「ま……魔理沙。一緒にお風呂入らない?」
博麗神社の夜。
周囲には酒瓶が散らかり、多くの人間、妖怪が雑魚寝をしている中で――霊夢は私に、顔を赤くしながらそう誘ってきた。
「お、なんだ霊夢。そんなに顔赤くなるまで飲んでおいて、風呂入るのか?」
「な――こ、これはお酒じゃなくて、そのっ」
「……?」
お酒じゃなくて、何だろう。風邪? なら尚更入らない方がいいんじゃないか?
その旨を霊夢に伝えると、霊夢は更に顔を赤くして私に殴りかかってきた。
「いってえ!? なんだよ突然!?」
「うるさいうるさいっ、アンタは私とお風呂に入ればいいのよアホっ」
殴られた上にアホ呼ばわりである。
大変ご立腹な様子の霊夢にこれ以上私が逆らえる筈も無く、引っ張られるがままに私は脱衣所へと向かうのであった。
◇
開かれている間はどんちゃん騒ぎで賑やか、終わるとそれが夢だったかのように静まり返る。
それが宴会だという事を私はとっくに知っていたし、その静けさが好きでもあった。
「静かな博麗神社もまたいいもんだよな、霊夢」
「私はいつも静かでいいんだけどね」
博麗神社の裏山。湯船に浸かりながら、私と霊夢はそんな会話を交わす。
程良い熱さの温泉は、以前怨霊と共に湧いて出たもの。あの時は困り果てた物だが、今では怨霊が出てくる事も無くなり、ただ温泉が沸いたという幸運を純粋に楽しんでいる。まあ役得だろう。
「ふう……そろそろ身体でも洗うかな」
少しのぼせてきたところで、一旦湯船から上がり身体を洗う事にする。
露天風呂ゆえ、冬は湯船から出ると滅茶苦茶寒い。しかし、夏はのぼせた身体に丁度良い夜風が吹いて、とても心地良いのである。
「あ……魔理沙」
「ん。なに?」
湯船から上がったタイミングで、霊夢が私の背中に声をかけてくる。
返事をしながら振り向いて霊夢の顔を見つめると、霊夢はまた顔を赤くして口ごもった。
「どうした霊夢、のぼせたかー?」
「の、のぼせてなんか……っ!」
そこまで言うと、霊夢は何か思いついたように押し黙る。
それから暫くの間俯いていた彼女は、火照った顔はそのままに再び口を開いた。
「……のぼせた……」
なんだそりゃ。
温泉から少し離れた場所にある岩に腰かけて、私は神社の風呂から持ってきた石鹸をタオルで泡立てる。
ある程度メレンゲ状になるまで泡立てたのち、それを使ってまずは髪の毛を洗う。いつもはシャンプーを使っているが、生憎神社にシャンプーは無いのである。
「……魔理沙」
「んー、なんだよ」
そう話しかけられた私は、顔だけ動かして霊夢に視線を移す。すると髪に付いた石鹸の泡が霊夢の顔に向かって飛び、同時に霊夢も奇声を上げて飛びのいた。
と、その時。濡れて滑りやすくなっていた地面に、霊夢が足を滑らせる。
「わっ!?」
「危ないっ!」
咄嗟に飛び上がり手を伸ばして、霊夢の右腕を掴む。
どうやら間に合ったようで、霊夢の身体は地面に倒れる事なく、私を支えに動きを止めた。
「おいおい危ないな……滑るんだから気をつけろよ」
「う…………ごめん」
風呂では服を着ていない分、こけたら一大事になりかねない。
そう霊夢をたしなめながら身体を引き上げて、それから掴んでいた手を離す。
霊夢は自分の足でしっかりと立ち、ふうと息をつく。それから不意に顔を赤くして、
「て、ていうか! アンタが泡飛ばしてくるのもいけないわよっ!」
「は、はあ? 泡……?」
「こうならない為に、今後は泡の取り扱いに十分な注意を払うことっ」
なんて事を言い始めた。ジョークかと思って霊夢の顔を見るが、ふざけている訳ではないようである。というか本気で怒っている様子だ。
なんで泡飛ばしただけでマジ切れされなきゃいけないんですか、霊夢さん。そんな言葉を口にしたら火に油を注ぐような事態に発展するため、内心頭を傾げながら「ご、ごめん」と謝る。
「……分かればいいけど」
……なんか立場おかしいんだよなぁ。
「あ……それより霊夢。さっき何か言おうとしなかったっけか?」
「え……」
不意に、さっき霊夢から名前を呼ばれたことを思い出す。
何か言おうとしていたようだったが、一体何だったのだろう。
霊夢は暫く口をぱくぱくさせ、それから俯きがちに、上目づかいで私を見ながら言葉を紡ぐ。
「その……さ。髪、洗ってくれない?」
「髪? ああ、別にいいけど……」
そう言っている間も、霊夢は顔を赤くしたままだった。
……なんだ、かわいい所もあるじゃないか。別に、これぐらい頼んでくれればすぐやるのに。
苦笑しながらも、岩に座った霊夢の後ろへ回り込み、それから再びタオルで石鹸を泡立て始める。
すぐに石鹸も泡立ち、霊夢もシャンプーハットを被って、準備も万端だ。
「……って、は?」
……シャンプーハット?
私の顔が凍りつく。泡だったタオルを持つ手が止まる。
「……なによ。笑うなら勝手に笑いなさいな」
「え、ええ、えええ!? 冗談……だよな?」
な、なるほど。これは笑いを取ろうとしてるのか。それにしても笑いのセンスが少し足りないぞ、霊夢。
そんな心中で霊夢を見つめるものの、霊夢から肯定の言葉が出る事は無い。
そこでようやく、私はそれが冗談でも何でもない事に気が付いて。
「ぶっ……」
大きな笑い声を、幻想郷の夜空へ響き渡らせる。
そして顔を真っ赤にした霊夢から、渾身の力でぶん殴られるのであった。
それから霊夢は数分間、泡が目に入るという恐怖を私に語った。
「そう、あれも今と同じ夏の事――泡の混じった水が額を伝って私の目に……」と力説する霊夢の顔は青ざめている。
なるほど、だからさっき泡が飛んだ時もあんなに過剰反応したのか……
「じゃあ霊夢、私を風呂に誘ったのもこの為か?」
「……悪い?」
「いや、悪かないけどさ……ふふっ」
シャンプーハットを着けた霊夢の髪を洗いながら、私は未だに笑いを抑えられずにいた。
というのもこの姿、非常にシュールなのである。シャンプーハットというのは私も使った事があるが、それはもう思い出せないくらい昔の話だ。
それをこの霊夢が着けているというのは、その殊勝な性格からは全く想像がつかない。
というか、年相応じゃ無すぎるような。
「うー……爪立ってる、魔理沙っ!」
「はいはい、申し訳ございません」
最早霊夢が何を言おうが全く迫力が無いので、適当にあしらってしまう私がそこにはいた。
それに対して霊夢も「ううう……」と悔しそうに唸るだけだから、私を尚も調子に乗せてくれる。
「でも、いつもは私がやってる訳じゃないし……誰がやってるんだ、これ?」
「……別に魔理沙には関係ないでしょ」
「じゃあ、このままの状態にして帰ろうかなー?」
「……アンタ、風呂から出たら殺す」
毒づいた霊夢はでっかくため息をついて、それから小さく言葉を紡ぐ。
「……紫よ」
「ほお、紫ねえ……じゃあ、何で今日は私に頼んできたんだ?」
「アイツ、今神社で酔いつぶれて寝てるでしょうが」
「ああ……そういやそうだったな」
なるほど、だから私にそのお役目が回ってきたという事ね。
――それにしても紫、か。何気なく、紫が霊夢の髪を洗っている姿を創造してみる。
絶対似合わないと思って想像したのだが――これが割と似合っていて、少し納得。
「でもさ、確か早苗あたりも起きてたんだから、そっちに頼んだ方が良かったんじゃないか? 私がこんな事する柄じゃないって事は分かってるだろ」
というか、普通に早苗がやった方が上手いに決まってるし。
そう思ったままを述べた筈だったのだが、霊夢は俯きながらボソボソと返事を返してくる。
「……まあ、そりゃそうだけど」
「……だけど?」
「~~~~! うるさい、あとは自分の頭で考えろっ!」
何故か突然怒り始めて、霊夢はだんまりを決め込んでしまう。
こうなってしまうと最早取り付く島も無い。髪を洗い終わるまで、霊夢は一度きりさえ口を開くことはなかった。
◇
お互いに髪と身体を洗い終え、もう一度湯船に浸かってから、私達は神社の脱衣所へ戻った。
汗を流してスッキリとした身体は、同時にほかほかとした暖かさが残っている。服を着て居間まで戻り、二人で縁側に並んで座る。
「夜風が気持ちいいぜ」
「そうねー……」
妖怪どもは今もぐーすかと眠りこけている。これは朝まで起きなそうだな、と霊夢と二人嘆息した。
「……魔理沙」
「……ん」
和やかな空気の中、自然な流れで私達は会話を交わす。
今日何度目か分からない霊夢の呼びかけ。しかしそこから会話が続くのは、これが初めてと言っても過言では無かった。
「もしかして……さ。私がアンタを選んだ理由、本当に分かってない?」
「ああ。全く分からん」
「堂々と言ってくれるじゃない。本当、魔理沙はバカね」
「その代わり正直だぜ。馬鹿正直って言うだろ?」
「意味が違うわよ、ばーか」
下らない会話をして、二人クスクスと笑う。
それからお互い黙って、先に口を開いたのは霊夢だった。
「人に髪を洗ってもらう、っていうのはさ……同時に人に背中を見せるって事でしょ」
「ああ、まあな」
「だから――」
躊躇うように、一瞬霊夢は口ごもる。
しかし、顔を紅潮させながらも、霊夢はその続きをしっかりと言葉にした。
「そういうのは、本当に信頼してる人にしか任せちゃいけない事なの。早苗とかを信用してない訳じゃないけど、でも――真っ先に思い浮かんだのは、魔理沙だったから」
俯くこともなく、ボソボソとした声になる事もなく。
ハッキリとした声で、私の目を見ながら霊夢は言う。
自分の顔に血が昇って行くのを、私は確かに感じた。今度は私が赤面する番らしい。
――しかし、だ。そう考えると、私は二番目という事にならないだろうか。
「……じゃあ、霊夢が一番信頼してるのは――」
「紫? そんな訳ないでしょ、あんな得体の知れない奴」
そんな疑問を、霊夢は一瞬で払拭した。
「アイツにやってもらってるのは、そーねえ……惰性みたいなもんよ。だからノーカン。日常の一コマとして風化しちゃってるから、そういうのとか関係ないの」
「……そういうもんかな」
「そうよ。こういうのは時々やってもらう方が、お互い楽しめるでしょう?」
その気持ちは分からなくも無かった。
いくら好きな食べ物でも、毎日夕飯に出されたら萎えてしまうような、そんな感じ。
程よい頻度で食べる事で、それを十二分に楽しむことが出来るというものだ。
「って――」
……ちょっと待て。時々やってもらう、って、まさか。
「勿論、またやってね。魔理沙」
「……そんなこったろうと思ったぜ」
言葉と共に苦笑を返す。しかし霊夢は、何故か突然真面目な顔になって。
少し顔を赤くしながら、再び口を開く。
「……また、やってくれる?」
真面目な顔に、子犬のような不安げな表情が覗いた。
……反則だ。そんな顔されたら、断るにも断れないじゃないか。
「ああ、勿論」
断る気も、更々ないけどさ。
こういうことですか?
そこから、かわいいよ霊夢!
ツンデ霊夢おいしいです。
こういうレイマリもっと流行っていいと思う
ありがちな朴念仁魔理沙でなく、霊夢の乙女心を分かっていつつもその気持ちから逃げている魔理沙とかでも楽しめそうです