Coolier - 新生・東方創想話

閉ざされた世界

2011/07/19 01:20:51
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―――涙が流れた。
頬をつたい、冷たくくすぐったい。
拭おう、そう考えたものの腕が動かない。両手がすでに塞がっているからだ。手のひらにほのかに暖かいを感じる。
―――いったい、何を触っているのか。
曖昧ににじむ視界の先に見えたのは、一人の少女。トクン、トクンと血液の流れが伝わってくる。誰なのか、判然としないのは少女の顔にかかる黒髪が目元まで覆い隠しているからか。どこか、懐かしい気配を帯びた少女。漠然とした思考が少女に関する記憶を脳から消去したのかもしれない。
―――なぜ、彼女の首を私が掴んでいるのか。
考え付く理由はとても簡単。
これから私は両手の力を強くしていけばいいんだろう。
それを強要させるかのような視線を感じる。私が彼女を見つめるように私を見る瞳。
ずっと見ていたい、少女の髪を、肌を、唇を。だけどそれを許さない威圧感。もちろんこのまま無為に時間が過ぎることもできない。力を入れようとするたびに流れる涙。それだけ私は彼女が大切だったのか、そんなに大切だったのならなぜ私は覚えていない。悲しみ。
ふと、少女の唇が動いた。弓の字に曲がる。笑う少女。
構うなと、殺せと、少女は笑う。
それは夢を終わらせる唯一の手段。幻想は現実のように鮮明な事象を描けない。それは今の私が見ている世界が証明している。
だから私は力を加える、現実へと帰還するように、少しずつ少しずつ少しずつ…
淡く漏れる少女の喘ぎ。簡単に肌は白く、冷たく変質していく。
―――そして夢は覚める。



目覚めとは突然だ。夢と現のスイッチを脳がしっかり切り替えてくれるからだろう。
曖昧ながらいい夢を見ていた記憶はないから寝覚めは良好とは言い難い。窓辺から流れてくる風が涼しくぼんやりしながら気分を持ち直す。
「起きたか、魔理沙」
襖を開けて入ってきたのは上白沢慧音であった。
なんで私の家に慧音がいるんだ?
ふと、疑問を抱いたがすぐに取り消す。そういえば私の家は森の中で今年の冬は例年より寒く、食料の確保に不便だったから慧音宅にお邪魔させてもらっていたのだ。
私のような突然泊りに来る人がいても困らないように作られた空き部屋らしく、読まなくなった書物の束が隅にぽつんと置かれてある以外は家具も含めて何もない質素な四畳半一間である。埃とカビの入り混じった匂い。
障子越しに漏れてくる光から日が昇って久しいと分かった。
「おはよう」
「魘されていたみたいだが怖い夢でも見たのか?」
無意識にうめき声をあげていたようだ。「怖い夢」という幼さの含まれる表現を使うあたり寺小屋で毎日、子供たちへ勉学を教える『先生』と言える。それでも、他人のそういう所にまで気を配れるのは慧音らしく、嬉しかった。
「うん・・・大丈夫だぜ」
目覚めの覚醒が今回は早く、すでに夢の記憶は霧散していた。どんな苦しい夢を見てもその苦痛を現実まで引きずり続けることは滅多にない。それだけ人の思考は単純とも、夢は夢、現は現と効率的に隔たりを持たせているとも考えられる。
起きて、睡眠中に凝った体をほぐす。随分と寝た気がするがまだ昼前だった。
「怖い夢なら忘れてしまった方が楽さ。心が夢に囚われることの無いようにな」
「優しいんだな、慧音は」
「え、ああ・・・」
目線をそらす慧音。あまりヒトから褒められたことが無いのか、気恥ずかしさを隠しきれない返答。ピュアな反応に私の方も恥ずかしくなってきたので話題をそらす。
「その優しさへの感謝に今日は慧音に一日付き合うぜ」
最近あまり外出していなかったから、その方が気分転換にもなるはずだ。
強引ぎみながら慧音と一緒に村内へと繰り出す。
外は秋も深まった頃のため、少し肌寒い。慧音の服装はしっかりしており村の中では浮いているものの暖かそうで羨まし思い、そのことを本人に告げると「布屋ならこの村にもあるから厚手の布を買えばいいじゃないか」と返ってきた、要は自分で作れと言いたいのか。服を私の好みで作ろうというのも悪くはない。一緒に帽子や装飾も作ると重石白そうだ。
「そういえば今日は何の買い物なんだ?」
今日の買い物は量が多く一人では人手が足らなかったと慧音からは喜ばれたものの、気まずい空気をそらすために軽々しく『付き合う』と言ってしまったことを後悔した。よりにもよって隣村まで行かないと手に入らないものまで含まれている。
「明日、子供たちに食事会を開くんだ」
頬を緩めて話す慧音。授業以外にも子供たちと触れ合う機会を設けていたとは意外だった。慧音との付き合いは私がまだ幼く、父と一緒に村で暮らしていた頃と長いものだと自負していたが知らない一面はまだあるということか。
「私の子供の頃はそんなことやってた記憶がないぜ」
少しの間であったが私も慧音から勉学を教わっていた。父親との件もありあまり思い出したくない時代の記憶だから曖昧ながら慧音からは講義を受けたことしか覚えてない。
「始めたのは少し前からだったからな」
「日々、教育ってのも変化しているわけだな」
妖怪と人間では一生と言っても数十倍の寿命の差がある。人間から見たら妖怪の変化など微々たるものであるが、それは決して停滞しているわけではない。
「魔理沙も参加するか?」
「いいのか?」
羨ましく思っていたのでその誘いは嬉しかった。人との触れ合いが最近はなかったから飢えていたのかもしれない。
「こういうのは大人数でやった方が楽しいからな。それに魔理沙は子供とも付き合いがよさそうな性格だからな」
「保育士じゃないんだぜ私は、過度な期待はするなよ」
「何も子守をさせようというわけじゃないさ」
「まぁ、子守ならちょうどいいやつが居るしな」
「ちょうどいい・・・?」
誰かと思考を巡らす慧音。右手中指を額に当て少し頭を下げながら考えるのが彼女の癖だ。
答えはすぐに至り。
「・・・妹紅か」
それは、慧音が唯一心を預けられる少女の名。唇を緩める慧音。
――人と妖怪、幻想郷の中、分かち合うことの無い二つのヒト。
妹紅と慧音。――人間でありながら永遠を手にした者と人間を妖怪から守ろうとする妖怪――互いに異端の存在である。それが要素として分かり合えているのだろう。
二人は私が子供の頃から変わることない関係を維持していた。妹紅は何かを教えてくれるわけではないが、多くの頻度で寺小屋へ赴き、私たちと遊んでくれた。
「今でも面倒見のよさはいいんだろ」
「本人は自分の性分じゃないなんて言ってるがな」
謙遜、というよりも気恥ずかしさを紛らわす下手な返しが妹紅らしい。そういう様子の妹紅を思い浮かべると笑いがでてくる。懐かしい。大人の女性、鋭い目つきで少し怖く、だけど世話上手で優しさのあった慧音の親友―――
――親友。不意に違和感を抱く。今朝の夢の反芻。何か重要なことが記憶から欠落している違和感。心に大きな穴が空いたような不安。何か、何を、思い出せない。
不安が心に広がり、既に現の意識は途切れていた。
「・・・・おい、大丈夫か魔理沙!」
身体を揺すられる感覚、目覚める意識。視界がゆっくりと色味を帯びてくる。
無意識の内に胸を抑え、立ち止まっていた。感覚的にわかるほど心拍数が上昇している身体を深呼吸で落ち着かせさせる。
「大、丈夫だぜ」
呼気も荒く誤魔化しきれるとは思わないが表面上は笑顔を繕う。
「帰って休んだほうがいい」
「いや、本当に大丈夫だぜ」
肩を貸し、身体をこれまで進んできた方へ転換させようとする慧音。彼女の肩から手を離し、大丈夫であることを示す。
ここで私が休んでいては必要な材料を今日中に揃える、会の準備まで終わらせるのは無理だ。状況が把握できたため心も落ち着いてきた。
まだ納得しきれていない慧音であったがここで時間を浪費することは得策でないと判断してか「また同じ症状を感じたら早く私にしらせるんだぞ」とだけ言い、私と手を繋ぎ歩を進めた。




慧音と共に買い物をしているうちに心の不安感、違和感は消え去り落ち着きを取り戻し再発することなく寺子屋まで着くことができた。これから先に準備を始めていた妹紅と一緒に夜のうちから準備を進める算段と慧音から伝えられた。
青かった空はいつの間にか茜色と紺色のグラデーションに変わり、東の空には無数の星が見える。
「今日はすまなかったな1日つき合わせてしまって」
両手が塞がる大量の荷物を降ろして一息ついていたところに声をかけてきた慧音。
彼女も私に負けず劣らない荷物を運んできた。
「気にするなよ、慧音と一緒で私は楽しかったぜ」
笑顔で返す。
人間の一生で一日の重要性は妖怪と比較して高い。だから彼女にはその一日を私自身ではなく他者のため使わせたことを悪く感じているのかもしれない。
「私も楽しかったよ」
恥ずかしげにそっけなくこたえる慧音。

買ってきた荷物を一種類ずつ確認する。量は多いものの種類はそこまでなく時間はそうはかからなかったが、一つ足りないことが分かった。
こちらの村で手に入るものなのは行幸だった。
私が買いに行くこと、慧音は妹紅と一緒に先に準備を始めていてほしいことを告げ商店へと向かう。
寺子屋は村の外れに位置している。店を閉める時間にはまだ早いがが、そこそこ遠くに位置する。
だから村の中を突っ切るのではなく外から向かう近道を使うことにした―――
村の端を回るため、辺りは暗いが歩くのに不自由するほどではない。
店の場所は記憶済みなので駆け足で進む。
道中、暗さ故に遠くからだと気付かなかったが人だかりができていた。
村の端に人が集まるなんて珍しいと思ったが人々の見つめる先の存在により納得した。巨大な獣が横たわっている。倒れていても大人より大きく、目立つ。
人間とは比べ物にならない巨体は一向に動くことはない。奇妙に思い走る速さを上げて駆け寄る。近づくにつれ、それが影になっていた巨体の細部が明確に見えてくる。うつ伏せにだらしなく手足を垂らし倒れているが、全身の筋肉が隆起し人間の何倍もある腕と脚、皮膚から盛り上がった背骨に沿って生える体毛、見開かれた一つ眼、姿だけで圧巻する。
これは、獣ではなく妖怪だ。全身を圧迫してくる禍々しい雰囲気は存在だけで伝わってくる。だけど、それと同じように懐かしさを伴う気配もある。
――懐かしさ?
妖怪と関わるなど、慧音を除けば新聞の勧誘にくる山の天狗くらいなもの。懐かしさを抱くことなどない。ましてやこのような人間の形にも成りきれていない妖怪は山や森の奥に生息していて普通に生活していては出くわすことの無いものだ。そして村の直ぐそこにまでこの妖怪が踏み込むことができ、なぜ倒れているのか、疑問は尽きない。
人垣は広く、とても近づくことはできそうにない。
「あの、」
近くにいた男性に声をかける。
「あの妖怪は一体何があったんだ?」
「近くの山から下りてきた妖怪が退治されたらしい」
食料が少なかったんだろう、と最近の悪天候が妖怪にも影響を及ぼしていることを付け加え説明してくれた。
「退治って村の人間が、か!?」
驚きは隠せない。人間より二回り小さいモノでさえ、敵わない力を持つ存在が妖怪だ。この村に住む全員が掛かったところでこれほど巨大な妖怪なら全滅になってもおかしくない。
「いや、博麗の巫女さ」
普通の人間が敵う筈ないだろ、と笑いながら男性は言う。
はくれいのみこ―――博麗の巫女。それはとても聞きなれた言葉。いったいどこで。何を私は忘れている?何?誰?・・・誰。ヒト、人、人間。赤と白の巫女装束。気怠そうな仕草。ぼんやりと記憶中枢から浮かび上がる概念。魔法使いの私と、博麗の巫女たる少女。星空の中飛び交う私たちと赤、青、黄、極彩色の光。赤と白の巫女は軽々と私の放つ光を躱し幾枚の御札を放つ。幻想、夢、違う、現だ。一人の少女の名。忘却の果て、過去を思い起こす名は、博麗 霊夢。博麗の巫女。
―――そうだ、霊夢だ。
同じ人間、共に妖怪を倒し異変を解決してきた少女を忘れていたのか。
「ほら、あそこにいる方が巫女さ」
指を差された先、妖怪の近くに佇む少女。それは、霊夢―――ではない緑と白の巫女の姿。
「れいむ・・・」
思わず呟いた言葉。その言葉が彼の耳にも届いていた。
「れいむ?彼女は早苗様だよ」
―――早苗。聞き覚えのある名前。博麗?違う、彼女は守矢の巫女ではなかったのか。混乱する脳。
彷徨う思考の中、早苗を見つめていると、目が合った。
透き通った青い瞳。穏やかそうな目つきは驚きに見開かれる。見てはいけないものを見てしまったかのように。
彼女は視線を外しそそくさと妖怪の影に隠れる形で私から離れた。
魔法使いの記憶。人間の記憶。混乱する二つの記憶。どちらが正しく、間違いか。どちらも霞がかった幻影のようにも思える。
ふらりと足が動く。思い出した一つの場所へ向かって。博麗神社。霊夢の住まう家。意識と同じくぼんやりとした視界。足取りは安定せず何度か転びそうになる。
博麗神社は村から幾分か離れた山中にあるが、徒歩で赴けるほどの距離でありそこまで苦労することはなかった。道も整備されている。
石段を登り、苔が付着し時代を感じさせる鳥居を抜けると見えてくる小さな社。
だが、それは――もう何年も人の手に触れられず朽ちつつあった。社まで続く石段も隙間から雑草が生え、手入れがされてないことを如実に表している。
「どういうことだ・・・」
言葉が漏れる。何が、いったい何が起こったというのか。
思わず社へ駈け出した。何かわかるとも思わないがそうせねば不安がなくなりそうになかった。
「久しぶりね」
声をかけられた。声の主はすぐに見つかる、賽銭箱の上に腰を下ろしている少女。先ほどまで気配も人影もなかったのに。
「誰?」
「まだ私のことは思い出して無いのね」
少女は立ち上がり、私に近づいてくる。陰で隠れていた姿が月明りに照らされる。
細く白い肌、癖のあるブロンドの髪、紫と白の入り混じった派手な服装。あまりにも歪な格好にヒトの姿をした妖怪だということは即座に気づいた。
能力、知力の長けた妖怪はヒトに姿が近づくという話がある。彼女もとても強い妖怪なのだろう。妖怪は人間を捕食する。逃げなかったのは、身体能力が妖怪の方が高く逃げる行為が無意味だからでも恐怖で立ちすくんだからでもない。彼女が「思い出してない」と言ったから。彼女は私を知っている。私は彼女を知っていた。彼女は他に何を知っているのか。事実を知りたいという欲求。
身長が高く、私を見下ろす瞳。右手で顎を持ち上げられ、見つめ合う形となる。ラベンダの甘い香りがする。髪よりも濃く濁った金の瞳。ほのかに赤みを帯びた唇に目を引かれる。
「私の名は―――」
――――八雲 紫



―――涙が流れた。
頬をつたい、冷たくくすぐったい。
拭おう、そう考えたものの腕が動かない。両手がすでに塞がっているからだ。手のひらにほのかに暖かいを感じる。
―――いったい、何を触っているのか。
それは疑問ではない、ただ事実を受け入れたくない『逃げ』だ。
私は霊夢の首に両手をあてている。力を籠めれば簡単に折れてしまいそうな細い首筋。博麗の力など疾うに失ってしまったと体現する生気のない肌。
今や霊夢はすでにただの人間でしかなかった。

予兆はあった。異変の起きる回数が増えていることが数えるなど面倒なことを嫌う、大雑把な私でさえ感じ取れた。そして霊夢が徐々に力を失っていることも。
私はずっと霊夢が好きだった。人間なのに強く、人脈が広い。何よりかっこいい。あこがれだった。なのに、どうして霊夢が老衰でもないのに力を失い、死の淵に立たされなければならないのか、我慢ならなかった。だから、霊夢を最期まで私が守ることを決めた。
それから数か月が経ち、霊夢はみるみる弱っていき布団から立って出歩くこともままならなくなった頃である。竹林の薬屋から帰ってきたら霊夢が布団から出て居なくなっていた。行きそうな場所を手当たり次第探し、見つけたのは守矢神社境内だった。白装束の霊夢と見つめ合う、早苗と紫。「貴女はもう博麗の巫女じゃないんですよ!こんなことをしても無駄なんです!」と早苗の説得を込めた叫びが聞こえる。霊夢の手には大幣が握られ、今にも早苗に襲いかかろうとするかのごとく構えていた。
「霊夢!」
直ぐさま、私は駈け出す。霊夢の身を守るように両者の間へ。霊夢の白装束は吐血で腹部に、道のりで傷ついた足の血が脚部に付着し痛々しい紅白衣装となっていた。私を見る霊夢の目は焦点が定まっていない。
駆け寄って抱きしめる。
「もうやめてくれ、霊夢」
異変や妖怪なんか気にせず二人で生きて行こう。私は彼女に伝える。
「・・・無理よ」
返答は霊夢からではなかった。
「―――紫」
幻想郷の賢者。悲哀の瞳。
「心も消えかかったソレは、もう彼女は霊夢では無いわ」
『ソレ』、すでにヒトとしても見られていない存在。霊夢の心を失ったただの木偶。これが博麗の巫女の最期なのか。人間には不相応な強大すぎる力の対価。理不尽な運命に怒りを覚える。
「・・・これまでも博麗の巫女はずっとこうなって死んでいったのか?」
怒りを抑えながらなんとかそれだけ口に出せた。
「ええ」首肯する紫。
「霊夢はこれまでの巫女と違い、若くして心を失ってしまった。次の代の博麗の名を継がせる者を育てる前に来てしまいましたが、ちょうど彼女がコチラ側へやってきたのは行幸だったわ」
そう言って早苗の方へ視線を向ける紫。
「早苗もいつかはこうなるのか?」
「博麗の巫女であるから、必ず」
歯を噛み締める。私にはどうしようもない、解決策などない。終わったのだ、博麗霊夢は。理不尽な幻想郷の理に飲み込まれて。
ならばこれ以上、霊夢―――それが今や器でしかなくとも、楽にさせてやりたい。
両手を首筋にあて、力を込める。ゆっくりと、ゆっくりと。残酷なのは理解している、だが霊夢であるという事実が私を躊躇わせる。もう、一緒にいることはできない。もう、会うこともない。もう二度と―――せめて愛する私の手で
「さようなら、霊夢」
涙が流れた。
とめどなく流れ、仰向けに倒れた霊夢の死に装束を濡らす。嗚咽が漏れる。
霊夢がなぜ死ぬこととなったのか。そうだ、幻想郷だ。妖怪が異変を起こし、博麗が解決するというシステムがいけないんだ。間違っているんだ幻想郷は。霊夢をつかむ力が無意識の内に強くなっていた。
霊夢、霊夢、霊夢・・・
さようなら、私はこの幻想郷を、そのシステムを、博麗の巫女を、全て変革させるよ。貴女のために。
既に早苗と紫の姿はここにはない。
好都合だ。居たら、私は自分の怒りを止めきれず襲いかかるところだった。まだ、下準備もなく、挑むのは得策じゃない。じっくり機が熟すのを待ち、幻想郷を変える―――

―――夢を見ていた。
目覚めた直後はぼんやりとした脳。少しずつ視界が明瞭になり、意識もはっきりしてくる。
夕日が部屋に差し込み、風が心地よい。
辺りを見回すと使えるのかもよくわからない物体ばかり、寝ていたのは自宅ではなく香霖堂だと気づいた。
「おい、魔理沙」
上の方から声をかけられたから、首を上げる。
「なんだ、香霖か」
あきれ顔でこの店の店主、森近 霖之助がこちらを見ていた。
「なんだ、じゃない。いい加減そこを退いてくれ」
いつからか忘れたが私は店のカウンタで寝ていたのだった。
「悪いな、香霖」
流石に迷惑をかけたことはわかるから素直に謝る。
「わかってくれればいいんだ」とカウンタにたくさんのガラクタを置きだした。そういえば倉庫の整理をしている間、私が店番をする約束をしていたのだった。
「魘されていたみたいだけどそんなに嫌な夢でも見ていたのかい?」
ガラクタを整理しつつ尋ねる香林。
嫌な夢。もうおぼろげな記憶。心の大半を失った虚無と不安感だけが身体に残っている。
「あまりいい夢は見てなかったようだぜ」
その言葉を聞いて、香林は整理する手を止めこちらを見る。
「嫌な夢は忘れた方が楽になるさ」
香林は少し口を緩めながら言う。忘れた方が楽になる―――私の心の空白、それをもう知る日が来ることはない、そんな気がした。
上白沢慧音は自室の小窓から月を眺めていた。少し欠けて満月になりきれていない月。
先日の白澤化の際、書き上げた書物の整理は粗方済みひと段落していたのだ。
「本当にこれでよかったのか?」
慧音以外誰一人として居ない部屋に投げかけられた問い。それは独り言ではなく―――慧音の後方、部屋の中央の空間が裂け―――そこから現れた少女が応える。
「この選択はあの娘にとっても、私たちにとっても最良――と言ってほしかったのかしら」
慧音は振り返る。妖怪の賢者、八雲 紫。境界を操る力を使い、世界を行き来する。
紫は笑っていた。嘲笑。
「答えを求めようなんて所詮、自分の後悔の正当化でしかないわ」
最良、なんて都合のいいことはない。一人の少女の歴史を書き換えなければならなかったのだから。
「わかっている、わかっているさ」
紫に対して、ではなく自分自身へ言い聞かせるような言葉。
歴史作り変える、破壊と再生、二つの力。慧音は自分の持つ能力で何度も同じように幻想郷を『良い』方向へと導いてきた。それは幻想郷を愛する八雲 紫と取り交わした誓い。博麗の巫女という幻想郷にとって重大な要素が関与するさいはこれまでも何度となく自らの力を使い、歴史を生み出してきた。
霧雨 魔理沙の狂乱も慧音の力があってこそ止めることができた。
「だけど心配は今回の事例」
紫の言葉。そう、歴史を書き換えられたものが失われた過去を思い出すことなど数千年の中で初めてだった。慧音自身の力が減衰しているとは考えにくい。彼女の行動が偶然にも様々な因子を含んでしまったことは間違いない。
「またあの娘が思い出してしまうかもしれない事実」
何が原因なのか、までは詳しくわからない。それでも思い出すという事実は考慮せねばならない案件の一つとなった。そして魔理沙が再びおかしくなってしまうかもしれないと。
「その時は私が彼女の存在を、無くさせればいい・・・」
慧音は苦渋に満ちた声音で言う。紫の目は驚きに見開かれた。そうすればこれ以上、慧音は力を使う必要はない。だがヒトを一人、存在さえも消滅させるという行為はそう容易くない。多くの人の記憶までも改変せねばならない。
そして何より相手は慧音の知り合いであるということだ。間違った考えだが、少しでも交流のある者より、見ず知らずの人間を消すほうが情に流されること、躊躇いもなく楽なのだ。
「その覚悟が貴女にあれば私はいくらでも力を貸すわ」
慧音では魔理沙を消すことはできない、だから記憶を改変するだけに留まった。そう紫は考えていた。事実を作り変える者の苦痛。改変により生じた矛盾を如何にしてなくすか。
「すまないな、紫」
紫は両手を伸ばし、慧音へと身を寄せる。そのまま抱きつかれた慧音。細い腕だがじんわりと暖かさが伝わってくる。
「貴女が謝ることはないわ。全て私の思慮の足らなさが招いた結果だから」
抱きしめた腕の力を強める紫。 何千年、人間の数十倍生きてきた妖怪はこれまでもそれだけ多くの関わりを妖怪、人間たちと築き、別れを繰り返してきた。賢者とて一人の妖怪。博麗の巫女との別れは人一倍悲しんだはずだ。何代にもわたり、大きく接していてはなおさらだ。妖怪の精神力の強さを実感した。
多くのモノを背負い過ぎた少女。慧音の助力があっても楽になれるかは分からない。
だが、今は彼女を受け止めることでわかってあげられればそれだけでよかった。

―――歴史も記憶も常に虚実が入り混じった曖昧なモノである―――
森矢司
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コメント



0.390簡易評価
5.80名前が無い程度の能力削除
うーむ、面白いんだけど、納得できない部分もちらほら。
作者さんの頭の中にはきちんとした世界観があるとは思うのですが、全体的に説明不足でそれが上手く伝わってこなかった感じ。
どうして霊夢は力を失ったのか、どうして紫と早苗は霊夢を見殺しにしたのか、そして魔理沙は殺さないのか、妖怪が異変を起こし、博麗が解決するというシステムが具体的に霊夢にどう影響を及ぼすのか、そしてこれからその運命を背負うであろう早苗さんの葛藤が見られないのは何故……。
色々と疑問はつきませんが、話自体は好きですのでこの点数で。
13.無評価もやし削除
コメントありがとうございます。
力量不足で読み苦しく申し訳ありません。
構成を考え次に生かしたいです
14.無評価名前が無い程度の能力削除
余計な説明がなくて好印象。暗い基調なのに鬱でないのもいい。
次回作もお願いします。
15.100名前が無い程度の能力削除
点数忘れ