※この作品は「神霊廟、前夜」の後時間軸ですが別に先に読まなくてもいいよ。みやこがはやれ。
「さぁこい! 実は私は……なんだっけ?」
「な、なんでもいい! お前を倒して、私は平和を手に入れるんだぁ―――――ッ!」
『多々良小傘』先生の次回作にご期待しそうな勢いで、全身全霊を込めた弾幕がラスボス
どころか3面ボスでしかない『宮古芳香』に襲いかかる。七色の雨とも表現できそうな美しい
それらは、霊力を伴って芳香の身体に打ち付けられた、が。
「いま、なんかしたか?」
無傷。圧倒的な無傷。満州風味の服装は多少ほつれてはいるが、白い肌には一切のダメージ
がない。むしろ攻撃した小傘にこそ疲労困憊の色が濃い。
「うぅ、うぐ」
もはや手持ちのスペルカードは使い切った。これ以上は為すすべなし。
「ならばこっちの番だな。そーれー。でていけー」
暢気なのだか胡乱なのだか、ともあれ笑みの周囲にぽつぽつとクナイ弾が現れる。何度も
辛酸を味合わされた猛攻が、また始まる。
「で、出て行けといわれて出て行けない事情がこっちには、あ、ある、ぁわ、あわわわ」
勢いよく啖呵をきったはいいが続々、続々と現れては押し寄せてくるクナイ弾に及び腰。
情けない声を上げながら茄子色の傘と空色のスカート翻し、回避に精一杯だ。しかし攻撃に
全力を傾けていたせいか、あっという間に劣勢である。こうなれば小傘、そう、とっておき
をやるしかない。
「あ、う。こ、これで勝ったと思うなよ、よよよ、お、覚えてろぉ!」
三十六計逃げるがなんとやら、周囲を埋め尽くす弾幕の向こうに見えない敵に捨て台詞。
返事があった。
「お? 多分、覚えてないだろうなぁ。すまん」
「な、なんだよそれっ、ひっ、わっ、逃げッ――ひィンッ!?」
律儀なツッコミが命取りであった。眼前触れるほどのクナイに恐れをなして転身しようと
したが時すでに遅し。振り返った瞬間小傘の形のいいお尻にぷっすりぷすぷす3本ほどの
クナイが着弾する。むろん俗に言うぴちゅーん。哀れ小傘は、
「ひ、ひにゃぁぁぁ〜〜〜また負け、ごがっ!?」
悲鳴を上げながら墜落した。さいごのごがっ、は落ち切る前に墓石に後頭部を打ちつけた
せいである。小傘もあんなんだが一応妖怪、大きなたんこぶを作って気絶するぐらいで
済んだようだから心配ご無用ではある。
そんな無様な相手を上空から、まるで全てを達観したかのような、その実何も考えてない
顔で、芳香はまるで虚しい闘いでもあったとでも言いたげに佇んでいるのであった。
「虚しい戦いであった」
言うのかよ。
そもそもなぜ唐傘妖怪VSキョンシーなどというB級を遙かに通り越し、Z級映画でさえ
あのボクちょっとそういうのは遠慮しますとドン引きしそうなシチュエーションが発生して
いるのであろうか?
多々良小傘は人の感情を喰らう恐るべき妖怪である。かっこ失笑かっことじる。彼女の
欲する感情は驚き。しかし、この妖怪跋扈する幻想郷で、並々ならぬ図太い神経を宿した
人間相手に彼女の単純極まりない驚かせ方は児戯にすら及んでいない。何しろ小傘のよう
に可愛らしい姿の少女が道の真ん中で佇み、通りかかった人間に、
「あの〜、うらめしや〜」
では驚くより先に片手であしらわれ、あるいはちょっと心配に思った若いお兄さんが『そうか
そうかうらめしやか。なるほど、君は遊んで欲しいんだね。じゃあお兄さんがちょっとそこ
の茂みで面白い事を教えてあげよう』みたいになることは火を見るより明らか、事実何度か
そんな事態になりかけたことさえある。そんな事態がどんな事態かは、まぁそれはこの話の
本筋に何の関係もないのでこの文をご覧になられている紳士淑女諸君のご想像にお任せ
する。閑話休題。
そんな状況であるがゆえに、彼女は常に飢えていた。この間の宝船の異変の際もなんとか
目に付いた人間を驚かせようと必死の弾幕を張ったのだがさでずむされたり当たって砕けたり
心の古傷を抉られたりと散々であった。もっともその三人は幻想郷でもトップクラスの図太い
人間であったわけだが。
そうして彼女も考えた。昼の日中にうらめしやでは趣もへったくれもない。なるほど夜か、
と考えて時間帯を変更して驚かせてみた事もある。なるほど一定の効果は挙げたが大きな
問題があった。見えないのである。彼女が夜の食事を断念せねばならなかった理由がそこだ。
なにしろ二足歩行してるから人間だろうと驚かせようとしたら、その実冬眠から目覚めたヒグマ
とご対面。そのまま自身が夜の食事になりかけたのならさすがに考え直す。
空きっ腹を抱えて更に考える。晴れの日も雨の日も雪の日も嵐の日であっても。考えて
考えて、前後不覚にさまよった。そして墓地にたどり着く。たどり着いた墓地で見かけた
人間に、最後の気力を込めて渾身のうらめしやぁ。これがよかった。薄暗い墓地という場所、
恨めしやの声、何より空腹の限界に達した声や姿は、それはもう辛さ苦しさ極まるもので
実に迫力満点の出来映えであった。悲鳴を上げて逃げ去っていく人間達から、今までにない
ほどの驚きの感情を慌てて喰らう。実に美味い、美味い上に多い。
あまりの美味満腹にしばらく座り込み放心する小傘。それを終えて気付く。私の居場所は
ここだ、と。ここでなら人間も驚いてくれるぞ、と。そうしてしばらく墓参りに来た人々を驚かせて
いたのだが、確かに効果抜群であった。ここでなら最早飢える心配はない。最高の狩場を
得て上機嫌であった。
宮古芳香の頭が、小傘の頭めがけて鉄槌の如く落ちてくるまでは。
そこから先の連戦連敗はもう悲劇を通り越して喜劇の域に達しているので、彼女の名誉の
ため詳しくは描写はしないがとりあえずその可愛らしいお尻にクナイ弾が突き立ったのは
一度や二度ではないことは確実である。ともあれこうして(満腹が)約束された地を追われ、
ジェリコの都市を奪還しようとするヨシュアのように果敢に戦いを挑むはめになったという
わけである。
さて、撃退回数は片手で足りないほどになったが、しかし小傘は諦めない。時は三日おいて
の八つ刻、春雨はいまだ冬の冷気を感じさせ周囲の草木を、墓石たちをしとどに濡らしている。
雨は自分のホームグラウンド、と小傘は信じている。今日こそは狩場を奪還してやるぞ、と
息巻き雨風を切り裂いて空を飛び、憎き敵の下へと馳せる。はたして、相手はやはりいつもの
場所にいつものように両手を前にして立っていた。傘も差さずに、そのままで。
「ちょ、ちょっと!」
「お。……ちーかよーるなー! これから先はお前達が入って良い場所ではない!」
すでにこの口上も何度も聞いた。続く言葉ももちろん決まっている。
「我々は崇高な霊廟を守るために生み出された戦士(キョンシー)である。」
「知ってる」
「お、そうか。えらいな。ならば我らが仲間となるかここから立ち去……」
「いや、さ、あの、あんたさ」
雨音に混じる声に被せて問う。問われて芳香、停止。総身はずぶ濡れ、差し出した両手から
も艶やかさの失われた黒髪からもぼつぼつぼつと雨だれが落ちている。濡れ鼠、をすでに
通り越して一種悲惨な状況に見えた。小傘は眉をひそめこう問う。
「傘とか、差さないの?」
「……お?」
きょとん、とした表情で小首を傾げる。その勢いでまたも雫がぼたぼたぼた。そのまま無言は、
どうやら何かを考えているせいだ。それを見て苦虫を噛み潰したような顔の小傘が、一歩、
前に出た。
「う?」
硬い首の関節を何とか動かし、上を見やる。天は紫色に染まり、最早雨は一滴も落ちてこない。
「これはいかなる奇跡か」
「なんでよ! 私が傘に入れてあげたの!!」
「そうか」
むすっとした顔で、しかし化け傘の柄を持った腕を前に突き出し、二人分の雨を凌いでいる。
「ということはお前も私の仲間になる決心がついたということか」
「は!?」
「我が仲間ゆえに私にこのような振る舞いをしているのだろう?」
「ち、違う!」
己に都合のみの言葉に小傘もさすがに語気を荒げる。最も知る由はないのだが、芳香の
思考は与えられた命に関するものがほとんどを占めている。ゆえに世にある全ての事象が
主からの命に繋がるのも仕方のないことなのかもしれない。が、小傘にとっては散々な
話である。
「私だってね、一応はその、傘妖怪なんだから。雨にずぶ濡れになってるやつを放っておくって
のはね、その、なんていうか。だ、第一あれよ。傘下になったっていうなら、この状況、むしろ
あんたが私に、ってことじゃん」
「うまいこといった」
「いやまぁ、え、あ、ありがと……って、そういう事じゃなくってぇ!」
驚いたり呆れたり照れたり怒ったりと忙しい小傘とは対照的に、ぽかんと呆けたような
芳香の表情は変わらない。なんだかまともに相手するのも疲れて、深い溜息、一つ。
ぼつぼつぼつと雨が傘を叩く音と、さんさんさんと地面に落ちる音。そんな中、しばらく
無言のふたりだが、やはり小傘が先に口を開いた。
「あのさ」
「お?」
「あんた、一体何なのさ」
難しい顔をしたまま、問う。いろいろなし崩し的に弾幕勝負の間柄となったわけだが、
よくよく考えてみれば相手の事をほぼ知らない。今、なんとなく勝負をする雰囲気でない
この機会に聞いておこうと思ったのだ。が、その瞬間。芳香の全身からなんともいえぬ
禍々しきオーラが立ち上り、身じろぎした小傘に、地獄からの怨嗟のように言葉を投げ
つけた。
「自己紹介をする時はーぁー、そちらからするのが礼儀ーだぁーろぉーうぅー」
「え、うわ。え、あ、はい! わわ、私は多々良小傘。見てのとおりの唐傘妖怪だー。お、驚けー」
「何を今更」
「う、うぐ」
的確な言葉に心えぐられる小傘。と、ダークオーラが完全に消えていた。
「え、そ、それだけ?」
「うむ」
理解に苦しむ悲壮な顔をよそに、淡々と言葉を続ける。
「ならばこちらも返礼をせねばならぬ。我が名は宮古芳香。永き眠りより目覚めしキョンシーで
あるぞ」
「うん、キョンシーなのは知ってる……。ん? でもキョンシーって何さ」
芳香の呆けっぷりも相当なものであるが、どうやら小傘も負けず劣らずである。相手の
正体も考えずに真っ向から突っ込んでいたのだから。そんな暢気には暢気な声で返される。
「ゾンビでーす」
「はぁ。ゾンビですか。ゾンビ、え? あんた死んでるのかい?」
「死んでるねぇ、ずいぶん前に。いや、こないだか? お? うむー?」
「や、いつでもいいけどさ。そんな死体が何で私の邪魔をするんだよぅ。こちとらいい狩場を
見つけたってのに、あんたのせいでまた腹ペコに逆戻りなんだよぉ」
「そうか。それは難儀だな。私は何でも食べられるのでそういうのは困ったことがない。すごい
だろう。私を見習って好き嫌いなく何でも食べるようになれ。さしあたってそこの墓石とか齧る
とよいと思うぞ。カルシウムたっぷり」
「食えるか!! あとたぶんかるし、なんとかとか含まれてない!! あのね、私は人間の驚き
を食べてるの! 芳香、だっけ。お前がみんな追い返すせいで迷惑してるんだってば!」
「にんげんのおどろき。それっておいしいの?」
「教えてやるもんか!」
たぶんあの味は小傘にしかわからないだろう。ぷりぷりと怒ってはいるが、しかし差し出した
傘を引っ込めないあたりお人好しである。頬をぷっぷくぷぅと膨らませた相手を見てようやく
怒っていると気づく芳香。
「うむー。とはいえだな、私も主の命を受けここを守り、誰も通さぬようせねばいけないような
気がしているのだから引くわけにはいかんのだ」
「主……って、だれよ?」
「誰でしょう?」
「お、おい!」
「そういうわけでだな、すまんがここを通さぬ命が解除されるまで、私はここを離れるわけには
いかんのだ、こ、えーと、なんだっけおまえ。こ、こば、小鯖?」
「小傘! 魚じゃない!」
「こむさでもーど?」
「小傘! アパレルでもない!!」
「ふぉっさまぐな?」
「こ、小傘だって言ってるのにぃ! う、うわーん!!」
「泣くな、小傘」
「言えてんじゃんッ!!」
思わず空いた手で脳天にすぱこーんとチョップ一閃。脳みそが腐ってるだろうせいかあまり
関係ないかもしれないが軽やかな音がした。しかし打たれた当人、いや、当死体娘には
たいした衝撃にもなっていない様子だ。
「もうやだこの死体」
「まぁそう言うな」
本人もマイペース極まりないのではあるが、それを遥かに凌駕するキョンシーワールドに
もはや弾幕勝負でもないのに涙目である。
そんな小傘の瞳の代わりにか、しとしとと雨は降り続ける。
「雨、やまんな。……いつまでそうしてる気だ?」
「……それはこっちのセリフだよ。あんたがここにいる限り、私は飢え死にする可能性が
高いんだけど」
「……おー」
「あんたみたいな奴に話してもさ、仕方ないんだろうけどさ」
うつむけば色違いの瞳も髪に隠れる。
「私は元々この紫色の傘なわけ。こんな色だからだろうかね、私は捨てられて。誰かに使って
欲しくてさ、それでも誰の手にも取ってもらえなくて。人間を恨んで、それでも想い続けて、
長い長い時を越えて私はこの姿を手に入れた。本当は人に使って欲しくて、それでも生きる
ためには人を嚇かして、それすら満足にできなくて。……私、やっぱり、いなくなったほうが
いいのかな……」
何故だかひとつ、ふたつ。唐傘屋根の下に雨粒が落ちる。俯き肩を振るわせる傘の持ち主を、
相変わらず胡乱な笑顔で見つめるだけかと思われた芳香。だが。
「小傘。なら私の傘になれ」
「え」
唐突な申し出に驚いて顔を上げる。
「私も死体だとはいえ、雨に打たれるのは嫌いなのだぞ? お肌も荒れるしな」
「ゾンビギャグだ……」
鼻をすすり上げながら律儀なツッコミ。
「雨の日は戦うのも嫌じゃぁないか。だから、雨の日は私の傘になれ。私の身体を見てみろ、
こんな風に硬直してるからね、満足に傘を持つことだってできやしないのさ。だから」
「う……」
その要求を突っぱねようと声を上げようとして、喉に引っかかる。眼前の相手こそ憎む
べき仇敵であるが、必要とされて断れるだろうか。幾年と一人で空を漂っていた忘れ傘が、
使いたいと願うものの声を断る事が。
しばらく何か言いたげに逡巡して、一つ、溜息。それは諦めでもなく、呆れでもなく、安堵の
ようにみえた。
「……しょうがないわね。そうまで言うんだったら雨の日だけは、あんたの傘になったげるわよ」
「おう。これでお前も我々の仲間に」
「そうね……それは違う!」
「お。お、おおー」
流れで危うく勧誘の言葉に乗りかけた。皆も赤い眼をした白いネコだかウサギだかの生物
などの甘い言葉には気をつけ給え。勧誘失敗して、芳香はほんの少しだけ残念そうな顔の
まま言を続ける。
「まぁよい。お、そうだ思い出したぞ。お前の空腹の心配だが、安心するがいい。すぐに解消
されるであろう」
「ん?」
「我が主が目覚めれば、私も用済みだ。また墓の下へと戻ることになろう」
「……え」
「そうなればこの場所はお前のものだ。人を嚇かすのも、飯を食らうのも好きにできるぞ。喜べ、
えーと、こ、こさ、ボサノb」
「全然喜べないよ!!」
怒鳴り声と共に顔を上げれば、色違いの両の目には今にも涙が零れ落ちそうだ。一度
しゃくりあげて、睨みつける。恐ろしくも、怖くもないが、言い知れぬ迫力がある。芳香も
気圧されたのか、ぽかんと口を開けたままで凍りつく。
「……そんなの、喜べるわけないじゃない。私を、必要としてくれる、って言ってくれて、それ
なのにすぐ居なくなる、とか。ダメ、許さない。ずっと、ずっと私を使ってよ」
「お。おぉー」
いささか病み気味な発言ではあるが、それまでの孤独を考えると仕方ないことかもしれない。
泣き顔と、ふくれっ面が混じったその顔に、急にもうひとつの色が浮かぶ。良い事を思いついた
子どものような喜色。
「そうだ。そうだよ。私、弾幕勝負に勝ったらあんたに立ち退いてもらおうと思ってたんだけど、
それ、やめる。ねぇ、芳香」
「う?」
「弾幕勝負に負けたら、ずっと私の持ち主になりなさい。あなたは文字通り私の傘下で、そして
ふたりで人間を驚かし続けるの! ね、いいでしょう?」
「おー……それは、困……」
芳香のゾンビ脳でも、その言葉が主の命に反する事は重々に理解している。もちろん、小傘の
言葉に対し否定の声が出かける。が、目の前の妖怪少女は涙を湛えた目で、しかし真っ直ぐな
視線を向けている。
主殿は、さておぼろげな主はこういう時どう言うのだろうか。芳香のゾンビ脳がぐるぐると
思考を始める。ここで断るのは容易い。だが主はそんなことをつまらん、と思うだろう、多分。
自分が万が一小傘に敗れ、彼女と一緒になる事を大きく咎めはしないだろう、多分。そして
なにより、目の前の少女の気持ちは、多分、ではない。真剣なものだ。いくらゾンビは腐る
とはいえ、心まで腐らせた覚えはない。胡乱な表情にどこか、おそらくは彼女が生きていた
頃に見せただろう決意の光のようなものが宿った。
「……それも、悪くはないかもしれないね」
「ほんと!?」
「うむ、まぁ、覚えてたらな」
「忘れさせないよ。忘れないよう何度でも突っかかってやる……雨の日以外は、ね」
「あめあめふれふれ」
「……んもう!!」
雨々降る降る墓地の上。ふたりのひとにあらざる少女は、冗談に笑みを交し合う。晴れても
降ってもこれからは、きっとふたりの関係も明るく楽しく過ぎていくのだ。
「さぁこい! 実は私は……なんだっけ?」
「な、なんでもいい! お前を倒して、私は平和を手に入れるんだぁ―――――ッ!」
『多々良小傘』先生の次回作にご期待しそうな勢いで、全身全霊を込めた弾幕がラスボス
どころか3面ボスでしかない『宮古芳香』に襲いかかる。七色の雨とも表現できそうな美しい
それらは、霊力を伴って芳香の身体に打ち付けられた、が。
「いま、なんかしたか?」
無傷。圧倒的な無傷。満州風味の服装は多少ほつれてはいるが、白い肌には一切のダメージ
がない。むしろ攻撃した小傘にこそ疲労困憊の色が濃い。
「うぅ、うぐ」
もはや手持ちのスペルカードは使い切った。これ以上は為すすべなし。
「ならばこっちの番だな。そーれー。でていけー」
暢気なのだか胡乱なのだか、ともあれ笑みの周囲にぽつぽつとクナイ弾が現れる。何度も
辛酸を味合わされた猛攻が、また始まる。
「で、出て行けといわれて出て行けない事情がこっちには、あ、ある、ぁわ、あわわわ」
勢いよく啖呵をきったはいいが続々、続々と現れては押し寄せてくるクナイ弾に及び腰。
情けない声を上げながら茄子色の傘と空色のスカート翻し、回避に精一杯だ。しかし攻撃に
全力を傾けていたせいか、あっという間に劣勢である。こうなれば小傘、そう、とっておき
をやるしかない。
「あ、う。こ、これで勝ったと思うなよ、よよよ、お、覚えてろぉ!」
三十六計逃げるがなんとやら、周囲を埋め尽くす弾幕の向こうに見えない敵に捨て台詞。
返事があった。
「お? 多分、覚えてないだろうなぁ。すまん」
「な、なんだよそれっ、ひっ、わっ、逃げッ――ひィンッ!?」
律儀なツッコミが命取りであった。眼前触れるほどのクナイに恐れをなして転身しようと
したが時すでに遅し。振り返った瞬間小傘の形のいいお尻にぷっすりぷすぷす3本ほどの
クナイが着弾する。むろん俗に言うぴちゅーん。哀れ小傘は、
「ひ、ひにゃぁぁぁ〜〜〜また負け、ごがっ!?」
悲鳴を上げながら墜落した。さいごのごがっ、は落ち切る前に墓石に後頭部を打ちつけた
せいである。小傘もあんなんだが一応妖怪、大きなたんこぶを作って気絶するぐらいで
済んだようだから心配ご無用ではある。
そんな無様な相手を上空から、まるで全てを達観したかのような、その実何も考えてない
顔で、芳香はまるで虚しい闘いでもあったとでも言いたげに佇んでいるのであった。
「虚しい戦いであった」
言うのかよ。
そもそもなぜ唐傘妖怪VSキョンシーなどというB級を遙かに通り越し、Z級映画でさえ
あのボクちょっとそういうのは遠慮しますとドン引きしそうなシチュエーションが発生して
いるのであろうか?
多々良小傘は人の感情を喰らう恐るべき妖怪である。かっこ失笑かっことじる。彼女の
欲する感情は驚き。しかし、この妖怪跋扈する幻想郷で、並々ならぬ図太い神経を宿した
人間相手に彼女の単純極まりない驚かせ方は児戯にすら及んでいない。何しろ小傘のよう
に可愛らしい姿の少女が道の真ん中で佇み、通りかかった人間に、
「あの〜、うらめしや〜」
では驚くより先に片手であしらわれ、あるいはちょっと心配に思った若いお兄さんが『そうか
そうかうらめしやか。なるほど、君は遊んで欲しいんだね。じゃあお兄さんがちょっとそこ
の茂みで面白い事を教えてあげよう』みたいになることは火を見るより明らか、事実何度か
そんな事態になりかけたことさえある。そんな事態がどんな事態かは、まぁそれはこの話の
本筋に何の関係もないのでこの文をご覧になられている紳士淑女諸君のご想像にお任せ
する。閑話休題。
そんな状況であるがゆえに、彼女は常に飢えていた。この間の宝船の異変の際もなんとか
目に付いた人間を驚かせようと必死の弾幕を張ったのだがさでずむされたり当たって砕けたり
心の古傷を抉られたりと散々であった。もっともその三人は幻想郷でもトップクラスの図太い
人間であったわけだが。
そうして彼女も考えた。昼の日中にうらめしやでは趣もへったくれもない。なるほど夜か、
と考えて時間帯を変更して驚かせてみた事もある。なるほど一定の効果は挙げたが大きな
問題があった。見えないのである。彼女が夜の食事を断念せねばならなかった理由がそこだ。
なにしろ二足歩行してるから人間だろうと驚かせようとしたら、その実冬眠から目覚めたヒグマ
とご対面。そのまま自身が夜の食事になりかけたのならさすがに考え直す。
空きっ腹を抱えて更に考える。晴れの日も雨の日も雪の日も嵐の日であっても。考えて
考えて、前後不覚にさまよった。そして墓地にたどり着く。たどり着いた墓地で見かけた
人間に、最後の気力を込めて渾身のうらめしやぁ。これがよかった。薄暗い墓地という場所、
恨めしやの声、何より空腹の限界に達した声や姿は、それはもう辛さ苦しさ極まるもので
実に迫力満点の出来映えであった。悲鳴を上げて逃げ去っていく人間達から、今までにない
ほどの驚きの感情を慌てて喰らう。実に美味い、美味い上に多い。
あまりの美味満腹にしばらく座り込み放心する小傘。それを終えて気付く。私の居場所は
ここだ、と。ここでなら人間も驚いてくれるぞ、と。そうしてしばらく墓参りに来た人々を驚かせて
いたのだが、確かに効果抜群であった。ここでなら最早飢える心配はない。最高の狩場を
得て上機嫌であった。
宮古芳香の頭が、小傘の頭めがけて鉄槌の如く落ちてくるまでは。
そこから先の連戦連敗はもう悲劇を通り越して喜劇の域に達しているので、彼女の名誉の
ため詳しくは描写はしないがとりあえずその可愛らしいお尻にクナイ弾が突き立ったのは
一度や二度ではないことは確実である。ともあれこうして(満腹が)約束された地を追われ、
ジェリコの都市を奪還しようとするヨシュアのように果敢に戦いを挑むはめになったという
わけである。
さて、撃退回数は片手で足りないほどになったが、しかし小傘は諦めない。時は三日おいて
の八つ刻、春雨はいまだ冬の冷気を感じさせ周囲の草木を、墓石たちをしとどに濡らしている。
雨は自分のホームグラウンド、と小傘は信じている。今日こそは狩場を奪還してやるぞ、と
息巻き雨風を切り裂いて空を飛び、憎き敵の下へと馳せる。はたして、相手はやはりいつもの
場所にいつものように両手を前にして立っていた。傘も差さずに、そのままで。
「ちょ、ちょっと!」
「お。……ちーかよーるなー! これから先はお前達が入って良い場所ではない!」
すでにこの口上も何度も聞いた。続く言葉ももちろん決まっている。
「我々は崇高な霊廟を守るために生み出された戦士(キョンシー)である。」
「知ってる」
「お、そうか。えらいな。ならば我らが仲間となるかここから立ち去……」
「いや、さ、あの、あんたさ」
雨音に混じる声に被せて問う。問われて芳香、停止。総身はずぶ濡れ、差し出した両手から
も艶やかさの失われた黒髪からもぼつぼつぼつと雨だれが落ちている。濡れ鼠、をすでに
通り越して一種悲惨な状況に見えた。小傘は眉をひそめこう問う。
「傘とか、差さないの?」
「……お?」
きょとん、とした表情で小首を傾げる。その勢いでまたも雫がぼたぼたぼた。そのまま無言は、
どうやら何かを考えているせいだ。それを見て苦虫を噛み潰したような顔の小傘が、一歩、
前に出た。
「う?」
硬い首の関節を何とか動かし、上を見やる。天は紫色に染まり、最早雨は一滴も落ちてこない。
「これはいかなる奇跡か」
「なんでよ! 私が傘に入れてあげたの!!」
「そうか」
むすっとした顔で、しかし化け傘の柄を持った腕を前に突き出し、二人分の雨を凌いでいる。
「ということはお前も私の仲間になる決心がついたということか」
「は!?」
「我が仲間ゆえに私にこのような振る舞いをしているのだろう?」
「ち、違う!」
己に都合のみの言葉に小傘もさすがに語気を荒げる。最も知る由はないのだが、芳香の
思考は与えられた命に関するものがほとんどを占めている。ゆえに世にある全ての事象が
主からの命に繋がるのも仕方のないことなのかもしれない。が、小傘にとっては散々な
話である。
「私だってね、一応はその、傘妖怪なんだから。雨にずぶ濡れになってるやつを放っておくって
のはね、その、なんていうか。だ、第一あれよ。傘下になったっていうなら、この状況、むしろ
あんたが私に、ってことじゃん」
「うまいこといった」
「いやまぁ、え、あ、ありがと……って、そういう事じゃなくってぇ!」
驚いたり呆れたり照れたり怒ったりと忙しい小傘とは対照的に、ぽかんと呆けたような
芳香の表情は変わらない。なんだかまともに相手するのも疲れて、深い溜息、一つ。
ぼつぼつぼつと雨が傘を叩く音と、さんさんさんと地面に落ちる音。そんな中、しばらく
無言のふたりだが、やはり小傘が先に口を開いた。
「あのさ」
「お?」
「あんた、一体何なのさ」
難しい顔をしたまま、問う。いろいろなし崩し的に弾幕勝負の間柄となったわけだが、
よくよく考えてみれば相手の事をほぼ知らない。今、なんとなく勝負をする雰囲気でない
この機会に聞いておこうと思ったのだ。が、その瞬間。芳香の全身からなんともいえぬ
禍々しきオーラが立ち上り、身じろぎした小傘に、地獄からの怨嗟のように言葉を投げ
つけた。
「自己紹介をする時はーぁー、そちらからするのが礼儀ーだぁーろぉーうぅー」
「え、うわ。え、あ、はい! わわ、私は多々良小傘。見てのとおりの唐傘妖怪だー。お、驚けー」
「何を今更」
「う、うぐ」
的確な言葉に心えぐられる小傘。と、ダークオーラが完全に消えていた。
「え、そ、それだけ?」
「うむ」
理解に苦しむ悲壮な顔をよそに、淡々と言葉を続ける。
「ならばこちらも返礼をせねばならぬ。我が名は宮古芳香。永き眠りより目覚めしキョンシーで
あるぞ」
「うん、キョンシーなのは知ってる……。ん? でもキョンシーって何さ」
芳香の呆けっぷりも相当なものであるが、どうやら小傘も負けず劣らずである。相手の
正体も考えずに真っ向から突っ込んでいたのだから。そんな暢気には暢気な声で返される。
「ゾンビでーす」
「はぁ。ゾンビですか。ゾンビ、え? あんた死んでるのかい?」
「死んでるねぇ、ずいぶん前に。いや、こないだか? お? うむー?」
「や、いつでもいいけどさ。そんな死体が何で私の邪魔をするんだよぅ。こちとらいい狩場を
見つけたってのに、あんたのせいでまた腹ペコに逆戻りなんだよぉ」
「そうか。それは難儀だな。私は何でも食べられるのでそういうのは困ったことがない。すごい
だろう。私を見習って好き嫌いなく何でも食べるようになれ。さしあたってそこの墓石とか齧る
とよいと思うぞ。カルシウムたっぷり」
「食えるか!! あとたぶんかるし、なんとかとか含まれてない!! あのね、私は人間の驚き
を食べてるの! 芳香、だっけ。お前がみんな追い返すせいで迷惑してるんだってば!」
「にんげんのおどろき。それっておいしいの?」
「教えてやるもんか!」
たぶんあの味は小傘にしかわからないだろう。ぷりぷりと怒ってはいるが、しかし差し出した
傘を引っ込めないあたりお人好しである。頬をぷっぷくぷぅと膨らませた相手を見てようやく
怒っていると気づく芳香。
「うむー。とはいえだな、私も主の命を受けここを守り、誰も通さぬようせねばいけないような
気がしているのだから引くわけにはいかんのだ」
「主……って、だれよ?」
「誰でしょう?」
「お、おい!」
「そういうわけでだな、すまんがここを通さぬ命が解除されるまで、私はここを離れるわけには
いかんのだ、こ、えーと、なんだっけおまえ。こ、こば、小鯖?」
「小傘! 魚じゃない!」
「こむさでもーど?」
「小傘! アパレルでもない!!」
「ふぉっさまぐな?」
「こ、小傘だって言ってるのにぃ! う、うわーん!!」
「泣くな、小傘」
「言えてんじゃんッ!!」
思わず空いた手で脳天にすぱこーんとチョップ一閃。脳みそが腐ってるだろうせいかあまり
関係ないかもしれないが軽やかな音がした。しかし打たれた当人、いや、当死体娘には
たいした衝撃にもなっていない様子だ。
「もうやだこの死体」
「まぁそう言うな」
本人もマイペース極まりないのではあるが、それを遥かに凌駕するキョンシーワールドに
もはや弾幕勝負でもないのに涙目である。
そんな小傘の瞳の代わりにか、しとしとと雨は降り続ける。
「雨、やまんな。……いつまでそうしてる気だ?」
「……それはこっちのセリフだよ。あんたがここにいる限り、私は飢え死にする可能性が
高いんだけど」
「……おー」
「あんたみたいな奴に話してもさ、仕方ないんだろうけどさ」
うつむけば色違いの瞳も髪に隠れる。
「私は元々この紫色の傘なわけ。こんな色だからだろうかね、私は捨てられて。誰かに使って
欲しくてさ、それでも誰の手にも取ってもらえなくて。人間を恨んで、それでも想い続けて、
長い長い時を越えて私はこの姿を手に入れた。本当は人に使って欲しくて、それでも生きる
ためには人を嚇かして、それすら満足にできなくて。……私、やっぱり、いなくなったほうが
いいのかな……」
何故だかひとつ、ふたつ。唐傘屋根の下に雨粒が落ちる。俯き肩を振るわせる傘の持ち主を、
相変わらず胡乱な笑顔で見つめるだけかと思われた芳香。だが。
「小傘。なら私の傘になれ」
「え」
唐突な申し出に驚いて顔を上げる。
「私も死体だとはいえ、雨に打たれるのは嫌いなのだぞ? お肌も荒れるしな」
「ゾンビギャグだ……」
鼻をすすり上げながら律儀なツッコミ。
「雨の日は戦うのも嫌じゃぁないか。だから、雨の日は私の傘になれ。私の身体を見てみろ、
こんな風に硬直してるからね、満足に傘を持つことだってできやしないのさ。だから」
「う……」
その要求を突っぱねようと声を上げようとして、喉に引っかかる。眼前の相手こそ憎む
べき仇敵であるが、必要とされて断れるだろうか。幾年と一人で空を漂っていた忘れ傘が、
使いたいと願うものの声を断る事が。
しばらく何か言いたげに逡巡して、一つ、溜息。それは諦めでもなく、呆れでもなく、安堵の
ようにみえた。
「……しょうがないわね。そうまで言うんだったら雨の日だけは、あんたの傘になったげるわよ」
「おう。これでお前も我々の仲間に」
「そうね……それは違う!」
「お。お、おおー」
流れで危うく勧誘の言葉に乗りかけた。皆も赤い眼をした白いネコだかウサギだかの生物
などの甘い言葉には気をつけ給え。勧誘失敗して、芳香はほんの少しだけ残念そうな顔の
まま言を続ける。
「まぁよい。お、そうだ思い出したぞ。お前の空腹の心配だが、安心するがいい。すぐに解消
されるであろう」
「ん?」
「我が主が目覚めれば、私も用済みだ。また墓の下へと戻ることになろう」
「……え」
「そうなればこの場所はお前のものだ。人を嚇かすのも、飯を食らうのも好きにできるぞ。喜べ、
えーと、こ、こさ、ボサノb」
「全然喜べないよ!!」
怒鳴り声と共に顔を上げれば、色違いの両の目には今にも涙が零れ落ちそうだ。一度
しゃくりあげて、睨みつける。恐ろしくも、怖くもないが、言い知れぬ迫力がある。芳香も
気圧されたのか、ぽかんと口を開けたままで凍りつく。
「……そんなの、喜べるわけないじゃない。私を、必要としてくれる、って言ってくれて、それ
なのにすぐ居なくなる、とか。ダメ、許さない。ずっと、ずっと私を使ってよ」
「お。おぉー」
いささか病み気味な発言ではあるが、それまでの孤独を考えると仕方ないことかもしれない。
泣き顔と、ふくれっ面が混じったその顔に、急にもうひとつの色が浮かぶ。良い事を思いついた
子どものような喜色。
「そうだ。そうだよ。私、弾幕勝負に勝ったらあんたに立ち退いてもらおうと思ってたんだけど、
それ、やめる。ねぇ、芳香」
「う?」
「弾幕勝負に負けたら、ずっと私の持ち主になりなさい。あなたは文字通り私の傘下で、そして
ふたりで人間を驚かし続けるの! ね、いいでしょう?」
「おー……それは、困……」
芳香のゾンビ脳でも、その言葉が主の命に反する事は重々に理解している。もちろん、小傘の
言葉に対し否定の声が出かける。が、目の前の妖怪少女は涙を湛えた目で、しかし真っ直ぐな
視線を向けている。
主殿は、さておぼろげな主はこういう時どう言うのだろうか。芳香のゾンビ脳がぐるぐると
思考を始める。ここで断るのは容易い。だが主はそんなことをつまらん、と思うだろう、多分。
自分が万が一小傘に敗れ、彼女と一緒になる事を大きく咎めはしないだろう、多分。そして
なにより、目の前の少女の気持ちは、多分、ではない。真剣なものだ。いくらゾンビは腐る
とはいえ、心まで腐らせた覚えはない。胡乱な表情にどこか、おそらくは彼女が生きていた
頃に見せただろう決意の光のようなものが宿った。
「……それも、悪くはないかもしれないね」
「ほんと!?」
「うむ、まぁ、覚えてたらな」
「忘れさせないよ。忘れないよう何度でも突っかかってやる……雨の日以外は、ね」
「あめあめふれふれ」
「……んもう!!」
雨々降る降る墓地の上。ふたりのひとにあらざる少女は、冗談に笑みを交し合う。晴れても
降ってもこれからは、きっとふたりの関係も明るく楽しく過ぎていくのだ。