だけだ。
その代わりこいしが口を大きく開いていた。
………
……………。
「なに見てるのパルさん」
じーっと見ているとこいしは痺れを切らしたようで少し怒った様にきりだした、こいつが怒っても怖くは無いが能力は厄介なので侮れない、妬ましい、力のあるやつは妬ましい。
「いや、何をして欲しいのかさっぱり分からないんだけど…。」
「ははぁん、鈍いねパルさん。」
こいしは口に手を当てて嬉しそうにこちらをちらちらと見ている、残念だがこちらはそんな事では動じない。
「こういう時はねえ、パルスィが私に食べさせてあげるものだってお姉ちゃんが。」
「はい?」
あの姉なんて事を教えてくれるんだ。
後できつく問いただしておこう、どうせのらりくらりとかわすに決まっているが。
「…餌付け?」
「違うよ、恋人同士の儀式なんだって!さあ、パルさんやってみよう!」
こいしは再度口を大きく開いた、どう見ても餌付けにしか見えない、ついでに私とこいしは恋人ではない、本人に言っても聞く耳を持たないだろうが。
口を大きく開けるこいしに鳥の鳴き声の擬音をつけてみる。
ピーチクパーチクピーチクパーチク
…いかん、吹きそうだ。
いい加減にしないとこいしが怒るし料理も冷めるのでこいしに煮物を食べさせることにする。「口移ししてくれ」と言わないだけまだましだと思おう。
南瓜の煮物、瓜の煮物、苦瓜の煮物、東瓜の煮物、西瓜の煮物、胡瓜の煮物
こいしは何でも美味しそうにぱくぱく食べていた。
そんなこいしをよく見ていると分かるのだがこいつは可愛い。
薄くても潤いの見て取れる唇も、さらさらでふわふわの良く手入れが行き届いてあるであろう髪の毛も、十分に可愛いと形容できる。
むらむらとした感情が湧いてくる、情欲に似たどろりとしたこの感覚、
それは橋姫の象徴
己の身を滅ぼす甘い毒薬
嫉妬
ああ妬ましい妬ましい、可愛げのある顔が妬ましい。
妬ましい妬ましい、権力者の妹で有力者、実に妬ましい。
今日も嫉妬で飯が旨い。
食べさせているとふいにカチンと箸が皿の底に当たった音がした。
我に返って皿を見てみると煮物が無くなっている。
しまった、残りを見ていなかった。
しかし時すでに遅し、煮物は全てこいしの腹の中だ。
「ん?ふぁるふぁんのふんふくふぁっふぁったふぉ?」
「とりあえず物を食べ終わってから言いなさい。」
「んぐんぐ。パルさんの分無くなっちゃったの?」
「食べ終わるの早すぎない?」
どういう事だ、瞬きしている隙に口いっぱいの煮物が消えている。
「ん、まあそういう事になるわね。」
「ふーん」
もう家には食べ物が無い、また旧都に言って買い出しをしてくるか。
そんな事を考えているとこいしがにまぁっと笑った。
「パルさん、家に食べ物無いんだよね?」
「ん、まあそうだけど。」
「買い出しに行かなくちゃいけないんだよね?」
「そういう事になるわね。」
途端にこいしの笑みは更に嫌な感じに深まった。これはあれだ、何か悪巧みしているときの顔。
「旧都に行かなくちゃならないんだよね?」
「随分しつこいわね、そうよ。」
「へへぇ~、じゃあ着替える必要があるよね?」
その瞬間こいしが何をしたいか、いや『何をしようとしているか』分かってしまった。
「え、ちょっと待って」
「着替えなきゃ…いけないよね?」
こいしはすっ…とどこから出したか知らないけど服を取り出した。
服と言ってもただの服では無い、フリフリの沢山ついたやつだ。
「ちょっと待ちなさい、どこからそんな物を…」
「何か部屋のクローゼットに入ってた。」
あの馬鹿なんて物を妹に着せようとしてるんだ。
と言うか何処から仕入れたそんな物。
「一緒に『パルスィに着せたら面白いかもって』カードが入ってた。」
畜生、私狙いか
にやにやしているさとりの顔が目に浮かぶ。
「大人しく着ちゃいなよ、新しい扉が見えるかも。」
嫌だ、そんな少女趣味に走りたくはない。
しかしにじり寄って来るこいしは引かない。
「フリフリを着たパルスィが居ても良いと思わない?」
「少なくとも私は思わないわ。」
「えー、でも私が着せたいからなー。」
「…………」
「……」
「…………」
「……隙あり!」
「甘い!」
ゲシィ
「ねーねーパルさん、今日は何するの?」
ポックポックと音を立てながら旧都を歩く
高下駄が石畳に弾かれる音は不思議と心安らぐ。
「普通に八百屋に行って帰って来るだけよ。」
「えー?つまんなーい。」
「足をじたばたさせないで、痛い。」
今、私とこいしは旧都の石畳の上を歩いていた。
足音が一つしかしないのは私がこいしを肩車しているからだ。
あれから何度か押し問答を繰り返した結果、こいしが飽きて私は恥さらし者にならずに済んだ、こいしの飽きっぽさに感謝だ。
それから普通に旧都に赴いたのだがここでこいしが「パルスィ肩車してよ」とか言い出した。
いつものことながらお前は何を言っているんだと言おうとしたが気が付いたらこいしを肩車していた。
本人曰く「これが無意識の力だ!」だそうで、はた迷惑にも程がある。
こいしの「無意識を操る程度の能力」は使いようによっては賢者にも引けを取らない出鱈目能力なのではなかと思う。
橋姫がさとりの妹を肩車しながら旧都を歩いているという異常性に今更ながら気付く。
当然ながら橋姫も、さとり妖怪も他の妖怪から見れば警戒される対象だ。
恐れ嫌い嫌悪し恐怖し侮蔑し軽蔑する対象だ。
普段の旧都ならば警戒の目で見られてもおかしくなく、自警団の一人や二人が付いても何らおかしくはない。現に私が一人の時はさりげなく勇儀が横に居た。
別に、それは何らおかしい事ではないのだろう。
さとり妖怪も橋姫もどちらも恐れ、嫌悪される種族
それを監視することは旧都住人並びに私達の平和を守る事にも繋がる。
地底の最下層の中でも精神ヒエラルキー特級最下層に位置する私達は常に保護と言う名の檻に入れられている。
「えへへ~」
「だからばたばたさせない!」
だが
こいしとの買い物はそう言った事一切抜きにできる非常に珍しい機会だ。
目立った事をしない限りはこいしの能力で気にされない。
それは檻から抜け出す機会
檻の外から、檻を観察する奴らを見物できる機会。
こいしの能力は意識的に使用できない筈だが本人に聞いてみたところ「そんなに強力な無意識でないなら意識的に使用可能」だそうだ。イメージとしては「目の前に居てもそれが誰だか気にならない」程度だそうで。
その後本人は「これも愛の力だねパルさん!」とか言いながら飛びかかって来たので投げ飛ばしておいたが。
「しかし面白い眺めね、気にされないって。」
「でしょ~?」
気にされない
例えこいしを肩に乗せていても気にされない
あっちにふらふら、こっちにふらふら
こいしを肩車して旧都を探索する
「パルさんパルさん」
「何よ」
「好きだよ」
そういったかと思うとこいしは急に笑い出して私の顔を抱きしめてきた。
「えへへへ~」
「何してんのよ」
「なんにも~?」
こいしの息が耳にかかってくすぐったい
旧都のど真ん中でそんな事をするなと言いたいがこいしの事だ、そんな話は聞かないだろう。
こいしは時々私にこう囁いてくる
好きだと
もしくは愛していると
何故そんなことを言うのかは分からない
だがこいしは懸命に私に飛びかかり、はったおされても諦めずにまた飛びかかって来る。
こいしの心は空虚だ
幾らその口が愛を囁いたとしてもそれは実体のないただの音だ。
幾らその手足が私を求めていたとしてもそれはただの機械の駆動だ。
しかし、仮にそれが明確な意思を持っていたとしてもそれは決して私には届かないだろう。
なぜなら私は橋姫だから、恋を妬み、心を妬むから。
最もそういった物とは遠い所に居るから。
こいしは煙の腕を伸ばす
私はそれを跳ね除ける
空虚な只の茶番だ
それを何十年も飽きずに続けると言う事は
「大した大根役者ですね。」
「五月蝿い」
やはり、と言うべきか。
私の背後にはしっかりとさとりが突っ立っていた。
保護と言う名の鬼を侍らせて。
こいしの隠れ蓑はやはりさとりには通用しないらしい。
普段のこいしならばまず見つかることは無いが今はあくまで能力の利用に過ぎない。
私達の事をいつも考えているさとりには通じない、そうこの前こいしから聞いた。
妹を常に考えている姉、その姉妹愛が妬ましい。
「あ!お姉ちゃん!」
「こいし、久しぶりですね。この前に会ったのは何か月前ですっけ?」
「ん~、わかんない。」
さとりは無論知っているのだろう、こいしに会うのが何時ぶりだと。
ただの挨拶に過ぎない会話。
それすらも通じない、一方通行の姉妹
「役者はどっちよ。」
思わず呟く、口から飛び出る。
「どっちも、ですかね。」
さとりはニヒルっぽく笑う。
本当にそっくりだ、この姉妹は。
古明地さとりと古明地こいしは
完全に違うという一点に目を瞑れば完全に一緒だ
初めて会った時からそう思っていた。
そしてそれは、私も同じ。
方向性は違うが似通った性格
空虚で、生命力に乏くて、でもしぶとい
「パルスィも姉妹になったらどうです?古明地パルスィ。」
訂正、私はこんなにいやらしくは無い。
私とこいしとさとりは近くにある茶屋に入った、費用は当然向こう持ちだ、子守代も含めてご馳走して貰おう、別にそんな事を考えてこいしと付き合っている訳では無いけどこれくらいの要求は許されるだろう。
こいしは餡蜜、私は磯部団子、さとりは何とぱふぇと言う代物を頼みおった
ぱふぇと言うのは外の世界の菓子らしく夏に食べる物らしい、どう見ても貧弱な腹を持つさとりには食いきれるものでは無いと思う。
「お待たせしました」
数分ほどで注文した物は届いた
かわいそうに、店員は大層怯えている、客も皆こちらを警戒している。
当然だろう、なにせ地霊殿の主とその妹と橋姫が一堂に集っているのだ、そろそろ鬼の増員が来るかもしれない。
そんな事は関係無いとばかりにこいしは我先にと餡蜜を喉に流し込んでいる、詰まるぞ。
「プハーッ!旨い!もう一杯!」
「一杯しかありませんよ」
「えー?そうなのー?じゃあパルさん膝貸して膝。」
餡蜜を食べ終えた、と言うより流し込んだこいしは此方の返事も聞かずに膝に頭を乗っけて眠り始めた、所謂膝枕というやつだ。
こっちの話を聞かずにさっさと眠り始めてしまうあたり流石と言った所か、図々しいという意味で。ああ妬ましい、人の迷惑も考えないその性格が妬ましい。
こいしはすぐにすぅすぅと息を落ち着かせた、能天気な奴は寝るのが速いのか。
「可愛いですよね。」
さとりがこいしの寝顔を見て穏やかに呟く。
確かにこいしは一部の性格を覗けば可愛いと言えるだろう、万人受けする容姿、それをひけらかさない性格、普通ならば妬ましいと思うだろう、現に先程は妬ましく思っていたはずだった。
だが
「今はあんまり妬ましくないのよね。」
こいしの寝顔を見ている今はそんな事は考えられない。
いや、「妬む気が起きない」と言った方が正しいか。
「こんな表情をされちゃあね。」
無邪気で、虚ろだ
寝ているこいしはそれが克明に現われる。
無邪気な顔をしているのはそれしか持ち合わせがないからだ。
「無表情な無邪気なんて、見たことが無いわ。」
先程からこいしはまったく表情を変えない。
そうなればこの顔はまるで不気味な表情でしかない。
やはりこいしは、洞だ、虚ろな洞。
どこまでも暗い、飲み込むような洞。
「果たして、本当にそうでしょうかね?」
「・・・何か問題でも?」
「こいしは確かに洞のような性格ですよ、心の眼を閉じた時から。」
「否定はしないのね。」
「そんなくだらない肯定なんてしても意味がありませんよ。」
意味の無い肯定より
現実を捕える否定を
非生産的で非効率的な生温い肯定よりも
非感情的で凍てつくように冷徹な否定を
きわめて乾いた考え
さとりはふうっ、と溜息を吐く。
それはまるで、そんな考えを具現化する様な乾いた息だった。
世の中の暗い部分を知っている者がする全てを吐き出す様な溜息。
「ですが…こいしは変わったと思います。」
「変わった?」
「ええ、間違いなく。以前のこいしはもっと無表情でした。」
「今も無表情だけど。」
「今の様ではなく、もっと無表情です。そもそも無防備に寝る所すら見せなかった。」
「ふーん…。」
無表情、鉄面皮の表情で眠るこいし
鉄の薔薇に囲まれて眠るお姫様
確かにそれに比べれば私の膝で眠るこいしは随分と穏やかに見えるだろう。
「何故だと思います?」
「さあ?」
さとりは指をすっと持ち上げ、私を指さした。
ありきたりな表現だが白魚の様な指だ
さとり妖怪は幸薄と引き換えに美貌を手にしたのかもしれない 。
美人薄命、いや美人幸薄か
そんな本人の前で、しかも心を読める奴の前でそんな事子考えられる私は頭のねじが何処かすっ飛んでいるのかもしれない、
そんな思考を読み取って気にした風も無く話題を続行するさとりは変人だが冷徹だか合理主義なのかは分からない、恐らくどちらもだろう。
ともかくさとりは私の方を指さしていた。
「私?」
「少なくとも私はあなたを指したつもりですが。」
しかし私が、何をしたと言うのだろう
私はただこいしに付き合ってやっているだけで…。
「それですよ。それ、こいしはあなたと会ってから確実に変わりました。」
さとりは「こんなものも分からんのか」と言った風に首を傾げた。
こちらは心を読むなんて便利極まりない能力を持っていないのだ。
さとりは「それもそうですね」と切り返した。変わり身の早さは姉妹でよく似ている。
「こいしは多分、恐れずに遊んでくれる遊び相手が欲しいんですよ、端的に言うと。」
「端的に、ね。」
「端的に、ですよ。」
まあ、要するにそんな事だとは思っていた。
こいしにとって私はただの遊び相手に過ぎないのだろう。
まるで幼子が好きとすきの区別がつかない様に。
こいしにはそれが恋だと思ってるに過ぎないのだろう。
そう思いたい。
「分かってるわよ、そんな事。」
「分かっているであろうことは分かっていました。」
「回りくどい。」
「心を読めることの有効活用です。」
「どう見ても無駄遣いよ。」
「そんなあなたを見込んでお願いがあるんです。」
「『場合によっては』聞くわ。」
「気に入らなかった場合は?」
「聞くだけよ。」
「良かった」
何が良かったのだろう。
それを知るすべを私は持たない。
「こいしと」
そこまで言ってさとりは少しばかり言い淀んだ。
「こいしと、仲良くしてやってくださいね。」
ああ、なんだ、そんな事か。
その程度の事ならば…
「聞いてやらないわ。」
「助かりました。」
やっぱり私達は似ていると思う。
認めたくないが。
「ああパルスィ、もう一つだけ。」
さとりが呼び止めるように頼んだ。
「パフェを一緒に食べてくれませんか?」
「食べ切れる物を頼みなさいと親に言われなかった?」
「生憎ながらそういった事とは無縁の財布を持っているので。」
妬ましい
そう思ったが素直に貰っておいた。
私とさとりは財布のベクトルに関しては真逆だ、実に妬ましい。
「ふいー、良く寝た!」
暫くするとこいしがむっくりと起き上った
「あれー?お姉ちゃんは?」
「先に帰ったわよ。」
さとりは会計を済ませて先に帰ってしまった。
帰りがてらの「ゆっくりしていってくださいね、うふふ」は余計だったと思うが。
どうもあの姉は苦手だ。
「ふうん」
こいしはそんな溜息に似た音を発した。
それは溜息の様であり、また微かな空気の揺蕩いの様であり、当然ながら意味の無い戯言だった。
こいしは無表情で数秒佇んだ後、元気いっぱいを装ってにっこり笑った。
その笑みは普通ならば人妖関係なくころりといってしまうだろう、そんな悪女の笑みだった。少なくともそう見えた。
だが私には何処からどう見ても虚ろで空虚な表情にしか見えなかった。
恐らくはその認識は正しいのだろう。
こいしは、この成り損ないは何処までもでき損ないだ、憶測に過ぎないが。
故に空虚
故に未完成
故に不完全
それがこいしなのだろう
これまでも、これからも。
だから私は
「んで、そろそろもたれ掛かるの止めてほしいんだけど。」
いつも通りに振る舞う事にした。
いつも通りを演じる事にした。
「えー?良いじゃん減るもんじゃないし。」
「減るのよ、プライドが。」
「パルスィのプライドは私が頂いた!」
「何それ怖い、後重い。どいて、ってかどけ。」
「うーん、後小一時間」
「長いわよ」
結局私達が店を後にしたのはこいしが起き出して十分程経ってからだった。
もたれ掛かられるこちらの身にもなって欲しい。
「とっとと八百屋行って帰るわよ、余計な寄り道もしちゃったし。」
また、こいしを肩車して旧都を歩いていた。
さとりと会ってから大分時間が経っていて、夕食頃なのだろうか市場は賑わっていた。
生憎ながら私はそういったものとは無縁極まりない生活をしている
食いたい時に食い、寝たい時に寝る
さとりによると「まるで動物」だそうだが失礼な話だ、仕事はちゃんとやっている。
地底には市場と言うものがある
食品などが一堂に集まるそこには八百屋が数十件あり地底の民は好きな八百屋を選んで買っていくといった仕組みになっている、所謂競争と言う奴だ。
従ってどこの店も品ぞろえが多く、種類が豊富だ。
私とこいしは妖怪でごった返す市場に来ていた。
こいしは興奮気味に足をバタバタと動かす、痛い。
「わー、野菜がいっぱいだ!」
「なによ、あんた八百屋に行った事も無かったの?」
「うん、いつもお姉ちゃんやお燐が買い物に行ってたから。」
そりゃそうだろう、こいつを買い物なんかに行かせたら何が起こるか分からない。
店の品物をごっそり持ってきてもおかしく無いしもっと厄介な事を引き起こすかもしれない。
とにかくこいつには用事を言いつけない方が良いと分かっているんだろう。
「さて、さっさと買って帰りますか。」
「今日はカレー?おでん?シュールストレミング?」
「何よそれ、おでん以外知らないわ。」
「ん~、外の世界の食べ物だって前に森の店主が。」
森の店主が如何なる輩か知らないが外の世界の事が分からないのは分かる。
しかしシュールストレミングと言う物には本能的に危機感を感じる、何故だろう。
そんな他愛のない会話をしていると買い物袋(ヤマメ製)がいっぱいになった。
「今日のご飯はな~ん~で~す~か~?」
「あんたは地霊殿でしょ、ただの里芋の煮っ転がしよ。」
「お~、それが私の夕食か。」
「あんたのじゃない、話聞きなさい。」
「え~?いいじゃんいいじゃん、食べさせてよ。」
こいしは私の肩の上でばたばたと暴れる、果てしなく鬱陶しい。
こっちは一日中旧都でこいしをおぶっていたせいで肩が痛い、こいしが軽いとはいえ妖怪だからこの程度で済んでいるけれども人間だったらどうなるかは分からない。恐らく翌日は絶賛筋肉痛だろう。
旧都に夕日は無いけれども、もし地上ならば夕日が映えるのだろうか。
小さい女の子をおんぶする影
だが残念なことにそんな光景を見てもそんな感傷深い光景は出来上がらないだろう、私といえば果てしなく気だるげな前屈をし、こいしといえば相も変わらず足をバタバタと忙しなく動かしているので「暴れる子供にほとほと嫌気がさした妖怪」とか言うちっとも面白くない光景が出来上がるのだろう。
そんなくだらない事を地底を覆い尽くす岩盤の黒を見ながら考えた。
「真っ赤なぁー誓いぃぃぃぃ!」
「何よその変な歌」
肩の重りが歌を歌う
私はそれにつっこみを入れる
こいしはこの後家に来るのだろう
いつもの様に私の家でくつろぎ
いつもの様に食べ
いつもの様に無意識に溶けるのだろう
それが私の日常だったから
そして恐らくは、こいしの日常であったから
いつも通りの日常
私は『いつも通り』明日も、無ければ明後日こいしは来るのだろうと思っていた。
それが私にとって、こいしにとって、さとりにとって、地底においての『いつも通り』だったから。
だからまさか、こいしが私の目の前から居なくなるとは思ってもいなかった。
【BGN 無題】
この世界にさようなら
私が嫌いな世界にさようなら
私の事が嫌いな世界に さようなら
【§2 古明地こいしの挑戦状】
意識の混濁から覚醒する
起きる あるいは目が覚める
いつもの天井 昨日とは違う明るさが出迎える
しばらく微睡みの中でゆらゆらと揺蕩っている
体が水中を浮かび上がって行く感覚
体が水中を出て水面に到達するのと同期して私は起き上がる
部屋の中は昨日と一切変わらない
畳 昔したであろう藁の香りはもうとっくに消えている
押入れ 布団を入れる用だったが布団は出しっぱなしなので使っていない
襖 奥には台所があるこの部屋よりも活気がある
机 ちゃぶ台だ、一人用らしい
天井 薄い板張り、黒い染みがある
窓 と言うよりも穴だ、常に開けっ放し
掛け軸 そんな洒落た物は無い、花瓶も同じ
扉 外界につながっている、鍵は当然かかっていない
箪笥 この部屋の中でもっともよく使う物、中には同じ衣装が約十着
いつもと寸分たがわず変わらないつまらない私の世界、小さな小さな六畳の世界。
大きく伸びをし、台所で顔を洗う。冷たくも温かくも無いぬるい水、目は覚めない。
寝ぼけ眼で料理を作る、朝食は別に作らなくてもいいのだが朝食は人間だったころからの習慣だ。
今日の料理は白米、味噌汁、昨日の残りの煮物、豆腐、漬物、八百屋の店主謹製ふりかけ、勇儀から貰った酒のつまみ(今日は煎り大豆だった、なんで鬼がそんなもの食うんだ)以上、全く一貫性も何もない、ついでに味気も面白味も無い朝食。
ちゃぶ台に朝食を置く(乗り切らないので畳に数品置く)で、食べる。「頂きます」なんて言わない。
白米に味噌汁をぶっかけ、漬物と大豆とふりかけを乗っけて煮物を少しつまみ食いしながら掻き混ぜ口に掻きこむ、以上、たった数秒の朝食。
ちゃっちゃと衣服を着替えて橋に出かける、と言っても橋から家までたった数歩の距離だが。
私の家は橋守の詰所と言ってもいい、小さく、おんぼろで、薄汚い、だが私の住居だ。
あまり綺麗すぎると他人を妬めないし私自身もこの方が落ち着くのでなかなか気に入っている。
橋の欄干にもたれ掛かり今日一日どうやって暇を潰すか考える、これは全妖怪共通の悩みだ。
そこまで来て私はやっとこさ今日の第一声を発することになるのである。
「暇…」
思わず憂鬱になる第一声だがこれ以外言う事も無いし考える事も無い
そう、私は時間を持て余していたのだ。
こいしが家に来なくなったのはさとりのぱふぇに二人で挑んだまさにその翌日だった。
あれから今日で約40日となる。
これは異常な長さだ、普段のこいしならば三日も間を開けずに来ていたから。
長くても三日、短いと一日
こいしの出没頻度だ、それが40日もの空白。
「本当、どうしちゃんたんでしょうねぇ」
ぶつぶつと呟くしか数秒の暇は潰せない。
ちなみにこの場合この台詞は私に向けての物だ。
こいしが来なくなったぐらいで、暇を持て余すようになるとは。
「馬鹿みたい」
日常なんて、あっけなく崩れる事くらい分かっていたのに。
それでも、いつの間にかそれに縋っていたなんて。
本当に
「ばーっかみたい」
思わず大きな声で罵倒する
頼りたくないと思っている物にはいつの間にか頼っていて
頼りたい物は、いつの間にか無くなっていて
そんな世界を創り上げた神様はどうやら歪みだらけの世界がお好みのようだ、そうとしか思えない。
「んじゃまあ、行きますかね。」
地霊殿に向かう準備をする。
どうせこの橋には人が来ない、来ないのに番人何てする必要が無い。
でも一応分身は置いておこう、案山子代わりだ。
「さーって、暇潰しにでも出かけますか。」
こいしのお守りが暇つぶしの良い手段になってしまっているのならば、私が切れる札はこれしか無いだろう。
地霊殿に居るか、居ないか。
私が持っている唯一の札は果たして鬼札か凡札か。
まあどちらにせよ良い暇つぶしにはなるだろう。
しかし、私を待っていたのは、それ程単純な事ではなかった。
やっぱり世界は歪んでいて、神様は相も変わらず意地悪だった。
地霊殿に着いた私を出迎えたのは火焔猫の燐だった。
丁度『仕事帰り』らしく長話をするのは遠慮していたがさとりを呼びに行かせた。
どうせ向こうが遠慮していたのは猫車に積んだ『荷物』だろう。
そんなもんなら見慣れているし何個も作っている。
「にゃーん、鬼の中にはそんなもの見たくないっていう人もいるんだよ。」
「鬼がそんな事をいうとはね。どこの老いぼれよ。」
「屋台の老いぼれさ。」
「ああ、それはあんたが悪いわ。」
流石に飲み屋に持っていくとは思わなかった、常識を知れ。
そこまで考えていると階段をかっ、かっ鳴らしてとさとりが降りてきた。
「言った所でお燐は聞かないでしょう『仕事帰りに一杯ひっかけることが至上の喜びさ。』とか心の中でいつも嘯いていますから。」
「迷惑な常連ね。」
「常連にしてお得意様ですから店側も断り辛いらしいですよ。」
「あんたは本当にたちが悪いわね。」
「お燐にも息抜きが無いといけないでしょう。」
しかしお燐に止めさせることは飼い主たるさとりにとって容易いだろう。
面倒くさいのかそれとも他の理由か。
どちらにせよ興味は無いが。
「あなたは、暇つぶしには積極的なくせに興味の無い事には冷淡なんですね。」
「説教に命を捧げるのは聖職者と教師で十分よ。」
「実にあなたらしい回答ですね。」
くっくっ、とさとりは笑う
ホールにさとりの乾いた笑い声が反響する。
「さて、本題に入りましょう…ってあんたはもう分かってるんでしょ?」
「無論、愚問ですよ。」
「じゃあ回答を頼むわ、簡潔にね。」
「その前にお茶でもしていきません?お客様。」
「それもそうね、御主人?」
まあこいしは居ないわけだし。
お茶会と言う名のただの暇つぶしはもってこいだろう。
「こいしが居ない…って言うのは分かっていたけどね。」
「『まさかこれほどとは』と?」
さとりの話によるとこいしはここ一か月は帰ってきていない、最後に姿を現したのはやはり私達が一堂に会したあの日の夜でそれ以来地霊殿には帰ってきていない、もしくは姿を現していないそうだ。
約40日
960時間
3,456,000秒
それ程の期間家に帰っていないのか、あの放蕩娘は。
「心配?」
「それは愚問ですよ。」
「心配している様には見えないんだけど。
「主がおろおろしていては部下も気が気でないでしょう。」
「生憎私は上下の繋がりは居ない者で。」
「そうでした」
「もしかして『お気楽だな』とか思ってる?」
「パルスィの判断に任せますよ。」
「そう言われても私は心を読めないんだけど。」
くいっと紅茶をあおる
勇儀だったらここで酒でも突っ込んで「紅茶入り酒」と言うけったいな代物を作って誰かの頭を痛くさせるかもしれない。
紅茶を飲みながらの雑談も良いがそろそろ本題に入る事にする。
「んで?あるんでしょう、隠し事。」
「隠してなぞいませんよ、『言わなかっただけ』です。」
「物は言い様ね。」
さとりは一枚の紙を渡してきた。
厚紙でできた様な一枚の小さな紙。
「これは?」
「こいしの部屋に手紙を入れた封筒が置いてありました、表紙に『パルスィへ』と書いてありましたから恐らくはあなた向けだと思います。」
「恐らくじゃなくて完全にあたし向けね、それ。」
何の変哲も捻りない白い紙
そこには一文だけ言葉が書かれていた。
無意識は、あなたの二重扉の奥に
ははあん、こいつは思ったよりも厄介そうだぞ、水橋パルスィ。
どこかで誰かが、私に話しかけた。
「で、どう思います?これ。」
私とさとりは気晴らしも兼ねて橋の上に移動した後話し込んでいた。
こいしの手紙の意図は掴めない。
私は恐らく、これはこいしの挑戦状だと思っている。
こいしは恐らく、新しい遊びを考え出したのだろう。隠れん坊と謎解きを組み合わせた遊びを。
ならばこの手紙は恐らく――――
「挑戦状、かしらね。」
「挑戦状?」
「そう、こいしは私に遊びを誘っているのよ。『新しい遊びを考えたから私を見つけ出して!』って。」
「まるでウォーリーを探せですね。」
「ウォーリー?」
「外の世界の絵本で前にお燐が拾って来たんですけどどうやらウォーリーって言う人を絵の中から探し出せって物で。嵌って二日間徹夜しちゃいましたよ。お燐に死ぬほど叱られました。」
「…それ、冗談?」
「さあ?」
冗談に聞こえない、恐らくは本当なのだろう。
さとりは熱中すると周りが見えなくなる癖がある。
あの火焔猫も可愛そうなことに。
「それで、パルスィはこれを挑戦状だと?」
「そうとしか見えないわ。少なくとも私からは。」
さとりはそう聞くとふむ、と考え込んだ。
「私はどうもそう思えないんですよね。」
「と、言うと?」
「確かに前にこいしはあなたを遊び相手と見ていると言いました。それは間違いないでしょう、ですが…。」
「それだけじゃない、と?」
「ん、まあそういう事です。恐らくあなたはこいしにとって…」
特別な存在ではないかと
特別
特別な存在
「特別…ねぇ。」
それは一体どういう関係なのだろうか。
少なくとも私は知らない
さとりに目を向け、続きを催促する。
「さあ?それまでは分かりませんが。」
「知らないのかい。」
「少なくともこいしはあなたに対して何か思い入れがあるかと、それぐらいしか分かりません。」
さとりはぴらぴらと手紙を振った。
風に白が靡く。
「少なくとも私はこいしが置手紙並みとはいえ手紙を書くと走りませんでした、それどころか字を書ける事すら気付きませんでしたしあり得ないとも思っていました。なにしろこいしは自然淘汰のお手本のような妖怪ですから。」
「あんたに手紙を書いたことは、無いと?」
「ええ、そのつもりで言ったのですが。」
「もしかして怒ってる?」
「いいえ、妬いているんです。こいしの始めての手紙の相手が私じゃないとは、妬ましい。」
「妬くのは私の仕事でしょ?」
「憎らしいんでお株を奪ってみました。」
そこまで言った後、さとりは溜息を吐いた。
さとりも私もよく溜息を吐く、それは幸福を逃しているのか幸福を捕まえようとして失敗しているのかよく分からないが。
溜息を吐くたびに幸福が逃げるのであればとっくにそんな物は尽きているだろうから私達は構わず溜息を吐く。
自分が幸福だと思ってる奴らは妬ましい。
「とにかく、こいしにとってあなたは特別なんですよ、だってそうでしょう?地霊殿には一か月に一度姿を見せるか見せないかって妖怪がパルスィの所には一日二日あけずに来るんですから。家よりよく通っているとなるとそういった意味で受け取った方がいいでしょう?」
「………。」
「だったらその手紙は挑戦状と言うよりも…」
その時のさとりの言葉の続きは私には聞こえなかった。
風のうねりによってか
さとりがそこだけ言わなかったか
はたまた私が聞こうとしなかった所為か
ともかく、聞こえなかったという事実のみが残った。
私は何故か、それを問いただす気にはならなかった。
私の意識はときどきよく分からなくなる。
「ん、では帰りますか。」
暫くすると、さとりは踵を返して旧都の方に歩き始めた
私はしばらく迷った後、やはりさとりについていく事にした。
夕飯を奢って貰えるかもしれないし、もしかするとこいしの事で何か話があるのかもしれない、ぼんやりとそう考えながら橋を降り、岩の上を走った。
その時
背後から大きな爆発音がした。
やれやれ、どうやら今日の神様はすこぶる不機嫌らしいぞ。
やっぱり誰かが、私に囁いた、
【BGN 無題】
逃げ出した
不条理から不合理から不都合から
ただ逃げたかった
この世の中から
耳を塞いで 目を閉じて
でも現実は私をどこまでも追ってきた
そもそも逃げ出す事は出来る筈も無かったのだ。
私は現実に生きているから逃げられないのだ。
ならば変えてやればいい。
世界が変わらないならば自分を変えてやればいい。
そうして酷く誰よりも臆病な私は逃げ出した。
【§3 古明地こいしの生き方】
やはり、と言うべきか。
爆発音がしたのは橋からだった。
もうもうと煙が立ち込めている。
つぅ、と火薬臭と焦げた匂いが鼻をかすめる。
音と臭いの元凶は橋の対岸だった
「あらまあ…」
「うわっ…見事な穴だ。」
「大きいですね、随分と。慣れてるんですか?」
「ん、まあね。慣れたいもんじゃないけど。」
私が地底に来た当初はこんなことが日常茶飯事だった。
恐らくそれはさとりも同じなのだろう、少し険しい顔をしていた。
嫌われ者は何処に行っても同じ事を繰り返されるものだ。
「しっかしどでかい穴が開いたわね。」
「下手にとんちを利かせたお坊さんが落ちる穴ですね、きっと。」
「それって晩年髑髏を持って市内徘徊していた変人?何年前だっけ、それ。」
「恐らくは百年単位だったと思いますが。」
あれ、あの坊主ってどうやって逝っちまったんだっけ。どうせ碌な死に方をしなかったに違いない。
身近で爆発事故が起こっておいてよくもまあそんな事が悠々と考えられるもんだと心の中で苦笑する。
私達にとって重要な事は一つ
生きているか
死んでいるか
それと関係が無ければ幾ら身近な事でも蚊帳の外だ
幾ら身内が死のうが砕けようが知った事では無い。
もっともこれは、私だけの話かもしれないが。
少なくとも私は「あいつ」が目の前で物言わぬ肉塊に変わってもそれを冷淡に見つめているだけだった。
ああ、違ったな
私が変えたんだった。
私が「あいつ」の皮を剥ぎ
私が「あいつ」の爪を剥ぎ
耳を塞ぎ
目を閉じて
私が「あいつ」を
××したんだ。
××
××した
×
罰
罰罰
罰罰罰×
罰×罰×罰罰×罰×
罰罰罰×罰罰罰罰×罰罰罰罰罰×罰罰罰罰罰罰罰罰罰×罰罰罰罰罰罰罰×罰罰罰罰×罰罰罰罰罰××罰罰罰罰罰罰×罰罰罰罰罰罰×罰罰罰罰罰×罰罰罰罰罰×罰罰罰罰罰罰罰罰罰罰罰罰罰罰罰×罰罰罰罰罰罰罰罰罰×××罰罰罰罰罰罰罰罰罰罰×罰罰罰罰罰罰罰罰×罰罰罰罰×罰罰罰罰罰×罰罰罰罰罰罰罰罰罰×罰罰罰罰×罰罰罰罰罰罰罰×罰罰罰罰罰×罰×罰罰罰罰罰罰罰罰罰×罰罰罰罰罰罰罰罰罰×罰罰罰罰罰罰罰罰罰×罰罰罰罰罰罰罰×罰罰罰罰罰罰罰×罰罰罰罰罰×罰罰罰罰
罰
×
××
××した
私が
あいつを
××した
ワタシガ
アイツヲ
××シタ
あれ?
××ってなんだっけ
「あいつ」って誰だっけ
私って
何だっけ
「パルスィ、パルスィ!」
「あ、うん。」
さとりの声で目が覚める
色が混ざって混濁した混沌の暗闇の混乱から抜け出す
いや、引っ張り上げられる
地獄の綱は蜘蛛の糸なんかじゃなくってただの華奢な白だった。
「ごめん」
力が抜ける
思わず地面に倒れ込む
湖も無い地底で溺れるなんて洒落でもない
しかも自分に溺れるだなんて
「何処の自己愛者よ。」
「気をつけなさい、そういう事に関してあなたは昔から危うい。」
「知った口を利くわね。」
「実際知っていますから。読心能力は伊達じゃないですよ。」
「………。」
「どうしました?」
「ごめん、上手い冗談も言えない状況。」
どうやらだいぶ消耗していたようだ
意識を保つのも危うい、朦朧白濁としている。
ああ、目が回る
ぐるぐるぐるぐる
それはまるで世界が回っている様な感覚
ぐるぐるぐるぐる
気持ち悪い
少し眠ろう
眠れば、ちゃんと見えて来る筈だから
何を?
何かが、だよ。
ああともかく
疲れた
さとりとの繋がりがぷつりと切れて
私は、意識を手放して落ちて行った
深く
深く
何処までも
何時までも
ああ
暗いな
目を覚ますと、私は橋の欄干に体を支えられていて、さとりはちゃんと隣に居た。
嫌な夢を見たが現実は夢よりもリアルでまともだった。
「どうです?」
「大分良い、少なくともさっきよりは。」
「さっきっていつですか?昨日?」
「私が地面と接吻をした時よ。」
さとりはそれを聞いて「合格です」と言ったきり黙ってしまった。
びょおびょおと風が哭く音だけが微かに聞こえてくる
橋の上を地上からの風が吹いてくる。
さとりはうすぼんやりとした目でただ前を見ていた
胸の三つ目も心なしかぼんやりと虚ろっているようだった。
あの目も眠ったりするのだろうか
そんなとりとめも無い事を考える。
ぼんやりとした頭で思考の海を漂う
さとりは、いつの間にか眠っていた
毛ほども見せないが、疲れていたのかもしれない。
ひょっとしたら、今まで探し続けていたのかもしれない、こいつは強がりだから滅多な事では弱みを出さないから。
すうすうと穏やかな寝息をたてるさとりを見ていると、どうも世界が危うく見える。
世界の汚れがどうも目立って見える。
そう言えばこの厄介極まりない奴と知り合いになってしまったのはこいしに無理やり地霊殿に連れて行かれた時だった。
その頃私はさとりを見た事があるのだが、地霊殿の主と言う事もあったりして近くで見ることは無かったし常に近くに鬼が居たので近寄る気もしなかった。
こいしの姉だと言う事でどんな精神構造をした輩だと思ってよく見てみると案外普通、いや可愛い部類に入るものだったので驚いた。妬ましい、それが第一印象。
しかし中身は凄惨極まりなくて突然こいしと家に突っ込んできて料理を作らせるわ旧都まで引っ張って行って私を着せ替え人形にするわこちらの読まれると微妙に痛い歴史を的確に付いてきたりでこいしがああなる訳が分かる姉だった。
だけども
さとりは少なくとも越えてはいけない一線は分かっていた、そこを決して越えることは無く常に距離を取り続けた。
鬼やらなんやらがこいつらを忌避する理由は何だっけ、そうそう『心を読むから』だった。
でもこいつらは読んだ所で何にもしないし干渉してこない、それはこいつらのみの下らないポリシーってやつなのかもしれないけれど、少なくとも忌避する理由は無い。
やはり偏見なのだろう、下らないポリシーよりももって下らなくて醜悪で臭いたつもの。
さとりにもこいしにも、もしさとり妖怪の能力が無ければ今頃は平和に暮らしていたのだろうか。
そんな事を時々考える
万に一つも
億に一つも
例え那由多の彼方でも見つからない確率
しかし探さずにはいられないのだろう
その問題に、何よりも支配されている者ならば。
さとりも一回、一瞬は考えたことがあるのだろう。
あるいは、今考えている最中かもしれないが。
どちらにせよ同じく、変わりの無い事だ。
あり得ないことだと首を振って追い出したかもしれない
そういう世界も良いかもしれないと空想に胸を馳せたかもしれない
同じ事だ 何もかもが
もし、そんな世界があったらさとりも、こいしも大層人気があっただろう。
可愛いもんなぁ、こいつら、妬ましい。
私の中を、緑色が吹き上げる
噴水に乗って何かが吹き上げてくる
そいつは実体の無いようで実は肉がついている
霧が隠してよく見えないけれど、そいつはそのうすぼんやりとした中にちゃんと存在していて私に語りかけてくる。
ねえ、あなたは?
なにが?
もしも、橋姫じゃなかったら?
だれが?
貴方が
わたしが?
それは、どういう事だろう
私が「あいつ」に裏切られなかった世界?
それとも龍神の力なんて無くてそのまま子供と共に押し流されていた世界?
もしかして私の生まれなかった世界?
ありえない
それこそ万に一つも、億に一つも無い
でもさあ、それって
○○○にも言える事じゃない?
また声が聞こえる
どれでも同じなんだよ
たとえどんなに嘆こうが、喚こうが、暴れようが変えようがないんだよ、そんな事。
生まれて来たからには、来てしまったなら嘆いちゃ駄目なんだよ、きっと。
逃げた奴が良く言うわ
へへーん、私は第二の人生ならぬ妖怪生を謳歌しているのでーす。
この会話は、どこかで聞いたことがある
香り高い飲み物と共に交わした気がする
久しぶり家に帰って来たと思ったらなんて会話をしているんですか。
あ、さとり。私は砂糖もミルクもいらないわ。
そう言うと思って砂糖とミルクましましで持ってきました。
どんな嫌がらせよ、それ。うえっ、不味い。
まっくすコーヒーと言う名の飲料をミルク替わりに入れてみました、やたらと甘いので。
悪戯にも限度があるわよ…。
悪戯ではありません、嫌がらせです。
どうしてそんなことで胸を張れるのか分からないわ。
途中で「(無い)胸を張れる」と思いましたね、成敗です。
うわっ!ちょっと待ちなさい!
ねえねえパルしー、これ飲んでいい?
ふんっ!えっ?うわっ!良いけどあんた甘党だったっけ?おわっ!
ううん、パルしーが飲んだのだから。
前言撤回!それ返して!
もう遅い!紅茶は私の腹の中だ!
チェストォォオッ!
のわっ!あんたは、いい加減に、しなさいっ!
あべしっ!
さとり選手、ノックアウト~!地霊殿マッチ、勝者は水橋パルスィ選手です!さあ私と勝利のキスを!
いらんわ!
ああ、そうか
これはあの時の会話だった
あの時の他愛のない会話の再現だった
そうか、『もし』なんて無いのか、あいつには
あいつはそうやって全ての物を笑って受け流すのか
あいつの笑顔が
無邪気そうで実際何も考えていない笑顔が
頭の中をぐちゃぐちゃに掻きまわす
何も考えられなくなる
もういい
もういいや、また寝てしまおう
落ちてしまおう 微睡の中へ
再び温かい泥に沈んでゆく私の目の前には
満面の笑みを浮かべたこいしがいた気がした。
【間章 穴と鏡のある絵画】
心にぽっかり穴が開くって言う事は一体どういう事なのだろうか
多大な喪失感を得た時によくこの表現を使うけれどその時心はどんな状態なのだろうかね。
心と言う土台に大きな大きな穴が開いていてそれを見ている人が一人居る、そういう絵があったとするよ。
普通の者はそれを見て「心にダメージを負ってその穴を見ている人」と答えるだろうね。
だけど「心には元々穴が開いていてそれを凝視している人」とも見れるわけだよ。
つまりどっちともいえると思っているんだ。
喪失感なんて何かを失った時やふとした拍子に見つけてしまえるようなそこらじゅうに転がってるわけなんだ、要するに観測者の主観に頼っている状態。
小さな穴を大きいと思って大層腫れ者みたいに扱う奴もいるしそれがどんなに大きくとも見向きもしない奴も居る。
ただ、たまにね。穴の中で完結しちゃってる奴がいるんだよ。
穴を見つめすぎて想い過ぎてその中に落ちちゃったお馬鹿さんが。
そうなっちゃったらもう穴から誰かに引っ張り上げられなければ出て来れないんだけどそいつのなかでは完結しちゃってるから出てこようとしないんだよね、引きこもりみたい。
え?私はどうかって?
分からないなあ、なんたって誰の心の中にも鏡は無いんだから。
【§4 古明地こいしの日常】
目が再び開いた時、私はすっかり回復している様だった。
隣のさとりは相も変わらず眠りこけていたが軽く揺するとぬふう、とよく分からない声をあげて目蓋をゆっくりと開いた。
「あら、おはようございます。」
「おはよう、目覚めの気分はどう?お姫様。」
「最高に背中が痛いです、我が抱き枕。」
取り合えずぶん殴っといた。
寝起き一番それは無いだろう。
「痛いですね。」
「そりゃそうなるようにぶん殴ったもの。」
「いえ、背中がです。」
「そっちか」
「この痛みはパルスィの愛の証。」
「頭沸いとんのか。」
さとりは寝起きテンションの所為か少しおかしかった。
かく言う私も少し言葉遣いがおかしかったが全て寝起きテンションの所為だ。
「パルスィ」
「んう?」
「さあ、目覚めのキスを」
「ぶうっ!?」
さとりはやっぱりおかしかった。
さっきまではいつものさとりだったのだが何かそれとは違う。
心なしか肉食獣のような眼になっている。
こら、にじり寄って来るな。
「ふうーっ、ふうーっ」
怪しげな唸り声も出している
危ない、何が危ない?
さとりの理性が?私の衣服が?
それは、貞操の危機と言う物です。
天の声が聞こえてきた気がした、そんなところで囁いていないで助けに来い。
そんな事でしどろもどろしていたらとうとうさとりが飛びかってきた。
「うわっ!こら、耳齧るな!甘噛みするな!」
「ぐるるるる」
「やめなさい!やめなさいって!」
「はい、やめます」
「え?」
さとりはさっさと立ち上がって何でもないかのように見つめてきた。
「ちょっとさとり・・・」
「はい?何でしょう。」
「さっきのは何なのよ。」
「ははあ、ただ単にからかっただけですが。それとも発情期ですと言えばよかったのですか?何なら今襲ってあげましょうか」
「いや、いい。止めて頂戴。」
本気なのかそうでないのか分からないのがこいつの怖い所だ。
「冗談はさておき・・・どうします?この爆発跡。」
「修理しかないでしょ、このままなんて気持ちが悪い。」
「そうなると鬼を呼ぶことになりますね。あなたでは修理できないでしょうから。」
「そうね」
「困ります?」
「当然」
鬼に修理を依頼するのは良いだろう、どうせ私ではできない仕事だ。
問題はその鬼なのだ、どうやったって私と鬼の間柄は険悪極まりない事になっている。
この間なんか四天王の・・・誰だっけ、そう萃香とか言う輩に『下賤な妖怪』と言われてしまう始末だし。
あながち間違いでもない、むしろ的を射た表現だが。
ともかく誰だって苦手な奴の近くには寄りたく無い。
かと言って旧都に滞在するのも同じ理由で避けたい。
となると、野宿?
プライドを捨てて野に伏すか
いらいらおどおどしながら待つか
私とすれば断然前者だ、プライドなんて無いも等しい。
でも野宿は体のあちこち痛くなるから苦手だ、でも心の安穏は捨てがたい。そういえば寝袋は何処にあったか。
もはや野宿前提だがくだらない事でダブルバインドに陥っている私を助け上げたのはまたしても華奢な白い手だった。
「なんなら地霊殿に泊まって行きます?丁度空き部屋が一部屋ありますし。」
「是非そうさせて下さい。」
かくして私は地霊殿の一員となった。
「計画通り」
「何か言った?」
「いいえ、何にも。」
場所は再び地霊殿に映る
「こんなに移動したのは今日が初めてよ、疲れた。」
「移動するのは今日が最後になるかもしれませんよ。」
「なにそれ」
「いいえ、何でも。」
さとりは思わせぶりにくっくっと笑った。
「ああ、ここがこれからのパルスィの部屋ですよ。」
そう言われた部屋の扉には一枚のプレートが掛けられていた
「『古明地こいし』って・・・ここ、こいしの部屋?」
「はあ、そうですが。私はこの部屋に入ったことが無いですが。」
「そうですがって・・・あんた。」
「何なら私の部屋に住みます?可愛がってあげますよ?」
「いえいえ、滅相も無い。」
さとりの部屋の住民なんかになったら何をされるか分からない
良くて言葉通りの意味、悪かったら・・・
「・・・調教?」
「・・・。」
「・・・黙るな、怖い。」
・・・これ以上いらぬ想像に走るのはやめておこう、嫌な予感しかしない。
さとりはそのまま欠伸をしながら自分の部屋に帰って行ってしまった。
大方自分の部屋に眠りにでも行ったのだろう。
「さて・・・。」
ドアノブに手を掛ける
この先にこいしの部屋が・・・。
果たしてどんな空間が広がっているのだろうか。
呪いアイテムとかが詰まった空間か
それとも何もない空間か
いや、何を動揺しているのだ
さっさとドアを開けてしまおう。
しかし扉を開いた私を待っていたのはそんなとんちきな部屋ではなく。
至って普通の平凡な部屋だった。
強いて違う所を言えば人形が少し多い所か。
ちみっこい人型の人形
機械仕掛けの大道芸人が使ってそうな怪しい人形
やる気の無さを前面に押し出した少し湿っている白黒の人形
何処かに電気でも貯めてそうな人形
青狸の人形
「どこからこんなに集めて来たんだか。」
清潔なベッドの上に寝転ぶ、ふかふかだ。こいしが妬ましい。
「ここをこいしが使っている訳ね・・・。」
こいしの笑顔が頭に浮かんでくる。
そう言えばあの無邪気そうな笑みとはいつ頃から付き合い始めたのだろうか。
随分昔な様な気がする。
思い出す限りでは、さとりよりも付き合いが長いのでこの世では一番長い付き合いと言う事になる。
人間だったころの付き合いなんて親でさえほんの十数年だったし。
いつだって家に乗り込んできて好き勝手やってるが最初からそんな関係だった訳では無い・・・と思う。
確かこいしと私が初めて会ったのは、いつ、どこでだったか。
思い出せない
頭をひねっても思い出せない
旧都でばったりと会ってしまった?
無いだろう、そんな事になったら嫌でも誰かさんが記憶しているはずだ。
上から降ってきた?
湧いてきた?
机に座っていた?
服の中に潜り込んでいた?
私はこいしを何だと思っているのだ。
それとも白馬に乗ったこいしが私を迎えに来た?
ないないないない、ありえない
駄目だ、思い出せない、ちっとも寸分たりとも思い出せない。
ぴらり、と懐から手紙を取り出す。
「無意識は、あなたの二重扉の奥に、ねえ。」
こいしはこの手紙にどんな謎かけをしたんだろう。
何処に隠れているんだろう。
そもそも何故急にこんなことを始めだしたんだろう。
分からない、ちっとも理解できない。
そもそも私は何故こいしを探しているのだろう。
それがそもそも分からなくなってきた。
さとりに聞きに行ったところまでは暇つぶしのつもりだった。
でも時間が進めば進むほどにそれがどうにも怪しくなってくる。
果たして私は本当に暇つぶしのつもりでこいしを探しているのだろうか。
もっと別の考えがあるのかもしれない。
あるいは、何も考えずに探し出したのかもしれない。
こいし
古明地こいし
日常の中で暇なときはいつもこいしが居た
暇じゃない時もこいしは居た
嬉しい時も、悲しい時も
そんな時は滅多にないが数年に一度はそんな日だってある
そんな日もこいしは隣にいた
怪我をしていた日もあった
雨に濡れてぐしょっぐしょになっていた日もあった
なぜか涙を流している日があった
さとりと喧嘩してきた日もあった
怪我に包帯を巻き
濡れた髪を拭いてやり
抱きしめてやり
さとりと仲直りさせた
我ながら妬ましくなるほどにこいしの面倒を見ていた。
旧都見物をしたこともあった。
初めて見る物が多すぎていつもより多めにじたばたする足をどうどうとなだめていた
さとりとこいしと私で夏祭りに行った時があった
花火を見に行き、屋台を楽しみ、私は地上に居た頃の記憶をひっくり返しながらさとりとこいしに祭と言う物を説明していた。
地霊殿で他愛のない話をしていた
橋の欄干に腰掛けて下を眺めていた
昼寝につき合わされた
飯をたかりに来た
気が付くと私の時間は、いつもこいしと一緒になっていた
こいしが私の日常に組み込まれていた
ははあ、道理で暇になる訳だ
道理でこんなにも変な感じなんだ
こいしは、思った以上に私に接近していた
私の日常にはいつの間にかこいしが居座っていた。
いつも隣にはこいしがいた
こちらの壁をよじ登って笑っていた
いつの間にか私はこいしの事が――――――――
私は、何を言おうとしていたんだろう。
どうもこいしの笑みには私を狂わせる何かがあるらしい、また頭がくらくらしてきた。
パルさん
好きだよ
こいしが何度も言っている言葉が反芻される。
ぐわんぐわんと頭の中を跳ね返る。
こいし、何であんたはそんなに私に囁くの
そんなこと言い続けないでよ
囁かないでよ
私、あんたの事××になっちゃうじゃない。
怖いのよ
それが
また何にも無くなっちゃう事が
伸ばした手の先に暗闇しかないことが
ねえ
だから
誰か私を××してよ。
ねえ
こいし
【間章 ある橋姫の日常】
少なくとも人間には三種類しか居ない
誰かが隣に居ないと安心できない者と隣に居ても居なくても変わらない者、そして誰も隣に居ない方が安心できる者
一番目は一般人
二番目は能天気
三番目はあぶれ者
少なくとも私は一般人だった。
そもそも三番目は周りには居なかった、それはよっぽどの変人か何処か壊れてる奴だろう。
そう思っていた
赤が滴る何かを放り捨てる
今は?
今はどうだろう
分からない、居ても居なくても良いかもしれないし居ない方が良いかもしれない。
どうでも良い、どちらでも良い。
ぺたりと茶色に座りこむ
孤独とは何なのだろう
寂しいと孤独感の違い
少なくとも三番目には何の関係の無い話だ
彼ら、もしくは彼女らが感じるのはそれでは無い。
じわじわと茶色が赤に侵されてゆく
目の前の肉塊を見る
数分前まで生きていたこいつらは少なくとも一般人だったに違いない
手を繋いで逢瀬をしていたこいつらは少なくとも他人が近くに居て初めて幸せを感じられる奴らだったに違いない。
妬ましい
ああ妬ましい
自分は今どんな顔をしているのだろうか
壮絶で凄惨な笑みか
鬼女の様な怒りか
今にも泣きだしそうな顔か
どれにせよ私の心はぽっかりと空いたままだ
どんなに喰らっても
どんなに殺しても
どんなに嘆いたふりをしても
やっぱり私の心は空っぽのままで空虚だ
空虚な洞にただ一人取り残された気分だ
その穴の中には一緒に居る人がいた
周りにはいろんな物があった
これからも詰め込んでいくつもりだった
だけど、もう無い
いつの間にかその穴は何にもない洞になっていてそこにぽつんと一人で入って居る私もやっぱり寸分たがわず同じような何も無い洞だった。
洞から見た空はただの黒で塗りつぶされていた
いつまで膝を抱えて蹲って震えていればいいのだろう。
後どれだけしたらこの洞は私以外の物が入るのだろう。
もしかしたらその時は二度と無いのかもしれない。
そうだ、さっきの問いの答えが分かった。
私は普通の一般人だった。
『人間』には三種類しか居ない。
私はもう、人間じゃなかった。
ただ、どこまでも妖怪になっていた。
【§5 古明地こいしの手紙】
一日に何度も眠ると何日経ったのか分からなくなる。
私はぼんやりとした思考で天井を見つめていた。
幸いこの部屋には大きな柱時計があるので脳内と現実の時間の不一致を矯正する。
あれから私は5時間ほど眠っていたらしい、ここ一日で私が起き上った回数は4回程となる計算だ。
時計の短針は丁度7を指している。
コンコン
軽い音と共にお燐が入って来た。
猫車の代わりに食事の乗せられた荷台のような物を引いて。
そしていつもの服装では無くこの間宴会で見た吸血鬼の従者のような恰好をしていた。
「これはメイド服って言うんだよ、お姉さん。」
「その服の名前は私も気になっていた所よ、それより何でそんな大層な格好をしているのかしら。」
「気になる?」
「ものすごく気になる。」
「あたいが着たかったからだよ。」
「聞いて損をしたと感じるのはこれが初めてよ、光栄な事ね。」
「はは~っ、光栄です。」
こちらの愚痴を軽くかわした燐はくるっとその場で一回転した。
・・・さとりやこいしといいこいつも、どうして地霊殿にはこう見てくれが良いのが集まっているのだろうか、あのバ鴉も八咫烏取り込んでから無駄に体型が良くなったし。
「まあそれは置いといて、私はお姉さんと話をしに来たんだよ。」
「話?」
「こいし様の事についてだよ。」
「・・・ふうん。」
「『興味大有り』だね、その反応。」
「さとりに聞いたのかしら。」
「ん、そうだよ『パルスィがそっけない態度を取ったら興味大有りの印』だってさ。」
「・・・あいつめ。」
「『そこで寸止めすると良い表情が見れる』とか言っていたけどあたいはそんな意地の悪い事はしないよ。」
「それってさとりのことを意地が悪いって言ってるのと同じじゃない?」
「あははは、無礼講だよ。それよりもお姉さん。」
とたんに燐の表情が険しくなる
先程とは打って変わった様な厳しめの表情
「何時までこいし様から逃げてるつもりだい?」
「逃げる?」
「あたいの目からはお姉さんは逃げてるようにしか見えないんだよ。それもただ逃げるんじゃなくってやり過ごす、って感じだね。」
「・・・。」
「大方こいし様は人形みたいに感情が無いと思ってるんだろうね。」
燐は白黒の人形を持つとぽいぽいとお手玉を始めた。
「私も確かにこいし様は無感情だって思うときはあるよ。でもさ、こいし様がたまに私達と一緒に食事をするとまず最初に何を話題にするか分かるかい?」
「・・・分からないわ。」
嘘をついた
大抵こういう場合自分のもっとも言われると困る事を言われるのは目に見えている。
「お姉さんの事だよ、いっつもこいし様は今日はパルスィの寝顔を見ただの団子を食べただのパルスィの下着の色は黒だっただの報告するんだよ。」
「・・・いろいろと言いたい事はあるけど続けて。」
「その時こいし様はすっごく嬉しそうな顔をしてるんだよ。」
「こいしはいつも笑顔じゃない。」
「そうじゃないんだよお姉さん、『笑顔である事』と『嬉しそうな事』は必ずしもつながらないんだ。こいし様はお姉さんの事を話す時が一番嬉しそうなんだよ。さとり様は妬いてるけどね。私は嬉しそうにしているさとり様を見るのも、嬉しそうなこいし様を見るのも大好きなんだよ。だからこそね、お姉さんが許せないんだ。」
「・・・こいしの気持ちを何で汲んでやらないかって事?」
「その通りだよ、お姉さん。分かってるんだろ?分かっててこいし様から逃げてるんだろう?『感情が無い』って判断だけで誤魔化して逃げているんだろ?」
「・・・・・・。」
「逃げる事はそんなに悪い事じゃないよ、その方が楽だしね。現に私もいくつかの局面逃げて流されて此処に居る訳だよ。でもねお姉さん、あんたは人を待たせてるんだ、何年も何年も選択肢から逃げ続けてるんだ。逃げられるわけは無いんだよ。」
燐はこちらを強く睨む
それはこちらを攻めている様な目つきで
「お姉さん自身もそうだよ、どうせ『自分は橋姫だから愛だのなんだのって言うのは無関係だ』とかなんだか考えてないかい?」
何も言えない
ただ図星だったから
私は臆病なのは分かっていた
橋姫なんて結局言い訳に過ぎないのも分かっていた
それでも誤魔化さずにはいられなかった
気付くのを恐れていた
傷つくのが怖かった
「まあ私はお姉さんの事は分からないけれど。少なくともね、こいし様はちゃんと考えて、ちゃんと感じているよ。人形でも機械でもない、ただの妖怪だよ、でなければあんな表情はできない。でも私の言える事はそこまでなんだよ。後はお姉さんの問題、お姉さんがやっぱりこいし様には感情が無いだの思ってたりお姉さんが動かなかったら何にもならない、もちろん何にもする気が無いなら強制しないしあたいにはできない。でもねお姉さん、怯えて恐れて怖がって逃げてばかりだったらあたい怒るよ、大切なご主人様がこれ以上そんな理由で待たせられるのは堪らないんだよ。」
一気にまくしたてた燐は軽く息を荒げていたがすっきりとした表情だった。
「お姉さん、素直になりなよ、答えはもう出てるんだろ?」
「さとりの受け売りかしら。」
「さとりさまも似たようなこと言ってたよ、でもさとり様ははっきりと物事をつけないんだ、どうでも良い事はずばずば言うくせしてそういう所になると臆病になっちゃって苦しそうな表情をするんだ。だから私が代わりに言ってやるってわけさ。」
そのまま「後で食器は取りに来るよ」と言って部屋から出て行ったメイド服の後ろ姿を私はただ眺めていた。
こいしの机の引き出しを何ともなしに開けてみる事にする。
下段 中段 上段
特に目を引く物は引き出しの中には入っていなかった。
「・・・まったく、何やってんだか。」
私が最上段左端の引き出しを戻そうとした時に違和感は現れた
引き出しの裏に何か引っ付いている
それは封筒だった
表には「パルスィへ」と書かれた封筒
そして中に一枚手紙の入った封筒
懐を見るとさとりから受け取った手紙はちゃんと入っている
暫く考えて私はそれが何なのか気が付いた
――――――――――こいしの部屋に手紙を入れた封筒が置いてありました、表紙に『パルスィへ』と書いてありましたから恐らくはあなた向けだと思います。
・・・やられた
さとりは一言たりとも「手紙はこの一枚」とは言っていない。
思い返してみるとさとりの行動は最初から怪しかった
こいしからの手紙に気が付いていて宛先に私が書いてあっても私を呼ばなかった
あの爆発事件があった時にも地霊殿に来るよう誘導したのはさとりだった
あの橋がなぜ爆発したのかもさとりが噛んでいる可能性が高い、私の記憶している限りでは橋に来ていて怪しいのはさとりかこいししか居ない、勇儀やヤマメやキスメや燐やお空も来ることは来るが隠れて何か行う事に向いて無かったりそんな技術持っていなかったりだ。
第三者も考えられるが私の寝ているときに来ても私はすぐ気付くようになっている。
だとしたらさとりだろう、こいしがさとりに何かお願いをしている事ぐらい容易に考えられる。
しかし何故さとりはそんな回りくどい事をしたのだろう。
橋を壊す為?
それによる利点が浮かばない
目くらまし?
ありうる話だ、私をなにかから目を逸らさせようとした。
だとしたら何を?
分からない
とりあえずもう一枚の手紙を読んでみる事にする
こちらの手紙もやっぱり一文だけ、しかしそこにはこいしの居場所が書いてあった。
初めて出会った所で待ってるよ
「これじゃあまるで・・・」
昨日さとりが言っていた事の続きが分かった
――――――――――だったらその手紙は挑戦状と言うよりも…
「恋文じゃない」
思い出す
私が「あいつ」に呼び出されたのはこう言った謳い文句だった
大事な話がある
私達が初めて会った橋の上で待っている
あり得ない話だが、もしそれを知っていたならばこいしの性格は凶悪極まりないだろう。
まだ世界が光り輝いていたあの頃の事は私には辛過ぎる。
長く地底にいたせいだろう、その輝きは私を焼くのだ。
「年貢の納め時かね。」
逃げ続けてきた
ただひたすらに逃げ続けてきた
私を追う物から
私に手を差し伸べてくる者から
失いたくないならば得なければいい
自分が零で底辺であれば何も失うものは無い
そう思ってきた
馬鹿な話だ
私はただ壁を向いて振り返らない様に座りこんでいただけだ。
本当は穴の中にはもう沢山の物が詰まっている事が分かっていたから。
振り向かないといけない
本当は私もそうだったから
他人の温かさを知っているから
隣に誰かがいる事の安心を知ってしまったから
朝食をがつがつと食べる。
気品なんて関係ない、そういった物はとうにごみ箱に捨てている。
「行きますか」
こいしを探しに。
地霊殿のエントランスでさとりに出くわした
こいつが居たから色々と厄介なことになったけれど結果が全てなので礼を言おうとするとさとりが遮った、そう言えばこいつには言う必要が無い。
「・・・鬼がもうすぐ橋に行くそうですよ。」
「分かったわ」
「こいしを連れて帰って来てくださいね、今日はパルスィの好きなオムレツですよ。」
「それはこいしの好きな物じゃないの?あいつは何でもかんでもパクパク食べるけど。」
「いいえ、あの子の好物は二つあります、一つ目はエビフライ、二つ目はあなたの料理だそうですよ。」
「・・・ありがとう。」
「いえいえ」
「あと、もう一つだけ聞いていい?」
「なんでしょう?」
「あんたこいしから何を頼まれたの?時間稼ぎ?」
「いいえ、私が頼まれたのはただ一つだけ。『パルスィがこいしを見つけられるようにアシストして』です。」
「全く逆の事しかしてないじゃない。」
「私は天邪鬼ですから。それはパルスィ、あなたも同じ事でしょう?」
私達はやっぱりよく似ていた。
【BGN 眼中模索】
その目は暗い光を宿していた
何処となく漂う気怠さ、倦怠感
こいつはどこかで外れてしまった奴だ
敷かれた線路から落っこちてしまった奴だ
さとりに似た空気を漂わせている
いや 厳密には違う
さとりはこんなに全てを諦めたような表情はしない
こういう奴を私は一人知っている
どこかで一人知っている
誰だっけ、思い出せない
とんでもなく近くに一人いる気がするのだけれど
【§6 古明地こいしの○○】
旧都の石畳を歩く
多分後ろからは監視役が付いているんだろう。
旧都住民もこちらを明らかさまに避けている。
慣れっこになるとこの程度どうということは無い。
初めて会った場所
私とあの変てこな連中との付き合い始めた場所
ようやく思い出した
それこそがさとりが橋を爆破した理由だった。
「よくもまあ忘れられていたもんだわ。」
あんな奇怪な出会い方をしておいてすっかり忘れているなんて。
よほど私の日常は奇怪に溢れていたに違いない。
旧都の端にある門を潜る
そのまま歩いて橋に辿り着く
まだ鬼たちは来ていない、僥倖僥倖
あのこいしからの手紙はちっとも謎かけではなかった
ただ事実に少し謎めいた雰囲気を出しただけで。
それを一枚目の手紙を隠す事で難しい謎に仕立て上げたさとりには流石と言うしかない。
私の家の扉を開ける
ぼろぼろの扉はぎいいと嫌な音を立てて開いた、後で油を注しておこう
私はそのまま部屋を進んで『もう一度扉を開けた』
そこにはやっぱりこいしが居た
無意識は、あなたの二重扉の奥に
何と言う事は無い
こいしはあの時、私の家の押入れの中に入っていたのだ。
【間章 さようなら日常】
押入れを開けると何か青いのがこちらを見ていた
じーっとこちらを見ていたからこちらもじーっと見返した
無感情そうな無愛想な顔だったが妬ましい顔つきをしていたので対抗してこちらも無愛想に見返した。
小動物の様なそいつの胸からは管が付いていてその根元には閉じた目玉が付いていた。
どこかで見た事のある顔だったので頭の中の引き出しをひっくり返して思い出すとそいつは地霊殿の主の妹だった。
なんでそんな大層な身分の奴が押入れの中いるのかさっぱり分からないが厄介なことになった。
私は地霊殿の主・・・確か古明地さとりだったっけ、そいつの事をよく知らないしこいつが何か意味を持ってここに来たのだとしたらここまで面倒くさい状況は無い。
はて、こんな時は何をすればいいか。
生憎私は必要最低限の者しか持たない、娯楽の為の物なんか当然だし来客も居ないのでそれ用の菓子も無い。
どうするか
あ、そうだ。確か緑茶があった
「お茶の用意をするわ。」
なんとなく気まずい空気だったのでさっさと台所に行こうとしたらそいつはまだ押入れの中に入ったままだった。
「せめてそこに座ったら?」
ちゃぶ台を指してそこに座るよう言うがいっこうに動かずこちらを見ている
何だこいつ
そのままそこに居座られても困るので腰を持って持ち上げる、驚くほど軽い
とりあえず畳の上に配置し終わったので湯を沸かしに行く事にする
それにしてもこいつと似ている奴をどこかで見た気がする。
◆ ◆ ◆
気が付いたら何か暗い所に居た
照明が消えてるのかと思ったけどそうでも無さそうだ
どこだろう、ここは
とんでもなく狭くて暗い場所だ、それに埃っぽい
ガラリと言う音と光がふいに入って来た
どうやらここはどこかの家の押し入れらしい
しまったな
逆光でよく見えないが間違いなく今押入れを開けた奴は驚いた眼でこちらを見ているだろう
その後の事は分かり過ぎるほど分かっている
大騒ぎになるだろう、暴力沙汰になるかもしれない
ああ、面倒くさいな
いっそのこと目の前のこいつを黙らせちゃおうか
目が慣れて来たのでよくその顔を見ておくことにする
一言で言えば美人だった
くすんだ色のあまり手入れをされてない風な金髪とか農家の服装をしていたが美人と言い切れる綺麗な人だった
その眼はちっとも驚いてなくってただ不愛想にこちらを見ていた
何だか悔しかったのでこちらも無愛想に見返してやったらきっと怯むだろうと思ったらますます不愛想にこちらを見て来た
何だこいつ
こんなの知らない
この胸の第三の目が見えないのだろうか
いや、そっちも凝視している
暫くそんな状態が続いてそいつは口を開いた
「お茶の用意をするわ。」
何だそれ
何故か押入れに入っている私を恐れずに普通に台所に向かうか?
いやいや、第一声がそれなのか?
そしたらそいつはこちらを振り向いてやっぱり不機嫌そうに床を指さしてまた口を開いた
「せめてそこに座ったら?」
唖然とした
つまり私は客として迎え入れられてるわけだ
あり得ないと思っていたことが続いて半ば茫然自失としている私をそいつはひょいと掴みあげた
ふんふんとこちらを見ている
なんなんだこいつ
私を床に座らせたそいつはさっさと扉の向こう側に行ってしまった
それから緑茶を出されて普通に飲み終えて「家族が心配しているかもしれないから早く帰れ」的なことを言われて普通に帰ってお姉ちゃん初めお燐にも驚かれて普通に夕食を食べて普通に風呂に入って普通にベッドに入った
何なんだあいつ
ベッドの中で思い出す
何にも興味が無さそうな気だるげな目をしていた
お姉ちゃんによく似た目だった
凄く 興味深い
よし、明日もあの家に行こう
あいつを驚かせてやる
それにしてもあいつと似ている奴をどこかで見た気がする。
どこだったっけ
【終 水橋パルスィの日常】
かちっかちっ
柱時計の音がする
かちっかちっ
ぼーっとした目で時計を見るとまだ短針は5を指してもいなかった・
まだ眠れる
再び沈み込もうとする私を誰かが激しく揺さぶった
ゆっさゆっさ
とりあえず無視して眠り込む
ゆっさゆっさゆっさゆっさ
更に揺さぶりが速くなる
終いにはそいつは耳元で大声を立てた
「パルさぁぁぁぁん!!」
「うるさぁぁぁい!!」
朝っぱらから何をやっているのだろう。
と言うか何時の間にか私はベッドに入っているのだ、確か昨日は床で寝たはずだ。
「どうせ無意識にベッドに入れたんでしょう。」
「昨日は激しかったですね。」
ベッドの下から埃まみれのさとりが姿をあらわした
「あ、お姉ちゃん。」
「あんたはなんて所に居るのよ・・・。」
「床に居るのです。」
「そういう事じゃないわ。」
あれからこいしを連れ帰った私だったが穴が橋の基部まで損傷させていた為、急遽橋ごと作り直す事になった。その報告中さとりはしきりににやにやしていたがわざとじゃないだろうな。
結果として私が地霊殿に逗留するのは奇しくも40日前後となった。
空いている部屋はこの部屋だけだと言う事なのでこいしと一緒に寝泊まりしているがさとりやたまに燐まで侵入してくるのは何とかしてほしい。
「そう言えば今日の夕方から『地底―地上間開通記念式典兼第三百九十四回夏祭り』があるそうですよ、三日間ぶっ続けだそうです。どうせ夏祭り主体だそうですが。」
「わあお!ぐっどたいみんぐ!パルさん早速行こうぜ!」
「今日の夕方からって部分が聞こえなかったのかしら。」
「私も着いていきますよ、ヨーヨーのさとりとは私の事です。」
「随分とまあしょぼい二つ名ね。」
「射撃のこいしとは私の事だ!」
「射撃!?」
恐らく今日の朝食はどうせ私が作らされる羽目になるだろう
これから私達はこいしに引っ張られて夏祭りに行くだろう
浴衣を着るときに一悶着あって
屋台でも一悶着あって
とりとめのない話をしながらこいしは私の肩に乗るだろう
夏の暑い熱気は地底には届かねど、地上の活気は地底にも届くだろう
それが地底の日常の一部分で
それは私の大事な日常だった
部屋の開いた窓からは新しい日常の新しい風が吹き込んできた
終わり または始まり
お空の力は安全って触れ込みだけど
こいしってほんとアクティブだわねぇ
とても濃くて良かったです
さとパル待ってますよ!
こいしちゃんのイケイケな構ってぶりも良いが、
さとり様のいきなり懐に飛び込んでくる様な構ってぶりも捨てがたい。。。
待ってます。貴方の描く地獄の街の皆を。
さとりちゃんが妙に意地悪なのは、やっぱり妬ましかったからかなあ
とか言いたいことは山ほどありますがとりあえず。
やったあああああああああああこいパルフワァッホオオオオオオオウ
ただちょっと誤字が目立ったかな…と
というわけでカット分を所望する!
勇パル派の俺さえぐはぁとなった。いいストーリーにカップリングは関係ないらしいね。
できればカット部分も読みたかったりします。いつか読めたらいいなぁチラッ